源究143

 

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
2371 我慢 2/16 2376 歴史は繰り返す 2/22 2381 春一番 3/2 2386 衝撃 3/8
2372 小休止 2/17 2377 障害者差別禁止法 2/24 2382 視点 3/3 2387 共助社会 3/9
2373 冷静沈着? 2/18 2378 札幌 2/26 2383 いい加減 3/4 2388 人事発表 3/10
2374 事業計画 2/19 2379 札幌第2弾 2/27 2384 遣り甲斐 3/6 2389 2年経ち 3/11
2375 閃光熟年。 2/20 2380 人生二毛作 3/1 2385 尊厳 3/7 2390 自由の弊害 3/12

2371:我慢

ここは我慢の為所(しどころ)と自分では冷静を保っていると思ってはいるが、どうも周囲からみればそうとも言えないうようだ。
 ”我慢”という言葉を辞書で引いたことがありますか?大きく二つの意味があるんですね。その一つは、高慢と同じ意味で自分を偉く思いこんで他を軽んずること。一般的に使われるのは2つ目の意味で、忍耐、耐え忍ぶこと。ついでにもう一つBとして入れ墨(タトウー)の事を言うのは知らなかったでしょう。
 最近、自分に言い聞かせております。心に余裕が無いと言われましてね、そうかも知れません。別に否定はしませんが、自分の考えをハッキリいう性分はどうしようも無い。親譲りというのかどうか、自分では諦めています。
 ノートルダム清心女子大学の渡辺和子理事長がラジオ番組で話されていました。彼女の事をご存知の方も多いと思いますが、2.26事件で犠牲になった渡辺錠太郎中将の娘さんです。
 マザーテレサと同行した時の話も伺いました。宗教は違っても本質に変わりないと私は思います。85歳の今も現役で多忙な日々を送っておられます。
 人間いつまで生きられるかはわからない、今日の今が一番若い時だと言う。なるほどそうだ。
 誰が決めたのか分かりませんが、定年制、これだってその人にとってみれば長い人生の中での通過点でしかないはずです。定年後、生活が一変するという発想が可笑しい。元気なお年寄りは働きたいのです。日本人は勤勉さでは世界有数の民族、定年まで無我夢中で働き、定年後はゆっくりしたいと考える。これができた時代ならばそれも良いでしょう。だが、誰だって今後はそれが難しくなって来たことを感じている。死ぬまで働き通すことが私は別に変だと思わない。私の理想は現役の儘、この世とオサラバしたいと考える。それが他に迷惑がかかるようであれば自重しますがね。
 最近、信じ難い事件が起こります。グアムで起こった悲惨極まりない事件、それに北朝鮮の核実験、正直、頭の中で整理がつかないというのが正直なところだと思います。
 そうかと思えばロシアで隕石が落下、500人近い人達が被害にあったという。専門家の話では40年に一回位の割合で地球上にこの規模の隕石落下は起こるということです。
 人災か天災かは別としても、今こうやっていられることを我々は大切にすべきなんですね。日本人が誤解をしていることがあります。個の尊重とかいう事で何でも自分が自分がという考えを何の疑問を持たず使っている。お金さえあれば好きなモノは何でも手に入れることができると考える。
 多くの人々が福島の原発事故を過去の事と考えていないですか。この最近の風潮が日本人に蔓延する不安感に深くかかわっていないでしょうか、もしも、どうにかなるさと思うのであればそれは高慢だと思いますね。
 我が子を必死でかばい自らの命を落とした若いお母さんのご冥福を心より祈っています。
 

2372:小休止

昨日は水戸で年1回の麻雀大会に参加、福祉関係のOBが鉱泉宿に集合し卓を囲む。私は、年1回この時だけ麻雀をする。皆さん根っからの麻雀好き、年齢は83歳を頭に私が若い順で2番目、20名程集まった。結果など関係なく、たわい無い話をしながら一時を共に過ごす。
 笑い声が絶えない集いというのは癒される。また来年の再会を誓って夕方5時に解散した。土曜日の午後の一時だ。
 なんでもそうである。根を詰めての仕事は休息が絶対に必要だ、久しぶりに会ったW氏、彼は施設の職員を早期退職し株式会社で障害者支援を始めた。最近、問題になっている触法障害者、刑務所出所後の受け皿をやっている。現在、何か所のGHを運営しているのかどうか聞かなかったが、24時間休みないと言っていた。一番気になっている事は自分の家族が犠牲(?)になっていることだと頭をかいた。
 昨日集まった方の大半が、現在も何らかの仕事に就いている。定年後、何もやらずにいる人はいなかった。
 お互い情報を交換し、元気を貰って別れる。驚いたことに、この会は既に50回を超えている。茨城福祉の歴史か?
 こうやって誰しもが昔を懐かしみ、一人また一人、逝ってしまった友人を見送って我が事に想いを馳せるのだ。
 昔、駅前には何件もあった雀荘がすっかり姿を消した。やる人が減ったことが一番の理由、その後カラオケ店ができ、それも姿を消しつつある。
 いま、それが携帯のゲーム機とインターネットに様変わり、無機質の機器を使って暇をつぶす人が急増。そこには人との関わりは全く存在しない。ネットカフェーなる新手の商売も、本来の目的ではなく、休息の場に使われる。個の尊厳は、確かに重要だ。・・・・が、何か末恐ろしい思いがする。
 
 

2373:冷静沈着?

コツコツ只管、真面目にと思ってはみたものの、世の中はそれを許さないスピードで変化を繰り返す。乗り遅れまいと焦ったところで、先の見通しが無いのだから、一体どこ行きのバスに乗れば良いというのでしょう。
 最近、仏教社会事業の歴史を調べる気持ちになった。宗教系の大学の社会福祉コースがその類の研究会を開いていると知ったが、活発とは言い難い。
 ものの本に書かれていたのだが、仏教社会福祉の最盛期は明治から大正にかけての時期らしい。その後、衰退の一途を辿り、影薄くなったようだ。
 これは、日本における社会保障の制度と無関係ではない。制度が整備されるにつれて社会福祉法人による様々な事業が全国的に広まった。そして、最近の動向は、NPOや株式会社の参入が急拡大、社会福祉法人と民間との隔てが曖昧になっている。片方は租税負担で優遇され、やっていることに大差はない。こうなれば当然、世間様のチェックが厳しくなるはずです。 保育から介護それと障害という種別に例外は無い。国のハッキリした容が示されない中で現場は日々の業務に追われている。何せ、ここで終わりというケジメがつかないことが多過ぎる。
 さらに従事者の心のケアーとか言って、新たな心配が増えてきた。
 斯様な状況下で、立場によって、皆さんそれぞれが頭を痛めているわけですよ。
 そこで、私は俄かに仏教社会事業を調べたくなった次第です。なんと言ったて”無功徳”、これが現代的にはどうも理解されない。達磨大師の『碧厳録』なるものに書かれてある言葉で、最初から胸につかえた文言だ。
功徳=善行をなすことによって得る見返り。これに”無”をつけ、見返りを期待しない行という訳ですね。
 いま、大いなる矛盾の中に自分がいる。それは、福祉現場の実態、サービスを提供することで応分の見返り(報酬)を得る。これに疑いを持つ人はいない。
 実は日本の仕組みづくりの変遷・歴史に読み取れる。
 無功徳という仏教的実践が果たして可能かどうか? 冷静沈着に考えても回答は無し。

2374:事業計画

2月もあっという間に後10日を残すのみとなりにけり。この時期はいつも確定申告などがあって1年を振り返るのに丁度良いのでありますが、次年度への準備ということも同時に考えねばならないので本当に気忙しい。
 駆け込み体験実習などもあって落ち着かない。何せ風邪や腸炎で特別の看護体制を組んでやっと一段落したという時期で休む暇も無い。
 法人の基本計画は私がいつも作っている。業務の内容ではそれ程変わる事も無いのだが、制度がそれとは全く関係なくころころ変わるから正直参ったね。軸足をどこに置けばよいのか分からない。そんな状況がここ4〜5年は毎年繰り返された。
 そこにきて、平成25年度は大きな事業が入る。施設の老朽改築、暫く先だと思っていたのが、豈図らんや来年実施するということになって正直慌てている。いずれはやるしかないと思ってはいたものの、いざ決まるとその準備に明け暮れる毎日だ。
 自立支援法になってから、規制緩和も手伝って凄い数の事業所が生まれた。実際にはその大半が休眠状態(?)と言うのでしょうか活動が見えてこない。特に、難しいケースや手間がかかったり実入りが少ない事業は誰も手を上げない。土浦ではうちは老舗ということらしく、面倒な事は尚恵に回せという暗黙の了解があるように思ってしまう。
 これが我々の能力以上の事だとすると問題で当然リスクも増えることになりましょう。本日は最近でも特に際立つ1日だった。
 実習生が成人寮だけでも5名、全体で一体何人受けているのか?それに就職希望者の見学、入院しているメンバーの今後の対応策、などなど。目が回るほどの1日となった。
 私個人では、団体事務局との調整や役員を頼まれている法人への書類の準備など、さらに、明日、土浦市で行われる整備事業の調整会議の下調べ、さらに、土地売買の契約と・・・・・檀家総代への了解取り付け。本山への確認電話・・・・。
 今から,園に戻り、遅れていた来年度事業計画を作らなければならない。
 良く体が持ちますね!なんて事は誰一人言ってくれません。好き勝手に動いていると皆が皆そう思っているに違いない。
 今、お寺のパソコンでこのブログをうっている。目の前に”ミイちゃん”が私の顔をじっとみている。
 そうそう、彼は私の気持ちを一番理解していてくれる。現在1歳半のミイちゃんはネズミ捕りようの溶液まみれになって1週間入院、現在自宅謹慎、外出禁止続行中。
 何せ、バリカンで体中の毛がかられてしまったから仕方が無い。
ここまで毛が生えました
 

2375:閃光熟年パワー

輝け!熟年。
 不可能を可能にする!3つのC=チャンス・チャレンジ・チェンジ!
 今朝のラジオ深夜便、2日連続放送の2日目、佐野先輩が担当で北海道の野呂さんという方がゲストだった。1日目を聴けなかったのが返す返すも残念、悔いた処でどうしようもない。でもさすがNHK,1日目の放送内容がなんとなく推測できた。学生時代に冬の大雪山で11人のパーテイ、10人が遭難し、たった一人生還した野呂さん、チームリーダーだった。既に50年前の出来事、それから今まで亡くなった10人の山仲間への悔いの人生を歩む。それは実に感動的で身震いさえ感じた。
 担当した佐野デレクターも山をこよなく愛した人だから甚く通じ合う遣り取りだった。
 野呂さん自身74歳、生涯現役を誓う。そのバイタリテイ溢れる生き方に今日の日本人が失った生きる力を感じた。遭難事故の時に凍傷に罹り、義足の生活、でも決してめげない諦めない。その力の源は105歳まで生きた父親や家族、それと今までに知り合った人々から得たものだと言う。
 今の日本の福祉の為体を一刀両断する。毛布を持って慰問に訪れることを福祉だと勘違い。そうじゃない、一人一人が何かできることがある。それを認め皆で支えあうこと、障害を隠すのではなく、堂々と公にして生きれる社会。
 今も各地で講演会を行っているとのこと、そこでは必ず自らの命を断つなどしてもらいたくないと訴える。一回きりの人生だもの・・・・。
 自らの体験から出た言葉だけに聴く者の心を動かすに違いない。
 生きた証とか言って老いを迎えると急いで何かに書きとめる人もいる。私はそんな事はしない。生涯現役、歳を取ってもその時に出来る事は必ず何かあるはずだ。体が上手く動かなくなっても明るさと元気を持ち続けることだって良いじゃないか。
 私は名誉欲なるものは無い。寧ろ馬鹿馬鹿しいと思っている。神輿に担がれれば直ぐにでも降りたくなる。
 最初にあげた3つのC、実はこれら全て自分のことなのだ。出来ない理由を他の所為にしていないか?チャンスだってチャレンジだってチェンジだって先ず自分で決断し実行すべきこと。
 その覚悟がなければ、何をやってもダメ、結局悔いを残し、後の祭となるだけだ。
 人間に与えられた時間は1日24時間と決まっている。それをどう使うかは自分自身で決めねば誰もしてくれないってことです。
 閃光 熟年パワー。 高齢化を負の連鎖と考えること自体、この国の病める証明。その発想が変わらなければ、得体の知れぬ介護ビジネスは今後も増え続け、その負担に耐え切れず国が衰退するだけだと思っている。
 

2376:歴史は繰り返す

”History repeats itself”(歴史は繰り返す)この解釈に諸説あることが分かった。
古代ローマ時代の歴史家ルフスの言った言葉だとか、後の政治家エドマンド・バークの「歴史から学ばぬ者は 歴史を繰り返す」、更に時代が下がって有名なマルクスによる「最初は悲劇として、二度目に笑劇として、過去の亡霊を呼び出し、その由緒ある衣装に身を包み、借りものの言葉を演じる」と。
 昨日、私の指南役のSさんとNさんと久しぶりに話をした。その時に出た言葉だった。
 歴史から学ぶというのは、失敗経験を次に活かし同じ間違いを起こさないようにしなさいというのが本来の意味なそうだ。
 一例を上げますかね。
 尚恵学園の歴史(56年)は決して長くはない。それでも創設時と今を比べ回り回ってまた元の場所に戻るか!ということになりそうだ?最初は今で言う処の”小舎制”だった、何人位一軒家に生活していただろう? 記憶が定かで無いのだが、7〜8人と職員、それにその家族だったと思う。それが3軒あって、全体で30名足らずの人数だった。私は当時の職員の子供さんと同年齢位、一緒に遊んだ記憶がある。いま、皆さん別々で年賀状程度の遣り取りとなった。
 その後、社会福祉法人の認可を取り、10年スパンで様変わり、結果、今の状態となった。スタッフの数も総勢で100名を超える。利用する方は全て合わせると200名以上に膨れ上がった。
 どういうわけか「歴史は繰り返す」という言葉の真意を探る羽目になった。
 ユニットケアーとか小舎制が流行、一つ屋根の下に40も50も部屋があるのはどうも毛嫌いされる。でも、正直そうかな?という気持ちも残る。昔と今を比べ、確実に違っているのは、日本人が物質的豊かさを経験したということ。誤解を恐れずに言えば、当時尚恵学園を支えてくれた職員の皆さんは苦労人だった。何らかの理由で住み込み条件の仕事を探していた人達でした。鋼のような強さをどの人からも感じたものだ。昔を思い出し救われるのは私にとって幼友達だったお子さんが立派になっていることである。そんな事を考える人は今では誰もいないかも知れぬ。
 私の中には今でも感謝と申し訳無さが混在する。
 今の時代、本当に小舎制にして守り切れるだろうか????。週40時間の規則遵守、複雑なローテーション勤務、一体どれだけスタッフがいれば足りるのか?確実に違うのは、昔は365日寮での住み込みだったこと。
 見切り発車するしかないという何とも危うい心境だ。
 歴史から何を学ぶか?に、悔しいが失敗を恐れるな!としか言いようがない。
 石橋を叩いても渡らないというのでは、全てが麻痺してしまう。ここは考え所なり。
 先のマルクスの言葉ではないが、「借りものの言葉」を誇らしげに演じる連中とは出来るだけ同席は避けたいものである。
 そう言うお前はどうなんだ。これは大いなるお方の声である。あああ・・・悩みは繰り返すものですね。
 

2377:障害者差別禁止法

本日、つくば市イーアスにおいて茨城県内の障害者の団体が集まり「障害者差別禁止法の条例化」に向けての会合があります。ご存知の方もいるかもしれませんが、国連の障害者権利条約の批准に向けての国内法改正の動きの一つです。
 掛け声だけは今すぐにでもできるかのような話でしたが、ここにきてそのスピードが急に減速、さていつ頃国として制定するのでしょうか?
 全国では国に先駆け独自に条例化を行った所もあります。今日はその茨城版の動きだと思います。
 またそれとは別に「障害者虐待防止法」というものがあり、こちらは昨年の10月1日よりスタートしましたね。それによって市町村は通報・相談の窓口を設け、事実の確認や虐待の認定を行い、一時保護や支援の方針をつくるというもの、県は「障害者権利擁護センター」を設けて、市町村への支援等を行ったり立入調査や勧告、指定の取消等も行う。
 一方、我々サービス事業者は研修や苦情処理体制を整備し、虐待防止策を講じなければならないことになりました。
でも、これって既にどこの事業者でも実施していることなんですね。今更と私は思いますが、多分、一向に虐待が減らないという実態があるのかもしれません。
 ただ、問題はもっと違う所にあるんじゃーないでしょうか。
ハッキリ言いましょうね。障害者への差別や虐待の問題は、養護者だけの問題ではないと言う事なんですよ。むしろ、日本の社会全体の問題なんです。
 例えば、防止法の中に「心理的虐待」というものが虐待行為の定義にありますが、暴言・無視・屈辱的態度により精神的苦痛を与えることと説明がなされています。
 さらに法の適用範囲を見ると、実にこの国の障害施策の脆弱&偏狭性を見てしまいます。つまりですね、家庭内・施設内・職場内という3つに限定しているんです。
 国連で言う処の、障害者の主体をどう捉えていくか???これでは実に片手落ちなわけで、地域で誰もがその人らしい生活が出来るように保障するという謳い文句はすっかり影薄くなっていませんか。
 私は、限定的な仕組みをいくら作っても何も変わらないと思いますよ。地域と社会にまで言及しない制度は意味を為さない。
 だってそう思いませんか、障害者が地域で暮らすことを目指すんでしょう?極端に言えば地元の反対が起こったとします。今までならば、障害者の方達がそこで暮らすことを諦め別の場所を探すことって結構ありました。私ならば反対をする人を法で罰するべきだと思います。その辺のことは全く触れていませんね。
極端に言えば、反対者に対し立入調査や勧告をすべきだと私は思うのです。
 日本人はホンネとタテマエを使い分けるのが上手とか。
 これで、GDPが世界3位に落ちたとか大騒ぎしている、笑っちゃうよ。まだまだ夜明けは来ないでしょうね!北緯70度の極寒地帯じゃーあるめーし。所詮面倒な事には関わりたくござんせんってか。
追記)
 総会後、内閣府障害者制度改革担当室長の東俊裕さんの講演を聞いた。
 障害者差別禁止法の制定が遅れてしまったことの説明後、その条例をつくることの意義は何か?という質問に対し、
法律を制定することが目的ではなく、障害者への差別を皆で考え理解し合うことが重要、障害者同士でも差別が無いかと言えばそうとは言えない。障害種別の特性を知り、どうすれば住みやすい地域になるかを考えることに意義が有る・・・云々。
 また、会場から「法の違反者に罰則は無いのか?実効性が期待できないのではないか」という意見が有った。それに対し、「法律では罰則は付けないというのが部会での結論。相互の理解を深めることより対立してしまう危険性が強くなると判断」との回答があった。障害者に優しい街づくりは、結局誰にも優しい街となると。納得。
 研修には会場に準備されたイスでは足りない位の人が集まってくれた。
 これから茨城県版の障害者差別禁止条例ができるか否かは、まだ不透明。やっとスタートラインに立ったというのが正直な私の印象である。

2378:札幌

前回は関東地方が大雪で飛行機が欠航、已む無く中止した。今回も今年2番目の大寒波、またしても断念せざるを得ないかと思ったが、今回は見事ズレてくれました。しかし、札幌に着くと想像した以上の雪が積もっていた。
 加藤寮長直々に案内してくれ、夕食まで御馳走して頂き恐縮してしまった。今回は若いのを連れて来いというので2人でお邪魔した。
 追々、頭の中を整理し、今我々が直面している課題に立ち向かおうという勇気だけは得たようだ。
 話の節々に出てきた言葉で”近代化”と”現代化”が妙に気になった。どうも近代化を求め過ぎると昔から大切にしてきたものを蔑ろにするという意味らしい。
 そう考えると今の日本を憂う事の意味がわかるような気になる。それと現代化という方は、今、必要とされている事に知らぬ顔せず自ら挑戦しなさいという事に理解した。
 自らの師と仰ぐ、黒澤酉蔵氏、知る人ぞ知る、田中正造に心酔し、書生としてその薫陶を受けた後、北海道に渡り、酪農学園や雪印乳業を創設、黒澤氏の事を書いた本を頂戴した。
 ・・・・「彼には味方も多かったがまた敵も多かった。これは彼が所信を曲げず急進的に邁進する性格であったこと、彼の高遠な理想と夢を理解し得ないためと、その主張の熱烈さに対する反動でもあったといえよう、しかし、これは時が解決する」
   私心なく その事が真理である限り かならず成就される・・・・・・『牛飼いからの伝言 黒澤酉蔵の生涯』仙北 富志和著:P55.

 黒澤は茨城県の県北現在の常陸太田市の辺りで生まれた。私利私欲がなく、真っ直ぐな性格、日本の将来を見据え、「循環農法」論を説き、「健土・健民・健産」の三健論を遺した。
 その教えを守り、障害福祉の分野で気を吐く、有言実行、容赦ない罵詈雑言など屁の河童、初めて訪れる者が先ず目に付くのはどこもかしこも見事に掃除が行き届いている様。これは日頃の積み重ねがあってこそできること。
 その事を寮長に尋ねると、『じゃなければ失礼になるだろう」と一言。
 ここでまた自分自身の甘さを痛感した。
札幌に滞在したのは実質一日、勿体ないと思うかも知れぬが私にとっては充分、同伴したものとて同じ思いだろう。
 「もっと失敗をしないとダメだな」「失敗から本当の事を学ぶんだ」「引き際を間違えるな」・・・独り事のように呟いた言葉は今までそうやって自分を励ましやってきた証だ。
茨城空港着
飛行機の上に満月

2379:札幌第2弾

前項で語り尽くせない事がまだまだ沢山あります。
 その最大のものは、ネットワークをどう築くかという一語に尽きます。障害者の権利は、何も障害者だけに限った事ではなく、最早、この国は様々な課題が複雑に絡み合い、どこから解決の糸口を見出すかが判らなくなっている状況だと思うのです。
 何故なんでしょうね。 言うまでも無いことで、国民全体(?)が何かに浮かれ、大切なものは何かという事を見出せなくなった。
 目先を変えた様々な提案は次々に出てくるが、いつの間にかどこかに消えてなくなってしまう。
 それに、専門性を余りにも重視した結果、分業と複雑化が進み過ぎ、相互の連携が取れなくなった。教育・医療・福祉と言われ、様々な取り組みが為されてはいるが、現状の問題は、それ以前の事なのだ。つまり、人として生きる支えをどう見つけるかで右往左往しているのです。
 体罰問題、生きがい対策、老人介護、・・・なんとも挙げれば切りが無い。そして、これら全てがバラバラに議論され、そこから出てきた対応策は対症療法ばっかりで日本という国全体の方向は霧の中。
 そして、今の国の財政規模を保つには日本は輸出で外貨を稼ぐしかないと、あらゆる外交問題を無視することなどできない。
 札幌第二弾、現在、札幌市の人口は190万程、一極集中、札幌市内の中央区には手稲山などが鎮座し山ばかり、これなど他の市町村には考えられない。
 今年は雪が多く、道路脇にはうず高く除雪した雪が積まれていた。札幌の地下街、私など迷子になっても仕様が無い、広大な商店街を形成、長い冬の生活から自然とそうなったものらしい。
 観光客も合わさって、賑やかで目に付くのは人人人、一方、広大な北海道、田舎に行けばドンドン過疎化が進行している。
 たった二日間だったが、私は今の日本の縮図を見た思いである。
 大都市に集中する人口、地方は一様にドンドン過疎化が進んで行く。まだ充分利用できる学校が廃校になり、門が閉ざされ、より遠い学校に通学する。
 これだって無駄の一部、何かに再利用する努力も為されてはいるが、それとて、その場凌ぎで見通し無しの実態だ。
 そこで考えた。
 障害福祉に限って言えば、ここ10年程は日替わりメニュー如き変更変更に振り回され、その都度、、研修会などで説明を聞いてきた。基本的な事は大した変更はないのだが、手続きや制度が微妙に変わるものだから、説明会に出るしかない。堂々巡りも実に多く、最後はいつも財源云々で継続審議。
 この流れを一端切らないと次に進めない。だからと言っても現場は実際に支援を必要とされている人達を抱えている。
 それには、今ある資源を活用することだ。
 全てを自分の処で賄うなんて発想は時代遅れ、寧ろ仲間を作って協力する。これが一番将来を見込んだ現実的な選択だ。
 

2380:人生二毛作

人生50年〜60年と言ったのは遥か昔のことですか。今や人生90年という。何せ日本の平均寿命は一向に下がる気配はありません。これは喜ぶべき事。でも、そうとばかりは言っていられない。定年後、30年も何して過ごすの?
 好きな事やって自由気儘にとか言ってもそんな風に生きられる人が果たして何人いるでしょう?私など絶対に無理、寧ろ健康なればこそ働くことに喜びを感じるべきと、どうしても考えてしまう。他人にまでそれを強いるつもりはありませんが、でも、統計によれば生涯現役何かをやっている人ほど長生きするとか。別にそんなに長生きしたいとは思わないが、周りに迷惑をかけない程度に過ごしたい。
 人生二毛作とは良く言ったもので、これからは”騎馬戦”から”肩グルマ”になると、なるほどね絶妙な言い回しだ、要は支える人間がどんどん減って現役世代に多大な負担がかかるということでしょう。
 何も現役は、フルタイムで働く人ばかりを言うのじゃない。自分なりの生活設計をして、充実(?)した日々を送りましょうということだ。
 TPP参加への是非、昨日の国会テレビ中継を見ていたら、皆さん、好き勝手なことを言っていた。
 賛成・反対、両方あるのは仕方が無い。ただ、ここに来て円安が進んで、当然輸入品は割高になり、ガソリン高騰で悲鳴を上げる。それならば、公共交通を見直したらと思うのだが、殆ど乗客のいない定期バスが路線を減らしながらも運行されている。
 どうも政策に一貫性が無いのは今に始まったことではなくチグハグ感は否めない。
 昨日、本屋に立ち寄った。前から気になっていたのだが、書棚に並ぶ本の内容が一変した。コミック本が随分増え、半分以上を占めている。これはネット販売というものが出てきてからか?書籍専門という店は殆どなく、CDやビデオ、それに食糧品まで売っている。まさに生き残り作戦ということだ。
 我々福祉の業界も同じ、多機能型というもので様々なサービスを用意する。果たして機能毎に専任のスタッフを常時用意出来る程、実績があるかと言えばそうとも言えない。これも世の中の流れと同じ、細分化すれば痒いところに手が届くと勘違い。決してそんな事はありません。むしろ手続きが複雑で孫の手借りても上手くかけないのだ。
 ここは一番、ジックリ構えて何をなすべきかと問うてみよ!
 日本中いたる処で起こっている現象、それは嘗ての栄光(幻)の再現を夢にみて、今この時を嘆いている。
 人生90年と誰が言ったのか知らないが、これ一つ考えても実は凄いことでしょう。
 社会保障は、棚からボタモチでは絶対有り得ない。それなりの負担と義務があってできると覚悟するべきなのです。
 消費税5%で果たして何が出来る?本当は誰もそう感じているんだから。
 

2381:春一番

昨日は関東地方で春一番が吹きました。気温も17℃を超え、やっと寒かった冬が去って、春の到来かと思いました。
 でも、暫くは寒暖の差が大きいという予報です。
 数日前、県毎の平均寿命が発表されました。長野県が男女とも1位、我が茨城は男性が30番台で女性が40番台、何故なのかは良く判らないそうだが、あまり気持ちが良いものでは無かった。長野との差は実際に2歳までは無いのだから、大騒ぎすることはない。発表元はどこなのか知らないが、何故こんな事にまで順位付けするのだろうかね。
 それよりも健康寿命のほうが大切でしょう。これで行くと何と茨城県は71歳ちょっとで全国4位になるそうです。凄い!!
 ここなんですよ。体調を崩し長く療養生活をされている人と元気で動きまわっている人、貴方なら当然元気でいたいでしょう。
 ですからね公表される統計などで一喜一憂することはありません。
 3月1日私が定期通院している大学病院で暫く中断させられていた保険診療がまた出来るようになった。請求ジムで問題があり、保険指定の取消があった。私みたいに症状が安定している患者は転院させられ、私も紹介状を貰って次回からは他の医療機関にかかることになっていた。
 昨日、電話でその旨問い合わせしたら、主治医と相談してから返事をすると言われた。
 私みたいな人間は健康寿命の計算からすれば、どんな風に色分けされるのですかね?良く判らない。
 
 弥生3月、24年度も後1カ月を残すのみ、次年度予算などの役員会が目白押し、尚恵学園も来週行います。
 それと、やたら駆け込み発注の工事が目に付きます。予算を使い切る為なのだが、今でもそんな事をやっているのだろうか?それよりも13兆円にのぼる追加予算が決議されれば、一体どうなることやら。
 益々不安が増加する。私が住む土浦、お隣のつくば市の市長が合併にラブコールとか、茨城には30万以上人口の有る中核都市が無いというのが一番の理由なのでしょうか?
 お隣の千葉県は首都圏だから当然でしょうが、つくばエキスプレスが開通してから、人口急増、街並み一変、柏市は人口40万だと言う。
 茨城は県庁所在地水戸市が未だ30万には至っていない。
 そう考えれば市町村も力をもたなければと考えるのも判る気がする。そこで土浦市の出方はいかに?以前あった“新参者が”という捨て台詞はご法度。確実につくば市にお株を取られ、老舗でさえ本店をつくば市に移すところが増えている。
 街並み活性化、誰がみても合格点はあげられまい。この辺で我が町も大きく脱皮する時期にきているのではあるまいか。
 

2382:視点

浜田宏一氏(イエール大学名誉教授)の本を読み始めた。経済学など全く素人の私には理解できない内容と覚悟を決め結構なボリュームの本だったが購入した。読み始めて実に判り易く書かれたもので日銀や財務省の考え方の変遷が読める。デフレとかインフレターゲットと横文字が目立つ昨今、これはどんな意味なのか良く知らない。でも決して他人事ではなく、自分自身に大きく影響してくる程度には誰しもが感じている。
 政権が変わって金融政策にも変化、そして株価の上昇と円安傾向、庶民にとってはガソリンの高騰や海外旅行への影響位は直ぐに理解できるが、この先、どうなるのかは一向に見えてこない。
 本の中で実に判り易かったのは、お隣韓国の通貨ウヲンの対米ドルレートと円のそれとではなんと60%の開きがあったという。だから日本の名だたる企業が規模の縮小や市場からの撤退を余儀なくされた。なるほどね。
 もっと判り易く言えば1万円の品物が4千円で売り買いされる市場での勝負。結果は明らかなはずだ。先進国で唯一デフレ経済から抜け出せないで苦渋をなめ続けている日本・・・云々。
 これは何も輸出産業だけの問題ではなく日本全体に影響を及ぼしている。教授によるとデフレを良しとするリーダー達の存在を無視できないと。
 一般の人々には、短期に代わり過ぎ誰が財務大臣なのか名前さえ言えず、その人が充分な知識と戦略を持ち合せているかと言えば明らかに”NO”。これではな。
 最近こんな話を耳にした。お隣のつくば市、老朽化した公務員住宅を取り壊し、そこに住んでいた住人は外に家を持つ動きが加速したという。土地の造成も目立ち地価も値上がり傾向だとか?
 この情報をまともに受け取る人はまだ少ない。誰も住まなくなった空き家が目立つし、長期住宅ローンを払えずに売りに出た物件も多い。
 恩恵を得た人とその逆も、いつの世にも存在した。情報社会になって、ネットを使って簡単に知ることができる一方、現実の自分とのギャップの大きさを嘆く。安定した職業とは一体なんだろう?それ以前に心の安定とは?
 そんな風に考えると、先ず我々が出来る事は、自分の足元を良く自分の眼で見ることではないか。
経済の浮き沈み以上に人間の心の動きは変化が激しい。それとどう向き合っていくかは、自分自身の問題なのである。
 

2383:いい加減

人間と言うものは、不可思議ですね。一人では生きられないのに、自分の事はさて置いて他人様のことをなんのかのと言いたがる。鬼の居ぬ間に悪口をと・・・・その場にいる人間が変な一体感で包まれ話が弾んだりしてね。
 所詮、この域を出無い者が多い。でも何かに夢中になれれば、そんな事をやっている暇は無い。他人がどうだこうだなんて結局はどうでも良い事なんです。
 その塩梅ですよ。いい加減という言葉だけど、一般には良い意味には使われない。アイツは適当だからとか、言っていることとやっている事は違うと酷評される。
 私自身の事を考えても変動が激しく、様々な思いが混在する。人の評価というのは、何かと比べて行うものだ。
 その対象がどうかで偉く変わるものである。
 ただ、これでは不味い。そこには自分自身がないからだ。
 差異の尊重という言葉、これが窮極の立つ位置だと思う。一人一人違うことを認め合う。こうでなければいけないという決め付けには無理がある。
 ”まんだら”というもの、これはそう言った考え方を判り易く目に見える図で示す。今の日本のメデアは、目立つ事象だけを取り上げるから、見る者聞く者に偏った情報を持たせてしまう。実際とかけ離れたものであっても一度入力された知識は修正され難い。
 昨日のニュースで北海道の猛吹雪で9歳の我が子を自分のジャンバーで囲み、覆いかぶさった姿で亡くなった父親の事が報道された。なんとも悲しい出来ごとです。
 丁度1週間前に札幌に行っていたので、北海道の厳冬期の厳しさに一瞬思いを巡らした。自然条件の厳しい中での生活、札幌に人口が集中することが良く判る。駅周辺の地下街、迷路のようであらゆる店が立ち並ぶ。外の寒さなど全く感じない。
 一方、今回の悲劇が起こったオホーツク海に面した北部、季節を選んで観光で旅するには絶好の場所、1年の間でどの位、自然の厳しさに耐えて生きていかなければならないのか?
 日本全体で見た時に、東京周辺は何をやっても便利な場所だ。”空洞化”という言葉すら全く感じない生活がある。
 ただ、人間は、いい加減さを誰もが持ち備えている。自分の都合の良いように判断し都合悪いことは忘れるという術を持っている。
 

2384:遣り甲斐

自分が必要とされている&自分を認めてくれる。これが”遣り甲斐”を感じる条件だとか、多分そうなんでしょう。でもこれって一方通行ですね。”信頼関係”を築くには、相手を必要とし、相手を認めることも必要なんですね。
この双方が一致して遣り甲斐と信頼関係が生まれる。
 言うは易いけれど、実際は簡単でない。どうしても感情が絡んできてしまい、好き嫌いが起こる。これで失敗する人って実に多いわけ。
 ですから、宗教や哲学書の類をみれば大体がその辺のことに触れていますよ。だから、その種の本は理解するには厄介だと思われている。
 遣り甲斐という事一つを考えて見ても直ぐに分かることですが、これって時間的にみてどの程度なのか測ってみればわかる。遣り甲斐が一生続くなんてことは無い。寧ろそれは瞬時に感じる程度かもしれません。
 遣り甲斐と生きがいは微妙に異なる。できれば一生そうありたいと願うものだが、そうは問屋が卸さない。
 言葉は実に妙である。比喩的な文言が結構あります。ストレートに言って判る場合と逆に類似した譬えで話す方が相手に上手く通じることがある。「聖書や原始仏典の発句経は当にそうですよね」
 でも、どうなんだろう?手話で比喩の言い回しがあるのだろうか。友人に耳の不自由な人がいる。私は手話が全くできない。相手もそれを知っていてか顔の表情で意思を伝えようとする。それに目が不自由な人も知っている。その方は私の方から声をかけないと目の前にいても判らない。話しかけると耳を私の方に向け、一生懸命聴こうとする。
 障害者総合支援法という法律、時間をかけ、関係者がそれぞれの立場で意見を述べ合ってやっと出来あがったもの。
 それを実際に活用する場になってどうかは別物。これからが正念場です。
 徐々にだが、私は日本における障害者への見方に変化を感じている。明らかに障害者を差別した表向きな言動は減った。でも積極的に関わろうとする人が増えたかどうかは解らない。
 これも障害を持つ当事者の皆さんが自ら立ち上がったからだと思う。
 知的に障害を持つ人達との付き合いが大分長くなった。彼らの生きがいとか喜びって何かなーといつも考える。
 特に障害が重く、自分の意思を上手く表わせない人達。支援現場では毎日向き合っている。お互いに伝えあうことの難しさ。
 25年度は新規採用者9名が決まっている。新卒ばかりではなく、定年後の方それと転職組と様々、望むことは皆さんそれぞれが遣り甲斐を感じ、長く勤めてくれることである。
 肝心なことは自分が素直になれるかどうか、これができれば未来は開ける。

2385:尊厳

昨日、緊急手術を行ったメンバーがいた。昼ごろから複数の医療機関を掛け持ちし、結局地元の救急センターのある総合病院において手術。3時間あまりの時間を要したとのこと。私は途中で帰宅し報告を待った。
 手術室より出られたのが夜10時を回っていただろうか。電話で知らされ鹿嶋市から駆け付けた母親と話した。
 学園からの電話にいつも覚悟していると話す。申し訳無いと周囲の目など構わず大声で話す母親に返す言葉は無い。
 いつもの事だがこの病院は県内トップクラスの規模を誇り、近隣から救急患者が引っ切り無しに運ばれる。
 病院のスタッフは小走りに動きまわり、手際良く診察・検査、処置を行う。見立てでは即入院となる方も相当数いる。
 尚恵では今高齢者への対応を検討している。医療との連携は不可決で万が一入院となれば殆どが付き添いが条件だ。家族が付き添えるケースばかりではなく、職員が交代で病院につくことも増えている。家政婦さんでは無理な場合が多いからだ。
 日頃、投薬を受けている方も多く、主治医のいる病院が入院設備があるとは限らない。
 昨日は1日中いろんな事があって私も落ち着かなかった。そんな時、一つしかない体ではどうしようも無く、職員の協力が不可欠だと痛感した。
 職員だって自分の生活がある。休みなのに呼び出されることだって起こり得る。
 幸い協力的な職員に多く恵まれ、どんなにか助かっていることか。
 我々の仕事は、必要な時に寄り添えるかどうかという一語に尽きる。
 だから、勤務外の仕事にあまり協力し無い人間は自然と居辛くなる。これは仕方がないこと。
 労働とは何か?私共のように少ない人数で廻し、24時間365日という現場、ここに必要とされる人間は自ずと色分けされる。これは仕方が無いこと。そう思いませんか? 
 この対価は充分とは言えないまでも考えて日課を動かしている。
 それと、お互い様という意味を解さない人間も増えているように感じる。権利を主張するが義務を果たさない。これは憂国の情などのレベルじゃなく、亡国の民である。
 

2386:衝撃

3枚の絵の中の1枚。私はこの絵を見せられ衝撃を受けました。
 聞くところによれば、一筆描きのように一気に書き上げるという。この他の絵には人間が描かれている。
整然と並び一人一人が違った服を着ている。30名位並んでいるだろうか。さらに感動したのは 実は
絵巻物になっていて上の絵はその一部をコピーしたものでずーと長く描かれているという。
・・・・・いつどんな場所で描くのかは聞いていない。彼は一般就労し、長い事同じ会社に勤務している・・・・・
 

2387:共助社会

自助・共助・公助という3つの理念と役割、これは東日本大震災後、被災地支援等で様々な主体が関わるようになり、これから先の日本の在り方を検討する際に出てきたことである。3つの割合は7:2:1という見方があって圧倒的に日本は自助に頼る社会だとの指摘となった。
 自らの命・安全・財産を自ら守るということが、果たして今後も可能なのか?少子高齢化に歯止めがかからず、相変わらずの縦割り行政の中で部署毎に妙案を考えて見ても根本的な解決策には遠く、逆に不安を煽っている。
 高齢者が青少年を支えるという従来の発想を逆転するような考えも出る始末、騎馬戦から肩車なんて言っておれず、そう考えざるを得ない現実が近づいた。
 それと、相も変わらず減らない自死者の数、これは当人だけの問題では決して無い。そうせざるを得ない何らかの原因があるはずなのだ。攻めか守りか、国内の産業を保護するためにとてつもない関税をかけている日本。これが本当に将来の成長を望める産業と成り得るのか?こんなこと小学生にでも判ること。TPP参加の議論だって、本気でやっているようには思えない。いつものことだが皆で渡れば怖くない型の闘争にしか思えない。
 一方、福祉や医療だって、自らの懐具合にだけ関心があるような交渉事が多過ぎないか?
 自分達さえ良ければそれで満足。これではいつになってもこの国の夜明けは望めない。
 そこであるアイデアが今俄かに脚光をあびている。障害福祉に関して、自立と差別、この相反するような言葉の対比、実は良く考えてみると、支援する側に差別があったりする。どうせこの子は自立なんてできないんだ!という会話を何度耳にしたことか。つまり、自立(自助)から共助へのシフトチェンジ。公助に期待できるほど日本の財政に余裕など無いはずだ。
 その証明となる事実として障害程度区分導入時のドタバタ騒ぎ。障害者を差別することを受け入れ、それだけでなく、より重度に判定したいとしなかったか?
 障害者差別禁止法が政権が変わってから、トーンダウン?
 私はそうは思わない。
 これは障害者に限った課題ではないということなのだ。
 坊さんやっていて思う事。最近は戒名の字数に関心の無い遺族が増えている、それより直葬などが都市部では半数にならんとする勢いだとか!
 これに対し寺側がなんら対応策が持てていないし危機感も薄い。これは世の中の流れに掉さしてきた旧態依然とした業界体質が影響していると私は思うのだ。異端児だから言えること。悪しからず。

2388:人事発表

次年度の人事を発表しました。新規採用者は11名、内部での移動は最小限にとどめ、継続中の課題を形に出してみたいと考えた。兎角、会議の為の会議になりがちで、いくら検討して問題を共有したとしても形として変わらなければマンネリと酷評されます。
 世間の目は、大変厳しいものとなっています。神立には某建設機械のメーカーの主力工場があります。この会社の景気が街に大きく影響してきた。国内の需要より国外向けの売り込みで勝負をする企業故に円安円高の影響を諸に受ける。
 海外に生産拠点を移し、必死の企業努力は常識で既に何年も前からやっている、それと国内工場では非正規社員の割合がどこもかしこも増えている。
 この会社と同じグループの電線工場は、吸収合併により社名も変わり、早期退職をする社員も多いと聞く。
 グループ全体では日本を代表する企業で社員としての誇りを皆さん持っていた。創業以来100年?の歴史、果たして将来に向けた起死回生の突破口が有るのだろうか。
 日本人の多くが今迷っている。それはどこを基準にして自らの納得できる立つ位置を決めるかということだ。
豊かさと言ったって様々、銀座の不動産王とか言われた方がテレビに頻繁に顔を出している。嘗ての自信満々の姿は無く、何かカメラを避けるような動きが気になった。
 福岡に大分前に入った時、その方所有のビルに目立つ看板があったがその数は半端ではなかった。
 人生80年といえば、今だれもそれを疑う人もない。しかし、私が生まれた昭和20年代は平均寿命は50歳〜60歳だったと知り唖然とした。もう既に私はその年齢を越している。
 今回、人事を発表するに際し、一番考えた事は職員にとって尚恵で働くことがどうなのか?という事だった。
 私自身もそうなのだが、後後悔いが残るような人生は送りたくない。それを職員一人一人に確認したいような思いだ。
 それだけで無い。利用されている人達は尚恵にいてどうなのか?お決まりの理屈では、最早、説得力に欠けるんじゃないだろうか。
 人間は自分が必要とされていると感じた時、それと自分が認められていると感じた時に生きがいを感じるという。
 一方通行では、ダメ、そんな事を考えている。
 

2389:2年経ち

3.11日本人の誰もが忘れることができない大惨事、今日で2年が経ちます。亡くなられた方未だ行方不明の方、ご家族の皆さんにはどんな2年間であっただろう。
 昨日は各局で震災の特別番組を組んだ。どの映像からも恐ろしさが伝わってきます。自然の猛威は人智では如何ともし難し。あの地震で地球の反対側にまで津波が押し寄せ、その高さが信じられないものだった。
 日本は四方を海に囲まれ、水産資源が豊富でその恩恵を受けてきた。それでも至る処に活断層が走っていて、いつM8級の大地震が起こるか判らない。昨日、用事があって石岡のお宅にお邪魔した。その時、やはり地震の話がでて、その家の主人は丁度地震の起こった時間に畑に出ていたという。その時異変を感じたという。数百派のカラスが一固まりになって騒いでいる光景が今でも良く覚えているという。
 鳥や動物は事前に地震を感知できるのだろうか?
 3.11の後、暫く携帯で地震予知の知らせが続いた。最近、それが無くなった。でも、あれ位の時間差では正直どうしようもない。身を屈める位しかできない。
 丸2年が経って、被災地の復興は進んでいるのだろうか?今でも仮設住宅に住み続けている人達も多い。福島原発事故の影響はこれから先どの位続くのか分からない。その不安や苛立ちは大変なものである。
 現地の方々が一様に語るのは、記憶が徐々に薄れ、あの時の経験が活かされず、また同じことが起こるのでは忍びないというものだ。
 3年4年と時を重ねるにつれ、悲しみが癒され、活気ある街づくりが進んでくれれば良い。
 あの時の経験は、日本人にある事の大切さを教えてくれたと私は思う。それは”共助”、助け合って行く事。これに尽きます。 自分さえ良ければ良いと言うんじゃ無く、其々ができる事で手を差し伸べ協力する。
 これは窮極の地域づくりだと思う。
 結とか絆という言葉が虚しく聞こえ、巷に溢れる。何故なのか? 本気度だろうね。
 

2390:自由の弊害

先が読めず不安な時代にこそ、何か魅力的で新たな実践が生まれてくるように思います。
 何故なのでしょうね。苦しんだ末に必死にどうにかしたいと関係者が智慧を出し合うからだと思うのです。本気になって取り組めばどこからか光明が射すってこともあるわけです。昨日3.11は東北大地震の2年目、こんな映像もあったのかと思うような記録が公開されました。ある街に打ち上げられ、まだそのままになっている船を保存すべきか否かで意見が2分されているという事を知り、被災地の皆さんの複雑な思いを感じたのでした。
 2万人に上る犠牲を出した大震災、それに原発事故が合わさったものだから世界中から強い関心が向けられています。
 時間とともにあの時の記憶が風化してしまうのでしょうか?歴史を調べると今回津波が襲った地域に869年の貞観地震があったことが判っているそうです。東北地方を震源にした大地震が1000年に1回の割合で起こっていることも判っています。
 明らかに日本列島は地震の巣になっている。そこでこれだけの経済的な発展を為し得た事は奇蹟なのでしょう。
 今回のような突然身に降りかかってくる災難に、どのような準備をしたとしても充分ではない。その事をどうのこうの言っても今起こってしまった事は元に戻らない。
 果たして、今回の震災で日本人の心に何か変化が有ったでしょうか?今でも被災地に足を運ぶボランテアの人達が多くいるそうです。活動を通じ地元の人と知り合いになってその輪がより広がれば良いと思います。
 でも、いざ自分が何ができるかという事になれば、正直、何もやっていないと認めざるを得ません。私と同じように思っている人が沢山いるんだと思う。
 被災地産の野菜や果物、魚介類を買う事はできます。何も無い処から、徐々に生産活動が始まっているそれへの協力です。
 2年が経ち被災地の皆さんの気持ちは復興が遅々として進まないことへの苛立ちがあるのではないでしょうか?
 仙台の街は復興バブルとかいって大変な活況(?)を見せていると誰かが教えてくれた。でも車で10分と走らずとも震災の爪痕が至る処に残っていて街全体に元気があるとは言えないとも言っていた。
 日本は世界と比べ自由で安全な国だと思います。夜一人で出歩くこともでき、旅行を楽しむ人達も多い。安心して水道からの水を飲み、どこにいても明かりがともり、携帯による通信が可能だ。・・・・便利さを追求し、今に至ったわけだから、誰もその事を特別な事とは思わない。
 しかし、その事と”幸福”は同じでは無い事を気づき始めている。一時期流行したセレブという言葉、何を意味しているのか分からないが、これだって人生の成功者と同じに考えることは出来まい。
 要は、一人一人にとっての生き様、信念を持ち、それに立ち向かって生き生きと暮らせる人生だ。その事と自由さがどう結び付けられるか?不自由を経験して本当の自由の良さを感じるものかも知れません。
 被災された人達ができるだけ早く元気を取り戻してくれることを祈っています。