源究177

   

NO  テーマ  月日  NO  テーマ  月日  NO  テーマ   月日  NO  テーマ   月日 
 3051 徒然  4/29   3056 職種変動   5/18  3061 備え   6/2  3066 OK合図!  6/18
 3052 fake  news  5/3  3057 政争の愚   5/21  3062 生産とサービス   6/5  3067 独創力   6/20
 3053 連休終盤  5/8   3058 無常観   5/24  3063 しゅくみょう   6/8  3068 絆   6/23
 3054 五月晴れ  5/12   3059 光合成   5/27  3064 できれば・・   6/11  3069 核心の条件   6/27
 3055 雨ふれば・・・  5/15   3060 看取り   5/29  3065 永代供養   6/15  3070 パフォーマー   7/1

3051:徒然

 皐月を二日後に迎え 世間は大型連休に入った。つらつら想うに あっという間に時が過ぎ 数えれば67年を よくも生きてこれたものよ。古の世であれば 疾うの昔に身罷って当たり前のところ ・・・・・。
毎年 本山より送られてくる『豊山宝暦』を見ながら 六曜を確かめる。先勝・友引は お寺にとって気になるもので 無意識の中で日常化してしまった。 看取り&看取られ 昨日も入院されているメンバーの所で主治医の話を伺った。幸い前にお世話になった家政婦さんが付いてくれたので 見回りすれば良いのは助かるが 昨夜は一睡もしなかったと聞けば 束の間の安心も一瞬に消え失せる。最新の医療を受けることが可能となった今 幸せと思うこともあるが もの言えぬご本人にすれば ベッドの上で動き回ることしかできない。ねエ~よく 頑張っているよ!Tちゃん。 そう声をかけることしかできない自分は さて どうしたものか。 人は 様々な事に出くわす、病院から説明したいと呼ばれた弟さん、今朝 通勤中にノーブレーキの車に後ろから衝突され この病院に救急車で運ばれたと知った。幸い 入院するには至らずに首にシップをして見舞いに来ていた。 斯様に 何が起こるか誰も知る術がなく それぞれがそれぞれの生活を精一杯送っている。 悲しみや苦しみだけでなく 喜びや楽しみも必ずあると信じよう。大勢の方をいま お預かりしています。一人ひとりが実に個性豊かで凄いと思う。病院と学園の生活を交互に行っているSさんは 昨日大好きな氷川きよしのコンサートにスタッフと一緒に水戸まで行ってきた。その時の笑顔が彼女の本来の姿なのでしょうね。
 人に寄り添うということは 口で言うのは易しい。喜びや楽しみ事で付き合うことは出来ようが 悲しみや苦しみ事と心から付き合えるか?それが出来る人の有る無しは 生きる上で最も大切だとつくづく感じます。
 羨望と感謝 この言葉は意味深だ。 それに自分を偽り続けることは 不可能 いずれどこかで本心が出る。それが自分にとって どうなのか?
 ・・・・・昨今の技術進歩は、生物としての人間が快適についていかれるスピードを大きく上回ってしまいました。長い歴史を通じて、人々は若い時に基本知識や基本スキルを習得し、その熟練度を上げることで体力の衰えを補いつつ、人生を全うしてきました。でも習得したスキルの寿命は短くなり、逆に人間の寿命は長くなって、従来の基本的な生涯パターンが崩れつつあることは多くの人が感じている・・・・・『超一極集中社会アメリカの暴走』小林由美。
 技術進歩と同時に利便性やスピードを当たり前と考える世の中になっていますが、人の成長スピードには 限界があるでしょう。幼年期~少年期~青年期~成人期~老年期の時間は如何に速成法が進歩しても人の寿命を80年とすれば 自ずとそのサイクルは決まります。ですから変化についていけない人が脱落したり 無力感を感じてしまうのは避けられない。この最先端を走るのがアメリカという指摘です。私はアメリカに行ったことがないので あくまでも想像の世界、でも 正直行ってみたいとは一度も思わなかった。0.1%の成功者(?)に残りの99.9%の人間が支配されると言われている。もし これが事実なれば それを見習い追いつこうと思うのは頂けない。
 そこで 徒然 思うのは そんなに急いでどこにいくの?という疑問です。ポスト共産主義・社会主義を論じた書物は随分あるようですが 国家として どうあるべきか?について 未だ結論は見えません。自由資本主義がその対極にあるとしても 道半ばにして 既に 様々な問題に直面しているのです。
 この日本だって例外ではないでしょう。有史以前にまで逆戻りせずとも 自給自足は 国体の護持には欠かせまい。兵糧攻めや資源の枯渇は過去の戦争からみても 致命傷となります。それを一番判っているはずの日本は 依然として 他国との交易により均衡を保たせるという考えから出られず、もがいている。間違いですか???? 国土を広げ 自国で賄えないものを 獲得しようとした先人達の過ちは 今にいかされているでしょうか?
 一次産業の育成は 即席では難しい。食の安全とか自然とのバランスをはかるのには それ相応の財政の手立てが必要でしょう。人間の育成は もっと複雑で繊細ときている。昨今の動きで 危うさを感じるのは 本来の有るべき姿ではなく 一緒くたにした同じ経済手法により 全てを動かそうとする考えが主流になってしまったこと。
 一億総括役や地域創生の旗印は ごもっともですが、果たして それへの検証はどうなっているでしょう? 前項であげた一極集中社会の類似版が日本でも進んでいませんか?
  どのような目標を掲げたとしても 核戦争が起これば 全てが元も子もなくなる。この現実に向き合わざるを得なくなった日本人の誰もが その事を判っているのに 真剣に受け止め その対応を国家の一大事として考えているでしょうか?
 日本の立つ位置は 微妙、総理があちこちに出かけトップ会談を行っています。そこで交わされる話の中身は良く解からない。
 我々 庶民は どうすれば良いのでしょう? 組織が大所帯になれば 様々な意見があるのは当然です。・・・・が、省トップの認識のズレは酷いと思いませんか。 政党は 離合集散を繰り返し、今に至っていることを 誰よりも有権者が知っている。 けれども日本の政治家そのものに この自覚が欠損している。このことが一番 危ういと私は思う。 
 ・・・・強風に  飛ぶ先見えぬ  糸切れの凧・・・・・(ナマグサつぶやき)
 それから 危うさを感じるもう一つの理由があります。それは 人間が生を受け この掛け替えのない命を生き そして死をどのように迎えるか これこそが釈迦が身をもって説いた唯一の教え、涅槃である。
一切の煩悩を断じることができますか?有余と無余の涅槃をあげ 肉体を残すか否かを分ける。 残念ながら 今の世の中は 枝葉のことに振り回され その入口に達することさえできない。人間が考え出した仕組みには 常に不具合が生じ それを補う新たな仕組みを加える。それを進歩と考えた。
 法律・政令・省令・規則・通知・・・・一年間に出されるこれらの量がどれほどあるか想像できますか? 追加、改正を繰り返し 網の目のように張り巡る。どこで どうなっているか 誰も正確に理解でない仕組みに一時の安心を求めるが 次々に現れるものは 顔形が違うと同じ 完璧は有りえない。
  原点を見失うには 絶好の言い訳だ。ピープルファーストin横浜大会の記録CDが届いた。知人が送ってくれたものです。
 人は何故生きる? 良き死に方をしたいから・・・・・・仏教に限らず あらゆる宗教には その事が要にある。身に危険を感じれば 防衛しようとする 生き物に共通するこの反応は 遺伝すると私は思っている。
愛着障害とかいう問題も然り、未熟な幼き時代に体験した恐怖は 大人になった時に突然現れる。この事は 今の時代常識となっています。 大人たちの責任は 出来得る限り 恐怖の体験を子供たちに残さないことではないか?   

3052:fake  news

 トランプ大統領の発言に 世界中の人々が驚きと不安を感じている。相手を罵倒し突拍子もない事を言ったかと思うと偉くご機嫌な表情を見せ、相手を褒め称え どっちがホント?なのかと訝しがってしまう。アメリカで大成功をおさめた人物には他に類を見ないような突出した才能があるのだろうが、あの派手なパフォーマンスに度肝を抜かれ、気が付けばトランプ氏の思い通りになってしまう方も多いと思うね。
 彼が”fake news"と語った マスコミへの批判、 その意味は”虚偽情報”、いわばでっちあげられたニュースだ。成る程と思える節もあるが これは 彼のスタイルなのだろう、まず花火をブチ上げ 相手に関心を向かせてから やおら自分の意図した方向に持っていく。
 これを一般の人が真似ても そうはいくまい。何せ その実績という裏付けがないのだから 法螺吹き者と一刀両断されるのが落ちだ。ただ、政治の世界では未知数、これが どうなるか?
 捏造といえば 鳴りを潜めた感がする私学建設絡みの問題(西)、どちらかが嘘をついていることには間違いない。大阪地検が乗りだし捜査始めたから いずれ断が下されよう。方や(東)には豊洲への市場移転の問題、これは 問題の大きさが西とは比べ途方もない。そして新しく作られたものを 一度も使わず取り壊し また新たな場所へ作り直すという提案、開いた口が閉まらない。
 この二つが マスコミが連日連夜鳴物入りで報道していた。時間の経過は 恐ろしい。 どんなに大騒ぎしてもいずれホトボリ(熱)が冷める時が来る、ただ その損失で膨大なものが残される・・・・・・。
 ついでに 相次ぐ大臣の発言問題と謝罪会見、・・・・・。それと時を重ねるように 今は朝鮮半島が一触即発の危機、それらを TVは交互に流した。いま 大型連休に入り、国会も中休み、休むのは当然の権利といえばそうですよ。
 しかし、権利と義務以前の問題で 国の最高機関の国会議員の皆さんが どんな休日を送っていらしゃるか?
 私としては また同じ事が始まったと 忸怩たる思いですね。そんなにボヤいて何になる! お前は もっと違った見方ができぬのか!と叱られるか、あるいは 老人性鬱病かも知れません。
  連休など無関係に働いている沢山の人達がいる 言っておきますが 私達 福祉現場の人間も 正直連休など関係ありません これは”fake news"ではありませんよ。それを 3Kなどと決め付け虚偽情報を流すヤツは許せない。何処の誰だ!まったく。
 ・・・≪長い事 父のお骨を預けていましたけど 今度永代供養をしていただきたいのです。・・≫と電話があった。 5月2日 毎年 兄弟が集まってお寺に線香をあげに来る。その日が父親の誕生日であることを 今回初めて知った。
もう10年以上が経つんですね。 良く知っている児童養護施設の園長さんから 卒園生の父親の遺骨をお寺で預かって欲しいと頼まれた。3人の兄弟は一緒にその園で育った。父親が亡くなり 子供たちに遺骨が遺され どうして良いのか判らずに私に相談があった。
  勿論 覚えていますよ。しっかりしたお姉さんで ≪仕事についたら 3人でお金を貯め 供養したい。それまで 預かって下さい。お願いします。≫と 頼まれた。 納骨堂の父親の遺骨の前には お参りに来る度に 花とお酒とツマミが置かれている。
  私は 詳しい事情は聴いていない。時々かかってくる電話から 長女は結婚し 名前が変わったこと、 それと時々 妹や弟と連絡を取り合っていることも判っていた。今までにお母さんの話は一度も聞いたことは無かった。
  今回の電話は、恐らく  3人で貯めたお金の目鼻がついたので 永代供養墓地に納骨したいということだろう。寺との約束というよりもお父さんとの約束なんだと思った。良く頑張ったね。
  自分の生活は誰にも迷惑をかけず自分達が働いてと誰に教わったのか 当然だと思っているのが良く解かる。今までに自暴自棄に陥ることも 何度もあったと思うよ。お父さんの遺影は とても優しい人に見える。今回は 都合で長女だけで寺に来られたけれど、3人の気持ちをお父さんに伝えにきたのだろうと思った。
 今 入院中のYさん、家政婦さんの交代があった。1週間ごとに替わるそうだ。スタッフが病室に会いに行くと 手で服を着替える真似をして 園に帰ると訴えた。
 彼女は 音楽と絵本が大好き、同じ絵本を何回も捲りながら自由な時間をすごす。 体を左右に揺り動かし 鼻歌(?)混じって大好きな散歩 仲間たちのいる所に戻りたい。病院に任せるしかない 一体私達は何ができる? 自問自答・・・スタッフ達の表情に それが良く解かる。そして ベットで寝ているYさんに おもちゃピアノ(?)をもって行って弾いてやったと・・・・・・。
  安らぎを求めない人はいません。 それが できない現実・・・・理想とは離れているかもしれません。それを 非難することを 貴方はできますか? この国の福祉が 何か妙な方向に進んでいるように思えてなりません。
 何故? 思い当たる節がある。それは 子供の成長段階のどこかが変になっているからだと思っています。 前項の話は 決してfake newsなんかじゃ~ありません。 自分達が置かれた環境に不満を感じなかったかといえば嘘になるかも・・・・・。でもね~ 彼らには お父さんの気持ちを解かろうとする何かがあった。 それが兄弟にとって 掛替えない宝ではないでしょうか。 今の教育現場には それをわかる教師が減った。教育を学校に任せっきりにしてしまった家庭にも問題あり。それ以上に 自分は手を出さず 不条理を声高に訴えるだけの人も増えている。
 先を見る事ばかりに慣れてしまい 何かが欠けてしまった。 弁解はするが そうじゃないだろう !
 いま こうして 自分が生きていることの大切さが見い出せない現実。 虐待や遺棄、自死 その言葉の深層を探る手立てが見つけられず 歳を重ねる・・・・・・。 
 * 昨日、介護施設の理事長さんからメールが入る。身寄りの無い方が 医師から終末を宣告されたので 相談したいと・・・・・。Real News  ⇔  fake  news ・・・・
 

3053:連休終盤

 連休中は恐らく大変な混雑になるだろうと 最初から寺に籠城を決めていた。天気も良くて 草が伸び放題 覚悟を決めて作業着を身に纏い 颯爽と・・・・・・、それが日差しが強烈で 毛の無い頭からモロに熱が体に入るから 休憩ばかり 一向に綺麗になんかなりません。そうかと思うと最初に掃除した処から もう 草が出始めた。あと二日 法事の合間に根性入れて・・・・・・だが 気分は沈んでいる。
 観光地は人で一杯 なんであんな処に行くんだろう?
 送って頂いた≪ピープルファースト全国大会in横浜≫のCDをみた。一年前から準備していたそうで 当事者たちが企画や運営、発表を行った。 感動ものでした。この活動を全国に広まれば 障害者問題は随分 様相が変わるだろう。早速 記録CDを作られた同愛会のTさんに電話し、お礼を伝えた。そのちょっと前に札幌のKさんから電話、今年 北海道でO先生を塾長とした ある企画を行うという情報をもらった。
 いずれの方も 私が師と仰ぐ”気と実践”の先輩たち 迫力が全く違う。草取りで音を上げる私などお呼びじゃない。”気”は ”信念だ” 障害問題と真正面から向き合って今も火を噴く 火山みたいな人達です。
 皆さんがこのままでは大変なことになる・・・・・という危機感を共有し 次の世代の人達に伝えなければならぬと渇望する。
 ボルネオの活動を現地の方に任せたNさんも今年日本に帰ってくる・・・・・・。ドイツのYさん家族は10日から2週間 親子3人で日本に久しぶりに帰国する。
 いや~忙しくなるな! これらの方に 私は多くの教えを頂き 今に至りました。この感謝の気持ちは決して忘れまい。振り返ってつくづく思うこと 出来栄えの良し悪しではなく 自分が 全力投球できることを 生涯に渡って持ち続ける事・・・・・・。今日の変化が激しい時代だからこそ その価値が見直されるべきだと思うのです。 さてと 今日も鎌もって草取り やっかな~。
 長年 お寺に住まわせて頂いていると不思議に思う事があります。住職の仕事って何だろう? 今更 何を言うとお叱りを受けるかも知れません。丁度 私の今の年齢の頃だったかもしれない。オヤジにそんなことを聞いたような記憶がある。その時 父は即 ”寺の留守番”と言った。県庁勤めと施設、それと なんやかんや外の仕事があり 昼間は寺にいた試がない。しかし、不思議と夜は寺にいた。
 私の記憶では 父が草取りをしている姿を見たことが無い。草が伸び放題? それを気にしていたのか どうなのか?
 留守番と言うのは本当は一番難しい。 何をしてよいのか判らない。ただ 今とは確実に違ったことがあった。当時は勿論、コンビニなどなく 神立駅周辺に店が数件あっただけ、 時々父が東京に行った時に上野のなんとかというパン屋で買ってくる砂糖がのっているパン・・・・・・。
 半世紀前の不確かな記憶が懐かしい。
 不自由を感じない生活が幸せか? それが慣れっこになれば どうでしょう? 連休終盤 各地の高速道路はお決まりの大渋滞 なんでそこまでして 出かけるの? 周辺の水田では 休みを使った家族で田植えの手伝い。それだって 機械があっという間にしてしまう。便利になったということかどうなのか。
・・・・・が ホントにそうですか? 友人がスイカやグリーンカーテン用の苗木をくれた。K君が 自分が手伝って植えたことを手真似で教えてくれた。気になり 植えた畑に行ってみる。恐らく・・・・・!
 予感が外れ苗木に水をかけた後がハッキリ残っていた。誰かが 水をかけている。
 芝生の手入れもそれと同じ 手入れしなければ 一瞬の内に草に負け 芝がなくなる。管理の仕方が判らない? それなら 聞けば良いだろう。・・・・が そこまでの思いは無いようだ。「 もっと 愛情を注いで下さいよ」と 苗木をくれた方が帰り際に謂った言葉を思い出す。
 連休 私は毎日 雑草と格闘した、ハッキリ言って満足できる成果はない。 墓参に来た人が 「ごくろうさんです」と声掛けて 「ありがとうございます」と答える。この何気ない会話が唯一の慰めか! 気が付けば 世間からこの類の挨拶が消えている。これを由々しき事態と思うか否かは 個の自由?????
 

3054:五月晴れ

 ”五月雨をあつめて早し・・・・” 連休が終わった。昨夜 雷雨と共に 突然の雨になり 水を得た草木は 案の定 朝見れば 勢い増して緑眩い。昨日は 約束してあった客人を車で御案内、昭和10年代に神宮寺に住み 私が通った上大津西小学校に11歳の時に通った。なんと80年のタイムスリップ、小学校の前を通ることは何度もあるが 校庭に足を踏み入れたのは 私も40年以上の歳月が過ぎた、唯一昔を忍べるものは 二の宮金次郎の石像と桜の老木、それから 近年 大きな病院が出来、環境変化の著しい高野~田村を廻り 手野の蓮田を通って 真鍋の旧土浦中学(現在の土浦一高)に案内した。戦前に神立から通った思い出を91歳の客人は実に正確に思い出していた。生憎 文化財指定を受けている本校舎は現在修築中で覗くことは出来なかった。懐かしい 水戸一高との野球の定期戦をグランドでやっていた。その片隅にあるサッカーゴール、昭和44年、私達がサッカー部をつくり 見よう見まねで練習した50年前の記憶が蘇る。
 11歳で愛知県稲沢市から叔父さんが住職している神宮寺に預けられ 本人は遊びにきた積りだったそうだが なんと 男ばっかりの5人兄弟の中で自分が選ばれ 子供がいなかった叔父さんの養子? 本堂の片隅で故郷稲沢の方向を見ながらハーモニカを吹いて我慢した・・・・その話を私に語る時には 微かに目が潤んでいた。その辛さに堪えたから いま こうして自分がいられると・・・・・・感謝の弁。一緒に付き添ってこられた息子さんが私と一つ違い、老々介護ですよと言いながらも 父子の気兼ね無しの遣り取りを脇で見ていて 感動した。
 人生を振り返る時が 誰しも訪れよう。その時々にどっちの道を選んだか もし 別の道を選んでいたら  今 どんな状況になっているか 判らない。この不可思議さが その人の歴史をつくってきた。
 天寿を全うし 終末期を自分が納得できて 迎えることができれば これ幸い 己自身の終幕をどうおろすか やはり 生き切ることが条件か?
 ”フクシさんは 引き受けた以上 逃げられないから 大変だな~” と 息子さんが独り言。恐らく私に向かって言ったような気もしたが 定かではない。
 五月晴れの月曜日   軽トラックに道具を目一杯のせ 気持ちだけは 草刈モード  先のことを クヨクヨ考えず 走れ! 走れ~エイだ。
 ”緑が多くて落ち着きますね~”と言われると嬉しくなる。恐らく枝が大きく成り過ぎたのもあるだろうけれど 気温が高い日は格好の休息の場となります。
 久しぶりの纏まった雨が降り 天の恵みで草木が急に元気になった。最近は道路沿いの木は 大胆に途中から切って背丈を低くしたものが目立つ。イチョウや 欅の街路樹がある風景は それだけで気持ちが安らぐ、それと緑一面の芝生なんか ごろ寝にはもってこい。 その環境を維持する手間は大変なものなのです、専属の庭師さんが何人か居ても良い位です。二つの寺と尚恵学園の敷地の合計は約30町歩(300,000㎡)この広さを考えると 正直気がオカシクなる。まだ 夢に見る程ではないから 大丈夫。地域の人達にとって癒しの空間になればとの思い・・・・・ ウーム 考えて欲しいことも そりゃ~ありますわな!だって 這い蹲って草取りしている その傍をワンちゃんを連れ お散歩の方が立ち話 その脇でワンが足挙げて何始まった? ああああ・・・。
 なんというか 近年愚痴が多くなって 。寺の住職は 居候だから 其れぐらいは 我慢して 掃除やれということなのか よござんす! わたしゃ~ これ 趣味ですから・・・・・と。雨 のち 晴れ 五薀盛苦 
 韓国そしてフランス 大変な盛り上がりの中で大統領が決まった。その様子を挙ってマスコミはLIVEで伝えた。何かが違う。ニッポン! 憲法改正の議論をもっと公開でやりなさいよ。あんたら 自分の事をどう思っているんだい?今の議員数の半分でも充分だという調査結果が出たら どうする? その疑問には 一斉に黙して語らず。ハッキリ申しましょう。これが 今の日本の限界でしょう。ゴマすりと論功行賞人事、これで 激震の世界情勢での仲介役を果たすと信じている??? あまりにも世間知らずでは ありませんか? 日本を代表する企業、ある方と話す機会がありました。Tは決算発表を監査法人のお墨付きが出ず何度も遅らせる、Sは外国の企業の傘下に入り目下再建中、いま一番しっかりしているのはHだとその方はいう。グループ全体で社員30万人 その発祥の地が我が茨城とは・・・・・・。そう言った組織には 必ず現場に精通した責任者がいる。今お騒がせしている問題を官僚の所為にするなんて御門違い。彼らには そんな事を出来るはずがないだろう。忖度(そんたく)なんて日本語で誤魔化しても説得力無し 世間は どう見るか その裁断が怖いというのが ホンネじゃないの?
 世間様の目は厳しいということを トップにたつ人こそ自戒をもって肝に命じなければならぬ。 それが どうも変だと私は思う。
 こうやって 人は歳を重ね 思い通りにいかないことを受け入れていくのかも知れません。・・・・求不得苦・・・・かまえなし・・・・
  

3055:雨降れば ・・・

 雨降れば傘屋が儲かる?風吹けば桶屋が儲かる?・・・・・この話には ちょと説明が必要でしょう 埃やらネズミやら猫を登場させて 意味を説く。まあ~ 実にノンビリしたものですが これも時代と共に意味が変わってきたという。
昨今では あまり因果関係がない事柄を無理やりに自分の説の正当性を説くことに 使う輩が多いとか? 雨が降れば傘屋が儲かる。これはごもっともな話。それじゃ~風が吹くと何故桶屋が儲かるの? 首を傾げたくなります。ネズミが桶をかじる?からだと????。
 人間の理解スピードとIT技術の進歩 どうも人間のほうが混乱しているように思います。巧妙で高度化したサイバー攻撃という新たな問題があります。これを 果たして防ぐことができるのでしょうか?情報セキュリテイの確保に国を挙げて取り組んではいるのしょうが 今後益々その追いかけっこが続くかもしれません。
 今世界の各地で起こっている自然災害は 想定を遥かに超えている。大雨 突風 竜巻 乾燥 南極や氷河で進む氷解・・・・・・・・ 環境破壊のスピードを止めるのは人間の力では 如何ともし難い状況になった。 
 時間を逆戻りさせることもできず いつまでも対策を探しあぐねているのも いい加減にしないと ・・・・・・。
 137億年の宇宙の歴史。 誕生から46億年たつ地球は現在判明している生物が活きられる唯一の惑星、世界の人口は約74億人、日本人の平均寿命は男性が81歳、女性が87歳・・・・・・
 
 天長5年(829年)に空海が開設した日本で初めての私学「綜芸種智院」 それは学びたい者を選ばず、食事まで提供し、様々な学問を教える総合教育の走りだった。・・・≪いまだあらじ、一味美膳をなし、片音妙曲なるを・・・≫『綜芸種智院式并序』(性霊集巻10)にと この世は様々な味や音により 美膳や名曲がなりたつもの、決して一つの味や音によってなされたものではないとみる。 当時 貴族の子弟や僧侶に限られていた大学はあった。これに対し庶民の学ぶ場を天皇に直訴し設立したものであった。これは 真言宗の歴史の中で今もって生きている教えとなっています。その中核となる「まんだら」の思想は 今風に言えば≪個の尊厳≫に結びつくと思います。
 その学び舎も20年という短い期間で廃止せざるを得なかった。その理由は様々なことが言われるが 定説はない。財源不足や後継者難、宗派の優先順位の変更? しかし、1,100年という年月を経て1949年に新たに種智院大学として京都伏見区に開設されました。それは真言宗14本山により 仏教学科と社会福祉学科の二科で設立されている。
 尚恵学園は空海の描いた理想の社会をめざす、誰しもが隔てなく暮らせる社会である。(参考:理念) ここで 初代理事長は民間施設の8つの特色をあげ、我々が進むべき道として11の課題を掲げた。その歩みは 遅々としたもので 決して満足できるものではない。勿論 宗教や思想の違いで門戸を閉じることはしない。その人が信じるものを大切にするということも まんだら思想に准ずる。我々を必要とする方がいれば 可能な限り受け入れる。入所や通所という選択肢を用意し 本人の意思を基本においた 実践を目指している。国が示した地域共生社会という新たな福祉ビジョン????ここに私が危うさを感じてしまうのは 今更何を言うか!という強い不満である。 例の如く先ず言葉ありきで 実践は後付け。今般の法の一部改正が 何を狙ったものか いまだ私には理解できない。 むしろ”共生” そのものが危うい状況が加速していないか! いま我々ができることが何かを模索し続けています。ハッキリ言ってその妙案はありません。我々が認めねばならぬ事は ”こころの砂漠化”と”経済と知識の偏重社会”の二重呪縛に苛まれる現実は 人への優しさを蔑ろにするということではないでしょうか。
 日本の福祉施策の誤りは ハッキリ言って 此処に視点をあてたものでなければならない。 専門職として国が作った社会福祉士・介護福祉士・精神保健福祉士という三つの国家資格に実がないことで判ります(ほんの一例)。高齢化や少子化を危ぶむ割に この国は 根本的な見直しをする勇気と覚悟がない・・・・・・それでいて地域共生を標榜するとは・・・画塀に帰すようなことである。それを 許し続ける社会は 一味美膳・片音妙曲を良しとする人間を重用することを止めない。制限なしの 格差拡大を是とした思想ですよ。
 恐らく この状況は決して長続きはしないと思う。その時(10年先or百年先?)まで待てば良いと思うか否か これは 近代社会が抱えた最大の問題だと思うべきでしょう。国が持たない。
 。雨降れば地固まる。とは 過去の話・・・・・・(否) 舗装された地表に雨水を吸収する力なし。一気に増水した水は 人間が苦労して築いてきたものを瞬時に破壊し 跡形も無く流してしまう。自然の理です。
 
 昭和7年頃の日本は今と比較にならない。物が有り余ることなどなく、あらゆる生活必需品は限られていたから皆が大切に使った。弟は兄のお下がりを有難く使い、兄は弟の面倒をみる。親は 子供が寝た後 昼間できなかった仕事を遅くまでやっていた。 当時の教育は義務ではなく 通えるものが通った。当時の農村には 読み書きを教えてくれる場がなかった。そんな時代だったと思う。 鹿島から神立の寺に住職として迎えられた叔父(養父)に連れられ移り住んだ父は 後に僧侶の資格を取り、最初に住職になった寺(観音寺)を使って地域の有志と共に読み書きを教えた。それが 当時として珍しかった定員30名の私塾『神立農村実習学園』だった。昭和10年代、日本は海外に進出し国の士気高揚をはかっていた。資源の争奪から軋轢を生み 戦争に突入していった。実習学園で学んだ農村の子供たちも軍に召集され戦地に向かったものがいた。その証は 寺の過去帳に一行で記載されている。○○奥地で戦死。昭和20年敗戦をむかえた。
 昭和31年 尚恵学園(私立学校)は実習学園の意志を継ぎ 神宮寺の境内を使って産声をあげる。対象は知的にハンデイをもつ子供達、戦後、茨城県の児童福祉司になった父は 県南地区を担当、自転車で家庭を訪問、そこで見つけた座敷牢(?)の中で畑仕事から親がもどるまで家に一人置かれていた知的障害のある子供を 見るに見かね 背中に負ぶって連れてきた。この逸話を 私は 後々 当時の父を知る人から何度も聞かされた。そんな住職を支えてくれる人がいた。戦前に実習学園の教師をひきうけた地域の有志たちが理解者となった・・・・・・。古材を買い集め 自分達で家を建て始める。
 平成5年 父は享年87歳で世を去った。それから4年後 母が89歳で逝った。初代理事長と園長である。
 昔を振り返れば 揶揄嘲弄されたことも随分あった。悔し涙を何度流したことか ・・・・・。そのような時 いつも励ましてくれる人達がいた。邂逅・・・備忘録・・・・その時々のコマが記憶を呼び覚ます。
 何か自分の歳を感じる。
 愚痴っぽくなった 感情を抑えきれず 心を鎮めようとするが 次々に新たな事が起こった・・・・ 
 本堂に飾る既に並び切れなくなった遺影に向かって 朝 手を合わせるのが日課となっている。
  人間が自然を征服するなど無謀な行為、己の力を過信することも同じだ。他人を弱き者と決め付けることも然り。 最後の最後 ”ありがとう”と言って旅立てる そんな人生設計は 何度 書き直しても良いと思う。失敗やミスを恐れることはない。むしろ それを他人の所為にしたり 隠そうとすることが間違い。 仏教の教えは 雨降れば・・・・云々 そのことをふまえて 様々な便法を講じている。

3056:職種変動

 世界の動きを ネットで簡単に知ることができます。・・・が?。G7財務相・中央銀行総裁会議がイタリア南部のバリで開催された。我々には関係ないと思う人はどうでしょう?多いか少ないか? 自由貿易の議論が棚上げされたとか 保護主義への是非が話題となった位の情報はあるがそれ以上以下でもない。会議で確認されたことで 成長への格差是正とサイバー攻撃対策への連携した取り組みというものがあった。何らかの意図をもった攻撃は その原因がある。その原因の解決無くして 攻撃が治まるでしょうか? 素人でも判る話ですね。他にもG20とかありますが この存在自体が格差ではないのでしょうか? 本来 国連という組織があって そこで議論されるものが 優劣で分けられた一部の国によって決められる事が多いと思います。
 人工頭脳やITの技術進化は これから先 益々 すすむだろうというのが常識、巷では 10年後には消えるだろう職種が言われています。穏やかでないと思う人もいるでしょう。景気判断で完全失業率の動向は重要なファクター、ゆとり&過労死、貧富格差、自由か保護か・・・・、世の中に対比による議論が多すぎませんか???
 方や 今の政党は政策の違いによる色分けが曖昧になっている。これは もしかして日本だけ? 政治に対する”需要と供給のバランス”が おかしな状況になっている。そう思いませんか?隣の国の大統領選挙の投票率は高かった、ほゞ80%だという。日本お得意の需給バランスの議論が 選挙になるとパタリと鳴りを潜めます。これは 数字に確証がないからでしょう・・・・・となれば 憲法改正の問題は 本当に民意を反映したものとなっているでしょうか? 投票率の低迷は権利を行使しない国民の責任というのでは 私は問題と思うのです。その原因が何か! どれだけ改正の中味を国民一人ひとりが理解しているか・・・・。丁寧な説明努力をしてきただろうか? 選挙前の公約は途中で必ず変わると多くの人が思い込んでしまっているのでは?
 そこなんですね。恐ろしい話です。
 職種の議論の中に どういう訳か 政治家が含まれていない。本当に貴方たちは必要とされているのでしょうか、自分の党の所属議員の名前も知らないという幹事長が権力を握る。怖い話ですね。GDP世界?位の数字マジックに踊らされ 足元をみない。彼らこそが 脚下照顧すべきだと・・・・・・。他人をどうのこうの言う前に 己自身の本性を見つめよ~と。禅の語録に有りますね。
 いつの時代においても 光輝く人がいるものです。何をもってそうなるのかは 一概には言えませんが そこには共通するものがあるように感じます。
 プロ野球の選手で背番号の永久欠番という方がいます。それぞれのチームで大活躍し貢献した方を称え尊ぶためになされる。スポーツは 結果が一番 実力の世界ですから 他からの後ろ指は刺されまい。不満を言えば 自分が結果を出せと言われるだけ。さーてと 仏教においては そこを どう捉えるか? 少々 牽強付会の感もするが 端的に言って”中道” を歩めと!なるのかも  突出せず 程ほどで良いとする。
 閑話休題・・・・『人間喜劇』という作品群がある。バルザックという19cを代表するフランスの作家が人物再登場法という独特の方法で 19cのあらゆる階層・あらゆる人物を主人公にして当時のフランス社会を諷刺したもの。その構想は完結せずに終わったがその中で『従妹ベット』なる小説に何故か魅力を感じ、身の程知らずで卒論のテーマに選んでしまった。小生 21歳の時である。
 昭和40年代は安保闘争の全盛期 ノンポリと政治運動に熱心な学生に分かれていた。双方が対峙していたとは思わない。当時 左翼や右翼という言葉を良く耳にした。私は 明らかにノンポリ組だった。
 そんな時に 社会を”人間喜劇”と題し 自分は豪放磊落に人生を楽しむバルザックを知ってしまったということ。バルザックには沢山の逸話があって、当時のパリ社交界では相当風変わりな存在であったようだ。毎日50杯のコーヒーを飲みながら執筆に没頭 バルザック全集なる邦訳もあるが とてもじゃないが膨大な量で 手が出せない。結局 満足できる卒論とはならず シブい顔した担当教官に拝みいり どうにか合格にしてもらった次第である。それ以来 フランス文学にはアレルギー(?)になってしまった。
 今の時代に 何かが欠けていると思っている。 うまく言えないが 自分の居場所が見つけ難い環境が有って それぞれが誤魔化しの生き方で時間を浪費しているような気がする。 追いつけ追い越せと無言の圧力を感じ 安心できない・・・大きなお世話でしょうか。
 憶測だが 近代化と共に 失ったもの(大切なもの)が何かを掴み切れず 流されてしまう ・・・・・・ それと寿命の延長への準備不足
 高齢化を社会の負担と考え問題視する傾向は 何故か 先進国と言われる国に強いと感じます。偏見でしょうか?長生きを素直に喜べず 後ろめたさを感じながら終生を迎える国が 果たして理想とする社会なのでしょうか? そこで心身不二。この言葉の指し示すことを もう一度 誰しもが考えてみるべきではないでしょうかね。
 2週間前に芝の管理を教えてくれたMさんから電話で様子を尋ねられた。周りに最近新築された家の庭には青々とした芝生が見事に植えられている。園の芝生とは比べるのも虚しい。そこで その道のプロに直々に指導を請い 芝専用の除草剤を初めて試みた。
 完全に雑草が枯れていない所もあり もう一度同じものをかけるように指示された。 聞けば人体に優しい薬もあり それを使う事になった。
 規模が大きくなると どうしても管理面が問題になる。業務の分業化をせざるを得ない中で 責任をもって管理することが疎かになる。庭の手入れ・公用車・設備・建物等々・・・・日常の申し送りのチェック漏れ等が目立つ。この全体をチェックし 支障無きようにするには 相当口煩く言わないと・・・・それだって現実には難しい。
 平成28年度の決算書がほぼ出来上がった。厚さが2センチに達する量に正直驚いた。会計基準が変更になれば その対応に事務が参っている。この5月は全国どこの法人も決算関連資料の作成に奮闘している。
 10年先に消えてしまう職種があるというが本当だろうか? 逆に今まで以上に煩雑になり 余計な仕事が増えるような気がしている。ライフワークバランス~ね?
 時間と資源の浪費?それと調和?
 寺が ポケモンGOの巣の場所になっているようだ。時間構わす 車を道路に停めてスマホと睨めっこ。巣の場所情報が直ぐに流れるようで 水知らずの人が車を停めやっている。そうかと思えば自転車でやってきて 子供に頼まれたとかでいい大人が夢中でキイを打つ。
 甚だ迷惑、あれで事故でも起こったら誰の責任になるのでしょうか? 今後ますます ニワトリが先か卵が先かの問題は増えるばかり 何せ迷惑を商売にしてしまう世の中だ この最先端を走るのがサイバー攻撃ですよ・・・・いやはや困ったものである。
 となれば どこに安住の場を見つけるか? これだわな!≪独言三段論法≫ 

3057:政争の愚

 政党が巨大化すると 党内で軋轢が生れ 派閥ができる。これは今更珍しいことではない、特に改選時期になると その動きが活発(?)になるようだ。
 大きい事は良い事か? こればっかりは確信が持てない。中には博徒仁義みたいに 一宿一飯の恩義を頂戴するために渡り歩く方もいらっしゃる。その恩儀が大分 昔とは変わったようだ。良く知らないが政党助成金なんかは ・・・・。鳴りを潜めてしまった???
・・・・・恩に報いる者は煩悩を洗われて其の身を清く保ち、一河の流れに同じ水を汲みたる輩は 幽明界を隔つといえど御仏の光に会う・・・・云々。 この文言は 法事の際に私が読む追悼ノ文の中にある。亡くなった方をいたみ悲しむ言葉ですが 何故か現実がダブル!
 さーて 如何なるものか? 良からぬ考えは捨て 己の身を綺麗にし 受けた恩に報いようとなされますでしょうか、そうすれば あの世とこの世に関係せず 仏様に会う事ができますよという。下心があって 同宿の契りを結んだものの 時を見計らって 他宿を覗く。去る者は追わず 来る者は拒まず・・・今の時代出入りは自由?となれば 票を投じた者など最早 眼中になくなって 放浪の旅をくりかえす。
 生者必滅 会者定離は 常のこと。 この道理を忘れると偉い事になる。勿論 貴方自身がです。
 幸いにも 私は 心の清らかな人達に恵まれた。 知的に障害をお持ちの人達。 純粋無垢な思いを忘れず持ち続ける。なんという人達なのか?今を生きる仏! 彼らといると 不思議と荒んだ自分の気持ちが和らいでいく。
 私と同様に彼らとて 寄る年波には勝てない。今までに多くの別れを経験した。 終生忘れ得ぬ思い出を沢山頂いた。この恩に報いるには どうしたら良いのか 自問自答を繰り返す。
 この瞬間 時間が止まる。そして 至福の時でもある。
 誹謗中傷が罷り通るとなれば 世の中が荒ぶ。そうならぬ為に智慧を出し合い、道を誤らないような仕組みを作った。これは まだこの効能が生きていると信じたい。そうでないと 将来を託す子供たちに我々大人が重大な汚点を残すことになりかねない。遺訓という言葉がある。先人が残した教え、それを無視した変更・改正が成されたとすれば いつ どこの 誰が その責任を負うのであろうか? メデアのアンケート結果 同じ質問に対し 真逆の結果を示され 我々はどちらを信じれば良いのでしょう! 例えば 政党支持の数字 恐らく 調査した数は精々数千のレベル 抜き打ちに 電話か何かで尋ねたもののようだが 結果に対し疑えば切がない。皆さん 良く考えてみませんか! 日本の政治の仕組みでトップを選ぶのに 直接票を投じることが国民にはありません。もう 長くそのルールを守ってきた。間接民主主義って 中途半端ですよね。それも 有権者の半数が投票したものが精々ではありませんか?支持政党なしと答える数の多さ それに投票率の低さに変化なし この問題を真剣に討議する場が国会の中にハッキリ言ってない。 これは今時オカシイと私は思う。重大な事を そのような状況で決めるとなれば いったい誰がその責任を負うのですかね。俺は知らなかったで済むのでしょうか。
 米国の司法省で『特別検察官』を任命したというニュースが一部(?)のメデアが取り上げた。3権分立を掲げる現状の日本の仕組みに本来の姿とはズレがあると思います。それを修正する仕組みが弱いニッポン。
 例えば有識者会議や専門委員会なる場は設けてあるが その委員をだれがどのようにして選任するか?公平性や透明性から見た時に 限りなく不透明な実態はないでしょうか?そこまでは問わない。
 でも、そこの提言を受け仕組みづくりをおこなう流れは出来上がっています。裁決時、議員数の1/2や2/3の合意の縛りはありましょうが 果たして日本全体での?%の人達の得票により選ばれた議員なのか????
 この曖昧性は 問われず 知らされず ライフが先かワークが先か判らずにバランス論とは いかがなものか・・・・・・・私の感じる 政争の愚は その辺の整理が必要だということなんですよ。
 間接民主主義と直接民主主義があるのですが それぞれに長所と短所があるので併用するところが多いという。
 そこで 短所とは? ①正統性に対して 公約と当選後の言動に問題や相違が発生した場合の疑問をどうするか?②民意の反映制度に対して 民意の収集数や範囲が議員の裁量に任される。その結果がどうであれ信任の是非は次回の選挙まで先送りされてしまう。③選挙制度による影響として 区割りや定数の面から平等や公正に問題がある。小選挙区制度は 死票が多くなり、比例代表制は小党分立が長期化するなど、それと特定の利益代表が占めるようになって 疑惑発生の原因になっている。タテマエ衆参両院制の形骸化。最大の問題は ④政治的無関心の増加、これは先進国内で際立っている。何故でしょうか?選挙民は選挙の時だけ政治に関与するが その後は代議員(議員)に委託してしまうので 構成員としての当事者意識や責任感が希薄になる。それによって 実現の可能性を無視した大衆迎合的な政策を安易に支持してしまう危険性がある事。
 まさに この辺の問題が急速に広がっている感がします。マスコミ報道各社の政治的偏向が気になる所だが それ以上に国営放送の役割が曖昧になっていないだろうか?
 国会の責任として、せめて 重要な憲法改正の採決をはかるものは 国民に直接是非を問うべきと私は思うのです(直接民主制)。いかがでしょうか?よく 強行採決する際に議論した時間の長さを出す場合が多いが 要は 構成員たる国民に内容がどこまで理解がされているかということは不明 上記②による指摘がそれにあたる。 戦後の国づくりで比較されるドイツと日本 国の置かれた物理的条件の違いは大きいが 政治への国民の関心度の低さと政治家そのものの在り方(待遇・責任・覚悟・真剣み・・・人数など)の違いを感じてしまうのです。  そこから抜け出せない原因が日本にあるとしたら、何なのか? ハッキリ言って 生温さ だと思います。 

3058:無常観

 釈尊が説いた無常観は,≪この世の一切のものは、縁起によって成り立っているから常に変移している≫というもの。 あらゆる現象が常に在るとみれば苦が生じる、これが三法印・四法印の説に繋がる。日本人の心の中に西行・吉田兼好・鴨長明等が読んだ移ろいゆくものに感じる美意識がある。サクラや川の水を通して 人生の儚さを見つめる感性。
 時代は大きく変わった。キイ操作一つで瞬時に変わる画面に夢中になるが、厚い書物を時間をかけ読むことは敬遠され 知識を育む過程が抜け落ちた。私は 乱読を自認する。並行読みでジャンルの違う本を数冊、交互に読むクセがある。これは今に始まったことではない。PCの検索機能を使えば 次から次に知りたい情報を容易に得ることができます。 だが そこから得た情報は記憶に残らない。
 当然でしょう。文字に含まれる書き手の思いが通じない。記号との認識しか持てない。これは ひょっとすると 人間の感情や理解力にマイナスになるのではと危惧する。将来、人工知能やロボット化の影響はどうでるか?人間の持つ潜在能力の弱体?仏教の無常観には「刹那無常」と「相続無常」の二つの説明がある。刹那無常は 一瞬に生滅する現象を説明し、相続無常は,人の死や草木が枯れる過程を見つめ無常を感じ取ることを言う。
 現実に今起こっている恐ろしい事は ミサイルによる攻撃が遠隔操作で ピンポイントで目標を破壊させることができるようになっていること。
 言う間でも無いことだが釈迦やキリストの時代とは完全に違う。
 *いま Yさん家族が土浦に来られている。3人は19年ぶりに日本を訪れた。関空で入国審査を受けた時、写真と指紋を取られたと奥さんがドイツならばそんな必要はないと眉をひそめた。
  国会で採決されようとしている法律(共謀罪) 危惧される問題が空港入口で写真・指紋をとることで防げるか? 恥ずかしながら その辺の理解しかない。多分 それは 此方側の理解力の問題だと言われるに違いない。
  日本のトップリーダーに望むことがある。経済力を傘にした交渉事では 物事は何も解決しない。他国との信頼関係を築く事が大変な事はわかる、しかし 其れがどうのこうの 己が言う事ではない。当たり前の事だが交渉事は相手があって成り立つ。駆け引きを成功させるには 誠意と根気が肝心。
親子の絆は 幼子がお腹がすいた時 泣いて訴え 母親は本能的に子を抱きかかえ乳を与え 子は空腹を満たされ安心して眠る 。ここに理屈などない。
 それは 理屈でなく  人間に与えられた本性である。  
 無常は無情ではない。上記「三法印」は、諸行無常・諸法無我・涅槃寂静で仏教の旗印(?)をいう。第2の諸法無我とは、いかなる存在も永遠不変の実体を有しないこと、 我々は常に変化を繰り返し実体がないものを追い求めているのではなかろうか?大いに反省しなければならない。 仏教が目指すものは、涅槃寂静・・・心の静まった安らぎの境地。現実は煩悩が邪魔をする。煩悩を三毒で示す 貪欲・瞋恚・愚痴である。
むさぼり・いかり・おろかさ・・・・ 世の中に これらが無くなれば そこは浄土となる。フーム! わかっちゃ~いるけど 止められない。この種の人間がおそらく 大半でしょうね。私自身も愚痴の闇のなか、若い時分には 粋がっていた。できもしないクセにという もう一人の自分が横やりを入れた。
 いろんなモノを身に付け 身動きできない自分に気づく。自縄自縛。 国家や社会が そうなったらどうでしょう?一億の民が烏合の衆と化せば 国は混乱し 理想とした旗印など何の意味もない。
 仏教は 中道を生きる教えである。両極端や対立を離れることを是とする。足るを知る(知足)、これも 大切な仏教の立場である。
 圧力⇔反発。平和外交が望まれる割には この矛盾する関係がより悪化した感がする。健全なる判断力、 良識ある言動とは何か。それぞれの言い分・利害が絡んで なかなか解決の糸口が判らない。
 話し合いによる解決を諦めてはならない、世界中を見廻して単一民族だけの国家は皆無、
  核武装が戦争の抑止力????。現に核兵器を保有する国がどれだけあるか? ドイツのメルケル首相は専門が物理学と聞いた、日本の福島原発事故が起こった時 直ぐに原発廃止を決断したという。この判断の素早さ、彼女は東ドイツの出身だという。ドイツは長年、国を壁で二分され同じ民族が反目してきた。その歴史を自ら経験したメルケルだけに 平和の大切さを最優先にしている。欧州統合も 経済の連携と平和を目指す。何故かドイツの一人勝ちだとの反発を買ってはいるが それに信念を持って向き合う。
 日本が 果たして 過去の歴史から何を学び それを 次世代の子供たちにどう伝えてきたか?自由には責任が伴う。一般的な常識の欠如が目に余る状況はないだろうか。教育は当然だが 家庭の機能が曖昧になってしまった。自らの正当性を訴えながら経済最優先の政策を続ける、もういい加減にして 現実に向き合い このまま突っ走ることの是非を問うべきだと私は考える。経済界が危惧する経済発展の失速は  共生社会の実現とは矛盾しないばかりか なにか大切な事を忘れているこの国の将来に想定外の光が射し込むことになるのでは ないでしょうか。そうでなければ 国が足元から崩れていくように思う。
 ♪ 若い血潮の予科練の 七つボタン(釦)は 桜にいかり(錨) 今日も飛ぶ飛ぶ霞ヶ浦にゃ でっかい希望の雲が湧く・・・・・♪
 土浦駅から車で10分足らず 阿見町に予科練記念館がある。この『予科練の歌』の歌詞にある7つボタンは 世界の7つの大洋を表わす。そして日本の象徴 桜 と 海軍を表わすイカリである。2日前 記念館に行った。生憎 時間が遅く 閉まっていた。 そこには 出陣を前にした予科練生が書いた家族への手紙がいくつも展示されている。20歳前の若さで 国の為に 特攻部隊の兵として 命を落とした
 私の住む神立は 霞ヶ浦を挟んで 数キロしか離れていない。当時を知る父や母は 予科練の話を多く語らなかった。そんな中で 練習機が霞ヶ浦に落ちる話を聞いた記憶がある。反対岸から見えたそうだ。
 高齢化社会を叫ぶ そして 戦争の悲劇を語れるお年寄りが確実に減った。 今の若者は 戦争をどう考えているのだろうか? ITゲームで敵をやっつけることに夢中になる者はいるが 現実に起こるかもしれないとは思っていない節がある。
 ☆ 入院中のTさんの事で病院から話があるという。主治医から 今の状況の説明を受け 緩和病棟へ移ることをすすめられた。 ベットの上で ジッとしていないTさん。元気が出たとみるかどこかが痛い為に動くのか主治医も 判らないという。Tさんは 言葉がない。普段 彼女の表情から支援者は体調の変化を読み取るしかない。何十年と それを続け 今に至る。
 私は 彼女を7歳の時から知っている。大声を立てることはなく 他人に危害を与える事もない。淡々と生活をしてきた。病が判って 大きな手術をし 丁度1年が経つ。その時の主治医の話通りに 現在 終末医療にはいった。 面会の弟さんが声をかけると 手を差し出し じっと見つめていた。 無は無では無い。

3059:光合成

 光合成の解明は1648年のフランドルの医師:ヘルモントに始まるとされる。それは 鉢植えのヤナギに水だけを与え成長させる実験、・・・・・。植物が二酸化炭素と水により 植物の成長と酸素をうむ。そこに光エネルギーが関与していることが後に発見されて 今にいたる。
 再生可能エネルギーが地球環境の維持に欠かせない。風力や水力そして太陽光による発電は環境に優しい。方や石油や原発による電気への依存も決して減ってはいない。最近になり 私の住む地域に超大規模な太陽光発電所が次々に出来ている。大型重機が何台も入り山林を伐採し平地にした広大な場所に太陽光パネルが整然と並ぶ。。設備の構造自体は 簡単なものなので あっという間に出来上がる。ただ 一抹の不安も感じる。
 緑地が減り 人工的な器具が張りめぐされる土地は 異様にうつる。
 人間は酸素が無ければ生きられない。植物も同じ。 子供にも判るこの理屈が どうも経済の利益中心の発想により 変化続けるのは如何なものか?
性分はどうしようもなく またしても疑いの気持ちが湧いてくる。所管庁が国土交通省か経済産業省か知らない。 掲げた旗は地域再生か一億総活躍か?? 確かに後ろ向きより前向きな議論に人は魅かれる。この人間の心理を巧妙に刺激するのが上手い? STOP!をかける者は 冷たい視線をあびるから相当の覚悟が必要だ。
 里山暮らしで 定年後都会を離れ田舎に移住し 農業を行う人もいる。私は そのような人達を何人も知っている。・・・・が 元気な内は良いけれど具合が悪くなったらと 新たな不安を持っている。
 地域創生or再生 どちらでも良いのだが 要は そこで生活する安心をどう作るかという 根本の問題解決無くして ありえない。
 核開発と経済至上主義には 裏面での暗躍があり そこに人間のエゴが絡むからコントロールが不能になる。自分だけが良ければ良しとする考えでは 最早 どのような理想を描いても 安住の場は築けまい。≪?????≫ 
 光合成は 人智の及ぶ範囲でなく 元々あった自然の理である。 それに代わるものが作れると人間が考えたとしたら傲りでしか無く  自然の逆襲を受け大変な事態を招くことに。 
 午前・午後と役員会が水戸である。この時期 一斉に開催される決算と事業報告は ダブルこともあり 苦労する。土浦に戻り お通夜に向かう。その帰りに施設に寄って内部会議に途中から参加・・・・・
 1日が終わり グッタリ、この歳になると 疲れが取れず 翌日に必ず影響する。明け方目を覚ますと雨音がした。関東地方の今年の5月中の雨量は大分少ない。色とりどりの草花を植えたは良いが 今にも枯れそうになっている。
 ホースで水巻をやっても30度に達する気温が続くと焼け石に水、   四季がある日本は 緑豊かな国である。そのバランスが崩れれば 災害が起こる。恐らく今のまま豊さを追い続け 大気汚染を無視すれば どうなるか? 
 刹那主義が蔓延れば 世は乱れ 争いが繰り返される。成金趣味もいい加減にして欲しい。巷には誘惑が多すぎて 迷わずにいることも難しい。
 規制緩和によって 正直な思い福祉業界は大混乱、それに後手後手の対応で その効力を信じる者は少ない。高額な金を払ってコンサル会社と契約し 自衛対策は個の自由、 ま~一時の安心は得ても 果たして世の変化に付いていくのは できるかどうか その保証は何もない。ハッキリいって 幻影でしょう。
 もし こうすれば 必ずこうなりますの方式があるならば 苦労はない。想定は あくまでも想定にとどまる。それよりも  提案されたことを此方側に行なう力が無くて余計混乱を招くことになりやしないか そっちの方が私には気になります。 要は 福祉を金儲けの手段とすれば いずれ 必ずその報復・反発がある。それへの覚悟は 己自身の問題だ!
 この原点を 見失わないこと それは 先人の教えであり 人の倫と思うべし。 光合成という自然の理は 人智の及ぶことでなく 結局 有りの儘を受け入れよ ということに通じる。 
 
 個の尊厳が叫ばれる。これは 端的に言って 一人ひとりが違うことを確認すること。人の好み・喜び・能力・体力・気力・家族背景・・・・挙げたら切が無い。昨日は地元市の第?次・障害者計画の検討会があり、出席した。暫く 顔を出していなかったので どうかと思ったが、大分 顔ぶれと雰囲気が変わっていた。全国 全ての市町村で同様のプラン作成を行っている。顔が見える地域で具体的なサービスというが、先ず何が望まれているかを把握する、次にそれへの仕組みを作るのは簡単では無い。
 ニーズ調査にもいろいろあって 記述式のアンケートは 正直 どの位 核心をついているか不透明、相手により みな違うので質問の意味でさえ解釈に差が生まれる。 一般的に、この種の計画には 作成マニュアルがあって 同じ手法で進められる。最後に立派な報告書となり 関係者に配られる。
 しかし、大体が積ん読く(つんどく)ことになり 後で取り出して読み返すことは少ないと思う。
 作成に関わる労力とその効果をはかるのは実際に難しい。ただ この種の計画が増えすぎたのは疑いない事実である。もっと単純にすべきと思うが 世の中そんな風になっていないのが常である。
 会議が終わり 近くに座った方と話をした。入所施設から地域移行というけれど よく判らない。地域に本当に受け皿が用意できているのでしょうか?と尋ねられ、返す言葉がなかった。
  障害者を理解し 自分がすむ地域で一緒に暮らすことを受け入れる人々が どれほどいるか? この実態調査は 何故か あまりなされない。片手落ちという感もするが ホンネとタテマエはなかなか掴めないからである。 これは 障害者だけの問題ではないはずです。国の在り方が最後には問われる。人に優しい社会と真逆の現実、理想との間に解離があれば  当然”課題”がある。 
 課題は 数をあげて済むことでは無く 自分が どうその課題と向き合うかが問われることである。
  

3060:看取り

 生老病死・・・仏教の説く四苦は 「苦しみ」という意味よりも「思うようにならぬこと」と解する。四諦・・・・苦・集・滅・道は 本来誰もが持っている「苦」を滅する道を示す。その具体的な道として八正道(正見・正思惟・正語・正業・・・・)を釈迦は最初に説いたという。
 老いることで 初めて感じること。考えないとしても それはできない。ここまで高齢化社会が進めば 、他人事でなく 誰しもが己自身にふりかかる宿命、終極の死への準備は避けられない。
 尚恵学園が当に今 利用者の皆さんの高齢化に伴う様々な課題に直面している。現在四名の方が入院しています。 以前から 検討してきていることだが 現実に向き合い 日課を変えても その対応を最優先に行わざるをえない状況にある。
 重篤な方には 手術や点滴が行われ 付き添いは病院任せにできない方が殆どの実態がある。家族に期待することもできず 職員と家政婦さんの遣り繰りでどうにかこなしている状況である。
  我々入所施設はどこまで関われば良いのか?と言う問題は大きい。今の流れは入所を減らし 地域で暮らす。問題なのは、これが 出来ない人達をどうするかなのです。 考えている間も無く 行動しなければなりません。
 
 ホスピス・緩和医療・ターミナルケアー・ビハーラ・・・等 いろいろと謂われているが、いずれにしたって終末期の見取りは難しいと思っている。ビハーラは聞き慣れない言葉と思うが終末期の安住・休養の場所を提供し死への苦痛の緩和と癒しの支援をする仏教社会福祉的活動を謂う、 今の日本で、ある特定の宗派による実践はあるが 充分とはいえない。 この活動が広まらない理由がある。医療との連携や様々な支援者の協力を得ることが難しいからです。
 どこまで できるか判らないが 我々としては 指を銜え 見ていることが出来ないのです。(5/27)
 
 ” 過去は変わらないけれど 学ぶことはできますね。”  ファンタジーアドベンチャー『アリス・イン・ワンダーランド≪時間の旅≫』の中で語られる。
 ・・・生あるものは いずれ死をむかえることは 変わらない・・・・・ 延命治療を拒めば 退院をさせられるケースが多くなるという。 訪問看護を受けるか施設入所 他に選択肢があればと考えても 現実には難しい。在宅の場合 誰かが家に居ることが条件になります。それができないとなれば ・・・・・・・。
 これも 「思うようにならぬこと」 それを和らげる方法が 八正道の中にあるだろうか? 恐らく有史前から 人間は苦からの解脱願望を持ち続けてきたと思う。
 それを 仏教では どう説き明かすか? 無常・無我という言葉により「空」を説明する流れが唯識(ゆいしき)思想、インド~中国~日本への仏教の伝播、玄奘三蔵の存在から日本仏教各宗派の祖師が 挙って 唯識からヒントを得て 立宗の理論体系にしている。
 ≪この世界にある全てのものは 識、表象もしくは一人ひとりの心のもつイメージにすぎない≫ 実体は無く 常に変化して留まることがないと この考えが仏教の基本となっている。
 生老病死を自然な姿と見れるか? 問題とみるか 喜びとみるか 一定ではない。障害者問題は 人は働くことにより生きる価値を見出すという考えからすれば 差別や偏見が纏わりつく。人間の価値を生涯に得る金額の量で評価するとなれば、どのような制度・仕組みを作ったとしても 結果は見えている。働く意味が違う。人の心を動かすような働き これが 仏教で説く八正道の”正”の意味だ。
  国民の福祉は確かな人間観を基にしたものでなければなるまい。我々の細やかなる実践とて 決して他に引けをとるものではない。 貴方は何のために今 この仕事をしているのですか? それが今 問われていると 私は思っています。(5/28) 
 追悼のことば

 Fさん 貴方の微笑んでいるような寝顔 それは 私達の一方的な見方でしょうか。貴方は あまりにも突然 私達の前から旅立っていってしまいました。
 いつもと変わらず 昼食を食べたあと 自室で休んでいた。そう 思って声を掛けた職員は 貴方の異常に気づき 絶句したと思います。救急車を呼び 病院に運ばれたが 蘇生することがなかった。
  そして いま 学園に戻り 昨夜は寮の仲間たちと職員が代わる代わる貴方に会ってくれましたね。
 入所期間が12年になります。それは 他の仲間たちと比べれば まだ短いほうですよ。 今までにも、てんかん発作でトイレで倒れ 頭に大怪我をした時、低ナトリウム症で歩けなくなってしまった時 今回で3回 貴方は救急車で病院に搬送されたのです。
 貴方の動きは独特のものがありました。30年以上前に出版され 既に絶版になったキャラクター本を何冊も大切に枕元に置き毎日読んでいたという。ベットにうつ伏せで本を読んでいる姿で 貴方は亡くなっていました。自分の意に反したことが有った時 貴方は 所かまわず素手で壁を叩き穴をあけたよね。ガラスを割ったことも数知れず、それを決して止めなかったのです。多分 貴方の気持ちが上手く通じなかったのだと思います。ゴメンネ!
 そんな貴方が2年位前から変わってきた事を知りました。毎月 職員の手作りカレンダーに貴方が買い物に行く日やお母さんの面会日を記入し そこに毎日 シールを貼って 埋めていたそうです。外食の時は 貴方のリクエストに合うレストランに行って 満足そう それと カラオケが上手だったよね。。。。。。。
 根気よく貴方と向き合ってきた職員 それを受け入れてくれた貴方は 物に当ったりすることが徐々に減り 外作業では 草を運ぶことを一生懸命やってくれました。
 41歳 まだまだ いろんな事を貴方としたかった私達です。残念でなりません。 ご冥福を心よりお祈り申し上げ 追悼の言葉とします。「2017・5.29 Am6:00 F.S」 

3061:備え

 某会合に出席 回を重ねて 今回は5回目となる。今日で 3日連続の水戸詣で、日誌のメモを頼りに 会合の場所と内容を確認、最近 それが覚束なくなっている。事前に届いた資料を忘れたり 場所を間違えたり 自分では気を付けているつもりだが 予定外の事が急に入ったりするともう記憶が狂いだす。檀務もあって、 回忌法要なら少々遅れても 許してもらえるが 葬儀は そうも言っておれません。
 備え有れば憂いは本当に無いのかな? 何かに怒りをぶっつけている自分に情けない! 調子にのって 良い恰好するからだ!。背後から黒幕の声。
 健康を望まぬ者は無し。「十全健康」と「帯患健康」、完璧な健康体など有りえない。五臓六腑 気が付かないだけで 誰だって何処かがオカシイと思ってる。『養生訓』は貝原益軒著 江戸中期で天寿84歳というから凄い。 「三楽」を文字通りに自分で実行した、当時の平均寿命は30~40歳という時代だった。そのなかで江戸の人口は100万人に達する世界一の大都市。そこで「医は仁術なり」と説いた ・・・・≪人を救うを以て志をすべし。わが身の利養を専ら志すべからず・・・・≫ 儒教の教えを医に活かす。
 現代の医療事情は 医療費が鰻上り、その削減をはかる為 予防医学や在宅医療にきめ細やかな手立てを用意するが 思うような効果が出ない。何故でしょうか ま~いろんな原因を挙げてはいるが、在宅介護に関しては小家族が進み 家庭の介護能力が弱まったことが大きい。それに 家の中で看取る経験や教育もされないで長い期間いたものだから、そのツケが出た。もう 後戻りは不可能? 医療制度の問題だけでは無く 複雑に絡みあう社会事情が手つかずで存在する。
 じゃー何が出来るか?ある方のお話(NHKラジオ深夜便)で「ほどほどの生をいきる」 実に興味深く聴いた。薬漬けや超豪華な病院などが果たして終末期を迎える人にとって どれだけの価値があるのだろうか? ちょっと考えるべき。 世の中 金金カネ それと 未来志向の発想が幅きかす、ここは もう一度 過去から学ぶことだというのが私の結論。 特に心の問題は 昔の人に学ぶことが多いと思う。その根拠、死生観を考えれば 昔も今も 住み慣れた処で死を迎えたいと願う人の数は全体の九割と変わらない。現実は八割以上の人が病院で亡くなる。「この長寿国ニッポン!本当に長生きを喜べる現実があるのでしょうか」  これこそが現代人の最大の課題(ズレの修正)だと思います。何か恣意的に判り辛く複雑化しているように思ってしまう。
 人それぞれの天寿を受け入れ その人の生きた証として 残されし人達の心に どう刻まれるかでしょうね。 決して 生きた年数の長い短いではないはずですよ。
 周りで 毎日何かが起こる。この生活に慣れてしまうと何も無いと逆に落ち着かない。困った性分です。・・・・≪予が風雅は夏炉冬扇のごとし≫と読んだ芭蕉・柴門の辞。質素を旨とする生きざまが今は未来志向だと確信する。 深刻な問題として若者の自死率が先進国で日本がトップレベルにあると伺った。大人たちの責任として その対策をどうするかなのに 具体的に妙案が浮かばない。本当は GDPがどうのこうのに全精力を使うより もっと大切なことがあると気が付くべきなのです。身口意の三密という仏教の言葉があります。行い・言葉・思いをいう。これを一致させなさいという教えです。 それが 情けない事に国会の審議は 「どちらかが嘘をついている」との与野党攻防、国民に真実を明らかにせよ!とは ご立派ですよ? しかし どっちもどっちだ。貴方たちには 選ばれし者として少なくとも若者の範になる責務があるでしょう。 その若者のホンネが掴めていますか?。
 選挙になれば 徒党を組んで闇の戦略会議・・・・柴門どころか 毎夜 銀座かどっかの高級・・で秘密会議でしょう。言いたくはないが 三密ではなく 仏教ではこれを三毒というんだわ。むさぼり・いかり・おろかさの三つの毒。
これは もう主義信条以前の問題ですよ。
 昨日 園でFさんのお別れ会を行いました。利用者の皆さん全員が神宮寺の本堂に座り 静かにしていました。斎場で収骨までの間 参列した職員一人ひとりが彼への思い出を語った。一時間半があっという間に過ぎた。Fさんと家族に向かって”ありがとうございました”と多くの職員が語った。
 なにが大切かを 彼らはFさんから学んだ。 そう思ったのです。 

3062:生産とサービス

 生産物やサービスの対価として値段が決められ、その売買により得たお金を再分配。これは今日本で行われている経済の仕組みの一面です。昔から食料や資源を外国に依存する日本は この先本当に今のままで国を支えることができるでしょうか? 国の安全は何も戦争に対しての防衛力だけではありませんね。不穏な動きは 益々 我々にとって見過ごせない状況になっていませんか? 貿易のバランスは常に黒字になるとは限らない。有事の際には どうなるか?これは過去に日本が嫌と言うほど味わった事でしょう。一方では国内消費が なかなか伸びないと謂う。素人考えだが 不思議でもなんでもないと思いますね。物質的に日本人は満たされ(?)ているから あるもので我慢でき 不自由も感じない。それで新製品が売れないと嘆くのは可笑しくないですか。
 壊れす 安全で優秀な製品との売れ込みは 大半がmade in ・・・・で実は日本製でありません。製造元だけが日本のメーカー。これが実態でしょう。方やサービス産業の伸びは どうでしょうか? 確かに小家族が当たり前のご時世 更に独居老人世帯が増えたから サービスを受けたい人は増えたでしょうが・・・・・・。これも いつの間に 受給バランスが変化した。確かに地域差はありましょう。でも 規制緩和を追い風に 凄まじい勢いでサービス供給者が増えました。
 サービスは主に人力によってなされます、その人の手配ができないニッポン。ああすればこうなる式のことは判っていながら常態化しています。 ニワトリが先か卵が先か これは経済学の識者の方々にどう映っているでしょう? 専門外とはまさか謂わんでしょう! ”働く”という字は人が動くと書く。人の動き抜きに いかなる経済施策も有りえない。
 銀行は大分前から融資先が無いという。ゼネコンは仕事はあっても職人の手配ができない。教育は 少子化で 生徒募集に四苦八苦。農業漁業林業の従事者は高齢化の一途、アパート経営は 入居者の奪い合い、
 目抜き通りはシャッター通り 大型郊外ショッピングセンターもテナントの入れ替えが早くなる。
 これが 世界の趨勢か? 勢いづく軍需産業、これは機密事項だから 知る術がなし。
 いやはや 困った情勢になったものである。しかし、そう思うのは我々の戦後生まれの団塊世代のみなのか? 一人ひとり違うと言えばその通り。否定はしませんが 気になることがありますね。某市で起こった中学生の自死事件 昨日 教育委員会の謝罪会見を何度も放映された。イジメへの対応のチグハグサ これも 今の時代の反映か
 何かが狂っている。≪人を救うを以て志をすべし。わが身の利養を専ら志すべからず・・・・≫ 貝原益軒の『養生訓』
 私が危惧するのは 福祉の仕事さえも この国は ”儲け”の対象にしたことである。これは 未来志向を得意とする人々による 確信犯ではないだろうか? 
 過去に彼らの思惑通り 進んだ試はない。蛇足として 福祉に従事する者のモラル劣化も同罪なのかも知れない。
 
 商売の鉄則に”薄利多売”というものがあった。豊かさを追い求め 結果 物が巷に溢れ 無駄とは思わず破棄される食べ物、そこに至るまで どれだけ多くの人の手が関わってきたか その事はあまり問わない。
 使い捨てならば良かろう。使われずに捨てられる。これが人間に対しても 同様になされないという保証はない。官僚トップの告発 実態を知らされず 評価はできないが 自らの立場がどうなるか判っていて 何故 その行動に移ったか・・・・? 官僚は 時の政権の飼い犬か? 誰しもにプライドがある。誇り&自負心だ! 日本の戦後の歩み 恐らく 人として道が大切にされ その価値を磨き築いた歴史とも思う。今回の出来事が”人倫にもとる行為”として一蹴することができるでしょうか? ここで 思い出すのは 宰相には諫言立てする部下が不可欠という教え、果たして そのような臣下いるかいないか限りなく不透明。これが最大のリスクだということを 判らない・・・・・。身口意の三密 判り易く言えば 行い・言葉・思いの三つを同じくする修行 佛の道の基本。 
 謝罪によって 罪がゼロになりうるか? この曖昧さ 公と民に差はない。共生社会を標榜するなら 先ず 足元を見よ。己の反省無くして 何をかいわんや!
 昨日 千葉県に行くことになった。初めて行く場所ではないが 今は便利なものがある。ナビに頼って到着時間を予測、・・・・が 途中で画面が動かない 高速道路が途中で消えた。指示に従って手前で下り一般道、成田市街に入る手前 記憶では左折 ナビは直進を示す。 新しい道ができたのか? それを信じ真っ直ぐ 進む。なんと住宅街を右左に 道は細くなり 不安になる。 途中で先方から電話 ”いま どこにいる?”おそらく 近くだろうが 判らない”と答えた。どうにか セーフ 好き勝手な話をして終わった。
 結局 ナビが古かったことが原因。 これが 日本が誇る 利便性の一コマ。 天邪鬼 片意地も時には必要かと 思った。
  
 今回の社福法の一部改正の狙いは 表向きと影の両方の顔をみるべき。 最初の意気込みとは大分様変わり だいぶ妥協した改正になったと思っている。しかし 必ず 数年後に見直しがある、2次・3次の変更がこの先行われると覚悟すべきだ。平成25年厚労省が発表した「非営利ホールデングカンパニー」の概要、その実現に向けた前触れではないか。閣議決定まで行った新たな福祉の仕組みだが 懸念が拡大し 様子伺いと思われるが 実は密かに進んでいる。、一方 今年早々に発表された「地域共生社会」というビジョン 総花的という印象をもった。「連携」でなく「統合」という見方が強い。要は合法的なM&A。国は常に財政面とニーズを両天秤にかける。社会保障費の伸び率は突出、平成30年度に医療費や福祉に関する報酬単価見直しが予定されている。これは定例的なものだが 以前と比べ明らかに違うのは 報酬単価のアップは望めないということ。 支出増をどこを減じて補うかの組み換えだ。
 おそらく 今のまま進むとは 誰もが思ってはいないはず。医療や福祉の経営者が一番 強い関心をもつのは当然。株式会社の持ち株会社を想起してしまうホールデングカンパニーは、頭に非営利と付いているが 誰も信じない。現実に行われている営利目的の福祉産業が凄い勢いで増えている。方や、休眠や撤退した数も半端ではない。何故か? 事業開始が容易になっているからで 起業が簡単にできる。時代の流れでそれも有りという想定内の話 ・・・・。日本は 医療や介護・教育まで 同様のルールを用いようとしていないのか。 営利と非営利を差別化していると言うかも知れぬ。実体は 同一化が進んで 元には戻せない。それより数が増えすぎてチェックができないということではないでしょうか?待機児ゼロ達成を3年先送りした。ちょっとまてよ! ゼロにすることが最終目的? 数が絶対で質の担保が弱いのは 見通しが生温いと思う。
 後付け議論、不祥事が起こればマスコミが 全国版で公表。それじゃ~事後処理がどうなったか?不思議だがそこまでは 触れない。
 福祉や医療、教育の質の向上を競争原理で維持しようとする。それもこれも 何のために? 豊かさはそれに慣れてしまえば 価値を見失い、邪まな豊かさを求めます。結果 国が乱れ統制ができなくなり、それを強権によって 保とうとする。これも過去から学べることなりし。
 私が未来志向への偏重を危惧する最大の理由がそこにある。先人の教えや歴史を軽視し 自己中心の考えが蔓延る。己自身の力で未来が有ると言うはマヤカシ、人間が独歩自立できる速さは 他の生物と比べ どうなのか そこを勘違いしている。自力と他力も然り。
 判り易い例は 科学の進歩を悪用すれば 人間の破滅に供する武器になる。 ほどほど観が一番!

3063:しゅくみょう

天命・宿命という言葉を どのように考えれば良いでしょうか?  諸説があって 仏教そのものでどう解釈しているかとなると 実に難しい。 恐らく 自分自身の置かれた状況によって 異なり その是非は別として 自身が納得しうることとなれば問題はない。『一念三千』という天台の教え。一念・・・人の日常心に宇宙存在のすべての有り方(三千)が含まれるという究極の真理と説く。他方 因果応報による過去・現在・未来の繋がりを 業に応じて果報が生れるとみる考えもある。   四苦、無常、無我、空・・・・解脱と仏教の教えは広大である、それらを 現実の自分と どう結び付け 次に進むかということが肝心、その分岐点が ”諦”=諦めること。和英辞典で”諦”をどのように表すか、*abandon * despair *reconcile *give upなどがあります。この中で reconcile oneself という英訳が仏教的な解釈に最も近いと思う。「運命に甘んじる・満足する」という意味ですかね~。
 己の運命を一生涯 不満・不平を吐き続け 何になる? それよりも 受け入れ 自分の運命を糧として 先に進むこと。その決意・覚悟を一念のこころで表した・・・・・。
 教育が知識偏重になってから 先の見通しが逆に判り辛くなっているように思う。≪地頭がいい人≫とは 単に頭が良く 物識りということではない。課題にぶち当たった時に 自分で考える力があって 課題解決への方向性を示せる人間を謂う。
 この力は  本人の努力によることが大きいと思います。ミスをどう次に活かすか 隠蔽するのではなく 己の責任として どう対処するかを示せる人間・・・・・
 宿命を”しゅくみょう”と読ませる。????? それに 何か意味があるのでしょうか・・・・・?
 神社・仏閣を参拝し 身の安全や幸せを祈る。日本の寺院数は約76,000、神社数は約85,000あると言います(文化庁)。因みに コンビニの数は40,000という。日本は万葉集や古事記に記される常世の国、永久不変を信じ、昔から全国津々浦々に信仰の拠所として寺社が守られてきたのです。
 運命は 人の意志をこえて 様々な禍福を起こすと謂われます。古今東西 人は同じ歴史を積み重ね 今に至った。 何を信仰するかより どう生きるかを考えるのが大切ではないのでしょうか?
 人は智慧を働かし 様々なことを考えるもの。 最初から失敗を考えて事業を起こす者はいない。株への投資で成功したものが どれ程いるか? ギャンブルに手を出し 全てを失ったもの?
 覚せい剤に手を出し、身の破綻、 ・・・・・・。これは運命・天命・宿命? 違いますね。誘惑に負けるのは 自己責任 。そのことを判っていて 何故?
 これもまた 人間がもつ避けることができない性なのでしょうか?
 人は安らぎを感じる時 相手に優しくなるという。安らぎを得るために 他から何かを奪い取るのは 如何なものか? その何かがなにか?悲しみや苦しみを取り除く。それが 信仰への入口というものでしょう。
  このようなことを言えば 毛嫌いされるかもね。坊さんだから許して下さいよ。でも  自分が窮地に立った時 何かに救いを求めたがるのは自然でしょう。身にかかる禍福に誰も無関心ではない。
 厚生園で 4人入院されていたが 2日後に一人は退院、もう一人は 今日外出許可がおり 久しぶりに仲間の所で過ごした。純粋無垢な彼らとて 体調を崩し 医療の世話になる。そんな彼らと向き合ってきて 確信するのは
 ”安らぎ”って 何だろうということなのですね。
 インドやパキスタン南部で連日50度という猛暑に襲われている。夜間も35度を超えているから尋常でない。あと1週間は この猛暑が続くと報道された。体調を崩し 命を落とす人達が増えている。
 インドの首都 ニューデリーで そんな状況になっている。 パリ協定からアメリカが離脱するというニュースが世界中に流れた。中国・アメリカ・インドで世界の温室効果ガス排出量全体の42%を占める。地球温暖化は○○ファーストにいう 一国だけの問題ではなく、今さえ良ければということでもない。実際にアメリカが離脱するのは 3~4年後になるというのは救われる。 これも選挙での公約を実行するということなのかも知れない。
 EU~中東~アフリカ~アジア~??? それぞれの地域で抱える問題に対し確たる解決策が見い出せず 彷徨い続けている。情報社会がドンドン進み 世界のどこに居ても瞬時に何が起こっているかが判るようになった。
 メデアは 当然 関心の高い情報を我先にと報道する。地球環境の悪化は徐々に進むかも知れないが 最早 立ち止まる猶予はない。悪化の原因が何かは今の科学で突き止めているはず。その対策を実行するのは誰か!
 常に 弱き者が 真っ先にその犠牲となってきた。今の日本が平和だと考える人は多いかも知れぬ。確かに 大都市に張り巡らされた交通網 正確な時間で運行され 沢山の人達が利用する。
 それが時としてマヒを起こす。その一番の原因は恐らく 人身事故ではないだろうか? もし これが事実なら 本当に今の日本が平和なのだろうかと思ってしまう。 弱き者は 体力や経済力だけでは計れない。いつ どんな時に 自分がその身になるかは誰も判らない。
 

3064:できれば

 

六地蔵花立に なにを祈るか 青ガエル

できれば 良いな~と思うこと できたら な~んだ。晴耕雨読 天気の趣くまま 暮らせたらと 思う人は多いでしょう。 昨日 私の携帯に朝 続けざまに2本の電話が入った。外に出ていた為に 後でこっちから電話しますと切った。4時頃に電話すると 二人とも出ない。一人は畑 もう一人は釣りの最中だったとか。70歳を前にしたお二人で現役時代はそりゃーもう猛烈に働いた。  これは あくまでも 本人の弁、リタイアして 自由気儘な生活を満喫中?
 ≪お前だって 決意すれば出来るだろう≫と言われたような でも できるかな~! 足腰にシップを貼るのが日課になった。 関節や筋肉の痛みは 休めば取れると思っていたのは 間違いだった。今になってやっと了解。 歳相応に照準をどこに合わせるか。 それが 視力が落ちて 左右が偉く違うので 照準が合わない。こじ付けと判っている。 性分だ。 今年になって 再度挑戦始めたのが ピアノとギター。物置(?)に置かれた儘で 何か胸騒ぎ。 リハビリを兼ねてと 夜 独り 鍵盤叩いて爪弾いて 何 なーんだ 結構覚えているんじゃ~ありませんと気が付いた。『禁じられた遊び』や古賀メロデイ 高校時代だったねえ~ 夢中で練習、それも独学で。半世紀たっても 指が覚えている。奇跡だ!才能だ! どっちでもねえ~ヨ。性分だ!
 すると なんだねエ~ 当時の事が次々に浮かんでくるじゃ~ありませんか! 最初は 指同志がケンカして とても無理と思ったけれど 半年が経ち 徐々に変わった。
 頂いたコーヒーを飲みながら ・・・・ 唄の無いヒットメロデイを聴くのです ・・・・・ スクリーンミュージック クラッシック 演歌 童謡 ・・・JALのなんとか 皆 ユーチューブで聴くのです。
  近頃 ≪ 満面朱をそそぐ ≫観の自分にホドホド嫌気が指していたところだ。 身近に 癒しの時間が作れたような気がしている。
   今 凝っている曲は 吉幾三の『娘に』  涙が出て でて 仕様が無い。☆ 島津 亜矢と吉 幾三のデユットが 最高で~す。♪・・・ 背中より でかかった 赤いランドセル・・・・♪あああ・・・参ったな^^^^
 梅雨入り 久しぶりのお湿り前 朝早くから 観音寺境内の六地蔵 青ガエルが ジッと何かを祈るようにしていた(上記スナップ)。
 人間は 自然との共存を大切に その恵みに感謝し 己の生き様で 報いようとしてきたはずでした。 どうでしょうね? 人間様よ。貴方たちの欲は 際限無し 横暴で 邪まに・・・ 相手を押しのけ 勝鬨をあげ 満足していませんか
 カエルは 綺麗なベベを身につけることなく ひたすら雨を待つ。
  福岡での事件は 思いもよらない展開 4人家族に何があったのか? それと 大洗開発センターでの作業員の被曝事故、・・・・・・。文科省内の不透明な動き・・・・・。一体 全体 日本よ どうしたんだよ。 もしかしたら 青ガエルは その一部始終をみて 祈っているのかもしれない。できれば詭弁を弄することなく 自分に正直になれ!と。
 
 昨夜 10時を過ぎた頃 電話が入った。≪ いま 救急車を呼び 病院へいきます。理事長は大丈夫ですから・・・≫ 私を気遣って ・・・・・。 入院が1か月を過ぎ 今 容態が落ち着いているからと 主治医の許可がおり 園に一泊の外泊 本人は 投薬の影響もあって ふら付く  スタッフが傍について 慣れた寮の中を自らの足で歩いていた。 仲間たちは大喜び 皆で友を迎えた。 夜勤者を一人増やし 対応     それが。一瞬の隙を狙って 導尿用に着けてあるカテーテルを抜かれてしまった。≪ その時には いつでも良いから救急車で病院へ連れてきてください。≫との 有難い病院の話があった。その通りになってしまった。応急処置で装着してもらい 今朝までいた病棟に戻った。 家政婦さんには 休んでもらっていたから スタッフが付き添うことになる。ベットから 無意識に立ち上がろうとするYさん、・・・・・・・・。
  本人を必死に説得し続ける職員、私は 何もできない ただ 傍に立っているだけ。
 
 ネットで好きな曲の楽譜を調べたら 見事に有料で 参考に見れるのは一部だけ 肝心な部分は斜線で見えなくなっていた。当然だわな! 本が売れなくなって ネット上で殆どの情報は手に入る、著作権絡みの壁はドンドン高くなる。
 それと コピーも取れない。取ろうとすればちゃんと方法(入口)は有るようだが それは 勿論有料だ。 2重3重のチェック。 諦めるか!。
 便利さと自由は一体ではない。情報の信憑性も然り、結局 それをどう考えるかは各自の責任となる。権利と義務も然り、どんなに法律や規約を作っても 最後は自己責任 知らなかったという言い訳は効かないはず
 
 突然  ネコの話。
 挟まって身動きできないでいる猫をスタッフが助け 事務所に連れてきた。生まれてどの位たつのか 箱の中には牛乳をいれた小皿が置いてある。その子猫を膝の上に載せ 喜んでいた方がいた。あの大声はどうなった? 今は 殆ど気にならず、散歩もグループで行けるようになっている。その方は 「道路で蟻を見つけ屈みこんで じっとアリの動きを観察しているんですよ」とスッタフが教えてくれた。
 その子猫は 幸い 貰い手が出てきて 引き取られていった。良かったのか どうなのか・・・・
 支援者と利用者の関係の基本は こんな所に私は感じます。相手の目線になってと言うは易い。相手のどこをみるか? 普段何気ない場面で その機会に出くわすということだ。
 2名の入院されている方が退院することになった、いざ そうなると 受入準備で慌ただしくなった。病院と施設は違う。医療処置はできないから いざとなれば また入院せざるを得ない。
主治医が家族に説明する時に必ずスタッフが同席する。「薬で治せないものがあります。それは 患者さんの今までの生活ですね。徐々に今までの生活に戻し やってみることを奨めます。何かあれば いつでも受け入れますよ・・・・」 この医師は いつも患者に対し 丁寧な対応をしてくれる。大病院で何百人と医師がいる中の一人。
 入所施設を長くやってきた我々は 正直肩身の狭い思いをしている。地域での生活 判りますよ 当然できれば それが良いに決まっている。じゃ~GHが本来の姿になっていますか? 
 ☆ 夕方土浦のスーパーに買い物に行く。駐車場の自販機で何かを買おうとしているSさんに偶然あった。「Sさん 何してる?」「仕事終わったから迎えをまっているんだよ」「電話したの?」「まだ」 「それなら 送っていくよ」と私の車に乗ってもらう。「えんちょう先生に 会うなんてびっくりしたよ」「 今度 アパート生活できるんだ」「えんちょう先生に話をしてからと言っていたんだ」「自分で 食事作れる?」「ああ できますよ」
 私をえんちょう先生と今でも呼ぶ彼女。中には「ブクシ」と呼び付ける人もいる。もう 皆さんとの付き合いは長くなった。 GHに移って お菓子屋さんに長く勤めるSさんは 給料と年金でアパート生活を始めたいと希望をだしていた・・・・・・。先ず 体験してから との目標を持っている。
 逆に GHから 体調を崩し 寮に戻ってくる方もいる。何事も絶対ということは ない。 利用されている方々と できれば・・・・こうしたいという思いを一緒に考え形にしていくのが 国の謂う意志決定支援と地域移行というのであれば それを諦めたことはありません。
 

3065:永代供養

 日本の宗教事情に変化が見えている。私は 父の後を継ぎ 二ケ寺の住職を務めています。地蔵菩薩と観音菩薩がそれぞれの寺の本尊、朝の勤行で読む経は 決まっています。 週末は 2か月先の法事の予定が決まっていて 最優先で対応しているのですが それでも どうしてもでき無くなることがあり 代行を頼むことも増えてきました。
 それと 墓地を守ることができなくなった檀家さんが増えているようです。どこのお寺も合葬墓をつくり 永代供養を行うようになりました。それぞれに事情があっての事でしょうが この先を考えると どうなるのかと考えてしまいます。代々続いた家業を継ぐことが これから先できなくなることが増えていきます。 コインランドリーやヘアーカット店、カメラ屋さんから自動精米機・・・・。増え過ぎて競争激化する商売と必要性が無くなって街から消えた商売。その両極の間で悩んでいる方も実に多い。福井にある曹洞宗の大本山永平寺に行ってきた話を聞き 土産に和蝋燭を貰った。各宗派の本山は大寺ばかりです。どこも修行僧を抱え 本山の維持だけでなく 全国に散らばる末寺の統括という重要な業務を持っている。京都や奈良など歴史ある場所にある本山も伽藍維持や末寺への支援等で苦労されている。門前街には 昔から寺と関係の深い商売で生計を立てている家もある、集客の為には観光に力を入れることは避けられない。
 献金と布施・・・・・。それは こころの問題だと思う。取られたと思うか 自らの意志で収めたか????  微妙! 宗教法人法では 住職個人の収入と法人(寺)の収入はハッキリ分けている。おそらく住職個人の財産は 殆ど無いはずだ。 疑義があるとすれば 何か理由がある。 
 住職という立場は 微妙です。世襲制になっている現実と寺の維持 それと 檀家制度や信教の自由 恐らく どのような時代になろうが この一線だけは守られないと 大変な混乱を招くでしょう。
 たった今 朝6時の定刻で鐘楼の鐘が一つなった。これも 実はお寺が頼んだのではなく ご本人の意志で撞いてくれている。私は名も住まいも実は判らない。毎日、3回鐘がなる。昼の12時 これは『まんだら工房』の仲間たちが交互に撞いている。それと午後6時 寺の前の家のお嫁さんが最初から撞いている。
・・・・・・ ああだ こうだと 騒ぐべからず 先の事は 誰も判らず いま 出来る事を ただ すれば良いだけのこと・・・・・・ 
 供養の原点??? 誰しも 老境に入り 自分の過去を振り返れば なんと 生きてきた時間が短いことかと 思うはず。それは当然ですよ。時間は一瞬たりとも止まることはない。過去現在未来→三世了達(さんぜりょうだつ)と申しますが佛は過去~現在~未来を達観し明らしむ存在。一方の我々凡夫は何もかもが霞んでしまって良く見えない。それを無理やり視ようとするから 余計暗闇に入り込んで 今度は二進も三進もできないってことになります。
 先祖は その三世をご自身で体験し 涅槃にいらっしゃるとみて手を合わせ教えをこう。それが供養の本質ですね。その教えの中味がどんなものか? 恐らく 現世で行われている(DO)とは次元が違う。例えは良くないけれどP-D-C-A式通りにモノ事が行けば苦労なしってことですが、そうなった試はありませんよ。仏教では”求不得苦”という言葉で表す。 それが真理だという訳でしょうよ。 供養は 相手から教えを己自身が学ぶこと。修行とは己自身が実践でそれに応えること。
 更に 無我と説く。 本来在るとおもっていたモノが実は無くて 縁により生まれている仮の存在。次に涅槃 これが仏教の理想の境地、絶対的な寂静状態です。
 そうは謂っても誰しもが迷いの真っただ中 腹をたて 悔やみ 慄き ・・・・・ 殺伐荒涼として真逆の自分を観じます。    ですから 手を合わせ 佛に向き合う。 人生 その連続 これで良いと私は思いますよ。
 振り返り時間が短いと感じたとすれば 多分 自分では満足できる人生を歩んだということ もっと時間が有ればと思うのであれば やり残したものがあると・・・・・・。そんな風に考えたほうが良いと思います。
 仏教は その時々の状況を言葉で説き導いてくれる。私が好きな言葉の一つで知足(ちそく)は 己の指標として 心に留め置けば 声なき箴言となりましょうよ。
 信仰するものは 何でも良いと私は思っております。いま 私が僧侶として 寺に住んでいることも 縁 です。 皆さん それぞれの縁を大切に していくことです。その結果 穏やかな気持ちを取り戻し相手を攻撃するのではなく向き合おうとする心の余裕が生まれ、お互いが認め合う” 和 ”に向かうと信じます。 
☆共謀罪・・国会審議を聴いていて そんな事を考えた次第です。

3066:OK合図!

 お決まりの 食事外出・・・・「 今から通院?」「違いますよ。二人で食事に行くんです」 前屈みで 常より足早に車に乗り込んだYさんは S職員と手を繋ぎ出掛けた・・・・・。今日は どこに食べに行くのかな? 庭の掃除をNさんとやっていた私の傍を通り過ぎ 面倒くさそうに私に手を上げ答えてくれた。大好きな焼肉を食べに行くんだと判った。1時ごろ帰園した彼女は いつもと変わりなく過ごしている。付き添った職員に何人かのスタッフが楽しそうに食事の様子を聞いていた。Yさんは目が殆ど見えない。それでも 2階の私の部屋に突然独りでやってきて 手探りで食べ物を探し 無いと判ると表情ひとつ変えず 出て行ってしまう。彼女は大食漢 それは昔と今も変わりなく 堂々たる体格を見事に維持、彼女は帽子をかぶって養護学校に通学していた。もう大分昔の話だがその時のことを今もハッキリ思い出す。
 Oさんは 最近入所利用が始まった。今までに短期のお泊まりは何度も体験、でも さすがに正式入所となれば いつもとは違うと判ったようである。 両親が迎えにくる方角を2階より良くみている。彼も自らの言葉を発することはない。顔の表情で意志を伝える。それから ほんのちょこっと動かす手、注視してないと見逃してしまうが これが彼のOK合図!だ。最近はやっと慣れたのか 今日は作業服に着替え庭にいた。今でも週末には両親が迎えに来て帰省する。その時の姿は丁度 今日のYさんとダブる。
 これが 彼等へのご褒美か? そうじゃないよな~。そう謂ってくれよ!と願う自分の不甲斐なさ。 「Oさん!元気?」と声掛けすると ちょこっと手をあげた。
 生活の場は大切だ その場がその人にとってどうなのか? この問いかけに 彼らは言い訳無し 言葉でなく 一人ひとり違った合図で応えてくる。そこには微笑や涙が同居する。今の福祉は 形から入りすぎると感じている。 煩雑で判り辛い。例を挙げれば切が無い。福祉の業界は挙って 意志決定支援などと妙な日本語を使って説明する・・・・・。それと マニュアル。家庭内で親が子の意志決定支援をマニュアル使って行うのですか?  親子の断絶は  いま家庭内の方が深刻ではないだろうか?
 地域での生活 という貴方自身は それを是とする確信の持てる形で 言葉でなくて”身”で証明することができるんですか?

  ★文月メイ『ママ』 ♪ 武部聡志プロデユース★  この曲を一度聴いて欲しい。
 
 独りひとり それぞれが願いを持っている。適えられる時もあるけど そうでない時のほうがずっと多い。昔よりそうでした。 そんな時 傍にいてくれるだけで 声をかけてくれるだけで 人はどんなに癒されるか!
 強がってみても 粋がってみても 所詮 人は寂しがり屋だし 一人では生きられぬ。 そこだと思うな! これは 皆 同じなんだもの 隠す事なんてないよね。
 幸せって 何だろう? 一瞬にして 通り過ぎてしまうもの それとも 少しずつ 少しずつ 感じ合えるもの? 上記の『ママ』という曲は 虐待児からの母親への叫びです 大声でなく 小さな声で 囁くような ・・・・・・。
 何もやってやれないからと尻込みしてしまう。そんな親子がいるとしたら 違う! 話を聞いてあげるだけで 違うと思うな~。
 OK合図と言ったけれど NO合図も 勿論あるよね。 Yさんが退院できた。治ったからじゃない。何度も ご兄弟や園のスタッフ それに病院の方達と話し合った。そこで出された結論でした。今 管理当直を一人増やし Yさんの部屋にスタッフが寝る。皆で話し合った結果 そうなった!
 
 入所型施設を否定する人を沢山私は知っている。そりゃ~ そうだわな。もう50年以上 私は その事と向き合ってきたんだもの。どこの 何が悪いの? 自問自答 時には言い争ったこともある。現在とて 勿論 ing です。
 OKかNOか  じゃなくて 隠さず 話をすれば違うと思うし いずれは 判り合えるような気がしてる。
 巣立つという事だけど、動物が親の元から離れ自分の力で生きて行くこと。その子らも 家族をつくり 子を育て いずれ別々に生きて行く。 この事をどうのこうの人間には言えない。ただ 明らかに動物と違うのは 人間は 自ら作り出した価値観に”自縄自縛”になってしまうことがある。
 自業自得⇔ブーメラン現象。相手を批判すれば そのしっぺ返しが いろんな風に自分に戻ってくるのでしょう? 憎まれっ子世にはばかる・・・生意気で嫌われものが却って世間で幅をきかすってことあるある、本当は誰も嫌われ者にはなりたくないんじゃ~ありませんかね。
 でも 言う時は謂う。やる時はやる。これ 必要でしょう! 問題は その程度かな~ と思う訳ですね。”何のため”ということが曖昧で議論し より小難しく 判り辛くしてしまうことってありませんか。結局 元通りが良かったなんて事。それと”ほどほど感”が判らなくなった。細かく細かくして いざ出来上がったものが できたら棚の上ってこと 多いよな~。それを専門性と勘違い。もっともその種の輩は いつの時代にもいて 後の事は関係ない。そこに名を連ねれば満足、後は ハイ さいなら! でお終い。過激発言ですかね?
 さて 雷雨・逆流性食道炎・誤飲性肺炎・・・・・突然ですが、これってどう思います? 関連性? そんなの関係ない。この言葉を どう受け取るかなんですがね。 実は こうなるには 原因があって それが大体判っているんですね。ただ 決定的に違うのは 雷雨は自然現象 人間の力では どうすることもできない。じっと通り過ぎるのを待つしかない。でも 恵みの雨を持ってくる。まさに 昨日がドンピシャリ。
 他の二つは 致命傷になる可能性もある良く知られた病気です。原因と症状が判っているという意味でです。でも 判っていても避けることができない。何故でしょうね。
 昨日は 正直疲れました。東京での会合に午後から参加、終わると直ぐに千代田線に乗って途中下車 某法人の6時からの理事会に出席、宴 たけなわなのに 中途で失礼 自分が8時に召集をかけた集まりへ。その本人が1時間も遅参した。今日半日の間に やけに多くの電話が入った。何度かスマホの操作で手こずって切れてしまったものもあり。
 ”忙” 立心偏に無・・・・・こころ ここに あらず。 これを 自業自得 自縄自縛と言うんだわな! 
 清涼飲料水みたいな仲間 彼らといると 爽やかさと元気をもらう。それって一方通行かも ・・・・で 両面通行にしようと終りの見えない突貫工事。(ナマグサの福祉原論)

3067:独創力

 模倣は幼児の学習過程において良く謂われます。成長につれ 自分の思いを徐々に出して 周りの反応を確かめる。特に集団の場面で様々な能力の獲得につながり発達する。独創力は 他からの評価、本人はどう見ているかは定かではない。生活の拠となる 家庭や地域が急速に変化している。時には避難場所や休息となる癒しの場所が 虐待や差別の温床となれば どうなるか? それを 個の責任としてしまう社会はどうなのでしょう!
 日本語の『福祉』にあたる言葉はドイツには無いと聞いたことがある。「Heil」という字があり、消極的には生命の危急からの救い、積極的には生命の繁栄とあった。その違いは 正直判らない。でも 類推すれば 本質的な点において一致するように思う。私がドイツと日本を比べるのには 理由がある。友人がドイツに住んで長く メールなどを使って意見交換をよくやっているからかもしれない。
 断定はできないが 積極的には生命の繁栄という箇所の捉え方が違うように感じる。生命=経済という色が濃すぎるのが戦後の日本、単一民族(?)をいまも守り続ける日本。一方 ドイツは社会保障の仕組みが日本より格段に高いとみる。有識者は 消費税率の違いを指摘、2ケタのドイツに比べ日本は先延ししてきた。 いま教育や医療の無料化を目指すというが その財源は国債依存? 天文学的な借金を積み上げながら 返そうとする覚悟が見えない。 戦後三番目の景気回復の長さ(53ヵ月)とのメデア報道、内閣府の有識者会議発表を援護するが 庶民感覚は その逆である。このズレは何故? 恣意的な操作を訝ってしまう。様々な調査結果で示される数字の信用度はどうなのか?それよりも民主主義の基本は投票により選ばれた人達による議会政治、そこにどれだけ 国民が参加しているかが肝心?戦後何番目かの低投票率で選出されてはいませんでしたかね 各党への支持率だって 怪しいものとなっていませんか。この政治不信は減るどころか増している。
 自由と規制緩和を同じに考えている節がある。規制緩和は手段の一つ 自由への絶対条件では無い。無制限に緩和政策を 拡大すれば 何が起こるか 。気が付いてから引き締めても間に合わない。チェック機能が働かず 無法地帯と成りかねまい。
 ならばガバナンスの強化という策で自己チェックがはかられるか? 経済と同一手法を用いれば 恐らく 理想と実態の較差は今以上に拡大し 「連携」→「統一」へ進むだろう。その時 日本の福祉が どのような姿になっているだろうか ?。解決からは遠のき課題ばかりになって 二進も三進もできない状況になるのではと危惧します。その確たる根拠はいかに!
 屁理屈、変人と言われても頑として譲れない それは日本語で 独創力とは謂わず なんと謂うのでしょうか?????  ずいずい ズッコロバシ ごまみそズイだ”!
去年のS寮の利用者の皆さんが通院した回数が1200回となった。往診も含めてだろうが 医療との関わりが増えている証、K寮も同じ、GHも・・・・デイサービスだけは家族が行っているから 通院の回数まで把握はしていない。
 これが私共の高齢化の実態、通院は原則マンツウマン 看護師が付き添うことが多いから 正直休み無しのフル回転、静養する環境としては ユニット型が良いのは判るが 職員の配置で苦労する。
 昨日は休日を利用し家族との面談を実施(支援計画)、午後は安全衛生委員会、家族会の役員と管理者&看護師で話し合った。結論は出ない。ケースbyケース 最近の状況を説明し 理解してもらった。対策として家族の協力が不可欠 医療機関との話し合いには 家族の意志が最優先。我々は あくまでも支援者で最終決定権は無い。
 信頼関係は 作るのは 大変だが壊すのは簡単、恐らく 日本中で急速に進んでいる社会現象だ。
 車のエアバックとシートベルトでは世界に名の知れたTが会社更生法を申請、中国企業の傘下に入る。このニュースは衝撃をもって政府や経済界は受け止めたはず。世界のシェアーの2割を占める最優良企業が リコール問題でその賠償額が1兆円を超す。日本が誇る優秀な技術が 海外企業によるM&Aによって いとも簡単に流出する。相手は国営企業 国の威信にかけても 支援する。
 TPPに離脱を決めた米国抜きで 果たして日本が主導権を握り 参加国を纏めることができるだろうか? 今朝の新聞によれば 内閣支持率が大幅に下がったとか 経済界だけでなく 一強政治にも陰りが見える。社員16万人のTや台湾企業傘下になったS、日本の誇る大企業が どうして 奈落に落ちることになったか。実は この種の出来事を挙げれば枚挙に遑が無い。 身近な例で アパートの建築ラッシュは 止まることを知らない。何故でしょうね?これは土地の有効活用が目途、しかし、実際は国の税制改革が引き金となり 一斉に広がった。住む人がいないのに どうして次々に建てるのか! 家賃収入の 計画の見直し。節税は借金をすることが条件 その返済が予定通りいかなくなっても 銀行は面倒みない。ある所から取れば良い式の下世話な話? 先祖代々受け継がれた土地で 資産家の看板は いとも簡単に外される。
  俄にその価値が見直されているのが 実は独創力 オリジナリテイというもの、上手い話しや流行に踊らされる事無く 守り通す信念は 一朝一夕に作れるものではなく創業の原点だ。
 実績の積み上げによってのみ なされる 礎(いしずえ) それを逸脱した どのような企ても いずれ メッキが剥がれるのは 時間の問題である。汗をかき働いて得るものと 楽して手にするモノの違いは 昔より何も変わらない。♪ 茶壺に追われて ドッピンシャン・・・・・
  

3068:絆(きずな)

 ”断つにしのびない恩愛、離れがたき情実・・・”  これはねえ~長いこと生きてくると思い出として誰もが持っていると思うのです。”愛別離苦” 口で言うは易し。実際に体験し その辛さを噛みしめる。断つ・離れ それは突然襲ってくる場合と徐々にやってくる場合がある。いずれにしても 受け入れなければなりません。後々 それが”記憶”として心に刻まれ 時々 顔を出す。月日の過ぎ行くままに 記憶が薄れ 日々の生活に埋没していくという筋道。しかし、どうでしょう? いつしか 己自身が断ち・離れて行く当人になるわけで それへの準備は不十分。 
 大体 人間は それを考えることを縁起が悪いとか言って避けたがる。吉凶の前兆を占いで見てもらい大吉なら満足か? 絶頂は長くは続かない。ならば明日は下降線↓ ?????。
因果応報 善因善果 悪因悪果・・・・・ これは 読み書きで学ぶことではない。自分自身の体験を通し 習得するもの。
 ”忖度(そんたく)”や”印象操作” 今年の日本語流行大賞にノミネート? 政党の絆とは 是 いかに? 数による強行採決 その言い訳がオモシロイ。 国会が閉会し 皆さん 選挙地に戻ったか? 閉会中審議? やる気なんか元からありませんよ。だったら 延長してやれば良い。話を聞けば聞く程 矛盾が大きくなる。これは どっちもどっちだわな。この状況で取られる便法は ”閉店時間 また明日お出で下さい。お待ちしております。” 
 丁度 時間となりました。 この幕引きを 我々は 数限りなく見せられてきたのです。
 政治の怖さ フランスの今回の選挙の結果を見れば 先生方の心中は”推して知るべし” 
 
 杯を貰うとは 子分になること。杯を返すとは 子分が親分に対し縁を切ること。
 右向け右 一糸乱れずとは ・・・・・??? 辞書によると『秩序が整って少しも乱れていないこと』   外見はそうであろうとも 内心忸怩たる思いというものもあるでしょう。ま~離合集散を常とする組織体で恐らく10年と持った試は数少ない。 その原因は 往々にして 子分より親分側にある場合が多いのではあるまいか?”築城3年 落城一日” 自戒をこめた 首相の弁を 国民は どう捉えたか? 公正や透明感は漢字一字を頭に載せれば一瞬に真逆の意味となる。『不』 打消し・否定の意。『無』は 不とは違う。 無常・無我・絶対無なる言葉があるように 宗教的・哲学的な意味がある。日本語の難しさです。
 素人が何を言うかと叱られるかも? 必死に立て直しに取り掛かっても どうでしょう。今回の発端は 内部関係者による 告発でしょう。違いますか? 鎮静を待つというより、次々に不利な証拠が出てくるんじゃ ありませんかね。
 一般的に ”有言実行”という言葉を自分が言うと 結末は良い結果になりません、その批判をかわすために”言い訳”が多くなる。有言実行なんて 他人が後々 その人を評価する言葉と取るべきでして ここが 西欧人と日本人の違いかも。
 絆も同じ。相手は正直 どう思っているか判るもんじゃ~ない。それに向かって努力することに価値がある。
 
 有事の際にと 備えあれば患いなし。さてさて 盤石なる備えが可能でしょうか? 今時 そんなノーテンキなことを信じている人はいない。常に ああだ!こうだ!とグルグル思い巡らし戦々恐々 心中穏やかにあらず・・・・・・。
 「睡眠負債」なる言葉が有る事を最近知った。借金に例え 積み上げると返済できず いろいろと悪さを働く。その予防と対策というが 寝れば良いんじゃない?と思うが そういう自分だって 熟睡なんて忘れた。
 これって 現代病? 何しろ世の中が24時間休み無く動いている。煌々と光る街明かりは 遠い宇宙からも良く見える。地球が自転し 夜昼24時間周期で巡ってくるから 当然かもしれぬ。
 2045年人類に居場所があるか!・・・・・AIロボットの研究開発が進み、人間の仕事がロボットにとって代わられる。どこの家にも話し相手をしてくれるロボットがいて 会話が弾む。家族の一員として 住民登録、もしかして選挙権もつけられるかも????
 こうなると いずれ 人類は自ら考案したロボットに征服されることに。。。。昨今の既成緩和の拡大は どこで既成の線引きをするかに無策、人間の欲望を満たすロボット社会を是とする者どもが その時になって悔やんでも後の祭り。
 SF映画でなく 確実に現実化していく。ロボット同士の絆? ロボット専門の心療内科? ロボット向け保養地? そんな商売が成り立つことに。 そうなれば 神も仏もない。
 未知への探求心は 道を間違えば 大変な事態を招く。100年200年の時代の変化速度 急速にその間隔が短縮。そのスピードに人間は対応できず 拒絶反応、 様々な不適応な事態に対し どう対処したら良いか  便利さを得た代わりに とてつもない代償を払う事になってしまった。
 こう考えると いつも頭に浮かぶ言葉がある。『この子ら 世の光』 糸賀一雄氏の遺訓。 今の日本の社会保障の仕組みは 『この子ら 世の光』となってしまった。それは彼等から 学ぶ姿勢を無くしてしまったこと、新たな福祉ビジョンとして 老人・障害・児童 それぞれのサービスの連携を目指し ≪地域共生社会≫を掲げる政策に 核心無き致命傷となっている。
 

3069:核心の条件

 核心・・・・モノ事には中心となる大切な所がある。立場や考えの違いは 当然ありましょうが 礎となる何か? 教育や福祉は 特にその核となる”こころ”無くして 成立しえないものと私は思っています。
 国の機関からの天下り問題、いま 文科省の事が取り沙汰されてはいますが これは全省に通じることではありませんか? 国民は そんなこと 皆 判っています。 それを否定しようとするから 問題に繋がる。一億総活躍や地域創生策とどう線引きされるのか 定年の年齢が70歳になるかもしれぬ時に・・・・ そこが曖昧になっている。屁理屈をこねると言われてしまいますが 良きことは良い。なぜ それができない?これは譲れない私の思いです。
 教育や福祉、本当の豊かさは 生涯を安心して暮らせる社会が担保にならねばなりません。日本社会は 格差が広がる一方ですから共生・共存を求めるには 無理がある。 経世済民は国を治め民を救うこと 経済学の基本は、財とサービスの生産と分配と消費の行為、 人と社会の関係の総体をはかる学問と言われる。その過程で様々な問題が起こります。不法な行為 格差の拡大や差別 仕組みに原因があれば変えれば良いのでしょうが、一向に無くならない。 透明性や公平性 それは条件になるが核心ではない。国同士の軋轢も経済問題が大きな原因。
 現代は 目に見える事 と 数字を求め過ぎる傾向があります。核心は 数値で示すものではない。行政において 財務省・経産省・外務省の三省と他省との差は歴然としているそうです。立法や司法それと行政 その関係は三権分立 どれか一つが強すぎても不味い。それぞれが独立しているという国家権力の在り方 その判断はだれが行うか 勿論 人民によるしかないのですよ。
  都議会選挙が始まった。候補者達は必死で有権者に自分の想いを訴える。誹謗中傷 なんでもあり。高校生が選挙権を持って初めての選挙、彼らの判断はどうでしょう? メデアによる偏向報道が問題視され 情報の信憑性の度合いはどうでしょう。 東京を皮切りに 全国各地で選挙が続く。地方と国が入り乱れ しばらく 騒がしくなるのは 避けられない。
 おそらく 日本は先進国の中で 最も投票率が低い国だろうと思う。 昨日は 沖縄での『慰霊の日』であった。1945年6月23日は唯一 地上戦が行われ 20万人以上の尊い生命が失われた。二度とこのような悲劇を起こしてはならぬという不戦の誓い ・・・・・・。これぞ 平和への核心だ
  国民が疑問に感じたことを丁寧に説明し 理解を得る努力は 政治家の当然の義務である。 ミスを犯し 謝罪すれば それで良しとする風潮があるとするならば これは議会制民主主義の末期的状況で 役を辞任して済む話ではあるまい。議員バッジを潔くはずすべきなのだ。最近の国会審議の流れを国民がどう判断するか? 美辞麗句と言い訳ばかり そこに心を感じない。
 またしても期待できないから投票をしない。これは 最悪のシナリオである。
 
 昨日は近所の祝い事があり 出席した。21軒の地域の人達は用意された送迎バスを利用したが 私は他用があり自分の車で行った。終わって 代行で帰る。助手席に乗り 雑談、運転手さんは 今日は遅番で朝方4時半まで勤務 週末だけ 代行の仕事をしているそうだ。  平日は昼間、他の仕事をやっている。≪じゃ~ 休みないよね?≫ たまに日曜日に休む位ですと言う。その日曜日だって 朝方まで仕事して 寝るだけの休日?
 代行会社の数が増え 競争が激化 今はタクシー料金より安くなっている。皆さん 頑張っているんだ~。
 私は結婚式に出るといつも涙がでてしまう。♪娘に♪の歌を思い出す。(吉幾三と島津亜矢のデユエット)
  世の中 思うようにいかないのが常 泣き笑いの人生 気付けば 老境に入った 自分。・・・・・小休止・・・・・
 
 月曜日を迎える気持ちがハッキリ変わったと語る。退職し 今は農業を生業(?)としているその方は 田んぼや畑で仕事する姿を見かけ 仕事を楽しんでいるように感じ 羨ましい。自分のペースでやれることが良いらしい。それと 代々引き継いできた農業を自分の代で止めると決めた。 寺周辺の農地は減って 住宅やアパートがドンドン建ってきた。 新築の家が増えているとか? 景気が改善しているという噂 ・・・・が 放置された家屋の数も増えている。解体する費用が鰻上り その負担を考えて二の足を踏む。
 チグハグサは常態化した。 解体を行う仕事師が減った。むやみに捨てることができず その処理費用が下がらない。もの凄いアパートの数、これも 実は入居者が見つからない、通年 入居者募集の貼り紙だ。
 現実を見極める事は 誰の責任か? 元銀行員の方と話した。 銀行はお金を預かっても 融資先がない・・・。外貨証券を買うにも 国の既成があって 資金活用の道は実に狭い。 労働力の問題は 今後も無くならない。 日本の全業種で良き人材の確保・・・・。労使関係の難しい時代 身の程を弁えず 規模拡大すれば そのしっぺ返しが必ずある。
 組織は効率化やスリム化を怠れば どうなるか? 組織が一人歩きを始め トップのマネージメント力が試される。
 いろいろ考えるが 最後はいつだって決まった結論になる。≪核心≫ ? 決意 or 覚悟? 周りの誘惑から どう身(事業)を守るか! 変わるべき事 変わってはならぬ事 攻守への感知・透視力は 自らの責任で養うことしか 方法はないだろう。これが 核心の条件だ。 
 どのような 足跡を残そうとも いずれ 消え 語られることも無くなる。(仏教) 刹那主義の本質。⇔四劫。

3070:パフォーマー

 言葉や動作など身体的動作で演技する人を パフォーマーという。これは 多く場合、好意的に思わない時に使われる。身振り手振りを使って  自分の実績を言葉巧みにPR。上昇機運の時は良いけれど 一旦下降線を辿り始めたら 逆効果。そこを突け込まれ 言い訳に終始 最後は責任を他に負わせ 頬被り。この類のトップリーダーはおりませんか。気が付けば 裸の王様 周囲にイエスマンばっかりを侍らせご注進が無いとくる。入る情報が偏すれば判断ミスを犯すのは時間の問題・・・・・・・。
 
 書画骨董の真贋(しんがん)を見分ける能力を目利きという。人物も同じ 真偽を見極めることは 持って生れた才能というより その人自身が苦労し身に付けたもの。育ちや環境もあるでしょうが 要は己自身の生きた証がそこに出る。仏教界 昔より名僧と言われる方々で 苦労せず その地位になった方はおりません。いつの世も 先祖の資産を食いつぶし 自分が偉くなったと勘違う輩はごまんといるってことでしょうが。
 この世は不可思議なことばかり、だから人間やっていられるってことになるのかも。 生まれた時から先が決まっていたら  面白味も何もない。
 ”齟齬(そご)”という言葉 食い違い・行き違いという意味である。この言葉は今の時代を端的に表しています。良くもま~ 次から次に出してくる法・条例・通達の量 それもスピードが早すぎる。何故か? そりゃ~ 責任が自分達にかかるのを避ける為 作っちゃう?
 日本は今もって縦社会、この弊害を横穴をあけることでどうにかしようと考えた。しかし既にある制度が邪魔をして 整合性は保てない、特区とかなんとか言っても得体が判らず 余計複雑になるに決まってる。それを国から市町村へと上位下達、周知徹底しようとしたって無理でしょう、その不具合があらゆる場面に露出した。
 タカタが民事再生法を申請、なんと一兆円を超す負債となる戦後最大の倒産(?)、果たして今回 国がテコ入れして再生ができるか? 東芝・シャープに続く 日本が誇る超優良企業・・・・・・・。世界の荒波に呑み込まれようとしています。これは不安ではなく現実だ!経済が緩やかに改善・・・云々と 一体どこがどうなってそんな事が言えるのか?一向に良くならぬ国のプライマリー・バランス  その改善策を審議するのが国会 それを御角違いの質問で邪魔をするから! と与野党の攻防収まらず どちらもどんな頭の構造をしているのでしょうか 訝しさのみの不快感。それじゃ~夜を徹して 審議をやれば良いでしょうよ。 我々庶民は みな そうやって必死に働いているんだから ホレ見なさい! 一向に投票率アップができないでしょう 貴方たちは 最大の原因がこのズレだということを認めない。 先生方全員に アンケート調査をしたい気分だ~わな! 
今日は曇りという予報だったが 朝の三時 外はドシャブリの雨・・・・・・。あああああ・・・・・・あ!
 反省と謝罪がパフォーマンスだとしたら これは 愚弄するにも程がある。謝罪して 罪が許されるならば 司法はいらない。 よくも 恥ずかしくなく 公共の電波を通しておっしゃりますね。
 マスメデアにも大いに反省して欲しい。偏向報道は明らかで新聞が敬遠されるのも 判ります。記者魂を捨てたのか!
  
 昨日 結城市アクロスで身障の方達の音楽祭があり 参加しました。 本来のパフォーマンスとは 観る人&聴く人に感動を与えるものです。全員が車イス 人に優しいとは どういうことか 法律を作る人が真に理解していれば もっと住み易い社会になるはずです。 その日の夕方 TVで車イスの方が飛行機に乗る時の航空会社の対応のニューズがあった。