源究114

 

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1791 百花繚乱 5/4 1796 感謝から 5/9 1801 会計基準 5/14 1806 外の目 5/19
1792 こいのぼり 5/5 1797 見えてくるもの 5/10 1802 ゴルフ 5/15 1807 内の目 5/20
1793 チェンジ 5/6 1798 良寛が・・ 5/11 1803 気をつけて 5/16 1808 一因 5/21
1794 五感を使え 5/7 1799 これから・・ 5/12 1804 堂々巡り 5/17 1809 繋ぐ 5/22
1795 理由など・・ 5/8 1800 負の遺産 5/13 1805 夢・YUME 5/18 1810 何を残すか 5/23

1791:百花繚乱

心の底から笑えることがあれば、そうすれば良い。今を生きていると実感することこそが一番大切なのだから。後ろ向きに考えても仕様が無い。いつ、どこで、自分が人生を終えるのか分からない。そう思うと今が大事だということに行き着く。
 尚恵学園の絵画教室に在宅の方が通ってくる。その中で3年間にお二人の方が亡くなった。膨大な量の絵が後に残された。さあーどうしようか?ご両親が考えついたのは、個展と画集を発刊すること。そのかず何千枚という量だから選ぶのが大変だ。
 絵は当にその方の生きた証、その時々の思い出をご両親はいくらでも話せる。こんな事を言ったら叱られるかもしれない。絵を見ながら話してくれる姿から、何かホッとした様子がどうしても感じてしまう。いずれ自分達も後から行くんだからそれまで待っててね!と絵に語りかけている。良くその気持ちが分かります。子どもを先見送ることの辛さは経験したものでなければ分からない。
 種々の花が咲き乱れる花園にいま悠々と遊んでいるに違いない。百花繚乱、貴方の精いっぱい生きたことを称美し迎え入れてくれている。そう確信するのです。
 私は父が始めたこの仕事を嫌だと思ったことはない。ただ自分の力不足を常に感じてきた。そんな時、いつも慰め励ましてくれたのは利用されている人達だった。
 大震災で被災された多くの人が一瞬にして全てを失い、先のことなど考える余裕もなく、茫然自失の生活を今もされている。確かに無我夢中で築いてきたものを失い、それを元に戻すことを考えるとそうならざるをえまい。
 3・11にを節目に生活の全てが一変した。
 それでも徐々に新たな動きが出始めている。再生復興への模索である。
 メデアの変わり身の早さにはタダタダ驚く。富山の焼肉チェーンでの事件が盛んに報道されている。誰しもが感じたに違いない。若い社長の記者会見での言動、言葉では取り返しのつかない事をしてしまったと頭を下げてはいる。しかし、本心からそう思っているようにどうしても思えない。自分がその会社を築いてきたのかどうかはしらない。この事件を境に、それが全て駄目になるということへの不安のほうが目立ってしまう。だから生肉の法整備を国がするべきだとまで開き直る。
 それを6歳の子どもを亡くされた遺族がどう感じるか。
 日本が経済の発展を過度に目指してきた結果、自ら犯した責任の取り方が分からない人達が増えてしまった。合法ならば何をしても構わないという一例だと思った。
 話を元に戻そう。絵画教室に通って絵を描いていた仲間達、自分が障害を持って生まれた事を両親に不満を言っただろうか?彼らは決してそんなことはしない。
家族で出かけた思い出を心から喜び、その気持ちを絵に書いて残した。そこに描かれているものは、素直な喜びとモノに対する優しさだ。
 私は思った。もしも彼らに一財産残せと周りが要求したらどうか????彼らは決して絵など描かない。
・・・・・ 百花繚乱  この世に咲かせば 夢うつつ。・・・・・
 

1792:こいのぼり

こどもの日を迎えた。どことなく庭先に揚げられた鯉のぼりが遠慮しがちに靡いている。連休終盤になり、例年と変わりなく高速道路は大渋滞、観光地にも客足がのびた。自粛ムードから徐々にだが変化が見えている。
 屋根より高く靡く鯉のぼりの様に元気に育ってほしいという家族の願いを込めて行われる伝統行事、世の中は一瞬たりとも止まることはないのです。
 私の連休は掃除&後片付け一色だった。よくもこんなにモノをかき集めたものか処分しても一向に減ることはなかった。 冷静に考えれば、これだけの無駄を積み上げてきたとも言える。ここだけの話、お寺にはお酒が何本もあがる。私は飲めない。だからあげなくても良いのにな。するとどこからか『住職にあげるんじゃなくて、本尊さんにあげるんだよ』「さも有りなん」 現金歓迎!お酒お断り!の貼り紙はまだ出していない。
 昨日、学園でバーベキューをすると言う。行ってみると皆集まり、各自が皿と箸をもって待っていた。こりゃーいつになったらありつけるか分からない。そーと帰ってきた。
 さてと、今日は今から千葉に行く。成田近くの施設で今度保育所を作った。その開所式に招待されたから、次々に事業を拡大し、どこまで広げるのか分からない。産めよ増やせよ。どうなんだろう?私とは確実に路線が違う。
 異業種の施設には手を出さない。これが先代からの申し送り。広く浅くではなく、狭くても良いから深く極めたい。
 でも周囲の人達はそうは思っていない節がある。「また、何かやるらしい」との噂話も耳にする。
 できればこんな風になれば良いという絵は持っている。それをどう実現するかは、時間も経費も必要だ。それに最も大切なものは人材だ。
 人材とは能力+信頼である。能力あるものはいくらでもいるかもしれない。・・・が本当に信頼できる人間が育つか否か?これが肝心なのだよ。これまた先代の遺言?だ。
 震災騒ぎの中で新年度に入った。定例の会議や研修は軒並み中止となったから、暫く顔を合わせない。5月に入り、いつものように出歩く用事が増えてきた。
 さてと、障害者自立支援法はどうなったのか?久しぶりにメールでその進捗状況を知らせてきた。推進会議は予定通りに開催されている。
 その報告の中でちょっと気になったこと。
 「全国在宅障害児・者等実態調査」23年度に実施する計画で、この試行調査を行った。調査票を送付した数が5,358世帯で回収された数が112件、なんと有効回答率が1.98%だった。これでは何の為の調査なのか。
 仕切り直しということになったという。25年の8月に新たな制度をスタートさせるという。本当に有言実行となるのでしょうか。
 五月晴れの下、鯉のぼりが悠々と靡くにはまだまだ課題が多いようである。
 

1793:チェンジ

天秤棒でモノを担ぐには、左右の重さに応じて支点を変えねばなりません。そのバランスと強靭な腰がなければ上手くはいきません。世の中が上手くいっている時は”持ちつ持たれつ”の関係がとれている、これが一方に偏ってしまうと具合が悪い。天秤棒を担ぎ実際に自分でモノを運んでみるとそれが良く分かります。百聞は一見に如かず。
 これが短期に修正できるものとそうじゃーないものがありまして、いま、大きな問題となっているのが後者のこと。
 いまはどうなったのか分からなくなっちゃていますが、政権交代もその類でした。それが蓋を開けたら、内部抗争、この一大事になっても、まだ燻っている。”政治主導”とか言っていましたが、其々がマチマチの捉え方をしていた。 
 よーく耳を澄ましてみると、何かがモコモコ動き始めたのに気付く。それは、年寄りではなく若い人々に見られるかな。
 有る若者が外資系の企業に努め、コンサルタント業務をやっていたという。充分儲かっている企業に更に儲ける手助けをしていて疑問を感じたという。そしてアフリカを訪れた時に学費さえ払えない多くの子どもたちと出会って、NPOで学費助成の事業を始めた。その方が「明日への言葉」で語っていました。何故転職を決心したのですか?との質問にハッキリ答えた。”感動”を感じない仕事をこれ以上続けていても仕様がないと思ったと。
 まだ、4年もたっていない。それでもその活動は急速に伸びている。
”チェンジ”どこかで見かけたフレーズだ。言葉だけが一人歩き。これでは全く意味をなさない。行動に移せ!
 その原動力が”感動”であることに間違いなし。
 福祉事業がどこかで道に迷っている。果たしてこれを”チェンジ”修正ができるか否か。これは天秤棒の支点の問題。
 立派な事を言う割に行動が伴わず、現場で汗水流しているスタッフがいて大将が高級外車を乗り回す。在宅福祉を掲げているのに超超豪華な施設を建てる。人材不足を言う割には腰が重い・・・・などなど。
 そんな事を言っている自分がその張本人? 実に悩むところです。意識して自分で変えないといけません。
 それが今のままではどうもマズイと感じてきた。いろいろ役を引き受けし過ぎた御蔭で集中してあたれない。
 私としては、このままマッシグラで良いのか否か。答えはNO。それじゃーどうする?
 まず引き返して原点に帰ること。
 今年の夏は節電が必至、それと同じこと、年齢と共に発電能力は落ちるもの。個人差はあるだろうが、一番分かっているのは自分自身。これからは、納得の行く生き方にチャレンジするギアチェンジ。そう願いたいと本心から思う。

 針の穴に糸を通すには、根気がいる。それよりも視力がないとできません。そして、糸を通して何を縫う?
 その事が曖昧になっていませんかね。安価で便利な使い捨ての衣類が簡単に手に入る時代に、一生懸命、穴に糸を通しているような・・・・・・。

1794:五感を使え

『木村好夫:こころのギター演歌』というCDを箪笥の中から見つけ出し今聴いている。朝の4時半をまわった時間だから雑音の全くない静けさで自棄にこころに沁み渡る。
視・聴・嗅・味・触の五感を鋭敏にし、耳を傾けていると長らく休眠していた感覚が覚醒し元気がでてくるような気になった。高校生の頃へタイムスリップ、中古のクラッシクギターを買ってもらい、密かに練習した。最初は禁じられた遊びを弾きたくてレコードを何度も聞きながら手探りで。その後、ちょっとレベルをあげ、アルハンブラの思い出、あれはスペインの作曲家フランシスコ・タレガの曲だったと記憶する。どうぢてもトレモロがうまく弾けず、爪の長さを研究したっけ。昨夜、若い職員と話す機会があってそんな話が出たものだから不図思い出した。
 毎朝、4時前に起きだし、恋瀬川に釣りに出かけた思い出、あの頃からだった私がコーヒーが好きになったのは、釣り糸を垂れ、魚が釣れなくても良かった。それから学園に行って仕事をした。いろいろな事が次々に浮かんできた。
 此処までの人生、悔いなし。間違いなし。これからどうする?歳相応の何か熱中できることを探さないといけない。
 そんな事を考えていたら、滑った転んだと大騒ぎする業界の出来事が実に馬鹿らしく思えてきた。
 みんなで渡れば怖くない。そうじゃーねーだろう。一人一人思いがあるだろう。それがあたり前と言うんじゃーねーのかよ。みんな右向け右では面白くもねー。
 障害福祉の原流を遡れば、釈迦の16大弟子の一人。周利槃特(パンタカ)にどうしても登場してもらわないと。愚鈍と言われたパンタカが大悟、悟りに賢・愚の別なしの思想根拠でもある。
 世の中を変えようとすれば、一人では何もできない。しかし、自然は違うな。その凄さは有無を言わさず、一瞬にして全てを変えてしまう。
 昨夜のニュースで御前崎にある浜岡原発を全面停止するという菅首相の要請が出されたと知った。
 私は評価する。人命を危うくする経済の発展にどこで待ったをかけるか!日本人の誰もが疑問に思いながら言いだせず、関わろうとしなかった。その動きのきっかけになったのが今回のフクシマ、余りにも犠牲が大きい。国策か私企業の責任かが今後論議されるだろう。最早、責任回避の”想定外”は使えまい。先手必勝となれば良い。
 この舵を切ることが本来望まれた政治主導だったはず。天災はいつやってくるか分からない。中部電力の対応如何では、更なる動きが加速する。経営陣からすれば受け入れがたい要請かもしれない。しかし、もしもM8以上の地震が起こったらどうなる?その時まで今の役員がいるとはかぎらない。根本的なエネルギー問題を国民が考える時代に入ったのだ。
 なんにでも言えるのだが守旧と革新、この攻防が見えにくい世の中は後々に決して良い結果を生まない。
 人それぞれが五感を働かせと言いたい。本来誰しもが持っているはずの感性は、それを働かさないと退化する。
問題を問題と思わなくなったことなどは当にその最たる現象だ。
 リハビリテーションは何も障害福祉の専売特許ではあるまい。いま、漸く日本人が自らのリハビリの必要性を感じつつその方向に一歩足を踏み出す気になったと言えまいか。

1795:理由など・・・

先日、千葉である会合があり、その席で私はその方とは初めて会ったのだが、相手の方は尚恵学園に前に来た事があった。なんでも尚恵を利用されている方の事で来られたとの話。その方は現在法人の理事長だけをやっているようだが、自らの施設を利用されていた方が尚恵に移ったことがあり、その受け入れ先を見にきたようだ。その利用者は直ぐに外に飛び出してしまう。以前その施設でも交通事故に遭ったことがあった。今も園庭の入口が彼の定席でいつも道路を見て過ごしている。もしも自分で開けて道路に出たら一溜まりも無い。
 そんな事情があって、いつもドアの施錠を喧しく言っている。それをバリアーとか言われたら”だったらやってみなよ”と言いたい。これ偽らざる私の本心。
 最近、やっと?若いスタッフから提案が出るようになった。今まで無かったかと言えばそうじゃー無い。施設での経験や自分の立場を先に考えて口に出すのを遠慮してきた事実も否めまい。
 尚恵学園の本体の2施設が現在定員50名、この数が多過ぎるという。10名づつをケアーホームに移し、それぞれ定員を40名に減するという意見だ。私も実は何度も何度もそのことを考えてきた。現在の設備を急に新しくはできない。じゃーこのままでいいのか!
 自問自答で具体的には何も変わらなかった。その内に外から新たに利用する人が入り、定員を減らすどころか逆に増えている。
 現在、私共を利用されている数の倍以上の方がレスパイトに登録、その人達へ正式な意向調査を行ってはいないが、出来ればケアーホームかなんらかの夜間支援を受けたいと希望している人が多いのは間違いない。
レスパイトには、理由が必要で無い。これが売りで始まった。
 理由など本当は関係ないんだよね。現実に家庭での生活ができなくなる時期は必ずくるんだもの。それが早くくるか遅く来るかの違いだ。最近入所してきた方達は全てがそうだ。 今の世の中のこのサイクルをどうにかしようと思っても実に難しいのです。
 それじゃー集団生活の今の施設が彼らにとって安心の住処となり得るか?振り子のように常に揺れている。
 理由など今更あげなくても皆が分かっている。
 例の如く野次馬根性で言わせていただこうか。
 ちょっと遠慮気味に報道された2つのニュースで私の黄色信号が点灯した。
 政党の幹部で某外国でゴルフをやっていたというスッパ抜き、彼は目立たないと思ったのでやってしまったと正直に語った。
 もう一人は千葉沖で趣味の釣りをしていた。放射能の風評被害で敬遠されている魚を食べて”安心”をアピール。
 両名とも同じ政党の大幹部。?????
 理由などいらない。もしも現在避難されている人達がこれを見比べどう思うだろう?私は正直に”不味かった”と認めた方の肩を持つ。
 誰だって息抜きは必要、それを何かに託ける。言い訳に終始する、潔さを感じない。この有り様に私は拒否反応が出るのです。
  

1796:感謝から

悟りを得たかの如く振舞はできませんよ。何せ”六度の行”に反することばかり、布施・持戒・・・・・智恵。
 友人・知人の体調の異変を耳にする。そうか・・無理してたもんな。もっとやりたかった事いっぱい有っただろうにな。でも、これも所詮は他人事です。自らの事としては中々考えない。だから何も変わらず時間だけが過ぎてしまう。
 何故かな?そこなんですね。実に重要なことって、”気付き”なんですよ。
智恵って何かなと考えてみて下さい。
 「智恵出でて大偽あり」(老子18章)って言葉がありますね。これは、元来人間ってーもんは、自然に従って生きてきたんだけれど、後々、知恵が進んで不自然な人為に走った。そしたら、世の中が段々と乱れてきたと言う意味です。
 智恵=利便と考えてしまった現代人のジレンマでしょうか? 外見からは上手くいっているように見えても、実は温もりが消え、殺伐とした状況がはびこってしまった。
 この度の震災で私が思ったこと。それは、津波に襲われ壊滅的な被害を目の当りにし、誰もが感じているこでしょうが、自分達が一生懸命働いて築いてきたものが、いとも簡単に壊され消滅した。智恵を挟む隙も無く、・・・・。
 その被害を受けなかったモノが何を言うかと叱られそうで、動けない。義捐金への協力、更に現地に行きボランテアに参加という形の動きは出ている。
 でも、被災された人々はどんな気持ちで今いるのかは分からない。これが正直な思いだと感じています。
 原発事故で避難を強いられている人達へ東電の幹部が謝罪に行った。明らかに津波・地震で避難されている人達とは違う。それは人為への憤りなんですね、補償金の額にしても提示された金額への不満は頂点に達している。
 企業の責任をどう考えるかという大問題、心情的には東電の資産を全て売り払って役員全てが報酬を補償に回しても納得はしてもらえないだろう。
 これはフクシマだけの問題ではない。浜岡原発さらには他の原発へ問題が派生することは避けられない。その覚悟と決断を政府は果たして出来るだろうか?
 いま政治家の顔が見えない。一体何を考えどう動こうとしているのか。いまこそ彼らが自分を出せるチャンスなのに。
 ”復興への誘因として反省が前提となる”感謝”の共有が不可欠、もうとっくにこの時期が来ていた日本、それを首を据え変えることや政権を変える猫だましで先延ばししてきた。依然として業界は自らの田に水を引こうと陰に陽に画策している。癒着や既得権の構造は、無くならず。
 ”感謝”という思いは、人間の最大の徳である。原発事故の復旧に必死で働いている人がいる。彼らは家族もあり、自らへの放射能汚染という脅威もあって極限の状況で働いている。彼らへの全ての国民の思いは一致している。心底から感謝している。本来、責任を取るべき人達への不満とは別、この格差を企業内の努力で無くせるか?
 そして、我々国民がそれをどう評価し、自らが今後、どのように考え責任を果たしていくか。全世界の人々が注視する中で試されている。
 

1797:見えてくるもの

鹿沼で起こった登校中の小学生の列にクレーン車が突っ込み6人の幼い子どもの生命がなくなった事件。
 運転手が現行犯逮捕され、捜査が進むにつれ、彼はてんかん発作を持っていて、運転中に発作を起こし事故になったことが解った。裁判の中で明らかにされることだと思うが投薬を受け、医師からどのような指示を受けていたのか?また、過去に何度か運転事故を起こしていたというから、雇用者側がそれを承知していたかどうか?
 6人の尊い命を奪った事件は、どのような償いをしても遺族にとっての慰めとはならない。日本てんかん協会のコメントが新聞に出ていた。この種の事件が起こる度に同じ病気を持って必死に生きようとしている人達はどう感じるか気になる。個人の裏切り行為とみるか、それとも社会の偏見の実態を訴えるのか?
 遺族の心情を察するに忍びないのであるが、 この病気に対する社会の理解は決して深くはないと思っている。だから、持病を隠そうとしてしまう。ここに障害者問題の根深さが見えてくる。
 私も長いこと障害者問題に取り組んできた。障害者の権利をどう守るか。これが今検討されている障害者総合福祉法の根幹にある。”自立”という言葉の規定も実は様々、障害当事者の意見と一般の人達の理解には大きな隔たりがある。
 個人情報保護という点からすれば、就職の際に自らが不利になるようなことは言わない。その事での罰則は無く、むしろ事業所側が個人の情報を漏らした時には罪となる。今回の問題が個人のモラルの領域を出ない結果となれば、同様の事件が起こる可能性は否定できまい。
 日本ではこの種の法的整備がまだ徹底されてはいない。この事件を通じ、てんかんを持つ人達への規制が強まることを恐れる。社会的責任をどう取るか? 裁判の行方を注視していきたい。
 別の話になるが、静岡の浜岡原発の全面操業停止が決定された。中部電力も政府の要求を受け入れる。ここの原発の出力は約360万キロワットというから、中部電力全体の発電量からすれば12%位、節電によってクリアーできる範囲なのかどうか?この決断に異を唱える人は少ないと思う。それよりも自分達が多少不便を感じてもこの際、全国にある原発の安全性を徹底して調査して欲しいと願っている。これは予測されるリスクに対し規制を課した一つの政治判断である。
 原発が絶対安全ということは有り得ない。その前提にたって今後の日本のエネルギー政策を考えることだ。原発推進の議員は与野党関係なくいる。その人達に特に言いたいのは、本当に他に解決策が無いのかどうかという事。この説明責任無くして、国民の信頼は元には戻らない。
 様々な事が見えてきました。他人任せではなく、自分達のこととして国民誰しもが考える。このスタートラインに皆が立てるか否か?
 

1798:良寛が・・

もし、今の世の中に良寛がいたら?
 そんな事をふと思った。この便利な時代にあって世俗をのがれ閑居の生活に身を置いただろうか? 彼は一本一草、生きとし生けるもの全てを礼拝の対象とし、衆生の心に宿る仏心を目覚めさせる道を歩んだ。
 ”僧は万事はいらず 常不軽菩薩の行ぞ殊勝なりける”と南無帰命常不軽を唱えた。
 後世に自らの名を残すなど考えず・・・形見とて何か残さん春は花 夏ほととぎす 秋はもみじ葉・・・・とうたった。
 そうかそうだったな!彼は今の新潟県出雲崎に生まれている。修行時代、全国を廻り、各地に様々な言い伝えが残っている。
 常不軽菩薩は聞き慣れない菩薩である。法華経の中に出ており釈迦の前世の姿だと言われる。全ての人に対し、「貴方は仏になる方である。軽んじません。」と言って礼拝したという。人から疎んじられ石を投げつけられると逃げて、遠くから石を投げた人を礼拝したという。
 仏教界が全てそうなっているのではないと前置きして、名を残し頂点に登りたいと思うものもいる。本来の宗教家としての姿を私はそこに感じない。ただそれだけの事。
 良寛は言う。オールマイテイな坊さんは必要ないとも、只管、誰しもが持つ仏心に関心をもち、気付かせたかったのだ。
仏心とはなんだろう。優しさ・おもいやり・喜び・・・・?
 野に咲く一輪の花に 仏の心ぞや知る。  そうなんです。これが仏心だなどとは思わず、自然体でありのままにいる姿。目がとまり、そこに何かを感じるかということ。そして自らの心に投射し、共に感じ合える関係。
 原発に仏心を感じるか?明らかにNOである。言わずもがな。無心に花を咲かせる草木を根こそぎ汚染させる。その代替として人間は利便さを得た。今の自分達の喜びの為だけに。ここに気付くことが一番肝心。節電という事が果たして今の繁栄を守ることに致命的なものとなるのでしょうか?不必要な電気が溢れている。それに何ら疑問を持ちえない人々。
 良寛が今、いたらどう思っただろう?彼の辞世の句には諸説ある。
私が好きな句は 『 うらを見せ おもてを見せて 散るもみじ 』である。
また、『 散る桜 残る桜も 散る桜 』もある。 果たして 良寛の生き方に共鳴する現代人がどれ程いるかは分からないが せめて こころのどこかに彼の願いを 留めておいて欲しいと私は思う。

1799:これから・・

守りに入った!ここ数年の自分自身の生きざまを客観視、このまま歳を重ねて良いものか?
 そう思い始めると寝ていられず、遮二無二何かを探し求める。頼られる事は仕方が無いと感じながらも早くバトンタッチしたいという思いが強まる。
 そして、その後何をするんだい?自問自答。多分、私にはご隠居さんは似合わない。
 たった一度の人生とは思いたくは無く、この年になり生まれ変わることを信じている。輪廻転生は解脱の手前ではない。むしろ同時進行と思いたい。
 そう感じ始めた頃よりシフトレバーを握り画策始め、その時期が来るのを密かに待つ。釈迦の辿った林住期〜遊行期を単に仕事を成し終え、死の準備をするための時間とは捉えたくない。
 走馬灯の如く少年青年成人と過ごしてきた。そして気が付くと友人・知人が自らの死と対峙し、限られた条件の中で送る。彼らとて本意ではないはずだ。何かやり残したことが必ずあって、それができない自分を責め苦しんでいるかもしれない。
 五木寛之の『林住期』に吉田兼好の死生観が描かれてある。死は背後から忍び寄るもの。どれだけ備えをしても、そのようにならないものだ。
 これからの事を考えると不安もあるし心躍ることもある。悩み苦しんで行動に移せない人達が実は大半だとは思う。諦めという妥協が負の決断? 仏教では四つの諦めを説く。苦・集・滅・道である。
 これは時系列で並んでいるものではなく、四つの順番が常に入れ替わり、堂々巡りしているものだ。
 今朝のラジオ深夜便に出演していた新潟の片桐夫妻の活動は刺激的で且つエネルギッシュ、震災にあった日本が新たな国として生まれ変わる指標となると思った。
 我々が日本に於いてできる活動は日本と言う社会の中だけで通じる。その是非を問うには、あまりにも多様な価値観があり過ぎて、結論は出せない。実践よりも思いが先行してしまう。逆に其れが許される環境にあるということでもある。
 方や片桐夫妻が取り組むインドは昔と変わらず貧富の格差がもの凄い。だからこそ、信仰心があつく、恐れを身近に感じて生きている人々が多い。
 平和と安心をかち得たと感じた日本人が忘れてしまったものを大切に今も保っている。感謝を持って謙虚に生きる、その姿勢を取り戻さなければいけない。
 私の60年は、僧侶と福祉職員と言う狭い社会での歩み、ホンネとタテマエが罷り通る社会でもある。この世界にどっぷり浸かってしまえば何も疑問を感ぜず人生を全うすることもできるかもしれない。
 しかし、現実には今のままでは大きな悔いを残すことは間違いなし。だからと言って自分のエネルギーを批判することに浪費したくはない。どれだけ小さな事でもよいから自分が納得できる道を歩みたい。
 夢物語で終わるか否かは私自身の決断による。
 

1800:負の遺産

世界遺産の中に負の遺産というものがあります。これは人類の犯した悲惨な出来事を伝え、二度とそうした悲劇を起こさない為の戒めにするためのものです。古くは奴隷制に関するもの、そしてアウシュビッツや広島の原爆ドームなど戦争によるものです。ビキニ諸島にある水爆実験の跡も登録されました。
 これら全てが人類が何らかの目的をもって行った行為が元になっています。果たしてこれらの遺産により、その後同じ過ちを繰り返さなかったと言えるでしょうか?
 今回のフクシマの原発事故をどう考えれば良いのでしょう?毎日、新聞に発表される地域別放射線量、これに目を通すことが日課になりました。茨城は一か所だけの数値を公表しています。福島の次に高い数値をいつも示しています。隣り合わせの県ですから仕方が無いと言えばそうなんですが、風向きや雨によって微妙に変化することが分かっています。
 神奈川県で栽培したお茶に基準を上回る数値が出て出荷を控えているというニュースがありました。福島から300キロ離れた足柄村での出来事ですよ、これも業者が消費者への安心を裏付けるために行った自主検査によって解明されたのです。
 お茶は1年を通じ、5月が収穫時期、売れないのではその苦労が水の泡となります。風評被害が依然として無くならない中で生産者が自主的に測った結果から出たのです。
 原発を負の遺産と決めつけるには早計でしょうか?実態は良く知らされていないのですが、なんでも原子力村というものがあるそうで、学者や企業など原発推進のプロ?集団がそこの住民だそうで、絶対安全と何の根拠もなく公言し、国の後押しを得ながら竹の子のように増え続けてきた。今回その村の人間がこの危機に際し何をしたか?保安院とか安全委員会とか得体の知れぬ公の機関を全面に出し、自分達は身を隠しているではないか?
 マスコミもそこの部分を取り上げるのに多少遠慮があるようで、複雑になっている組織の責任ばかりを追求する。
 これでは何の意味もない。彼らの殆どが雇われ委員で嫌気をさし辞任すれば事が済む。この人達に本来の責任能力が有りますか?
 原子力村には政治家も住んでいる。その人達の顔が全く見えない。彼らにこそ今起こっている事の重大さを見てもらいたい。そして自ら勇気をもって国民の前に出て、これからの日本が取るべきエネルギー政策でその償いをしてもらいたい。
 長年かけ築いてきた農地を手放さなくてはならない人々、エサを与えられず痩衰えた家畜、政府はそれらの家畜の安楽死を酪農家に勧めたとか?
 これを保障費を払うことで良しとするつもりではないだろう。
 豊かさを享受した代償にしては、なんとも不条理なことだ。その実態をどれだけの人々が知らされているか、大いに疑問をもつ。
 私自身、茨城に生まれ育って福島原発からは約200キロ離れた土浦に住んでいる。正直に言えば心のどこかに離れていて良かったという思いがあります。この思いを実際に強制避難されている人達には言えません。でも彼らは全てお見通し、何故、首都圏の電力を東北の福島が引き受けなければならないのか!という強い憤りを持っている。
 今回の事は中途半端にはできない。戦後長年かけて出来上がった産業構造、右肩上がりの成長を続けるなかで官民の癒着が出来上がり、90年代のバブル崩壊の時期にその構造が崩れたかと思ったが以前として形を変えながら継続している。
 そして、気が付くと今般の事故が如実に示しているように出来る限りの英知を集め、対応を図ろうとしても思うような結果が出せない。これを負の遺産と言わずして何と言えば良いのでしょうか?

1801:会計基準

決算書の作成で会計事務所の方が3日入っています。毎晩10時過ぎまで悪戦苦闘、これもこの時期の恒例となりましたが、今年は特別かもしれない。何せ10月に新体系に移ったものだから、報酬単価が途中から変更になったり、日払い計算や市町村により単価が異なることなど、ある程度予測はしていたが集計に相当な労力が必要になった。どうしてこんなに複雑で細かくなってしまったのか? 事務量は以前の数倍に増えただろう。
 月々、会計はしめてあるからその合計を出せば良いと思うのだが、そう簡単ではない。さらにまた会計基準が変わるという。なんで?どうしてこうなるの?と諦め半分、怒り半分。
 中野孝次が『日本の美徳』という本でレスター・ブラウンの『地球29日目の恐怖』ダイヤモンド社の紹介をしていた。
 丁度日本が高度成長期の最中に水をかぶせるような警告を発し話題になった。現在の世界的な経済成長は自然の摂理に反するという指摘である。その本が出されたのが1979年、今から32年前。当時の地球の人口は約40億人、最近、それが70億人に達したという。1年で1億人人口が増え続けたことになる。GDPが前年比較で?%伸びたとかで
一喜一憂、その間に人間は様々な環境破壊を積み重ね今日に至った。
 ・・・・・成長に自主的な限界をすることによって、自然の限界内で生きようとするほうがよいのであろうか。あるいは、なんらかの自然の限界につきあたった場合には、技術の飛躍によってさらに成長を続けるという望みをもって成長し続けるほうがよいのであろうか。ここ数世紀の間、人類社会は一貫して後者の道をとって成功をおさめてきたので、前者の道を選択するということをまったく忘れたしまっていた。(前著。P131) ・・・・・・
 この指摘には充分な根拠があり、今、その弊害をもろに世界中の人々が受けている。遮二無二成長を目指す中で忘れていたのでは無くてタブー視していたと私は思う。
中野はその著で、自分は一介の文士であって専門的な知識はないと自らを卑下しながらも、その本の副題に「恥をしるということ」と添えている。これが日本の美徳と言いたいのだろうか?読み終わってむしろ逆説的意味合いにしか私には受け取れない。
 恥を知るどころか得意になって先頭を走ってきた日本への30数年前の彼の指摘だ。なんとも先見性のある達識ではあるまいか。この度の震災によって日本人の価値観に変更が起こるであろうか?
 経済ゼロ成長の時代にあった生活の見直しが果たして国民的同意を得てなされるか否か。以前として大量生産大量消費の経済路線でいくのか。まだ充分使えるものを新しいモデルに買え替える。それで満足するような人間に作られてしまったのか?資源が無い日本が世界との競争に勝つことだけを目標に努力してきた半世紀。
 その総括が成されない内に未曽有の震災に遭った。
 グローバル化した世界は、日本1国がその方向性を変えてみても何も変わらないかもしれない。しかし、長い目で見れば、地球と共存する国づくりが最先端の国家戦略となるに違いない。すでに遅いのかもしれないが。
 会計基準の話から大きな話題になってしまった。スピーデイで複雑になった人間社会は個を大切にするという信条で鉾先を避けていた。現実にそれに適応できない人達が増える一方の中で今シンプルライフに価値を見出す動きが出ている。その取り組みを先ず自分達の足元から初めては如何なものでしょうか。

1802:ゴルフ

半年以上、全くクラブを振らなかった。冬場だから腰を痛めてはという理由は表向き、全くゴルフをやる気持ちになれなかったというのがホンネ。このまま止めても良いと思ったが、若い連中が始めたという事を聞き、急に気持ちを切り替え練習場に3日連続で通った。直ぐに感覚を取り戻し、結構素直なボールが打てるようになった。例の如く、その練習場には顔なじみの人が屯していた。「あれ!どうしたの?」とか声をかけられ、「また始めました」と返事。特にコースに出たいという訳でもないのだけれど無性にクラブを振りたくなった。
 ここ数日天気が温かく、新緑の中でゴルフをやったら気持ちいいだろうなと思った。理由の一つに7月に予定している大会がある。関東の施設職員のコンペ、今年は茨城が当番。幹事さんから今年はどうしますか?と確認の電話があった。他県に聞いてみたらというと、「元気だすためにやりましょう!」という話になったとか。参加人数は少ないかもしれないが実施することになったのだ。
 自粛ムードを急には変えられない。何か身近に目標がないとなかなか出来ないものだ。別に超豪華なゴルフ場でやるわけでなく、商品も特別なものなど出さないから構わないと思う。でも、幹事もさすがに気にはしているようだ。参加者より義捐金を集め、チャリテイコンペにしますとか言っていた。
 海江田大臣が言っていた。東電の役員が報酬を50%カットするというリストラ案を出してきたという。資産も売却し、補償費に充当するという。
 半額にした金額がなんと3600万???それじゃー年俸7200万貰っていたんだ!と驚いたと。大臣さんはどれだけ頂いているのか分からないが、多分比べられない額だったのでしょうね。
 以前、ニッサンのゴーン社長の年俸が公表され、日本人の誰しもが驚いた。それが外国の常識?民間企業ならば納得しますよね。
 東電が民間でしょうか?その辺のことはハッキリして貰いたいね。責任の取り方ってどういうことよ。子どもにも分かるような仕方でお願いしたいよね。
 原発事故復旧の作業員の方が一人亡くなったという。原因は明らかにされていない。
 1号機がメトルダウン(炉心溶融)していたことを東電が認めた。復旧作業のスケジュール変更は確実。その中で社長が辞任するとかしないとか・・・・・・・。結局、なんだったの?避難場所にワザワザ行って頭を下げ、全力でやりますと約束したんじゃーなかったの?
 この辺の動きに大いなる疑問を感じる。そして、不安と被害だけが残される。
昨日、私の留守中にドイツから電話があったという。日本の原発事故を心配したものだった。既にドイツは原発を廃止する国会決議をしたとか・・・・・事実を確認したわけではないが、今回のフクシマ原発事故で真っ先に反応したのがヨーロッパではドイツだったと聞く。
 あの国は先の戦争の教訓をしっかりと守ろうとしている。国民がしっかりとした考えをもっている。そう思った。
 日本の美徳という中野孝次(No:1801)の本を紹介したが、副題に『恥を知るということ』が添えられていた。
 東電だけの問題では無い。日本の公的な企業の内情は常識では考えられないものがある。いま、日本が一番必要とされているものは何か?
 子どもに分かり易い常識とお年寄りを大切にする優しさですよ。 

1803:気をつけて

運は不平等である。作家の三浦朱門氏がラジオで語った。世の中で元々、平等に出来あがっているものは何も無く、不条理で望みを託しては裏切られることの繰り返し。震災の話をした時にそんな風に受け取れた。
 昨日だった。突然、尚恵を通所で利用されていた一人の男性が病院で息を引き取った。入院して丸1日、他の病院から転院した日も入れても10日あまり、本当にあっ気なく逝ってしまった。高齢の母親の手を煩わせないようにと考えた末なのかどうかは分からない。吐血して救急病院に移った翌日、今日その方の葬儀が身近な人だけで行われる。
 いつも利用されている方の葬儀に立ち合い思う事は同じ。幸せだったのかそれとも・・・・・。家族の方に聞けることではないから自分で想像するしかない。
 幸せを計る尺度ってあるんだろうか?とりわけ子供さんの養育には熱心なご両親だった。そのお父さんも既に亡くなっており家族の介護力が弱くなったということで入所を考え始めていた矢先だった。
 昨日の日曜日は朝から忙しかった。法事が3件と葬儀が1件、午前中は尚恵学園の家族総会、夜は小さな宴席と目一杯。代行で家に9時頃戻ったが、まだ会計事務所の方が決算書作りに残ってやっているとのこと、顔を出し、ウトウトしながら付き合った。夜の10時半を回っていた。1階の女子寮に様子を見に行くと数名がまだ眠らずデイルームにいた。私が顔を出したもんだからいつものSさんが手真似で昼間母親が面会に来た事を盛んに説明してくれた。本人は何処となく満足した表情、それ以外の寝ないでいる5名のメンバーは多分家族の面会はなかった。テレビをみたり、ソファーに横になっている。
 これを不平等と言えるのかね?でも仕方が無い理由がある。その事を一番知っているのはご本人達かもしれない。
 福祉関係者はややもすると自らを美化して自己満足してしまう。それこそ検討違いも甚だしい。何も特別な事を思ったりやっているのではない。至極当然のことだ。
 昼間の家族会には出られなかった。今回の大震災で問題になったのは、非常時の対応、特に食糧や燃料の備蓄、それと自家発電の設備など、見積りで400万円以上専用の保管倉庫を含めてかかる、その全額を家族会で出してくれるという報告を受けた。
 余談になるが、最新の医療になるのかどうかは良く知らないが、何でも保険が効かない注射で1本70万円もするものがあるという。ガン患者の方に使うのかどうかも知らない。どうしてそんなに高額な治療があるのか。
 そこにできるだけの事をしてあげたいという家族の強い想いを感じるが、誰もができることではない。
 別にそれに対してどうのこうの言うつもりは全く無い。しかし、三浦氏がいった不平等という言葉が妙に引っかかっていたから、ふと思い出したのだった。
 

1804:堂々巡り

出来ない理由をどれだけ並べれば気が済むのでしょうか?その言い訳に言葉を選び、より深刻に事の難しさを示そうとする。聞いている側からすれば偉い迷惑な話で一歩たりともそこから脱出できない。
 そのタイプの人間が上に立つと組織としての機動性に欠け、堂々巡りが始まる。攻めに強いタイプは得てして守成に廻った時に弱い。
 元々、堂々巡りという意味は祈願のため社寺のお堂のまわりをめぐることからきている。チベットなどに行ってお寺で時計周りに真言を唱えながら歩いている人を沢山見かける。マニ車という便利な物があって、ずらりと並んだマニ車を回転させる。これは一回まわせば一回経を唱えたことになる。いつの間にか同じ議論をいつまでも繰り返し結論を見出せない状況を表すようになった。
 先ず足元から見よ!世間体というものは、みえ、とも言える。サービス業で成功を収めた事業所にある共通するものは何か?
 それはサービスが見えるということ。その奥深さと厚み。薄ぺっらなものではなく、様々な失敗経験から学んだノウハウである。日本の福祉が今、立ち往生、事業としてみた場合、整理ができない一番の原因は、公益法人と私企業の2本立てが存在すること。利用者側からすれば、どっちでも構わない。必要なサービスを同じ料金で得ることさえできれば、しかし、実態はそうなっていない。
 最新の福祉新聞にある学者の論評があった。障害福祉基本法の改正案、30回以上回を重ねた制度改革推進会議、果たして当事者の意見に適えるものとなっているか?正直、暗雲が立ち込めてきたようにさえ思える。
 誰しもが感じていること、毎年確実に増え続ける社会保障費、この財源論議が棚上げされている。決定をみない。だから議論が堂々巡りとなっている。
 人間の感情は微妙だ。増税に対し、無駄を無くす余地がまだある。それが先だ。しかし、この議論だって堂々巡り、具体的にどこをどう削減するか?足を踏み出せない。
 いま深刻度を増す原発事故の対応とダブる。放射線量の安全レベルが一体どこにある?40歳を過ぎた年齢の者には心配はないと公言する専門家もいる。じゃー子供たちやこれから生まれてくる赤ちゃんはどうなのよ?
 日本の財政問題もそうだ。借金を増やすだけ増やし、そのツケが確実に次世代に引き継がれる。
 これは日本人が作った亡霊みたいなもの。長い間目くらましにあい、実態が分からない何か不気味な存在。
 ハッキリ言えばそれが責任を取るということ。上に立つ者が先ず範を示せ。
 一つの例を示す。5月は決算期、1年間の収支を纏め、次年度へリセット。昨年は年度途中で新体系に移行したから、複雑になった。会計事務所の担当者は5日間、毎晩10時までかかって昨日やっと出来あがった。
 これが実は社会の常識というもの。契約に対して答えをだして酬いる。
 果たして、いまの福祉現場がこの常識を実践で果たしているか!できない理由をどれだけ並べれば気が済むのか?
 その被害は可笑しな事にサービスを受ける人達が被っている。この逆転現象を本来の姿に戻す為には、・・・・・。
 『人間は努力するかぎり 迷うものだ』 ゲーテ。200年以上も前の話。根本は何も変わらず、逆に退化している。
 

1805:夢・YUME

"Nothing about us ,without us" 自分達のことを自分達で決めるという意味だ。
 障害者が自らの権利を主張した一連の活動によって少しづつ変わってきたものがある。それとは逆に”自己決定”とは相反する新たな問題も生まれている。成年後見を受けた当事者の選挙権、今まで出来た事が後見人を付けたことで出来なくなった。憲法違反がどうか司法の場に移された。
 確かに日本の障害福祉の歴史を調べてみると当事者の権利を最優先したものばかりではなく、法律や制度での決め付け事項が多過ぎる。障害当事者のみならず、我々事業者も様々な規制があって臨機応変の対応がしにくい。正直に言えば、その事を逆に利用しているとも言える。出来ない事の言い訳に。
 昨日、事業者団体の役員会議があった。新たな会員を加入させる際に何らかの条件を入れてはどうかという意見があった。明らかに新規参入者を警戒した意見、その内容は障害福祉とは名ばかりで制度を悪用した金もうけ主義の事業所が地域を掻き回しているという。現状を調査し、事業の許認可権を持つ行政に協会として申し入れすべきではないか!という。早急に内部に検討する場を作り対応することを約束して、一先ず鉾を納めてもらった。
 その時先人達が現状をみて、どう感じるだろうと思った。昔なら誰もがやりたがらなかった事、篤志家とか慈善家と言われた一握りの人達の実践であった。それが制度が変わる度に様々な参入者が関わってきている。実体はどうなっているのか?これが誰にきいても正確な事は分からない。何故か?
 一例を考えてみれば分かる。以前、入所待機者を県が把握していた。県内の入所希望者を一か所で管理し、順番で空きのある事業所への入所を決めた。入所判定委員会という組織が存在した。所謂、措置という時代がそうだった。
 一概にこれを批判することもできない。その後、契約制度になって、行政の関わる部分を極端に減らし、事業所と利用者の相対で決めることになった。自己決定という考えからみれば一歩前進。だが、そんな単純な事ではなかった。事業所への登録制は残され、各事業所に当事者と家族が出向いて待機者リストに登録しなければならなくなった。自分が何番目かを教えてもらえれば良いのだが、登録だけして梨のつぶて、いつになったら入所できるのか全く判らない。更に、入所施設を新規に作ることを国策として中止、その結果、県内全体の待機者実数の把握の意味が薄れた。同時に入所決定へのプロセスが曖昧になり、了解事項のルールさえ不透明になってしまった。この流れは最初、老人介護から始まった。障害者福祉は老人と比べればマイナーな事業、しかし、障害の種別が細分化され、実態は老人問題よりも複雑だ。
 私はこう考えた。県への予算要望、数十もある団体から毎年、要望があげられる。県社協の中で纏められ所管課とのヒアリング。我田引水そのもの、限られた財源を奪い合う。この実態をみて正直嫌気をさした。団体の連携を強めないと声の大きいものが得をすることに。
 これらの団体との関係を密にすること。先ず代表者同志のホンネの関係づくり。
 しかし、言うは易し、なかなか上手くは進まない。お互いが探り合う。そこで考えたのが相手がどう思うと此方はホンネで話すこと。徐々にではあるが変化を感じている。
 ”夢”って何だろう。
 Nothing about us without us ってもんは、何も障害者だけの事じゃない。その壁が障害者自身も我々もひきずっているという事は明らかだ。
 

1806:外の目

NHK朝の連続テレビで『おひさま』という番組を放送しています。内容は日本中が戦時体制の中で一致団結・・・お国のために・・・・駆逐米英を旗印に士気を鼓舞していく姿をドラマ化。戦後65年以上たった今だから見れる。主人公の兄が霞ヶ浦の予科練に合格、飛行機のりを目指す。お国のためになるんだと迷いが無い。どこかよその国の話では無い。
 近年そのお国のためという言葉が宙に浮いている。今起こっている様々な出来事(被害補償など)がなんのために行われているのかが判りづらくなっています。
 双方の意識のズレ、危機感の薄さ、責任能力、説得力、発信力・・・・・等やればやるだけ疑問が膨らむ。
 難しい時代になったものである。昨日某法人の役員会があった。そこで医者である理事長が話した。日本のあらゆる職場で3%〜5%の鬱病にかかっている社員がいるという調査データーがあると。もしこれが事実であるならば憂慮すべき事態であると思った。
 一方では、違った見方もある。それは外国から見た日本である。震災後の日本国内の動きをみて、学ぶことが非常に多いという。
 特出するものは「おもてなしの心」と「忍耐力」だという。これさえ有れば必ず日本は復興すると断言する。巷では、西欧の個人主義を良とする人間が多くなり、自分さえ良ければ良しとする考えが蔓延っていると見る。
 これだって否定はできまい。
 この時期、私は頼まれた役員会に顔を出す用事が増える。こんな事を言ってどうかと思うが外から見ると実にその事業所の内容が判るものだ。止まることを知らず事業拡大路線を走る法人もあれば、この辺が限界かと規模拡大はせず現状の改善をしようとする法人、様々だ。
 どちらにしても、事業を増やせば、人的問題が付いて回る、暫くはこの不景気で求職側に厳しい時代が続くだろうから求人側に有利だ。だが良く現場の実態を見てみると手放しでは喜べない。もともとその仕事に強い関心があって就職したわけではないから。1年を経ずして辞めてしまう人が多い。退職者が全体の1割を越えれば赤信号だろう。
 その理由だが一番大きな理由が仕事が自分に合っていないと感じたこと。次に多いのが職場に問題があること。その中身は様々だが、このどちらかである。
 私の関心事は後者で何故、問題と感じたかということ。原発事故の風評被害と同様に、職場においても噂は無視できない。経営者がワンマンだとか処遇が悪いなど・・・。それと働く人達の雰囲気、光っているか、慣れ合いか、何か目標をもって活き活きとして働いている先輩が多くいるか否か。これらを総合判断して決めるようだ。
 最近、私は経験の長い職員に厳しいノルマを課している。若い職員に信頼される先輩たれ!と。柳に風と受け流されているかどうかは知らない。この話が始まると止まるところを知らなくなる。また始まったと思われても良い。
 実はこれは意識してやっているのである。
 要は何のために自分が努力しているかを常に自問し確信をしていなければ駄目だと思っているからである。
これはいずれの経営者も共通する悩みで藪蚊のように手で払っても払っても襲いかかってくる厄介モノ。
 これが嫌だったらサッサと自分が辞めれば良い。それだけの事。これが外の目というものである。

1807:内の目

来週、県内の障害者団体が集まり、今回の大震災でのそれぞれの思いを話合うことになった。県に提案したところ直ぐに対応してくれ実現する。茨城も被災地に入る。2カ月以上経つのにまだ元の状態に戻れない。特に液状化で自宅に住めなくなった人達、ライフラインが応急のもの、更に原発事故による放射能被害、いつ元の茨城に戻れるかは分からない。
 障害者は五感に何らかの不具合を持っている人達である。その障害の部位によって、今回の震災に対する受け止め方が微妙に違う。
尚恵学園の利用者の方で余震があった時に私に訴えてくる方がいる。しかめっ面をして動作で揺れた事を知らせにくる。「ああ・・そうだね。大きく揺れたな!おっかなかったか?」と尋ねると「ウーン」と言ってどこかに行ってしまう。それだけのこと。彼らは地震がどういうものかは本能で理解している。ただ、それを表す仕方が様々である。
 彼らは何故私に訴えてきたのか?そう思い始めると、もう居ても立ってもいられない。
 最初の地震の時、屋上の時計台が大きく揺れ危ないと指摘された。私はそんな事はないと思って何度も屋上に登った。本体の建物と重量鉄骨で強固に繋がっている。
 でも、実際に指摘される人がいたのだからと、今回取りはずす事にした。はずすだけで二日位かかるだろうという話。
ついでに外壁を塗りかえることにした。ALC構造の建物は防水に弱い、劣化した部位からドンドン腐食が始まり手で簡単に表面がはがせる。築34年目、一番古い寮舎である。当時私は20代の後半、最新の資材を使って日自振の補助で建てた建物だ。ハッキリと当時の事を思い出す。今思えば20代の若造が恐れも知らず良くやったものだ。任せてくれた理事長に感謝。
 でもなー、そこに今日まで住んでいる利用者さんが何人かいるんだよな。それを考えたら、また、居ても立ってもいられなくなった。
 外の目と内の目はバランスの問題、相互にけん制し合う。この仕組みは何にでも通じますね。仏教では身・口・意の3業と言う。視点を変えて3密とも言う。仏教という言葉を二つに解釈できること知ってますか?仏の教えという意味と仏になる為の教え。
 これが仏教理解の妙、この辺の教えの影さえ見えなくなった現代は、まさに羅針盤の無い航海と言われる所以でもあろう。
 私は今、ある方とメールで意見交換をしている。その方は大学で教鞭をとる傍ら海外支援に全力投球。アフガンや南米からの研修生を尚恵学園で受け入れた時から交流が始まった。
 彼から様々な事を学ぶ。今回の原発事故は日本だけの問題ではない。原発を持たない国&持てない国のほうがはるかに多い中で放射能汚染を止めることができない。東電や関係者の責任は甚大だ。復旧と復興が最優先、それを否定するものは誰ひとりいない。だが、国際社会は今回の事故を深刻に受け止めた。外国から日本に訪れる人の数が6割以上減ったという。
 このことが何を意味するか?いま日本で国民投票を行い、原発の全面廃止か存続かを問えば結果がどうでるだろう。
 最近の国政選挙は政治家の個人的な問題で揺れ動いた。国の将来の方向性に対し明確な違いなど無いから誰を選ぶか選択する根拠を持たない。だから50%にいつも達しない投票率で低迷してる。ここでそれを糾弾するつもりなし。
 今年の夏に向け、節電が条件だ。節電は無駄を省くこと。本当にこのままで良いと思っている日本人はいないはず。だからどこまでやれるかやった方が良い。美食・飽食・エステにサプリとブロイラー工場の体をなしているのに気付かず金を浪費している。
話を元に戻す。3密行という意味は、極、簡単に言えば、身(やっている事)・口(言っている事)・意(考えている事)を一致させていく実践だ。
 この物差しは実に難しい。だが、自らの死から逆発想すれば結構判りやすいと思うですよ。
 ・・・・生臭が どうのこうのと 独り言・・・・・失礼いたしました。ハイ。

1808:一因

実際のところ、何故大暴れしたかという原因はわかりません。でも昨日、その一因かなと思われることを本人から聞いたのです。Nさんと久しぶりに草取りをしました。急に気温が上がり、日差しの中では何もしなくても汗をかくような日でした。冷たい飲み物で小休止、「この前、なんで怒ったの?」と聞いてみた。「・・・・・・」知らんぷり。「○さんが何か言ったのかい?」すると「ハナのこと」と小さな声で言った。
???「なに、ハナ?」「花壇のことだよ」  判った。Nさんが何故怒ったのかその理由が閃いた。
 小さな花壇が寮の前にある。実は1カ月ぐらい前のこと、私とNさんで花を植えた。彼は水かけを良くやってくれた。
その後、○さんがその脇に小さな温室?を作った。彼は苺の苗を買ってきて植えた。それに不満を言っていたのを思いだした。「○は変なもの作って、いつもやりっぱなしなんだ。」私と植えた花が隠れてしまうと訴えた。明らかに散らかし放題の状況は私も気付いていた。
 二人の間でそのことに関しての言い争いがあったのだ。
  多分、これが今回の原因の全てでは無い。日頃からお互いが不満を抱いていたという事実もある。その切っ掛けになったのは確かなようだ。本人はもう終わったことと考えているようで、それ以上、詮索することは止めた。
 大体、ギクシャクした関係は双方に原因があって、一つの理由だけではない。積もり積もった不満が何らかの切っ掛けで一気に爆発。だからそのガス抜きが時々必要だ。ストレス解消と言うとどうも周囲に遠慮しながらというものが多いような気がするが誰だって必要なんだ。

 利用者の人達はそれぞれどう思っているんだろうと考えると今度は此方側のストレスになる。
 昨夜は6時から、友人が行っている保育所の理事会があった。90名から60名に定員を減らし、ゼロ歳児が増えたので収入が増えたと喜んでいた。家内工業と言ったら叱られそうだが実際はそんな感じをもった。同じ社会福祉法人でありながら、どんどん事業を増やしていく所もあればそうじゃない所もある。でも、大きく違う点がある。それは何に重きを置くかという立つ位置。彼はこんな事を言った。「保育所もこれから先どうなるかわからない。必要がなくなればその時は閉じれば良いんだから」と。職員の数も20数名、その殆どが女性、家庭において大黒柱というわけでもないから多少は気が楽だとも。今年、彼は同じ敷地で開いていた幼稚園を園児が集まらないので廃止したばかりだった。「30年の幼稚園が私の人生・・・」と独言、何か寂しそうだったが卒園生1800名は立派だ。
 従事者数が多い法人は簡単に事業を閉鎖することはできない。経営者の主眼がよりうま味のある事業へとどうしても向く。これが実態である。
 私自身は常に注意を払っている事で適正な規模がある。例えは適当でないかもしれないが、「スープが冷めない距離」という物差しだ。職員や利用者の顔が一致する位の規模。
 その役員会で新たに就任した監事も私は知っていた。彼も保育所を開いている。
 宴席に入り、酒がまわってきた所為かこんな事を言った。
「俺たちのやっていることが本当に子供たちの為に良いことなのかと迷ってしまう。だってそうだよね。ゼロ歳の子供を保育所に預けて、本当は親子の時間をたっぷり持つべき時だもんなー」
 思い起こせ!昔は子沢山が普通。年長の兄弟が弟や妹の面倒をみた。その時代に戻れというつもりは無い。
しかし、その事を忘れてしまってはいけない。
 

1809:繋ぐ

 岡本さんへ。
   貴方の61年の人生を今ここで閉じることを貴方はどう思っているのでしょうか?貴方の訃報を電話で知ったのは、貴方が22年心血を注いで築いて来られたあいの家の役員会に丁度向かっていた時でした。そして、会議の前に8割ほど完成した現在建築中の新館を案内してもらい貴方の高遠な理想を随所に拝見することができました。さぞかし無念であったものと推察いたします。
 今日は笠松でゆうあいスポーツ大会があります。貴方との出会いは当にこの大会でした。私が福祉活動部の部長、貴方が副部長で一緒に準備をしました。障害者の事をここまで深く理解し温かく接する人は知りません。それは綺麗ごとではなく彼らとの普段の何気ない接し方から感じるものです。貴方がふと漏らしたご自分の体の不調、私はハッキリとその時のことを覚えています。何年前でしたか岡山で開催された全国障害者スポーツ大会の開会式の時でした。入場行進が終え、整列して開会セレモニーの最中に貴方は立っているのが辛くなり座りこんでしまった。その後、通院し病気の事がわかったと思います。貴方は5泊6日の大会期間中、茨城選手団の総監督として常に選手に気を配り、コーチ陣を纏める役目を果たされていました。その後、県の愛護協会の社団法人化など組織の改革などで沢山の教えを受けました。
 障害者への専門的な知識も群を抜いており、様々な研修の企画を常に中心になって行ってきました。
 貴方は出身が大阪、大学は信州、そして神奈川の弘済学園で長く勤務された後、望まれて茨城に新設されたあいの家の施設長として来県されました。特に力を注いだのは自閉症の人達への処遇でした。集団生活が苦手で拘りの強い人達へどのような支援をしたら良いか常に頭の中はその事ばかりでした。
 今回、まだ築後22年と老朽改築にはまだ早い施設を思い切って補助金無しで新築するという決断を傍で見ていて正直不安になる思いでした。しかし、見事に家族会を纏め、最新のエコ技術の粋を集めた本格的木造による新棟建設をスタートさせたのです。
 もしも3月11日の東日本大地震が起こっていなければ、完成が間に合っていたことでしょう。貴方の目で最終チェックがなされたものと思います。
 貴方のご家族は、福島原発事故の避難地域になっており、避難生活を余儀なくされていると伺いました。今までの22年間は月の大半を水戸で暮らし、週末に福島に帰るという生活と伺っていました。まさにあいの家に人生の大半を捧げた生き方でした。
 貴方の想いを後に続く若い人達に繋げる責任を、今、私は感じています。福祉施設がどうも変な方向に向いているという思いを同じくするものでした。
 私は今から笠松に向かいます。何年か前まで、貴方は今の時間にはもう笠松のサブグランドに出て大会準備の総指揮をしていました。丁度、その集いの日が貴方の通夜になるというのは!
 今までにお世話になった多くの人々が貴方の訃報を心から悲しむことでしょう。
 今までの数限りないご功績に対し心からの敬意を表し、衷心よりご冥福をお祈りいたします。そして、ゆっくりとおやすみ下さい。〈22日午前5時半自宅にて〉
 
第13回茨城県
ゆうあいスポーツ大会

・・・・笠松・・・・
H 23/5/22
震災後の開催でしたが参加者
が減る事もなく無事終了出来ました。

*ここに謹んでご報告いたします。
               (5・23)

1810:何を残すか

”風樹の嘆”とは、子どもが親に孝行したいと思ったとき、既に親が亡くなり孝養を尽くすことができない嘆きをいう。
 人間に寿命があるとすれば、いかに悲しくともいずれその現実を受け止めなければならない。そして此岸と彼岸、場所は違えども互いに存在を意識しながらその後の人生を歩むのだ。
 私は僧侶として今まで数えきれない程の別れの場に立ち会ってきた。そして、父や母の遺影と対面し、自分自身の歩みを見つめてきたのだ。
 何を残すか?一言で言えば、「生き方」ではないか。財産や名誉、更に生前の自分が成し得た功績を自らが誇るものではない。最後の別れは、本当に悲しみ、別れを惜しむ人達で行えば良い。それは言うまでも無く、自分自身のこれからを見つめるための故人よりの最高の贈り物なのだから。
 喪主であるご長男が最後の挨拶を行った。その言葉の重みを感じている。正確では無いかも知れないが思い出す。
 ・・・・・父は精一杯に生きました。誰もが幸せになって欲しいと願いながら。。。。今まで父の仕事の事は良くは知らなかったけれど今日改めて父の偉大さを知りました。まだまだやりたかった事が沢山あっただろう父の遺志を継いで私たちは生きていきます。そして日本だけでなく世界中の人達が幸せになって欲しいと思っています。・・・・・・・・
 自分達家族の幸せを犠牲?にしながらも、一つの仕事を成し得た父親への感謝の言葉と受けとめた。
 私は彼の生き様を知っているから余計残念である。手術も何度も受けた、それも大変な苦痛を伴うものであったはず。会いに行く度にいつも彼は復帰することを約束してくれた。
 遺族にとって悲しみから再び立ち上がる一番の特効薬は、慰めや激励の言葉ではない。それは故人の生き方にある。
 今日は朝から雨が降っている。
 あれはいつだったか?研修会で講師の方がこんな話をした。
「施設を利用されている方から私はなんどもなんども相談を受けてきました。そのたびに出来ない訳を説明し我慢をしていただいてきました。或る時、女性の利用者さんが、「私はどこで泣けば良いのですか?」と訴えてきたのです。その時思いました。彼女達には泣きたい時に思う存分泣ける場所がないいんだ。・・・・・」という話。
 私が今の日本の福祉の前途に危惧する一つに、福祉という言葉があまりにも軽く使われていることにあります。
本来、福祉という意味は決して他に誇るような代物ではない。利用されている方達に謙虚にいたらなさを詫びる気持ちが大切だ。
それが、なにかうまいエサに集まるハイエナ???の様。これは言い過ぎでしょうか。でも、このまま進んで行けば必ずそうなるように思うのです。これが彼と思いを同じくする処だった。
 ホンネが出せない関係で何をもって福祉を論じるか! 私は世の中に怒りを感じます。
 貴重な友人を失い、自らの足元を見つめていくことが唯一私にできることだと今思っています。