源究118

 

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
1871 小倉原爆 8/3 1876 空しく往きて 8/9 1881 通過点 8/15 1886 3つの気 8/21
1872 木のベンチ 8/4 1877 仄々と 8/10 1882 イメージ 8/17 1887 同級生 8/23
1873 異業種交流 8/6 1878 法話 8/11 1883 やれやれ・・と 8/18 1888 お帰り! 8/25
1874 夏の風景 8/7 1879 雷雨 8/12 1884 継続or変革? 8/19 1889 ネットワーク 8/26
1875 坊さん 8/8 1880 お盆 8/13 1885 自立 8/20 1890 ある意見 8/27

1871:小倉原爆

広島・長崎原爆を思い返す時期になりました。終戦記念日とお盆、全国各地で開催される夏の行事が、今年はまた違った感慨を持って開催されるものと思います。
 今朝のラジオ深夜便で黒田征太郎さんが出演、戦争少年としての波乱万丈の人生を語っていました。
その話しの中で”小倉原爆”のことが紹介されていました。昭和20年8月9日に本当なら九州小倉に原爆が投下されていたという。当日、曇っていて小倉投下を諦め長崎に落とされたと。多分、これらの経緯は年と共に風化され忘れさられていくものと考える。
 当時、アメリカは広島・長崎以外にも小倉や新潟などに原爆を投下する計画だったという。
この事を私達日本人はどう捉えれば良いのでしょう。小倉の人達が「御蔭様で・・・・云々」という言葉は発せません。それは勿論、長崎や広島で多くの犠牲者が出たわけですから、そして、8月15日の玉音放送で敗戦が告げられた。
 年々、戦争の語り部が少なくなってきました。実体験を元に語り継がれてきた悲惨な戦争を二度と起こしてはならないという誓い、これが国境線引きを含む外交という微妙な問題で”箍”が外れるのではないのかという不安を感じます。
 不戦を誓って隣国の為すがままになって良いとは誰しも思わない。その交渉と国民の同意は一体でなければならないと私は思う。
 原爆を語る際に細心の配慮が必要なことと、この度のフクシマ原発事故への対応も同じ。全国に54基もあるという原発、その中でフクシマ原発だけが震災の被害を諸に被ってしまった。決して他で起こったことではない。
 世界中の全ての人々がホンネでは原発を全て廃止したほうが良いと考えている。ただ、その方向に思い切って舵を切ることができない。
 ある照明デザイナーが電気の無い島での生活を調査した。2万人近くの人がその島で生活をしている。全く電気が無い生活。夜はヤシの実から作った油でランプを灯す。ランプの下に家族全員が寄り添うようにして住んでいる。そこの長老の話、”何も便利なものは無いけれど、家族が一緒に生活できる土地があり、自然の恵みで食べるモノに不自由は無い。この生活が幸せだ”
 日本人はスイッチ一つで明かりが点く生活を何の疑問を持たずに送っている。飲料水も然り、交通も通信も・・・・全てが経済の豊かさで勝ち得た産物。
 これを電気の無い島国の生活に戻せとは言うまい。できるはずが無い。
 自由という言葉によって”箍”が緩んだ事実は認めよう。アイツは上手くやったという意味は様々な感情を含んでいる。
妬みや羨望、それだけでは無く、自分はそうしないという決意もあったはず。
 それが部下に罪を擦り付け、自分はのうのうと生きている。それが権力?・・・・・・。この価値観は、決して救国の主にはなれない。寧ろ外国から相手にされず、裸の王様の君臨する亡国となる。
 全くノーテンキな人々が永田町界隈には住んでいる。なんでこの時期にトップの首を据え替える画策などしているのかよ。メデアもその動きを面白おかしく公共の電波で流している。
 東北の津波で、高台に避難し、命が助かった多くの人達、彼らは目の前で津波に浚われる人達を見た。自分だけが助かったという罪の意識を今ももって苦しんでいる。
 この人達への救済を、自分だけ安全な場に身をおくような人間がトップの座に座りできるとでも思っているのだろうか?

1872:木のベンチ

邪魔になるからと植えてから30年は過ぎた木を3本切った。杉と桧、真っ直ぐに伸びて勿体ない。私が植えたものだから、思い入れも強く、何かに利用しようと思っていた。昨日、根本さんと2人で作業所の前にベンチをその木で作った。
 私の性分だと思った。そのベンチをペンキで塗ろうかと根本さんに相談すると、彼は「ニスが良いよ」と言って色違いのペンキを塗る事に乗り気でない。木肌をそのままにしたほうが良いとは彼の感性、。。。。またもや1本彼に取られた。
 愛着を持っている木なら尚更だ。そのことが浮かばない。多分、いろんな所で同じようなことを私はしてきたかも知れない。
 これも大分昔の話、大子に山があって間伐材をトラックで何台も運んだ。グランドに積み上げ、何カ月もかかって皮むきを行い、丸太小屋を作ろうと考えた。結果は今、まんだら工房の前にあるイスとテーブルになっただけ。大半の木は腐らせてしまった。
 やることが何か中途半端、周りから顰蹙をかっているが、一向に懲りない。この話には前段がある。チェンソーの事。物置奥にしまってあったチェンソーを持ち出し、エンジンをかけようとしたが全く駄目。分解し、キャブなどを洗っては見たがウントモスントモいわない。
 何日も悪戦苦闘、そこで買った店に持って行った。暫く入院。しかし、結果は諦めて欲しいと言われた、なんと昭和53年に買ったもので30年以上昔のもの、部品が無いと言うのだ。変な処に気を使い、結局は肝心な時に用が足りない。私の人生、そのものだ。
 人間は過去の経験から学ぶ。時に思い出し、今度こそはと思うのだが肝心な事は忘れ、またもや同じミスを犯す。
 昨日東京の檀家より悔みの連絡をもらった。斎場の近くに宿をとってもらうことにした。
 記憶が蘇る。あの時もそうだった。葬儀屋さんが予約した宿、錦糸町駅近く、改良服(法衣)でチェックイン、その時妙な胸騒ぎ。 利用客は皆さんカップル、場違いというのは私だって分かったが、もうどうしようもない。
 その種の宿を取った葬儀屋を今でも恨んでいる。
 それからは法衣と平服を両方持っていくようにした。・・・・でも靴を忘れ、・・・・・ま いいやね。
 そうそう、今日中にベンチにニスを塗ってしまおう。

1873:異業種交流

台風が2つ日本列島周辺にある。その影響だろう。蒸し暑く、大きな雲ではないのに急に雨が降ってくる。ゲリラ雨とか言うそうだが、確実に気候が亜熱帯化している。雨が止むと強烈な日差し、どうもこの変化に体が付いていけない。
 昨日はそんな天気だった。東京での葬儀、宿を新小岩駅前のビジネスホテルを取っておいてくれた。駐車場があまり無いので車は斎場に置きタクシーで行った。
 夜中に大声を立てる人達がいた。言葉が日本語ではなかった。
それからちょっと気になったこと。斎場の対応だ。棺をかまに入れる際、勢いよく押して中にいれた。その脇で収骨が始まった。つい立ても何も置かず、丸見えであった。流れ作業ということは聞いていたが、亡き人や遺族へもう少し配慮があっても良いのではと感じた。
 昨夜はちょっとした宴があった。総勢5人、和風の店、以前は良く利用したが経営者が変わってからは初めてだった。
 異業種の人の話は実に面白い。自分自身で生きるスタンス?を持っている。スタンスと言うのかなー?思いを実行に移すと言った方が良いかも。
 その時の共通の話題は幼児体験、金を出してでも苦労を買えと言う事か。失敗を隠す事はない。ありのままで良いじゃないか!・・・・・約3時間、そんな話をして帰って来た。
 少々、慣れない東京での葬儀で疲れていたかもしれない。直ぐに寝床に入ったが、どうにも寝つかれない。いろんな事が頭に浮かんできて何度もトイレに起きだした。
 話が盛り上がるためには、謙虚が一番。俺が俺がという人間が一人でもいるとシラケ鳥が飛ぶ。相手の話を真剣に聞くこと、必ずや共通する人間や体験が出てくるものだ。
 そして、世の中への不平や不満が一通り出尽きた後、話題が親子の問題になった。私は一番難しいのは親子の付き合いだと言った。自分自身の体験でも親父と対座してゆっくり話した記憶がない。常に間に誰かがいたし、今思えばもう少し話をしておけば良かったかなと感じている。
 これはいつの時代も同じ。親が子を思う気持ち、それと子が親を見る中身は微妙に違う。全く同じだったら、これこそ異常でつまらぬ関係しか生まれないだろう。
 孝行したい時には親は無し。これで良いのかもしれないな。
 そうそう、昨日の宴席で若者が怒らないと嘆く話しがあった。70年安保当時の学生運動、どういう理由か去勢され、その欠片も無くなった。今回の原発事故、扇動するつもりはないが、皆が皆耐えている。
 確かに安全と豊かさそれに便利さを得て、日本人に躍動するような心の高まりが消えた。個人主義というのだろうか、世の中の不正や不満に対し、冷めている。あっしには関わり無いこと、興味はありませんや。という思考パターン。
 これも冷静に分析してみれば、日本人自体は余り変わっていないのかもしれない。周辺国特に中国や韓国などの動きが目立ち、それとの対比でクロースアップされたとも思える。
 曽野綾子さんがテレビで言っていた。日本の行く末を危ぶまれている昨今に何か一言と促され、「いや!日本人は優秀な国民ですよ。必ず再生しますって」と。
 

1874:夏の風景

夕闇に櫓に連なる提灯・・・・盆踊り。いつもの風景である。今年の夏は昨年と比べ猛暑日は殆ど無い。湿度が高いので少し動いただけでも汗が噴きでる。そんな毎日を尚恵の利用者さん達は一緒に過ごしている。寝込む人も少なく、元気だ。私の処に寄って来たMさんは、もう50年以上、半世紀尚恵学園に住んでいる。「元気だな!」と声掛けると私の手を掴んで「ウン」と言って直ぐにどこかに行ってしまった。
 今日は土浦のキララ祭、数年前まではカッパ踊りの常連、”ガンバ尚恵連”・・・それがもう無理だという話が職員からあった。踊りの順番を待つのに2時間も暑い場所で待たされる。それに耐えて参加できる人が自ずと減った。寂しい思いはあるが、その分他の団体が参加しているのだから良しとするか。多分、今年も賑やかな踊りが続いているに違いない。
 コントラストが目立つ。土浦の駅前通り、普段はシャッターが閉まり、歩いている人を殆ど見かけない。だからと言って町の人達も人を呼ぶ手立てが分からない。諦めに近い状態が長年続く。増えるのは空き地にできる駐車場。
 土浦の街の人の流れは郊外の大型ショッピング店がオープンし確実に変わった。土・日の混雑はこれが土浦かと思う程、人が集まる。これを時代の流れと見るか否か。
 昨日は広島原爆記念日だった。原爆ドームで開催された記念式典、66回目になる。今年はまた違った思いで集会に参加した人も多かっただろう。フクシマ・・・・世界中にその名が知られた。今も不自由な生活をさせられている人が多い。退陣表明をした菅さんが原発に頼らない国作りを力説、しかし、それならば何故辞めるなどと宣言したのか!
 日本では原発の取り扱いについて国民の間で充分に話し合いが持たれているかと言えば明らかにNOである。
 国会議員全員の意思を確認することも必要だ。しかし、彼らは自らの判断で明確な意思表示はしないだろう。これは国民一人一人も同じ。選択・決断ができない。曖昧性を残し、何事も起きないことを祈る。
 白黒ハッキリ言う人間は危険分子と煙たがれる。これもまた夏の風景と同根の日本人の深層にある感性かもしれない。
 長い年月を日本人は紆余曲折を繰り返し今に至った。それを疑うものはいない。
 恒例の施餓鬼が終わり、問い合わせがいくつかあった。新盆の塔婆はいつお墓に持っていくのか?
 これだって一貫性はない。お盆や彼岸の言い伝えが風化した。十三仏信仰も然り、仏教の伝承は地域差と宗派の違いで複雑で分かりづらくなっている。
 ソリャーそうだろう。盆提灯が蝋燭から電球に変わり、省エネでこれからはLED電球に変わるかもしれない。
 灯りが数字で表すようになって久しい。ワット数からその費用に関心が向く時代。当然、盆踊りの提灯の持つ意味も変わらざるを得ない。

1875:坊さん

あれは2日前の朝7時頃だったとおもう。電話があった。『福ちゃんか?あのよ。母親が急に死んじゃって、福ちゃんおがんでくれねーか?』という。訳を聞いた。昨日まで元気だった母親が今朝がた急変し、自宅で亡くなったという。どうも熱中症みたいのようだ。
 彼とは小中高と同じ、今彼は個人塾で勉強を教えている。昨夜はその通夜だった。彼にはたった一人妹さんがいた。その妹さんに斎場で挨拶され、そこで旦那さんが私と高校同窓で一時サッカー部にいたSだった。卒業後一度も会っていなかったので挨拶されても直ぐには思い出せず、失礼した。校長を定年で辞め、すでに40年以上も経っているのだからお互いイメージが違うのも当然だ。話しをして昔の事が徐々に思い出した。・・・・当時はサッカー部はあまり無かった。いつも練習試合の相手は土浦日大、試合に我々が勝って、審判をしていたSが相手の選手達に追いかけられたという話、私にはその記憶は無かった。
 でも私は県大会で10対0で水戸商業に大敗したのはハッキリ覚えている。その時は同じチーム内でケンカになった。
・・・・・・。
 高校時代、私の記憶はサッカーだけ。正直に言えば、私は寺の子ということを誰にも言わなかった。何も自分からいう必要など無いと決めていた。
 今は分からないが私が出た高校は1年から大学志望別のクラス編成をする、更に成績の良し悪しで色分けされた。国立一期組は秀才だらけ、私みたいに、最初からどこでも良いと考え、勉強も並の下の連中は三年間のクラス替えで同じ組になる確率は多い。その鬱憤を晴らしてくれたのがサッカーだった。
 今年私は61歳になる。大半の同級生は定年を迎えた。風の便りで誰誰が今何しているとか聞くが、名前と顔が一致しない。私みたいに生まれた処にずっと住んでいる者は少ない。長男で家が農家ぐらいな人だろう。
 ***今チャイムの音がした。朝の6時ちょっと前。大きなスイカをHさんが届けてくれた。足が痛いと引きずりながら自分で軽トラックを運転してきた***
 毎年、本堂にあげて欲しいと丹精込めたスイカを持ってきてくれる。Hさんも神立生まれ、長男でなかったので婿に出て名前は変わった。それでもこうやって盆になると寺に届けてくれる。
 この時期、私の家では野菜を買ったことがない。いただきモノで充分だ。それに宅配で届く自家野菜もある。
これも坊さんやっているから経験できること、今思えば若い時分、”坊さん”とは言えなかった自分が恥ずかしい。
”○○坊主!”という陰口が当時のトラウマ。これだって誰もそんな風には言っていないのだが、私にはそう聞こえてしまった。
 いろいろあったなー。
 盆前に急に悔みが2件入った。1件は不慮の交通事故で34歳という若者、一瞬にして黄泉へ旅立っていった、本人はもとより遺族の気持ちを察することなどできない。
 ≪人無遠慮 必有近憂・・・・≫人は遠慮が無ければ必ず近憂有り。”慮”。それはあれこれと考えること。”不慮”は、そのおもんぱかる事を否定する。
 だから生きていてこそ、思い悩むのだし、結果を早く出そうとなど考えず人間大いに思い悩むべきなのだ。
 

1876:空しく往きて実ちて帰る

空海が遣唐使に乗り留学僧として中国に渡った。長安で師の恵果和尚と出会い、真言密教を伝持され、その時の心境を「空しく往きて実ちて帰る」と表した。これは有名な話で、後後、真言学徒のみならず、様々な機会に紹介されてきた。
 空海は日本の三筆と称せられ、多くの自筆の書が遺されている。「五筆和尚」という言い伝えも、左右の手足と口で筆を持ち壁に字を書いたことからそのように言われている。
 なんとまー破天荒と言ったら叱られそうだが、伝説的な偉人である。いま国立美術館で空海展を開催している。私はまだ観ていないが是が非でも行くつもりだ。
 空しく往きて・・・・という意味合いは実に奥深い、当時を思い起こせば空海の心中を少しく推し量ることもできるかもしれない。遣唐使は国からの認可を得た者だけが命がけで乗船したもの。空海が渡った時は四艘で出発、嵐にあって全てが中国に辿りついた訳ではなかった。
 空海ゆかりの寺(神護寺・東寺・高野山など)を訪れれば、立ち止まる事もせず、一途に日本の事を思い続けた空海の生き様が感じ取れる。
 その後1200年の時間の経過で多くの事が大きく様変わり、皮肉たっぷりに言えば「夢実ちて往きて 空しく帰る」事が多過ぎる世の中になったと思っている。
 G7財相会議やらG8首脳会議などその実態を見れば素人が考えても「実ちて帰ってきた」日本の代表は見当たらない。それがここ数年は特に酷い状況ではないか。口約束と言うのだろうか、思いを語ってくるのは良いのだが、言いぱなしでその後具体的な実行に結び付かない。
 日本の代表者がそんな風に思われているに違いない。
 これは一体どうしてなのだろう。遣唐使の時代、進んだ大陸の文化や学問を学んでくるという姿勢があった、高座にある者への謙譲の思いである。それが、どこで間違ったのか、自分達は先進国で豊かな国と錯覚し、謙虚さを見失った。奢った言動は対外支援という金をばら撒くことでどうにかバランスを保ってきた。いま、それが出来なくなって、実現の無い大ボラを吹いてくる。そして、その張本人は責任を感じているのかどうか定かではない。早期退陣という幕引きとなる。
 誤解を恐れず敢えて言わせともらうと、其々が何をもって生きる証しとするかが見えてこないのだ。宙に浮遊する陽炎の如く、皆が皆揺れ動いている。憲法9条の解釈にしても然り、中途半端、戦争体験の無い世代が大半になった今、戦争の悲劇の実感がない。国としての責任で自国民を守るということが一番の国体である。その議論が長いこと国民を巻き込んだ形では為されてこなかった。
 次元を変えて、本来、人としての成功は、自分なりの価値観を見出し、自分がなんらかの役に立っているという実感ではないだろうか?それが大義とどこかで結ばれ、共生という意識が育つ。
 その意識とは定年とか節目で変わるものではなく、もっと奥深く一生を通じて各自が確信しているものであるべきである。それは途方もなく遠大な夢ではなく、どんなに小さなことでも良いではないか。
 いつの世にもあっと驚かすような人物が登場してきた。風雲児とか言われ、天に昇るような勢い。それが尊いと勘違い。
 人の一生は短いと思えばその通り。過去を振り返る時に誰しもが実ちた人生だったと本心から思うだろうか?まして、後に遺された者にとって。
 今日、4人でいわき市まで遺影写真を家族に返しにいく。61歳で逝った友人の事を振り返る時間はあった。言葉では無い。生きた証は、生き様、それを此岸にいる者達がどう思うか。それ以上でもそれ以下でもない。
 *今晩、34歳で不慮の事故で亡くなった方の通夜がある。
 

1877:仄々と

仄々(ほのぼの)という漢字は、なかなかなもの。仄という字は、崖(がけ)とそのそばに人が体を傾け寄り添うさまを表す。仄を二つ並べて、”ほんのり”とか”かすか”という意味となる。夜がほのぼのと明けるなど、日本語独特の言い回し。
 一方、最近は白黒をハッキリ言うことのほうが評価が高い。最近の動きを見ていると、明言を迷言と見誤るような状況が目立ちませんか?
 ちょっと気になったニュースで、お隣の韓国が日本海という表記に不満を表し「東海」と変更するように米国に要求したとか。領海は実際にはどうなっているのだろうか、杭を打つわけにもいかないし、ロープを固定することだって不可能だ。
 良い塩梅の所で了解を得るということにはいかないようだ。地下資源や漁獲制限などに影響するから、常に紛争の火種はある。
 もともと日本人は、仄々とした文化を愛し、俳句や川柳などの風雅を楽しんできた。5・7.5という17音に季題や切字を読みこみ、遠回しに意を伝える。最近は英語圏でも同様の遊びが流行りつつあるとか。
 これは宗教論にまでいってしまう。森の宗教の代表の仏教と砂漠の宗教、キリスト教やイスラム教。多神教か一神教の分類で良く言われてきたことでもある。
 仏教は自然との共生を大切にする。全ての生き物、草木に仏性を観んじ、その中で人間とは何かを見つめるものだ。だが、特に戦後の日本が取った手法は、自然を破壊し、人間だけの幸せを只管に追い求めてきた道筋だったのではなかったか。農業が衰退し、荒れ果てた農地が目立つ。農家に人手が無く、それを補うめに機械化や農薬を使う農業に変化。農家の為であるはずの農協がそうなってはいないことが如実に示す。
 確かにモノづくりにおいて日本は世界のけん引役になった。精密機械や科学の面で几帳面で真面目な日本人が果たしてきた役割は大きい。だが、どこかで道を踏み誤ってしまったように私は思う。例えば同じ敗戦から目覚ましい復興をしたドイツ、ブラウンというヒゲソリのメーカーは、決して使い捨てにしない。様々な交換部品を店頭に置き、消費者が自ら買うことを容易にし、長く使用することを可能にした。一方、日本のメーカーは修理に時間がかかる。そのため未だ充分使えるヒゲソリを買い替えてしまう。余裕ある時ならば上手くいったかもしれない。しかし、限られた資源を再利用せざるを得なくなって無駄ばかりが目立つ。
 儲け主義と言われても仕方が無い。突き詰めると原発をどう考えるかという問題にもつながる。今を生きる受益者を中心に考えるか否か。人間は今を生きているモノだけでは無い。借金だけでなく様々な負の遺産を次世代に残そうとしていません?
 原発事故後、避難地へ東電の社長が謝罪に廻った時の事を思い出して欲しい。女子高校生がマイクを持って訴えた。「私は将来結婚して子供を産みたい。でも、それができなくなるんじゃないですか?」と勇気ある発言をした。
 ここが肝心だと思うのだ。当時の社長はあれだけ頭を下げ復興に最善を尽くすと約束したにもかかわらず、早々と辞任し今はいない。
 これが日本有数のトップ企業のリーダーの責任の取り方なのか。新渡戸稲造の武士道を再読することもなく、日本のトップリーダーの体たらく。保身、企業の社会的責任の基本が身についていないのでは。これで世界1を目指すなど言えたもんじゃないだろう。
 菅さんが辞任発表を月末にするとかしないとか?私はこんな事に全く関心が無い。今の政治家に大義を感じないからだ。多分誰がトップの座についても1年も経たずして身内からの不満と足の引っ張り合いが始まる。これを否定し改善できますか?見なさい。国会の最後列の席に踏ん反りかえっているお歴々、実に嘆かわしい。皆どこかで見た事のある、総理の経験者。老害ばかりが目立って彼らが一体何をしましたか?クイズ番組にしたら正解者は皆無だと思うな。
 この現状を国民が否とするか是とするか。無人島に一人船を漕ぎだし逃げだしたい心境だ。
 仄々と ああ仄々と 生きたもれ・・・・・「還暦を迎え1年経った、偽らざる今の心境でござります。」

1878:法話

お盆前後に各寺院で行われる施餓鬼会は”三界万霊”への供養を目的として行われる。その寺の規模に応じ、新盆を迎える檀家だけが参列する寺も有れば全ての檀家が集まる寺もある。式の流れは大体同じで法要の前に法話を行う所が多くなった。その時に布教師が30分程度の話をすることになっている。
 私もその端くれで、毎年どこかで話を頼まれる。寺の本堂はエアコンなんて便利なものは無い。そこに座っている人達もお気の毒、座布団など無いから足が痛いし暑いし。男性ならまだ良いが女性はアグラもかけない。だから、どんな立派な(?)法話であってもだ、耳に入らず、直ぐに出て行ってしまう。精々、長くても30分という時間だろうね。田舎の寺は施餓鬼が年中行事だから、場所によっては朝市みたいに本堂で持ち寄ったものを物々交換してお喋りに花が咲く、方や新盆を迎え、悲しみから抜け出せない人達がそこに混じる。
 正直、何を話せば良いのやら、迷うところだ。
 ただ、私の寺の檀家さんもそうなのだが、最近”施餓鬼”という意味が分からずに来ている人が多くなった。漢字にすれば、何となくは意味が分かるのだが、「セガキとは孫の手で何かをするのですか?」という小噺みたいな質問を真面目にする人もいる位。孫の手????
 ”背掻き”と勘違いなんて話を洩れ聞いた。宗派により施餓鬼を行わない所もあるし、餓鬼に施すという表現に異論があって、“施食会(せじきえ)”と言う宗派もある。だから、末端では相当分かりづらくなっているのは事実だ。
 今年は盆の帰省ラッシュはどうなるだろう?大震災によって高速道路の無料化が実施され、いつもより車の量が増えた。そこにきて帰省ラッシュが重なれば・・・・・。
 昨日の某寺の施餓鬼での話。水戸で高速に乗り、北関東から東北道、関越を通り、八王子から中央道〜そして九州まで高速道を使うと4万円以上の料金がかかる。それが被災証明があればタダになる。結構、このルートで九州往復を行う車が増えたという。
 多分、私の知っている長距離トラックの運ちゃんも日本海の国道を突っ走る事もなく、高速道路を直走しっていることだろう。
 その方は運転しながら寂聴さんの法話テープを聴くのが楽しみだと言っていた。さすが瀬戸内寂聴さん。
 私も頂いたテープを何度も聴いた。彼女の素晴らしさは”対機説法”にある。これは実に難しいことなのだ。自分の中にいくつもの話すネタがなければできないし、聴いてきたような話ではなくて、自らが体験したものでないと相手の心に響かない。男性で挙げるとすれば高田後胤師であろう。
 お二人が間違いなく現代布教の双壁だ。
 我々は足元にも及ばない。でも非常に勉強にはなります。
 こればかりは経験したことが無い人には判らないけれど、話を始めて一瞬、頭の中が真っ白になる事があります。ちょっとした事がキッカケでなるのですが、この時、私に救いの手を差し伸べてくれるものが実はあるのです。白状しますとそれが施設での体験なのです。この歳になり本当に有り難いと思っています。
 利用者さん一人一人に話のネタがあって、決して自分を正当化しているのではないのですが、その体験が全て仏教の教えに結びついてしまう。
利用者の人達のこころが仏心そのものだからでしょうね。
 日本人が忘れてしまった取るに足らない事かもしれません、実は実はそこにこそ釈迦が説き続けた真髄を感じるのです。親子の関係、食べ物を分け合う事、彼らが時折見せる涙、笑い、怒り・・・・・・全てがそうです。
 できる事なら、彼らが見せた沢山の教えを何かに書き遺して置きたいと思うようになりました。これは、もしかしたら間違っているのかもしれません。正直、確信が持てないのです。何故か、それは彼ら自身からそんな要望は聞いた事がないからでしょうね
只管 只管に 只管 表裏使い分ける事も無し。
 

1879:雷雨

凄まじい雷鳴と稲光、それに大雨。久しぶりの雨で木々は喜んでいる。停電に何度かなって、インターネットは通じない。今朝がた復旧できました。
 昨日の日中気温は36度、猛暑日となって頭がボーとなっていた。
 予定が立てこんでいると良い事はない。阿見町の寺の施餓鬼、布教を頼まれていた。1時からの法要で、終わってから高速で水戸に向かえば
会議には間に合うという計算だった。多少番狂わせもあったが予定通り、友部サービスエリアに車をとめて服に着替えようとした瞬間、用意しておいたはずのズボンとシャツが無い。家に忘れてきた。いつもは忘れる靴だけが後部席にちゃんと置いてある。なんとまーチグハグな事をまたしてもやってしまったものか。
 暫く考えた。法衣で審議会にでるのも、わざとらしいし、水戸で誰かズボンを貸してくれないかと思い浮かべたが、皆さん痩せていて私には履けそうもない。そこで社協近くにアオキが有るのを思い出し、駆け込んで事情を説明、スピード裾直しでOK.必要も無いのに感謝の気持ちでワイシャツを3枚買うハメに。
開会2分前に無事到着。
 その後、夜の宴会に顔を出し、帰路についた。先ほど焦った友部サービスエリアを通過するころ急に雷がなった。
 家に戻り、今日有った事を報告をすると、軽蔑の眼差しを諸に受けた。猫のミーちゃんがその辺を察知したのか、擦り寄ってきてくれた。なでてやろうかと手を出すと噛みつかれた。
 ”求不得苦(ぐふとっく)”まさにそれを実感した1日だった。
 本日。ここでオシマイ! 

1880:お盆

13日は盆入りで夕方には迎え火で御先祖をお墓よりお迎えする。土浦周辺では送り火は15日の夕方、本来は16日というのだが、何時の頃からか早くなっている。果たして100年後にはどうなっているのだろう。
 坊さん次第?
 本来、盂蘭盆(うらぼん)を略して”盆”と言うのだが、旧暦の7月15日の前後に行っていたものです。現在では東京・横浜周辺と沖縄位となったという。
 全国的には新暦の8月15日に行っている。盆帰省は、お隣の国程ではないかもしれないが、国民大移動で各地の高速道路や鉄道や空の交通手段は大混雑。お盆そのものは時代と共に変り神仏習合の形が地方に行けば行くほど色濃く残っている。
 姿は変われどもその根底にある精神は今日ほどその重要性を増していると感じている。震災より5カ月、津波で一切のモノが流され瓦礫と化した場所に新しい塔婆が立てられ、手を合わせる親子の写真が新聞にのっていた。何もコメントが記されておらず、その写真を見た者に様々な推測をもたらす。人間はいずれこの惨事をも忘れてしまうのだろうか。
 それじゃーお盆の精神とは何でしょう?簡単に言えば、利他の行いでしょうね。日本に伝わる仏教は様々な宗派に分かれましたが、分類学的には大乗仏教に入れられます。その精神が自利利他の教えと言えましょう。
 政治や経済の容で仏教国と言われながらもその様子は国により異なります。経済至上主義が余りにも強まると”共助の心”が薄れます。アメリカのオバマ政権が取り組んだ社会補償の充実は、当に強いアメリカが果たせなかった内政問題への挑戦、表には出ず累積された問題が一気に噴き出すリーマンショックもその兆候でした。最強で最も豊かな国アメリカは、いま足元から崩れようとしている。こうなれば大変な事態になって一国だけの問題では無いと様々な国々が戦々恐々としています。明らかに日本の取る対応策は変わらざるをえないでしょう。従来の技術や物を輸出することで経済を維持するという手法が今後も使えるかどうか?現状の維持すら困難となるでしょうね。素人考えですが。
 だって確実に労働人口が減り、社会補償費が増大し続けますもんね。菅さんが辞任を仄めかせば、一斉に次なる代表選出に関心が移る。なんで?どうして身の振り方がそんなに早く変えられるの?そんなことじゃーねーだろうよ。民主党内部の権力争いという低次元の問題で、またもや無駄な時間が浪費されるわけですか。なんともノーテンキな人達だ。呆れて開いた口が閉まらない。国民の全てがそう思っているんだから、全てですよ全て。今の財政状況で多過ぎる国会議員の数を持ちこたえられるか?時間の問題ですね。
 代表選に名乗りを上げた連中は、税金をあげるか否かを論点にしようと自己PR。これは可笑しいよな。アンタ達全員が2年前、なんと言って選挙戦を戦った?もう忘れたのかい。
 確かに震災復興予算は想定外の出来事だったのかもしれない。まだ、その解決のメドさえ立たない内に、彼らの関心事は全く次元が違う。震災を隠れ蓑にしていませんか!
 この政治の流れを変える手立ては無いのだろうか!
 有ります。  ・・・それは国民一人一人が政治に関心を持って政治屋を厳しく見守ること。これ以外には無い。時間がかかりますね。
腹が立ちますね。でも、いま我々大人がやらなきゃーならないことですね。閻魔様がそう言えと申しておりました。
 お盆には 先祖を加え 緊急会議。(一句できました。)
 
Q&A】

 ★何故、貴方は政治を批判するのですか?
  ≪答え≫ 多分、政治にどうにかして貰いたいという期待が強いんだろうと思います。
 ☆自分の事を棚に上げてと思いませんか?
  ≪答え≫ そう思っています。
 ★もう少し、違った角度から世の中を観る事ができませんか?
  ≪答え≫ できません。
             ・・・・・ネコ談話・・・・・
            

1881:通過点

61回目の誕生日、これといった感慨も無く迎えました。これまで生きてきたという実感はあるが、これから先どれだけ生きられるのかについては分からない。振り返れば一瞬たりとも立ち止まる事もなく、悲喜こもごも生きてきたといった印象を深くもっている。
 自分がどう考えどう行動に移そうが世の中はそれにお構え無しに流れていく。果たして人間は長年積み上げてきた価値観を簡単に変えることができるだろうか?他人の評価は様々、付き合いが良い悪い。常識の有る無し。若い時分は、それに目くじらをたてることもあった。相手にとっては気分が決して良いモノでは無かっただろう。
 私と年齢が近い人達で、カメラに興味を持つ人が急に増えたように思う。これには何か意味があるのだろうか。自然を相手にしていると人間関係の煩わしさは無い。それと家庭菜園もそうだ、自分で食べることもあるだろうが、外の人にあげる事を楽しみにしている。
 世の中の皆が皆、このような気持ちになれば諍いは自然と無くなるはずだ。
 最近身近に起こった事でも思い当ることはいくつもあった。それからこんな平和な国でも暴動がおこるのかと驚くニュースが多かった。ノルウエーでの無差別銃乱射事件、ロンドンでの暴動など、安定した国だと思っていた所でも悲惨な事件が立て続けに起こっている。
 ロンドンオリンピックが近づいた。必ずと言って良いほど大きなイベントがあると、それに呼応してキナ臭い事件が起こる。
 何故なんだろう?
 その背景は複雑で簡単に解決など有り得ない。当局は警戒を強め力で抑えようとするから、余計反発が拡大してしまう。昨日は新盆廻りを行った。こんなお宅があった。壁一面に張られた写真、息子さんの高校時代の野球の記念写真だった。
 もう社会人になり、家にはいない。家族にとっては良き思い出だったのだろう。写真を見ながら話をすると両親の目の色が変わり話しが止まらない。・・・・・・。これで良いんだよな。身近な事で喜び励みになって生きている家族、平和だなーと感じる時だ。
 中学や高校時代のクラブ活動で子供たちは多くの事を学ぶ。それが大人になった時に必ずいきてくる。仲間との一生の付き合いもそこから生まれる。スポーツが盛んな国は滅びない。今の日本の原動力は勝ち負けだけではなく、連帯感だと言う。なでしこジャパンの活躍は当にその見本であった。これほどまで日本人に感動と勇気を与えてくれたものはなかった。
 目標を高く持つことは必要だ。それと同時に勝負に表れない多くの大切なこと。
 誰しもが今を通過点として生きている。
 涅槃経に≪諸行無常 是生滅法 消滅滅己 寂滅為楽≫(諸行無常偈))とある。
 ・・・・消滅は苦であるとされる。これは消滅するから苦なのでは無く、消滅する存在であるにもかかわらず、それを常住なものであると観るから苦が生じる。・・・・・これが仏教の基本的な立場である。
 してみると、世の中におこる様々な出来事、これが一定でなく流動変化するものであるとする心の覚悟が我々には必要だ。通過点は当に変化の中になる。 

1882:盆から

震災に見舞われたということが日本人の心に何等かの影響を与えた。今年のお盆も後4件の他寺の施餓鬼手伝いを残すだけとなりました。今年はお盆中、いつもと違い電話での問い合わせが多かった。「送り盆はいつが良いのでしょうか?」「精霊棚飾りはどのようにすれば?」といった内容でした。それと、施餓鬼に来られた人達が一心に手を合わせる姿を何度も見ました。
 被災地の皆さんは大変な思いでお盆を迎えたと思われます。必ずや復興し、また、新たな活気が戻ると私は確信します。
 それは、日本の自然豊かな風土と人間の懐の深さを感じるからです。人造の環境は自然の復元力には適いません。屋根瓦の抑えに載せた土のうから植物が芽を出しました。なんと凄いことでしょう。雨が降らないとじっとその時まで待つ耐力が強まります。
 茨城から福島に通じる常磐道と常磐線の一部期間は未だ復旧はしていません。それは原発事故によって立ち入り禁止区域になっているからでそれさえ無ければもう復旧していたと思われます。
 私はこの国がこの先どういう方向で進むべきか、それを真剣に討議し、国民全員の責任の下で力強く再出発する時が来たと感じています。それが出来るかどうか?
 私は経済や政治の事は全くの素人です。ただ、自分で言うのもどうかと思うのですが、障害福祉と仏教に関しては自分なりの考えを持って、今日に至りました。これだって単独では有り得ません。世の中の全てのものとの深い関係があります。
 これから先を想う時、我々は過去の歴史より学ぶことが必要ではないでしょうか。我が田の話で恐縮ではありますが、紹介します。平安時代末の1130〜1140年代に真言宗の中興の祖と言われる興教大姉は腐敗した総本山金剛峯寺の内紛に深い憂いをもち、≪密厳院発露懺悔文≫を一筆で書きあげました。
 その偈文に書かれている内容は、そのまま現代に当てはまるものとなっています。いつの時代になっても人間のサガに変化は無いということなのでしょうか?
 利養を得んと欲しては自徳を讃じ、、・・・・若し善根をなせば有相に住し、還って輪廻生死の因となる・・・・・。
 ここの所で『有相』という言葉ですが、形態や様相を備えたものに囚われて生きることを言っています。これこそが仏教の基本的立場、四諦(苦・集・滅・道)に触れる処です。地位や名誉を求めて生きる中に大切な事を見失う。輪廻転生とは堂々巡りで繰り返されることを言うのです。
 ただ、解釈の如何では、混乱をきたします。六道と言っても、地獄から天まであります。死後の世界がどうかという事も
誰一人経験していないのですからハッキリしないのです、皆さん!!生まれ変わるということからすると、人間世界より天に生まれたいと思いますかね?
 今よりも少しでも良い状態で生まれたい。これが普通かもしれません。でもね。仏教はその繰り返しからの解脱の道を説くわけですよ。
 ただ、時代背景は無視できませんから、今日の日本、平安時代から比べれば何事も便利になっていて、私達はそれに慣れてしまった。ですから、多くの人達がまた生まれ変われるならば、同じ人間に生まれたいと思うのではないでしょうか?
 となれば仏教の教えそのものが時代に合わなくなってしまったことになるのでは?どうなんでしょうね。
 その時に一つの気付きを与えてくれるものがありますね、”福祉”という文言ですよ。”福祉=幸せ”と考えればなんとなく頷けませんか?一年に3万人を超える自殺者、一向に減少しないではありませんか。
 これは永遠の課題でしょうね。だってそうでしょう。仏教は四法印というものを掲げています。諸行無常〜一切皆空。
 全てのモノゴトは移り変わり、空であると結論づけているのです。
 残念な事に、日本では一般の人達が仏教に触れる機会が減ったと思います。末法の時代とは良くいったもので、仲立ちをする我々坊さんが奮起しないとならないと強く感じています。
 ・・・・・盆が終わって、ふと思いました。・・・・・。 
 

1882:イメージ

私の理想とするイメージが見えてきた。その詳細を語るには、未だ時が熟してはいないが、簡単に言うとミニ高野山作りである。空海が何故和歌山の山奥・高野に根本の道場を開くに至ったのか。四方に広がる山並みを八葉の蓮華とみなし、その中心に金剛峯寺とシンボルの大塔を建てた。空海の凄さは、東寺にある立体曼陀羅が示すように、5感をフルに活かした教えである。目から入る情報は分かり易く、ハッキリと心に残るものとなる。
 障害福祉の基本は、5感に何等かの不都合がある人を対象にする。リハビリテーション or ハビリテーション???
 障害福祉が果たして”新しい公共”で描こうとするイメージにどう組み入れられようとしているか、今もって定かではない。
 ここに私は空海の示した曼陀羅の思想がピッタリ一致していると見る。5感の相互補完性とでも言うのだろうか?
 全盲の人に視力を回復する訓練をいくら行っても無理、他の能力で代替する方法を取っているではないか!
国連の障害者権利条約の批准に関して、先進国ほど批准が難しいと言う。何故なのか?第四条にうたわれる障害者の権利実現のための立法措置や行政措置の整備が間に合わないからだ。雇用保険や年金、更には教育・労働分野にまで関わってくるから、そのハードルが高く、日本がいつになればその条約(2006.12.13国連総会で採択)の批准ができるか見通しが立たない。2011.7.27現在で世界では103か国が批准している。だが実際は「障害は個人ではなく社会にある」というこの条約の視点が本当に理解され指示されているとは言えないのではないか。
 内閣府に置かれた制度改革推進会議でも検討が重ねられ法の骨格は出来ているそうだが、財源の裏付けになると未だ不透明なのだ。理念先行で実行先延ばし?
 いつまで待っていれば良いのでしょう。 一方、我々事業者サイドも本気でやる気があるのかどうか?正直、障害者の自律観を一つとってみても実態に相当の開きがあることは否めません。
 地域生活と言葉では言いますが、その内容はお粗末で健康であればどうにか継続できても何かがあれば即、お手上げとなる。
 サービスを提供していく中で様々な課題が見えてくるものです。その未解決の言い逃れに制度の不備が使われた。制度そのものが障害者の人権法に抵触しているという厄介な矛盾を持っている。≪原則として≫とか≪出来得る限り≫という文言が添えられるのがそうだ。
 実態と理想の齟齬はいつになっても存在するものでしょう。
 一方、批准をした103カ国の実態がどうなっているかの詳細な報告はない。健常者と何ら変わりのない社会生活ができているかと言えば甚だ疑問があります。9月にまたJICA筑波からの依頼を受けて南米からの特別支援教育研修生の訪問を受けるが、それらの国の法整備は勿論、仕組みが日本の比ではないと直ぐに分かる。
 日本の場合はingという実態を大目に見ても、その方向性が見えてこないというのは何故なのだろう?国全体を見ようとするから無理があるのかもしれません。確かに日本だって素晴らしい実践がなされている所もあるでしょう。障害の差異と人間の多様性を認める我々の立場からすれば、実践の差異があること事態が寧ろ自然なのかもしれません。これは言葉のマジックではなく、我々自身の問題なのです。
 空海は真言宗の宗祖である。しかし、彼にはその意識はなかったはず、日本をどうすべきかという大義だけがあった。
だからこそ”マンダラ”という宇宙観の教えを広めようとしたのである。そこには障害の有無や男女の差など全く無い。
 1200年の年月は、1宗派に拘る動きが仏教界に蔓延、排他的な活動が是とされ、仏教の根本の教えが分かりづらくなった。
 

1883:やれやれ・・と

急に2人の利用者さんが入院することになった。夏帰省で実家に帰っていたHさんが体調を崩し、土浦協同病院へドクターヘリで搬送された。幸い大事に至らずに快方に向かっていると聞いていたが気になったので見舞った。カーテンで仕切られた大部屋にいて、元気そうだった。家族が見回ってくれている。もう一人は歯が腫れ食事が取れないという。暑さもあって入院し点滴を受けることになった。やはり、家族が病院に付き添ってくれるという。
 最近は家族が付けないケースが増えている。それでも入院する人は増えている。次から次に。
 昨日は利用者さんの親が亡くなり、葬儀に本人を連れ職員が参列、。。。。
やれやれ・・と思う事ばかりが増えにけり。
 『官僚の責任』古賀茂明著、PHP新書を病院の帰りに本屋で買った。公務員制度改革を内部から推進、頻繁にメデアに登場、公共の電波を通して実態の暴露、更に本に書いて一躍時の人となった。先月、某小宴でその人の話が出たので読んでみようと思っていた。
 霞が関の内部告発・暴露?、私は正直違和感をもって読んだ。民間であればこのような言動をすれば即刻首だろう。公務員なればこそ身分保障されているからできるとも言えまいか。彼がこの事をも改革するというのであれば話しは別。
 視点を変えて、中国の国内問題は山積、中央政府がいくら手を回し情報流出を防ごうとしても無理。そうかと思えばインドの公務員の汚職が酷いという報道があった。
 どこの国でも問題を抱えている。平和や安定の尺度がない時代となった。安心とはどういう事なのかさえ曖昧になった。
 福島原発のその後の情報が小出しに出されて来る。フクシマの子供の内部被爆を検査した結果、45%の子供が被爆していると政府が発表、それも直ぐに何らかの医療的手立てが必要な被爆量なのかどうかの基準が示されない。不安を煽るだけではないのか。
 周辺の状況は一刻一刻変わっている。これから米の収穫期に入り放射能汚染の有無如何では日本の食糧供給は大混乱をきたす。果たして、その辺の対策は出来ているのでしょうか?国会は事実上審議停止状態、議員の関心は次なる総理の選出に移った。あわよくば重要ポストが自分に回ってくるかもしれないと取り巻き連中は画策している。
 六道輪廻の餓鬼世界を見る思いだ。エサに貪り付く餓鬼達。一方、国民は憂い嘆き、諦めと閉塞感の中に置かれて久しい。誰ひとりとして何をどうすれば良いのかが浮かばない。自分だけ良ければと考える輩が急増殖して、このまま進めばジリ貧で日本は最悪のシナリオを突き進むのか。
 ガンバレ日本!耐えて耐えて耐え抜けと、尻を叩かれ遮二無二生きよ。戦後65年が経って、世代交代が進み、価値観の多様化と格差社会、決して平穏な航海は、この先望めまい。
 本当にここで踏みとどまって上手く次世代へのバトンタッチができるのでしょうか。国民総ウツ状態?
 いま我々が出来る事は何か?そう考えた時、各自が”夢”を語ることだと私は思う。なんだー夢か!とか言わないで、ある意味ではピーク越えした完熟社会の後遺症に皆が悩み苦しんでいるわけだ。老いを楽しみ、身近な喜びを大切に育てる。これこそが唯一現代人が提起できるユートピアではないだろうか。
 

1884:継続or変革?

継続か変革かと言われれば、どっちもだ。何を続けてどれを変えるかが問われている。そこに個人的利害が入り込む隙は無し。政治家の使命は、本来そこにあったはず。しかし、なんでこうなったのか?ハッキリとモノが言えない議員が多くなり過ぎた。ならば政党としての明確な方向が示されているのだろうか?マニフェスト?画塀に帰した。この状態がここまで長く続いている国は少なくとも先進国と言われる国には見当たらない。リーダーが育たない国育てない国、この原因はいろいろ考えられるだろうが、保身以外に関心を持たず危機感を感じない政治構造が問題、理念なき人がいくら代表として国会にいっても、烏合の衆と化すだけだ。言い訳とパフォーマンスに国民はソッポを向く、これが政治不信の実態だ。今月末に行われるだろう民主党の代表選、名を連ねる誰ひとりとして、この国をどうしたいのかという明確な方針を示せない。人気取りゲームで勝ったものが次の総理?結果はやる前から明らかだ。多分短命内閣で終わるだろう。
 外国と比べ日本統治の歴史をみるとその特異性が見える。鎌倉時代の朝廷と幕府の2大政権が徳川幕府で完成し長期統治が行われた。その後、明治〜大正〜昭和の激動の時代へ、そこには日本の独立した存在が脅かされ止むにやまれず武器を取った時代があった、多くの犠牲者を出し、その霊に報うべく残された者達の連帯と頑張りがあった。そうせざるを得なかった事情がハッキリしていた。中央と細分化した地方自治体、それぞれの役割があって縦の関係が出来上がってきた。市町村合併がはかられ地方の様相も大分変わり、政治と行政の有り方の見直しが進んだ。しかし、旧態依然として何も変わらずに最後まで残ったのが国会と中央省庁、そこに複雑で表に表れない仕組みが出来上がり、何か問題が起こる度に改革の必要性が叫ばれたが、目くらましにあったような看板の付け替えだけで中身は何ら変わらずに継続している。
 それが白日のもとにさらけ出されたのが、今回の東日本を襲った大地震、対応の遅れと責任の所在の曖昧さ、誰がどう責任を取るべきなのかさえ分からないで大混乱。
 過去の激動の時代と大きく異なるのは、他国からの侵略の恐れが薄く、国内問題だという捉え方にある。
日本の国体をどうすべきかという議論をするには分業化されすぎて、どこから始めてよいのか分からない。小手先の改革の域を出られない。
 過去の変遷から見れば戦後の日本は高々65年が経過した程度。敗戦を体験し国の存続を一度諦め(?)無条件降伏を宣言した日本、その復興が確かに他に類がない程のスピードでなされた。隣国の南北朝鮮は戦後2分され、違った政治体制で今も存在している。ドイツはベルリンの壁が崩壊した後、東西融合に多くの問題を抱え、それを克服し今の繁栄を勝ち得た。共通貨幣ユーロを考え出し、ヨーロッパ圏域の中で相互の利害を上手く調整する仕組みを作り上げた。
 一方、日本は島国として分割されることも無く今に至った。世界史的に見て特別であったと私は思う。憲法9条の議論は、国の責任をどう考えるかという問題、国防や外交は不戦を誓ったことで緩やかな対応ができた事も現実にあった。
しかし、世界の動きは常に流動的で紛争の火種は常に存在している。
 日本の中央政治に国民が不信を持っている。これは、限られた情報しか知らされていない国民と自らの責任を放棄した多くの有権者達の問題である。井の中の蛙とか平和ボケという揶揄した言葉遊びは、次世代の子供たちに対し無責任である。
 ハッキリとモノが言えない政治家を作り上げた責任は、自らがハッキリと意見が言えない我我の責任なのである。

1885:自立

ミイの家出・・・家に帰って来なくなって4日目、いつもなら私が帰宅すると待っていて家の中に入ってきた。生まれて間もなく捨てられたミイは体が弱く、1週間毎日近くの獣医さんに通い、どうにか一命を取り留めた。それから1年が経ち、もう高齢になったハナとどうにか同居、しかし、ハナはミイがジャレてむかっていくと凄いうなり声をたて嫌がった。
 いまどうしているのか分からない。呼んでも帰って来ないし、どうも近くにいる気配を感じない。
 ミイはオスである。彼は私が思うに一宿一飯の恩義は忘れていない。老齢のハナに申し訳ないと考えたかどうかは分からないが家出を決意、自立した。
 人間社会でも子供が親元を離れていくのは当然である。それを自立とみるか否かは別問題。
 この4日で変わった事がある。それは残されたハナの動き、急に私に擦り寄ってくるようになった。ミイから隠れるように本棚の上やイスの上で過ごしていたのが、ソファーの真ん中に堂々と寝るようになった。私としては複雑な気持ち。でも、ミイちゃんの事は気になってしようがない。
  ここ1年、尚恵学園の内部では集中して検討見直し作業を行っている。現状の課題の洗い出しと具体的な対応とでも言えば聞こえは良いが、実は自分も含めスタッフの意識変革を狙ったもの。
 事業所としての歴史があるという事が今の時代果たして良いのかどうか?意識しないと以前からのやり方を踏襲していればそれで良いと考える。それが無難で楽なのだ。
 そして、できない言い訳と学ぶ姿勢が薄れる。時間だけが経過し、何も変わっていない。問題を問題として感じない。
 これをマンネリ化という括りで良いのか。否、我々は評論家ではない。現に利用者との生活がある。
 こう考える切っ掛けになった事にいくつか思い当る事はある。
 本来福祉は敏感で無ければならないはずが世間に疎い体質もあり、私から見れば工夫が足りないという不満は常にあった。
 ”焦り”というのではなく、”危機感”である。福祉に対する世間の眼は確実に変化している。事業者への不満が増えている。これを当然と見るか否かは外部の意見に耳を傾けることで分かる。
 その不満の根底には、社会保障の持つ宿命、公金を使って運営されている事にある。最悪の財政状況の中、社会保障費は毎年1兆円という膨大な支出が自然増加する。今までの蓄えを使い果たし、なんらかの理由を付けて借金で賄っている実状は変わらない。変えなければならないと誰しもが思っているにも拘わらず、それを言わない。
 日本が成熟国家だとは思わない。だが、どうでしょう?惰性と諦め。個人主義の横行闊歩・・・・・・。豊かさと便利さを求め続けた結果、なにか予想していなかった事態が進んでいる。こんなはずじゃー無かったと。
 強いリーダーがいないと嘆くのは、無責任。痛みを覚悟し、将来への展望を示す事が下手になった。何しろ目標とするお手本が無い。夢遊病者の如く、当ても無く彷徨う人間が確かに増えている。
 政治家に言いたい。貴方達が知り得る情報を国民に公開すべきだ。国と地方を合わせて1000兆円という借金、国民一人当たり780万円になる。何故、このことで民意を問おうとしないのか!無駄の削減が何故進まなかったのかその報告が無い。鳴り物入りでやったことが尻つぼみ、一番の理由はなんなのか、総括的評価をすべきである。
 夕張市の破綻後の動きがニュースで全く報道されない。社会福祉法人の関係者は、よもや国は社福を見捨てはしないだろうという思いがどこかにある。だが、国が破綻すれば、一先に処理の対象になるのは明らかだ。その瀬戸際に立っていることを政治家に認めてもらいたい。それが出来ないのは自らの身に降りかかる事を恐れているとしか考えられない。
社福も自立しないと。。。。。規模拡大のメリットは実はそれ以上のリスクがある事を学ぶべき。
 その理由は言わんでも分かるでしょう。
 

1886:3つの気

詮ずる所、自己満足なんですよ。ここにきて”気”という言葉が妙に頭に浮かぶんです。お隣の韓国は建物を作る時に風水を大切にするという。地形と方向、それと気の流れを見るそうです。
 日本語に気を使った言葉は沢山あります。直ぐに思いついたのが3つで@元気A本気Bやる気です。これは心身の活力とでも言えば良いのでしょうか、感情や衝動の元にあるものです。
 弱気になって気持ちが萎えてしまう状況が巷に溢れかえっていますので止むを得ないかなと納得してしまいます。
それへの反発ですね。
 気には人間が存在している現象を示し、存在する訳を理と表現する。理気二元論というものがあるそうだ。どうせ生きてるならば元気にと誰しも考えるわけですね。でも、生きている(存在する)訳となると単純明快な答えは見つからない。
 各自バラバラでそれを纏めるとなると、もう不可能です。今風に言えば生きる価値観とでもいうのでしょう。
 借り物で無気力というのはいただけない。そこなんですね。本気とやる気の二つをあげる理由は。
 人間の感情は無尽蔵、それではちょと説明しにくいから”煩悩”という括りの中で108個並べた。そして煩悩即菩提とか生死即涅槃という仏教の教え、これは2つの相反する現象を対立して捉えるのでは無く、究極には1つであると観ずるわけ。
 いやーもう訳が分からん。
 それが正直な思いですね。世の中の仕組みやルールはそんな風にはなっておりませんし、事業の成功失敗、できれば成功させたいと思うのが常です。
 デフォルト(default)という言葉が最近良く出てきます。債務不履行という意味です。オバマ政権が国債発行の上限額を上げないとデフォルトを起こすと大騒ぎしました。日本でも今年最高の負債額(4300億以上)で倒産した安愚楽牧場、和牛オーナー制度で全国に7万人以上の会員に膨れ上がり、いまその訴訟問題が全国で行われています。これもデフォルトですね。
 世界の経済活動が実は危険と背中合わせ、上手い話しには裏があるということですね。
安愚楽という名前を誰が付けたのですかね。今となれば何か人を馬鹿にしたような感じをうけますよ。愚と言う字は「おろかで鈍い心」という意味があります。その愚を前に安で後ろに楽で挟む、これは最初から疑わないと不味いでしょう。それがなんと30年続いたと、債権者に申し訳ないが自業自得ですね。
 こんな事例、世の中には万とあります。
 だからと言って”猜疑の目”でばかり世の中を見ていたらたまったもんじゃー有りません。こんなにつまらぬ人生はありませんから、一人勝ちは有り得ないし損して元取れで御の字だと思わないとならんでしょう。
 まっ これだってそうだ。私はやらないがパチンコです。損すれば元を取ろうと余計深みにはまる。
 こんな話をする積りじゃ無かった。
足元を見ないといけないな!福祉事業これが市場の原理を取り入れた。事業から得た収入に箍をはめず、それを事業の成果とみる。事業の拡大は、その結果だと。ここにデフォルトの危険が潜む。福祉は一発花火じゃない。継続することに意義があるわけです。
 ですからね、元気・本気・やる気の3つをあげた次第なんです。
 一粒の種を育てるか沢山種を蒔きその中から芽が出た一つを育てるか・・・・これは時代により微妙に変わる。

1887:同級生

昨日は本当に久しぶりに同級生4人と一緒にゴルフをやりました。近くのゴルフ場でオープンコンペがあるから出ようという誘いが前にあって実現したものです。生憎の雨、それでも100名程参加したようで、好き者は何処にでもいるものです。
 60歳以上の参加者はゴールドテイというハンデイが付いていて、いつもより大分前でテイショット、それが良かったのでしょう43:46という満足のスコアーで廻ることができました。
 4人は小学校の同級生、お巡りさん・先生・会社員・それと坊さん。なんとまー不思議な組み合わせ全員が61歳。
 不思議なものですね、変ですね、50年前にタイムスリップ、楽しい一時をすごせました。
 皆さん定年を迎え、継続して勤務されている人もいますが、一度退職した後の再就職ですから責任と給料は大分減ったようでした。話しがどうしても自分の体調や同級生の話題になるのは常の如しで今まで元気だった友人が体調を崩しているとなると自然と口が閉じる。いずれ我が身と誰もが感じている。
 そんな1日、表彰式を終え帰る頃には雨がすっかり止んでいました。
 今日は泊りがけの施設長会議、大洗で開催されます。現役の施設長達がこれも100名程集まり、日頃のストレスを発散する、飲んで騒ぐだけでは無い。部屋に戻り、いろいろと話をする。最近の宴会は立食やテーブルが殆ど、この研修だけは大座敷で浴衣姿、20年以上も続いているのだから。さーて、今回はどうなることやら、ちょと心配だが早目に向かうことに。
 携帯やパソコンという便利なモノが出回り、人と人とのコミュニケーションの取り方が昔とは随分変わった。相手の顔を見て話す機会が極端に減った。様々な研修での宿泊は個室、畳の相部屋など全く人気無し。負担になるというのだ。
 本当はそれでは交流はできない。盛り上がらず形式的な挨拶程度、何か新たな事をやろうとか言う時にそれでは生まれない。
 先の津波で今日の会場のホテルも被害にあった。今年の夏は風評被害で海水浴客が激減したとか、。。。。。『がんばっぺ 茨城』
掛け声だけじゃー駄目、まだ営業開始できていない所が沢山ある。本当にどうにかしないと。
 元気がでるようなアイデアが今回は出るか否か!よーく耳の穴を掃除して聞いてみよう。
 今が良ければ後は構わずでは×。原発事故の経験が果たしてこの国の新らしい姿を考える上でどう影響するだろう。
 いまこそコミュニケーションをはかるべきである。拙速に中央で答えを出すべきではない。被災地へ対策本部の根拠を置き、地元の意見を良く吸い上げるべきだ。
 茨城県の震災被害が2兆5千億と言う。もの凄い金額だ。日立港や鹿嶋臨海工業団地が特に被害が大きかった。それと農業県の茨城は放射能汚染の問題が諸に影響している。
 

1888:お帰り!

”猫帰る!” なんで9日も家出したんだよ。ミイちゃんよ。それがなんと9日目の朝、自分で帰ってきた。
 ヤツレタ様子は無く怪我もしていない。どこで何をしていたのか?まあ よかった。
 その朝、ハナがもの凄い勢いで怒った。想像だが「なんで帰ってきたんだ!やっとお前がいなくなってユックリできると思ったのに・・・」そして今度はハナが出て行った。
 ・・・人間世界と同じだな・・・・・・。1日が過ぎ、今朝、外で寝ていたハナが背伸びしながら家に入って来た。家の中で寝たミイを見つけても、怒らなかった。
???????。猫の気持ちを察するに、この間、2匹とも良く考えたのだ。これから寒くなる。この辺で妥協したほうがお互いの為だと。いま、子供たちが皆・・家出してしまったから、我が家にとっては大切な2匹、どうも言葉が理解できないから、表情や鳴き声で想像するしかない。
 昨日は大洗での恒例の1泊の研修、大勢参加してくれた。会議だけで帰る人もいるが、泊って夜遅くまで会議する人もいる。大体、そこで話された事は忘れてしまうのだが、結構、本心で話すから後腐りなし。私の一番の苦しみは同室の面々の”イビキ”4人の雑魚寝、またもやその波状攻撃を受けた。その時、部屋を飛び出したくなった。
 朝方、歌い出す人もいたり、点呼を始める人もいた。これら全てが寝言。
 朝風呂に入り、日の出を見た。3:11.その時、海沿いにあるこのホテルは寸での所で津波の被害は受けなかった。風呂の窓越しに太平洋を見ると穏やかな海で小さな波が岸に押し寄せていた。遠くに漁船らしきモノが見えたが、いつもよりは少ないように感じた。
 さてと こうやって時間は止まる事をせず、常に流れていく。前回は一緒だった仲間がいない。寂しい限りだが、これを受け止め、いずれ我が身もそうなるのかと考える。
 世の中を憂いることは簡単だ。しかし、誰かが本に書いていた。・・・これからは大変な時代になると皆が皆こぞって言うが、いつの時代も大変だった・・・・・・と。
 これが正解だ。大変だと思う時は、ある一面を見てそう言う。その裏には気付かない数知れない恩恵を享受しているはずだ。だってそうだろう。2500年まえ、キリストや釈迦や孔子がどう考えたか、近年では明治維新、日本の夜明けを望み、自らの生命を賭した志士達、現代を見れば敢えて言う事もない様々な課題が目白押し。
 日本人全てが円高で、外国を漫遊し始めたらどうなるか!押入れの奥に仕舞い忘れた不要なもの、ここまでモノが溢れた日本には、内需の拡大と言われても、本当に必要なモノが何なのか?誰だって分からない。
 そんな時、人間は賢い動物だと思うのだが、金で買えない大切なモノを見出す術を持つ。
 昨日、買った自転車の電気が壊れ、修理に土浦イオンに行った。修理が終わるまで店内を当ても無く歩いていたら、ペットコーナーを見つけた。小さな犬達がショウウインドウの中に寝そべっていた。何してるんだろう?廻りには家族連れの人達が一生懸命見つめている。ガラスの上に値段が書かれ、其れをみながら何やら相談している。
 そうか、子犬を買いに来ているんだ。
 ・・・・・・・。私は今まで猫や犬を買った事がない。いつも捨てられた猫だった。

1889:ネットワーク

ネットワークとは人的交流だと私は思っています。澱みなく主体的にお互いが何らかの得る所がある関係とでも言うのでしょうか!
 昨日、筑波大のK先生と話す機会がありました。その切っ掛けはというと、”健康器具”です。あるところから器具一式を頂くことになり、それをどう利用するか悶もんとしていたところ、人を介しK先生が紹介された。
 先生は事前の私のメールからイメージ図を書いて持ってきた。
 話しを伺い、さすがだと思った、今すぐにでも具体的に実現したいと思った。
 話の中で、学校の教育現場での最近の実態を伺った。『さんま』という話が出る、最初,明石家さんまの事かと思った。そうでは無く三つの間という事らしい。空間・時間・仲間の3つ。最近の子供達に無くなってしまった間、そうかも知れない。昔ならガキ大将がいて暗くなるまで外で遊び廻り親から怒られた。そんな事が本当に減った。ウーム頷けるなー、全くその通りだよな。
それと大人達の問題としての『間』があるという。それは『手間』だというのだ。親が子に手間をかけ無くなり、学校や塾に丸投げ。なるほどなるほど。
 それと学校現場での深刻なものに、イジメがどんどん陰湿化していることがあるという。これは教育現場だけの問題では無くて日本社会のあらゆる処に蔓延してしまった実態だ。昔の日本にはあったものが今無くなった。それとこの夏の節電対策、蓋を開けてみたら供給電力に随分余裕がある。何の疑問も感ぜず無駄な電気を使うように仕向けられてきたという良い例だという。
 ここまでが前段の話。
 昨日、謹呈のスタンプが押された一冊の本が届いた。『地図に消えた町の残照』ある社協マンの記録:著者は高校の同級生、今年三月に定年となり、その記念に出版した。新聞でその記事を読み、早速祝いの手紙を書いた。そしたら昨日、思いもかけず、本が送られてきた。
 高度成長期、社協に就職し、定年まで続けるという人間は珍しかった。何しろ社協そのものがまだ無かった時代だ、自分が住む町に社協ができたと同時に就職し定年まで社協マンを続けた。その彼が書いた本、前書きを見たら、私も良く知る I 氏だった。
 この二人に共通するものは、定年後、楽しんで新たな仕事についていること。
 それから社会に対し、ある種の厳しい目(?)で見ていたように私には思える。それも独特の身のこなし方で。アウトサイダーと言ったら多分怒るかな。お二人とも職場で存在感が大きかった人達だ。やる事をやったし、そこに居るだけで職場が和む。それとネットワークが凄くてそう簡単に真似などできない。これだってハッキリとした信念があればこそだ。
 ここで前段の話とリンクする。
 空間を地域と考えると福祉の実践が理解し易くなる。時間は定年後の自分で自由になるタイム、仲間、これは、人生で知り得た人々。そう考えると自ずと時間が流れていることと縁を感じる、そして老いを楽しむヒントが浮かぶ。高齢化社会を負に考えるようになって、国として容が作れなくなった。長生きが何故悪い。世の老人達よ。日比谷に集まれ!旗を立て、永田町までデモろうよ。
 竹を想像すれば直ぐに分かる。沢山の節があり、それが見事に繋がってしなやかで折れにくい一本の竹となる。竹藪と竹林、語呂は違ってもよく整理された所には蚊がいない。竹の根、もの凄いネットワークだ。竹を割ったような性格と言えば、評判がすこぶる良い人間である。この発想をもっと多くの人々がしたほうが良いと思います。

1890:ある意見

新生 ニッポンの掛け声は立派だが、どこをどうすれば良いのか誰しもが分からないのであります。この”混迷”状態から脱け出すことが出来ない。
 現在、寺では工事中です。建物を改築することになり、解体は既に終わって基礎工事、耐震基準が変わって調査したら杭を打つ必要性が判明、大きなドリルで穴を開け、そこにコンクリートを流し込む作業が始まった。
 出先に電話が入った。恐れていたことが起こった。パン工房で水が出なくなったという。業者に連絡、調べてもらうように指示し、その結果を待った。結局、杭を39本打つ中で水道パイプも巻き込んで切ってしまった。どこから水道を取っているのか図面が無い、私が水戸から帰宅したのが5時過ぎ、まだ修理は終わっていない。調べれば調べる程、謎が深まる様子。
 結局は夜中の12時ちょっと前までかかってやっとパイプの連結が終わった。
 雨の降る中での穴掘り、苦闘の半日であった。これもきちんと図面に表していればなんて事は無かった。それがしていない。建物が少しづつ増え、その都度パイプの総延長が伸びた結果だ。
 地中埋設というのは冬場の凍結を防ぐためには仕方がない。人工的に作ったものは、その辺の見通しを持ってやらねばならない。その場しのぎの工事は必ず後後問題が生じるものだ。
 所々に開閉弁を作っておくのがせめてもの防御策。
 どうしても触れなければならない事にポスト菅の選出のドタバタ。マスコミが面白おかしく取り上げるから余計腹がたつ。
 大多数の国民は私と同じ気持ちではないでしょうか!今回は最近に無く酷い。国民不在もいいとこで限られた民主党議員だけで騒いでいる。一国の総理を選ぶのに、このザマはなんだ!これってどう考えても腑に落ちない。
 大物とか言われるほんの一部の人間が天下を取ったかのような振る舞い。踏み絵・ゴマスリ・騙し合い・・・・
 永田町界隈の水道管はどうなっているのでしょう?太いの細いの、どこでどう繋がっているのやら皆目分からない。
 時を同じくする島田紳助の芸能界を去るというニュースも騒ぎ過ぎ、彼はそんなにお笑い界では大物だったの?興味が無い人に取れば名前さえ知らない人間だ。引退の理由の如何に関わらず、自ら辞めることを決意した。一方のドタバタ騒ぎは、公金ですよ公金。彼らは税金で生活しているんだ。辞めると言って辞めなかった元総理が菅さんが中々辞めないと批判する。アンタに言われたくないわというのが本心でしょう。そうかと思えば、党員資格が無い人が仕切り役で活き活きしちゃって、どうなってんの民主党。あんたら黙っていて良いのかよ。有権者はその辺りをよーく見てるんだからね。
 これは何時の世も同じなんですね。廻りに侍る人間が問題、言う事きかない人間を排除し、イエスマンばかりを重用する。この結末は歴史が証明しています。奈落の底に落ちるんです。これ真実なり。
 暫くこの状況が続くでしょうね。誰を便りにしたら良いか分からない。結局、自分さえ良ければと思う人間が増え続け、責任を果たすことが無くなる社会になる。
 これだって実を言えば、人間の生来もっている欲でしょう。頭デッカチ人間が増え過ぎて、足元が見えない。頂上ばかりみて剣岳を登るようなものである。
 ・・・見えないパイプに 苦労して 後先構わず 応急修理・・・・・・。