源究132

 

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
2151 本気になれ 6/7 2156 曲学阿世 6/12 2161 支援 6/18 2166 声明 6/23
2152 プラスワン 6/8 2157 葬儀事情 6/13 2162 アジサイ 6/19 2167 タヌキとキツネ 6/25
2153 留まらず 6/9 2158 運否天賦 6/14 2163 暴風雨 6/20 2168 糸賀先生 6/26
2154 熟年全開 6/10 2159 軽井沢 6/16 2164 弥縫策 6/21 2169 見えた! 6/27
2155 言葉 6/11 2160 軽井沢2弾 6/17 2165 隠忍自重 6/22 2170 勘違い 6/28

2151:本気になれ

6月というこの時期に何故かと思っているが、利用者の皆さんが体調を崩され静養されている。いつも思い出すのは私が若かった時分に風邪が大流行し、8割の利用者が寝込んだ時の事。
 その時でさえ、メンバー達は家に帰ることができず、学園で過ごした。当直の晩、「これで 良いのかよ! 家に帰って寝かせて欲しいよ」と、父に訴えた。その時、なんと言われたか記憶が辿れない。
 もう、30年以上経っている。その時の父の立場に自分が立ち、もの凄い孤独感に苛まれている。こんな時こそ家にメンバー達を返したいけれど、それができない。このジレンマはこの仕事と真正面から向き合えば常に付きまとう。感謝と内省が自分の中で混在し、一瞬目くらましにあったようになってしまうのだ。
 正直に吐露すれば、感謝があって報われる世界だ。・・・・・が、そう言えない状況が蔓延った。何がどうなっているのか?
 だから言っただろう!と。
 本気になれ!
 逃げずにたち向かえ、逃げ切れるはずなどないじゃないか。・・・・・・・・。
 ドラマや映画で不死身の正義の味方に心救われる思いを感じたのは、子供のころだった。いつか必ず悪をやっつけてくれるからという安心を持って観た。
 気が付くとその類の番組が姿を消し、トリックを駆使し、ドンデン返しの連続、どうなるかハラハラドキドキものが増えたように思う。
 なんと言えば良いのだろうね。
 現代を価値観という視座から見廻すと、ある傾向に気づく。確実に自分中心の世の中になった。昔ならば、少なくとも多少の遠慮があって、権利を表だって主張することはなかった。その意味では権利とか自由という言葉が軽くなり過ぎた。限度を決められず箍を外し、どこに行こうとしているのか!
 ちょっと立ち止まって思い起こして欲しい。自分が本気になってやっているかと。
 誰かの真似ごとで良いとこ取り。福祉の世界を見ているともの凄いスピードで実態が変わりつつあることが分かる。
 何でもそうだろうが、片手間でできる事などないはずだ。人材確保で四苦八苦している中で、募集すれば何十倍の申し込みがあるという事業所、どこがどう違うのでしょうね?
 本気度という尺度があるとすれば、その辺が一つの要因ではないだろうか。じゃーどうして本気度を測るのよ?
 一言で言って逆境にある時の身の振り方だ。
 過去の言動は変えられない。どのような言い訳をしても、それは言い訳の上塗りを続けるだけ。
 施設が利用者から選ばれる時代になったと言われ、もう何年が経ちましたかね。 これを本心で言う関係者はどれ位の数いるでしょうね。もしかして、これもトリック?本当は施設が利用者を選んでいますよね。こんな事を言えば業界からは嫌われる。
 でもね。これが許されたのは嘗ての日本に余裕があったからですよ。財政の余裕が無くなり、全体がスリム化しないと破綻します。この危機意識がまだ充分でない。まだ大丈夫、どうにかなると思っている。増税の前にやるべき事があるでしょうという議論、可笑しなことを言う人達だ。アンタが無駄なんだよと言いたい位だ。大いなるモノはとっくにお見通しなんだよね。
 この対処は、やっぱし、勇気&本気だろうな。
 

2152:プラスワン

反省、大いにしきり。少しでもアルコールが入ると私はどうも悪癖が出る。つまり、どういう訳か、余計な事を言ってしまう。これをプラスワンと言う。でも、自分では何を言ったか覚えていない。ああ・・・こんな事を言ってしまったかな?ぐらいだ。
 だから、大して気にする必要もないのだが、小心者の私には黒子のようにくっ付いて離れない。
 ま・・良いやね。
 ”伝統は変わらねば続かない”という。確かに、何を残し、何を切るかの判断は難しい。切ってしまってから、早まったと気づいても後の祭り。
 人間なんて、立派な事を言っても、そうは問屋が卸しません。本当は黙っているのが一番なのだが、性分とは如何ともし難しでそれができない。これが年を取るにつれて、益々盛んとなるから始末が悪い。
 そこで、現代を生き抜く妙案はないか?と考えた。あるはず無いじゃない。当たって砕けろだ。失敗を薬にして、次に活かせば良いのかも。
 昨日の新聞に僧侶派遣会社の脱税問題、国税庁が入り、追徴課税。以前からこの種の会社があることは知っていたが、とうとう、公にされたか。でも無くならないと思うな。既成宗教が変わらねば続かないとは、このことだ。
 実は、昨日葬儀があった。火葬場に着くと丁度焼香の真っ最中、外で待つ間、こんな話が聞こえてきた。
「あれ、、○○寺でしょう。葬儀、20分だもんね。だから早いんだ。」と。へー20分。なんとまー早い事。私も早い方だと思っていたが比較にならない。なぜなんだ?長ければ良いということも無い。でもな。。。ちょっとな。
 ああだこうだと憶測はするが、真実は分からない。
 また、この逆もある。たっぷり時間をかけいつ終わるとも知らないお説教、弔問客も居心地が悪く、帰るに帰れず。そこに颯爽と現れた僧侶派遣業。お好みの坊さんを用だてますと、今にリストから選ばれる時代になるのかも知れません。絶対に登録なんかしない。死んでもするもんか!
 ?????死んだからお経を読むんだっけ。自己矛盾とはこのことだ。
 お寺ほど伝統に拘る世界は無い。古ければ古いほど良いというのは周りを見回しても他には骨董品位だ。じゃー坊さんは骨董品?
 そうかも知れません。
 昨夜は某研修会に呼ばれていて、遅くなったが宴会には間に合った。同テーブルの方に「本当に葬儀があったの?」と聞かれた。不都合な時に葬儀が入ったと言い訳する坊さんは一杯いる。お前もそうかと言うこと。
 キッパリ言ってやった。本当に葬儀があったんだ。何か宴会の席での話にしては、どうも関心しない話題となった。
 指名を受けた挨拶にその事を言ったら、拍手された。何を残し、何を切るか・・・・・・。実に難しい。
 

2153:留まらず

日本人が岐路に立たされている。原発の再稼働を実施したいという野田総理の記者会見が昨夜行われた。関西電力の大飯原発の再稼働の必要性を国民向けに行った、一時反対を表明した大阪の橋下市長は夏限定の稼働を容認、果たして関係地域の人達の判断はどのような事になるのだろう?
 茨城にも東海原発が在る。福井県だけの問題では無く、全国に今停止中の原発への影響は必至だ。
 一先に原発ゼロを宣言したドイツは今どうなっているのだろう。ユーロ危機への不安の中でドイツだけが果たして一人勝ちを許されるのだろうか。国内でメルケル首相への反発も出てきたと聞くが、もう一方の優国フランスが政権交代、流れが変わりつつあることは確かだろう。
 ヨーロッパの事情と島国の日本は違う。隣国といっても海を隔てての関係だ。世界で今 アジアが一番活気があるという話は日本に居ては感じない。
 ただ、原発の問題は簡単ではない。国会事故調査委員会での審議が続けられる中で当時の関係者の陳述は、自らの責任を棚上げし、弁解に終始、今回の再稼働に関しては一様に口を噤む。
 彼らは役目と割り切ることはできるだろうが、原発被害にあった人達はたまったもんじゃー無い。
 ここでも多数決の手法が使われるのか。
震災後、1年3カ月が過ぎた。時間だけは留まらず過ぎて行く。日本人があの時の記憶を心に確と留めておくには、時間との勝負なのでしょうか?大半の国民は、様子を伺っているだけで自らはどうしてよいのか判らない。せめて原発関連の集会や署名に協力する位ができること。
 一般庶民のいま置かれている環境は、正直、自分のことで精一杯、将来への夢どころではなく不安に苛まれるだけである。
 いつも思うのだが、我々団塊世代は高度成長を経験し、日に日に変わる街並みを直に見つめてきた。これが良かったのかどうか今となっては自信が無いが、コンクリートの建物を壊し、新たなビルを建てる余裕は現在の地方にはない。どこの街に行っても空き地と駐車場ばかりが増えている。
 再開発という計画も何度も書き直され、中断されているものが多いはず。
 私の住む地域は、依然として道路工事を行っている。これは何十年前からの計画で、少しづつ付いた予算範囲でやってきたから、まだ全線開通とまではいっていない。それと、縦軸の新たな道路もほぼ完成し、近く通行できるようになるはずだ。しかし、横軸の道路が上手くできていない。多分、その交差点で車の渋滞が起こることとなるだろう。
 更に尚恵学園の敷地にかかる道路計画もあって、これが誰に尋ねてもいつ始まるか分からない。またしても、急に始って建物の移築をしろと言われるのか。
 日本の公共事業は個人への配慮は軽視。なんたって道路の計画は30年以上前に作られたものが大半で、何をするにしても条件が付けられてきた。その時には速やかに移動するべしと。
 なるべく不自由したくない。だから、自前で建て替える場所を確保しないと大変な事になる。
 一時も休まる事を知らず&留まることをしらず、 時間だけが流れ その合間をぬって 私たちの生活が成り立つ。
 これが日本の目指す、超近代福祉国家の実像なのでありましょう。それに異を唱える事を恥と教えられ、出口の見えない穴の狢と化したのか。

2154:熟年全開

電車に乗るとシルバーシートなるものがあって、いい若者が堂々と座っている。携帯に夢中で本来そこに座るべき人が前にいるのに気づかない。
 知らなかったんです。すみません。・・・・・・・。何か変だよね。誤れば済むと思っているのだろうか?これが今の日本の姿でしょうか、自己中心で周りへの気配りが無くなった。
 ”チャンスは貯蓄できない”という話は、田原総一郎司会でミスター円と小泉政権時の財務大臣、お二人とも今は大学で学生相手に喋ってナンボ、肩の荷も軽く、いたって元気です。
 3人の遣り取りをテレビで見ていて、素直に聞ける自分に驚いた。正直、以前のこの3人には半信半疑、なにか腑に落ちないものを感じていた。画面での3人に共通するものは、現状の日本に対する危惧と私ならばこうするという事、言いたくて仕様が無い御三方、これは全く前と変わらないが、お互いが相手を受け入れているんですね。
 口を揃えて日本の政治や企業に戦略が無いという。更にグローバル化に対応すべき教育がなっておらんと。アセアンで活気のある国は先ず母国語と英語力を付けさせる教育が進んでいる。その分野で後塵を拝するのがアジアでは日本だ。確かに国内相手でも適当な消費ニーズがあったからそうなった。外国で売れる商品を安価にどう提供できるか、これこそが最優先すべき課題なのに、どうして国内の企業同士で同じものを作って競争しているのか。弱電産業は韓国や台湾に大きく水をあけられ、収益を大きく下げている嘗てのトップ企業。その中で唯一、業績を上げたのが日立グループ、この企業に学ぶこと大である。・・・・・・・・。言うまでも無いが、日立の発祥の地は茨城だ。
 実は、製造業だけのことではない、日本全体の構造的な問題だと言う。全くの同感だ。
 何せ、国会は決め事ができない。これを大衆迎合主義(ポピュリズム)とか言うそうだ。
 そこで、私なりの考えは、熟年パワーを全開し、再度花を咲かせましょうという提案だ。良いじゃないの幸せならば・・・♪
 最近は見かけなくなったが、公園でゲートボールに興じるお年寄り、自分も還暦を過ぎ、そのお仲間入り? 身の毛立つ思いだ。一生働けと言えば、反発もある。好きな事で元気に働けといえば、出来ないよと。
何だい何だい、自棄に意気地が無いな。 super old man になれとは言わないが、地産地消じゃーないけれど、何か一品、一芸でいいから、自らの得意とするもので勝負しませんか!
 熟年パワーを温存することほど無駄な事はない。家の中で子供に気兼ねして静かに過ごすのも良いでしょう。否定はしません。でも健康の為、特に心の健康のためには働くことが一番だと思います。世間様と没交渉になると、脳細胞が退化する。
 坊さんやってますとね、遺族の話をどうしても聞かない訳にはいかないのです。家のおじいちゃんは寝込む事も無く、最後まで元気で好きな事をやっていましたから、悔いは無いと思います。この言葉を聞いた時のお経はどういう訳か良い声に聞こえるんです。
 チャンスは貯蓄できません。これホントですよ。健康だって貯蓄ができない。

2155:言葉

私の英語力は大したものではない。日本人が何故、英会話が苦手なのか理由は簡単、英文和訳、和文英訳で考えるからだ。主語と述語、目的語がどうで副詞がこうで・・・・?これじゃ会話になりません。パーフェクトな文章を常に作ろうとするから相手が何を言っているのか自分が何を伝えたいのかというのが曖昧になる。
 英語で考えるのが一番良いのだが、それは難しい。ならば単語を並べれば良い。
 日本人同士が完璧な日本語で会話してたらどうでしょう?心が入らず、この人私を馬鹿にしているんじゃないだろうかと思ってしまう。
 ”笑顔”・・・・私は貴方が言ったこのことが嬉しかったので笑顔になりました。なんて言わなくても、ほほ笑むだけで相手に通じます。
 知的に障害のある方の自己決定という問題ですが、これが実に厄介です。身体障害の方達は自分の思いを伝える事はできます。視力障害の方は点字、聴力障害の方は手話、難病ALSで闘病生活をされている私の恩師で仏文学者の篠沢秀夫先生は言葉を失ったけれど文字盤などを駆使して伝達手段としている。
 何故知的に障害が有る方の意思伝達が難しいかというと、例の内閣府の障害者制度改革推進会議のメンバーになった北海道の土本さんがイエローカードを用意した話、彼ほどの力が有る方でも言葉だけで理解し合う事に無理が起こる。
 国は様々な仕組みを考えます。成年後見制度もその一つでしょう。いまその事で裁判になっていることはご存知でしょうか?後見制度を受けると選挙権が無くなるという事がおかしいと訴訟が起こされた。司法がどのような判断をするか関係者の皆さんは固唾を飲んで見つめています。
 言語は違っても何か通じ合う方法は見つかるのではないでしょうか。肌を触れ合うこともそうでしょうし、しっかりと相手の手を握ることだって言葉以上のものを伝えることが可能です。
 では人が相手を信用することになるのはどんな場合でしょうね。
 良く考えてみると自然に相手をランク付けしていませんか?3A〜Cまでと細かにはしていないでしょうが、アイツは心底信頼できる人間だなんて良く言う人がいます。これはAAAです。でも何かの切っ掛けでBに下がるなんてこと良くあること。
 男女の恋愛なんてその代表で、日替わりメニューのようです。
 恋愛が成就できず、涙を流した経験が有れば分かっていただけるかな。もともと縁が無かったんだわと諦める。
 仏教は因縁を根本の教義としています。
 ・これありてこれあり
 ・これ生じるがゆえにこれ生じ
 ・これなければこれなく
 ・これ滅すればこれ滅す
 この四諦の考え方は全てに通じますよ。「これ」を「言葉」と置き換えてみれば、何となく解ったような気になりませんか。
 

2156:曲学阿世(きょくがくあせい)

曲学阿世という言葉には戒めの意味がある。自説を曲げ信念や気概を捨ててまで権力者や世俗におもねり人気を得ようとすることを言うそうだ。
 自省を込め、そう成りたくは無いと思っている。時流に媚び諂って良い事など何も無い。いずれ用を為さずと捨て去られるだけだ。拘りとも違う。敢えて言えば持って生まれたどうしようもないDNAでしょうか。
 空海の悩み・・・・例の如く、偉く話題が飛びますがお許しを。果たして空海が高野山の大伽藍をどう思っていただろうか?
根本道場として八葉の蓮華の山並みの中心を選び、そこに一大宗教都市を築く。自らは奥の院に今も生き続けていると説く。19歳の空海が室戸岬の洞窟で瞑想に耽った、その真意はいかに?
 大伽藍など望みはしなかったのではないだろうか。未来永劫に世の中を見届けて行くという決意。
 一人一人の望み⇒現実との乖離?際限無く広がるこの永遠のテーマと真正面から立ち向かうのは大変だ。結局は思い続けることしかできないようだ。あの空海ですら悩み続けたものを、凡夫たる我々がさも解ったように振る舞う事は非常識。
 社会保障と税の一体改革の検討委員会のテレビ中継を見ていて、曲学阿世という言葉が思い浮かんだ。政治家にとっての人気とは選挙に勝つことでそれが唯一無二の関心事。彼らには自説というものが有るのでしょうか。常に出来ない理由とセットで考える。
 小沢さんが税を上げることは賛成できないと言っているそうだ。ホントの気持ちを表に出さない人間の言う事を誰が信じると言うのでしょうか。
新党を立ち上げるとかの噂もチラホラ、トットと別れたら良いのにね。そう言うと別れない理由をまた並べるんでしょう。大体解るよね。困ったもんじゃ。
 空海の生きた時代は、今とは比較にならない程、官僚的で身分の格差が大きかった。何せ僧侶になるにも大変な時代、
なれたとしても重大な使命が課せられたのです。国が認めた僧侶は何人もいなかった。
 その当時から1200年の歳月が経っている。
 
 またもや理解できない無差別殺人が大阪で起こった。刑務所から出たばかりの人間が将来に悲観し見ず知らずの人を二人も殺傷したのである。
 その理由が殺人を犯せば死刑になれるからだと言う。被害者の事など全く眼中になく、自分の事だけを考える。
 受刑者の社会復帰は難しい。世間は決して罪を犯した人々を温かく迎え入れることなどしない。だから同様の事件が後を絶たずに起こるのだ。更に追い打ちをかける事がある。命がけで受け入れようとする人達への社会の理解が薄い。
 若い人達の中にも自分の意思でそのような活動に入っていこうとする人がいる。世界を見回せば今も貧しさから過酷な生活を送らざるを得ない国々が沢山ある。そこに関わった事のある人でなければ分かり得ないものがある。

 これも解り辛いことの一つで、教育の問題。高校授業料無償化が実現し、誰もが入りやすくなった。更に大学の授業料無償化もはかるべしとの意見。
 昨日、水戸でOB会があった。そこで聞いた話。日本の大学で4割が定員を満たしていないという。
 大学の数が多過ぎるのか?授業料が高すぎるのか?それとも入る価値が無いからなのか?
   

2157:葬儀事情

貴方の職業は?と尋ねられていつも迷いがあります。福祉施設の職員です。寺の坊さんやってます。この二通りを使い分けている。意識してではありません、いつの間にかこうなった。そうそう、坊さんの前に”なまぐさ”を付けることが多いかな。
 自戒を込めてそうなってしまった。申し訳ございませんね。
 最近、葬儀の事情が変わってきました。坊さん派遣業なる新手の職種が加わり、混乱しています。これだって規制緩和の流れの中で、昔なら禁じ手だったものが堂々とまた喜ばれて伸びてきた。
 謂わば独占業界だった寺院が、高齢化社会という時流に乗り、今や花形(?)産業になっている葬祭業に圧されている。私が言うのも変だが、彼らは実に工夫をこらす。サービス業に徹しているというのでしょう。24時間365日窓口対応、お客さんの希望に全て対応できる態勢をくむ。その一つが坊さん派遣なのである。
 お寺も若い僧侶達が危機感を持って、対抗手段を練り始めてはいます。良く考えて見ると、これが宗教の本来の有るべき姿だったと言えまいか。ザビエルが危険をおして宣教の為、日本に来たのも同じ。
 日本は八百万の神が存在する特殊な国、そこで新たな宗教を根付かせるには大変な覚悟と苦労があったはず。
一方、仏教だって西暦500年代後期に日本に渡った外来宗教、それがずっと続いてきた。何故、続いたかは諸説あるが、一般的には徳川幕府の政策によっていずれかの寺に所属する寺請け制度からだろうと言われる。その制度により寺院が守られ続いてきた。長く続く間には様々な問題を抱え変遷を繰り返しているのです。
 僧侶を養成する仕組みは宗派により若干の違いはあるが、専修学院や宗立大学で行っているものが多い。真言宗は高野山大学・大正大学・種智院大学・・・など真言宗の僧侶が学べる大学がある。
 学生数で断トツに多いのが大正大学で約5千人、3派4宗の僧侶の養成コースがある。私もそこで学んだ。
昨今の大学は学生募集に苦労している。大正大学の学生の9割以上は寺には無関係な一般学生だという。それに女性が断然多い。私が学んだ時代とキャンパスの雰囲気がガラっと変わった。どう変わったか?活気があって華やかになったという。それなら良いじゃないかと素直に喜べない事情がある。
 私が何度か訪れた事がある。ドイツのチュービンゲン、そこは学生の街、街全体に歴史があって、落ち着きのある街である。キリスト教を学ぶ学生も沢山おり、そこで資格をとり世界を活躍の場とする若き宣教師がいる。(横井氏解説)
 その点、日本の宗教大学は外国語に力を入れて、世界を視野にいれているとは言えない。
 また、それぞれの寺院が本山との密接な関係を保ち、縦の関係を重視、横道にそれることを一番危惧している。
 日本には地方にいけば伝統文化や昔からの風俗習慣が今も残っている。そこに上手く寺が共存してきた。
 だが、それが危うくなっている。
 伝統は変わらないと続かない。 これは一つの真理である。寺院が本当に危機感を持っているかといえば相当温度差はあります。檀家制度という仕組みが崩れ始め、それにいち早く対応しようとする僧侶はまだ少数派でしょう。
 新手の分野を開拓することも必要かもしれませんが、やはり、原点に戻って何をなすべきかを考えることが一番だと私は思う。
 確たる覚悟と決意を持って。それが無いと継続できません。
 

2158:運否天賦

自らが置かれた状況に不平不満を言う人が多い。その中の一人が私かも知れぬ。
 bloom where God planted you。これは『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬舎)著者:渡辺和子さんの本である。157ページの小さな本であるが、発売1カ月で23万部を突破するという今人気の本である。早速買い求め読み始めた。分かりやすく85歳のご年齢で体験豊かな女史の飾り気の無い文章に引きつけられる。キリスト教と仏教の差こそあれ、窮極的なテーマは同じだ。「時間の使い方は、そのまま、いのちの使い方なのです。」と語る。簡易な言葉ながら奥深さを感じる。
 現代ほど「いのち」の捉え方が多様化した時代は過去にあったでしょうか?恐らく一人一人が持つ情報量の違いからその様に感じるのだと思うが、避けて通れない重要問題である。
 運否天賦(うんぶてんぷ)とは運不運は天のなすところであるという意味。近年、人知を超える出来ごとに為す術も無くうろたえ、結論がでない議論に相当な時間を費やしてきた。様々な価値観を持つ人間が集まるのが社会、それが国という体をなし、進むべき方向を定めるには、良くて過半数の賛同を得れば良い。それ以上それ以下でも無い。
 本質的に大差が無いのである。つまり、要となるのは生命の大切さ、幸せを求め、悔いの無い人生を全うする事。これ以上の望みは付け足しだ。
 昨日、友人の見舞いに行った。気持ち良さそうに寝ている。本人には声をかけても誰だか分からないかもしれない。今となっては言葉で交わすことはできないが、多くの事を感じるのだ。多分、家族にとっても彼の意を組み取るに充分な生き様が限られたベットの上の姿から受けているに違いない。
 何ら反応をすることもないのだが、置かれた場所で精一杯咲いているのが嫌というほど分かる。
 今日は、長野で研修会があって、茨城からも多くの人が参加してくれる。2年後に茨城当番で同様の研修会を開催するので、視察を兼ね、参加を呼び掛け20名以上が協力してくれたのだ。
 研修会そのものの成功不成功を判断するのは難しい。参加人数で評価するのもどうかと思う。それよりも、各自がどう関わり、何を得たかによって判断されるべきものだ。
 長野から帰って直ぐにある集いの準備に入る。これは、日本の事より外国の実践報告を紹介する中身で外国から見て今の日本の有り様を語り合うという狙いだ。これにはなるべく若い人たちに参加をしてもらいたいと思っている。
 そして、月末、北海道に行くことになった。急遽人に会う為に誘われたのである。便利になったのは、茨城空港から新千歳の便があり、土浦から2時間半で札幌に行ける。そして、羽田から出る飛行機より、値段が半額以下ときている。
 別に焦っているとは思っていない。チャンスは貯めておけないということだ。
 法人内で季節外れのインフルエンザが流行し、対外活動を自粛、やっと落ち着きを見せてきたら、職員よりいくつもの研修希望が上がってきた。やれ!の一言。
 ただ、研修先への礼儀を弁えろとしつこく言っている。問題はそれだけでは無い、研修してきたことをどう活かすかと言う事だ。
 運不運に振り回されることよりも、自分がどう自分のいのちを使うかという問題が本質だ。
 

2159:軽井沢

通過することは何度かありましたが、軽井沢駅に降りたのは初めて、2日間にわたる研修会の会場が軽井沢プリンスホテルウエスト、いち早く申し込んだ。それに今回は茨城大会を2年後に控えているので視察団を編成、大勢で参加したのです。
 長野県は全国でも有名な教育県、確かに研修の内容も様々な工夫がなされていることを随所に感じた。
 参考になるかな?ウーム。
 大会のテーマ・・・・・Always オールウエイズ 現場主義 〜その想いをかたちに〜
シャレている。会場も軽井沢。ネームバリューの高さをどうとらえるかは参加者の自由。しかし、全体会で歓迎挨拶をした軽井沢町長さん、軽井沢が別荘として開発され既に126年が経つ・・・・・・云々。歴史を感じた。
 その瞬間、現実に戻った。さて、我がイバラキは如何にしましょうや!
 ・・・この紋どころが見えねーか!ひかえひかえ・・・・・・何故だ?変だろう?  イメージがどうしても黄門さましか出て来ない。・・・・・・・
 この発想の乏しさよ・・・・・・。されど 我が故郷茨城。数多くの良き先人を泣かせて良いのか!まだ時間がある。
 正直に言います。新幹線で軽井沢について、真っ先に目に付いたのは駅ホームでゴルフバックを下げた男性。一緒について行こうとする自分を感じた。72”とかいう名門コース、是非一度ラウンドしたいな。
 そしたら、なんと私が泊るロッジはゴルフコースの”@番ホール”の直ぐお隣だった。
 なんてこった。
 帰りは早めに失礼した。上野駅で人と会う約束があり、あるイベントの打ち合せ、駅構内からは出ないで立ち話、その後、直ぐ常磐線で帰った。
 どうしてなのですか?こんな日に限って檀務が入るんです。家で衣に着替えて通夜に向かった。
 その時、ふと思い出す。Bloom where god planted you!という言葉。置かれた場所で咲きなさい。これしかないよね。 隣の芝生は良く見えるもの、身の丈で生きればそれが一番。
 これこそが究極の現場主義、なんだそうか!新しいことや流行を追って自分達は専門家と自認する輩が多い世の中で、ひたすらに自らが信じる事を目立たず謙虚に生きる人がいま日本に一番望まれていることでしょう。
 想いをかたちにすることほど実は難しいわけ。だって、仏教的には、それは所詮無理だと断ずる。実はこの世にある全てのモノが常にうつり変わる。無理して留めようとすることは無駄だと観ずる。
 いま、障害の有無如何に関わらず全ての人間に問われてる課題は明確だ。言うに及ばず、生きることの意味を誰しもが見つけ出すことではないでしょうか。
 昨日は、珍しく電車の遅れは無かった。人身事故によるダイヤの遅れが無かったのです。
 知らず知らずの中に、我々福祉に関わる者たちが、世間からみてどこか異質の存在になってしまった。その事にこそ目を向けるべきで、障害の特質やそれを支える仕組み手段を得意(?)になって語り合う集会に何か違和感を持つ。まったく一般市民の感覚と隔絶した語り部は、弊害こそなれ、この業界の活性化には貢献しない。
 ホンネとタテマエ、実は己の中ではその境界線を引く事はできない。願うことは自由だが、それはあくまでもある枠組みから一歩たりとも出てはいない。出たと感じた時に、それは奢りでしかなくその後、想い違いの仕打ちが待っているだけである。
 ただ、これらの集会の意義を敢えて見つけるとすれば一点だけ。
 我々自身が世の風に触れ、身の丈を知り、そして謙虚に生きることを知らしめる場となることである。
 

2160:軽井沢2弾

情報社会の凄さを実感しています。
 軽井沢から帰って1日の間に4人の方とのメール交信を行った。メールアドレスが判らなかった人とはFaxで、すると直ぐに私のメールに丁寧な返事が入っていた。このズピードに自分の考えを纏める時間の余裕さえない。斯様に社会が動いている。こんな中で時間が止まったように変化なく春日遅々とした生活がある。それが私が長く関わる施設という空間だ。
 このギャップに戸惑い、自分の立つ位置を見失いそうになりながら重い足を引きずって歩む。軽井沢で同県の仲間たちで飲み直しを行った。20人で一杯になってしまう居酒屋、誰かが早々に予約しておいた店にそれ以上の人がおし掛け話が弾む。「このままじゃー鬱になってしまうよ」「解ってくれない理事会・・・」「これから人を育てるのを考えると逃げたくなるよ」・・・・どこの席にいっても独言花盛り、そうか皆な同じだ。でも逃げたく無いそんな連中だと思う。
 昨日、葬儀が終わり園に戻ると約束していた某施設長から留守電が入っていた。約束の時間に行きたいという。あっ そうだった。
 結局、2人で話し込み4時間、取り止めもなく結論は出ない。でも、何かは共有できた。
 伝統は変わらねば続かない。その事を毎日お題目のように自分で唱える。何がどのようになれば良いのでしょうか?
 多分、答えは無いんだと思う。一人一人が違って当然なのに、それを類型化して、さも特効薬の如く誇らしく支援の手法を宣伝する。いつ頃からこうなったのだろう。多分国がマニュアルや面倒くさい記録を重視するようになってからだと思う。違いますか?
 今朝のラジオ「明日への言葉」で最愛の奥さんを亡くされた方の話をやっていた。文章を書くのを職とするその方がどうしても死を間近にした奥さんへの想いを書き残すことが出来なかったという。それを句にして残したという。
 これだなと思った。筆力鼎(かなえ)を打(あ)ぐと言ったところで、最愛の妻との別れを文章にすることは出来ず31文字の短歌にした。これだよね。行間を読むと似ている。何かぼんやりとしていて滲み出てくるような思い出だもの。
 障害者自身が意志決定をどうすればできるか!相談支援と同様に最近の研修でもっとも人を集めるテーマ。重度と言われる人達の想いをどう我々が理解するか?
 文字面を見て素直に受け止められない自分がいる。それって障害者だけの問題なの?そうじゃーないでしょう。自分達だって同じ”永遠のテーマ”じゃーないでしょうか。
 さも自分は解ったかのように振る舞ってもですよ、実はそんな事は決してありませんよ。一番自分自身がその事を知っているはずで、隠さずそれが言えればOK。
 この仕事の難しさはそこですよね。知らず間に自ら壁を築いていかにも良き理解者の役を演じる。それが専門家と錯覚。
 そんな人がどれ程立派な話をされても何も残らない。当然、障害を持つ人達の心に響かない。
 ある人に言われた事がある。『お前の親父は凄かったよな。葬儀にお経の声が聞こえない。どうしたのかと思ってのぞいたら泣いていた・・・・・・』 これは多分、遺影の子供の姿が長男尚一と重なったから。
 私はその域にどうしても立てない。

2161:支援

もしも懺悔して罪が軽減されるなら、この世は懺悔一色になるのではないだろうか?
 懺悔にもいろいろあって、心から悔いあらためようとするものと取りあえず頭を下げておこうというもの。この格差は相当大きい。
(たった今、揺れを感じている。また地震だ。昨日も5時頃にあった。その時はちょうどジムにいた。スタッフの動きが素早かったのには驚く。大声をあげてマシンから降りるように指示し皆がそれに従った。日頃の訓練が良く行き届いていることが解った。)
 災害時の避難や被災地復興支援・・・・など、”支援”という言葉をよく聞くようになった。支援する側とされる側、様々な思惑が交錯し、1回切りからずっと続くものまで、実に多様である。
 あの震災後日本人の心に何らかの変化があったことに間違いはないだろう。それが今後どんな具合になっていくかは分からない。
 障害者総合支援法・・・・ここにも支援という言葉が使われた。制度作りに尽力された関係者の想いがこの言葉に込められている。でも穿った見方をすれば、法律をどう活用するかとは全く別物だ。
 政権が交代し、その間に3人の総理が変わった。思い出して欲しい。最初の鳩山氏、次の菅氏、この二人を支援した与党の政治家。いま野田氏はG20に出席するためにメキシコにいる。そこで彼は何らかの発言をするだろう。前任のお二人が何を言ったかはすっかり忘れ去られた。一国の総理の言葉の軽さを世界中に知らしめた事は事実として残った。
 今回の野田さんの心境は推して知るべしである。帰国後、直ぐに修羅場が待っている。情報が飛び交う中で何が真実なのかを見究めることの困難な時代である。
 そこで”支援”という言葉から一連の騒動を見て見ると、茶番劇を見る思いがする。昨日、テレビに久しぶりに登場した渡部恒三氏がこんな事を言っていた。『小沢君も鳩山君もはっきり決めて欲しいな。そうすれば国会がスッキリするからな』。
渡部氏は次の選挙には出ないと公言している。民主党の派閥の領袖を自負するこの二人が決断し、袂を分ければスッキリするという意味にとった。彼はいつも予算員会の最後列の席に座り審議を聴いていた。
 また、巷ではこんな話も聞こえてくる。民主党政権になって良かった事は、今まで見えなかったものが噴き出して表に出てきた事。開かれた国会!最大限に譲歩してこの評価に一理ありである。
 誰かが目指した二大政党は、果たして日本に実現できますかね。国民の評価は一方に偏することは無い。ほぼ中間点での攻防だ。もしもこのバランスが崩れたら一党独裁となって、これこそ大変な事態になることは誰もが知っている。
 暫く、日本は政治の混迷期から抜け出せない。何せ誰に投票(支援)したら良いのかが全く判らないからだ。
 この状況が果たしていつまで許されるのか否か?ユーロに始りユーロに終わる。ギリシャへの財政支援、支援する側が批判されるという異常事態、ならばユーロ圏から離脱すれば良いだろうという見方も当然強まる。
 ギリシャ国民がどちらを選択するか再選挙の結果如何で大きく変化する可能性が出てきた。
 日本はどうでしょう?多分、私は政界再編は避けられないと思う。その時に、誰がリーダーとなって纏めて行くかが問題だ。
 少なくとも自ら責任を取れない人にだけはなって欲しくはない。

2162:アジサイ

『紫陽花の八重咲く如く・・・』(万葉集)に歌われたアジサイは、初夏を彩る代表的な花、友人が自分で撮ったとメールで送ってくれた。彼の写真技術はドンドン進歩、アングルが良く、全体のバランスが見事にとれている。
 アジサイは青から赤紫に変化することから「七変化」とも言われる。
 管理は簡単で花の時期が終われば幹のどこから切っても翌年にはまた咲く。それから雨に良く似合う花だ。
 花が解熱効果が有ると言うのは知らなかった。
 台風が日本に接近している。まだ充分に花をひろげ色濃くはなっていないが、雨風に強い花だから台風が過ぎ去れば、見事な花を見せてくれるだろう。
 アジサイを人間に例えたら、どんなタイプの人だろう?幹を太く高く伸ばすことはなく、精々地上から二メートル、あまり土質は選ばず、どこにでも根付く、出しゃばる事も無くて脇役に徹するタイプ。
 これとは逆の花は、牡丹だろう。背丈は同じだが、管理に細心の注意が必要で数少ない花を咲かせるが自分では華の重みを支えきれずつっかい棒が必要だ。我が宗派の本山、奈良の長谷寺はその牡丹で有名だ。訪れた事がある方はお解りかもしれないが、回廊の近くには牡丹が植えられ、アジサイはその背景に所々に植えられている。そして長谷全体のバランスを保っている。
 ここから何かを想像できないでしょうか?国の政党政治と言えば、飽きもせずにまたこじ付けかと一蹴されそうだが、私にはそう思えて仕様がない。目立ちがり屋だが自立できない集団、徒党を組まないと何もできない。
 民主主義=数というルールはマヤカシでしか無い。意見の違う人間が集まり、纏まる筈がないだろう。
 野田さんがメキシコに行っている間に永田町は色めきだってきた。本当に分裂があるのだろうか?
 多分、その決断はできないと思うな。何せ選挙になれば当選できる保証はどこにもない連中だ。民意と乖離した言動で選挙戦に立ち向かう覚悟は今の政治家にはない。
 多分、分裂回避で何らかの妥協点を必死に探すに違いない。
 ギリシャが再選挙でユーロ圏に残る選択をした。国民のギリギリの決断だったろう。日本国内を見た時に、いまこの状況で悠長な事を言っては選挙民を迷わす。騙されてはいけない。
 小さな記事があった。京都選出の一年生議員が民主党を離党した。福井大飯原発の再稼働に反対しての決断という。
私は彼を評価する。21日まえに民主党は議員総会を開き、そこで一致した方向性を出すという。多分、離党というペナルテイを恐れ、国会は欠席する位が良いところだろう。その点、一匹オオカミで自分の意志で行動を起こしたこの人にエールを送りたい。
 政党が分裂をする時に最大の関心事は政党助成金が貰えるか否かではなかったでしょうか?
 こんなの止めちまえ!その金の分配を一部の実力者(?)が行うなんてことは時代遅れも甚だしい。
 アジサイは強い。多分、根が強いんだと思う。根を信念と置き換えて、この強さを今の政治家に期待することはお門違いなんでしょうね。多分。
 バラの花も綺麗だ。しかし、そのバラでさえ、支えが無ければ自らの花の重みに耐える事はできない。
 

2163:暴風雨

夜中近くになり、風が急に強くなり、恐ろしい程の音をたてていた。関東地方のほぼ真ん中を台風が通過するという最悪の事態となり、各地に相当な被害をもたらす。
 朝、見回って唖然とした。大きなニッケの木が幹の真ん中から折れて、折角整備が終えた庭を壊した。イチョウの木も途中で折れ、引っ込み電線の上に落ちて電線を切ってしまった。至る所に木が折れて倒れている。幸か不幸か建物への被害は無かったようである。時速70キロで通り過ぎた今回の台風は、規模が大きかったせいで暴風雨圏から抜け出るのにとても長く感じた。私はたまたま前から約束していた会合に出るために水戸にいたが、早めに帰宅して良かった。
 3.11以来ずっと自然の猛威に晒され為す術なく、耐えている。全てが強烈で逃げることすらできない。復興復旧とまだ前の被害が手つかずの状態の上に更に加わる異常事態である。
 朝の6時になった。昨日とは打って変わって風もなく晴れ間が見える。今年は台風の直撃がまだまだあるような予感がする。
 夜、施設の夜勤者にサーバーの上に雨漏りがしていないか見て欲しいと電話を入れた。もし、雨漏りがしているようだったら傘でもさして置いて欲しいと伝えた。なんとも部屋の中で傘を使うとは情けない。
 でも被災地の皆さんの事が直ぐに浮かんできて、まだその方達と比べれば良いではないかと自分に言い聞かせた。
 果たして、このように考える事がどうなのか?罪悪感さえ感じてしまう。
 今日明日、国会の動きに目が離せない。注意して見ていないと将来がどの方向に向かうのか、議員一人一人がどう立ち振る舞うか見届けるつもりだ。
 今の状況は、政党とは何かが問われていること、議員定数を減らすことが、果たして無駄の削減になるか否かは実の処良く判らない。でも、この人間はまだ見込みが有るか無しかは分かるような気がする。
 
 昨夜の暴風で倒れた木をみると共通するものがある。特に成長の早い木で根っ子に比べて枝が大き過ぎる木、それと幹のいずれかに腐りや傷があるものである。
 粘りとしなやかさがなく、折れてしまうのだ。これは不思議に人間にも通じる。
 親の力で地位を得た議員は、逆境に脆く、自らの進退を決することができない。それとどこかに闇の部分をもっている人間もしかり、一寸先が読めず、心底信じれる人間が傍にいない。
 今日は1日、台風の後始末をしないとなるまい。
 切れた電線だけは素人にはできないから東電に連絡して早く直さないと危険だ。この状況のなかで果たして東電が素早く対応してくれるか否か?
 

2164:弥縫策(びほうさく)

『・・・・ズルズルとした対応が続くエネルギー政策。税と社会保障についての相変わらずの弥縫策。TPP交渉参加表明に象徴される「グローバリズム」への安易な追随・・・・このままでは間違いなく「失われた30年」に突入してしまう。・・・・・・』
(失われた30年:逆転への最後の提言。金子勝・神野直彦 NHK出版新書)
 久しぶりに読み応えのある本にぶつかる。山積する難題にどこから手を出して良いのか判らない日本の実情を分かりやすく解説し、自説の根拠を示す。政治や経済に関する学識者は、注意していないといつの間にか後付けで、さも自説が正しかったという事に長けている。
 私が好感をもっている両名の対談が本になった。(6月10日初版)是非購読をお勧めしたい。
 国の動きはメデア報道を介して我々の耳に入る。編集の段階で各社の違いが出るのは仕方が無いとしても、いまこの時に至っても、関心が向かない国民はいかがなものか! 北アフリカで起こった改革の嵐は市民の力の集結が原動力、そのエネルギーは今の日本には無い。批判はするが協力をしない人間が多過ぎる。政党内で様々な意見があるのを否定するものではないが、それが素直に受け入れられないのは何故でしょう。
 もともと日本には、我が郷土の先生に骨折ってもらい我が村にお土産をという暗黙の了解があって応援しようという政治土壌があったわけ。
 それがどこで不信感に変わったのか? 2世3世の議員には、正直言って初代の気骨と人望がない。地元に住まず東京にばかりいて秘書任せ、その連中が要職につくものだから、骨抜きとなり公約の修正など、どこ吹く風。
 となれば、何を根拠に私たちは選べば良いということに当然なりますよね。週末里帰りで有力者との打ち合わせ、それ以外は悔みの電報花盛り、これでは全く顔が見えません。
 ならば我々庶民はどうするか!不平・不満⇒無関心。これを一過性のものと捉えるか否かは自由でしょうが、放射能汚染問題は、そんな事を言っておれない。次の世代に重く圧し掛かってくるからです。
 ここで思い起こしてみませんか、JALが経営破綻し、その後どうなったか。民間人で経営再建を行い、もうすぐ一部上場に再登場するらしい。一企業だけの問題ではない。国営企業というぬるま湯と奢りの中で経営努力が無くに等しかった。だが、その間に格安航空が日本の空を飛び始めたからさー大変。月末、北海道に行く用事ができ、ネットで茨城空港〜新千歳のチケットを買った。なんと片道1万円である。旅行会社にワザワザ行かなくても近くのコンビニで支払えば当日空港でチケットが貰える便利さ。
 これも今や世界の常識となっている。
ここで今の問題に戻ります。さて東電がこの先どうなるのでしょう?
 台風による被害で境内のイチョウの木が倒れ電線を切った。電気が流れているということで地元の電気屋さんから東電に連絡してもらう。直ぐに二名の東電社員が来て応急対応。
 生活の便利さと安全は一体である。電気の供給は今の日本では絶対必要条件、それが電力会社という巨大独占企業をつくることになった。
 現場で働く人達に責任はない。経営陣の責任が大きい。
 私は本日、水戸で会議があったが、急遽キャンセルだ。台風の後始末を朝からやらねばならない。
 弥縫策とは、事の本質を明らかにせず、その場凌ぎの対応をすることである。
JALの再建スピードを見習うにはメガ企業(電力会社)はあまりにも組織が階層的で複雑となっている。飛行機は他に代替が効くが、電力はそうはいかない。
 それを理由に今まで通りで良いと思う人間はいない。その数はJALの時とは比較にならない多さである。

2165:隠忍自重

何かに落ち込み、出口の見えない迷路に我が身を置いた時、人は何故こうなったかを必死に探そうとする。でも、容易には分からない。その力も徐々に衰え、心も萎えてくる。
 そんな時、周りで何を言ってもダメだ。傍に寄り添い、決して一人では無いことを何気なく伝えること。
 外は、かなり強い雨になっている。台風が過ぎ去ったばかりなのに、安心する間もなく避難した人達がまた安全な場所に避難する。人生と全く同じですよ。
 人間いくら強い事を言っても違うよね。みんな必死に生きてきたんだよ。だから今が有るんでしょう。
 この先どうなるの?と聞いても誰だって分かりゃーしない。でも昔の事を思い出してみなよ。楽しかったことが、こんなに沢山有ったでしょう。そこに自分がいたから心底楽しいんじゃーないだろうかね。
 でも、昔には戻れない。人生たった一回切り?
 そうかもしれない!そうじゃないかもしれない! それって結局、自分がどう思うかって事でしょう。最愛の人を失った時の悲しみは最大のもの、でも世の中の誰もが同じ経験をしてきたんだよね。
 だからでしょう。他人の悲しみが分かるようになれるのは、本当は出来るはずがないのに。
 これっていい加減に生きてきた人には分かりません。真剣に生きた人だからこそ相手の気持ちになれる。
 世界中に宗教というものがどれ程あるのか実は判らない。人間の数と同じだけあるというのが正しいのかもしれません。
人は何かに救いを求め、自分で答えが出せない事に迷うものです。仏教でいう”回向”とは当にそのやり取りを言っている。
 無心に信ずれば、必ず仏からその跳ね返りがあると・・・・・・・・。
 でも簡単じゃーないよね。百万遍名号を唱えたからといって、果たしてどれだけの人々が救われたと感じるか?
 救われることの窮極の形は”安心”、自らの身を委ね切れるかいなか?
 なんだか段々難しくなってきました。
 この辺で止めますが、私はこう思うのです。逝ってしまった人への最大の供養は、私たち遺された者が、元気に生きて行くことだと思っています。これこそが回向でいう此方側からの発信です。すると必ず向こう側から何らかの返信が戻ってくる。
 遅かれ早かれ、私たちも向こう側にいくわけですから。
 ・・・・・・・・・・。・・・・・・・・・・。・・・・・
 

2166:声明

老僧との話。
 ある法事でご一緒させていただいた。81歳という年を感じさせない、張りがあって透き通るような声で経を唱えた。奥様を亡くされてから人が変わったようになってしまったと息子さんから伺っていました。
 ”住田さんがいたから緊張しました・・・・”と仰った。葬儀が終わり控室での話。”実は1年ぶりだったんですよ。みな副住職に任せ、ダメですね。すっかり意欲が無くなりました” ゴルフが大好きで、家族でやれる場所ということで平日会員になったコースで何度かご一緒させていただいた。マナーが良くてキャデイさんにも人気のあるメンバーさんだった。
 ”思うようにいかないものですね”と言われた言葉は独りごとのように聞こえ、私は黙る外無かった。
 それと何気なく話された事でハッとしたことがあった。
”私は近くの斎場の時はいつも自分の車で来るんです。” 送迎は断るという。81歳になってもご自分の運転する車で火葬場まで行かれた。帰る時に私が先に出るのを待っていてくれ”大丈夫ですか?道分かりますか?”と見送ってくれた。
 なんとも頭の下がる思い。高速道路で帰ったが、途中、その事が頭から離れなかった。
 僧侶は決して特権階級でない。何をもって死に人を浄土(密厳国土)に導くか、もしも、信頼のもてない僧侶に頼んでどのような読経・説法を受けても果たして安心を得る事ができるでしょうか!
 この事は、今の宗教界全ての問題である。
 声明は真言・天台で唱える節付きの経を言う。学んだ時と比べ我流になって、大分変わるものだが、複数で読経する時は老僧に合わせるのが常識、自ずとこの世界の取り決めは自然の理に適ったものとなる。
 
 ところで、皆さん今の政界の動きをどう見ますか?
 民主党が分裂とか騒いでいますが、トッと別れなさいよと言いたい。「自分は正しい事を言っている。国民の大多数は支持してくれている」との領袖の弁、全くこの人は何を考えているのだろうか。壊し屋を自認し、何十年も政界の中心に居座る。
 自らの会派に属する議員を集め、別室で踏み絵まがいのことをやらせたと聞く。
 意気地なし。自ら断る人間が出ないのか、もはや末期症状だ。メデアが集結した議員の名前を公表したのには意味がある。地元に戻り有権者がそれをどう判断するか。私の知る限り、熱狂的な信者はいない。
 そんなもんでしょうね。これ以上、詮索するのもバカバカしい。
 裸の王様という童話(?)。一番良くわかるのは、取り巻き連中を見れば直ぐだ。今の彼の周囲を見回し、光る人が全然いません。皆さん、適当な時にお暇して、外野から観ていらっしゃる。この参謀で果たして新党ができますかね。
 何て事は無い、継続できないから止めたまで、それを繰り返してきただけでしょうよ。

 何か事を為す時に、一人では何もできません。片腕というか信頼する人間が複数いなければ無理ですわな。
 特に金の力を表だって使えない昨今では尚更です。
 人望というものは、その人の持つ徳です。これは今の政界の最大の問題だ。
 宗教界も政界も”せんせい”なんて呼ばれていい気になっているから、この様だ。
 

2167:タヌキとキツネ

むかし むかし あるところにタヌキとキツネがおりましたとさ。夜な夜な人を騙しては喜んで、困り果てた村の衆が一度こらしめてやろうと相談しましてね。ある問題を用意したんだとさ。
 藩の財政が大変厳しくなっておりましてな。それじゃー年貢を高くすべきか、それとも無駄をなくすべきかとね。
 そしたら、タヌキはこう言ったとさ。「年貢を上げる前にやるべきこったーあるべーな。先ず無駄さ 無くすべーよ」とな。
それを聴いたキツネがな、「なーにできやしねーくせに。タヌキの奴、自分じゃー、しこたま米さ集めて、自分の蔵さーいっぱい隠しとる。」
 タヌキ、「何が悪い!おらが稼いだ米だー。誰にもタダでなんかくれてやるもんか!それより、キツネ。おめーはな、前に約束したことみんな止めちまって・・・・情けねー。おめーこそ詐欺師だ!」
 ・・・・・・・・ 
 ここで目を覚ましました。なんとも後味の悪い夢でした。
 私の住んでいる寺には、昔話がありまして『十の字狢(むじな)』という話です。和尚さんとタヌキの知恵比べの話。「土浦の昔話に掲載」
 その子孫かどうかは判かりませんが、今でも観音寺にはタヌキがいるんです。夜、明かりが付いたので外を見るとそのタヌキです。
 猫とは違い、小太りのタヌキ。間違い有りません。
 でも、このタヌキは騙したりしません。悪さもしないです。徒党も組みませんし、子分が捕まっても自分だけは逃げるなんてことはしません。・・・・・・・・。
 
 タヌキとキツネの騙し合い程、食えない話はないでしょう。そんな暇があれば、もっとやるべきこと他にあるんじゃーないの?
 アンタらが一番無駄なんだー。夜な夜な高級料亭に集まって、何を話合っているのやら。今晩あたりは大変だわ。
 思いついたんですよ。選挙を減点制にすれば良いと思うのです。選挙で当選させたい人を○、当選させたくない人を×と同時に記入する方法を取れば良いと思うな。そうすれば投票率も今より格段に伸びると思う。差し引き点数で当落を決めるとよりハッキリするんじゃーないでしょうか?
 だってそうじゃーありません? アンタの地盤でいくら人気があってもさ、お国のためにならん人って実に困ったもんだ。
 さっさと尻尾をまいてどっかに行っていただきたいもんでござります。
 寸楮をもって、衷心よりお願い申しあげそうろう。ああああ 後味 悪い!!!本日、これでお終い。
 
次 ネコとイヌ
 次はネコとイヌの話です。
 ネコが言いました。「あめーは可哀そうじゃニャン」 イヌが「なんでだワン?」
  ・・・・面倒なので要約筆記・・・
  いつもヒモで繋がれていて気の毒だという。俺なんか可愛い首輪は付けてもらうけどヒモ付きじゃーないということらしい。
 成る程、成る程。何故あんな風にヒモ付きになったのですかね?多分、人間に悪さしたからだと思うよ。どんな?噛みついたり、ニワトリを食べちゃったり・・・・・・かな。
 そこで目が覚めました。
 あのー、どうしてヒモみたいにくっついているんですかね?あの先生。多分、何か良い事あるんじゃないでしょうか。
 選挙の時にお金が貰えるとか、それと何かの役が早く廻ってくるとか、それと、エーと選挙のポスターにツーショットとか、それに・・・・・。
 ハイ!疑問あり。 うじゃー何で立候補なんてしたんでしょうね?
 ウン! それは勿論、ニッポンの為でございます。
  

2168:糸賀先生の言いたかったこと

50歳半ばにして世を去った糸賀一雄先生の『福祉の思想』に書かれた文章が私の頭に残っている。それは、「この子ら世の光」という言葉に全てが凝縮され、私の道標となっている。
 先生が講演中に倒れ、帰らぬ人となったのが1968年9月54歳の時だった、それから早44年が経ち、その想いを私たちがどれだけ実践を通して形作ることができてきたか?
 正直、「この子らに世の光を」的な奢った考えを堂々と理念に掲げ、誇らしげに公言し何ら恥じらいを感じない存在もある。 糸賀先生が亡くなる昭和43年、私は高校卒業を間近に控えて、進路に迷っていた。結局、随分遠回りしながら、今に至り、その一つ一つが時間とは無関係に重層的に残った。そして、次に托す年齢を迎え、自責の念と個の限界に毎夜、悩まされている。
 若い頃、面白いようにアイデアが浮かび、様々なイベントを行った。その殆どがメンバー達の高齢化と体力の減退(?)によって一時の思い出となり、いま、私の最大の関心事は自らの老いと共にメンバー達への懺悔の想いだ。
 昨日、私はNさんと一緒に昼飯を食べに行った。土浦に用事があったついでに誘ったというのが正直なところ、一緒にラーメンを食べながら、彼がこんな事を呟いた。
「いまどき、あんな人いないよね。良い人だ・・・・・」 何を言っているのか判らず、暫くその独りごとに耳をかた向ける。
 すると、今日、彼と一緒に草取りをしていた時にペットボトルのお茶を2本、置いていってくれた人がいたという。その事を呟いていたのだ。
 一瞬、あっ これだ!と閃く。糸賀先生が言いたかったことは、何も大上段から構え、訴えるようなことじゃー無く、何気なく
 そっと 支え合う関係、こんな社会が実現できれば、あえて地域生活とかノーマライゼーションなどと言わずとも良いんだよね。 
 時代は大きく変わった。選挙演説で定番となった”福祉”が今、そのまま受け止められていない。思い過ごしかも知れません。でも、そうですよ。綺麗ごと出来もしない事を並べれば並べる程、人の気持ちは離れ、何が大切かを掴みにくくなる。
 今の日本人が自信をもって自分の生き方を語れるだろうか!
 あまりにも日本だけの幸せを願い過ぎていなかっただろうか! その反省が上辺だけの謝罪で終わり、また同じようなことを繰り返す。
 こんな社会に誰がした? 当然、自分自身もその中にいるのである。糸賀先生の思想の原点には、きっと自らが母子家庭で育った経験が大きく影響していると思う。
 多くの人達に乞われ、近江学園の園長を引き受けられ、新人職員研修会で講演中に心臓発作で倒れた。そこに居合わせた人達にとって、強烈な衝撃を受けたことだろう。
 ・・・・「謙虚な心情に支えられた精神薄弱な人々の歩みは、どんなに遅々としていても、その存在そのものから世の中を明るくする光がでるのである。単純に私たちはそう考える。精神薄弱な人々が放つ光は、まだ世を照らしていない。」・・・・・
 ここで糸賀先生が言う、『単純に私たちはそう考える』というカ所が凄いと思った。
 ここに”共生”のこころがある。
 あまりにも複雑に考えすぎていないだろうか?さらに、・・・・「よく考えてみれば『現代の中に』などといったひとごとではなくて、この対決は、実は自分自身の心の中の出来事ではないか」と。
 謙虚な心情に応えるには、謙虚な心をもってしかできないと言う事になる。
 

2169:見えた!

何をやっとるんだよ
 国会のドタバタ騒ぎ、正直、誰の言動を信じて良いか判らない。政党内で様々な意見が出る事を党の売りとしていい気になっている諸君。結局は貴方達の取った行動は一体何だったのですか?
 54名を超えるとどうなるとか、さも、これで日本は沈没するかのごとく騒ぎ立て数読み・取り込みに奔走し、飴と鞭、北風と太陽まで登場させ、もはや、観客の疎らな国立劇場と化した。
 そして、結果に一喜一憂、次なる参議院に移った。またもや同じ筋書きの演出を国民の前に曝け出そうとするのですか
。いい加減にして下さい。
 結局、貴方達の関心は”ダメージコントロール”国民の為とは言ったものの、どう動けば自分達の利になるかだけですよね。
 もう良い。私は自分が情けない。国会審議をなるべく見ようと努力した。特に民主党一座の興行に期待し、何かが変わると。それだって淡い希望に終わった。ここに至って何故、もう賞味期限の人間が脚光を浴びるのか、理解に苦しむ。
 どのような理屈を付けても、貴方が今までやってきた事を誰も忘れてはいない。
 それでも自分なりに肯定できるものが無いかと捜してみた。どこか良い処があるはずだと。しかし、今回の騒動を見ていて、それが徒労に終わった。
 多分、どっちに転んでも、今の政治に期待できることは無い。今まで以上に自己本位な人間が大手を振って、過去の威厳にしがみ付き子分を引き連れ居座る構図が浮かぶ。
 見えた!国会で我が物顔にふるまい。これに対し、決別宣言ができない者達の限界を見た。何を恐れるのか!大衆の目か?
 日本国民を信じないさいよ。余程、貴方達より冷静沈着に現実を見ています。
 ふと思った事がある。
 これが戦国の世だったらどうだったか?下剋上が頻繁な頃、負け組に加担した者達はお家断絶、腹切りとなった。いまの世は、全く違う。
 正直に言えば、私は野田総理を今でも応援したい気持ちだ。だってそうでしょう。鳩山〜菅の後くじを引いた彼が、何故今になってその責任を負わねばならぬ。自分の果たせなかった事は棚上げし、如何にも長老面して意見を言う。これには呆れて物が言えない
 ちょっと気になったことがあった。
 最近、旦那さんがイジメにあって遠慮していたのだろうか、元外務大臣の田中女史、今回の投票では賛成票を投じたという。”前門の虎、後門の狼”で悩んだ末に賛成票をと語った。
 さすがだと思った。これぞ政党人の仁義ではないのか!Oさん(敢えて実名は遠慮)貴方は師である田中角栄氏の薫陶を受け今がある。それを忘れてはいまい!まさか師を超えようとは思わないだろうが、貴方と師で決定的に違うのは、地元の絶対的な支援者がいるかいないかという事だ。貴方は地元岩手に何をしましたか?3.11の時の貴方の取った行動がもし本当ならば、故田中氏はどうみているだろうか! その事を思い悩み、娘さんは賛成票を投じたと思うのです。
 政治家は自らの保身に走ってはいけない。身を捨て、大義によって行動すべきである。だから公金で貴方達は守られているのです。大義とは自らが言う事で無く、世間が見定めること、残念だが今の貴方に苦言を呈する人間がいますか?
 

2170:勘違い

田村一二・池田太郎・岡崎英彦・・・この方達は私にとっては雲上人、この世界に入った頃に、先ず名前を覚えた人達だ。
 糸賀一雄先生の考えに共感し一緒に実践された仲間、私が近江学園を訪れた時は既に糸賀先生は亡くなっていた。なにか事を為すためには、一人ではできない。そこには考えを共有する仲間が必要だ。糸賀先生が自ら選び、これらの人達を呼び寄せ、近江学園〜びわこ学園〜日向弘済学園〜落穂寮〜・・・・と一大事業を展開する実行部隊、「福祉は人なり」という先生の真骨頂を其処に観るのだ。
 知的に障害がある人達を「光」と考え、彼らが世を照らす時代が来ると信じていた。(熱願冷諦)
その実践は制度や法律が無かった時代だけに今では想像もできない苦労があったはず、それ故、同志の絆は強く、協力を惜しまず手を差し伸べる多くの支援者が集まった。
 その当時と今の日本は大きく変わった。あえて福祉の分かれ目をどう観るか?糸賀先生は、近江学園を一時県立施設にしている。その後(社福)大木会に経営を移譲した。「福祉を私物化してはならない」という考えは、昨今一番難しい事となった。公共事業という名の元に、理念無き事業所が多くなり過ぎたと感じている。勿論、私自身もこの点に関しては自らを厳しく反省しなければなるまい。
 特に法人の財務状況に関して、オープンにしていくべきと考えている。一時、国の方針で公表を義務化したのだが、いまいち徹底されていない。
 今の時代だからこそ、財務実態を透明化すべきだと思っている。
 驚いている事がある。ハローワークに求人票を出した。すると明らかに変化の兆しを感じる。
 求職を求める人が福祉に流れ始めてきた。それも殆どの方が中途で失職した人達、派遣会社勤めで期間限定の仕事をされていいる人達が多い。社会保険も入れず日給で、健康だからこそできると誰しもがいう。
 この数は国が公表する数字の数をはるかに超えると思う。
 派遣会社をどうこう言うつもりはない。ただ、働く側からずれば、次の仕事が自分では決められない。自分のやりたい仕事を選ぶ余裕さえないという実態だ。
 いま、私は秘かに考えている事がある。それは定年を迎え、元気で働く意欲のある人達と一緒にできること。
 時間的制約も無く、現役で培った知識や技術を活かさないのは国の大きな損失だ。
”無駄”という事が、何かを止めたり減らす事としか考えない社会は成長がない。寧ろ、その逆で能力を活かし切れていないことの方が無駄だと考えるべき。
 その例としてはどうかと思うのだが、”坊さん”は年齢に関係ない。老僧のお経のほうが有り難いという世界だ、定年も無ければ資本も入らず。衣一枚有れば良い。(しかし、これも時間の問題でもの凄い早さで変化している)
 60歳を境に食べる物が変わった。残り物で充分で何を食べても変わらない。着るものだって同様に大型ショッピングセンターの展示品で欲しいものなど全く無い。
 これをどう考えますか?
 ”勘違い”が多過ぎると言うことでしょうかね。