源究141

 

No テーマ 月日 No テーマ 月日 No テーマ 月日 No テーマ 月日
2331 念頭の所感 1/1 2336 実践躬行 1/7 2341 仏さま 1/12 2346 桃源郷 1/18
2332 再生の覚悟 1/2 2337 裏と表 1/8 2342 木目細か 1/13 2347 樹木葬 1/19
2333 継続の意義 1/3 2338 引退しない人生 1/9 2343 大所高所 1/14 2348 約束ごと 1/20
2334 肩肘張らないで 1/4 2339 メッセージ 1/10 2344 強かに 1/16 2349 何かと。。 1/21
2335 小さな気付き 1/5 2340 有るもの探し 1/11 2345 熱源 1/17 2350 施設長会議 1/23

2331:念頭の所感

2013年 明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。
 恒例になった”除夜の鐘”を昨夜行いました。一昨日までの雨模様の天気は午後から快復し、夜が更けるにつれて見事に満天の星がみえるようになりました。
 風も無く絶好の条件が揃い、多くの皆さんが来てくれました。夜11時半に鐘楼堂の前で般若心経を唱えてからスタート。
 絵馬にそれぞれの願いを書き、焚火に温まりながら語らう一時です。後片付けが終わったのが2時近くになりました。
 少々寝不足の感は否めませんが、新年を迎えることができました。
 ご承知の様に、未だ、東日本大震災の復興が上手く進んでいない中で申し訳無いという気持ちを持ちながら新年を迎えました。誰しもが思い知らされた事。それは、自分達だけが幸せになればと願うことの反省です。昨今問題になっている様々な格差や環境の破壊が以前と比べ減ったでしょうか?
 何も疑問を持たず遮二無二走ってきた結果、取り返しのつかない問題に直面しています。その反省が充分だとは言えません。それは暮れに行われた衆議院選挙の低迷した投票率からも伺えます。何故なんでしょうね。
 これって自分の事しか考えない人が増えたことが原因なのでしょうか? それも一理あるでしょう。でもそう決め付けることはできない。
 尚恵学園のメンバー達は皆さんが今回も投票に行きましたよ。彼らの入れた票は多分無効になったものが多いと思います。
 でも、ここに何を感じるかです。彼等は言いたい事は山ほど有るはずなんです。
 これは彼らの問題では無くて、我々周りの人の問題だと思うべきです。特に議員に選ばれた人達の責任は頗る大きい。
 今年私は一つのテーマを自分に課しました。それは”我々福祉に関わる者自身が自立しなければならない”という事です。
 社会福祉事業や医療が国民の税金によって賄われていることを否定する人はおりません。その負担がとてつもなく膨れ上がってしまった。最早、二進も三進もいかない状況です。
 いずれ、このまま行けば国は破綻しますよ、その時になって慌てても仕方が無いと思うのですが、まだまだ、その危機意識は関係者の多くに無いと思っています。
 それは正直言ってまだ本気になっていないからなのでしょう。農業問題も然り、食料を自給しなければ大変な事態になることを誰も信じていない。
 このように様々な積み残された課題が越年しました。更に問題の先送りをしようなど考える人はいないはずです?
 自立という意味は、不平不満を他人の所為にすることではなく、自らの足で歩めという事しか無い、それが念頭にあたっての確信で有ります。

2332:再生の覚悟

”再生の覚悟”とは大行な話です。分かっていますよ言われ無くてもね。
 それより何に対して再生ですかと聞いて貰いたい。all or nothing ですか?    ”nothing(無)”って実に難しいよ、だってそうじゃありませんかね。”空”とか言えば、もう相手にして貰えない。つまり、仏教一つを考えてみても、意味が判らず何となく存在する。これが実態でしょうよ。
 再生とは、多分、「意味の再確認」と言えばお判りいただけるでしょう。広辞苑をひくと、精神的に生まれ変わること。以前に経験した事象や学習し保持した事柄・内容を思いだす事と出ています。
 実はこうなってしまった土壌が有った。経済至上主義の旗印の下に”豊かさ”を追い続けてきたわけですよ。確かに便利な世の中にはなりました。でもその結果はどうでしょう?”虚しさ”という置き土産、これが実に厄介な代物で、どうやって処理すれば分からない。
 そして、情報の氾濫、過剰な知識、・・・・この絶え間なく押し寄せる”波”に為すすべも無い。そりゃーそうでしょう。
 金さえ有れば何でも手に入ると錯覚、また、それを望んできた訳です。ここに妙な価値観が生まれた。
 賃金は労働の対価・・・・これを疑わなかった。しかし、これを古いと一蹴する者が出る時代。楽して儲ける者が勝者だと公言する輩の台頭。
 今、叫ばれているのは中央集権より地方分権に軌道修正せよと言う事。これを諸手で賛成する人が果たしてどの程度いるか?言葉だけが一人歩きし具体的な姿が見えないから当然です。
 そして、何をするにしても”財源問題”が壁となって立ちはだかります。今年度末には国の借金が1000兆円を超えるというじゃありませんか。これを誰が返すのか???? ここなんですよ。次世代に負担させ、元気を出せと尻を叩く。なんとも無慈悲な国じゃーありませんか!
 両方の言い分は、このまま何もせずジリ貧で破綻を待つか、それとも経済復興をして借金を返すべきだと。
 言ってる事は解りますが、やっている事がチグハグなんだよね。”覚悟”を感じない。御用聞きばっか。
 私は際限のない人間の欲望を満たそうとすれば破滅に至ると考える。これは別に私が考えたことじゃありません。2500年前に釈尊が仰った。どうです?2500年前の日本はどうだったか誰か教えてくれませんかね。GDPがどうだとかTPPがこうだとか、当時の日本にはあったでしょうか?昔と比べりゃー長生きできるようになったとは言えますよ。
 でも、その真価の検証が無いんじゃないの。
 釈尊が教えた事は、”中道”です。当時の格差と言ったら、今と比較にならず、生まれた時からもう決まっちゃていた。インドに今でも存在する、”アンタッチャブル(不可触賤民)”という人々、これをどうにかして変えようとしたんです。結局、2500年経っても世の中から一掃できず、形を変えて存在しているのです。
 キリスト教もイスラム教も目指す処は同じだと思います。
 こんな事がありました。
ある切っ掛けでアフガニスタン出身の方と知り合いになりました。彼女は日本で母国の女性の人権活動をしています。その実情は信じられないことばかり、何がどうしてこうなってしまったのか?他国の問題と無視できない。
 失ったものを再び蘇らせることは難しい。でも、その努力はしないとダメじゃないのと彼女を通して教わった。
 

2333:継続の意義

継続の価値・重要さを考えています。昨年は日本のトップ企業が膨大な赤字を出し、社員削減や工場の閉鎖が目に付きました。今年もその状況に変わりないと見られています。純粋に国内の資本だけで成り立つ企業は少ないと言われる中で特に製造業は新興国との激しい競争に直面、止むを得ず生産拠点を海外に移したけれど思うように実績が上がらないという話も聞きます。
 創業何百年とかいう老舗も様々な変遷を経ての今である、その時々に関わった人達の苦労は並大抵の事では無かったはずです。

 国内を見廻しただけでも様々な事が矢継ぎ早に起っています。
 我々は現状に満足してはいけないという気持ちをどこかに持っています。それは多分、他と比較して、この儘何も手を打たなければ取り残されてしまうのではという不安があるからです。最悪、今の仕事が続けられない事態を想像する。

 いつの時代においても職場への不満が皆無という人はいない。私は嘗ての労使紛争が活発だった時代を知っている。賃金や労働条件の改善を求めたのです。昭和40年代〜は学生運動も活発で至るところでヘルメットや立て看板が目に付きました。
 その時代は要求する相手方がハッキリしていたと思います。
 それが今どうなったでしょう?明確な色分けが出来にくいんじゃないだろうか。それは、今そんな事をやっている場合じゃないと考える人も増えたからかもしれません。
労使の共闘時代に入った?
 どんな優良企業であっても会社の存続が危ないと考える不確実な時代になったのです。危機管理は事業規模の大小を問わず、最重要課題で悠長に構えている経営陣など今はいません。
 ただ、私が一番恐れるのは、今の実働世代の多くが豊かさの中で育った経験しかないという事。歴史を遡ってみても特異な時代なのです。日本=安全と平和な国。誰が言ったのか知らないがこれを疑う人は少なかった。
 今それがどうなっているか?その種の調査報告が沢山出ていますが、一長一短鵜呑みにすることは出来ないでしょう。
そんなに深刻に考える必要もないんじゃないという囁きは確かに聴こえてきます。
 だが私はそうは思えない。作られた安全神話に疑問を持ってみれば直ぐに分かります。
聊かの躊躇もあるのだが、私が40年以上関わってきた現在の福祉の仕事に迷いを感じています。
 入所型施設という24時間365日預かることを本務として夢中でやってきた中で突き付けられた命題の重み。
 トップが迷ってどうなのか?
 この自問自答は今年も継続することに間違いはない。

2334:肩肘張らないで

正月3日があっという間に過ぎました。正直、またもや反省しています。3日間の『源究』を読み返し、何でそんなに肩肘張っているんだろうと思いました。もっと自然体で有りの儘で良いじゃないの。
 これも問答歌だと掛け合いしながら進めます。良いんですよ、そんなに気を使わず、嫌になったらどうぞお引き取り頂いて、私はこれで萎える気持ちを回復し、一種の緊張感を保つのに役立っているのです。
 そうそう、今年は時間を作って旅をしよう。リュックを背負い彷徨い歩く旅が良い。他人に薦めて自分はトントご無沙汰していました。
 正月の3日間は車を運転しませんでした。自転車を持ちだしそれに乗った。すると新しい発見をしますね。自転車をとめ、お喋りしたり、挨拶を交わしたり、それに交通量の多い道路が自転車にとってどれほど危険かを実感しました。
 たった3日間の出来事ですが、忘れてしまった事、気付かない事などが幾つも解りましたね。
 これって何事にも通じることかな!ガソリン代の節約だと思って自転車に乗るのと運動の為にと考えるのでは全く違うでしょう。実は会費を払って今、ジム通いをしています。先ず自転車こぎ、それから筋力トレーニング、最後は柔軟体操で終わります。これを無駄だとは思いません。自分の体調をはかるのに役立ちますし、気持ちの切り替えに大いに効果があると思うからです。でも、それだけ。
 多分、倉庫奥に置かれた自転車を持ちだす気になったのはジムに通って半年運動をしたからです。昨年まで自転車を降りて上った坂が降りずに登り切れるのですから、効果があったわけです。それと旅に行こうと思うようになったこと、今、目標にしているのは屋久島で縄文杉を見たいのです。
 それと去年、途中で止めている四国遍路。
 決して豪勢な旅などしたいとは思いません。好きな本でも読みながら、これが最高でしょう! 漱石の「それから」まだ半分までしか読み終わらない。体力と同じで根気が無くなった証です。
 視力が落ちたことも影響有るでしょう。
 いずれにしても昔を懐かしみながら今を生きる。あまり先の事ばかりを考えると良い事はなく、焦りや不安で押し潰されそうになりますよ。これは多分、多くの人が感じている事だと思うな!

2335:小さな気付き

昨日はコスモスの新年会がお馴染のレストランでありました。通所部を利用されている人達で家族の付き添いが条件?というので参加できない方もいたようだ。私は名前と顔が一致しない人が多く、通り一遍の会話しかできませんでした。
 前から気になっていたのは、コスモスを利用される人の多くが平均体重を遥かにオーバーしていることです。散歩中にすれ違うと歩く姿は横綱の土俵入りそのもの、自然と道をどけてしまいます。
 彼らの毎日のカロリー摂取量を計れば、恐らく私の2倍は優に取っているでしょう。学園で体を動かすから良い塩梅に腹が減り、家に帰って食事がすすむ。これをどう考えたら良いのでしょうね。循環端無きが如し。そんな話をお母さんたちに話してもハッハッハと笑われるだけ、見るからに太っ腹、腹が据わっているんです。
 このレストランは今でも海老フライで名を売っている。ご主人と話していたら昔の事を良く覚えていてくれた。店を始めてから35年目になるという老舗である。その間、主人は常に店に出て客と接してきた。久しぶりに私はこの店に来たので向こうから話かけてきた。
 主人は銀座で働いていた19歳の時にバイクを無免許運転して警察に捕まったと自ら語り始めた。何で急にそんな事を言うのかと思いながら聞いていたら、つかまってこっぴどく叱られたお巡りさんが実は平塚八兵衛さんだったと言う話。その後、観音寺にある八兵衛さんのお墓にお参りしたというから相当なもの。
 多分、いまこうして仕事を続けられているのは、その時に出逢ったお巡りさんの御蔭とでも思っているようだ。
そうですよ。一つの事を長く続けることの苦労は、自分が実際にやってみなければ分からないもんです。右肩上がりの成長期に東京のど真ん中で修行し、何故、なんにも無かった田舎に店をオープンしたのか知らない。夢中で働いてきたのは事実でしょう。そして店が35年も続く、当時5歳だった長男が今では一緒にやっている。コック長という立場で立派にお父さんの後を継いでいるそうだ。
 気付いたことがある。この店がここまで長続きする一片のワケ。物を実に大切に使っているということ。当時から名物だったカラオケセット、既にメーカーは潰れて生産停止、歌本も以前とまったく同じモノが並ぶ。最近の曲はない。それでも今も現役だ。それとマイクロバス、これだって年季ものである。
 多分、こうやってモノを大切に使いながらコツコツと35年やってきたから長く営業ができたに違いない。出されるメニューも当時と殆ど変わらない。店内の模様替えもせず、我が道を只管歩んでいる。
 2時間ほどの宴席であったが、自分では昔を振り返るには充分な時間となった。
 結局、競争の激しい社会となって、見直される大切な事は”何のために”という問いかけ、感謝の気持ちを持って自らの役目を果たしていくことだと思いましたね。
 そうなんです。判り切った話なんですよね。でも、目移りしちゃうかな・・・・・!
 

2336:実践躬行(じっせんきゅうこう)

2年間ほどかけただろうか?様々なテーマに分け、スタッフが検討を重ねてきた。意見も出尽くしたとは言えまいが、そろそろ具体的な形にしていかないと気力が萎える。
 実はこう考えること自体が福祉現場の脆弱さだと思う。・・・がその反面では、現場を預かる私の立場上、評論する暇など無いというのが正直な気持ちだ。
 新年を迎え、提案された事の具現化に向け舵を切ることとする。実践躬行、先ず自らが行動に移すべきと考えた。
 確信することで、既成モデルを真似することでは、人は育たないということ。それはあくまでも借り物でしかなく、本気度が違うからだ。真剣に悩み苦しんだ結果、そこで得たものは決して忘れまい。
 情報が氾濫し、耳学問でも一通りの形を繕うことはできるが、その人が果たして魂尽くまでやり通せるかと言えば大いに疑問がある。 介護ニーズは後10年位は伸び続けるのは間違いない。法制度の枠に入らない様々な仕掛けが市場に混乱を生む。その結果、新たな問題が発生し、それへの後手後手の対応を余儀なくされている。これは最初から予想できたことである。
 いま関係者は事業報酬への関心が強まるばかりで何か重要なことを置き忘れてしまった。ホンネとタテマエが堂々と語られることがその証だ。
 一方では、”絆”とか”生きがい”を問題にする。この傾向が一向に収まりをみないのは何故だろうか?
 それは個の尊厳と自立という民主主義の根幹が揺らいでいるからで、周囲にばかり目がいって肝心な自分自身を見つめようとしないからだ。
 その種の人間が他人のお世話をするとなれば結果は自ずと見えてくる。
 これだけニーズがあるにも関わらず充分な人的手立てができないという根源的な問題がここにある。
 しかし、斯様に一歩身を引いて外観を論じても何も解決しない。唯一できることは”実践躬行”、逃げずに自らが現場に身を置いて解決策を模索し続けることでしかないだろう。
 私の友人に倒れるまでやり続けるという人間が何人もいる。
 その決意は一朝一夕にできたものなどでなく、言葉以前の生き方の問題だと思っている。
 世俗的な事なれど、経済の動向を見ていると何を根拠に株価が上下するのか訝ってしまう。得体の知れぬ集団による何らかの意図を感じ、それがゲーム感覚という危うさがある。
 その事に一喜一憂し、メデアが大きく取り上げ騒ぎ立てる国も危うい。
 限られた持ち時間でそのカラクリを解明することなど出来る筈もなく、ここまで複雑になり過ぎてしまったものを出来るだけ単純化する事に力を注ぐべきだと思うのだ。
 
 

2337:裏と表

娑婆世界は忍土・忍界の意、実に厄介で多様ときている。
 表裏一体とか二律背反という言葉、これも根っ子の部分ではこの世の有り様でつながっているんですよ。そう観じた釈迦の教えを弟子達が伝え広め、現在の仏教に至った。これがお決まりの仏教概説だ!それからの紆余曲折、分裂・分化の流れは今も続く。
 まあ こんな事を書き始めると際限が無くなる、結局は元に戻って、一体何を言いたいの?と自問する。
 これが全てとは言わないが、世の中ってこのパターンで成り立っていないだろうか。

 福祉・医療・教育・・・人相手の業種だけ取り上げても実に多種多様となった。その殆どは法律や制度によって規定され、その中で運営がなされている。
 友人から新年挨拶のメールを頂いた。母親が介護施設を利用、まだ数カ月しか経っていないのに痴呆症がドンドン進み、自分で食事が出来なくなり歩くことも不自由になってしまったと嘆いていた。たった2カ月と考えるか、もう2カ月と考えるか

 他の医療機関を受けさせようとしたら自費でも出来ないと言われたと憤懣遣るかたなし。私なりの思いを書いて送っておいた。
 あげ膳据え膳・・・・これが果たして望まれるサービスなのだろうか?お決まりの日課で日々安全に暮らせば人間満足なんでしょうか?
 いま、日本では凄い勢いで介護事業所が増えている。一昔前、地方に行って先ず目に付いたのが豪華な建物、この多くがその類の事業所だった。それが今、介護付き有料マンションとか高齢者専用住宅という看板がやたら目に付く、詳しくは知らないが、一般のマンションとは何か違う条件でも付いているのだろう。想像できる医師や看護スタッフの実態はどうなのか?そのチェックが充分なされていないという。
 産めよ増やせよ、金に糸目を付けず建物に過大な投資をするからその回収に苦労する。
 譬えは良くないが、一時”宗派問わずの霊園”分譲がお盛んだった時、業者は永代使用料から造成費用を賄う手法を取った。これは公営墓地と全く条件(法律)は同じだから、民間で行う場合には如何に経費をかけずに早く完売させるかが最優先された。
 いまそれがどうなっているか?
 それよりちょっと前には、ゴルフ場開発が凄かった。豪華な設備と会員の特権を売りに高額な会員権で一斉に売りに出された。いまそれがどうなった?
 私が一抹の不安を持つのは、福祉や教育が流行に左右されるようになってはお終いだと考える。儲かる仕事でなければやらないという論理が果たして受け入れられるのか?個人の自由と諦めで片づけてしまって良いものか。
 日本は確実にその方向に進んでいる。一面では薄利多売、使い捨てという商売の法則が日本の戦後の復興を支えた事実を否定しない。だが、それだって新興国に追いつき追い越され大きな転換期に差し掛かっているんですよ。

2338:引退しない人生

県庁近くに有る本屋は品数も多く、新しい本が見つけやすい。昨日、新年の挨拶を兼ね、県庁に行ったその帰りに立ち寄った。
棚を見廻していたら曽野綾子さんが書いた『引退しない人生』という本に目が止まる。充分中身を確かめもせず即購入した。
 漱石の『草枕』を読み終えていないのにどうかと思ったが、衝動買いは今に始まったことではない。常磐高速のサービスエリアで次の約束までの時間調整、2冊の本を読み比べ、まあ・・なんと申せば良いのでしょう。正月ボケの頭にはごった煮の鍋を食べたようで味が分からない。
 硬化した脳細胞には一時の刺激剤とはなる。今の置かれた状況に何らかの発想の転換が絶対に必要だと感じている。その結論は国民一人一人が変わることでしか為し得ない。
 その一つに私は引退のない自らの人生設計を持てと言いたい。これが実に奇怪ときた。
 福祉の制度が今どうなっているか?仕組みと実態の乖離現象が起こっている。ケアープランとか個別支援計画、名称はどうでも構わない。仕組みの中で重要な位置を占めているのはご承知の通り、果たしてその計画を作成する人自身が”自立”をしているかとの質問項目を増やしてみたらどうか。
 多分それなりに自立した人がその任についているでしょう。
 ただ、”自立”って、一体どういうことなの?正直40年前と殆ど変わっていない。これは何故だろうかと思わないのかな?
 もっと具体的に言わせて貰いますね。年金基金の資産活用で偉い損失を出した処の責任者が逮捕された話を思いだして下さいな。あの時、正直誰も騒ぎませんでしたよね。他人事か国が尻拭いしてくれると思った?その後、逮捕された本人は1億円以上の金を自分(?)で支払って保釈された。
 これが日本の制度の歪なんだよな。責任を取るべき人が知らぬ顔でまた表舞台に登場する国です。権利と自由の垣根が無いんだ。この責任は一体誰に?勿論、分かっていますよね。国民自身に有ると見られるでしょうよ。世界からですがね。

 そこで、日本の制度を、『引退する』=『死』と考えてはどうかという今回の提案!正月早々縁起でもないと思われた?
 そう思う人はどうぞご自由に。
 何故に斯様な発想をするかということですが、それは一向に減らない”自死”者の数に目を向けよと言う事。
 昨日あった大阪の高校生の痛ましい事件、バスケット部の顧問による体罰が嫌ですとの遺書を残し命を絶った。18歳にならない若者が自ら宣言し、行動で示そうとしている事が一体何なのか?
 毎年3万人を超える自殺者、その実態はその数倍に上ると言われています。
 この根本的な解決は、一つの学校が変われば良いということではない。その関係者を処罰すれば良いと言う事でもない。
 根深い問題です。
 寧ろ表に出ないで上手く立ち回る人を厳しく罰するようにしないとなるまい。
 それに本人と我々が気付くか否かです。
 ただ、仏教では、そのような人間には大いなるものからの制裁が下ることになっている。
以上!
 

2339:メッセージ

マレーシアの中澤氏よりメールが入る。その中に書かれてあった事に目が釘付けとなる。それは・・・・・
私達はこれまで、障害者のある人も普通の暮らしを!と言って、可能な限り、障害のない人の暮らしに近づける努力をしてきたと思います。しかし、障害のない人たちの暮らしが、当たり前で無い、人間らしい暮らしでない、だから社会もおかしい、と思いませんか?
 人間を退化させる暮らしでなく、自然と共存して助け合って生きる、人間らしさの暮らし、社会を、新ノーマライゼーションの運動を一刻も早く始めたい、・・・・・
・・・」という部分です。
 確かに、彼の現在の活動の拠点、電気も通じていないボルネオの生活からみれば、今の日本は正反対、それでいて満足しているかと言えば答えはNO。その事を証明する例ならば枚挙に遑が無い。
 家族の団欒、社会の絆、助け合い・・・・・という言葉が虚しく聴こえる、勝負の勝ち負けに拘り、それで無ければ願いが適えられないという考えは勝負師的発想だ。
 2枚舌と言われても仕様が無い自己矛盾、海外への援助を当然の使命とばかりに大盤振る舞いする政府が、国内向けには財政悪化を理由に新手の引き締め策を計ろうとする。これってどうなんだろうか?
 嘗て我々が掲げた”普通の暮らし”というものが具体性を持って描き辛い世になった。
 先日ある方と話をして気付いたことがある。相手は児童養護施設の方でした。児童の虐待やイジメが一向に減らない社会の中で養護施設は随分空きがあるという。その理由に、児童扶養手当がその家庭において生活費の重要な財源となっているからだという。例えばお子さんが二人いて、母子家庭であった場合、お母さんがパートで働くよりも収入が安定し額も多いからだという。
 これをどう考えれば良いでしょうか?施設を利用する理由が変わったんですね、でも社会が変わらなければならない事は以前として表裏の関係になっている。
 ここに微妙な問題を感じる。施設側は、サービス内容を良くすれば利用者が増えると努力する。でも常に満杯な状況が喜べるか否か、次元が違う。
 戦後の様々な社会事業、それは已むを得ない理由から作られた。窮極的には、施設など無い方が良い、それが我々が目指した”普通の暮らし”であったはず。
 社会保障の仕組み作りを国がやっているのは誰だって分かっている。だが、その中身に関しては殆どの国民が知らない。
 老人の施設入所の希望者が一向に減らない。だから施設を作り続ける。これが果たして”普通の暮らし”、もっと言えば福祉の先進国なのでしょうか?
 自分自身の事を思えば答えは自ずと出てきます。私は元気でポックリを望んでいる。言いたい事は今から言い続け、それを私の遺言とするのだ。
 

2340:有るもの探し

どこで見かけたのか忘れたが、有る御方が同時代に生きた作家の本を読んでもダメだとか言っていました。活字離れが進む中、毎年新刊本が相当の数出てきます。連載からハウツウものと多彩、月刊誌や週刊誌も凄い数、立ち読み客が多い割に買ってまで読む人がどれ程いるのでしょう?
 最近、東京に出ても神田に行きたいとも思いません。若い頃は大分古本屋を廻った覚えがある。本が巷に溢れている、この事が同時代の作家への拒絶感にどこかで通じているかもしれない。
 「無いものねだり」という言葉を英語では何と言うのか急に気になり、調べたら cry(ask) for the moon:とあった。
 一瞬満月に吠えるオオカミを想像??? 違うな、少し経つとその意味が分かるような気になった。
 「moon」を「国」と置き換えたらどうよ。そうだな、私達はそんな期待を持って自分の利になる事だけはしっかりとキープしようと望んでいない?無いモノねだりの反語として「有るもの探し」。
 この比較は同時代に生きている者同士では実は難しい。世界に目を向ければ話は別かもしれない、聞く処によれば海外で働く日本人の数が100万人を超えているとか、そのお国の事情は日本にいては解らない。
 旅行の目的の多くがその国の歴史や自然に触れることをあげることでも頷けよう。国が未来に向けてどのような計画が有るか無いかなんて殆ど関心が無い。これって当然ですね。
 言葉を変えれば「未来」を語る事は「無いモノねだり」かもしれません。一部の選ばれた人達の専売特許。だったら、有るモノ探しをしてその価値を再認識するほうがずっと良いよね。
 人間関係一つとっても全く同じです。相手の無いモノをトヤカク言うより、有ることを認めようとすれば問題は自然と減るんじゃないでしょうか。
 「個の尊厳」とか言っていますが、その中身は全く違っていることって多いでしょう。それは、他との比較での”個”だから、結果として妬みや恨みの温床になりかねません。
 仏教の歴史をみてもそれが分かります。世を動かすような政治的力を持った坊さんよりも市井に生きた良寛などが親しまれる理由がここに有る。
 本来は無一物であるべきものを実態はいかに・・・・・・。時代に関係なくその価値観は存在しました。
 そこを良く掴んでいないと、流されますよ。だってそうでしょう。政権が変わってその動きが加速されている。円安、株価の上昇、・・・・・など実は諸手をあげ評価できないんじゃないかと私は思う。
 利益集団の圧力に屈した旧来の政治?いま有るものの価値を失ってまで新しい国づくりをして貰いたくは無い。
 
 

2341:仏さま

Sさんからの
年賀状
Sさんはいつも元気です。朝、私の顔を見ると必ず直立不動で”敬礼”をする。彼の口癖は「働かざるもの喰うべからず」です。
 それと「元気か?」。そしていつも電車の本を持っている。彼の趣味は電車、写真をいつも身近においている。
 正月、これを私にやってくれとスタッフに手渡した紙切れ(?)、良く見たら私の名前と尚恵学園と書いたものだった。
彼からの年賀状だと直感、裏には何も書かれていない。
 それにいつも感心させられることがある。私が朝、本堂に行くと必ず後からついてくる。一緒に線香をあげてくれるのだ。
そして「仏さまが観てっと・・・。まじめにやんねーとだめだよな」と独り事。
 何故彼はそんな風になったのか良くは知らないのだが、多分、両親にそう言われて育ったのかもしれない。
今、彼は失業の身、本人は会社の仕事が暇だからと思っている。園内の作業をやってもらっているが、気持ちは待機中いつ社長からお呼びがかかるかと待っている。
 障害がある人達が社会で生活することは何らかの支えがなければ上手くできません。彼等は働くことを喜びと感じ、一生懸命なのだが周りではそうは取られないことが実に多い。
 何故なんだろうね、Sさん? 彼は相当のお喋り好き、これを煩いと思われてしまえばSさんの立つ瀬がない。
 彼等は繊細な感情の持ち主、自分がいることで周りに迷惑をかけていると思うと、自分ではどうすることもできない。
 挨拶って基本的なルールでしょう。彼はそれに関しては百点満点、気配りだって私以上です。
 それといつも話題に出る相棒のNさん、彼はSさんとは違ったタイプ、ただ約束事はきちんと守ってくれる。本堂の戸を閉めておいてくれよなといつも頼む。「アイヨわかった」と気持ち良い返事。
 ボルネオの中澤氏(No:2339)のメールの真意は実はこの事だと思っている。
 障害福祉の難しさ、それは健常だと自分を思っている人間が実は支援者として不適格だということ。
 世の中に様々な人間がいて当然、自分だけは健常だと思えばそれ以上の進展は望めない。自分も至らないところがあると思うからこそ人を愛することができると先輩から教えられた。
 障害者を地域に出そうと言う意味は、彼らの生きる場を作るということもあるが、それ以上に彼等を理解することの方が大切だと私は思うのです。
 

2342:木目細か

自分でも出来ない事を、出来て当然の如く話されると腹が立ちますね。
 木目細やかな心配りはサービス業に於いては大切だと申します。これに異を唱える人はいないでしょう。すると、これが原因で職場内のギクシャクした関係が起こり易い。大体そうですから、あれはああだこっちはこうだの陰口は自分の事はさて置き為される類のもの、人間誰だって完璧な人はいないですがね。
 ですからね、何をもって相手を評価するか? これはその人の今と過去の実績でしかないんじゃないのかな・・・・。先の事がどうなるのか誰も解らんのに、できんでしょう。
 だけどね 果たして人が人を評価できるのでありましょうや。所詮、人はデコボコなんですから、凸を良しとすれば凹はダメ、これが一人の人間の中に存在する・・・・・・ウーム。
 凸ばっかり集まったら、実に味気ない集団ですよ。だからね、結局は何をどうみるかという事に行きつく訳。
 別の言葉で言えば、”気付き”なんでしょう。
 カトリックでは死ぬことを”帰天”というそうだ。天に帰っていくと考える。仏教では”成仏”、我が真言宗で弘法大師が唱えた”即身成仏”が有名なのだが、正直、それをどう解するかは偉い問題なんですね。多分、分かり易く説明できる坊さんがどれほどいるか?
 真言宗の僧侶である私が言うと妙なことになりかねませんが、実際そうなんだから仕様が無い。
 何故なんでしょうか?ズバリ、死んだ経験が無いからなんです。
 そこで終わってしまえば宗教は要らない。用はないことに。それじゃー何も解決できんでしょう、そこで”信じる”という宿題を課し、それが出来るか出来ないかは貴方の努力次第ですよとなった。
 さーて困った。何をどうすれば良いの?  一心に祈れって言う。それだってまだ分からない。そこでお題目や仏様の名号を唱えようということとなったんです。
 実はご存知の通り、仏教には膨大な経典があります。それを全て理解するなんてことは不可能、当に木目細かなもので難解ときている。
 一般の人にとっては、その教えまでは理解せよといっても無理、だから、只管祈りましょうという事で落ち着く。
 ただし、根本的な教えは、もっと単純に述べられているんです。死ぬことを帰天・召天・永眠・・・成仏・・と言葉は違っても私は大差は無いと思います。宗教全て、生から死という問題を扱っているのですから。
 人は順風満帆な時は、気付かない事が実に多い。
 怪我をしたり病気になって初めて普段出来た事が出来なくなり、歩ける事、自分で食べれる事の幸せを感じる。
 そこしか、残念ながら今の世では気付く糸口がないのではないかな・・・!
 

2343:大所高所

大所高所昼行燈(だいしょこうしょひるあんどん)・・・・・これはかなり捻くった言い回しだと思います。今、一番必要と思われるのは、大きな視野で見ることではないのかな?
 細切れになったものを更に小さく切って自分達のものにしようとする具合がありまして、最早、我が能力の限界だと感じ、匙を投げる人達が目立ちます。
 昼行燈というのは、真昼間に明かりを灯し、それが何のお役にたちますかという言わば”あてこすり”ですが、どれどれ本当にそうでしょうか?
 深夜、多くの人が寝入っている時間帯にド派手なイルミネーションを点けて一体誰が見るんでしょう。宇宙から夜の地球をみると日本の明るさは突出しているという。
 これに疑問を持たず、震災後一時は控えたようだが、すっかり元の状態に戻ってます。昼行燈とどこがどう違うのでありましょうや。もっとタチが悪い
 ついでにもう一つ、国が制度を変えるとそれに付随し、様々な動きが出ます。先ず、制度の中身を勉強する会、必要な資格を取るための研修、設備・建物を制度に合わせねばならない・・・・・等々、それを請け負う得体のしれぬ団体が生まれるだけです。膨大な費用がかかります。しかし、私が言いたいのはそんな事じゃない。
 一体、それで何がどう変わりましたか?というチェックが無い事が問題だ。
 見なさいよ。対抗して法律や制度をうまく切り抜ける方法を教える専門家(?)まで出てきて、何が何だか分からない。
 私なりに今までを振り返り、全てをリセットしようかなと考えているんですがね、どうもイマイチしっくりしない。
 その助言を貰おうかと、今日と明日、札幌に行ってくる。天気が心配ですが、夜の便で向かいます。
 地域で当たり前の生活をと言いますが、地域ってどこのどんな場所を言っているの?そこの所が曖昧模糊としている。だから自分勝手に考え自己満足(?)。
 多分に、最近、悲観的になっておりますが、日本で理想的な地域社会ってあるんでしょうか?メデアの情報は一方に偏したものがどうしても多くなるのは仕様が無いとしても、実は実は報道にならなかった同類の事件や不祥事が巷には沢山あると皆さんが知っている。
 これが偽らざる実態だ。ですからね、地域に出す前にやるべき事があるんじゃないですか!
誤解を恐れず、ハッキリ言いますよ。私共が今まで受け入れてきた人達は、何らかの理由で皆さん地域で生活できなかった方達ですよ。
 ご本人達を変えようなんて思ったら一生かけてもできません。だから、有りの儘を皆で認めていきましょうって事になった。
 そこまでは良い。でも、果たして地域が変わったでしょうか! なんだか前より酷いんじゃないでしょうか。
 それじゃー我々で地域を変えようなんて目論見は、どうですか、受け入れられますかね。僅かな期待はありますし、諦めもしませんが 自分達の責任をとならない仕組みをいくら作っても所詮は上辺だけの昼行燈といったモノでしょうか・・・・・。
 マスコミに向かって頭を下げるだけがノウじゃないでしょうと私は言いたいんです。
壮語独言、満身絶後、三界悠悠、漫遊独歩。ってとこですかね。
 

2344:強かに

ウウ・・寒う
”爆弾低気圧”とかいうものが太平洋側を襲った。雪になれない東京は勿論、関東各地の交通手段がズタズタで大混乱となりました。私は午後6時10分発の札幌行きの飛行機に乗るはずだった。だが昼には欠航になると早々と分かった。それで約束していたSさんに行けないと電話、そしたら、「銀河があるじゃないか、成田からも羽田からも飛行機は出てるゾ・・・!男だろう!」と一喝。
 調べたが結局全てダメだった。”銀河”? これって東京〜大阪間の寝台特急、もう4年前に廃止になっている。銀河じゃなくて北斗星だろうとは言えなかった。本当はどうしても行きたかった、話す事が沢山あった。無理しないで次回にとKさんに言われ諦めた。
 15日は、朝から他所の人の車を押すはめに、何せ、県道が大渋滞のせいか横道の尚恵学園の前の道に車が入ってきた。狭く急な坂、案の定雪が凍ってとてもじゃないが車では登れない。バックしようにもハンドルが効かない。見るに見兼ねて脱出の応援、3台やった。その後は道の真ん中に看板を置いて通行止め。
 一日中、雪の後始末で追われた。
 そんな日に、寺の庭にある通称”掃除小僧”が寒さに堪え立っていた。(上添)
 強かだな・・・と感心するばかり。
 いつも感じる。物事は考えようだな。
  今回、尚恵の作業部隊が大活躍、日頃お世話になっている道路を皆で雪かきした。何せ北側に面した道路は1週間ぐらい雪が残る、そこを重点的に雪かきしてくれた。別に周りの人にどうのこうの言ってもらいたいわけでは決して無い。それが一番! ご苦労様。
 朝、こんな事があった。
 利用者の方で大騒ぎしている方がいた。窓を叩き、大声を発していた。傍に行ってスタッフに理由を聞いた。
 いつも通っている所が滑るので違う道を通るように言ったら怒りだしたと言う。
 スコップを持ち、一人で雪かきをしている人がいた。彼は誰かに言われたんじゃない。自分で始めたそうだ。
 ・・・・・・・・。
 今の日本で一番望まれる人間像って何かな・・・とか考えた。その時浮かんだ。
『強か者』(したたかもの)・・・・容易に人に屈しない者じゃないかな。これを悪意(?)にとれば、海千山千のクセモノとなるようだが、違うな、そんな意味じゃない。
 ゴマスリ上手、意見をコロコロ変えるタイプの人間ばかりになったら、どうなりますか?考えただけで気分が悪くなった。
 

2345:熱源

もう、なんと言ったら良いのでしょうか?休む間も無く次から次に出てくる歌のオンパレード!恒例になっている寮の新年会が昨日ありました。立派な式場を貸し切り、思う存分メンバー達は発散(?)した様子、正直、私の頭の中は音がガンガンなって思考停止、それでも彼らの笑顔、真剣さ、・・・・・個々の持ち歌は年齢を感じるが、見事”感動もの”であった。
 ありがとう!  萎える気持ちのエネルギー源はここに有り。スタッフやメンバー達の手拍子、笑顔、一つ一つの動きが実に魅力的だった。
 尚恵学園としては大小折混ぜて4カ所に別れ実施するこの宴、皆さん正装で参加、ネクタイスーツ姿がなんとも似合っている。いつも始まる前は不安がある。これも取り越し苦労、彼等は充分弁えている。3時間を超える宴会も体力が用だが、逆に熱源を頂き感謝、感謝。
 昨日、市役所で某会議があって、そこで出た話題は、独居老人への支援ネットワーク、行政任せでは無理な時代に突入、周りの人達がどうすれば見守りできるか?という事だった。
 これは、今に始まった話ではないが、大震災の後、急に現実味を帯びた。様々な協定が取り交わされ、緊急時の対応を検討している。
 我が心身協も先日、県との非常時の支援協力の協定書を交わした。市町村でも同様の動きがある。できるだけ協力したいという私の思いは、より強くなっている。
 風呂敷を広げ過ぎ!という指摘もあるが、どうなんだろう?自分達のことだけをやっていればそれで良いのですか!
 様々な福祉サービスが出てきた中で社会福祉法人の使命は何だろう!
 関係者から一様に聞くのは、忙しすぎるという事。
 その多くは、制度絡みの研修や資格取得、この先、斯様な事がもっと多くなるのだろうか。
 企業は円安が進んでそれへの期待感が強まっている?でも、その逆で困っている業種もありましょう。海外に生産拠点を移し、経費削減や効率性を高める企業の努力は常識、ここでの議論と我々障害福祉に関わる者の議論は次元を異にする。
 NHKラジオで今朝、「無私の日本人」の話があった。それは今の話ではなく江戸時代に代表される3人を紹介したもの。
 遺言で他に公言するな!とされ、それを頑なに守っている子孫から取材するのに苦労した話があった。
 ”陰徳”という言葉が死語になろうとしている。出来ない事を恥ずかしくも無く公言し、その尻拭いもしない。無私だってそうでしょう。この世の実態を軌道修正するには、計りしれない”熱源”が必要だ。
 何か、ここに大事なヒントが隠れているように思えて仕様が無い。
 ・・・・追記・・・・
 私のテーブルは6人だった。春休みの話が出た。「お父さんが迎えに来る・・・・」と時計を見せながら話し掛けてきたMさん。その隣席のOさんは、もう20年以上になるかもしれない。彼は全く面会も無く休みで家庭に帰る仲間をいつも寮の片隅から見て過ごす。

2346:桃源郷

少々ややこしいのですが、暫くお付き合いの程、中国の陶淵明による「桃源郷」とトマス・モアの書いた「ユートピア」は似て非なるものという。
 中国の歴史上、最も希なる混迷期に書かれた「桃花源記」は、俗界を離れた仙境つまりは理想郷を描いたものだが、実現できなかった。これは外(社会)に実現を目指したからで人間一人一人の内に求めればそれは可能だという。西洋で起こったユートピア思想はその逆で制度や仕組みを変え理想社会を築くこうとするが、悲惨な管理社会をうむという結果となった・・・・・・。陶淵明は理想社会の実現など最初から認めておらなかった。ただし、消極的な桃源郷の思想は、現実には何の力も持ちえないが、人間の精神に大きな慰めを与え得るという。
 ここで私が言いたいのは、言っている事やっている事は同じに見えても何を目指すかによって結果は正反対になるという事なのです。
 福祉を考えるともっと分かり易いのだが現実に自分自身がその立場にいなければその差は解らないのです。障害を持ったお子さんを持つ親の立場、自分自身が障害を持って生まれたご本人、福祉という裾野が広い分野だけに様々な実態があります。 大変ですね!と言われる方は沢山います。でもそれだけ。
 我々福祉に実際に関わる者として、この社会を理想的にしようと考えても実際には無理、それよりもご本人自身が何らかの慰めを掴み取ってもらえれば良しとする。
 しかし、世の中には残念だがその視点が無いのです。関心があるのは障害程度区分をどうするこうするという議論、万が一仕組みができたとしてもそれを活用する段階でのチェックがお粗末。豊かさをどう考えるかという視点、これは仏教的な解釈をすれば三界万霊、差別なき成仏に通じること。
 仏を作って魂入れずがお盛んときてはお恥ずかしい。
 これは、「桃源郷」と「ユートピア」の議論と根底では同じだと思った。
 そこで、福祉の支え手である従事者の内面に目を向けよう。若者が福祉に関心があっても実際に自分が働こうとまではしない。これは若者だけでは無いと思っています。日本が超高齢化社会になるのは判り切っていたことです。
 だが国は、箱もので賄うことばかりを優先した。それで賄えると錯覚、
 非難覚悟で私見を述べよう。現実に一人のお年寄りを施設で預かるのに、どれだけの経費がかかるか分かっている人は少ない。膨大な金がかかるのです。今後、今の仕組みを続ければ毎年一定の費用を捻出しなければできません。
 これが実態です。一方、頑なに福祉の世話にはなりたくないと独居生活を選ぶお年寄り、この方達への手立ては実にお粗末です。生保だって同じ問題を孕んでいる。
 ただ、ご自身の意思で選んだということは認め合うべきだ。安心と満足は一体ではない。せめて、そのことを確認しあうことはもっと我々自身が行うべきでしょう。
 あなたご自身の一生ですものね。
   

2347:樹木葬

「住職さんですか?ちょっとお尋ねしますが、お宅では骨を預かっていただけるのですか?・・・・・・」突然かかってきた電話、年配の男性という位は電話の声によって分かった。一方的に話す。連れ合いが亡くなって1年が経ち、まだ納骨せず骨を自宅に置いてあるので墓地を探しているという。それまでの間、預かって貰いたい。故人は無宗教で樹木葬を希望、あてにしていた所が急峻な山にあり、最近無理だとわかったそうだ。その理由は息子さんが車イスだから。「短期間なら預かれますよ」と応えると「それで良いです」と言う。
 でも車イスでお参りはできない、本堂は階段が多過ぎると説明した。「観音様だから、預かって貰えると思った」と独り言が聴こえる。その間はほんの数秒である。その方は最後まで名前を語らずに電話を切った。
 現代の葬儀事情という記事を何かで読んだことがある。急速に直葬(じきそう)が増えている。身内だけの家族葬とも違う。
亡くなるとそのまま何もしないで火葬にしてしまう。
 こうなった理由はいくつか考えられるという。葬儀を仲介する業者は多種多様、確実に昔からの風習が薄れ、亡き人を見送る形も大きく変わってきた。
 故人の意思の尊重という背景と社会の煩わしさから必然的に起こった現象である。
 ただ、大いに反省しなければならないと自分は思う。寺が死んだ人との関わりでしか無くなった現実を直視せよ、これを否定することはできまい。それと「社会の煩わしさ」の一端に寺があるということを。
 一方、福祉施設はどうか?精々50年という時間の中で流れがいろいろ変わっている。この変化について行くのは大変だ。
 それだって個の尊厳という観点で考えれば直ぐに分かるはず。
 ただ、そんな事を言えば、業界から爪弾きされるのが落ちである。
 その覚悟が無ければ黙っていることだ。ご自身と周りを惨めにさせるだけのこと。人間の常としてある年齢に差し掛かれば、自分を振り返る。その時、どうだろう?
 悔いなき人生などあるはず無いじゃないか!幾つになっても人間は生に拘る。誰しもが死にたくは無いというのが正直なところでしょう。
 だから病院に行けば頼まれ無くても患者が集まる。この辺は時代によって大きく違う。何せ昔は病院など無かった。
 その代わりを寺や神社が請け負った。賽銭やお布施を払って安心を買った。
 日本に入った仏教は歴史を遡れば優に1000年が経っている。
 

2348:約束ごと

立ち止まり、良く考えないと無意識に約束ごとを反故にしていることがあります。相手があることだから信用を失うことになりかねない。さらに気を付けないといけないのはそれに慣れてしまうこと。そうなるとアイツはクチ先だけと刻印を押され、気まずさだけが残る。
 ここにきて私の周囲で急に契約ごとが増えた。建物や土地の場合は契約書を取り交わすから、元に戻ればどちら側に責任割合があるかははかれる。そうであっても相互了解のもと円満解決というのは難しい。そんな世の中になった。
 福祉サービスが契約になってもう暫くになる。
 こんなはずじゃー無かった。これは約束と違う・・・等の苦情が増えているらしい。まだ、明らかに目に見えることならば良いのだが、利用者本人の”満足度”となれば話が厄介だ。
 良くも悪しくもパンドラの箱なるものが存在し、口外無用の封じこみが横行する。
 だが、これだって活動の場は日本国内だから、海外と比べれば安全は保証付き、いまアルジェリアでのテロが連日報道されている。日本企業が多く進出し、派遣された人々は皆ツワモノぞろいとは言え、外出は警備付きでないとできないらしい。
 福祉制度の充実と絆とか共助という流行語に微妙なズレが見えてきた。このまま進むと取り返しのつかない社会になってしまうのではと思っている。ハッキリ言えば自分さえ良ければ良いという価値観だ。
 個の尊厳とか言う人に限って現実社会の格差に目を向けようとしない。その類の者にとって約束ごとなんて有っても無くても同じと思われがちである。
 何かが起これば、形振り構わず訴える。それに抗して相手方は防護壁を強固にする。だからお互いが信頼を元に関係を継続させることなど難しい。
 一方、泣き寝入りという事だってあるでしょう。
 人間の叡智を集めても難しい現実、例えば、集団感染(インフルエンザ・ウイルス性食中毒など)などが厄介で、これは正直防ぎようが無いのです。毎年、同じことが繰り返され、少しづつ感染源自体が変化するから、その対応が後手になる。
 せめてお願いしたい事は、マスコミの報道の仕方、誤解を生むような内容は極力控えて欲しい。
 これだって目に見えない相手(菌)との問題だから、他人事ではないのです。
 無限に存在する”菌”が無くなる事が”桃源郷”?、違うでしょう。
全ての生き物は共存しあうことで耐性が強化され、ここまで長生きできる訳ですね。
 でないと人間が日々食する多くの命に対し、何と弁明するのですか?これへの約束ごとがスッポリ抜け落ちてしまった。
 

2349:何かと。。

先日の大雪でウヲーキングする人の数が少し減ったように感じます。でもワンちゃんを連れ朝晩歩いている人は変わらない。これは毎日の日課になっているからなのですね。ネコはその点気儘です、自由だからですね。
 何かと気忙しい毎日です。どうしてこうなっちゃうのかな?新年会とか葬儀とか入り乱れて続きます。「乾杯」と「献杯」を間違ってしまいます。笑えない話って沢山あります。
 本日は大洗で施設長会議、これは恒例行事でして1泊、本当はお通夜に行かんとならぬのですが、頭を下げて許してもらいました。その代わり、明日は朝6時頃ホテルを出ないと間に合わない、車に法衣を乗せて途中で着替えます。
 先日、坊さん仲間の会がありました。そこで出た笑えない話、その坊さんはインフルエンザと感染性胃腸炎に同時に罹ったそうで、朝起きがけに突然、もよおしたそうです。代替を頼む時間もなく、必死で葬儀を済ませたそうです。
 私もそれに似た経験はしました。
 一番困ったのはお通夜の時に自分で運転して行って交差点で事故ったこと。この時も参った。
 これって全て何が起こるか分からないという事でしょうね。思い描いたように物事は進まない。だから、多少余裕を持たせてやらないとといつも言われます。
 余裕とは無理をしないということ。ただ、その基準が曖昧だから困ります。24日は地蔵初護摩、これは恒例の行事、その準備もまだしていない。
 気持ちは焦りますが、手に付かない。何か忘れたようにいつでも思う。確かに物忘れが激しい。これも考えようだと言われます。忘れられるから人間やっていられるんだ。忘れるのが出来るなんて、大したもんだ。
 それを痴呆症とかボケなんて言うから可笑しなことになっている。
 歳とれば5感が衰えるのは自然の成り行き、強いて問題にする話ではないと思うんだ。
 食欲だけは別物か? 今までに腹が減ったというのを忘れた事はない。食べる量は減りました、でも意思に関係なく腹は減る。
 
 

2350:施設長会議

虐待防止法&障害者差別禁止法が果たしてどのように実効性があって、法の主旨に我々がどう適合していけるか?大阪の高校で起こった部活顧問による体罰、この種の実態があることは有る程度認識されていたと思う。これが自殺者まで出たから、無視できなくなったというのが正直なところである。しかし、上記の2法に於いて、教育・医療現場は虐待の報告義務が摘要外、事業所内だけの対応で済む。何故こうなっているのか私には理解できない。何かそこには得体の知れぬ面子(パワーバランス)があるような気がしてならない・・・?
 我々にとってみれば、法の順守は当然だ。ただ、自からの経験からして、予想できない状況に直面した時には身を挺して対処しなければならないこともある。斯様な事が現場では日常的に起こり得るから始末が悪い。
 2日間の施設長研修は知事を迎えて行われる。もうかれこれ40回近く開催しているだろう。県の幹部も同席し、関係団体の長も浴衣姿で参加する。私は、茨城が全国で何番目?とか言われる事に然程関心は無い。実はその格差は大した問題ではない。寧ろ、それ以外の事、我々のホンネが語りあえる関係、そこに利用者がどう関わってくるか、その事の方が大切だ。
 適当な言葉は見つからないが福祉はチャレンジだと考える。本人も我々事業者も行政もである。私は先輩達に良く言われた、何も立派な設備を誇るばかりが能じゃない。その逆だ。それがどんな意味なのか正直判らなかった。
 いまそれがヒシヒシと分かってきた。財政難と人材確保の難しさ、それに加え事業者数はウナギ登り、この流れは暫く続くだろう。外堀が埋められ、先の見通しが立てらない状況で現実の問題と対峙していかなければならないのだ。
その現場の長達の集まり。至る所に車座の輪ができて、熱気が溢れ話が尽きない。2次会を終え。部屋に戻ったのは日が変わる数分前、4人部屋で3人が既に蒲団のなか、私が入って行ったものだからおこしてしまった。
 翌朝、6時にホテルを出た。松戸で葬儀があった。朝の9時集合、既に仲間の坊さんは皆集まって幹事の私が一番遅かった。一斉に向けられた冷めた視線は、言い訳無用という事なのだ。