究172

  

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2951  福祉の哲学  6/19   2956 無題Ⅰ  7/5 2961  ひと休み   7/21  2966 盆踊り  8/5   
2952  解かり合う  6/23   2957 無題Ⅱ   7/8 2962 記念誌完成   7/24  2967 不言実行 8/9   
2953  国民の意志  6/25   2958 急いては事を~   7/11 2963 衝撃   7/27  2968 生存率  8/10  スナップ 
2954  選挙 6/29   2959 挫けない   7/14  2964 背くらべ   7/31  2969 精霊流し  8/14  
2955  文月  7/1   2960 ハード&ソフト   7/18 2965 葉月への   8/2  2970 日本の美徳  8/16  

2951:福祉の哲学

 

 仏教の言葉に喜捨というものがあります。その意味は”喜んで財宝を施し、身を献げる”こと、そして喜びが内に満ちれば自らを他者に与えることと解釈できる。『福祉の哲学』という阿部志郎氏の本の冒頭に書かれてあった。キリスト教の教えを実践の思想的根拠とされている阿部氏は、自分と他者とのふれあいを通して共存しようとしてきた実践家、哲学=「魂の世話」(プラトン)の考えを書の中で触れている。
 私は仏教社会事業を生涯のテーマとしてきたつもり、だが正直な今の気持ちは慚愧に堪えない。慈悲とか愛という言葉が 何故か虚しく響くのだ。福祉は思惟的な観念の世界ではなく、実際の行動であるべきで、現に目の前に存在すること(ニード)に どう自らがかかわるかということである。
 時流に乗り遅れることに必要以上の神経をすり減らし、己の居場所が無くなるかの如き不安を多くの現代人が持っています。 老若男女、立場や身分、そんな事に無関係に夜陰が蓋い被さる。
 私はたった1年間だけだったが、福祉を志す学生の前で福祉原論を教えたことがある。何を語ったかは全く記憶無し。あれから20年が経ち、今日のように福祉や介護の現場で人材確保が最大の問題となるなどとは想像もしていなかった。辞めた理由は聞きかじって得た知識や碩学の哲理(?)を若者の前で大層らしく話すことに 自分自身が許せなかったからである。今になって高齢化や少子化の問題を取り上げるのは如何なものか!当時、今起こっている現実を具体的にイメージし、それへの備えをどうすべきかという肝心な事を避けていたからだと思っている。その時と今が 私の気持ちに殆ど変化がない。
 福祉の仕事に終わりはない。今の偽らざる心境だ。これを負担と思うか否かは人それぞれだし、問題はそんな簡単な事ではない。苦労をさせず何不自由なく育った人間は 壁にぶち当たるとそれを乗り越えようとせず、仕事を簡単に辞めたり 引き籠って 社会との繋がりを遮断してしまいがちだ。そのような人間が増えてしまえば 結果は明らか「魂の世話」など出来る筈が無かろうよ。国は社会保障(?)という枠で支えようとするが、目先の一時凌ぎの議論では何も解決しない。ハッキリ言って 支援する側の問題解決に本気になって取り組んでいないのです。今回で2951回目となる独白を恥も外聞もなく続けている意味は ここにある。世を憂い 不満を連ねていい加減にしろ!それで何が変わる!と自問自答し トボトボと歩いていくことしかできまい。
 「権利」と「義務」の議論ほど難しく、双方の齟齬が起こるのは今のこの国の在り方に原因あると思っている。「豊かさ」の裏に潜む闇の部分、その事への直視を避け、何がなんだか判らない議論を続けるのは、格差の拡大を助長こそすれ肝心な問題が余計深刻化する。 キイ操作一つで株取引、その結果に一喜一憂し、やれ 経済が上向きだとか弱含みだとかいつまで続けるつもりでしょう。それを強引に 国策とリンクさせるから 最早、本来の姿とは偉く離れた議論となっている。
 福祉は人間の幸せを担保とした営み、その実態をお得意の経済指標で説明できますか?既に債務不履行の状況になっているにも関わらず 相も変わらず 現実直視を避け揚げ足取りが罷り通る。岩下壮一氏(カトリック司祭:哲学者)が「生きた哲学は現実を理解しうるものでなければならない」と語ったという。一方明治以降の仏教界においても”魂の世話”に取り組んだ先人がいた。
 ただ、思いを堂々と世に訴え実践を広めるようとする仏教人は然程多くは無い。陰徳や知足の考えを宗とし、社会的な活動に自ら飛び込む・・・・・・・これは自己矛盾ではなく 本来のあるべき姿ではなかろうか!!!!!
 ● 人間の生きてきた実感は朝靄が立ち込め徐々に視界が開けていく・・・・そのようなイメージなのかと思うのです。朝から雲一つなく、晴れ渡る日は逆に不安となり 居心地良いとは言えないのでは?全てが見通せることは有りえない、 何か今の日本は それを求め過ぎているように感じます。アスファルトとコンクリートで人工的にできた街、昭和30年代後半~40年代にかけ日本人は疑うことなく 開発の手を津々浦々に延ばし、活況を呈した。 その象徴的イベントが1964年(昭和39年)10月10日開催の東京オリンピックであった。2020年に同じ東京で開催予定のオリンピック、その間には56年の歳月が経っている。
 灼熱の太陽に向け花開く ヒマワリ  それとも 朝露を葉いっぱいに受け 花を咲かせる あじさい  漢字では向日葵 or 紫陽花。 日本には どちらの花も咲かせる自然がある。気のせいか 今年はアジサイの花が自棄に鮮やかに思えてしまう。

2952:解かり合う

 達成感! 昔山登りをしていた時、重い荷を担ぎながら どうして山などに登るのかと思ったことが良くあった。それも道なき尾根を藪コキしてまで・・・・・・・。あの当時本州の山にクマが出るなど想像だにしていなかった。今年は山でクマに襲われ亡くなった人が例年になく多いそうだ。最近は暇さえあれば草刈を行っている。雨の後などよく”ムカデ”を見かける。これは歓迎できない、瞬時に身構え 噛まれる恐怖が脳裏を走る。それと田んぼの畦道 今の時期ノンビリ散歩という訳には参りません。蛇との遭遇 だから 小枝を持ち地面を叩きながら歩く。怖いのはマムシ、農家の人たちは長靴を履く、これは マムシ対策、・・・・・・・長靴はいてウオーキング、これも様になりません。
 此方からすれば身を守るため、しかし、相手からすれば何も人を襲うためではない。斯様に”解かり合う”ということが なんとも難しく複雑に成り過ぎた感は否めない。
 そんな事を考えていたら 眠くなる。 眠くなれば早寝して目が覚めれば枕元でPC操作、だから首が痛くなり、肩もこる。わかっちゃーいるけど やめられず。
 3日間連続で高速道路を運転、陽気が良くなり、大型バイクを連ねツーリングの人が増えている。危ないと思う場面に良くぶち当たる。追い越し車線など関係なく右左と自由に追い抜いていく。これって規制できないのだろうか? 恐らく バイク好きには それが爽快で 楽しみなんだろうよ。6月に 今までだいぶ我慢してきた芝刈りを解禁し、今月は公休日に何度か誘われた。いつもなら天気に見放され、計画倒れで中止も止むを得ずというのが結構あって その無念さは 後々効いてくる。久しぶりに先日好天の下で行えた、それが30度を超える猛暑となり、水分補給に気を付けプレーしたが 結果は上出来 久しぶりでの達成感。
 机越しに 顔向き合わせ ああだこうだの議論など やっても無駄、その時思った。この人の為ならイッチョウがんばっぺー。それが”判り合う”ということかも・・・・ね。
 
 ●ヘソ曲げて 大見栄きって 意見のべ その後味悪さは 天下一品    会議中 机の下でメールの送信 これでわな~ ああ・・・・いやだ! 早く帰って寝たくなる。
  支離滅裂 行き当たりバッタリ 今日は何をやったか 記憶なし これって 病的? それとも 性分?
  本日 往復はがきを買う予定、800枚、そろそろお寺モードに切り替えて 7月8月に粗相が無きよう 準備する。

2953:国民の意志

 英国がEUから離脱する結果が出た。国民投票によるもの、投票率約72%有権者の内で3260万人が自らの意志を票に託した。国が二分され、その差は126万票、大差か僅差か、離脱or残留は最後まで判らず、日本では考えられない大激戦だったと言える。(東京都知事選2014年、投票率46%で史上3番目の低い数字だった。その結末は、4年間で3回の知事選、そして、連続任期途中での選挙となる。東京都の予算はカナダやスウエーデンと同じ予算規模)
 英国は今、ウエールズ・スコットランド・北アイルランドとの連合王国で嘗て世界を股にかけた大英帝国、EU発足時、他の加盟国が大陸で英国は島国、微妙な違いは最初からあったと聞く、ドイツとフランスが目立つ割に、EU内での英国の存在や役割に国民の不満はあった。今回の結果を誰が予想しただろうか?リーマンショック級の出来事が起これば消費税の10%への引き上げを先へ伸ばすと 日本は参議院選挙に突入!その読みが見事(?)に当たった。しかし、今の状況が想定内だったのか否か?日本の場合、どちらにしても有権者の意志は充分に投票に反映されず、近年の選挙は軒並み低投票率で行われている。竹の子の如く次々に生まれる政党、これも選挙への関心が低調な原因であることは間違いない。それよりも何よりも公約への不信感がどうしようもない処まできてしまった。キャメロン首相が直ぐに記者会見で今回の結果の責任をとり辞任を発表、これをみて、あっぱれと感じた日本人が大半ではないだろうか!言い訳をせず、自らの公約が果たせなかった政治家としての身の処し方を学んで欲しいものである。
 昨日のニュースは英国でのEU離脱一色となった。世界同時株安、それと日本は円高というダブルパンチ、政府や日銀はそれに対応すべく手を打つと公言、果たして有効な策があるのでしょうか?
 昨日は横浜で会議があり、夜、茨城の連中で交流会を行った。40名近い人数が元町・中華街の店に現地集合、予定時間をオーバーしても各テーブルは話で盛り上がった。タクシーを拾ってホテルに戻る。その時の運転手さんの話、地方と比べて賑やかだと私がいうと、ハッキリと否定した。「まったくダメですよ。私は夜の8時から仕事、朝まで乗務し、昼間寝る。この生活を長く続けています。昼間は渋滞で走れない。東京に出れば往復3時間かかるんですよ。」店からホテルまでメーターは丁度1000円だった。
 横浜での会議は全国から施設長が集まる年1回のもの、社会福祉法改正後の動きに関心が高まる人たちは、いつもとはどこか違っていた。私は 正直言って同じ話を何度も聞いてきた。その先を知りたいのだけれど、それが出来ない訳があるらしい。翌日の分科会は、またしても寺の仕事が急に入り、出ずに戻ることになってしまった。部厚い資料を帰りの電車の中で読んだ、準備された事務局の苦労には敬意を払いたいが・・・・・・
 この国が財政的に持つのだろうか?という疑問に答えるものは何も見つからない。市場を万能とみる社会、その弊害は格差・不平等・貧困・医療・教育の荒廃etcという形で現われる。幻の経済の豊かさ、それへの過剰な期待感、そして人間の理性の限界を見据えた諸々の誘惑、・・・・・。福祉の業界も同様にその事を忘れている。否、そんな事を言ったら お前は時代遅れだと除け者扱いされるのが落ちだ・・・・それを確信できたというのが貴重な時間と高い研修料への対価であった。
 どこの誰かは思い出せないが、コミットメント(使命感)とシンパシイ(共感)を失ったものは 一時的な繁栄を獲たとしても あっという間に奈落の底におちる。落ちて解かれば良いが、それも他人の所為にする・・・・・・
  
 ● 日本人には 使命感や共感を貨幣経済の中に組み込むことに抵抗を感じる人がまだいると思う。しかし、”結(ゆい)”や”普請””隣組”という互助の繋がりを大事と思う人達が激減、それとは別次元での仕組みを外国から取り入れた。近代化と共に変化してきた事は人との繋がりを面倒だと思う人間の増加、必要なものを手に入れる為にはお金を介在させることを当然とした。それを”個の自由”という言葉に置き換え、お得意のGDPという指標で測ろうとした。 それに枠外の結や絆という概念はネット文化の拡大に合わせ消え”思いやり”や”助け合い”に無縁な社会となっている。
 戦後70年の積み上げは ある意味では堅固で堆く、それをどこから崩す(修正)か皆目見当がつかない。それより 将来に対し 青写真を描くことさえできなくなり、今さえ良ければ満足という考えになってしまっていないだろうか。
  高齢化や少子化の問題は、戦後 期せずして起こったことではない。トップランナーを続ける呪縛に疲れた日本人、運よく巨額の富と地位を得た者たちとの格差、そこには不平と不安が増殖する。
 福祉は人々を支える仕組みである。それを何を勘違いしたのか各自が自分達の良い様に解釈し、『お金』により縛られる社会を選んだと言えまいか。 その結果 返すに返せない国の借金を積み上げ、その責任を誰も取ろうとしない社会を是としたのである。 そして最終的には 国民の意志によって このような結果になったという判物が配られる。*ハイパーインフレ
 ● 政官財学の箍の緩みを、もし土光敏夫さんが今も健在であれば どう思うだろうか? 無私:清貧:怒号・・・の人。方や金権・利権・粉飾・言い訳を得意とする人は、捨てるほどいる。IHIや東芝の企業トップとして戦後の復興にあたり、公的には経団連会長や臨調会長の要職勤めた。「改革は政府任せでなく、国民運動を・・・・」と国民一人ひとりの意志を尊重し徹底した平等主義を貫く。
 物言えぬ財界人ばかりでは無いだろうが、確たる信念を通すリーダーが????。無私や清貧という言葉をウイルスと認知し、弾いてしまうPCでは、グローバル化社会の中で 正確な情報を掴むことはできませんよ。
・・・・メザシは好きだから 食べているだけ・・・・・・このままでは日本は破産してしまう・・・・ この言葉に 私は何かヒントがあるような気がしてなりません。  *「清貧と復興  土光敏夫 100の言葉」文芸春秋:出町 譲著

2954:選挙

日本は 参議院定数242人の半数を3年ごとに行う通常選挙の最中という割に、どうも盛り上がりに欠けているように思えます。衆議院と比べ 区域が広く、定数見直し後により2県で一人という所もできた。誤解をしない為に10増10減という改正ですから、参議院定数全体では変更は無かった。今回は選挙権が18歳以上からになって初めての国政選挙 、さーて どなたを国会に送ろうか?余談ですが、今までどこの選挙区から出馬すると有利かなどの調整が今までにあったような気がするのですが。できれば当選の可能性は大きい程良い訳でしょうから。本当は地元と強い繋がりがある方が選ばれるのが理想です。
 英国では EU離脱か否かの国民投票が行われ 離脱派が勝ったばかりなのに、再投票を求める人々が増えているとか???? 
 私は 今年一年 地域の班長になった。地域と言っても21軒しか無いから、問題にならない。・・・・・が、誰も班長になりたくない。そこで 順番性で選ぶことになり その順番が21年目にして廻ってきた。国会議員や地方議員には、なりたい人が減らない? PTAや地域の役員には なりたい人は減る一方。これは一体どういうことなのかね。やってみなければ分かるまいと言われたから渋々引き受けた。前任者が丁寧に教えてくれたから どうにかやっていられるが 既にチョンボは何回かやってしまった。
 恐らく 文句は言われるが 良い事など殆どない。苦情処理担当だと割り切れば良いのだろうが そうは問屋が卸さない。今日で班長就任3カ月が過ぎる。
そうそう 今度は社会福祉法人の理事や評議員の改正を国が決めた。ガバナンスの強化とか言って最初何を言っているのか判らなかった。組織の意思決定と合意形成の仕組みを今より強化し、責任を明確にするという。
 何故 今頃になって? もう 耳にタコができる位 あちこちで聞いてきたから ・・・・・・。 現実には規制の緩和と強化が入り混じり 目指す方向がボヤケテしまった。そう感じているのは私だけでは無いでしょう。
 閃いた言葉・・・・・信義則(しんぎそく)・・・・これは信義誠実の原則の略称。私法上、権利の行使や義務の履行にあたって、社会生活を営む者として、相手方の信頼や期待を裏切らないように誠意をもって行動することを求める法理。なんだい なんだい。言っていることとやっていることが一致しているかと言うことだっつぺー?
 貴方が もし社会生活を営む者では無いというのであれば これはもう話は別になる。
 ● 若者よ! 立ち上がれ!
 戦後の団塊世代の孫が生まれる時代になった。孫は可愛いというが 確かにそう思いますね。目を細くして ヨチヨチ歩きの幼児の後を追う・・・・そんな姿を見かけると 平和の大切さを強く感じます。
 またしても トルコの国際空港で自爆テロが起こった。年間6000万人が利用するヨーロッパのハブ空港、どんなに警備を厳重にしても防げない、憎しみや恨みへの報復は どうすれば無くなるのだろうか テロの首謀者を特定し そこに攻撃を加える そこで また新たな憎しみが生まれる。無差別殺戮には ルールなどない。
 従来の国の形とは違い、民族、宗教、思想・・・という枠では最早括ることができない状況に打つ手があるのだろうか?  15年程まえに買った文庫本『市場主義の終焉』佐和隆光著に書かれた内容は まさに予言の通りに世界が進んでいると思う。米ソの冷戦時代が終わって 社会主義国家が形を変え数を減じて 今に至る。一方の民主主義国家は 本来彼らが標榜した姿とは 大分趣が異なり、数の論理による横暴さが目立つ。何故に偏り過ぎるのか? 
 老人よ! 這い上がれ! 古き良き時代を懐かしんでなどいられまい 新しき良き時代を若者と共に考え作り出そうではないか。8月になると66歳 まだ 老境に入るには ・・・・・・?
  

2955:文月

 今日より7月・・文月です。今年は蝉が鳴くのが早いと思っていたら なんてことはない耳鳴りでした。梅雨の最中、どんよりした雲、九州での大雨、熊本の地震がまだ続いている中で不安な毎日を送っておられる人達が大勢いらっしゃる。 茨城も5年前の東日本大震災(2011・3・11)で大きな被害をうけた。その復興の最中に今度は常総市の傍を流れる鬼怒川の堤防が大雨により決壊、約2か月間 ボランテア活動に県内の施設仲間がスタッフを派遣してくれた。
 国内だけでなく 世界中で様々な事が起こっています。それらのニュースは瞬時に入ってくる。余りにも便利になり過ぎた弊害(?)、それは人間の頭での理解の限界を超える情報量とスピード、だから未解決の事案がうず高く積まれ、その重圧に必死に耐えている。大昔 狼煙をあげて通信手段とした時代にまで遡れとは言わないが、溢れんばかりの情報の遮断を試みても無理な時代となりました。
 PーDーCーAなる手法は、時代遅れ?? 何せチェックができず 必要でないことも続け、使わないものまで貯め込む。時流に乗ることを考えるより、どうしたら流されないでいられるかを考えるべきだと私は思う。
 7月8日に厚労省は各県の担当者会議を行うようだ。法改正後、その事務手続きや変更の説明を行う。これってどうなんだろう? 次々に見直しを行うのは良しとして 何の為にという肝心な事がやればやるほどボヤケテしまいませんかね。
 ドンドン細かくなり複雑になり、使い辛く判りにくい。これが また 変化のスピードが速すぎるときている。現場はその対応を考えるとため息ばかり、小さな政府を目指したのは過去のこと、ドンドン大きくなって、それを維持するために更なる借金を積み上げる。これを本末転倒・右顧左眄(うこさべん)・風声鶴唳(ふうせいかくれい)・・・・といったら礼を失するか?
 文月・・・季節の挨拶事例集にあった・・・・垣根の朝顔も咲き始め~    と。 ああああ・・・日本の良き文化 情趣は 姿消し 残りし制度に雁字を搦め これぞ 叡智を集め 築いた牙城と 誰が謂う
 
 ● 天は我を見捨てたか!  性懲りも無く 駄弁を弄し 煩わせるから 我に天罰
  草取りを夢中でやった。 そして 植木鉢を持ち上げようとした 瞬間 ≪ギク・・・・≫ あっ やってしまった。暫く その恰好で動けない。 ギックリ腰!急性腰痛症、欧米では「魔女の一撃」ともいう。
   誰かに文句を言える訳でも無く  ただただ 残念で 痛みに堪え とうとう病院へ  そこに偶然 往診から戻った名物院長とバッタリ鉢合わせ なに どうしたの??? ギックリ・・・ 明らかに笑った。 住田さんも 近づいたな!   へへへへ。・・・・ 何に近づいた(激怒)   すると いつもの看護師が 「あーれ院長が喜んでいる」とまた笑った。一年前 まったく同じ症状で 注射を打たれた。頂いたコルセットを反対に付けて その時も そうだ 二人に笑われた。
  異議あり! 問題発言。
 ○ 時間にリセットがかかればOK! あの時こうしていれば良かった・・・・・が 後の祭。窓ガラスに写る杖姿は、明らかに前日の私とは違った。
  社福への世間の厳しい眼、それは身から出た錆で 某到達点(?)に至るプロセスと考えるべし、地域移行を進められ通勤寮を作った当時にタイムスリップ、通勤寮10年経過、やっと軌道に乗り始めたと思った時、国は通勤寮を廃止、GHへの移行に切り替える。GHやCHを次々に作った、9カ所、重度の方のGH、不安がる家族にスタッフが説得、試しにやってみてそれで良かったら決めましょう! 9割以上の人達は、言葉でなく 動作や表情でOKの意思表示。そして、またもや 制度変更・・・・・。
 結局、時流に乗り遅れない為、情報をいち早く得て先行投資、・・・・・。そうやってきたから気が付いた事がある。なんだい今から60年前の尚恵の姿ではないか!確かに違うことはあります。古材を集めて作った建物が合法の建物に変わった。でも 変わらないものがある。それは スタッフの思い・・・・。当時はご自身のお子さんも一緒にメンバー達との生活があった・・・・・ここから生まれた法人の目標”共生”を現在も掲げる。
 これから先の日本を思うと 決して楽観はできまい。できれば トボトボで良い。地域の人達の支えを感じながら感謝と報恩の展開をはかりたい。

2956:無題Ⅰ

 経営&運営、その基本は”ひと”、それぞれが規模の大小、業種に関係なく、いかに事業の目的を達成するか? グローバル化がドンドン進む中で国家観に変化がうまれる、・・・が、いつの時代においても”経世済民”→『経済』「economy」! 理想と現実の狭間にあって 統治する者される者、双方に悩み苦しむことは避けられぬ。グローバル化とは、様々な分野において 国の垣根を超え地球規模での資本や情報の遣り取りが行われること、これは情報技術(IT)革新の進展が影響していると言われる。最早、その是非を論じて後戻りすることなどできまい。
 私達は、過去にJICAによる 外国の人達の研修視察を受け入れた。正直 学ぶことなどないのにという思いがあったが、熱心にメモを取る方を見て、説明に力が入った。それと、ODA(政府開発援助)など、発展途上国へ日本の企業などが人を送る。今回、バングラデッシュで起こった事件は偶発的なものか、それとも日本人を狙った犯行か?
 世界情勢が混沌としている中で、日本人が現地に赴き、相手国の要望に対応し活動することにリスクもある。できれば 平和な世になり、国家間での人的な交流が生まれ、お互いに学びあう関係が生まれればそれに越したことはあるまい。  
 ● 昨日、3年ほど前から、病と闘ってきたYさんが、病院で亡くなった。彼が尚恵学園に入所してきたのが56年前、7歳になる頃だった。両親は既に亡くなり、実家はお兄さんが守っている。その日の午後私は自宅を訪れた。彼は仏壇のある奥座敷に寝かされていた。
 享年65歳、私とは1つ違う。病院から家に帰る前に学園に立ち寄り 一緒に暮らした仲間達とお別れをした。一人ひとりがYさんの死を受け止める、大声を出し泣くもの、手を合わせ項垂れるもの 走り出してしまうもの。
 「日本という国の経済は一流だが、その他の面はとても「大国」というに値しない」これは1980年代に好景気に有頂天の日本を評した『経済大国』への異名だという。それじゃー「その他」とは何か? その答え捜しをずっとやってきたはず、自由競争のルールを取り入れ優勝劣敗は当然と考える人が増えていないだろうか? 競争での敗者を「排除」する力学がその内に孕んでいるという指摘、極論すれば「まやかしの豊かさ」(?)と真正面から立ち向かう覚悟が問われる。誰もが幸せに暮らせる社会を目指すという公約どおり そこに向かって進もうとしているだろうか? 
 この国に果たして真の福祉を語れるものがいるだろうか? (NHK:BS103「アウクスブルク」)を見ていて そんな気になった。自らを振り返る。彼が尚恵学園に入所してきた時私は10歳になっていなかった。その後の歩みを思うと辛い。本当に・・・・・?という事を彼に確かめる勇気を持たず今に至ったことを認めざるを得ない。

2957:無題Ⅱ

 昨夜の通夜は満101歳で逝去されたお婆ちゃん、5年前に自宅で転び骨折するまで元気に過ごしていたという。遺影を見つめながら経を読んだ。正直 複雑な思いになりました。Yさん(前項)の通夜は菩提寺の関係で3日後、10日になった。
 アウクスブルク(前項)の街巡りのTV番組の感想、ドイツ・バイエルン州の主要都市、歴史も古くローマ時代(紀元前)へ遡る、現在の人口は約28万人でチュービンゲンと同じく大学の街でもある。驚いたのは”世界初の社会福祉住宅フッゲライ”というものがあるという事。ネットで調べた。16c頃、ヨーロッパの代表的な大富豪フッガー家が低所得者の為に建てた住宅、500年以上経った今でも創設時と同額の家賃で現在のユーロで0.88ユーロ(約100円/月)で住めるという。
 ドイツには地震がないそうだが、2度の世界大戦を経験し壊滅的な被害を受けた。それにもかかわらず、築500年の家に今も住み続け家賃はそのままとは。全く 日本にいると想像もできない。
 その日本では 社福の改革と称し、社会貢献をせよ!と号令をかけた。 ??????何か変だよな。本来、社会福祉法人って何の為に作られたの?社会への貢献を別メニューで用意しなさいということ? よもや”フッガー財団”のような事をしなさいとは考えてはいないでしょうね。
 低所得者への支援を行うべし、だが具体的な内容は全く示されず、あんた達が自分で考えな!と突き放す。これもまた 妙です。月の家賃100円で住宅を提供しますか?できますか? この国は法事国家、立憲主義+市場主義を旨とする。されど、そんなことをしたらアパート経営組合(?)からクレームが出るんじゃありませんか。
 この棲み分けのチグハグサ、決断と覚悟更に言えば一貫性の欠如、それでいて 実にご立派な事をPR、複雑な思いになりますよ。競争により 全てが効率的で内容が向上するとは限るまい。
 具体的な例を示しましょう。サービスの一つに移動支援という事業があります。これを 有料でできる仕組みにしたのです。ただ、事業の認可をとり、定款に載せる必要がある。利用されている方が病院へ通院する時や事業所への送迎を利用者負担にした。 しかし、無償で行っている我々の所はお咎めも別に無く、普段通り無料の送迎車両を何台も出している。 結果、訳の分からない事業となっている次第であります。尚恵学園は、事業数としては少なく簡単明瞭と思う。それで良いじゃないの。それが 最近どういう訳か判らないが 細切れの仕組みや事業が目立ち過ぎませんか?これぞ良いサービスと勘違い。経営の先読みが上手な処では我が法人は現在事業数20本以上を行っておりまして・・・・エッヘン。そんな事言うんもんじゃないよ、まったく!
絵合わせパズルじゃあるまいし細切れ事業をくっ付けて、相手を一人の人間として見れないでしょうよね。判らんのかね~。事業+報酬という今の流れを どうにかしなければダメだ・・・・営利目的の福祉タクシーと社福の同じサービスを混同している。今の制度の矛盾はこの辺にあると思う。だから、あえて事業申請をしなかった。オカシイですか? 間違いでしょうか?将来 日本が社福を無くすという腹積もりなれば 話は違う。
 何か事故が有った時にどうする?という問題、それだって現在様々な保険に加入し、それへの対応はどこの社福も自己責任で行っています。
 日本には行政法というものがあり、「法律などにより決定された内容を実現することに関する活動」を行う行政府がオカシナ事になっておりませんか?行政にあたっている人達に私は同情します。立法・司法・行政の三権分立はタテマエ?、ソロソロその憲法解釈に何らかの変更があるんでしょうか?
 そうか!政務活動費?政党助成金?・・・・ウーム。この辺の改正に対しては どうなんでしょう。歯切れが極端に悪い、 言いたくなりますよ。  今日はこれにて閉幕。
 
 ● 一夜明けて 更に思いは強くなりました。介護離職ゼロを国策として挙げた。一方では 介護に絡む事件や悲劇は一向に後を絶たない。
 ソユーズの打ち上げ成功! 大西さんは元 ANAのパイロット、高度1万メートルから地球を見るのと 宇宙からこの地球を眺めるのでは 大分違うでしょう。宇宙飛行士の皆さんが挙って言うのは 青い地球の美しさ、それと夜の大都市の明かり・・・・・。地球上での悲劇は 資源争奪が大きな原因の一つであることを 疑うものはいない。寝静まった街に煌々と光る明かりをムダと考えるか否か。日本の目指す 豊かさへの妄執に 反省と後悔を明かさず 更なる豊かさ&便利さを追い求める ソユーズの乗組員は政治や思想に関係なく多国籍、何故 その事がもっと評価されず 悲劇を繰り替えすのでしょうか・・・・。
 ☆ 昨日、通院したスタッフからこんな報告を受けました。利用者さんの通院で病院にいたら 通所利用のTさんがお母さんとお姉さんに付き添われて来ていた。Tさんが診察を拒んで 待合室で大騒ぎ、それを見たドクターHが「こりゃー大変だろう。どれ 先に診てやるかー」と。何しろ体重が優に100㌔を超す体です。一般人で通所と入所、この辺の違いが判る人は実は少ない。 子育てや介護の問題も同じ 実際に自分が体験してみないと 本当の事は判らない。核家族を良しとした時代⇒マイホームの奨励、それだってGDPの数値を念頭にしたものではないのかな?建築費の助成や節税優遇策・・・・・・。結果 家族の絆や介護力が弱まった。そうではないと 貴方は反論できますか!!!!  天邪鬼の戯言と言われても私は決してやめない。
 ●二夜 明けて 考えた。今 誰しもが 自らの安心できる居場所を見つけることが困難な時代に生きているということではないでしょうか? それでいて”豊かさ”を 数字によって測ろうとしていませんか。それは どんな方法でも無理、 何故なら 他との比較によって そうであるように感じることで相対的なものでしかないからです。逆に 際限のない欲望にストップをかけられない状況を生んだ。だから”不確実””不安感”から決して抜け出せない。自業自得!あかの他人が二人いたとします。片方が満足し喜んでいる姿を一方の人間はどう感じるか? 妬みや憎しみは 外に向かった感情、失望や悲しみは内に向かった感情、その二人が永久に仲良しでいられるでしょうか! そんな事は有りえません。
 地球上で起こっている様々な出来事、身近に起こっている事だって同じ、その多くは この二人の感情から発していると思ってはいかがでしょう(人間の相)。曖昧さを排し、絶対なる確信など 有る筈がない。有ると信じている人がいたとすれば それは”驕り”でしか ありませんね。
 ☆ 僧侶の自分が、日常の檀務を通じ終章から その人の書いた自分史を読むと どうしても そんな風に感じてしまうのです。
 

2958:急いては事を~

 ・・・Haste makes  waste・・・・・”急いては事を仕損じる”
 走れば躓く危険が増す、判っていても 同じ過ちを繰り返すもの。
 ≪はじめは自分の楽しみのためにだけのギターでした。それがいつの間にか皆様の前でギターを奏でるようになっていました・・・・≫『夜霧のしのび逢い』クロードチアリのCDカバーより。♪♪・・私の大好きな演奏家、高校生の頃だったと思いますが、見よう見真似でギターを弾いた。誰かに聴かせたいとか思った事はなく、一人の時間を過ごすには最高のなぐさめだった。記憶はおぼろげですが、高校の文化祭に友達と二人でギターを弾いたことがあった。それだけが私とギターの晴れ舞台、そのギターは物置の棚奥に置かれたまま・・・・・・。
 今 振り返ると 全てが中途で投げ出し、モノにならなかった。野球・サッカー・山登り・釣り・・・・・これらは今では全くやらない。それを悔やんだりしない。時々 その時の仲間と会って昔話をする程度。
 面白い話を聞いた。何人か集まると自分より年上の人を探したくなるそうだ。頷ける。同級生が集まると どっちが年寄に見えるかが気になるそうだ。同感。誰だって急いで自分の人生を閉じたいとは思わない。
 これだけは続けていることがある。尚恵学園と神宮寺と観音寺でお世話になっている事である。我が儘な自分を暖かく受け入れてくれている。なんと感謝したらよいのだろう? 申し訳なさが先に浮かび、その恩に報わねばと思うが  実は実は そんなに簡単な事では無い。そこで 不図 思い出したのが ”急いては事を仕損じる”。
 今日は参議院選挙、私は3日前に期日前投票を済ませた。Haste  maked  waste !
 
● 密教の教えに『事教不二』というものがあります。事相(行い)と教相(教え)は一体であるという。(智行合一) さすれば 仏教の修行というものは、無限の時間をかけ一生を通じてなされるべきもの、・・・・が、空海は「即身成仏」を説いた。 
 真言僧侶として この命題にどう向き合うか? そうこうしている内に 早、齢は66歳を迎える。昨夜 享年65歳になった、Yさんの通夜に列席し、思った。彼が7歳になる前に尚恵学園に入所し(私は8歳)、爾来 56年という歳月を園ですごされた。男3人兄弟の真ん中と聞いている。私は弟さんと今まで一度も会ったことがなくて昨夜の通夜が初めて。お兄さんと話したのが、亡くなり自宅に帰ったYさんの枕元が初めてだった。彼にとって56年という年月は何だったのか? それを思うと自然と涙腺が緩む。
 優しかった両親は 大分前に世を去った。
 急いては事を仕損じる・・・・・・「事」とは一体なにを言う? 空海が「事」を行い(生きざま)と解した真意は、?。死んで花実が咲くものか・・・・Debt is better than death。【死ぬより借金】という俗っぽい言い回し。
 何故か彼の生きた65年を振り返ると 笑顔と戯れる姿だけが フィルターを透して見えてくる。それは 恐らくは そうあって欲しいという 此方側の願いかも知れぬ。
 
 ●夜が明けて 考えた。駐車場に停めた車内温度は36度C、茹だるような熱さ、荼毘の時間1時間40分と聞き、私はどこかに木陰でもないかと車を動かす。龍ヶ崎 特に斎場周辺には、日差しを避けれるような大きな木は殆どない。穀倉地帯だけに見渡す限りの水田、仕方なく また斎場に戻った。程無く 収骨のアナウス 親戚か地域の人達か 結構な人数がY の骨を拾った。
 夕方、中学時代の同級生4人と二人の快気祝いを兼ね蕎麦屋で会食、出てくる話は 体調のことと親のこと、4人とも幸い 元気なほうだから 深刻さはない。いずれ経験せねばならぬ 供養される側 それがいつの日か まだまだ先だと思っている。私も含め。
なかなか施餓鬼お盆モードに切り替えきかず。少々急いではとの声もするが ・・・・・・。 こんな時に なぜか じっくり構えてしまう。
 

2959:挫けない

 計画が頓挫するよりも 計画そのものを立てることが難しい。要は頭デッカチ人間が増えすぎた。それと 便利さを求め過ぎたツケ、そして それをお金で手に入れる仕組みを取り入れたもんだから いつになっても”不満足”。
 昔なれば 失敗を糧に苦境から脱し、自らの道を拓いた人物が語り継がれ、立志伝に名を連ねたものである。それが見事に変わったね~! 皆さん 小利口になって、だから 親子や家族の関係も変わった。良く言えば個人主義、アンタの好きなようにすれば・・・・。自分の苦労は子にさせたくない。そんな土壌に育てば結果は明らか 管理され 栄養を与えられ 即席に栽培された野菜みたいに もともとの味が判らない。その味を”個の尊厳”と考えたらどうなのよ? 日本は 良いとこ挙げれば 沢山あるでしょう。・・・・が そんな事を言っておれない現実を 余りにも軽視してはいませんか?ベールに包みこんで曖昧にし 常識ってなに?という判断が 出来難い。
 今の日本の特徴で 流行と衰退が際立つこと、微妙なサジ加減とか良い塩梅という言葉は消えた。何かが良いとなれば 一斉に飛びつき、ルール無視の競争社会、面倒な事は本能的に避け、思うようにならないと牙を剥く。
 何故 そうなってしまったか 実は皆さん何となく判っている。瞬時に手に入る情報、好きな物を好きな時間に届けてくれるサービス、義務と権利の履き違い、それら一括りにして当然のことと考えてしまう世の中は 果たして人間にとって良い事なのでありましょうか?
 頓挫とは 中途で行き詰って挫けること。これだって そうあって当然な社会になれば どうだろう? 出来ない理由を考える能力ばかりが強化され、その結果責任は問わない社会。都知事選の候補者選び、どうも3人に絞られた感もするが、実は10人以上の候補者が別にいらっしゃる。その人達は どう感じているのだろうか? 選挙に要する費用は物凄い。これら全てが税金、4年間に3人の知事が替わった東京、予算総額がカナダやスウエーデンと同規模とか? それにしてはどうも腑に落ちない 長く住んでみたいか否かの調査をしたら どちらに軍配が上がるかですわな。個人主義が進むと利己主義に!
 4日連続の葬儀、人生の終幕も実に様々、共通するのは ただ一つ、自宅葬でなく 全てが斎場にて行った。一人衣を着て 1時間ほどの時間を与えられ 式の執行 計画していた予定は 全てキャンセルし
住職としてのノルマを果たす。こう言ったら 恐らく不謹慎だと叱られるかもしれません。現実にそうなんだから仕方がない。寺の都合は二の次、斎場と火葬場の都合で一切が決められる時代になりました。
  夏場の体調の異変は足のむくみなどから判るとか、医学的にみると 毛細血管が弱まり血液循環がうまくいかなくなった状態だという。 それを改善する方法があるとか 食事? アルコール?運動?
 答えは幼稚園の園児が教えてくれるとか   それは スキップを20回 朝昼晩に一日三回行う事で飛躍的に改善するという。誰しも 自分の体調には関心があるでしょうから 騙されたと思ってやってみてはどうでしょう。
 何も高い費用を掛けずとも 普段の工夫次第で簡単にできること それは体一つで昔の人がやっていた生きる智慧、 浪費グセが身に付いた現代人には頭をリセットし よーくお考えになったら如何でしょう。以上。  
 
 ● 昨日は大宮で関東大会があり、葬儀を終えてから電車で向かった。6時ちょと前に会場に着き、円卓を囲んだ交流会には間に合った、昔の知人と顔を合わせると不思議と強く握手した。どんな強がりを言ってもお互いの苦労が痛いほど判るから、言葉を交わす必要もない・・・・・。翌朝は早めに起きだし、大宮の街を散歩した。もう40年も前になるが 16号を車で走ると土浦から3時間かかった。それが今は実に便利となり、高速道路が縦横に走って、電車より車で来た方が早く着ける。埼玉新都心?大宮から浦和にかけて 高層ビルが立ち並ぶ、この風景は茨城にはない。しかし 表通りから一歩中に入れば昔の面影は今も残っている。都心から電車で30分、まさに副都心に相応しく 朝の人通りは東京と何等変わらない。
 大会テーマ ” 支援をつなぐ 未来につなぐ~ネットワークの構築から生まれる可能性を考えませんか?~  900名近い参加者を迎えた大会、私は部分的な参加だったので 正直 参加者の満足度は判らない。ただ 若い人達が多く準備に関わり 検討を重ねて開催に漕ぎ着けた その事は素晴らしい。これから この仕事を支えていく人達 その充実が 法改正以前に最大の課題であることに間違いない。急に3年前の茨城大会の事を思いだし 自然とお疲れ様という言葉になりました。
 ● 夕方、再入院したTさんの病室に顔出した。午後6時から家政婦さんが来てくれると聞いたから。Tさんは 病棟の看護師さんたちから とても人気があるようだと聞いてホットした。

 ☆ 失敗をしたって 良いじゃないか そんな知ったかブリしてお利口さんにならんでも 良いよ  心から 笑えることのほうが 福祉は 受け入れる この国の福祉を勘違い もともと”緩衝材”だったはずなのに 主役を演じようと脇役を押しのけ 闊歩する だから みんなが皆 息苦しさから 出られない 私は そんな風に感じてしまいます。
 差別解消と言いながら もともと人間には 相手を差別するサガ(根)がある。 仏教でいう処の ”三毒”。
 だからでしょう。緩衝材がどうしても 必要になるのは・・・・・。あと二週間で 施餓鬼 やっと 寺モードになってきましたよ。
  

2960:ハード&ソフト

 『・・・・・税金を使う仕事の厳しさを自覚しなければなりません。が、それに相応するソフトがないために苦労しています・・・・」 某大型法人のトップとのメール遣り取りに書かれてあった。社福だけで年間予算90億円という尚恵学園とは別世界の社福法人の理事長と縁ができ お互い好きなことを書き送る。★ハード面とは 「規模や目的にかかわらずに、人間が作り出した、製品や構造面などの物理的な「物体」面のこと。(例として、何故に法隆寺が千年以上持ちこたえたか。これは 木の特性を知り尽くした職人がいたからこそできること) ソフト面とは「製品・商品・構造体などが、使用・利用者側の利便性・運営面について、好ましい『対人間性』面を考慮すること。(ベストアンサーより)
 経済活動を見ると ハードとソフトのバランスの大切さを痛感します。物が溢れ、大切に使うという考えが薄れ、利便性という目的を満たすため使い捨てが流行った。その結果 毎日集積されるゴミの山、その処分に大量の2酸化炭素を排出し、地球環境を悪化する。体調を崩し、先進国の全ての国が背負うことになった高額な医療費、利便性をどこまで追求すれば満足するのか 結果 好ましからぬ状況に至り立ち尽くす。御用学者の視点は その事が”付加価値”を産み出すとみる。負の価値という相対的な視座はあまり持たない人達だ。
  選挙になれば アイツは何色だ?とか言って品定め、これなど島国ニッポンのソフト面での世界遺産物ですよ。G7だかG20だか判りませんが そこで何を語り どう取り決めるのか???今までに 決定されたことが守られたでしょうか。
 三毒で一番の問題は痴(ち)、愚痴の痴。これだって偏った理解しかされていない。本来は「あろかなこと」と「智慧のあること」両面をいう。この国は今もって知識偏重の教育を強化する。愚と痴は表裏一体だと 何故わからない?
 日本が国連の障害者権利条約をやっと批准した。何番目かご存知ですか? 世界で141番目ですよ。ウーム!
 やっと 最近になって私は同じ思いでいる人達を知るようになってきました。”原点回帰”を茨城大会のメーンテーマにしようと提案した3年前、いろんな事を言われた。”アイツは 今時 何を考えているんだい。そんなの古いよ・・・・””原点って なんなんだい? そんなことより 生き残りを考えるべきだよ”
 私は 敢えてそんな意見に耳を貸さなかった。逆に 生き残るために貴方は何をどうすれば良いと考えうるのか?問うのもバカバカしくなってしまった。この人とは平行線、議論する価値は無しとみた。
  国は 様々な数値をあげて政策の正当性を説く。どこのどなたか知らないが 隣国の発表する経済数値は信じるに値しないと・・・。そんな事言って良いんですか?それじゃー この国の実態指標は 正確なんでしょうか? その疑いは皆無だと自信をもって貴方は言えますか!
 日本の超有名なカリスマ経営者の話ですが、我が社は10兆円の有利子負債を抱えるまでに至ったと・・・・・・・。その姿に嘗ての輝きは消え 急に老け込んだと話すのは彼が恩師と尊敬する人の弁、「疲れている」と感じたとも。一昔前ならば 泣く子も黙る勢いで次々に新規事業を展開し、彼一代で巨大コンツエルンを築いた人物とメデア総出で囃し立てた。この話の信憑性は 正直 判らない。でも これだって時間が証明することになりましょう。
 つまり 規模や事業目的にかかわらず・・・云々の説明はここでも頷ける
 ★ 元気!でやってますか。
 いや~ ちっとも 。 空元気で~す! 気持ちと体がバラバラで 憂国の士ばっかりになったら どうなります? 何故なんでしょうね。そんな方ばっかりが目立つんです。これって アンタ自身がそうだからですよと言われた。図星だわ。
  昔々 日本が鎖国制度をとったことがあったでしょう。 人や物の交流を禁じ、唯一長崎の出島だけを窓港とした。その時、交流を認めた国はオランダと中国だけ。江戸時代17世紀初頭というから今から400年以上前のこと。島国だからできた。でも今はそれは不可能です。 海の向こうで次期大統領の候補に選出(?)された方は メキシコとの国境に万里の長城を築くとか言っているそうですか。日本は自国で防衛をすべき、それには核武装までやれとか・・・・その真意は判りませんよ。でも 今までに無かったこのような流れを止めることはできないのでしょうか。
 私達は世界のニュースを簡単に手に入る時代に生きています、流れてくるニュースは耳を疑いたくなるような危ういものが増えた。これでは 元気は出ませんよ。となると どうすれば良いのでしょう。 そんな事ばっかりを考えているもんだから 皆さんがオタク人間になってしまいました。
 私の周辺を見廻し まあまあ元気な人達に共通しているのは・・・・・無理せず 高望みせず 自分の好きなことがある人です。・・・・ が その連中だって 初めからそうでは無かったようですね。寧ろ 仕事一筋 我武者羅に働いた人達ですよ。その経験は実に大きい。最近はそれを飛越して 最初から良しとする人が増えている。
 最近の若者には夢がない という事を聞いた。恐らく あまり不自由を感じないで育ったからかもしれない。あるいは 初めから 自分は無理だと諦めた人か もうこれで充分だと思っている人なのかどうか?働くという意味が昔と大分変ったようです。
  実は人間が考え作り出したハードやソフトに、上手く自分を合わせることができず 生き辛さに悩む人が増えていると言われます。そして 引き返せない社会現象となっている。
 我々の理解を超えたいろんな事が起こり過ぎですよ。もっと ゆっくり ノンビリで良いと思うんだけれど・・・・・・!
  

2961:ひと休み

 時流を読むことの難しさ、勿論 時代の風潮・傾向をああだこうだ論ずること自体に意味があるのかという疑問はあります。SNSとかグローバルという言葉はいずれ消えるだろう。そうとも知らず 何もかもを一方的且つ強引に不都合の言い訳の事由としていないだろうか。敢えて言わせていただくなら それが今の傾向かと思う!
 皆さんに”ひと休み”することをお勧めしたいのです。人の生きる時間は 長いか短いか 私の年齢になれば 人生・・・一瞬の時を過ごしたという感覚です。茶会の心得、一期一会(山上宗二)は どの時代を生きても共感できるはず。
昨夜は ある催しがあった 5月28日に亡くなった ある方を偲ぶ会、他県も含め50名ほどが集まってくれた。仲間が俄かに企画したものだが 実に多彩で私は 最後はもう涙が止まらず、お開きと同時に真っ直ぐホテルに戻り、一人思い出に耽った。
 翌日、関東地区施設職員ゴルフ大会、これも 準備した仲間は昨夜の偲ぶ会の発起人たち、なんと過去最高の106名の参加者を迎えた。 ゴルフ好きには一度はプレーしたい、6月実施の日本ゴルフツアー選手権会場の 宍戸ヒルズの西コース。関東とは言っても千葉・栃木・埼玉・群馬・東京・茨城の6県、今回は第13回目で茨城の当番、この時期としては 然程暑くはなく、天気は申し分なかった。結果は団体戦とベスグロの両方とも茨城が優勝、ここだけの話、13回開催で過去12回の団体優勝をやり遂げた茨城は これだけは自慢だ。恐らく ここに昨夜の偲ぶ会の主人公Nさんがいれば 大騒ぎし 場を盛り上げたはず、茨城の参加者全員が彼への約束を果たし ホットしたと思う。
 私の結果は 予想通り これを 年齢の所為にはしないが、”ひと休み”の貴重な1日となりました。
 どんなに立派な施設を作っても 完璧に近い制度を用意しても それは片手落ち、”ひと”をどうするかという問題は残る、共生はそこで関わる人達が共感すれば 自ずと共生に向かうと言った先輩の言葉を噛みしめる。
 共感は人は独りでは生きられないという仮説の真理認識である。
 都知事選とアメリカの大統領選、国と都市の差はあるが、内容は全く違う。一方は20名を超える候補者の乱立、片方は 予備選後 代表を選任し 二人だけでの本選。これだって人間が考え出した仕組み。紆余曲折は避けられぬ。
  取りあえず”ひと休み”は自らを振り返るには 必要かと・・・・・・思いますよ。
 
 ★ 新聞広告にある変化をみる。介護や福祉の働き手募集は相変わらず、それだけではなく 全業種人材募集を行って その広告枠は広がる一方、もう暫くは 続くだろうな。
   最近は、介護事業所からの利用者募集が増えている。以前から 待機者には地域差があるのは判っていたが 規制を緩めた影響か 此処彼処 竹の子みたいに増え続け 新たな問題が起こっている。共倒れも危惧され始めている中 M&Aや法改正絡みでコンサル業が花盛り。 これをサービスの質の向上と経営の安定策と絡める向きも有り 一体全体 この国は 何を目指しているのだろうかと訝ってしまう。
もういい加減に ”超高齢化”や”少子化”の看板を下ろしては貰えないだろうか。その一方では 相も変わらず 待遇の悪さや過重労働と我々現場の人間のやる気を踏みにじるメデアの攻撃 本当にそうですか?と聞きたいくらいだ。 実の所 貴方のほうが 大変かもしれないよ。
この国の適正な人口は どれ位が良いのか?誰も口を閉ざしてしまうのは何故でしょう。 我々が小学生の頃、一クラスには50名も生徒がいたではないか。一人の先生が 良くもみられたものである。あの当時 先生の過重労働が取り沙汰されただろうか?  それが最近の傾向として何もかも 経済面から論じ過ぎるから どうしたって 個々の人間の想いは軽くなる。 三面等価の原則で生産・分配・消費のメカニズム これが目論見通りに行かないことは経済の専門家が一番知っているはずなのに・・・・・・ ちょっと ひと休みして 考えようではありませんか。

2962:記念誌完成

 


 『尚恵学園60周年・・・・新成人寮竣工記念・・・』が完成しました。
 お世話になった皆様や支えてくれたスタッフと一緒に歩んだ60年 利用者の方々やご家族も尚恵学園での生活の歴史を刻んで参りました。そして 記念すべき新しい寮舎が完成しやっと1年が経過した今 私達は60年の歩みを確と胸に留め これから先 どんな事があっても 創設来掲げてきた『共生』に向け歩んで参る覚悟です。現在 関わってくれている皆さんの言葉を纏め 細やかな文集にして 後世に伝え残したいという思いを形にした記念誌です。
 60年前と比べると 大きく大きく変わりました。障害福祉に関する制度や事業所の数、そしてその種類、正直 その全容を説明できる人が殆どいないという時代に私達は向き合っているのです。それが良い事なのかどうか?
 その日の食事さえ取れない多くの人々が世界には大勢ることを知っています。国内にだって目を疑うようなことも沢山あるでしょう? 皆さんはそれをどう感じているでしょうか? 正直 私は忸怩たるものを毎日感じています。昨日 こんな事がありました。1週間後の施餓鬼に向け 庭掃除をしていると 若い人達が スマホを持って境内を行ったり来たりしています。聞いてみようかと思いましたが 判りました。 ポケモンGO とかいうゲームなんですね、どうも観音寺がターゲットになっているようで自転車や歩きで人が集まってきたのです。神立の街もJR駅の橋上化工事がやっと始まり、完成すれば大変身、今でも週末には 買い物やお酒を飲みに神立駅周辺に利用者の方が出かけています。普段はウヲーキングで地域の人達との触れ合いが日常的に行われています。
 昔は”お寺の子”という声掛けがあった。いまは”尚恵の子”に変わったけれど 極自然に挨拶を交わす人は確実に増えています。地域の変化と尚恵学園の歩みが重なることがあります。そこには 期待と不安の両面があって これから先の長い長い遍路道だと私は考えるようにしています。
  
 ★ 俄かに 寺の周辺をウロウロする人が増えました。『ポケモンGO』が日本で配信されたことによってそうなった。原因は なんでも寺のどこかにポケモン(?)がいるらしい。それをドラゴンボールで????。なんと観音寺と神宮寺がいつの間に棲みかになって 車や自転車に乗りながらスマホと睨めっこ、危なくて覗かれているようで 正直気味悪い。住職がポケモン?ボールを投げられ捕まるかもしれない。 私はスマホとは無縁、今もってガラケーで充分。これって規制は無いのでしょうか?昨日だけでゲーム中に全国で事故が何十件と起こったそうで 子供だけかと思ったが 明らかにいいオジサンがやっている。平和?というか ヒマ?というか。これって日本全国で流行っているのですかね~。碁や将棋を一人でやっている位なら他に迷惑はかからない。中でも酷いのは車を道の真ん中に止め スマホと睨めっこ。後ろから来た車も なんと やっていた。道交法違反で逮捕だ!
 これって何なんだろうか? 鬱憤晴らし?それとも単なるゲーム? 昨日は用事があり、柏市に行ってきました。水戸にあった某都市銀行が柏支店と合併、その通知は前もって手紙で連絡は受けていた。行ってみて驚いた。
店内にそれほど客はいないのに 後からくる人にドンドン先を越され、結局私は50分も待たされた。やっと順番が来て、手続きを始めたら、なんと持参した通帳が本店発行のもの、支店でも手続きはできると聞いていたが、40分以上たっても埒があかない。入店後 約2時間を過ぎた。私の性分では限界に達し、静かに言ってやった。「あのね~ オタクの都合で水戸支店を閉め、解約に来たら この様だ。」「誠にすみません。当店は原則 予約制を取っておりますので申し訳ございません」「・・・・・?予約制?銀行で?」 あああ・・・・天下の大銀行はチェックが厳しいとは聞いていたが・・・・・ここまで来たか!銀行名だって数珠繋ぎ? やけに複雑になって これって どうなんです?お客様本位?それとも 自社利益?
 全てが全てとは申しませんが、病院だって同じようなもの、大病院は殆ど予約制、それだって 時間通りに診察になることは 先ずありません。
 国が豊かになるって こんなことなの? 手続きが複雑で セキュリテイ チェックが街中張巡らされ 例外なしに監視されている。これって ポケモンGOの流行と どこか関係があるのかも。だって 現実と仮想、権利と義務、公と私・・・ この境目がハッキリしなくなり、ごちゃ混ぜ社会。そこで生きていくことが出来る人ならば 良いでしょう。私は ダメだわ。 尚恵学園60年   さてと これから先 何年続くことになりますか。
 結論、 根本の原因は 無理し過ぎ、良いかっこし過ぎ、欲張りし過ぎ、・・・・ 万事が万事 ≪・・・し過ぎ≫が事由ってことかな。

2963:衝撃

 日本だけではなく 世界中の人々が昨日の深夜に起こった事件に”衝撃”を感じたことと思います。私は 今も頭の中が整理できません。神奈川県の津久井やまゆり園で起こった悲惨極まりない事件は 現在19人の死亡と26人の負傷された方達が出たという日本の福祉施設で起こった過去最悪の事態になった。真夜中に起こったこの大惨事を誰が予想しただろうか? 自ら警察に自首した容疑者は まだ26歳という若さ、事件の全容をつかむには まだ時間がかかる。私は 事件の起こった施設は訪れたことはないが 良く知っている。神奈川県立の施設、単体で定員150名というから 同種の事業所としては大規模、素晴らしい設備とマンツウマンに近いスタッフを揃えていると聞く。いつからか知らないが 県は指定管理制度により民間法人へ委託し、現在に至っている。そこで 一体何があったのか? 私は今の仕事を長く続けてきたお蔭で 沢山の仲間ができた。数々の矛盾と向き合うなかで無力感と挫折を経験した。何度 辞めようと考えたことか・・・・・。それは 現在も続いているし一言で言えるようなものではない。寧ろ より深みに嵌まるような気になります。全国には 同様の悩みを持つ 仲間が大勢いることも知った。当然 家族達の想いは より深刻だという事を知っている。
 だが、誤解を恐れずに告白すれば、今の日本は当事者(サービスを受ける人達)の思いを本当に理解しようとしているだろうか? 彼らと”共感”できるか否か? 実際に その場に立たなければ出来ないこと、何かが起こるとどこからか急に現われ さも専門家面して理屈を述べる輩はご遠慮いただきたい。 それら全てに対し自らは挑戦者だと考えることに決めた。
 今回の事件の真相解明を待たず 感傷的な事を言うことは避けたい。その理由は いくらでもあります。いま 言えることは 犠牲になった人達のご冥福を心から祈ること、 できれば このような惨事が二度と起こらない日本になって欲しいと願うことです。
 ≪この子ら 世の光≫という願いを熱く語った糸賀一雄先生、 54歳の若さで県新人職員研修の講演中に倒れ亡くなった(1968年)。糸賀先生がいたら どうなっただろうか?万が一 ≪この子ら≫を国のお荷物だと考えるような人達が今以上に増えるようであれば この国は持たない。その事を訴え 理解を深める努力は 誰がするのだろうか?勿論 我々福祉に携わる者はその任を担うべきなのだが その事が足元から崩れていくような恐怖を感じている。 
 ★ 制度をあまりにも動かし過ぎた結果、行政も支援者もその変化に付いていけず、業務を進めて行くなかで何かに追い立てられるようなプレッシャーを感じていないだろうか?国の財政が逼迫し 誰もが心に余裕が持てない今の状況は 改善するどころか より深みに嵌まっていくように感じる。そして それとは真逆の目を疑いたくなるような豪奢すぎる世界が同居している。この異常さが 歪んだ正義感や使命感を生み、その事に何ら疑問や反省を持たず 何かが密かに進んでいます。
 今回起こった事件で連鎖反応が起きなければ良いのだが・・・・・・。 特異な一人の人間の起こした事件と片付けるには 余りにも猟奇的で根が深く この影響がこれから先果てしなく続くように思えてならない。
 人間のこころを蝕むものに現代人が当たり前と思ってしまった事の中にその病巣があるように思えてなりません。例えば悲惨なニュースの後、瞬時に娯楽番組に画面が変わるテレビの影響は大きい。それは番組の編集上、仕方が無いと言うかもしれない。だが慣習化してしまえば 現実と幻の見極めが出来ない中に記憶が流され、問題に対処しようとする力は萎えてしまう。方や待ってましたとばかりに新たなゲームを観光の人寄せに利用するという行政トップが得意満面でテレビに登場し自らの県の魅力をPR。
 そのゲームは 相手を探し出し やっつけるというもの、 まだ配信されてから1週間もたっていないのに 既に様々な問題が出ている。戦後、我々は”自由”とか”豊かさ”ということに現を抜かし現実と仮想の実態に対峙せずやって来ただけにこの修正は至難の業、さすれば どうするか?
思想&信条に関係なく 今こそこの負の流れを押し止めるべく 一人ひとりの良心と勇気が試されているのではないでしょうか。
 *事件を知って私は 相模原で施設に勤務する友人に電話をかけました。彼は 声に力なく 茫然自失しているように感じました。
  時間と共に 事件の全容と あのような残忍な行動をとった犯人像とその背景が少しずつ明らかになっています。私は 友人達とメールで連絡を取り合いました。皆さんが今回の事件にショックを受け 共通して、このままではいけないと苛立つっています。今回犠牲になった方々は 恐らく何も知らず いつものように眠りについていたはずです。私は報道によって 犯人の断片的な供述内容しか判らない。・・・・が もし彼が本当に障害者を抹殺することで 国益になると考えているのであったとしたら それは大変な誤りであり、いま国が進めている法改正の意義など根こそぎ浚ってしまうような事件で いかなる理由があろうと許せない。 今朝 私に記事を読めと新聞を持ってきたKさんは 本能的に身の危機を察知しているとその時感じました。 

2964:背くらべ

 ♪ 柱の傷はおととしの・・・・・・♪ 背くらべの歌、端午の節句は5月5日。弟さんの成長を柱に傷をつけ、これだけ大きくなったよと話す兄、私の小さな頃は 柱に線を引き 家族みんなで成長を喜んだものである。5月人形の鎧・兜・刀は飾った記憶はないが、母がその日は菖蒲を風呂に入れ、そのいわれを話してくれた。無病息災を祈る厄除けの話など、・・・・・・。この始まりは なんとBC3の中国の楚の時代に遡る。日本に渡ってきたのが約1300年前だと言う。
 最近見かけなくなったこれらの風習には、家族の繋がりや地域の助け合いの大切さをそこから学ぶ良い機会だった。冠婚葬祭は、どこに行っても業者にお任せ、昔の手伝いは悉く姿を消した。親戚・兄弟の関係も希薄になり、子供の数が減った日本は、それに替わるものを模索している?
 ただ、人の感情は 簡単には変わらない。寧ろ近頃は際立っていることもあるように思います。それは相手と比べること、優劣を競い、勝敗に異常な関心を示す人が増えたこと。それだって 他に迷惑をかけないというルールを守っていれば良いのだが、不満を社会や他人の所為にする。その極端な例がNO:2963で私が感じたことである。
 昨日は 神宮寺の施餓鬼が猛暑の中で無事終わった。今日は観音寺の施餓鬼、恐らく30度に近い暑さになると思う。この行事の歴史は古い。無縁仏や餓鬼に飲食を施し、その霊を供養する。昨日は13人の近隣の住職が来てくれて法要が行われた。
 その行事も時と共に変わりつつあります。若い人達が どう受け止めているか 家の中で 親から子へ上手に引き継がれていると思えるお宅もありますが、その逆もある。平和の中で自由を謳歌してこれた日本人は、世界でも希なる存在である。その事を どう感じているか? その辺りのことになると 良く判らない。明日は あれだけ大騒ぎした都知事の選挙がある。21人の候補者が出たというのも驚きだが皆さん自らの思いをどれだけ伝えることができたのか? 最終的に投票率は50%の後半になる予測だが、1100万人いるという有権者の約半数の方は己の権利を放棄したと考えるべきだ。それで どうのこうの言うのは如何なものか? 軒並み日本の選挙は低投票率で止まってしまった。選挙に関心もなく、自分さえよければ それで良しとする人達が増えている。これを 修正することはもう無理かもしれない。ある方が謂うように とんでもない事態に日本が直面しなければ 目が覚めないのかもしれない。 そのとんでもない事って 貴方は どんな風に思いますか? その事を候補者が自らの言葉で言えない、これは 政治家の資質と覚悟の問題かも知れません。主義&信条をどうのこうの言う割には、寡黙に徹する。
 いま 殆どの候補者は無党派で選挙に臨む。ならば政党助成金を税金で払う必要も無いのではと私は思いますよ。
 都議会議員の一人当たり 公表された給与は月104万円という。これは 表に出た金額で それ以外に例の訳の分からない経費が有るわけだし、この辺の変革をやる覚悟を誰からも私は感じられない。
 もういい加減に ”皆で渡れば怖くない”式の旧態依然の体質とはオサラバしもっと スリムになるべきなんですね。いつも例に出すのはドイツ、聞くところによれば 地方議員は皆さん他に仕事を持っているから 議会は仕事を終えた夜行うそうですね。国会議員の事は 残念だが 良く判りません。でも日本ほど数はいませんし、21人も首長選にたつ人もいないはず。
 ですから あの”背くらべ”の歌詞のように 国会のどこかの柱に議員数の数を刻み ここまで減ったと確認し合ったほうが良いのでは。
    ・・・・・柱の傷は おととしの 五月五日の背くらべ  ちまきたべたべ 兄さんが
           計ってくれた 背のたけ  昨日くらべりゃ なんのその
                  やっと 羽織の紐のたけ・・・・・・(作詞:海野厚)

 
  神宮寺と観音寺の施餓鬼会が無事終わりました。多くの檀家の皆さんがお参りに来て下さって 感謝の気持ちでいっぱいになりました。出仕して頂いたお寺さんも急に若返り 私は確実に平均年齢を上げる側になりました。こうやって 何もかもが移り変わっていくものと思います。久しぶりに施餓鬼に来られた先輩から メールを頂戴し有難かった。さっそく返事を送りました。私の好きな言葉に”邂逅(かいこう)”というものがあり、おもいがけなく、出逢うと懐かしく 今度ゆっくり話がしたくなる。皆さん 歳を重ねるなかで 自分の歩んできた足跡を振り返る。仕事、家族、友達・・・・それと幼い時を過ごした街の風景等々。
 東京都の知事選で初めての女性知事の登場、新風を吹き込むことができるかどうか?日本の政治は 候補者の選定からして 時代遅れの感は否めない。一部の実力者(?)に日参し、公認の印可を受ける。それは 公約以前の問題で当落に関係なく 後々 尾を引くことになります。これではな~。東京都の予算規模はカナダやスウエーデンの一国と同じ位という。そこには想像できない駆け引きや利権が生まれるのは避けられぬ。どうか、前任者の二の舞は演じぬよう。
 Nさんが 何度も私に栗畑の草が伸びたから刈ってくれと訴える。毎年、彼が栗を拾うのが仕事、今のままでは栗が落ちても拾えない。バロネスという便利な機械、いつもの場所に見当たらず、聞くと 壊れて修理中!
 なんとも 言葉が見つからない。使いたい時に使えない。これを どう考える? 壊れてしまったものは仕様が無いと考えるか? 壊れないように使うか? この辺の気配りは 何事にも通じることではあるまいか!
 チクショウ・・・・バロネスがダメなら草刈り機で刈ってやる。 
人数増えて良い事、悪い事  どうも 後者のほうが高い率、出来ぬ言い訳 やる勇気 問うまでなくて 答えは一つ

 先輩は 後から来たものの範となれ! 後から来た者は 是が非見極めの 智慧を持て!

2965:葉月への

 ≪東京湾震源でマグニチュード9.1≫という緊急地震速報の誤報・・・・・・。メデアはその誤り報道は控え目だったように感じた。震度6強~7という情報が一部のSNSを通じて配信、都内を走る電車も急停止したという。その時、誰もが首都直下型の大地震を予感したに違いない。何故 こうなったかの原因を明らかにしてほしい。東日本から熊本へ日本列島を縦断した大地震は どちらも復興が道半ば、要は 日本が地震国であることを 我々に 再三再四自然が教えているのです。それに対し、中途半端な対応で この国の危機管理は誰がみても充分とは思えません。
 葉月初っ端に流された地震速報が誤作動だったとホットしていてよいものか? 原発事故を起こしたチェルノブイリは今どうなった? 日本の福島原発事故の汚染物質の処理方法も決まらない中で積み上げられた汚染土壌は 大型台風の直撃を受けても万全か?
 東京都知事戦にいつまでも浮かれてはいられまい。有権者は山積する課題に 本気になって取り組むリーダーの登場を期待した。都議会の抵抗も強まる中で有権者は どこを注視すればよいのか? 地方に住む我々も全く同じ。ここに至って まだ党利党略に周旋とは よもやいくまい。
 実は 政治家の資質やモラルを言う前に我々庶民の資質とモラルが問われていると思うべき。水と温度が管理されたハウスで育つ野菜、それを人間と考えれば その環境に慣れ親しんだ者は自分から非常時になす術を知らない。
 今年は台風の発生が例年になく少ない。台風は被害ばかりでなく恵みを運んでくる。東京の水がめのダムは枯渇寸前、使用制限を長期間行っている それでいながら危機感を感じないのは何故なのか?
 権利を主張する前に 義務を果たせという政治家は皆無、それほど皆が皆お人好しになったのか? 真のリーダーはあまり良い恰好しないほうが良い。古典を引くまでもなく 当たり前の為政者の処世術、あんた等はそれを教わらなかったの?
 私は声を大にして言いたい。あの相模原での実行犯に、「貴方は 必死に生きようとしている彼らから 何も学ばなかったのですか!」と。4年足らずの現場経験では無理なのか?ならば 何故貴方は障害福祉の道を選んだ? 貴方の取った行動が 様々な所にまで影響を及ぼしてしまった事をどう感じているか私は知りたい。 勿論、使用者側の責任も問われることになると思う。今 やまゆり園がどうなっているか判らないが 残された多くのスタッフや利用されている方々の事を思うと耐えられない。
 社福改革の動きに見え隠れする国の思惑、それは勝者最優先の合理化策ではないかと疑ってしまう。大規模化を奨め、地域に育った小さな社福の実践をよもや非効率と見なしてはいないだろう?
 福祉の実践にまで企業M&Aの仕組みを導入しようとしていますよね。①国際競争力強化②国内市場競争力強化③破綻企業再生というM&Aの目的と同じスタンス。効率化や合理化をこと障害福祉に当てはめるとどうなるか?
 結果は見えてくる。心が殺伐となり、弱き者を排除しようと皆がなる。その危うさを強く訴える有識者がいるのか?いたのか?いないのか? 
 福祉を負担と考える発想はこの土壌があって醸成されたもの 本来あってはならぬことである。平和を望まぬ人はいない。まして相手の尊厳を奪うことなど問題外・・・・  葉月八月 気温の上昇に合わせ 頭の中が沸点に達し 如何ともし難い。
 
  酸素マスクを付け、目の周りにテープで保護されたNさんがベッドに横になって 麻酔から目が覚め 病室を訪れた私達を目でおう。≪よーく 頑張ったね・・・・凄いよ Nさん≫と声をかけると 目をキョロキョロさせた。
 彼女は 1年前に短期間だけだったが 私が施設長の厚生園で生活した事がある。寝ている時以外は 大きい声を出して 他のメンバーが迷惑そう。でも彼女にとっても迷惑な話、彼女の発する声の為に一緒に暮らした仲間と離れて寮替えになったのだから。私が出来ることは何か?
思い付いたのが、朝、二人で散歩することだった。旧成人寮と厚生園は水田を挟んで300メートルほど離れている。道が二股に分かれている所に差し掛かった時に彼女が私の手を強く握り 旧成人寮のほうに連れて行こうとする。引っ越して誰も居なくなった女子寮の中を声を出しながら 探し回る。誰も居ない寮は いつもと違うのが判ったようで 私の顔をジッとみて何かを訴えてくる その表情は切なそうで 今でも思い出す。
 そんな事があって間も無く 新しくなった寮に戻ることになった。あの時私達が心配したのは、地域の人達が彼女の発する声をどう思うかという事だった。
 私は移ってからも気になり、どうしているか様子を聞いた。≪いつもと 変わりなく 声は出していますよ≫という返事、
 今回、彼女の視力の異変を見つけたのは、そんなスタッフだった。専門医によると恐らくは光を感じる程度で視力は殆ど無いという。 昨日約3時間 全身麻酔での目の手術を受けた。2泊の入院、その間は24時間スタッフが交代でつく、病院が用意してくれたのは6階の個室、 何故 自分が病院のベットで寝かされているのか本人は理解しているだろうか?高齢になった大好きなお母さんが 明日も来てくれる。その話をすると 表情が変わった。
 それと 彼女は 入院して今まで殆ど声を出すことはなく ニコニコで とても良い子だと聞いている。why???? 
 有りの儘を受け入れられれば良いのか?この辺の事は一概にこうだと断定できない。行為そのものが反社会的であったり非社会的であれば、当然問題になるでしょう。だから それを伝え教える役がいる。近頃は 我関せず的な人間が増えすぎた。知らんぷり 避けてナンボ¥の計算上手。
 おっかない親父が減って 変な親父が増えた。無駄を無駄と感じない。他人のものまで欲しがって 自分のものは確保する。心と体のアンバランス、他人への迷惑は無頓着、自分に降り掛かった迷惑は 大騒ぎ  これは心の中のアンビバレンス

2966:盆踊り

 盆踊りが 旧成人寮のグランドで行われた。日中34度という猛暑日となり、午後の5時でも まだ直接陽をあびると痛いような感じがした。大分前に櫓をスタッフたちで建て、普段使っていない建物や庭の掃除を皆で行って 準備万端整えた。私は 朝早く 見回った。OK! 約2時間 石岡からの囃子連の方達の参加もあり 盛り上げていただいた。スタッフは例年通り盛り上げる役と準備担当を交代で演じる。そして、いつも同じだが利用者の皆さん達の一人ひとりの”特別の力”を感じる。一体これは何なんだろうね? 言葉で表されない  私はテントのイスに座って じっと一人一人の動きを見つめていると 飾り気ない生地のままで 無理なく 相手を妙に意識した所がない 。只管打坐に通じる如く、 今時は 何もかもをストレスという言葉で表わしてしまうこととは 真逆の生き姿・・・・
 昨夜は寝苦しく、ウトウトとした中であの剣岳を中心とした北アルプスの立山信仰を彷彿するような 神立マンダラの郷が夢枕に浮かびました。共に生きて 皆さんそれぞれが 此処に住んで良かったと感じ合える地域、 その曼荼羅図に少しでも近づこうと歩み続けた、前日、長年構想を練ってきた『尚恵学園在り方検討委員会』をやっとスタートした。この地に産声をあげて半世紀以上(60年)が過ぎ、先人達が思い描いた理想郷に向かって歩みが早いか遅いか判らないが外見や理屈ではないことだけは確信している。虫眼鏡をかけて調べるような法律や政省令をどれだけ作ればこの国は満足するのでしょうか???もっとゆったりと確たる根拠が欲しい。
 昨日 私はある会合で頼まれた話を断った。上辺だけの研修をどんなにやっても 身に入るものでなく 名の知れた講師を呼ぶことで自己満足するような企画側の雰囲気を感じたからである。
 住人が皆、新しい寮に移ってしまった旧成人寮跡地、そこに尚恵学園の威信をかけ描く企てをスタートしたばかり ! つまらぬことで腹立てず、そのことに全力投球すべしとの天の声。現役のスタッフは勿論、できるだけ地域の人々や専門家にも加わってもらって、先人達の想い(願い)を我々が後を託された訳だから、失敗を恐れず 形にしようではありませんかと・・・・・・
 盆踊り会場で、目の前の現実とこれから先10年後20年後の理想像とが重なってしまい 貧乏揺すりが止まらない。
 
 気張らず 自然体で なぜ出来ぬ。リオでのオリンピックが始まった。4年後は東京開催、新しい都知事が決まり、新体制での準備を開始した、選挙戦での確執は水に流して一枚岩でいけるのか?
 恐らく 4年後の日本でテロの不安が消えることは無いだろう。昨日も新千歳空港で 安全チェックをせずに保安検査場をすり抜けた人が出て 空港機能がマヒした。しかし、当の本人は既に東京に向けて飛び立った後、安全対策には万全はない。いまブラジルで万が一テロが起こったら どうなることだろう。世紀のスポーツイベントを狙ったテロは 有り得る話、華やかさと不安が入り混じり、開催国も大変だ。
 あれだけマスコミが取り上げた相模原の事件は オリンピックの開催と同時に画面から消えた。残虐極まる事件だけに 関係者の苦悩はこれから先が大変だ。容疑者は今何を考えているのだろうか?
 実は 盆踊り前に急遽買い揃えたものがある。いざと言う時のために防護具のさすまた、ネットで注文したが残り少なく7本全て購入した。
 障害者差別解消法が今年4月からスタート、事業者は法律の中で合理的配慮を行わなければならないことに、虐待防止も然り、国連の障害者の権利条例を批准した為に やるべきことが急に増えた。
 秋には土浦の花火大会がある。大都市と地方に関係なく 物騒な時代になったものである。
  
 35度の気温が3日連続になると 体調に不具合が生じます。先ず トイレの回数が減る。出たいのに出ない? 達成感が萎えた。寝ようとすると室温 33度 一瞬立ち尽くす。優に20年は使用したクーラー専用機、何年ぶりか忘れたが動くかどうかおそるおそる使ってみた。すると 動いた。でも 漏電でもしないかと早目に切って横になる。案の定 眠れない・・・・。
 自分が住職している二ヶ寺の施餓鬼が終え、気力減退は否めない、それでも手伝ってくれたお寺さんへのお礼出仕、あと九ヶ寺、前もって日時が決まっているので助かるが 予定の無かった葬儀や会議が突然入るから その調整が儘ならず。あと一週間で66歳、前期だか後期だか判らずに明らかに私は高齢者、負けず嫌いは生まれつき まずは日頃の鍛錬と田圃の畔を隈なく歩き回る、この時期 マムシちゃんが出るからと田圃のプロに脅かされ、一目散に雑草繁る畦道を走り抜く 半ズボンが不味かった。何かが太ももに引っ掛かり ヒリヒリピリピリ痛くなり 帰宅してから手当たり次第にある薬を塗ったものだから 後悔は先に立たなかった・・・・・・。
 

2967:不言実行

 あれこれ言わず 黙って己の信ずるところを実行する。 昔より不言実行は男子本懐の生きる体として尊とばれてきましたが、時代が変われば その意味が随分おかしなことになるものです。
 善悪の判断が 難しく 何をもって善とするか? ”幸せ”という意味だって 一昔前であれば 誰もが然程の違いなく 了解されたものであろうが 今 それが一様では無くなっています。了解心理学という立場から見ると精神現象を分析的ではなくして そのものの意味を捉えるという方法で解明する。だが いかがでしょうか?それ自体の意味とは? 多様な価値観に縛りがなく 自由な選択を良しとした結果、いま何が起こり この先どうなっていくかという不安感が増しているように思えます。哲学や宗教の意義は ものの本質を説き、人間の行動や思考に 一定の箍をかける役割があったのではと私は考える。宗教が政事に関わると どうなるか? 宗教の権力や支配の概念が国家の統治作用に大きく影響を及ぼしかねない。政治に求めらるのは”不言”でなく”有言”、かつ、その実行力であることは間違いないのだろうから 微妙だ。
 8月はお盆のシーズン、どこのお寺も大童(おおわらわ)、普段私は寺に住ませて頂きながら合格点は頂けない。なにせ 出歩いてばかりいる。よくも 皆さんが このような住職を我慢していてくれるよ、正直いって そのような己をどうにか正当化しようとする自分が一方にあって 内心穏やかではない。
 今年は 特に 相模原で起こった過去に類をみない猟奇的な事件に対し 僧侶と施設職員という立場でありながら 何のアクションもできずに 悶々としてお盆を迎えようとしている。
 やまゆり園のことについて 当事者の皆さんに尋ねたという
  ・・・・7月26日の朝 たくさんの友達がころされた、ニュースを見て いちばんいやだったのは しょうがいしゃなんか いなくなればいいと
       いわれたことです。同じ人間なのに・・・・・私たちは しょうがいしゃであるまえに にんげんなんだ・・・・ピープル ファースト I・M

 この抜粋は 障害者と言われながらも 必死に 頑張って生きようとしている方達の生の声。
 そして その方は こうも書いています。
 ・・・・・・つくいやまゆり園には 友人が1人いました。あんぴがわからないので 名前がでればわかるのに・・・・・・と続く。
 私達の活動は  一般の人々には なかなか理解が広がらない。その事を嫌と言うほど私は経験してきました。 それがどうでしょう。いま 福祉 という言葉がこの国から消えようとしています。
 何故なんでしょうか? それは 我々福祉に携わる側にも大きな責任があると考えます。不祥事や事件、計算づくで 何かが変わった 人として生きる態度が問われて久しいなか そのこと自体が減るどころか増えていることに最大の問題を感じています。
 ホームページは 確かに外向けの広告塔、見やすく判り易い、楽しそうで 魅力ある仕事・・・・・・・普段の活動を可視化し 就職活動する方々には 情報を獲る入口。何処もかしこも工夫を凝らし PRに躍起になる。
 いま 求人欄を設けない事業所などない。あらゆる手段を使い、良き人材を募集する。これは 今以上にエスカレートし今後も続いて行くでしょう。 少し前まで ≪お宅のHPを見やすくしませんか?≫という業者の方から 結構問い合わせがあった。
 全て断ってきました。 それは”不言実行”と無関係ではありません。誤解を恐れず言わせて頂くと 時流に逆らい 本来の姿を見失いたくないという思いから   私たちは障害者である前に 人間なんだ・・・・・この叫び声をどう受け止めれば良いのでしょう? 繁栄の勝鬨を声高に叫んできたニッポン そこで失ったもの 忘れてしまったもの 片隅に追いやられたものを少し立ち止まって考えて見ませんか! 本来の福祉は それを必要とする人達に寄り添い 一緒に喜びを感じ お互いが生きていく道筋だと考えます。実態を数段飛び越えた偽装PRに 真実を見出すことが難しくなった。それと全く同じ手法(コマーシャルベース)で 福祉を考えていないでしょうか?
 四国遍路をされた方は 判っていただけると思う。 今の便利な時代に 何故 歩きで遍路をする人がいるのでしょうか? 時代に上手く自分を合わせることができず 生き辛さを感じる。そんな人達ばかりではありませんが 自らが歩んできた道を振り返り これから先を探し求める一つの方便として最低限必要なものだけを身に付け 歩くのです。 いつの時代になっても絶えることがない歩き遍路に 現代を生きるヒントがあると私はみます ・・・・・・・
 精々 古くて50年の歴史しかない 今の福祉事業が 揺らいでいます。
今こそ 私たちが 人として真に大切な事は何かを 世に問い 自らの実践活動で それを証明していく時が到来したと確信し、地に足をつけ 恥じる事なく 正々堂々と進むこと それが 19名の尊い命への追悼の誓であろう。
 

2968:生存率

 社会福祉法人の在り方が問われ、様々な改正がなされている。全国にある社福の数は、19,823法人(平成26年:厚労省ホームページ)、情報公開が義務化され、全国社会福祉法人経営者協議会のHPで公開している現在の数は6775法人で全体の約34%、7月末で平成27年度の財務状況等の公開が終わった法人は2,111法人で僅か全体の約1割強という数である。社福と言っても年間予算が数千万から大規模になれば100億円を超す法人もあり、実に幅が広い。中には自社HP上で公開している法人もあるから、その公開している法人の実数は判らない。
 日本の全業種の法人数は約255万社と言われます(国税庁2005年)。企業の生存率という調査があって、設立5年で約85%の企業が消えている。日本の会社の平均生存率は約23年(日経)というデーターもある。30年続く会社は、全体の0.025%。これが 実態だとすれば、生活の糧を得るために どのような生活設計をすれば良いのか誰しも安穏とはしていられまい。
 社会福祉法人も当然、その枠に入っているが、恐らく 法人設立後 30年で姿を消す所は少ない筈だが 今後は不透明。それは規模の大小を問わず 全ての業種でM&A(Mergers and  Acquisitions)合併買収がかなりの勢いで進んでいる。経営の母体が変わる中 様々な問題が起こっているのも事実である。
 国はこのやり方を社福にもと模索している感は否めない。 尋常ではありませんよ。いずこの経営者も眠れぬ夜を送っていることだろう。それに加え、社福に対する メデアからの集中砲火が近年その激しさを増す。
  医療や教育もほゞ同様の仕打ち(?)を受けていると言えまいか!被害意識というのではないが、自由市場経済という触れ込みでどうもおかしな方向に進んでいるように私には思えてしまう。
 世の中が、自己選択・自己決定という筋書きによる流れは変えられまい。?????どこかで聞いた話じゃないでしょうか、思い出して欲しい、社会福祉基礎構造改革の論議の中でノーマライゼーションの理念の下に障害者自立支援法が制定されたのが2006年、今から約12年前になる。そこで 大いに議論されたことだった。この考え方は1950年代のデンマークにおいてバンクミケルセンによって提唱され 、社会的弱者(障害者や高齢者)が差別されることなく 個の尊厳が保証される社会の実現を目指したものである。しかし、この考えのように世の中が進んできただろうか?
 そこに約70年の時間の経過がある。丁度、尚恵学園はその変遷と共に歩んできたと考えられる。
 何もなかった時代、手探りで自分達で作り上げてきた礎が、もしかして時代遅れになっていないのか? 考えれば考えるほど 余計な心配が増す。それでも立ち止まることは許されず 只管 前を向いて歩むしかない。
 利用される方々への支援の質の向上、働く仲間達への処遇の改善と更にハード面の計画的な整備など・・・・・・ 際限無き課題と向き合っていかねばならない。
 動物は 飢饉状態になった時 生き残るために どんな行動をとるだろう? 共食い?共倒れ?     ”共存””共生”はどこにいった?
  1000兆円を超す国の借金を返すメドも無く 満足知らずで更に借金の上乗せをする国は 世界広と言えど日本ぐらいなものではないでしょうか?その問題に本気になって取り組もうとする人が出てこない。またかい!!なんど今までにこの話をしてきたことか! 1000兆円は、1万円札を重ねると1万キロの距離になる計算です。この距離は成田からイギリスのヒースロー空港までの6000マイルより遠い。直行便で12時間30分空を飛ぶ距離の一万円札の厚さの金額である。誰がこれを信じますか?
 この感覚のズレは最早、修正がきかない状況になっている。自己選択・自己決定・・・・自己責任 これは 無制限にと謂う事では決して無い 相応にということ その判断根拠に大きな疑問を感じる。
 自由を謳歌し 不寛容な社会に住むという 今日的な矛盾 これは どんなに国が豊かになっても どんな優秀な人間が養成されたとしても解決は難しい? 端的に言って”欲”に対しの人間と社会のコントロール機能の劣化&凋落とは無関係ではないからだ。
 
 寛容には、他人の罪過を厳しく責めないと言う意味がある。罪過への許しの判断はどうあるべきか、無条件か否か?昨日 ニュースで取り上げられた某事件の無罪判決、冤罪を晴らしても20年の不自由な生活を元に戻すことはできない。不寛容な社会とは それとはまた次元を異にする。障がい者の人権問題では 法の整備が昔と比べ格段に進んだ。 関係者にとってやっとスタートラインに立ったという実感だと思う、そこに起こった今回の相模原での事件を評し ”不寛容な社会”に起こるべきして起こった悲しい事件と言った方がいました。あの残忍極まりなき犯罪が禁止薬物の影響により引き起こされたのかどうか? それだけではあるまい。犯人の刺青は自分を強く見せたいとの思いから、教師になることを目指していた大学在学中に彫ったと語ったという。
 IT機器などの便利さに慣れ親しんだ人間は 結果だけに関心があってそこに至る過程への関心は抜け落ちる。
 
 人間が生をうけるという事を 根本からこの国は考えるべき時期に来たと感じている。保育所の待機者ゼロで受け皿の整備と女性の働き方への改正 政府は高齢者対策と少子化対策を2本柱と掲げ 様々な策を講じています。・・・が 大事な事が抜けていないだろうか? それは 生命の尊厳という 根本的な命題に対する具体的取組であろう。 そこには 勿論格差があってはならない。藤倉学園を創設した川田貞次郎が、知的に障害がある子供たちが教育を受けられなかった事に腹を立て 当時の文部省の高官を怒鳴りつけたという話をEテレビで放送していました。就学猶予や免除という意味は 教育を受ける権利を彼らから奪って良しとしたことである。あの当時 動いたのは東京都育成会、知的障害を持つ子の親たちだった。 東京都は全国に先駆け 知的障害者への教育を保証した。・・・・昭和48年(1973年)私は卒業と同時に現在の仕事に就いた。あの頃は施設に教師が派遣され 施設内特殊学級で学齢児は教育を受けていた。昭和54年 養護学校設置の義務化によって全国に学校の整備が進み、当時大型バス1台に園の子供たちが乗って学校に通った。
 本来、教育と福祉は一体である。それが いつの頃からか 縦割りとなったのであるが両者に優劣はあってはならない。ただ 長い年月が経過し 法整備の反動か 本来彼らの代弁者(?)であるべき親たちが 目標を見失い。現状に甘んじ、もの言わぬ団体と化した。障がい者差別解消法が今年の4月からスタートし 何が変わった? 事業者や家族へ合理的配慮を義務づけ、差別の無い共生社会を目指そうとしている。そのために事前的な改善措置や環境整備が内閣府から示された訳である。制度が一人歩きしなければ良し、それよりも何よりも 当事者ご本人が生まれてきて良かったと本心から言えるようでなければなるまい。ややもすれば 当事者の存在が隠れてしまい周りが自己満足することだって起こり得る。  

スナップ
「8.4 bonodori」撮影:Y.M

         


2969:精霊流し

 8月15日、精霊流しは九州地方、特に佐賀や長崎が有名、さだまさしが自ら作曲した『精霊流し』は彼の代表的な唄の一つ。いま その風習に変化が出ている。精霊船を川に流すことが禁じられ、即、粗大ゴミ扱いで回収される。
 迎え火や送り火の行事にも変化の兆し、その意味が判らない人が増えた。何せ 葬儀の仕方も変わり 都会では火葬前に炉前で経を読んで済ませてしまう「直葬」が増えているそうです。石屋さんが話していたが、今は新しくつくる墓地よりも「墓じまい」の仕事の方が多くなったと。話題に上がった≪お坊さん便≫という新手の商売、起業の発端は消費者ニーズというのも如何なものか?よくよく考えると お寺そのものも変わってきた。宗派によっては布教に力を入れている所もあるが、基本的には寺任せ、住職の考えに委ねられている。都会の観光や不動産で寺院経営ができる所ばかりでなく、過疎地の寺は維持していくのに苦労する。
 方や 葬祭業は増える一方、チェーン化して大規模に展開するところも幾つもあるようだ。冠婚葬祭、それらは親から子へ語り継がれてきたもので 明らかなのは 質素に行うということが主流となった。私は それでも良いと思う。
 人が受けた傷や悩みを癒すのに 宗教は大きな役割を果たしてきたことは間違いない。心の病では 医療との棲み分けが曖昧となり、片方は保険が使え、宗教は ?????。
 これから先を思うと 坊さんの役割は今以上に難しくなるはずである。仏教は 元々外来の宗教、小乗と大乗に分類され今に至った。日本仏教は大乗で宗派もいくつもあるのは他の国に類をみない。私は仏教は皆 同じと思っている。釈尊を祖とし、2000年以上の歴史を重ねてきた。膨大な経典を前にして 茫然自失で動けなかった事もありました。
大正新脩大蔵経 父が寺に残していったものである。何せ正蔵55巻、続蔵30巻、別蔵15巻の全100巻の大辞典、長く保存するにはどうするか ずっと悩んでいたが、今回 その書庫を境内に作ることができた。
 時代が変わっている、その膨大な量の経典を東京大学の『大正新脩大蔵経』テキストデータベースで電子テキスト化がすすめられている。
 人の一生は 精々長生きして100年 その20倍の長き時代を受け継がれ今に至った 釈尊の教え  その実践は 今を生きている人々と自らがすすんで向き合う事で 成し得ることだと 思うのです。
 自分が思うようにいかないのが当然 だからと言って 避けて逃げ通せるものではあるまいし・・・・・・・。
 
 リオ オリンピックが佳境を迎えています。日本の活躍は 素晴らしい。団体&個人と獲得したメダルの数は記録的、惜しくも結果が出せなかった選手達にもエールを送りましょう。不断の努力は それを経験した者でなければ判らない。国の代表というプレッシャーは相当なものでしょう。何と言っても 4年後の東京開催というハッキリとした目標があること これが少なからず好結果に結びついたものと思います。
 多くの日本人が彼らの活躍に勇気をもらった。ドーピング疑惑などが報道されると なぜそこまでしてという思いになります。
 私は このあと行われるパラリンピックに関心があります。国内のスポーツイベントで国体というものがありますが茨城は3年後の開催に向け 準備が始まっています。障がい者の大会の準備に私も関わり、徐々に気運が盛り上がりを見せていると感じます。
 斯様な大きなイベントには 裏で支える様々な動きが行われます。私たちは自分たちが出来ることで参加するのが大切かと思う。どんな小さな事でも良い。例えば 道のゴミを集めるとか トイレを綺麗にするとか・・・
 
 例年と比べ 今年は雨が少ない。局地的な大雨はあるのですが、広範囲に降るという事が6月から殆ど無いのです。お盆前に草刈りを行い、その後雨が無いために 芝などの葉の色が黄色に変わり始めています。
 日本の四季は明らかに変わってしまった。これも地球の温暖化の影響なのでしょうか?
 お盆前後 いずこのお寺でも施餓鬼があり、助法に伺うと普段会う事が無い住職との話題は 天気のことなど、先月 この辺でも36度を超える猛暑日があり、何ヶ寺かで 本堂に冷房を入れたとの話が出た。天井が高く、広いお堂を冷やすには 大変だと思うが、町内の寺ほど クーラーを入れた数が多かった。私の所は そこまではいかない。窓を開けておけば 結構風が入るし、気持ちが良いと思っている。
 先日の盆踊り(上記写真)、皆さん 浴衣姿で参加する。私も浴衣を着たが、年にたった一回だけしか着ない。これも どうかと思うのだが、その日は 特に暑い日だった。
 案内には 雨天時中止と書かれてあった。まあ・・・ いい加減なものである。雨が少ないとか暑いとか 自然の身になれば たまったもんじゃないだろう。昨日は私の66歳の誕生日  終戦記念日でお盆の最後に いつも複雑な思いになるが  近所を健康の為と動き回っております。
 

2970:日本の美徳

  ・・・・≪幸せが、生活の快適さに拠るのであれば、中世に生きた私たちの先祖は、現代人より不幸せであったと信ぜられよう。だが、もし幸せが生と対峙する態度に拠るのであれば、超俗的な信念をもっていたその時代の人びとは、現代人以上に幸福感、控えめにみても内的な安らぎと心の安定に接していたということができるのである≫(ドークール著「中世ヨーロッパの生活」白水社)中野孝次著「日本の美徳」

 日本は高度経済成長期に只管、豊かさと快適さを追い求めてきた。そして1990年代前半に起こったバブルの崩壊、天変地異に類するような衝撃は日本人が信じていた価値観が脆くも崩れ去ることを知らしめた。そして いま又 その遅れ(失われし20年)を取り戻そうと形振り構わず 走り出した。これは誰の責任でもない。今を生きる私たちの望んだことでしょうね。快適=安らぎとという偽幸福論で真の心の安定を得られるか?これは 俗的なGDPや株価では 証明できないということを まだ認めようとしない愚かさ。一方では シンプルライフや清貧の重要性に気づき まず隗より始めよと自分なりの新たな道を模索始める人も出始めている。 
 13c~14cのヨーロッパと現代を比較した本が随分書かれている。当時の物質的な貧しさと宗教的な安らぎに焦点をあて そこで行われていた庶民生活や考え方に 現代人が誤解している”個の尊厳”への本義をみようとする。ドークールが自らの著作の中で生と対峙する態度 と言っていることは、今を生きる我々がどう生きるかを掴み切れず、不確かな事に翻弄され彷徨っていることへの指摘であります。
 私は 今の日本の社会保障の仕組みを一貫性に欠ける継ぎ接ぎ制度だと敢えて言わせてもらいましょう。特に最近の法改正の動きは異常だ。虫眼鏡で見ないと時代遅れで今は使われていないということになる。法の主旨は表向き変わらない中で あまりにも小手先での変更が多すぎます。縦割り行政の無駄は あらゆる所に出ている。それは 改正の内容の周知ができない中に また変更を繰り返すからで、いつの間に3年後の見直し検討という了解事項ができてしまった。
極論すれば新たな制度が整備がなされると並行して見直し検討が始まる。そうなると どうせまた変わるから!ということになり 末端の本気度が薄れる。これは当然帰結のことで その言い訳にお馴染みの”財源”問題が両刀遣いされるのですね。
言い過ぎですか 無責任ですか。
 いや 違うでしょう!生と対峙する態度として どうなのか 貴方自身が自らに問うべきだと思うのです。俗的な価値観に逃避するのでは無くして 貴方自身の確たる信念を持って・・・・・・。
 相模原の事件を この国はどう受け止め その対策として何を打ち出してくるか? 私は注視したい、もし、防犯カメラの義務設置とか警備員の配置ということで その責任を果たすというのであれば、それは”NO”と言わざるを得ない。障害者の尊厳を抜きにした議論をどんなに繰り返しても 根本的な解決には近づかない。日本の美徳として 相手を排斥するのではなく 共生への憧れ、お互いが助け合い学び合うという教えがあったはずである。
 私は ある意味で過去の良き時代を経験させてもらった一人である。それは 今の苦労はいずれ報われるという暗黙の了解に何ら疑問を持たずにいれた事、その事の是非を今更言っても始まらない。苦とは 生を受けた者全てに付きまとう。生と対峙する態度・・・・・振り返って浮かぶことの多くは そうでした。それが糧となり 恥を知れという指南番になった。
 これから先を思うと 実は憂うことが多い。司馬遼太郎が「この国のかたち」でこのままでは日本がダメになると語ったことは あの年代が悲惨な戦争体験があればこそ、言論の自由が恫喝と抑圧によって押さえられた結果、他に選択肢が見い出せず戦争へ突入、その反省をもって掴んだ民主政治が被治者の同意を条件に行われるという原則、これらの原理原則と史実が確証を得ないまま 時が流れていくことへの焦りではなかったか?
 情報への秘密主義や無駄を無駄と感じない判断力の劣化とが絡み合う、もはや電子化されたあらゆる情報がここまで蔓延ってしまうと善悪の判断さえ儘ならず国家としての統治力に疑念が生まれるのは当然である。
 仏教が 主眼である”生”をどう捉えるか? 誤解を恐れず言わせて頂ければ 草木国土 悉皆成仏 であると私は思う。


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