源究175

  

NO  テーマ   月日  NO  テーマ  月日  NO  テーマ  月日  NO  テーマ  月日  
 3011 謹賀新年  1/1  .3016  言い過ぎ。。。 1/20  3021 如月  2/5   3026 試金石  2/19 
 3012 悠久の価値  1/5  3017  熱く燃えろ!  1/24  3022 自己矛盾  2/9   3027 ひな人形  2/23 
 3013 日々是好日  1/10  3018  地蔵護摩によせ  1/27  3023 混迷社会  2/11   3028 メッセージ  2/26 
 3014 小説のごとく  1/13  3019  感染力  1/31  3024 元気が一番  2/14   3029 燃え尽きて・・  2/28 
 3015 …リズム??  1/16  3020  伝統文化  2/2   3025 物忘れ  2/17   3030 過去に学ぶ 3/3 

3011:謹賀新年(2017年)

明けましておめでとうございます。2017年も宜しくお願い致します
 昨夜の除夜の鐘は 風も無く穏やかな夜、空を見れば 天空一杯に輝く星、新年に当たって 無限の元気をいただいたように感じました。新年早々 PCに向かっています。BGMは辻井伸行さんのCDから流れるリストの『愛の夢・第3番』、彼は 盲目のピアニスト、世界各地で演奏会を行っています。 そして 彼のオリジナル曲、東日本大震災の被災者に向けてつくった『それでも 生きて行く』はアンコール曲として 聴衆に深い感動と命の大切さを伝えています。目が見えない彼が どのようにピアノと出会い 素晴らしい演奏テクニックを身に付けたか・・・・
 自分の置かれた環境に不平不満を持っている方は、いずれそれではイケナイと思う時が必ず来ると思う。不満を声高に叫んで なにかが変わるでしょうか? 自らが描いた通りに 生きられる保証はありませんね。
 自戒を込めて 謹んで申し上げます。憂いや悲しみは 決して長続きはしません。『それでも 生きて行く』に込められた辻井さんの願いは 静かなメロデイとなって その事を伝えようとしています。
 幸いにも 私は 障害をもちながら 明るく 元気に過ごされている多くの人達を知っています。 彼らが 住み易い社会は 恐らく 誰しもがそのように感じる社会だろうと思っています。
 年齢を重ねるごとに 記憶がぼんやりとしてきますが その逆も体験できます。多くは望まず 些細な事 でも鋭敏な感覚に裏打ちされた想い。 それは”平和”という万国共通の言葉。
 音楽や絵画、スポーツや演劇は 言葉では言い尽くせない力を含んでいます。果たして それが”豊かさ”と どう結び付いているのでしょうか? 今の日本は 今までその事を疑わずに進んできた。
 その仮説の真偽を確かめることをしてきたかと言えば断定はできません。
 国の財政状況は 地方も全く同じ、GDPとか株価という 数字に雁字搦めになっている国は 決して誇れるものではない。これだけは確信しています。
 平和は今を生きる人達だけのものではない。社会保障とは 隙間なく用意された法律や仕組みでは 決してないことを認めるべきです。そのことは 半世紀前の姿を知っている我々年代の責務だろうと思う。困った人がいたら 声をかけ、誤った事を為す者いれば 諭す勇気 その時は 余計なお節介だと言われたかもしれない。でも 必ず その相手が 気付く時があると信じて見ましょうよ。
  今年は 自分の視点を その辺に置いて 呟いて参る所存、お気に召さずば どうぞ 遠慮されずに無視して結構。 そして 来年、ちょっと覗いていただいて それが どうなったか 忌憚ない 貴方様の御忠言を頂戴したいものです。
 ナマグサを返上する気は毛頭ありません。不品行な僧と謂われても構わない。本心か否か 身罷ってみてから 証明されても されずとも 遅くなし。
 
 笑点という民放でのお笑い長寿番組、日曜日の夕刻というゴールデンタイムだから 唯一私が楽しみにしているTV番組です。そこに 茨城県ご当地キャラクターの”ねばーる君”が出演、2時間の正月特別番組で 茨城のPRに寄与した。昼間にはサッカー天皇杯で 鹿島アントラーズが川崎フロンターレを破り見事に優勝。この正月2弾で茨城魅力度最下位という汚名は返上します。 実は、この件に関して私感があるが先送り。
 茨城の三ぽい・・・・首都圏にありながら 垢抜けず 口下手でゴマスリができないを住民気質・県民性と紹介され、その特徴が三ぽい。怒りっぽい、飽きっぽい、忘れっぽい。なんとも自分がピッタンコだからコメント仕様がない。
 他県の皆様、茨城が歴史上で隠れた重要な存在であったことは ご存知でしょうね。常陸国水戸は徳川御三家の一つ、徳川光圀に代表される水戸学は『愛民』『敬天愛人』を旨とし、根底には尊王攘夷の思い強く、明治維新で無血開城を果たした功労者(?) 県内を北と南に大別すると その性格に違いあり、北の怒りっぽさに比べ南は大らかだという。?????。土浦は南。
 世の中が どうもおかしな方向になった時 儒教精神を根強く持った水戸精神の出番とみる。どうでしょうか この辺の見通しは。 僻(ひが)んでいる訳じゃ~ありませんよ。近頃は口八丁手八丁 標準語を駆使してゴマすりばっか、自分の言葉に酔っている。日本男児の風上に置けず、・・・・。 男は黙って 結果を残せ! 恐れながら 新年最初の新造語 敬天愛人の反意語として 『敬私愛己』 (私を敬い 己を愛す)『私言陶酔』(自らの言葉に酔い痴れる) を献上たてまつる。
  
 日本式の個人主義は 困っている人を放置する・・・・云々。(日経新聞記事) この指摘は 肝に命じねばなりませんぞ。 島国の是非論ではありませんが、昔より日本人は 外の世界とは あまり関わらずに来た訳でしょう。5億年前のカンブリア紀を言っているんじゃ~ありません。昭和~平成という 極最近の傾向ですよ、それが 持ち前の真面目さと器用さを発揮し いつの間にか先進国に仲間入り、G7首脳会議なんてものが開催され大手を振っていい気なもんだ。高々 100年の歴史で そりゃーあんめーな! それじゃ~個人主義と利己主義の違い、これをどう説明しますか? おそらく 分かんないから。
 敬天愛人の英語訳 fear god and love your neighbor となるようですが、 your neighbor ですから 隣人愛、この類語を仏教でいえば ≪慈悲≫でしょうか。
 「冥利に尽きる」という言葉、これは 知らす知らずのうちに神仏の加護をこうむることを謂う。・・・・この知らず知らずのうち・・・が大事、 報恩とか信心は 初めからそこにあったモノでは無しに 後々 それを感得するから≪冥≫という訳ですよ。
 刹那主義というか 結果第一主義というのか 過程を軽視するような仕組みを いくら作ってもですね 人心は離れていきますでしょうね。
 正月早々 ヤヤコシイとお嘆きの方もいらっしゃる。じゃ~ 言いますよ。貴方自身 この人といると 元気を頂けるという隣人が何人いらっしゃる? 数えて見てくださいよ。
 エステ、 サプリ、 サロン、 コンビニ、 アプリ、スマホ  ・・・・・・ なんだい なんだい それって 人間ですか 。
 炬燵に入り 猫と戯れ  なんて 経験無い?  その辺りを 頭に入れ 2017年を過ごしてみては 如何でしょう。
 いや~ 私は”愛人”に尽くしたいって  ハッキリ申しまして それ~ アンタの 誤解です。
 

3012:悠久の価値

 終わりの無い価値、never ending value は 万国共通と信じたい。昨日の朝、携帯にAさんが今朝病院で亡くなったという連絡が入った。彼女は人生の大半を尚恵学園で過ごした。体調を崩されてからも本当に良く頑張った。半年前 私はお母さんに相談した。常時 医療的なケアーが必要となり、尚恵学園でこれ以上過ごすことがどうなのか?と正直に話をした。それは病院で延命措置をするかしないかを決断するのに家族が迷っていた時でした。結局、胃瘻処置を行い 実家近くの病院へ転院、その後半年が経過していた。日本の制度では 長期入院し 退院の見込みが無ければ施設入所の継続はできない。お母さんにとって苦渋の選択だった。片道40キロ 毎日病院に通った母親、段々体力が落ち、同時に意識が無くなってきた娘さんと会う気持ちはどうだったのだろう。地元で家族葬を行うことになったという知らせ、Aさんは 7歳の時に入所、生来言葉は無かった。気が付くと 片隅でジッと私達の動きを見ているという印象がある。
 遺影を飾る寺の本堂に また一枚の写真が増える。 
 相模原事件の結末を未だみない中で 障害をもつ子の親達に 大きな問題が投げかけられている。それは 我が子の「生きた証」 実名報道されず 葬られていった人達が どんな思いで いただろうかという疑問。我々 支援する側とて このことを曖昧にしてしまうことには賛成できない。 この日本で今もって 障害を苦にした非劇は 無くならない。 本人と家族 それと我々支援者が共に闘い勝ち取ってきたものが 崩れ消えて行くように感じている。我見と認め 敢えて訴えたいこと、 それは 悠久の価値 だ。 家族の静かにして置いて!という気持ちも判らないではない。 ・・・が 今の時代 これすらも 保障されない危うさを孕む。
 正直 司法が絡むことではないと私は思う。人権とは 「人間が人間として生まれながら持っている権利」で誰しも侵すことは許されない当然のこと。 国連がうたう権利条例は障害者本人の権利では無かったのですか! 生まれ育った地域で 有りの儘に生きられる社会(権利)は ネヴァー エンデング? その議論を憚る国だとしたら 自由を謳歌するに値する自立国とは言えまい。 
 Aさん! 貴方は 精一杯生きたんだよ。大声で泣き 不満を訴えたり 笑ったり 元気な頃は 運動会で良く走ったよね。私には ジャージ姿が良く似合った 貴方の面影が今もある。齢50年の貴方の一生で お母さんの住む近くで過ごせた最後の半年が せめてもの 私達の救いでした。今度生まれてくる時は 健康で思う存分はしゃぎ回れる貴方であって欲しい。
 今年も 様々なことが起こるだろうと覚悟している。それには 誠意ある対応しかない事を知っている、行きつ戻りつ思案にくれながら 悠久の価値を見失う事なく 共に歩むこと。結局は これ以外には 無い。
 ☆障害児教育の基本は、『障害そのものは、解消できなくとも、本人にとって価値あるものを提供することに意味がある。』(ジャン・マルク・イタール)
  
 教育・医療・福祉はお互いに深い関係があって、その人、その国の骨格を形造る基本となります。縦割り行政の弊害は 大分改善されてはいますが 横の連携となるとまだ 課題はありますね。 学校教育はある期間だけの出番でしょう 私は その前後の空洞化が深刻のように思う。教育現場では我が守備範囲にあらず的な考えが歴然としてあります。教え育てるのが教育だとすれば 家庭は その根本の教場となるはず。親から子へという繋ぎの部分は、今時 然程重要視されていないように思いますね。これは 実は深刻な問題を孕んでいるわけですよ。世代間格差とか言いますが 日本人の年齢構成を見ると一目瞭然です。大きな塊として戦後の団塊の世代があって、次はその子供たち、そして孫たちへと 徐々に減少する塊りを作り 国全体として減少していく(25~30年間隔)。これを 急に変えようとしても無理です。それより 親子の繋がりで謂えば 何を繋いでいくか?財産ですか?それとも名誉? いずれもNOですよ。そんなもの一瞬にして失うものばかり、。。。。。”価値あるもの”  それは 人として有るべき姿 生き方ではありませんか? これは 学校教育では片手落ちであることが簡単に証明できます。
 考え方+実践があって説得力が生まれることは不変の真理。 そこが 何と言うのか 誰の責任なんだとばかりに犯人探しばかりやっている。 見なさい。親の後姿????腰が曲がり いかにも疲れた弱き親たち。これではな~! 
 子供に期待できないからと シコタマ 預金する ニッポンは高齢者の平均預金額は 断トツに高い国とか・・・・・。安心は自己責任でとハッキリ言えば良いでしょうにね~。  実は実は 日本人が豊かさが何なのかという 確信が持てない証拠ではないでしょうか。
 ”お兄ちゃん なんのために働いてるん?いまの会社で定年まで働いて、それがお兄ちゃんにとって、どんな意味があるのん”(七つの会議:池井戸 潤箸P57) 池井戸 潤という作家の本を奨める方がいて 読み始めた。まだ 途中までしか読み進まないが 今の社会で”価値のあるもの”を探し求める事は至難の業、良かれと信じ 勤めあげた結果 後で悔やんでも仕様がない。少子化や高齢化という流行語は別に珍しくもなんともないが 実は様々なトリックがそこには絡んでいる。そのカラクリを見破る術は 今の知識偏重 肩書重視の世相からは見つからない。知的に障害があり 文字や言葉が解せない人達 その障害が重い方ほど 本能的に何が大切か(価値があるか)を掴んでいるように私は感じます。 
 新年早々ですが お許し願いたい。私にとって 今この時が大切だと ずっと考えております。 昨日 鹿嶋市に行った。Aさんの葬儀があり、列席できる人で見送ろうということになった。斎場には お母さんと息子さんの二人だけがいた。電話で 誰にも知らせず 家族二人で火葬を行うことは母親から伺っていた。棺に眠るAさん 長い闘病の後 遺影の面影は無かった。
 結局 家族二人 ・・・それに学園から勤務の都合をつけ列席した12名のスタッフが加わった、その後市営斎場で荼毘に 終わったのは午後4時を過ぎていた。
 入所施設の使命を考えています。何をもって我々の役割を果たすか これは 現場に立ってきた者として 一時も忘れたことはない。夜勤体験をすれば 誰しもが感じる事がある。日中 大暴れし 職員を困らせた方が 静かに吐息をつきながら眠っている姿 不安感というより 私は充実感を味わった。  幼児が母親の傍で本を読んで貰いながら眠りにつく。そんな姿が頭を過った。私は 現場から離れて 大分年月が経つ。しかし、この仕事の原点は なんと言われようと夜の当直である。
 入所か通所か それとも訪問か 時代と共に変化した。複雑すぎる仕組みは 簡素化するどころか より酷くなる。一方 寝て起きて食べてという生活は 誰もが繰り返す。 人は様々な体験を積み 齢を重ねる。
収骨の時間まで待合室で待った。時々 言葉をかけに来たお母さん 何度何度も ”すみません”という   家族が離れ離れで過ごすのは それなりの理由がある。それをどうのこうのいうのは間違いだ。
 親ならば だれも 自らの責めを果たそうとする。できるできないは別である。
 全て 括って こうだと断定はできません。一人ひとり違うから。
 お別れの時 棺の中に 学園で一緒に生活した仲間たちからの手紙(?)が入れられた。それと 元気だった頃の写真。
 最後に 沢山の折鶴を銘々が棺の中に収めた。お母さんが≪これ A子が入院している間に毎日私が折ったツルです・・・・・涙≫と話された。
 我が娘に最後に語りかけた言葉が≪A子 今度生まれてきたら 尚恵学園で働けるような人になってね≫だった。
 

3013:日々是好日

 南洋の無人島で何不自由なく暮らせたら どんなにか良いだろう~   日々是好日という禅語は 有りの儘の1日1日を大切に生きよ!ということらしい。有りの儘 だって それってどんなことよ? 余計な智慧を出してああだこうだと考えるのに どれだけの労力を使っていることか。ならば悠々自適なる生き方が理想だとしても それが どんな生き方か分かるまい。
 所詮、頭で考えるのには限界があると言うものだ。
明けましておめでとうとの挨拶もどうなのか? 閉めましておめでとうと何故言わぬ。生老病死 生を明けると死を閉めると人間が考えたとすれば これで万事が休す。これ以上施す方法がないとなる。そんじゃ~面白くないから 死後の世界を考えた。今風に言えば再生エネルギー、それを信じるかどうかは本人次第、ま~ 大体は 生に拘るから 信じましょうと・・・・・なる訳ですわな。 そこに坊さんが出番となり、ムニャムニャ 色即是空 空即是色 。。  本当に 判っていってるの??? 実は この自問自答を行とする。解かったような判らんような話。
 言葉は実に難しい。色とは 一体何色か? そんな疑問が湧いてくる。 堂々巡り! 巡りも色々ありまして 聖地巡礼で チベットに行った時に巡礼している家族と出くわした。テントを持ちながら五体投地で巡礼、目指すはカイラス山 中国チベット自治区プラン県に聳える標高6656メートルの聖地、一周約52㌔ ここを仏教徒は右回り ボン教徒は左回りで巡る行。一体どれだけ日数がかかるか想像できますか?
 世界は広い 仏教も色々 日々是好日  無人島に一人住んで良い事ないよ。これ私の浅はかな料簡で  いい加減なもんです。悪しからず。
 チベットのラサ・クンガ空港 ここに空路で到着 その瞬間に目がくらむ。携帯酸素ボンベを銜える羽目に そんな高所(3570m)に住む人有れば 常夏の島に暮らす人もあり。 よそ様のことは どうしても良く見える。
 ♪ 見上げてごらん 夜の星を・・・・・♪ もしも 地球外に生物がいて この地球を見ていたら どう映るでしょうね? 現時点では 空想域ですが それとは 違った視点から見つめ直すということはできますよね。外国に住んで今の日本をどう見るか? ただ これも 鵜呑みにはできない。どこに目を向けているかによって 評価は逆転する。 You Tubeを見てみると 驚きますね。 編集の仕方に原因があるのかな?よくは判りません。
 登録すると アクセスした数が出る。掲載した日付から どの位の期間にどれだけ多くの人の目に触れたかという。 それと 関連する内容が次々に出てきて 終わらない。 これって 危ういんじゃないか! 
 無料で閲覧できる代わりに 視聴する側の自己責任は避けられない。動画共有サービスなるものが ここまで広がれば 著作権の問題やら収益性の絡みが出てくるのは当然です。ほどほどにするのが良いのでしょうね。
 いつの日か 人間は 地球から出て宇宙のどこかで生活するようになるのでしょうか? 夢は夢として 現実は無視できませんね。足元に目を向けるとどうしても否定的な考えになるのは どうなんですかね。
 歳の所為だ!と謂われたくない。 急に寒さが厳しくなってきました。 家の中で動かずにジッとしているのが健康的? そうじゃないですよね。私は 足にシップしサポーターを付けて 歩いています。健康の為とは思っていません。頭の整理体操です。結果として どんなに寒い日でも 終わるころには汗をかいているから 少しは運動になっているんじゃなかろうか?
 私は名前だけですが 某山岳会に属しています。ここは 知る人ぞ知るで海外遠征や学術研究など その実践は凄い。様々な企画をメールで配信されてくる。最近の案内でNHKで田部井淳子さんの特別番組を知り 観ました。亡くなって3カ月が経過、最後まで山を愛し続けた登山家、七大陸の最高峰を世界で初めて女性で登頂した方である。その生き様は誰も真似できない。九州大学の修士論文のテーマが≪エベレストのゴミ≫ ここまで徹底できるあの方の背景は何か、番組編集にあたった人達は 山を通じて繋がる。ご主人が語る淳子さんとの思い出は 心動かず観ることは出来なかった。
 趣味でも仕事でも遊びでも なんでも構わない 。一生の友を 共通の喜びで 付き合える人間が どれだけ 作れるか これは 己自身のYou Yube でしょうか。
 今年一番の寒波で関東の山間部に雪が降った。夜中 寺の裏山からの音に気付き、窓を開けると 北風で杉の枝が擦り合う音だった。気候の温暖化は確実に進んでいる。子供の頃 30センチ以上積もった雪の中を小学校に通った記憶がある。周りが竹林 雪の重さに横倒しになった竹で道は通行止め 竹を手で揺らすと 勢いよく元に戻ろうとする。これが面白くて 学校に遅刻することもあった。先日 水戸での新年会で市長さんと立ち話、新治地区は3つあった小学校を一つに統合 小中一貫校になるための校舎建築中とか  恐らく 巡回バスで通学するのだろう。
 国は 待機児ゼロを掲げ 今後保育所の数を増やすという。 これは 一部の地域に限ったことではないのですか? 数年先には 定員不足で廃園する所も数多くあると聞く。このミスマッチは どう説明するのでしょう。一方、訪問保育という新手の事業も導入するとか??? 地域に応じた対策は それぞれの地域に任せるべきだ。今 私は 某公立施設の在り方検討に関わっている。入所施設の定員を減らす方向は とっくの昔に国の方針として出された、今更 話し合うこともなく、もう方向は決まっているはずなのに それが簡単にはいかない何かがある。  何だろうね。 ここまで先延ばしされてしまった理由。
 ハッキリ言って、誰も憎まれ役にはなりたがらないという事ですよ。”怨み骨髄に徹す”の的になるのであれば 進んで引き受けるものじゃ~あんめ~エ。そうじゃ~ありませんか?
 でもな~ 本当に恨まれ役なんでしょうか? 規模が違うので比べることはできないが 私の所で いま GHの体験を始めた方が2名いる。その体験を3カ月と見ている。本人が施設とGHのどっちを選択するか????当然 体験を始める前に家族の了解は取って、途中で状況を説明し、その後 本人を含めて家族と我々でどうするかを決めることにした。
 うちの子は重度だから どうせ聞いても判らないでしょう! という家族や施設の声は想定内、それをどうすれば お互い納得のいく方法で先に進めるか。このステップを踏まずして この先の絵を描くことなど 問題外ではありませんか。入所利用が長ければ長いほど 家族と本人の意志の疎通は難しい。当然です。それをカバーできるのは 施設側 その認識と覚悟が施設の側に有るか無いか これが最大の問題なんだわ。
 日々是好日 有りの儘に1日1日を大切に生きる   
 保身とは 身の安全や地位・名誉を保つことを謂う。保身の術に長ける者は 往々にして自らの道を踏み誤っても気が付かない 世の中には 良く聞く話です。ハイ。
 

3014:小説のごとく

 暮れから正月にかけて一冊の単行本を読み終えた。500ページのボリュームだったが 久しぶりにワクワクしながら読み進む。私はいつも巻末の解説から読み始める。そこには≪進化系クライム・ノベル≫との評論家の書評があり、犯罪小説?題名は『七つの会議』・・・・「あなたらしいね。いつも損な役回りばかりで」妻は笑っただけで、それ以上はいわなかった。虚飾の繁栄か、真実の清貧か・・・・・ ラストページに来てやっとこの物語の主人公が 明らかになる。八角という社内昇進競争では敗者(?)の人物をあてた。今では企業戦士なんて過去物語、日本企業で世界的な会社にまでなったものの殆どが家内工業から始まった。下請け~子会社~本社 複雑に絡む関連企業 そこで働く人々の欲望、妬み、策略・・・それら全てが小説の題材となる。 余事としてポピュリズムは 一般大衆の権利、願望、不安や恐れを利用して 大衆の指示のもとに既存のエリート主義である体制側に対決しようとする政治思想、大衆迎合主義とも訳される。このいずれにも共通しているのは願望や欲望の絡み。人は繁栄か清貧かどっちを選ぶかと問われれば 間違いなく 繁栄を選択する者が多いでしょう。
 そこに潜む犯罪性、競争に負け 没落の憂き目にあうことだって珍しくはない。これが今の社会の実態です。それを受け入れるか否かは個の問題と見なされる。
 私が今も頭から離れないことで 「非営利 ホールデング カンパニー」と「相模原障害施設での利用者殺傷事件」がある。私は この二つは同根だと思う。前者は政府が2年前?に閣議決定した 新手の福祉形態、それは政治家の発想では無く 恐らくは財務畑の有識者から出された提案であろう?カンパニーで非営利的なものが果たして今の日本に存在するのか、その発想の不確実性は・・・という表現を用いたことが味噌で お得意の目くらまし作戦!
後者の事件は、容疑者の弁明で 殺人を国益と考えている異常性だ・・・・ 私がこの二つに共通性を見てしまうのは  直面する危機にうまく対応できないばかりに 自らの行為を正当化し 問題の本質を曖昧にしながら単純化しすぎるスローガンとして世に訴える手法にある。更に言えば 国是か個人かとの明確な責任所在が 検証されず 曖昧な形で幕引きをするのではないかとの不信感である。
 数日前 突然 私の寺を訪れた方がいた。筋ジストロフィの障害をもった我が子、発症から11年して先月21歳で逝った、その子は祖母、叔母と母親と3人で力を合わせて在宅でずっと過ごしていたという。檀家ではないが 供養を頼まれる。
 福祉を考える上で 忘れてならぬ事、それは 障害を問題と考えるか否かでしょうね。
 昨日 通所部の新年会をつくば市内で行った。成人を迎えた2名のお祝いを兼ね 親子で参加、スタッフも一緒だから 60名を超す人数、食事中 あちらこちらから大声が出る。その声を奇声と受け取るか否か 世間一般は その声を受け入れてくれるまでになってはいない。最近、愛知県で起こった保育所建設の地域住民による反対運動、已む無く建設中止となった。これだって今の日本の世相を反映している。
 これを是とするか 恐らく自分がその身になれば思い知ることだろうが それまで 何もせずにいるのですか?矛盾ですよ。
 小説の如く 作家の思いを起承転結で組み立てることはできません。単に不満や不平を訴えることでは 世の中は何も変わらない。でも そのことさえ 止めてしまっては どうなのでしょうか?
 悲壮感ではなくて 希望を持ちながら いまヤレルことが有る筈でしょう。
 
 年明けから いろんな方とのメール交換が増えた。住む場所も仕事も違うし 現役かリタイアかも違う。仲間と思っているのは私だけかも知れぬ。そんな事 構うもんか! 必ず返事がくるから 少しは認めて貰っているのだろう。お互いに共通すものはある。それは 単に世を憂うことだけでなく 自分に対する不甲斐なさとその悔しさが根底にあって これがバネとなって生きていること。そこに 暗さは感じない。どうしてかな~? ????
 いちいち相手に確かめてはいないが 多分 ”人間への愛おしさ”かもしれません。悲壮感に潰されてしまえば そりゃ~高い確率でこころの病になるだろう。そこを必死に堪えている何かがあるんだわな。  心底 笑える仲間がいるいないは大変な違いですよ。これは もちろん 誰の責任でもない 自己責任。
 その人自身の過去~現在 のモロモロ。  
 熱き思いが迸る 歳に関係なく いつまでも元気な人に共通する何か???? 肖(あやか)りたいでしょう。羨ましいよね。
 性急な私としては どうしたら そうなるか気になって仕様が無い。
  高齢者が65歳が75歳に延びたとしても 知ったこっちゃない。ピンコロリン。 小生 66歳と6カ月 まだ まだ ・・・・・。百までは 残り33年と6カ月! トラ年だ~よ。
 
 反省無き者は 次なる一歩が怖くなる。避けて 誤魔化し それで 世の中通れれば 苦労なし。
 何かを変えようとすれば 当然 変化を良しとする人ばかりではありません。小説家は それへの挑戦、若き時代 文学を試みた私は ある方の一言で挫折、その悔しさが今もある。理由は現実からの逃避、自分の前に有るものに 向き合う事ができず 逃げ通せると思っていた。 結局 それが幻影だったのか現実だったのか 今も判らない。そして ある方の言葉で今がある。それは ”自分で試さなければ判らない”という一言。 今よりも必ず違う自分があると 思うは自由、 上手い言葉が見つからないが その人なりの 人生が送れたら悔いはないんじゃ~なかろうか。
 個の尊厳とは そのようなことでしょう! 
                     スナップ写真が携帯に入っていた。その中の一枚。
       昨日、公民館でならせ餅をしました。



 ☆笑顔の力

    みんなを元気に!


     
 

3015:…リズム??

 国や人種が違えば 顔・形だけでなく 文化や習慣も異なる。
 正月早々 少し回りくどくなりますが ご勘弁を頂きたい。リズム観??について考えている。ポピュリズム(大衆迎合主義)~グローバリズム(地球主義)~セントラリズム(中央集権主義)~ナショナリズム(国家主義)~ローカリズム(地域主義)・・・・・と 彷徨えるリズム! これは音楽ではなく 思想・主張の類なり。・・・リズムの終焉とかタイトルは様々 難解な解説本が書店に並ぶ。 勿論 単純な括りではおさまらないことは承知の上だがどうも気にはなる。1914~18年の第一次世界大戦、1939~45年の第二次世界大戦、それは各国の利害により同盟と対立の連鎖が起こって国家総力戦となった忌まわしい過去の歴史、今年は2017年 相変わらず世界のどこかで火器が使われ尊い生命が奪われている その終息に寄与したはずの大国が様変わり期待感が薄れ 国連が間に入った停戦合意も簡単に反故され 最早 更なる拡大を食い止めることが難しい。各国が盛んに党首外交を繰り返すが そこから見えてくることは一部の情報だけで その真意は測りかねる。
 アメリカの新しく大統領に選ばれたトランプ氏の動きに世界が揺れる。無線を通信手段とした昔とは違い 世界のどこにいても交信可能、そこに分け入り 混乱をさせることなど容易な時代となった。 技術の革新への願望は収まるどころか激しさを増し、それで金儲けしようとする輩は数知れない。この先どうなってしまうのか 我々庶民にはただただ不安の中で彷徨うばかり・・・・・。
 この流れを食い止めるのは正直 人智の及ぶものでは無くなった これこそ 地球規模に強烈な”お灸”をすえないとならぬ。 人間の驕りと傲慢さは いかなる主義信条を唱えても結局マヤカシを証明するだけで終るのかも知れません 。三権分立をたてる日本は どうでしょうね?
 三権が互いに抑制し均衡を保つと憲法に謳ってはいるが 雲行きが怪しくなってきませんか。誰を信用するかという 根本の問題がいつも 問われず、選挙制度改革も遅々として進まない。チョコチョコと変えただけで 大勢に影響なし。 TVの国会中継をどれ程の方が見ているか? 昨日のトランプ氏の記者会見 が流された。 某メデアの記者とのやり取りは圧巻 こんな議論は ハッキリ言って今の日本では望めまい。公聴会と言ったって事前に質問事項を出すのが決まりとか ・・・・・。
  誰がやっても同じだという諦めが 国民の半数を占めている訳でしょう? 違います? ボサノバでもタンゴでも良いじゃない、小難しいものはいい加減にして、真からこころ動かされるリズムがいつ奏でられることでしょう?
 倉庫に 言い訳在庫を山の如く積み上げ 保身をはかろうとする輩。これは 言葉じゃなくて その人の生き様から見えるもの、自らの責任を果たせず その理由を他に向けるなど もっての外。そのような人間が組織の中枢にいれば 部下はそれに右習い。自ら考え述べずして 謂われたことを 黙々と(?)・・・・戦国の武将 気骨ある首領の下には それなりの部下があつまった。これは今の時代でも同じこと!
 物を扱う商売なれば 在庫は腐らず 時がくれば 用は足りようが それが出来ないものがある。それは 生身の人間相手の仕事なり、そのことが どう説明しても判らない人がいる。それは 知らないのでなく 知ろうとしないから。
 これをリズムでは何と言う。マンネリズム、今流の言い回しなれば safety-first(事なかれ主義)さらに言うと negative attitude(無気力)。行く着く先はニヒリズム。
 組織には 憎まれ役が必要で 指示待ち人間と仲良しグループが寄り集まって 何をする。やればやるほど ズレが出る。そうなると 組織は負の連鎖、気付いた時は施しようがないことに。
 在庫管理は 定期的に入れ替えしないと 先に入れた物から腐りだす。こんなこと 子供だってわかること。頭でっかち ゴマすり人生を なんの疑問も反省もなく歩み通せば 大体 そうなる筋書きは出来上がる。
  注意あれ! そんな人間といつまでも付き合っていると 自分もその流行病に罹患する 。 こんなこと すでに先人達の経験則。良き師をもつとは そのことで 良き師になるとは 別次元。
  
 風邪対策・・・・マスク・手洗い・うがい  流行病に罹らない為の予防法、そうは言っても いつ どこで 菌をもらってしまうかは判らない。鳥インフルエンザが見つかれば 折角 育てたニワトリを全て処分する。
 ひよこからニワトリ(成鶏)までの成長の過程、大体 ひよこを70日目位で成鶏舎に移し、90日目ぐらいまでには 何回かのワクチン接種を終えて産卵をまつ。(養鶏業の知人より)
 稲作農家の友人からも いろんな話を聞きました。国策としての大規模機械化農業は古来からの棚田を変えた。景勝地への価値転換?。かたや地産地消を奨める中で 地場産品の消費拡大ばかりが目立ち、それ以外の価値は どうしたって後付けに。産地と食卓の交流とか健康的な食生活もありましょうし 環境保全は勿論 地域活性化への希望・・・等々 根気と時間を要します。

 便利さを得たことで失ったものも沢山あります。その第一はSNSなど電子化された利器により情報量の多さにスピードに相手の顔が見えない生活スタイルでセルフ・コントロール不能状態 これを人生80年とダブらせてみれば なんとなく見えてくる。人が育つ為に重要なことは 人との関わりによる所が大きい。世の中には多種多様な人達がいることを知って 相手を受け入れるという人間の優しさを学ぶ。こころの病に苦しむ多くの人々は 身近な生き辛さが原因かと思います。
 昨日 久しぶりにドイツのYさんと長電話。
 珍しく 一方的に語り続けるYさんの言いたかったのは”有りの儘で良いんだ”ということだった。これは 家族3人での長い外国生活で彼が掴んだ家族と共に生きる意味とその喜び、もし 感心があったなら こちらを覗いて見て下さい。
 私は やまゆり園の事件後、「家族・施設の利害と本人の利害は福祉の世界ではしばしば相反する。この大規模施設建設をご本人たちは望んでいないのではないか」(神奈川県で行われた公聴会での意見)という報告を衝撃をもって読んだ。 これは障害をもつ子の親の弁でしたね。方や 施設に長いこと預ける家族は 今回の出来事にどう対応して良いか迷っている。
   フランスと日本の比較を語るラジオ番組。二つの国は考え方が真逆の価値観(?)、日本が全体主義とすればフランスは個人主義?。 日本では大勢と違う意見を謂うのには勇気がいる。場の雰囲気を壊すのではと・・・・・。グローバル社会になっても 同じ考えだから 明かりを灯さず暗やみを歩く体。現政権は今までに類を見ない位 積極外交の姿勢を崩さない。難民受け入れや地球環境問題更には自国防衛をもお金で解決しようとし過ぎではないだろうか、首脳会談の後 経済協力云々との発表が必ず付いてくる。今度は一体いくら出すつもり? メデアはそれに対し殆どコメントをしない????
 勿論 この考えとどこかでリンクし 福祉を金で精算しようとする国内仕組み誘導への拍車を掛ける。規制緩和と競争原理 これは 経済学の範疇ですよ。だから 日本は豊でなければならないという理屈? 魂まで金で買えるという錯覚は これいかに! いつ どこから ズレが生まれたか?
 世界の長者上位8人の総資産が なんと36億人の資産総額と同じという、 日本の国内格差は さてどの程度?『ゆりかごから墓場まで』私がこの仕事に就いたころ 良く耳にした理想の福祉観(?)。それは 経済優先という発想よりも 独り一人の安心(幸せ)を目指す考えであったと思う。抱え込みやら継ぎ接ぎ施策は 複雑で判り辛いという反省からの新たな取り組みは道半ば
 

3016:言い過ぎ位が丁度良い?

 後戻りは難しい? 世界中が何かがおかしい。 不安と不信が蠢き始める。同盟やら協定の名の下に 何らかの計算があり、双方とも疑心暗鬼になっている。自国を優先させるのは仕方がないとしても、それを力づくで獲ようとするのは 如何なものでしょうね。 
昨夜 前から約束していた方と夕食を共にした。お互い 種別は異なるが福祉の仕事、介護保険制度をヨーロッパから取り入れる時に その方は関わったそうで 懐かしく話された。
 それは20年以上前の話だろうが ドイツの担当者と話をする中で ドイツと日本は 歴史も違うし人種言葉も異なるから 仕組みは真似ても 日本にあったものに作り変えることが大切だという話をしたという。欧州統合は共通通貨で国間の往来は自由となったが 新たな課題が出てきてる。イギリスがEUからの離脱を決め 加盟国内で 勝ち組負け組に分けられて 不満が未解決で残される。要するにそれぞれの国の歴史や文化をどのように扱うかだろうと思える。果たして 今後 良い方向に進むのでしょうか?遠い他国の事だから 日本にいると実感がない。日本の首都東京では 豊洲への市場移転で混迷を深め 責任の所在も明らかにされない中で 出店予定者は引くに引けない立場に立たされる。基準越えの汚染物質を除去する方法があるのかどうか?
 6年前 の福島原発事故の汚染除去の見通しがまだまだ立っていない中で 今回は明らかに人為的問題であり 落とし前をどうつけるのか?表に出てなかった事が徐々に明らかにされる、当時の担当者は既に現役を退いて 記憶は定かでないと白を切る。今後 風評被害も残るから その補償に どれだけ掛かるか不透明。
 
   ☆荒波に小舟で 漕ぎ出す 人有れば それを 浜で眺める  人もある。 とかく この世は 儘ならぬ  歳を数えて 我がふり 直せ!
 慣れ親しんだことを 変えることは 様々な思いが絡むものです。変えるべきか 変えないべきか? 結局 決断するしかない。組織とは 社会を構成する各要素(人・もの・行為)が結合して有機的な働きを有する統一体。その最たるものは 国家、歴史を辿れば いずれの国もくっついたり離れたりを繰り返して今に至る。企業もしかり。家族もそうだ。そこに関わる人間の意志が働き 離合集散の歴史である。
 ”安定”と”恐慌”は経済用語。景気循環の過程における現象で、その最悪の状態は、価格の暴落・失業の増大・破産・銀行とりつけ、いわゆる経済恐慌→パニックである。所詮 安定する社会は有りえないということ 物を売って金を得るという資本主義の原則は 周知の如くそれ自体に矛盾を孕む。過剰生産をコントロールするのは難しい。商売は薄利多売、価格競争で 体力が無いものは敗れ去る。付加価値のあるものを高く売る これだって 謂うは易しということですね。国家間の取引で調整役を果たすのが為替レート。 円高円安 どっちが得か損か FXチャートなる画面に釘付けで キイを押す。秒単位で競う株式市場も凄まじい。素人が手を出せば 痛い目にあうに決まってる。それを国家が行うのだから 恐ろしい。
 経済最優先という政策、時代がグローバル化し過ぎた結果 様々な不具合が生まれ その対応策で保護主義へ転換する動きが加速する? 自由貿易という割に 実態がどうかという不信感は常にある。
 日本全体をみれば 判るはず、年寄りが増えれば 食べるもの 着るものは変化する。夫婦2人でコメをどれ程食べますか?毎日綺麗なベベで着飾って どこに出かけます? 空き家が急増 アパートは乱立、これが地方都市周辺の実態像、既に節税策や持家新興策が効をなさなくなっている。だって 利用する人がいないでしょうよ。
 仏教に三界万霊というものがある。その三界とは欲界・色界・無色界。これこそが 一切衆生が生き死に輪廻する三種の世界。現世の世界観とは別世界、むしろ 己自身の中にあるものだという教えです。
  

3017:熱く燃えろ

 


 法人で今年2か所目の新年会は土浦市内のL'Aubeで開催されました(上記スナップ)。事業所ごとで全部で4回行います。道路渋滞で開始が大分遅れましたが、皆さん良く待つことができ 驚きです。約3時間の宴は普段なかなか見られない正装姿で 徐々に盛り上がり 最後はOさんの出番、エイエイオーを参加者全員で行い3時間の新年会が終わりました。  熱く燃えろ! 私は 彼らからそんな檄を飛ばされたのです。ヨーシ 行くぞ~。
 翌日は 水戸で某新年会 こちらは大人の集い 歌は出ませんが 立食でテーブルごとに話しが弾んでいました。途中 茨城出身の稀勢の里が勝ったというニュース 大関もがんばっているんだわな ・・・・・。一回は頂点に立たせたい。年間最多勝利の関取が優勝できなかった例は過去にないとか・・・・・。これまた 茨城県民性? 遠慮深さ? ハッキリ言って勝負には それは必要ないと思います。
 3年後の茨城国体の気運も徐々に盛り上がってきた感じ 茨城空港のPRにお二人の若いお嬢さんが何かを喋ってくれました。  熱く 熱く 燃えろよ イバラキ。粘れ ねばれよ 水戸納豆。
 
 なんとも 世の中には理不尽なことが あるもので。あれだけ盛り上がった宴のあと 一夜明けたら 園はインフルエンザの猛襲(?)と対峙する 通院の人数も半端じゃなく 病院も他の患者で混みあって 大変な状況へ。この時期、ある程度は覚悟はしているが できれば静かに通り過ぎて欲しいこと。
 考えようですかね。ウイルスと皆さん 闘っている訳でしょう。これって  避けられない現実です、自分の体に抗体ができて 人は強くなる、逆に無菌状態で生きることは できませんから。
 こんな時に限って お寺と施設が一気に動き出す。昨日は 利用者さんの通院報告がドンドンメールに入る、それを見ながら葬儀となった。落ち着かない。その後は 近くのお寺で 別口の打ち合わせ 帰る頃には雪も雨になったが 妙に寒さだけが身にしみた。
 『 ・・・・・ファースト』が流行語、夜中 ラジオをかけると トランプさんの大統領就任演説がLIVEで流れてた。同時通訳との併せ聴きだが 声から感じる迫力が違うと思った。それは激戦の選挙で選ばれた人と直接国民投票にて選ばれない人の違いでしょうか? ルールだけを真似た制度は 長い時間にはズレが出る。その改正は目先のことのみでなく 根本から変えねば何もかわらない。
 *議会制民主主義を取るのであれば 当然、国民主権が根幹にあるべき、・・・・が 現状の日本の政治は 長い間 有権者の参政権(選挙)行使が全体の半数程の投票率で推移、時代と共にデモクラシーの概念は変化しているとはいえ、揶揄した言い方をすれば”衆愚政治”と成り下がることも起こり得る。その意味では 熱狂的な選挙戦を終えた後のアメリカのこれから先にどうしても興味が向く。
 
 稀勢の里(牛久市出身) 優勝 おめでとう! 待ちに待った賜杯を千秋楽を待たずに決めた 大器晩成型力士  貴方は 何度となくその優勝を寸での処で逃してきた。旧鳴門部屋の元横綱 隆の里の弟子となり 現在は田子の浦部屋、稽古場に飾られた恩師の遺影 今までに 何度も挫折を味わい 写真に向かい独り涙を流したことだろう。「おしん横綱」といわれた恩師隆の里の教えを忠実に守り 待望の優勝を勝ち取った。
   稀勢の里の相撲道、喜怒哀楽を表に出さず 只管 恩師の教えに忠誠を誓い稽古に精進、今場所 様々なプレッシャーに屈せず優勝を決めたことは アッパレ!。その時 流した一粒の涙、それと「うれしいです。本当に感謝しています。」という言葉 我々 茨城県民として 誇りであり、元気を頂戴した。此方こそ 感謝ですよ。昨年の12月 レアルマドリードとクラブワールドカップ2016の頂点を争った鹿島アントラーズ、その活躍が記憶にハッキリと残っている中で今回の稀勢の里の偉業は言葉で言い尽くせない。 スポーツで実績を上げることは 実力が伴って為せる業、感動と称賛は多くの県民が 感謝の思いをもって今感じている。
 熱く 燃えろ! 狭いこのニッポンで 県の魅力度を3年連続でシンガリを勤めた、どこの誰が それを決めたのか知らないが 悔しかったら やって見ろ!と 県民全てが思ってる。世界と差しで戦えるのは イバラキではないか!
 流行に流されず 己の信ずる道を歩む これが 水戸学の教えを汲む他県に誇る人の道・・・・・・・。 
 忘れてならぬ事 それは ある取組(白鵬戦)、それは 同部屋力士で同郷(土浦市出身)の高安が兄弟子に捧げた場所中盤での一勝、彼もまた それを自ら鼓舞することなど全くない。(謙譲) 
 様々な圧力に屈せず平常心を保つことは 俄ごしらえで出来ることではない。現役大関でただ一人優勝経験がなく、しかも 大関として最長の場所勤め、優勝への思いは 計り知れぬものがあっただろう。どうして あの場に至っても冷静な相撲が取れたのだろうか? 苦節○十年というが 彼の場合は 他のどの力士より 順調に大関に昇進した。その実力と一際目立つ大きな体、それ故に頂点になかなか立てぬ苦しみは大きい。それは 記録を総なめに塗り替えた横綱 白鵬の存在、そして その横綱に≪強い大関がいて 良かった≫と謂わせた。相撲界を支えるのは 人気力士の存在、一人ではできない。遅咲きながら 誰にも負けない 相撲道に徹した新横綱を 一番望んでいたのは 白鵬自身であったかも知れぬ。
 相撲通の方なれば 稀勢の里が弟子入りした鳴門部屋が 数ある相撲部屋の中でも稽古の厳しさは天下一品、そこに15歳で飛び込んだ。我が子を送る両親も凄いが それに答えた倅も立派。
 思いを形にする・・・・この筋書きは いつの時代の誰しもが描いてきたものである。 しかし、それには あるルールがあると思う。そのルールを軽視したもの、万が一にも一攫千金を手にしたとしても それは大した意味を持たない。(喜びは 手を合わす心から)

3018:地蔵護摩によせ

 神立の神宮寺の本尊は地蔵菩薩、坐像である。普段は厨子(宮殿)を閉じているので 正月の初護摩と盆の施餓鬼の時にだけ御開帳で拝顔可能、そのお姿は此方側の心中を察っし 凛として一点見つめ『しっかりしなさい』と檄をくれたり、微笑を浮かべ『うん ウン、それで良いんだよ』と慰めてくれる。もう一つの寺の観音寺は本尊が観音様、600年もの長き時をお二人で地域を守ってきてくれた。そこに住す 私は 何かの縁を感じている。
 良く言われてきたことは ≪お前には  9歳で亡くなったお兄さんがいて ・・・・・・≫ この言葉を忘れたことが無い。もし生きていたら 私は生まれてこなかった・・・・・。こうやって 独り言を続けるのも 多分 その兄への返事の無い手紙なのかもしれません。老いることは 黄泉の世界に渡った人との再会が近ずくこと。仏教は そのことを 様々な方法で教え導く。地蔵菩薩には、子安地蔵・六地蔵・延命地蔵・勝軍地蔵・・・と姿をかえ、衆生の教化・救済の菩薩として尊信されてきた。
 本来の仏教の教え、四苦八苦をどう読むか! 苦しみや悲しみ、それは 誰しもがそれから逃れたいと思うこと。現実は その思いとは裏腹に予期しなかった事が起こるもの、己に降り掛かった災難をどう考えるか! 仏教が三界万霊の救済を第一とする所以がそこにあると私は思います。それは 自らがその苦を体験すればこそ 相手の苦を理解できると言えましょう。
 挫折感や虚無感は 人間生きていれば誰しもが経験し そこから逃れようとしても思い通りにはいかない。何故 地獄絵や忿怒像が今日まで大切に受け継がれ信仰の対象となってきたか?
 仏教で説く無や空を難解だと感じる人は多い。具体的に言えば生老病死  寿命はその人により異なる。年月の長短では測りしれぬもの、善悪は勿論、”吉凶は糾(あざな)える縄の如し”と謂われるように常に一定ではなく 変転をくりかえす。今日の日本で長寿社会を問題と考えていること、これは自由や豊さを標榜する割に 幸せへの確信が持てないという証 これは 根本的に何かを変えないと最早引き返せない事態になっていると思ってしまいます。
核家族は 何故すすんだか? 少子化は なぜ起こったか? 深刻さを増す格差の拡大や こころの病 挙げれば切が無い、・・・・・・。生命の尊さを豊かさで図るとする考えは 尊さ&豊かさという日本語を本当に理解しているのかという疑問が先立ち 今以上に私利私欲が強まって 日本中にその考えが蔓延し人々の孤立化が進むのではないのか。
 その一例として福祉に携わろうと思う人が 減り 権利を主張する人が増える。  表と裏の人間の心理だとしても 福祉現場に立つことを喜びと感じ 権利を主張する前に 己の義務を果たそうとする このような社会にならないと 世は乱れると思う。
 
 ≪横綱の名に恥じぬよう精進します。≫という稀勢の里の口上は 実に飾りの無い言葉で自らの思いを述べた。難解な言葉(4字熟語)を使うより 彼が自分で考え 決めたものが一番相手に通じる。師の教えを大切に守り、只管稽古に励んできた、決して偉ぶらない 彼の姿に周りの人が好感をもつ。15歳で角界入りした時から将来の大器と期待され、よくも途中で挫けず 頂点の座を掴んだものである・・・・・・。日本人としての横綱昇進は19年ぶりだという。 現在30歳6か月 4人横綱で彼が一番若い。
 相撲道の道には、道理や条理の意味と分別の意味がある。仏教でいう処の 道もしかり。”永遠なるものを求めて永遠に努力する人を菩薩という”(高田後胤)それは菩薩道、 頂をめざし 歩み続けること その道は長々と続いている。
 自分が目指す方向を定め それに只管 努力する。これは どんな時代になろうと 不変の人の道でしょうね。嘗ては それが有った。 昨今は  ま~ 謂うならば美辞麗句 どんなにうわべを美しく飾ったとしても 中味が伴わなければこころ動かない。
  由々しきことであるが 諦めてはいけない。
我が茨城の最近の明るいニュースとして。①鹿島アントラーズの年間優勝②稀勢の里の横綱昇進③直木賞受賞作家の恩田陸
 いずれも共通して 一筋の道を究めようとする姿がアリアリと見えてくる。
 文武両道の校風を実践している学校は どの位あるのだろうか? 教学は教え学ぶこと。教育は教え育つこと。教育現場で ある時期から教師と生徒の関係に微妙な変化が現れる。「ゆとり教育」の導入という潮目の変化は、実際には 言葉だけが独り歩きし、肝心な押さえ所が曖昧になった。知識偏重の教育を長い期間反省せず続けてきた結果、教育原点の共通理解がボヤケてしまった。
 それじゃ~どこで その役割を果たすかと模索し 先ず 家庭が本来の機能を取り戻すと試みるが脱出できず、じゃー地域で? とんでもない。地域創生とか町起こしという上から目線のスローガンはあっても その成功例はほんの僅かでしかあるまい。
 違いますか ?
 今日、頗(すこぶ)る短絡的思考だけは健全(?)で、最も重要な みちすじを軽視する。それならばお前は 徴兵制導入を望むのか!と謂われそう。韓国やドイツでは 今も若者の兵役義務がある?? 兵役を免除されるには 福祉の現場で何年か働くことが条件とか昔聞いた。それが 今どうなったか良く知らない。(☆:ドイツでは2011・7月に兵役制廃止?停止?))
   実は、今のままで日本が進むと 道を誤るのではという不安を国民の多くが感じてきているのではないでしょうか? 一国の大統領が前任者と逆の政策を掲げると 右往左往し、真意を確かめようとしても 信頼関係がなければ できません。 すでに お金でご機嫌を取るという手法は 相手に見過ごされてしまって その額をドンドンつり上げられ 気付いた時には 自分の財布に金がない。
 教育を司る 文科省で問題が発覚、責任者が辞任した。 これで矛先を転じ一件落着? そんな簡単な話ではないでしょう。文科省だけの問題でもなかろうし。となると 今 やらねばならぬことは もしかして 国技である相撲界にヒントがあるかもしれません。つまり 同部屋の中で激しい稽古・切磋琢磨を常とする、政治の世界は 数を得てしまうと その政党内での激しい議論が消えること。何故かその事がスッポリ抜け落ちる。 それは考えずとも 判るような気がします。いや~ 無理かもね。だって 大半が そんな経験していないし、今の実態に疑問さえ感じていない・・・・・・・・! 勝利の美酒にいつまで酔っている! 相撲道は 常に己の鍛錬を怠らず、結果の是非を他人の所為にせず 自業自得だと弁えている。下剋上の一端にあることを自覚し 党内議論を重ね 謙虚に しかも誠意をもって立法府であれと 誰か謂って欲しいものである。

3019:感染力

 全国でインフルエンザ感染者が急増、茨城は全国に先駆け感染警戒地域となっていた。 この1週間で全国の殆どの県が警戒地域になってしまった。 その種類はA型が多い これから春先に向けてはB型も増えると予想されている。初めはたった一人の罹患者から集団感染に、特に我々のような施設では 大勢の人達が生活を共にしているから 感染拡大防止は実に難しい。 毎年、予防接種は全員で行ってはいるが これだってどうなるか 判らない。結局 一段落し平常日課にもどるまでには 時間と細心の注意が欠かせない。
 そんな時。北海道の友人から電話があった、≪どうだ 生きてるか?≫といつもの如く、≪インフルエンザ、そちらはどうですか?≫と尋ねると ≪どこも同じさ!≫ と一言。今年は大雪で札幌は道路がマヒし その中で対応しているとのことだった。菌(ウイルス)は常に変化をする。医療とのイタチゴッコで抗体に効かないものにドンドン進化(耐性菌)するから 感染力が強まって 大流行。 唯一の対策は 新型菌への抗体を体に作るほか方法はない。
 正月から なんやかんやと忙しない。毎年定例のものは予定に組み入れているが 寺の檀務は 予定がたたず。だからと言って断れず どうにかこなしてはいるが これだって、いつどうなるか判らない。昨日は近くのお寺で住職の葬儀があった。事務局幹事として1か月前より準備して 当日を迎えたが ハプニングの続出でその対応に苦労した。どうして世の中がこんな風になってしまったのでしょう。 
 今年は 12月に1週間ほど別世界(ボルネオ)で過ごさせて頂いた。その反動が此処に来て効いてきた。朝 小鳥の囀(さえず)りで目をさまし ゆったりとした時間の流れ 夜昼30度という常夏のジャングル(?)手の届くところに天然の果物 ・・・・・・行く前に 注意しろと言われたのは”蚊”だった。ジカ熱感染? 現地で刺されはしたが 神立町の蚊のほうが痒かった。
 どこにいても 注意しなければならぬ事はあるのです。
突然ですが こんな歌ご存知か?『遅く咲くのは枯れぬ花』♪・・・・・遅咲きですとデビューして大器になった方もいる。そうかと思えば 幼い時からずっとその地位を守っている方もいる。 これには それ相当の努力があるということですよ。
 恨みつらみは人の性、妬むこころの卑しさよ せめて  心に 枯れぬ花を咲かせたい(作詞:ナマグサ)
 
 枯れぬ花とは どんな花? 造花じゃなくて 生の花。 蕾が開花する時 音がするという蓮の花は 私の周辺に沢山あるから あまり気にしたことはない。 人は 品種改良し その価値を上げようとして人為的な選択・交雑・突然変異の発生により病・虫・寒暖に対しての耐性を進化させてきた、実はその過程での新たな発見にも是と非があることは無視できまい。
 恐らく 人間がどんなに足掻いても 自然の力には適うまい。 それは”欲”の有無による。花には欲は無い。綺麗に咲こうが咲かまいが 無関心。我々人間には 見栄がある。
 ・・・・ファーストという流行語、これだって 一過性の問題で 地球が持たなくなった時に さーどうするか? 南極の氷が確実に減っている。盛んにその研究がされているが 地球上の二酸化炭素の増加で温暖化が進んだことが原因だという話は大分前から出ているが・・・・・ご覧の如く 経済優先 貿易不均衡 侵略 殺戮・・・・・と 己の利ばかり追いかけることで精一杯。まだ時間があると考えて 対策を先送る、どこもかしこも 右ならえ!
 内需拡大との触れ込みで調子に乗って突き進む。見なさい 建物の豪華さを競う社会福祉など 過去には無かったはずである。上物ばかりに投資して 人を育てる策がない。このアンバランスが 先進国??? 笑ってしまいますよ。 図体ばかり大きくなった紙風船の穴を絆創膏で応急にふさぐようなことばかりしてませんか。 このままいくと 破裂して 元も子もなくなるよ。
 メデアへの感染は より深刻化 何がウイルスなのかさえ判らない。それを上手く利用し 見せかけの客寄せをする輩が後を絶たず、見なさい! SNSとかなんとかネットを使ったPR、気が付けば どこもかしこも似た顔をした人ばかり。これには 理由がありまして 写真公開できるか否かの法律に抵触するからでして、だから見なさい! HP上での人物の笑顔や設備が本当かどうかという疑問が出る始末。
 これでは もう福祉論・・・云々が出る幕なし。更には、この事に異を唱える人は実に少なくなっている。皆で渡れば怖くない。どこかで聴いたような話だわ。個の尊厳を謂うのであれば 事業所の尊厳(特徴)も認めねば!
  枯れぬ花とは・・・・・≪裏をみせ 表を見せて 散る紅葉≫(良寛辞世の句の1) 。 散ったあと 人の心にいつまでも残る花のことを言うのだと私は思います。 
  
 ≪散る桜 残る桜も 散る桜≫(良寛辞世の句の2) 良寛の生きた時代は江戸後期(1758~1831)、当時、全国で米騒動が頻発、天災・悪疫が襲い、凶作により多くの餓死者が出た。村人同志の争い、食を求めて盗みを働き処刑、その光景は 救いのない人間の哀れな姿だったという。越後出雲崎の名主という家柄に生まれた良寛が18歳で出家する。その時の心中は ?
 当時、 70歳を超える長命は珍しい。二つの辞世の句に共通する”花”によって 人の世のはかなさと同時にどう生きるべきかを教えている。江戸時代は歴史上 希なる時代、15代に渡って長く続いた統治システムは 今後 日本では出来ないだろうと言われる。現代は一国だけで解決できることは無くなり、利害得失、国家間で長く合意形成をはかるのが困難な時代となったからである。江戸の後、日本は2度の世界大戦を経験した。
 いま政権を担うものの殆どが その戦争の体験がない。 不戦を誓うと言いながら 果たしてやろうとしている事はどうなのか? 貴方たちは憲法を改正する時に 本当に議論を出し尽くしたと言えるのですか?
 良寛が生涯の師とした国仙和尚は弟子に厳しい戒律を課した。それは 経を学ぶことより 勤労を第一としたことでした。
 勤労は 綺麗ごとを並べることではなく、自らが汗をかき 人の中に身を低くして入っていくこと。人にとって 育った環境は 後の生き方に大きな影響を及ぼす。そのことを忘れてはならず、常に自らを省み師の判断を仰ぎながら 道を誤らないようにするべきである。
 最近よく見かけるようになった責任をとって下野する・・・・。これは 真の責任をとったこととは言えない。むしろ 責任回避の便法とみなすべきではないか!

3020:伝統文化

文化とは 国や地域によって 伝えられてきた物心両面の成果、衣食住から技術・学問・芸術・道徳・宗教・政治など多岐にわたるもので、その定義をエドワード・タイラー(1871)は・・・・・≪・・・人が社会の成員として獲得した能力や習慣を含む統合された総体・・・・≫とした。
 社会の成員という意味は、社会を構成するメンバー。やまゆり園で起こった惨忍な事件は 時間の経過と共に人々の記憶から薄れてきたのではないだろうか? 注文してから1ケ月以上待っていた本がやっと昨日届いた。相模原事件の特集号、恐らく再版するのに時間がかかったのだろう。12月26日横浜で開催された追悼集会は関係する団体の共催で300人が集まった。『障害のある人とともに生きる神奈川県をつくるため、それぞれが努力することを誓う』をアピールして終わる。果たして障害をもつ人達に この国は優しい国であっただろうか。これから先 それがどうなるのか。これは 地方自治体の主体性に任せるということで片付けることではあるまい。
 あの忌まわしい事件の犯人は 獄中で 今も同じ内容の供述を繰り返していると聞いた。障害者を社会の成員として認めず 排斥すれば国益にかなうと・・・・・。
 ひょっとして自分は健常者であると思っているのかどうか、もし そうであったとしたら 彼は根本的に間違っている。現世に健常者などいるはずがない。これが仏教の立地点、自惚れもいい加減にしろ。本当は 彼が成長する過程で何がそうさせたかを検証せねばならない。 昨今 何らかの偏重(志向)が目立つことが気になる。どこかの国の如く一国主義を公然と表明し 壁までつくるという。 世界中、グローバル化が急激に進み 何を国益とするかが判らなくなった。それへの反動なのか、冷静になれば 気付くことだろうが ほんの一握りの成功者(?)が権力と富を独占する一方で飢餓や殺戮による非劇が生れる。 行き過ぎた言動は 必ずや 修正せざるを得なくなる。 そのことを知る時が必ず来ると思うが 人間は そこに自らが立ってみないと判らないのかも知れません。
 国・企業・・・・家庭・・・・・・それぞれの存続に欠かせない何らかの共通点があるとすれば ”独裁者”&”独善者”への忌避とそれに立ち向かう勇気!自縄自縛は 抵抗勢力があって 初めてそこから解放されるものです。 
 アメリカと日本、文化の面からみると真逆の体をみる。歴史的に多くの移民を受け入れててきたアメリカ、一方 島国で単一民族 過去に鎖国の歴史もあり、外交に消極的だった日本。戦後 両国はお互いをパートナーとして共存共栄の了解の下に、世界中に進出 外貨獲得に勇往邁進し経済的な繁栄を得た。両国の比較に関する書物は枚挙に遑ないが、一例をあげると ”失敗”に対しての考え方、失敗を恥辱と考え行動に移すまでに熟慮し時間がかかる日本、アメリカは失敗を気にしないで即行動に移し その結果の是非はあまり問わない。白黒ハッキリという意味ではアメリカに軍配があがる。
 今回の 新大統領による矢継ぎ早の政策変更、一先に反対を表明する外国の党首あり、それに対し日本は 慎重に見極め様子を見るというスタンスか。党首会談を10日に行うというが、その中身は国民に知らされるのだろうか? 話題となっていたTPPの今後の見通しは不透明で 振り出しに戻った感がする。
 昨日、中国と日本が名指しで 為替操作をしていると批判され、それに対し日銀がどう応じるか! その言葉を受けて株価や為替レートが大きく動いた、これだって日本が 遮二無二追い求める豊かな経済指標の実体ではないだろうか?
 これから先 様々な要求が突き付けられて来るでしょう。その時、日本の立場をハッキリと示せるか、NOはNOと言って欲しい。
 本当の勇気は、道に迷った時に 引き返す決断ができるか否かでしょうね。豊かさの幻影を相も変わらず追い求める事の意味は政党毎の支援者の利害が複雑に絡み どこを切るかさえ分かるまい。
 お隣の韓国のトップをメデアは挙って、白日の下にさらし揶揄嘲弄するという攻撃を行ったが、ここに来て急に鳴りを潜めた!韓国とは隣同志でありながら 戦後歩んできた道は全く異なる。日本の政治制度の弱点は トップを国民が直接選べないという仕組みにあると私は思います。政治責任の取り方一つにしても 曖昧さを温存してきたツケが 今 激変の時代をむかえ ハッキリと出てくると思いますがどうなりますか。
 
 伝統文化と個の尊厳重視には、ある”願い”があります。多くの人の力と悠久なる時間によって様々な模様が織り成され、人生の礎となっているのです。 残念なことは 世界遺産の破壊、それも人間が考え出した火器により一瞬に壊されている。その遺産も人間が考え作り出したもの、後世の者が その意義と価値に刃を向け、自らの想いを行動で示す。これは 破壊者のみを断罪しても根本の解決に至らない。人はそのことを過去の史実から学び承知しているはずである。柵をこしらえ 破壊を防ごうとして 防ぎ切れるものではあるまい。  ・・・・・・が 実は同様のことが 日本の福祉現場において なされようとしています。それはあの事件のあと 国が同種の事業所に防犯カメラの設置を決めたこと。外からの暴漢者を防ぐためとは言え、果たしてそれが 今の日本で可能なのかどうか? 福祉現場から 様々な告発によって 実態が暴露され 大きな話題となっている。
 これも火の無い処に煙はたたず。関係者の猛省と改善への努力は当然だが これも一時的な対症療法に過ぎない。
 この国から 斯様な事件が起こらない為には 幼い時から 個の尊厳を教え育てる環境が不可欠。子が福祉の仕事を希望した時に 反対する親がいたとすれば この国は 最早 病んでいる。生涯の仕事として 堂々と言えるような時代は 不平不満を言ってるだけでは 何も変わらない。まず 自らが その現場に立ち 変えて行くこと これが 残された唯一の道ではないでしょうか。いずれ 誰もが福祉の支えが必要になるわけですよ。
 昨日、ある方の埋葬がありました。21歳の若さで逝去、10歳の時に発症した病で彼の人生は一変し、最後は自宅にて家族の介護によって過ごしていた。笑っている遺影は 何枚もあり 家族それぞれが大切に持っている。そして 祖母が眠る墓地に 小さなお地蔵さんの石像と共に埋葬されたのです。
 個の尊厳は 願いと行動によって 初めて陽の目をみる。 どんなに 立派な言葉があっても 受け売りであれば 意味はない。 失敗の修正は 言葉ではない。その後 どうしたか!が一番重要なこと。
 

3021:如月(きさらぎ)

 月日の過ぎるのが実に早く感じます。如月に入り、立春とは名のみの寒さ、昨日は西風が吹き荒れ 収穫を終えた裸の畑は土埃が凄くて視界が見えなくなる程だった。4日は立春、丸かじり寿司の恵方巻を食べると縁起が良い、 今年は12日が初午(はつうま)で豊作祈願と稲荷信仰が結びつき 油揚げや稲荷寿司を食べましょう。日本では旧暦と新暦を使い分け、季節ごとに行なわれる風物詩は暦を見ながら準備する。それぞれに 人々の願いや信仰が結びつき 御馳走付きときているから 忘れない。昔の人は 智慧が有る。
 1月はインフルエンザの対応で明け暮れ、やっと落ち着き、普段の日課に戻りました。今日は豆まき 誰が鬼になるのか判らないが それぞれの事業所で行うことになっている。日本語は、漢字・平仮名・カタカナ・それと変体文字と多種多様 これを学ぶには大変だ。本来の意味からズレることは良くあること、坊さんはお経を呉音・漢音の読み方と訓読みがあって違うから 常に経本を持って読むことが基本となる。
 ボケ防止で数独を始め、今では超難解コースでないと物足りず、暇を見てはやっている。この歳になると 普段の努力がモノをいう 皆さんもどうですか?弱るのは 頭が先か 足腰が先か? どっちでも構わないのだけれど 出来得ることなれば 先送りしたいものである。 病は気からとは良く謂ったもの、まさしく その態の同朋が増えている。日々是精進と早寝早起きは これ如何に。ま~3時ごろ起きだしてPCに向かうのもどうかと思いますが、何せ トイレに起きると眠れない 喉が渇くから 水を飲む。この繰り返しで夜が明ける。関東地方は正月から雨らしい雨は全く無く乾燥警報出っ放し。これでは風邪のウイルスは絶好調 油断は禁物と気を引き締める。
 昨日は久しぶりに国会中継をTVでやっていた。失礼とは思うが 正直な感想。まったく 迫力を感じない。与党も野党も同罪だ。誰だったか トランプ国会と言った人がいたけれど あの人たちは 自らの足元をどう見ているのか!
 海の向こうの新大統領の放言が物議を醸している。その中味の是非は別として あの迫力を少しは煎じて飲めば良い。なんとか委員会 委員の頭数は多いが あれは無駄ではないでしょうか? 豊洲問題だけでなく、委員会にどれだけの経費が かかっているか 公表すべきです。要するに先生(?)の数が多すぎるのですねニッポンは。これを改正もせずに 延々と続けている。見なさい社会保障関連の法律改正の多さに比して 議員定数減の議論がどこかに消えてしまった。内部から疑問が出ないのが不思議でなりません。庶民の感覚のズレは相当なものと私は思っている。ご存知だと思うがドイツの議員さんを学んできたら良い。ボランテア(?)で夜 集まって会議する。おそらく そうなれば 議員の数は自然と減るでしょう。
 今の日本ではハッキリ申しますが政官財学の癒着構造は 無くならないと思います。
     如月の 春立つ日に 腹を立て   飽くなき 独言会に 客独り。(ナマグサ)
  
 空き缶やペットボトルを回収する機械がヨーロッパ各地に置かれている。それも入れた分 お金が戻るという。何でも 環境保全の一環で国が奨めているとか。昔からプラスチック汚染というものが 世界で大きな問題になっている。プラスチックは空気に触れると劣化し 粉々になって水に浮遊する。それを鳥が食べ、 最終的には人間が食するものに混入、・・・・・。ゴミ問題は 一向に無くならず、不法投棄は後を絶たない。このモラルの低下の原因は? 回収された空き瓶・プラスチックに対し 代金が自動的に払われる仕組み。それだけでなくその代金を寄付に回せばその場で領収書が出てくる。この話を聞いた時 何故 日本ではこの仕組みを導入しないのかと思った。 面倒だから やらないのか。 もしかして 回収業者の反発か? 住み易く安全と思っている日本人は多い。
 コンビニは今 乱立状態 確かに24時間 店が開いているから 便利である。そこで止まってしまうのは 残念。環境問題は 身近なことから始めるべきと思う。もう一度 日本人の全てが便利性というものは 何なのかを考えるべきでしょう。自然に戻せるものと出来ないものがあることを学びにくい社会は そのツケが自分達に返ってくることに無関心となる。ビニール袋を有料で売る代わりに何か他の策が無いのでしょうか。ビニールもプラスチックと同様に石油が原料 自然に戻せないゴミになる。
 安全と負担の問題は 国防だけではない。食の安全も負担は当然でしょう。それには 身近で判り易くすることが必要です。豊洲問題は それが出来なかった。引くに引けない状況をどう解決に導くか 頭を下げれば済む話ではありません。使用済み核燃料の処理問題 然り 今回は 使用出来ない超豪華市場として 残すつもりなのか!
 生きるためには食の確保は最重要課題、できるのに食料自給を諦めてしまった国(?)は 滅びる。最先端で優れたモノを作り輸出して得た金で食料を輸入する。それを良しとして来たニッポン。これは国策でした。しかし、その方法が危うい さ~て どうしよう? 作物を作る田畑は1年耕作を放棄すれば荒れはてる。 農業で生きようとする人がいなくなる。衰退する職業には その理由がある。
 便利さは 今を生きている人間にとってという事、そのことで 次世代に負担を課すような事はやるべきではありません。自分は 我慢しても我が子や孫のために残しておくという日本人の大切にしていた思いが大都会から消えていると思ってしまいます。便利さ追求のリスクは 不便の安心という創造力を弱めることです。
  何事も 乱立で良い事はありません。コンビニ然り それと介護・福祉の業界だって同じです。利用者側でなく 事業者側が耐えられない。 競争で勝ち敗けを決するという 目論見は 現場知らずの頭デッカチの机上の空論。
 国家で定めた資格の取得 医師や弁護士  果たして この先 これで食っていける人達がどれだけいるか?ホンネとタテマエの二枚舌、 これさえも幻影となった時 新たな道で再出発ができますか? この国の平均寿命が200歳になるなら できるかもしれない。
 *日本の人口減少を問題と考えるのではなく 日本の国土の広さからして 適正な人口をどれ程と考えるか?  その検討の中味は 殆ど見えてこない。東日本大震災の教訓を忘れていないか? もっと真剣に国を挙げて議論しなければ 真の日本の未来は描けまい。そうすれば何が無駄かどうかが見えてくる。”ゆとり”とは 物欲が満たされることでなく 心の安心であることを もう一度 皆で考えてみませんか。
 昨日は 風が弱まって 久しぶりに相棒のNさんと軽トラックを乗り出し 落ち葉掃除をしました。彼は いつも淡々としている。どうして あのように生きられるのか?彼は風邪をひいたことが無いと言った。新調した服はいつも安売りの店で自分で買う。 彼は良く歩く。仕事をしているようでやらない。やらないようでやっている。
 私が彼の情報として知っているのは 河川敷きでの生活を長いことやってきたということ。これも 確証はない、ただ体一つで自分を守る術を彼は本能的に掴んでいる。
 世間の動きは 実によく知っている。彼は新聞は読まない。その代り 真似できない研ぎ澄まされた感覚を持つ。Nさんは 今の日本人が失ったものを 見事に今も持っている。それを誇りもせず 淡々と。
 彼は義務教育を受けたのかどうか 不明。生きた学問は 学校に行かずとも 周りにいくらでもあると 彼は体でそれを証明する。
 
 *介護福祉士&社会福祉士&精神保健福祉士、国家資格として制度が出来た時 やっと国も本気になったかと喜んだ。社会福祉士を必死で取った。それが 今 どうなった? ここから見えてくること、それは本気では無かったという事だと思っている。この制度を考えた人達は 既に 現場にいない。そんなはずじゃなかったと言いたいはず。だが 実態は正直なもの。
 ならば どうするか? 資格の取得以上に大切な問題と向き合って ・・・・・・・。
  日曜日 法衣カバンを車に乗せ 車中で着替えて 坊さんをやります。それでは また!
 

3022:自己矛盾

 少々 小難しい話、財務状況で 私として最も関心があるのは 人件費支出の割合、全体の何割を占めるかは 重要問題。高過ぎても不味いし 低すぎてもよくない。それよりも スタッフがいなければ元の木阿弥 それだけで 営業ストップ レッドカードとなりますね。良き人材を長く働いてもらうことを望むのは当然。経営能力とは 的確な市場動向の把握とマネージメント、他にも大切なことが沢山ありますし それが判っているようで 判らない。
 私が この仕事を始めた昭和40年~50年代は 日本全体に活気があった。若者には”夢”があった、地方都市だって肩を組み大声出して歩く酔っ払いの姿をよく見かけた。それがパタリと消えた。弱肉強食・M&Aは なんと盛んなことだろう いつの間に会社名が変わっている 。ホールデングカンパニー化が進み 、傘下企業の中で業績の優劣が生れ グループ内での競争が激しくなっている。共食いというのかどうか知らないが 会社内で疑心暗鬼が生じ、ホンネ(愚痴)を言い合えす 意思疎通が難しくなり易い。そこに コンプライアンス違反という 企業にとって致命的なミスを犯してしまう。幸か不幸か 今の世は起業することは 出来易くなった。旨味のある仕事に 蜜に集まるハチの如く ルール無視など屁の河童。 見なさいな!日本では 3年以内に消える会社が実に多いという。これは当然ですね。中途での挫折や転職のリスクはその中で産まれる副産物、求職者(売手市場)が有利だから あまり目立たないが、転職エージェントも数多く 目移りするだけで諸手を挙げては喜べない。   だから新しい仕事が 終の職場となるとは限らない、それに次々と職を変える人も多くなり、これまた新手のリスクとなっている。
 カリスマ的経営者が脚光をあび、世界的企業に成長した例は 天空でお目当ての星を捜すぐらいの確率、それよりも 此処は しっかり腰を据え  己が夢を託せる仕事を優先させたほうが良いと私は思います。
 市場の動向は 日々刻々と変化しています。業種を問わず中長期の見通しを立てるのは実に難しくなっている。業界の壁が取り払われて あらゆる処からの参入ができるから 既得権にしがみ付いているようなことは許されない。
 小売り業の変遷、昔 軒先に品物を並べ 地域の人を対象に商売が成り立った時代もあった。それが百貨店やスーパーという多品目を売る店に変わり、その後コンビニと郊外型大型ショッピングセンターになった。車社会と 自宅で買い置きができるようになったことにもよるだろう。薄利多売や使い捨てが常態化 不用なものが家中に溜まって その処分にまでお金がかかる時代となった。方や日本の誇る優秀な車は 新車を出せば 予約が殺到し 納車待ちが出た時もある。しかし、それだって過去物語。一人一台の車社会は 維持負担が嵩み 買いたくてもできないことになっている。優秀な車は 故障せず長持ちすることを売りとした。買い替える必要は無い訳だから自分で首をしめるようなことをしたわけだ。
 これは 物つくり業だけでなく あらゆる産業に共通している自己矛盾であり、となれば あまりジタバタするのはよろしくない。
 
 過当競争というのは 市場での占有率を高めようと同じ業種間で競い合い 結果狙った利益を得ることができなくなることですね。市場にモノが溢れる状況になっても それを止めようとしない。経費をギリギリまで落としながら品質を落とさないという離れ業は そう何度もは使えない。今では珍しくない郊外の大型ショッピングセンター その実態はどうでしょう?階上にある店は いつ覗いても 客入りは少ないように思える。高額なテナント料を利益で相殺できるなら良いが 果たして どうなのか? メーカーがPRのために出店しているならば 別だが そればかりではない。
 でもな~。????。
 フランチャイズ・チェーンという事業拡大は チェーン本部は損しない。加盟店は地域での独占販売権を得る代わりに 当然条件規制が入る。地域割りも疑問に感じる、だって 近くに同じ店がオープンしてるじゃ~ありませんかね。どうなっているんだか?
 車販売だって 問題ありでしょう。少し前までは 販売店同志の競合を避けるために 取り扱う車種を分けていた。いま それがどうなった? 規制緩和策に歯止めがなくなると タコが自分の足を喰うような状態に成りかねない。
 過去にタイムスリップ、物々交換で生活を行っていた時代からお金が介在するようになり、生活スタイルは大きく変わったんですよ。今更 元には戻れない。お前は とうとう 頭が狂ったか!と天の声。 そうかも 知れません。何故 このようになってしまったのか? このまま進むとどうなるか? 人種・宗教・思想の違いは 今に始まったことではありません。雨水が土の割れ目を見つけ 地中深く流れていく様に 宗教一つとっても分裂を繰り返し源泉が判らない。仏教が百済から日本に入り約1500年(538年)の時が流れた。本山と全国に展開する末寺の関係、これは 今風に言えばホールデング・カンパニー! あるいは フランチャイズ・チェーンとよく似ています。
 廃仏毀釈で寺院維持の危機が大問題。寺も工夫や変化が少しずつしてはいるが、 今もって先行きは不透明。ハッキリしていることは 祖師の教えを どう伝えるかということ、それと その教えに則した実践活動(行)を模索する。
 『福祉労働』という本を取り寄せ 読んでいる。相模原の事件を特集したもので 様々な方達が出筆している。当然 当事者やその関係者が中心だが、何故か宗教家が誰も寄稿していない。頼まれなかったのかも知れません。
 組織にとって 目的と理念の共有は重要です、それが 実は大変なのです。制度改革が次々にあって それを理解するだけでも現場は苦労します。そこで諦め止めてしまえば 結果は見えている。それを続ける忍耐と覚悟が此方にあるかないか!
 威嚇射撃ではないが 手段を選ばず 脅しやらペナルテイが横行し 構わずに 恐慌突破は如何なものか!・・・云々。
 話は変わって昨日皮膚科に通院 足の指が赤く腫れて むず痒い。診断では”しもやけ”でした。この歳になるまでしもやけは 一度も罹ったことはなく 無縁だと思っていたが そうじゃない。それと乾燥肌というようだが 体のあちこちが痒い。これも 残念だが 年齢からくる血行不良によるようだ。痛い痒いは日常的 諦めるしかないのかもしれません。
 体調の変化は 様々な形で現われる。その都度薬の厄介になれば 体に悪さするに決まってる。最低限の処方薬で良いのだが そこは病院の都合もあるようだ。眼耳鼻舌身意(六根)の器官に不具合が出るのは 加齢よりも仏教では我欲を因とみる。富士登山でろっこんしょうじょうを唱えることは有名ですが 山籠もりでもしたい気分です。 六根を整えることは 普段の心掛け次第なのかも知れません。
 徐々に暖かくはなるのでしょうね。一日の中で気温の変化が凄まじい。風向きにより 気温が急変、メンバーさん達も厚着して散歩に出るが 折角インフルエンザの終息宣言が出せたのに 正直冷や冷やものである。

3023:混迷社会

 自由主義国家の裏表、資本主義社会の格差問題、社会主義や共産主義、さらに共和国・・・・。国家の形態はそれぞれ違っては いるが そこに住む人間は同じ。ヘイトクライム(憎悪犯罪)や優生思想、人間差別の思想は決して無くならず、世界情勢が大きく変化する中で 実態が見えにくくなった。世界中で 飢えや病に苦しむ人がどれだけいるか、一説には約8億人、減るどころか確実に増えている。ユニセフ(国連児童基金)が盛んに募金活動をPRしている。子供たちの権利擁護(アドボカシー)・・・・・。フードロスという問題、食べることができるものが捨てられる量は世界で年間13億トン、日本では630万トン。日本人は 先進国に仲間入り(?)できた事から 世界へ様々な援助を行っている。しかし、今の国家財政をどう見るか? 政策提言する有識者がどんな考えなのか良く知らないが 借金は借金 誰かが返済しなければなるまい。それを明言しないのは変ではないでしょうか。 財政の健全化は現政権の最大の公約、それが未だ思うように進まないことへの国民の不信感と苛立ちは高まる、できない理由をいくら並べられても 納得できるものではない。我々が知る手段としてメデア情報があるが それへの信頼性もおかしくなっている。
 これが混迷社会の実態である。
 その中で生活する私達が 出来ることには 限界がある。意図した社会との断絶や自己中心的考えの増幅、 現代の社会病理として 情報と格差が大きな原因になっていると思います。膨大な量の情報を世界のどこにいても一瞬に得ることができ、人間の幸福を経済の豊かさと同じと考えてしまう考え、この流れは 簡単には変わらない。
 我々が得たものと失ったものをどう考えるか? おそらく 中にいるばかりでは判らない。外に出て初めて気付くことだと思います。それは 進化し続けるコミュニケーションツールと多種多様で膨大な情報とその信憑性、これらは個の能力の限界を超えている。
 これから先、「知らなかった」、「記憶にない」という 責任回避の言い訳が公然と語られることでしょう。それも ある意味では 今日の社会現象の一つだろうが その影響は量り知れない。
 
 ≪地獄への道は 善意で舗装されている≫という諺、この真意はいかに? 不祥事や詐欺事件が後を絶たない。その関係者の厚顔無恥な態度、他人の金だと思って湯水の如く使い、己に不利なことは 黙して語らず。これを集団的無責任社会と謂った人がいる。ズバリ判り易く説得力がありますよ。
 これで世の中治まれば仕方ないか! いや~ 違うでしょう。治まった試がありません。
日本語の『我慢』という言葉には 二つの意味がある。一つは辛いことに耐え忍ぶこと。もう一つは仏教でいう 慢で煩悩の一つ慢心を指す。日本語では漢字に真逆の意味を持たせる事がよくあります。これは日本語の歴史を齧ると分かりますよ。稀勢の里が横綱昇進を決め 様々なインタビューにいつも平常心や我慢という言葉を語った。彼は喜怒哀楽を表に出すことをあまりしない。慢心を戒め 稽古に励む。この姿が爽快で実に判り易い。だからファンが付くのでしょう。
 世の中には善意を振り翳し 実は実は 美味い汁を啜るという悪意を感じてしまう輩も多い。気を付けないとね~。実力の世界と結果でしか評価されないスポーツには 己の責任しかない。
 教育の大切さを 疑う人はいない。家庭教育、義務教育、職業教育、成人教育と年齢ごとに分けて謂われることもある。そこに割り込んできた疑惑は 教育の主管庁文科省が関係し ドロドロとした 訳の判らない人助け
 人助けとは”善意”では無かったか 善因善果 悪因悪果 これぞ仏の教え もとれ!教育とは謂わぬのか? なれば謂おう!”無功徳” ご利益を期待しては 教育と謂わず ”収賄”となりませぬかと・・・・・云々。ブツブツ。
 おもてなし・・・・ご接待、四国遍路をされた方なれば 一度や二度は体験します。軒先や道端に何気なく置かれ 『ご自由に どうぞ!』との貼紙されたお茶やミカン、ありがたいと思いながら頂いた。
 人助け・・・・本来は 裏で金品の遣り取りなんてことは、言語道断、知っていて なぜ??? 教育の専門家が 知らないとは 驚いた。
 穿った言い方をすれば ≪どこでも やっている事だろう! 何故 自分達だけが・・・≫というあの人たちのホンネが見てしまう。となると 子供達を前にして 教育者を名乗るのは 如何なものか? ですから その反動として知識偏重に流れやすいって事かな。
 世間には 人材派遣会社がいくらでもありますし、それとの 違いは どうなんでしょう。 この辺で止めて置きましょうかね、切が無い。
 職業倫理が薄れるには 必ず原因がある。
 倫理と脱法行為は 本来 水と油の関係、そこに中和剤の役目を果たす 何者かが現われる。とかく それが 専門家や関係者というのだから 混迷社会をうむ要因の一つとなっている。
  Kさんが 毎日 私に車の新聞広告を持ってきて 「これを 買え!」と催促するので閉口している。昔、中古で買ったワゴン車が修理の限界で去年廃車した。 ≪ウンうん判ったよ、後でな≫との先延ばしは もう効かない。鬼の形相で私を睨む。≪ それじゃ~お金 どうすんのよ?≫と言うと 俺が出すと言ってきた。 ヒャ~
 買わない理由を説明しても 納得しない。私は もっと大事に乗って貰いたい。その事を判って貰いたい訳なんで、だから Kさんに買って下さいとは 口が裂けても言いません。そない 違いまっか、皆の衆!

3024:元気が一番

 元気な方といると エネルギーが此方にも伝わるものです 。 昨夜は 研修後の反省会を兼ね 久しぶりに土浦市内の居酒屋に入った。ビルの3階にある店は 金曜日とあってか 超満員、人気商売だから 当れば凄い。7時過ぎには予約席は全て埋まり、賑やかな宴席となってきた。私は耳が遠くなった所為か自然と声が大きくなり 正直どこまで話が通じたかは不透明。
 15名ほど参加したスタッフは 全てが家族持ち 家の事を気にしながら 付き合ってくれました。
翌日も夜の宴席が待っている。その翌日も つくば市や水戸まで遠出する。あまり飲めない酒なのに 何故かその雰囲気が好きになり、お誘いは 殆ど断らない。どこにでも歳を感じさせない人がいる。熱く語る姿は 青年のごとく 私もおこぼれで良いから 肖りたい。
 日本列島を 寒波が襲ってる。日本海側や山間部は一夜にして雪に覆われ その積雪量たるや 近年にない多さとか・・・・・。茨城は そんな時 大体が晴れて乾燥注意報、縦長の日本は 九州から天気が崩れ 徐々に列島を縦断し太平洋に抜ける。天気予報は 昔と比べ確率が随分高くなり 1週間先まで ほぼ正確に出る。 その代りといってはなんだが 予測できない事も増えている。その代表は 人の心の内側か! 今頃 首脳会議が行われ、お互い手の内の探り合い。
 憎まれ役を買って出るのは 誰だって 遠慮したいものでして 横から不満を謂うほうが どんなにか 気が楽でしょう。
 使命&プライド・・・・ これは昼間行った研修で講師が言いたかった事だろう。確かめはしないが その方の生き様がその証。それをプレッシャーと感じるか元気を貰ったと思うかは 聴く人ぞれぞれと謂う事なり。 
 2日間の研修は 無時終わることができました。つくば市で開催した相談支援研修には 多くの参加者をむかえ、今回の目玉は長野県から来てくれた山田さんが話をしてくれた事。参加者の経験は様々 人間をどうみるかという視点のお話が随所にあって 聴いた人達には後々 参考になったのではないかと思った。
 私は その日の夜の部もあったので 山田さんを阿見町の予科練記念館に案内するため途中で研修会場は出た。そこは昭和15年ごろから、年齢は14歳から17歳の若者が全国から集まり、寮生活をしながら 厳しい軍事訓練を受けた場所。日本は、ご承知のようにミッドウエイ海戦での大敗北を機に劣勢に立たされていく、予科練で飛行機乗りの訓練を受けた多くの若者が戦争に駆り出され命を落としたのである。その数は全国で1万8千人という(予科練生)。
 今 戦争を体験された人達が少なくなり、あの悲惨な状況を語れる人がいなくなった。2度と戦争をしてはならぬと 心底考える人が 果たして今の日本にどれだけいるだろう。予科練記念館の見学には1時間程の時間だが 若者が書いた親への手紙の実物が展示されている所では、多くの人が立ち止まり読みながら涙を拭っている。
 夜6時から場所をつくば市に替え、5人で話をした。最初は皆さん初対面だったこともあり どうなるかな~と心配したが、さすが 百戦錬磨の方々だから 議論百出、実に有意義な宴会となったのであります。
 知らされないで起こる悲劇、これは どんなに便利な時代になっても減らない。何故なんでしょう! 失敗を恥ずかしい事と思う人がいる。私は そうじゃない 失敗は経験だと教えられ今に至った。経験を 後にいかすということが大切・・・・それには 相手の話を良く聴くことが肝心、正直 私の直情型の性分は 時々 相手に不愉快な思いをさせていると いつも反省する。それにしたって 元気が一番。
 
   稀勢の里
優勝&横綱昇進
祝賀会


2月12日:水戸
 郷土:茨城に元気を送る!稀勢の里関を 間近で見たのは初めてでした。多くの人(1000人)が集まった。横綱が挨拶に立つと、参加者が一斉にカメラを向ける。変に飾ったり 誇ったりせず、自分の言葉で語った。カメラを向けながら 皆さんが横綱の挨拶に頷いている。あの好感度は どこからくるのだろう。頂点を極めた人が 往往にして勘違いし忘れてしまう 自らの原点を 彼は大切にしながら これからも平常な心をもって歩み続けていくと思う。
 外から見れば イバラキは 特に目立つこともなく 県の魅力度は常に????。正直 悔しさはあります。なぜ こうまで日本人が見せかけのモノに一喜一憂するようになってしまったかという意味で。粉飾決算&使えるかどうか判らない超豪華な設備、ブランド品を身に付け いい恰好するな! アンタにそれは似合わない。 仏教の教えでは”自徳を讃じる”ことを戒める。己の徳を 得意満面 自画自賛して どうなりますか! PRは下手かもしれないが 違う価値をイバラキの人達は 持っていると確信しています。もしや縄文・弥生の時代からノーテンキな人が多いかも そして本人達は それに気が付いていないこともあります。 良いじゃないですか それで・・・・・。オール イバラキ  これで 行きますか!! 3年後 茨城国体 魅力度???番目の県が さーて 天皇杯・・・・ 
 All or Nothingですか いや どちらに転んでも同じ All is Nothing  というのが 天の声。   

3025:物忘れ

 今日はチョコレートを頂ける日だったかな~? 自分の誕生日も忘れる位だから 仕様がないけど 良いんだ。2日前にこんな話をしたばかり、65歳は前期高齢者、75歳が後期・・・、その後は”満期高齢者”と語った方がいた。ジョークにしては 実に意味深で その方は今年85歳 ご自身で車を運転してやってきた。いろんな場所で何度もご一緒したことがあり いつでも一番前の席に座り 熱心に聴いている。耳が遠くなったから 手を耳にあて 聞き漏らさないようにと工夫する。
 足腰が先か 記憶力が先か判らない。もっと単純に考えたほうが良さそうだ。さあ~さあ~ どうしましょう!今週 中学時代の友人から ミニ同窓会を知らされた。生憎 他用があって 出られない。いつものメンバーだろうが
同級生が始めた居酒屋でカラオケやって ・・・・・・。私は カラオケは殆どやりません。歌が覚えられない。お経だって 怪しいもんだし もう 如何し様もない。どちらに転んでも同じ・・・・と謂うんだから 気にしない気にしない。
 でもな~ 昨日は正直一言も言えない会合に出た。医師不足が深刻で 小児科や産婦人科が成り立たない。どうする どうする!!!神立の周りにヤタラ開業する医院が増えているが それとは違って 総合病院が深刻だ。医師や看護師がいなければ診療できず、患者はどこに行ったらよいのか判らない。
 でもな~ 福祉だって同じです。地域差はあるのだが 綱渡りって所が多くなっている。箱物はドンドン作られてはいるが 受け入れる態勢ができない。これは 問題ですよ。いつの頃から こうなってしまったのだろう?
 いやいや 全ての業種が 全く同じときた。メデア報道がどちらに肩を持つかで 中味がえらく違う。過酷な労働?。人を増やせば それはそれで 新たな問題が出てきますし 八方塞がりといったら言い過ぎか!
 『井の中の蛙大海をしらず』これは図星、個人主義を謳歌し 私利私欲にのみ関心が向けば 自ずと結果は見えてくる。その修正ができますか?見せ掛け大尽が幅をきかす世の中は悲劇だ。矛盾・対立・葛藤がごちゃ混ぜで悲劇か喜劇か判らない。今以上に 複雑化すると 人間の能力の限界、それを ロボットで補うとか???モノづくりの成功にいつまで酔っているのだろう? 人間の世話もロボット化・・・・・・・末恐ろしくて切なくなる。
 今以上 人口が減ると一億総活躍どころか 日本全体が貧乏になる・・・・と。本当でしょうか その根拠はいかに。先日 予科練記念館を訪れた。そこに当時のポスターがあった。≪一億総決起≫との大見出し。ああああ
 これって 根っこは全く同じじゃ~ないの? 
 人は 未知なるものに魅かれます。「東方見聞録」に記載されたマルコポーロの冒険は 商人としての果敢なる挑戦の副産物? 13世紀、船か陸か二つの選択肢しか無かった時代に 未知への憧れとは言っても 現代人には夢物語、仏教では河口慧海を思い出す 大正~昭和の時期で時代は随分遡る。 目的はチベット密教のルーツ、当時チベットは鎖国政策をとっていたから 入国に苦労した。私の父は その河口教授から教えを受けたと聞いている。
 お二人の共通点は 勿論、便利なネット等はなく 自ら足と 自らの目で掴んだもの、そこに 確たる価値がある。
 ”みせかけ”や”真似”が 流行し、そこにまで 競争原理を入れたから さあ~大変!  イケイケドンドン。
  昨今 巷を賑わす 保育待機児ゼロの国策 押し並べてといえば疑問あり。でも 一度動きだしたら ストップできませんよ。介護も全く同じ。もっと状況は混乱しているはずです。飽和状態という前兆があったはず、だが 霞が関では判らない。その訳は ハッキリ言って実態へのチェックの甘さである。
 墓穴を掘るなど考えず それーっとばかりに一斉スタート、タテマエとホンネが絡み合い もはや修羅場となっていませんか。新自由主義(?)とかなんとか謂うらしい。間違っていたらゴメンナサイ!この最大の欠陥は 制動機能が効かなくなる事。暴走への歯止めがない。御多分に漏れず最後は 自己責任という事で片づける。
 この流れは明らかに人間が考え出したものです。見なさいな、環境破壊、テロ、もっと身近な話では 様々な悲劇が繰り返し繰り返し起こっている。それへの対策が出来たでしょうか?
 何だか知らないが 少々 調子に乗り過ぎていませんかね! 驕る平家は久しからず? 住田家のルーツは 平家の筋だと聞いた。(愛知県) いや~参ったなー!
 突然テロップに流れたニュースに世界中の人々が震撼した。何が起こったのか? 2か月前に丁度 クアラルンプール空港に私はいた。日本から着いて 国内便に乗り継ぐ間 時間が有り過ぎ 空港内をウロウロしてた。KLは東南アジアのハブ空港だから 多くの人でごった返す。そこで起こった事件、情報が錯綜し真相がどうなのか。
 一寸先は闇という現実、これから どうなるのか 世界中の人が強い関心を持って見つめる。
 一連の出来事は日本人にとって 遠い国の話ではない。ミサイルが発射され その情報を官房長官が流した。国会では 防衛大臣の辞任を野党が要求、大丈夫ですかね~。東京都では 豊洲問題で元都知事への責任の検証や訴訟手続き・・・が行われるとか 何か歯車が合っていないと感じます。
 これだって 物忘れが微妙に絡み どこまで真相が明らかになるかどうか? 願わくば 公開でやって欲しい。質問する方も答える方も 有権者に見える形で堂々と。
 私の知り合いに認知症になった方がいる。レビー小体型というものらしく、幻視・認知機能の急激な変化が特徴とのこと、 世界の動きと己自身も どこかで共通するんでしょうか。自分には関係ないと思っていたことが突然起こり 慌てふためくのが常、病因は発生した後に検査して判ることが多い。残念だが 予防して 出来る事よりも出来ない事のほうが世の中には 多いと認めるべきなのですね。
 

3026:試金石

 試金石という言葉の意味は 金の純度を測るのに使われる石英質の黒石のこと、那智黒石が有名で 碁石の材料となっている。勿論、もう一つの意味をここでは取り上げる。ものの価値や力量を判定する材料となるモノ事の意味。多様な価値観が罷り通る昨今では 何が試金石なのか収拾不能、ややこしい事になっている。
 ・・・・閑話休題・・・・・
 国連の障害者権利条約を日本は140番目あたりで やっと批准した訳です。現在の批准国は 170ケ国までになったというから 現在地球上の国は196国(2016年)だから9割近い国が批准したことになります。批准するには条件があって、国内法の整備が不可欠、その辺りから 流れが変わったと言えましょう。Nothing about us without us !『我々のことを我々抜きに勝手に決めるな』という条約のコンセプトは 個の尊厳から始まり 自己決定や差別禁止、教育分野ではインクルージョン教育の推進等々多元性をもって 一時も止まることが無く現在進行形。これから先もずっとその流れにそって進んでいくものと思っている。
 日本は 何をするにしても まず財源有りきの議論から始めます。確かに頷けることはあるが、それだけですか?と問いたい。無駄と知りながら 変えようとしない、利用せず維持しているだけで 膨大な費用が掛かっているものも放置する。この感覚の鈍さは 相当重症です。
  現状では いかに経済が豊かになったとしても 国の借金を減らすことにはならないでしょう。余剰金が出れば 返済に回すのではなく 違う事に使ってしまいます。それを 国民合意だと勘違い。合意でなく知らないだけだと思いますが。いや 知らされていないというのが真相かな。多様な価値観を認めることは 裏返せば誰も責任をとらないということになり得る。
 東京オリンピックのメダルを作る材料に不用になった電子機器のレアメタルを使うとか  良いんじゃないの ドンドンやったら。アンテークの家具や古着 電化製品だって 新しく買えかえるのでなく 大切に使うべきでしょう。
 一例 貴方の家に 鉛筆&ボールペンが何本あるか数えた事あります? 使い捨てになっていませんか いや~ 使わずに放置されている!
 この日本がいま 彷徨っているのは  その状況への無関心ではないでしょうか。怖いのは その感覚が蔓延すると 国をも滅ぼすことになりかねない。
 長いこと大企業として君臨してきた(株)Tが外国での原発事業で大損し グループ社員16万人が途方に迷うことになるかもしれぬ。1部から2部に格下げするだけで この危機を脱出できるか?これは 一部のトップが引責辞任して済む話ではない。
 残念ですが これは特殊な事例では無いと思うのです。この類は 探せばいくらでもあるのではないですか? ひょっとしたら 連鎖倒産の始まりかも知れぬ。
試金石・・・・魅惑のゴールドの価値を測るのは 碁石の材料となる石。ホント???人間の幸せを測るのは ・・・・・・・? この鑑識眼が 狂いだした。  いつも 頭を過るのは 糸賀先生が説き続けた『この子らを 世の光に』。
 
 何故 糸賀先生が命をすり減らしながら 訴え続けてきたのでしょうか?先生には一緒に走った良き伴走者がいました。田村・池田両氏の存在です。共に 福祉と教育の実践を通じ 世の中に訴え 理解を獲ようとしたのです。既に半世紀前になる。50年の時間の流れ、昔と比べ制度や仕組みは段違いに整った。しかし それを諸手を挙げ喜べない。一番その事を感じているのは  関係者だと思います。私もその一人です。
 果たして≪この子ら 世の光≫、この国は 本当に それに向かって進んできたでしょうか! 全てとは言いません。相模原で起こった事件、この忌まわしい出来事を私達はどう捉え 何をしようとしているでしょうか?他所様の事だからと関心が薄れ 過去の出来事と考えていないでしょうか?
 糸賀先生が訴えたかったのは、「この子ら 世の光」ではなかった。「に」と「を」を取り換えている意味が判らない人が多すぎます。
 もし この国が お年寄りに 世の光をと訴えたら 先進国という認証を返還すべきです。国策は ややもすると 利権や綺麗ごとで覆われる。長寿を望む人間が 高額な医療費を負担し もっと長生きしようと思う。 それは 権利ではなく 人間の本能だと思う。
 この世に生まれ 誰にも与えられたミッション(使命)に誰しもが応えようとします。我々はその姿に感動し 勇気や喜びをもらう、それが育つということだと思う。そこが グラついてしまった。その最大の原因は、価値や力を判定する物差し(試金石)がおかしなモノになったからです。
 GH「こうみょう」は 常に夜間の支援者が泊まる。二つの寮から 経験してみたいというGさんとDさんが一カ月過ごした。Gさんは今回は2度目の体験、ご本人は ヤッパリ寮が良いとなった。Dさんは GHでの生活を望む。
 彼は 今まで何度もスタッフが GHを奨めたが頑なに首を振らなかった。それが どうして 今回変わったのか?私の推測でしかありませんが 2か月前に仲良しだったKさんが亡くなった。そのことが彼の心の変化に何か影響していると思える。
 ”廉潔の士”という意味をご存知ですか?清廉潔白の短縮字、 私欲なく心清き人、こんな人 いるんかな~!実社会で 探すのは困難、でも 自分でそのように思っている人は沢山おる。
 自分の思うようになると考える人は? おるおる 一杯ではないが おる。 宗教や哲学を引っ張り出し その対策を試みて さて どうなりますか? 解明の入口を捜すだけでも難しい。世の中が便利に成り過ぎた。仮想現実、つまりは人工的に作り出した世界で満足を得たいとの欲求、これには際限がない。現実に向き合ってこそ 智慧が磨かれる。それを省き 一瞬にしてバーチャルリアリテイの世界に身を置けば 何が起こるか? 言わずもがなです。
 人間の労働を考えた時 お先真っ暗だ。ですからね汗水流してまで 生活の糧を得ることに意義を持たなくなり 知力どころか体力も衰える。世の中が挙ってそれを押し上げるものだから 手間暇かける仕事は嫌われ 誰も従事しなくなる。・・・・・・・これぞ ハードボイルド現実そのものだ。
 これらの予測は 今に起こったことではありません。この子らを 世の光に この短い言葉に私は先見の明をみる。世の光とは 夢や価値と言い換えても良い。 万国共通の夢(願い)が どうしても遠のいていくように思いませんか?
  ODA 海外への政府開発援助が 万が一にもその見返りを期待したものであったら どうなりますかね。現に起こっている問題は 単純ではない。決め付けることは 避けねばなるまい。
 しかし、・・・・・・。ゴルフ外交をお互いの信頼関係を築く便法と評し 大きくメデアは取り上げた。そこにミサイル発射の速報が同じテレビ画面上で流された。
 それを どう感じるか or 感じたか?コメントできまい。
外交における定則はないのかもしれないけれど、何か突拍子に感じてしまった。恐らく水面下では そのことの是非が検討されたものと思うが 此処に来て確と箴言するものが現れないことにある異様さを感じる。
 

3027:ひな人形

 
 3月3日はひな祭り 女の子の成長を願って ひな人形を飾る。親から子へ 代々引き継がれた人形、最近はそれがどうなったでしょうか、使われなくなったひな人形を纏めて飾り 観光名物にしている所もあるようです。
 時代と共に風物詩も様変わり、古き良き時代を話題にするのは 年老いた証かもしれません。良いんだよ、実際にそうなんだから 仕方あんめ~。 暫く 休んでいたが また 歩き始めました。 
 犬を連れた常連さん、日向に屯して お喋りに夢中、その脇を 知らん顔して通り過ぎる。長くは息切れしてできないが ほんの僅かの距離を走る。すると 急に体が熱を帯び 気が付くと汗をかいている。家に戻り着替えないと風邪ひくことになり、元の木阿弥。日曜日ということもあって 本日はリラックス、吉幾三のCDを聴きながらすごした。彼の歌は 心に沁みる。東北訛りが これほど心地良く聴ける歌手を知らない。茨城弁とは ちょと違う。どちらかというと 栃木弁と茨城弁はピッタンコ。
 最近、栃木弁の作曲家の船村徹さんが亡くなった。ギターで作ったその数5000曲以上 彼には 無二の親友がいた。結核で26歳の若さで亡くなった作詞家・高野公男である。彼は茨城の出身。
  どう言ってよいのか 判らない。既に黄泉路に旅立った友を忍びながら 時々 昔を思い出すのは この年齢に達したものの特権か。

 ♪ 生きるか 死ぬかの 二つだけ 生きていながら 死ぬよりも 死んだつもりで 跳びかかる・・・・・・♪
                    『門出』  星野哲郎作詞・吉幾三作曲。
 中途失明(全盲)になった方の話をラジオでやっていた。その内容は「見えなくなって 見えてきたもの」、突然自分を襲った暗黒の現実、悩み苦しみ 挫折を経験し 全てを投げ出し 命を絶つことを本気に考えたという。家族の支えや励まし、同じ視力に障害を持ちながら 自立の道を歩んでいる人との出逢い、少しずつ 教壇への復職という 自分の原点と再度向き合うようになった。
 今 中学校に戻っている。自らが 絶望を体験し 今まで出来たことが出来なくなって判ったこと、それは 教育の原点である  必ず 一人ひとりの生徒には得意とするものがあり それを見つけ伸ばすこと。何も出来ないと思うのではなく 何が出来るかを一緒に考えること。彼は語る、学校は社会の縮図  様々な人がいるのが当たり前、ノーマライゼーションやインテグレーション教育 これは 何も外国から取り入れたものではない。昔から日本の社会にあった姿です、 恐らく 彼が 前途を諦め 自分の世界に閉じこもってしまっていたら 「見えなくなって 見えてきたもの」は 社会の不条理や絶望だったかもしれません。
 私の経験で重い障害の方達と一緒にいると 手先の器用さや言葉の有る無しではなく、この人だから できるということを何度も教えられた。 
 その一番大きなものは ”掛け替えのない命の尊さ”です。身近に障害を持っている人がいなかったとすれば 恐らく 考えずに済んでしまう。自分が そうなってみて 初めて判ることなのかもしれない。
 それは 書籍や言葉では知り得ないもので 体験を通して 自ずと見えてくるものなのです。想いもよらず大病に罹り 途方に暮れる方は世の中に大勢います。 誰しもが健康で幸せに暮らしたいという願望をもつのは極々自然なことですよ。
 
  ♪ つらいさだめ(運命)を 踏み台に 泥をつかんで 起ちあがる・・・・・♪  同上
 友人と電話で話した。彼はインド~ネパール~ブータン旅行をして帰国したばかり、声がいつもと違い弾んでいた。山歩きを若い頃一緒にやった仲である。 今回のツアーは某大学の先生が先達で 現地には教え子が沢山いて その人達が案内してくれたというので 旅行会社企画の旅とは趣は違ったようだ。贅沢な旅でなく 歳相応に目的をもった旅が良い。
 登山を経験した人ならば 一度はヒマラヤの8000メートル級の山容を一目観てみたいものである。それが適った訳である。
 老境に入るのは まだまだ。そうは謂っても なかなか自覚はできません。大半の人は  本心から自分が老いたとは思わない。江戸時代 年増を20歳を過ぎた女性を言ったそうだ。ヒャー!大変だ~
 何せ平均寿命が今とは雲泥の差だから そうかもしれない。 それじゃ~大年増(おおどしま)は いくつでしょう???
 坊さんやっていますと多くの日本人が80歳を己の第1通過点に置いているように思えます。そこを超えれば まあまあで その後の人生はオマケなり。 でもな~ オマケの人生って謂うのもしっくりしない。
 でしょう!皆さんに お奨めしたい。短い時間でも良いから 日課の中に歩くことを入れると良いですよ。暇がない! そんなこと言う奴に限り 暇なんだから。できれば 自然の中が良いでしょう。その点、私は 環境に恵まれている。周囲は田や畑 畦道はいくらでもある。季節の変化を肌で感じながら 歩いていると なんとチッポケな事をグジグジ考えているのかと思ってしまう。 エイヤー 止めた! もう早い場所では 水田に水を引き 春の準備を始める農家の人に出会う。何気なく 挨拶を交わし、お互い ご苦労さん!夏場とは違って 枯れた草木は 一度刈り取れば あっという間に綺麗になる。通年で酷使するより田畑を休ませることが大切だ。作物を作ることは 人間の成長によく似ている。 その辺なんだわ! 自然の摂理を軽んじたそのツケがありとあらゆる処に今 出てきてる。
 食の安全とかいうが 商品表示をどう変えてもですね 邪悪な心は 目に見えません。そこなんだわな! 手塩にかけて育てた食物は 一目で分かる。「食物」を「人」に変えたらどうなるか ここなんだわな。
 
 限りない便利さを求めることによって 人は想像する力が弱まるんじゃーありませんか。 ですからね~ 不便の便を どう再発見するかです、そのターニングポイントがとっくに来ているってことだわ。

 ♪ 明かりをつけましょ ぼんぼりに お花をあげましょ 桃の花・・・・・・
              金のびょうぶに うつる灯を かすかにゆする 春の風・・・・          *『失敗の本質』中公文庫を読んで。
   

3028:メッセージ

 

・・・From  N・・・

 from N。夜遅く 私の携帯に入った写真。Nさんが Kさんの遺影を見て描いたという。右手でVサイン 微笑みながら 実に良くKさんの特徴を掴んでいる。驚きです! 彼女にとって どれだけ彼の存在が大きかったのか 憶測の域は出ないが 福祉の仕事が決して世間で言うような3Kなんかではないということだ。 鉛筆の線描きに込められた絵を どう見つめれば良いのでしょうか。 Nさんが現実と向き合ってきた時間と内容の濃さ これは 今 迷走する日本の福祉で 一番欠けてはならない事を秘めていると私は思っている。国連の障害者権利条約の主張は ここが起点のはずである。ややもすれば 制度や法律を作ったことで満足し 後々 検証することを蔑ろにして来なかったでしょうか? 日本伝統のウルシ塗りは塗って剥がして磨いてを繰り返す。これら文化が長年かかってこの国を守り支えてきた、障害福祉を福祉の基本と考えるべきである。 この価値を知る者には口先だけの振舞は許せない。
 魑魅魍魎が栄えた試なし。悪因悪果 これはビッグバン138億年 地球誕生46億年の歴史に確と刻み込まれて来なかったか? 今朝、NASAが39光年離れた太陽系外に生命存在の可能性がある3つの惑星を発見したと発表した。年甲斐も無く ワクワクする。一方で 仏教特に密教では人間宇宙論を唱えてきた。一人の人間の中に宇宙が存在するという マンダラの思想である。
 私達は 自分の中に様々な思いがありますよ。嫉妬・怒り・羨望・・・・悲しみ・喜び・・・・中傷や邪心 認めたくはないけれど誰にでも有ることだと思う。宗教や哲学を 何か難しく考えて遠ざける。失敗をマイナスに考え それを恥ずかしいとか隠そうとしませんか。でも 簡単に隠し切れない。だからでしょうか 余計 気を揉み 不安になってしまう。それを薬なんかで和らげようとしますから 尚更 ってことになりかねない。そうじゃなくて 失敗を経験と考えればどうでしょう。
 知る者は言わず 言う者は知らず(老子56章) この意味は 文字面で判ったような気になるのは いかがなものでしょう? 
 結構どうして悩んでいるのか 判らないことって多い。 そのことを 相手に判らせるとなると もう 大変です。  唐突ですが本人主義という言葉の意味だってそうですよ。障害を持つ子のご家族と話をすると 平行線、無力感を持つことがあります。
 それは 「アンタは 自分でその身になったことが無いから・・・・ 私達の親の気持ちは判るまい」と言われた時、返す言葉が見つかりません。「だったら 貴方は我が子の気持ちを判っているんですか?」 と喉元まで出かかったけれど 言えないよね。結局は本人&主人公は誰なんですかということでしょう。 
 この国も理想と現実の距離が縮まれば良いのだけれど 難しいかな~! 盲人の方のマラソン伴走を何度もしている方の話を聴いた。正直、最初はボランテアで手助けをしたいという気持ちが有りました。 今は そうじゃないとハッキリ言えるんですね。 伴走することで 自分が知らなかった事を相手の方から 沢山 学ばさせて頂いています。だから 感謝しているんです。  そうだよな~これかな~! 
 入我我入(にゅうががにゅう)⇔自行化他(じぎょうけた)
 
 全て入力と出力のバランスだろうと思いますよ。確実に増えていて 昔と比べ、そのスピードが段違いに早まった。我々の能力って~のは 無理は効かないわけでして過少に評価したほうが良いのだけれど 周りがそれを許さない。 本来はデリケートでゆっくりしてるもんなんですよ。熟練職人と言いますが 丁稚奉公し親方から手取り足取り教わったことを 年数をかけ試行錯誤しながら会得した。これは 恐らく全ての職業に通じ未来永劫変わらない。アメーバとか微生物と比べ 多細胞で複雑な人間が一人前になるまでには時間がかかる。
 それを費用対効果とか合理化なる物差しで時間を短縮、それをノルマにされては誰だって パニックを起こし制御不能となりますよ。ヤヤコシイ言い回しをまたしてもしてしまいました。簡単に言えば 知識と智慧の違いですよ。この国は いつ頃からか知識偏重に成り過ぎてしまった。 その結果 智慧が追いつかない。智慧ってなに? 六波羅密の6番目。布施・持戒・忍辱・精進・禅定、そして智慧。常識とか徳をいう。
 単独では成り立たず 6つの段階を経て 会得するもの、方や知識には そのプロセスが無いときている。決定的に大きな違いです。 
 いま  最終金曜日を早目に仕事を終えることを導入するとか また始まった。細切れの思いつきでしょうね。 それより大切なことは 根本的な生活の在り方を考えることじゃ~ありませんかね。こんな風に言うと アイツは捻くれ者と?
  それじゃー お尋ねしますが そんなに 急いで どうするの? どうせ また 元の所に戻ってくるから。此れを1つの円で表した。円・・・・お金じゃなくて ○(まる)です○。(参照:一円一元説)

3029:燃え尽きて・・

障害者権利条約の定義(第2条)は 意思疎通で「言語」について・・・・音声言語及び手話その他の形態の非音声言語をいう・・・と定義しています。障害者の固有の尊厳の尊重を促進するという目的は全50条の第1条に定められています。それじゃ~非音声言語とは 一体どんな言語でしょうか? 人が相手を理解する為には 様々な配慮が必要となります。、残念ながら 人権侵害や差別の問題が無くならず 相変わらず繰り返される悲劇、 一般人にとって 障害者は然したる関心では無く  片隅に追いやってきたのではないでしょうか? 戦後、先進国の称号を誇らしげに語る人々に 障害者の存在は どのように映ってきただろうか?優性思想はある意味では 起こるべくして起こったとも言えます。幼い時から障害を持つ人と接する機会が無かった。それが大部分です。そして 今 若者が福祉の仕事に関心が向かない。万が一 その仕事を希望した人がいても周囲から反対される。これが全てではない事を承知はしています。・・・・が 現に この国で起こっている事、福祉系の学校が学生募集を行っても集まらず 何処もかしこも定員減か募集停止に追い込まれている。その現実に目を向けず 緊急対策として箱物を作ることばかり奨励している。そうとしか私には思えません。そのことで責任を果たしたと勘違い。もし このまま姿で日本が進むとしたら 2025年を待たずして 介護する人がいない中で ロボットや防犯カメラで集中管理された処で生活をする事態にならないだろうか? 不適切な表現だが 温室の水耕栽培を彷彿させる。それを笑えない! 今は元気で支援を必要としない人達がいずれそのようになるのではないでしょうか。
 国は やっとそれに気付いて 介護・保育・医療の連携を模索始めたようです。正直 遅すぎます。これだって 私は片手落ちだと思う。教育が別だてというのでは 元の木阿弥 此処に至ってまで 縦割り行政に固執しているようでは担い手が育たないでしょう。 それじゃ~外国からヘルパーを迎え入れるという目論見はどうでしょう。うまく行っていますか?
思い起こすことがあります。 私は 昭和49年に イギリスの障害者専門の病院で研修(3カ月の短期)をさせていただきました。当時 イギリスは植民地からの人々を介護現場で沢山使っていました。いまどうなったかは知りません。でも 当時、全く違和感を感じなかった。それは 言葉の不自由がない人達でしたから 皆さんが母国語と併せ英語を話す人達だった。果たして 日本が東南アジアから日本語が堪能な人たちを集めることができるでしょうか? できたとしても、彼らは 待遇の良い企業に入ることでしょう。 権利条約で意思疎通を第2条で取り上げていることは、それだけ 重要な問題なのです。
 となると どうするか? 燃え尽きて 力尽きて 終わる道を指を銜え見てるのですか、斯様な悪夢を現実化しない為に 先ず我々関係者が 本人・家族と共にいま行うべきことがあると思うのです。
 現実と向き合い 問題がどこにあるかを直視し その為の最大限の努力をする。 これには 仲間が絶対に必要なのです。 
 諦めないで・・・・!
 こうなってしまった一つの原因に 私は”豊かさ”があると思う。 そこに幻影という言葉を付けたい。;幻の豊かさです。豊かさの実感は人それぞれでしょう。
 戦後 焼野原に立ちつくした人達の願いは 誰しもが挙って復興であった。 国策として 他国との戦争に突入、その場に居合わせた人達 一旦その流れが出来てしまうと それを止めることは 誰も出来なかった。戦後、遮二無二 働いた。 確かに日本は復興し繁栄を掴む。戦中の一億総決起の旗印は 当時の人達にどう映ったであろう?
 今 世界中が 揺れ動く。平和とテロ 繁栄と貧困 飽食と飢餓 笑いと涙・・・・この状況が身近に同居する。格差ではなく真逆の実態。冷静にみて 今の日本人は 現状をどう認識しているかが判らない。未だ食べられる食物を捨て、税金の無駄使いが減るどころか 合法性を担保に押し通す。結果 天文学的な国の借金。これを何故か指摘するどころか誰もが 黙して語らず。 豊さを眼前にぶら下げ尻をたたかれ 生き辛さを感じる人達の増加
 じゃー どうするつもりだよ。と問われ その策がないから 黙り込む。後手後手の対応 その場凌ぎの策では 無理な事を知りながら妙案が浮かばない。この閉塞感は 相当重症だ。
 結局 自給自足 自分達の食べ物は自分で作ることが究極の選択肢。贅沢を止め 生き延びるのであれば 第1に食物を どう確保するか! これは権利では無く 真理。
 戦争の害は 歴史から学べと。それは 膨大な借金を棒引きするのに結果として使われた。ハイパーインフレ! そして その犠牲になったのは庶民だったというシナリオ。
 悪を許すという事は 悪を逃れようとする事とは違う。
 アウシュビッツで見学者を案内する日本人の番組がありました。印象的だった言葉があった。その方の師である方の教え。・・・≪涙を流すことより 考えて欲しい≫・・・・ まさに その通り 他人事では無い。

 ” 浮草の上はしげれる淵なれや 深き心を知る人のなき ” (読み人しらず)
 
 私の記憶では 昭和30年代前半は 近所の家の大半は トイレは外 風呂もそうだった。街灯も無く ランプで明かりを取った。周りを簡単に囲った風呂は 山で拾った木の枝が燃料、風呂は家族が一気に入らねば 湯が冷めてしまい 大騒ぎ・・・・・。当時の記憶は 断片的で危ういけれども、ハッキリと思い出せる事がある。それは 家族それぞれの役割 子供は勉強していれば良いなんて事は一度たりとも無かった。寺に住むことがどんなことか 在家の人には想像できないかもしれない。障子一枚で客間と自分達の寝る部屋があり、客が来れば 黙って帰るのを待った。 母は 本堂にあがった米を畳の上に広げ 虫探し。そのコメを竈で薪で炊く。残念だが それを待つ時間私達兄弟は何をしていたのか記憶にない。農家が丹精込めて作った米だよ。残さず食べなさいと言われた。
 これは約60年前の実際の姿です。 いま比較にならぬ程 便利になり その生活に慣れてしまった日本人が その事に対し 何の疑問も感じない。それは誰もが一様に願って成し得た結果でしょうから。
 問題は 幼児期から なに不自由なく育った子供達が 万が一 二度と繰り返してはならぬと言いながら またしても同じ過ちを犯すかもしれぬとなれば どうでしょう? 政治家の大半が戦争体験がないのです。 東日本大震災で避難を余儀なくされた家族が避難先で6割の子たちがイジメにあったという報告。これは 保育所を建てることへの住民の反対や障害者への差別問題と同根に思えてしまう。優しさは 自分にとってということではない。抜苦与楽という意味 相手の苦しみを除き 楽を与えるということ、そのことを曲解していないか!
余計なお世話と感じる社会、これがもし本当だとしたら jこの国は病んでいる。お裾分けやおもてなしという言葉は 死語と化してしまったのだろうか?言行の不一致 知らぬ存ぜぬ その証拠はと問われ 堂々と破棄してしまったと・・・・・。
 ローソクの灯は 自らの体を燃やし 暗やみを照らす。それを 僧に成り立ての頃 『寺だより』の題材とした拙い経験がある。今時 ローソクの明かりを話の種にしても、その意味がストレートに通じない。ローソクなんて 危ないでしょうよと言われるに決まっている。
 燃え尽きて。。という意味は 高齢社会にとって ひょっとしたら 理想の老後人生となるかもしれません。いや~ 時流だと解するには相当無理がある。クワバラクワバラ!!!
  

3030:過去に学ぶ

 古の賢(さが)し人は軽々しく物怨みはしないとか これは源氏物語の一節、なれば 今時の賢(かしこ)い人はと尋ねれば 知見に優れ 道を誤らずと・・・・・・何を言うか、身に降りかかる災難を覆い隠すことに我を忘れ形振り構わず。斯様な風体を 幾度 表に晒せば気がすむか!
 仏教でいう”知見の目”とは モノ事ヲ悟り知ル智慧である。誠に残念なのは 貴重な公共の電波を占有し 国の最高機関の立法府 予算委員会と思いきや 天下り問題から国有地の払い下げ疑惑・・・・・一体何が本来の姿なのか 落とし処は決まっているから 本会議で多数決。 我々が知る術が無い。確か 質問する側も答える側も カメラを意識し、興味をそそる話題に走る。その落とし処は常套句・・・『後日 理事会にて協議します。」 良く解からない。
 今 世界に目を向けて そんな事をどうのこうの言っている場合でしょうか?   多分、公表はできないが その対策は充分やっていますと言うだろう。これを 信じろというのでしょうか。日本の 立法・司法・行政なる三権府(憲法第66条3項)の完全な劣化の証、 自らを省みるどころか 相手の非を責めることに執念を燃やすだけとしか私には映らない・・・・ 
何が因でこうなったか? それとも言い過ぎでしょうか? 未来志向ばかりが幅きかす世の中で、この先どうなるか 判れば苦労なし。
 じゃ~お前さんは どうなんだ? そう問われれば 即答です。”過去に対し 真摯に向き合う”ということである。

 源氏の世におわせば賢し人 今の世なれば 卑しき人となりにけり。 流転三途の向こう岸 こうすりゃ良いのにと話す声 スマホで交信は 無理難題!(ナマグサ)
 
 未来志向か過去志向か? 未来は誰も渡った橋でない。頑強な橋か どれだけ長いか 誰も判らない。過去に渡った橋なれば まだ 語れる人がいる。 昨日 私は満103歳のお婆ちゃんの葬儀を行った。良い悪いでなく、こんな事がありました。通夜~葬儀 式場満席で多くの弔問客があった。 読経中 お喋りが気になった。通夜が終わり 控室に戻ると司会者が急いでやってきた。「すみませんでした。お喋りが多くて」「いや~ 判るから大丈夫、良いんじゃないの」と答えた。翌日の葬儀 焼香になったころから ザワザワしてきた。経を一端やめ 静かに様子を伺った。すると 異変を感じたのか静かになった。それも一時、結局 通夜と同じ、それ以上だったかもしれぬ。またもや、司会者が 「すみませんでした。」と頭を下げた。今日は 少し言いたくなった、「いや~ 遺族の方に失礼かと思ったからよ」と言うと「いや 違うんです。遺族が・・・・」手真似を加え答えた。
 ご主人が60代で35年前に亡くなり、7人のお子さんを立派に育て上げられたお母さん。≪ご兄弟が こんなに仲の良い親戚は 今時 珍しいんですよ≫と司会者が言った。 私は喪主の長男を良く知っている。自分が大学にいくのは諦め、妹や弟の面倒をみた。その長男親子は 今 花作りをしている。自分達が丹精込めて作った色とりどりのガーベラで祭壇一杯が飾られ、棺の中も隙間なく花で飾られた。
 過去志向とは 決してマイナス思考ではない。 感謝や喜び、希望や我慢 それら どれ一つとってみても 己自身が過去に受けた事が根っ子にある。それを どこかで聴いてきたようなことを さも真実かの如く しゃーしゃーと公言することに 腹がたつ。余計な事だが それを詭弁と言い 英語では sophism。『誤謬』との違いは そこに意図的なものがあるか無しか これは 未来志向を偏重しすぎると 判断に誤る確率が増える。
 *尚恵学園の在り方検討委員会が終わった。合計8回 夜 委員が集まって検討した。最初は 委員から全く意見が無く、これでは意味が無い、止めたほうが良いと怒った。その後私は意図的に欠席、そして理事会提出にどうにか間に合って 最終回の昨晩 久しぶりに参加した。
 正直 最初とは一変し 様々な提案が良く纏められていた。
  
 おそらく 今時 前途洋洋 障り無しと考えている方がおるでしょうか? アホか~お前、何 寝ぼけたこと言ってる!と叱咤され 尻尾を巻くのが関の山。ブーメラン現象ってあまり聞かれない言葉、要は相手の弱みを攻撃し しめしめと思うや否や その矛先が自分に返ってくるという 不条理さ。
 それと 隠蔽工作ってもんは 所詮 隠し切れないもんだわな。潔く 自ら弁明するのも 逆に勇み足ってことになり 余計な疑惑を持たれかねない。 それで ダメなら 次は これ・・・カードを幾つか用意し 攻撃の手を緩めずねらい撃ち。戦略・攻防 事前に全身全霊準備をし 臨んだわ良いけれど 足元から崩れ落ちなんて無様は 世間には 山ほどありますよ。
 これは 歴史を繙けば すぐわかる。結局 この体は 何が起因しているのでしょうか! ハッキリ言って ”奢り・驕り・傲り”です。 戦法をどんなに駆使しても 思うようには なりません。
ならば 世俗を逃れ閑居する?隠棲生活も良いかも知れぬ。皆がみな 世を儚み 隠れたら さーて どうしましょう? 既に 政治への期待度は 相当な落ち込みじゃ~ありませんか? それを お認めにならぬ!なんですか
 ? 私だけ ハ~・・・・・
 国会中継の一コマ、「 すでに 書類は破棄しましたので 判りません」 これって 社会福祉法人や学校法人でも許されるのでしょうか? これが罷り通れば 日本中 収拾がつかなくなることを ご存知ない。なんです? それも 私だけ ハ~・・・・・
  落語でコンニャク問答ってものをご存知ですか 廃寺のにわか住職に成りすますこんにゃく屋が旅僧に禅問答をしかけられ  ああでもないこうでもない手真似無言で応じたら これぞ無言の行と敬服した小話。このトンチンカンな遣り取りを思い出したのです。
 おあとがよろしいようで・・・・・!