源究

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現在24本掲載

独り言の第2ステップ、源究は『本をたずね究める』という

1 分かったような話 11.通勤寮パニック 21.チベット密教
2 インフルエンザから 12.裏と表 22.早く元気になーれ
Dai Pinang終刊に思う 13.benkyoukai 23.病院あれこれ
ネパール雑感 14.乾杯 24.福祉の受給バランス
今こそ何が 15.たまーにやるからよ 25.傾向と対策
6.年度末 16.物価は6割減っている
7.15年度への助走 17.ガラス3枚割っちゃった
8.支援費制度の最前線 18.本山登嶺
9.動物病院あれこれ 19.営業成績
10.仕事が見つかった! 20.言えないこと

1.わかったような話
NHKラジオの深夜の人気番組朝の4時5分に始まる『こころの時代』再放送ものが多いのだが
私はほとんど毎朝聞いている。目覚まし時計の助けを借りてはいるのだが、実に関心する番組
である。私は八郷町の山奥に住むある人の家を訪ねたことがある。新聞やテレビは無く、家も
自分で建てた。水は脇の沢からパイプで引いている。風呂は薪でたいている。午後2時頃お邪
魔して夜の9時過ぎまでいた。囲炉裏を囲んで日本酒を飲みながら、様々な話を時間がたつの
も忘れて過ごした。たった1回の訪問だったが、最近急にその時のことを思い浮かべている自分
に気づく。
 我々は知らず知らずに様々な情報を得る。手段も様々。グローバル化が進み、インターネット
が普及して同タイムで世界のニュースが入る世の中に住んでいる。しかし、これが実はやっかい
なんだなー。
   そんなに多くの情報を処理するだけの能力は我々には実はない。知識としては頭に入力
されても処理能力がついていけない。そうなるとどうなるか。分かったような気持ちになってしま
う。八郷の経験だが、今便利さをお金で買う時代。もし、不便を楽しむことに生きる価値観を置け
ばもう多くの悩みは解消できるはずだ。でもそうしない。何故だろう?
 不便は時として自然の偉大さを感じさせてくれる。寒さ暑さもそうだ。エアーコンの効いた家の
中ではそうはいかない。光熱費がかかり大変だ。今の施設は当にそうなっている。だから、免
疫力がなくなり、風邪にひきやすい体になる。私は思う。不景気だと騒いでいるが今の日本ほ
ど全てにおいて満たされた国を知らない。そのような中で本当の福祉を考え直す時期にきてい
る。


2 インフルエンザからの考察

今年のインフルエンザは記録的な流行らしい。例外に漏れず、尚恵学園にも少し遅れて入って
きた。歓迎したくはないが避けて通れない。今、外部との交流が以前と比べたら比較にならな
い。風邪の菌がどこから入ってくるのか防げない。数年前からワクチンは全員が家族の了解を
得てから接種している。だから、重くならないとも言えるのかもしれない。入院まで至る重篤な
状況には今のところなっていないのが幸いだ。しかし、利用者のみならず、スタッフが罹ってし
まう。これが非常に困る。通所ではないので大半の風邪引きさんは園で静養することになる。
 レスパイトや短期入所の希望者も多く、その対応に苦慮している。
こんな時、注意しないとスタッフ間の意識のズレが生じやすい。自己管理しながら仕事に支障
がでないように休まず頑張る職員、いち早くダウンしてしまう職員、70名もいると千差万別だ。
 お互いがぎくしゃくする関係がでてくる。この辺の調整をうまくやらないとまずい。
 人間のずるさとか弱さが一番見えてくる時、福祉の現場はノルマを数値で表すことができな
い。私の立場で一番頭を痛めるのが良くやってくれる職員とそうでない職員をどう見極めるか
ということだ。正直いって決して褒められたことではない。しかし、足下は当にその辺が避けて
は通れないことなのだ。
 インフルエンザというものが病気だけの問題ではなく組織の内包する問題の解毒剤になれ
ば不幸中の幸いである。
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3 Dari Pinang終刊に思う

マレーシアの中澤健さんからいつも送られてくる『Dari Pinang』が終刊行になった。2003・1/1
第24号でひとまず終わった。中澤さんとのお付き合いは長い。私が23歳の時だからもう30年が経つ
あれは、秩父学園の医務課の研修生として当時園長だった妹尾正先生の紹介で知り合った。中澤
さんは当時養成所の寮監という立場だった。その後、先生は厚生省の専門官として移り、当時の浅野
障害福祉課長などとグループホームの制度化などに尽力され、見事に作り上げた。その当時は全国を
駆け回る大変多忙な日々をお送りだった。しかし、感心させられるのは中澤さんは決して官僚的な姿
勢は示さず、我々現場の者を大切に思ってくれた。公職を潔く辞して、なにをやるのかと思っていたら、
マレーシアに単身移り住み、Pinang ACSを立ち上げた。もう何年前になるだろうか、友人とペナン
を訪れたことがあった。その時先生は自分の車を運転していろいろな場所を案内してくれた。あの時
熱く語らった地域生活支援センターを今回の最終刊行の24号に紹介している。見事に夢が実現して
いる。何が中澤さんを駆り立てているのだろうか?分からない。でも、私にとっては励みにもなり支え
にもなっている。夢実現までのご苦労、最近体調を崩されて日本で入院治療、大分良くなったといって
マレーシアに戻って行った。私は微力ながらアジアの国々の障害者が今より少しでも良いサービスが
受けられるように望んでいる。今回、ネパール行きを急に決めたのも何かの縁があるように思えて仕
方がない。

ネパール雑感

世界で4番目に貧しい国ネパール、今回で実は3度目の訪問、最初は20年位前、インドから入った。
その時は何かほっとした思い出がある。インドのオールドデリーの雑踏から逃げ出せたという気持ち、
2回目は父との二人旅、あの時はバンコックから入った。そして今回は関西空港からロイヤルネパー
ル航空での上海経由の直行便、施設仲間の2人との3人連れ。カトマンズの第1印象は人口の増加
と環境の悪さだった。大気汚染が進み、東京よりも空が汚れている感じがした。これは、自動車の
排気ガス対策の遅れと上下水処理の不備からきている。ここ2年ほど政情不安で外務省は危険地
域に指定、そのため日本人観光客は非常に少なかった。全体的に外国人が少ない。街の至る所は
軍隊警察が警備しており、宮殿周りは特に厳しく土嚢が積んであった。反政府マオリストへの対策。
私たちの訪問期間は丁度休戦期間とのことだった。ネパールは日本からの援助の率が非常に高く
NGOやらJICAの支援が重要なことが分かった。幸いJICA現地スタッフの平田さんには今回殊の
外世話になった。障害者福祉以前の問題が大きく、この点に関しては15年前と殆ど変化がなかっ
た。残念だったことは以前招待したことがあるプラダンさんが去年亡くなったことだった。会えるのを
楽しみにしていたのにかなわなかった。カトマンズとポカラの障害者施設は大体今回見て回った。
同行した関さんが偉く感動して早速ネパールのスタッフを日本に研修で迎えようと交渉した。私も
前回そうだった。自分たちで何か支援したいとどうしても思ってしまう。ネパールでは国からの援助は
難しい。民間団体とて同様。黙って指をくわえて見ているより他に方法が見つからない。そんな印象
をもつ。
 しかし、帰国して考えてみた。果たして日本流のやり方がネパールにとって良いことなのだろうか?
朝9時に出勤しても直ぐには仕事は始めない,先ずお茶を飲みおしゃべりしてから10時ごろやっと
仕事を始め12時頃にまたテイタイム、4時頃には仕事が終わる。実働4時間程度の世界。街には
よい若者がたむろして?とかというゲームに興じている、店先にはお客だか店の人だか分からない
連中がボーとして座っている。最初は異様に感じた。実際、時間がゆったりと流れている。
7000Mを超すヒマラヤの山並とガンジス川の雄大な自然の中にあっては人間は全く小さな存在
自然との共存が無ければ生きていけない世界。15年前に訪問したときと殆ど変化がない、日本で
は考えられない。15年の歳月は私が住む土浦という片田舎でも大きな変化があった。
次回の報告に触れてみたいが、釈迦誕生の地ルンビニーでみた。羽が真っ青な鳥、オウムだった。
日本では動物園でしか見られない動物がまだ人間と共存している地はもしかしたらユートピアなの
かもしれない。人間の尺度で・・・本当の豊かさとはなん何だろう、このことばかり考えていた。
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今こそ何が

3月8日朝6時:ネパールより帰って10日が経ち、貯まっていた仕事も一段落旅行中に書き殴っておいた
メモノートを開いた。その時々の新鮮な感動や普段感じないことを書いた。最近年のせいか1週間がもの凄い
スピードで過ぎていく。そのような中で雑務に追われ、なんとなく1日を過ごしてしまう。贅沢といえば其れまで
のことだがネパールでは本当に1日が長く充分に考える時間が持てた。今の日本を南半球に例えればネパー
ルは当に北半球、時間の流れが全く違う。戦後の57年を歴史的に見れば短期間の間に日本は経済復興に
成功し、方やネパールは旧態依然としている。数字で表せればGNP世界第2位とワースト第4位。雲泥の差
首都カトマンズでさえ道路は依然として舗装が完全ではなく一歩大通りから中に入ると雨の後など長靴を履か
ないと歩けない。下水も不完全、焼却炉などあるのだろうか?ゴミは皆川に流してしまう。川の両岸はたい積
されたゴミの山、人間が死ぬと川岸で荼毘にふし、骨を川に流す。私が訪れた時、丁度火葬をやっていた。
しばらく見ていると棒で薪を重ねる作業、その時、半分焼けた足が上に持ち上がった。これには驚く。
日常茶飯事の光景らしく現地の人達はさして驚きもしない。
 ネパールの8割はヒンズー教を信仰している。しかし、仏教も仲間という捉え方をしているようで同じように
仏教寺院が守られている。
 今何が必要か?という命題を自分に課して今回日本を出た。最終目的地はルンビニー。釈尊が何故城を
出ることになったのか。現地を実際に見て分かった。釈迦族の根拠地は大デルタ地帯、地平線が見えるよう
な広大な田園風景、小国であった釈迦族が隣国より簡単に攻められるという危機感は強い。当に無防備の
城に生まれたのだろう。階級制度のはっきりしたインド、今も尚残っている。そこに中道という教えを説く。
中道ということは真ん中ということでは無い。むしろ重心というべきだろう。両極端を嫌う。これは全てを否定
することでもない。お互いの良いところを認め受け入れ、いがみ合う関係ではなく、バランスを大切にする。
 イラク危機は当に、この辺の捉え方が一方に偏している。あまりにも貧しければ豊かな者たちが分け与え
る。強国アメリカの論法は私には理解できない。そして日本の立場もわからない。北朝鮮問題が有るという
ことで日本は言いたいことも言えないのだろうか?敗戦を引きずって今もいるとすれば堂々と自国の意見を
述べるドイツはどうなのか?政治と一般民衆が一体でない。市民レベルは皆争いはしたくない。ネパールも
実際同様な国内問題を抱えている。2年前の国王暗殺、今のマオリストの紛争、、、、
いつになれば争いごとの無い地球になるのだろうか?グローバル化が進めば進むほど瞬時に世界のニュー
スが入ってくる。先進国で日本ほど単一民族で成り立っている国はないという。人口2300万のネパール
にですら32民族が住んでいる。言葉も違い、顔つきも違う。違いを認め合うことなくして友好な関係は築け
ない。今こそ中道の歩みが必要なのだ。
6.年度末

まったく疲れまんなー。思うように行きませんわ。Why so make trouble with me? 年度末はどういう訳かせわ
しない。春の嵐の如く、日々状況が変化する。突風が吹き、気温の上下も激しい。当に自分の気持ちの中を
表しているようだ。理事長なんてちっとも格好よくないよ。まじめに考えて見るとアホらしいもんな。適当にやりゃ
良いんだよ。適当に。私の影武者いつも都合が悪くなるとどこからかやってきて私を誘惑する。へらへら笑って
好きなことを言って消えてしまう。今、特に難しい時期にある。不況の中で仕事を探す人々が毎日のようにハ
ローワークに訪れている。求人を出せばいくらでも希望者はいるから、楽になった。しかし、良い人を見つけると
なると大変だ。小1時間の面接なんかで分かるはずない。採用してみてこんな風じゃなかったという例はいくら
でもある。私には今の役目は向いていないのかもしれない。否、人を使うことが下手なのだろう。
 ああ・・・・毎年同じことを繰り返す。
お釈迦様、阿弥陀様、観音様、お不動さま、、、助けてくださいよ。
今日は身も心も春の嵐    じゃがじゃーんだ!やけくそだ。

7.15年度への助走

29日には新たな評議員21名を加えた理事会を京成ホテルにて開催する。新たなメンバーとして施設長や社協
更に父兄代表。職員が加わった。今後の尚恵学園を物心共に支えてくれる体制が整う。
役員として家族が利用者の立場で参加してくれることは大いに歓迎。遠慮しないで率直な意見を出していただき
たい。土浦市周辺でも居宅支援などの新たな事業所が増えており、サービスの競争時代に入っている。老人福
祉はもうサービスの競争が始まっているが、障害者についても多様なサービス事業体が参画してくることは必至
である。
 尚恵学園の弱点は、長年入所施設のみを行ってきたことで、スタッフにややもすると在宅へのサービスはオー
バーワークと考える者がいることである。機会をみつけては私自らその考えを変えてもらおうと声を大きくして
叫んできた。徐々にだがその効果は出てきている。施設福祉には限界があり、在宅サービスは無限大ということ
が言われている。確かに在宅の人々はどのようなサービスが地域に有るのか知らない人が多い。一度でも利用
して良いと思われるともの凄いスピードで情報が広まる。レスパイトサービスがそうである。最初は半信半疑で始
まった事業、土浦市の配慮で何度か追加補正をつけてくれて業績が伸びている。これもマンツーマンという受け
入れの体制が利用する立場からすると安心するようだ。また、受け入れる側もニーズに答えようとする場合利用
者の身体状況に関係なく受け入れやすいこともあるのだ。
 従来の福祉は制度の福祉とか箱物の福祉と言われてきた。これは利用者に合わせるサービスの仕組みでは
なく事業者(施設)に利用者を合わせるシステムであった。だから施設側が利用を希望される方をなんらかの理
由をつけて断ってきたのだ。施設が常に満杯の状況もこの考え方を改革できないできた一因である。
財政が厳しくなり従来の仕組みでは持たないということから見直しがなされ、社会福祉構造改革という謳い文句
で支援費制度はスタートする。
 職員には自ら考えることを意識づけている。何かがないからできないという時代ではなく、無くてもできる時代
にシフトしていかないと結局は自らの首を自らが絞めることになる。このことは一人一人自分のこととして考える
ことなのだ。先ず私自身が変わらなければならないのだ。分厚い新会計基準の本を読み始めた。

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支援費制度の最前線

今、世の中がどうなるのか世界中の人々が固唾をのんでみている。イラクの戦争が勃発24時間刻々とマスコミ
により伝えられる。大変な事態である。従軍記者として最前線の戦況をライブでレポートする人が被害にあって
亡くなった。冷静でいられるはずがない戦場でいくら仕事と言っても私には想像できない。そして、数十万規模
の軍隊もそうだ。残された家族の心境は・・・。イラクの一般市民の方たち・・・もうなにもかも日本にいては分か
らない。
早く平和になってほしいと祈るだけである。
 このような時に支援費のことなど言うのも迷うところである。しかし、ある意味では最前線に我々も立たされて
いる。女性の利用者が昨日急に入院することになった。腸閉塞のようだ。朝からいつもの元気がなく嘔吐を繰
り返していた。通院してすぐに入院、病室に寝ている彼女を見回った。鼻から胃にチューブを入れられ24時間の
点滴。見るからに痛ましい。家族は園よりの連絡で病院に来てくれたが付き添いはできない。女子のスタッフが
病院に泊まることになった。今日は100名の利用者との契約。内容の説明を個々に行って契約書を交わす。
 うまくできない人もでてくることは必至だ。私はいつも悩む。入院している彼女は家族の人に付き添ってもらい
たいだろうなー。本来利用者自身がサービスを選ぶことが実際はそうでないところで決められている。
 求不得苦の当に戦場だ。
 

9.動物病院あれこれ

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我が家のハナちゃんが喉に何かが出来て食べるときにけたたましい声を出す。しばらく様子を見ていたが通院する
ことになった。その結果、口のあたりに潰瘍が出来ておりそのために痛がるということが分かった。
今日で3回目の通院、薬だけもらうつもりだった。待合室にはワンちゃんが2人(?)待っていた。『・・・・ね。だいじょ
ーぶよ。・・・・』とお母さんが心配ないからと言い聞かせている。そうすると気のせいか『うん・・・』と言ったように感じ
た。体をすり寄せ甘え始めた。そこに住田さーんと看護婦さんから声がかかる。『あら、今日はハナちゃんは連れて
来なかったんですか?次回は必ず連れて来てくださいね』思わす『うん』と答えたが、慌てて『ハイ!そそそうします』
ハナは我が家の居候。2歳のメス猫でーす。

10.仕事が見つかった!

Kさんが朝の通勤前神宮寺の階段のところに座って時計をしきりに見ていた。『仕事決まったの?』と声をかける。
『決まりました』Kさんは通勤寮を利用している。彼は真面目でおとなしい。最初、自動車の部品工場に就職したが
仕事がきつく体力に自信がない彼はダウンしてしまった。それから再就職口が決まるまで、彼なりに肩身の狭い
日々が続いた。友達が仕事に行く朝の時間は特につらそうだった。就職担当のスタッフから「理事長何か仕事な
いですかねー?」と聞かれた。私の中学時代の友人がスーパーの役員をしていた。紹介した。しばらく時間がか
かったがやっとこの4月1日から仕事についた。今、彼は緊張のまっただ中にいる。しかし、表情には明るさが戻
った。就労自立を目指す彼らにとってこの不況の社会はとてつもなく厳しい。

11.通勤寮 パニック

ここのところ入退所が有るのは尚恵学園では通勤寮。2カ所の更正施設は常に満杯の状態、駆け込み寺的
要素も強いことは承知している。対象者はいわゆるボーダーラインの人達だ。それぞれの支援プランが実は
大変苦労する。つまり、職場の開拓である。職場担当スタッフは一人駆け回っても追いつかない。四方八方
に声かけして就職口を探す。しかし、折角探した職場も本人は簡単に辞めてしまう。『俺にはあわねーや』と。
 今の時代そんな贅沢言えないといくら説得しても知らん顔。最近は夜勤専門の職場もあり、朝帰りする利
用者もいたり、毎日がフル回転している。グループホームへのサポートやアパート生活者への支援もあって、
猫の手も借りたい
 そのような中で在宅支援も始めた。これも反響が大きい。際限の無い実践だ。
 専門スタッフの応援も必要、通勤寮のパニック?否、理事長のパニックだなこれは。スタッフに大いに感謝
している。


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12.裏と表

『裏をみせ表をみせて散る紅葉』良寛の辞世のことば。実際どうだろうか?
そんな簡単に両面を見せて生きていけるのだろうか?人は一人では生きていけない、組織の中に身を
置き、社会生活を行っている。生活の糧を得る手段として仕事を持つものが普通である。ある資産家の
話、働くなくても充分に収入が入るから何もしなくても良いねということを言われたら『いや、毎日大変で
すよ。税金を払うことを毎日考えていますから、其れが私の仕事です・・・・』  別世界だな。
人とのつきあいで裏をみせることが出来る人はそうはいない。夫婦ですら実はそうだ。
失うことを恐れるあまり、自分の殻の中にしまい込んでしまう。人間関係・財産・今の生活・・・・など。
良寛は寺を待つことを拒否して生きた。庵なるものはあったようだが、失うものがなかった。
住職をしていると大きな矛盾にいつでもぶつかる。寺は個人所有物では無い。しかし、現実は今の
宗教世界は異なっている。インドやネパール、チベット、タイなど仏教寺院を訪れた時、今の日本との
違いを感じた。一つの寺が社会事業を行える限度がある。何故か寺の土地などが檀家のものである
という意識がある。確かに寄進によって寺が建てられ現在まで続いてきている。決して良い例ではない
のだが『ジハード』というイスラム教での殉教の思想は今の日本の宗教界にはない。それで、何が有る
のか?  人の弱みにつけ込んだ宗教(?)活動がまかり通っている。
人間強い面だけでは生きていけない。様々な欲望にかられ、こだわりそして悩み苦しむ人が大変多い。
そのような人に手をさしのべることが本来の宗教だと私は思っている。裏それは人に知られたくない
部分。良寛はすごい。決して聖人面しないで子供との鞠つきの中に見事に体現していた。
背伸びせず。時代に応じた坊主になることが今の最大の関心事である。

13.勉強会

今日は三澤義一先生を囲む会を土浦の霞月楼で行った。7人が集まった。三澤先生の後輩の筑波大のO
先生もゲストで来てくれた。ありがたかった。それよりも金沢から帰ってきた三澤先生が参加してくれたのも
良かった。
施設長が日頃考えていることを教育に携わる方達が宴席で忌憚なく話をする。このこじんまりした会合はもう
何回目になるだろう。今、支援費制度になって様々な角度から経営を考える必要性が増した中で、このよう
な非公式のだべる会が必要だ。その意味では非常にためになるbenkyoukaiができた。知的障害関係の施設
長だけでなく今回は児童養護施設の園長さんも参加してくれて大いに語らった。つかの間の爽やかな風が
ふいた。

14.”乾杯

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28日、職員の結婚式があった。利用者代表でDさんとN子さんが出席した。宴もたけなわになった時分、二人
の出番。何をやるんだろう?二人は職員と一緒にカラオケの前に立った。流れる曲は”乾杯”だった。結婚式
では定番の祝いの曲、私の脇に座っていたスタッフが「N子さんはいつもこの曲を歌うんですよ。上手ですから」
・・・・固い絆の・・・・・♪♪♪♪はじめは緊張していたのかBGMに負けていた。出席者全員が手拍子を始めた
二人はマイクを固く握ってモニター画面をにらみ付けて歌う。周りの反応がちょっt気になった。目頭を押さえ、
ハンカチで涙を拭く人達が目立った。・・・・きみに幸せあれ!♪♪♪♪最後まできちんと歌いきった。
もの凄い拍手だった。新婦も目に涙をいっぱい浮かべてた。
宴席が終わり、最後の挨拶、娘が親を思う気持ちを涙ながらにのべた。
その涙を脇にいたDさんが自分のハンカチでぬぐってやっていた。二人の心の中を思うと何もいえない。

15.たまーに やるからよ

最近、通勤寮の利用者の動きにかりかりしていたのは事実。内装工事をやりきれいになったというのでタバコは
外で吸おうということになった。そこまでは良いのだ。しかし、仕事を辞めてしまう者が続出、たまり場?になって
しまった。朝からタバコを吸ってつまらぬ?話をしていて一向に掃除をしようなど考えていない。これは実は私の
一方的な見解。承知している。しかし、堪忍袋の緒が切れた。「お前ら全くタバコばかり吸いやがって,,病気で
仕事休んでいるなら部屋で寝ていろ」と久しぶりに爆発。彼らはわきまえたもの。あれ今日は変だぞーとばかり
寮内に姿を隠す。本当に何考えているんだかわかんねーや。仕方が無しに一人土手の草刈り、刈った草を燃や
し始めたら今度は「あれ、あれ火事みたいだ。ねーねーあんなところで燃やして良いの?誰がやってんのよ」とか
職員が言っている。
「ああ、良いんだよ。俺は理事長だ。火事になったら俺が責任とってやる。畜生、何やってもうまくいかねーや」
と独り言。そしたら違う方向から『たまーに やるからだよ。ほーんと』ときた。世の中自分の思う通りに動いて
いないのは確かだ。

16.物価は6割減っている?

経済学者の無責任な言動に一喜一憂してもバカバカしい。あまりにも自分の意見を無責任に話す。
 受け止める側が選択する時代である。
ドラッカーという人が『ここ40年で物の値段は6割安くなっている。高くなっているものは”医療”
と”教育”だけである。物価というものはその時の収入に対してどれだけの値があるかによって
実感する。』と彼の著作の中で書いていた。
  車や洗濯機、テレビというものが溢れている現代、それらが世の中に出始めた時は
誰もが手に入る値段ではなかった。確かにそうである。私の知人に10年以上前のパソコンを使って
いる人がいる。彼が購入した時はセットで100万以上したという。しかし、その機種の能力は今
の10万円で購入できるパソコンの何十分の1?の性能しかない。つまり、物はメーカーが技術
開発に投資することで性能アップを繰り返し、逆にその値段は下がるという仕組みが成り立つ。
この繰り返しを実は企業は行ってきたのである。そして、一般の人間の使用能力以上の製品が
開発されている。若者の新しい物への吸収力はすばやい。昨日電気の量販店を覗いていたら、
「電子辞書」コーナーがあった。
小さな機械のなかに広辞苑を始め辞書何冊ものデーターが入っている。値段も1万円弱。
便利である。しかし、その反面で活字離れが急速に進んでいる。本が売れない。特に文学本が
売れない。読まないからだ。30年以上前、私は卒論に『バルザック』を選んだ、原本を買って辞書
とにらっめこして。。。
実際は日本語訳と比較しながらだったけれど大変な苦労をした。
この先どうなるのだろうか?便利さから得るものより失うものの方が大きいような気がするのは
私だけだろうか。

17.ガラス3枚割っちゃった

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”ガッチャン”ガラスの割れる音。「あっつ、またやったな」続けざまに3枚割った。其れも手で見事に割った。
怪我は無し。その日はどういう訳か利用者が落ち着かなかった。自分の部屋のテレビを窓から放り投げて
壊す者、けたたましい声を張り上げる者。そしてガラスを割る者。1年に何度かこのような日がある。連鎖
反応というものなのか。冷静になればそれとなく理由が分かるのだが、その時の職員は全てが後手にな
る。ガラスを3枚割った子はいつも朝一番に私の部屋に来る。『こうこく。こうこく。。。。鍵開けてください』と。
もう何年も同じパターンを繰りかえしている。広告は新聞の折り込みのこと。彼女の目的は広告も何んでも
良いわけではない。お肉がのっている広告でないと決して持っていかない。彼女はオウム返しの言葉が
殆ど。「こうこく」というと「こうこく」と答える。お肉・・・おにく。開けてください・・・あけてくださいと繰り返す。
○○さんと言うと『ハイ』と答える。彼女のこだわりは随分変わった。最初は衣類だった。自分が気にくわ
ない服は焼却炉に全ていれてしまう。其れがコーヒーに変わる。彼女はコーヒーを見るとガラス戸を頭つき
で割った。ガラスの破片が頭に突き刺さり私は手でそれを抜いたことがある。今、新聞の折り込み広告に
変化した。多分休刊日などは彼女の頭にはない。難しい対応、何を考えているのかなーと、毎朝の繰り返し
の中で私は考えてみる。もう20年以上のつきあいになるのだが一向に私には分からない。彼女の宇宙
は果てしなく広く深い。

18.本山登嶺・・・・忘れ物・・

管長猊下のお言葉拝受
5月16日早朝東京駅を出発、名古屋で下車して観光バスに乗り換え一路長谷寺に向かう。今回は
私が所属する茨城二号支所の住職25名での本山登嶺。御遠忌法要への参加である。私は前日
他の用事があって準備をするのを忘れていた。更に運悪く、集合時間の15分前に目が覚めた。
ありゃー。何も食べず顔を洗っただけで家を飛び出して来たのである。案の定忘れ物・・・草履。経本
???いろいろ。現在の管長さんは茨城出身だもの本山の対応は特別ときている。その代表?が
これだ。いつもの開き直り。脇に座ったY僧正『住田さんらしいよ』と皮肉とも励ましとも取れる言葉。
何はともあれ無事終わった。その時のスナップが上のもの。
それから京都へ向かった。鴨川のほとりの料亭にて舞子さんをあげてのどんちゃん騒ぎ?
こうなれば良いのに私の脇に座ってお酌をしてくれたのは元吉本興業マネージャー、お歳は70歳?
『おいでやすーー・あんな、わて透析してまんね・・・え』ときた。一瞬『大丈夫ですか今晩は寒いから
無理しないで下さい』と偉い気をつかいました。夜の鴨川、飲み直しやと2次会へああ・・・・。
生臭だから仕方ねーか。合掌

19.営業成績

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営業成績第1弾
 Uさんが自転車で仕事から帰ってきた。ジーパンの左膝が大きく破けている。《これはまずいなー。ジーパン
買ったら。ユニクロなら安いよ》と声かけると『ユニクロ僕はまずいな・・right onに勤めているだもの』そして今
日も出がけに合ったら例の破けたジーパンをはいていた。
 第2弾
 Fさんがグループホームから園に向かう途中会った。《今日は日曜日だから仕事休み?昨日社長が来たよ》
『なんで?』《ああ、こんどお墓作るんだよ》『・・・・・』Fさんは墓石店に勤めている。会うたびになんでお墓作ら
ないの?と催促されていた。
 外で仕事をしている仲間は彼らなりの営業努力をしているんですね。それも全く嫌みがなく自然体で。
営業妨害第1弾?
 Sさんはパン工房の職人さん。だが、彼の口癖は『おれ、もうやめんだ!明日送別会やるから来てね。。』
と来るお客さん誰彼構わず訴える。どうも困ったなーと誰もが思っているのに本人は全く関係なし。

20.言えないこと

誰も他人には言えないことってあるんだよ。自分から話してしまうと何か損したような気になったりするんだ。でもなー
自分の中にずーと閉まっておくのも相当辛いんだよな。それがいつしか自分の勲章のように思える時があるんだけど。
貴方だってそうでしょうが、それが大切なものだったりしてね。これは年齢とか男女とかに関係ないんだよな。
先日悲しい出来事が起こったんだ。新聞の地方版にちょっとだけ出ていたことなんだけど。母子3人無理心中?
 2女の方を道連れにお母さんが・・・・。その2女の方と実は私たちがちょっとだけ関わっていたんだ。2女は知的に
障害を持っていて町の作業所に通っていたんだけど、尚恵学園のスタッフが支援に毎月伺っていたんだ、とっても残念なことだった。作業所の人達も家族のことまではよくしらなかっったようだし、言えないことたくさんあったんだろうな
と思うよ。本当にお母さんの気持ちを考えると福祉ってなんなんだい、一体何が俺たちに出来るって言うんだいと思ってしまうんだよな、ただご冥福をお祈りしするしかないよ。世の中にはたくさんいるんだろうな。誰にも言えないでじっと
耐えている人達がさー。

21.チベット密教

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先週京都に行く用事があり、大阪の友人が食事でもしようというので、新大阪まで行き、時間があったので国立民族博物館まで足を運んだ。まんだら展をやっていた。ネパールやチベットからの展示品が飾られていた。そこに修学旅行生
多分高校生ぐらいの年齢だったが大勢やってきた。案内の方の説明を熱心に聞いていた。まんだらを立体的に表した所では『この仏さん知っている、あれーこんなところにあるんだー。へー』とか友達とおしゃべりしている。既に亡くなったが
薬師寺の高田後胤管長は学生への説法で有名だった。そして見事に薬師寺を再建した。密教はどうも分かりにくいという。しかし、ラサで見た町の中の密教寺院は普段の生活の中に染み込んでいた。本来、宗教は儀式的なものではない。
日常の生活の中にあってこそ本来の価値が発揮されるべきもの。今の仏教はいかがなものか?
セレモニー銀座と言われる我が町にはどうも全く逆の実態があるように思える。つまりは形式儀式の中に宗教が閉じこめられている。今、「チベット密教心の訓練」という本を読んでいる。大阪で買ってきたものである。

22.早く元気になーれ

どうもおかしい。Yさん食欲はない.おなかがでてきたみたい。そう報告があってから3日目急遽入院することになった。
腹水が貯まっているようだ。熱もある。夜間救急で通院して様子をみるように言われて昨夜は園にもどった。そして、
今日通院した。結果は入院。通夜が終わってから直ぐに病院へ駆けつける。Yの部屋は二人部屋、だるそうに寝ころんでいた。
『どうした。大丈夫』とこえかけても返事はどことなく元気がない。「うん」とだけ。泊まれる職員は遅番勤務の職員、風呂入れ介助を終えてから病院へくるというので私がそれまでベットのわきにいた。彼は身内がいない。正確にはいるんだけれども会いに来てくれない・義理の父親。もう10年以上も本人はあっていない。「かあちゃんは?」といつも私の顔を見ると尋ねる彼の実の母親はもう10年ぐらい前に亡くなっている。同じ部屋の隣のベットには家族連れの付き添いがいるようだ、Yさんにどう声をかけて良いものか分からない。ただ、早く元気になーれ。とだけ。遅番の職員が交代してくれた。
今家に戻る。
入院2日目。今日彼は夜は付き添いなくてすごすことになる。ドクターとナースと職員が話し合い、やってみることになった。先ほど見回ってきたが、不安はのこる。
入院3日目。昨夜は熱が高くなり、酸素をつけることになり、結局は遅番で付いた職員が帰らず付き添った。そして、今日夜見回ったときにはベットの上に座って表情が良かった。ドクターが『名前はなんていうのですか?』と尋ねるが本人は頭を横に向けて返事しない。『まだ、僕の名前覚えてくれないんですよ』とドクター。多分Yさんなりの言い分があるんだ。「まったく検査ばかりやって痛くてしようがねー。嫌な人だこの人は・・・」と思っているのかもしれない。
入院8日目。夕方様子を見に行く。丁度夕飯の時間。はじめは喜んで食べていた。”お腹大丈夫?”と私が声を掛けたのがまずかったのかピタリと箸が止まってしまった。「もういんねー」と首を振って食べなくなった。私の顔を見るとどうも何かを訴えてきているように思えて仕方がない。昨日から点滴治療が始まった。おとなしくやらせてくれたとのことだった。
入院10日目。個室へ移る。そして家政婦さんをお願いすることになった。職員が参ってしまう。園の勤務に無理が生じることを懸念しての苦肉の策。本人は至って上機嫌とのこと。安心した。

23.病院あれこれ

土浦の一番大規模な病院、ベット数が1,000を超える。良くこの病院には利用者が入院する。原則は家族が付きそうのだが中には誰もいない場合がある。そうなると看病体制に勤務を変える。家政婦さんにお願いするところもあるようだが尚恵学園の場合はいつも職員が付いてきた。
 大規模病院になると24時間人の動きが絶えない。私が今回付き添った夜、少なくとも5回救急車が来た。目が覚めてしまう。トイレの音、大声をたてる病人、ひっきりなしに鳴るナースコール。。。。もうこうなると眠れたものじゃない。
急に人の足音が多くなったと思ってトイレに行きながら様子をうかがった。たった今しがた息を引きとった患者がいた。
 健康の大切さは分かっていても身にしみない。体調を崩して初めて気が付く。これは本人だけの問題でもなく支援する側でも手がかかっても元気が良いとつくづく感じる時である。
医療スタッフのご苦労も想像を遙かに超えるものである。特に夜間がすごい。限られたスタッフで定期的な点滴の交換、検温、排泄のチェック更には緊急の対応やらひっきりなしのナースコール。これらを何事もなくこなしていけるのがむしろ不思議だと感じてしまう。そして医療現場と似たようなところが福祉現場にもある。実は事業体としての経営を考えると難しい問題がそこにはある。特にこの病院は県南地区の救急医療の指定を受けているから尚更である。
 尚恵学園が今取り組もうとしている在宅サービスでレスパイトなどは当に福祉の救急センター的要素が強いと思っている。
駆け込み寺とでもいったら良いのか、現実は様々な要望に応えていくには誠意と努力では限界があるのは分かっているのだが。。。。。! 

24.福祉の受給バランス

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福祉のニーズは際限なく広がる。実感している。特に在宅サービスへの支援を打ち出してから口コミでの情報の広がり
には驚いている。施設スペースの有効な活用を計りながらどうにか対応しているものの、本体の施設が利用者の入院などにて変更せざるを得ない状況になるとバランスが完全に崩れる。今回は3名の入院者がでた。家族や家政婦での対応を余儀なくされた。契約制度になって正直契約だけは済ませておこうという人達が実に多い。
また、夏休みなどの学校が休みの時期のSSやデイサービスの希望が急激に増えている。
 いま、そのニーズにどう対応しようかと苦慮している。スタッフの休みを確保しなければならない。この板挟みの悩みが増えている。どうしてもそれに答えようとするとスタッフの増員と設備の増築が不可欠、経営を考えながらそのバランス
を見極める能力が実はトップに要求されている。そのような時に県からデイサービスの建築申請の話が持ち上がった。3年前に土浦市に要望したものが県で協議のテーブルにのったということらしい。130坪程度の建物になるがこれができれば在宅サービスの拠点に活用できる。建物の整備と平行してスタッフの養成も同時に進めていかなければならない。
先行投資になるが今年そのスタッフを採用することに決めた。7月には3名の新たな職員を採用することになった。
きめ細かなサービスは裏を返せばサービス量が増えることになる。それにあたるスタッフへの対価も必要。
 悩みの絶えない毎日である。悩みと夢が表裏一体の気もするのだが。

25.傾向と対策

最近の傾向は誰もが変だと感じるような気がする。世界で有数の安全な国という看板も怪しくなってきた。報道が早いからなのかどうか。どうもその辺のニュースがやたらと目立つ。恐怖や不安を煽る情報が氾濫している。これはいけないなーと思ってもどうしようもない。施設を取り巻く状況も変化している。施設を開放しようと様々な試みを行ってきた。その結果対応に四苦八苦している。スタッフの数には制限があり、体制が組めないのである。県にはあまり良い顔はされていないがVSとして学生の応援を得てどうにかできている。今、40名近い学生がレスパイトやクラブ活動の応援をしてくれている。最初はあまり利用していなかった地域交流ホームは毎日フル回転で利用されている。今回16年度補助事業でデイサービスセンターを建設する準備をしている。幸い法人が取得した土地が隣接してあるのでそこに整備しようと考えている。その対策として5名の試採用を決めた。産休職員の補充もあって年度途中でこれだけの採用は未だかつてない。経営を考えると人件費の抑制とは相反するのだが、事業を拡張する時期には先行投資も必要だ。
理事長の考えを90名を越すスタッフに浸透させなければならない。毎日出勤している私だがどうもいつどのように伝えるかは方程式を解くより難しい。