源究124

  

No テーマ 月日 No テーマ 月日 No テーマ 月日 No テーマ 月日
1991 号外 12/20 1996 損害賠償 12/25 2001 暗中模索 12/30 2006 1日1頌 1/4
1992 サイバーカルチャー 12/21 1997 至福の一時 12/26 2002 大晦日 12/31 2007 ネバーギブアップ 1/5
1993 当たり前の事 12/22 1998 今年振り返り2 12/27 2003 初夢 1/1 2008 砂上の楼閣? 1/6
1994 比較の危うさ 12/23 1999 狐疑逡巡 12/28 2004 覚悟 1/2 2009 誓い 1/7
1995 今年振り返り1 12/24 2000 節目 12/29 2005 明日は我が身 1/3 2010 回想 1/9

1991:号外

昨日、北朝鮮金正日総書記の突然の逝去のニュースが全世界を走った。絶対的な権力をもった人だったから様々な憶測が飛び交う。後継者として3男を指名、その人物はベールに包まれた部分が多く、この先どうなるのかという不安、特に日本や韓国にとっては保有するミサイルの射程圏内であるから非常事態で情報収集と後ろ盾のアメリカとの連携した対応をと官邸の慌しさが手に取るように見える。
 核兵器を保有しているか否か、福島の原発事故で日本はその復興も儘ならない時に、なんとも核の脅威に直面させられている。
 遣る瀬無い気分だ。
 日本が平和ボケで時間を浪費している間に世界は目まぐるしく変化している。国会審議の貴重な時間に”政治とカネ”に絡んだ攻防?にどれだけの時間を割いてきたか。そんな空虚な話題より有事に対して備えが十分かと言えば、答えはNO.
 机上の空論をどれだけやれば気が済むのか!
 お隣の韓国が取った領海侵犯した中国漁船拿捕の対応、その報道からも韓国の本気さと凄みを感じた。それと比べ、なんと日本の対応がチグハグで弱腰なのか!
 トップの覚悟を感じない。イミョンバク大統領になって、日本は何人総理が変わった?他国のお家の事情とは言っても世界から呆られているに違いない。だから根本の改革に勇断を下せない。
 平和ボケには危険性を孕む。有事の際の決断の無さ。平時の際のぬるま湯的な凭れ合い。このように観てみると日本は珍しい国である。国政と同じ構造が地方にもある。地方議会で議長の交代など頻繁に行われる。それと専門委員会などもう誰が委員長なのかさえ判らない。これをなんと説明する?
 政策で何を結果に残すかという根本の使命がスムーズな運営の優先に負けている。
 このままいくと日本は筋書きの無い糸が切れたタコになる。風向きで方向が変わり、どこに飛んで行ってしまうのかさえ誰も判らない。
 先週あった会合で、出席者から話題が暗いという意見が出された。その方は、初めて参加したのにという前置きをした。
 ここに今の日本の実態を見る。物事を決める際に自分達は模様眺め、自ら汗を流すことはせず、チャンスと見れば獲物を横取りする。話題が暗いことを批判する前に、自分達がやるべき事があるはずだ。
 東京の義務教育現場で校長を希望する人が殆どいないという。管理職という責任の重さ、何も判っていて見す見す引き受けることもあるまいと考えるようだ。
 平和ボケという言葉は好きではない。
老子道徳経に『被莫大於無敵、無敵斤亡吾寶矣』(第71章)なるものがある。無為自然を説いた老子の思想は、現代の彷徨える日本に一石を投じることができるだろうか?
 暗い話題を避けるようになってしまった。これは真実を直視せず目を逸らすということだ。浮かれた話に我を忘れ、惰眠を貪ってきたツケは、至る所に噴出している。
 それを平和ボケと言うのであれば全くの同感である。
 

1992:サイバーカルチャー

コンピューターネットワークの進歩に伴い、新たな問題が起こっている。サイバー攻撃は当初は軍事目的で相手国のコンピューターに不正にアクセスして意図的に混乱を生じさせるものだった。それが今では企業などが標的にされ、企業のイメージダウンが狙われる。
 ITの進歩と共に生まれた新たなコミュニテイ、人間同士のネットワークにおける相互作用とか人間と情報科学や技術の様々な関係をサイバーカルチャーというそうだ。
 当然、経済活動も大きく変化した。どこの街に行っても個人商店は昔の活況など無くなって、シャッターが降りているか、上がっていても客の姿は殆どみない。量販店が津々浦々に進出し、客集めに躍起になる。ネット販売もあらゆる品物を取り扱い、銀行のカードで家に居ながら好きなモノを手に取ることができる。年末のこの時期、宅配業者は大忙し、留守中に置かれたメモで連絡すれば直ぐに届けてくれる。
 携帯電話も機能が日進月歩、スマートフォンなど使ってみたいと思うが宝の持ち腐れと判るから、今なお昔風のものを使っている。
 日本は特殊なのだろうか?それとも世界的な流れ?
私が関わる葬祭業、これが競争激化で驚く実体がある。病院とのネットワーク、患者さんが亡くなると連絡が入る。葬儀のメニューに定額制を導入、弔問客の人数でいくらという明朗会計。しかし、それでは商売にならぬから様々なオプションが付いている。BGMも生演奏?バイオリンとエレクトーンと宛らホームコンサート。
 これも業界の営業努力?しかし、最近気になるのは葬儀の予約制度。ここまでやるんかい。
 当然、坊さんだって品定め、多分極秘のデーターで坊さんのランク付けスリーAからCまでと。あの寺の住職はお布施が安いとか高いとか。お経の声が良いとか音痴とか。衣姿が良く似合うとか不細工とか。。。。。。
 いくらだって世の中の変容を挙げる事はできます。しかし、どうですか?限度をどの辺で決めるかですよ。結局、無駄が生まれますからね。
 一つの例、旅先で携帯の充電切れの経験は誰しもがしていますよね。電気の切れた携帯ほど無用の長物はない。慌てて充電器を捜し求めることに。それが機種によって接続端子が違うときた。コンビニで売っているのは知っていたが、私の携帯にあうモノは殆どの店に置いていない。何故だと聞いたら、古い型ですからの一言。
 なんで共通の端子にしないのか?ユーザーに優しい商売になっていません。使い捨て文化にドップリ浸かってしまった今の日本の実態です。
 恐ろしいのは、多くのことが人間を介在させない方向で進んでいること。だから人との関わりで新たな問題が起こっている。
 相手の眼をみて話すことができないなんて序の口、対面式でなくカウンター式の居酒屋で何を話すのか?
 各地の温泉宿は昔風の畳の部屋は流行らない。他の誰かと同室なんて社員旅行を企画をしたら、参加者は激減。
 年賀状を書くシーズン到来、昨日イオンに買い物に行ってチラシを見つけた。年賀状代行のもの。確かにパソコンを使ってそれぞれ工夫を凝らした年賀が出てきた。その反面、自筆で書いた年賀状は殆ど無くなっている。
 どうも、世の中が本来の目的からかなりズレたものになってきているのではないだろうか?もう一度、自分の身の回りを見つめ直すことが必要でしょうね。
 

1993:当たり前の事

”嘘をつかない””信用だな””相手から教わる””・・・・・・”
 5人ほどのいい爺さま達が集まった、狙いとしては定年前の先生を励まそうという事だった。そんな事、スッカリ忘れててんでんに喋くった。10時になるのも判らずに3時間以上も話題に事欠かず、過ごしたのだ。
 そこで全員に共通した結論が、人間は信用が一番ということ、一国一城のアルジ達、昔を懐かしむというよりも皆が皆、今も現役だから言葉に真実味と臨場感がありました。
 この熟年パワーはどうしたものか!
 そこで”嘘をつかない”と”信用”と”相手から教わる”、これらは当たり前の事なのです、でもなかなかどうして実行できない。
 要は知識では判っているが、智恵とはならない。様々な修羅場を経験し、必死で生きてきた人だから説得力があるというもの。
 今の日本には、この当たり前のことすら出来ない人が増え過ぎた。中には素晴らしい人間もいるだろう。
 できれば、否、そうでなければならないのだが、国のリーダーに望まれる大切な素養だと私は思う。
嘘はつくし信用は無い。挙句の果てが自分が偉いと勘違い。これでは手のつけようがありませぬ。ああ。。憂国の士達よ。自ら立ち上がれ!
 5人に共通するものが有るのか?敢えて言えば「郷土愛」、自分を育ててくれた郷土への感謝と報恩。
 自分さえ良ければOKと考える社会は、所詮、一言居士達の雑居部屋です。何が何だか分からない。
 いま、それではこの国を建てなおすことは出来まいな。橋下大阪市長が上京し、彼に気持ちが悪いほど擦り寄る人達よ。なんとまー変わり身が早いのか、自分達が推した人が選挙に負けた相手をああまでも誉めたたえるとは。
 俺は会わないと言う人間が出ないのか?私は黙ってお手並み拝見だ。果たして彼が平成の勝海舟や坂本竜馬と成り得るか。
 あの時代と大きく異なるのは、豊かさを経験した後だから、日本人が飼いならされた猫となっていること、ネズミを見ても知らんぷり、目が合って自分が逃げるのが関の山、だってそうでしょうよ。ペットショップに並ぶ猫ちゃんのエサは、メタボ対応のエサが沢山並べてありますから。暖衣飽食に慣れてしまえば、動物愛護とか言ってだなネズミを襲う猫はいなくなる。
 笛吹けど踊らず。
 結局、昨夜の小宴の事に話を戻すのだが、お開き近くなって、「戦後60年たって今の日本があるんだから、変わるのには少なくとも半世紀はかかるだろう」ということで一致した。
 その時には5人の誰も雲上人となっているのは確実だ。
 我が家の猫二匹、老境のハナちゃんは、いつ見ても寝てばかり。方や2歳にならんとする悪戯ミーちゃん、テレビの画面とジャレテいる。
 そのミーちゃんが久しぶりに昨夜家出した、馬鹿な私は何度も起きだして窓開け大声で呼んだのだ、やっと帰ってきたのが朝の5時、「ああ・・・寒かったよね。どこに行ってたの。風邪ひいたらどうすんの!」
 どっちもどっちってことですかね。ハイーのハイ。失礼しましたー。

1994:比較の危うさ

人種・民族・文化・男女・階級など違った人間や集団の間の行動の違いを研究する比較心理学というものがあります。
 動物と人間の本能や記憶、学習、知能の領域の研究にも通じるという。
 身近な動物でまたしてもミイちゃんに登場願おう。彼は誕生日が判らない。兄妹であろうもう一匹と観音寺境内に捨てられていたのである。縁あって我が家で過ごすことになったのが、瀕死寸前のミイである。生まれて間もなく親と離され、どこの誰だか知らないが寺だからとどうにかなると道端に置いていかれたのだろう。彼は自ら食べ物を口にすることはできず、スプーンでミルクを飲ませた。体力の限界まで大声で鳴き、運よく尚恵学園のスタッフに発見され、引き取られた。
 それから1週間、動物病院に通って、栄養剤を注射してもらった。その病院では一切お金を取らなかった。徐々に元気になって彼はフラつきながらも歩き始めた。それからもう1年半の月日が過ぎた。体は大きくなり、外を走り回っている。前から私共と一緒の生活をしていたハナ(メス猫13歳)には迷惑千万で顔を合わせれば威嚇され続けた。幸か不幸かハナには歯がない。二匹とも心得ているようで決してお互いの爪で相手を怪我させない。
 ここのところ急に気温が下がり、私の蒲団の上に少し離れて眠るようになった。

 人間が種を守るという本能があるとすれば、今の状況は危機的だと思っている。我が子への虐待事件がもの凄い数になっている。猫と比較するのはどうかと思うが、一宿一飯の縁で、相手に致命的な傷を負わせない猫のほうが誉められる。
 仏教では108の煩悩をあげ、我々衆生の心身を煩わし悩ませる一切の妄念を示してきた。
 煩悩即菩提とか生死即涅槃といって対立的な考えを超越する考え方を説いた。親鸞の教える悪人正機説もその真意を理解するには簡単ではない。弥陀の本願って悪人を救うことが眼目だから悪人こそが救われるべきだという。ならば、善人はどうなるのか?この議論がずっと続いてきた。
 善人か悪人か?これすら曖昧になっている時代は不幸なのか?そう考えていくと、人間の目指す最終的な着地点がどこにあるのかという問題だ。
 ここには他との比較は存在しない。自分にとってどうなのかという答えを自ら捜す以外に無いと私は思う。
 方便は如何様にも利用できますから。
 猫が何故、我が家に棲みつくかを考えた。彼らは寒くなれば温かさを求め、空服を感じれば食べ物を得ようとする。これでしょう、多分。
 原発事故で農家が飼っていた牛が野生化し、野原を走り回っている。
 涅槃経にある・・・一切衆生悉有仏性・・・・をどう現代に生かすか。
 人間の奢りと言えばそれまでだが、自然と共生なくして人間は生きられない。政府がやっと示した食べ物の放射能汚染の安全基準値、それを超えた食べ物は廃棄処分しろという。ここに何の疑問を感じない人の数が決して少なくはない。
 蛇口を捻れば飲める水、なんでも揃う近くの店・・・・・。これを当たり前と思ってきた。
 どこかおかしくありませんか?
 自分さえ良ければそれで良いと考える心理、これは由々しき事態である。
 尾張藩主の徳川慶勝について、余り知られていないが、14代、17代の藩主を務めている。大政奉還の前後に確たる信念を貫き、江戸から明治への移管を果たした影の立役者。彼が活躍した時代は1860年代、たかだか150年前の事である。
 果たしてこのような人物が日本の中枢に今存在するのでしょうか?何をもって大義とするか?
 私は茨城に生まれこの地で育った。父は名古屋生まれ、先の戦争で南北に分断された隣国と同じ途を歩んだかもしれない。そうすれば名古屋こそが38度線となって、今の自分は存在しなかったかもしれぬ。茨城には東海原発がある。もし今回の震災でメルトダウンしていたら大東京だって強制避難地域になっていたかも知れない。津波があと70センチ高かったら、そうなる確率は高かった。そう考えると日本こそが脱原発の旗頭になるべきだと思う。その為に我々が我慢することは覚悟して我慢するべきだと思っている。今年もあと1週間を残すのみになりました。未曽有の被害を受けた2011年が年明けて、真の意味で新たなスタートとなることを切に願っている。

1995:今年振り返りNo:1

なんと言っても2011年を振り返って1番目に思いつく最大のニュースは、3月11日に起こった東日本大震災だった。M9という地震により最大で5メートル程基準点が動いた場所もあった。あれから数えきれない余震が続き、M5位の揺れには驚かなくなった。そして今日その関連報道は、原発事故を中心にした被災地現場からのものに移った。
 自然が一度牙を剥くと人間は為す術無く茫然自失するだけ、人智の及ぶところの話では無かった。地球が生きている証で常に変化を繰り返す。
 地球誕生を46億年前とし、今までを1年で表した『地球カレンダー』。地球上にキリスト・釈迦・などが現れた時代、2500年前はそのカレンダーでは12月31日午後11時59分46秒、20cの100年間は年の変わる1秒以内に充分収まる計算となる。
 人類がこの地球上に誕生したのが約7万年前とすると、平均寿命世界一を誇る日本の数字が精々85年である。
 戦争・内紛・テロ・・・・更には水の奪い合い・・・自然環境の破壊・・・核の開発・・・・と今を生きている70億人という人類が起こしている事象、国連という組織が果たす役割はそのほんの一部、これだって充分機能しているとはお世辞にも言えまい。
 この度の震災は、日本の将来に様々な警鐘を鳴らした。何代も続けて築いた生活の基盤を一瞬にして奪われた人達。それを諸に突き付けられた多くの人がその時何を思ったか?
私は「もったいない」&「御蔭さま」&「有り難い」という日本語の意味をあらためて考えさせられた。何んらの疑問も持たずに目の前にある便利さを享受、そして「利便性」と「安心」は一体では無いことが証明された。
 エネルギー問題にしたって再生可能エネルギーの開発スピードと桁違いの需要が起こっている。本意では無いが、原発がもっとも安価に供給できるからという説明で54基の原発が造られた。今回の先の見えない補償費用も含めれば、原発の電力は決して安くは無いことが判明、ここに闇の部分が見え隠れする。
 東電の示した今回の補償額に誰ひとりとして納得しているものはいない。実質国有化という報道もあるが、どう収拾の道をつくるか見届けたい。
 足元に目を移すと、今年も様々な事がありました。尚恵学園だけの問題では無いことが多く、この国の社会保障の仕組みをどうすれば継続可能なものにできるかという議論。”出すのは嫌がり、受けるサービスは際限なし”という攻防はどうかと思う。
 その時に言われた反対理由が、税の負担をあげる前にやるべき事をやっていないという意見、もっともなご意見である。
 だが、これが一向に進展しない。何故か?誰だって知っている。やるべきことを決める人達がホンネではやりたくない。という一言だ。
 だから見なさい。政局絡みの公約の出し入れが激しく、この国を心配する前に議席の確保が優先されている。
政治不信は、約束を何度も反故され続けた結果であることをあの人達は認めない。政治家自身が本来、責任の取り方の範を示すべき所、日和見主義が横行し、洞ヶ峠を極めこむ人種の坩堝と化した。
 私自身の反省として、今年ほど政治や官僚への失望を鬱憤ばらした年は無かった。大いに反省はするが、止めようとはしないだろう。
   

1996:損害賠償

職員から報告が入る。「いま電話でお宅の子供に石を投げられ、車に傷ができた」という電話があったというのだ。
 県道に面した成人寮の辺りで自転車に乗った人が自分の車めがけて石を投げてきたという。相手はどこの誰かも知らないし、尚恵学園の近くの道路というだけで相手は尚恵学園の子供だと決めつけている。一応、自転車に乗っている利用者の確認をしたが、その時間、皆さん県道にいた形跡はない。
 いま、県道の拡幅がやっと決まって、来年度に工事をする計画がある。舗道がない道で朝晩の車の通行量が多く、自転車通学する中学生が危ないと10年以上も前から県に申し入れしていた。
 今回の電話の相手がどんな人か判らない。電話では、もう確信しているような口ぶりだという。
 万が一、そうである可能性は否定できないので誠意をもって対応するように指示した。
 些細な事で隣同士のイザコザが起こる時代、障害者を取り巻く環境も大きく変わろうとしている。地域で生活することを推奨し、施設で保護していることを人件侵害だと堂々と言う人も出ている。保護という言葉は適当ではない。生活しているというのが正しい。
 世知辛い世の中になりましたね。
昨日は内部研修で7つの専門委員会の発表を行った。1年間かけて話し合った内容を共有するためである。
それと今職員面接を行っている。
主任者への全職員からの評価結果をもとに話し合っている。自分で自分を評価したものとどう違うかを見比べてもらう。
 これをやって判ったことは、自分に甘い人間は他からの評価が厳しいということ。その逆に自分に厳しい人間は他からの信頼も厚いということだった。
 茨城県に連続宿泊率日本一という国民宿舎がある。「国民宿舎:鵜の岬」である。何故、そうなったか?支配人の凄さとの評判、私は二度、泊ったことがある。お客さんへの気配りが徹底されている。いろんな客がいるはずだ。しかし、客に接する態度は一貫して丁寧である。低姿勢というのか、常に客目線で気配りが行き届いている。
 リピーターも多く、別にPRしなくても客が客を呼ぶ。
 評判通りという信用を保つことは並大抵ではない。今回の東日本震災で鵜の岬も津波の被害を受けた。温泉の源泉ポンプが被害を受け、暫く休業した。そして万全の態勢で再開した。
 大いに我々が学ぶことがある。楽しく仕事ができればこれに越したことはない。楽あれば苦ありである。世の中全て一様ではない。
 逆境に陥った時にどう動くか?言い訳や責任のなすり合い?
 最初に戻るが、石投げ事件に尚恵学園の利用者さんが関係していなかったとしても、一般の人はそう思っているという事実。これは無視できない。通りすがりの人にまで徹底することは不可能かもしれないが、その対応如何によっては、収まる話もおさまらなくなる。

1997:至福の一時

早朝の入れたての一杯のコーヒーは、私に至福の一時と穏やかなる心の大切さを気づかせてくれます。
 この世に生を受けてからの思い出を辿る時間ほど充実した満足感はありません。BGMを聴きながら、束の間の時を過ごす、なんと贅沢な時間でしょう。
 穏やかな心は、身の程知らずの生き様によって覆い隠されてしまいます。気持ちがささくれ立ち、周囲に苛立ちばかり感じてしまう今日この頃、一杯のコーヒーで癒されるのであればと自らを正当化し、メモ帳に記すことはないけれど、彼方此方の店で試飲を繰り返しています。
 いつの頃からでしょうか?週末は2カ月先まで檀務の予定が入るようになって、それ以外の日は、殆ど一か所に止まることが無い生活。外出先で店に入り、束の間の至福を楽しむ習慣になった。
 好きで選んだ道でしょうと言われれば返す言葉がない。還暦を過ぎ、1日1日がとても大切な時間だと感じている。他人の事は判らないが、この歳になり丸くなったかと思うとそんな事はない。寧ろ自らの考えを余計ハッキリ言うようになった。言葉足らずは否めず、相手に此方の真意が充分通じたかと言えば大いに疑問が残る。敢えて追加の説明はしないから、なんて嫌な奴なんだと思われることもあるはずだ。そんな事、構っちゃいられねー。
暮れになって宴席が増えた。元々飲めない酒を飲んだりするからザマー見ろ。風呂敷を目一杯拡げていい気になっている。
 そんな冷めた自分も同居し続けている。
 法人の努力目標として、”・・・・・・限り無い挑戦!”を掲げている。これは挑戦しなくなった時は潔く棺桶に入る時だと真から思っているから。
 職業上、しょうがない。火葬にする時、炉の戸を閉め、低頭合掌して見送る。一瞬何も考えなくなる。
 思考停止状態。それだってものの数秒である。今年、2011年1月11日に亡くなった方がおられた。命日を覚えている人は少ないから良かったですねと言ってしまった。
しかし、私の寺では、法要の事前知らせを行ったことが過去に一度もない、皆さん不思議と覚えていて2カ月前位になると法事の日程を聞いてくる。今年こんなセッカチの人がいた。なんと1年先の予約をさせられた。
 通夜〜葬儀の席では話はしないが回忌法要の時には10分程度の話をさせて頂く。相手の顔を見ていると様々な事が浮かんでくる。故人がいなくなってから残された家族の人達はどうだっただろうか?と先ず考える。
不思議なもので3回忌位(丸2年)から皆さんの表情に緩みを感じる。その後生まれたと思われる子供さんも加わって、自然と席を和ませる。30年以上、法衣を着た坊さんが言うのもどうかと思うのだが、難しい仏教の教えを噛み砕いて判り易く10分で言える筈はないでしょう。
 寧ろ、故人にですね、皆さんそれぞれの有りの儘を見てもらう場なんですという話をさせていただく。だってそうでしょう。転迷開悟の引導を渡したんだから、亡くなったご本人は何も心配しなくて良いはず。これで矛盾を感じるとすれば似非坊主ということを自ら証明することなんですね。
 それをですね、便法を凝らし、遺族に不安を煽るような事を言ったとすれば仏教の本筋では有り得ない。押し売りの法事などもっての外。
 全くそれが無くなってしまえば、寺が困る。これはホンネです。妥協点を見つけて、此岸に生きる我々が穏やかな心を少しでも感じて頂ければ結構だ。
 ナーム 大師へんじょうーこんごう!
今年を振り返り、四国遍路を一回も出来なかった事が心残りでした。
 

1998:今年振り返り2

”安心立命(あんじんりゅうめい)”とは程遠く、将来への不安を抱え、皆が皆、己の立ち位置を模索している。そこに起こった大震災は、ありとあらゆるモノを一瞬にして目の前から奪い取った。茫然と立ちすくむだけ、自然の破壊力の凄まじさを思い知らされた。
 日本は今2度目の戦後ではないのかという人もいる。戦後66年が経ち、当時の記憶をハッキリ覚えている世代も大分少なくなった。その当時と比べ今回の方が大変だろうという。昭和20年8月15日は、誰もが戦争が終わったということを実感し、スタートしたもの、今回の震災は、3重の苦を突き付け、なおも終わりの見えない原発災害はこれからの復興に大きな足枷になってしまった。
 また、時代が大きく変わった。今となれば大分昔の話だが社会主義から自由主義経済を良しとするウネリにソ連が崩壊し幾つかの独立した国が起こった。その後、頑強だろうと思われたユーロ圏の揺らぎ、それに続くアフリカの自由化の嵐、日本を含むアジアは、様々な面で世界の脚光を浴びている。中国の台頭は、国内に懸念される問題はあったとしても、凄い勢いで発展し続けている。アジアの雄であった日本は戦後の一人勝ちから徐々に新興国に圧され、連携を模索する事態になってきた。
 同じ状態を継続させることの難しさは誰しもが知っている。そこに胡坐をかき、奢り、誇らしげに君臨し続けるなど夢のまた夢。
 その現実にやっと日本人が気づかされた。大震災がその切っ掛けになったことは確実だ。
 国の経済政策で全てに合格点はつけられまい。関税をかけ、自国の優位を保つことと、補助金により、産業を守る、この二つの手法は世界相手には通じない。日本が嘗てその方法で多くの恩恵を受けてきた。
 GDPやGNPという数値の意味が、素直に受け止められ難い世の中になった。歴代の政府は、恰も自分達が手品師の如く、国民の要望にいくらでも応えられるかの如く振る舞った。その蓄積が途方も無い借金として目の前に突きつけられている。
 消費税を10%に上げる上げないの議論がストレートで受け取れないのは何故か?誰しもが心から政治に信頼を持っていないからである。目先のことに振り回され過ぎ、失言・暴言で何人の大臣が変わったか、この構造は前の政権と全く同じではないか!
 今年を振り返る第2弾として、どうしても無視できない。自分自身の心の状態が異常なのか世の中が異常なのか?
 個人的には、大阪を中心にした新たな動きに期待している。既得権益の死守に対し、世論を味方につけ闘いに望む。
 何も特別な事をやろうとはしていない。考えれば当たり前のこと。無駄の削減で今の政権が花火をあげて始めた事業仕分け、結局終わって見れば巻き返しにあって、なんとも無惨な結果になった。今の既成の政党では改革はできない。
 柵が強過ぎることと、自分達が良かれと思って自分達で作ったものを壊せるはずはない。ならばどうする。やっぱり新たな政党に任せる他ないだろう。
 大阪から始まった運動が京都・堺という大都市に飛び火、今まで無関心層と言われた人達が声をあげるようになった。
 長い期間、癒着とぬるま湯に浸かっていた人達は、いままでとは違うぞという風を感じているにちがいない。
 我々福祉の業界も大いに反省すべき、制度に守られ如何に自分達に都合の良いように、身代り早く時の政権に媚を売り、利権を守ろうと動く。もう時代はとっくに変わったのに、・・・・・・。
 この1年間、私は意図的に世の現象を斜め読みしてきました。長らく良いと思われてきた事を信じる前に疑ってみること。それを決して良いとは思わない。
 でもこれだけは確信している。知的に障害を持つ人達の素行は、自然のままで作り飾らない。彼らと共にいると、自分がなんと汚れているかを思い知らされる。欲が無いと言えば嘘になり、不満を言えば虚しさだけが残った。これこそ時間の無駄ではないのか!!!!!!!

1999:狐疑逡巡(こぎしゅんじゅん)

疑い深く、迷ってばかりいて決心がつかないことを狐疑逡巡(こぎしゅんじゅん)というそうだ。
結論がない議論をいくら重ねても妙案は出まい。議論すること自体を否定するのではなく、最初から結論など出やしないと諦めて臨むことを戒める。
 最近そんな会議が多過ぎると感じている。何故、議案に上げたのか?前の内容の踏襲で良いのか? 大体、そのような疑問を最初に投げかけると嫌がられる。全てではないが、どうも臨場感の無さが大きく影響しているように思っていますんです。議論倒れも如何なものかと思うが、全く意見の出ない会議も問題ですわね。無理して時間をのばすような会議に出ると正直二度と出席したくなくなる。
 そんな会議で配られる膨大な資料、その殆どは二度と開かない。1年間に日本だけで破棄される書類の量はどれ位になるのだろうか?更には印刷に要した経費など、総額を具体的に出したら驚くに違いない。再生紙などはまだ充分に行き渡っていない。紙の材料に森林が伐採され、その行く末は焼却されCO2排出という2重の環境破壊になっている。
 これら全てが人間が行う経済活動のほんの一部。この悪循環をどうにかしないとと資源回収〜再生という仕組みが出来たんじゃーないですか。こんな中で今年一番の私が憤慨やるかたない事件が明るみに、それは某製紙会社の元会長の金の流用事件、最近保釈金3億円を支払い暮れは自宅でということらしい。別にその会社の株主でもなんでもないから、私に何の権利もありませんよ。判っているさ・・・・・。
 この会社の存続が許される社会はどう考えてもおかしくありませんかね。
 尚恵学園では、使わなくなった段ボールを纏めておいて換金するんです。僅かなお金だが、資源を大切に思うからずっとそうやってきているんです。それが製紙業をなりわいとする会社のトップが一晩で数億円の金をギャンブルにかける。自分の金でなく、会社の金を使ってなんの反省もなし、創業一族だからと絶大な権力を今も誇っていて自社株を売って返すとか。この会社が利益をあげる為にどれだけの自然破壊をしてきたか、検証すべきだろう。その責任さえ追求することができないとすれば、最早、資本主義経済の限界か!
 実に面白くない話だ。企業の社会的責任が問われる昨今、時代錯誤の経営実態があるとすれば由々しき問題だ。
 実は、尚恵学園の利用者の中に複数、1回のトイレでロール一巻を使ってしまう人がいる。なんでそんな会社に協力するんだよと言いたい所、暖簾に腕押しで対策に尽きた。正直そんな理由もあるかもしれません。
 でも、先送りはできますまい。日本だけの問題では無いことは誰だって判っている。京都議定書の約束はどうなった?あの時の総理はさて誰でしたか?思い出せないなー。
ダメだーーーーー。彼は製紙会社の御曹司以上にお母様からお小遣いをもらって判らなかった人でした。
ああああ・・・やんなちゃった!驚いた。
 狐疑逡巡とは、個人の責任と社会の責任が相俟って起こる生活習慣病。施し様が無いと言う社会病理の側面でもある。ハイのハイ。
 草津良いとこ一度ーーーは、おいで どっこいしょ。  あああ 腹が立つ。そんな金が有るんだったら国にトットと返しなさいよ。まったく、お父様、母上様、そんな息子で良かったの????ってーんだ。
本日はここまで。
 

2000:節目

思いがけない災難に直面し、冷静さを保つことができない事があります。振り返って、あの時こうしていれば良かったとか今になって悔いてもどうしようもない現実、そんな時、どうすれば良いのでしょうか?
 誰かに助けてもらいたいと思っても所詮無理なこと、結局自分で解決せざるを得ない。
 生きていくことは、様々な節目に出逢う事、その中で最も恐れる事は生命に関してのことになる。万が一自分が大病に罹ったとして、その病魔との闘いは容赦の無い苦痛や不安それに恐れと対峙することだ。
 また大切な人が病に罹った時、言葉では言い表せない様々な思い。現実を受け止めようと必死になればなるほど、不安が増す。
 世の中の誰しもが、こうやって思いがけない事態と闘っている。
 健康な時は、その有り難さを感じない。失って初めて知る。
 その時どうやって、一緒に歩んで行けば良いのだろう? 心の平安を保つことが如何に難しいか。
 仏教やキリスト教の教えに救いを求めて、その答えが見出せるか。釈迦は死後の世界を問われ、答えなかったという。
 ただ、その教えは変遷を繰り返す。バラモン教の「輪廻」思想を取り入れる。死んでもまた生まれ変われるから善行を積むべしと。更に浄土思想が加わって極楽世界、これはキリスト教の「復活」思想の天国と混同し、様々な解釈が現に存在する。
 別にそれをどうこう言うつもりは無い。要は、その人にとって何が安心の支えと成り得るかという事。信仰の道は果てしなく続くもの。
 私が僧籍を得る切っ掛けとなった事は寺に生まれたという縁であり、その決心がつかなかったことも事実である。
それは自分自身が仏教を心から信じているのかという疑問があったからである。世の中には思うようにならないことばかりで幸せや喜びは長続きせず、いつか壊れるんじゃないだろうかという不安が付きまとう。
 四国に今も存在する大師信仰は88ヶ所巡りという形を取る。何故、今にまで続いているかを考えた、遍路そのものが自分自身の内面との対話をさせてくれるからだと思う。これは様々な宗教の聖地巡礼と同じである。
 歩むことは生きていく事。それは距離の長短や歩く時間の多少では量れない。同行二人。決して一人じゃ無く常にお大師さんと一緒を実感する旅となる。
 現実世界の非情さや苦難を避けて通ることは我々には出来っこない。
 人の一生は少しづつ自らの死を受け入れていく過程である。考えずとも絶対に避けて通れないもの。忌避したってどうしようもなくピッタリと付いてくる。大切な人を先に失った時、いずれは自分も黄泉の国に行く身だと信じれば少しは慰める。
 死と直面している人にどう接したら良いのか?一緒に泣き悲しみ、不安を分かち合い寄り添うことしか我々にはできない。
 仕事をもち、家事も行わねばならない。幼子の先々のことを考えても妙案は何も浮かばない。
 だが、何かはできるんじゃないだろうか。
  数ある節目の一つとして超えねばならない現実。 

2001:暗中模索

超人間的な資質を備えた人をカリスマと呼び、それに帰依する人々を支配する。この特殊性の中で絶対的権力を有するものの最後は、本人の意思とは無関係に事が運ぶようだ。
 日本語の”暗中模索”を英語ではどういうのだろうか?和英辞典にはgrope my wayという例文が一つあるだけ。更にgropeという字を引くと、なんと”痴漢行為”という意味があった。暗中模索=痴漢行為???
 斯様に言葉の理解は難しい。外交交渉など双方が本当に分かりあえたかどうかは確かめようがあるまい。これは今に始まった事ではないのだが、グローバル化がどんどん進んで外国の情報が容易に得られるようになった。不確実性の上塗り外交と言ったら、失礼でしょうか。
 内政に関しても、正直どこから手を出して良いのか分からないんじゃーなかろうか?現況はこの複雑に絡み合った糸玉を解く作業を其々が独自に行っているようなもの。暗中模索、暗闇の中で必死?に手探りで捜している。
 遅々として進まず、それに痺れをきたし、諦め、ならば自分の事だけを考えよう。こんな人間が増えていますよね。私自身もその一人かもしれません。多様性の価値と独自性の価値はどこまで行っても平行線。福祉の現場にいると、それが痛いほど判るのです。
 制度や仕組みは、計画実践の大綱で個々の問題をどうするかは別、だから、どこまで行ってもこれでOKの合格印は押せないのだ。
 福祉の先進国という括りにも疑義有り。福祉という意味に、消極的な解釈として生命の危急からの救い、それと積極的な意味として生命の繁栄あり。{Heilドイツ語}ハイルというドイツ語は”幸運あれ!”という意味なそうで、????
「ハイル ヒットラー」のハイルとなる。
 要は、言葉による定義付けの危うさでしょう。
 外国人にとって日本語の理解は難しいと思う。平仮名・カタカナ・漢字と最低でも3つの言語を学ばないとならない。それが17文字の句界の季語や切字などとなれば日本人だって入れない。
 造形芸術の油絵と墨絵の違いですら、良く分からない。これら全てを伝統文化として受け継いできた日本人が国の有り方で一つの方向を模索しているのが今の実態ではなかろうか?
 個を大切にする西欧社会にだって、我々には判らない様々な課題があるはずだ。通りすがりに垣間見た仕組みを何か宝を見つけたかのように模倣することもなかろうに。日本人は昔より舶来品に弱い。使い勝手も判らずに並び揃えて満足する。
 福祉の歴史をどこまで遡ればよいのか?「地域で有りの儘の生活」というロゴも検証が必要だ。何か流行病に罹ったかのように騒ぎ立て、”有りの儘”って何なの?と尋ねれば、様々な答えが返ってくる。そこにどうしても意図的なマヤカシを感じてしまう。ならば受け皿の地域がどうなっているでしょうね?
 その総括がなされない中でムードにながされてはならない。私のスタンスはそこにある。
 福祉関係者は我が田に水を引く傾向が強い。時代は大きく変わった。障害福祉に関わり、今そのギャップを感じている。
 細かく枝分かれした関係団体、障害種別ごとに乱立し、其々が国に要望するから、尚のこと判りづらい仕組みが出来上がる。
 その流れを変えないとなるまい。何も障害者や老人や子どもだけの問題じゃない。人間という生命体の”ハイル”に目を向けるべきなのだ。
 様々な研修や団体の集まり、その実態は関係者だけの狭い世界。これをどうにかしないと室町末期の群雄割拠状態に逆戻りの恐れさえ感じますよ。日本人よ恐れるなかれ!大いに悩み苦しみ、我が進むべき道を捜しましょう!

2002:大晦日

【えいやっ  ゴーン〜〜】
 今年も除夜の鐘をつく大晦日になりました。何故108回つくんですか?と良く聞かれます。諸説あるようですよと答える。
 一般的には108煩悩説でしょうか。これは六根清浄と言いますが、人間そのものを六つの機能に分けます。眼・耳・鼻・舌・身・意ですね。これらを好・悪・平という3種に分類し、6×3=18。更に浄・染の2種類がありまして18×2=36。
そして前世・今世・来世の3つとなりますから、36×3=108。
 107回を12時前につき、年明けて最後の1回を突くというのが多いようです。
 今年で5回目をむかえます。多分、真夜中ですから神立地内には梵鐘の音が響くと思っています。特に宣伝もしませんので、正直、整理券を配る程の賑わいはありません。それでも良いと思っています。
 肝心なことは、続けるということだと思うのです。
 嫌な事が鐘の音と共にどこかに飛んで行け。その思いを感じるのです。
 3月11日の東日本大震災、まだ行方が分からない人も多くいます。家族の人の気持ちを思うと言葉がありません。ゆく年くる年と言いますが、2011年は早く過ぎてもらいたいと思います。時は無関係に流れていきます。
 今年放送されたNHKの大河ドラマは『江』でした。浅井長政の3姉妹の末っ子、戦国の世から江戸時代、徳川2代将軍秀忠の正室となり波乱万丈の生涯をおくった。
 当時の日本人の平均寿命は30代と聞いたことがあります。それは生まれて間もなく亡くなる子供が多かったことや、長く続いた戦乱の世の為だったと思います。
 しかし、これだって一様ではない。
 現実に目を向けます、今年ほど今まで隠れていて見えなかったものが表に顔を出した年は無かったように感じます。原発の安全神話が脆くも崩れ、原子力村などと得体の知れぬ凭れ合い構造が明らかになった。その当事者達は、ある者はいち早く雲隠れし、またある者は言い訳に終始した。
 政官共に震災後の復興対応に必死になっている間に、一方では強かな企業は今がチャンスとばかりに活発に動いている。いま中国では老人介護の需要が急増している。日本の福祉関連の企業は、富裕層向けの超高級な老人マンション事業で中国に進出しようと躍起だ。何せ中国では今後4億人の高齢者が生まれるというのだから日本の比ではない。現地の人を日本に呼び研修させ、そのノウハウを売りに戦略をねる。
 マスコミはキナ臭い政治の動きは取り上げるが、企業家達の最前線での動向はあまり報道しない。
今年は地球上の至る所で異常気象が問題になった。タイを襲った豪雨、今までにない大きな被害をもたらし、日本企業が進出した工場団地は致命的な損害を受けた。あんなに多くの日本企業がタイに進出していたのかと驚いた。それはタイだけではない、世界中に企業は工場を建て、関連子会社も一緒に移っている。
 折からの円高に功を奏し、日本国内での収益減を補うための対応策を着々と進めている。これに対し、政治は依然として国内の空洞化を懸念し、補助金や目先の優遇策でそれを食い止めようと躍起になっている。後ろ向きな対応しかできない人達よ。どうなんだい。もう万策尽きたと白旗あげなよ。貴方達が国会で色めき立つのは、3面記事よろしくスキャンダルを面白おかしく取り上げる時だけとなったではないか!なんとも品の無い無策の中身である。
 志(こころざし)はどうした!
 別にNHKから何ももらってはおりませんが、心に響く番組があるんじゃないでしょうか?
『神様の女房』という松下幸之助を題材にしたドラマで主人公の女房役常磐貴子の父役の津川雅彦が死ぬ間際に言った。
・・・・人間は4つの死に方がある。一つは病死、一つは事故死、一つは他殺、一つは自殺。だから蒲団の上で病気で死ねれば本望だ・・・・・・・。
 いずれ誰しもがその覚悟を必要とする時がくるという話である。
 2011年が間もなく終わり、2012年を迎えます。
 

2003:初夢

昨夜は除夜の鐘が終わったのが2時ごろでした。暫くたってから蒲団に入りましたが、いつものように気持ちが高ぶってしまい。眠れませんでした。夜が明け、年賀状に目を通し、昨晩の片づけ、一段落したら急に眠気をもよおし、蒲団の中で横になりました。時間にして数分かもしれません。初夢を見ました。なんと3人の人間が登場、これが全て施設関係の人達でした。
 ふと思ったのですが、今年も施設の事が自分にとって最大の宿題だと確信したのでした。私の周囲の同世代の人達は皆さん定年を迎え、次の仕事に就いている方もおります。フルタイムというよりも多少時間的に余裕のある仕事が多いように思います。
 今年で私は62歳になります。早いですね、1年が。あっという間に過ぎてしまいます。お寺の住職という仕事は、定年がありません。ですから、死ぬまでやるしかない。昨年の暮は、クシャミがどうしても止まらなくなってしまい経を読む時に大変困ってしまいました。クシャミだけなら良いのですが、尾籠な話で恐縮なんですが鼻水が止まらない。上を向きながらお経を読みました。
 2012年、まだ1日しかたっていませんが、今の処はクシャミ症状は鳴りを潜めています。
 年が変わって最初に行うことが、HP上でお世話になる皆さんに向かってメッセージを書くことです。読む読まないは全く関係ありません。これは自分の新年にかける覚悟を記すのです、やはり、大震災の事が最初に浮かんできました。いつもの年なら、炬燵に入って家族団欒、テレビを見たりお喋りをして過ごしていた被災された多くの人々、仮設住宅に移り住んだ人達も寒くて大変だろうと想像してしまいます。
 たった今、懐かしい方から電話がありました。尚恵学園の創設期にご苦労をかけた元職員の方でした。どれくらいの月日が経ったのでしょう。私が小学生の頃の話になりますから50年近くたっているかもしれません。正月にいつも電話でお話するのですが、当時からいたメンバーの人の名前を一人一人ハッキリと覚えているのです。いつもの事ですが、声を詰まらせ会話にならなくなります。ああ・・・・。ここまで気にかけてくれている人がいると思うと益々この仕事を片手間にはできないと考えてしまいます。
 初夢に登場した3人の方達はいずれも健在で施設の仕事をなされている人達でした。なんでその3人が夢にまで出てきたのか?それにしてはお寺の住職は何故出て来なかったのだろう?      良く判りません。
 病気になって体の不自由を感じている方が知り合いに沢山おります。その人達と話す時に正直言葉を選んでしまいます。突然自分を襲った病気とその無念さを必死に耐えているからでしょうね。
 尚恵学園では今年も一人の方が暮れから入院し、自宅に帰れず病院で過ごされています。驚いたのは付き添いが無くともちゃんとベットに寝ていることができるのです。凄いよ、驚いたね、Mさん。
 今朝、神宮寺の本堂で、別に特別なことではありません。
 でも、メンバー達と顔を合わせ、彼らの眼を見ると、一瞬体が強張ってしまうのです。
なんてこった、今年も迎えがなかったんですよと仏さんに声掛けた。
 全く身内の方がいらっしゃらない方ならいざ知らず。
 世の中に 憂うることは多けれど 歩めることの 喜びは その人だけに噛みしめる。
 
 さあー! どれだけ 出来るか分からない。覚悟と気概を失わず、結果を恐れず ただ進め。
 

2004:覚悟

皆がそうやっているから・・・・と何気なしにやって来たことが余りにも多くありませんかね?
”覚悟”と言っても、実際その意味が良く分かっていない。心構えという意味では良く知られていますけどね。
 本来の覚悟の意味は、『迷いを去り、道理をさとる』(仏)という意味だそうですよ。
お前!覚悟があるのか?と問われれば、誰だって「有ります」とは言えませんでしょう。だって凡夫の私達が簡単に悟りの境地に達せませんよ。
 問題は、そこなんですね。無いねと諦めて皆が糸切れタコになっていないでしょうか?これを続けていると取り返しのつかない状態になります。現実の世界は、利害や思惑が交錯し価値の基準が一様ではありません。一糸乱れず他所の国の軍事パレードの様に統制された社会を望む人はいません。パンドラの箱を開けてしまった日本人!これだけ自由を謳歌して、今更と思う人が大半です。
 そこに今の社会の混乱の元凶があると思います。全てにおいて、なんとなくそっちの方が良いと思うから・・・・・・という選択をしていませんか? その端的な例が選挙ですよ。政党か政治家か?選ぶ根拠が無い。政治屋はいるが政治家がいない?
一体どこが違うの?端的に言えば自らの責任の取り方です。
 そもそもスタートから曖昧模糊としていますから、政策に期待が持てない。判り切った結果ですよ。
我々国民はどうでしょう、観念しちゃって投票すらしない。どこかの首長の選挙で投票率20%台という所が最近ありましたね。
 憂国の士の某る方が仰った。「この国ほど自動販売機が至るところにあって、パチンコ屋さんの電気の異常な明るさ・・・。
コンビニや携帯を規制でもしたらどうなるか」  この独言が日本の社会を実に的確に表わしているいると思った。
 節電とか言っても、時間がたてば元通り、何も変わりない。日本は制度が緻密で複雑だが、その抜け道が用意されている社会だ。食わず嫌いでやってみるという勇気がない。
 所詮、人間が考え出した事だから、支援者に気兼ねする政治には望めないものなのだ。無いモノねだり。この悪循環を切るにはどうすれば良いのでしょうね。
 期待するから裏切られる。その一番の便法は最初から期待しないこと。
 新年早々、私は政治に期待しないことをハッキリ決めました。
 密かに覚悟していることは、旅廻りの坊さんを演じていくこと。正直、なんかの出来ない理由を見つけては誤魔化してきたという事情がある。反省ばかりで実践が無かった。このままだと悔いが残る。
 お前に覚悟あるのか?
 その答えを自分で探さず誰が見つけてくれると言うのですか!
 

2005:明日は我が身

今年も箱根大学駅伝をテレビで観戦、正月の一番の楽しみになりました。どうして東洋大学が急に強くなったのかしりませんが、榊原君は凄いね。彼はあの福島出身だという。粘り強さとその頑張りは今年も他を寄せ付けない強さを見せました。天性のものか?いや、日頃の練習があればこそだ。高校時代は無名の選手だったようだが、彼の潜在能力を見込んでスカウトした東洋のコーチ陣も見事。
 マラソン程見ていて単純なスポーツは無いのだけれど、ドラマを感じます。まだ復路の優勝校は決まっていないがこの先どんなドラマが待っているか楽しみです。
 私が学生時代、いま程マラソンは人気が無かったように記憶する。山登りのクラブに所属して、毎年、多摩湖マラソンを走らされた。これが嫌で嫌で、どうにか近道が無いかとそればかり考えていた。道無き道をヤブこきするのは得意だったが、片方が湖だから最短距離は難しかった。
 正月は1年で一番ゆっくりできる時です。どこかに出かける気もないので家の中でゴロゴロしてばかり、これも又良いモノですね。
 昨日、BSでゴバン・マコーマックとジョンダワーのテレビ討論がありました。二人とも日本を愛する知識人、それを見ていてメモ書きしたことがあった。戦争の文化とパクス・ジャポニカという言葉である。3.11の後の日本がどう変われるか?
 共通の見解で日本では市民運動がすっかり大人しくなってしまった事を指摘した。フクシマの原発事故は広島・長崎の被爆体験を持つ日本で起こった。それが日本だけの問題ではなく、地球上の全ての国に関わる現代社会の最大の問題として、日本がその先頭に立って発信をしていくべきだと・・・・。
 環太平洋を取り巻く力関係は大きく変わろうとしている。中国の台頭とアメリカに挟まれた日本が経済と防衛の両面から難しい選択をしなければならない。
 日本の立つ位置は、どうあるべきか?市民レベルの話し合いが充分になされていない。この重要な問題の不確実性に対しもっと市民が声をあげなければならない。
 新自由主義を取り入れた結果、1%の富裕層と残り99%の階層に分かれてしまった。ジョンダワーは「戦争と文化」を著し、戦争によって暴利をむさぼるほんの一部の人間が、次々に仕掛けてくるキナ臭い争い。その悲惨な結末は世界中の誰もが認識している。そして今は武器を用いない新たな紛争が世界中に起こっている。経済戦争というものだ。ユーロ圏の崩壊、アメリカの経済格差、中国の支配拡大。。。。
 今日、いずれの問題もどこで断ちきれるかが分からない。パクス・ジャポニカはラテン語、「日本の平和」と訳す。Japan as No:1という本が嘗てありましたが、バブル崩壊のあと、長い期間経済の低迷期に入ってしまった日本、新興国の発展のスピードと比べ日本の置かれた状況は既に過去の栄光か?どうも平和ボケから抜け出せず、すっかり気力が薄れた奢り多き日本という姿だけが目立ってしまう。そこに起こった3:11ですっかり気が動転してしまい収拾がつかない。
 今の労働力の主流が戦争を知らずに育った世代、便利さを当然と考えている。その裏に様々な弊害をもたらしていることに目をつぶる。
 駅伝ランナーの凄さは一本のタスキにある。一年間、タスキを繋げるために練習に励んだ。予期せぬ事態に決して他人の所為にする選手はいない。自らを責め、チームに迷惑をかけたと泣き崩れる。
 ここに、私は今の日本が忘れている姿をどうしても見てしまう。
 

2006:一日一頌

全くの自己満足、そんな事言われなくても分かっていますって。これは一種の病気だと思っています。朝、起きてPCに向かっていると無性に何かを書きたくなるんです。別に誰かを意識しているわけじゃーないんですが、敢えて言いますと担当教授に答案を添削してもらっている感じでしょうか。
 出しても出しても”不可”しか貰えず、持ち帰ってもう一回良く考えろ!と言われているような。一瞬、正夢のごとく卒論を提出した時を思い出す。”もう一年やったらどうだ!”と言われ、”それだけは勘弁して下さい”と哀願した口頭試問。
 あと一年残ってもこれ以上のモノはかけません。大学の無駄ですと言ってしまった。結局武士の情けか”可”をくれた。
 今思い起こせば何の為に四年も東京に通ったものか。贅沢極まりない。その後、今に至るまで、全く成長せず、相変わらず自己満足の答案を出し続けている。
 現在の心境とすれば、誰にも別に迷惑はかけないのだから、続けるつもり、止める時は迎えが来る時だと勝手に考えている。
 昨日、入院中の友人の見舞いに友達と行った。スヤスヤ寝息をたて眠っている。突然、歯ぎしりみたいに上下の歯を噛む音がした、ちょっと変だ。痰がからんでいる。友達は直ぐに看護師に吸引を頼み、処置してもらった。鼻から管を挿入する際、せき込んだ。とり終わると楽になったようでまた寝てしまった。
 三人とも同じ歳、友達のMは明日、佐野に行くんだと言った。「何しに?」と尋ねると「今年厄年なんだ」。そうか俺もそうだ。 この歳になると自分の健康を維持するだけで精いっぱい、周りに迷惑をかけたくないという気持ちが優先される。
 病院から出て、コーヒー店に入り雑談して別れた。
 別に特別なことではない。年を取れば誰だって体に変調を来す。健康そのものという人がおれば、その人がおかしいのである。
 強いて自分の変化をあげれば、物忘れ・腰痛・・・それに同じことを繰り返すということか、これら全てが「年の所為」で片付けられるもの。
 人生、これから、年の所為なんて言われて黙っていられない。気が短くなったと言うのか突如として怒り出すのも実はその為だと聞いた。これは自分で或る程度予防できること、そうなりそうだと思った時、ちょっと違う事を考える。するとその発作は結構収まる。
 勉強したことの一つだ。
 それから、人の名前を忘れる事、途中まで出てきているのになんて言うんだったかな???そんな時、自分の知っている他の人の名前を数人挙げてみる。すると、アア仕様がないか、他に思い出せる人がこんなにいると自分を慰める。
 腰痛は?
 こればっかりは今後も上手く付き合うしかないようだ。できるだけ歩くようにして、筋肉の衰えを遅らせること、
 日々学ぶこと多かりし、前向きか後ろ向きか、そんな事はどうでも良い。世の中自分が思うようにはなりません。ならば波間に浮かぶ笹舟の如く、それを楽しむ余裕が欲しい。
 粋がって見えてくるものは、一面だけ。それより、表と裏を同時に見るようなそんな生き様が自分に合っているようだ。
  

2007:ネバーギブアップ

野田さん あまり無理しないほうが良いよ!そんなに背伸びしたって、かの英国のチャーチルに敵うわけないでしょうが。ネバー々 ギブアップ(々を何回?)なんて言ってしまってよ。あんたら今までギブアップばっかりしてきてよ。なんてこった。情けないというのか足がガックリというかズッコケたよね。
 なんで、年頭所感であんな風に言うのかかな?軽いというか言葉を弄んでいるというか、国の一大事をどう思っているのか、私だけでしょうか、そんな風に受け取れたのは?
 まーいいやね。やれるんならやってみたら。「リーダーの資格が無い人」と「リーダーの資質が無い人」がその座を奪い合う醜さ、そんなにいつまでも我慢できませんよね。
 ならば、オメエがやれば すぐそうだ。そんな簡単なことじゃーねーんだよ。判っているからじれったい。何かが腐っている。嫌な匂いがプンプンする。やだやだ。
 チャーチルが使ったことば、野田さんも知っていたようだが、ヒットラーへの挑戦状でしょうよ。野田さん、アンタは誰に挑戦状を叩きつけるつもり?影の親分かな? そんな勇気は御党には誰ひとり持っていないでしょうが。 やだやだ。
 年明けて私は頭をリセットしましたら、見えてきたことがあるんですね。長年続く景気の低迷、一番の原因は政治だと確信した。政治が悪いから先が読めなくなった。不安だから庶民の消費欲は上がらない。
 これしかない。政治評論家ばっか増えてしまって、結局何もできない。それとぬるま湯政治、何さまだと考えてんの?と言いたい。
 国民の責任?それも否定しません。政治家を育ててこなかった。利用しようとばっかり考えた。このツケが今、怒涛の如く襲いかかってきたんじゃーないだろうか。ダメならダメとハッキリ言うべきだ。
 それをしながら、今出来る事は少しづつ変えていくことだろうな。いずれ必ず、眼が覚めて本道に戻るから。地図があっても磁石が狂っていたのかもしれないでしょう。政治家で2世3世が余りにも多くなった。彼らは本当の苦しさを知らない。先代の地盤で相撲を取っていい気になり過ぎた。しかし、これからはそういきません。ダメな人間は落とされます。否、その前に当人が政治に嫌気をさすかもしれない。もう少し時間がかかるでしょうが、これこそネバーギブアップざんすよ。
 *福島県富岡町は原発から20キロ圏内、役場そのものが避難し、郡山市の仮設役場で新年を迎えた。原発周辺の人々の実態をもっと取り上げてあげて欲しい。
  富岡町の姉妹都市はニュージランドのオークランド市。自然豊かな北島を代表する都市だ。

2008:砂上の楼閣?

定年後のご夫婦が旅行で行ったインドに学校を建てる活動をしている。路上を生活の場としている多くの人達が今のインドには沢山いる。家族が全く判らず、幼い子供たちが身を寄り添いながら道路で寝ている姿、私ももう30年以上経つと思うが、インドを旅行した時に同じ光景を目の当たりにして衝撃を受けた経験があった。このご夫妻は現在、新潟に住んでおられ、75歳と74歳である。第1線を退き、のんびり老後を楽しむはずだった。旦那さんは、今も週4日夜間守衛の仕事をしながらインドへ送金するために働いている。元教員の奥さんは日本の子供たちにインドの子供たちの話をあちこちで行っている。
 『日本にいれば当たり前と考えることが出来ない国が沢山あります。自分達は定年後ゆっくり過ごそうと思っていたのでしたが、偶々インドを旅した時に路上で毛布一枚で寝ている子供たちを見てしまい、どれだけできるか分からないけれどこれからの人生をこうやって生きて行こうと決めました・・・・・』 
 学校も現地の州でやっと許可がおり、スタートしたという。現在120名を越す身寄りの無い子供たちが教育を受けている。

 何故、マスコミはこのような活動をもっと多く取り上げないのだろう?今の日本は、自国の事で汲々として夢や希望、それと生きがいを摘んでいる。
 寒さをよける家があって、全ての子供たちに教育を受ける機会が用意され、選り好みしなければ、いくらでも働く場もある日本。これを当たり前だと思って長い間過ごしてきた。短期に見れば浮き沈みはあるだろう。しかし、安全な水をどこでも無料で飲める国はそうは無い。寝静まった街の至る処に明かりが灯り、車でちょっと行けば24時間、コンビニで欲しいモノが手に入る国。
 これ以上何を望むのか!
 先のご主人が語った。「子供たちは親を選べない。どこの国に生まれるかだって決められない。でも生まれてきた以上は生きる権利はどの子供も持っている」と。
 そこなんですね。今の日本人に一番欠けているもの。心から感動し、どうすることも出来ない位、揺れ動いた経験があるのでしょうか?なんでもお金さえ有れば手に入ると思っていないでしょうか?それと、大切なのは感動した時に、なぜそうなったのかをトコトン考えてみること。その後何ですね、共感っていうものは。
 本やITは勿論、情報が巷に氾濫しています。誰しもが知識として聞きかじることは容易な世の中になった。ですが、それを自らの生きる手立てにすることができない、(智恵が無い)
 だからだと思う。言葉だけが上滑りしていく世の中になり、それに心を留め、その真意を確かめることはしなくなった。  
 砂上の楼閣とは、不安定な基礎にいくら立派な建物を建てても崩れ易いという意味である。最近のは、ちょっと意味が違う。
日本は外見は素晴らしいものがいくらでも存在するが、その中身に対して多くの人々が疑念を抱いているのだ。卵が先か鶏が先か?という議論ではなくて、妬みや遺恨によるのではないかと思うくらい。
 それと”知足”という教えと実践が無い。自分はこれで良いという確信が持てない。常に周りと比べ、優劣を競う社会。
 豊かさを追い求めた結果、何が起こっているか?不安感!
 *某新聞の片隅にあったこと。
   夫が外国人で二人の子供がある夫婦が離婚し、3人は米国に移り奥さんだけが日本に残された。その理由が放射能汚染に自分の子を晒すことはできないということだった。この記事を読み、なにか複雑な思いになりました。
 

2009:誓い

久しぶりに”ボンジュール”に行った。コスモスの新年会を行うことになり、水戸から駆け付けた。
 40名座れる席は満杯、ちょっときつめの設定となった。親の参加もあるから仕方がない。それとGH利用の方達も何人か参加していた。
 最初に今年、成人を迎えた3名の方々の成人証書を私が手渡し、カラオケ混じりの懇談会に移った。身近に家族を感じる場である。
 限られた時間だから、ゆっくり話をする場にはならないが、席を周ると何人かの親からGHの事を尋ねられた。皆さん、これから先の事をいつも心配されている。自分達が年を取り、家庭で見ることができなくなった場合の安心を得たい。心安まる時がないのです。
 此方も充分その辺の事情は判っている。果たして国は、この先本当に入所型の施設整備はやらないのだろうか?
 財政事情が許さないと言うのが真意だと思う。
実は、これもまた様々な憶測を呼んでいる。時が変わればどうなることやら?しかし、日本が範としたヨーロッパの状況は、確実に脱施設の方向に向かっている。日本だってもう先進(?)の施設は、その動きを加速している。
 ここでの最大の課題は、充分な支援体制が築けるかということだけが残る。障害の重い人達に片手間な支援では無理、そのことを我々が分かっていること、家族もその事を一番心配している。
 老人介護は、今もって右肩上がり、事業を急速に拡大している。特に、最近は有料介護付き老人住宅という整備が目立ちます。規制が強くないことと、もし需要が変わったとしても一般住宅として転用が出来やすいからです。建物の投資金も入居者負担の中でカバーできる試算があるようだ。だけれども、後戻りはできない、昔風の表現をすれば、自転車操業に近いと私は見ている。そのリスクを負う覚悟があるかないか?だが結局は大資本に吸収されて一文無しになる可能性も大きい。これからもっと自前で支援体制を組むことが困難になるからだ。例のTPPだって当然、影響する。もしも外資系の企業の参入があれば太刀打ちできまい。
 方や社会福祉法人の役割が曖昧になっている。株式会社とどこに格差があるのか、正直利用される方達にはあまり判らない。
入居の際の一時金の有無が最も判り易いことかもしれません。その後の費用は介護保険や年金で賄われる仕組み。
果たして、障害関係もそのようになるのだろうか?実態がどうなっているかと言えば、社福の事業所は、ここに至っても危機感が薄いと思う。何故でしょうね、今のところニーズが高いという実態があるからですね。
 私はここに大きな落とし穴が有ると思っている。頭の良い国の連中が考え出す目論見を感じ、いずれ淘汰されるように仕向けられている気がしてならない。最近の私立学校の経営の苦労を見れば一目瞭然でしょう。競争させて国は早々に手を引いて行く。
閑話休題。
 日本がモデルとした西欧の社会システム、今、新たな民主主義への動きが見え始めている。『海賊党』という得体の知れぬ政党が出てきた。インターネットによる自由を唱えてきた若者がその中心で従来の既成政党が行き詰まり、支持者が軒並み急減している背景がある。
彼らは「僕たちは質問者、君たちが回答者」と立党の意義を宣伝する、これは従来の政党と住民の役割をまったく反対にした新しい運動である。「朝日朝刊・2012・1・6カオスの深淵」
 既にアフリカで実証済みのこの新たな動きが日本にも起こるかもしれない。そうなった場合、既得権で守られている業界は太刀打ちできまい。
 世界の動きを一瞬にして自宅でわかる時代になった。そのことに我々はいち早く気づくべきなのである。
2012年はスーパーイヤーとか言われるそうだ。主要な国(アメリカ・中国・ロシア・韓国など)のトップの改選年にあたる。
小泉さん以後、日本は短期で総理を変えていい気になってきたが、これこそ最大の危機なのである。
 国を代表できる政治家がいない。この状況からしてヨーロッパを中心に起こった『海賊党』のような新しい動きに影響されないはずは無し。
 そんな意味で今年の新年会は、私にとっては違った意味がある。面従後言の輩の中で生き残るには、覚悟だけは持っていないと取り返しのつかない事になる。

2010:回想

新年を迎え、いつもと変わらぬ生活が始まる。冬真っ盛りにしては、関東地方だけが全く雨が降らず、乾燥しきっている。
 夜、星空を眺めるとオリオン座?がハッキリと見られる。星をみようと双眼鏡を車に入れてあるが、一度見て全く駄目だった。そのままトランクにしまってある。
 変わらぬというのは間違いで、確実に年を一つ増やして今年は62歳を迎える。走馬灯のように記憶が過ぎっていく。
 ただ、一瞬にして昔に立ち戻ることも可能なことが分かった。記憶を辿るというよりも自然に絵が動いていくという感じだ。
 昨年は友人の一人が亡くなった。彼とは仕事の上で知り合ったから、若い時分の事はお互いに分からぬまま、しかし、障害者への思いは多くのことで共有できた。お互いに夢を語らい、世の中の不条理に腹を立てた。
 もう少し、時間を遡ると学生時代一緒に山登りをした友人二人がこれまた先に旅立って逝ってしまった。一人は北アルプスの北鎌尾根で遭難しヘリコプターで発見され収容された。そしてもう一人、私にとって大きな宿題を残したまま逝ってしまった。
 彼とは様々な事で意見がぶつかったが、不思議とまた和解した。
 変なもので昔を懐かしむともうこの世にいない人達ばかりが出てくる。自分の迎えも近づいてきている証なのか。
 否、此岸にいる人はいつでも会えると思うからで便利な世の中の恩恵を諸に受けている。
 「他人のせいにするつもりはない大人ですから」という言葉、妙に頭に残っている。自分は理屈を捏ねては、世の不条理を嘆き過ぎていないだろうか?
 もっと違った視点でみたら、気が楽になるだろうに。
 分かっているのだが私にはできない。