源究191

  

 NO  テーマ  月日 NO  テーマ  月日  NO  テーマ  月日  NO  テーマ   月日  
3331  W7→10へ  10/24  3336  底力 11/10  3341  闇雲(やみくも)  11/25  3346  狸さん  12/11
3332  花火  10/27  3337  平和  11/14  3342  お・・様  11/28  3347  おともだち  12/14
3333  不便さの価値 10/31  3338  インパクト 11/16  3343  水に流して 11/30  3348  受容  12/18
3334  霜月雑感 11/4  3339  日本の文化  11/19  3344  師走散見 12/4  3349  だるまさん  12/21
3335  あちこち 11/7  3340  自家撞着  11/23  3345  尊厳 12/8  3350  価値再考  12/25

3331:W7→10へ

 2020・1・14でウインドウズ7のサポート終了、正直 迷いました。パソコンの進化に追いつけず やっと慣れたと思ったら変わってしまう。ならば 今のままで古いもので我慢しようか?と。 けれど 安全性が保証されないと言うから思い切ってPCのハードデスクとOSをW10に新しくすることにしました。 アップグレードする人で混んでいて注文してから手元に入るのは10日位要するとのことだった。今はデスクトップ式のPCはあまり生産していないそうだが 使い慣れたデスクトップタイプが良いと思って同じ型にした。
 同日、 グーグルが発表した「量子コンピューター」は現在の最速スーパーコンピューターが1万年かかる計算をたった200秒で行ってしまうというものだった。驚きの技術革新!何の為に・・・・・余りにも非現実的で我々が生きる為に果たしてそこまで必要なのかと疑ってしまう。
 人間の欲求は天上知らず 益々激しさを増し、現実と乖離していく。 ま~別世界のことだと考えればそれだけのことだ。それよりも もっと現実に目を向けたら良いのにな~! 
 人間の体は 60兆個の細胞で成り立っているとか この細胞を並べると地球15周分になるという。人間たった一人の体がですよ。だから摩訶不思議。医学の進歩に量子コンピュータが役立つとして  最終目標は”不死”でしょうか????だとしたら、地球上に後何年で人間で溢れかえり身動きできないことになるのでしょうか? 
 同日、 40歳の女性が安楽死を自ら望み医師の処置で亡くなった。ベルギーの元パラリンピックで活躍した方だった。
  いつの世にか 進歩や革新が障害となることもあるかも知れない。
 
 あれは いつの頃からだったでしょう? 産めよ増やせよと事業のスケールメリットを過大に評価し、規模拡大を奨めた。結果、あるべき節度を見失い、気が付けば多額の負債を積み上げることに。もっとも負債はお金だけではありません。
 愛知県の社会福祉法人が他県に展開していた特養を3カ所閉鎖した。入所者133人は終の棲家を出る事態になって 初めて現実を知る。恐らく 全国には水面下で同様のことがあって これは序章に過ぎないとの見方がある・・・・・。
 私が今の仕事で常に自戒してきたことは 運営と経営の節度を誤らないことでした。日本の福祉制度がある時期から大きく変わった。拙文(源究)を体裁など構わずに書き続けている。変化の兆し、福祉は人と人とのつながりが基本、制度をより細かにすることでそれが満たせると考えた節がある。 事業種類の多さに 実態が伴なわない現実、やればやる程複雑化、解かり辛さが増し運営・経営を圧迫する事が判った。反省も無く今も同じ考え方が主流で 業界がいつの間にか 利用者不在の自慢体質に変わった。 決定的な事由は 日本人が大切にしてきた”こころ”の喪失が大きい、己の利益だけを大事にし他人のことは考えない(利己主義)や家の崩壊が進む中、現実と理想の乖離に何らかの策を講じることを怠った。
 福祉というコトバだけが独歩し、豊かさというコトバで覆われた社会を安心や幸せと誤解した。優越感とは他人より優れているという感情です。その裏には相手を押しのけても・・・・という思いが隠れている。
 外交も道を誤れば 上から目線になりかねない、その危うさが より強まっているように思えて仕様が無い。寧ろ 10→7が真面(まとも)なのかもしれない。
 
 
 節度とは 度を越さず 適度であること、それが 昨今の情勢は 何をもってその事を判断すれば良いかが判り辛い。価値観や評価、変化と進展が揺れ動く、それを良しとして歓迎する人達もいる。格差が拡大し、そのことで争いが起こるという状況に対処しようがない。否 する気が無い?
 権力・財力を持つ者が勝り、貧しく苦しい生活から抜け出せない人々が増え続ける。 インドネシアでは首都ジャカルタの移転計画があるらしい。その理由に環境汚染や慢性的な交通渋滞と最大の問題は海面上昇による水没の危機だという。大分前から首都をボルネオ島に移転する準備が進んでいるそうだ。この日本でも明治の初め京都から東京に首都を移した。既に150年が経過する。現在の東京が今のような大都市となったのは 江戸時代初期に行なわれた日本三大暴れ川【坂東太郎】利根川の流れを東側に変えたことが大きいと言われています。人が多く集まるには理由があり、同時に それを賄える条件が揃わないとできない。
  本格的に日本も首都移転を考える時期に来ていると思いませんか?。首都直下型の大地震が起こる可能性は年々高まるばかり、更に勢力が巨大化する台風直撃の頻度、異常な人口の過密化等々・・・。どのような最新の技術をもってしても 自然の猛威には敵わない。そのことを今回日本人の多くが経験したはず。
 マラソンの開催場所の変更も然り、それとタワーマンションの停電騒ぎ・・・等々。恐らく 今の儘では後手後手の対応しかできまい。未来志向と言うのであれば 目先のことに一喜一憂するのではなく 先を見通す力と覚悟がリーダーには望まれる。
 某大臣が就任一カ月で辞任する、その説明や任命責任・・云々等々 昨今の 国会審議が中味が 時流に乗れない事象が目立つような気がします。
 

3332:花火

 昨夜は土浦の花火大会がありました。前日は上陸こそ避けられたものの前線を巻き込んだ台風21号の影響を受けて各地に猛烈な雨を降らせた。霞ヶ浦~桜川一体は先の19号で避難勧告が出た地域で今回も花火大会の開催が危ぶまれた。奇跡的に当日は朝から好天に恵まれ風もおさまって実施されることになったのです。去年は途中で中止になり、今回もその覚悟で桟敷席で観ることになりました。友人から毎年頼まれる桟敷マスが2枚取れた。問題は駐車場、会場まで徒歩40分、市民会館の無料駐車場に停めた。
 ≪安全確認のため 暫くお待ち下さい!≫何度か打ち上げが中断され 例年になくその回数が多い様に感じた。全国花火大会は土浦にとっては最大のイベント、事前準備や当日の運営は大変なもの、中止や日延べの判断も天候次第だから難しい。
 会場周辺には ぬかるんだ水田の畦道までも花火を観る人達で大混雑だった。いつも 私はその混雑を避け 早目に帰ることにしているが 帰路 何度も振り返りながら打ち上げをみると 何故か桟敷で観た時以上に見応えのあるものを多く感じる。
 例年になく全国の花火大会が悪天候により 中止になっていたそうだ。花火師たちのご苦労が浮かんでくる。パッと開いた10号花火、ズシーンと響く余韻を残し 消えていく・・・・・これは昔からの 日本の風物詩 あまり変わっては欲しくない
 
 ズラリ並んだ屋台には、香ばしい匂いのする食べ物に吸い寄せられるように人の列ができる。それとトイレの前、どこの誰だか判らない人達が”花火”を観る為に ワザワザ集まった訳だから ルール破りは無く、いつ再開するか判らない待ちの時間に 大声たて騒ぐ人もいなくて 逆に再開したら拍手が湧いた。
 平和を実感する時である。桟敷席以上の沢山の人達が会場の周辺に集まり、車座になった宴席がいたる処にできていた。
 翌日 私は車で桜川の橋を通る。すでに堤防周辺は 綺麗に掃除され 桟敷席のブルーシートだけが遠くからもハッキリ見えた。一年365日 既に来年の開催日が決まっているだろう! 今年は例年より2週間開催日を遅らせた。同じ10月に茨城国体があったからだが、国体に続き開催されるはずの全国障害者スポーツ茨城大会は 開会式当日に台風19号の直撃を受け 急遽中止となった。  

3333:不便さの価値

 視点を変え 不便さ故の価値を考えてみませんか!年齢を重ね記憶に残ることと言えば 平坦な道ではなく 苦労や悔しさが懐かしい。楽あれば苦あり、これは真意であり、そのまた逆も真意という。便利な世の中を目指して 人間が考え出した数えきれぬ文明の利器、そこまでは良い。だが それらをどう使うかと自ら汗して働くことを怠り、大事に疎くなる。結果は推して知るべし、先ず他人を理解する力を失う。これは ”共に”という行為が少なくて済む社会だからかもしれない。
 人は独りでは生きられないとすれば 誰かとお喋りしたり 行動を共にすることに喜びとか癒しを感じるのではないのか。それを煩わしいとか面倒だと感じ 自らの殻の中に引き籠ってしまうとしたら。
 8月から日本は台風のシーズンと昔から言われてきました。台風19号~21号に連続してみまわれた、今までに無い強さの風と雨それと高波によって日本各地に甚大な被害を齎した。
 海水温が上昇し その影響による嵐の巨大化は、歴史上みられた周期的な気象変動ではなく常態化している。その最大の原因がCO2による地球温暖化 排出削減のため、低廉で安定的な電気をお客様に届けるという原発推進派の理屈により再稼働の動きが強まる・・・・・。私達は豊さという幻により何が大事かへの思考停止状態となってしまったのでしょうか? 更に利便性という魅力(?)によってコカイン中毒のごとく心身共にボロボロにされてしまうのではないでしょうか!不便性は便利の対極ではなく 本来の人間性を取りもどす為の我々に残された唯一の道ではないだろうか。ナマグサが何をほざくか 無感動・・・一笑に付されてもかまわない。
 
 アメリカは広大な国、いつもどこかで山火事が起こっている。豊かさの象徴として憧れる国、移民を受け入れ今に至ったアメリカ合衆国、それぞれの州には特徴があり、文化が築かれた。近年 乾燥と強風により 山火事が増えているという。昨夜のBSニュースでヘリや飛行機による必死の消火作業の現場が流れた。大型ハリケーン、竜巻、山火事・・・地震が無い替わり 自然災害の規模は日本以上かもしれません。
 最新の繁栄の姿が良く流される割に 自然災害や貧富の格差等の報道は少ないように思ってしまう。
 一方の中国からは 昨日大量の黄沙が日本上空を襲うとの警報が出た。米中両国の覇権争いは先が読めず 世界中にその影響が出ている。 この流れをどうすることもできないのでしょうか? 昨日  国連で活躍された緒方貞子さんが92才で亡くなったニュースが流れた。 平和を求め 現場主義を主張し 自ら紛争地域に積極的に足を運んだ。
現代は端的に言って”競争社会”、相手を押しのけ搾取によって自らの利を拡大しようとするもの、使え切れない程の財力を持ちながら満足せず、更に己の望みを果たそうとする・・・・ それに併行する自然の猛威も関係ないとは言えまい
 グローバル化とか SNS、更にはAI技術の開発と、今の世を表わすコトバが 果たして100年後200年後に どんな風に語られるか????100年単位は50億年という地球の歴史からすればミクロの時間、人間の寿命は精々100年、今を生きる我々、特に大人たちは 責任ある行動をしなければ なるまい。それが 生きる価値としてより具体的に共感をもって語られる世になって欲しい。
 
 私達にどれ位先のことが見通せるか判らない。書籍「未来への大分岐」(集英社)を注文、副題は・・・資本主義の終わりか、人間の終焉か?・・・
精励恪勤・・刻苦勉励・・ 産めよ増やせよ・・・ハッキリ言って これらは人間からの一方的発信である。生来持っている”欲”に溺れ、誡め自制することを怠った。自然の摂理をも自分達の思うように解釈し この世に 理想郷を築こうとしてきた。謝罪や懺悔することで 自分達が犯した罪をご破算にできると高を括くり ほとぼりが冷めないうちに また繰り返す。
 収奪やテロ 暴力や破壊が地球上から消えたことがありますか? それと一人の人間の描いた絵の通りに世界がなったことがあったでしょうか? 表と裏。資本主義か社会主義か共産主義か民主主義か? 正直 今の時代 明確な区分けはできまい。裏と表。
 共通するのは ”欲望”。
 刹那主義、個人主義、利己主義は、資本主義によって仮の豊かさを獲た人達が辿りつく考え方だ、これは精々一時的で永住できる場にはなりえない。自然の猛威一つ考えても良いでしょう。台風が発生しない根本的な手立てはない、否、何らかの理由を付けやろうとしないから せめて避けて通ってくれれば良いと祈る。これが精一杯ということだ、容赦なく益々勢力を拡大し 人間が築いた夢を一瞬にして破壊する。
 私達は嘆いてばかりではすまない。敢えて 言葉を選べば ≪共生(きょうせい)社会≫では ないだろうか!その中で 自然との共生が最大の課題となった。 それには今まで無尽蔵にあると思ったもの 水・空気・光への感謝と畏敬の思いを形にしていくことではないでしょうか!その為には 不便さの価値から学ぶことを お奨めしたいのです。
 

3334:霜月雑感

 沖縄の首里城が火災により正殿などが焼失した。世界遺産の指定を受け琉球王国の象徴であった。
 様々なニュースが流れる。なんと表現したら良いのだ! 長期間続いた不安定な天候が やっと秋らしくなり、紅葉シーズンを間近にして 旅でもしようかと考える人も多いと思う。その出鼻をくじくような出来事は間を置かずに国内外から入ってくる。11月霜月である。朝晩の気温の変化が大きくなり 体調を崩すことに注意、忙しない世の中になったものである。
 大雨で私の周辺でも雨漏りや道路の陥没など急いで修理しなければならない事が出てきた。業者の方に頼むと年内は無理だという。あと2カ月あるだろう? 良く聞くと被災地に通いづめで工事する職人がいないとのことだった。
 被災地の人達は これから冬を迎えるのに大変だと思う。今年はまだ2カ月あるが 3度続けて暴風雨に襲われ、疲れ果てているに違いない。
 そんな事を考えていたら眠れなくなった。四国徳島からのラジオ深夜便、”お接待ごころ”という話を聴いた。1300㌔の歩き遍路を還暦になった時に満行した方でした。少し 気持ちが落ち着いたように思った。
 
 慣れは 怖い。霞ヶ浦の水、嘗ては 透明度があり 様々な魚介類や植物が多く それを糧に生活がなりたっていた。いま その透明度は冬場でさえ数センチ? 勿論 水遊びする子供の姿はない。農業や生活用水に霞ヶ浦の水を利用するため海への出入口に水門をつくった。今回の氾濫騒ぎや水質汚染は人工的な構造物(水門)による処が大きいと思う。こうなったのも恐らく数十年単位の短い間になった、そして慣れてしまった。
 開発を環境を変えてまで行う価値があるのだろうか? 
 一方 今までは里に出てくることは無かった動物が食べ物を求め住宅地まで下りてくる。猟友会に頼み 駆除を行う。これがルールとなった。慣れが怖いという理由は 明らかに”摂理の逆襲”に遭い 不安が増していると思うからだ。それを認めねばならない。日本には便利に使ったものが不用になり、それを処分する方法がない。最たるものは使用済み核燃料、キュービクル、プラスチック類。人間が考えたもので万能なものはない。 弊害はそれを使う人間の能力の無さとなる。
 見過ごせない現実、災害ゴミの処分、おそらく 今年だけとは言えまい。
 1300万人が住む東京、ゴミや汚染は 今ある最終処分場で完結できるのか?江戸時代に行なわれた利根川を迂回する大工事、それによって 東京の基盤ができたはず、これだって 上流周辺の宅地開発により 年年 雨水処理能力の限界が見えている。
 目先のことで一喜一憂、発生確率が高まる中で直下型の大地震が起これば・・・・・・、マラソン会場をどうするかどころのレベルではない。自然の現象は先送りできない。それを政治生命をかけ実行するという政治家は皆無に等しい。そう思いませんか・・・?。
 ・・・・・木枯らしが吹く前に 木々の葉は すでに落つ・・・。
 
 
 素人試算であるが、建物を解体する費用は 建築費の3割位掛かるのではないか? 一億掛かった建物が老朽化しいざ壊そうとした時約三千万が相場? 構造や使っている材料により全く異なる。地震国の日本で 高層ビルをドンドンつくっています。地上50階のタワーマンションは何年で解体するのか知らないが、聴く処によれば 修繕や建て替え費用も益々高額になっているようだ。ふと浮かぶ解体費用、職業柄 例にあげるのはどうかと躊躇するが、墓終(はかじま)いというものが 今は新しくつくるより増えている。魂抜きを行い 更地に戻す為に墓石を細かに粉砕して 再利用するとか。この費用は 実は様々、どこかに積み重ねておけば それだけ安くできようが どうなのでしょう? 原発事故で出た汚染水や肝心の燃料の処分見通しが 全くたっていない。
 他に方法が無いから そうしているというのでは 言い訳にもならんでしょう。 果たして 今の日本の電力供給の仕組みが 最終処理まで責任をもって行うようになっているのかどうか?真実は誰も知らない。
 関西電力の問題は 時間と共に風解し 忘れられてしまうのではないでしょうか? 風評被害は国内だけでなく 外交問題に発展する。それが未解決の間に 今度は天災に見舞われた。なぜ 特定の自治体だけが苦しまねばならぬのか?
 メデアは ラグビーが終わり、今度はオリンピックの話題に変わった。民放は同時刻 同じ内容の番組に化した。これも異常と思うが 慣れてしまった。
 

3335:あちこち

 杉と松は日本を代表する樹木、全国に杉が多くなったのは国をあげての植林政策があったから、確かに 彼方此方に見事に育った成木林がある。でも 実際はそうも言っておれないようですよ。先ず山林を管理することができない、下刈りや間伐をしなくなり山は荒れている。製材し用木として利用するのに 経費が掛かりすぎる。だからそれもできない。 杉は松に比べ根が横に伸びない。その為 強風に弱く 倒れやすい。松は根が横にはるから海辺の防砂林に使われた。今回台風被害で際立ったのは広範で長期の停電だった。倒木による電線切断も復旧を遅らせる原因となった。
 桃栗三年柿八年とは 木を植えてから果樹が食べられるまでの年数をいった。効率を考えればどうだろう? 後の事は考えず 早く食べられるものを植えるだろう。地域の気候に合う果樹を植え 特産品として成り立った。品種を改良しどこでも栽培できるものを考えた。いつの間に 数多くの品種が店頭に並ぶようになった。 でも ジワリジワリとあちこちで 生産者達から不安や嘆きが出始めた。後継者不足と自然災害だ。設備の自動化や販売・物流に工夫しているけれども その投資が大きく成りすぎた。どちらを選ぶか? 個人でおこなうには 最早限界か。
 普段は気が付かないことで 周りに使われない家具や道具がどれほどあるか? それなのに また新しいものを買ってしまう。今回の台風であちこちにうず高く積み上げられた災害ゴミ、この殆どが実際に使用していたものだった。結果はどうなったのか判らないけど北陸新幹線の新しい車両が何本も水害にあった。最悪 使用できなくなるとの話があった。
 実際に今何が起きているか、中でも経済の実態は 誰も判らないのではないでしょうか? 無駄をムダと考えるか、ただ GDPを上げるには効果は少ないことは確かなようですね。もうすぐ消え去るかも知れぬ日本語ベスト10・・・・ 質素&倹約!
 
 
 彼方此方見渡せば 矛盾が多い。一体どうしたのだろう? 様々な情報、漏れ聞こえる中には 皆がやっているからという理由で始めることが多いような気がするのです。確かに起業し成功を収めた運良き人もいるだろうが、その人達も今後どうなるかは不安なのです。これが真実の姿ではないでしょうか!
 例の働き方改革で議論されたことと、最近行われたコンビニオーナーへの全国調査の結果と随分ズレがあるように感じました。調査の中で 85%のオーナーが週1日以上の休みが取れない、そして深夜勤務を自ら行っていることが判った。いま何を問題と考えるかの質問に、人出不足・廃棄ロス・ロイヤリテイの支払い・人件費・同業者との競合・・・などなど凄い数です、急増したコンビニは大半がフランチャイズ契約、その実態は オーナー家族が犠牲になって続けているのが多いことがわかる。
 これは 実はコンビニ業界だけではありません。全ての業種が直面している問題だと私は思っています。このギャップがどうして生まれるのでしょうか、世の中が複雑になりすぎ、産めよ増やせよの号令のもとに 皆がやっているから良さそうだと手を出すものが増えたことの証。複雑で部厚い契約書を理解し納得して始めるオーナーは少ない。
 尚恵学園の仲間で 毎日近くのコンビニにスポーツ新聞を歩いて買いに行く方がいます。彼はパン屋さんで働き毎月給料日に明細書を私に見せてくれます。そのコンビニは彼が毎日買に来るのでお目当ての新聞を必ず残してくれています。
 昨日は突然亡くなった仲間の住職の葬儀がありました。東京消防庁に36年間勤め 住職をしていた父親が亡くなり その寺を守る為に僧侶の資格を取り 東京から山奥の寺に単身で移り住んだ方でした。実直で近くの温泉に入ることを楽しみにしていた父親を目標に今後生きていきますと沖縄に住んでいるというご長男が最後に挨拶した。
 
 
 世知辛い世の中だと断ずるのもどうかと思うが 計算ずくで心にゆとりがない・・・打算的なんだよ! でも 目を凝らして見れば ホットするような出来事に出くわすこともありますよ。仄々(ほのぼの)感というのか 自然に微笑んでしまう場景。
腰が曲がり 傍目では辛そうに見える方が 毎日のように畑に出て野菜作りをしています。今年の出来栄えは良くなかったと前置きして 私の家に野菜を持ってきてくれました。その方も いよいよ畑仕事を続けるかどうか迷っているようです。自分で作った野菜は一味も二味も違う。私も見様見真似で作ったミニトマト、やっと大きくなったネギは貴重で 植木鉢に入れて眺めたい。でもな~ あちこちに誰も作らなくなった荒れた畑が増えているのを見ると この国は本当に大丈夫なんだろうか不安になります。スーパーには 幾種類かの野菜を細切りしたものをパックにし店頭に並ぶ、これって便利で無駄がない? そうとも言えない裏事情!雑草を伸ばし放題にしていると迷惑をかけるから トラクターで土を起こす、新らしく買ったトラクターは Ⅰ反歩ほどの畑の その為にだけ使ている。これは最近聞いたばっかりの自称農家の方の話です。どこかが違っているんじゃ~ない?
 人づくりは どうかな? 文科省が新たに民間業者委託の試験制度、急遽先延ばしとなる、東京オリンピックのマラソン開催場所も変更になった 、次から次に良く出るよな~! 多分私が変なのでしょう。 どうしても 裏側での損得勘定優先の動きと思えてしまうから。ハイ。 
 やっと 昨日 ウインドウズ7から10に替えました。不具合微調整のため もう暫く 時間が必要な感じです。

3336:底力

昔の人は凄かったと思います。籠に乗っての旅まで時代を逆戻りしなくても 私の知る50年~60年前だって、歩くことを不便とは思わずにいましたね。直近のニュースで羽田空港が断水になったと、トイレに水のペットボトルをズラリと並べ 応急対応、断水の原因がハッキリせず 回復に時間がかかっている。多分 羽田の空港ターミナルは新しくなったばかりのはずだが そこで起こった。 世界遺産の首里城が火災にあった。その原因は 電気系統の不具合の可能性が大きいという。便利な世の中になったと思っていたら 故障を自分で直すことができなくなった。専門業者に頼むしかない。一度に沢山の不具合が起これば 手配が間に合わない。便利って何なの????
こんな事は初めから判っていたことなのに 日本の誇る技術神話に 暗雲か。
 閑話休題・・・・ インターネットが急速に広まって世界中どこにいても国内と変わらずに電話をすることができる。これを良い事に 発信元を海外から行う新たな詐欺事件が多発している。私は1ドル360円で持ち出し外貨の制限のある時代に初めて海外に出かけた。直行便はなく アンカレッジ経由でヨーロッパ、随分時間がかかった。その時は大袈裟にも今生の別れと餞別を頂いた。その年月を短いと感じるか否か? ハッキリ言って短いです。
  労せず巨万の富?  週末は別荘? 斯様な触れ込みで出資金を掻き集め・・等々!市場自由主義社会に蔓延る病巣ですか これに対抗する底力は 外聞やら見栄を捨てること・・・・これしか無いでしょう、、、ムニャムニャ!
≪人間は努力する限り 迷うものだ!≫(ゲーテ「ファースト」)
 
 いつ憂き目にあうか判らない。順調にいっていたと思ったら 思いがけずに体調を崩し、計画を変更せざるを得なくなることも起こり得る。ならば、その備えは 万全かと言えば答えは”NO”。だからでしょう、何かに帰依し 救いを求めようとするわけです。坊さんの私が言うのもどうかな~と思うのですが この地球上に生きる数十億人の人間は本質的に然程の違いはないと思います。その本質って何だろう! これが肝心、・・・≪死人に口なし≫ってのは、亡くなった人は何も言えないことで 本当に口が無いわけじゃ~ない。死んだ人から証言を得ることができないから 死んだら急に表に出る話って数限り無し。 昨今の事件は天上知らずで、危機的状況じゃないでしょうか?いちいち挙げることもないが 知情意・・心の崩壊が酷過ぎます。自分勝手で他人への迷惑を何とも感じない。 何故?どうして?こうなってしまうのか。  方やスポーツ界はオリンピックまで一年を切り、盛り上がる。特に若い人達の活躍する姿が目立ちます。良い事ですね。
 彼らは選ばれた人達で天性の才能の持ち主かもしれません。でも 影での努力が有ればこそだと思う。それが”底力”に繋がっているんだわな。色即是空・・・ムニャムニャ・・・。
 
 普段 気にすることも無く 有って当然と考えていること、それが何らかの事由で出来なくなって その有り難さを知る。
 これ真理ですよ。皆さん! 思い当たる節は有りませんか? 誰だって老いと向き合うと、いくつも思い当たることが有りますよ。有る有る・・・。時間を縦横にしたら どうなりますか?縦を進歩 横を格差(較差)と観ると気付きませんか?
 いつ頃からでしょうね。進歩第一が豊かさに摩り替わる。その弊害は他の所為にすること。競合社会を是とし、己の欲を満たそうとすれば どうなるか!これは 既に実証済みだったはずだ。・・・・・が 人間は元来、善悪の智慧(?)をもつ。その是非の判断を司法という三権の分立で出来ると考えた。ご存知のように 最高裁判所だけは選挙の際に国民の意志を反映する形体をとってはいるが ・・・・。
 人間の考え出した仕組みには巧妙にできた抜け穴があるのです。人間が人間を罰することが出来たとしても 自然に対しては無力だ、それを”豊かさ”という目眩ましによって 先伸ばしているのが現代社会の最大の罪(リスク)と思いませんか? いま アジア諸国の子ども達が大気汚染された中で生活している、その数は6億人にのぼることが国連より発表された。人間の意志とは関係なく地球は自転している。汚染は壁をつくって防げるものではない。

3337:平和

 世界各地で起こっているニュースが茶の間でみれる。真実の情報か否か、その判断は疑えば切が無い。足元に目をやれば そんなこと構ってはいれないと言う方もいるでしょう。私は変わっているのでしょうか、株価や為替の話になると腹の虫が騒ぎだす。反射性拒絶症!。知り合いに株に興味がある方がいて その話題になると 全く噛みあわない。 瞬時にかわる株価や為替相場はその方にとっては大事なようです。
 バカみたいと言うと相手は私をバカみたいと思うらしい。
ある国でトップの金持ちは某企業の創始者、日本円で4兆円とのこと、この日本ではどうか? 恐らく保有する全ての資産合計となるのだろうが 裏金は? 国によって税額は異なる、それを上手く使ってどうのこうの? あああああ・・・ヤダヤダ。
 1日三食として 贅沢美食三昧したって どうなるものか!
 大体は生活習慣病が待っている。どうも私にはこのような発想しかできないようだ。天気予報では朝方1ミリ程度の雨とのことだった。いま 音を立てて大粒の雨が降っている。 
 
 昨日の天気は気紛れというより”異常”だった。早朝の雨が止み、日差しが見え隠れ、このまま天気が良くなると思っていたら、暗雲が立ち込め 気温が急に下がってきた。ヒョウが降ったところもあった。夜中には満月に近い月が煌々と輝いていた。
 この時期 体調を壊す人が多くなる。体温調整ができないからでしょう。それを 自分で判断し 服を調整したり暖房を使ったりできればよいのだろうが それができない人も多い。私は性分で ある人に言わせれば 神経質過ぎるらしい。別に否定はしない。昨夜は96歳になる方の通夜があった。衣替えになり 冬用法衣になった。通夜は30分ほど、その時間はずっと経を読む、頭上からのライトの熱? 終わると相当の汗をかく。いつも思うのは 若い時だったらどうということはない、それが 今は外気に当たると・・・・・・。
 実は この感覚が生きている証、否、生かされている証だろう。
 平和は 赤子や老人を大事にすることから始まる。そう考えると 今の日本はどうなのか? 連日報道される社会的弱者(?)に対しての惨い事件は減るどころか 増えている。
 
 昨今世界の”平和観”に変化がみえる。国家間の平和という考えよりも人間の安全保障へと変わってきた。世界平和度指数ランキングというものがあります。あくまでも情報源があり、そのデーターから24項目の評価を行い、合計得点数が少ない国ほど平和であるとみるものです。グローバル化や相互依存の深まりによって 戦争以外での指標も多く、貧困、環境破壊、自然災害、感染症、テロ、経済・金融危機などと国際課題は多岐にわたる。その中で気になったのは、国の内部脅威への政府の強権的対応により命を奪われる数が戦争犠牲者を上回るという数字だった、それと一国主義的なリーダーが増えたこととの因果関係がどうなのか?
 幸福度ランキングでのトップ10の顔ぶれは然程変わりはない。その中で日本は幸福度順位では常に50番台なのに、2007~2014年の平和度順位では8位という高位置になっている。一方 アメリカや中国は平和度指数ランキングではいずれも100番台、経済大国と平和な国は一致しない結果となっていた。
 核兵器と戦争抑止力の論議が今もって主流となっているならば 日本の立場は微妙である。この議論はこれから先を探る上で避けては通れぬ問題でしょう。秘密裡に行うばかりでなくライブ中継で行うようにしないと理解できない。それとも最近の世界の流れと同じ”合意なき決断”という道を選ぶのでしょうか?

3338:インパク

 英語のインパクトの意味は 衝撃や影響力、情報社会が益々進む中でメディアによる報道はより強いインパクトを意識したものとなりました。街を歩いて見かける看板も然り、逆に大切な交通表示などが見え難くなってしまった。何らかの規制があって当然と思うが、最近特に気になることは 常識を逸したものが 堂々と行われていても何も感じなくなってしまったこと。許容の範囲は勿論 個人差があり、一様ではない。 国民が汗水流し収めた税金の用途に疑問あり。それを 関係者内部から何ら諫言も出ないことに危うさを感じてしまう。”桜を・・・会”とか命名は何でも良いのかもしれぬ、会の発端は大分昔というが 前から行っていたから許されるという言い訳は通じまい。規模がどんどん大きくなり、その費用も当然多くなる。それを 予算には低めに計上し 不足分の尻ぬぐいを上手に行って 国民の目には届かない。止めれば済む話だろうか!
 外交も然り、国民に知らされずに行われるODAなどの支出も同じ、国会のチェック機能がどうなっているのか? 恐ろしいのは 同様のことが地方にまで起こっていないだろうか? 潤沢な予算を持っている都道府県、私の知る範囲でいえば 福祉施設を整備する時に建築費も貧乏県と比べると驚くような格差がある。これだって一般の人々には知らされず、慣行ということで実態の解明は遅々として進まない。
民主主義国家は万全の体系ではない。機能マヒして不具合になれば 部品を取り換えること位では元にもどらない。 それでも前よりは良くなったというのであれば もっと実態を反映した根拠を示す責任があると思うのです。
 
 おそらく 今の世界の潮流を変えるのは至難の業、海水が一日に二回づつ、流れの方向が逆になるようにはならない。様々な調査統計があり 出てきた数字の信憑性に疑いがあれば 秩序が壊れ 混乱への誘因になる。何を公表するかによって 評価は逆になる。そして恣意的になれば結果は見えてくる。またしても お花見会(?)での出席者名簿が破棄され 参加者名簿が残されていないという答弁があった。事実か否かを問う以前の問題だ、もし 額の多少を問わず 税金を使って行われたものならば 関係書類を一年で破棄され許されて良いものか! 日本の税務調査の根幹が崩れることになると思うのだが そのことを 当然判っていての苦しい答弁なのかも知れぬ。これは個人情報保護法が便法と化す一例、 曖昧にされ潮目が読めない原因だとしたら。。。。。海洋に出る船は沈没する?
 どこかが狂っている。隠蔽を重ねれば 益々辻褄が合わなくなるはず。もし それを大したことでないと言うのであれば、・・・・・。あまりにも国民を愚弄した傲慢なものになる。
 こういった大人たちの行為が 次の時代を担う子供たちに伝搬することを一番心配するのだが 自称フロントランナー達には危機感はないのかも知れません。
 
 
 それとは真逆の実態はいくらでもある。いま施設現場は膨れ上がった事務量に辟易している。保管するのも永久保存から数年で良いものと分類され、何か有ったときに参考にする。これが複雑繁多化し 細かな記録付けを 毎日行っている。これが増え続ける一方だ。
 何かあった時とは 事故やサービスの変更時です。定期的な指導監査がある、県や市の担当者が7~8名来て実施する。
 これも 運営費の大半が税金により賄われているからですよ。何かが起これば 地元事務所が行ったこと、詳細は分かりません・・・・これで通じますかと言いたいね。末端には 厳しいチェックを行い、本丸には対しては手加減をする。もし そういった力学があるならば 本来の姿とはほど遠い、自分達には甘く、他に厳しい。嘗ての日本が武士が最も忌み嫌ったものでした。殿上人に祭り上げられ、気分を良くし、自省を忘れる。そして 『今後二度と起きないよう 努力します。』の常套句、インパクトが無いよな~ まったく。
 

3339:日本の文化
・・衣食住・・

 日本は 世界に類がないほど自然の環境に恵まれた国です。四方を山・川・海に囲まれ気候も温暖、そこで育まれた文化は 近頃  世界から注目されているようです。衣食住は生活の基盤、気候や風土によって それぞれ国の特徴がある。 近年の和と洋の区別が無くなりつつある中で 日本人が忘れかけている和食文化の価値を外国の人たちから教わるという奇妙な現象が起こっている。
  もしや本来の日本人が持っていた価値観や能力を見失ってしまったのだろうか。(和食には二つのイメージがあり、高級料亭と家庭料理。もちろん家庭料理です)
  日本食には伝統と環境にあった(創造力・想像力によっての)工夫が随所にみられる。西洋風の食事をすすんで取り入れてきた結果 どんな事が起こっているか、。。。。
 和食の基本は 旬の素材の持つ本来の味を大切にすること、味付けは”黒子”、少な目で持ち味の引き立て役どいう。 今は食事習慣が変わり 家族団欒の場も減った。そして 徐々に家族そのものの形も変わってきている。和食の和は、対立や疎外がなく、仲良く、協力しあう意味、それを幼い時から学ぶ場でもある家庭が成長には大事だと言われている。
 環境により 文化は進化するという考えに、諸手を挙げて賛成はできない。
 世界遺産の首里城の再建が できるだけ早くできるように心より願う それは地球環境を守るという流れにはどこか通底するものがあると思うのです。 
 
 一日24時間は 誰にも与えられた公平な時間、どう使うかは別ものです。子供~大人から老人へと 確実に向かって私たちは齢を重ねる。世の中には 変わって欲しいものと変わらないで欲しいものが有ると思います。大括りで文化は後者、基本は衣食住だと言えましょう。より快適な生活を望むことは当然です。。。。。。ちょっと 待てよ! という声が聞こえる。便利さを得て 生き辛さを感じるという矛盾、その理由を多くの人が薄々感じ始めているのではないでしょうか。(★ 一日使い捨てのコンタクトレンズが海に捨てられ プラスチック汚染の原因になっているとの例は 義務の考え方とのミスマッチ?)
 個の尊厳を標榜するが、言うは易しと思いませんか! やっていることは それとは真逆のこと、それへの警鐘は鳴りやまる所か より強まった。世間から距離を置き、自分の殻に籠もる選択肢はあるかもしれません、でも それでは何も変わらない。
 99vs1という言葉を聞いたことがありますか  たった1%の富裕層によって世界の経済は動いているというものですね。これが現実とすれば 利便性や効率化を目指す現代社会の仕組みが片手落ち 根本からおかしなものになるはずです。 私は 地球環境が人間を含めて生きる全てのものにとって 良い方向に進んでいるとは思いません。日本の地方では 90歳を超えて亡くなった人の葬儀に紅白のタオルを配る風習が残っています。  
確かにご高齢の方が亡くなった時と若い人の時とは全く雰囲気が違う。24×365×100は100歳まで長生きした人のこの世での時間数、この数字の多少によって 人の幸福は測れない。
 それを説いてきたものが本来の”宗教”、それを 葬祭業者に奪われかねない現実と向き合っています。
 
 もっとも変化してきたものが ”住環境” と言えるでしょうね。もともと日本は湿度の高い国です。藁ぶき屋根や土間、障子の家が その気候に適した住まいだった。それが どんどん減っている。エアコンによって快適な生活を送るのが当たり前の時代になって 都市部には タワーマンション、敷地がないので上に伸びる。そこで 何が起こっているか 自然の風を遮断したことで言うまでもない事態へ それを何も疑問を持たず受け入れてきた。
 水の都 イタリアのベネチアは高潮で街全体が冠水した。長靴を履き ワインバーで酒を飲む観光客の姿が映し出された。
どうなちゃうの~? あの映像を見て 何を感じたか? 利便性や効率化を目指した社会には 天井がない。それを阻害するものを人間は取り除くことができると考えた。 今もって それを信じて疑わない輩の多さ、金銭を絡ませ ルールなどお構いなく 己の財を肥やすことに夢中となった。 その結果として現在の50億の世界の人口で1%の人たちが 独占するという現実、世界中 すべてが その富のおこぼれを得ようと阿る。

3340:自家撞着

 「賢明な愚者」「明るい闇」・・・・・修辞技法の一つで 意味の食い違っているものを併記することにより 何らかの効果を得ようとする。昔から日本人は白黒ハッキリさせることよりグレーな部分に真実をみようとしてきた唯一の民族かもしれない。般若心経で繰り返される言葉も・・色即是空 空即是色・・・ 最初は 何を言わんとしているのか判らなかった。分からない儘に 繰り返し読むことで 違和感が薄まる、それはより実態を現している。初めて読んだ経が般若心経、そして 最初に暗記できた経である。
 「明るい闇」という日本語もそうだ!間違いと言えない現実、それは意図したものではなく 気が付けばそうだったという類のものかもしれません。
 「自由」という言葉を考えるとより分かりやすいかもしれません。反意語を「不自由」とするのではなく「規制」と置き換えても意味が通じます。自由は良くて規制は悪と言えるかどうか?
 また「豊かさ」にも通じることでしょうか。「豊かさの落とし物」、これは 現実の姿だと思っています。GAFAなる多国籍企業が世界に君臨し、圧倒的なシェアーを持つ、負けじと中国はBATという対抗馬を育てた。もはや 人間の理解範囲を遥かに超えた存在になる。それでも 立ち止まることは競争に負けることだと走り続けています。
 この動きを 人間の力では規制することはできません。自家撞着をあえて挙げたのは 仏教の教えの核心には”中道”があり、一方に偏することを忌避する考え方があります。それは人間の強さと弱さを見抜いた心眼からの確信である。宗教の役割は 現代社会の中で浮遊し 何を是とするか示せない。
 熱心なクリスチャンであった糸賀一雄先生が 50年前に私たちに説かれた障害福祉の基本・・・この子らを 世の光に・・・がそうだ!そして 今でも ・・・・障害福祉は 平和運動です。・・・と語り活動している大先輩を知ることができ、私の進む方向が定まった。
 
 もう少し 坊さんをやらせて下さい。仏教には”三毒”という考え方があります。貪瞋痴(とんじんち)、貪はむさぼり。瞋は怒り、痴は愚かさとの意味で悪や苦の根源とみなされます。それと三密、身口意の事です。これが煩悩を取り除く為の導き。身を行為、口は言葉、そして意は思いですね 坊さん修行の基本です。どうだい お前は! 天の声がした気がする。
 自家撞着は言行に食い違いがあることで悪事・苦しみの根源だとする、複雑化した現代社会には 溢れんばかりの撞着がありましょう。妬み・驕り・欺瞞・詐欺・・・等々数えたら切りがありません。

 さてと、昨晩はGHで細やかなお別れ会がありました。体力が落ちてきて GHより 元居た寮が良いだろうとなり、そのお別れ会、声を掛けたらお母さんもタクシーで来てくれた。世話人さんやスタッフそれとGHの仲間たちと和やかな雰囲気でとても良かった。お母さんは話を始めると涙が出てしまう、それを見ていたMさんも声を出して泣いた。・・・・・。また 皆がいる元の寮に戻るんだ、Mさん お母さん 大丈夫心配しないで!!!。
 悲喜こもごもと 涙と笑いの絶え間なく 歩む速さは それぞれに・・・・・願一共生、構えなし。
 
 誰しも 振り返れば 思い当たる節目は有ると思いますね。今をどう考えるかですが ingの進行形でしょう、だから 一概に断定はできない。
 「賢明な愚者」・・・・・あの人が何故?・・・ と思いもよらないことが起こるでしょう! それだって程度と立場がありますわな。賢明ぶっていたのかどうか?わからない。じゃ~愚者ってどんな人? 三毒の中で痴は 愚痴の痴とは違う、言っても仕方がないことを嘆くという意味よりも ”物事を正しく認識・判断する”ことと捉える。それができない痴だから愚(おろ)かさということだと教わった。分かったような分からないような?????
 ・・・愚痴の闇深うして、驕慢の旗高かし・・・・フンフン 難しくなった?   ここで 驕慢(きょうまん)という字が出てきたでしょう。実は毎朝の勤行で読む懺悔ノ文に出てくるんですよ。(覚鑁)
驕慢とは≪おごり高ぶって相手をあなどり、勝手気ままにふるまうこと≫。いるいる 居ますよね。くわばら くわばら。

3341:闇雲(やみくも)

 黄昏時に焚火の後始末。秋は毎日の落ち葉掃きは欠かせない。紅葉やイチョウが色づき始めたと思ったら、あっという間に落葉。朝夕の気温が下がり冬の近いことを感じます。台風27号が日本の遥か南の海で発生したけれど まもなく熱帯低気圧となった。あの9月~10月の勢力をどんどん強めながら日本に近づく台風とは明らかに変わった。
 残り40日で令和元年も過ぎていく、時間の過ぎるのが実に早い、新天皇ご即位の一連行事が終え 皇居周辺はいつもの静寂を取り戻している。
 最近は自分の体調に注意するようになりました。毎朝の血圧、体重、酸素量の測定は欠かしたことがない。 マイペースでの外作業、軽トラックに道具を満載し、気紛れにも目についた所からチョコチョコと。その甲斐あって? 雑木林は見違える程 綺麗になりました。手作りの木のベンチに老夫婦が座っていた。お互い話すこともなく ぼんやりと風景を見ながら小休止、何かホットする一コマです、・・・・・・。
 ≪こんちわ~。綺麗になったな~ また草出てきたらどうすんだ~?≫Kさんが仕事を終え自転車でGHに帰ってきた。≪草が出たらKさんが次はやるんだよ≫と言ったら 黙って行ってしまった。
 管理(?)する土地は 学園と2ケ寺を合わせると30町歩という広さになります、とてもじゃないが 手に負えない。正直に言えば諦めていました。ゴミを捨てる人間は 荒れている場所に捨てるもの。綺麗な場所には捨てにくい良心の呵責か。
・・・闇雲な正義感は 是非善悪と無関係 気が付けば 風向きは変わった 身震いし また明日・・・
 
 土曜と日曜には間断なく檀務が入っています。どうにか 対応していますが さて この先はどうなるか?? そうなればその時さ・・・と独り言、僧侶に有るまじきことである。それが近頃、経文にある言葉が突然浮かぶ、経が書かれた時代がいつ頃か いつの世もそして これから先も 人間に大差なし?
 これこそが”闇雲”なのでしょうか、人生100年という割に 個々人にとっては実感なし。それと共に冠婚葬祭が随分変わった。
 是非善悪の判断は どうでしょう! わからなければ良いかもね・・・・こんな風潮ありませんか? 犯罪を犯しても凝りないでまた繰り返す。逮捕され自ら語った≪自分は大丈夫≫ 自分は何が大丈夫なんでしょう? 捕まらないから 続けてしまう・・・・これは由々しき事態ですぞ。 どこかオカシイよな。昔は おてんと様がみているよ という自戒の気持ちがあった。親が子に 言うことを聞かず悪戯したときにこんな風に注意した。
 それが今の日本では 見事に消えた。言うなれば仮想現実(VR)に現を抜かしている間に我を見失うことに。これだって 新種の社会の麻薬では無いだろうか!合法か否か実に不透明な時代になったものである。
 
 どこもかしこも人手が足りない? そこで一億総活躍と言ったものの さて改善の兆しはいかに? 天邪鬼の性分は、これって年金受給を先送りする為のものかと思っていましたがその筋書き通りになってきた。実際に蓄えも無く年金だけが生活費となれば 相当切り詰めなければ難しい。バブルを経験し 賑わった夜の街、どこもかしこも 閑古鳥、地方都市からは軒並み人通りが消えました。
 内政外交 課題山積と言いながら 湯水のごとく大金使う方もいる。この辺は個人の能力の差?国力の差? しかし、元手が公金だとしたら まずいわな。常識の事だったはず、だが慣れは恐ろしい、金銭感覚がマヒして 分かった時点で謝罪する。
 これが一回どころではなく 益々増えているのは いかがなものか!
 今さえ&自分さえという価値観は 決して全てではありません。そうです日本語には”質素&倹約”という素晴らしい言葉があったでしょう!その言葉も既にお役御免で死語と化したか 恐らくそう言えない理由があるのでしょうよ。 でも 良く考えないとならないね。既に国の財政そのものが借金漬け?それを恐るるには足らずという旗振り役の専門家、自らの説に何の責任も負わない輩ですよ。ダメと分かった時点で謝罪する、これが公のリスク管理として歴史を重ね続けているわけです。闇雲にも・・・・・・・。

3342:お…様

 疲れ おかげ様 お邪魔様 お粗末様・・・・お〇〇様という日本語を無意識に私達は使っています。これを外国語に訳すと どうなるんだろう? 同様の言葉が他の国にもあるのでしょうか?調べたことはない。外交場面で通訳を介しての話し合い、それを後で発表するときに微妙な食い違いが出るかもしれません。言った言わない。。云々。
 どうしたって文字や言葉で正確に伝えることには限界があるでしょうね。それが SNSに取って代わりどのようになっていくのか 昔の人間かもしれないが 私はまだまだスマホ決済には抵抗感がある。スマホを落としたり置き忘れる心配が先にたつ人達も多いはず。 銀行の窓口が大分変ったという。ATMなどが銀行の外に多くできたこととキャッシュレス 態々銀行までいかなくても済む話。これは予想できたことで すでに銀行は業務の見直しを進めていく中で リストラも増えたと伺った。巷には 将来無くなるであろう職種が雑誌等に載っている。 
 不思議なことは 長い間 3Kとか言われ敬遠された職種が そのリストには載っていない。いやはや どうしたものか 気になる所である。
 
 
 この辺で”一休み”、もういい加減にしませんか! 一つのことを長い事続けてきて いろんなことが見えてきた。3日前にやっと建物処分の許可が出ました。新しい場所に施設を移転して 古い建物を解体しようとしたら手続きが面倒で長い(4年間)こと使わずに放置していた。その建物への思いは強く私が20代の時に初めて国庫補助金を頂いて鉄筋コンクリート2階建てて造らせて頂いた、何度も補修し騙しながら40年間使用してきた。5年前に解体ができていれば解体費用もここまで上がらずにできたといわれたが 今となってはどうしようもない。法律が変わり 想定外の出費が嵩む、解体費用も木造ならば 話は違った。以前は木造では入所施設の許可が出なかった。今はできることになりました。
 福祉事業も随分様変わり、新たな問題も増えている。せめて次世代の人たちの負担にならぬ様にしないと 大変な事態を招くだろう。
 産めよ増やせよ 立ち止まることを許さない現代社会 不要なものまで量産し 使わずに破棄されるものも増えている。モノを作って人を育てず、これで 外国人を受け入れて上手くいくのでしょうか?毎年運営できずに 閉鎖される事業所も増えている。
 ”一休み”立ち止まって 足元を見てごらん。  景気の状況を 言葉を選んで公表するが 益々実態との乖離が進むのみ。
 人間(ファースト)からの視点を変え 自然、植物や動物の身になって人間を見てみれば 随分 人間は勝手だと分かるはず。 
 
 
 落ち葉が何層にも重なり、そこを歩くとフワリフワリ 土壌に弾力がある。やっと雑木山の下刈りが終わって 綺麗になった。すると 今まで気にならなかった山を毎日見たくなる。枝落としした木は冬に向けて体力を温存し春を迎える養生期、土をちょっと起してみたら 小さな生き物が沢山いると判った。自然再生は 気の遠くなるような長い時間をかけて 続いてきたことが判ります。それを人間の勝手とかいう手で表土を取り除きコンクリートで覆った。雨を通さず 一気に低い所に水は集まる。子供にも判る簡単な理屈なのに、それを甘くみたツケがあちこちで水害や土砂崩れとなり牙を剥く、復旧工事が終わらない内に新たな災害が起こっている。 それでも従来の対応で十分か? 法に則したものだから大丈夫だと?益々 細かになる制度は ある面では 責任逃れの便法だ。
 現代社会は多くの人達が何かに魘(うな)され疲れているように思えて仕様がない。不安・不信に苛まれ 心が病んでいる。一休みして 目覚めて欲しい。何が大切なのかを。
 それが 何かの理由でできないとすれば その原因を明らかにすることによってしか改善に向かう治療はあり得ない。そのように 考える人は 実は大勢いると思いますよ。点々・・・・。

3343:水に流して

 『なるようにしかならない』『起こるべくして起こった』『・・・・・・』と考えていますと ある女優が自らの人生を振り返り語った。離婚を経験し二人のお子さんを育て上げたOSさんの話をラジオ深夜便で偶然に聴いた。アンカーの質問に言葉を選びながら誠実に答えるOさんを知り、今までのイメージが一瞬にして変わった。話の最後に推薦する曲を尋ねられ 選んだ唄は エデイット・ピアスの『水に流して♪」だった。
 お母さんを在宅介護し見送った。その時に子供たちに相談したという 『病院に入ってしまうと 自分たちのおばあちゃんじゃ~なくなる。自分たちも我慢するから』という言葉が返ってきたという。それで在宅介護しながら子育てと仕事を続ける決心ができたと・・・・。華やかな芸能界で生きていくことは 身近にこういった支えてくれる人がいて 成り立つのかもしれません。彼女の強さは同時に優しさでもある。決して自らを驕ることもなく 正直に生きてきた。それこそが 親から子へと大切に守られてきた礎だと思いました。
 意地を張ることも 時と場合によっては良し悪し となりましょう! その本気度は 自分の心に疚(やま)しさがあれば いずれメッキがはがれる。先人が残した数々の教えで”良心に恥じる”ということ、これさえも水に流すとは謂ってはいまい。良心と名誉は次元を異にする、それを無理やり一緒にしようとするから 辻褄が合わなくなる。自戒を含め こんなことを最近考えるようになりました。(*OSは ”大竹しのぶ”さんです。)
 
 こうやってブツブツ独り言、いつまでやるのよ? そう言われれば・・・『なるようにしかなんめ~』・・・・と思っている。迷惑だと言われれば そうでしょうとも でも言い訳はしない。
 今日は2件の法事だけ、午後は何もない。天気は晴れ、長く続いた雨模様、一段落と思いきや 朝晩の温度が急に下がった。頭を過るのは、インフルエンザ、既に予防接種は全員が行い やるべきことはやった! 長い事続けてきて一年の筋書きがほぼ固まった。同時に2つの建物を現在新築中。作業所と倉庫、少し離れた場所なので 毎日 様子を見回っている。職人さんと話を交わしながら 感じたことは、皆さん 早く終わらせて次なる現場と忙しい。
 新築住宅の現場が周りに随分増えた。共通するのは 一人で行っている現場が目立つ。ゆっくりお茶休息をとっている姿はない。明日から師走、異名で”極月(ごくげつ)”、この上がない究極の月、古の人たちは 特別の思いを込めて年の瀬を迎えた証。自営業の人たちが日本を支えてきた。いつも大企業ばかりが持てはやされ、働き方改革や給与アップ・・・・そして 永田町では 相変わらずのゴタゴタ騒ぎ、あの方たちには 師走の風を感じる術を自ら放棄している・・・・。問題ならば 花をみる集いを止め、全員で復興支援のVSにすれば済む、それでは 招待者が集まらないか?それを 名簿がどうした こうした 本来の役目を果たす前の所で止まっている。この最大の原因は何か・・・・彼らの給与は日当計算でないからだ。言い訳はしないが黙して語らずは 私の性分に合わない。
 
 先日 日本を初めて訪れた フランシスコ・ローマ教皇は長崎・広島を真っ先に訪問し、各地でご自身の平和への思いを述べられた。IAEAの天野之弥氏が死去した後の事務局長になられるグロッシ新事務局長、お二人ともアルゼンチン出身である。お二人は原爆で亡くなった弟を背中におぶった少年の写真の話をされた。世界の平和を強く訴え、核開発に断固反対すると語った。世界は 歴史の中で最大の危機に向かっている。情報化社会となって 正確な情報をどう掴むかが難しくなった、偽情報を流したり、事実を隠蔽し 不信と不安が増すことを狙ったものかどうか峻別できない。
一方では ルールなどお構いなしに、豊かさを自慢し、それを自分の功績だと公言し恥じないリーダーの台頭、彼らは自分の為で何が大切かを取り違えているとは言えないだろうか!
 100歳の天寿を全うし死去された 先の中曽根首相が今の日本の状況をどう思っていたか?残念だが聴けなくなった。望まれるリーダー像は?。憲法の改革は? 
 私はアルゼンチンという国を訪れたことは有りませんが、思い浮かぶのは”タンゴ”と”アンデス山脈&パタゴニア”、豊かな自然と豊富な地下資源、先住民は紀元前11000年にベーリング海峡を渡りアジアから来た人々、19世紀になってスペインの植民地から独立した。その歴史は人々による闘いの歴史であった。
 教育の重要性は 果たして英語検定を民間に委託するかどうかではあるまい。核心は子供たちに何を伝え それを自分たちがどう考え生きていくかという礎を学ぶこと、万民の望みが”平和と安心”だとすれば 日本の義務教育の現場で 先の”戦争”に関して充分な議論と時間を割いてきたかどうか、そして二度と戦争を起こしてはならぬとの誓いが徹底されているのだろうか?せめて幼子を負ぶった少年の写真を知っているかどうかを調べてみたらどうだろう。 
 

3344:師走散見

 いつの間に師走になった。 一年を振り返る気分になれぬ慌ただしさ、 何かに追い立てられるようで落ち着かない。これから先も想定以上の自然の猛襲に翻弄され続けるのでしょうか? 現代社会はじっくりと考える時間を見失いがち、現実と理想が複雑に絡み合って冷静な思考が停止状態。それは高望みなのでしょうか? それとも 幸せや安心に向かう近道なのでしょうか?今を良しとして 平凡な人生を生きることが残された選択肢、おそらく 周りと比べ過ぎて気持ちが揺らぐのかもしれません。
 社会に適応できない人たちの増加は 個人の問題ではなく、社会のもつ生き辛さが原因だと薄々感じているのに、思い切って考え方を変えられない??? 多くの社会が抱える課題は矛盾とどのように向き合うかで、便利さや豊かさを獲た副作用(合併症?)に益々悩むという構図がしかと存在する。そして、これへの有効な処方箋が見つからない、一例を挙げれば先進国という表看板によって先立つモノは金(カネ)という呪いがこの国を厚く覆ってしまった。
 その証に 数字を改ざんしたり 資料を破棄することを卒なくできる人が重用されるというおかしな現象が起きている。
 今年は木枯らしが吹かず 冬を迎えるかもしれないという天気予報、四季それぞれに特徴があり 文化や風土を築いてきたニッポンが”カネ”というものに翻弄され 気が付けば 先人が大切にした節度を失い、想定外の猛襲によって ニッポン丸の航海を難しくしている・・・。
 
 
 またしても 疑惑絡みの国会中継、野党の質問に対する回答は 誰かが作ったものなのか? ま~ 今の政治は 一体どうなっているのか サッパリ分からない。COP25がスペインで始まった。その同じ日の参議院で 集中した質問内容は、なんとま~ 【桜を見る会】でしょう!こんな国 世界に在りますかね? 一年前と同じく 国会で要求した資料は 破棄して復元できないそうだ。今度は シュレッターに責任転嫁か?首相は問題点を認め 自分の責任で是正すると公言した。これ変だと思いませんか? そもそもどなたが当事者なのでしょうか? 私が頭が悪いのか他人ごとにしか聞こえないレトリック。桜を見て 集まった人たちで山積する難題解決の一助になるんですかね? それとも 桜の開花具合で気象変動を語るとか?されど財政規律には逆効果でしょう。ポケットマネーでやれば いいんだよ。それも堂々と・・・・・・
 多くの国民は怒っていますよ。それを肌で感じられない人がいくら議論しても 結果は見えている。
 だからですよ いつまでたっても『そうじゃ~ない』と箴言する者が出てこない。もちろん与党内からですよ。
 ♪ しらけ鳥が 飛んでいく あの山超えて谷超えて  いつになったら 夜が明ける。 そうよ~ 朝が来ない夜はな~い。♪・・・・・・。「見上げてごらん鳥の顔を」 人の顔に見えるから。(ナマグサ作詞作曲『し~ら~け鳥』:)。
  
 
 誰かが植えたミカンの木が大きくなりすぎてGHのテラスに干した洗濯物に日が当たらない。昨日は 久しぶりに晴れたため枝の剪定を行った。ミカンの木には鋭い棘(とげ)が沢山あり、気をつけながらノコギリとチェンソーで脚立に乗りながら・・・・・・。今朝、手に赤い斑点が幾つも有るのに気づく。それは棘によってできた傷だった。
 10個ほどなっている実は黄色くなり始めたが 食するにはまだ早い。ミカンには悪いが 美味しそうには見えない。 ミカンは鳥から身を守るため 棘をつけるように進化した? そう思うと 実がなる枝が愛おしく、切らずに残すことにした。
 保身? トゲ? 人間様とは どこかが違う。いずれにしたって 慎重に!
ミツルさん、彼は愛想が良い。朝一番に ”おはよう”と声かけてくれるのです。穂先がすり減った箒で落ち葉はき、朝には一度綺麗になったのに 風が吹き、午後には庭一杯に葉が落ちた。それを不満も言わず 掃き集め。
ノブさんは 血相変えて私を呼ぶ、何事か有ったのか? すると 自分が集めた落ち葉をトラックで運べと指示された。
 愛おしく 癒される日々は 何も桜を見ずともできるはず、特権意識さえ 無くせばの条件つきという事なるも・・・・・。
 

3345:尊厳

 家族って 何なの? そう問われて 直ぐに答えられる人は 少ないんじゃ~ないでしょうか? 人生の順逆は時計の振り子のように繰り返しやってくる。家族の真骨頂は、家族が逆境に苦しむ時に 励まし慰め、見守って・・・・・ そんな存在かもしれませんよ。(仏教の“無功徳”の解釈…功徳を求めれば功徳なしと断じる(禅))
 ”共生” の二文字を目標に掲げ、続ける現在の仕事、それぞれの家族にとって 果たしてより強く確かなもの(絆)となっているだろうか? 一人ひとりの心の奥を知ることはできません、 利用される人たち、家族、スタッフ・・・等々多岐に渡るからだ。(仏教の教えからすれば・・・共生を求めれば共生なし・・・となるのか?)
 自分では 決してそこから逃げようとは考えない、否、逃げられないというのが正直な気持ちかもしれません。寺に生まれたことを 若き日に独り悩んだこともありました。その反発が私の今の源泉になっているのかもしれない。ひと時たりとも そのことが頭から離れたことは無い。しかと 此岸での疑問を 自らの答えをもって彼岸に渡りたい・・・そんな現在の心境です。
 僧侶の道に入り、初めて知る仏教の教えや実践を 自分に置き換えて たじろぐ日々は 今も続く。宗教は長い間に枝分かれがあり、そこで残った多様な展開も、この先を考えれば さて どうなるのでしょうね?
 その時はその時・・・・・かもしれないが 宗教のもつ本来の使命、”救い”がいつの時代にあっても基調であって欲しい。
 
 
 報復の連鎖、ルールなど無きに等しく、世界が何かに魘(うな)されているようです。力で抑えようとする者が 台頭し、弱きものは 逃げ惑う。今の状況は 世界中どこでも 時に構わず、その災いに自分たちが巻き込まれてしまう。治安の悪化が 何が原因で起こっているか 貧しさか欲望の充足なのか? ペシャワール会の中村哲医師が何者かの銃撃によって死亡したというニュースが流れた。中村氏は 自らアフガニスタンの危険地帯に赴き アフガニスタンの人々の為の支援活動をし続けてきました。氏が日本の国会で話されたことがあります。 今となってはそれも空しく実に残念に思う。その時の演説は日本がアフガニスタンに自衛隊を派遣することはアフガニスタンの為に決してならないと語った。
 一方では平和外交を掲げながらも 外国からみて実際に日本がそれに適った活動をしているかどうか?おそらく 中村氏にすれば 忸怩たる思いが強くあっただろうと思います。
 自然は特定の人々を選び攻撃はしない。人間は違う。人間は平和を望まぬ者はいない。自然は違う。自然は己の利のために存在せず。人間は違う。・・・・・・・・。
 現実に今起こっていることは 自然をも変えてしまうような天井知らずの人間の欲望と驕りではないでしょうか? それは確実に深まっている、巧妙かつ恣意的に。
 尊厳は何も人間だけでは無いはず。自然の尊厳無くして生きながらえる事など在り得ない。「参考:アフガニスタン研修受け入れ」
 
 
 喪失と慣れ・・・大切にしてきたことが何かの原因で無くなった時、私たちは徐々にそのことに慣れてしまいます。良心の呵責はあそこだって、あの人だってやっているんだから・・・・と自分を正当化しようとする狡さに重なる。
 神奈川県庁で起こったデーター流失、もしかしたら氷山の一角かも知れない。同じような問題が国会で持ち上がっている時に表面化したのは 無関係とは言えまい。今後、芋づる式に広がるのでなければ良いのだが。
 これも 過度の利便性・合理化の弊害(落とし穴)と思うかどうか? 急増する虐待や詐欺事件とどこかで結びついていると私は思ってしまう。 児童相談所の対応の遅れが問題視されているが仕事量が減った訳ではなく、机に向かうことが増えた割りに直接児童に接する時間が減り、子供の声が消えた 現場がSNSに合わせるのに必死で 本来の業務が疎かになった。これが現場の声なのです。
  日本の法制度の変化が速すぎることが大きな原因だと思います。末端まで周知できない内に変わってしまうことが多すぎる。人間の尊厳をも 合理化できると考えているのだろうか。
 
余談・・・GH周りの植木の剪定、じれったくて 始まったは良いけれど 電動バリカン(?)で枝を切るのでなく 指を切る。急いで通院し 処置して頂く、ドクターに慰められ、帰宅したが夜中 ズキズキと痛みは残った。思い知ったか?と自問する。喪失と慣れ。

3346:狸さん

 冬は 巣穴に籠もり、夏には 夜中に徘徊始める狸さんは 正式には哺乳綱食肉目イヌ科タヌキ属と長い肩書、私の住職する寺のむかし話に狸と和尚の話があります。ずるがしこいタヌキが境内に住み着いて 住職との奇妙な生活を面白おかしく書いたもの。その子孫?かもしれない 私は 何度か境内で狸さんを見かけた。彼らは一夫一妻制を守っているというから大したもんだ。
  今は東京のど真ん中に”タヌキさん”が出没するとか聴いた 狡猾で 善良な市民を騙し困らせているらしい。外面が段々 狸に似て 動作までもソックリ、暗くなれば動き出し、ゴソゴソ&ヒソヒソ、暗躍している。胸に何か光るモノをつけ、付き人を伴って 上機嫌・・・・・  『 私の責任で善処します・・・・』は常套句、。
 狸とキツネ どちらが好きかといえば 日本人は狸が圧倒的に多いと思う、その根拠は ま~個人情報保護に抵触するかもしれないので 今日の所は先送り。
 その狸は最初の頃は飼育されていたらしい。モフモフで丸くて愛くるしい 懐けば ペットとしては十分だ。 その素質はDNAで代々引き継がれてきたようだ。ただ 人間は違う。体を使わず頭を使い 楽して目的を果たせば良しといつ頃からか考えた。
 お金なるものを考えて、しこたま貯めて 独りニヤニヤ、ここが狸さんとの分かれ目で 。。。。もう 元には戻れまい。(35代目現住職の独り言)
 
 人間は 果たして高等な生き物と言えるのでしょうか? 何を高等というのかによると思いますが 智慧にも善悪ありまして 必ず悪智慧を働かす人間もおりますね。 ここを弁えないと大変なことになります。
 技術の進歩や豊かさを競う社会、その方法を一つ間違えれば 殺戮の武器になる、そして、そうならないように防ぐ手だてがないのです。全く同様のことが あらゆる所に蔓延してしまった。ワクチンとウイルス、この関係は永久に続く、一時的に抑えても耐性菌が現れる。自由主義市場経済は、良いようで実は深刻な問題を孕んでいる。立ち止まることができず 常に進歩・開発の人参をぶら下げられて走り続けねばならないという。それに制度や法律を変えるスピードがそうだ。まさに ニッポンがその濁流に飲み込まれようとしていませんか?これをいつまで続けるのか 誰一人判らない・・・・。
 恐らく この国の立法府でいま争点となっているのが 花見の費用を誰が持つのか?です。答えはハッキリしているでしょうよ。≪自弁か廃止≫これしか無いはずでしょう。それすら判らない異常な事態、お抱えの専門家が知恵を出し合い、また新たな方法(言い訳)を考えているに違いない。 この方法を 全く反省もなく続けているのです。
 早速 狸の父さんに問うたれば ” 住職よ 見ろな~!日本中が人気がない街になってしまって 俺たちが住んでやるしかねえだろうよ どっちが大事か分からねえ奴に税金払って バカモノだ ” チチン プイプイ。
まったくだ!プイプイチチン。
 

3347:お・と・も・だ・ち

 
 しびれるね


 忘年会のシーズンになりました。今年最初の忘年会は厚生園、恒例となった土浦のローブを会場に行われた。利用者全員が参加できたのは奇跡? 約3時間の宴は それぞれの出し物があり、ハプニングの連続となりました。 途中、N子さんが 突然私の席に来て見せてくれたのは 今年病気で亡くなったOさんの遺影写真、いつも彼女が自分の部屋に飾っているものだった。そして 3人の仲良しと一緒に写真を持ちながら歌ったのです。 彼女にとってOさんは 小さい時から生活を共にしてきたお・と・も・だ・ち。普段は寡黙で大声を出したことがない彼女はお別れ会の時 棺の前で大きな声を出して泣いた。 
 忘年会は いつも Oさんが≪エイエイオー≫を壇上に上がって締めをした。今回は 一緒に歌ったY子さんが替わった勝ちどきで締めを行った。
 私は 胸がいっぱいになった。 皆さん一人ひとりの生きざまが頭を過った。私の両脇の席には 今年で43年目という おやつ作りのボランテアのAさんとFさんも目頭を押さえていた。。
☆ 成人寮忘年会:出し物(上スナップ:千昌夫義兄弟 特別出演))
 
 
 誰だって 年を取れば 物忘れが多くなり、体の機能も衰える。そんな時 よりはっきりと頭に浮かんでくることは 過去の思い出かもしれません。人間は 期せずして過ちを犯すこともあります、そういった体験が後の自分の道しるべになっている。だから 過去を蔑ろにした人間は いずれ何らかの不具合として自分に降りかかると思う。スペインで開催されていたCOP25、日本の担当大臣が流ちょうな英語で演説を行った。それに対しての世界の反応は厳しいものだったという。K氏は 若手の政治家で期待の星(?)、私は国内での彼の演説を何度か聴いたことがある。自信たっぷりで 聴衆を笑わせ飽きさせない、会場はいつも多くの人が集まった。だが、今回は明らかに違った。世界の人達から痛烈な攻撃の洗礼を受けたようである。 それは スウエーデンの16歳グレタさんがいたからかもしれない。彼女は命がけで活動しているから格が違った。彼は日本国内では人気があるかも知れないが世界は違う。 その類の演説でははっきり言って”NO"。具体的に自らが行動し実績をあげねば 言行不一致と見なされ 相手にされなくなってしまうでしょう。
 おともだちにも様々な人がいます。グレタさんの素晴らしさは 阿(おもね)ることもせず借り物の美辞麗句ではなく 実践の裏付けがある言葉だから 聴いた人たちに強い衝撃を与えるのでしょう。
 残念ですがニッポンに欠けているのは そういったリーダーの不在です。彼らにとっての おともだちは ・・・・真の友達ではないのですよ。
 
 
 年取ることで 新たな気づきがある。 蜻蛉のように フワフワしている間に 時間が過ぎていく 正直 そんな気持ちになりませんか。無我夢中で走り続け人生を送った人も多いことだろう。競争の社会を象徴するような 出来事が連日紙上を賑わせ そこに 自分を発見して ハッとするような経験をされたことはありませんか? 
”しゅうかつ”にも就活と終活がある。でも 絶対ではない。( 昨日:元官僚トップをつとめた方の判決があった。その時ヘレンケラーの言葉が頭を過った。*【もしも この世が喜びばかりなら、人は決して勇気と忍耐を学ばないでしょう】)
 いずれにしても この世に生を受けてから 誰しもが通っていく道ですよ。仏教は輪廻を説く。生老病死 時間を縦軸で捉える。弥勒信仰は 縦軸、何十億年というもの、人生を100年生きたとしても私たちは死を恐れ より長く生きようともがく。生命の謎を最先端の科学でさえ明らかにできることは微々たるもの、その環境の中でいかに納得できる人生を送れるか!枝葉のことに翻弄され迷い苦しむのが常となる。
 終活は己と対峙すること、これは 早いとか遅いとかとは次元を異にしたものであったとしても 心の準備はしておくべきと思いますよ。
 * We could never learn to be brave and patient,if there were only joy in the world.
 

3348:受容

  世の中は繰り返し変化してきた。
 けれど 今の状況はそんな悠長なことは言っていられない。人間は自ら考案したものによって 自らが束縛されるという反転現象に戸惑う、呪縛と言っても良い、核の戦争抑止力は その中でも最たるものだ。 〇〇の平和利用というのもそうだ。嘗て そのようになった試しがない。欺瞞&詐欺・・・・卑しい打算。
 どんなにお人好しな人物でも そうだろう。戻れない過去を諦め、今もって高価な代償を払い続けている。そこに見えるのは”矛盾” であり、やればやるだけ道理の一貫性に欠けてくる。(韓非子)
それを 更に危うくさせる現代社会の病巣はSNS依存、すでに妄執の状況を呈する。特定の人間がつぶやく言葉に敏感に反応する 株価の動き、グローバル化した世界が一斉になびく構図ができている。幸か不幸か瞬時のキイ操作で人間が一生をかけても得られない巨万の富を手に入れる。
 こういった新たな社会に人間は 適応できるのでしょうか? おそらく フロントランナーを自負する人たちこそが 適応できていないと私は思うのです。仮想現実が 唯一の逃げ場となり それから抜け出せない。これは 人間の本性、欲望と同化し判断力や受容力を失っているとしか思えない。
 心の病に苦しむ人々の急増、もしかしたら 正常な人間の免疫グロブリンの働きが影響しているのではないでしょうか?その生来の機能さえ 弱めてしまうことに価値観を見い出そうとする人も急増している。盾(タテ)と矛(ホコ)
 
 受容は 現実と対峙する時の条件である。相手を許したり受け入れる為には こちら側の余白が必要、何も書かれていない白くあいている部分だ。今の状況は どこもかしこも余白にギッシリ書き込み、それでも足りず 新たな紙を重ねている様に見える、
 ノーベル賞の授賞式で吉野氏が語った中に地球環境の悪化に大人たちが責任をもって取り組まなければならないというものがあった。次の世代を担う若者に負の遺産を残し、今さえ良ければ良しとするような考えに疑問を呈した。世界のすべての大人たちがグレタさんの言葉にどう向き合うか、日本が過去の栄光に浸かっているような場合じゃないだろう、これが平和(?)なニッポンの裏にある偽らざる実態ではないのだろうか? 人への迷惑など知った事か!と言わんばかりのゴミのポイ捨てから始まり 違法な行為が一向に減らない。
 少なくとも私達は自らの出来る足元から やっていくべきで それが底流とならなければ この国は亡びる。
 正確な情報に裏付けられた国家目標、 それ自体に信頼性が無く、自分中心の人間が多すぎるように感じてしまうのは 私だけなのだろうか?勿論 これをも 受容せよとは 言ってはいない。NOである。
 
 長い事 障害のある人たちとのお付き合いを続けさせて頂きました。価値逆転というと叱られそうですが 私たちは何が正常なのか分からない時代に生きていると思ってしまうのです。不自由な点があるとすれば それをどうすれば軽減できるか・・・判りますよ、でもな~後出しジャンケンみたいな ルールを逸脱した事が罷り通り、 何か事が起こった時に”ヤッパリ”と気付く、・・・・・こんな事が何の反省もなく繰り返されていませんか。
 何かのトラウマで遮二無二走るような社会が果たして 安心の持てる社会なのだろうか?と・・・
 参議院にお二人の重度障害の方が議席を得ました。それによって 何かが変わることができればとの期待があります。 横浜市にある病児保育所が閉鎖することになった。障害者が一般就労した時に送迎の費用がない。
 官庁の障害者雇用率の低さ。・・・・・ 日本の本流から外れた施策は どこかチグハグ その実態は一般に知られていない。
 倉庫の奥にしまい込んだ書類を事ある度に持ち出すようなことを 現実には今も行われている。受容と無駄、この二つの言葉を考えるだけで何が問題なのか判るんじゃないの? 
 

3349:だるまさん

 最近 『だるまさん転んだ』という遊びが校庭から消えた? 鬼が一人、木や壁に向い「だるまさんころんだ」と言って後ろを向き 鬼に気づかれずに鬼に触ると 最初からゲームがスタート、逆に動いたのを鬼に見つかった者が人質になる。この遊びの由来は諸説あるようだが 「面壁9年」の達磨禅師の古事からという説がもっともらしい。問題はそんなことではなく 最近の小学校や保育園での休み時間の子供たちの過ごし方は どんな風なのか ちょっと気になった。引きこもりやスマホと時代と共に変わっている子供たちの遊び "追いかけっこ"はどうなったかな~。ひょっとしたら ・・・子どもの遊び方改革・・・も近く出されるかもしれない。どうも 改革がお好きな様だから、それより 自分達の改革の努力はどうなのよ???と余計な話をしたくなる。性分 性分・・・。
 尚恵学園の作業班で 40年という長い間続けられている【手作りおもちゃ工房】で 今年の除夜の鐘で撞いてくれた方に配る【手作りだるま】を準備している。令和の元号になって最初のお正月だから、・・・・。
 一つの目標に向かって40年、自分専用の糸鋸で只管木を切る。色付け担当は決まっていて 細筆を器用に使って見事に仕上げる。達磨さんの壁に向かって9年も凄いが おもちゃ班のメンバー達の作業の姿にはいつも驚かされる。
 私は中に入れる添え書きを頼まれた。
 これも 私たちが60年 掲げている「共生」の一環としての協働ですね。 少々 回りくどくなった感もするが 実は これが言いたかった。
 
 
 次年度の国の予算概要が発表された。社会保障費の割合が全体予算の中で毎年大きくなる。 勿論その中身を精査してのことでしょうが、何かしっくりしない。痛み分けで若者に負担がかかり過ぎないようにと高齢者の負担額をその人の収入に応じて変えるという。当然 払える人には払ってもらって・・・・・・ イマイチ 腑に落ちないことは 根拠となる数値への不信感、何か良からぬ数字操作があるんじゃ~ないの? 天邪鬼根性が行き成り息を吹き返す。臭いものには蓋(ふた)。
 ・・・「歳月を経るに従って恰(あたか)も無事の世界を変じて多事の域と為し」(文明論之概略)・・・福沢諭吉の言。無事か多事か?今の世は 多事に尽きる、さすがに図星です。諭吉は 明治の夜明けに活躍した啓蒙思想家(?)、最も有名な著書は「学問のすすめ」かもしれません。長い間の鎖国から脱け出すため進んで外国から学び 国のため 様々な活動をしてきた人物。 核心を学ぶというのだろうか? 今の日本は教育の在り方に関しても 揺れ動いている。大学受験の改革も然り、私には例の外国語の試験の事など枝葉のことに思えて仕様がない。いま 革新を叫ぶのであれば やるべきことの優先順位が見誤っていませんか?無事を願って多事を迎えるようなことばかりが目立つ。
 いつの間にリーダーたる者達の関心事が”選挙に勝つため”という風になってしまった。そこから何か学ぶことは あるのでしょうか? 勝てば それはそれで 謙虚さが消えていく。
新年だるまの中に入れる添え書きに・・・・平穏・・・・と書かせて戴いた。初めは平穏・無事と書いたが無事は消しました。それは諭吉の「無事の世界変じて多事の域と為し」が目にとまったから。
 日本は 低迷する投票率の泥沼から脱せない、その選挙の基本法は・・・公職選挙法・・・・公職となっていますが 先ずその文言を変えた方が良いのでは。
 
 民主主義の基軸が揺れている。その現実に本気になって向き合うことを避けているようにしか思えない。どこかしこも 有権者の過半数に達しない投票率となっている、こればかりは数字を改ざんできないし、これを異常事態と感じない状況が蔓延してしまった。なぜ こうなったのでしょう! 投票年齢を18歳に下げ 若者に責任と自覚を求めた。結果は推して知るべし、誰に投票してよいか分からないということらしい。これを若者の責任に まさかしないだろう。
 明らかに大人たちの責任で その最たるものは 現職のバッジをもつ人達だと言えよう。
 ネット上で 不正防止に関するチェックが急に増えたように思う。パスワードの変更やら 詐欺紛いの警報メール 今は これすら信用できない状況になっていないでしょうか? 神奈川県庁であったデーター破棄処分を業者に頼み そのデーターが破棄されずネット上で売り買いされた。こんなことが現実に起こっている、キャッシュレス化を推進し 巷には様々な情報があふれている。これで 安全で住みやすい社会になるのだろうか?
 過度な合理化やスピードを目指した結果、逆にリスクが増えている。リスクを作って リスクで儲ける、そんな時代になったともいえよう。
 だるまさんが転んだ・・・・・。この遊びが消えた原因を考えてみた。1つ目は 誰が鬼か分からない。2つ目は 遊びのルールを守らない。 ウーム これは これは 今の世の中とダブってしまう。

3350:価値再考

 現代社会の危うさを 以前から指摘していた人たちがいる。その人たちが今 持論を唱えれば 危険人物とされ 重用されることはなく、窓際に押しやられ憂き目をみることに耐えてきた。その人たちこそが 時の権力におもねることもなく、自らの考えを守ってきた少数派。
 この国が今 どんな状況になってるのか 残念だが 誰も分からない。資料の改ざん・破棄を許した今の政治は その者が責任をとって辞めて済む問題ではない。嘗てのリーダーが覚悟と自戒を込め一線を引いたレッドラインをも簡単に飛び越え、さも 日本の為にと言わんばかりに慎むより 逆にそれを英雄気取りで自慢していませんか。子が親の姿をみて育つように 親が範を示さず 何を誰から学べというのでしょうか。これは教育の制度以前の問題だと思いませんか。 それとも 他に????  最近 ”忖度”という言葉が目立たなくなってきたように感じる。これは それ自体が無くなったのではなく 世間全般に忖度が蔓延し、 もはや珍しくないからだと言えないでしょうか?
 じゃ~私達が考えを再考するとしたら 何を根拠(手本)とすれば良いのでしょう。日本が過去の戦争の過ちのトラウマから抜け出せず、戦後70年以上も歴史人物から学ぶことを避けてきた。ドイツが義務教育の場で先の戦争に対し徹底した反省と繰り返さないという決意の元に教育の中で力を入れ行ってきたことと真逆の道を選んだ日本。違いますか?次世代に伝えると言いながら 肝心な議論を封印してきた。 
 鎖国を解き国を挙げて取り組んだ開国の”明治時代”、その立役者となった先人たちの生き様、思想、先見性、創造力・・・等々優れた手本があるのに、残念だが これさえも窓際に追いやり 書店の片隅に置かれてしまった。
 だから見なさい!改革が誰のため何のために! と問われても、彼らは明確に答えられない。その不確実性が 政治への無関心層を増加させていると言っても過言でない。歴史から学ぶとは 何もマネをするということではない。誤った道に踏み込んでしまった原因を一緒になって考え、どうしたらよいかを探っていこうというものでしょう。それを省いて、いくら声を大にして 改革を訴えたところで こころに響かない。 国民の意思が 投票に行かないという行動で示していると考えるのは間違っているのでしょうか! 私は そんな風に捉えています。
 今日、ご自宅での49日法要があった。仮の祭壇の真正面の鴨居には南洋で戦死した叔父さんの遺影と勲章が飾ってあった。本日49日の故人は 実家の農業を継ぎ、最後まで梨づくりをして家を守ってきた方だった。
 享年79歳。昭和16年生まれ。
 
 様々な価値観が許される社会が本当に幸せでしょうか?  今もって理解しがたい事件は相模原の障害者施設で起こった元職員によって起こされた入所者大量殺人です。漏れ聞こえてくる犯人の主張は信じがたいもので「国のために 自分がやった・・・」と話しているという。知人に あの事件を風化させないために 今も様々な活動を続けている人がいる。彼も施設職員である。
 世間では 信じ難い惨い罪を犯すものが後を絶たない。新幹線内で起こった無差別殺人の犯人は 裁判で無期懲役の判決が下された時、その場で大声でバンザイを叫んだ。彼の主張は・・・刑務所で一生暮らせるように 殺人を計画した・・・と変わっていない。
 紙上に載るニュースは、真面な事件は影薄い。全体からすれば ほんの一部の事件かもしれない。報道の自由に対し 日本ではあまり騒がれない気がする。日本人そのものが危機感が薄いのだろうか?
 仏教の説く”八大地獄”に阿鼻(あび)地獄というものがある。地獄に落ちた亡者が責め苦に耐えられず、泣き叫ぶさま(阿鼻叫喚)。そこから抜け出すことができない身の上を”奈落の底”と言った。”奈落”は”地獄”と同義語だが実は別の意味もある。それは劇場の舞台と花道の床下の意味で 回り舞台やせりなどの仕掛けをさす。
 暗に世の中の有り様をほのめかすような表現は 昔より有ったのかもしれない。 昔 文字の裏を読め!と教わったことを思い出した。
 持ち返すようだが、例の”忖度(そんたく)”も同じ土俵を舞台にしているようなもの、でも、その演目では客が集まらないのも至極当然だ。
 
 
 生き物は 生き辛さを感じれば 自然とそこから離れていく。人間も然り、ただ そのやり方は一人ひとり違う。同じことを言っても、やっていることは皆違う。分かり切ったことだ。 私は テレビは殆ど観なくなった。面白くないのだ。 体を休める時のBGMの感覚。
・・・・世の中が喜びばかりになったら 人は決して勇気と忍耐を学ばなくなる・・・・このヘレンケラー女史の言葉は 彼女ゆえに重く響く。自らの障害を受け入れ、そこから出てきた言葉だ!決して借り物ではない。
 コンピューター技術や電子ネットワークによる疑似的な体験、それを仮想現実と称し、生活に生かそうとヒタ走る。いずれ仮と現実の境が分からなくなって、自分が誰なのかさえ判らなくなる。善悪の判断も同じ。そこに 価値観を見つけようとすれば どんなことになるか? 答えの無い際限無き迷路が待っている。・・・・・と 思うのです。
 いや 違うな! すでに世の中は そうなってしまったかもしれない。権利と義務、公と私の曖昧さは 今後益々大きくなるだろう。
 具体例として、経済最優先を掲げるのもいい加減にしないと 格差が広がる一方、取り返しのつかないことになる。”素”と”祖”と”疎”は三つとも音読みでは”そ”、耳で聞けば同じだが、その意味は違う。どうやってそれを見極めるか。。。。?(障害福祉が平和活動という所以がそこにある)