源究13

(NO161〜      )  

161 図書館 12/3 166 忘年会?? 12/21
162 つながり 12/9 167 理事長懇談 12/22 獅子
163 先輩への追悼 12/13 168 初夢:予約 12/24
164 老人医療最前線 12/14 169 4人の忘年会 12/27
165 通年・・墓参 12/18 170 自由 12/31

161:図書館

図書館でノートとインクの臭い・・・・・学生時代。ジャンジャン。今私は学生気分に浸っている。まー充実しているわけです。だからと言って別に自慢できることじゃないんですが。大きな声では言えないのです。電話や来客から隠れているというのが正直なところ。社会福祉士のレポートの締め切りが迫ってきたので慌てて本など読み始めているわけです。地元土浦の市立図書館は正直ダメですわ。自習室が全く環境がわるい。その点ですね、つくば中央図書館はすばらしい。使い易いし、机がゆったりしていてとても気分がいいわけ。だからかもしれない。利用者が多い。学生も多いのかもしれないな。
 中に喫茶店もあるし、美術館もある。サロン的雰囲気があるわけです。本来こうじゃなければいけない。今度市長にあったらそう言ってやれ・余計なお世話かもしれない。土浦を愛することには変わりあるまい。
 もう40年も前になるな、市立図書館は今の常陽銀行土浦支店のあたりにあった。木造で歩くとぎしぎしなるもんだからそーと歩いたものだ。いつの間にか40年、綾小路??じゃないが年月が経つのは早いな!もう師走だわ。いつもの店からオセチ料理の注文が来ていた。
 いままで本など買って読むものと思っていた節がある。結局本箱がいっぱい。こりゃー無駄だ。そう思って図書館からかりることにした。
 ここのところ急ピッチでレポートを纏めなければいけなかったので3日間通った。その3日とも椅子に座ってグーグー寝ている若者にあった。毎日図書館に寝にきているのかどうか。
 実は昔は大体こんな風だったな。実にのんびりしていたものだ。スローライフに心がけようと思った時から私の目に付くものが180度変わったように思える。しばらくこのスタイルを続けてみよう、

162:つながり

本日思いがけない方から電話があった。SJKのホームページを見てかけてきたという。私は正直記憶がないのだが10年以上も前の東京新宿でやっていた街角からこんにちわという企画でご一緒したという。大分のOさんや埼玉のSさんとも知り合いだった。皆さん仲間だ。私もその中の一人に数えていただいたのは光栄であった。今、先が読めない。現在すらも読めない。自分が立っている場所が分からない。そんな不安感が蔓延している。これは養老猛さん流にいえば都市化社会の弊害ということになる。便利さを追い求めるが故に失ったものが如何に大きいか。
 施設福祉が当にその壁にぶち当たっている。良かれと誰しも思ってやってきたことが根底から覆されている。これは一体どうしたことか!価値感の変化は確かに今は大きい。
 このような流れの中でほっとする瞬間がある。それは何か。共通する価値観とでもいうか、あるいは今流に言えば協働の実感とでも言うのか。いずれにしてもそのつながりが自分の気持ちを冷静にしてくれる。本当に信頼できる人はこの世にいるのか?私の答えはいるはずだということだ。つまり、人間は常に一定ではない。相手に期待すれば裏切られることもあろう。しかし、この人はそうじゃないと念ずることはできる。私は今、職員にそうあって欲しいと念じる。つまらないことで相手を非難したり足を引っ張ることはよそう。幸い私のところの80名強のスタッフは私が思うに信じることができる人間が多い。そりゃーあんた甘いわな。そういわれるかもしれない。でもいいんだ。俺は信じながらこれからもやっていく。つながり。心のつながり。これこそ福祉の原点ではないだろうか!

163:先輩への追悼

水戸の山口先生、愛知の松下先生が続けて亡くなった。お二人の先生には私は何かとご指導を頂いた。お二人ともまだお若くて亡くなった。これからという時に旅立たれた、さぞかし残念だっただろうと思う。お二人の共通する点は知的障害者の福祉に情熱を燃やし、いつも現状に甘んじない前向きな生き方をされた方だった。山口先生は郷里長野から水戸に来られてから通所施設での運転の仕事から作業指導まで全て現場を経験し、最後は施設長としての重責を糖尿病からくる眼の病と闘いながら立派に勤められた。手術を何回もされた。勇退後は自宅でのんびりと療養(透析)につとめられていたが、本心はといえば常にあゆみ園のことが気になっていたと思う。奥様からの申し出でがあって私は葬儀の席で弔辞を読ませていただいた。
 11月27日岩崎学園理事長の松下良紀先生が59歳で亡くなった。岩崎学園は全国的に知られた施設、そこの2代目理事長だった。松下先生とは昨年つくば市での研究大会で顔を合わせた。体調が思わしくないことは前から存じ上げていたのだが、やはりつくば国際会議場でばったり会った時、体が辛そうに感じた。立ち話だったが私に先生のほうから話が持ち出された。 『土浦には大学時代(日本福祉)の同級生がいるんだけど住田さん知らないかな?』『その方はよく知っていますよ』と私が言うと『今日できれば会いたいんだけどなー』という。早速私は電話でその方に連絡する。土曜日で内原の自宅におられたたが夜つくばまで出かけてきてくれて会うことができた。後日、そのことを偉く喜んでくれた。
松下先生とは冗談に2代目会をやりませんかなど話していた。彼は日本福祉協会の副会長を長く勤められ3代にわたる会長を影で支えた。
 いずれの先輩からも私は学ぶことが多かった。松下先生は全国区、山口先生は地方区、でもお二人に共通するのは常に前向きに情熱を傾けながら頑として筋を通され障害者の幸せを願った点にある。近年、施設福祉の有り方が見直し検討されている。
しかし、どのように仕組みが変わったとしても現場に働く人達の原点はお二人の先生が病体にもかかわらず我々に示した生き様の中にあると思っている。
 いずれの施設も両先生の遺志を継がれた方が今立派に仕事を継がれていることと思う。
   改めてお二人のご冥福をお祈りするとともに両名から学んだ生き方を肝に銘じ感謝しながら自分なりに歩んでいきたいと思っている。合掌

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164:老人医療最前線

痛えーよ!ひぇー!・・・私が良く掛かっている病院の待合室での出来事。困った顔をして息子さんらしい方が診察室から先に出てきた。その後這って歩くような格好でしかめっつらの一人のお婆さんが出てきた。『あーイテー。また、騒いじゃったな。だめだーな』盛んに独り言。そこにもう30年も掛かっているという常連のおばあちゃんが待ち構えていて寄っていく。「何やったんだか?えーがい声出して。おらーびっくりしたっつぺーな」「うだってよ イテーんだもの」『インフルエンザってのうったんか?」「??」「うったんかってーの?」「??」「注射だよ」「うだからよー注射うったんか?」「うだねー。注射やられたんだ!」「??」そこに看護婦さんから「○○さーん。お薬できましたよー」「なんだー?またやんのかー?」
ああ・・日本の医療費は膨大なもの。膨らむ一方、これが老人医療の最前線だ。そこに中年の男の方がやってきた。「クスリできたかなや?」「ハイできてますよ」「おら、この白い薬飲まねーからよ。家に一杯たまっちゃった。どうしたらよかっぺな?」・・・・これも医療現場の一こま。
 無駄にされた薬がこの日本ではどれだけあるだろうか。考えるだけでも嫌になっちゃう。
今、国は医療費を抑えるために予防医学に力をいれようとしている。
街のいたるところに物が有り余っている。これを誰しも疑問に感じなくなっているから恐ろしい。
少なくとも元気に年をとることができれば幸せというものである。????世のため 人のため。

165:通年・・・・墓参

境内墓地があります。毎日欠かさず墓参りに来られている方が2名あることに気づきました。お一人はお母さんを亡くされてから早朝ですね。運動スタイルで早足でおまえりに来られている方。一人っ子として育ち、今長年勤められた会社を定年でやめられたそうです。もう一人の方は80歳を超えたお婆ちゃんです。50年連れ添った旦那さんが埋まるお墓があります。腰が少し曲がり気味、そのためでしょうか、乳母車を押しながら自宅から約30分かけて歩いてくるのです。今一人暮らしとか聞いています。このお婆ちゃんは道端にあるお地蔵さまの前を通る時は手を合わせて必ず行かれます。先日、その方がお寺に来られて法事の申し出がありました。私に挨拶するのに廊下に跪いて深々と頭を下げるものですから額を床に強く当たってしまいました。このお二人が毎日墓参に来られている方です。もっといるのかもしれませんが私が知っているのはこの二人です。
 両家とも元々の檀家ではなく、お墓が近いので観音寺の霊園を求められたのでした。信仰心や先祖を敬う生き方はどうも今の日本では影薄くなってきたようです。いつもこれは私自身の事として反省するのです。僧侶としてどうなのかなー?流されてしまってはいないだろうか!本来の心の安らぎは宗教にあるべきものです。何かを支えに人間は生きていたいものでしょう。人間の一生はその時々によって見方が変わるように思います。若い人はその時々の興味によって左右されやすい。年よりは遺された自分の人生をどう生きたらよいのかと思い悩む。福祉という言葉には本来その人が幸せを感じながら生きていくという意味が原点にあるはずです。そこがどうもボタンの掛け違いがあるように思えます。周囲の人の都合で福祉が良い様に解釈されてはいないでしょうか?164で触れたお年寄りが病院に通うことで時を過ごすようになって大分たちますね。昨日知り合いの見舞いに病院へ行ってきました。その人は術後の経過が悪く歩けない状態になり一生懸命リハビリを行っていました。私が見舞った時は昼食の後で歯磨きをやっていましたが3度も歯ブラシを床に落とすという状況でした。それだけ麻痺が進行しているのです。帰る時に彼が私に小さな声で語りかけてきました。「半分自業自得ですよ」
 人間様々な生き方があります。決して一様ではありません。病院の待合室で時間を過ごすお年寄りはまだ良いのです。予防医学を進めるのに宗教が一役果たせないだろうか?
寒い日にも墓参を欠かさないお婆ちゃんは風邪をひくこともなく元気です。亡くなったお爺ちゃんとお墓で語らい自分が癒されているようです。抹香くさい坊さん、寺でなく喜んで訪れてくれる本来の寺院の有り方を模索したいと思っています。いつのことか、WAKARIMASEN
南無大師遍照金剛  ナーム ナーム

166:忘年会??

今月にはいり7回目の忘年会?。これじゃ体が持たないよ!悲鳴。酒は飲めないがちょっと飲んでしまう。意思の弱さだ。久しぶりに12月の1ヶ月が非常に長く感じている。これは正直なところ、健康診断でひっかかり、検査結果がでていないというのが一番の理由だと思っている。なんと、人間は弱いものか!坊さんやっていてこれだもの。お前は修行が足りないよ。と言われることは必至。認めます。どんどん認めちゃう。痛くも痒くもねー。俺は不思議な能力があるのかな?胃カメラのんでから急に胃のあたりが変になってきた。病は気からというが当にこのことか。実際ここのところ体調は充分ではなかった。次から次へいろいろなことが起こった。それが原因とは思いたくないが。まだやるべきことが多いにある。
その辺の欲は人一倍強いのかもしれないな。好奇心の塊、生きる活力源になっているのも事実。スローライフを意識始めた頃からだろうか、先が読めない、読もうとすることが所詮ナンセンスなのか等等。頭の中はグールグル。毎日3つぐらいの会合に顔を出していると何がなんだかわからない。俺は一体何の会議に今でてるんだっけということシバシバ。
 12月に入り、忘年会が増えた。断ればいいじゃないの。そうはいかねーよ!
 スウエーデンに行きませんか?という誘いがあった。行きたいなと思って予定表をみたら3つの予定が既に入っていた。だめだこりゃー。坊さんの仕事で一番困るのは予定がたたないこと。何月何日に誰々さんがお亡くなりになりますからという完全予約制はどうも無理な注文。今密かに画策していることがある。密かにだから残念だが誰にも言わない、モッタイブッテ このー!へん  だ。今日15年ぶりに観音寺の本堂向拝に振り向き獅子がくっついた。いままで無かったからバランスがどうも今一だった。それが今日やっと付けられる。楽しみというかこれでやっと完成という実感。スローといえばスローだな。師走になって何かが走っている。私に関係ないところでどうも走っているようだ。
 

振り向き獅子15年ぶりに設置

167:理事長懇談

今、毎日のように理事長懇談を行っている。例年の事だがグループ毎の話し合いだ。理事長の考え方は普段どうしてもゆっくり話す機会が持てないので一方的な話になってしまう。現場の生の意見を聞くことに意味がある。正直私は大変驚いている。職員一人一人が良く考えているなーという感想である。要望もたくさんでるから私としては大変である。しかし、一人では何もできない。その意味ではこの懇談は非常にタイムリーで内容があると自負している。
 これから攻めの経営を行うときの力強い後ろ盾になる。家族会の意見も当にそうである。尚恵学園の特徴の一つに親の会活動がある8つのブロックに出身地単位で分かれている。それぞれのブロック毎に行事がある。一泊の研修やらバーベキューなど、そこに参加するとご父兄からの生の意見が聞こえてくる。この伝統はもう何十年も続いている。
利用者と事業者側の立場は微妙だ。そこを穴埋めしてなるべくお互いのズレをなくす方法としてこの活動は大切だと思っている。理事長との懇談は1対1も含めると多分10回以上になるかもしれない。これも尚恵学園の一つの伝統として位置づけている。
 

168:初夢:予約

まだ早いんじゃないの!いや、今から予約してこう。正月の初夢を予約している自分がいる。どうも変だなという思い。お前はずーと走り続けてきたんだよ。この辺でゆっくりしたほうが良いな!陽だまりの中で田圃の土手に寝そべって眼をつぶり、ボーとしている。これがだ、南洋の島かなんかで、波が打ち寄せる音を聞きながらヤシの木の下で。
 ハンモックに寝そべって休む。朝起きると釣りをして、昼にはぶらりと島の中を歩く、夜、満天の星空に包まれて生きている実感を感じ、明日何をするかなどお構いなし。
 僧侶とか理事長なんかの肩書きは全て脱ぎ捨てて、裸一貫になれ!
 いいだろうな。時間がゆっくりゆっくり過ぎていく。あっそうそうそう何か思い当たるふしがある。丁度21の時だったなー。式根島で全く同じ事をしていた。その記憶と重なる。
 その島には海岸が温泉になっているところがあったな。足付け温泉とかなんとか言ったっけ。適当な湯加減は潮の満ちひきできまる。本当にのんびりしてた。よかったあー。33年前の大昔。
 今回、ちょっと体に不調を感じた。しかし、仕事は全く休まずに続けた。いや、休めなかったな。特に法事が多かった。土;日は3ヶ月先まで法事の予約が入っていた。多い日には6件もの法事があった。三礼で立ち上がるとクラーと目眩がしたっけ。それに月から金まではハリネズミみたいに毎日のように動き回った。その結果だろうな自分の体に異常を感じた。結果的には想像上の異常だったようだ。しかし、54歳になり、もう無理はできないよという警鐘がなったと今は受け止めている。今年は知り合いで仕事を辞めた方が何人もいる。その人たちには良い充電の期間ですよ、ゆっくりしたほうが良い。今まで働き続きでしょう!羨ましいな。なんて激励していた。それが自分の事として今考えるようになった。
 その第1弾が初夢なのだ。ニュートラルに生きよう。もう少し地に足を付けてな。
 ニワトリみたいな忙しない生き様は良くない。良寛さんみたいな子供と鞠つきする姿に憧れる。
 皆さん、そう思うでしょう。情報過敏症になって、可愛そうに。はつゆめ&独り言

169:4人の忘年会

我が町には三吉という飲み屋さんがあります。私は何度か利用者さんと一緒に飲みに行きました。今日は前からの約束ということで4人で忘年会をやることになったのです。話題の中心は例のNさんです。彼は52歳、無類の酒好き、毎月2回ぐらい、いやそれ以上だな、無断でどこかに行ってしまう。同室のTさんも今日は一緒だから蚊の鳴くような遠慮した声で、「あのーね!Nさん、何処にいつも行ってるんの?」「おらー何処さもイかねーよ」「だって、この前だって水戸に向かいにいってもらったじゃないの、○さんが迎えに行って遅く帰ってきたよ」「俺がーよ。警察に頼んだんだよ。そろそろ迎えに来てくれねーかなって」「何処の警察?」「水戸の鉄道公安。(声を小さくして)せんーせいよ!今度、東京に行ってもいいかな!」「たいへんだよ。そりゃー迎えにいくの大変だ」「だって水戸だって1時間かかるべな。東京と変わんねー」ああああ。彼は生レモンハイを飲んで段々調子が良くなってきた。彼らの話を黙って聞いていると彼らは良く見ているなーと感心する。職員の動きなど本当に良く見ているんだね。怖いぐらいだ。「○○学園はだめだー。鍵かけるんだ。。。」「あそこの学園は良いんだけんど、40人も待っているんだもん、入れねー」「・・・・」3人が思い思いに自分達の経験を話し始めた。私にはまだ遠慮があるらしい。時々ちらーと横目で私を見る。ビール2本にチュウハイ6本、このくらいでやめておこう。今日はMさんからの申し入れで飲みに来た。彼は明日仕事が終われば家に正月休みで帰る。「今度園長におぐるよ。」とMさんが言った。「いつのことだか分からねーな。でも、嬉しいな。待ってるよ。少しでも仲間に入れてくれるんだから。」私は地元で飲むと必ず知り合いに出くわす。今日も隣の席に良く知っている人が二人、ここの店長も私は良く知っている。地域の人達はどう見ているのかな?自然に受け入れてくれているように感じる。
 彼らの楽しみは全く普通の人達と変わりない。お酒飲んで鬱憤をはらし、「また明日、仕事だもんな」と自分に言い聞かせている。3人の内で2人は定職がない。浪人中といえば格好がいい。自らは求職活動はしない。働くつもりはあまりない。否、彼らの言い分は自分にあった仕事がないというのが正確かな。しかし、感心するのはNさんは朝が早い、今朝も6時半には一輪車を押して落ち葉を集めていた。一宿一飯のせめてものお礼にと?
 彼は独り言を言いながら仕事をする。外の仕事は好きなようだ。これからまた何かをしでかすかもしれない。いや、必ずする。絶対だ!
彼らとの付き合いはとてつもなく奥深い。様々な経験をしてきた彼らとの繋がりは一度信頼関係ができれば本当に長い間それが保たれる。
 

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170:自由

施設福祉の問題点は何か?一言で言えば選択の自由がないということだと思っている。人間は行動を何らかの理由で規制されると反発を感じるものである。
それが一時的なものであれば耐えるということができるのだが、先が読めないという中での自由の束縛には忍耐にも限界があるというものだ。実はこのような結論に達した理由を挙げれば無断で外出する3人の利用者から教えられたからである。尚恵学園設立当初は無断外出といってもある程度予測できたから捜すと結構見つかった。しかし、いま、3人はいくら我々が血眼になって探してもみつからない。それはなぜだろう?
 彼らは今自分が置かれた状況に耐えることができないという理由から出るのだ。しかし、複雑なのはそれじゃ彼らの望む自由な生活がどこにあるというのか?実は無いのである。だから、今までもそうだった、ギリギリのところで彼らは信号を送ってくる。警察に駆け込んだり、病院へ担ぎ込まれたりという選択である。そのことがある程度予測出来るのに黙って見ていて良いのかという批判を受ける。本人の選択の自由を保障しようとする仕組みの中で、明らかに自分の意思で外出してしまった彼らに事業者としての責任問題が問われているのである。自分で選んで出て行ったのだからこちら側の責任はないと言ったとしたらその反響は大きい。大きな矛盾である。
 しかし、私は今までに彼らに対して決して無断で外出してしまったことに攻めるようなことは敢えてしていない。いつでも受け入れるということをその都度彼らには伝えている。
 私は自由には義務があり、リスクがついて廻るものと思っている。彼らのパートナーという役割に視点を置けば、共に考えていくこと、これが私の答えである。