源究194

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 3391  選択と前兆  4/22  3396  車中談義  5/6  3401  続・ぬくもり  5/20  3406  連れづれに  ☆
 3392  不可思議  4/25  3397  変わらねば?  5/9  3402  信頼と共生  5/22      
 3393  目がさめて  4/27  3398  もやい綱  5/12  3403  意趣返し  5/25      
 3394  答え・・  4/30  3399  共存?  5/16  3404  何を学ぶか?  5/27      
 3395  足元  5/3  3400  ぬくもり  5/17  3405  愚かさ  5/29      

3391:選択と前兆

 こうなるという予兆は 誰もが感じていました。SNS・・人と人をつなぐ社会的なサービスの総称・・の急速な拡がり、最早 それを止めることなど出来ない。 便利さやスピードに価値をおく、様々な技術革新が 現代人のノルマとなった。だが、その中で自分の立ち位置を見つけるのが 本当に難しい時代となりました。大量に作って大量に消費するという経済の流れは変わる兆しなど見えず更に拡大し続けています。本当に これでよかったのだろうか?
 それを裏付けるための研究に世界のトップランナーを自称する人達は一喜一憂、より刺激的で付加価値の高いものを求め走り続けています。この状況を いったい誰が喜ぶというのでしょう? その検証さえ儘ならぬ浮世の荒波に、多くの人々が流されまいと必死に岩にしがみ付くように見えてしまう。
 前兆があったとすれば 今、世界中を震撼させているコロナ禍もそうではないだろうか? 何の前触れか知れず気付いた時には 既に蔓延が始まっていた。残念だが ストップさせる決定的な方法は判らない。それを象徴している国が経済の豊かさ、巨大な軍事力で世界の警察を演じ君臨してきたアメリカかもしれません。
 ワクチンや治療薬の開発には 時間がかかる、過去の感染症と同様に 承認されるまでには様々な条件をクリアしないとなりません。それまでの間 我々は どうすれば良いのでしょう? こうしている間にも様々な情報が流れ、不安を増大させている。もしかして これが現代人が望んで選んだ姿(社会)ではなかったですか? 違うと貴方は断言できますか?今は 感染の終息に向け世界が連携して努力をしなければならない。そして その後に、私達に突き付けられた問題は、生き方の選択です。どうすることが良いのかが 一人一人真剣にその命題に向き合っていくことです。

 ☆友人から ハガキが届いた。熊野古道(中辺路)を歩いた時に撮った長閑な集落写真に添え書きされてあった。
 
 戦後75年になりました。戦争を知る人達がこの国から随分少なくなった。不戦を誓い、荒廃した日本の再興に必死になって努力した人達が世代交代し、世の中も随分変わった。それでもリスクはいつの時代にもついてくる。
過去の数々の国難を 乗り越え 今がある。けれど 今回直面している問題は その比ではないのではないか?国と国の軋轢によって起こったものではなく ウイルス対全人類という構図がハッキリしている。 
 コロナ禍の問題があまりにも大きくて、時を同じくして 私達障害福祉に関わる人たちには重大な関心事であった≪やまゆり園事件≫の裁判が終わった。昨日、東大の福島智教授が出演した番組があった。
 やまゆり園事件で子供さんが被害に合った家族との対談でした。福島先生は9才で両目を失明、18才で失聴、全盲ろう者になった。お母さんが考案した指点字によって自らの言葉で語られる。東大で障害学やアクセシビリテイを教えています。 対談は、・・・犯人がどうして あのような考えになり大量殺戮まで起こしたのか?が焦点となる。・・・・重度障害者は生きる価値がない・・・犯人の植松は一貫してこのように言い続け、国の為に自分が実行したと死刑判決の控訴は自ら取り下げた。
 ヒトの痛みや悲しみを自分の事として感じることは 本当に難しい。障がい者となった原因が その人の責任ではないと判っていても、無慈悲な振る舞いを受けてしまう人が多いのも事実です。
 私達は障害者の自立や本人の意思決定支援という言葉を安易に使っていないだろうか?と自問してきました。自分が今 ここにいるということが 本当は不思議なことなのです。奇跡?当たり前の事じゃない?
 仏教は この考えを基底に置いています。これは 世の中が如何様に変わっても不変の真理である。もし それが変わるようなことになれば 仏教そのものがこの世に存在する理由が無くなることだと説いている。

☆Y氏(ドイツ在住)から メールが届きました。『この街と人を愛す』という全部で95ページの文章・・・自分の思いを全て表現しました・・・と添え書き。このHP上で全文を掲載。

3392:不可思議

  庭先に 
今年は
3つの花
 不可思議とは、言葉で表したり、心でおしはかったりできないこと。(大辞林)1064(10の64乗)という単位を当て、人知の及ぶ範囲ではないと諭す。 生来、人間には未知な事を解き明かしたいという欲求がありスーパーコンピューター等を開発進化させてきたともいえるが 使い方次第では取り返しのつかないことになりかねない。
 その線引きも曖昧にして、昔から超えては成らぬ一線をひいたのは その恐れからでは無かったか? 現実には自分たちで作った機械やルールにより 自分たちが縛られる。これは 我々が変化のスピードに付いていけないという証です。新たな発見をしたとしても糠喜びに終わる。それは 相手も常に変化し一定でないからです(無常)。
 仏教で説く共生や報恩(感謝)という言葉は 平時にはあまり語られない。一大事(有事)に直面した時 私達は 何かに救いを求め、自らを省みることを学んだ。でも 残念ながら この思いもまた 変化する。然すれば どうしたものか?
 ゆえに 不可思議だと教わりました。
 
 吉幾三さんが昨年の11月に発表した唄がある。タイトルは『涙・・・止めて』 ユーチューブで公開されています。コロナ騒ぎが起こる前に世に出た曲は 今の世界の状況に対して応援歌となっています。
≪ 涙・・止めてという曲名なのに涙が止まらない不思議。≫♪♪とのコメントが目に留まった
 今朝のNHK深夜便は 良かった。さだまさしさんの話、緊急事態だから コンサートも全て中止となって、今はできるだけ家の中で過ごすようにしていると語る。彼の唄もそうだ。『風に立つライオン』は一度聴けば ずっと心に遺る。
 ノーベル文学賞を歌手で初めて受賞したボブ・デイランは『風に吹かれて』(Blowing In The Wind)で 戦争や地球環境の破壊を止めようとしない人間に対し どうしてなのか?・・・・風に聴いてみよう!・・・と唄った。
 今 私達一人一人が変わらなければ ならないことを教えている・・・・ 水と緑におおわれた日本  この国で みんなが生きていくのなら・・・・。
 母親が唄う子守唄で子が眠る 万国共通。・・・・それが できない子供たちも地球上に沢山います。私達は 真の幸せを捜す旅に出なさいと言われて生まれてきたと思います。もし一人で出来なければ 手をつなぎ 励まし合って歩いていきなさい・・・と。
 

3393:目がさめて

 皆さんは 如何ですか? 生活のリズムが以前と変わってしまったと思っている人が大勢いると思います。原因は”不安” 今 地球上を覆っている暗雲は ウイルスという肉眼では 見えない相手。目を覚まし 状況が一変し 何も無かったかのように 昔のように ・・・・春の息吹を体いっぱいに感じ寝転ぶようになっていたら どんなにか 良いだろうと 遠い昔の話ではなく 半年前はそうだった。 でも 直ぐに現実に体を強張らせてしまう。 思うようにならないということを これから 生まれてくる赤子から90年の人生を歩んできたお年寄りまで、国や民族の違う人々全てに 容赦なく隔てなく 襲ってくる 。 今 地球上にすむ人間以外の生き物が この状況をどう観ているでしょうか。
 日本は大型連休に入り、人の動きの自粛と 3密を回避する徹底をはかろうと必死になっている。確実なことは 自分だけではなく 全ての人が 同じ状況に置かされているということ。感染のピークを越えたと 規制を緩和すれば これぞとばかりに 相手は勢いを増して2波~3波と容赦ない攻撃をかけてくる。一体 いつまで これが続くのだろう? 明確な答えは 誰にも出せない。
 抗体検査を大規模に行おうとする国が出ている。日本も同様の方法を準備中とか、 
 グローバル化や経済優先への疑問から 行動や生活様式の変容を訴えても 具体的にどうするか 見えてこない。 やるべき事は突き付けられた問題を熟考することだというが 一人だけ 一国だけが実践したところで ここまでなってしまった地球の環境は容易には変わるまい。
 いま 私達ができることは何だろう! 不要不急という言葉は外出だけではない 今まで自分たちが 当たり前と感じてやってきたこと(無駄・浪費・贅沢・・・)を どうすれば 本来の有るべき姿に一歩を踏み出せるか・・・覚悟と決断をもって実践する  これが 今の状況を変える(夢→現実)唯一の選択ではないでしょうか!
 
 今朝の朝日新聞の一面に『千葉の障害者施設の集団感染との闘い』の記事が写真付きで載っていました。支援者が防護服をゴミ袋で作り 緊急事態に必死で対応している同業の仲間達でした。医療や介護の現場の今の状況を如実に表しています。
日本中の同種の事業所はどこも”明日は我が身”と思っています。今更 どうこう言っても始まらない。 立ち止まっていられない。それを知っているから 様々な犠牲を払いながらも利用者の感染を防ごうとして頑張っているのです。こんな時こそ大事なのは 利用者・家族・支援者の三者が一致協力して立ち向かう事しかありません。どこの施設もコロナに限らず利用者の方々の健康維持を日々行っています。大変な状況の中にも関わらず、地元の医療機関が拒否せず 診療に応じてくれています。 それと マスクの寄付が地元や有志の方からありました。大変ありがたく感謝しきれません。
  今の綱渡りの様な状況がいつまで続くのか判らず、強いストレスを感じながらも頑張ってくれるスタッフ達に心から感謝しています。 
 

3394:答え・・

 仏教の教えの中に”中道”があります。 その解釈は時代や宗派によって浅深があると言われますが 仏教教理の核心を中道で表す点では一致している。先ず、中道の意味は 2つのものの中間ではなく、2つのものから離れ矛盾対立を超えることを言い、人間が生きる上での指標です。
 今の状況は コロナ感染拡大に対し、都市の封鎖や外出の禁止という厳格な対応を取っている国と自粛の要請という 人の良心に任せるというゆるい対応をとった国に分れる。刻刻と変化している状況で その是非を決めつけるのは どうかと思っている人も多い。ただ、何の手立ても無く 茫然自失することだけは避けねばならぬ。仏教の経典には理解しやすくするため 具体的例えによって教えを説くものが多い。釈迦が苦行・精進しても悟りを獲る事ができない比丘(ソーナ)に対し、琴の弦の話(例え)をしている。・・・・弦を張り過ぎても ゆるすぎても 琴の音色はどうだろうか?・・・・琴の名手であったソーナは それを聞いて悟ったという話です。
 なんと 2000年以上も前の話です。こういった例は世界中どこにでも有るかもしれません。人間が実体験をもとにした教えです。お年寄りが縁側で日向ぼっこしながら幼い子たちに語る”おとぎ話”、こんなほほえましい光景は姿を消した。お年寄りの生きがいを奪った?高層住宅に縁側はない。
 エビデンスとかAIとかSNSという耳慣れない言葉が一人歩きしています。方や、年寄と若い人の断絶、大衆の反逆(オルテガ)、。。。。など 耳に入ってくる 混迷の情報が拡大、加速している。
 余りにも人工的な手が入り自然の恩恵を肌で感じることが出来にくい世の中になった。智慧を働かすということは 自然をも 白黒の判別をして 自分たちの良いように変え利用することではない。それは 対立と矛盾を生むだけだということを、仏教では中道という言葉で説いてきた。今こそ 自然と共に生きることを追求し、地球に生かされている者の責任を熟考するべきです。 そんな風に思いますよ。 
 
 オルテガ(1883~1955)が生きた時代は ヨーロッパの激動時代でした。多数派が少数派を飲み込む全体主義が席捲、その時「直接行動」は、順序を逆にして、暴力を最初の理性、唯一の理性だと宣言した。それから合意形成する寛容さが失われ戦争に突入した。『大衆の反逆』
 今の世界の状況は当にそういったキナ臭さがあり、一歩間違えば収拾できない混乱の世になる可能性があると指摘。日本には 先の戦争を語れる人が僅かとなった。自然との共生と過去の英知とともにいきることは一致するものがある。持続可能な社会(地球)を掲げるのであれば その具体的な方策を持つ人がどれほどいるだろうか? 世界各地で自然災害が増加しています。これは自然が反逆に転じだとは思いたくないが 人間の勝手さに我慢が限界に達し自然から見切りをつけられたとしたら、我々には 反論する資格はないと思います。年ごとに巨大化する台風、頻発する地震、環境の汚染や地球温暖化・・・・この現実に対し世界が本気で連携し取り組む姿勢が見えない。
 対立と矛盾を経済というベールで包むような状況では 人間は騙せても 自然には通じない。 
   
 
 世の中がコロナ禍で一色になっている。情報のどれを信じたら良いのか、昨日 祝日に関わらず 国会が開催され NHKで生中継された。現行の日本の制度は 手続きが複雑で 有事の際に決定まで時間がかかり間に合わないことが多い?あれだけ時間を掛けた憲法改正論議、一先ず小休止か? 今 そうではなく 緊急事態なりの有るべき姿にすべき時である。
 小惑星(直径2キロ)が地球に最接近!・・・・・NASA発表のニュースは 日本のマスコミが殆ど流さなかった。NASAは20年前から この惑星の動きを追い続けてきたと知る。29日、幸いにもその惑星は地球の傍を通過していった。(CNN)
 今日も お寺の山門近くに車を止め 携帯とにらめっこしている人が結構な数いる。何してるのか尋ねたことはないので確証はないが スマホゲームをしているようだ。  全国で未だパチンコ店で営業を続けている店があり、店の名前を公表する県が増えた。
 公私の節度と言っても 結局は自己責任から逃れることはできません。各地で徐々に広がりを見せている心和ませてくれる人達の動き、それは 見返りを望まない 無財の施しだ。この輪がもっともっと大きくなれば、必ずや この難局を乗り越えられると信じましょう。信じ実行するのも 自己責任なのだから。(・・・・・・!)

3395:足元

 浮足立つ・・・恐れ・不安を感じ 逃げ腰。 考えれば考える程、深みに入ってしまうのはどうして ? 内観法という仏教の修養法は 己の心の動きを自分で観察すること。内省と同じ。自分を省みて 気持ちを整理する。
 自分の足元を見よ!と言われても 正直 どうすれば良いのかわからない。こういう時だからこそ 必要なことは、”ありがとう”という感謝の気持ち。前項の”中道”と通底することで 矛盾や対立を超えた有り様。私達が疑いを持たず 求め続けてきた”豊かさ”が果たしてどうだったのか? その最大の壁は”人間の欲望”と仏教では 説いている。誰もが生来持っているという”欲”は 決して枯れることはない。だから 始末が悪い。
 今の不安・恐れの元凶(?)ウイルスはどうなのか? 特効薬とワクチンができれば 解決できる問題なのだろうか?いま 判っているだけでも 相当数のウイルスが存在する。これらが 何らかの理由で進化し我々を攻撃し続けるとしたら ・・・・・・。科学の進歩を 終わりのない人間の挑戦と言わしめる所以だ。
 対立の発想でなく、地球上に存在する仲間(?)として共存できないものだろうか?難しい! じゃ~私たちの免疫力は ”豊かさ”とどのような相関関係があるのだろうか?抗生剤と耐性の因果は?
 ☆『有り難い』の意味、生存の意で用いれば・・・生きていることが難しい。斯様に言葉の意味も進化する。   ≪世の中は有り難くむつかしげなるものかな≫(源氏:東屋)
 
 見栄や外観をつくろい、自分達の優位を自慢する・・・・。明暗で言えば、夜と昼があるように 必ずや明には暗がつきもの、その証拠に、林立する近代的な超高層ビルの大都市、煌々と明かりが灯り 不夜城の様。しかし、一歩入れば、今も真逆のありさまが存在する。何せ ほんの一握りの人達の処に 世界の富の大半が集まり、その残りの部分で多くの人々が食と寝る場所を求め生きている。
 残念だが、この格差は 減るどころか増えている。 当に陰と陽の世界だ。
 外出自粛が長引いて 多くの人がストレスを感じています。今が我慢の為所と お互いに励ましあって要請されていることを守っているのです。 こんな状況になることを誰が想像したでしょうか? 
 この状況下で昼夜を問わず 命がけで必死に治療にあたっている医療関係者の皆さんに頭が下がります。
 私達は感謝しなければなりません。それと同時に 自分達が出来る事を実行に移すことではないでしょうか・・・多分、これが足元を見よという事で例外なく 誰もが負った責務だと思います。
 
 
 Mさんが20年以上勤めた会社の奥様が亡くなった。彼はそこを辞めてから まだ一年が経っていない。4カ月前に社長さんご夫妻を呼んで感謝の食事会をした。お二人とも どても喜んでくれた。スタッフが奥様が亡くなったことを知らせると、≪〇〇は 大丈夫?・・・≫かと後に遺されたご主人のことをも心配し尋ねたという。スタッフが自宅に花を届け、お世話になった彼の感謝の意を伝えた。
  会社を辞めてから 休まず園内の掃除を懸命にやっている。それだって 仕事を続け身に付いたことだろう。新しい箒が直ぐに丸坊主になる、風が吹く日には 折角綺麗にしたのに落ち葉が散らかって同じ場所を文句一つ言わず掃除している。
 地域の方が ≪何かに使って下さい≫とお金を届けてくれた。お礼の電話をすると≪マスクが手に入らないので 何かに使って下さい。頑張って下さい≫と話された。
足元に目を向けると 油断を許さない緊張した時間と和ませホットするような人の暖かなこころがあることが判った。

3396:車中談義

 コロナ禍の影響が葬儀事情を変化させています。誰も不満を言う人はいない。漏れ聞こえてくる囁きは、葬祭業の方達からで、家族葬が増え、忌中払いも無くなった・・・・・。
私はマスクを着けて読経をするようになってから、二カ月以上が経つ、最初は説明して始めたが、いつの間に どこのお寺さんもマスクを着けて読経するようになった。
 タクシーの送迎はあります。若い頃は 手を煩わせないように自分の車を使った。それが タクシーで来て欲しいと頼まれるようになりました。自分の年齢を数えた。今は その厚意に感謝し自分で運転するのは止めました。そのうちに運転手さんと世間話をするのが好きになっていた。
 大都市とは事情が異なるのかどうか分かりませんが、口を揃えて言うには 今は最悪の状態だという。感心することは社会の動静を実に良く捉えていることだ。駅で客待ちしていても 電車から降りてくる人が殆どいない。いや、電車に乗っている人がいないという。給与は歩合給だから 収入がない。
 昨夜の通夜の運転手さんは 独り言のように喋った。・・・それは ロシアでの感染者急増の話だった・・・・。
 誰もが感じています。 今回の事態は今までの国難とは全く違うと、でも 薄々は 起こり得ることだと思っていたのではないでしょうか? 
 
県 協会の仕事を辞して 間もなく一年になる。気付いたことは 自分の車の給油回数が減ったこと、3分の1以下になった。遠乗りといっても土浦~水戸位だから、大した事はないが、多い時には1週間に5日往復したことを考えると 嘘のよう。電話やメールが減った。こんな事を20年もやってきたのだから 当然 足元が疎かになった。その償いだと思って これからは なるべく園の周囲にいようと考えた。何もしないではいられない性分は 以前と比べ激しくななったようだ。 気が付けば軽トラ満載の道具(?)、先日 バロネスを運ぶ為に全て車から降ろした。その中に、鎌が10本、草取りヘラが9本、使用済み軍手が20枚・・・・あった。これを無駄と思わなかったのは それだけ在るのが知らなかったから。
そう思う。
 清掃班になることになった。 最初は一人でやっていたら 見るに見かねたメンバーが二人、私の相棒になってくれた。そして・・・・職員も自分から(?)草取りを始めるようになった・・・・気のせい?。
丁度 いま新緑が眩い季節、コロナ騒ぎは まだ続くとか? コロナウイルスは太陽の紫外線に弱いと何かで聴いた。確かに 僅かでも太陽の光に当たれば コロナ禍のモヤモヤが消えていくように感じます。
 ステイホームも我慢の為所、皆さん 時間があるなら 外で除草作業などしたらどうですか! 三密にはならんと思うが 東京では無理なのか? 
 ウオーキングやランニング、河川敷や公園でやるならば ゴミ袋をもってやれば ポストコロナの行動変容になると思う。隗より 始めよ。脱グローバル資本主義・・・・????だ。熟考せよ 熟考せよ。

3397:変わらねば?

  私利私欲に走り過ぎた反省を・・・世の中がどうのこうの! あの人もやっている、そんな言い訳は通じない。これが現実、本気で変わろうとしなければ また同じ大混乱の中に身を置かねばならなくなる。それも 世界中の人類誰にも 隔てなく。
 ・・・・またもや丹精込め作った野菜が売れずに廃棄。2度3度の自然災害で収穫間近に作物全てが流された。それでもめげずに復活,頑張って漸く出荷できるまでに漕ぎつけて 今度は このコロナ騒ぎで売れなくなった。
 農業は 自然相手の仕事だ 一番先に環境の変化に影響を受ける。それが 巡り巡って全ての営みに伝搬する。今 まさに必死になって耐えている。
  マスクや消毒液が店から消えて大分経つ。使い捨てが常識だったマスクを洗って何度も使っている。今までマスクを付ける習慣が無かった欧米社会も変わった。でも 食べ物は再利用する訳にはいくまい。店頭に食べ物が消えることになれば・・・・・・・! 医療従事者と同様に食べ物の生産者も 無くてはならない大事な仕事。感謝しなければダメだ。
 今も コンビニのビニール袋が場所構わず捨てられる。中を見ると半分残った飲み物や食べ物が入っている。これをみて 感謝の気持ちは微塵も感じない。
 誰も見ていないからではなく 自分の良心に聴くべきだ。 変わらねばならない事・・・私は そう思う。  
 
 
 私達が試されている。此の儘、やっていくのかい? コロナ禍の中で 気付くことを探せば沢山あるはずだ。世界の名所旧跡の半年前の写真と比べて歴然とした違いは 空気の美しさだった。スモッグ?で良く見えなかった場所がハッキリ見える。明らかに空気の汚れの変化だ。この状態も禍の終息できたらまた同じような状態に戻す気ですか?
 損得を最優先とする社会での真偽の検証もせず再スタートするつもりなのでしょうか?私達は試されていると思いませんか。
 柔能く剛を制す・・・・・頑なさ or しなやかさ??? 勝者って 何なの? 私達が 疑問に感じながら諦め流されてきたことですよ。その延長線上に何があるでしょう。人間の驕りから見えてくる現代特有の病巣、・・いかなる物事に価値を見出せるかという判断力の劣化・・・!
 価値判断の誤りから個の尊厳の意味も変わった。その証は史実によって辿れます。情報社会が無制限・無秩序に拡がった今日、争いの火種が至る所に現れています。 これをくい止めることができますか? できないとすれば 何を判断の基準と 私達はするのでしょうか?

 株価の上下、何によって起こるのか? ゲーム感覚で 経済実態:豊かさの評価とするには あまりにも 足元が脆弱で覚束ない。(火種の一例)
  

3398:もやい綱

 船を岸とつなぐ綱を舫い綱(もやいづな)と言いますね。 豪華クルーズ船でのコロナ感染騒ぎがありましたが その後どうなったのか。世界中にどれ程のクルーズ船が、現在就航しているのか分かりませんが、寄港地に入船できず沖合で停泊している船もあるのではないでしょうか? この企画は、豪華な雰囲気とゆったりした船旅、風光明媚な観光地を順繰りに巡る・・・・時間とおカネに余裕がある人達に人気だったようだが今後はどうなるのだろうか?
  船の中でも値段によってサービスの格差がある。どこまでも人間の優越感を刺激しようとしていませんか?全てがカネ次第 現代の縮図です。
 もやい綱は本当に大丈夫かと不安になる? 有事の際、どこの国が責任をとるのか曖昧なことが今回の感染騒ぎで明らかになりました。もしかして自己責任で泣き寝入りとなったのか? この時共助(?)の精神で日本は横浜港に停泊させ、罹患者を、医療機関で受け入れた。ニッポンは凄い国だと思った? でも それさえも批判する輩はいるのです・・・・・・・。
 医療現場の実態はマスクや防護服の手配ができず、次々に運ばれてくる感染者を医療従事者がゴミ袋で作った防護服を着て対応している、その状況がメデアにより流された。
 
 ★閑話休題★ なるべく除草剤を使わないでと機械を揃えた。草を刈るバロネスは実に便利、久しぶりに使ったが、途中でエンジン紐(つな)が切れてしまった。機械の重量が重くエンジンがかからなければ動かせない。 工具を持ち出し どうにか残った紐を繋いで引っ張ると 天の恵み!一発でエンジンがかかった。痛感した・・・高がヒモ、されど紐・・・ どうにか自走させ倉庫に収納できた。結局、業者に頼んで修理する羽目に‥‥便利さは常にリスクが伴う・・・。
 
 『人間らしさ』『利他のこころ』・・・・  どのTV番組だったのかハッキリしないが人間が目途とする条件をピラミッド型で表すと頂点に この二つがなるという。コロナ禍の収まった後のあるべき世界の姿を討論する番組だったと思う。 
 利他の心は、大乗仏教の基軸です、この言葉が高度成長期に企業経営セミナー等で持てはやされたことがありました。京セラ:トップの稲盛会長の経営理念でした 一方 その言葉の本家本元の仏教界は ジッと鳴りを潜めていた。(宗教の低迷期?)
人間らしさ』・・・・ これは、天井無きAI信仰への警鐘?で一部で遠慮気味に語られていました。そんな事を言えばヘソまがりの時代遅れと無視された。それがどうでしょう 今のコロナ禍が価値転換の切っ掛けに成り得るでしょうか? 感染拡大が止まらない状況の中  何故か メデアは挙って、スウエーデンのグレタさんの報道を控えているように感じます。 彼女は今 どうしているのでしょうか? 彼女は続けてきた、地球温暖化阻止への戦いを これからも続けるでしょう・・・・それが いつの間にコロナ感染に擦り替わった。 彼女は人間を地球に繋いでおく”もやい綱”の役割を果たしたのです。彼女の訴えの核心には「人間らしさ」喪失への危機感がある。 
彼女の勇気と実行力は段違いです。
 一国主義・名誉・保身等々・・・ 既存の社会体制・価値観を危機の時代だと論じることは誰でもできる。 グレタさんは 自分たちが言うだけではなく行動しなければならないことを知っている。だから 言い訳をしないのです。(因果⇔もやい綱)

3399:共存?

 因果について・・・今ある事物が以前の何らかの事物の原因の結果であり、また将来の何らかの事物の原因と仏教では説いている。今のコロナ禍を 因果から観た時 どうなるのでしょうか?冷たく因果応報と? 釈尊の時代と大きく変わったのは、人間の能力を遥かに超えた変化のスピードです、周りを見回せば、是か非・善か悪の判断すら、確かめる前に変わってしまう。未解決な事ばかりを積み上げ、何とも感じない。幹枯れを起こしているのに枝葉に栄養剤を注ぐかの如し!デジタルかアナログか?? もうそんな次元ではない 体全体に感覚麻痺を起こしていないでしょうか? これを元に戻す術は無いというのが一般的所見となってしまった。
 【豊かさ】への妄執・妄信は 世界の隅々に伝搬し、最早 人智の及ばない状況までいってしまった?何故 このようになってしまったのでしょう? スーパーコンピューターの能力をいかに上げても、この問の正解は出せまい。
私達の終局の望みは何なのか?・・不死・・・つまりは死なないということでしょうか? ブッダが生きた時代は 長生き出来て精々50才。生老病死を根本苦に据え、人生をどう生きるべきかを説いたのです。輪廻は仏教の基本的な概念、三界(欲界・色界・無色界)・六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)を繰り返すことを 真理&宿命と説く
 共に存する=共存。共に生きる=共生。誰しもが人生を全うするための道標とした理由がそこに在る。いつの間に ”共に”という標(しるし)を忘れ、自分さえ良ければを”個の尊厳”と勝手に解釈し始めた。そして目に余る行為をも正当化する。そんな風に思えてしまう。
 唐突ですが≪もったいない≫という言葉が消えて無くなるのは時間の問題かもしれない。
 
 
 勿体の本義は威厳や品格です。”勿体ない”と”勿体振る”のコトバの違いは歴然としています。日本語は複雑です、私達は これらを辞書を引くことで学んだ。それが 今どうですか? 部屋の隅に埃に塗れ使われず置かれた辞書、その代わり便利なネットの辞書機能があります。それは表面的な理解は得ても、何かが物足りない。あの人の言葉にはこころ動かないとか軽いというマイナス評価は 単なる道具としてのやり取りで 責任や実行が伴わないからなのでしょう・・・・・。
 それは有事の際に見えてくる。
 これから先 ”勿体”をどう考えるかは人類共通の問題となるように思います。それは四苦の一番目にある”生”だと思います。生命誕生の神秘は大半が未知の世界、成長するには様々な条件をクリアして今があることを忘れてはならない。折角 この世に生を受けたことは、奇跡です。私は 小さい頃から障害を持って生まれてきた人達と接することが多かった。今年で70年、振り返ると 彼らから教わったことが実に多かったと思っています、その最大のものは”もったいない”という思いかもしれません。 

3400:ぬくもり

 
朝日受拝
いつも 変わらず・・


 微笑み、和み、ぬくもり、・・・良いな~!早く そんな風になりたいよ。 昨日は風も無く 穏やかな一日でした。それが一転し、気温が8度下がり、朝方と日中殆ど気温に変化なく、午後から雨になったから家に籠もるしかなくなりました。 これでは体調を崩す人も多いと思う。非常事態宣言が東京など8県を除き解かれました。この決定に賛否両論、2波、3波に油断するなと言われても再び感染拡大とならねばと誰もが願っています。
 コロナとの長期戦、今までの生活スタイルを変えることができるでしょうか?日本だけと言うわけにいかない。
数日前、突然自宅のパソコンのインターネットが使えなくなった。何故接続できなくなったか、いろいろ試してみたが元に戻らない。結局、訪問サポートを頼むことにしました。翌日、約束の時間に来て直ぐに自前のパソコンと繋ぎ原因を捜し始める。なんと原因を見つけ、復旧するまで30分程の時間だった。プロは凄い、傍にいて そう思った。原因を私に判るように説明してくれた。依然はパソコンだけの修理だったものが、様々な機能がつく時代になり、仕事の内容が全く昔とは違うと話してくれた。じゃ~どうしているの?と尋ねると 現場に行って考えるしかありませんと言った。現場最優先!ということ。問題を解決してナンボの世界。
 パソコンとの付き合いは随分長くなった。機種も何度も変わった、 サービス会社が分業化され 使われる言葉が横文字で何がどうなっているか 正直判らなくなっています。意地でやっているのは確かです。人間が考え出したものと 自然との違いは どこまでいっても交わらない?
  どうせやるならば温もりを感じ微笑みを忘れず、末永く付き合っていきたい。そう思わないと ダメですかね~。雨が本降りに変わった。
 
 いずれ 私もパソコン使用が出来なくなる時が来るでしょう。今回のトラブルも原因はルーターの不具合の可能性が大きいと言われた。今 使っているもので一番長く使って来た。機種を新しくしたほうが良いと勧められた。・・・・が、それぞれにパスワードが設定されていて それがないと切替も面倒なことが判った。全てが通行手形(パスワード)で 守られている。 これが最大の問題、パスワードを直ぐに忘れるから メモに残しているが そのメモをどこに書いたか忘れる。
 自由と規制、緩和と混乱、この攻防は コロナ対策と全く同じです、これが嫌なら、お引き取り願うしか無い。これ世界の常識、それで 幸せですか? 極寒の地で生きる生物、北極クマの生態、子供を抱き、母親の体温の温もりの中で育てる。父親は家族の為に危険承知でエサを獲る。これが生き物の本能です。
 ・・・生物は常に環境に適応しょうとする。生存競争と適者生存を繰り返し多様な種が生まれた。・・・・(ダウイーン『種の起源』)
 我々人間も全く同じだが、それを いつのころか、思い通りにできると誤解し、その根拠を後付けし、社会のルールにした。その事に対し、≪NO≫を突き付けられたと思います。大いなる反省、自戒を!
 日本語の微笑み・和み・温もりには 独占・一人占めでは意味はない。持ちつ 持たれつ ほどほどに、 私の知る仏教の教えでは≪足るを知る≫がそれだ。勝ち誇った姿は偽りでしかないことを説いている。(朝日受拝) 

3401:続・ぬくもり

 茨城県のコロナ対応で非常事態宣言が解かれ、新たに県独自の緩和対策指標が発表されました。(茨城県HP
 県のホームページで 県内の感染状況が毎日更新されています。県内での新たな感染者が11日間連続でゼロになっています。昨日、某温泉施設の再開の様子がテレビで流れていました。待ちに待った多くの人達が 入浴と食事に集まり、正直 三密は大丈夫なのか?と心配になりました。地球からウイルスが無くなった訳ではありません。全ての人に抗体が付いた訳でもありません。治療薬やワクチンができた訳でもありません。無い無いづくしで新たな段階になったのです。これは茨城県だけではなく、日本全国同じ状況です。新聞には成田と羽田で帰国者二人が感染していることが判ったと小さく出ていました。誰もが願っていることは同じです。
 クラスター感染で 今も関係者の陽性が続いています。病院や高齢者・障害者施設での集団感染に対して 万全な対応策があるかと言えば、正直NOです。それぞれの現場は毎日が戦々恐々とした綱渡り状態で、利用者も支援者も、大きなストレスに必死に耐えているのです。
 感染者やその家族への白眼視や嫌がらせは どうなっているでしょう? 一方 温かい支援や励ましの言葉を寄せてくれる方も増えてきたように感じています。
 このような中、東京での新たな感染者が一ケタ、大阪では3月以降初めてゼロになったという報道もありました。
  ここまで世界中の人々が同じ願いを持ったことは無かった。今まで判っていても出来なかった様々な課題に対し真剣に取り組むチャンスと考え叡智を結集させるべきと思います。そうしなければならぬ宿命なのです。
(ぬくもりを求めて)
 ☆『コロナウイルスからの手紙』をご存知ですか?この詩を多くの方に知っていただきたい。
 
 
 ≪ 世の中は 全てまやかし・・・≫2015年 93才で世を去った漫画家”水木しげる”の思い出をNHK深夜便の再放送で次女の悦子さんが語った。片腕を戦争で失い、妖怪漫画を世に出した父ちゃんの生き様を振り返った。 父ちゃんとの思い出の中に 私達が忘れてしまった大事なことが幾つもありました。
 妖怪”もくもくれん”の話で父がスランプから脱した話や金で獲られない希望を得るために生きるんだよという話など、水木の実体験を基にした話は新鮮に感じます。
上記で紹介した手紙(詩)は 徳島のNさんが教えてくれたものです。情報が溢れる社会には、本来の目的でないことに情報を利用する輩が後を絶たない。身勝手な情報と言うのだろうか、コロナウイルスの身になってその手紙を読んでみると、見えてくるものがあるように感じます。世の中は金を獲るために存在するんじゃない!粘り強く生きなければ折角生まれてきたのが勿体ないと水木はよく話をしていたというが戦争で死の淵から這い上がってきた人だけに 何が大事かが判っていたと思うのです。希望を失ってまで 我々は 豊かさを追い求めていないだろうか???立ち止まって考えてみようではありませんか!、これは水木の描く妖怪と新型コロナウイルスからの私達に対してのメッセージだと私は思います。
  

3402:信頼と共生

 信頼という意味は 信じて頼ること。共生は、一緒に生きること。生物学では異種の生物が共存する相利共生、心理学では母と子の相互依存・・・・と例示し説明する(大辞林)。それには双方が信頼関係になること。仏教の教えの核心がここだと思っています。現世を手放しで喜べぬ事由は、”共”が欠落しているからでは無いでしょうか? グローバル資本主義によって獲たものと失ったもの、成功し財をなした人がいる一方で貧富の格差や収奪が益々顕著になっている。史実で明らかにされていることなのに、誰ひとり得るものが無い戦争を人間はどうして繰り返してきたのでしょうか? 今の状況が その方向に進んでいるという危うさを感じませんか?
 法律や様々な制度を考え出しました。でも それが 貴方だけのものだったら どうなりますか?自分の利の為だけに成らぬように法の番人も添えた。それさえもその時々の政権の思いつきで変えてしまうとなれば、先人が苦労し作り上げたルールは足元から崩れてしまいます。そんな権利は誰にも与えられてはいないはずです。驕りが身の破滅を招いた例は枚挙に遑なし。
 
信頼とは 信じて頼ること。双方に信頼が無ければ共生はできません。ヤドカリとイソギンチャクの共存関係はどうして出来たのでしょうか?確かなことは、そこに人間社会のような隠蔽や欺瞞など存在しませんね。 ならば人として 有るべき姿は その非を自ら認め、退くべきではないでしょうか!これが人間らしさの源です。
 
 
 世界の情勢が刻一刻と変わっています。果たして依然の落ち着いた状況にいつ戻れるでしょうか?ベストの選択では無かった、でも 多くの国が取り入れた経済の仕組み、その問題が、徐々にハッキリしてきたことがあります。経済(売り買い)の動きが今回の騒ぎの中で脆くも崩れました。モノやサービス&機能の良し悪しによって買い手がつき その利益から事業の拡大をはかってきました。日本で花形産業と言われた企業、今は先の見通しが立たず、戸惑っています。人やモノの交流が止まれば どうすることもできない。それが現実となった。思い起こしてみませんか!あの東日本大震災の後も、日本の大都市では夜間 煌々と輝くイルミネーションは消えることが無かった。不要不急かの判断より明かりを消さない為に発電しなければならず、一時ストップさせていた原発の再稼働も国策として動き始めています。その是非は どうなのか? 現実には十分な国民を含めた議論の環境が整わず、原発稼働在りきへの誘導がされてきたのでは無かったでしょうか?それに反対すれば代案を示せ!が常套句。 痛みを感じない人達、もし、それが霞が関や永田町に多く集まってしまうと、常識に反した失態をリーダーやトップランナーと言われる人達が犯してしまう。この風潮は他に伝搬し、箍の緩みが止まらず組織の規律が乱れることになる。今回のコロナ禍は世界が協調し立ち向かえるか否かにかかっています。誰もが望んでいるワクチンや治療薬の開発は どうなのでしょうか? もう一度『コロナウイルスからの手紙』を読み返して欲しい。

3403:意趣返し

 ”意趣返し”というのは、恨みの仕返しをすることです。今回の感染騒ぎも やや落ち着きを感じ始めてきたでしょうか?、だが長く続く不自由な生活で溜まった心身のストレスから様々な問題が起きることが心配されます。それは働き方の工夫や日常生活での注意喚起だけでは無理だ。
 最優先課題は勿論、ウイルス感染拡大の阻止であることは判ります。 でも良く考えて見て下さい。その騒ぎによって 国の屋台骨を危うくするような事象が曖昧にされていませんか? コロナ禍が収束した後に話題にもならず忘れさられてしまうことが心配です。感染の2波、3波を恐れ、その備えをしておくことも分かります。・・・・・が 何かしっくりしない。
 当人の辞意表明で一件落着という筋書きに疑問。時と立場を弁えず起こした 司法機関重要ポスト人事に関わる前代未聞の失態と幕引き、国民は真実を知ることができるのでしょうか?
 お隣の国では 日本とは全く違った司法機関の独立した権限行使が行われています。日本人は ≪そこまで やらなくても 穏便に・・・≫と考える方が多いのも事実でしょうが ここに至っても そうでしょうか?今 どれだけ多くの国民が苦しんでいるのか 雲上人(?)には判っていないという証。 マスコミもマスコミです。何かを恐れ遠慮したような報道が多すぎる。・・・・・ 最後は いつもの決まり文句、『重要な時期ですから 自らに課せられた職責を果たすことでそれに応えたい』と謝罪表明・・・・・
 私達は何度も 同じような場面を見せらてきました、 それなら重要な時期でない時期があるのでしょうか?それを説明して下さい。高額な血税を払うのも あんまりです。そちらのストレスの方は どうしてくれますか?
 ★ 三密という語は密閉・密集・密接と誰が命名したのか? 最初から違和感があった、1200年前の、真言密教の教えの根幹に三密あり、それは身口意の三つ。これと全く意味が違う。身は実際の行い、口は言っていること、意は思っていること。人は三者を一致させることを説いたのです。(空海)
 
 自然の摂理に対し、報復行為をいつまでも続けるつもりなのでしょうか?それは明らかに間違いだと気づかなければならない。欲望を抑えきれず、収奪を繰り返し、どのような行為も許されるとしたら・・・・・身勝手にも限度があろう。
 万が一 そうなればではなく 既にそうなっているかもしれません。 これに誰がストップをかけられますか?昔から組織が乱れる原因は平時には目立たず有事になって それがハッキリと現れると言われています。後の祭り、疑心暗鬼、歯車が噛み合わず、八方塞がり・・・・・今の実態は当然の帰結です。言うは易し それだけでは無責任。
 コロナ禍は一つの切っ掛けと思うべきなのかもしれない この10年で 誰もが感じていた不安で 組織(国)トップの変容がありませんか? 一国主義、露骨に相手を非難することで自らの座を守るとの姿勢が顕わになる。
 選挙によって選ばれたということを逆手にとり 何でも許されると勘違う。それも益々強くなり それを許す民に責任を負わす。巧妙なレトリックだ。
 意趣返しや報復行為は いくらやっても根本的な解決にはならない。宗教の存在する価値は そこに在ったはず、平時には目立たず有事に顔を出す。世界にどれだけの宗教が有るかは知らない、既成の宗教とは別に、元々は人それぞれの意の中に有るべきものと思う。これもレトリック? 実質が伴わないならば そういうことになります。情報社会の置き土産。
  

3404:何を学ぶか?

 人は 目の前に起こった現実から何を学ぶか?   この命題は 時代を問わず 常に 人間が向き合ってきた事です。いつの間に私達は 大きなミスを犯し、それを反省するどころか 逆に己を利するために使い始めた。
・・・・≪絶望に慣れることは 絶望そのものよりも更に悪いのである≫・・・・と言ったのはカミュです。今 言い方を変えたらどうだろう・・・・【豊かさに慣れることは 豊かさそのものよりも更に悪いのである】・・・・と。
天邪鬼ですか それとも???? 後の始末を考えず 作り続けた。何の為に?
 そんな風に思ってしまう私には 正直、確信は無い。ただ宇宙から地球を見た時に 人間が沢山住んでいる大都市は一目瞭然、夜 光が眩く光っているからです。昼間は太陽の光が地球にあたって青く見える。
 夜の光は それとは明らかに違う。それを自慢気に≪繁栄:豊かさ≫ということを恥じらいも無く使った。ポスト コロナとか コロナ時代という新語がうまれた。 何を学び どう変わるのか!
  ハッキリ言って他人事 我関せずの流儀は使えないと確信できる。
 
 
 『人間は努力する限り 迷うものだ』・・・ゲーテ「ファースト」
 ゲーテが1810年に「色彩論」を著している。この大著において 色の生成は光と闇から成り立ち、自然界に光だけ存在しても、逆に闇だけでも色彩は生成されない。光と闇という両極が作用し合う「くもり」の中で色彩は成立するといった。灰色の紙の上に色紙をのせ、それを取り除いた残像は果たして何色になるかを例示した。
 仏教でいう『中道』の考え方と通底するように思えます。もし現代科学によって今回のコロナウイルスを撲滅できると考えたら・・・・・・どうでしょう!
 不自由な生活を経験し、そこから解放され 何を一番先に感じましたか? 普段 そんなことは誰も気にもしていなかったことが 本当は大切な事だったと判った人も多いはずです。世にいう成功者だってそうですね。破竹の勢いで昇りつめた頂点で見た眺めは???。【諸行無常】という頂上に立てられた看板に唖然とする。癪にさわって その看板をむしり取って過ぎ去る(下山)か?
 ポストコロナへの分岐点は、今まで来た道をまた進むか あるいは別の道を模索しながら進むのか どちらかです。それだって 地球上の道なわけでしょうから、、、、人生100年時代など言う事自体もオカシイと思いませんか!地球誕生から何年たつというのですか。
 貴方自身は 自分がどれだけ生きられるか お判りなのですか? 200年前にゲーテが未来を危ぶみ、当時主流の機械論的世界観に馴染めなかった訳は・・・ニュートンの光の屈折率による色彩論への批判・・・
 いま誰にでも出来る事は 熟考し 大いに迷いながら 歩き続ける覚悟ですよね。これがコロナから誰もが隔てなく学んだ事ではないでしょうか。

3405:愚かさ

 人は失敗や愚行を繰り返しながら 生きている。仏教に内観という修行法があります。精神を集中し自分の心を観ずることによって自己の内部にある真理や自己の真実の姿を知ろうとする瞑想です。
 人間は何もしないでいることは苦痛であるという事はどうでしょうか?長い間、自粛で家に籠もる生活が如何に不自由で苦痛なことか 多くの方がそんな風に感じたのではないですか。それを聴いて、蟻の動きが浮かびました。どこまでも続く蟻の行進、列をなし同じ方向に向かって動く姿です。一匹たりとも途中休憩せず歩く様子は アリにとっての何かの法則(?)でもあるのでしょうか?
 働き方改革が盛んに言われている。でも それによって何がどう変わるのでしょうか?人間の社会は 一人抜け二人抜け、その間に せっせと働いて儲けようと考える者は必ず出てきます。
 嘗て 世界にペストという感染病が蔓延し一億人を超える人が亡くなりました。今のコロナ騒ぎの中で何故か殆ど話題にあがらない日本人の細菌学者、北里柴三郎はペスト菌を発見した最大の功労者、その北里は「医師の使命は病気の予防をすること」だと確信していたという。どういう訳か 人間は先先を考えてしまうクセを身についてしまったようだ。
 明治初期の北里が生きた時代と現代は明らかに違います。当時の日本は開国したばかり、進んだ外国から多くを学びたいという謙虚さがあった。いまは どうだろう? 指導層に世界の牽引車との意識が強いと感じる。慢心であって欲しくは無いが その言葉の軽さから そう観られているのも事実ではないでしょうか!足元を見ず上を向きすぎる傾向は 伝搬するのかもしれない。
  
 
 
 ・・解体工事報告書・・
 上の2冊のファイルは 旧成人寮の建物解体が完了して 業者から届いた報告書です。(5・26)
 複雑な気持ちになりましたね。まったく個人的な事ですが 私にとっては歩んだ半世紀の回顧録にみえてしまう、開いてみる勇気がなく 机の上に暫く置いてある。 人生の終活と言えば見え過ぎた戯曲だと叱られそう。半世紀を 寺と施設の両方に関わらせて頂いたことや素晴らしい仲間達との出合いに対し 先ず 感謝をしなければなりません。この独言録は 22才の時にガリ版から始めました。その時々の思いを書き綴ったもの、葛藤が無かったかといえばNO!何度も止めようと思いました。そんな時に いつも学園の仲間たちからのコトバが聞こえてきた。これを自分だけで閉まっていてはいけないと勝手に思ってしまった。
 自分の性根かもしれない。感情をむき出しにして大声を出し怒り爆発など数え切れず、周りに不愉快な思いをさせた。今年70才、もういい加減にしたらどうか!と自問自答を繰り返す。でも拘りは生涯続くかもしれぬ。ホンネでは 仕方がないと今でも慰め種を育ててるもう一人の自分。今の心境はと聞かれれば、死ぬまで生きる! これしかない。批判序説の人生卒論を完成するには 内省と実行 共に未完成で逃げ出す訳にはいかず、細やかな事でよいから続けねばなるまいと覚悟した。次なるステージは できるだけ 脇役に周り、チクリチクリと・・・嫌味を発し、愚かなナマグサ人生を送ること。これこそが人生最高の醍醐味と思うのです。ハイ  それまで~ヨ。

3406:連れづれに

 ・・・連れ連れなるままに、日暮し硯に向かひて・・・・とは、どんな心境だろうか? 何もすることが無くて 退屈??? 違うよ~。コロナ対策で 私達が法人全体で取り組んだのは 如何に感染者を出さないかだった。それでも万が一 出た場合を想定し、細かなルールを作り、スタッフと利用者の皆さんに協力して頂いた、非常事態がとかれたけれど ウイルスそのものが無くなったわけではなく、より緊張が強まったというのが正直な思い。自粛の緩和の後、案の定、感染者が徐々に増加し始めている。
 この間 普段 あまり行かなかった場所もできるだけ廻った。GHも7箇所・サテライトが4つ それぞれが分かれて日中過ごすようになった。現場はスタッフの配置に 相当頭を悩ませていたようです。 ホームを利用している人たちは?  覗くと 実にノンビリとした雰囲気で、時々 大あくびをする姿を見かけると不思議とこちらが和んでくる。 こんな状況が二カ月以上になる。双方に疲れが出始める頃?
 構築物はいかに頑強に造っても 壊せば跡形も無くなる。そして 記憶も徐々に薄れていく。コロナ対応は 全く次元が異なる
 古(いにしえ)人は詫び寂びを句に詠み楽しむ余裕を持ち合わせていた。 いつの間に 皆が皆 時間と数字に追い回される生活を送るようになっている。刹那的な喜びしか浮かばない 姿の見えないコロナと向き合うのは 最も苦手とすることかもしれない。恐らく ウイルスは 人間が誕生する遥か昔から地球に存在しただろう。そう考えると 新参者の私達はウイルスとどうすれば上手く付き合えるかを考えるべき。柔道の指標に『精力善用・自他共栄』あり。
 ”無茶処 一休自由”??? 不図浮かんだ造語です。
 
 
 暇があるなら 善用すれば良い。一人で雑木林を下刈りしていたら それを見かねた方だと想う、翌日 残った場所を刈っていた。放っておくと あっという間に雑草が伸び地域のレッドゾーン、鬱陶しく ヤブ蚊の住処。適時に草刈りしておけば、木陰に置いた手造りベンチも役にたつ。つれづれなるままに 性懲りもなく浮かんだ造語が”無茶処 一休自由” 。看板は未だできていないが、近い内に書いてベンチの脇に立てようと思っている。≪お茶は出ませんが どうぞご自由に 一休み≫とのメッセージ。
 一昔前の姿に この際 戻れれば 何が本当に大切かが見えてくる、そんな気がしています。何でも お金を絡ませるから ややこしい。生活様式を変えると言えば どうしても構えてしまうことになるでしょう。自然とうまくやっていくには こちらも自然体にならねば できないわな!(入我我入)
 ”無茶処 一休自由(むちゃどころ いっきゅうじゆう) 店の名前はできたが 正直言って何もない。新装開店はいつになる?暇な人がなぜか目につく今日この頃、村おこしじゃ~ないけれど 想像するだけで遊び心が活性化 そして不思議に和んでくるものです。
 アイデア募集中。【条件】:採算考えず カネかけず 。【庵主募集中】:暇な人  メール先:sumita@sjk.or.jp きたいせず まってます