源究1818

(NO211〜220

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
211 布教戦略あれやこれや 5/25 216 ワールドカップ 6/9
212 行政の宿命 5/26 217 若貴兄弟 6/15
213 ニャンコ 死んじゃった 6/1 218 現場監督 6/18
214 東京ドーム 6/5 219 便利性の落とし穴 6/22
215 白アリ駆除 6/7 220 公開 or 保護 6/23

211:布教戦略あれやこれや

構造改革はいずこの世界でも流行、我が宗派においても今や布教そのものの在り方に見直し検討を行っている。全国で末寺3000ヶ寺という真言宗豊山派である。宗祖弘法大師の教えを如何に日頃の宗教活動において実践していくのか?昨日も茨城県の布教師会の役員会が開かれ、事業計画の検討の中で様々な意見が出された。私は養成部を担当している。今年は何をテーマにした研修を行うか!この会に関係してから10年以上になる。毎年同じ内容の検討をしてきたという自省の気持ちが強い。僧侶だけの研修で果たして今の時代ニーズに対応できるのかという反省。しかし、そうは簡単に良いアイデアは浮かばない。独り相撲になってしまう。前年,大正大学の同窓会があった。茨城県同窓会の事務局長という役目を仰せつかり、学長先生を講師に呼んで講演をしていただいた。宗教学が専門の学長だけに中東戦争などを取り上げて宗教と人間の争いなる話を伺った。時間の制約もあり、事の本質に触れるまでには至らずに終わった。いずれの研修もそうだと思う。福祉関係も然り。話題の提供程度が関の山。満足か不満足か。
 本当に参加して良かったと思う研修などないのかもしれない。今般の布教内容の検討には前段階に組織の変革があった。布教師という何か選ばれたものだけの寄り集まりでよいのか!教師全員が布教師というスローガンからスタートしている。しかし、相手側(聴衆者)の見方はどうだろうか?結構醒めた眼でみているんじゃないの。自省を含め、何をご立派な話をするんだよ。坊さん。本当に話のような立派なことを貴方が実践しているのかい!これだ。本来ここから改革を始めなければ上辺だけのものとなる。私はここを強調したいのです。しかし、こんなことをもし口に出したら大変だ。総スカン間違いなし。黙るのが一番賢い方法。実はこのパターンが繰り返されてきたというのが実態。元の木阿弥。堂々巡り。本音からの出発。出来るかなー?できねーだろうな!

212:行政の宿命

4月、5月は新たな移動先に職場が変わり、前任者からの引継ぎを終え、6月ごろから本腰を入れての仕事へ。私など転勤がない。良いのか悪いのか?昨日新たに課長として赴任された方が挨拶と視察を兼ねて来られた。特に福祉行政は事業の数が多くて細かいので大変である。ここ何代かは課長が1年で変わるから仕事を覚えて日々の仕事に追われ、その中で何をどう変えていくかと判断を下す。良くできるな。本当に感心する。今、福祉の仕組みが日々変化する時代、権限の地方委譲が進み、県は市町村に指導する立場がある。となれば知らなかったではすまない。それをミスなく進めていくには相当な能力が必要である。当に、脱帽する「新年度 県課長椅子の重みかな」だ。我々はどうか?恒例となった5月の理事会は事業報告と決算が主な内容、代わり映えしないといったら語弊があるかなー。しかし、実際はそうなんですね。建物の建築などをやっている年度はそれでも新鮮味があるんだが、そうでない年はどうもな。今月は自分でも呆れているが、15の役員会議に出席した。毎日連続でそれも3つも役員会が重なった日もあった。運悪くギックリ腰というものになってしまったから、コルセットとシップをしながら妙な腰つきで出席した。お陰で市販されているシップ薬は殆ど使ってみた。インドロメタシンが今流行、これが風呂に入ると飛び上がる。痛いのなんのと。恐ろしいことだがこれが長く使っていると快感?になるから人間は怖いよ。
 会議にも通じる。馴れ合いというものは怖いものだ。結局話を元に戻すと、県の課長や担当者が異動で変わるのは馴れ合いを防ぐ意味で良い方法なのだろう。プランニング 実行 チェック (see) しかし、1年というスパンでは正直この一連の作業はできないでしょう。特に障害者福祉となると尚更である。行政の仕組みは如何ともしがたいのだろうか。最近、千葉県市川市での新たな試みがテレビで紹介された。それは税金を事業者(市民)が自らの活動を競い市民の投票で決めてもらう仕組みだった。選挙は議員を選ぶことだけだと思っていたことへの新たな流れである。この仕組みは分かりやすく、前述のPlan .....Do......Check(see)を市民レベルで行えるメリットがある。
 事業者側は自らの事業内容を一生懸命宣伝する。行政が定例的に行う担当者会議なるものは必要なくなり、即利用者に情報が行き渡る。市民が市政に感心をもち、役所任せの態度を改め自らも当事者としての意識をもつ。身近な者がチェックするから誤魔化しができない。。。。。。この仕組みをどうにか広めていけば何かが変わるような気がする。
 

213:ニャンコ 死んじゃった

昼時、寮の玄関先でYさんが座り込んでなんやら独り言。『ニャンコ ニャンコ これ 死んじゃった』と言っている。タイル張りの所にベターとしゃがみこんで、左脇に寝そべっている黒い猫を指差している。私はいつものように臍が曲がってしまって昼食を拒んでいるのかなと思った。実は違った、力尽きた野良猫が横になっているのを見守っているのである。昨日下の田圃のところで見かけた猫だった。歩き方がフラフラしていた。どうして寮まで上がってきたのだろう。誰かが連れてきたのかもしれない。よくあることであった。他の子供たちも気になり始めたよううで集まってきた。私はダンボールの空箱をもって行き、その猫を箱に入れた。「死んじゃったのかー。かわいそうだな。後でオガンデやるから箱に入れるよ」とYさんに話すと素直に「うん」といった。「ニャンコ死んじゃった」
 翌日、私とNさんとMさんで裏の山に埋めてやった。Nさん「死んじゃったのか、かわいそうに」と言って手を合わせた。スコップをしまい、事務所に戻ってくると、今度は子猫騒動。駐車場に捨てられていた子猫、眼が見えないらしい。犬ならまだしも猫は寮ではかえないからと説得、眼を拭いてあげてから元の場所に返すということを納得。どうも、お寺の近くに猫や犬を捨てる人がいる。子供たちが買ってくれると思ってのことか、
そんな時、昨日あるお寺に用事があって久しぶりに伺った。駐車場は立派な動物の斎場になっていた。火葬までやってペット霊園に埋葬できるらしい。戒名までつけるのかな?動物の世界もいろいろだ。食事も取ることが出来ず埋葬されないで死んでいくものもいれば、可愛がられ最後は自らが埋まるお墓まで作ってもらうものもいる。

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214:東京ドーム

東京ドームへ初めて行った。後楽園球場の頃は何度も行ったことがある。最近プロ野球に興味がないので券を買ってまでも行きたいとは思わない。土曜日のソフトバンクとの試合だけに4万5千人の観客が入っていた。贅沢はいえない。中学時代のミニ同窓会とでも言うのか、叔父さん3人での野球観戦。座席がバックネット裏であったが、3階のとてつもなく高い場所、足元がどうもウズウズ、そうだ、俺は強度の高所恐怖症だった。ドームの座席は狭い、両脇に客がいたのでどうも腰が完治していない自分には長時間の観戦はきつい。相手投手、和田はエース、全く打てない。5回までノーヒット、点数は5対0、敗色濃厚、もういいやと、今回の幹事Mとドーム視察することになった。お互いリハビリ?で散歩を日課としている。ドーム球場を歩いて1週しようということにした。ライトスタンドは巨人の応援団。どうも熱気に欠けるというのが正直な印象、今それほど勝敗に熱くならないのか、どっちでも良いやという輩が多い気がした。私が感心したのはビールを売る若い女性、階段の上から先ず下に早足で下りる。それから一礼して一つ一つ階段を上りながら売り歩く。背中にビールのタンクを担いで売り歩くのは大変な重労働、感心した。記念写真を撮ろうかと思ったが遠慮した。結局、8回の途中で帰ることにした。車を置いた駐車場までタクシーを拾い、土浦に着いたのは午後10時ちょっと前、高速でこの時間は1時間かからない。もう一人のおじさんのやているそば屋にたちよりぶっかけ天ぷらをご馳走になって別れた。
 今の野球は観客を楽しませるパフォーマンスに欠けると思った。現巨人監督は余り好きじゃない。萩本欽ちゃんの茨城ゴールデンカップスじゃないが、途中で監督が今日は敗色濃厚ですみませんとかなんとかお客さんサービスでもやりゃーいいのに。結局は帰りの車の中では監督批判でそれ以上の野球の話は出ずじまいだった。

215:白アリ駆除

観音寺の客殿は築13年目にあたる。外見はなんでもなく、むしろ木材が落ち着いて周囲の緑とマッチして良い感じになっている。しかし、窓のサンや敷居がどうも木材が劣化しているなと感じてはいた。白アリの成虫は羽根がはえている。何度かその成虫を見かけた。業者が偶然営業にきたのでお願いした。建坪80坪という平屋の建物は検査だけでも時間がかかった。今日は工事の人が千葉や鹿嶋から呼び寄せられ、合計で8名で1日がかり。基礎が頑丈に作られていたらしく次の間に入る方法がなく、一部基礎をはずったりしたので、余計手間取った。夕方の6時過ぎまでかかって漸く工事終了した。結果は一部床の張替えを早急にしないといけない。床材がぶかぶかになっていた。畳にまでシロアリが進入していたらしい。
もう少しほっておいたら大規模な工事が必要になっていただろう。最近、リフォームやらシロアリ駆除で悪質な業者がマスコミにとりあげられているので少し慎重になっていた。今回の業者は本当に良くやってくれた。お寺は個人のものではない。管理は住職の責任だ。火に対する注意はもちろんだが。雨漏りやシロアリへの対応も時期を逸せず日頃から注意していなければならない。
 どうもシロアリの特性は湿気を好むようだ。床下にソーラーで動く換気扇を全部で8台取り付けた。更に、除湿用の石材を150袋入れた。大工事であった。昔の人は大したものだな。300年以上も建築物を持たせるのだから。
補修は常に行っているのだろう。良く聞く話だが、古いお寺を新築でなく改修するとなると建てる以上のお金がかかるという。丁寧に解体してからまた使える部材を利用するやり方は手間隙が倍以上かかる。
 暫くはシロアリへの対策はよさそうだが、また、いずれシロアリが入ってくるだろう。昔は竹の子の床板攻撃!だけを注意していれば良かったのが、今。周りじゅう敵に見えてきた。

216:ワールドカップ

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昨夜は体の置き場所が定まらず、テレビの前をウロウロしていた。夜の7時35分より対北朝鮮とのワールドカップ予選、前試合に観客が騒ぎ、そのペナルテイで無観客試合が第3国のタイで行われることになった。結果は2対0で日本の快勝。正直ホットした。サッカーを見ていると40年前にタイムスリップする。高校時代の始めてスパイクを履き、グランドに立った時の感動が蘇る。まー,こう言えば何も知らない人は格好良いなということになるのだが、創部2年目で現実はやれば負けるの連続だった。北朝鮮のチームには在日挑戦人として日本で生まれ日本のJリーグで活躍している選手が何人かいる。ある番組でそのうちの一人のコメントを聞いた。自分はサッカーを通じて日本と北朝鮮の橋渡しができればよいと思っていると話していた。昨夜の試合で終了間際にレッドカードを貰った北朝鮮の選手に駆け寄り間に入り必死に止めていた選手もサンフレッチェ広島で活躍する在日の選手だった。彼らの祖国を思う気持ちと生まれ育った日本を思う気持ちは我々には想像できない。昔ほどの差別やいじめは無くなってはいると思うが、嫌な思いをしたことは数知れないだろう。それが試合での闘志をかりたてた。堂々と北朝鮮のユニホームを着て頑張る彼らに私はエールを送りたい。
 相手を知ること、これは触れ合いが無ければできない。ワールドカップの意義は民族や宗教隔てをなくしスポーツを通じてお互いが相手を知り、良いところを認め合う、そして友情を深めることにある。地球上で有史以来繰り返されてきた争いごとは、どのような理由があっても認めることはできない。一部の特権階級の人々の考えで凄惨な争いを繰り返してはいけない。
 全世界で今、予選会が開かれている。選手の大半は20代前後の若者たち。彼らは幼い頃からボールを蹴り、世界の桧舞台を夢見て育った。夢の実現は決して優勝することではない。スポーツを通じて平和を築くことにある。

217:若貴兄弟

初代貴ノ花が55歳という若さで亡くなった。その後兄弟横綱として世間を驚かし、人気抜群の兄弟であった若貴の争いごとが報道された。どうも感心しない。通夜の時の両兄弟のコメントそれに別れた奥さんの話。興味本位での記者の質問攻めに今まで頑なに口を閉ざしていた貴ノ花が堰を切るがごとく今までの兄弟間の確執、更に輪をかけてお手伝いさんまで登場する始末。
 私は、マスコミ報道に疑念を以前から持っていた。報道の自由は守られるべきであるが、際限のない報道のあり方に誰も苦言を呈することができない。黙して語らずでしかない。中国や北朝鮮での報道規制も問題だが、余りに常軌を逸した報道も同様である。花田家のように日本中誰もが知っているような家庭の内部まで暴露するやり方は決してよくない。誰のためにもならない。通夜は本来亡き人を静かに偲ぶことに意義がある。それが誰が喪主を勤めるとか待ち構えて家族のコメントを取材するような通夜は尋常ではない。

218:現場監督

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”あぶねー あぶねーどー ああ あぶねーどー!”
現在、デイサービスセンターの工事真っ最中。お気に入りの帽子を斜めにかぶり、高台の寮の庭から大声をたてるNさん。どういうわけか彼はハイキング帽が気に入ったようで毎日それをかぶっている。雨模様もなんのその、毎日決まった場所に立ち、フェンス越しに工事現場を見下ろす。彼の声は異常に大きい。否、気合が入っている。設計士が現場に来た時も”あぶねーどー”と大声で注意している。設計事務所の所長も「参ったなー。注意されちゃった」毎日外での監督のお仕事?があるからか、ここのところめっきり元気、病気にもならない。若干気になるのは工事が8月には完了する予定、その後寝込まれるのではないのかと!今朝も元気に”あぶねーど あぶねあぶね”

219:便利性の落とし穴

カード情報が管理会社の初歩的なミスで漏れた。アメリカでの出来事、それが一瞬の中に被害が全世界に広がった。今の時代を象徴する出来事。マスターカードやビザの個人情報が不正アクセスによって盗まれるというお粗末な事件。私もそのカードを利用しているから感心が多いにある。しかし、情報がそんなに簡単に盗まれるものなのか!管理会社はデーターを直ぐに消去するか分かりにくいデーターにして保管するのが常識らしいいがそれを怠っていた。不正使用された場合にはカード会社が損失を補償するという仕組みになっている。アメリカの保険制度は網の目のごとく全てのものに関わっていることが分かる。問題なのはそれよりも自分のカードが不正に使用されたかどうか分からない人が多いのではなかろうかということ?実は私も同類、カードで何を買ったかなどの記憶は定かではない。カモといえばカモである。
今や便利性を享受する代償として自分で管理する責任とリスクをおう時代だ。
 行政におけるIT化論議は鳴りを潜めているが、情報漏れなど、いとも簡単にされるだろう。
そうなると、どうすれば防げるかという問題になる。その対策費用も膨大になる。
 6月に入り、高速道路を利用することが急に増えた。それで私の車にETC装置をつけた。非常に便利である。出入りに待つ必要がないからだ。料金の請求は専用の口座からの引き落とし、これだって悪用されないとも限らない。余計な心配をしなければならなくなった。便利性の裏には常に何らかの負担があるものだ。これ常識。

220:公開 or  保護

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スミタさん、HP見ているよ!と声をかけられた。正直嬉しかった。最近はどうも無闇にHP上に文章をのせることは出来ない。何故ならば個人の情報を漏らさないという規制が強くなったからである。しかし、私は性格的なものだろう。どんどん情報を流してしまう。ま!今のところ苦情はどこからもきていないから大丈夫かな。
 私のHPはどうも素人臭い。最近は施設でもいやに凝ったHPがある。かなりお金がかかっているだろうな!私の所は正直全て私が編集し作成しているから無料。今後も続けていこうと思っている。情報は新しくないと意味がない。読む人の関心がなければ飽きられる。これ常識。SJKのHPはアクセスが3万回にならんとしている。これは予想以上の量である。私が編集するときに個人名は極力出ないように配慮している。関係者は、誰のことを書いたのか直ぐに分かってしまうのだが。今日を振り返る。かなりハードな1日だった。埼玉に昨夜は泊まって、ホテルを7時に出た。関越、外環、常磐と高速を走り、2時間で水戸まで、身障団体の会議に出て、昼飯を約束していた人と食べ、そのまま土浦のウララへ。市の身障者育成会の会議に出席。明日も実は高速にて笠間まで、ナイスハートバザールの開会セレモニーに出るためにである。こんな毎日であるが、ちょっとしたことに目がとまる。それが私の情報源だ。人間世界は右ひだり、縦よこ斜めですってんころりん。こうやって誰しも年を重ねていくんだ。
 ケセラセラーだ。