源究197

  

NO テーマ 月日 NO  テーマ  月日  NO  テーマ  月日  NO  テーマ  月日 
 3451  順応性  9/9  3456  事教双修  9/20  3461  柔軟性メカニズム  10/1  3466  冥蒙(めいもう)  10/13
 3452  継続性  9/12  3457  一考の価値  9/22  3462  小休止  10/3  3467  価値の再考  10/16
 3453  覇権主義の末  9/14 3458  後始末  9/24  3463  見上げてごらん  10/5  3468  微力なれど  10/19
 3454  無量不善の業  9/16  3459  山高ければ・・ 9/27  3464  朝の風景  10/8  3469  忌々しい  10/23
 3455  ハチの生態  9/18  3460  クレーマー  9/29  3465  正念場  10/11  3470  泰然自若  10/25

3451:順応性

生き物が外部条件の変化に応じ、自ら変化し慣れていくことを順応性といいます。 ウイルスの進化が進めば、人工的につくられるワクチンは効力に齟齬をきたし 後追いせざるを得なくなる。未知への挑戦は 科学の進歩の源泉と言えるかもしれないが決して一方通行ではない。
 免疫力も同様に 絶えず変化を繰り返し 命を繋いできた。持って生まれてきたものが 外部条件(環境の変化など)によって適応できなくなることも良くある話。 この鬩ぎ合いは 未来永劫続けられるという!
 命の尊厳を基軸として モラルが生まれ その周囲に哲学や宗教が存在する。 過去に 人間同士の争いが無くなった試しなく 収奪や殺戮がどこかで常に起こってきた。74億人に膨れ上がった世界の人口、そして
 現代社会の二極化(貧富較差)が拡大することを 仕方が無いものと諦めねばならないのでしょうか?社会主義や民主主義、共産主義・・・・そして極端な自国第一主義と個々の国体も常に変化し 今に至ったのだ。
 この隙を狙って 侵入したのが”コロナウイルス”、瞬く間に感染が拡がり 世界の罹患者が3000万人に達する勢いとなっている。With コロナは 我々人間からの視点、コロナを特定するのがどうなのか? 
 もう一度 ”With" に付ける言葉を考えてみなければならないのではないでしょうか?With Earth ? With People?・・・・・
 地球環境に赤信号、 されど 感心は目先のことばかりだ・・・・・選挙 経済 ???? 誰のため 何のため??そして  順応力・免疫力は片側通行ではなく無制限でもない????
 
 まとめて置いた草を軽トラックに載せていたら仲間の二人が手伝いにきてくれた。上では朝一番の洗濯が終わって干す仕事をKさんとYさんが始めていた。皆 ニコニコしながらやっている。スタッフも一緒だ。この光景はいつもと何も変わらない。
 生活を共にすることで 一人ひとりの役割が自然に生まれる。別に特別ではない。Kさん(男性)が何故かスカートを穿いているのに気が付いた。≪男なんだからおかしい~よ!≫と謂うと一緒に作業していたスタッフが笑っていた。
 人間が考えた決めごとは 絶対ではないのかもしれません。これって”順応性”! 笑顔があって 元気であれば 良いじゃない・・・・。
 恐らく 彼らにとって 仕事をすることが苦ではない。楽しいんだとその時思った。
 これが 大事なんだろうな。 あっという間に刈られた草は綺麗になり、作業は早く終わった。≪ありがとう! また 頼むよ。≫というと ハッキリと≪ウン≫と頷いた。今の仕事を半世紀(?)やってきた。外の仕事が多く 殆ど仲間たちの中に入れない時期があった。それが 今は できる。 楽しくて仕様がない。
 

3452:継続性

 継続は力なり! 弛(たゆ)まず挫(くじ)けず 続けることは 本当に力なのでしょうか? 一概に断定はできませんよ、判ってますって。じゃ~偏屈ですか?
 体の鍛錬、学習、職業・・・など その言葉の周りに付く言葉によって趣は当然変わります。最近 日本語の使い方が 変に感じませんか? 働き方改革とか謂われますが ”働く”は、「イ}人偏に動くをくっ付けた漢字で 昔から同じ。人が動くこと。そこに経済的価値とか社会的な評価が加わり、多様な意味になっている。それから 外来語、これも溢れています。日本語使えよ!と怒られながら 釈明に横文字を使っている人いますね。
 継続や継承で大事な事は、何を 続けるのか ですよ。
 突き詰めれば ”その人らしさ”に辿り着く。坊さんやっていますと葬儀の打ち合わせをしている時に 遺族が故人のことを どう思っているかが判るんです。≪どんな方でしたか?≫と尋ねると 故人を悪く言う人は殆どいませんね。棺の蓋を閉める時に『向こうに行ったら いっぱい 食べるんだよ』とか『体に 気を付けてな~!』とか声を掛ける方がいます。ハッとするんです。
 死後の世界が どうなのか? 科学的に将来それさえも解明されたらば ”継続性”の意味は 自ずと変わるように思います。 でも 多分 読むお経は変わりませんから・・・・。

     " 暑くて~ 参ったニャ~

 昼寝wo続けることも”力”なり

観音寺の修行猫・・名をミイと申す。
日本の金融市場が浮足だっている。電子マネーサービスに落とし穴、この分野で外国から遅れをとった日本の金融界 各社入り乱れて新規サービス参入の競争が激化、利便性第一のキャッシュレス、懸念が現実に、不正や悪用者が狙い撃ち。身に覚えがないのに他人に無断でお金を使われて まったく判らない。限度額が決められていてもです 許されることじゃ~無いでしょう。大問題ですよ!
 貴方は便利さと安全性 どっちが大事?個人データーの流出は避けられず、非合法にもその売り買いがアチコチで行われているという。そういえば 某大手のネット販売に異変を感じている。巧妙に逆手にとる 詐欺への警報メールが増えています!
 最初の海外旅行はイギリスでした。今 思えば贅沢なことで 直行便などありませんから アンカレッジ経由で17時間位かかった。一ドル360円、海外持ち出しに限度額、あの時は餞別まで頂戴し今生の別れの覚悟でした(笑)  あれからもうすぐ50年経つんだ~。
  当時は 全てがゆっくりしてました。それが どうなりましたっけ? 輝く未来図と研究開発、何度も書き換えられてどうなりました? 
 ゴリラ研究で世界的に有名な京都大学の先生の話を紹介します、ゴリラは人間と比べ 抑制力が優れているという。それは競争で勝者にならずとも争いを避ける能力なそうです。我々と どこがどう違うか 今の人間社会は負けないでいることと勝つことを混同しているという指摘です。これは仏教で説く『自末得度先度他・・・』に通じると思いますね。

☆猫のミイが大師像の前で 大口開いて何かを威嚇???違います 昼寝の途中で起こされての大あくびで・・・・す。☆

3453:覇権主義の末

 人間社会をゴリラからみると どのように映っているのでしょうか? 何故あれまでして勝ちに拘るのか、少しでも油断すれば自分の権力が守れない不安。 競争社会の中で、仲間をも敵視する、そしてギスギスして生きづらい社会が築かれる。ゴリラは我々をこのように嘲笑しているかも判りません。違和感を感じながら その恩恵を当たり前に受け入れてきた自分達。結局 これも疑えば目に鬼を見ることなのかもしれない。
 覇権主義の末路がどうなのか?史実を追うまでもない。 当事者がそう思わなければ どうなるか? 最初からそうでは無かったという。力の強いものが抑制する精神を基盤とした社会だったという。それを 何故かゴリラは今もって守り続けているのに 人間は放棄してしまった。抑制とは 独り占めでなく分け与える精神です。そこに 人間は特有の”欲望”を介在し ゴリラとは違った道を歩み始める。 現代社会は それが加速している。(パンデミック)
 薬による幻覚症状と同じように 自分を見失う不安をも 大目にみてしまう社会は 果たして我々が望んだ姿だったのだろうか・・・・。規制と抑制の違い?それは自らの意志が有るか無しかですよ。
  閑話休題・・・小松左京の『復活の日』を注文しました。既に中古本しか無い。それで充分。
 
【 清濁併せ呑む】とは、心広く、度量が大きい事を謂う。言葉の解釈は難しい、だからでしょうね・・・心なければ人は動かない・・・処世訓には付説あり。 グローバル化の中で コミュニケーションの壁が大きいと思っています。言語が異なる国同士が上手く付き合っていくには 時間と抑制が不可欠、ややもすると それを省略してしまう。覇権主義はその極地、侵略と略奪は 問答無用で悲劇を生む。弱者が常にその犠牲者となってきた。
 それが 微妙に変わり始めた。地球環境の温暖化は 様々な災害を引き起こしている。これを 科学的根拠が無いと受け入れない国がある。現に 疫病や森林火災が未曾有に拡大しても、それを抑えることさえ出来ない。
 同盟国という証を獲る為に 自らの意志を伝えることを避ける国が有る。そうではないでしょうか? 3名の総裁候補者が挙ってマスコミに登場し 持論をのべた。良く聴いていると 曖昧な表現になるのは いつだって外交と防衛問題。
 既に出来レースだと殆どの国民は思っているはずです。働き方改革を公約に出すのは良いでしょう。だが 肝心な案件を先送りし続けるつもりなのでしょうか?? 議論がいつも ここから先に進まない。
 中央・地方を問わず現状の議会審議の衰退は過去の”覇権主義(?)”の後遺症と考えるか否か? 既に75年、肝心な問題に対して新たな一歩を踏み出せず 身口意の三業顛倒(てんどう)を見逃す。今後もこのような国の形で良いのだろうか?  
 

3454:無量不善の業

 議会制民主主義という国体の有るべき姿が問われ続けている。組織が堕落する原因を挙げれば切りがない。内輪で どうこうしようとしたところで所詮、井の中の○○。無量不善の業を誰が正し、それを判りやすい形で公に説明する。これが本来の民主主義、それが遅々として進まない。その最大の事由は 言わずもがな 数の論理に頼り過ぎたこと、信義無き者が自らの座を守るために 身口意の三つの業を顛倒して それに気付かないのか でなければ振りをする。仏教では”てんどう”と読む。逆さまの状態を謂い、そうなる原因は煩悩だと説く。まさに”無量”である。その一つで責任の取り方の顛倒、どう考えても腑に落ちない、。衣食足りて礼節を失ったか。 
 何か この国の政治を私物化していないか?それも集団で! 都合の悪い時になると 相手(他党や有権者)を出し、自らの罪を暈してしまう。どこかの国と同じ、己が当事者という事を理解していない証。国の為でなく己の保身、小松左京がSF小説で予言した未来図が 現実化してきた。
ミレーが描いた『落穂拾い』は1849年、パリの政治の混乱やペスト禍の中で落穂を拾う農民達である。旧約聖書「レビ記」の教えが含まれるという。(ex:『沙石集』)
 
 近くの水田では大型コンバインが入り、稲刈りの最中、一昔前なれば 一家総出の大騒ぎ、それが消えた。あっという間に 刈り終わり トラックに載せて運ばれて乾燥機に入る。
 ミレーの落穂拾いは 態々 稲穂を残しておき、それを拾い集める人達に分けた。今風に謂えば救済事業にあたるのかもしれない。そう謂わずとも 当時の人々は 誰もが知っていた。複雑な手続きは不要、共生への暗黙の了解があった。
その後、良しと考え創った仕組みに 逆に縛られていることはないだろうか? 共助・公助・自助・・・・独占するのではなく お互い様の考えが減って。 義務か権利かの物差しに頼る社会では いかがなものか?  損得計算から抜け出せない今の構造からは 共助の概念が生まれない。それに代わって供給と受給の間に壁が生まれる。根本的な改革が為されればの話だが、○○塗れの組織で やる前から結果は見えている。
 なんとも やるせない。
 ならば 善行を拾い集めれば どうだろう! 虫眼鏡を使って土に這いつくばり 捜せば 見つかるかもしれぬ・・・・・。 原因で直ぐに浮かぶのは 無駄や浪費への感覚マヒ、正常な判断が出来なくなった根源があるとすればの話。
 それを 他人事と考えてしまう人の増加、行き過ぎた個人主義、自分さえ良ければという価値観が主流となる。
 仏教の慈悲の真意は抜苦与楽、慈は苦しみを抜く、悲は楽しみを与えるとする。とすれば 世の中を悲観するのも決して悪ではない。楽しみを与える観じ方となるからです。この真逆の発想転換が コロナ禍の置き土産だと考えるのは どうでしょう。 屁理屈の烙印を押されて お終いですか。あっ そう

3455:ハチの生態

何とはなしに、ハチのことを調べていたら、知らぬ事ばかり、世界には10数万種のハチがいて 大きさは1ミリに満たないものから7センチに達する大型まで様々という。生態的には、社会性・孤独性・寄生性などに分類できるらしい。雌に毒針を持つものが多いという。社会性があるというのも さ~て どんなハチ?それより 孤独性のあるハチにより興味を持つ。一匹オオカミでなく 一匹蜂。その生態を上手く人間は利用し、ハチミツを食用とした訳です。
 梅雨が明け 秋めいてきたこの時期、ハチが気になる。彼らは 自分達で巣をつくり 幼虫を育てる。
 ついでに ケムシ 実は昨日 道端にあったツバキの木の枝を切った。大きくなりすぎ 車の通行に支障が出てきたから、案の定 長袖を着て注意していたが ケムシにやられた。漆の木に気をとられ 葉の裏側まで注意しなかった。同時に二つの事はできません。
小生 正真正銘のニワカ庭師だが、周りに白い目で見られながら 一向に止めない。判ったことは、自分のことを自分で観察するのは難しいこと。 でも 人間も昆虫と同じ地球内生命だ。ハチの生態も そのまま人間に当てはまるから どうだ! 興味ない アッ そう。
   ★ 今朝がた NHK深夜便 なかにし礼の特集で~『時には娼婦のように』が流れた。なぜか 耳から離れない。♪ 何気なく さり気なく・・・・・・ 
 
 19日は彼岸入り、お盆から1カ月経過、寺墓地を見回すと 綺麗に掃除された墓地とそのまま放置された墓地が一目瞭然。この時期は草木が伸びるのが早く 上辺を刈っても直ぐに草ボウボウとなります。
 ハチ・ケムシ・漆この三つは外作業には注意しないと偉いことになります。昔の人は経験を元にして 上手く対処できるが 見様見まねはダメですね。
 外回りの役を辞してから 正直 充実した生活をおくっている。一言で謂えば環境整備班 最初は一人で細々と始めたが、今 仲間が3人に増えた。今までは口は出すが手は出さない連中だった。それが 自分から手伝ってくれるようになったのだ。これもコロナ禍の副産物? 
 午後から予定していたウエブ会議、東京と水戸と土浦 便利というか苦肉の策というか これも時代の波と受け止める。
 今日は 昨日に比べ気温が高くなるというので、午前中にやり残した場所の掃除を行うことにした。日焼けした顔が 気のせいか健康的、怪我に注意し さあ~やるか! 今日は”蚊”の対策もしなければ ・・・・・・と。
 

3456:事教双修

 理論(教相)か実践(事相)か?僧侶になる前 本山(奈良:長谷寺)に参籠し、そこで出逢った老僧から受けた教えは”事教双修”でした。寺を継ぐ為に 最短で資格を取得しようと考えていた自分を早朝の回廊掃除によって教え導いてくれたその方との邂逅、あれは観音様だったのかもしれません。仏教は理論か実践かではなく双方が一体でなければならないということだった。
 その後 時々、その方が現れ、黙って去っていく 嘘のようなホントの話です。 
 難解な教えをいくら並べても心が動かなけらば なんの意味もない。それより一緒に汗を流せ!
 実践は現実とどのように向き合うかで 頭の中で完結できるものではないと  自問自答し 今年70才を迎えました。昨日 土浦市から商品券が届く。”御祝”と書かれた中に1000円の商品券が入っていた。 敬老会員になった証だと謂われ、有り難く仏壇の中に仕舞いました。
 
 
 私の兄は9才で亡くなった。いよいよ 私も老境へ入る許可書が下りた。兄の年齢と今の自分の年を足し二で割ると40才に届かない、そう考えれば まだ盛年だ。
 これからは 感謝の気持ちを大切にしながら歩んでいこう。まだ見ぬ兄に会えることを 楽しみにしながら 自省・自戒を忘れず 歩み続けよう。
 彼岸初日、49日の法要があり、納骨を行った。あれは お孫さんだったのだろうか? 墓前に線香を上げた後 独り言を言いながら手を合わせ深々と頭を下げていました。
 ≪ありがとう。・・・・ちゃん 頑張ってね!≫と遺影のお祖父ちゃんが笑顔で答えていたようにその時思った。
 ☆ 人の幸せは遠くにあるんじゃない。身近にあって それに気付かないだけなのかもしれませんね  ☆

  ・・蓮の実・・ 

    秋彼岸

3457:一考の価値

 最高気温がいつの間に20度台になり、やっと熱中症への心配がなくなりました。ホットできるかと思いきや 気温差に体が上手く順応できず 風邪をひかないかと気になります。コロナ感染の勢いはブラジルやインドの大国だけではなく その周辺国にまで拡大する。日本も同様に手探りで祈るような気持ちの中で 彼岸に入った。気が付けば蓮は花を落とし 独特の形をした実を付けている。既に殆どの稲田では稲刈りが済み、台風の予報に農家の人達もホットしていることだろう。
 今年は何かが違う。会食や温泉という楽しみがお預けとなり、どこか手持ち無沙汰に墓参り。
 当たり前と思っていたことがそうでは無くなった今こそ 一考する時なのだろう。
  道端に小袋に入った小さなハスが置かれ [ ご自由にどうぞ!]の紙が貼ってある。   そうだ~!!!”お裾分け””もったいない”の日本語は どうなりました? 暑さ寒さは彼岸まで・・・・・自然はいつだって虚心坦懐 肖(あや)かりたい。
 
 仏教は”欲”を否定はしない。小欲知足・・・・ほどほどの欲で満足しなさい・・・と説く。妄執とは違って根拠なく 誤った事をも認めた訳ではない。今はそれが妙な空気に覆われています。詐欺メールや詐欺商法、一向に減らない。 人の災難につけ込み 自らの利を獲ようとするのは六道のステージ6レベル。もし運悪く被害にあったら自己責任、これで法事国家とは謂えまい?今の社会は単純でなく 複雑に絡み合う。
 昔ならば上に立つ者が先ず そんな事をすれば 地獄に堕ちる(没落)・・・・と信じ自戒した。 それが今 どうだろう? 根拠(エビデンス?)無しと一蹴されて終わり。これで 本当に共生社会が築けると思っているのだろうか?新内閣になり、お手並み拝見といこう。願うは自徳の乱発でなく 政治を判りやすくして貰いたい。 ”つもり違い10ケ条”  確証に近づいた。 あくまで言い訳でなく 自分の言葉で信頼できる政治を望みたい。
  そこから始めないと この国は船頭無き無寄港船と謂われかねない。・・・彼岸中日・・・・

3458:後始末

 尻ぬぐいを本心から買って出る者はいまい。第一線から退いた後が その人の真価が判るのです。剃髪し寺に入り懺悔の道を歩んだ歴史上の人物を知っていますか 晩年、自らと対峙し 遣り残した事に努め励む姿は尊い。
 後進に道を譲り 退いた者に望まれることは 口を挟まず 自らを戒め その責任を果たすこと これができて初めて評価されるんじゃないかな~! 贅を尽くした大型客船が、東京に停泊できる港が無い。橋の高さが足りずぶつかってしまうため入港できない。そこで日本の技術の粋を結集し 海上に新たな港を現在建設中、なんと直径2メートルの杭を海底に何本も打ち込み、その上に巨大な建物を作ってしまうという。巨大地震や高波への対策は万全? 総工費は一体どれだけになるの? 
 交通手段で大型旅客機の需要は 予定していたほどの伸びは無く この先の見通しがない? 大型クルーズ船も然り 今回のコロナ禍で判った高額な旅費を払い密室に数カ月という旅をしたい人がいるでしょうか?。
 造ったは良いが 運航されず維持費ばかりがかかることになりかねない。また住宅事情はどうでしょう。モデルハウスを 最近は住宅展示場に造るより住宅と一緒に作るのが流行っている。いざとなれば売ってしまえば良いからだ。
 県庁所在地の駅前に一際目立つ高層ビルが建つ。その大半は住宅を上層階に設け採算をとる算段、それだって どうだろう?壊すことまでを想定してあるの?前回の東京オリンピックに建てられた武道館、夢殿をイメージした斬新な設計、今 リフォームの最中で、初めての大規模改修という。屋根材の銅板を全て剝がし新しくした。なんと その骨組みになっている部材は夢殿と同じ木材ですよ。年数が経てば雨漏りや腐食がおこる。それで今回は特殊鋼板(ステンレス)を使ったそうだ。でも いずれにしても取り壊す時は来るだろう。その時 どうするか? 50年の間に 東京は高層ビルが増え過ぎた 。それを豊かさの象徴というのは 如何でしょうね。
 持続可能な社会と謂うならば貴方たちの大半はリタイヤして誰もいないはず、さすれば 後始末は 負の遺産と謂えませんか? 新築費用に合わせその半額相当が解体費用に必要になるのではないでしょうか?
 
 歎徳(たんどく)文や諷誦(ふうじゅ)文は 葬儀で導師が唱えるものです。文語調で読まれるものが多く 判りづらい。伝統を重んずる寺院はSNSの時代にどう向き合うか?パソコンで出てこない漢字が多く 手描きでさがし漢字に変換している。
 勿論 知人友人の弔辞とは違うことは判りますが どれだけ弔問客に理解されるかは疑問です。 これから 儀式のやり方が変わるだろうと謂われている。増え過ぎた葬祭業は生き残りに必死になるでしょう。
 TVで珍しい人が出演し 持論を展開していた。前政府の経済対策で重用された人物、表には出ず  様々なアドバイスしていたという。それかホントかどうか 感心はない。
 ただ 久しぶりの討論番組出演で 過激(?)な自説を述べていました。日本の中小企業の数は380万社を超える、そこの社員の給与を上げる為には 統合し大規模化を図るべき・・・・云々と 中小企業への助成制度を考えた主がこんな事を言っているのか!恐らく 中国や韓国の企業(国営?)に対抗する良いとこ取り 一貫した持論なの?退いた者が口を挟むべきでない。直ぐにTVを消しました。
 政策アドバイザーがどんな役割を果たすのか 良く判らない、 イザとなれば ほっかぶり???? ハッキリ言って この方達は提言はしても責任は取りませんよ。
 彼らの言い分は、頼まれたから やっているだけ  そりゃ~ そうかも知れない、くわばら くわばら・・・・

3459:山高ければ・・

 山高ければ 谷深し。次々と目の前に現われる山を 急ぎ直登しようとすれば 深い谷に滑落するリスクは高まる。迂回すれば 時間がかかる。日本は 過去に大事な分岐点に何度となく遭遇、 その時々の勇断で道を選び歩んできた。
 エキスパートの助言は、 最善の道を提言し実行に寄与してきた。その核心となるものは 透明性と責任の明確さですね。これ無くしてあり得ない。
 今の混乱の最大の原因は その実相に確信が持てないことに尽きますよ。寛容さは、場合によっては無関心とも受けとれまいか。 国を動かす人達が 未来(頂上)にばかり目を向け 足元(原点)を蔑ろにしているとすれば 登山のイロハでは一番やってはならぬこと。。
 平時なればこれですんだかもしれない、今は そうではあるまい。重荷を背負い 危険な道を登るが如し。これだって国が本来の民主主義の体を為していればの話、基軸たる三権分立にヒビ割れとしか思えぬ事象を繰り返し 感覚マヒしていないだろうか。 山高ければ 谷深し 万策尽きた? この国を代表する金融機関、トップがカメラの前で深々と低頭し認識が甘かったと謝罪する。一方 元法務大臣に対する裁判で被告が弁護士を解任してしまい 裁判ができない状況、この様を 未来を託す子供たちにどう説明するのですか?
 国民一人一人が 熟考し  出さねばならぬ答えでしょう。
 
 突然の大雨に 急いで雨よけ場所を捜す。 それと 全く今の状況が重なる。 慌てるのは 雨具の用意をせずに外出したからでしょう。誰の責任ですか? 雨に責任を負わすつもりですか? 
長き間、便利さや豊かさの幻に浸っていた帰結、現実に 起こっていることの必然性、それを証明することは 然して難しいことではない。
 日本人の深層心理に 世を憂うることを恥とする思いがあるのかもしれません。でも それは1世紀~2世紀前の話ではないでしょうか、近代日本を直走った先人達にはハッキリした目標があった、一時的としてもGDP世界2位となった達成感に、人は酔い 憧れ 縛られているように感じる。知ってか知らずか ”私利私欲”の偏重へと向い、自戒を忘れ、更なる欲を膨らます。ジワリジワリ、気が付けば なにもかもに 背後霊の様にくっついて離れない。
 最近 知人から『やまゆり園事件』(神奈川新聞取材班:幻冬舎)という本を頂いた。・・・植松死刑囚との37回の接見ほか4年にわたる取材から 犯罪史に残る凶悪犯の実像と、彼を生んだ社会の闇に迫る。・・・知人は 私が やまゆり園と同じ仕事をずっと続けてきたことを知っているからだと思う。裁判審議は 犯人が何故そうなったかの背景を探るまでに至らず 責任能力の有無(刑法第39条)に重点が置かれたという。
世を憂うことは光の当たらぬ闇に対しであり、有頂天にある者には通じない。自由市場経済という現代人が創り出した選択肢以外に新たな仕組みを見つけられない今の状況は いつまで続くのだろうか?? それは 天井知らずの人間の欲望と較差・偏見・収奪という問題に 向き合う覚悟と智慧が必須の条件になる。だが これを理解し受け入れるだけの気運には未だ至っていない。
★ 逮捕後も植松は重い障がいのある方を”心失者”(彼の造語?)と言い続け、自らの犯行を悔いていない。
  「社会の役に立たない重度障害者を支える仕事は、誰のためにもなっていない。だから自分は社会にとって役に立たない人間だった。事件を起こして、やっと役に立てる存在になれたんです。」(接見した記者の質問への植松の回答。上掲本、P105)

3460:クレーマー

 クレーマーを常習的苦情屋と訳す。(大辞林)   何をどうしたいのか? 自分は それに対し 何を行ったか?。言いっぱなしでは 何も変わるまい。個の尊厳や自由を曲解し、身勝手な行為が増え続けるとしたら 立ち止まり よく考えてみるべきではないでしょうか!
抑制力は 耐える力、がまんすることです。これは育つ環境が大きく影響すると言われてきました。家族の役割、親子関係が基本にあって 社会との関係を上手く築くことを学ぶ。それだって 一様では無いことを誰もが知っている。複雑化した社会の実態を見極める力が弱まったのは確かです。 諫言(かんげん)を拒み、忖度を歓迎する風潮は、過ちを隠し、他人の所為にして、知らぬ振りする者を加担する、負の連鎖です。勿論 全てではないですよ。だが その病が蔓延するのは実に早い。これを良しとしない者は必ずいる 否 いました。・・・が どういうわけか いつの世もそういう人間は毛嫌いされ仲間はずれになる率が高いという。孤高を持する政治家がいなくなった世の中になり、権限と責任の曖昧さが際立つ。
  何故か この類の調査研究をあまり目にしない。メデアも学者も何かを気にしているとしか思えない。権力に対して? その力学は 経済の費用対効果の考え方に酷似する。
 人生や社会を損得勘定で計れるものだとしたら 世態は殺伐となるだろう。 この命題に どう答えを見出すか 現代人が避けて通れない”試練”だと確信する。上掲『やまゆり園事件』を完読。 
 
 服役中 接見を利用し 自らの行動を正当化し 隠すこともせず 社会に訴えた。それに対しSNSを利用し同調する投稿が結構な数あったという。 腑に落ちないことがある。敢えて言わせていただけば 最初から犯人の両親の姿が見えない。事件が起こってから 全く公の場に顔を出すこともなく 被害に遭った方々へ謝罪することもされていないかもしれない。断片的な情報だけだから 正直判らない。現行法では成人に達すれば 我が子のやった罪は 親にまで責任は問われない・・・・・父親が教育者という職業ゆえに余計な詮索をしてしまう。。
 日本の裁判史上で匿名裁判という特別の方法をとったこの事件が時間と共に風化し忘れられていくのだろう。関係者が表に出なくても当事者にとっては決して忘れることは出来ない事件、これからずっと遣る瀬無い気持ちで悲しみや憎しみを背負い続けていくしかないのだろうか。
 親子の関係は 宿命でどちらかが救いを求める時に手を差し伸べ支え合うことである。障害者施設の職員と僧侶という立場で この事件と私はこれからも向き合っていきます。

3461:柔軟性メカニズム

 1997年に開催され地球温暖化防止京都会議で採択された温暖化ガス排出量削減計画(京都議定書)に耳慣れない言葉だが柔軟性メカニズムという言葉が登場した。もう20年以上が経ちます その時の取り決めが どれだけ実行に移されてきたか アドバルーンを上げた割に 国内では目立った結果は出ていない。その間に政権交代が12回ありました。 その時々の問題への対応で 後回しとなってきたのでしょうか。地球の歴史からすれば急激に温暖化が進んだ訳ではないのかもしれません。しかし、その影響がいたる場所で出て大きな問題になっていることは周知の事実、社会の抱えた最重要課題として どう捉えるべきか・・・・・。安倍内閣の政策を踏襲するということで 突然トップの座についた菅総理がこれらの難題に対しどこまで出来るかは未知数だ。
 組織が硬直 顔ぶれも変わらなければ 正直期待はできまい。 だが発足時の世論調査では 高い支持率を示している。今回も 他にいないから という理由だとしたら ???国 全体からみれば 今回も有権者のほんの一部の人達による投票の結果だということ だから国として強固な基盤とは言い難い。 この選出方法もいい加減に変えたらどうか、党員でなければ参加できないということは 明治の開国で、西欧諸国を模範とし、急いで繋ぎ合わせ体裁を整えたものと余り変わっていない。範とした国も 時が経ち随分変わっているだろう。当時は謙虚さがあったが 今は驕りが目立つ。ここ20年の間に内閣が頻繁に変わり 万が一 上手くいかなかった時の”言い訳”にその”柔軟性メカニズム”が利用されてきたと言ったら心外でしょうか!。もとれ それは 歴代の短期政権にとってではなく 柔軟性の本義にとってですよ。(意味不明) 
 
 
 前政権は長期間続いた。その間に何を公約し実績を上げたのか? 多くの国民が 公文書の破棄や知らないという対応の多さに疑問を抱いたと思う。その後の 説明も中途半端で終わった。もし 現政権にこの方法が踏襲されるとなれば この国の将来は決して明るくはない。国民を余りにもバカにしたことになりませんか? もし 日本人がそれに対しても寛容な民族だとしたら 言葉を間違って使っている、”無関心”が正しい。何せ メデアもいつの間にその色に染まり 様々なな調査結果を事ある毎に公表するが 反対するというより加担する。それで信憑性をどう考えるかと投げかけるのは理解できない!
 柔軟性メカニズムは 微妙?表裏の関係で ”何でもあり”となる危うさを常に抱える。
 ・・・・ニュースの拾い読み・・・ 
2日前 茨城県の3つの市町村へ ”爆破予告”と”児童誘惑”のメールがあったという。市は厳戒態勢をとった。その発信元は漏れ聴くところによれば 外国から出ているという。幸い 何もなく実行予告の時間は過ぎた。
 2021年度の予算概要が発表された。105兆円という過去最高額、7年間連続で100兆円を超す。収入より支出が多い財政不均衡をここまで長く続けている国は他にどれだけあるか ????
 負の遺産を 今を生きる者たちが 将来を担う若者たちに いつまで、どれだけ残せば気が済むのでしょうか? それさえも 柔軟な対応として片づけられては 少子化が止まらない根本の解決には ならないでしょう。
 昨夜のTVニュースで 東海村原子炉での臨海事故後 21年経過 現村長が村の幹部職員の前で犠牲になった方2名への追悼の言葉があった。
 

3462:小休止

 猛暑の夏がやっと終わり 秋になる、体を休めるには 丁度良い気温となりました。昨夜が15夜お月見には最高の天気 煌々と月が輝いていました。 戦時中 人々は どんな思いで 月を眺めたでしょうか? 世界では 現在も紛争中の所があり、逃げ惑う人達が大勢いるというのに、方や 夜の繁華街に繰り出し 飲み歩く人達、この対照的な姿は 止む気配は無く 燻り 一気に火が付く?それを生業とする方達もいるわけだから ・・・・。 
 年老いて職を退いてからの人生が問われた。 いま それも 儘ならない。コロナ禍に翻弄され 不安と恐怖の日々に多くの人々が耐えている。満月はそんな地球人をどう見ている?? 
 急に何を思い立ったか 昨日 イオンに買い物にいく。土浦市内でたった1軒になった楽器店で楽譜を買うため。見様見まねで習ったギターを取り出し、弾きたくなった。その切っ掛けはユーチューブで聴いた『北の旅人』のギターソロ。
 カポタストも買って それに合った楽譜を店員さんが捜してくれた、そして 昨夜から弾き始めた。若い店員さんに、その曲は 何年ごろ流行った曲ですかと聴かれ『裕ちゃんだよ。』と言っても 判らなかった。
 最近になってスタッフが利用者さんも加わりバンドを作ろうと 練習していると聴いたものだから 高校時代 文化祭で友達と二人で演奏した昔を思い出した。
 余談: 草刈り中 ブロックをどかす時に右手の中指を挟み、内出血。あああ・・・・ このチグハグさは より本物に近づいた。♪・・・・♪・・・
 
 
 毎日 Nさんは 栗拾いで忙しい。≪今年は ダメだ~≫と言っていたが、天気が良くなると粒も大きくなり ニコニコしながら一日3回栗拾いに出かける。園に隣接する栗畑、集めた栗を事務所の箱に入れて・・・どうぞ!ご自由にの貼り紙・・・・それを見ていたKさんが ビニール袋に栗を入れ、皆さんに配り始める。二人とも 私の草刈り仲間、気紛れな草刈りに愛想をつかされたようだ。昨日、kさんがウロウロして私の動きを見ている。やる気になったか!「午後 手伝ってくれない?」と誘ってみたら、手真似で体をゴシゴシ、午後は風呂だという。なるほどね 分かったよ。
 そして 私は中指をブロックではさんだ。痛かった。
 秋は夏の暑さから解放され、思い思いの生き様があるんです。

3463:見上げてごらん

 小松左京『復活の日』漸く読み終わる? いつも中飛ばし、SF小説に正直 興味が無かった。それが一変した。空想科学小説、時間と空間の枠を超え、今 地球上で起こっているウイルス感染と内容が見事に重なり、深みにドンドンはまっていく、そんな読書の醍醐味を味わさせてもらった。戦時中、毒ガスや細菌攻撃が敵味方関係なく行われていたことが随所に描かれ、科学の進歩ありきの現代社会に警鐘を鳴らしている。
・・・・「憎悪、孤立、頑迷、無智、傲慢、貪欲・・こういった中世の宗教裁判官のような獣的な心情を、”勇気”や、”正義”と思いこんでいた男」・・・(p370)が自分以外に誰も信じることができず、彼の命令によりつくられた最終兵器が”全自動報復装置”という 人類破滅の核攻撃に対する防衛システムだった。 どんなに素晴らしい科学の進歩があっても それを操るのは人間だという負の確信の証である。
 経済第一の考えに最も敏感に反応するのは 負の確信の呪縛から逃れることができない”こころの弱さ”だとも言えるんじゃ~ないでしょうか!(ナマグサ)
 
 空想か現実か? 冷静沈着、今 起こっていることに向き合うことは 未来永劫に避けて通れませんね。高ぶる感情、衝動的行動をコントロールする力を抑制力と言いますが、これも 見方を変えれば人間のこころの弱さだと思いませんか?モノが溢れ、自由を謳歌、権利を主張し さらにスピードが加わり、ああ・・・こんなに便利で良くなった・・・と心から思える人がどれだけいるでしょう。チェック・アンド・バランス(抑制均衡)が悪くなれば 一夜にして暗転する。今更 良かれと信じてきた事に”不”の一字を付けることに私達は耐えられるでしょうか?
 空想(SF・VR)なれば良いと思うのが難しい世の中になった。それは 現実の様変わりが想定以上に激しく空想との境目がハッキリしない。自国第一の考えも他国との均衡をどうとるかが判らない。その行きつく先は 肥大化した正解の無い現実ではないだろうか?
 一生涯 飲み食い遊んでも使いきれない財を持ちながら 更に欲深く 望むことは何でしょう。気が付けば憎悪と孤立が離れずついてくる。
 その間に 失ったものが どれほど多いか・・・逆転の発想力・・・・ 未来志向に偏り過ぎれば その力は自然と弱まる。
 地元霞ヶ浦航空隊予科練記念館には 先の戦争で10代の若者が特攻で出陣する際に 母親に書いた手紙が沢山展示されています。 これが史実で 目を反らさず、そこから何を学ぶかですよ。
 

3464:朝の風景

寺のパソコンの有る部屋から 障子越しに庭が見える。いま 6時をちょっと回った、既に5人程の方が朝の散歩?で境内を横切って行った。若い女性が六地蔵の前で手を合せ頭を下げまた歩いていった。もう常連となった犬を連れてくる夫婦、帚を持ち石畳を掃除してくれる人・・・・・30分程の時間でのいつもの朝の風景です。この部屋で、いつも私はパソコンに向いながら 唄の無い曲を聴く。秋は エアコンの音も気にならず 静寂で覆われるから至福の時間。今日は平日なのに法事が2件入っている。起きて直ぐに白衣に着替え 大好きなコーヒーを煎れ 気持ちを整える。
 何かあった時に 時間に関係なく4箇所の施設長から私の携帯に連絡が入ることになっている。最近は圧倒的に体調に関する報告が多い。利用者の皆さんが高齢になり 医療面での対応が増えた。今年はインフルエンザの前に半年間コロナ対策に追われてきた。皆 よく 頑張ってくれている。いつも自分が出来る事は何かと考える。草刈り機の替え刃を今年になって取り換えた数が10枚ほど、いつもの年の倍以上になっている。
 昨日 インフルエンザワクチンの注射をしてもらう。一級先輩が2代目院長をやっている。偶然そこの医院で 同級生が予防接種を終えて帰る処に出逢った。
 時間は流れています。人の気持ちも一定では無い。昔から自然を愛し詫び寂びを解した日本人が一番 有るがままに生きる事の良さを知っていると思う。一言で言えば ”with 自然”!。 だから 一番やってはならない事は”自然”を粗末に扱うことだと思います。
 ★「これほど豊かになって、これほど幸せにならなかった国はめずらしい」(折々のことば1955:池内紀  )★
 
 雑草の強さには 感心する。 枯れ葉が 長年かかって土になり、雨風に耐え抜く糧となる。上に横に幾重にもツルが絡まり。名も知らない草木が見れば小さな花をつけている。どれもこれも自然の営み、人間が考え出した薬剤を散布することで 早く枯らすことはできても 次から次へと芽を出してくる。
  帚木蓬生の『ネガテイブ・ケイバビリテイ』が届き、読み始めた。直ぐに目に留まった箇所に赤線、「至便さの陰で人間臭さの何かを失った」という部分、一体 人間の何を失ったというのだろうか?
  誰かに気を使い 自らの言葉で語れなくなった時に皆がバラバラな気持ちになっていく。綺麗ごとや自慢話。今回の学術会議の委員選定で従来からの方法を菅総理は変えた。その説明が何とも歯切れが悪いから判断できない。これではどっちもどっち。
 余計なことは良いから原点に戻ればどうなのよ 何のため 誰の為 何を どうする。 多分その周知がいるのだろう。混乱をさけ 性急に事を進めようとすればするほど泥沼に入る。上掲本では 陰性能力と陽性能力で解説する。 学術会議に税金の10億円を助成していると言った総理自身 自党の新人議員の選挙に常識外のお金を出したことをどう思っているのだろうか?相手は 誰だろうが これも公金の一部なはず。
近年こういったチグハグが通用する。 どう考えても これじゃ~ダメだよな。 頭に 浮かんだのは 嘗ての三木鶏郎の冗談音楽だった。 ユーモアがあり 的を獲た時評、実に判りやすく 風通しが良いときている。

3465:正念場

 順調で平時には 然程 問題とならず。非常時にこそ その人の真価が問われる。
 家にいて世界で今 どこで何が起こっているかを瞬時に知ることができる、これを至便な時代といえるのだろうか? 私達は そのように信じ 他より高い目標を掲げ 競うことを選んだ。その陰で 人間臭さ(らしさ)の何かを失ったという指摘に真摯に耳を傾けるべきだった。逆に 目を背け 先送りしてきたツケが 今の私達への反転攻勢の流れを加速している。 これは 想定外のことだったのでしょうか またしても、真剣に考える事を止めてしまっては 元も子もない。 大事な事は勝者か敗者の別とは次元を異にするという真理。
 気紛れな台風が近づいている。其のたびに誰もが被害が無い事を一心に願う。何に向かって願うのか? これも今風の考えでは至便性の一部に入るのでしょうね。世の中に やたらと新たな神や仏が増えるのは その事と無関係ではないのかもしれない。それで丸く収まればの話だ。今年もノーベル賞の受賞者発表が始まった。日本人が選ばれるかどうか マスコミはコロナ関連ニュースは小休止し一斉に報道した? 
 幸福と悲嘆、高揚と落胆、欲望と失望の境界の見極めができない現代社会、その両方をも等しいと考える人もいた。(ショイクスピア「リア王」考察)
 社会に蔓延る”不条理”とどう向き合うかが永遠のテーマとして今も健全? 敗者復活を信じ 挑戦し続ける強かさ・・・・・ これは 仏教の「四諦」「八正道」の教えに通底すると私は思う。勿論 悲壮感ではなく、有るがままに!
 
 今こそ、先に立つ人は 隠し立てせず 事実を有りの儘に示して欲しい。いつ頃からか この国がおかしな方向に進み始めた。核心を避け、その場凌ぎ、それが上手くできる人間が評価されるという。巧妙な詐欺手口が蔓延る社会で 何を信じたら良いか判らなくなった。その発端は 記録の破棄を合法化しその中身がどうなのかを知らされず。自分達に都合悪くなれば 内容を改ざんまでさせる手口と酷似。その真相を明らかにする思いなど 毛頭なく、のらりくらりと、曖昧にしてきたのは一体誰ですか? 事もあろうに その根拠を示せと開き直るのは 国民無視を自ら認めたこと。 まさしく 日本人が大切にした武士魂(武士に二言なし)を汚すことではないでしょうか 危惧するのは 福祉を負担とする考えがより強まっていること。福祉は特定の人達へのサービスだけではない、国の基本、国民全体の幸せをはかることです。それが介護や保育、障害対策をあげ 隠れ蓑に利用しているのではないかと思えてしまう。  自助・公助・共助・・・は福祉のイロハ、当たり前の事です。今更 掲げることではない! 前政権が次々に掲げた派手(?)な政策スローガン、あまりにも多過ぎた。 交代後まだ一ケ月なのに国民の感心は薄れ、話題に上がらなくなった。国体の核心では無かったという証です。国政に携わる人が 三権分立の原理に立ち返ることをせず 自らの権力強化をはかれば どうなるか これも政治のイロハでしょう!
 自明なことは、国政選挙の低投票率 先進国ではトップクラス、≪他にいないから 仕方がない≫という理由で投票棄権は一向に減らない。これに対し自戒・自省の念が起こらないのは 理解し難い。
 低投票率を国民が悪いとまで言い出す忖度(?)評論家を重用し、御身大切 既得権を守ろうとする。この一連の流れと 今 問題になっている学術会議委員の選任拒否が妙に重なるのは私だけなのか。
 どなたかの言葉、共感で始まって共感で筆を擱く ・・・・・そんな政治家の回顧録は 無縁となってしまうのでしょうか!! 

3466:冥蒙

季節は秋、草木は冬への準備にはいる。 草刈りをしていると 今まで気付かなかったことが足元からいろいろと見えてきます。 蝉の声が消え、季節は徐々に静寂に包まれていく。今まで、秋晴れの日が殆どない。どんよりした曇り空の下、地域では 最後の品種の梨収穫も終わって、次に栗に変わった、それも殆ど終わりに近付いた。
農家も いつの間に状況は一変、 専業農家が殆ど無くなった。
経済と感染対策・・・世界中が そのバランスをどのようにするか悪戦苦闘している。創業150年で有名な小田原の蒲鉾店が店を閉じた。コロナ禍の影響があまりにも大きかったという話。秋から冬に向かって ”GO TO キャンペーン”で観光地に人が戻ってき始めているというが  観光地も旅行者もほんの一部ではないでしょうか?
 ”冥蒙(めいもう)”とは 煙霧が立ち込め 景色がかすんでいることをいう。
 「名誉 虚栄 迷信的な人種差別  人間相互間の故ない優越感と排他主義 自己満足やうぬぼれ  ・・・文明の過信からくる無条件の楽天主義」 「”文明の資本主義・・・功利主義段階の不可避的事態”として、宿命として、受け入れてしまうだけで、未来に期待をかけるだけでよかったでしょうか?」(小松左京『復活の日』P314~からの抜粋)。小松は上掲本の中で 冥蒙という言葉を随所に使っている。
 なんと50年前に 今の状況を予見し 警鐘を鳴らし続けた作家だった。
 秋晴れの無い 今にも雨が降りそうな空、私達はこれを冥蒙な猶予として受け入れ続けていくのでしょうか。   
 
 秋の日差しを待ち望みながら 冬の準備、感覚的に日本の四季が昔と比べハッキリしなくなったように思います。紅葉前線が北へのび それを求めて人が移動する。予想もしていなかった世界的なウイルス感染の拡大によって 人の動きだけでなく 生活様式も変わった。この騒ぎが収まれば また 同じような姿に戻るのだろうか? 冷静に考えてみよう。今回のコロナ禍は国や人種、それと季節を別して 拡がったのではない。ワクチンの開発は勿論 いま誰しもが待ち望んでいること、その中で自明なことは ウイルスそのものが常に進化し 生き延びようとしていることです。人間にとって有益なものだけを残し 他は潰してしまうということは道理に適っていることなのだろうか。
 その考えに異を唱えた”with”・・・・ ”ポスト”・・・など、どっちにしても ソロバン片手にこれからもずっと人間中心で 行っていくものかもしれない。
 今 学園の事務所で 話題になっていることがある。栗拾い、袋入れ、分配・・・仲間たちが自主的に始めた、初めは一人、それがいつの間に3人になっている。暗黙のルールによって 相手の仕事まで奪わない。
 一番難しいのは 分配だと分かった。”よろしかったら ご自由に!”の貼り紙は 最初はある程度の効果があった。でも 毎日栗を食べることには ならない。そこで 彼らは迷った。でも 想定しなかったことは
 彼らの行為が 私達に気付かせてくれた事。それは ”笑い”だった。思いもよらない副産物です。
 労働、 それが出来なくなった時に味わう不自由さと焦り。出来た時にはそう感じなかったのが 笑い。 コロナ後の生活スタイルに その辺の価値が見直されたらいいね。移動コンビニ来る

3467:価値の再考

協調か対立か  世の中がどうも対立の方向に進んでいるように思えます。その証に 学術会議と政権、委員の任命をきっかけに 思わぬ方向になっている。おそらく 今までの鬱積した不満が噴出した形ではないでしょうか? お互いの面子のぶつかりあいで どっちもどっち、急ぎ過ぎ 焦り ここは熟考・再考・・・そして行動! 忖度の次にくるものは 強権、それに味を占めればやがて崩壊に向かう。無理があるからですね。”代表民主制”で 何が一番怖いのか、ハッキリ言って”不信感”ですね。選ばれた者が 座を得て変容するというのはよく有る話です。周りがそうさせることもあるかもしれない、でも 本当は その人自身の問題が大である。
 利潤率低下=資本主義の終わり、そこに至るまでに避けることができない事態が貧困化と民主主義の機能不全という(ガブリエル)。既にその兆候はあった、さらにコロナ禍と深刻な気候変動が重なって、出口が見えないカオスの状況になっている。それに対しAI技術の発達を救世主と思ったかどうか? それは判らないが 人間らしさを失うという大きな代償をはらうことになっていると思いませんか。
 僅かな望みが有るとすれば、それは人間らしさ(意識)を今も頑なに守り続けている人達との触れ合いから得る事ができるのではないでしょうか。知足・・彼らは自らの利を他を押しのけてまで獲ようとはしない。慈しみ・愛・・・両親を大切に思う”こころ”を失わない。その彼らと一緒にいると相手への思い遣りや温もりを感じ 救われる気持ちになります。
 どんなに便利で豊かな社会になろうが ギスギスした人間関係の中で 人間らしさを失っては元も子もないでしょう。
 
 70才の峠を超えて、痛感しているのは 体力と気力の衰え、これは 誰しもが経験することと自分に言い聞かせつつ ”だから どうするんだよ?”と。人生の幕を閉じるのは まだ先と思いつつ、”このままで良いのかよ?”
 今 利用者で3名の方が入院しています。それぞれ病名は異なり 同じ病院にお世話になっている。時節柄 家族の面会は控えるように言われ スタッフが毎日見廻ってその報告を私にしてくれる。彼らの生き様から多くの事を学んできた。その最大のものは 逆境に動じない強さかもしれません。それと頑なに守ろうとしている事がある、それを掴むことが我々支援する側にできるかいなか? これは どう考えても国の考える社会福祉とは次元を異にする。最前線の現場ゆえに 無視できない現実です。
 IMFの2020年10月の世界経済見通しが発表されました。政府総債務残高(対GDP比)266%で日本は188カ国中の第1位、先進国中では他を大きく離して断トツ。あまりマスコミも取り上げない。歴代政権も同様だ。、受けの良いことのPRは欠かしたことはない。前政権の踏襲をするというのであれば 総論では無いはず。具体的に何をどうするか  判りやすく丁寧に・・・・。
  

3468:微力なれど

 秋雨前線が居座っている。米や果実の収穫が終わって間もなく、関東地方の天候は陽から陰に変わったようです。太陽が姿を見せず、おそらく どこの家でも洗濯物が乾かず困っているのではないでしょうか?
 日本の四季に応じた風物詩は 変わらざるをえまい。これくらいならば 大したことじゃ~ないでしょう。
『ポストキャピタリズム』を著したポール・メイソンは資本主義は情報テクノロジー(技術)によって崩壊すると予言した。 情報によって飼いならされてしまった現代人は 何をもって判断するか判らなくなっていないだろうか。凄い早さで拡散する情報を止めることは最早 不可能、発信元がどこの誰?その信憑性?・・不明の儘 一人歩き始めている。これから先、益々進化し溢れる情報のひとかけらで是非を判断するしかないとすれば道を誤らないだろうか。米国の大統領選を見れば明らかだ、昔から白黒をハッキリさせた選挙が行われてきた国と日本は真逆のやり方を続けてきました。 今回のトップの交代を考えると 何かスッキリとしない。
 ・・・小休止・・・
 『未来への大分岐』を何度も読み返して、世の中には実に様々な考えがあることが判る。競争がエスカレートするAI(人工頭脳)技術開発、ルール・道徳なき現代社会において この技術をどう使うのかさえ明確な答えがない。
 第5章「資本主義では環境危機を乗り越えられない」(P310)、コロナ禍が人間に突き付けた問題に対し、世界が連携して対応しているかが定かでない中で罹患者が4000万人に達っしようとしている、自粛と経済のバランスという視点では、第一波より第二波の感染が増えていても仕方が無い事なのだろうか?もしも 今回のコロナ禍だけで収まる問題ならば いざしらず この次、更なるウイルス感染の起こる可能性が大きいとすれば 今やるべきことを実行に移していくべきだと思う。小さな力(支流)を集めて大河(力)となす。・・・自然の原理から学ぶしかない・・・
 
 自暴自棄になってはいけない。自問自答は”行”になる、先哲の生き様を知れば 自明なこと。”行”は五蘊の行、五蘊は‥≪諸存在を構成する物質的・精神的5つの要素≫。色・受・想・行・識の総称。全ては空(実体がない)と照見せよ、そして 五蘊盛苦・・・四苦八苦の8番目、この意味は”思い通りにいかない”という真理なり。
 現状も仏教の視点から観れば、すでに起こるべきして起こった事象と言えますね。ですから 慌てず 騒がず 諦めず・・・・けれど何故か 現代人は 抑制・忍耐する力が劣化した。勿論 全てではありませんよ。だったら 自分はどうなのか?と自問自答する。
 知らぬ存ぜぬ、あっしには 関係ないこと・・・と白を切る。これは認めるという”潔さ”が萎えている。何を恐れてのことなのか?これは 恐らく”環境”が大きく影響していると思うのです。学歴や貧富の差ではなく、もっと根源的な何か?
 嘘に塗り固められた環境に育てば 何が真実か判らない。仏教はそれも含めて正しい道を説いている。(八正道)
 現代社会を表わし≪術の進歩、便利さの飽くなき追求≫と。これを【術の進歩、不便さの飽くなき追求≫、キイの打ち間違いや変換のミスは 誰もが犯しやすい。
 日常的に起こるので ちょっと立ち止まって考えましょうね。 待てよ これは単純ミスじゃ~ないかもよ。  色即是空 空即是色
 

3469:忌々しい

 やはり 懸念していたことが蔓延し、止まらない。より巧妙な手口、世間を嘲るように・・・・”掴めるなら やってみろ!”と謂わんばかり。今朝開いたメールの受信トップに”総務省 第2回追加給付金の特設サイトの知らせ”、即 ”怪しい”と感じた。案の定 総務省を語る詐欺メールと判った。(実際は 大分前から注意の知らせはあった。)発信する側の気持ちが判らない。総務省と言えば国の根幹にあたる省庁、行政の要ではないか!随分とコケにされたものである。 出口が見えないコロナ禍を利用し良からぬ事を考えるとは世も末だな~! やりたい放題、これを取り締まる事が本当にできないのかと思いますよ。 一方では5Gとかなんとかで容量と早さを売りにする新機種、このチグハグ差が今を象徴しているとのコメントばかり ???。
 恐らく 尻尾は掴んでいるんだと思うな! 泳がせて 時期をみて踏み込む。 やらせ&やらされは 捕り物の常道 ・・・・・。(国内法では無理、それが今の実態です。)
 新自由主義、の特徴は? ①国家の介入を最小限にする。②民営化の推進。③個人の責任 と言われています。何かオカシイと思いませんか? 問題の根底には、民主主義の基本、三権分立の箍の緩みが原因していると思いますよ。表と裏があり、実証済。
 忌々(ゆゆ)しいという字を辞書で知らべて見ました、①そのままほうっておくと、とんでもない結果を引き起こす。②神聖で触れることが憚れる。・・・・⑤堂々としている。⑥立派である。 成るほど なるほど~ねイ。
 ☆「善友に随わずして癡人に親しみ、善根を勤めずして悪行を営む・・・・」 「利養を得んと欲して自徳を讃じ、名聞を欲して他愚をそしる」今から1000年前の覚鑁が書き残した懺悔ノ文の一節です。
 
 皆さん! 考えが堂々巡りし、止まらない状況になったことありませんか? IT機器も同様に 容量不足で必要な時に動かないことってありますよね。そこが新機種の売りなんでしょう! まさしく人間と同じ、一種の流行病ですよ。便利なようで そうじゃない。家の中を見渡せば 不要になったものが いくらでも見つかる。 機能停止や不要は環境との不適応、心の病の兆しです。NHKBSスペシャルで「ガブリエル」の出演する番組があった。そのタイトルが「精神のワクチン」というもの。「私たちを分断する精神の毒にワクチンを打たねばならぬ。」 模索する新たな生き方として”意味の場”現実のあらゆる存在は常に意味を共にすると提唱する。
誰もが このままで良いとは考えていません。忌々しい事態なんです。”リセット”、最初に戻すこと。スマホが作動しなくなった時、再稼働かけると 動くようになることがあります。また インターネットに繫がらなくなった時 コンセントを抜いて繫がった経験はありませんか?。人間も同様の事が必要なんですよ。
 でも 注意しないとならないのは、 今までのデーターが全て消えてしまうというリスクもゼロではない、こうなれば最悪です。要するに完璧なものは有り得ない。文明への無条件での過信に 新たな意味を見つけようとすれば 貴方なら何をどうしますか?   コロナ禍の意味とは?  大事なことは自らをリセットできますか?

3470:泰然自若

 マスク着用の生活が半年になる。私のような小心ものには ”泰然自若” など無縁、日々移り変わる物事に反応し、戦々恐々。だが マスクはその表情を隠す壁となる。
 あれだけ 騒いだマスク不足はどうなった?今では、うず高く積み上げられているのが、どこの店でも見慣れた光景となりました。神無月も残り1週間、2020年は世界中がコロナ禍対応で過ぎていく、今もってそれも現在進行形、このまま年を跨ぐのも現実となっている。
 新たな生き方が創造できたか否か、今回だけは時が来れば????。でも これを機会に 変わらねば もうダメかもな~。略奪や偽善が横行し それに慣れてしまったとしたら 大いなるものは 更なる試練を人間に課せるかもしれません。そう思って一人ひとりが変わらないとダメなんだわな。
 実際には 何をどうすれば良いかが判らない。幼子が成長しながら 学ぶ大事、もし それが略奪や偽善だとしたら どうなるか? これには明らかな証がありますよ。地域の幹線道路、道端を綺麗にしても 毎日のようにペットボトルや空き缶を捨てる者がいる。この倫理感の無さは 改善されないどころか逆である。
 焦燥感は”思うようにならないイライラ”です。それが 冷静な判断を阻害し、邪まな考えに至らしめる。 これって仏教のイロハ、なんと2500年も前にそれを悟った釈迦の教えです! こう考えると 巷で騒がれる科学の進歩や豊かな社会も虚構の域から出られない。それは 個々人生の言い訳ではなく、真理でしょうよ。
 資本主義への偏重は 責任と義務の喪失や貧富の較差拡大に力を付与した。
、この検証は中途半端でそれを変えようとする”うねり”とまでは 至っていない。社会の実相は「自分さえ・・・ 今が良ければ・・・」という価値の呪縛から抜け出せていないと。
 
一人の力には 限界がある。自暴自棄は その諦めから始まるんでしょうね。”どうせ やっても仕様がない”観が蔓延していないでしょうか、 いよいよアメリカの大統領選が近づく、公共の電波を通し全米に中継されています。 選挙民からすればどちらに投票するかの判断材料になる。マスク効果の是非が論点となっていたが 日本では考えられないこと、言われずともつけているのだから ・・・・・と。否、違うな、政治への期待が低い国の言い訳としか取れませんよ。自らの言葉で 堂々と論戦をはる 今の政治家が他に学ぶことは そこでしょうね。
 望まれる新しい国の形、その一案として ベーシックインカムという方法が検討がされているとか。あまり聴き慣れない言葉だが 提唱しているのが 例の方だから 正直疑わしい。これは あくまで私の個人的見解です。政府が一律に国民全てに対し生活の最低保障額を支給するというもの、既に取り入れている国がいくつかあるそうです。EUの中で財政危機に直面し、その救済策として実行されたというギリシャより 日本の財政状態はどうなんでしょう????判りやすい説明がどうして出来ないのだろう、だから国民も含めた議論がいつまでたってもなされない。国策を各専門者会議の提言に頼るのは 時として 責任逃れとなりかねない。それを あまりにも多く私達は見せつけられてきたのではないでしょうか!
 独言、つぶやき、・・・一人の力には 限界。泰然自若⇔自暴自棄の順逆遍路