源究181

  

 NO  テーマ  月日  NO  テーマ  月日 NO  テーマ  月日    NO  テーマ  月日
 3131 静寂  1/23   3136 影響力   2/12  3141 老いる   2/28  3146 白/紅/黒    3/17
 3132 響き  1/28   3137 懐旧の情   2/16  3142 若い力   3/4  3147 攻防or興亡?   3/20
 3133 過剰化社会?の罠  2/1  3138 錯誤重層   2/18  3143 男気  3/7  3148 それが どうした!   3/22
 3134 是か非か  2/4  3139 平昌五輪   2/21  3144 1ページ  3/10  3149 傲慢   3/24
 3135 敬白  2/8  3140 環境要因   2/25  3145 嵐の前・・・・   3/11  3150 春 爛漫   

3131:静寂
 
 太平洋沿岸に沿って大型の低気圧が通過 茨城に大雪警報が出され 昼頃 小雪が舞い始め 午後4時 その勢いが急に強まりあっという間に周りが雪景色に変わった(観音寺)。通勤距離の遠い方には早めに退勤してもらう。それと何人かの職員は園に泊まった。
 最近は殆ど雪が降らない。4年ぶりの降雪で 10センチ以上が積もった。道路渋滞や電車の遅れで 大混乱 やっと低気圧が通過したのは夜半過ぎ そして早朝、空は雲一つなく 太陽の日差しが眩しい。この時期 日本海側は連日雪に見舞われ 厳しい環境の中での生活がある。 関東に住む私には 想像ができない世界だ。
  雪は 決して悪い事ばかりではない。先日 知人から良寛さんの住んでいた寺の住所を尋ねられた。国上寺五合庵は今の新潟県燕市にある。つつましい生活を送った良寛が今なお多くの人を魅了し続けているのは何故でしょう!  静寂の中 脱俗生活を送った。へつらいやら追従とは無縁。
 国会が始まり 施政方針演説  安倍総理が語る数々の素晴らしい(?)政策が全て実現できるのだろうか? 財源の根拠は? ちょっと気になったことは介護職の給与改善 月4万~5万のアップを確約した。一瞬ヘエ~そうかな!
 早速 介護に詳しい友人に電話し尋ねましたよ。”なに!介護職は 一律月額で4万円新規に上乗せなの?”と聞いた。”違うよ 今までに調整加算でアップしてきた分も含め、後の残りだけ 新たに出る訳じゃありません。それって 障害も同じなはずですよ” この業界に40年以上関わってきた私だが 今日ほど確信無き話が多すぎることは無かった。いずれ また変更するから。何も知らない人には 月4万円も給与が上がるの???? そう思われても仕様が無い言い回し。次々に出てくる重点施策、私学も授業料が無償化され、保育は待機児ゼロに向け新たに何十万?人の枠を増やす・・・・云々。それは 方針? それとも確定、判り易く 一国のトップが公共電波を通してお話になるわけだもの 誤解の無いように。気の所為か 軍事費増額に関する具体策はトーンダウン。
 『南洲翁遺訓』に理想のリーダー像がある。西郷隆盛の活躍した時代と今は比較にならない。 畏れずに謂うが 今のリーダーの方が遥かに楽だという意味で。幕末期のリーダーは自らの命を賭して その役を引き受けた。 未だ出来ないことまで 声高に唱える事を戒めた。そして できなかった場合の責任の取り方が違う。他の所為には死んでもできない。その時は自ら死を選ぶという覚悟。
 どうも いまこの国のリーダー達は 良くとれば未来志向派ばっかり 過去(歴史)や先人から学ぶという謙虚さに欠けている。これで継続可能な未来社会をどう築くのか?  そしてお決まりの ”不確実&不透明な時代”だからの弁明だ。 300年の鎖国から国を変えようとした時代(大政奉還)と現代とは比べようがありません。トップが頻繁に変わる。誰一人 責任は取らず。本来は身を低くして ことに当るべきなのでしょうが どうも勘違いされていらっしゃる。
 少し 山籠もりでもしては 如何でしょう? 
 
 何不自由なく 育った者は 己を優先し 他を心から信用することをしないという。仏教でいう我執・我見にあたります。今生我執を起こして 来世の苦難を招かん事・・・・・・(源平盛衰記)
 いつの時代にも栄枯盛衰は起こるもの。昨今では いつの間にか起業家が登場し 運良く急成長を遂げる例など 珍しくは無い。 時流に乗るというのか 風雲児さながら? 別に羨ましくは思わない。 何せ 日本では 会社の寿命は 大半が10年以内で いつの間にか姿を消すという。平均存続期間24年。 経済の仕組みは 国としてどう関わるかということに左右されます、市場の原理を優先し 自由競争を推奨した結果 まだ 結論を出すには早いかもしれないが 新たな問題は 山積している。
 社会的弱者と謂われる人たち それは経済的な理由からだけでなく 社会に上手く馴染めない人達も含まれる。その数が急増している。社会保障の生命線は 個を尊重し 安心ある生活の保障をどう組み立てるかということです。これは制度だけでは解決できないということを 誰しもが感じ始めている。 要するに 「自分が嫌な事は 相手にしない」という当たり前の価値観を 共有できるかという事です。これは 学校教育以前の問題でしょうね。何せ 今の教育現場に それを育てる能力も使命感もありません。
 よく 考えれば判るはずだった それへの責任は別場所でと考えた事が道を誤った原因だ。  その場その場の対応で 根本的な解決はできないし 事が起これば責任を他に擦り付ける。縦割りを是正し 風通しを良くしようと努力はすれど
 核心の議論を避けている。 そんな環境で育ったモノ達が智慧を出し合って 何ができるというのか!  
 安心は心が静寂になること 仏教では煩悩を離れ心の平静な状態をいう。社会や生活環境にそれが無ければ 人間は引き籠るか 寡黙になるだろう。外向性の者は攻撃的になったり 違反行為を繰り返す。 
  
 大洗での恒例の新年会が1泊で開催されました。 まだ 道端に雪が残る高速道 を使って早目に会場に着いた。今回は 参加者が例年に無く多かった。そして 予定時間丁度に主賓の知事が来てくれた。正直 心少し安堵し、さり気なくもてなしを・・・・・・ と思ったが テンションが常以上に上がっていた。
 この1年間 様々出来事に翻弄された。なんど辞めようかと思ったことか そんな時 あても無く外を歩いた。 引き際を考えなかったことは一度なりとも無かった。迷惑をかけているのではないか? 自分には荷が重い・・・そんな自分と対峙するもう一人の自分 結局 決断しなければ ならぬ時は 結果を恐れず精一杯やること。
 2次会も若い連中が盛り上げ役になり 夜遅くまで騒いでいた。私は途中で部屋に戻ったが 目が冴えて眠れず。その晩は 海と夜空が実に綺麗で 暫く 眺めて過ごした。
 この後すぐに福島と旭川、札幌、横浜、埼玉、徳島にいく用事がある。憂国の情を共感できる仲間、その方達の生の声(叫び)をボイスレコーダーに残す仕事が待っている。

3132:響き

”響きの声に応ずるが如し” 誰しもが 日常生活の中で気付かずに行っている、諸事に対しての反応や応対の速さは 人によって異なります。ただ 待ったができないこと、それがうまく出来たら 安堵するが その逆の場合は 悔やんだり 誰かの責任にしたり それは様々です。上に立つものの力量は 知識の量では無く 意志と行動力だと教わった。 
 お隣 韓国で近く開催される冬のオリンピック ここにきて 北の参加の動きが話題になっている。果たして 平和の祭典が どんな形で行なわれるのだろう。尚恵学園には 介護体験や教師・保育士・社会福祉士などの資格取得の為の実習生が毎年 大勢来ている。彼等は 卒業までにその体験実習を行なわなければならない。中には オリンピックでメダルをとった方や 東京オリンピック候補に名を連ねる人もいる。彼らが 何かを得て実習を終えるか 気になる所だが 私は全て任せているので 正直 それを確かめることはできません。願わくば・・・・云々。
 そういう私も20代の頃 僧侶資格を取る為 本山(奈良・長谷寺)で行を行いました。決められた日課を淡々とこなすこと、自由の無い生活は 早く終って 解放されることが主目的となる。これはタテマエでなくホンネ、もう 40年以上前の話だが 実は その時に出逢った方に謂われた言葉が 私の中で今でも大きな支えとなっている。一カ月程の期間だから 忘れてしまっても不思議ではないが 逆に今になって鮮明にその記憶が蘇る。
 個の尊厳という言葉が 急に謂われるようになった。意志の決定、暴力や虐待、共生や安心・・・・・も然り、その響きは どうだろうね。深さ&重さをはかることはできない。それは 受け手も担い手も 反応は違うのが当たり前だからでしょう。 長く日本を離れて生活する友人が 日本の熊野や京都を訪れたいと言っている。自分が日本に生まれたという核心に触れたいのだろうか? 私などは生まれてからずっと日本に住んでいる。国内であれば 2~3日あれば 見て回ることはできます。日本を訪れる外国人の数は年々増えている。昔は 有名な観光地に集中し 団体での旅が多かった。それが 昨今は個人で訪れ 日本人でもあまり行ったことが無い場所に目的持って来られる方が増えてきたという。日本の自然や文化に触れる旅、
忘れかけている日本の良さ・・・・それは どこにでもあるような近代的な街並みでは無くて 今も残る伝統文化。
 時流は2極化するというより 間違いなく便利さや速さへの追求に分があるようだ。これは 人間の力の限界を人間以外のもので代行させる動き、AI技術やSNSの開発に限りない挑戦が拡がる。
 これで 本当に癒しや安心を得ることができるのでしょうか? 日本がいま 記録的な寒波に襲われている。暖房の使用がMAXで電力不足が騒がれ始めた。昨日 大洗から早朝に帰宅する際、車の中のペットボトルの水が完全に氷になっていた。私の子供の頃 熱が出れば 氷を買ってきてそれを水枕に入れて冷やした。
 こんな話は 今の子供たちに話をしても通じない。 全てが新しく便利になることが 幸せでしょうか?便利さと幸せは同じではない。 水枕の氷や湯たんぽを取り換えてもらい ジッと熱の下がるのを待った。その時に感じた親の暖かさや優しさが 時代が変わっても決して変わることが無い”安心”に通じるのではないでしょうか? 
 
 響き=感動との見方をすれば、こころが大きく揺れる。事由の如何にかかわらずだ。
 これから先 気になるとすれば 何と言っても”こころ”の置き場所ですね。 媒体技術がどのように進歩したとしても その問題は永遠な課題に変わりない。ま~ そこは 皆さん承知の上だと思いますが、危ういのは 現に自分がそれに侵されているにも関わらず気付かない人が急増していることである。無感動 無関心 無責任 無・・・・・無・・・・・。最終的に 無死を実現したいというのであろうか。結局 それは想いとは逆に破滅→崩壊→消滅 という筋書きに乗って進行するのではないだろうか・・・・。 このことを とうの昔の先哲達は 気付いていた。日本語のサジ加減 いい塩梅  という意味は 今日 誤解され,言った処で一笑にふされるのが落ち。 法律や制度以前の自己制御機能を見直すべきで、これは 変わってはならぬ事。
 豊かさを叫ぶ割に脱法行為やら契約破棄が決して止まないのは もう人間の性(さが)とみるしかない。昨夜 戦争の恐ろしさを語る最後の政治家だった野中広務さんが92歳で世を去った。彼は 自民党という最大政党の中で怨みを買うことを恐れず堂々と苦言を呈し続けた人だったからである。ご冥福を お祈りします。
 横並び皆で渡れば怖くない型の人間ばかりになって 党首も大変でしょう。 戦前の状況に酷似してきたとの指摘は 実はその事を指している。またマスコミも財界も学者も同じ穴の○○でしょうということさえ謂われる。それにしても党内から諫言立てするモノが何故に出ないのか!
 これも ヒョットしたら 無感動 無関心 無責任という現代生活習慣病に皆で罹ってしまったということか。併せて 不透明&不確実という流行性伝染病を併発しているとの診断かもしれない 。それに効く新しい薬の開発に力をいれるほうが優先順位は高い。 ・・・・・ナマクサが 何をホザクか 馬鹿モノめ 暇があるなら 経を読め! 喝!!!・・・・ハ ハハアー 了然!了然 
 昨日はつくば市みどり野の(社福)創志会を会場にして 研修会が行われました。応募者が締め切り前に一杯となり 皆さんの関心の高さを感じました。
 内容は 相談支援を中心とした関係者の連絡会 国から共生型サービスが打ち出され 一つの事業所のみでサービスを提供するのではなく 関係者が連携し 地域展開をする流れ、その一助になればという思いから有志が集まって主に県南地域を中心に行なってきたものです。
 昨日は私も 途中から参加しましたが 皆さんが 名刺交換を行い 話が彼方此方で弾んでいました。研修後の交流会の席に顔を出しました。皆さん顔なじみの方が多い中で 初めての方も加わり 徐々に広がりが出ている事を感じました。
 心身協という団体の創設から関わったのでしたが 当時三障害を一本化しようとの試みは上手くいかず 身体と知的の事業所が合わさりスタート、その後精神も数が増え 組織化が進んで 同じ土俵で仕事ができるようになりました。
 言う迄もなく 一つの事業所がどんなに頑張ったとしても 限界があります。それに 自前でスタッフを育成することも不可能でしょう。 そこに 協会や団体の存在価値が出てきます。
 ”響き” それも若い人達の間から出始めている。実感しました。

3133:過剰化社会?の罠

大衆迎合。その動因を「国家の危機」となれば 反旗を振ることを 踏みとどまり 命令される道を受け入れるだろう。過去の日本の歴史は 一般庶民には真相を解明することを許され無いまま 突き進んだ結果である。戦後 自国防衛に関して 戦勝国アメリカに委ねた。その替わりに経済復興を旗印にして邁進してきた。豊かさ=安心という構図は目標があった時はまだ良かった 70年の歳月をかけ獲得した成熟した社会?は 今 新たなる危うさと対峙することに 確信ある目標を見失い 一体何を守るべきかという国民を交えた徹底した議論を怠ってきたと私は思います。方や創造的破壊や選択と集中という言葉が躍る。 果たしてそれをどのように受け止め 流れを変えることができるだろうか。まだ 気運は熟さず。ITを駆使した 新手のツールが次々に登場し多くの者達がそれに乗り遅れまいと必死になっている。これを技術革新とばかりに 焚きつける。いつどこででもいかなる情報でも得ることが出来る現代を評して、人々が「過剰につながって」しまった時代と謂う。限度を超えたという意味。

 昨日 2件の法事とGHの新年会があった、東京から来られた檀家は予定の時間の1時間半前に到着した。日曜日で道路が混まなかったから早目に着いたと申し訳なさそうに入ってきた。≪どうぞ どうぞ お茶が用意してありますから休んで下さい≫。49日忌で納骨がある。今回の雪で 墓地がどうなっているか心配で2日前に東京から下見に来ていた。新しく作られた位牌の他に もう一本の位牌を持参した。それは 19歳で戦死した叔父の位牌だった。多賀高専に学ぶ叔父が通信兵として召集を受け 乗船していた軍艦が撃沈され 船と一緒に沈んだ。 遺骨は戻らず戦死通知だけの弔いをして 兄弟が位牌を「可哀そうだ」と謂って今まで守ってきた。今度 本家で位牌を守ってくれることになった為に古い位牌を焚き上げることにした。
 果たして 今の日本で この話をして理解してもらえるだろうか? 位牌の裏には 8月2日テニアン島で戦死と記してあった。 
 ★ テニアン島・・・北マリアナ諸島の一つ。サイパン島より8キロ。1944年7/24~8/2まで米軍と日本軍の壮絶な戦いがあった。日本軍戦死者8100名 生存者313名 玉砕。終戦1年前。
  
 Work-life balance という事が ここにきて何故騒がれ始めたのでしょうか? 過労死の問題から端を発し 働き方改革の議論に進んだ。 日本が進める経済最優先の政策と どう兼ね合いを付けるのか? 市場原理は? 競争と自由は?
 人生の各段階において 多様な生き方が選択・実現できる仕事と生活のバランス、それと 現状での民間企業の実態を どう捉えるか? これらが判り易く 実行可能な仕組みになっているでしょうか? 多くの疑問が未解決のまま 制度だけが先走る。国と地方の役割? 財源は? 担い手の確保? 何一つ 解決したものは無い。新車の売れ行きを例にとれば即、判ります。 次々に新車が市場に登場するが国内の買い替えは進んでいますか? 今の車で充分ならば ローンを組んでまで新車を買う気持ちにはならない。これが 庶民感情です。モノが溢れる中で販売競争に勝ち残るには どうでしょう バランスある働き方で果たして客のハートを掴めるか! 現実に 夜まで電話攻勢で営業をかける。並みの営業活動で目標が達成できるとは思えない。
 この実態を国のリーダー達は見て見ぬ振りしていませんか?
 新自由主義・・・新だか旧だか知らないが ネーミングはどうでも良い。開発はすれど 後始末までは責任を負わないシステムとも言えまいか? 税対策か経済戦略か その両方か! 農地や山林を潰し大規模太陽光発電が増え続けています。・・・・が この先老朽化した太陽光パネルの処分方法が無い。あまり知られていないが キュービクル設備を廃棄処分する場所が国内には北海道に一か所しかない。敷地の片隅に放置するしかないのです。喫緊な問題は核燃料の最終処分場が国内に未だ無いこと。これで 企業は先行投資に汗水流し蓄えた資金(?)を使えますか?
 これは 行政改革だけで解決できる問題ではない 。現実に今起こっていることと真正面から対峙する覚悟の有るか無しかという国の姿勢が問題なのです。
 モノづくりはより豪華で高額な製品に靡く、そりゃーそうだ 同じ人間が働き作ったものの付加価値は 多いに超したことは無い。これが どこまでも進めば 例のバブルの再発。経済学者の誰だったか? 人間の欲望が 経済発展へのエネルギー源だと・・・・・・・・。仏教の説く理想とは真逆だ、これが財政審会議の委員の一人だとしたら やる前から結果は見えている。八大地獄の現代版 。これは 戦後70年なんて短期間の理屈ではなく 2000年の歴史から人間が学んだ真理と思うべき、
 その時が来たということ、いや違う、もう遅い。
  ・・・・大欲得清浄 大安楽富饒 三界得自在 能作堅固利・・・・・(理趣経)
 
 ≪ もういいかい ま~だだよ もういいかい・・・・ ≫ かくれんぼ 幼かった頃 そんな遊びをしたことが有りませんでしたか?
 玩具など無くて 周りにある 全てが 遊び道具となった。折れた枝 空缶 新聞紙・・・・・。独り遊びではなく 一緒に遊ぶ友がいた。ガキ共は暗くなるまで 遊びこけた。 学校に入れば 新たな友達が出来、派閥が生れ ケンカもした。家に帰るまでに途中で道草、椎の実や桑の実、スカンポ 食べれるモノをみんなで食べた。家に帰って  カバンを放り投げ また遊ぶ。
 今 思えば 何も無かったが為に 工夫することを覚えた。 情報は 夕飯の時の家族の話、 テレビが家に入ったのは いつ頃だったか? 一先にテレビを入れたTさんの家に 皆でお邪魔して 画面を夢中で観た。力道山のプロレス 大人も子供も一緒に応援した。
 ≪もういいかい ま~だだよ~≫ これらの風景は見事に消えている。それに替わるもの、塾通い スマホ 。何の為に そこまでして ?
 過剰化社会の象徴は 情報の速さやモノの多さ。それは 受け入れ可能な限度を遥かに超えている。 そして この先のことを 確信をもって語れない時代、何が起こっても 想定はしてたけれど そうはならないと高を括っている。
 1月31日22時29.8分を最大として 月は赤銅色に輝く「皆既月食」、月は自らは光を発しない。地球も同じ。太陽の光を反射し 光っている
 我々人間どもは その地球に住まわせて頂いている。それを忘れ 非常識にも 自分達が 地球をどうにでもできると錯覚した。その代償を これから先ずっと人間は払っていかねばならぬ。その考えは 残念だが 今の日本には無くなっている。今の技術の進歩からすれば 煌々と光る夜間の照明を落とし 昼 それを使用することは可能だろう。一向に原発廃止を宣言できない。 二度としないと不戦を誓ったはずが どうみても雲行きは変わった。
 ★ 『経済成長という病』 いま、本当に考えなければならないこと。 平川克美著:講談社現代新書。(Nさんより) 

3134:是か非か

 豊さと安心が同じでないという事は 現実にいま起こっている諸事を見れば判ると思います。豊かさや利便性を追求する国是(方針)は そこにある矛盾を無視することは出来ない。その矛盾とは何か? 人間の本性?満たされぬ欲望が常に離れずに付きまとうからです。立ち止まり この辺で満足ということができなくなります。小欲知足。
 世界の福祉国家と謂われる北欧4ケ国、日本と比べて何が違うか?最たる違いは人口。ノルウエー 523万、デンマーク 573万、 フインランド 549万、スウエーデン 990万、日本は1億2千700万。約20倍の人口差があります。スウエーデンでさえ 大阪と東京の間の人口しかないのです。
いずれも 立憲君主制をとっています。GDPという指標でなく 幸福度で比べれば 頷ける。北欧諸国がいずれも高い位置にあるのに 日本は低迷しています。否、日本人は幸福度を信じない傾向が強いと思いますね。
 その場合、比較根拠が問題にされますが 一度訪れてみれば 直ぐにわかることです。、 ゆりかごから墓場まで 私が福祉を学び始めたころは イギリスの福祉制度を目標にしていました。浮き沈みはありますが 今も国家としての根幹は大切に守り続けられています。
 第三者的に是非を論じることは 簡単です。 結果が良ければ 人は満足します。それが問題と感じ始めた今の日本の対応策に疑問を感じます。本末転倒の実態を敢えて挙げるとすれば 社会保障の仕組みに違和感を持ちます。 高齢化と少子化を盛んに問題にされますが、今に始まったことではありませんね。
 昔から予想されたこと、今更という思いがあります。建物を用意すれば 事が済むという 単純な問題では無い。要は 社会が 真剣に その解決に向き合う覚悟があるかでしょう? それが端的に判るのは 担い手の育成を即製即売しようとしていませんか? 個人主義と効率性を是とした環境で育った人に 自分以外の人に思いやりや優しさは期待することは難しくありませんか?どうでしょう 施策に宛がい扶持的印象を感じます。
 これは 社会が 本気になって その重要性を感じないからだと思います。極論すれば 戦後最大の人材育成の失敗ではなかったでしょうか? 今更 その事を悔やんでも 仕方が無いでしょう。
 働くざるもの喰うべからず・・・・・・この考えが 子どもたちが育つ社会で巨大化してしまった。それを防ぐ働きが 実は家庭にあったのですが ・・・・。
 諦めることは できません。 小さな芽を 大きくする努力は ・・・・・・・・。現場に身をおき 道を誤らないよう できる人は できる範囲で・・・・・  社会保障という問題は 社会の構成員であることの自覚を失わないこと 権利と義務がバランスを保ち お互いに 認め合える 総意形成だと思います。
 ☆ いま 3名の緊急一時保護の利用者を受け入れています。その背景を知れば 社会の矛盾とそれを受け入れる社会の脆弱性を認めざるをえない。是か非か 議論以前の問題ですよ。
 何もやらずに時間を過ごすことの苦痛を今 諸に感じています。 体調を崩し ・・・・・横になっていると 本当は 普段考えなかったことがゆっくりできるかな・・・・性分でしょう 全くダメです! 纏まらず 堂々巡り ソロソロ活動を開始しないと まずい。
 気付いたことがあります。我が家の猫のミイがやたら私に纏わりついてきて うるさくて参ります。普段 一緒に遊んでやらないからでしょうか? こことばっかりに 布団に乗ったり 中に入ってきます。
 私を心配している様子はなく 攻撃的です。
 良かったのは 注文した本2冊を読み終えました。
 テレビじゃなくて ラジオで国会予算審議中継を聴いていて 余計具合が悪くなった。 国会中継を政党のPRに利用しているのは明らかだ。それと相撲協会のゴタゴタ、これも 真実がどうなのか判らない上にマスコミが面白可笑しく取り上げる。 尚恵学園も世代交代の時期にきている。今年私は68歳になります。次の者に任せ 勇退といきたい所だが 周りの状況が許してくれるか???? 失敗を恐れず やってみろ! 失敗から学ぶことが 真に自分の身に付くもの 
 土・日と法事が5件、大分前から皆さん予約されていたものだから 変更はできません。月曜日は葬儀が入った。    
 札幌東区にある生保の自立支援施設(共同住宅)で11名が火災で亡くなりました。このような事件が起こるたびに 焦燥感に駆られます。全国の福祉事業所にはスプリンクラーや防犯カメラ の設置が義務化され ほぼ設置が済んだと思われますが 生命を守ることの難しさは 決してそれだけではありません、 正直 この種の悲惨な出来事は今後も無くならないと思います。それは 事業所が次々に出来て 行政による実態調査が間に合わないのです。建築法や消防法は勿論 設置認可には法定基準をクリアしなければならないのは勿論です。必ず定期的な検査が義務付けられ 自分達では出来ない事が多く専門業者に委託して行なっている所が多い。その経費は益々増えています。
 全てに於いて安全を保障することが 実に難しい世の中になりました。事がおこれば 責任問題に発展します。事業承継は 今後益々難しくなるでしょう。
 好景気?という割に その実感はないのです、そんな中 長い間 花形産業であった銀行が大きく変わろうとしています。 仮想通貨やIT化が進み金融業を取り巻く環境は一変しています。銀行員の大量リストラ時代に入ったと謂われます。一方では 人手不足が謂われる中で業種により仕事が無くなる時代を迎えたともいえます。国は 明らかに 効率化を奨め経済最優先を掲げています。その一例ですが規制緩和がすすむ中でM&Aが盛んになっています。コンサルから企業買収まで一体的な業務をしている会社が急に増えています。ドイツのマイスター制度や 日本伝統の職人制度は もはや時代遅れとなってしまったのでしょうか? 簡単に会社を起こし それを簡単にやめてしまう。その保証もスズメの涙 最近起こった振袖絡みの会社の倒産、格安旅行代理店の破産、良かれと考え受け入れてきた経済の仕組みが危うい そう思いませんか?
 一億総括役 働き方改革  東京一極集中の是非 どれ一つとってみても難題ですが 今急に起こったことではありません。 恐らくは東京オリンピックが終わるまで or 国選が終わるまで 先お送りされるのは間違いない。財政健全化への見通しが また修正されました。目標は あくまでも目標。
是か非か! 与野党 挙って なにか 言葉遊びをしているように感じてしまいます。それは 政治家自身が 生活に苦労しないですむだけの国家保障が確約されているからでしょう。言動に危機意識を感じない。先ず この辺から改革したほうが 経済実態も上向きになるのでは・・・・・・・。
 体調も大分良くなった 不本意ながら 愚痴を先送りするまでに 達観できません。

3135:敬白

 何も特別なことでなく 普段気付かずに行っていたことが 何らかの事由で出来なくなった時に その重要性に気付くものです。
 その最たるものは 自らの健康で 好き好んで病気になるものは無く 体調の異変を感じてから 判明することが実は殆どでしょう。 国が指定している病名の数がどれくらいあるのかは 知りませんが、症候群を含めた病態一切を含めれば 際限無しと謂えましょう。病気=負のイメージは仕方が無いとして その真逆にあるのは健康。しかし 、何故か その大切さを忘れている。健康に老いて人生を閉じる”健康寿命”と謂われるもの。 それができなければ”バタン キュー” これは周囲への気兼ねでホンネというより自虐的なタテマエ論。
 『注文を間違える料理店』、認知症の方が主役となり ある人たちが考えた”仕掛け”、六本木の一流レストランで3日間、総勢100名の認知症の方々が20人づつのシフトを組んで レストランのスタッフとなった。その企画に賛同した人達が手弁当で集まり 結果は 認知症の方々の表情が明らかに変化したことだと仕掛けの代表者が語った。
 思いもよらずインフルエンザB型に感染し 外部との交流を閉ざす4日間をすごした。感染ルートを探しても仕様が無い。罹患してしまったのは自己責任。只管 タミフルと他の錠剤をのみ回復を待っ。その間 檀務は行った。
 そんなモヤモヤ感を一気に晴らすラジオ番組を聴いた、????注文を間違える料理店プロジェクト???? 狐につままれた感じをもった。パラドックス(逆説)の妙、インパクトの強さ、発想の転換・・・・・。
 日本の社会保障制度、その内容は世界に類をみない?内容はどうあれ  事細かで至れり尽くせりというトップレベルにあると私は思っている。
 立ち止まり保障を受ける人達が 果たして心からそれを喜んでいるだろうか?を考えるべきだ。そこなんですね、利用する側の立場になっていると思えない実態。 複雑で面倒で いずれまた変わる。それが 進歩だと誤解した。だから常に不安が付きまとう。本末転倒はこの事です。認知症の原因はまだ解明されていないことが多い。その症状も実は一人ひとり違う。ただ 診断名がつき 介護の対象となると そこに負のイメージが貼りついてしまう。これを変えねばならんでしょう。
 開き直り・・・負けるが勝ち。急がば回れ。  通説の真理に ソロソロ疑念をもち 発想転換をはかるべし。これが 病み上がりの私の実感敬白であります。  
 安心と安全を担保に交渉事を結ぶなんてことが有り得るでしょうか?  決められた接客マニュアルを条件にすれば 注文を間違えるレストランは 最初からレッドカードとなりましょう。 だったら この世の中に間違えない人が存在するのでしょうか?肩肘はらず もっと大らかな考えをもって認知症を理解してもらうプロジェクト、3日間の限定営業である。間違わない! AIロボットならば それも可能かも知れません。 人間の飽くなき挑戦が この先 何処に向かうのか 誰も予測はできません。規範学という学問のジャンルがあるという。経験科学に対し 対象がいかにあるべきかという当為を問題とする学問という。戦争から人間は何を学んだか?
 今は アカデミー界も専門分化が当たり前 それぞれの領域で規範や倫理を考えるとなった。結果は 明か 国家間の争いは止まず 悲劇を繰り返す。 相手を経済力や武力で押さえつける。それを当為と考える。一体 科学の発展が何を目指すのか、サジ加減一つで平和利用か軍事目的に入れ替わる。この際どさに誰も決定打は示せない。一時の中断が有ったとして 直に始まる。
 宗教や哲学が 本来の役割を果たせない。それどころか 悲劇を生む片棒を担ぐことさえ 受け入れる。 残念だが 政教分離 今時 信じる者などいない。これを目立たないようにするために 経済&豊かさを前面に出し 自らの政策の正当性を誇示する。 彼らは 結果が逆になったとしても 個人として何もその責任を取るつもりはない。
 ☆ 今日は 郡山に行く。10年以上 墓参に伺っていない友人に会ってくる。
 
 郡山の駅前の居酒屋をとってくれていて 6時から Yさんへのインタビュー(声のライブラリー プロジェクト)。こう言えば恰好は良いけれど 数日前に購入したICレコーダーを2台持ち込み なるべく静かな料理店をインタビュー場所に選んでもらう。2台も持ってきたのは 使い方も良く判らず 万が一 録音に失敗したら元も子もなくなると思って保険の意味。最初から 筋書きなど無く 自然の成り行きに任せようと、精々1時間位と予定したが 結果は2時間を優にオーバーしてしまった。何しろYさんは 百戦錬磨で障害者の地域生活移行の実績では右に出るものはいない。不思議なことは 一つ 共通点が見つかると ドンドン話が広がり 止めども無くなるという事が判った。
 最初の試みだから 兎に角 話の中味より 生の声を録音することを最優先にした。結果 Yさんはどうかしらないが 私は大満足、・・・・。帰りの新幹線の中でテープを再生して判った。聞き手である私が ルールを逸脱する場面が結構多くて気になった。前もって話しておくべきだったが 後の祭。私は少しでもアルコールが入ると多弁になるクセがある。
 いずれ、ご本人の了解を得て 本HP上で聴けるようにしたいと思いますが7人の侍(?)の生の声を今年中に収録し 公開したいと思います。
 ☆ 理想は 田村一二先生が描いた『茗荷村の村是の実践』を全国津々浦々に展開できれば 面倒な意思決定支援とか地域生活移行などと頭を使わずに 自然と共生社会に向かうのではないだろうか。(Yamada)
   

3136:影響力

 誰しも振り返れば 人生の節目節目で影響を受けた人物に思い当たりましょう。前項の田村一二先生(1905~1995)の障害児教育に対する熱い思いを自ら小説にたものが映画化された・・・『茗荷村見聞記』。(1979)茗荷村とは 一般的な行政の村を言うのではなく 福祉的色合いの大家族を謂った 障害の有無に関係なく全ての人が共に 一日一日を明るく 過ごせるユートピア。詳しい内容はここで触れませんが 出演は長門裕之・殿山泰司・林美智子等々・・・名優ぞろい。全国上映され 私も感動しながら観ました。
 Yさんより郡山で もっと 田村先生の話をしたかったというメールを頂戴し、本人の了解は後回しで皆さんに紹介します。
 私は 糸賀一雄先生・田村一二先生・池田太郎先生の3人が 当時 世間から相手にされなかった障害のある子供達に 偏見の無い 一人ひとりの尊厳を大事にした 理想の社会(むら)づくりを目指していたことを知っています。近江学園、一麦寮や信楽学園を訪問しその熱き願いを肌で感じ 身震いするような感動をもらいました。 その時の事を今もって忘れることができない。その意味では 私とYさんとは同じ先人から影響を受けた。 福祉の世界に入ってから一貫してこれら先輩たちの発した言葉の意味を自分流に受け止め実践してきたと言えます。
 村是の中にいくつかの目標がありますが その一つ万粒構想という考え方からすれば 今日の福祉事業が 歩む路線を誤ってしまいそうだという危うさを強く感じます。経済と同じく競争の原理を障害福祉に取り入れれば 経営は大規模化 生産活動を強化し効率化が主眼となり、障害のある人たちにとって それが決して理想の姿にはなりえない。 なぜなら 事業所側で利用者を選び能力主義に向かい 収益重視の 経済の仕組みに組み込まれてしまうからです。
 今日の展開が 果たして田村氏が掲げた賢愚和楽や自然随順の思いを育てながら 後継養成に至る実践の要諦であっただろうか? 答えは明らかに”NO"である。

 
     
 ”のりしろ”か”伸びしろ”か?この両者の意味を混乱している人もいるかも知れない。のりしろというのは 2枚の紙を貼る時に糊をつける場所。ギスギスだと余裕なく 強度に難がでる。柔軟性があり融通性のきく部分は 人間社会では大切ということは知っている。 伸びしろは 努力次第で今以上に伸びる幅の意味。いずれにしても この塩梅加減が分岐点となりうるのです。
 上の書はYさんが添付して送ってくれたもの、5つの言葉に共通する”共に”と”感謝”。 これと我が法人の創立時からの指標に共通点が多い。どれ一つとっても 果たして自分達が出来ているかどうか?。 共生という言葉を具体的に判り易く解説したものでしょうか?
 信条、指標、道標・・・・・?
 さて指標生物なるものをご存知でしょうか? 極狭い環境にのみ適応する生物、その生物がいるかいないかを環境条件の指標(目印)とする。例えばヨシですが、ヨシが生育できる環境は地下水が浅いことを示すという。
 自然環境を測る大切な目印となってきた、ところが 最近は その言葉の使い方が変わった。ex”経済指標”なるもの。これは 人為的に どうにかできると思っている節がある。ここに 人間の驕りを私は感じてしまう。目標に近づける為に データーを改ざんするなどのミスを犯す。
 自然随順には 自然に対し 尊敬と感謝の思いがある。方や 経済一辺倒(随順)の動きは 往往にして淀みや汚れにまみれ 生物(人間)が心地良く生きる環境とドンドン離れて行く。この流れにストップができない、だから 如何に落とし前をつけるのか ・・・・ その議論は 常に続けねばならぬ。 それを後回しにして 節度無き豊かさを追い続けようとしていないでしょうか。このことを『経済成長の病』との警鐘がある。
 生き易さの為と思い、取り入れたものが 逆にその人の生き辛さになっている。流行を追い求め 消費意欲を高め 内需を拡大、数字の動きに一喜一憂。あからさまに かつ 無駄を増産し なんら 責任を感じない。齟齬を感じる。
 一方で医薬分業を進めているが 市場は なんでもありの状況を呈し 目に余る。規制緩和策 いま この国で どんな状況が起こっているか? 街からパタリと昔風の薬局は姿を消した。それに替わってスーパーと同じ品並べ 食料衣料雑貨なんでもあって 一部を薬品コーナーにした店舗が増えた。 これを現代人は便利さという。一世風靡のコンビニは 相変わらず24時間休みなく営業、これをフランチャイズの契約条件とした。いま 銀行業務を請負 24時間 ATMや振り込みを代行する。人手不足をカバーするためか AIロボットを導入し客のリクエストに応えようと、保育所も併設?これが 素晴らしい快適な未来像?仮想通貨なる怪物、ギャンブルなのかどうなのか?
 ちょっと待ってよ! おかしいよ  。。。。。。。 大の大人が 今もって寺の脇道に昼夜関係なく車をとめ ゲームをやっている。ポケモン?ゲーム。これが働き方改革の成果ですか? 自由と平等&個の尊厳という言葉が一人歩き、結果 義務と権利に逆転現象。流汗同労など思いもよらず、楽してジム通い無駄な脂肪を落とす為。
 便利 この言葉を辞書で調べたら   「一日のうちに、飲食・便利・睡眠・言語・行歩、止む事を得ずして多くの時を失ふ」(徒然草)
 なんてことはない 兼好法師との700年の時間差は 全く 感じない。 便利は≪大小便の通じ≫という意味だった。

3137:懐旧の情

 ♪ ウサギ追いし かの山 小鮒釣りし かの川 夢はいまも巡りて 忘れがたし ふるさと・・♪
 我が故郷はいかに? 老境にある証でしょうか。なんともま~ いつの間に こんな思いになったのか、これが自然だよ。と謂われた。然もありなん。 時代がどんなに変わっても 変わらないことがある。それは 心の奥底に刻まれた情景、こう言えば それ以上の話はない。私は今まで 何をめざし実践躬行してきたのだろうか? 懲りもせず 自問自答を繰り返し 決まって落ち着く場は 懐旧の情に満たされた昔の風景だ。 ウサギを追う意味が判らない子ども、小鮒が外来魚になり、餌は 種類の多さは勿論 なんでもござれ、 全国津々浦々 どこにいても常時通話ができ、新幹線や高速道が縦横に走り、・・・・・一変したのです。後戻りはできない。只管 先をめざし 歩むしかないのでしょうか。
 老婆心ながら あえて口を挟めば、少子化と謂われ 出生率を上げようと血眼になっている。 今年誕生する子供が いずれ歳をとり 昔を懐かしむとなった折に 果たして どんな故郷の風景を浮かべるだろうか?
 子供達の遊びが様変わり 手伝いをして お駄賃を貰って 駄菓子屋でお菓子を買う・・・・・。無いね、ありませんよ。何せ駄菓子屋がない。識字率と人口動態には ある種の法則があるらしい。何故 人口減を恐れるのだろう? 利便性や豊かさを追い求めてきた結果だろうよ。 
 日本が戦後の半世紀で どれだけ人口が増えたか? 団塊世代と謂われ 肩身の狭い思いを我々はどこかに持っている。問題視するのはどんなものか? これだって 経済の指標を基準にするからで 人間の安心や幸せとは次元を異にする。そのことを 良識ある日本人は理解しているだろうが何故か寡黙となっている?
 デジタルかアナログか? この比較も大した意味はない。しかし、子どもの生育は アナログであるべきだ。上野動物園のパンダの親子 あんなに小さな赤子が あっという間に大きくなる。幸か不幸か 人間は動物のように 短期間に成長することはできない。前世からの運命なのですよ。見よう見まね 食べ物は農家の人が汗水流し作ったものを買って料理して食する。ここに 家族の役割があり 手伝いをしながら 絆が生れる。だから 日本が取り入れた 自分さえ良ければ良いという考えは馴染まない。
 様々な制度や思想も然り、流行の華やかさに目をとられ 追い求めることは 程ほどにした方が良い。己の立ち位置を見失い いずれ 飽きがきて 捨てられる。
 先人の教えを ここで 思い起こすことが重要かと私は思う。古臭いとか 時代遅れと無視することより そこには 長い時間をかけ 受け入れられてきた 不変の真理があると思うからである。
 [ 将来の状態は≪不確定≫だが、ある程度、確率的に把握できる場合に、それを≪リスク≫と呼ぶ。それを確率的に把握できない、つまり 何が生じるかまったく不明という状態を≪不確実性≫と呼ぶ。(フランク・ナイト)不確定の管理をリスクに置き換えてリスク分散をすること これが合理的だと言った。
 何か難しい話です。身近な話でこう考えて見ればいかがでしょうか?服を間違え裏表を反対に着れば 周りも気づくかもしれない? ・・・・が 裏表を間違えても保温目的は果たせる。ボタンの掛け違い 、 それよりボタンが取れてしまって無いかも知れぬ。重ね着で切る順番の間違い、季節に合わない服、些細なミスマッチは いくらでも起こり得る。ただ、自分が気に入るかいなか 見栄えを気にし始めたら もうなにをやってもダメ ・・・・・・。 経済活動は まさに見栄と実益、リスクと損失の服選びです。核心を持たず 多様なリスクを追いかける これがファッションとなってしまったことを 誰も教えてくれない。最大の忖度が ここにある。
 多くの人が いま自宅のタンスの中に着ないでしまわれている衣類をどれほど持っていますか。経済活動の様態は 消費意欲を喚起し続けること。 大国の核兵器の数を思えば 何故 そこまでつくり続けたのかと疑問をもつ。 作ってしまった兵器を減らす手立てはありますか? 原発の使用済み燃料ですら 世界の叡智を集めても処理に関しては未解決、それを後回しにして 世界はAI技術競争に血眼、これを平和利用に限定するなど当に≪不確実≫でしょう! 砂上の楼閣づくりを競う 愚行を 国家の威信にかけて叱咤する。 異常事態と諫言する者はなく、リスクの分散は 作らない事 それしかないと囁く。
 『風雨時に従って、国家豊饒なり。』(保元物語)成熟社会になると 人間の知性・感性と思考する力の劣化を招き易くなる。鎌倉初期の時代は 国を二分し権力闘争の嵐が吹き荒れた時代、その時代でさえ 国の豊かさ(豊饒)を獲る為に 自然(風雨)に従うべしとの謙虚さがあった。それが 今の人間どもは ・・・・・・。自己欺瞞と天井知らずの欲望が絡み合う・・・・最早これを防ぐ手立てがない。
 海外からみて 何が日本の魅力であろうか? 科学技術の進歩か超近代的な街並みか??? NOです。それは伝統文化 古き良き時代を彷彿させてくれる風景や人々の営みに関心があるのです。 そこを見間違えた人間は 後の始末も考えずに見栄や優越感を満たそうと外見を繕う。
 ここに 私は 糸賀・田村・池田の御三方の共通した願いを感じるのです。この子らこそを 世の光に。光という字を核心と置き換えても良い それぞれの世代がいま 考える事だろうと思いますよ。


3138:錯誤重層

 曖昧な事に満腹な現代人の病、その処方箋もなく 只管 偽装し、塗装が剥がれおちないよう必死で生き延びる。これは 当人は勿論 周囲に様々な弊害をまき散らす新型インフルエンザである。抽象概念が罷り通る社会は時の政権が いかなる旗印を掲げたとしても いずれ色褪せ 本来の主旨から離れ ひとり歩き始める。これを規制緩和と申します。
 年明けから 名刺交換の機会が増えた。書き切れぬのか裏にも事細かに 書かれた事業の数々、これが 親密感を阻む? なんという国になったか! 己を誇ることを恥と戒めた教えは今完全に消えた。この先じり貧に向かう国の焦りとダブル、端的に謂って市場主義経済盲信の悪弊である。
 果たして 名刺に書かれた事業を貴方自身が要点良く説明できるだろうか? 同業者の集まりの席でも然り、 名刺や肩書で評価される時代は じり貧の証。それを認めなければなりませんね。
 社会の仕組み ここまで細分化され 果たして その趣旨が理解され 周知され うまく機能しているでしょうか? 新たな仕組みが出れば 国→県→市町村→と上意下達。その間に解釈がズレて伝達されても気付かない。もっと深刻なのは 我々に伝わる頃にまた変更される。この類の無駄・矛盾は今に起こったことでないが その頻度と速度が早すぎてその深刻度が増している。
 今 何が起こっているか! 抽象的議論でなくより具体的な事にのみ関心が向くはずである。福祉現場を例にすれば もっとも具体的なものは報酬単価、時間あたり10円の攻防や対象者を細切れにし類型化して まだ懲りない 幸せの議論などどこかに消えて 只管 人間の単価が決められる。これが 個の尊厳を目指した日本の誇る仕組み実態ではないか!今のやり方は限界を超えてしまったとハッキリ言えよう。経済最優先だから問答無用の箍に窒息状態になっている。それでいて『共生型サービス』を目指すなどとアドバルーンをあげる。このどこが目新しいのですか? そんな事 当たり前だろう!赤子でも判ること。それが 判らないのだろうか!愕然とする。 恐らく 教育現場も同じ 知識偏重の教育を反省するどころかより加速していませんか。審議会や有識者会議 意図的に選出された先生方で占められたとすれば 期待はできない。ホンネを言えば 場の雰囲気を害し 冷めた視線 さすれば将来を考え融和的なタテマエ論が主体となるのは当然だ。
 錯誤重層 あまり聞いたことが無い言葉かもしれません。これはある社会現象をいう。隠蔽や忖度、不正、生き辛さ、テロ、略奪、虐待・・・・・・・当に今の日本が真剣に向き合わねばならない事ではないだろうか。
 オリンピック放送中、他チャンネルで国会中継 あの議論を聴いていて 心底から このままで良いのだろうか?と訝ってしまった。 当の先生たちは それに気付かない。貴方達が旗振りをする日本の誇る優良企業が いま どのような状況に置かれているか? 資源の無いこの国が 今の繁栄を築いた功績は否定はしません。・・・・・が 守らなければならない企業のモラルを放棄し その実態が暴かれた。すぐさま公共の電波を通じ謝罪した。
 貴方達 国民の代表であるべき立場にある ものが 自らの責任を隠蔽し または 疑いがかけられる事態に。。。どうです? 各種の世論調査 僅かな母数での支持率に一喜一憂するなど 論外で 国会議員の選挙が
 戦後一貫して低迷しているこの現実に 当事者たる貴方たちがどう責任を感じるかです。勿論 最大の当事者は国民であることに 違いありません。 
 どうしても 思いが堂々巡り、それも興奮というより冷めたマイナスの坩堝と化してしまいます。これは 一体どうしたものか? 久しぶりにチョコレートを沢山頂戴しました。忘れないようにしないと お返しを失敬してしまう。老獪になったのでしょう。都合の良い様に認知症になる。 ま~ これが 自分だと諦め 相も変わらず 否 感謝一杯で 毎日を過ごさせて頂いております。
 2日前 市の障害者計画策定委員会が終了した。 性分です。意見を述べたくなり 最後に言わせて頂いた。端的に謂って この種の計画づくりは 国の示すマニュアルに沿い 作成されるものが殆どです。今回は第5次計画で 全国全ての市町村において作成作業が進められ 年度内に製本される。私は 今までに様々な策定に関わってきました。計画を作る事が目的化し 本来 それをどう活用するかがあまり問われない。 文言の訂正など 正直 大した問題ではない。それよりなにより利用者の立場になり 計画がどう進行しているかが肝心。その事を少々クドクドと 言わせてもらった。委員の皆さんが どう思ったかは知らない。終了後 何人かの委員が『ごもっともな意見です』と声を掛けてくれ 5回?程開催した作成委員会 無駄ではなかったかな~と。
 地方創生との旗印は 地方に裁量を任すもの でなければ事情の違う市町村が全く同じような計画をたてても意味が無い。また 行政的には計画を予算の積算に反映させる。だから 数字が多くなるのは仕方が無い。
 ま~ 最近の傾向として 総花的で事業本数の多さの割に 個々の中味は薄い。期待感をもてるものというより 議会対策の様相がある。それとサービスの需給バランス、どう見極めるか???
 既成緩和で競争原理 それがサービスの質の向上? そんな単純なものではない。
 それを頷ける 問かけがある。 この種の委員になられた方に 『もし貴方のお子さんが 介護や福祉の現場で働くといったら どう思いますか?』を聞けば良い。 「そりゃー良い事だ お婆ちゃんも 応援するから頑張って。」 or 「無理だから辞めなさい。もっと違う仕事がいくらでも有るでしょう!」 さて2択で どちらですか?意地悪ですか どうなんでしょうね。
 ホンネとタテマエを使い分けする。 この現実に向き合う覚悟が 果たしてどうなのか・・・・・・。現場知らずで 理想を並べても 仕方ない。それが 私の偽らざる感想です。
  ☆ 委員の中に 文字盤を使って質問された方がいた。 上手く質問の趣旨が伝えられず 何度か遣り取りがありました。その方が 最後に打った文字が音声で流れた。 『もう なにも ありません』
    
   
 違和感は何故起こるのでしょうか? 恐らく 思い込みや立場の違いによって 同じ議論をしていても ズレが生れ 結局 無難な折衷案で収まることが多い。それは 何の為か誰の為か この核心が曖昧になる一番の原因。
 障害福祉の難しさは 本人の意志の確認、どうせ・・・云々なる決め付けがある。それを周りの人が代行して思いを語る。これでは いけないというのが 常識なのに 相も変わらず この人の為だから・・云々流の話が止まない。結果 本当にこの人の為になったのであれば 良い、しかし、その逆もあります。そこに陽を当てる為に条例や仕組みがある。敢えて言わせて貰えば”恩着せがましく””慈善的””他人事”と成り易く感謝や謝罪の念はない。
 昔より 言われてきた事 それは 障害ある人(当事者)と向き合い彼らの意見にできるだけ耳を傾けること。 今日ほどその大切さが高まっている。やまゆり園の事件は そんなこの国の風土から起こったと謂っても良いのかもしれない。
 できない理由が先浮かぶ。貴方の疑問は こういうことですよね。その確認と なぜ そうなってしまうのか? これは 当人に寄り添うことでしか 本当の事はわからない。
 『もう なにも ありません』 その言葉が最終日に彼から出た?  希望を託し 思い切って発した思いは 残念だが 上手く伝えることができない。あの場で 全員が彼の気持ちを本気で解かろうとしただろうか!私には そう思えなかった。直ぐに、事務局に電話した。彼が本当に何もないのかどうか 確認すべきだ!と。いつもの私の憎まれ口かもしれない。 彼が最終日に意を決して 発言したことは 我々委員一人ひとりに向けたものだったことを 果たして 何名が理解しただろうか。
 知らなかった=他人事、お決まりの責任回避論 これが 錯誤重層の実像である。彼一人が不自由な手で文字盤を打った。私を含め彼以外全員は思いを何不自由なく自分の口で謂えた、それが 本当に健常なのか? その判断は 実に難しい。
  

3139:平昌五輪

 1998年長野で開催された冬季五輪、今回 その時の日本のメダル獲得と同数になった。20年間という時間差に新たなページが加えられた。 進化した日本選手団が晴れ舞台平昌で見事に結果を出した。アッパレ 凄い 良く頑張った! 恐らく 多くの人達が感動で涙を流したに違いない。勝負の世界で結果を出すには 実力は勿論 なにか得体知れずの大きな力が加わったように思う。それは何だろう? 今 簡単に結果が出される機器に埋もれてしまい日頃の努力が軽んじられる世相、それとは真逆の世界をスポーツが見せてくれました。
 今回は当初から 様々な揶揄嘲弄が飛び交った、その殆どがスポーツとは別次元で騒がれた。1936年開催のベルリンオリンピックの再燃かと 政治利用を懸念する動きもあった。今もって国が2分されている朝鮮半島 同一民族でありながら 長い間 分断されている。悲願の国家統一を望まぬものはいない。平昌五輪を期に 平和解決に向かうことを祈ります。スピードスケート女子500メートルで 日韓エースの対決は見事だった。 小平のオリンピック記録更新タイムでの優勝で勝負は決まった。スポーツを通じての絆はお互いが相手を敬い目標とし切磋琢磨する中でより深まるもの、それと全く異なるのは戦争による遺恨、これは生きている間続くものとなる。今こうやって 歓喜の祭典中継が世界中に流される中 相も変わらず 武器による殺戮が起こっている。
 この現実を どう捉えれば良いのでしょうか。スイスは永世中立を世界に宣言し、今日に至っています。日本が先の大戦後 不戦を誓った。その現場を知る人は確実に減る中で憲法改正を本丸とした審議が始まる、果たして党利党略でなく 国民主体の駆け引き無しの議論になれるか?
 今開催中の韓国では 先の大統領が贈収賄疑惑により裁判にかけられ 現職で憲法裁判所の被告席に座った。これは 日本では 考えられない事態です。数の論理が優先される民主国家 果たして 真の民意を反映したものと成り得るか? 答えは否定的にならざるをえない。
何故なら得票母数の低さが致命的 有権者の何割が自らの義務(権利)を果たした数字かどうか もう一目瞭然な訳で、それを知りながら手を打たずに先送り、そして寡黙に徹する。
 ☆ 韓国の憲法裁判所にあたるものは 日本にはない。これは最高裁判所と独立した司法の場、役割として 憲法解釈の是非、大統領の弾劾、政党の解散、機関争訴がある。この仕組みは韓国がドイツ型の司法制度を取り入れたもので 今の日本の政党色(主張)が曖昧になった状況下で 何を根拠に一票を投じるかの判断が有権者に実に難しい。 隣国の投票率が 何故あんなに高いのか?それを精査するには 大いに参考になる仕組みだと思いますが 日本の専門家はなぜかその議論に対し消極的で腰が重い。 良きことは隣人に身を挺しても 学ぶ。この謙虚さが大事かと。 誤りを認め 謝罪すれば 許される これが定番化したら ホレ どうなるか 学校で教わらずとも判るでしょう!!!!
 
 表彰台での満面の喜びは 勝利者だけの特権で そこに立てなかった者の悔しさ・涙は オリンピック代表になったという賞美をも砕く 現実の厳しさである。37秒という戦いの幕は1秒の何分のいくつという僅差によって下ろされた。金銀メダルの違いとは別に両名のスケートを通じての親交は友達以上という。おそらく 相手が涙を流す場面を何度も見てきた二人、競技が終わった後 相手を慰め称え お互いが喜んだと語る。両国の過去の罪過を背負って 氷上での雌雄を決した友情は 人間の根源に誘う確かなメッセージとなった。
 今では国際結婚をするカップルも増え、昔ほど国や民族の違いを気にすることは無くなった。ただ 世界の流れとして 強権政治が台頭することに一抹(?)の不安を感じます。人間の本質は 時代によって そんなに変わるモノではない。
 ただ、スポーツから囲碁将棋にいたる多くの競技は確実に若年化が進んでいます。一つの道で大成するには 勿論 弛まぬ努力・精進が裏にある。その中で 強靭な精神力や人間形成がなされ その世界のリーダーに相応しい風格を身に付ける。
 これは 明確な目標をもっているかいないかの差かもしれない。私も高齢者の仲間入りをして 今 感じるのは どうも一緒くた&十把一絡げの高齢化対策(見方)への強い反発である。公務員の定年を65歳にするという話を聞き、なんで今頃と正直思った。尚恵学園は創立来(1956年)定年は65歳と変わらない。これは 当時 若い人で施設で働いてくれる人が無かったのが 理由だった。生涯 現役で なにか 不味い事あるんでしょうか? あの頃 平均勤続年数が何年かなど全く公表されなかった。 今は 何でも数値化する。 相も変わらず その数値を掲げ どうのこうのとコメントをつける。職場の良否を勤務年数平均で出すというのであれば 筋違いかも。働く者の安定・安心と利用する人の安定・安心は同じでない。むしろ 日本の障害福祉は このジレンマとの戦いの歴史だとも言えましょう。
 そんなことより どうなんですか? 他にやるべき事がありますよね。経済最優先の政策の検証、本当に必要な事に使われているかどうか? 仏教でいう 円環(輪廻)の思想は 円を描き いずれ また元に戻るという教えです。
 ヒョットしたら 景気回復の差益が 一発数百億円というミサイルを購入することに なんの疑いも無く、且つ大義名分のお墨付きがついて・・・・・・・。
 
 オリンピックも終盤になり、日本選手の活躍は見事です、メダル獲得がどうしても注目される中で 表には出ないが様々なドラマが繰り広げられたと思います。マスコミが取り上げないと 我々が知る術が無い、関係者の方々は それなりに実りがあった大会であったと思います。その後に開催されるパラリンピック 観客や報道機関が去って 淡々と競技が行われるはずである。 どうしても 私は 気になってしまう  長い間 こうあった訳だから仕方が無い ・・・・・・。身近な話題で国体の後の全スポ(いきいき茨城ゆめ大会)はH31・10・12~14に県立笠松競技場を中心に開催されます。 その翌年が東京オリンピックと続く、その準備もたけなわ、そして肝心の盛り上がりはどうでしょう?
  私が水戸から戻ったら事務所内が異様な雰囲気なのを感じた。来客があり、その方を囲んで話をしていた。皆が目頭を押さえている。その方のお子さんに障害のある事は前から知っていた。ずっと在宅で育ててきたが 残念なことに  その子供さんは亡くなった。彼は家計を支える為 遮二無二働いた。奥さんが子育てに専念 自分は何もしてあげられないと悔やんでいた。子ども達が独立し これから夫婦の時間が持てると思っていた矢先に 奥さんの病気が判った。一年半の闘病生活は言葉に言い表せないと呟いた。そして、また涙がこみ上げてきて 何度もハンカチでぬぐった。
 二人三脚 いつも家族の中心であった息子さんが先に亡くなり そして、2週間前に奥さんが逝った。以前もそうだった 不意にやってきて 暫く話をして帰っていく。
 仕事は既に定年で辞め、以前とは違い 自分の時間は充分取れる。 これからは夫婦で時間を共有できるはずだった。 けれど その奥さんが今はいない。
 ポツリと語った。≪以前 四国をまわったけど 納骨が済んだら今度は時間をかけ ゆっくり歩こうと思います。≫ そして 少し微笑んで≪棺の中に その時のご朱印帳入れてあげようと子供に話したら 新たに朱印帳を買って 2冊もって四国に行きなよ。≫と言ってくれた。
 いま 食事は 仏壇と向き合って食べているなどを語り 少し気が落ちついたのか それじゃ~と言って 帰っていった。

3140:環境要因

   垣根
・・観音寺・・
ヤナダ ガーデン施工
 自然の材料を使った垣根は 時間と共に 周りの環境と調和し 落ち着きを感じさせてくれます。 私は 見よう見まねで庭師の方から技術を学び お手製の作品(?)が増えました。結果は環境と不協和音。造園には奥の深さがあり 長持ちするための工夫が至る処にあるのが判ってきました。 それぞれの師匠より技術の伝承があり 更に自分で研鑽を積み オリジナルな作品を考えているのです。
 これは あらゆる業種に共通することであろうと思います。パン作りも然り 最近は地産地消というか そこでしかできないモノを考え作る喜び、これは 施設の仕事も全く同じです。本日、4ケ所各事業所の管理者全員の人事異動を公表しました。役員会の承認事項ですから未だ内示です。 同じ職場に長くいることの是非、どこであっても受け入れ前向きな考えに慣れる人、これは 利用者の皆さんも全く同じですね。地域生活移行の本来の目的は 自分の意志にあった環境で生きること その経験を保証するということです。
 現実は言うは易し 上手くできないことが多いのですが 決して諦めないこと。。最近は何処も年度の切り替え時ではなく 一年を通じて スタッフ募集が常態化。 途中では補充が儘ならない事、多目に人員配置しておけば その状態に慣れてしまい、工夫する力が弱まった。
   感情の浮き沈みは 誰にでも有る話です。自分だけと思うのは間違い。職場の環境は 違いは有ります。当然ですよ。これを前向きに考えるかいなか?
 でもね~ 人間は 外界とどのように上手く生きて行くか これが肝心で 言ってみれば これしかないと謂う事です。
 ☆ 垣根越し 己を写す 置き鏡 ☆
 
 良いか悪いかは別として 住職には定年がない。中には名誉住職となり 隠居する方もいるけれど これができる寺は 少ない。大寺であれば 何人も僧侶を抱えているから 可能でしょうが 地方寺院は そうではない。
 生涯 寺の改修に身を粉にして勤めた住職を知っている。 500~600年という間には 浮き沈みがあって 往時の隆盛を書き物によってしか伺えない寺もある。宗教を取り巻く環境は 大きく変わりました。これは日本人の信心が変わったということだけではない、地球規模で起こっている事象だとみるべきでしょう。仮足運動というのでしょうか アメーバの動きのように 枝分かれしながらドンドン 増え続ける。信仰の自由という 法解釈は 一種の規制緩和、離合集散を繰り返し 何によって繋がっているかの確信が薄れる。明治時代にあった 廃仏毀釈 その遺構は 今も境内に置かれた石仏から読み取れる。今後 また同様の寺への排撃や僧侶への還俗強制が起こるのであろうか?これも 神仏分離令(1868年)の発令に起因した史実である。
 今は仮想通貨やSNSなど、実態の判らないものに 価値を見出す。これは 今有るツールを使い 誰でもどこからでも入ることができる。性別や年齢に関係なく そこに潜む罠に苦しむものは今後益々増えるだろう。これを自己責任というのでは あまりにも無責任ではないだろうか!
 斯様に世を憂うことは 時代に取り残されし敗者なのか? その確証も無く イケイケドンドン。これを 現実と受け入れるには 無策で国家としてのテイをなさない。モノの過剰を認めず、加速するアメーバ運動を止める手立て無く 成すがままに立ち尽くす身になって気がついても遅いだろう。百眼の寄席芸の如く どこにでも良い恰好をする国だとしたら そこに住む人達は息苦しさを感じてしまうのは 当たり前だと思います。
 国としての 垣根を 憲法と捉えることはできないのでしょうか? もっと堅固な環境変化に即応できる憲法を作るのか否か、果たして それが 表裏からみて どうなのか 自ら描いたバーチャルリアリテイを垣根越しに見て 自己満足する そんな気がしてなりません。
 
 第一線からの引き際には 様々な思いが交錯する。もっと出来るはず、出来たはずは自分への過信か?  多くの先徳でさえ自問自答し いつか この日が来ると覚悟したはずである。  無常観は 自然界の事象が一定でなく常に変化することを説いた。だから 人工・人為なものは 尚更 一定ではない事になりましょう。そして 引き際は 自らの意志で決めたいものである。それを  言い訳がましく さまざまな様態を曝け出す。 周りの至らなさを嘆き、自らを悲劇のヒローインに仕立て、周囲の同情を集めたいのか。 こうはなりたくないと己に言い聞かせ 汗した人生はどうしたか?
 これは 偽らざる私の今の心境である。自嘲しほんの少し何かやったと思ったとしても 己の力で無く それは 環境要因の肩入れが有ればこそ。人は老境に達した時に 何故か 幼き頃に思いを馳せる。これは 自らの原点だから、何一つできず生れ出た赤子が、その後何年生きたかではなく この先を思い悩むのでもなく どれだけ思い出帳に記すことが出来たかかも知れません。 垣根越しに 見つめる 光明は 自分が奏でる詩が 爽やかか そうでないか ぐらいの違いで、大層に 誇ったりしないほうが 無難でしょう。
 ”かまえなし”は 師 飛田保一先生が自らの墓に書いた5文字である。
 

3141:老いる

 別れの様変わり。 僧侶になって  今も変わらないのは 葬儀に立ち会う時の緊張です。 全て整った斎場に着いて 遺影と対面 その写真と名前と一致する人とそうでない人がいます。新しい檀家さんは 正直一度ぐらいしかお会いしていない方もいます。 法事がほとんど寺で行うようになり、ご自宅に伺う機会も減りました。住職に成りたての頃は 自宅で葬儀や法事を行う事が多かった。土葬も半分位あったと思います。半世紀が経過し その別れの事情が変わった。
  日本は急激に平均寿命上位を占めるまでになりました。そして 介護の問題が起こりました。様々な制度や職業が起こり その一つが葬儀代行業の数、象徴的です。 新聞でお悔み欄にのせると業者からの電話攻勢が凄いと聞きます。
 十人講などの地域の組織はドンドン減っています。お手伝いする必要がないからです。今 介護費用を心配しない人はいないでしょうね。サービス内容によって値段も幾つにも別れています。何もかもが 金次第の世の中になってしまいました。  家族葬が増えた理由は 経費の問題とお付き合いの負担で簡略化したと言えます。
 そして 健康寿命ということが謂われ始めた。 健康サプリや器具がやたら多くなった。マンツウマンでの減量請負業も同じ。痩せる為に高額なお金をかけるというのは如何なものでしょうか? TVでユニセフへの支援協力募集が流れる。飢えに苦しんでいる世界の子供達、その画面を好物を食べながら観ている子供達。彼らの心中はどうでしょう。学校が終えれば塾通い 外で暗くなるまで遊ぶ姿は消えた。それは 大人になって 良い給料がもらえる所に就職するために有利になると教えられる。
 そこには 日本人が大切にしてきた 大切な事が抜け落ちている。
 家の電化が進み スイッチ一つで洗濯 料理ができる。旦那は外で仕事 おかみさんは横になって四六時中テイタイム。これで脂肪がつかない筈はない。そんな暇人(?)を相手にしてくれるのは 我が家のワンちゃん、綺麗なべべ着て お散歩・・・・ 共働きの夫婦が増えていることは ありますよ。
  ちょっと雲行きが怪しくなりました。これ位にします。
 要は 健康を望みながら やっていることは不健康なことではないかと一度立ち止まって考えませんかということ。無駄金とは言いませんけど どれだけ その類の支出があるか。 それを可能にする為に 経済最優先との旗頭へ靡く・・・・・ 本当にそうですか 偽証罪になぜ問われないのか?似非専門家 ?
 恐らく このままいけば この国は沈没すると・・・・・・。それを根拠が無いと一笑にふす輩 上手い汁を影で吸っている人達かもしれない。 船が沈没する原因は 悪天候もありますが それは少ない。 船自体の老朽・損傷か過積載によると謂われる。天災でなく人災ということです。
 国=船と置き換えて見ればいかがなものか?人災の割合が断然多い。
 見栄をはり 良い恰好しなさんな!という天の怒りが聞こえませんか。見なさい 言い訳ばかり、結局 何のため 誰の為か判らずに堂々巡り、それで時間を無駄にする。自分が老いるのは仕方がない せめて健康にあらねば 知らず知らずに周りに多大な迷惑をかけてしまいます。 
 ex) 質素・清貧  を旨として 心は豊に ・・・・・・。真逆) 豊かさを相手から奪い 己を利する 略奪という。 それで この国は安心で平和という。
 昨日は横浜の知人から声をかけられ ある集まりに参加させて頂きました。横浜駅から相模鉄道で15分 周りに今も沢山畑が残っている高台にその施設はあった。3つのブロック・法人全体で職員数1800人という大規模法人。態々駅まで迎えにきてくれた理事長と車中で話す。自分が就職した時 法人の預金残額は60万円しかなかった。それが今 年間の収入総額が100億円となっていると教えてくれた。なぜ ここまでになったか 横浜市という地盤があればこそとも語る、当時 社会党のA市長だった。本人が5歳の時に小児麻痺に罹り足が不自由だった。高度経済成長の時代 福祉をやりたい人には金を出さず 福祉をやらせたい人に金を出すという首長の号令の下、横浜市は全国でもトップクラスの福祉の街を築いた。人を見る眼の確かさは 自らが苦労したからできたのだろうか。
 人に恵まれるとは この事だ。政管財学 4者がタッグを組めば 今すぐにでも花ひらく。何をどうすれば実現できるか これは秘策 ???? 肝心なことは人任せ 意図的にそのようにしているのか否か 公共の福祉さえも 競争原理で質の向上をはかる。一面では頷けることもあるが参入者を増やし 選ばれる事業者 ルール無き戦いを見て見ぬ振り 調子にのり ミスを犯した時に 天下の宝刀を使って 免許はく奪の行政処分。
 その手法に限界が来ていませんか? 一向に事件や不祥事が無くならず 誰しもが 明日は我が身だと警戒する。
 組織の弱体化は 何をやるべきかが曖昧になった時に始まる。それへの対策は 自らが率先して 範をしめす人間の存在、仲睦まじい関係を優先すれば 苦言を呈する者は弾かれ 居づらくなる。そこは 上に立つものが その役を請け負うことが本義 自ら動かずして 部下を動かす これは やってはならぬこと。それが出来ないと判断した時は 潔く・・・・・。
  老いを感じ 老いを生きる。 喰えないのは 老いを感じず 生きる意志が萎えること。
 人は自らを自らで評価することは難しい。お疲れ様ですと自分で自分を慰めるが精々。 一説には これを依怙贔屓(エコヒイキ)と謂うとか!ホント?懺悔懺悔。
 
 98才で先日亡くなった金子兜太さん、俳人、が自らを語る。亡くなる2年前NHKラジオでのインタビュー、第一声が≪最近 大変 気が短くなり、直ぐに”面倒くさい”が口から出てしまう。歳のせいかな~‘≫と語る。 子供時代過ごした秩父の村を懐かしむ 声はハッキリとしていて その内容からも氏の聡明さが判った。氏は旧制水戸高等学校出身という。そこで出逢った一級先輩の方に俳句を奨められたのが切っ掛けだと知った。
 自らを自然児と語る俳風は 五七五調さえ 大体守っていれば あとは良いんだよと説く。自らが壮絶な戦争体験を経て奇跡的に復員し 以後 平和を願う反戦活動をライフワークとしてきた。また一人 戦争を語れる人が減った。
 去年明治維新から150年が経ち とうとう日本が米国の植民地になったと語る人もいる中で隣国のことを ああだこうだ言っている場合じゃ~ねエだろうにと。憲法改正への議論は 本来ならば 一億総活躍なんて経済政策と絡めるもんじゃなく 赤子から年寄までが議論に加わり行って然るべき一大事、それを 国会の○○委員会などの密室で決められては堪らない。真実を知らされず 都合良い意見だけを集め だからこうだと言われれば それに反対する者は少ない。戦争の語りべが減れば SNSやAIに夢中な者たちは ヒョットしたら 他人事に思うかもしれない。
 私達団塊世代の負うべき責任も大きい。それが 何か。2025年は昭和25年生まれの我々が75歳後期高齢者になる。そして 現役で働く人は殆どいなくなる。 大半が先細り年金や子の世話になるわけだ。そのまた孫たちは 我々の時代の半分に満たない数しかいない 逆ピラミッド 支える世代が先細り、その人達にこの国は 戦争にまで行かせる気か。平和と豊かさを謳歌し その後の事は知らないよでは ・・・・・。
 実態は 働き方の改革議論で国会が紛争中のようだが 実際は憲法改正へ向け 外堀を埋め 既成事実作りに躍起になっているとしか私には思えない。そうでないと言える先生がどこにいる?国民一人ひとりと向き合い 御身の保身優先でなく 大義親を滅する覚悟が今の政治家にあるか? 
 ☆ ・・・・曼珠沙華 どれも腹出し 秩父の子・・・・・・若き時代の金子兜太氏の句。
 ★・・・・・・彼岸花 ゴミ収集車の 数珠つなぎ・・・・・・ナマグサ。67才6か月。

3142:若い力

 もう20年以上経っただろうか?四国の札所を歩いていた時に 『コンニチワ』と挨拶して私を追い抜いていった男の子、運動靴に白ズボン、リュックを背負い 錫杖をついて 編み笠をかぶっていたと記憶する。彼は中学3年生で 進路を迷っていた時に 夏休みを利用して遍路をしようと思いついたと話していた。15歳の若者である、彼は今どうしているだろう? あの時の思いは今はどのようになっただろうね。 立派な大人となって 暖かな家庭を築いていて欲しい。
 
 昨日は午後から水戸に出た。最近は水戸での用事が続いている。私が関わる県の団体で 研修事業の指定を受け1年間 無我夢中でした。それに協力してくれた指導者の反省会を行った。会議には50名近い方が集まり 熱心に討議、その後の交流会には30名程が参加してくれた。私は 近くのホテルに泊まった。 皆さんがそれぞれの事業所において中核となる連中だと確信した。ここで知り合った者たちが 茨城の福祉の牽引者になって欲しい!私がこの仕事についた1970年代前半とは明らかに状況が違う。種別ごとに細かに枝分かれせず 児童養護と知的障害の会議は一緒に行っていた。その集まりは 私にとっては実に緊張感あふれる場であった。いつだってケンカ腰に議論し 最後には笑って別れた。当時の施設長は 実に個性的でハッキリとしたモノの考えをする人たちだったと記憶する。もう半世紀がたった。 制度や事業所の数は格段の差がある。良く謂えば 障害全般にわたる仕組みが今はある。悪く言えば???。 ただ、昔と共通しているのは そこに関わる人の大切さ それは昔以上に増している。理由は 競争の激化?
 若い人は可能性を秘めている。経験が少ないのは仕方が無い。 徐々に様々な体験をし この仕事に遣り甲斐を感じて欲しい。
  福祉という名の下に 普遍化し量的には急増したサービス そこで やっている事がどうなのかの検証は充分で無く 問題がおこれば マスコミは取り上げる。 この繰り返しだから 一般の人達の見方が偏向する。  何が大切かという要のことを見失ってしまう危うさはある。そんな時 話し相手がいて 思いを確かめ合えれば それが救いになる。
 熱心に語り合う若者たちの中にいると 少々気力が萎えたと自認する身には とっても良い 刺激剤。
朝方  Tさんが 認知症が進んだのではないかと相談を受けた。昼間 外出から戻り 自分の寮に入るのを抵抗しているTさんを 草取りをしながら 見ていた。 今までに そんな動きはなかった。明らかに男子寮ではなくて女子寮に 行こうとしている。
   私が 草取りしている脇に来てベンチに座った。 ≪Tさん 今日は暖かくなって 気持ちいいよね≫と声をかけてみた。すると 怪訝な顔をして私を見つめ返す。多分 変なオジさんが 何を言っているんだ~と思ったようだ。暫くすると Tさんが話しかけてくれた。小さな声なので何を言っているいるのか 少々難聴気味の私には 判らない。失礼とは思ったが≪そうか そうだよね それで?≫と 相づち 。すると、笑いながら≪あっ そうか そうだよ・・・・≫とTさんからハッキリした返事が返って来た。一瞬 あれっと思ったが。≪そうか そうなのか~ それで?≫とまた答えてしまった。 お互い何を言っているのか判らない会話が生れたが それで気分を害した訳ではなく  春の陽気を感じながら 実に気持ちの良い芝上での語らいでありました。
 その後 Tさんがとった行動は・・・・・・ ズボンのポケットからサングラスを取り出し かけたのです。 私のオボロゲな記憶だが Tさんのサングラスは 昔 TVドラマで人気のあった『○○警察』の主人公の憧れのポーズだったと思う。
 視力 聴力 記憶力 力力力・・・の衰えは 病ではない。歳を重ねてきた”証”である。≪ そうだよね Tさん ≫

 時には 老人同士 時には 若者と そして 時には子供たちと これが 国が掲げる『共生型サービス社会』 当たり前でしょうよ~ねえ なんで 今更 そうな旗をあげるのよ! 不味い!また悪い癖が出てきた・・・・ 私の老化予防は 反骨精神? それとも天邪鬼  どっちでも構わねえ~。
 波は休み無く押し寄せる。大波小波 地球が活動している証拠。なんとチッポケな存在か 自然の営みに比べ ああだこうだと悩む人間どもよ。 その人間が またしても妙なことを言い始めている。大国は一方で核廃絶を唱え 一方では 新たな核兵器の開発に着手する、それを公共の電波を通じ堂々と発表する。穏やかではない。 縮小どころか 真逆の事態が進んでいる。これを 抑える力がどうなのか? 同盟国とは言ったものの その実態は知らされず謂うがまま。そして 必ず GDPが?%目標とかいうニュースが配信される。希望と憂慮が絡み合い 是非の判断力がおかしなものになっている。報道の自由には 本来は節義と分限があるはず それを大義名分といった。 今は 大義が多様化し 正直なんでもありになってきた。最早 後戻りはできないのか?
 リスクの分散とは 良くいったもの、これだって 確信はなく 最悪の事態になるのを少し遅らせる位のものでしょう。核戦争が起これば 1時間以内に 第二次世界大戦で起こった総被害を簡単に超えるという。なんと愚かなことか! 見て見なさい!大義名分の中に私利私欲 企業の儲けまで絡めてしまうからで 世界を跨ぐ武器産業は 常に目を光らせチャンス到来を狙っている。
 大気圧の変化さながらに 渦巻きが一度起こってしまえば 左右回り 上昇 下降気流に関係なく 人力では もはや防ぎようがない。
 
 6時過ぎに帰宅、寺の通用道の入口の所に車を4台とめ 数人が話をしていた。『道が通れないので あっちに駐車場があるから 向こうに停めてくれないかな~』 と 優しく(?)頼んだ。多分20代だろう若者達は 素直に私の話を聞いてくれ 車を移動し また話を始めたが 数分後には いなくなった。
 公道は 誰のモノでもない。自由に往来できるはず、・・・・・・。しかし、時と場合によって 争いに発展することも。。。。。 『なんで 道路の真ん中に車を停めているんだ!迷惑千万 直ぐに どかしな 』と あの場で声を荒げたら そうな~ 判らないよな~。権利と節義。
 尻に火がついて慌てるよりも 他に方法はあるかと 前もって考える  これが 恐らく 処世術で これとて 万能では有りえない。 ★ 万能足りて 一心足らず★
  ついでに 相手に多くを望み過ぎて 裏切られたと感じるより 望まずに それで済むなら苦労はないか・・・・・これも社会の本質で 苦労は無いとは言えません・・・・・。色即是空 空即是色
 

3143:男気

 任侠映画が姿を消した。弱きを助け強きをくじく・・・・この類の人間が表舞台から去って 颯爽と登場したのは 時代の”寵児” 何かを好機に三段跳びの如く世に頭角を表わした。現代は全ての変化サイクルが早すぎて 何がどうなっているかは判らない。
 一世を風靡するものも どうでしょう いつの間に 忘れられる二の舞に こんな筈はないと 喚いても後の祭り。それと悪が未来永劫に栄えた試なし。
 ・・・これがまあ 終の住処か雪五尺 ・・・・・ 一茶の呟きの本意はどこに? いよいよ経済最優先の考えにイエローカード、 数字を証にする危うさ、データーの改ざんや談合が無くなった試なし。偽りの砂上の楼閣で、その繁栄に疑義有りとなれば 協力・支援してくれた者たちは一斉に離散する。真偽はいずれハッキリされると信じたとして 世界に誇った日本のトップ企業の不祥事が白日の下に晒された。病んだ部分を切り捨てる外科的施術で 急場をしのぐ。それが私企業のみならず 頭脳集団たる国の官僚組織も雲行きは怪しい。 その間を暗躍する 者達よ。  保険用語であるモラルハザード(倫理の欠如)が あらゆる処で起こっている。  若しや 日本が凋落に向かう前兆か この状況を黙って見過ごすつもりですか? マスコミの思い込みも有るかも知れぬ。はたまた作為性もあるかも知れぬ。 貧富の格差のみでなく 人の心にも大きな格差が生れている。それは倫理の欠落かもしれぬ。そして、我々は 何を信じて良いのか判らない。
 法の番人たるものが どちらに付くかで 法解釈も全く違う事に成る? 殊更に世相の不確実性や不透明性を強調することではあるまい。 昔からそれは 当たり前の事で言われ続けてきたことです。 問題は その事すら 己の利になることに使おうとしていないだろうか?(〓:道徳経済合一説・渋沢栄一) 。昔の人が男気という言葉で言い当てた賢さは 残念ながら 暖衣飽食に慣れてしまう間に風前の灯火と化している。
 弱気を挫き 強きに阿(おもね)る・・・・・・・ そうだとしたら これは 異常な事態です。嘗ては考える必要性がなかった?必ずや要になる人物がいて それに警鐘を鳴らし戒めた。 今日の最大の危機は”追従人(ついしょうびと)” が得をする世の中を見て見ぬ顔をする。これでは 大いなるものからの懲罰が下るかも。
 
 ☆ 昨日 芝張りをした。桜の木の寄贈があり園庭に植えてもらった。その周りに芝をはる。私にはうまく出来る自信はなく でも 今日やりたかった。 陽気が春めいて 汗をかく。携帯電話を軽トラの屋根に置き。それを忘れて運転、どこかに落としてしまい 慌てても後の祭。車で通た道を探し始める。その途中 近所の方に出逢った。「なにを捜しているんですか?」「消えた 携帯」「???」 結局 その方が見つけて届けてくれた。 最近 同様のミスをおかす。全て 自分の所為 携帯の所為にはできなかろう。電話帳は優に1000件を超す。
 念のため バックアップしてあるが そのデーターをどこにおいたか忘れてしまう。  これもモラルハザード? 違うよ。 メモリー ハザードだわな。 
 明治の元勲として 西郷・大久保・伊藤・山県などの名が浮かぶ。国家に尽くした大きな勲功は150年の歳月を経て 今日ほどその方々の再来を望まれている時は無いかもしれません。あの元勲達が活躍した時代と真逆の状況下にあって 国家に尽くすという行跡が 後の世に 再登場を望まれる人物が今いるでしょうか? 私人でなく公人としての規範が揺らいだと感じたならば その地位にある者は潔く自分から身を引くべきと私は思う。
 渋沢栄一は埼玉県深谷市の農家に生まれ、数々の業績を残した最強の実業家で日本資本主義の父と謂われる。語弊があるかも知れぬが 子子孫孫エリートの家柄の出ではない。氏のいう 道徳は論語、つまり仁の教え(礼にもとづく自己抑制と他者への思いやり)である。論語を教える師に恵まれたことと父親の存在が大きいと語る。
 国のリーダーとして本来の為すべき事を国民に判り易く説明できるかどうか。それが できない モドカシサを今の人達は どう思っているのでしょう。否 そうは感じていないのかも知れない・・・・・
  相応しい 人の道を問われた時に貴方達は天に誓って どのように語るのか? ヒョットして その辺の判断を誤解していませんか 。この不信感が何故か払拭されない。  これぞ投票率を低迷させている最大の要因であると思いますね。
 人は 逆境に身を置いた時 どのように振る舞うかがその人となりを観る絶好の機会と謂われてきた。 
 その視座から察するに ”然もありなん”と妙に納得してしまう自分をみる。『論語と算盤』渋沢栄一著。
 
 思考を中断させる最も効果的な方法は 今 議論していること以上の喫緊の問題を用意することです。 多様なツールを持ち 重要度・緊急度毎に分類した案件を予め揃えて、必要性に応じ出していく。その最たるものは 戦争・テロ・災害であり、次に財政危機があると思う。黄門様の印籠では無いけれど 平伏して 議論半ばで中断 先送りされることに成り易い。
 個人の問題で 最たるものは健康で 体調悪くなれば 思い描いた計画の修正は起こり得る。 これが現実です。自業自得は 悪い報いを受けることに解されることが多いが 仏教では 自ら作った善悪の業で 良い報いもあるということを知って欲しい。
 善因善果である。
 俺は これだけやってあげたのに なんだ この報酬は・・・・と見返りへの不満は往々にして起こること。 そこで 仏教は良き人間形成の道として 六波羅密を説く。布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六つ。布施に関して 人間の愚かさを鑑み、無財の七施の具体的実践を示している。
 更に無功徳・・・・ 万が一 その報いが得られずとも 良しとせよと念を押す。
 今の状況は 其れとは全く 逆の状況にあると言えませんか 例えば論功行賞人事 果たして 本当に範となる功績があってのことか?公人なれば 国民にとって 範となる功績だったのか? 問う方も 答える方も 空しいね。これぞ 負の渦巻き(スパイラル)現象で いずれ自分に返ってくるから 知らぬ顔と決め込んだ。予算審議中継に映る方々のお顔は何故か皆 同じ。またしても公共の電波を通して 泥仕合の実況中継。男気があるなら いまだよな~ 千載一遇のチャンス。懐から書状を徐に出して ・・・大岡越前 ここにあり。ひとつ・・・・・・ふたつ・・・・・ よって ・・・・・。 本日限り この職を辞す。
さすれば 後世に”日本民主主義の母”なる称号がつくかも知れません。

3144:1ページ

 1582年 羽柴軍と明智軍が戦った山崎の戦いで  筒井順慶の取った行動が 戦況で有利な方に味方するという誤伝(?)から、その場所の洞ヶ峠が日和見の代名詞となった。歴史は何を語るか? ご存知のように 徳川家の安定時代に至るまでの日本国内は群雄割拠の対立が続いた。それは今では想像もできない同じ民族同士での戦いであった。400年以上のタイムスリップである。地方を旅すれば 当時 その地域を治めていた武将の根城が残っている。
 さてと 我々はその歴史から何を学んだか? 正直 私には 前のめりで 何かにとり付かれモガイテいるように思えてなりません。座して じっくり 本質を見極めるなど 到底できない状況ではないでしょうか。あえて 脱俗に振る舞えば”世捨て人”と謂われかねない。  情報化社会の目まぐるしい伸展についていけない者が急増 私も その一人である。言った謂わない、言い訳や責任の擦り合いが巷に蔓延してしまった。当然 そこにミスリードが起こり、虚しい議論を繰り返す。
 昨夜は 以前から約束していた3人での飲み会があった。 年齢は 平均すれば丁度後期高齢者、暇人と言ったら叱られるかも知れぬが 私以外のお二人の現役時代の活躍は現代版 山崎の戦い宛らで、信念を貫き 生業に励んだ方で 案の定 宴席は予定を2時間もオーバーしたのを気づかなかったほど盛り上がり 久しぶりに武勇伝が聞け充実した時間だった。
  最近の状況を憂いているのは3人に共通していた。途中 私は電話が入り 酔いが冷めてしまったが ” 人生はいろいろ 波乱万丈 戦いの連続だった”という 年嵩の方の 言葉で 我にかえった。  
障害福祉で地域生活移行が謂われ始めてから 私共の実践は遅々とした歩みでしたが代え難い貴重な体験があります。  想定外の事が起こって ゼロから再スタートなど 何度経験したか判りません。 去る者 来る者 限りなく その中で培った思い出は 簡単に消し去ることはできません。
 平成30年度は いろんな意味で分岐点と謂われます。どのように変わろうが 核心は押さえておかないと 道を誤る。渋沢栄一の講演を纏めた『論語と算盤』が届いた。現代語訳で読みやすい。 今のこの国に無いものは 論語にあたる、節義or正道の教え。
 ”自由”とか”権利”という言葉に押されてしまった。
 これは 家族~国に至る共通の要であったはず。それが 邪知に長けるというのか 自らの非を認めず 部下の所為にする。どんなに国の経済が豊かになろうが 長い眼で観れば一時的なもの、信頼を失えば 一瞬にして 凋落する。
 今日 国会で財務省が騒がれているデーター改ざんの疑義を晴らすとか これはどうなんでしょう? どっちにしたって いち担当者が自分の意志でそんな危ない橋を渡るはずがない。これが 従来の常識だった。民間企業は 部下の責任をトップがとる。会社に損害を与えたという組織トップの宿命。ならば 国はどうなりますかネエ~。 経済を好転させたのは 私の力だと言わんばかり、外交もしかり。現実には財務省の部下の担当者に責任を負わせ その上司はご栄転では 庶民感情は収まらない。この際 全ての膿を出すべきだわな。そうでなければ 真面目に業務を行っている皆さんは堪らんでしょう。 上のものがどう 自らの責任をとるか? 南翁とて渋沢とて この国の礎を築いた先人達は天から見ていますよ。しっかりせい・・・・と。貴方が有名な企業やエリート政治家の御曹司であろうがなかろうが 関係ないでしょう。 最初は 皆 同じなんだから。
 昨日 確定申告をやってきました。気のせいか 所員の方が低姿勢、皆さん 走り回っていました。
 新たなページを作成することが 今年ほど 難しいと思った事はない。変化の速さと先行きが読めない中で いずれの事業所も悩み苦しんでいる。従来と同じでは 乗り切れないという不安 。先を見通す力は 簡単に身に付かない。機械を動かすのであれば 操作マニュアル通りにすれば 動かせるだろういが。人を動かすにはマニュアルがないということです。
 やはり そうだったか!午前中のTVの国会中継を観ることができなかったので夜ニュースでみた。 昨日はたまたま 午前と夜の会議が同じ県庁11Fであった。 間が空き過ぎて どう時間を潰すか 生憎 冷たい雨が降っていた ・・・・・・・。この時期 何処もかしこも次年度の事業計画や予算審議  4~5月は決算と事業報告 セットの会議が入る。
 その資料たるや膨大な量、 それを処分したから判らないという言い訳。事の発端は そこだった。それが 今 問題になっているのは 資料はあったが 中途で書き換えたのではないかとの疑義、いずれも丁寧に判り易く説明すると仰ったけれど その公言通りに納得できるものになったかいなか?
 真相が明らかにされない儘に お決まりの強行審議を行ってしまえという勢力とそうはさせじと審議拒否する勢力、あああああ・・・ なんど同じことを繰り返すのか!
 国民不在と謂われるが だれがそうさせているのか 都合が悪いことには口を噤む。そのうち 収まるだろう式の 持久戦。
 平和な国である。 それぞれの思惑での綱引きは やればやるほど本筋から離れ 勝敗さえ判らなくなる。結局は お国の為といっても 己の為、この結論は 限りなく透明かつ確実である。
 ナマグサから提案あり。
  衆参両会議場の議長席の真上に 電光掲示板を作ったらどうですか? どれだけの国会経費がかかっているか リアルタイムで時間ごとの経費額を表示する。議論はするが 一体 そのことに どれだけの税金がかかっているいるか これが判り易く丁寧な説明責任だろうと 私は思うのであります。
 
 

3145:嵐の前・・・

 片手をあげ颯爽と官邸に入る姿 順風を受け帆を一杯にあげ疾走する帆船のごとく。 ここにきて 風向きが変わった? 米国一辺倒を良しとした現政府 5月に米朝トップ会談が行なわれる動き 総理自ら 急遽 米国に飛ぶらしい。誰しも戦争はしたくない。この願いは 我々高齢者となった身ではなく これから生きる子供達に あの悲惨な過去の失敗を繰り返さない為のはず。
 外交は相手国があってのこと、極秘の会談も必要だ。方や 内政問題、これは国民の理解を最優先に考慮すべきこと。その努力を本当にしてきたか? 隠蔽や忖度が有ったとしたら それは後々 取り返しのつかない結果を生み易い。日本の人口は現在でも1億2千万人を超える。貴方達が天下の宝刀とする数の論理からすれば 現在の与党にどれだけの票が入ったか 考えてみて欲しい。  投票理由が 他に入れる処が無いということであったら 更に信任の票は減るはずだ。
 今回 大阪で起こった国有地を巡る疑惑は 長官の辞任という新たな展開となった。何故 ここまで先延ばしされたのだろうか。 もし 関係する所管庁の内部から これを機に様々な証言や証拠が出てきたら もう今まで抑えてきた箍ではすまない。嵐の前の一時の不気味な静穏か!
 この動向を多くの国民が見守っているのは間違いない。謝罪し それで済ますには あまりにも事の重大さが違う
 懲りもせずとやかく言って お前は何様だと思っている。 いつも 私を戒める背後霊、己 自身の足元に目を向けろ! 正直 現在の心境は 静穏に 無理せず すごしたい自分と それでは 気が納まらない自分が同居する。
。 また こんな事を書いて もう いい加減に止めたら!という制止があっても 心中の地殻変動の収まる兆しは未だない。
 ★ 1707年 富士山で起こった宝永大噴火は富士山の噴火の歴史で最新のものだった。その49日前にM9クラスの日本最大級の宝永地震が起こっている。この震源は定期的に起こるという南海トラフである。
 
 元文科省事務次官の告発から始まった 政と官の癒着と溝の実態解明、日本の民主主義は両者の力のバランスを上手くとる立役者が双方にいて どうにか成り立ってきた。それが 一強独裁になれば その力学は働かない。国と地方自治体の長の大きな違いは 直接我々が票を投じ選べるか否か、この是非は以前から議論され続けてきたが 肝心要の部分はいつも先送りされ 枝葉の改正だけで 済ませてきた。今回の問題でも 犯人探しをしても 巧妙な壁が幾重にも張巡らされ 簡単にはいかないかも知れぬ。 言える事は 当事者が勇気をもって 実態を明らかにできるか否かにかかっている。情報の信憑性は それがどこから出たものかによる。動かぬ証拠を その出所をハッキリさせ公表することができるか? 匿名条件という厄介さがあるのは充分考慮にいれてもである。 
 ★ 福祉の仕事は 人が相手。「支え手」「受け手」の関係を超えた処に感応・共感が生まれると思っている。ハッキリ言って 一般に言われる市場経済主義の考え方には 馴染まない。そこを 弁えないと 何のため 誰のため という視点が怪しくなる。
   言行の不一致や格差への不満が充満している社会にあって 理屈を捏ねることに引け目や罪悪感をもってしまうのは 当然かもしれぬ。 それは 様々な形で現われる。例えば 己惚れ・自慢 は 相手を不快にする。本人は そうではないと思っても 結果が証明する。  どうして 人は自慢話(己の徳を自ら讃んじる)をするのか 評価を気にするばかり 想定外の結果に 更に声を大きくするか 無い事も有るかの如き 作り話をしてしまう。
 私の前にいる 知的に障害を持つと言われる純真無垢な人たちは それらの欲得から 最も遠い存在にあると思っています。「支え手」「受け手」以前の人の感性を どう見極めるか これぞ福祉の原点であると思います。 
 11日午後2時46分18秒。。。。私は寺の鐘楼を7回撞いた。過去最大級のM9・最大震度7の東日本大地震が丁度7年前に起こった時間である。メデアは震災関連の特集番組をどこも流す。今もって 復旧の手が充分に届かず 荒廃した地域 避難生活を続けている多くの人達が映し出された。。
 昨夜 お通夜がありタクシーの運転手さんと話をしたら その方は宮城県出身だという。茨城に住み こちらでの生活のほうが長くなった。茨城と宮城で どちらが住み易いですか?と尋ねると 間を置き 茨城ですと言った 。それから≪宮城の年寄りは知っているはずだけど 忘れてしまったのかな~≫とつぶやいた。
 ★チリ地震・・・1960年(昭和35年)5月24日 世界最大規模M9・5のチリ沖を震源とした地震、発生後 約22時間後 三陸沿岸を6.1メートルという津波が襲った。129名の犠牲者が出た。
≪自分は その時のことを覚えている≫と話しを続けた。
 この国の危うさは 恵みと表と裏の関係にあるモノを見ようとしなくなっていることです。 日本人は それを体験を通じ学び生きる智慧として 代々言い伝えてきた。自由と個人主義と経済発展 これを否定するものではないが 偏り過ぎてしまうと その弊害が必ず生まれます。 それをコントロールする機能が智慧だった。でも 智慧を忘れて知識偏重の教育を反省もなく続けている。教育は 人が育つ為に無くてはならぬ条件、その役所のトップが文科省。 国体の要 昔は大蔵省、今は財務省。人間の幸福を司る厚生省、今は厚労省。組織再編は行われていますが 肝心要の 核心が覚束ない。その影響が次々に現われている。自分達が作った制度や法律を 己の利の為に悪用する輩 いつの世にもいただろう。ならば3権分立が果たして本来の働きをしているだろうか 独立しお互いが牽制しているでしょうか、
 実は その是非の判断を下すのは国民一人ひとりなのです。
 猫がネズミを捕ることが無くなり 犬は首輪をつけられ 朝夕 飼い主と散歩する。 そして 人間は・・・・・・・・。 『誠実&責任』・・・・この言葉が自棄に軽くなった・・・・・。
 

3146:白/紅/黒

 仏教は色に様々な意味を持たせています(★)。五色とは青・黄・赤・白・黒(紫)です。
 青は禅定、黄は金剛、赤は精進、白は清浄。そして黒は忍辱・智慧、仏旗に使用されている5色です。密教では五智・五仏で表わす。日本語では 白黒や紅白など違う色を対比させ よく使われます。
 お隣の韓国人と日本人との大きな違いは 韓国人は徹底して白黒をつけないと気が済まないという。大統領への弾劾裁判など その代表です。これは大陸と島国の違いでしょうか? 今回の一連の騒動を見ていて その差を感じてしまいます。忖度という言葉が今日ほど多く使われることは無かった。その言葉の本来の意味は『他人の心中をおしはかること』(広辞苑)決して悪い意味ではなく 日本人の遠慮深さや相手への思いやりといった意味であったはず、それが 陰湿で思慮・分別がない闇を思い描いてしまう。
 言葉の重さも同じ、軽いというのは その人の言葉が信用できないことを意味し 決して褒められたことではないのです。大言壮語という言葉が有りますが 自分の力以上の大きなことを言うことです。反面 控え目や誠実という言葉は自戒に通じ、過ちを繰り返さない為に言われてきた。元来 日本人は色鮮やかな油絵や議論よりもや俳句を好む民族だと思っていますが これとは別物です。
  国のトップが 態々 日本語じゃなく○○ミクスなる自らの名を捩った外国語を前面に出し語る姿に ずっと違和感を持っています。 多分 ご自身の発案ではないと思うが あの頃から周りの忖度が始ったと思うのです。国民に寄り添うということは 己を全面に出す事ではなく 同じ目線にどう立つかということではなかったでしょうか?一端風向きが変わると 意図しなかったことが次々に起こります。 ご自身の家族を巻き込んだ議論に応えなければならない先例は今までにあったのだろうか?
  難儀な世過ぎは公私のけじめ この議論から前向きな提案など出るはずがない。お互いに誹謗中傷を公の場で行っていることになり 聴く者に決して良い印象を与えない。地位や立場に関係なく 人との良好の関係は 忖度などでは 無くて 自分から身を低くし相手から学ぶという謙虚さからしか浮かばないと思う。自末得度先度他!頓首再拝!。
 
 尚恵学園全体で年度末には 定例の食事会(反省会)が行われます。グループに分かれ それぞれが毎年 店を変え 食事やカラオケを楽しんでいます。不思議と 自分が行けないと言って騒ぐ方はいない。恐らく 後で自分の番がくると思っているのか あるいは 既に食事会が終えたのか どちらかです。彼らの常識のほうが 遥かに優れていませんでしょうか? 神立は食べる店が多い所です。それと 現在駅の大規模改修中、駅前ロータリーも広くなり アクセス道路も作られています。今月の末には駅舎は使用開始になると伺いました。橋上駅となり 東西口に直接出られるようになります。エレベータも付けられ 利便性が格段に上がります。ある方が仰った神立は随分活気があると・・・・・ そんな風に感じたことはありません。ずっと神立に住んでいると 変化に疎くなるのかもしれない。住宅やアパートの建築は 確かに多いと思っています。あんなに建てて住む人がいるのだろうか?
 一方 空き家や空き室が目立つ、このアンバランスは 今の日本を象徴しているように思ってしまう。急激な変化に慣れてしまうと 人間は判断がおかしなことになります。 緑多き環境が変わりつつあります。梨の産地は 環境の変化についていけず 成木を切って 生産を止めてしまう農家が増えている。 丹精込め より美味しい梨をつくることを励みとしてきた人達が高齢になり 諦めてしまうのです。
 最近目につくのは スーパーや薬店の乱立 過当な競争をしています。あれで商売が成り立つのでしょうか?住んでいる人の数に対し モノの供給過剰が起こっている。この状況は福祉サービス事業も同じ おそらく 全国似た状況ではないでしょうか? 都市部ほど激しく共倒れが起こっている。 いま囁かれるオリンッピク後の不況と重なったら どうなるのでしょう。景気を示す数字の信憑性もどうかと疑わざるをえない。陰に陽に・・・・・
 誠に 困った事態になったものである。何を信じてよいのか サッパリだ!こんな時だからこそ時流に乗れとばかりに尻を叩かれ 焦って飛び付くのは要注意。違いますか?????
 
 自末得度先度他とは ”自分が渡る前に他の方を渡らせる” 。 判り易く謂えば謙譲の美徳である。我先にと美味いものを奪い合うことではなく 相手を先にという本来の意味が どうも 曲解されている。それは 目の前のリスクに対し 他の人に先に渡ってもらって安全を確認してから自分が渡ると勘違い これでは仏教で説いている考え方とは全く逆の解釈です。利益第1という考え方には その危うさが内包される。これを我々は選んだのだから 諦めて 自分もそうするか でないと自分ばかりが損をする。この葛藤が 今の日本には 蔓延っているのです。福祉のこころなんて言えば ”胡散臭い奴”と思われる。その逆 堂々と自分の利の為と公言し 対価をいただき 事業拡大 それで 本当に幸せですか。 良く考えると これは「支え手」側の発想、そうでなく福祉は「受け手」側の立場に重点がおかれる、これこそが元来の姿だった。『我が事』『丸ごと』とは、ややもすれば「自分の者は俺のもの。お前のものも俺のもの」と成りかねない。節操なき なんでも有りの状態に向かってしまうのです。
 誰かが”そうじゃない。間違っている”と声を張り上げたところで 元にもどれない。”流浪の民”化してしまった。此方の方が良いとなれば 皆が 一斉に参入 共食いが始まる。これは 当に六道世界、地獄・餓鬼・畜生世界そのもの。
 それが判ってから修正しようとした処で ”実態との齟齬”は無くならず、解明どころか より上塗りされ どうなっているのかさえわからない。
 それも これも ”金”に盲目になりすぎた結果だと思うな! その反省もそっちのけで 更に数字を上げようとしている。思ったように上がらなければ ルール無視で改ざんまでして。当の本人は知らぬ存ぜぬ・・・・さ~て 押し通せますかねエ~。
 混乱を起こしたことで 民間企業であれば社長は更迭されます。それがルール 、昨日 昼間に国会で何かあったようで TVの中継が無かったから わからない。その代りにユーチューブで録画を流していた。それを見て感じた。質問する側 答える側 どっちがどっち。ひょっとしたら 内輪もめ?
 じゃ~ どこの責任?かは 不透明  これが 率直な私の感想でした。白あげて 紅あげて 黒あげないで 黒あげない。白挙げず 紅挙げず 黒挙げて 黒あげない。

3147:攻防or興亡?

 攻防 いよいよ政治と官僚とメデアの三つ巴の”攻防”が始まる? これは 今までが異常で 少し正常になりつつあると見るべきかもしれません。火の気の無い処に煙は立たず。既得権を死守しようと様々な力が働く。 世を達観し ”こんなもんだ 仕方がない” と謂うのは易しい。 しかし これも限度がある。いま我々国民の姿勢が問われている。
 国家の興亡は どんな原因で起こるのでしょうか? 大義にもとる行為が止めどもなく起これば 国は亡びると史実が教えてくれる。明治~大正~昭和~平成で約150年、この間に 2回の世界大戦があったのも事実。宗教や民族・ 国家間の争いは 今でもどこかで起こっています。そして 来年は年号が変わる。645年に『大化』と号したのが日本では最初でした。その間 様々な理由で改号されたが 明治以後は1世1元となった。
 戦争により 多くの文化遺産や尊い人命が失われる人間の愚行は どうして 繰り返されるのでしょう。 昨夜 NHK特番で福島原発の報告がありました 。事実に基づくドラマ、福島原発の吉田所長を演じたのが 先月急死された 大杉 漣だった!
 7年前に起こった大事故が 日本人の記憶から薄れている。
 国政選挙≪他に良い人(党)がみつからないから≫という理由を簡単に使い過ぎてはいませんか? これは 最も恥ずべき権利行使(放棄)ではないでしょうか?  政治への関心の薄さと諦め感は 最早どうする事もでき無い状況だと思います。国家の存亡が危ぶまれ その時になって慌てても遅い。 この判断の見極めをどこにおくか。此れこそが 有権者としての本来の義務と責任というものでしょう。
 尚恵学園では 今までの全ての選挙で利用されている方達が 選挙に行かなかったことはない。おそらく 無効票が大半だと私は思っています。選挙会場までいって 何もせず帰って来る方も沢山います。それでも 選挙権を放棄しない。
 周囲の人達が それをみてどう感じるか? 個の尊厳や共生を言うのであれば 判ってもらえるのではないだろうかとの願いです。平昌パラリンピックでの選手達の活躍を見ていると ハンデイを生きる力にしている。私は自分の至らなさを 痛感します。 
 この年齢になると 思うようにならない事が多くなった気がします。気のせいでしょうか?だからといって それをできない理由にしたくない。 そうじゃないかな~。 日本人が目指してきたことは 豊さ、それが安心や平和に直結しないことを 皆さん知っているのに言葉に出さない。それに権利と義務、そのなかに何故か”相手を思いやること”が欠落していませんか! 実は 意識せず相手を傷つけている場合があります。ああそんな事があったのか・・・・・と後悔する。
 子の親として 子の幸せを望まぬ親はいない。仏の教えに無功徳という言葉があります。最初から果報を当てにした行為はどうも 不味いらしい。
 ご利益は それが 敵わぬ時 恨みに転じやすい。そうじゃない。ご利益は 思いもよらず得て 後で気付くもの。そこを勘違いしてしまうのです。
 論功行賞は 選ばれた者は良いかもしれない でも 外れた者には不満(遺恨や妬み)になる。
 ”節義と分限”、それを軽んじたツケが世の中を覆っているように思う。
 こんな割の合わないこと サッサと止めてしまえと。自分の”引き際”を ソロソロ 頭に霞めている人もいるかもしれない。ま~ それも 筋書き通りにすすむことは無いのでしょうが。
 こうやって 感情の趣くまま 年齢を重ねてしまうのは どうなんでしょうね。何せ 一瞬たりとも 同じでないし 幸せの絶頂は 長くは続かない。判っているんだよ。逆もまた然り。 辛いな~。悲しいな~。空しいよ。・・・・・・。これもまた 長続きはしないはず。
 そうでなければ オカシイ~ヨ。
  実は 自分では気が付かないことがあって 辛い悲しい空しいと感じている人の気持ちが判るという副産物がつく。だから 人生捨てたもんじゃ~ねエ~よ。
 
 どうも 気分が落ち込んでしまったようである。思い当たる事は無いではないが、言うならば自業自縛である。誰の責任でもない 自らつくった業の報いだと思う。こんな時 周りに妙な心配をかけては不味いだろうと 雲隠れでもしたい処だが 丁度 お彼岸の最中で 朝から 衣を着て 坊さん業に精を出す。その間も携帯は鳴るし いい加減に放り投げたい気分だが 自重自重。
 2足の草鞋は 時と場合では 身動きができなくなる。 こんな時は荷が重いというのが本音 だが 逃げることはできない、それに 何も変わらない。
 春先の天気と良く似て いつになれば安定するか判らない。 ここは 座禅草 ジッとして動かないのが一番。寡黙になれれば 良いかもしれない。此れは インフルエンザ罹患を押して 連続の悔みを続けた。その疲れが今になって出たと思う。
  それしか 考えがつかない。年度末 施設の仕事が多くなる。私にとっては3月は鬼門、寺と施設の仕事量が急に増える。自業自得=自業自縛 どっちでも構わない。
 働き方改革 ???? 素直に受け取れぬ。坊さんに時間外無し。こんな独言をはくとは 空しさをingで痛感しています。 復活は有るか? 今日は九星で八白 六曜は仏滅である。
  ★ 座禅草の花ことば・・・・・・沈黙の愛。ひっそりと待つ。

3148:それが どうした!

 昨夜からの雨は 朝になっても止む気配なし。一雨ごとに春を感じると言われるが? 昨年から 私は 庭の芝と奮闘、どうにかして 青々とした芝庭にしたいとの一念からでした。芝は年間を通じ 管理の手を緩めることはできないことが判りました。除草・肥料・エアレーション・・・・と適時に行わないと生育に支障をきたす。最も大変な雑草対策は草の出る前から始まる。そして 耳慣れないエアレーション、これは土壌に穴をあけ根詰まりを避けること。行なう時期は 春と秋 真夏は避けよという。
 何故 それが必要かというと 根を強くすることだと教わる。
 見栄えは 誰も気になることである。しかし 肝心の根が弱った時に 盛んに追肥をすれば 根腐れし それが病気や雑草に負けてしまう原因となる。 私達の行っている施設も同じ 見た目を気にし過ぎると思わぬ処から綻びが生じる。施設のエアレーションって何だろう? マンネリ対策かも、言行一致ができなくなれば これは 潔く 進退を自ら決めねばならぬ。 ここで草は草でも 座禅草が浮かんだ。 少々異臭を放つことを大目にみて 花の姿が達磨が座禅をしている姿に見えることから別名 ダルマソウ。そして 花言葉が ”沈黙の愛”と”ひっそりと待つ”。
 人は迷った時に 自然と触れ合うことで 癒され 冷静さを取り戻すことができる。 自然の営みから 私達が学ぶことは沢山ある。
 それが どうした! 自然体で謙虚になれという事だ。この バカモノが≪喝~!≫ それが どうした! 
 ★「若い時の苦労は買ってでもしろ」 英訳 Heavy work in youth is quiet in old age。    youth old を入れ替えて 今の自分を観る。 どうも 頷けない。 じゃ~  old agenext world(来世) かな。それで どうだろう。
 今日は 日中気温が4度に下がるという、急に冬にもどる。花粉症や桜の開花が話題になり始めたと思ったら ・・・・。それが どうした! 息吹だよ。
 この寒さの中 釣り糸をたれる人がいる。人の勝手でしょう。 老化の兆候は 何かに挑戦する意欲の減退でわかる。考えても できないからだろうが 年齢相応にできることが 必ずあるはず 願わくば それを持ちたいものである。
 二日間 悔やみが続く。92歳と97歳の方で お二人とも亡くなる間際まで 元気に過ごされていた。家族に 自分の葬儀のやり方を事細かに支持して逝った。もう一人の方は戦後間もない頃 東京の丸ビルでタイピストをやっていたという才女、お二人に共通していたのは 凛とした遺影写真と穏やかな顔。 
 いま 福祉事業で盛んに謂われる 地域貢献・・・・・ 正直 それが どうした!その思いがドンドン強くなる。福祉事業はそもそもが 地域貢献だったはず それが 何故に 今更。恐らく 地域貢献でなく 自分の利を最優先の輩が肥大化した??
 それだって 貴方達が それを奨めたのではなかったか 違いますか?
 見なさい。周りを ヘンテコリン 言行の不一致ばっかり。笑えない実態を挙げたら切が無い。 偽りの資料を 一年間もああだこうだと議論した あの人達は いま そのことをどう決裁しようとしているのか。 この国の根本・大義が大きく揺らいでいる。このままでは 世界から相手にされず 蚊帳の外に追いやられてしまう。
 それが どうした! 要は 己惚れが度を過ぎたこと、それと 公私混同の見極めがないこと。この二つだわな。
 ★ 実に嫌らしく また。 mix public matters with private matters (公私混同)。mix ではなくて draw the line でなければ ならない。線引き墨付だ。建物を建てるには そこが肝心 プロ魂 プロの誇り。それが どうした! 捜査中だから ・・・ダメ?
 同じ経を読むにも宗派によって違うように 同じ曲を演奏しても 演奏者によって全く異なる音色、聞いた話だが 楽器の違いは 、音に含まれる上音の振動数や強さ、その減衰度などによって変わると。それが どうした!
 最近 私はアンドレ・リュウ(オランダ)の演奏(ユーチューブから)に魅了させられてしまったのです。世界で爆発的人気の指揮者(?)、彼は68歳 私とほゞ同じ年である。ウインナ・ワルツをこよなく愛し 音楽は楽しむものと自分がつくったヨハン・シュトラウスオーケストラを率いて世界中を駆け回る。一度聴けば 虜になること請負だ。判り易く 自然と体が動く 見事な演奏 それとステージ演出の華やかさは天下一品 当にヨーロッパ・ワルツの世界に聴衆を引き込んでしまう・・・・・。
 夢を見た。福祉の仕事は楽しむものだ ムニャムニャ・・・・。寝る前に聴いたジョルジェ・ザンビーエルのパンフルートと彼のオーケストラの共演の余韻が影響したのか?   パンフルートの歴史は古く 一説ではギリシャ時代に遡り 小国ルーマニアの羊飼いが発祥の地とも   楽器そのものは単純な構造の縦笛で 何本も束ねられたものを唇の当て方と息の強弱で音を出す。 なんとも表現できない澄み切った音 で 広い草原の遠くどこまでも響く不思議さをもつ。
 私が いつも接している彼等とダブるもの  澄み切った音色は まさに彼等の純真さ ・・・・・・ そこで夢から覚めた。 

3149:傲慢

 傲慢は 驕り高ぶって 人を見下すことを謂う。キリスト教では7つの大罪の一つとして神の恩恵を理解する上での妨げとなるとみる。仏教では 6煩悩=貪欲・瞋恚・愚痴・慢・疑・見の一つ、慢を7つに分ける。2)過慢・・同じものには勝れたと、上のものには 同等と高ぶる。7)邪慢・・徳が無いのにあるものとする。
 密教では 欲・触・愛・慢をあげ 人間の持つ煩悩として戒める。(理趣経) 
≪奢る者は久しからず≫ あまり調子に乗るな。冷静に考えれば判ること、人は”おだて”に弱い。箍が緩み 誘惑に負ける、その兆しを感じても認めようとしない。よく自分の足元を見て見ましょう。周りにはイエスマンしかいないかどうか? それだって その人の能力・感性でしょうが。
 決まっていることは傲慢な人間の周りからは人が徐々に離れて行くということ、それを押し止めるには 強権を発するかお駄賃をまき散らす、だが 相手だって他人と見比べるでしょう。そこで 不満が生れる。こうなると 一人の力では どうすることもできない。その状況は 何かの切っ掛けで変わる。離合集散は気まぐれ、・・・・・・。箍→節義。箍は自覚しないと役割を発揮しない。余程の失敗をしないと懲りないものです。密教の欲は”矢”に例えられる。弓弦から放たれた矢はどこまでも飛んでいく。無限追求。何を的にするか それが一番大事で真理の解脱と説く。
 今の時代 何が真理かが不透明ときた、だから 何の為 誰の為 という肝心な事が置いてきぼりとなり 的外れなことに夢中になるというのです。 お判りでしょうかね。 これって 他人事じゃ~ありませんがねエ~。
 登り詰め 振り向けば ハシゴなし。。。。。。。ああ・・・怖っ!。
 年度末 役員会のハシゴ 膨大な資料を前に 説明を受けるが ホントのところ 良くわからない 。 頭を過ぎったことがある。今 騒がれている”改竄”問題、確か~国のトップ機関での話じゃ~なかったかな。 私のところなど チッポケ?な事業所でさえ定例検査には9人も毎年来られて行われます。一人一個指摘しても 9つになる。指導を受けた箇所を後日改善計画をたて その承認を受ける。もし ここで やりもしないことを書いて提出したら”改竄”になる 最悪 事業指定の取り消し処分。そうなっては大変だと 皆さん監査には神経を尖らせる。実際 チェックが無ければ 収拾がつかなくなるでしょう。人間いい加減なものである。
 今回の一連の騒動の真偽は今もって判らない。しかし、国民の関心はウナギのぼり、恐らく当事者は 自分達の支持率の変動に無関心ではおられまい。ひょっとしたら その数字も改竄されてるとか 嫌だ嫌だ 。 こんな場合、一般的には”身から出た錆”と一蹴されるのが落ち?
 話しは変わる。刑事コロンボ・・・あのキャラクターは素晴らしい。のらりくらり それでいて 急所は押え難事件を解決していく。あの手の裁判官や上司がいたら 被告や部下はどうだろう。 着古したコート 廃車寸前の車。気が付けば、このタイプの人間が姿を消した。逆に権力を振り回し 実績を自らPRするタイプが異常繁殖。 これは 人として最も恥じなければならないこと 私は そんな風に父ちゃんと母ちゃんから教わった。
  オーダー服と左ハンドル  これをこの国では”豊かさ”の証というらしい。  ハハーン そんなものですか? 今まで 多くの葬儀を行ったが オーダー服と左ハンドルで???? そうです 左ハンドルは時々ありました。運転席でなく 後部座席ですが。  合掌・・・ 礼 ・・・・(ナマグサ談)  
  
 
 ご近所の結婚式があり 地域の皆さんと一緒にマイクロバスに乗って出席しました。午後5時半からの披露宴には 若い人達が目立った。 ご近所の方達とゆっくり話す機会はあまりない。こんな時 お互いが”・・・ちゃん”と呼び合う。福ちゃんは幾つになった?  今年68だよ。俺 65才 早いな~ 嫌になっちゃう。こんなとりとめない話しをしながら 2時間半の宴会はお開き。世代交代が進む。それと新築住宅が次々に建てられ 名前の知らない人が増えた。逆に昔からの地元の集まりは減った。
夜の9時 少々酔っぱらって帰還する。NHKテレビ 銀座から 今の景気の実感は???との街角からのレポート 。前後の話しは判らない。・・・・が 正直 腹がたつ。
 昨日は 一周忌の法事があり、その後 某法人の役員会、そして 結婚式 3回衣替え。 
 疲れて ソファーの上でウトウト 気が付くと 「シャーロックホームズ&ワトソン」の映画をBSでやっていた。アーサー・コナン・ドイルの原作でどのシリーズも 痛快で爽快ときた、イギリスを舞台に様々な事件を解決する探偵ホームズと医師のワトソンのコンビは 今の日本で 一番待ち望まれる人物かも知れぬ。勿論 実在すればの話だが。

3150:春 爛漫

 
 三春の孫サクラ満開 神宮寺


 背丈1メートルに満たない三春サクラの苗木をくれる方がいて 神宮寺の境内に植えた。今では幹が30㎝を超え 成木となり 淡いピンクの花を咲かせる。まだ 他の桜は咲かず 一足早く咲いたものだから 一際目立って写真におさめた。真っ青な空を背景にそれはそれは見事である。
 朝 早くに 春休みの迎えに来られた母親に声を掛けられた。「いつも お世話になって ありがとうございます」と。今回もまた 水郡線と常磐線を乗り継ぎ片道2時間半はかかる県北から 80才になる母親が一人で迎えに来た。 その息子さんは 前日 私の所に給料明細を持ってきて≪給料 上げろ≫と訴えた。正直 ≪ならば もっと 働けよ≫と言いたかったが 我慢した。多分 今回の春休みに帰省できるメンバーは園全体で半数までいかないだろう。案の定 午後 様子を伺いに園にいくと 寮の中で大声を上げて騒いでいるS子さんを見かけた。スタッフが 宥めているが聴く耳持たず。
 花を見た後だからか 多少 気持ちに余裕(?)があり 留守組のNさんと立ち話 「あああ まだ騒いでいるよ 仕様がねえ~な」「迎いがまだ 来ないからだっぺ~」と私に話しを合わせた彼は 一度も家族が迎えにきた事はなく 草取りの頼れる私の相棒。日頃の様子を この孫桜は いつも高い場所から見守ってくれている。これからも ずっと そう願いたい・・・・
 恋の予感♪ 皆さんそれぞれに意中の人があり 写真を大切に持っていたり 離れた場所から愛しい目線を相手に送る。園内も 春 遠からず 。春の季語に”涅槃西風”がある 立春(2月4日)が過ぎて 釈迦の涅槃会(2月15日)ごろ吹く風をいう。最近は地球の温暖化の影響か 従来の季節感にズレが生れている。三寒四温は大陸の冬の気象をいったものだが 今年は この時期の日本の天気をそのまま表しているようだ。
 日本列島を挟んで低気圧の中心が北か南かによって大きくかわる。地球全体から見れば気流や気圧は自転によって 各地に気象変動をもたらす。流れは 遮る何かがあって変わる。水は高い所から低い所に流れ 気流は上下 巻き込むか吐き出すか。これを人為的に変えようとしても出来ない。27日は 新たな何かが起きるだろうか? 大事小事に関わらず 適時打は大切で 勝敗の決め手となりうるから。憲法の原則 3権分立が何らかの理由でバランスが崩れると国民の権利が保障されにくくなる。その理由となる最大のものは信頼性の欠如、これは突然起こることでなく 不信感が徐々に積み上がったもので その修正は簡単ではない。
 社会保障一つにしても 国の形が定まらない。良いとこ取りの継ぎ接ぎ施策は 一定時期までは良いとしても その礎が脆弱では どのようなアイデアをも 長続きはしない。俗な言い方をすれば ばら撒き福祉なる造語が作られた事情も  いずれまた 変わるから という冷めた見方も この国独特のもので 元を探れば同根である。
 仏作って魂いれず。 誰がいれるか??? この肝心な所は 依然として 曖昧模糊となっている。