源究135

 

NO テーマ  月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
2211 2歳1日 8/16 2216 猛暑の中で 8/22 2221 ジレンマ 8/28 2226 カミナリ 9/5
2212 蝉しぐれ 8/17 2217 お盆休み 8/23 2222 創意・工夫 8/30 2227 あのな・・ 9/6
2213 ステップアップ 8/18 2218 団欒がお好き 8/24 2223 やむを得ず 8/31 2228 近日刊行 9/7
2214 2弾ロケット 8/19 2219 世代交代 8/25 2224 恵み雨 9/3 2229 青い鳥 9/8
2215 冷静に 8/20 2220 転換点 8/27 2225 特効薬? 9/4 2230 晴耕雨読 9/9

2211:2歳1日

庭先に一輪の朝顔が咲きました。種を蒔いたのではなく、毎年自然に落ちた種が芽を出し、今年はシュロの植木鉢に絡まった朝顔です。朝、花を開き日中の暑い最中は閉じています。
 植物は誰に教わった訳では無いのですが、凄いと思います。環境に上手く順応させることができるのです。我々人間はどうでしょうね。寧ろ環境を自分達にあわせ変えようとしてこなかったでしょうか。6月〜8月にかけての日本の天候をみてみますと押し並べてというよりも白黒がハッキリしてきたと感じます。局地的に大雨になったり、全く雨が降らなかったり、平均気温も確実に上がっています。
 この事に真剣に取り組むことを避けています。鳩山さんが公言した二酸化炭素排出削減の京都議定書、全くどうなってしまったのでしょう。彼は今それどころの話ではないようです。地元北海道選挙区に刺客を送りこまれるやも知れぬとそっちばかりが気になっています。一旦議員を辞めると言った人なんだから辞めれば良いんですよ。
 16日は京都五山の送り火です。今年のお盆もどうにか終わることが出来そうです。日本の古くからの風習には先人の様々な智恵を感じます。七夕・万灯会・送り火・精霊流し・・・など夏の行事には、亡き人達との縁に関わるものが殆どです。
 将来、これらの伝統行事さえ消え失せてしまうのでしょうか?私達、僧侶の役目は重大です。
 ”二歳一日”が本日です。還暦は60年で再び生まれた年の干支に還ることを言います。
 60歳定年などいつの頃から始まったのか分かりませんが、平均寿命が大分伸びたのですからこれを変えようとする動きも出ています。当然でしょう。毎日何をして過ごそうかと考えるようになっては人間お終いです。必ず自分がやりたくてもできなかった事はあるはず、それを是非とも行って欲しいと思いますね。
 濡れ落ち葉とか窓際と言われ老後を送ることほど虚しいことは無いと私は思う。リセットすれば良いのです。
 その流れをどうにかして作れないだろうか!次世代に語り継ぐには、言葉だけでは無理です。一緒に行動して、その時に伝えるのが効果大です。
 ポックリ信仰という話を聞いたことありますよね。元気でコロッと逝けば良いという。でもそんな風にはいきませんね。
 老後、薬漬けの生活で病院が社交の場という国は健全ではありません。むしろ、老若男女が一緒になって過ごす社会が健康的です。
 超高齢化という言葉の裏には介護という重いイメージがあります。負担と考えるからダメなんですよね。でもこれに代わる社会が生まれるでしょうか!
 毎年自然増の社会保障費が一兆円かかるという国は、世界でも日本だけかも知れません。
 福祉に金がかかるというイメージは決して良いことでは有りません。なぜ、こんな風になってしまったのか?大いに反省しないとなりませんね。
 国の様々な場所で検討されているのは、大半が前年度の踏襲でここに新たな発想を入れようとするものなら、既得権を死守しようとする人達からもの凄い反発を受ける。
 時代は大きく変わっているのに、超豪華な設備を売りにする福祉施設が後を絶たない。
 このまま進むと日本は偉いことになります。地域で目立つ立派な建物は福祉や医療に関係するものばかり、健康な人達は皆さんアパート住まいという構図です。
 贅沢とは言いませんが、バランスの問題です。実はこの辺のチェックは何もない。歯止めが効かない状態です。
 嘗ての日本には地域力があった。お年寄りも子供たちも地域で支え合って生活を共にしてきた。その中で独自の文化を育み次の世代に語り継いできたものです。これこそが将来の日本が歩むべき方向ではないでしょうか。
 

2212:蝉しぐれ

盆が明けたにもかからず35度を超す猛暑が続いています。水の事故も後を絶たず起こっている。涼を求め、海や山に行き不慮の事故に遭うのは、残念でなりません。
 いま、外では蝉達が目一杯大声を出し鳴いている。蝉しぐれとは良く言ったものである。蝉は一夏で一生を終える。そう考えて見ると、もっと鳴けよと応援したくなるのは私だけではなかろう。
 若い時に比べれば体力の衰えは否めない。まだ4ケ寺の助法が残っているのだが、どうも萎えてしまってやる気が出ない。
 それでも御かえしだからと今日も午後出かける。
 秋になれば涼しくなるだろうと思うから頑張れる。これが灼熱の地獄へまっしぐらとなれば、そうはいくまい。
 そこで不図思った。日本にとって未来への展望は開けているのだろうか!報道の仕方にもよるだろうが、北方領土〜竹島〜尖閣と不穏な動きが目立ってきた。その解決が双方の対話で纏まるのか。国内政治の状況は何でも有りの態になっている。分裂を繰り返し、政党助成金の貰える単位で少数野党が増えている。
 彼等は外交問題一つとっても、明確な方針が定まっているのだろうか。否。国の存続を図る根本的なテーマに関して、実は彼等の主張は何もない。
 自国の問題だけで政治の舵取りなどできやしない。それを充分承知しているはずなのに怠っているのだ。
 300万人以上の大きな犠牲をはらった戦争経験を今生きる我々は活かそうとしているのだろうか。もっとも危険な思想は、自分だけが良ければ良いという考えだ。
 どう考えてもそんな事が出来る筈がない。
 必ずや社会的制裁が待っている。社会保障と増税の議論を聞いているとこの国の甘さが見える。私はハッキリ言って、負担は応能でも応益でも構わない。誰が悪いと犯人探しをしたってできやしない。法律や制度が完全で無いのは明確で、負担を潜りぬけようとする輩は必ずいるものだから。
 貰えるものなら貰わにゃー損と考えるか、自分のできる範囲で生きようとするかそのどちらかの選択しか有り得ない。
 国民の幸せを経済の豊かさで実現しようとしたことが大きな間違いだったと早く気付けるか。
 来年、ブータンに行ってくる。自分の眼で見てきたい。アジア圏で日本と対照的な国がブータンだ。仏教を信じる人達が何を支えとして生きているのかを確かめたい。
 だってそうでしょう!
 インドで起こった仏教、堅固な身分制度という牙城に釈迦が勇猛果敢に挑戦した原点を只管守り続けている。
 日本は江戸時代という太平の世が長く続いた割には士農工商という制度が根付いていない。この原因は明らかで多国との関係を無視できないからだ。
 食糧や燃料の補給路を閉ざされたら堪ったものじゃない。大いに日本人は過去を反省しなければなるまい。現実を直視しろだ!
 自分だけが良ければ良いという思いは、日本だけが良ければ良いという考えに通じます。それと同根に貰わにゃー損、同じ事をやってアイツだけが良くて何故自分が悪いという価値基準の混乱。
 これは法治国家としては最早失格でそれを教育で正そうなんていうレベルの話ではない。ご承知の如く、今の教育界は少子化という現実に打つ手を捜しあぐねているのだ。
 だが、諦めてはなるまい。蝉しぐれに心動かされる民は、日本人特有の感性で地球規模での価値観再生の源となるはずだ。
 

2213:ステップアップ

お盆の行事が大体一段落しました。8月に施餓鬼の手伝いに行く寺が10ケ所程になります。それにお盆の3日間と普段の檀務ですから、8月は毎日、白衣を着ている状態で、汗かきですから多い時には3回白衣を着替えることもあります。
 体重も2キロ〜3キロ減量し、スリムになるのは例年通り。どこの寺もちょっとづつ変わっているのが分かります。建物を直したり、新たな仏具を入れたりです。
 それにお盆後に福祉関係の集まりが結構入りますが、その殆どが欠席か代理の方にお願いするようにならざるをえない。大きなカレンダーに月の予定を書いておくのですが、8月だけは何も書いていません。毎日何かがあるので持ち歩いている手帳にだけ記入しておくようになります。
 こんな生活が続くと人間あまり深く物事を考えなくなりますね。頭がそこまで回らないという状態でしょうか、いつまで続けられるのかと不図思うことがあります。ステップアップというのは階段を一段一段登っていくこと、どこまで続くか分からない階段で途中で息切れして立ち止まる余裕さえ無い。しんどさを感じるようになったのは、それだけ年を取ったということです。
 なんとも厄介なもので性分というのでしょうね。何も無いと逆に不安になる。
 昨夜は通夜があり、タクシーではなく組みの人がマイカーで送迎してくれた。私は良く知っている人で、久しぶりに話をしながら斎場まで。何人か共通する人の名前が出ました。でも全員が既に亡くなっており、お世話になった人ばかり。
 その方は私より10歳上で一代で築いた今の仕事は跡取りが無く自分でお終いだと言う。それと子供達に自分は延命治療しないで良いと話してあると言った。充分やりたい事はやったからそれで良いんだとサバサバしている。
 このような心境にどうしてなったのかを尋ねる時間がなかった。今時、斎場で住職送迎のタクシーを用意するのが普通なのにこの人は自分がやると断ったという。
 温故知新という言葉を思い出す。古るきを温(たず)ねるという”温”の字である。温は古いもの、冷えたものを、もう一度あたためてよみ返らせる意味がある。
 年中行事のお盆は、まさにそれだ。将来の事をどう描いたとしても確実なことは何も無い。経済活動は一刻の猶予さえ無く競争に明け暮れる。これに疲れてしまう人が脱落者という烙印を押され、澱みと化す。
 実はそうじゃない。競争に勝ち負けがあると考えること自体が誤りだと気付くべきなんだ。
 これも昨日の話、電子顕微鏡では世界のトップシェアを誇る会社の社長、この人と年に1度、ある寺の施餓鬼でお会いする。受付に座って汗をかきかき檀家に対応している姿をみかけ、ちょっと声掛けた。地元で自分の今の立場など一言も言わないという。田舎寺の世話人として雑務を率先して行っている。
 立ち話をした。「オリンパスみたいな事が起こるんですね」と言うと「そうなんですよ。企業は一寸先は闇ですから」とM&Aなど外部圧力に耐え、自社の強みをより強化する役目はストレスがたまると苦笑。
 あのシャープが今大変な状況になっているのも同じです。財務状況を改善する為に資産を処分、取引銀行からのつなぎ融資を月内に受けないとどうしようも無いという。
 ステップアップもあればステップダウンもあって、良い塩梅なのが条理なのでしょうね。
 

2214:2弾ロケット

もう10年以上経ってしまいましたが”こすもずりんぐの会”というコンサート活動をやりました。年2回で約20回ほど行いました。大変お世話になった篠笛の鯉沼さんや金子さんは今どうしているでしょう?
 いろいろやりました。ノバホールを貸し切ってやった時は、これからどうなるのかと心配になったのを覚えています。
 大変懐かしい思い出となっています。あの頃は夢がありました。実行委員会を行うと様々な意見が飛び交い、笑いが絶えなかった。時には意見の衝突もあって険悪?な打ち合せに、でも同じ方向を向いて皆さんが集まったということは確信していました。
 事情があって止めてしまいましたが、その後、何人の方から問い合わせを頂きました。その中に「あの こすも  ずんぐりの会はやらないのですか?」というものがあって、ズッコケた事がありました。「ずんぐり」じゃなくて「こずもず」「りんぐの会」だといくら説明しても解ってくれない方がおりました。ずんぐり むっくりのイメージだったのです。
 いま、直売会や発表会的な催しが各地で盛んになって行われるようになりました。とても良い事だと思います。国に元気がなければ地方から狼煙をあげる。日の丸をあげるようなイベントは準備が大変で継続して行う事は難しい、それなら地域で手弁当でやれば良いんですよ。そんな気持ちになっています。
 私個人としてはこすもずりんぐの会でできなかった事を再挑戦したいという気持ちです。
 また、住職何か考えているな!という発信です。今回は自分が前面に出てはいけないと思っています。自然発生的に火起こしできないか!
 その機運は熟しています。いま日本を憂いている年代は、企業戦士として目一杯がんばった60代の人達です。団塊世代だと言われ煽てられ、遮二無二家族の為、会社の為、時間構わず働いた。そして、気がつくと自分達は年金生活、これだけ働いてきたのに、濡れ落ち葉とか揶揄され、悪者扱いされ、何か裏切られたような思いをしている人達です。
 されど 若者よ! 目を覚ませ、アンタ達がこの国を支えていく覚悟を持て・・・・。こんな事を言ったら「何よ この変なおじさん 何いってんの?」と冷たい視線を受けるだけ、チクショウ、ふざけんな!
 だったら2弾目ロケットを発射してやれ!私の今の正直な気持ちです。多分、同調してくれる初老の仲間が沢山いると思うのです。
 誰だったか?子供達の目の輝きと老人の笑顔がある国は理想郷だと言っていたと思う。私もそう思う。
どうでしょうね。失いかけていないでしょうか?
 そんな事を考えていたら、自棄に盛り上がってしまった経験がありました。あああ 同じなんだ。そうなんです。時間があって元気な人達が沢山います。そのエネルギーをちょっと貸していただければ何かできませんか。失敗なんか怖くない。今まで散々失敗してきたんだから、でも、良く考えて下さいよ。失敗を経験できることだって此岸にいる間なんだから、貴重な事なんですよ。
 沸々と湧いてくるアイデアをゴチャ混ぜにして、ちっちゃな企画をしてみませんか。体を動かすのが嫌なら、気持ちだけで良いんですよ。あの調子者が良くやるよ!目立ちがり屋が・・・・・フン、なんとでもおっしゃいな。
 まだ案の段階ですが、チラリとPR。失礼つかまつり申した。

2215:冷静に

オリンピックが終わり、お祭り騒ぎが一段落かと思いきや、何やらキナ臭いニュースが連日紙上を賑わしています。
 領土問題が急に浮上し、島の所有権や実効支配がどうのこうの、正直、日本においては学校教育の現場で子供達に詳細な説明はなされていません。ですから歴史認識もいつどの時点での話なのかが良く判らないのです。
 多分、今の状況は一部の人達による行動なのでしょうが、世論を巻き込んでおおきなウネリとなり政治が介入するとややこしい状況になります。
 権利の主張というものは、一方が出過ぎると相手側はそれに対抗すべく強硬になります。領土問題はその国の利害に結び付いています。地下資源や水産資源が絡むと問題は複雑、地球上で今もって国境紛争が起こっている地域は豊富な地下資源が必ず絡んでいます。
 四方を海に囲まれている日本の宿命でしょうか、ロシア、中国、韓国、台湾・・・と未解決の領海問題があります。
 外交で上手くいかなければ軍人に任せるという話を堂々とする人がいます。末恐ろしい話です。あれだけ悲惨な体験をしたにも関わらず、再度同じ過ちを繰り返そうとするのでしょうか。私は絶対に反対です。
 こんな事を言うと弱腰だと批判する者が必ずいます。しかし、その人達に言いたい、貴方はその覚悟があるのかと。自分は安全な場所にいて、世論を洗脳するような事を平気で言う。許せません。
 冷静さを求めます。
 何故、この時期に急に領海問題が浮上したのでしょうか?日本国内の政治の混乱が大きな原因であることは確かです。
 自由と民主主義を利己的に解釈した輩が増え過ぎた結果です。大義を全く感じない人間が政治の中枢にいて足の引っ張り合いをしているから、その隙をぬって外国から攻め込まれるわけです。
 今の政治の混乱を引き起こした張本人達は、領土問題など難しい話になると寡黙に徹します。彼ら御得意の二枚舌は外交にとって致命傷で影響が大き過ぎるからです。
 彼等は今まで真剣に問題に立ち向かうことを避けてきた。多分、これからもです。消費税の議論など私は枝葉の事だと思います。国内問題と外交問題の違いは、政党色など悠長なことを言っておれないことです。解っているのかどうかそれを目先の事で誤魔化してきたのです。
 戦後67年経ち、一気に問題が表に出てきた感じです。エネルギー問題・領海問題、これらは相手国があってのこと、一方、少子高齢化を含む社会保障は国内の問題です。自国の問題に対してさえ明確な方向が示せず、目先の選挙にどっちが有利かなど考えている人達に国政を担う力はない。これは誰が見ても明らかなこと、鉄槌を下されないと目が覚めないのです。
 それじゃー誰がその鉄槌を持つか?
 国民しかいないじゃないの・・・・・裁判所がやってくれます???
 日本人がその責任まで放棄したとは思いたくはありません。
 

2216:猛暑の中で

連日の猛暑の中で考えた。こんなに暑くてみんな参っちゃうな。大丈夫かな?日中、車の中は大変な温度になっている。卵焼きでもできんじゃないだろうか。ここんところ鳴りを潜めているが、電力不足の話は一体どうなったんだろう?省エネに皆さんが協力しているから、計画停電も無いのかもしれない。古川国家戦略担当大臣が脱エネを個人的に進めたいと話していた。問題発言?それとも無視されたのかマスコミも野党も全く騒がず、その真意は良く判らない。
 この暑いのに8月から9番目のケアーホームがスタートした。良い物件が見つかり借りた家に4人のメンバーが入居、1カ月体験し、それでOKならば正式に入居となる。ホーム名が「おひまの」という、最初「お暇の」でなんとまー素っ頓狂な話で暇人が4人集まったと勘違い。
良くきいてみると4人の名前の頭文字、oとhiとmaとnoを合わせてohimanoとなったとか。まっ良いや。
 この暑いのに畑作業をしているグループがある。ブルーベリー収穫に行ったとか。これが借りた畑で試しに作ったのだが今年はなるわなるわで驚く位収穫できた。
 昼と夜の気温差の所為だろう。夏風邪をひいている人が目立つ。寝苦しく寝不足も一因してのことだろう、早くこの暑さが去ってくれないかと願っている。
 週間天気予報を見てガックリ、晴れマークが続いている。雷雲もこの辺は避けてしまって雷鳴はすれど雨降らず。
いよいよ日本も正念場を迎えるか?周辺の状況は、至って厳しい。足場を固め、体制を再編するには面子が揃わない。
 課題に優先順位を付け、一つ一つ解決策を探るには、あまりにも課題が多過ぎて整理がつかない。
無い無いづくめで仕様が無いときた。
 今年は食べきれない程の野菜を頂戴した。殆ど野菜を買わずにすんだ。農地が遊んでいる、家庭菜園でも皆がやれば、健康的だし食費も節約でき万々歳。
 これから先、日本丸を大きく舵切るならば、自給自足社会の実現をはかれ!荒れた畑にクワを入れ、地力を付けねば、野菜はできない。今のままだと人間は無菌状態の野菜しか食べなくなって、抵抗力を薬で補うような妙な生活に陥ることになりますね。
 草食人間からサプリ人間になって、この困難に立ち向かう活力など出るはずがない。
あまりにも利便性を求め過ぎた結果、心身共に虚弱体質になったということを認め、早く何らかの手を打つべきだと考える。
 私は除草剤を一切使わない。すると草が元気になり、根が深く簡単に抜くことができない。方や木影にはコケが生え、保水力もあって植木にも都合が良いことが分かった。そして蟻やモグラが活気づく。ちょっと視点を変え、人間の都合を棚上げしてみなよ。今まで見えなかったものが見えてくる。
 それから施設に順次、太陽熱設備を入れることにした。少しでも省エネに協力したい。無駄は先ずそれに気付かなければ対策はできないからである。
 自然との共存は、人間社会の最重要課題であることは今後も変わりようがない。
 

2217:お盆休み

尚恵学園には年2回の家庭帰省があって、正月とお盆がそうです。いずれも帰れる人達が減ってきました。それぞれの事情がそうさせているのは解りますが、しっくりしません。
 帰れず学園内で過ごしている仲間たちをみると声をかけるのに躊躇する。何十年と同じ事を繰り返し、一向に変化をみない。
 私の作業相棒のNさんと昼を食べに出かけた時のこと、「最近飲みに行っていないな・・忙しいんだ」と独りごと、あまりにも声が小さかったので、良く聞き取れなかった。
 「今年もお盆に墓参りに行ったの?」と尋ねて見た。「行ったよ。」その一言しか返ってこない。何か有ったのかな?
 県北の袋田の滝の奥にあるという先祖のお墓、誰かが守っているそうだが、彼は決して親戚の家に立ち寄る事はしない。多分、遠くから覗いて帰ってくるのだろう。
 その情景が浮かぶ。彼がメニューから選んだものはハンバーグだった。ファミリーレストランと居酒屋ではNさんにとっては大分違う。歯がまったくないので、ナイフで細かにして食べていた。
 ファミリーレストラン・・・・・彼には酷な店だ。ファミリーが彼にはないからだ。
 それに替わるものが我々が用意できるか?否・・・否  2重否定。
 何が障害者総合支援法だ!ふざけんな!仏つくって魂入れず、いつまで同じことを繰り返せば満足するんだよ。
 もしも、大好きな酒があれば、Nさんがそんな事を叫んだかもしれない。その時、この私はどっちの側に座れるか。父の言葉が急に浮かんだ。”共闘”、一緒に戦えば良いんだよ。
 マニュアル化が進んだ世の中は、全てが同じようなものになり、自ら考えることが弱まった。昔はマニュアルなど無く、現実だけがそのまんまで横たわっていたんだ。それを知らん顔で通り過ぎる人もいた。それでも奇特な人がいて、立ち止まって手を差し伸べた。損得の計算なんか最初から無かった。知らん顔できなかったという単純な動機だけ。
 お盆中、私は10ケ寺以上の施餓鬼の助法に行った。同じ顔ぶれの坊さんも多く、話題は特に変わったことは無かった。
 その中に忙しくしている坊さんが、こんな話をした。「法事や葬儀をどんどん頼まれ、毎日が忙しい。誰か手伝ってくれないか」
 良く聞くと、葬儀屋さんから依頼されるという。首都圏内ならどこにでも行くという。宿泊も用意してくれて、俗名で葬儀を済ませれば良いという。
 直葬が増え、自宅に戻ることなく、葬儀屋さんで遺体を預かってもらう。近親者だけで荼毘にふし、お骨にしてから、その先を考えるという。
 いつ頃からだろう。僧侶が葬儀・法事だけに関わるようになったのは、地方にいけば普段の生活に寺がしっかりと馴染んでいる所もある。しかし、そんな地方にも避けて通れぬ変化が現れた。過疎化という問題が急速に広がり従来の寺檀制度が成り立たない。墓地だけが残って、守る人が居ないのだ。
 当然、仕事を見つけ若者は都会に移り住む。寺との繋がりは薄いから、坊さんを誰を頼もうが構わない。そこで新たなビジネスが大繁盛、これが一時の流行りなれば良い。しかし、寺が変わらねば、無用の長物に化すのは時間の問題。
それへの対策が果たして宗派に有るのかないのか?一介の坊主である私には、どうもその辺が見えてこない。
 
 

2218:団欒がお好き

ケーズデンキCEOの加藤修一氏がテレビに出ていた。自社ホームページに『がんばらない経営』論が掲げてある。この意味は「怠る」ということでなく、「無理をしない」ことだという。できもしない事を目標に掲げ、無駄な力をそそぐより、基本的なことを確実に実行することだという。家電量販でアフターサービス顧客満足度3年連続1位の秘訣とは、ややもすれば様々な業種に事業拡大をしたい誘惑にかられるはずだが、そうすれば2位3位を目指すことになりかねない。それならば家電販売で業界トップを目指す考えだと言い切る。
 ケーズデンキは水戸が発祥の地、茨城には世界の日立が君臨し、どのような優良企業も見劣りするのは仕方が無い、しかし、地元企業で今一番元気がある会社だ。そこのトップの発想は、基本を重視し、確実に客から望まれる事を実行することから生れる。
 一方、やたらと会議が多く、その割に焦点が定まらず決めごとができない事業所も多い。我が尚恵学園はどうでしょう?
 団欒が好きで炬燵に入ってミカンを食べるお喋り会となっていないか?これを言ってはお終いよ!小さな事業所なれど、理事長はCEOである。自ら範を示しているのか!
 いつもどこにいるのか分からず、肝心な時は留守で、どうでも良い時に廻ってくる、そんな風に思われていないでしょうね。
 研修を強化したは良いのだが、他の施設の良いとこばかり見て来て、少々焦っていないだろうか?食滞気味の様子あり。
 もう一度原点を見直そう!いやいや 何度でもそこにかえるべきなんだ。
 そして、肝心な事は、職員満足度ではなく顧客満足度を上げること、綺麗事で両方同時にという訳にはいかない、優先順位は自明の理。
 福祉業界で俄かに騒がれている虐待防止や差別禁止は、基本的なことができてさえいれば何の問題もないこと。
 法人内研修として職員を経験年数により3つに分けて実施することになった。その結果がどうなるか?
 我々に顧客満足度を測る物差しはあるのだろうか?教育機関なら良い学校に合格者を何人入れたかとか資格取得率を数値化できる。
 福祉現場は正直、そこまで明確なランク付けはできていない。教育と福祉、同じ人間を相手とする職種で何故に差があるのだろう。
 ハッキリ言って危機感の違いである。需給のバランスが未だ事業所側に有利に働いているからです。客が店を選ぶ状況になっていない。これには様々な原因が考えられでしょう。規制を緩和し、事業参入をし易くする流れができた。一部地域では、既に客の取り合いが始まっている。それを体感するかどうか。
 福祉の関係者の中には依然として競争の原理に異を唱える人達がいます。でも、どうでしょう!確実にその数は減ってきたし、事業の存続すら危うくなっている所もあるのです。
 痴呆老人の数が300万人を超えたという厚労省の発表、想定より10年先んじて大台を超えた。
 これへの対応は、国の威信にかかわるもの、国会審議は仲良しクラブとは言いたくないが、最早、問題の先送りは効かない状況だ。
 東日本大震災が起こって諸外国は日本に同情を示し、その中で暴動も起こらず、復興に邁進する日本人を評価した。そして1年半が経つ段階で箍が外されたように攻撃に転じ、その対応に政府は防戦一方となっている。
 自国の思惑通りに進まない。その事は当たり前のことなのに、今更気付いたという言い分も”団欒お好き”の同じ穴の狢ではないだろうか!国民総じて懺悔すべき時にある。
 

2219:世代交代

昨日で今年最後の施餓鬼がつくば市の寺で終わった。お盆が終わり、心身共に萎えてきた時だけに辛かった。
 その時に感じた事、助法に集まった坊さんが見事に世代交代していた。話す内容も60代とは全く違って、溜息混じりに昔を懐かしむロートル組とフットサルやコンサート活動を楽しげに誘いあっているヤング組みとに別れた。こうやって自分達も親父と一緒に施餓鬼手伝いに行ったのを最近の事だと思い出す。
 久しぶりにプロ野球をテレビで観た。巨人選手が懐かしいユニホームを着て登場、方や相手チームは全く名前の知らない選手ばかり、今年1位をずっとキープし優勝マジックが点灯したチームと早くも最下位が確定?したチームの差がハッキリと選手起用に表れた。
 スポーツ界の世代交代は着実に行われる。実力主義だから結果が出せない選手はいくら過去の実績があっても弾かれる。
 坊さんの世界は特殊かもしれない。長老とか言われ、上席に座らせられ寡黙にそして笑顔を絶やさず居れば良い。これすらもしんどいと思うようになった時には潔く自ら退くか出仕を控えることがベストの選択となる。
 還暦過ぎ組の坊さんと話していた。その時の話は猛暑への嘆き節、一人の方がくま蝉が鳴いているという話になり、「何それ?」と尋ねると昔はくま蝉は関東では見かけなかったのにドンドン北上して、これは確実に亜熱帯化している証拠だと。そんな風に感じる人もいるんだと感心した。
 私のスケジュールは、会議などが先ず入る。それと、2〜3カ月先まで土・日の法事がビッシリで動けない。くまでもミンミンでも構わない。暑さを避けて北上し、静かに瞑想に耽る時間を持ちたいところ、瞑想が”迷走”になって脳天沸騰、これでガス欠が起これば万事休すとなりにけり。
 このクソ暑い中を、どう血迷ったのか私の部屋から出てきた燃やすゴミ(?)がコンテナボックスに7箱、それを燃やし始めた。しこたま貯め込んだ書類や資料、定期購読の関連雑誌も1年経てば要はなし。これだけ目まぐるしく変わってきた業界も珍しい。制度や法律が変わっても実際にやっている事は変わりない。このギャップをどう自分に納得させようか、悩む暇なくまた変わる。
 なんだか知らないが手玉に取られている感じ。迷うな!我が信じる道を!と健気者を演じて見ても観衆は誰も無し。
 お前の62年間は、そんなものだったのか!
 韓国の大統領が任期切れマジかに急変?し、話題になっているのは周知の如し、しかし任期を待たずに首を据え変える御国の総理も如何なものか?
 彼等には、全く庶民感覚が分からない。どうしてなのかと最初は考えた。しかし、反省無くしてここまで繰り返されると最早、考えることもバカバカしい。
 世代交代とは、あとから優秀な者が登場するから受け入れられるものなのに、後任がそれ以下の者しかいなければ、結果を出すまで任期を全うすべきだと私は思うのだ。これって間違っているでしょうか?
 政治の世代交代は有権者が決めること、それしかありません。
 

2220:転換点

漁師さんならば潮目をみることはその日の漁獲量に直に関係するから最も関心が高い。近年の気候変動の激しさは、潮流にも当然表れているはずである。
 それが経験を通して上手く読むことができるか否か?領海問題なども微妙に絡んで良い漁場を見つけるのは大変だと思う。
先日、新たなケアーホームの内覧会があった。30名を超える仲間が集まったと聞く。私もお客さんと一緒に皆が集まる前に早めに覗いてみた。最初に立ち寄った時と比べ、まだ1カ月も経っていないのに、メンバーが落ち着いて生活をしている。部屋も綺麗に整理整頓されていて、とても上手に利用しているなと思った。
 その時思ったのは、メンバー一人一人の潮目はあるんだろうかと言う事、的確に彼等の気持ちを掴んでいないと余計なお世話にならないとも限らない。
 昨日はエアコンの増設工事があり、立ち合った。部屋が広いと200Vでないと無理だというのでそれを注文し、設置工事があったのだ。すると心配していたことが現実になった。分電盤は既に目一杯使用されており、新たに付けるエアコンの電源が取れない。最初は当時流行の集中型冷暖房設備、一か所で操作でき、利便性が売りだった。それが、年を重ねるにつれ、故障が目立ち、電気量も嵩むからというので使用をやめ、子機対応で室外機ばかりが増えた。その為、コンセントが間に合わず、次から次に増やした結果、こうなったわけである。
 結局、更に増設工事を行って新しいエアコンを設置することになった。
 便利さが当たり前になった今、故障して作動しないとなれば大変、我慢の限界どころの話でなくなる。
 今年は異常な猛暑、全く雨が降らず、草木も人間もじっと耐えている。
 私の周囲も大分変わった。寺の本堂には、イスが並ぶ、座布団に座って法事など今では考えられない。座るのは住職だけ。更に本堂に冷暖房設備を付けた寺もある。それは構造上無理だと思うから扇風機を何台も置いて使っている。
 快適さを求めるのは飽くなき欲望か!
 一途にそれを求め続けてきた日本人、当たり前の如く、結果、電気の使い過ぎとなり、それを賄うために原発依存という選択をした。
 そして福島原発事故、隠ぺい体質の原発に急に庶民の眼は厳しくなり、各地で反原発の狼煙があがる。
 この一連の動きの中で国民一人一人がエネルギー問題をどう考えていくかが問われている。出来るなら脱原発と誰もが思っているのだが、具体的にどうすれば良いのかが分からない。
 前を向く姿勢から見えてこないことがある。それは過去の良かった事である。暑ければ日陰で涼をとる。その日陰をつくる木を伐採し続けた結果緑が減った。開発という名の下に。
 高齢者が増える事へのイメージは暗い。それは社会がいくら変わっても老人一人一人が変わらねば何も変わらない。
 定年制を撤廃して働く事を提案する、それは酷使でもなんでもない。働くとは人が動くと書く。動かなくなることを前提にした老後は、当にマイナス思考の極地なり。そうじゃなくて働く事を喜びとする文化を再構築できないか!そうでなければ次世代の若者は負担で押し潰されてしまうのは明らかだ。
 これが今一番必要な転換点だと私は思う。
 

2221:ジレンマ

「もし秘密を漏らせば非難を受ける。また秘密を守っても非難を受ける。」「秘密をもらすべきか、守るべきか、他に方法がない」「故に、どちらにしても非難を受ける」。
 相反るす二つの事の板挟みになり進退両難の中で結論に導く三段論法。
 仏教では、その事を諸行無常 是生滅法 生滅々已 寂滅為楽で提示する。。
これは基本的な仏教の立場、つまり、生滅(死)の法は苦であるとされるが、生滅することが苦であるのではなくて、生滅する存在であるにもかかわらず常住であると観るから苦が生じる。
 これは、現代において最も重要な視点ではないだろうか?
死を忌み嫌い、遮二無二何かを追い求め生きている。・・・・が、確実に我々は自らの死に向かって時間を刻み続けているのだ。
 友人や大切な人を失った時に、誰しもが一体自分はこれから先どのくらい生きられるのだろうと考える。
 生きると言う事は単に息をして心臓が動いている状態を指すのではない。何らかの欲望を満たしたいということが付き纏う。
 苦をジレンマと言い換えることも可能だろう。求不得苦・・・求めても得る事ができない事、これは四苦八苦の七番目の苦とされている。
 さて、そこで厄介なのは生きる意義を見いだせない人達だ。毎日、何をして過ごして良いか悩んでいる多くの人達、
 残された時間を無駄に過ごしているとは言わないが、何かあるでしょうよ。自分探しに通じることだ。
 その一つに、恩返しがあるんじゃーないでしょうか?
 自分が生きてきた年数に関わらず、空気を吸って、水を飲み、眠くなれば寝てきたから今まで生きられた。そんな事言われなくてもわかっとると怒りなさんな!
 それなら、地球の恩に感謝し、報いてみてはどうでしょう。シコタマ財産を増やすために働いたと自負される方達よ。アンタらそれを彼岸まで持って行かれるのですか?
 子供達に残していく、???それで醜い争いがどれだけ起こったことか?有るから奪い合う。自明の理です。
 尖閣諸島の問題だけれども、良く判りませんが何故私有財産になっていたんでしょうか?どうやって誰からいつ買ったのでしょうね。それを東京都が買うという。調査に上陸しようと申請したら国が許さない。
 何がなんだかわからないで大変だ大変だと騒いでいるようにしか思えない。
 これもジレンマ、あれでもし地殻変動が起こり島が海底に沈んでしまったらどうなるんだか?寂滅為楽には程遠い。

2222:創意・工夫

”お墓参りサポートタクシー”というものがあった。水戸でタクシーに乗ると座席の前にパンフレットがあり、読んでみると水桶・花それに線香まで用意し、予約制で受けるという。運転手さんに聞いてみた。お年寄りで墓参も出来ない人へのサービスで、これもお客がいないから会社が考えたようですよと他人事、今年のお盆もあまり実績は上がっていないようだった。
 タクシーに運転代行があるのを初めて知った。タクシーの場合は代行会社と比べ料金は高めになるとのことだが、時間無制限だから昼から頼まれることもあるようだ。
 水戸駅北口のタクシー乗り場には常時40台の客待ちタクシーが待機しているという。客は忙しかった時期の半分以下に減ったと嘆いていた。
 墓参をサポートするサービス、我々福祉の世界でも行動援護なるサービスがあるが、生き残るための様々な創意・工夫がなされているのが分かった。
 昨日は水戸駅前のホテルを会場にして施設長会議を行った。前半の講演は『障害者虐待防止法』で約2時間、講師の方が熱心に語りかけてくれた。この法律は10月からスタートするから、今頃研修を行っているのはどうかなという批判もあった。だが、少なからずどこかでその話は聞いているはずでその再確認になればという思いで企画した。
 虐待があれば、それを通報する義務が事業所にはおこる。以前として幼子へのDVや育児放棄が後を絶たず、社会問題化しているのは周知の通り。しかし、これが法律によって箍をはめれば減少するのだろうか?
 世の中が病んで方向を見失っている。その一つの現象が虐待とすれば、根絶するには対症療法では無理だ。
 障害者・お年寄り・幼児・・・と所謂、社会的弱者は社会が守らないとなるまい。これが社会保障の心髄だったはずが、増税ばかりが目の敵となり、実効性が無いものとなりやしないだろうかと気になる。
 社会保障を論じる時、負担をどうするかがいつも問題になる。制度への信頼が薄いから、出したくないと考える人が増えてしまう。
 制度や仕組みを新たに作る時に注意しないといけないのは、使いづらくならないことである。手続きばかり複雑になって実の部分が薄くなる。
 更に本来の趣旨と違って悪用する者が出てくるから、その予防策も講じることに、何の為の誰の為のという事が曖昧になる。
 創意・工夫とは、本来悪事を想定しない。
 墓参サポートのサービスも本人が納得し、有り難く感じれば需要は伸びる。その代価が手ごろであれば客が客を呼び事業として成り立つはずだ。
 痒い場所に手が届く、そんな仕組みが本来の望まれるものだと思う。雑感少々。
 

2223:やむを得ず

私の頭から離れない根本的な命題、利用者にとって今の生活がどうなのか?
 これを考え始めると寝てなどいられない。すぐさま起きだしてメモを取る。記憶力と思考力は年と共に減退、数秒前に何を考えていたのか思い出せないことが起こるからだ。
 入所施設を解体し、地域生活へという議論を金科玉条の如く声高に叫ぶ人がいる。しかし、果たして本当にそうなのか?
 やむを得ず、今の施設を利用されている人達にここはお前さんのいる場所でないから出なさいと言っているようにさえ思える。”やむを得ず”という言葉が実に的を得た言葉だと思う。誰も好き好んで選んだ訳ではないはずだ。
 これが、最近の出来事で今からでも遅くは無いと思うことがあった。施設からケアーホームに移った4人の人達、自分達の部屋をとても綺麗にゆったりと生活をしている姿を見てしまった。声をかけると私にはどうも意味不明な言葉だが一生懸命話しかけてくる。
 住田福祉さん
    お家をたてて下さいと言ったらゴメンネ。お家をたてて下さいと言いません。もうお家をたてて下さいと言いません。
    お家をつくって下さいと言ったらゴメンネ。お家をつくって下さいと言いません。もうお家をつくって下さいと言いません。
    ゴメンネ。ゴメンナサイ。 ○泉○子。

 このメモ書きを見ると見振るいする。彼女は今、お母さんとの生活が始まり数年が経つ。仕事を辞め、時間が取れるようになったからと娘を引き取った。その彼女が私に何度となくメモ書きを持ってきた。或る時は自分で描いた家の設計図(13階建)。上の手紙を持ってきた後、暫くして何も言ってこなくなった。
 利用者さん達は我々を良く見ている。それを個別支援計画とやらとこっちから余計なお世話をするような動きが主流となりつつある。
 まずいよ。そんな事本当に出来るの?
 取りあえず、ゴメンナ、ゴメンナサイ。これでどうですか?という謙虚な気持ちを持たないと。此方側にですよ。勿論。

2224:恵み雨

8月は殆ど雨が無かった。特に関東地方は酷かったと思う。地面がカラカラに乾き、乾燥に比較的強い草木もグッタリとして一雨が欲しかった。その雨が昨日降った。
 今朝の蝉の声もカナカナと啼いて、いつの間に蝉の声も変わった。
3日程、個人的な用事で家を留守にした。ネコちゃん二匹が心配でエサだけ頼んで出かけたが、案の定、帰宅してみるとハナは待っていてくれたが、ミイは行方不明。多分ひねくれているんだと思った。
 夜中に様子を見に来て私がいるのを発見し、纏わりついて閉口した。
 いよいよ9月、本腰をいれ、真面目に仕事をしないとまずいなと自分に言い聞かせる。気温も大分落ち着いてきたようで今朝は秋の気配さえ感じる。
 11月の企画の終盤を迎え、案内文を発送する段階にきた。筑波大の名誉教授のN先生が事細かに指導してくれているので学生に戻ったような気分である。
 8月は寺モードで頭の中はそれで一杯、どうにか今年もお盆月を無事終わらせることができ、ホッとしている。
 さてと、一雨あったのは嬉しいが、草が一気に元気を取り戻し、見る見る中に大きくなった。
 雨が降る降らないも人間の力ではどうしようも出来ない事。自然は嘘をつかない。水分を補給出来た草木は待ってましたとばかりに輝いて見える。
 それを雑草が生えて仕様が無いと愚痴るのは人間様の勝手。
 人間はどこまで我がままなのだろう。ああだこうだと言うのは自由だけれど自分がそれにどう取り組むかは語らない。
 これで本当に世の中丸く収まれば苦労は無い。
 農家は秋野菜の植え付けに忙しい。広大な畑に水を撒くなど簡単にできない。やはり自然の雨を待って、この時とばかりに動きだす。
 雨を恵みと感じるか否か。どうも日本人が昔、雨乞いをして降る雨に感謝の思いを馳せた時代は遠い過去のものとなってしまった。
 たった今、雷鳴と共に大雨が降った。そして、あっという間に晴れ間が出て蝉が鳴き始めている。

2225:特効薬?

今日本人の50歳以上の人達で何らかの薬を飲んでいる方の数は相当なものであろう。私もその中の一人だ。食事が終わると次に薬を取り出し飲み始める人達を至る所で観る。ジェネリックなるより安価な薬も登場し、その種類と言えば部厚い本になる程である。
 医薬分業とかいっても病院の近くには薬局が必ずある。便利さという事なのだろうが、その本当の理由は解らない。
 どうでしょうね!飲み続けている本人が言うのもどうかと思いますが、本当に効いているのか否か?現状維持ならOKでその為に薬が手放せない人もかなりいるだろう。
 旅好き、酒好き、女好き(?)・・・・たった一度の人生だ、楽しまなきゃ損だろうと植木等でもあるまいし、気楽に生きれりゃー最高と思うのはどうぞ御自由に、だがそんな風に世の中参りません。
 年を取ったなーと感じるのは、昔なら、言わずより言ったが良いに決まってると遠慮せずに喋くったから物議を醸した時もあり。それがここで待った!を自分でかけている。いや、待て。様子を見よう。アイツは何を言いたいのか先ず聞け!とばかりに。
 それが確かに相手との関係の上では良い結果。だが半煮えの残存感は付き纏う。
 損して元取れとは良く言ったもの。
 だが、これもどうでしょうかね。外交や防衛の最前線では、この種の手法では遅れをとる。
 正直、良くは知らないがお隣の韓国の国策とかいうものは凄いらしい。自棄にゴルフ界の活躍が素晴らしい。次から次に名前の知らない選手が優勝し、底の厚さを感じます。
 昨日の話。彼等は徴兵を免れ、生活の保障がされているとか?結果を出した者だけの特権だとしても勝負に対する貪欲な姿勢は頷けるような気になる。
 外国から見て日本人も嘗てはそう思われてきた節がある。サッカーや野球での日本人の活躍、しかし、彼等は日本での目立ったメリットは何も無い。むしろ高額な税金を納める位なことだろう。それは名誉なことだろうと煽てられのが関の山。
 これでは、どうもモチベーションが上がらない。
 国策として日本が世界と勝負するには、余りにも策が無さ過ぎませんか、各企業や個人の自由とばかりに国として後押しがなされない。否、実態は決められないのだよ。
 万が一有ったとしても不透明で利権がらみ。自由とはオープンという意味もあるのだし、誰しもが堂々と力が発揮できる仕組みを作るべきなのだ。
 ノウテンキだと思うのは、尖閣やら竹島と急に騒がしくなった時に解散選挙だと言う発想が私には分からない。一体だれが責任を取るのやら、またしても長老や賞味期限切れの政治家が顔を出し、自党内の代表選びゴッコを始める始末。
 いつになったらこの国の病に効く薬ができるのか!平和ボケにここまでドップリ浸かってしまった民族に特効薬はありません。
 

2226:カミナリ

『カミナリが落ちた!』
 どこに? 『 ・・・・・』 カミナリは急激な上昇気流が起こって積乱雲が出来ると発生する。人間のカミナリは、腹に貯まった不満が限界に達っした時に発生(?)
 それだけでは無い。多少意識して落とす場合もある。相手の気持ちを確認する時や士気を鼓舞させようとする時にである。
偶に落ちるから効き目があるのだが、年がら年中落としていては無視されるのが落ちだ。
 昨日はムシャクシャしていた。引き金があった。待望の雨が2日程続いたから、葉が固くなって草刈り機でも切れない程の雑草が急成長、歩くのも危ないほどに伸びていた。
 自分の処の恥を晒すようで嫌なのだが、利用者の方々は様々、歩行もうまく出来ない方もいる。視力が弱いという理由と足腰が弱ったということだ。となれば、伸び過ぎた草がどれ程歩行に障害をもたらすか位、誰だって解るはず。
 雨の後ならば根っ子が固くなった草もいとも簡単に抜くことができる。それを全くやろうとしない。そう見て取った。
 実習生がいようがいまいが関係ない。一気に職員に向かって捲し立てた。
「誰が草を取るんだ?俺達には関係ないとでも思っているのか?」・・・・等々。「言われたからやるんじゃー駄目だ」・・・等々。
有無も言わさず一気にだ。
 相当、腹の虫が怒っている。収まらない。すると利用者さんの何人かが私に近寄ってきて、「危ね^べよな」とか「ダメだ。職員がやんねーければ。。。。」と良く言ってくれたとばかりに私にエールを送るメンバー達。彼等も相当貯まっているんだ。
 ペチャクチャ喋っている暇があるんだったら草でも取れよ・・・・・とまでは言わなかったが、顔は当にその事を語っている。
 自棄に会議ばかり多く、パソコンに向かう時間が多いようだ。これは当然の職務?言われ無くとも解っているさ。それをどう工夫してやるかなんだよ、尚恵の24年度の努力目標を何回でも見るこった!
 私が言いたいのは、決められたことだけをやっていれば良い時代では無いと言うこと。それじゃーなんだ。決められた事を確実にできているんですか?と逆に聞きたい。それすらできず、何を言うかとまた爆発。
 こちとら真剣勝負だ。
 これから秋に向けて、農家の人達は多忙な季節を迎える。周りの田んぼも稲刈りが始まっている。天気をみながら作業段取りをたてるのは当然である。雨の中、稲刈りをやってどうなるかを経験で知っている。
 親から子へ、その伝達は日頃の作業で教えている。
 結果によっては1年間の労働が水の泡と化す。果たして施設現場はどうだろう?先輩が若い職員に、機を見ての対応の重要性を教えているだろうか?
 雨が降ればテレビを観てすごす・・・・・・これ以外の選択肢を持ち得ているか?
 良く考えるこったな。カミナリは恵みの雨をもたらす。人間の雷は何を残すだろう。
 良く考えるこったわな。

2227:あのな・・

あのな・・・俺はこう思うんだよ。
 観音寺に屋外トイレがあるよね。俺はね。朝晩必ず見るんだ。汚れていたら掃除してる。だってそうだろう、皆が自由に使えるように作ったんだ。それが、いつも汚す人は決まっている。じゃーその人に使わせないと言ったらどう思う?? そんな事のために作ったんじゃねーよな。
 確かに1週間に一度だけ、学園のスタッフが掃除をしてくれている。これ有り難いと思ってる。でもな・・トイレって毎日じゃん。 「こうみょう」のKさんって毎朝だよ。彼ってきっとホームじゃー落ち着いてできないのかも知れないな。
 後から使う人が不愉快な気持ちになってしまっては元も子もない。そう思わないか?
 掃除をやれって言われたからやるんじゃ、絶対ダメなんだ。その時だけ嫌嫌やって綺麗になるはずないじゃないか。
 俺・・・そう思っている。
 施設だって同じだと思っている。”誰のためにやっているんだ!””何のためにやっているんだ!”とお題目みたいにいつも唱えているんだ。
 草取りだってそうさ。雨降って、”さ・・今だよ。草を取るのは”って草が教えてくれる。あの日照りの時、どんな力持ちだって抜けない草が簡単に抜けるだろう。
 それとさ、何の為に草抜きする?アンタらいつも言ってるじゃーないのかい。良く眼がみえないメンバーさん、歩くのが不自由なメンバーさんが増えたって。だったら直ぐ判るだろう。あれだけ背丈が伸びた草が生えてしまって危なくない?
 俺に怒られたから掃除するんじゃーダメなんだよ。
 それとな、人間誰しも認められたいんだよな。判っているさ。でもな、『無功徳』(むくどく)って知ってるかい。
 見返りを期待しなさんな・・・・・って意味だよ。良い事してるから良い事があるって考えるんじゃないってこと。そんな簡単なもんじゃありませんって。悪い事したって良い事が起こる人もいるさ。
 でもな・・、そんで良いの?って事。
 さて、何故だっぺね。そりゃー簡単さ。信用が無くなるし、結局は自分に必ず還ってくるもんだ。

2228:近日刊行

小さな喜び 大きな幸せ・・チュービンゲン便り』9月10日刊行予定。出版元・智泉書館
 やったー!横井秀治さん執念の書、現実のものとして世に出される。著者の横井さんとは、私は40年以上の付き合いでご長男の誕生からお母さんの生まれ故郷、チュービンゲン(ドイツ)に家族で渡ってからの生活、日本人の視点でドイツの社会や文化・・・家族、生きることの意味、幸せとは?喜びとは?を追い求め1冊の本に纏められた。
 是非とも手にとって読んで頂きたい。
 「自分史」が一時ブームとなって、私の書庫にも何人かから頂戴した本がある。装丁はみな立派で大分費用もかかっただろうと思われるものばかり。ゴーストライターがいて、本人から得た資料を元にそれなりの形にしてくれる場合もある。正直、これでは意味が無い。書いた人は自己満足で貰った者はツン読となるのが関の山。
 今回、横井さんが書き纏めたものは、そうで無い事は保証する。もう何十年になるだろうか。日本の読者に慣れないワープロで自ら書いた「チュービンゲン便り」、最初は「福祉館だより」という名で送っていたもので、その都度、私は読ませて頂き、尚恵学園のホームページで何度か紹介してきた。
 私は3回チュービンゲンに伺った。そこで直に見てきた光景が随所に書かれている。特にダウン症のご長男ミファエルさんと奥さんのギャトルードさんとの3人の生活、その間、奥さんのお母さんとの同居生活や地域の様々な活動に参加しての地元の人達との触れ合い、いろいろんな所に休暇を利用しての家族旅行・・・・ずっと続けてきた反原発運動等。
 日本人故に感じる異文化での戸惑い、そしてそのドイツでの生活も30年にならんとする今、自らの人生を問い続け得た窮極の価値観が”小さな喜び 大きな幸せ”となった。
 私は、横井さん家族の生き様に多くの事を学んだ。差し出がましいようだが、いま日本人が探しあぐねている”生きる意義”をそこにみる。
 我々は多くの事を望み過ぎていないだろうか?本当の幸せって何なんだ?この問いは、永遠なるもの、日本人が当たり前として日頃享受している便利さから一番遠くにあるもの?
・・・違う。  本当は身近にあるものなのに気付かないだけ。
 世界の頂点を目指し、直走りしてきた多くの日本人が他の国に追い越されることへの焦りや不安、その事でどれだけ多くの大切な事を忘れてしまったか。
 私は僧侶と障がい者の人々との付き合いが大半の人生を送っている、多分、これは私が生きている限り続くことだろう。遺族と話していると様々の事を感じる。知的に障がいの有る皆さんから沢山の感動を頂いて今に至っている。
 内省と感謝、この繰り返し、多分、人それぞれの人生があるのだから、気にとめなければ何と言うこともないことである。
 この年齢になれば、多くの知人や友人が先に逝った。その思い出をどれほど懐かしく思っても時間は流れて行く。
結局、自分自身で決めることしか無いのは分かっているのですよ。皆さんも。

2229:青い鳥

メーテルリンクが『青い鳥』を発表したのが1908年である。既に1世紀が過ぎた。
 捜し求めていた青い鳥が結局、自分の最も身近にいたという話、皆さんは「青い鳥症候群」と言われる現代病(?)を御存じでしょうか。理想の結婚相手を求め中々相手が見つからないとか、より条件の良い会社を探し、転々と職を変える人、身近に多くありませんか?
 100年前も同じ状況があったということで、これは人類が存在する限り、ずっと繰り返されることなのでしょう。
 でも、変化はあります。例えば結婚生活、私の周辺でも結婚をしない人を見ていると結婚に魅力を感じないという人達が結構いるような気がします。
 面倒だとか、独り身のほうが気楽で好きなことができるという。深刻なのは自営業で特に農家は困ってしまいます。跡取りがいなくなるという心配です。でも、実際に専業農家は殆どありません。ですから誰かに耕作を頼んで自分は会社勤めという人が殆どという地域実態です。
 同じ島国でもイギリスは食糧の自給率は日本の比では無く、相当高いと聞いている。ロンドンから一歩出ると広大な農地が広がっています。農業で生活が成り立ち、従事者がそれを誇りに思っている。
 一方、日本は何かが足りない。何故でしょうね。もっと真剣に考えないとならない。
 これまたドイツの話になりますが、再生可能エネルギーへの転換で、確実にそれに向かって為すべき事を確実に行っているという。原発の廃止を決定し、国民も企業も行政もそれに向かって一直線。
 日本の実態は、ドイツと比べてチグハグですよね。決められない政治を衆参のねじれを理由にする政治家がいますが、全く説得力が無い。そして、どうですか!自民も民主も自党内の代表選びに夢中、井の中の蛙とは当にこのことです。
 我々は党の代表に誰がなったってあまり関心はない。それより、この国をどうするのかを真剣に討議すべきだろう。
 青い鳥とまではいかず、青い虫といったらご機嫌を害するかもしれませんが、民主党の現職大臣が代表選に出るよう押されたが、今は福島が大事と自ら辞退したというニュース。何かホッとする思いになりました。でも、これって特別なことではないと思うな。当然な事だよ。
 それが、特別に見える政界が実は狂っているんだよ。
 野田さんに任せてはおけないとか良く言うよ。アンタら何人総理を替えたんだい。言う資格など無い。
 外国人の眼はそこに有ると思う。こんな日本に誰がした?
  温故知新・・・・古いな・・・と言われるかもしれません。でも伝統を重んじない国は滅びる。日本の立つ位置が定められず、流行を追い過ぎている。流行=青い鳥=法・・・・・・・。諸法無我という原則に気付くべきでしょう。早く。これって仏教の基本中の基本です。
 

2230:晴耕雨読

ロンドンのパラリンピックで100メートル平泳ぎで世界新記録を出し見事優勝した田中さんは知的障害者の部門、彼は千葉県の作業所に通い、水泳の練習を続け、今回の快挙を成し遂げた。
 10月には全国障害者スポーツ大会が岐阜で国体の後、開催されます。私は茨城選手団の一員で参加する予定です。
 全国から集まった選手たちが様々な競技で日頃の練習の結果を出そうと頑張る姿、これは感動ものです。
 勝っても負けても清々しい何とも言えない雰囲気が会場を覆う。これは彼等の純粋で下向きさから来ているものだと思いますね。勇気と元気をもらいます。
 ようやく朝夕に秋の訪れを感じるようになってきました。今年も本当に暑かった。関東地方の水源のダムは非常事態、渇水がすすみ、取水制限を行っています。あれだけ豪雨があっても何故なんでしょうか?不思議に思います。
 6月〜8月にかけての水道料金は日頃の2倍になります。植木の水やりなどの為でしょうか。でも自然の雨には敵いません。土浦周辺も先週ぐらいから夕立があり、まとまった雨が降りました。一気に秋かと思いきやまだまだ残暑が続くようです。
 晴耕雨読とは、良く言ったものです。でも、今の日本にこんなノンビリした生活が有るのでしょうか?
 節電が常態化し、エアコンの温度を高く設定、それでも全くエアコンを使わないわけではありません。最早、エアコンは必需品、団扇片手に仕事するなんて光景は無くなりましたね。
 車だってそうです。今時エアコンの無い車を使っている人が何人いるでしょう?私の作業用軽トラックはその貴重なエアコン無しの中古車、先月、道路走行中に突然エンジンがストップ、ウンともスンとも言わなくなって、急遽レッカー車でドッグ入り。
 ほどなく治ってまた乗り始めている。
 良く考えてみた。自分で苗を植える事は全くしていない。大部分が刈ったり根を抜く作業、これって不味いわな。
 もうじき彼岸だ。雑草供養でもしないと・・・・・。
 私は除草剤を全く使用しない。だからでしょうか?直ぐです。草が出てくるのが、根比べです。
 もう少し涼しくなれば、中断していた四国遍路を始めようと考えています。
 時間に追われる毎日を送っていると、今日1日何をやったか思い出せません。そして時間が経つのが実に早い。
 勿体ない、勿体ない。これが一番の無駄だと思います。
 限られた時間を有効に使いましょう。皆さん!
 晴耕雨読が様になった時代は、多分 平均寿命が40代の頃だったのではないでしょうか?
 それを考えれば80代の今時、還暦なんて30代の働き盛り、高齢化なんて言葉を撤廃し、皆が元気で働く国を作ることが
 窮極の社会保障国でありますよ。