源究152

 

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
2551 気を確かに 11/7 2556 巡り巡って 11/24 2561 気持ち 12/17 2566 めでたい事 1/12
2552 思うこと 11/11 2557 不透明感 11/26 2562 自問自答 12/24 2567 新年挨拶 1/14
2553 プレ大会 11/15 2558 選択肢 11/29 2563 大晦日 12/31 2568 サジ加減 1/16
2554 時流 11/18 2559 師走 12/2 2564 2014年 1/2 2569 初雪 1/22
2555 自己責任 11/21 2560 1week 12/8 2565 心機一転 1/6 2570 新年会 1/24

2552:気を確かに

霜月に入り、朝晩の気温が大分下がったという実感ではないでしょうか?今年は地球規模での異常気象で、日本では今夏の猛暑日が連日続く中でやっと9月10月になって一休みと思ったが、大きな台風が立て続けに襲来、各地に様々な被害をもたらしました。
 その中でも特に伊豆大島での地滑りはまだ行方不明者の捜索が続いており、ガレキの処分も大変だそうです。
 一方、同じ東京で、7年後のオリンピックの東京開催が決定しお祭り騒ぎです。誰しもが異和感を感じているのですが、どうしようもない、ムードに流されてしまいます。だってそうですよね、福島原発の処理が未だ先が全く読めず、汚染水の処理や除染について様々な報道が交錯しています。これって同じ日本なんですよ。
 国会では安倍政権への支持が安定、ここぞとばかり様々な改革が次々に出され、我々一般の国民には、何がどうなっているのか正直理解できていない。近年は国内の事だけを考えていれば済む時代ではなくグローバルな観点に立って融和策をはかることが不可欠。外交は勿論、防衛などは複雑で実に厄介な問題となっています。
 我関せずなんて言っておれない時代に私達は今生きているのです。
私の関わっている狭い世界ですが、福祉の業界も今、不確実な時代の真っただ中にあるのです。福祉のニーズがあってもそれに応ずる手立てが見出せない。都市部と地方とでは格差が大きく住む地域によってかなり受けられるサービスが違うのです。
 2日前に札幌で実にタイムリーな研修会に参加してきました。
 北海道は元々、先駆的な試みを行ってきました。将来の有るべき方向がどことなく見えてくるような実践事例を伺い、今までの考えを根本的に見直さないとならないという気持ちにもなりました。
 日本の今までの福祉は種別によって分ける縦割りの事業となっています。それが敢えて言えば”ゴチャ混ぜ”サービスが今後、望まれる姿だろうという事なのです。今ある制度を上手く利用した形なのか失敗を恐れず実験的な試みなのか。
 挑戦者という肩肘を張ったものではなく、自然体で無理を感じない。どうしてこんな風にできるのだろう?それも若い連中なのです。
 今回の研修は、還暦を迎えた人達で企画したものとか、年齢の差をどうのこうの言う事自体場違いだと判った。
ここは気を確かにもって、大いに考える時ですな・・・・・!皆の衆!
 

2552:思う事

そんな事、言わなくても判っていると一蹴されるのが落ちですね。誰しもこうありたいと思っている通りに物事はいかないという事。となれば、現実をどう受け止め、諦めてしまうか、それでもなお、何か別の手段があるのではと考えるか?いずれかの選択肢でしょう。
 これが年齢と共に変わってくる。最近、良く私は父親の晩年の姿を思い返すようになりましたね。自分にダブらせるというより、こんな時どうしたんだろう?と想像する。
 記憶にハッキリと残っているの父の姿、夜中に枕元で盛んにノートに書いていたことです。
 確かに言われた事だと忘れてしまうことが多いが書かれたモノだと後で読む事ができる。それは自分自身にとってもそうだ。皆さん、自分の事をちょっと思い起こしてみません?
 随分、変わったなーと思うんじゃないだろうか。別に変わることをどうのこうの言うつもりはありません。自然の成り行きでしょう。
 世の中の変化に比べれば大差無いと思う人も多いとは思います。でも、世の中のことを本当に理解している人が果たしてどれ程いるのかなと考えると自信が持てない。
 最近、こんな言葉が急にでてきました。”おもてなし”とか言って、これぞ日本人の素晴らしさだと。
 でも、私はなにか素直に受け止められない。なんで?
 多分、それは声を大にして言うべきことじゃないんじゃないの。敢えて強調すればするほど本来のおもてなしの意味から離れてしまう。
 公共の電波を通じ、様々な報道が流れる。これに何かの規制を加えれば、また違った問題になる。
 斯様に世の中は常に変化を繰り返し、それでいて一つの国を維持している。これって何なんだろうね。
 多分、その一つの力は先人がのこしてきた生き様、それと今を生きている私達が次の時代を生きる人達への”責任”と言ったらどうなんでしょうね。
 そんなことを思っています。
 

2553:プレ大会

14日〜15日と水戸で関東地区施設代表者会議を行いました。(450名参加)来年7月が本番でその一年前に各県の代表者が集まって話合うのです。全体会には札幌よりこの実会の加藤孝氏を迎えて講演して頂いた。実に聴き応えのあるお話を伺えた。その後3人の方々によるシンポジューム、実に真剣な討議がなされた。翌日は分科会。
 大会テーマは”原点回帰”、これはどのようにも解釈されるのだが、我々の事業の本来の姿を探りあてたいというのが狙いだった。そうは言っても実は簡単ではない。様々な条件により、その捉え方は実に多様で、特にここ10年は、制度改正や事業の再編などが立て続けに行われてきたから、自分達の立つ位置を誰もが捜しあぐね不安が強まった。
 そんな時、茨城大会では原点回帰なる4文字を掲げた訳である。
いよいよ来年の7月は本大会を水戸で開催する。今回の反省を踏まえ次なる企画をたてることになるだろう。
 今回だって県内の仲間がそれぞれの役割を受け持ち実に良く協力してくれた。
 心より感謝しています。
私が出席したのは会長・事務局長会議である。そこで上がったのは@社会福祉法人の在り方について。今年T年をかけ、国は識者を委員に選出、社会福祉法人の在り方を検討始めた。既に9月27日には、その第1回目の開催され、出た話がHP上で公開されている。NPO法人や株式会社が国の規制緩和策によってあっと言う間に参入が進み、従来は社福の専売特許であった事業が随分と様変わりしている。
 社福はご承知のように無税、一方の株式会社は課税され、その辺の取り扱いが複雑で微妙。多分、委員会は後4回ほど開催されるようだから、当然、その事が検討されるはず。
 斯様に、施設職員の研修会もその内容が昔と比べ随分変わっている。それと、団体の数が多く、それぞれの利害があるから判りづらい。
 ご多分に洩れず福祉事業所もM&Aによって小さな事業所は今後、今の儘で継続すること自体が大変になるだろうと言われる。
 既に現実化している問題で、人材確保が困難となり、事業廃止する所も大分増加してきたという。
 国の財政のみならず、地方も全く同じ、事業費を確保することが難しくなり、利用者負担が増加の一途。
 つい最近まで当然と考えられていた個室化だって、一部の介護事業所に認められた多床型が再登場している。個室加算分の負担が難しいという事がその一番の理由だと聞いた。

2554:時流

時代の傾向は、一定では無いと思うのです。確かに凄いスピードで進んでいる分野もあるでしょう。でもそれをつきつめて何の為にと考えてみると有耶無耶になってしまうことって結構多いと思います。
 不確かな時代・・・ネーミングはどうだってなりますよ。結局は自分自身に返ってきますから、あんたはどうなんだい?と自問自答する。
 大まかに言って私は今の世の中をこんな風に考えている。
 利便性一つを取っても厄介です。だってそうでしょう、あまりにも便利になって自分が汗水流す必要もなく、目的を果たしてしまう。その代償で一番判り易いのは金銭で支払うこと。
 様々な経済活動がその原則で成り立っている。
 昨今は、そこに疑問を呈し、待てよ。本当にこれで良いのかい。   という輩も出てきた。
 流れをストップするなど至難の業、でも、数は少ないが、実践している人もいますね。
 障害者福祉の世界も私の40年足らずの限られた期間でさえ、紆余曲折がありました。教育が問題となった昭和50年代、今では全国津々浦々に特別支援学校ができ、相当数の人達が通学しています。そして、今は就労を含め、地域で一人の人間としてどう生活すべきかが問われている。
 様々な実践報告がされ、私が初めて知ったというものもある。先進地に学ぶという姿勢は必要だが、今までの実践を全て無にするような事はすべきではない。
 放射能を含め、今後は環境問題を避けて通れない。これは、知らず知らずの内に加害者・被害者に自分がなっているということだ。
 だから、結局は大見栄などはることなく、誠実に且つ謙虚に生きることがベストかな。
 これって、なんと昔から言われて来たことですよね。時流とは・・・・・?

2555:自己責任

先の事を考えると誰しもが不安になると思う。だってそうですよね。これだけ世の中の変化が激しく、情報が縦横無尽に流れて、ちょっと立ち止まってという気分になれない。同感だと思っている方もいらっしゃるはず。
 そこで、俄かに自己責任ということが言われ始めています。結局は。自分で考え処するしかないということ。
 ニュースに取り上げられるのは、国内外を問わず、目立ったことになります。ですから、尚更、大変なわけです。
フィリピンの台風災害、徐々に海外からの支援も入ってきたようですが、その支援さえ届かない場所が多いと聞く。
 当然、マスコミも入れない奥地、ニュースに取り上げられない。
 でも、日本人って凄いですね。全世界にいるんですね。どうして居住するようになったかはそれぞれ理由が違うようですが、
 そこでの生活を逞しく前向きにしている。勇気を頂きます。
 生まれ育った処で、なんやかんやと頭を痛めているものからすれば、何か別世界のような話です。
 まず、自己責任の1番目は、なんと言っても自分の健康、これはどんなに医療技術がすすんでも変わらない。
 だって病気の種類だけでも何千何万とあるわけでしょう。専門科に受診したといっても判らないことが多い。
 一方、ハッキリと診断名がついて、治療を行っている方も多い。それも以前に増して精力的に且つ目的意識をもって。
 たった一度の人生さ!後悔せず生き抜こう。
  自己責任というものと、世間で言われているNSCとかTPPとか横文字の内容がどこで妥協点を見出すか、ややこしい時代になったということだけは言えます。

2556:巡り巡って

私が住む街にタイ式マッサージの店がある。何でも腕が良くて評判で実は今日私も行ってみた。
 すると、聞いていた通りであまり広くは無い部屋で3人が同時にマッサージを受けられる。日本式とは違ってどことなくエキゾチック?な感じがした。
 途中は省略・・・・・その評判の良いセラピストがなんと昔、ケーキ屋さんだったと。それも驚いたことに尚恵学園に毎年ケーキを持って来てくれた人だった。私の素性を知って、何と傍にある収納棚に私の父より貰ったという花瓶を見せてくれた。
 なんでもメンバーさんが作った花瓶だと言われて大事に今もこうやって使っていると感激していた。
 マッサージを終え、お茶を御馳走になりながら、昔の懐かしい話を先方から一方的に聞かされた。
 世の中は不思議な事があるものです。特に人と人の出会いは思いもつかない事が起こる。今回の出会いも、その一つ。
 巡り巡って・・・・・・
 でも関心するのは、これだけでは無かった。74歳になるというが実に元気、ケーキ屋さんで独立したまでは良かったが誰も子供たちが後を継がないので50代で思い切って店終い、それから何故か知らないがタイ式マッサージを猛勉強、この業界に入って10年以上が経ったと話す。
 店は大きな看板も無く、私は今まで傍を通る事があっても正直気付かなかった。今では口伝えでお客さんが増え、一緒にマッサージを受けていた方は遠路はるばる龍ヶ崎からワザワザ来られるという。
 私はお客さんから元気を貰うんですよ・・・・・・と語る。
 人生は人それぞれ、でも、人間一人で出来る事は何も無い。食べ物は誰かが作るから手に入る。
 お金が絡むから、いろんな厄介な事が起こる世の中になった。でも所詮、人生は感謝と報恩のなりわいでしょう。
 一人儲けは良くないね。
 さてと、安倍政権も休みなく動く、次々に改革を具現化しようとしている。ギアをトップにいれ、高速道路を突っ走る。
 待ってくれよ。もっとゆっくりで良いんじゃない!これじゃー景色を見る余裕も無い。
 巡り巡って収まる場所におさまる。
 私は、63歳という年齢に達し、最近、そんな事を考えて過ごすようになりました。

2557:不透明感

年齢相応の振舞ってあるのでしょうか?確かに、自分自身のことを言えばですが、親父は今の私の年齢の時はどうしていたかな・・・?とか最近良く考える。身近な人をあげるのは自然でしょう。
 だってそうでしょう。友人・知人で既に黄泉の国に行ってしまった方もいるし、彼等を実は良く知っているようでそうではない場合が殆どです。となれば親父やお袋が最も身近になる事になります。
 それから、新聞やテレビで良く現代評して”不透明”とか”不確実”時代と言います。これって意図的に不安感を煽るようで私は好きではない。むしろ、いつの時代だって同じと思うようにします。
 過去現在未来という時間軸で考えてみると良く分かります。どこが区切りなのか実はハッキリしない。進行形(ing)な訳です。
 それから、逆の発想をして、透明&確実となった場合、これは偉い事になりますね。
 その最たるものは寿命です。人間全てが自分の寿命を判ってしまったら、どうなります?多分想像できないと思いますよ。
 寿命が不透明なるがゆえに人間は夢を描いたり、できなかった事に挑戦しようとするものです。
  それと歳をとれば体力は衰えますよ。日頃運動を良く行い、体力の維持に心がけるという方を私は大勢知っています。
 最近、私はジム通いを休んでいます。夏バテ?からか正直気が向かないのです。その代わり40分程度の時間歩くようになりました。道程はほぼ同じなんですが、途中にGHなどがいくつかありますのでその前をなるべく通るのです。
 不思議なんですが、寮からGHに移った方で元の寮に戻りたいという人がいない。何故なんだろう?????
 そんな事を考えながら歩く。
 一瞬頭が空っぽになることがあります。その爽快感は上手く言葉で言えません。私の反省として、四六時中何かを考えているところがあるのです。これってある面では病気だと思っています。
 するとどうなるか。結果は見えています。だって、この年齢になればいろんな事が頭の中でゴチャ混ぜですから、未整理状態で積み上がる。
 これは、昔ならばノートに書いて整理した。それが出来なくなって、今に至る。
 多分、同感だと頷いてくれる方もいらっしゃると思うのです。これは不透明感とは言わない。
 仏教に救いを求めよう。多分、おそらく、否確かに、仏教では「中道」というんじゃー無かったかな!!

2558:選択肢

もし、貴方が二つの極端からどちらかを選びなさいということになったらどうしますか?前項の「中道」という仏教的立場は、両極を離れることを勧める。
 さて、現実の世界に眼を向ければ、やれ経済復興だ。財政再建だと掛け声は大きい。・・・・が実際は、それがどうも上手くいかない様ですね。
 多分、何を良しとするかという基準が曖昧模糊としているからなんですよ。何と比較してもっと高くと言っているのか突き詰めていくと判らなくなっちゃう。
 無駄を省くと言ったところで、毎日、今の日本で破毀される食糧の量は半端なもんじゃない。あれをどうして必要としている国に廻せないのでしょう。私は今、こんな事を考えています。
 来年7月に関東ブロック研修会が茨城で開催されます。基調講演を誰にやってもらえば良いか????
 東日本大震災から2年8ケ月が過ぎました。被災地の復興は、どうなっているのか?宮城や岩手の津波被害、それと福島原発、過去に類を見ない大きな被害に復興にあたる関係者の皆さん、昼夜休みなく活動されています。
でも、福島原発の強制避難地域は殆ど手がついていないと聞きました。放射線量が今も高く、作業に入れない。今後、どうなるのか誰も判らない。
 茨城に住む私達は、決して他人事とは考えません。ご存知のように茨城は原発の発祥の地、日本で最初の原発が東海村にあります。
昨日のNHKテレビで村上元東海村長が出演していました。当然、東海第2原発にも津波が押し寄せた。防潮堤が3月9日に完成、2日後の11日に大地震が起きた。押し寄せた津波の高さがあと70センチ高かったら、福島と同様の事故になっていたかも判らないというのです。
 これが当時の村上東海村長の話。
・・・・・・・・・・。言葉を失った。それは福島で今も避難生活をされている人達のことを考えれば軽率な言葉は許せない。
 しかし、2日間の差があったればこそ今の状況でいられる訳です。茨城県では、いま様々な対策検討を行っている。東海原発から30キロ圏内に住んでいる人の数は100万人、なんと福島の場合の14倍だという。我々施設関係者への調査があり、いまそれを纏めているが、圏内にある施設利用者の数は1000人を超える。一体どこに避難すれば良いのでしょうか?
 ここにきて暗雲が立ち込めてきた東京オリンピック開催、その影にかくれ東日本大震災のニュースが激減した。
 曖昧にして良い事と絶対許せないことがあるはずです。

2559.師走

平成25年もいよいよ師走になりました。陰暦12月の異称で新旧の入れ替え時期だけに何かと意味深い。
 今年T年を振り返るには、まだ早いかもしれぬが、あまり定かでない記憶を辿ると正直あっと言う間に過ぎたというのが先ず頭に浮かぶ。それでも平成23年3月に起こった大地震は、強く記憶の中に残っていて、何度も何度もそこに戻った。
 あれから時間が過ぎ、一方ではオリンピック招致が決定し、東京ではその準備に追われるはめになる。
 復興を手助けするイベントになるか、それとも一端まとまりかけた日本人の心をバラバラにすることになるのか?
 答えは決まっている。その後、世界では様々な自然災害が起こった。今もその復旧に手がつけられないという地域も有ると聞く。最近のニュースで頻繁に取り上げられているタイでの対立、内政問題と言えるのかどうかは良く知らない。タイには何度か行ったことがあります。緑豊かで伝統があり、信仰心のあつい人々の国、国王がいて、日本と似ている。親日家が多く、最近日本を訪れるタイの旅行者が増えた。
 どのような国でも問題はある。
 まだ、記憶にハッキリと残るのは、タイ経由で地元の仏教会で行ったブータン。実は今年である。
 そこで言われていたのは、大分若者の意識が変わっているという事だった。多くの若者が携帯電話を持ち、街中で話に夢中になっている人を見かけた。
 情報は世界中を駆け回る。それを拒む方法は無い。となると新たな問題がおこっている。
 斯様に身近にあることに思いを馳せた時に、さて、あと10年経ったらどうなるか?という疑問にいつも行きつく。
 少子高齢化が言われ、もうどれ程になるだろう。隣の市では、中学校や小学校の合併統合が進んでいる。
 大都市近郊の街は別として、確実に地方から人口減少が凄いスピードで始っている。
 師走・・・・・・この言葉の響きは特別だ。1っか月過ぎれば新年を迎え、また新たな夢に満ちた年になるのだろう。
  

2560:1 week

最近、源究コーナーへの書き込みペースがぐっど遅くなりました。理由はいくつか考えてみたものの、正直に言いますと書こうとする意欲の減退ではないかと思うのです。63年も生きてきますと、それぞれの節目で自分なりに悩み苦しみ、何をどうしようか?という自らに課したテーマ。
 そんな時は、時間が経つのが早く、次から次に頭を切り替えていかなければなりませんでした。
 今、それが、福祉の仕事に関しても若がえりをはかり、今までならば黙っておられず話してしまった事も”まっ 良いか。みんなが考える良い機会だから待って見よう”という風になったのです。
 そんな自分と比べ、なんともまー 世の中の流れは凄いスピードで流れています。
 景気回復を最優先最大の政治課題として自民・公明の連立政権、自民党単独でも過半数を超えているのに、それはしない。そして、昨日のみんなの党の分裂騒ぎ、結党から4年経ったそうですが、顔を見ても誰が誰だか分からない。
 それに反して、実に様々な改正法が検討されている。正直、ダメだったらまた変えれば良いと思っているい人も多いと思うのですが、そんな単純なものではないと思うのです。
 1 weekは7日間ですね。この短い期間に実に様々な展開がなされております。
 我々 庶民はどうすれば良いのでしょうね。
 外国に理想とする国が果たして有るのでしょうか?
 
 今日は大きなお葬式があります。なんでも1000人位の弔問客があるだろうとのことです。
 故人を昔から知っておりました。自分で築いた今の事業を彼は満足して旅立ったでしょうか
 後継者の喪主と話をしましたが、父親の夢を後を継ぐ自分が成し遂げたいという気持ちを感じました。
 

2561:気持ち

1週間に1回書くようになりました。何故なのか良く分からないのですが、変化があまり無いと言うことからかも知れません。
 気温が大分寒くなり、東北地方の雪などのニュースを聞くと冬の到来が身近になったと思います。
 どうも今年は寒くなるような予測、気候はそうでも、景気は果たして良くなっているのでしょうか?巷の話題と実感に差を感じますよね。
 ある一部の方だけが恩恵を受けるかのように思えてしまいます。
私は、今年は実に忙しい時期がありました、その影響でしょうかイマイチ本調子ではないのです。これは年齢のせいかもしれません。
 世代の交代の時期が来たのかという思いがある一方、まだ、老いるのは早いと思う自分がいます。父は86歳で亡くなり、母は88歳、その年齢まであと20年以上、、、、へー・・・・・・。それだけでなく人生の深みと重みは雲泥の差。
 いま世の中が目まぐるしく動いています。半年後などと言っておれず、明日どうなるか分からない。他国との関係は複雑化し、特に東アジアがこれから微妙だと言われています。
 自分自身の事を考えても良く分からないのに世の中の動きまでは、とてもじゃないけど判らない。
 そんな中で気持ちを落ち着かせ我が道を歩めとは、偉い課題だと思うのです。ただ、これは誰しもが避けて通れないというものなんですね。

2562:自問自答

私は、いま時間を見つけては歩く(ウオーキング)ように心掛けております。
 要は、健康維持の為とは言っていますが、実は自問自答の時間とおもっているのであります。自らに疑問を起こし自らが解決を見出す。何を格好付けてと叱られそうですが、この寒い夕刻の時間帯に、あるったけの服を着こんで雪だるまのようにして歩き始める。すると程無く汗を感じるようになるのです。
 40分程の距離ですが、ほぼ歩くコースは同じ。
 最初はいろんな事を頭に浮かびます。そのまま、有るがままに任せ、歩く速度を一定にして周囲に目をやり、いつもの光景を見ながらそのまま進むと、一瞬何も考えない時間が必ずきます。その時間の長短は判りませんが本の数秒かもしれない。
 時間は日々流れていて、私達にはどうすることもできない。そうと判っていても、普段は自分が思うように願うようにできると錯覚、これが、人間の性とでもいうのでしょうが、迷いや苦しみの源泉です。
 さて、自問自答といっても、実は正解はない。判っています。
 でも、人間のケジメというか、何も考えない一瞬を自覚することの大切さをこの歳になってやっと感じるようになりました。
実は昨日尚恵学園の一つの施設でクリスマス会がありました。普段、一緒に食事をすることがなくなり、皆さんが食堂にあつまりケーキなどを食べました。
 確実に時間が流れている。その中で自分とメンバーという関係を考えてしまいました。
 考えれば、尚恵学園に勤務しなんと41年が経ちました。
 自問自答!!!! 答えの無い疑問に、懲りずにできる範囲でつきあっていかないとと思いました。

2563:大晦日

鐘楼
丸一年が経ちます。この源究も最近、ペースダウン、何故か?正直、集中力の欠如だと言えますまいか。
 年齢的なものかどうか自分でも良く分からないのですが。そんな時、1年前はどうだったかな・・・・・・?それは源究140のNO2330『ゆく年』であった。
 自分でも驚いています。このコーナーがこんなに長く続くとは想定外、時々の思いつくものをそのまま自分の言葉で書き連ねた結果です。
  今日、四国のお寺さんがテレビで話していたのが、妙に頭に残ってしまいました。
 それは『空』という話、自分へのこだわりを無くす。これが一番の仏道だと仰っていました。見栄をはったり、他人と競ったりせず有りの儘に生きる。そうすれば、周囲の出来事が楽しくなるという話でした。
 成る程そうね。自分への拘り・・・我執(がしゅう)・・・・か!
 今年一年を振り返った時、本当に様々な事がありましたね。正直、記憶に残っていることは少ない。順番も定かでない。
 昔と一番違うのは、ニュースの報道が凄いスピードで日本中を駆け回ること。望まなくても耳に入ってしまう。
そんな時代に私達は生きているのです。
 政治・経済・教育・文化・・・・・、言葉で言うのは実に簡単です。でも、思うようにならないことも事実です。
 私は、還暦を過ぎて今、63歳になりました。その間を振り返ればあっと言う間とも言えます。
 皆さんはいかがでしたか?出逢いや別れがあったことも事実でしょう。
 大晦日にあたって今年を振り返ってみます。お寺では除夜の鐘があります。
 ゆく年 くる年 皆様にとって幸多かれと祈ります。

2564:2014年ことしも宜しくね

明けましておめでとうございます。
 平成26年がスタートしました。正月2日間はとても穏やかな天気です。でも日本列島を見渡しますと北日本特に日本海側は暴風雪の悪天候続き、大変だと思います。
 私は、観音寺・神宮寺にて本堂の戸を明け、経を読み、尚恵学園を一回りして今、パソコンに向かっているのです。
 そして、キイを打つ手が止まってしまった。何か、新たな気持ちでという思いとは裏腹に、何も変わらずこのままいって貰いたいという気持ち、ややその気持ちが最近は強いかなと考えてしまった。
 島国の日本でさえ、北海道から沖縄まで気温差は常に20度以上はあるのです。当然、生活様式も異なり、長い伝統習慣により、今も続けられている日々の生活。普段は気にとめる事もなく、過ごしている。
 これが平和?。あえて言わずもがなですが、こうやって過ごせることの素晴らしさ。
 アベノミクスに対しての様々な評価があります。でも日本は異常だと私は思う。何せ、一国の総理が毎年変わる国(小泉さんの後は総理在任期間一人平均で1.4年)なんて世界広しと言えどあまり例をみない。何故4年位できないのかね。”元総理”の肩書欲しさ。マサカそれは無いな。
 大晦日、メデアは挙って海外旅行者が今日1日だけで五万人が成田から出発すると取り上げる。なんだよ”!良いな!うらやましいよ。
 そんな風に思った方が果たしてどれだけいたでしょう。
 今日は正月2日、朝の8時から恒例の大学箱根駅伝のテレビ中継、明日の復路で総合優勝が決まる。これもお決まりのイベントですよね。
 ただ、皆さん!冷静に考えてみませんか!ご自身の事ですよ。
 年を重ねる事は、この地球が存在する限り、誰しもが避けては通れません。その途中での”いま”なんですよ。
 これをどう捉え、自分でどんな風に過ごすか。
 2014年の年初めに際し、私も良く考えてみようと思っています。
 *早くも正月5日となりました。帰省ラッシュが凄い、私など、どこにも出無いから、テレビのニュースで見るだけ。
 ”御とそ気分”は皆さん抜けたでしょうね。
 今年はアベノミクスの正念場だと言われます。3本の矢の3本目、所得税8%と絡んで、成長戦略が描けるか!
 それも格差の拡大を抑えた底上げ・・・・・。
  国の舵取りも大変だと思いますね。

2565:心機一転

年齢の事はあまり言いたくないが、心機一転で心持を変えようかと思います。
 どうしてもマイナス思考になりがちな処、否!!!!。ちょっと角度を変えてみてはどうでしょう!
 これって自問自答なんでしょうが、一瞬の間を置いてみようかと思うのであります。 今年もどうにか続けてみたいと考えておりますのは歩くこと、Walking、それも毎日欠かさずに。心機一転とまではいかないが、確かに気分の転換にはなりますね。
 距離を増やせば運動にも確かになります。汗をかき、着替えが必要になるまで歩けば申し分ない。確かに皆さんも思い当る節はあると思いますが、気分は意識的に変えることもできますよね。いつまでもクヨクヨ考えているより、”もう いい。この辺で止めよう!”とケジメになる。少し時間を置くと、その殆どが何で考え込んでいたのだろうかも定かでなくなる。
 斯様な心境になりましてね。
 それには歩く事が不可欠と判った。
 新たな発見もあるし、出会いもある。人生そのものといった感じです。
 さてと、土浦辺りも大分寒くなって参りました。今年はまだ雪が降っておりませんが、多分2月3月になれば降るかもしれません。
 また、その頃、どうなっているのか?お楽しみに。

2566:めでたい事

おめでたいニュースだから実名をあげさせて頂きます。
 ドイツの横井さんが長年出筆を続け、今回、森鴎外賞という北九州市で行っているものに応募、400名を超える応募の中から見事、佳作(2番目)に選ばれました。
 自分史というジャンル、まさに横井さんの生きざまそのもの、1人っ子のミファエル君との慣れないドイツ(チュービンゲン)での生活、最愛の奥様ギャートルさんとの3人3脚の歩みだ。
 私と横井さんは学生時代山登りサークルで先輩後輩になる、昭和44年というから、なんとまー45年も前まで遡る。当時は新宿はまだ都の水道局の跡地が更地で今のような高層ビルは殆どなく、都庁が建った辺りは夜は暗く、一人で歩くと寂しい所だった。
12社神社を通り下宿先のアパートまで歩いて行けた。それはもう学生運動真盛りの時代でヘルメットを被ってジグザク行進している若者がいつも屯していた。
 さて、今回の受賞は横井さんの偽らざる生き様だ。ミファエルさんはご両親から自立し、近くのGHでの生活を仲間とエンジョイしているとか。
 70歳近くなり、自分を振り返る年齢になっている横井さん夫婦は、体調は万全ではないようだが、前向きに今も生きている。
 今回の森鴎外賞の賞金で3人で日本に帰国を目論んでいたようだが、もう一歩だった。でも、凄い。電話があった時にそんな風に話した。
 結局、どこで生活しようが、最後は自分である。できれば後悔は誰もしたくない。だからといって偽ってまで生きてどうなのか?
 そんな自問自答を少なからず、誰しもがしていることだろう。
 私自身を振り返ると、このコーナーが自分史だと思っている。思いつくまま、書き連ね、さてこれからどうするか?
この連続を飽きもせず懲りもせず、今も続けているのです。

2567:新年挨拶

正月を迎え、電話で新年の挨拶を交わしました。
 皆さん60歳を過ぎた方ですから、今更、声を大にして言う事も無いわけですが、どこかにそれじゃー相手に失礼かと考え、少しテンションをあげて話をしました。
 正直、私は昨年、何が原因か分からないのですが、気力が萎えましてね。どうも何もやる気が起こらない。
 そこで、天なる声を聞きましてね。「何しちょる!」と怒られてしまい。奮起しましてね。先ず、歩くこと、これを続けようと考え、4カ月程、毎日歩きました。現在進行形でしてね。約40分〜50分歩くんです。すると、何も考えない時間がほんの僅かなんでしょうが有る事に気づきましてね。
 これが実に爽快でして、気分の切り替えをするのに一番ですよ。皆さん!騙されたと思って一度挑戦してみては如何でしょう。
 いろんな方との出会いとかありますよね。時間差もあって、正直、いつ頃の事だか定かでないのですが、ハッキリと記憶にのこっていて、その記憶を辿るというのも実に贅沢な時間。
 結局、自分の信じた事をやるだけやるさー!途中でダメになったって良いじゃない。誰かが引き継いでやってくれれば良し、そこで立ち切れたとしても良いじゃない。
 このような思いになるようになりましてね。すると、何か肩の荷が急に軽くなったような気になり、また、新たな(?)エネルギーが湧きだしてくるのを感じます。
 平成26年、私にとっても皆さんにとっても良き年となりますよう心より祈念し、新年のご挨拶とさせていただきまーす。

2568:サジ加減

サジ(匙)加減という意味は、その状況に応じた手加減を加え方です。実はこれはあらゆる事に通じるもので、処世術と言うと何か俗っぽくなって嫌な感じを受ける方もおいででしょう。
 されどです。人間は自分が思う通りに生きられる人などいない。あらゆる宗教の根源がここからの出発。
 私の場合、63年生きてきましたが、実はその域から一歩たりとも以前抜けだせない。サジ加減を仏教ではどういうのだろうか?直ぐに思い浮かぶのが”中道”・・・・・両極端、要するに有・無・断・常なる対立する世界観からの超越的立場。
 成る程なるほど・・・それで?  ウーム。判らん。
 知識でいくら判ったような気になっても、現実に直面しないと判らないことが殆どです。
 加減というにはその基準があります。一つの国を統治するにも、どこに目標を設定するかということが決められない。
 今の安倍政権は支持率が結構良い。長年の低迷期があってのことだからと言えばそれまで。でもね。当時世界第2位の経済力を持っていた日本ですよ。
 最近、安倍総理がアフリカ訪問をしましたよね。あの時貸したのかあげたのか?知りませんが金銭的な支援を行ってきました。椀飯振舞と揶揄するマスコミは無かったようですが、1000兆円の借金を背負う国ですよ。日本は。
 この辺の感覚鈍磨が政府の中には有るのではないでしょうか。
 私なんかが心配したってどうしようもない。
 原発の再稼働の問題ですら、情報が上手く流れず、更に、国としての明確な将来像を示せず、流れていきます。
 一度、政権を取ってしまうと、国民の意見を吸い上げる機能が弱まるような国、これでは不味い。
 ちょっとお堅い話題になってしまいましたが、必ずや我々がどっちを選ぶかという時が来ますね。

2569:初雪

19日、土浦に今年初めての雪が降りました。2センチ程でそれでもいつになく寒さが身にこたえました。
 寺の庭に置かれた石像に今は使わなくなった帽子を被せた翌日でした。
 雪・・・・様々ですね。大雪に見舞われ、人手がなく、それでも雪下ろしをして、各地から事故が起こったというニュースを耳にします。私達が住む関東地方で特に平野部では、過去に雪下ろしまでする大量の積雪があったという記憶は有りません。
 横長の日本の国土、そして中間に山岳を持つ国の容は、西高東低という冬の気圧によって、昔から雪への対策がなされています。然程大きくない国土で冬の景色がここまで変わる国は珍しい。
 最近よく言われるのは四季がハッキリしなくなったという事です。昨年も秋があったのかと思い起こせば、紅葉をとりあげる間もなく冬が来てしまったように思えます。
 自然との共存をさけぶ一方では、暖房の効いた室内で過ごす人が実に多い。この豊かさを当然のこととして受け止め、感謝するという事を忘れかけている。
 安倍政権がまた支持率が復活?。経済最優先と言われますが、その意味は実に複雑になっていますよ。
 
 雪の白さに対し、昔より様々に人の心のことが詠われた。
 純白という雪と人間の内面を比し、自らに正直になればなるほどその汚れを感じない人はいないであろう。
 ”奢り”という言葉が秘める内なる思い、どうなんでしょうね? 
 日替わりメニューの如くさま変わる、心の動きは誰にでもおこります。そこでブレーキの役目を果たすもの、貴方は持っていますか?
 そんな事を新年にあたって考えました。グッド ラック。

2570:新年会

平成26年が始ったと思ったら、もう3週間が過ぎました。なんと時間が経つのが早いのか! 私は今日で3日連続で水戸に向かいます。高速道路があるから出来る事、昔なら渋滞の6号国道を只管、走った。それが実に便利な世の中となりました。
 そろそろ外部の仕事は誰かに任せようと思っていますが、性格なんでしょうね。自分自身に呆れています。
 付き合いもほどほどにと考え、大分数を減らしたのですが、そうはなっていない。
 尚恵学園だけでも4カ所の新年会、いまそれぞれに違った形で実施、なるべく出るようにしています。それと、今日はお寺の
初地蔵護摩が午後あります。24日はお地蔵さまの縁日で、いつの頃からか解からないのですが、正月だけ近所の女性たちが寺に集まり護摩焚きを行っています。
 そこまでは、毎年予定の内、でも今年は27日に施設の監査が入りました。なんと11人の担当者が県と市から来るとの事、その準備も私以外(?)は大変。
 どうなることやら・・・・・。
 最近、少し距離を置いて見ようと思うようになりました。極端な方法で、グーグルの地図検索で上から覗く、これが実に良い。冷静になれる。
 視点を変えるというのでしょうか、毎日、繰り返される出来事に正直、夢中で対していると周りが見えなくなる。それを空中から覗くとまた違った思いになれるのです。一度、皆さんもやってみて下さい。
 写真がリアルタイムで無いのが、かえって良いようですよ。
 今年は我々にとって、大きな挑戦の年になるような気がします。私が若かりし頃、土地の造成&図面起こしからやった成人寮を建て替えるのです。全て個室、ユニット型、それも木造です。私の発想には無かった。これも若い人達の思い。
 どうにか完成したい。
 これだってある時間の経過でしか無いのです。
 将来が不透明な時代と言われます。確かに頷ける。でも、生きて行くのは貴方自身、自分自身な訳です。いくら憂いても誰もやってくれませんでしょう。