源究170

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 2911 財政健全化  3/10   2916 花は咲く    3/22   2921 平成28年度 視座 4/2   2926 自然災害  4/17   
 2912 計画と実行  3/11   2917 蕾をつけよ  3/24   2922 雑草魂  4/5   2927 対応策  4/19   
 2913 がんばっぺー  3/14  2918 共働き    3/26   2923 自己責任  4/9   2928 逆撫で  4/20   
 2914 逆命利君   3/16  2919 こころにゆとり  3/29   2924 何を想う?   4/12  2929 コマみたい。  4/24   
 2915       3/20  2920 平成27年度 回想 3/31   2925  心眼   4/15  2930 一人相撲 4/27   

2911:財政健全化

¥1,000,000,000,000,000 円、ゼロが15個並んだ金額、1000兆円です。今の日本の国の借金がこの額を超えている。地方債を含めたら その額を更に超すことになります。地方公共団体の財政健全化法というものが
平成21年4月に施行されているのをご存知でしょうか?北海道の夕張市の財政破綻が起こって法案作りが加速し出来た法律でした。地方のことより国は大丈夫ですか?
  日本の政官学民が挙ってお金の虜になっている割に、そのお金への感覚麻痺が甚だしい。以前 この欄で触れた記憶がありますが、1000兆円というお金を重ねたらどれだけの厚みになるか。
 いろんな人に尋ねたが見事にズレている。大分昔の話で恐縮ですが、3億円事件という未だ未解決の事件が起こりました。あの時は現金輸送車のトランクが奪われた。手で持てる位のトランクに入った3億円の現金を警官を装った犯人に奪われた。当時 大騒ぎになった。その担当刑事が地元出身のH氏だった。現実に戻そう!それがそれが・・・・なんと1万円札を束ねると1000兆円は10000キロの厚さになる計算です。皆さん想像つかないから私は成田からロンドンヒースロー空港までの距離(6,220マイル:1マイル=1.6㌔で計算し 9,952キロ)より遠い距離と説明、皆さん信じてくれませんがこの話は国の○○局長のなにかの講演で知ったものと話すとと100万円で1センチだから・・・ウーッム!と計算始めます。
 約束通り経済が豊かになり、1年で2兆円づつ返済したとします。これでは500年かかることになります。西暦2500を過ぎた頃に借金がゼロになる計算、この現実を皆さん直視しない。そして原発再稼働の議論は盛んだが、大都会の夜の明るさを異常と思わない実態。
 それならば伝家の宝刀 デノミネーションを抜くか・・・・・・これを心配したほうが説得力があるかもしれない。終戦後の日本を思い起こせば判りましょう。ダメか~、それを知る世代が少なくなった。願う事は政官民学のエリート達が この国を動かしている(?)各界のトップリーダー達に訴えて欲しい、それもダメ~声を失っている。
 デノミというのは旧来の貨幣単位を新しいものに切り替えること、具体的に言えば100万円を新1円とするわけです。近くのコンビニに数億円持って買い物に行く時代の到来です。気長に2兆円づつ500年かけて超長期ローンで返すことを選ぶかプライドをかなぐり捨てデノミ措置を選ぶか??? 他に方法はありますか? 経済の専門家の先生に伺いたい。日銀は前年対比のGDP2%アップの実現見通しを先送りしたばかりですから無理かもしれない。リーマンショックや石油暴落級のことが起こったらという話をされるが、違うんじゃないの?自らの足元から行うべきことを真剣に国民に説明し、粗衣粗食とまでは言わずとも無駄を省く努力をするべきでしょう。規制緩和によって、果たして無駄が減少しているのですか? その検証が不十分ではないのでしょうか?
 外国向けには 現行の国債発行額に相当する金額は国内預金の総額よりまだ低いから大丈夫と説明、でも国債の信用度が先進国通貨の中で大分低い今の状況はどう説明しますか、ギリシャやスペインをトヤカク言える場合ではないのではないか! これって私の素朴な疑問。
 電波法の改正議論を聴いていると明らかに自分達に不利益な報道への規制強化と受け取れてしまいます。衆参同時選挙も噂される中で 国民に必要な情報の開示をこの国は行ってきただろうか? あとでこんな筈じゃなかったと言っても後の祭り。ネットに流される他国の財政破綻の記事、かなり際どい内容が毎日流される。これへの規制はどうなのか?でも日本のことになると パッタリと鳴りを潜める。黙秘権の行使?
 自分に甘く 他人に厳しい 昔から守られてきた日本人の人として尊ばれる徳目が風前の灯火と化する????

  地方を活性化しろと言われて ハイそうしますと言える人がどれだけ出てきますかね。私は別に今の政権に対し不満を言っているのではありませんよ。自らも含め まあー大人たち全てに対してですかね。日本を大切に思うのであれば、次を担う子供達に負の遺産を残してどうするの??? 対外的に日本の果たすべく役割を伊勢志摩に集まる首脳に約束することも良いでしょうが 自分の国の子供達へ何をメッセージとして送れるか。この二つに重要性の優劣はないと思うのですが如何でしょうか。 

2912:計画と実行

 野暮用が多くてと言う人がいますが、本心からそう思っている人はそんな風には言わないもの、ある種の謙遜だろうと思うべき。どんなことでも繋がりがあり、そこで出会った人が生涯の友となる場合もあります。沢山の友達があると言う人がいます。でも 何でも話せるような友人がいるかどうかは分からない。要するに言葉は値札の如し 自分で買って初めてその真価がわかる。いま私はバナナにこっている。それも少し皮が黒くなったものが良いらしい。体に良いと言うので。先日 スーパーでバナナを2房を買って レジを済ませ 空き箱に入れていると 名も知らないおばあさんが 「それどうしたの? バーゲン?」「いや わかりません。あそこで売っていたもので、テレビでバナナが体に良いと知ったもんだから」「 そうそう 体に良いんだってねー」自分が買ったバナナと見比べ 妙な顔をした。「それじゃー お元気で」と言って別れた。どこのどなたが知らないが バナナが介した仲だった。
 さて、計画と実行、計画通りに実行できたことは 殆どない。 人生がそうでしょう。絶好調の時がありました? あっても長続きはしなかった。過去を振り返るのは 歳をとってからが多くなる。それは多分、計画しても それを実践する残された時間が因となる。いつまでも その地位にしがみ付くのはどうだろう? 私は 他に任せることができれば人生の達人だと思っています。人は妬む心を持っている。相談もされず どこかで決められたことには熱が入らない。一言でも自分が言えたなら そこが点となり 繋がりを観ずるもの。P-D-Cは 至極当然な理屈、そうは言っても上手く行った試なく、己の所為ではなくて その理論の所為にする。
 結局 先達が示された 何をしても 最後は自分とどう向き合って生きるか これに尽きる。最後のC  これは人生最後の自分に対する自己評価。
  東日本大震災5周年追悼・復興祈念式典が全国で開催されました。私は県庁の大講堂で行われた式典に参加、献花を行ってきました。その会場に東京の国立劇場で開催された国主催式典の生中継が流されました。マグニチュード9.0という未曽有の大地震、宮城・岩手・福島の3県に多大な被害を齎した。茨城でも死者24人、行方不明者1人、災害関連死者41人の犠牲者が出ました。
 関係者の皆さんの必死の復興努力が現在も続いており、まだ充分とは言えないようですが、できるだけ早く元の生活に戻れますよう、、また、犠牲になられた人達に対し心よりの哀悼の意を表します。
 自然との共存は、今世紀最大のテーマです。常にどこかで自然災害が起こっている。これは 人間のご都合主義よりみたもので、そうでは無く地球が生きているという証です。今回、再稼働した高浜原発が裁判所の決定で運転の停止になりました。この司法判断は画期的なことでは無かったでしょうか? 再稼働に向けた動きが全国の原発で行われているのはご存知の通り、果たして、その是非の判断と責任を一つの企業に任せるというのは、福島で未だ帰還できず避難されている人や放射線の風評被害が今後も続くであろうことを考えると疑問です。 これこそが国民に問うべく重要課題だと私は思います。

2913:がんばっぺー!

 夢の続きをみる。・・・・・寝てるのか覚めているのか判らずに 誰かに後ろから追いかけられる夢をみた。何故?判らない。そこで目を覚ます。また眠くなり 同じ場面がリセットされ その後編をみる羽目に・・・・
 なんだか変だなや。頭でもオカシクなったかなや。 恐らく 私の場合 早寝だから夜中に目をさましラジオやPCを開くクセがある。夢はそれが一因だと思ってる。。一種の拘りというのか、強迫観念?と言うか~。言い訳がましく自己分析、気分転換をこんな方法でオンオフを行っていたら 習慣になった次第であります。
 酒が強くない自分は飲むと頭が余計さえてくる。
 法事の後に行う話、さて 故人はどんな人だったかな~?遺族は 故人に対し様々な感情を持っている。生前 故人の事をどうしても許せなかったと思っている方もおればその逆もあり、また自分が体調を崩し自分の死を考えるようになった方もいれば老いて益々盛んな方もいる等々、、、、、 清宴の席で不思議と 自慢話をする方は 少ないようで。
 私の1週間、5:2で施設の方に重点を多く置いている。そんな生活を45年続けてきた。長いのか短いのか・・・それが良いのかどうなのかも判りませんよ。だって オボロゲな記憶だけが残っているがその時間差は辿れない。  おかげ様で去年65歳になったから 今年は66歳。周囲は仕事を辞め、さーてこれからどうする?という人ばかり。羨ましいな~と考えても仕様が無く、これで行ける所まで行くしかないだろうと言い聞かせ これからもトボトボと 田んぼの畦道歩いて参ります。
 ”がんばっつぺー” 茨城弁は尻上がりのイントネーション、聞く人からすれば、疑問形の?がつく。
 お前ばっかじゃーねーか~。俺だって 同じだ~と叱られた。 
 先日 突然、中学校のミニ同窓会に誘われた。60歳になってから同級生が夫婦で始めた居酒屋で。なんだか知らないが 皆さん 自棄にリラックス 聞けば大半が自由の身。「おまえらよ 暇だったら 一度泊まりでもやってみねーか?」と言ってしまったような気がする。「何すんだ?」 「泊まんだ~よ」 「どこさ?」「 寮じゃ無理だっぺから GH」 「なんだそれ GHって?」 「4人で生活しってっとこだっぺ~」 「そこで 何やんだ?」 「泊まんだーよ」
「・・・・・」 同じことを 何回聞くんだよ 世話やけんなー   
 1っか月程して、K様から電話 「住職よ 俺とTちゃんで あの 泊まりってのをやってみっぺーってことになってよ。いかっぺか?」「 ウーム! 大いに結構毛だらけ いつからでしょうか~?」 「4月になったら 今の仕事やめっから それからだな」  泊まりの体験をやるという。まっ あまり期待しないで待つことに。
 ここだけの話 尚恵学園では70歳を超えるスタッフが最も(?)元気に手伝ってくれている。子育て終わり 仕事も終わり  そこで 一幕おろすのが常なるを、だからと言って我が人生は閉じれない。その後の人生が大切よ! だって長ーいどな。 有終完美となれば良し、されど世の中甘くない。生き甲斐遣り甲斐となればは高望み、もう少しハードルを低くし、自然体  そうすれば きっと 得ることありますね。
 定年後にがんばっつぺー  とは  老若男女 無理することじゃーなく 口笛ふいて 草取り するような もんだと思うべし。どうだっぺー  お泊まりスタッフ募集中!!! こちらへ
 
☆ 農家の方に怒られた。草取り!そんな甘いもんじゃーねえ。 ≪だって トラクターで畑 ぶん回すだけだっぺーヨ。≫と余計な事を言ってしまい 後の祭り。 私は草取りが趣味、名も知らない草が春になると芽を出し、朝露から水分をしっかりとって 根を張り茎を伸ばす。草を伸び放題にすれば お互いが絡みあい、弱い草は遠慮して お裾わけで身を低くする。この有様をみていると なんだか知らないけれど 人間様の生きざまと妙に重なってしまうのでありんすよ。 恐らく どんな小さな草でも”光合成”、 光を受けて空中の二酸化炭素を水や酸素に変える働きをもっている。
 光・水・酸素・・・・これ生命維持に最も重要な3要素。
 ☆ 厳密に言うと生命体に必要な要素は微妙、地球外生命の発見やマグマ2000度の中で生きられるものを考慮すれば、限定することは難しい。地球上の人間にとってという条件の下では、光・水・酸素。
 ”お金” これは絶対条件ではないが あれば良いと言う 人間が考え出した得体の知れないツール(?)。FXなんて始めたら、もう四六時中気になって  ・・・・・お勧めはしませんよ。
 だったら、草取りのほうが 三要素を身近に感じながら生きられる。 そこなんだよな~。・・・・・    生命の危機、それは$に夢うつつ、目が点になり、限度を弁えず、これでもか これでもか、・・・・・嫉妬妄執・酔生夢死。 テロや紛争に警鐘鳴らし、その裏で武器を輸出する。この矛盾を いかに正当化できますか・・・・・・。

2914:逆命利君

 逆命利君・・命に逆らい、君を利する。之を忠と謂う。 君=国家とすれば、判り易いのではなかろうか? しかし、今の時代、そういう金句を真面に受け入れる度量の人物が上司にいるでしょうか? むしろ、金言耳に逆らい、左遷や閑職の身にならずとも限らない・・・・・・。
 ましてや忠義などと言えば、相手にされず、ちょっと変だと良い病院を紹介してくれるとか・・・・
 嘗ての商社マンが書いた「我れ百倍働けど 悔いはなし」という本がある。現代社会は それを変人とみる?人の価値観を他人がどうのこうの言うのはもっての外。昭和の初め、福祉という字がまだ一般に知られていなかった時代、その言葉を使ったか否かは知らないが、先人たちの想いは見習うことばかり、それを今の時代にやろうとしても許されず 独り芝居が精々で客のいない劇場で座を開いているようなものかもしれぬ。
 私だけでしょうか”同一労働同一賃金”という言葉を虚しく感じるのは。アンタね それを言うなら自分の事はどうなんだい!と言いたくなる。
 昨日、仲間の法人が認定こども園を新設しその竣工式に出席した。昭和45年に無認可で障害施設を始めたそうで、今では地域にあって存在感のある事業所に成長した。高速道を使えば1時間、昔であれば恐らく3時間は要した距離、便利な世の中になったことを当たり前と思っている自分を感じながら 土浦にもどる。
 祝宴の席で紹介された方は、奇しくも『逆命利君』を世に知らしめた嘗ての旧S財閥企業で海外を駆け回った人でした。それが定年を待たず退職し屋久島に移り住み、現在ミカン栽培を生業としている。お喋りは短い時間だったから、正直 今がどうなのか?は知らないが、表情を見るだけで 何をそんなにコセコセして生きてどうなのよ!と言われているような気になった。宮之浦岳・縄文杉を身近に見ながら果樹栽培を選んだその方の気持ちが嫌というほど身にこたえる。一度は登ってみたいと話すと連絡貰えたら案内しますよと言ってくれ 心弾む思いになりました。
 ☆逆命利己・・・命に逆らい、己を利する。成る程ウンウン、ありそうな事です。
 K君に 『今度新しいコンビニが近くに出来たから そちらに行けば』と言うと頑として聞き入れず。パン工房で働くK君は毎日 お馴染みのコンビニにスポーツ新聞を買いに一人で歩いていく。週に一回は、好きなオヤツを買うらしい。満足げに歩きながら食る姿。声を掛けるとニコニコ顔で袋から取って一粒のお菓子を私の口に入れてくれた。今週は年度終いの食事会、小グループに分かれ思い思いの店に行く。
 ☆ 底力・・今が踏ん張り処と思えば、底ぢからを出すしかないでしょう。急ぎ過ぎは、当人は勿論、周りにも決して良い影響を及ぼさず。世の中が どうしてこんな事になってしまったのだろう?。時間を大切にしようと考えれば、自ずと見えてくる。この感覚が麻痺し、何が起こっているか? ・・・・硬直! その度合いによって死後何時間経過したかを判断する検視医。例えは宜しくないのは判っていますが、智慧を働かせねば ドンドン深みにはまる。
 ”大義親を滅す”とは大切な道義の為には私情を捨てることをいった。前項のK君は、私にとって大切な師である。彼は昨夏、母親にエアコンを買ってやると折り込み広告を私に見せ、スタッフと共に電気店に行った。
 彼は7歳の時、尚恵学園に入所、あれから40年以上の歳月が過ぎている。

2915: ?

知らないで許されることと許されぬこと。。。。この境界がボケている。【道理を破る法はあれども法を破る道理なし】(太平記;33) 今を乱世とみるかどうかは別として、見ようによっては”なんでも有り”の様相を呈し、道理や法さえも動かそうとしている。 これを忌々しき事態とみるか 新たな1っ歩に踏み出したとみるか・・・・・後々 その是非が明らかになるのかもしれない。
 万事が万事・・・同じ方向に向かって流れ始めることは尋常ではない。歴史をみても それが長続きした試なし。社会福祉法人の在り方検討を有識者を集め行ってきた。その中身が示され、いよいよ実行段階に入る。ガバナンスの強化という耳慣れない言葉に 最初は新鮮な感じを持った。だが 良く考えてみたら 別に新しい事ではなく、今までにも言われてきたこと、ただそれが実行されてこなかったという事でしかないと読む。ホンネとタテマエをこの国は器用に使い分けしてきたのも事実、だがここにきて熟考しなければなるまい。それは この国の在り方 をである。結果として 減るどころか最早天文学的な借金を積み上げ今日に至った事。その責任を誰がとる?? この肝心要の議論はボケている。
 日本の企業の平均の存続年数は23年ということを教わった。自棄に短いと思った。その終末はM&Aやら倒産。ネットで調べたら「友好的M&A」という指南書があるのを知った。ならば「友好的倒産」もあるのかどうか、そこまでは判らない。言葉のマジックと言えばそれまで、しかし、現場の実態はそんな悠長な話などあるはずがない。
 国債をどう解すれば良いだろう。我々が債務者でなく 債権者だと気付けとの話もある。しかしだ この国が抱えている借金が現に存在し、それが世界中に公表されている事は事実なのです。借りたものはかえすこれが道理だし法でもあることに違いない。これさえも 変えてしまおうとするならば 国としての信用を失う。これが自然界の摂理である。
 ???? いかに優秀な人間でも 自然の摂理を我が思うようにできる人などおりませぬ。 
   統計数字の綾(あや)・・・・統計数字や順位ほど当にならぬものはない。意図的(?)恣意的(?)と言ったら良いのか? 平均値算出の分母の量と実態を見ないと数字が本来の主旨に合致するかどうか判らないと言う事だ。
 立場上 いつもある悩ましい数字にストレスを感じている。それは全国?位という順位、障害者関連のサービス事業でB型事業というものがあります、そこでは利用されている方達に作業収入から工賃を払う。その平均賃金を国が毎年発表をしている。何とその順位が大阪と茨城は46位と47位を競い合っている。全国平均は14,838円。茨城県の平均は11,465円。約3,000円の開きあり。我々はせめて全国平均まで上げようと共同受発注や工賃向上への取り組みや理解の拡大努力をずっと行ってきている。それが まだ充分で無いのか否か!昨日、県のHPより県内のB型事業所平成26年度工賃(賃金)実績一覧を調べた。県内の指定事業所の数224カ所で全ての実績が公表されている。一人当たり支給額のトップは44,000円(1か月)を超え、最低は1,000円に達しない。、全国順位で46位、全国トップは福井県でその金額は20,501円2位は徳島県で20,388円、この2県だけが2万円台でそれ以外の45都道府県は1万円台。この金額を一般の人達がどう受け止めるか?その調査は未だされたことはない。
 私は以前から今の障害者支援サービスの矛盾を訴えてきた。このデーターをみるだけでも矛盾の根拠はいくらでも示すことができる。要はB型事業や生活介護と区別する意味がどこにあるのか?実態がその事業の目的と乖離していないのか?  茨城県で平成27年度にこのB型事業所だけでも約30カ所増え、253か所になった。
 茨城県は工場誘致率 全国トップ、耕作地面積全国2位(1位は北海道)、・・・・・・・。この数字から類推すれば、障害がある人の働く場所があるのでB型事業所に入らなくても一般就労できる人が多いと言えまいか。この国では障害の有る人たちがどれだけ一般就労されているかという実績の全国順位は出されない。現実には 数値化することは無理だし、その意味を感じない。要するに最終的に何を目指すかが問われていることだと私は思う。
  日本国内に障害者の関連組織や団体が法人化の有無に関係なく現在どの位あるか? 把握はできないはず、理由は簡単、障害種別を細分化し過ぎたことや重複登録、それとこの国の統計は、申請・登録・報告がなければ実態を把握できない。市町村~県~国という行政特有のタテの流れ、そこから出されるものは、残念だが毀れてしまったものまで吸い上げる仕組みは無い。全国○○協会という名はあっても、加入率で30%に満たない団体など珍しくない。
 医療や介護で明らかな事は、一人の人間が一体何枚の診察券を持っているかを考えれば直ぐにわかる。これに対してマイナンバー制度の導入、これは複雑に成り過ぎ余計な手間暇がかかり過ぎ、一人1番号制で行政の効率化や利便性の向上、そして公平公正な社会実現を目指し導入された。国の社会基盤として社会保障・税・災害対策という喫緊の課題をどうするか!果たしてそんなに上手くいくものだろうか?番号の漏洩や紛失への対策、それと障害者の場合はその活用や管理がどうなるか等・・・・。益々 複雑になっていくよう感じてしまう。
 何か新たな仕組みを導入すると、それへの労力(対価)が増加する。限界効用逓減の法則???とは 違うのかな。

2916:花は咲く

 
 カタクリの花
いつも 自分で撮った写真を送ってくれるKさん、今回は”カタクリ”の花でした。♪ 花は咲く ♪は東日本大震災のNHK復興テーマソング、5年目を迎え今年は いろんな場所でその歌を聴いた。時間は確実に過ぎていく、そして春の訪れは桜の開花前線が北上し、自分が住んでいる地域がいつ頃になるかと待ち侘び季節の変化を感じる。昨年より3日早く東京でも開花宣言が出された。一足早く”花粉症”に苦しんでいる人を見かけ、気の毒に思っている。私は 特に花粉による体調の変化はない。時々、クシャミはするが、誰かが噂をしていると思う程度だから、気にしていない。
 3月も中旬を過ぎ尚恵学園定例の理事会が終わった。役員の皆さんが活発な意見を出してくれるから、纏めるのに大変だ。 その中で興味を持ったのは、昨今の若者に対する話題、大学で教えているK先生の話では、今はゆとり世代という事は言わなくなり、ユートオリ世代(言う通り世代)なそうで、言われればやるが言われなければやらない。それから段取りが苦手だと聞いた。 昔ならば一度聞いたことを二度聞く事を恥じたもの、これは無くなった。育つ環境が一因と伺った。
 それと家庭で 食卓を囲むということが減った。その理由はコンビニの出現、年中無休24時間食べる物が買えて便利になった。それが当たり前となって 何の疑問も感じない。その弊害がそんな所にでていると 。
 だから、福祉現場だけの問題じゃなくて、全業種同じだ。彼らとのコミュニケーション、私はカラオケは得意ではない。むしろうるさいと感ずるタイプ。若者とカラオケに行き思ったことは、最新の唄を覚えてそれを披露することなそうだ。それだけでお互いの壁は取り除かれ 意気投合 楽しい一時が作れると。
 先日久しぶりに唄った曲は ♪ くちなしの花 ♪、「誰のバージョンでいきますか?」と聞かれ 意味が判らなかった。これでは 恐らく 若者からすれば 厚く高い壁が更に積み上げられるに決まっている。
 ついでだからもう一つ紹介、「仕事のやりがいって先輩からいろんな話を聞いて新人は仕事の面白みが育つのよ。釣り?自転車? 私だったら嫌だわね・・・・」 「・・・・」「私は やりたくもない釣りに誘われたって嫌だし、無理したって長続きしないでしょう。辞めたくなっちゃう」「いやー。違いますね。うちは良い職場だと思ってますよ。長く勤めてくれるし 良い職場!」 皆さん 好きな事を言っていい気なもんだ。
 次年度の事業計画と予算の話は どこかに行ってしまって、懐郷、思郷の議論で伯仲 皆さんそれぞれ 自分の歩んできた人生に誇りを持ってきたからか 既に時間が超過し 帰りたくなった方もいるだろう。次回は 場所をかえ、じっくり議論できるよう 工夫します。と閉めの挨拶で終わった。
 上掲のカタクリの花 見ようでは 集まって何やら話し合っているように感じる。≪人間どもは なんて愚かなんだ! あんな風になっては いけないよ・・・・≫と 先に咲いた花がこれから開花する蕾に言い聞かせているように見えてしまった。
  ♪・・・・いーまでは 指輪も まわるほど・・・・・おまえのような 花だった・・・・♪ 
 
  
 ☆ 年度末は会議が続きます。次年度の事業計画や予算を組織毎一斉に行いますから、仕方がありません。自分が関係する所が終われば、大分気分が楽になりますが、それも一瞬の休息? 、今度は事業報告と決算。
 福祉関係者は、今年は特別悩み多い、社会福祉法の改正があり、示された課題をクリアーするのに相当労力が取られるはずである。日常業務は勿論、手を抜くことなど許されず、心も体も疲弊する。活力源は底をつき、空ぶかしばかりで歩みは鈍い。
 最近は夕方のウヲーキングは欠かさずに近くの畦道をウロチョロ、風が運ぶ花の香りにハッと我に返り、暫し立ち止まる。寺のしだれ桜、今年は花をつける枝が偏る。恐らく枝剪定をしたからと思うのだが、自然は実に正直だ。
 その点 人間様は素直になれぬ。欲張りで 嫉妬持ち、程々(ほどほど)を良しとしないのは、不幸です。なにも 焦って そんなに急がずとも良いのにな~!
 彼岸が終わる。昼夜均衡の日。墓参に訪れた人が鐘楼の鐘をつく。

2917:蕾をつけよ

 昨日、シマウマが逃げ出しゴルフ場で捕獲騒ぎがあった。大勢の人が縄を首にかけ捕まえようとしても上手くいかず、吹き矢で眠らせる方法をとった。結果、その薬の効き過ぎか?池に入って溺れて死んだ。
 テレビで逃げ惑うシマウマの画像が流され、結果は溺死という事態で終わった。何と言ってよいのか判らない、人間の行為を正当化し、動物を檻の中で飼い、それを見世物にして金を得る。勿論、飼育にあたる人たちは動物が好きで職業として誇りを持っている。私に動物の気持ちが理解できるとは思わないが、人間中心の社会から零れ落ちた割り切れぬ一つの現象と思う。
 それとベルギーで起こった悲惨な事件、テロはいかなる理由があっても許されることではない。無差別な殺戮が繰り返し行われる中、多くの人が逃げ惑い、恐怖や不安、悲しみや憎しみ、そしてその報復・・・・・・。ヨーロッパへ向かう難民の列が 繁栄を謳歌する表通りの直ぐ裏通りで続く・・・・。
 今の状況は 地球上のどこにいても 安全だという確証がもてなくなったことを表す。 国内では 中学2年生が両親からの暴力を受け、自ら養護施設に入れて欲しいとの訴えも適わず、結果自ら死を選んだ事件。児童相談所の対応の是非、家族の意味、個人の尊厳・・・・とこれらの事象が我々に問いかけているものは重い。
 組織の隠蔽体質は内部からの告発を誘発し、外部に漏れたら 一瞬のうちに広まって、社会からの断罪を受けるリスクが高まる。、それを恐れるためかどうか?余計な事には手を出さす、黙して何も語らない人が増えた。
 お互い様・おもてなし・・・その言葉に真実味を感じない世は不幸の始まり。
 なぜこうなったかの原因を辿ると、思いつくことはいくらでも出てきます。 行き過ぎた個人主義と経済最優先の社会、そこに際限無き格差の拡大と競争、内包する矛盾・・・・対案を示せと言う突き放したような議論からは 決して解決策を見出すことは出来ないと私は思う。便利さや豊かさを悪とするものはいない。・・・・が 際限無くという事ではないはずだ。
 この国では応援部隊として有識者を集め、政策の提案を求めるやり方が定着。重要なのは その仕組みではなく、どのような人を選任するかである。

 2月の末に 植木の移植を行った。枝を思い切って落とし、場所を変えた。1っケ月が経ち、新たな芽が出てきてはいるが、残した枝の半分以上が枯れている。造園家さんに枯れて根付かないかどうかを聞いた。枝より根が枯れなければ大丈夫、翌年になればそれが判ると知った。
 蕾が膨らみ花を咲かせ、花が散り軽くなった枝や葉に養分を貯めて根に送る、冬を迎え歳を越す。年輪が、成長の証を刻む。 必要なのは適当な水分と太陽の光、それと栄養です。人間社会でも同じではなかろうか? 子供を蕾と思って 成長を見守り、どのような手が今必要か、子供から何らかのSOSがあった時、それへの適宜な処置をとる、これこそが大人や専門家と言われる人達の役目、悲しさや不幸を起こらないことを誰しもが望んでいるのですから。
 ☆ 某大学で行った来年卒業学生への就職説明会。ブースが用意され、担当者が資料を持って参加した。結果は6名の学生が訪れたそうだ。
 青田刈り(買い)という表現は適当ではないと思うのだが、そんな事は言ってはおれない現実に企業は必死に人集めを行っている。社会人になって 即戦力になれる人は少なく、就職してから社員教育は必須条件、中途でどちらかが挫折し、離職するケースが増えている。売手市場が常態化、同一労働同一賃金をうたう割には、その実現には?。
 ここに来て花冷えの天気に戸惑う。昔より転変地異は動植物への影響は大きく、そこで耐え忍んだものが生き残る。人は智慧を絞り、それへの備えをして快適な生活を得ようとする。成し得た者が勝者なのか?
 確かに一時の満足は得るかもしれぬが、予想だにしなかった事態が起こって 悔やむことも充分に考えられると思うべし。

2918:共働き

 介護や保育の問題で共通するのは、サービスを必要とする時に利用できないことへの不満だ、これは利用者側からの視点、これでは片手落ち、サービス提供者側の視点が軽視されている。このズレは修正できるどころか逆に大きくなっている。私がこの仕事に付いた40年以上前は、盛んに北欧の高福祉の制度が紹介され、その代表格がスウエーデンでした。日本との比較に関する書籍は数限りなく書店に溢れ・・・・。スウエーデンは立憲君主国で一院制の政治体制をとっている、GDPに占める租税率は35%、これに社会保障費への税も加えると、GDPに対し、50.6%となりOECDで第1位となる。総人口は約960万人で国土は日本より広い。最近話題になっている、マイナンバー制度を世界で最も早く導入したのです。 「幸せな国」という以外に何が浮かぶ?世界的な企業の家具メーカー『イケア』。
 出生率は3年前のデーターで1.91。昔から共働きが定着している、それと移民受け入れが積極的で全人口の20%となっている。人口ピラミッドは日本と対照的で、10代から50代が平均した形になっている。
 これは国として将来を見込む政策が取られてきたことを裏付ける。国民の幸せは国が責任を持つ、この覚悟がハッキリ言って日本とは異なる。
 保育制度で不思議に思った事は、ゼロ歳保育がないこと。それは、夫婦で子供が1歳になるまでは見るという国民同意が出来ているからだと聞いた。ウーム!日本では難しい?市場原理の下に規制緩和し競争を促し、質の向上と供給量を増やそうとする日本の取り組みとは根本的に違う。「福祉」とは「生活」だという議論を昨日したばかり、国連が発表する地球幸福度ランキング(2015)では上位は常にヨーロッパの国々が占め、我が国はなんと46位、そして前年度よりも3つランクが下がっている。豊さ=幸福という構図は危うい、格差がどうしても拡大してしまう。国会中継から、そんな数字を聞いたことが無い。マスコミも取りあげず、経済がどうしたこうしたばっかり、子供たちが日本人に生まれて良かったと思えるような、夢のあるような議論は殆どされない。言い過ぎか。創生~ねえ~。総活躍~???ネーミングばっかりが目立ち過ぎませんか。政治を判り易くという思いからそうされているならば、実態に則した議論をもっとすべきだ。これは 立法府に関わる人達の連帯責任、それと我々大人の義務だ。
 共働きが出来にくい国は、成熟国家ではありえない。働くことが苦痛や負担というイメージが出来上がった国を何と呼ぶ?それでいて自らの実績を誇ることに疑問を感じない、どうして自己矛盾と 思わないのでしょうかね。 日本が誇る総合商社が赤字を出した。その主な原因は、世界経済の落ち込みや資源価格の暴落(?)があるという。戦後の復興で果たした商社の役割は、誰もが認めることですね。ただ、世界は大きな転換期を迎え、明らかに反省と見直しが加速しているのではないでしょうか?その変化への対応はあまり知らされない。内政の課題は、正直待ったが効かないもので溢れかえる。それに加えて混迷度を増す外交問題。立法府たる政治が、離合集散を相も変わらず繰り返し、正確な政党名を言える人が果たして何人いるか? ライブで流される国会審議、少数政党に与えられた質問時間がたったの19分、これで何ができますか? もう良いから ガラガラポン で一院制に変え、3党以上は認めない国会法を作り出直しすべきでしょう。そうなったら世界の信用を失うとでも言いたいのかもしれない。しかし、信用されていると思う事自体がオカシイ。
 国のトップが衆参同時選挙は頭の片隅にもないと公言した。解散権はどなたがお持ちなのでしょう?これを 真から信じている人がいますか?何かの理由でまた変わるかもしれない。 おかしいーよ 変だよ 。共働きの話が 例の如く ボヤキ節となりました。
 ☆ 彼岸中・・・Sさんが両手を合わせ、頭を下げ、実家の方向を手で指した。彼女は 父親が亡くなってから変わった。父親の墓参りが家族の迎えを待つ合図なのだ。彼女にとって家に帰ることの訴え(希望)を父親の墓参という動作で表わしてくる。自らを誇ることなど皆無、小学校入学の歳に尚恵学園に入所、今 50歳。彼らと毎日接していて 思うのは 何故一途に親を慕うことができるのか?ということ。 
 ☆ 夕刻からの職員同志の結婚披露宴、牛久シャトウで行われました。まだ桜の開花には早いが 照明に浮かぶ夜桜は 蕾を膨らませスタンバイ。
元職員も何人か祝いに駆けつけ、2部構成の披露の席を盛り上げた。私はワインなど飲んだものだから、案の定、途中で居眠りしてしまい、ドンチャン騒ぎが子守唄、友達の多いのは素晴らしい。皆が皆、ご両人が選んだ仲間たち、熱気に包まれ自然体での祝宴は予定の時間をあっという間に過ぎていた。共働きがまた増えた。大歓迎!!!!

2919:こころにゆとり

 何をそんなに肩肘張って、。。。。近寄り難いこと.。それとは逆に、傍にいるだけでこころ和む人もいる。 この違いは 一体どこからくるのだろうね?
 人間の体は正直なもの、何らかの負荷がかかれば、反応し緊張する。適度な緊張は良いのだが、限度を超えてしまうと、自分だけでは収まらず周囲に悪い影響を及ぼすことになるようです。
筋肉の変化は早い、鍛えるには、負荷が必要、こころの場合はどうでしょう?忍耐や持続力は 生来のものではなくて、経験により徐々に強化されるものではないのかな~。筋肉よりこころを自分でコントロールしようと思うと実に厄介。
 スポーツを例にあげれば、筋力の強さ、瞬発力、柔軟性は大切、それを上手く使えれば結果がついてくる。右からの風、距離は140ヤード、良し!この番手でフェードボールで左から攻めればナイスオン! イメージ通りに打てる人など殆どおらず、やればやるほど力が入り、出たかと思うとまた入り、打ったと思えば足元ザクリ、、、、このような方にワンポイントアドバイスは「力を抜いて」だとか。 そんな方には 隠れた才能があるのに気付く。周りに笑いを呼ぶムードメーカー、人の失敗は、他人に勇気とやる気を起こすものである。これって天邪鬼と言うんじゃありません。真実です。そうだろうよ~な~。(but:親しい仲間の時だけです)
 今場所、白鵬が優勝を決めた取り口にブーイング、横綱は堂々と正面から相手を受け止め投げ飛ばす・・・・。あれだけの成績を残す白鳳が優勝したのに涙を拭った。多くの関取が、若い時に部屋に入門し稽古に励んで頂点を目指す。
 日本人の優勝者が前の場所で久しぶりに出た。二人の大関の今場所の活躍は、明らかに何かが違った。今度こそはと地元の応援は盛り上がり、千秋楽まで相撲中継に釘付けとなった人も多かった。
 一夜明け、相撲協会の理事長選挙、嘗ての大横綱貴乃花が負けた。若貴時代、それ以前の柏鵬時代、館内を沸かせた日本人同士の優勝争い、今はない。野球と相撲は昔から人気のスポーツ、そこで活躍できるように子供たちは夢膨らませ練習に励む。プロとして成功するのはほんの一握り、サッカーもリーグ戦で一部~三部まで選手層が膨らんで上を目指す選手たち、世界の頂点を極めたなでしこジャパンはアジア予選でオリンピックの出場権を失った。監督はその責任を取って身を引いた。
 何事にも言えること、それは身の引き方、いつまでもその座に居座ることはどうなのか?この人しか託す人がなければ、その人がやるべきだ。それは 最終的にはご自身で決める事、周りがなんやかんや口を挟むべきでないと思う。
 死ぬまで元気! できればそれに越したことはありません。でも そう上手くいきますか?せめて”こころにゆとり”を持ちながら 生きたいものである。 
 
 ☆ 昨日と今日、新採用の研修を二日間で詰め込みで行う。今日は私が話す番、さて何を話そうか??? ”こころにゆとり”を持ちながらなんて言ったところで 無理だわな。
 本来ならば 寺の本堂で座禅でもやれば 良いのかもしれないが、・・・・・・・。実は これが一番難しい。 

2920:平成27年度 回想

 1年を振り返りながら毎年3月は忙しなく過ぎていく。学校には卒業式があり、4月に新たな新入生を迎えスタート。福祉現場には、ハッキリとした利用者の入れ替えはなく、スタッフの異動や新採者が加わっての新年度のスタートが一般的。予算と計画、次年度の目玉をどうするか? これを決めるのが実は大変、前年度の踏襲だけでは不充分、いずこもマンネリを避ける為に新たな取り組み?を考えたくなるものである。
 土浦市で公立保育所の指定管理制の導入を勧める提言が出された。この国では公立民営の流れは以前からあった、財政負担の軽減、できることは民間へということで行政のスリム化は推奨されてきているが、ここにきて土浦市もやっと(?)第一歩を踏み出すことになるようだ。しかし、指定管理の条件は、市町村によって微妙に異なる。老朽化した設備の建て替えの費用、現在の職員の処遇など難しい問題はどうか、・・・・周囲の状況は10年前とは偉い違いである。建築単価の上昇(3割~5割増し)や保育士確保の問題などを考えると正直二の足を踏む。職員の定着を狙った事業所内保育所を持つ企業もあるが、その運営はいずこも苦労しているのを知っている。いずれ保育所も定員割れが起こるのは確実。せいぜい数年先か10年先かの違いだとみる。何せ子供の絶対数が少ないことと地域格差の改善は未解決。「保育園を落ちた。日本死ね」というブログが国会で騒がれ、急遽 その対策を講じようとしている。ただ、保育を目指す若者の減少を押し止めるには、まだ中途半端な内容と考えている。資格のある人たちが保育現場にどれだけ戻ってくるかは以前として未知数。いま保育所を新築するとなれば、70人規模で大まかに言って3~4億円の初期投資が必要だ。70人という規模はその後の経営を考えるとリスクが高い。単なる数合わせでは根本解決にはなりません。
 保育・教育・介護の現場が明らかに変わってしまった。一言では言えないが、例として権利意識の高まりが事業者側にとっての大きな障害となっている。国の示す対応策で様々な規程の義務設置、社会福祉法の目的(第1条)たる公明かつ適正な実施の確保の実現に向けた複雑な業務の増加に現場が疲弊している。本来、公的な責任で行うべきことをも 民間活力の導入という形で処理しようとしていないだろうか?。民間に委託するのであれば、健全な発達が可能となる裏付け保障をつけるべきところ、残念だがそうはなっていません。
 私は、それらを”福祉への誘惑”と考える。本来 有ってはならぬ事が繰り返し起こっている。それに対し 行政もマスコミも・・・・利用者もこの時とばかりに一斉攻撃をかけてくる。これが今の実態ではなかろうか。『おかげ様』という言葉を忘れた国は 正直何を行っても 満足できる状況は望めまい。4月1日から社会福祉法の改正が決定。

 社会福祉法 第1条2 ・・・・・社会福祉事業の公明かつ適正な実施の確保及び社会福祉を目的とする事業の健全な発達を図り、もって社会福祉の増進に資すること。・・・・・
 ☆負の連鎖・・・食い止める決定打があるか否か。一般論として日本は”義務と責任”があらゆる面で曖昧になってしまい、何を根拠にしたら良いのか誰も判らない。現状を変えず、改革をしようとしても無理です、漏れ聞こえてくる次の国政選挙の党公認の裏話、驚くような事が水面下では行われている。適or不適の判断をどのようなルールで決めているのか????違憲判決が出た議員定数をどう結論づける気なのか?民主主義の基本、有権者の意志など殆ど関係なく議論されていませんか?高級車や秘書を何人も侍らせ、これぞステータス・シンボルと言わんばかりの集団にNOと言えない、モドカシサ。選挙法を改正し有権者の何割が投票したか、その線を決め、選挙結果の有効性判断の根拠とすべきだと私は思う。有効得票率が満たない選挙区は議員の選出はできないルール。これ位の勇断をしないと何も変わらない。そうすれば 自ずと議員数は減ってまいりますし、公約の実効性も上がるかもしれません、小選挙区や比例区など、姑息な方法は時代遅れと何故言わぬ。特権意識と優遇され過ぎた身分を失いたくない。これがホンネでしょう。違いますか?貴方たちは 投票しない有権者が悪いとでも思っているのではないでしょうね。そうじゃないと思わない?
 政治への不信感がここまできても 自らの非はお認めにならぬ。ウ・・・・・・・ム!
 27年度のボヤキの閉めは やはり こうなってしまったことを お詫びします。 他人を批判することを 仏教では特に戒めている。特定個人にではなく、議員諸氏への箴言と思って欲しい。 

2921:平成28年度 視座

 28年度がスタート、10名の新採職員の辞令伝達を行った。内訳は新卒者が8名と中途の方が2名、新卒の方は平成5年生まれと知り唖然とした。昭和から平成に年号が変わって今年で28年が経つ、時間がたつのがなんと早い事か!
 職員の親睦会主催の歓送迎会が土浦駅前のホテルで行われた。昔とは隔世の感、円テーブルで自由に座る、隣席の人とヒソヒソ話しが出来ない程、大騒ぎとなって実に賑やかな(?)宴になる。何名が参加したのか聞いてはいないが、おそらく80名以上が集まった。勤務があり出られない人や子供が小さい人は出席はできない。昼間、事業計画の説明を各事業所ごとに行った。職員の数は昨年より13名増え、GH世話人さんも含めれば140名近い集団となっている。私は3日連続の酒の席、途中で居眠りし、2時間ほど付き合って早目に帰宅した。
 今年、職員で春の叙勲を受ける方がいて、皆で祝った。40年以上、福祉の現場一筋。挨拶で両親への感謝と世話になった方への思い出を披露、5月の皇居で行われる拝謁式に夫婦で参加すると天を見つめ語った・・・・・・。
 我が職場は共働き、職場結婚が増えている。子育てが終わり、仕事に専念できるベテラン職員が要所を固めてくれるので心強い、それから定年後継続して手伝ってくれるスタッフにも感謝。そして、若い人達、学生気分が抜けないものも中にはいるが、焦らず、彼らの成長を待つことに。当然、紆余曲折を経て今があり、今後もそれは変わらない。
 人の”歩み”はそれぞれで歩幅が違えば速さも違う。途中、道に迷ったり、挫折もある。人生80年とは、あくまでも平均値、100歳でまだ元気な方もいれば早逝し黄泉路に渡った方もいる。
 年度初めに不図浮かんだ言葉は、『邂逅』だった。思いがけない出会いという意味。仏教では”縁”という。今 こうして笑い 悩み 泣き 悔やみ・・・・できる仲間たち、この国の先が不透明と言われて久しいが、どんなに世の中が便利になっても、人と人の関係に妙薬などありません。応病与薬が説かれて千年以上、相手に応じて処すること、これぞ 福祉の原点だ。
 それを大切に思うから、事業計画書の冒頭に、40年前に初代が書いた宣言書を原文のまま載せた。
 支援をする側が 支援を必要とする時もあり、”持ちつ持たれつ&お互い様”、尚恵学園が掲げる”共生”の元来の意味は 実はここにあり。誰しもが苦境に陥ることは有りえよう。そんな時、何気なく手を差し伸べられる仲間がいれば 救われる。平成28年度、宜しくお願い申し上げます。(理事長)
 
 ☆ 今年度は、日中活動の拠点を整備することとしました。特に在宅の方々が利用する『コスモス』が手狭になり、要望に応えられない状況になっています。2か所の入所支援施設の職住分離へ向けての整備を平行して行います。場所は旧成人寮の敷地(神立町諏訪)を充当します。(日中活動拠点検討会の新設)只今、GHの泊まりのスタッフを募集中!!!

2922:雑草魂

 春になれば芽を出し、何度となく踏まれても葉を広げ大きく伸びようとする名も知れぬ雑草に妙に愛着を感じる。花粉症に苦しんだ人たちも少し楽になり始めた頃、土色だった田畑に緑色が加わった。土中の虫たちも顔を出し、若葉を啄み、忙しい。 そんな自然界の営みとは関係なく、我々人間どもは ああだこうだと有るったけの智慧(?)を捻り出し、現実と対峙する。何もかも忘れ逃げ出したくなりませんか?一時の安らぎを求め彷徨う人達、現代を風刺する様々なプロパガンダ、何を求めようとしているのでしょう。ネット社会・・・何を隠そう、私は真っ先に興味を感じ、独学で学んだ知識だけで実はこのホームページを作り始め14年が経った。いま振り返れば、20代の頃はガリ版印刷で1ページだけの寺便りを配った。次に知人から頂いた活版印刷機で鉛の逆文字を必死に拾った。その後ワープロに替わり、そして今はパソコンで飽きもせず続けています。この拘りは どこからくるのか?思い当たる節はなく、只管キーを押してきた。
 利便性や経済最優先を何の疑いもなく受け入れる社会への細やかな抵抗? 凄い勢いで事業を伸ばす人がいれば、それに馴染めず固く心を閉ざす人も確実に増えている。人生の勝ち負けをそんな物差しでしか決められないとすれば、格差拡大どころか取り返しがきかない結果を生むようなことに?
 今その兆候を感じる。それは、老人や子供への対策が急に取り上げられるようになって危うさを感じる。うまく言葉では言い当てられない何か?表と裏の関係というのか?ホンネとタテマエというのか?
 だってそう思いませんか? いまここにきてジタバタ騒ぎ始めることではないでしょう。誰もがこのままいけば大変な事態に必ずなると判っていたはず、それへの準備と対策が取られずにきたということではないのですか?
 ジタバタという意味は 「急に人材は養成できません」ということ、その最優先の問題を蔑ろにしてきたツケは大きい。国はもっと実態を公表すべきだ。全国にある福祉系の学校で今何が起こっているか?本来、担い手を養成するべき教育現場が生徒が集まらず廃止や学科変えで凌いでいる。小学生に福祉への感心をもってもらう取り組みも正直、手を拱いてやらないよりは未だマシということ。そこは政治が道を踏み誤ったと言われる所以だ。
 私は逆に「どうすれば良いのですか?」と問いたい位だ。国を動かす人達が、今まで真剣に現場の生の声に耳を傾けてきただろうか? その代案として出してきたのが、事業者の大規模化! 確かに今この国には職員数が1万人を抱えるメガビジネスもある。地域に基幹となる事業体を育て、そこを中心に福祉サービスを提供するという発想・・・・・。それを公的な組織では無く、株式会社でも可能とした。社会福祉法人への在り方検討、今年度よりその提言を受けスタートする。私は 仕組みの問題ではないと思う。日本人が大切にしてきた隣人愛や家族、これがもともと有って成り立つのが 望まれる社会(人間の営み)なはず、それを一企業に丸投げするような制度をいくら作っても本来目指す方向とは真逆の結果にしかならぬと思っている。福祉を金で買うのか、福祉=生活と考えれば どうしても その思想からは真っ当な答えは出せまい。
 雑草魂は 福祉を支える 最も大切な≪願い≫と≪覚悟≫であると思うのです。 
 ☆世界で一番貧しい大統領・・・・・。ウルグアイの第40代大統領で2月に退任し今 来日している。大統領時代の月額報酬の7割以上を社会福祉基金に寄付し、自らの個人資産は時価18万円の車一台、現在は田舎の農場で質素な生活に戻った。名前はホセ・ムヒカ、「人間は発展するためにこの世に生まれてきたのではない。この惑星に幸福になろうとしてやってきたのです。」数々の名言が今多くの人の共感を呼んでいる。『ホセ・ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領』角川文庫。
 日本に住む我々は、この方の言葉をどう受け止めるべきなのでしょうか? そして、今朝の新聞の記事・・・福島智さんの意見にとまる。 障害者差別禁止法でいう生きる権利の保障には、「コストを引き受ける覚悟」が国や企業への絶対条件だという。 
 
 ☆・・・・「今の地球の危機の原因は、環境の危機ではなく政治の危機なのです・・・」  2012年6月 ブラジル・リオデジャネイロで開催された≪国連持続可能な開発会議≫でのホセムヒカ大統領の演説。
 ウルグアイはブラジルとアルゼンチンの間にある人口340万、南米で2番目に小さな国。
 大統領現職当時より旧式フォルクスワーゲンを自分で運転、一貫して清貧な生活を旨としている。演説の中に「ドイツ人一人が持つ車の数を世界の人口70億~80億人が持つとしたら どうなりますか?」 「貧乏とは少ししか持っていないことではなく、無限に多くを必要とし、もっともっとと欲しがることです。」 国のトップとして彼の言葉は実に判り易く共感を呼んでいる(有言実行)。惜しまれて大統領を退任、我が国に惜しまれて職を辞した政治家が何人いますか、スキャンダルの責任を問われ已む無くバッジを返上という・・・・・・。何故なんでしょうね?国民が選んだ・・・有権者の責任・・・・?。気付いていても声をあげないから・・・・、それで持続可能?日本の豊かさは「安く作って高く売る」という昔からの通則があった、いま その事の是非が問われているのではないでしょうか?その方法が”目的”となってしまった。島国ニッポンよ 己惚れるな。小国と蔑むことなかれ! 彼らより学ぶ事多し。

2923:自己責任

自己責任・連帯責任、労使紛争、権利と義務、責任能力、身元保証人、就業規則、・・・・・・。
 理由に関係なく、一度壊れた関係は、双方に言い分があり、第三者の仲介や法的な手順を経なければならぬ事態が起こります。昨日突然国会中継のTV画面にテロップが流れた。総合流通最大手のトップの電撃辞任ニュース、取締役会で自らの人事提案が通らなかったのも一因とか、内情は知らないが、その方は社員からトップの座を射止めたカリスマ的存在の経営者である、。。。。。。世代交代時期に起こり易い内部の確執は、企業や政治に限らず、どこにでも起こりうること、今までの蜜月の関係にヒビが入り、不和や反目が表面化する。
 そう言えばコンビニ店について、思う事があった。つい最近、近所にコンビニが開店した。私の住んでいる地域は市内最大の工場団地があって、JRの乗降者や通勤の車で朝晩大混雑する。人が大勢集まるので消費需要が他地区と比べ高いのは判るが半径1キロ程の場所に同じコンビニだけで3店もある。聞くところによるとオーナーはそれぞれ別で、競争が凄い、売上は自己責任、24時間営業が条件で特に夜間の人材確保が儘ならずオーナーが人一倍働いてまわしている。それとは別だがアパートの多さは尋常な数ではない。そんなに入居者がいるのかどうか疑わしく、これまた同じ建築メーカーによるアパートがドンドン建てられ、少し古くなったアパートの大家は皆さん泣いている。同メーカーの新築アパートができると転居を勧め、古くなったアパートのオーナーに対しては、建て替えか家賃値下げを奨めてくるという。
 新たな新商売(?)で太陽光発電事業、地主が直接オーナーではなく、専門業者に土地を貸すだけ。借地料は聞いて驚くほどらしい。税金分が賄える程度とか。
 当然、契約書には、その辺の事は織り込み済みである。節税対策や耕作放棄した方には他に選択肢がなく荒らしておくならばマシだという程度で契約の内容まで理解している方は実に少ない。コンビニのフランチャイズ方式とアパート経営は通じる所があり建築とその後の管理の一切を系列会社に委託している方が殆ど、こんな筈では無かったと苦情を言っても後の祭り、そのトラブルは新たな問題となっている。
 それから労使闘争も昔とは大分様変わりしている。日本には労働組合がない中小企業が多い、有ったとしても昔のようなハッキリとした組合活動は影をひそめた。全国規模の労組もあるが、加入率は低迷、その活動に積極的に関わる人は減っている。
 日本が豊かになり、モノが有り余る時代になって 消費を伸ばす政策には自ずと限界がある。
 規制改革が効を奏したようでコンビニやアパート等がここまで増えてしまうと飽和状態、他社との競合ならば判るが、実態はそうではない。全国津々浦々 小売店が姿を消し、スーパーがそれに替わる。そして全国展開する大型複合店とコンビニの急成長、それだってこの先は暗雲立ちこみ不透明、もはや自宅にいて欲しい物が届けられる時代、生産者から直接消費者に届く契約栽培や店舗を持たないネット販売に取って変わろうとしている。新たに買い換えなくても今のままで充分と思っている消費者が多いのではないですか。
 先月、つくば市の老舗書店が2店舗を閉じた。
 前項のホセ・ムヒカ氏が今、来日している。昨日、東京での講演会で「日本人は幸せですか?」と尋ねたという。豊かさを”渇望”し続けてきた日本が今こそ立ち止まって自らを省みる。もう手遅れかもしれませんよ。でも諦めないで!少ないかも知れないが、そのことに気づき、自らの足で歩み始めている人はいますね。これこそが本来の日本語の”自己責任”という意味だと私は考えます。
 

2924:なに想う?

 
 六地蔵(東向き)


 山桜の枝に満開の花を付け、春彼岸から20日が過ぎました。観音寺の境内の六地蔵にかぶせられた赤い帽子と前掛けが真っ白な桜花と絶妙なコントラスト、現在の桜は、朽ちた老木から枝が伸び大きくなったものです。恐らく親木は300年以上たっていた。
 六道において衆生の苦患を救うという地蔵菩薩、少し解説をいたします。『地蔵菩薩本願経』というものがあり、その中で地蔵菩薩の二十八種類の利益が説かれてます。三つほど紹介します。有求皆従・・・求めが有れば皆が従ってくれる。 諸横消滅・・・・諸々の理不尽なことが消滅していく。 畢竟成仏(ひっきょうじょうぶつ)・・・・必ず仏になる。
 仏教で言う「利益」(りやく)は、世間でいわれる「りえき」とは趣が違います。特に儲けることが目的化しルールを無視するような世の中になれば、当然、世が乱れて争いに発展する。ま~いろんな事を仰いますが、外交問題も根は同じだと思いますよ。確かに日本人は勤勉で真面目な人が多いと思います。・・・・・が、一部の心無き人達が世界を股にかけ、利益を上げることに無我夢中になって相手国からの搾取(?)を行う。それを企業も認め、功績に応じ褒賞を与えています。これはほんの一面だとは思いますが、その影響は計り知れず、修正ができない状況になって、初めて謝罪してもどうなんでしょうか?
 世界のグローバル化がどんどん進む中で、様々な問題が表に出てきてます。それに対して反省がなく、もっともっと推し進めようとしてはいないですか?「皆さんは幸せですか?」というムヒカ元大統領の日本人への問い掛けは、彼の生き様を知れば何かを感じ取ることができるのでありませんか?
 欲望は際限なく拡大します。自利利他という教えは、判り易く言うとバランス感覚だと私は思います。世界中の人達が自らの利にのみ走れば、どうなるか?結果は明らか。日本の歴史で江戸時代ほど長く続いた統治時代は無かったという。明治~大正~昭和、そして平成、今 広島でG7外相会議が開催されています。広島と長崎の存在の意味、それは世界中のどの国にあっても”クサビ”となることの証、もし、いかなる理由が有ったとしても、そのクサビが外された時には、誰も止めることができない。
 その事を 日本の政治家は真剣に考えて欲しい。子や孫達に二度と戦争の苦しみを味あわせたくないという日本人全ての願いが どこか片隅に追いやられてしまうような気がしてなりません。今の子供達に「わだつみの声を聞きなさい」と言ったところで意味など分から無い人が大半ではないですか?これは子供たちでなく、明らかに我々大人の責任です。
 散りゆく桜の花に 思う 利益を私達は どう解するかということになりますね。 その事の議論をもっともっと正々堂々と公の場で 行うべきなのです。目先の事じゃなく 先々どう有りたいのか・・・・・・。これは日本人が最も苦手とすることかもしれない。
 ☆ ドイツからのメッセージ 『明日へ生きる』掲載中
 
 ☆ 新年度を迎え、いずれの事業所も多忙なことと思います。新採用者が早く職場に慣れ、戦力となるには時間がかかる。先輩が良き手本(?)になれば、思い煩うことも軽減し、弾みがつく。しかし、・・・・・・・!
 こればかりは 先が読めません。人はそれぞれ 有求皆従(28種利益の一)ですら、難しい。要は”本願”であり、念願・誓願と同義、そして全ての菩薩に共通し、総願の”四弘誓願”となる。あくまで菩薩側からの”願い事”であり、その利益を受ける側の衆生、つまり我々凡夫は、受けるに値する”行為”がなければ無理とみるべき。よって、その対極にあるものは”自己本位”的な言動, それを”個の尊厳&権利”という言葉に置換し、主張する傾向が目につく。ここに現代の持つ病と危機を感じてしまうのです。

2925:心眼

 ≪ 老人が孤独で 若者に夢が無い ≫ 帰国に際し”日本は如何でしたか?”という記者の質問に対しムヒカ氏が発した言葉だった。  物事の真相や要点をはっきり見分ける鋭さ、 飾り気のない風貌、 優しく人懐こい表情からズバリと語る。この透視眼力はいったいどこから生まれたのだろう。恐らく短期間の日本滞在ではあったが、先進国といわれる日本の現実の姿を見て確と心に刻んでウルグアイに戻ったはずである。
 『 こころ清ければ 佛をみる 』という懺悔文の一節が浮かんだ。良いとこ取りや巧みな言葉を駆使したところで こころが揺り動かされるような感動は生まれない。今回のムヒカ氏の講演を聴いた日本人は何を感じたことだろう。
 この国の経済力や政治家の数に比べ南米のスイスと謂われる小国ウルグアイの元大統領在職5年の実績を挙げれば切が無い、アメリカとキューバの国交回復に彼の果たした役割は大きかったという。
 何故それができたのか?恐らく 両国のトップとの信頼関係だと私は思う。 この国はどうか?自らの実績を公の電波を通し自ら宣伝、選挙前の公約をあの人たちはどう考えているのか?自らは検証せず他人任せ。
それに慣らされた日本人・・・・・ 老人が孤独で若者に夢がない・・・・・弁解できますか!平和ニッポンを声高に訴えるのは自由。外交交渉や選挙戦略に見られる多くの????、口では正々堂々と言いながら やっていることとのギャップに国民が諦めに近い感情で観ている証ではないか? あらゆる調査で政治の無関心層の割合が一向に減らない訳を彼らは真剣に考えようとはしませんね、逆にそれを利用しようとしていませんか?
 こころ有る政治家や目立たないけれど真面目に生きている人々は沢山いると思う。ただ、その人達の出る幕がない。老人は厄介者(?)扱いされ社会の片隅でしか生きる場所が見つけられないとすれば、孤独になるに決まっているでしょう。若者に夢が無いのは この国の大きなリスクですよ。若者の全てがそのように思っていないと私は信じたい。しかし、目の前に天文学的な国の借金を見せられたら、夢など描けるはずがない。それを知りながら、多くの国会議員が公に議論することを避けてきた。1日か2日の国会のテレビ中継だけで何が判ると思います? 小政党に割り当てられる質問時間はたったの15分。貴方たちはこれを変えようとすればいくらでもできるはず、国営放送を持ちながら、敢えてやろうとしない。できない言い訳は聞きたくない。
 マスコミだって同罪だ。既に選挙モードに切り替わり、興味を誘うような事ばかりを追い回し、肝心な事は避けている。
 せめて どこの局も政治特集を企画し、前回の選挙公約に対し、どれだけの公約不履行があったか、それぞれの局の責任で視聴者に公表すべきだと思います。
 私も8月が来れば66歳、すでに”厄介者”のグループに仲間入り。何とも複雑な心境で夢も無ければ元気も出ない。 むむむむにゃ~。  夕べ 斯様な夢にうなされ目を覚ます。その一部始終をここに公表した次第であります。正夢?
 
 
 ☆ 熊本で地震が発生、NHKラジオで夜中ずっと聞いていました。そして 明るくなってからテレビで写される上空からの映像、その瞬間、5年前の体験が蘇った。あの時は昼間だった。突き上げるような大きな揺れは今までの地震とは明らかに違っていたし、いつ揺れが止まるのかと思うような時間の長さ。あの時は東日本全体に大きな被害を齎した。この国は地震災害から逃れることはできない。それをまた知らされた。救援を待つ人々に早く救いの手を。今回の震源地は海ではなく、陸地だった。もし、東日本の時と動揺に海で11キロの深さで発生したとすれば・・・・・。想像しただけで 血の気が引く思いになった。再稼働した原発は大丈夫か?この地震で九州新幹線が脱線したという報道、つい最近北海道新幹線が開通、青函トンネルの在来線との共用によって 数センチの金属片で誤作動し急停車・・・・。それから時速500キロと言われるリニア新幹線、東京ー名古屋をたった40分で結ぶ。
 遮二無二 前を向き 突き進んでいるように思えてならない。そこまでスピードを求めてどうな意味があるのですか?旅は道ずれ 世は情けといった情趣は 過去のこと・・・・日本人が何かに浮き足だっているように思ってしまうのは私だけなのだろうか? すでに この変化についていけない子供達や大人を沢山知っている。「老人を大切に 若者に夢を」 私が育った昭和30年~40年代は まさに日本中が その言葉に異論を挟む人はいなかった。

2926:自然災害

 またしても日本列島を地震が襲った。熊本県で14日の夜間に起こったM6.5の地震(内陸直下型)は2日後の夜中に起こったM7.3という本震の前ぶれだった。昨日までに震度5弱以上の地震が14回起こっている。それ以外を含めるともの凄い数(4/17まで計430回)の地震、家屋の崩壊や地滑り、そして大雨による2次災害への不安、現地の人たちは生き地獄の中で過ごしている。過去の熊本での地震の記録は1889年にも起こっており、その時も余震が中々おさまらなかったという。2011年の東日本大震災の復興もまだ終わらない中でまた恐ろしい自然災害を経験している。今回は南西方向に地殻が97㎝動いた。東日本震災の時は宮城県女川町で東南東方面に5.85m動いた。一瞬にして地面がずれるのだから、その被害は甚大になる。
 連日 ラジオやテレビで地震関連のニュースが流れている。24万人に対して避難指示や勧告11万人が避難したという、原発は本当に大丈夫なのか? もし、今回 原発で何らかの異常が起こったとしたら、その責任を誰が取るというのか?世界中からの信用を失うことは避けられまい。
 茨城は先の東日本大震災でも東北3県に継ぐ被害を受けた。その後常総市の鬼怒川の決壊、それだってまだ復旧半ばで、今もって不自由な生活を強いられている方もいる。
 地震が治まって平静さを取り戻し、被災された方々の不安が早く取り除かれることを心より願っています。
   
 ☆ 阪神淡路(1995)、中越(2004)、東日本(2011)、そして今回の熊本、M7級の大地震が10年と経たない間隔で起こっている。日本列島の地殻変動が活性期にあるのかどうか判らないが、昔からどこかで地震があり、日本人はその恐怖に怯むことなく 克服、復興を成し遂げた。火山活動を人為的に抑えることは不可能、それゆえ山の霊を鎮めるため、神社や寺を建て、自然との共生を祈った。前触れなく、突き上げる地震の怖さは、経験したものでなければ判るまい。今回もまた尊い生命が何人も失われた。
 山裾を削り鉄道や高速道路が作られた。何もなければ 日本は風光明媚な自然を楽しむには実に便利な国になった。それが、一度自然災害が起こってしまうと地滑りや地割れによって無残な姿を表わし機能が止まる。
 全国から支援物資や義捐金がよせられる。まだ、揺れが続いているから本格的な復旧に移れない。恐らく、東北や常総市、今回の熊本と同時並行で復旧作業が行われるはずである。
 過去の歴史から何を学ぶか? 木の年輪や地層から判ることもあるようだが、今を生きる私たちが成さねばならぬ事が必ず有るはずだ。5月に伊勢志摩で行われる先進国首脳会議で何が話されるのか?茨城県つくば市でも科学技術大臣の会合が行われる。「環境問題は政治の問題だ」と語ったウルグアイの元大統領、G20に入らない多くの国々も”平和”を望んでおり、それは開催国として日本が肝に命じているとは思うのです。

2927:対応策

 何事も偏り過ぎは具合が悪い。SNSとは「人同士のつながり」を電子化するもの、今では世界中に繋がって、国境などお構い無くインターネットで通信が行われている。GPS機能があれば、災害時に居場所の確認や交信ができ救助がしやすくなった。それで救われた人もいる。
 人同士のつながりは一朝一夕にできるものではありません。近頃は地域活動や組織の中で役員を引き受ける方が減っているようでPTAや地域での役員選びが大変だ。苦肉の策で順番性や年齢順というルールで役員を決め、どうにか体裁を保っているところもあると聞く。生ごみ収集や街灯の電気代に充てる区費を集めようとすると断る人が多いとか、地域差はあるだろうが、都市部ほどその割合が高くなっているそうだ。
 地方創生や活性化をはかるため 政府は担当大臣を置いて取り組んでいるがその効果はいかに? 権利と義務の曖昧な社会、そうかと思えばそれへの偏重を黙認する風潮では・・・・
 全国で市町村合併を推進した時の熱気は今は無し、行政のスリム化や効率化を目指したはずだった。あの時にどの位の市町村が合併によって減少したのか、そしてその後にどうなった?  やることやって その検証がなされない。上塗りを重ね続ければ何の目的で実施したのか判らなくなるでしょう。
 いま熊本で起こっている地震災害、今後どうなるのかは全く判らない。現在判明している活断層の数だけでも2000カ所以上、未だ判らないものが相当数あるという。
 日本はどこで地震が起こっても不思議でない。地震予知は難しく、起こってしまってから対応するしか方法がない。構築物の耐震強度を上げるのにも限界があるだろうし、国土全体を覆う”シェルター”を作るわけにもいかず、・・・・・
 現実には大都市への人口流入が一向に止まらず、首都を移転するなど夢物語、だから東京や大阪でM7級の地震が起こればどうなるか? 
  聞きかじった話、カナダで今回(2015)選ばれたトルドー首相率いる政府の大臣の顔ぶれに何かが変わる新鮮味を感じた。一例として大型トラックのドライバー経験者が観光大臣に任命されたとか組閣の発想が日本とは全く異なる。当選回数や派閥を優先するのではなく、担当する人の能力をどうみるか!キャリアという意味は議員を長くやっているかどうかではない。過去の柵に囚われない英断。時代は変わっている。旧態依然とした体制では変えるべきことと変わってはならない事の判断力が減退する。

2928:逆撫で

 こんな風に言ったら相手がどう思うか?不安と恐怖の中で避難生活されている多くの人達にまたもや 心無い政治家の神経を逆撫でするような発言がネットの片隅に載っていた≪ 熊本で起こった地震はタイミングが良かった・・・云々≫。   この人たちは 自分たちの政局のことしか頭に無いのでしょうか? これは 豊かさを際限なく求め続ける事で起こる”こころの貧しさ”と言えないでしょうか? 彼らが国の予算を決め、どこにどう使われているかを ハッキリ知る人など誰もなく、只管 それも 膨大な借金を積み上げた。
 その原因を誰も説明できず、その責任を誰一人として取ろうとしない。先送り、いい恰好、横柄さ、巧みな言葉、そして最悪は常識の鈍麻・・・・・・。庶民の気持ちをどう捉えるか? その視点が確実にズレている。
 このままでは日本がもたない。65歳を機に リタイアし 後はのんびり好きなことして・・・・・・。これが誰もが描く老後の理想の姿だった????。昨日、小中学校時代の4人が集まった。奥さんと一緒に夢中で理容業をしてきたKは、千葉で今も店に立っている。Tは東京まで電車通勤を43年間続け、4月からは 完全に仕事を辞めた。Aは40年間定年まで勤め、その後の5年間週3日の仕事をしていたが、4月から完全にリタイア。 幸い4人とも足腰はマアマア、何か出来ることで仕事がしたいと思っている(?)。どこでどうなったか 彼らが5月から成人寮の管理宿直をやってくれるという。
 65歳という年齢は人それぞれ考えることは違うのだが、これから先を考えるには絶好の機会となりましょう。私は仕事柄、定年の無い寺の住職、これが良い事なのかどうかは判らない。体調が良くない時のお勤めは正直つらい。自分にと言うより、法事に集まった人達に申し訳ない。昔の話だが近くの住職(大僧正)が 護摩を焚いている最中に倒れ、そのまま亡くなった。今でも語り種になっている。
 これは望んで出来ることでは無く、私には 無理。
 いま寺の物置を壊し始めた。古い写真を見つけた。上大津西小学校1年生、男子全員が鳥羽先生を囲んで写っている。昨日集まった4人がその中にいた。あれから60年が過ぎた、当時の写真で誰が誰だか直ぐに判った。中には今どうしているか判らない人もいる。それと 既に黄泉路へ旅立った人もいる。65年間、振り返ると なんと短い歳月か!
 思い出に残る鳥羽先生、先生の家まで遊びに行ったことがあり、そのことは妙にハッキリと覚えている。先生は若くして亡くなった。
  
 ☆ 日本の報道の自由度は世界で72位という話を聞いた。その根拠は定かでは無い。・・・・が、私には頷ける所が多い。活字離れが進み、新聞の購読者がドンドン減っている。下げ止まりは未だなのか?
 良い意味で平和ボケ????学生時代、新聞を買わず図書館で読んだ。意味不明の言葉に出会うとメモ書きし辞書をひいて調べた。いま、その辞書が消えた。これと全く同様のことが起こっている。段取りが苦手と言う人が増えている。昔、山登りをしていた時、地図を開き念入りに計画をたてた。その必要が無くなった。必要が無い事は自然と姿を消す。それが 今の社会を根本から変えている。
 ☆ K君が昨日退院できた。喉に食べ物をつまらせ、危うい所だった。その時に応急処置をしてくれたスタッフにこころから感謝している。それと6人も駆けつけてくれた地元消防署の方達にも感謝。彼は病院のベットで声を出すこともなく、ジッと上を向いたまま、様子を見に行くと、目で私を追う、その目は何かを訴える目。80を超えた母親は、「よろしく たのみます。」と言って一人で電車で帰って行った。
 退院後久しぶりの園での食事、Sさんが隣の席に座り、彼の喉を指さし、何かを訴えていたと聞いた。これは昔から何も変わらない。
 ☆ DPIの中西さんの「明日への言葉」(NHK深夜便)を聞いた。久しぶりに最後まで聞いた。障害は環境がつくる。運動なければ変革無し。いずれの言葉も障害当事者として彼の70年の生き様が説得力をもつ。障害者差別解消法が4月からスタートした。行政や政治家を一方的に批判してはならない。彼らは何が必要なことなのか判らない。当事者が声をあげ、それに共感する者たちがサポートする。これが福祉のもと、時代が変わってもこの点は何も変わらない。問題は その視座がなく、規模やうわべを繕う人達だ。

2929:コマみたい


 ・・・まわるコマが止まるとこける・・・・ 忙しい忙しいというのはその人の性分で自分で無意識にそう仕向けている・・・・・
 ある方よりそんな風に言われて ハットした。今まで私は忙しいということを”隠れ蓑”にして 生きてきたかも知れません。ハッキリ言えばこれはアンタの能力の問題だと言われたことにもなり、そこを見事に突かれた。言い訳無用。★ コマを漢字では『独楽』と書く、所詮 一人遊びの範疇ということか!
 御葬儀で斎場に行く間の短い時間、送迎してくれるタクシーの運転手さんと私は良く話をする。昨日もタクシーに乗ったらカーラジオがかかっていて今の政治やマスコミ報道のことを出演者がズバズバ批判していた。「それ誰ですか?」「うーとね 954だから なに放送かな~」「最近ズバリ言う人がいなくなったな~。何かに遠慮しているのかねえ?」「多分そうだわな。過激発言だと司会を降ろされ交代してしまうことが良く起こるし。」「これっておかしいよな~」 とりとめない雑談。 キラワレ者で結構、歯に衣着せずでいくんだ・・・・のタイプが減りましたねで話は終わった。
 決まり事が多くてガンジ搦め、息苦しく感じている人って多いんじゃ~なかろうか? 最近よく見かけるのは、失言を直ぐに謝罪訂正する輩、男なら自分で言った事に責任を持ちなさいって言うんだよ。まったく。
 コマみたいに生きて・・・・と私を言った方も 自分が誰かにそんな風に言われているんじゃーないだろうか? そう思うと その人を身近に感じた。ズバリと言ってくれる人ほど その言葉の裏に温かみを感じたりするもの、その逆のタイプを私はどうしても好きになれない。胡散臭く感じてしまう。
 コマで思い出した。アイススケートの男子で羽生さんは有名だ、彼より若い宇野選手が初めて4回転フリップを成功させた。まだ18歳の若さ。インタビューでの一言一句、実に爽やか、奢る所は微塵もない。
 ここのところ有名スポーツ選手の不祥事や事件が目立ったが、一方では確実に世代交代が進んでいるから嬉しいニュースです。熊本の人達が前向きに頑張っている。熊本出身のスポーツ選手が大活躍、これは自分ができることで被災された方々に何かの手助けになればという思いがそうさせているような気がします。
 今回の熊本地震の余震回数が800回を超えた。後片付けが始められない状況が今も続く。
  
 ☆ やはり そうでした。「福祉さんも そうじゃないですか?」というメールを今朝頂戴した。なんとボルネオに20年以上住んでいるNさんが 自らの性分だからと諦め覚悟したと自らをコマに例える。
 ・・・・いま日本社会が一番必要としているのは、一人ひとりの個人が、みずからの人生の責任ある当事者として生きることではなかろうか(p23)・・・・ニーズを持ったとき、人は誰でも当事者になる。ニーズを満たすのがサービスなら、当事者とはサービスのエンドユーザー(end-user)のことである(p2)『「当事者主権」:岩波新書』 
 いずれ終幕を迎えるなら そうそう ああだこうだ言う前に やるべきことが必ずあるはず、先ず見せ掛け大尽を凝りもせず 演じるのはこの辺で止めにして人間の幸せとは何かを 膝突合せもっともっと語り合うべきと思いますよ。競争で生き残るためにと 偽装までして 日本が世界に誇るトップ企業がまたしても 道を踏み外す。一企業の問題ではありませんよ。参照→パターナリズム。

2930:一人相撲

 連日20度を超す陽気になって周りの草木は勢いよく葉をひろげています。四季の移り変わりは、人の気持ちを和ませ、生きているという実感を持たせてくれる。いま丁度 観音寺の鐘がなった。朝6時、一突きだけ、遠慮されているのか、それでも冬の真っ暗な時間とは違って、大きな音がします。
 これからは、時間があれば草刈をします。境内や施設の至る所が草で覆われ、居ても立ってもいられず、軽トラックに積み込んだ作業道具を取り出して、気の向く儘の一人相撲、有難いことに スタッフやメンバーたちが手を貸してくれるのが 唯一の喜び?  先日救急搬送されたKさんが 一輪車を押して草取りしていた。「あああ・・元気になった! ほんとうに良かったな~」と声をかけたら知らぬ顔、草刈機の手真似で命令するNさんは、「一緒にやるべ~ヨ」と声かけると逃げていく。
 恐らく、彼らは・・・珍しく草取りして いま~に 見てろ、直ぐ飽きるから・・・・と私のことを観ているに違いなし。何でも普段からの手入れが大切とおもう、燃料 OK 天気は最高 長靴 OK ・・・・が エンジンかからず。
  一人相撲・・・・相手にかまわず 自分だけ気張って事をすること。 仕事も遊びも 健康も  普段が大事・・・・・ここんとこ 買え置きのシップの減る早さが増している。
 辛し入り 温シップ 効き目は良いが 風呂に入って 阿鼻叫喚   
 ☆ ちょっと気になること。なんと言うのか場の”空気”を感じる能力が弱くなっているのではないだろうか?コミュニケーションの手段としてスマホや携帯が急速に普及した、だが待てよ!相手が見えない中で情報だけが独り歩き、だからでしょうか 会議等で「なに? ここで話すことじゃ~ねえだろうよ」という場面に良く出くわす。これは こんな事を言ったら相手がどう想うか?という配慮ツールが小さいこと、相手が気にしない人ならば良かろうが、あれよあれよと伝搬し、飛躍した話になっても後のまつり。一人相撲 独り歩き 独り善がり・・・・・便利さと孤独感に相関関係はありますね。


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