源究200g20

  

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 3511  夢に向かって  1/21  3516  歪み  2/2  3521  取り戻そう  2/14  3526  ホンネとは?  2/26
 3512  覚書 1/24  3517  乖離絵図  2/5  3522  気付き  2/16  3527  連鎖構図  2/28
 3513  不信感  1/26  3518  引き際  2/7  3523  声の記録  2/19  3528  抜き足差し足・・  3/3
 3514  成熟  1/28  3519  混迷体感  2/9  3524  探し物  2/20  3529  オンライン研修  3/6
 3515  頑張り  1/31  3520  故事回覧  2/11  3525  真実とは?  2/24  3530  移り変わり  ☆

3511:夢に向かって


発心・修行・菩提・涅槃・・・「四門」と言います。釈迦は若い頃、何不自由の無い生活をしていた。ある時 東西南北の門より外に出て、老人、病人、死者、修行者に出合った。・・・・生老病死「四苦」を目の当たりにして出家し修行者の道を選ぶ、四門出遊と言われるものです。
 現代社会と比べ どうでしょうか? グローバル化やAI技術、経済第一○○・・・と目立つコトバを挙げれば切りが無い。これで私達は「涅槃」(安心)を獲られたでしょうか?答えは「否」ですよねー。
 なんで?誰の所為なの?・・・と自分はさて置き原因探し。
 一攫千金、我武者らに成功の誉を獲た人もいるかもしれない。でも 本人はそれをどう思っているか!決して満足していない。気が付けば”裸の王様”、でも気が付かない人のほうが多いのではないでしょうか? これは 欲や妄執があるからだと教える。
 視点を変えると気付くことがあります。いつの世も老人、病人、死者が一杯です。昔から変わらない。でも肝心なのは 自分もそうなるという事を どのように捉えているかでしょうね? これこそが仏教の原点です、四苦八苦をどう解しどうするか! この世に生まれ出た時から始まっているということ、生きることを苦と考えると誰しも思い当たる節が有り特別の人間ではないと知る? 大事なことは自分が そこに立てるか否かですよね。
 今まであたり前にできたことができなくなった。コロナ禍によって 世界中の人々が同じように思っています。何故?どうして?誰の所為?
 こうして 同じことを繰り返す。四門行道、これぞ 生きる私達の真の姿、宿命を受け入れることが出来るか・・・・・・也。宿命を夢と思うか苦と感じるか、AIは教えてはくれませんからね。だってAIは苦しまないでしょう。
 ★ 昨日、中南米から沢山の難民がアメリカを目指し歩く様子が世界中に流されました。 
 
 視座を変えるには、辞世の句をつくることも一つの方法かもしれない。『盥(たらい)からたらいにうつるちんぷんかん』このように詠んだのは一茶と言われています。人間は生まれる時産湯につかり、死ぬ時は湯灌につかる。それが”ちんぷんかん”だという。正岡子規が一茶の句を「滑稽と諷刺と慈愛の3点」と評したというけれど、私達は誰しも老いに近づけば 自分を振り返り、あれこれと思いを馳せるものですね。多くの人が一茶の句に惹かれるのは”深い慈愛”を感じるからに違いない。それは一茶のことを知れば知るほど・・・・! 辞世の句なんて縁起でもないと謂われるかもしれません。構いませんよ どうぞ どうぞ。
 モノの本によると 先人達の辞世の句は 一つだけで無く いくつもあると謂う、そうかもしれない 瞬時に思いつくものでは無いし敢えて宣言もしないでしょう。その人の節目だからですよ。でも ホンネがどこかに現れる。
  大事なのは 自分への”覚書”だと思っています。
 じゃ~ お前はどうなの? ハイ 熟考 現在進行形でございます。一茶は『ちんぷんかん』と詠みましたが、私は『あんぽんたん』(?)

3512:覚書

 5・7・5の17文字に凝縮し、人生の覚書とするには 簡単ではない。此岸にイトマゴイする辞世、彼岸はいったいどんな様子なのかと誰もが興味津々 けれども誰一人として模範解答を持ちえない!国連の世界の人口は2019年で77億人、2030年になれば85億人と約10%増加すると予測する。勿論 国によって差があって、日本はこのままいけば 人口減少まっしぐら、2021年を迎え、その対策もコロナ騒ぎに奔走し思うような効果は望めない。
 この先 世界の地図も変わるでしょうがどう変わるかは不透明、これも 今に始まったことじゃない。
 私にとって仏教は大事な”道しるべ”、生きていくための常備薬、手帳に方向・距離・時間を記して、無くてはならぬ処方箋、不具合あれば大いなるものにひれ伏して 救いを求め、束の間の安息を得て また歩きだす。そして 暫く歩くと今度は”因縁”と”無常”の点滅する交差点。止まるべきか 行くべきか?
 『英国のEU離脱と米国のトランプ政権は 行き過ぎたグローバル化への大衆の反逆が底流にある』(「自由の限界」p239)。 世界は一時も休まず変わり続ける。それを誰も止めることができない。
 確と”覚書”に記して置かねば 最新のナビを駆使しても道を誤る可能性は減らないと思います。
 
 
 均衡が保たれているものが何かの原因で足元から崩れるというのは よく起こります。今回のコロナ禍をどう考えるか? 2018年、スウエーデンの15才のグレータ・トウンベリさんが「気候のための学校ストライキ」と手書きした看板を持ち、スウエーデン議会前で座り込んで地球環境の危機を訴えた。それから3年が経過しました、その間にも世界各地で山火事や洪水が繰り返し起こっています、そして、今回のコロナ感染、 世界中が大混乱に陥っている。彼女の訴え通りの事態が 目の前で起こっているのです。
 彼女の活動によって、少しづつ変化がみられます。グリーン活動や二酸化炭素排出削減の動き、だが未だ充分だとは言えません。
 1918年に起こったスペイン風邪、当時の世界総人口の1/4にあたる5億人が感染し、少なくとも一億人が死亡したという。(ウイキベテイア) 丁度第一次世界大戦の最中で、日本でも2380万人が感染し38万人が死亡している。特に若年成人者の感染が多く、今回のコロナウイルスとは違いがあるといわれていましたが ウイルスそのものが変異を繰り返すので勿論油断はできません。
 スペイン風邪大流行は100年前です、今のグローバル化した世界の状況とは比べられないかもしれませんが、現在の対応でどうなのか?ワクチン接種が始まっています。
 私達は経験から多くを学び 様々な困難を乗り越えてきました。 それには克明に記された真実の記録が重要になります。恣意的に解釈し破棄したり改ざんされるものではなく永久保存されて当然なのです。 

3513:不信感

 フェーク(fake)ニュースが問題になっています。当然 予測されたことです、いかさまニュース、相手を騙し、自分の利になるような魂胆・悪巧み を・・・・SNSを使い、いつどこからでも発信することができます。自ら責任は取らず 曖昧にして知らぬ存ぜぬ、厄介なことになりました。
・・・【花柳に戯れ、借金に魂胆する内情】・・・・これは『福翁百余話』にあります、明治人の気概というか今の自らをリーダーと称する人達との違いを諸に感じます。これで 良しとするか、諦めるか、 それとも 何が明治人には有って 今は無いのか!!!等々 いずれにしてもお互いに学び直すことが今は肝要かと 不図 そんな事が浮かびました。憂慮することに 日本はコロナ後の国の有り方に、長い間 重要な問題を先送りしてきたツケが 一気に噴出するような危うさを感じます。この根拠は 政治家のモラルの欠落と気概の衰えが急に進んだこと、だから また 同じ事を繰り返すのではないかと思ってしまう。・・・身口意の業、常に顛倒(てんどう)して 誤って無量不善の業を犯す・・・・これは布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧という六度の行を退してきた結果・・・・世が乱れたということを仏教の立場から説いている。『密厳院発露懺悔ノ文』 先哲の血の滲むようなつとめがあればこそ、進取の気性が備わるもの それがなんと  一気に蔓延した不信感を払拭する手立てが見つからない処か 内輪からそれを諫言する者も出ない、これこそが”非常事態” と思うのです! 如何でしょうね。
 
 
 一生懸命 生きているのは皆さん誰もです。そこを思い違いしないで欲しい。
自分は違うんだと心底から思っている人もいるらしい?○○特権?  その人が置かれた環境によってかもしれません。生まれた時から何不自由なく 周りに大人たちを侍らせ”お坊ちゃん”教育で育てられたら どうなるか・・・・・・・。平時には それが目立ちませんが、今の様な状況になると 言動からその片鱗が顔を出す。
 けれど人間の成長には外的条件によって影響されるのは全体の1割程度で 9割は自分自身の持っている内的条件による・・・・云々。ですから 環境の所為にするのも ”言い訳都合主義”でしょうか! 
 養老孟司さんと”まる”(愛猫)とのドキュメント番組がBSで流れた。二人(?)の仄々とした関係は静寂な鎌倉の環境によって生まれたのだろうか。養老氏の本を読むと なんとなく 人間社会より自然や動物 特に虫やネコに惹かれることが納得できる。
 その養老氏が書いている『不安と同居するやり方を覚えるものが成熟』 ・・・著書:『遺言』より。 12月22日”まる”は老衰で静かに息を引き取った。

3514:成熟

 
 仲間たち


 ”日本が 戦後最長の景気低迷を続ける理由は 何でも揃っている日本で新たにモノが売れないからか? それは 現実をはぐらかしているとしか思えない。もしかしてモノが溢れていることを成熟と勘違い、それを無駄だとは何故思わないのだろう。 養老氏は『不安と同居するやり方を覚えるものが成熟』だと謂った。  そうさせないのが人間の””ということになるのかもしれない。
 しかし 日本だけの事では無いですね、これは先進国と謂われる国共通の問題でしょう。コロナウイルスも人間と同様に地球に同居する生き物 それとどうすれば 上手く共生できるかですよ。それができた時に初めて成熟国家といえるんじゃないでしょうか。まだまだ未成熟です。厄介なのはそうなったとしても 忘れてしまえば 元も子もない。
 やみくもですが 社会規範と市場規範という言葉について,二つの間も思い通りになりませんね。 福祉や介護の仕事に長く勤めようとする人が増えない、仕事の重要性・必要性を理解している人が殆どなのに自ら腰を上げない、酷いのは本人が望んでも周りが止める。なんで~?って事でしょう! これって市場規範が勝っているから??? コロナ禍でこれが どのように変わりますかねエ~。 
 医療崩壊と家庭崩壊!こんな事は成熟国家では起こってはならんです。でも現実に起こっているんです。矛盾撞着!は 元金 は 利息 

 ☆ 上掲の絵:がんばっている人にプレゼントするそうです!(GHメンバーからのメッセージ)
 
 気温2度、雪混じりの冷たい雨の中、地元小学校の子供たちがグループ毎に下校中。皆 マスクをして いかにも寒そう! その姿を車越しに見て、知り合いが入所している介護施設に向かう・・・・ もし 今のコロナ禍が無かったら どんな状況になっていただろうか?
 カーラジオで国会の中継を聴いていたが 殆どがコロナ関係の話、質問と回答が噛み合わず、お世辞にも内容ある議論とは思えない。相変わらず 国会議員達の会食会(?)のスクープ、次から次と連日繰り返す。今 この時に!!派閥領袖が厳重注意、子供じゃ~?あるめいし 己自身を差し置いて苦言を呈し 謂う事聴けとは お粗末過ぎる。
 コロナ禍の後遺症が問題になっている中で この為体は非常識?
 世界各地から反政府デモや抗議のニュースが報じられ、心底 歓迎はできないが 諦めと無関心は 致命的、この立て直しは 世界一の”富岳”でも 想定外?
 日本のトップの映像から体の具合がどこか悪いのかと気になる話・・・・・野党の質問もどうかと思うが 本当にニッポン大丈夫かと 不安になった。
  ☆ 絵の届け先は お世話になってる地元の中学校、玄関に置かれてあったと聴きました。ガンバレ~ がんばろ~

3515:頑張り

 やっと いろんな意見が出てきたと感じます。中には 首を傾げたくなるような内容もありますが、恐らく その方にとって我慢の限界を超えたのかも知れません。行政の縦割りを壊すと仰いましたね、寧ろ 貴方たち自身はどうなんでしょう?
  しっぺ返しを恐れるあまり、相も変わらず婉曲な言い回しに終始する報道機関、本来の使命?。国民に自粛を強く要請しながら、運悪く(?)一部メデアにスクープされ、後日カメラの前で謝罪する。この類は目下のところ高止まり、巷での、阿鼻叫喚が聴こえないのでしょうか!
 医療や介護の最前線の様子がTVで取り上げられようになりました、逼迫し危機的状況が連日続いている現場と自ら感染し死線を彷徨った方の生の声が 国民に知らされるようになってきました。 必死に頑張っている姿が 事の大事を瞬時に知らしめる・・・・・・・。自分が何ができる?できるだけ負担を掛けないよう自分達は注意して行動する。非常時には協力し事にあたるというのが大前提。
法改正で 診療拒否が有った医療機関に名を公表し罰則を課す・・・云々、じゃ~貴方たちは どうなんです? 低頭し≪信頼を回復し 皆さんの期待に応えられるよう努力します≫ この機に於いてまさかの常套句。 
 これで許されるという慣れの恐ろしさ。
 
 コロナ感染で判ってきたことは 潜伏期間があって その後発症し、少し遅れて重症化する・・・。屁理屈を謂えば 一国の政治とよく似た経過を辿ることが判ります。潜伏期間を隠蔽や忖度で塗り固め、後に問題が表面化 それをどうにかしようとしても その時にはどう治療したらよいか判らない。現政権は前任者の突然の辞任を受け、急遽 登板した。 正直気の毒という思いはあります? 一連托生の運命は 自ら選んだ道 故に 言えないし謂わない!
 虚しさと無力さは不安による後遺症、一億総活躍?経済回復?Go To~? 次から次に飛び出した実弾(キャンペーン)演習を高見の見物してきた我々大人一人ひとりの責任でもあると認めなければならない。演習でなく明らかに戦時下となった今、 私達が 今 出来る事があるのだろうか。スローガンや不祥事に振り回されているばかりではなく 覚悟し立ち止まって 良く考えなければならんでしょう。幸か不幸か 考える時間は前よりも増えました。
出来ないことを羅列するんじゃなく 出来る事を、無くなったことを悔やむんじゃなく 今 在るものを見つけ出すこと。日本人が 勤勉と真面目さで築いてきたものを いつの間にか忘れたり粗末にし 逆に息苦しさを感じていませんか?
 一方に偏するのではなしに 良い塩梅を考えては どうでしょう? これこそが コロナのメッセージだと思います。 今すぐできる事は、最前線で闘い続けている人達にエールを送り、自分たちが出来る事で協力すること。

3516:歪み

 歪(ひず)みという字は、不と正を縦にくっ付けたもの、意味は”ねじれ・弊害・しわよせ”、原因があって、その結果、・・・・高度成長政策の歪みを是正(ex)・・・・等と使われる。
 仏教の基本的教説で ”因縁””縁起”、によって説明します。今 私達はコロナ禍の中で、恐れと不安からの出口を捜し藻搔いている。それも例外なく世界中の人達がです。こういう経験は100年に一度ぐらいおこるか起こらないかと謂う人もいるが その言葉には 何の根拠も無いことを感じている。実は これって願望でしょう。自分達の力でこの難局は乗り越えることができると謂う人もいる。これだって希望です。 縁起の考えからすれば 原因が取り除かれなければ結果を変えることは不可能という事ですよ。不生不滅とか六大縁起とか それら全てが自然の理で既に存在していたこと、そこに気付いた方が釈迦ということになります。所謂”悟り”です。
 私達は高度成長を急ぎ、溢れんばかりのモノに囲まれ生きることを望んだ。何の不自由も無く過ごせれば理想郷と勘違いそして我利我利亡者を是認する価値観を生み、屈折を繰り返しながら 今に至った。しかし、人間は何を獲たでしょうか? 自分は何のために生まれてきたのか? 何のために生きているのか? どんなに苦しくても何故生きなければなならないのか?・・・・・・・という問題にぶち当たって悩み苦しんでいる。
 その歪みを解(ほぐ)すには容易な事じゃない。
これが 福祉の原点だと思います。 その事を気付かさせる最大のチャンスが今だと捉えないと後悔するだけでは済まない。
 
 他人をどうのこうの言う事より お前がやるべき事があるだろう!  コロナからのメッセージ
 カミュ―が謂った≪不条理≫、理想との間に生じる、対立、葛藤、分裂。『シーシュポスの神話』の中で「不条理を受け入れることが唯一の生き続けられる方法」だと。
 私がかなり無理しているな~と思いながら 当時から半世紀経った今に想う。これも読書の時間が増えたからだと思っている。
 ・・・不条理による3つの結果、それは反抗、自由、情熱・・・だ云々。今のニッポンは自由を謳歌している間に、反抗と情熱が萎えてしまった。変革や新生、コロナ後の最大の課題に向かう覚悟とエネルギー不足、身内に甘い責任の取り方が その証。
 時と場合により 若干の違いがあるかもしれぬ。それでも敢えて言わせてもらえば、今回とられた4人の現職議員の身の処し方。自らバッジをはずした一人以外は なんと離党し謝罪することで 辞職せず。皆さん どう思います?個の尊厳ですか?裁判中の元大臣の件も然り。自分が偉くなり過ぎた。まさに国の財政逼迫の”歪み”&”極み”。
 しゃ~ねんだ しゃ~ねんだ。時間が経てば~ やがて熱り冷めるから  自粛し 待ってなさい・・・・・てっか もういい加減にしてよ! コロナからの手紙。をもう一度読み返そう。
 頑張れば その足掬う輩あり。一族郎党 ここ一番の そろい踏み。 

3517:乖離絵図

人にモノを頼む時には それなりの礼儀があるべきでしょう。これを失うと 折角築いた人の関係が崩れる。
カネを介在させ損得勘定が加わり、貧富や勝ち負けが評価の基準となっている。これは 人間が考え創った仕組み、それぞれが掲げる旗の下で 増殖し、変異を繰り返す。どこが発端か 今となっては誰も判らず、独り歩きを止められない。礼儀と礼義の「ギ」の違い、 儀のほうは 人+義であり 「社会の秩序を保ち、良き関係を築くために、人としてふみ行うべき作法」「ほどよく整い、手本となる人間の行為」(大辞林)という意。
 人心の乖離は どうして起こるんでしょうね? 先ずは 信頼 ですよ。信じて頼ることができるか否か?じゃ~ どうして 信頼がおかしくなるのでしょう? 仏教では『三密』(身口意)の乖離・齟齬を事由とする。
 ここにきて言葉の重みが軽くなったと感じます。口先だけ 心にもない 言行不一致。”違う!”と謂うかもしれません。でもな~ ???? この空気が蔓延している。ハッキリ言って長期政権の弊害かもしれない。
 変に纏まりを気にするあまり 謂うべき事を謂わない人間が増えた。自分が生き残れる為に それが良い。そして 今の状況になっている。これらは 自分達で考えた設計図、だが、もしかして乖離絵図 か? 残念ですが それを進言するものが いなかった。
 
 こうなると 次から次に出てくる問題で 泥沼にはまり込む。
 一蓮托生!決して他人事ではすまされない。”一蓮托生”の原義は「死後、極楽と同じ蓮華の上に生まれ変わること」 浄土信仰から生まれ「最後まで運命を共にする」意となった。これが 今流の”科学的根拠”という考えと共存できるかどうか?? ポストコロナは、終息後 どう変わるかという事なんでしょう、 人間が本当に変われるだろうか? 正直 判らない。現に存在する負の遺産! 途方もない量であらゆる処に存在しています。
 人の目は騙せても ・・・・ 大いなるものには 通じない。いずれにしても 解答は出さなければならんでしょう。
 

3518:引き際

イギリスで 100才の退役軍人の方が医療従事者の方々にエールを送るために 歩行器を使い自宅庭を100周歩く動画が流れ、感謝の気持ちで集まった寄付金が40億円を超えたという、【クラップ・フォー・ケアラーズ(医療従事者らへの拍手を)】国民からの掛け声で英国全土で午後8時に一斉に拍手する画像が流れた。
 足元で起こっている事が あまりにも違うのに唖然としている。コロナ感染で協力しない医療機関へのペナルテイを課す法律の成立、まじかにせまった東京オリパラ大会組織委員会トップの女性軽視の発言、・・・・・・
 説明や謝罪をすればするほど 余計疑念を持ってしまうのは 何故でしょうか?≪モノをつくって 人を育てず≫  これに尽きると思うのですがどうでしょう。実は彼らも懸命に努力しているのでしょう。でも どこかが違うのは 核心の揺らぎではないかと思います。己の傲慢さを知ってか知らずか 自戒を忘れた言動が顔を出す。
 謝罪は 口に出しただけで終わりではない。その後 どう変わったかが大事! 納得せずに謝罪しても人の心は動きませんから。
 地位に留まって責任を果たすのが良いのか、それともこれを機に身を引き 後任者に託すべきかの選択 答えは決まっていると思いますよ。取り巻きも「つもり違い」を見て見ぬ振り?その場で引導を渡す人物が無い組織は”烏合の衆”となり易い。
 「認識の共有」「想像と準備」「世界一の安全・安心」 東京オリンピック・・・・ 開催地が決まった時の覚悟と熱狂はどうしたんでしょう・・・・・!これら全てをコロナの所為にするのでしょうか。
 
 老害は 実年齢ではありません。良識・常識・・・良識の府は両院制を取る日本で参議院をさす。・・・・ 本当にそうなっているんでしょうか?今回の問題は別次元、チェックが甘い中で醸成された感覚鈍麻、過去の栄光(?)から抜け出せずにいる訳でしょう。誰が その方を推薦したか 既に その人達も過去の人。引き際の極みと言えば 元ウルグアイ大統領のムヒカ氏です、ここで再々登場させて頂きます。≪ いかに多くのことを在任中にしたかでなく 自分より優れた人をいかに多く育てたか≫だと語った。 彼の引き際は見事、その真逆のリーダーが日本ではなんと増えたことか! 我利我欲の坩堝と化した。
 この混乱は長引くと覚悟したほうが良い。根幹がおかしくなっているのに 枝葉に栄養剤をいくらかけても 木々の活性は望めず枯れてしまう。土の重要性と間伐の必要性、この基本に手間をかけなかった林業は成り立たず、人間の社会もこれと全く同じです。
 いつの世にも”裸の王様”は存在し自ら書いた台本で主役を演じて大満足?この錯覚は 今に始まったことでなく、その人自身が 長年かけて身につけ描出したユートピア(?)。外国の眼は厳しい、”おだまり!”の一言、公私混同の判断が出来なくなれば 早く公職を去るしか道はない。
 ☆ 心配することはありません、 後をやる人は必ず出てきますから。 ☆ 

3519:混迷体感

 今の状況は 複雑に入り込んで筋道がわからない。濃厚接触者をどこまで追えるか、常時LIVEで流されている渋谷駅前交差点カメラの映像をみれば 悲観的にならざるを得ません。全国の感染者が減少傾向にあるというが 俄かには信じられない。 茨城県は明らかに高止まり、その最大の原因はクラスターの発生、そして 県内全域に感染が拡がり、どこで発生してもおかしくない状況にあります。コロナ禍が騒がれ始めてから一年経過、全国の感染者数の半数が東京とその周辺になっているのは 今も変わりない。茨城も都内へのアクセスが良くなり 通勤圏に仲間入り。今まで良く耐えてきたと思います。ただ この闘いは長期戦になるだろうから、いずれ・・・・という不安は 県民誰もが持っている。利根川がウイルスの壁には なりえない。
 友人から聴いた話。今 ゴルフ場はお客さんが一杯で、県外ナンバーの車が多いという。プレー費が安く 密を避けながら一日遊ぶには 絶好の場となっているそうだ。
このチグハグ差は一向に変わらない・・・・・・・。
 3日間かかって 漸く 荒れた竹林の掃除を終えました。軽トラで5台分 運び出し、二日間、Kさんが協力を買って出た。サンキュー。
 
 時間を有効に使おう! 普段できないことも 今ならばできますよ。外灯の不具合、車の故障、倉庫の整理、ゴミ処分・・・・・有るは有るは山ほどある。業者に依頼し、スタッフに声かけ、密を防ぎ、工夫すれば 今この時が絶好のチャンスに変化する。日課の中でウオーキングしながらゴミ拾いを班がある中 そうでないグループが大多数。安全か創造か?? 全て 自分が外に出て体感したこと。この機会に工夫しないのは勿体ない。 そんな気分になりました。
 季節は如月、 段々 春に近づいています。紅梅が心地良い香りを放ち、冬枯れした芝生の中に草が芽を出し始めました。モグラも同じ!
 都会にいては 周りの変化に疎くなる。人間には 欲が付き物、満たされたのに 満足することができない生き物です。妄執、強欲・・・・これと綺麗サッパリおさらばすれば どんなにか楽になれるでしょう!
 私達は長い事 そのことを忘れてきたと思いませんか、時間は大切に工夫し使うものでしょう!勿論 自然もです。
 

3520:故事回覧

 気分を変えて・・・・・
 ・・口は災いの元 (Out of the mouth comes evil)・・・漁夫の利 (Two dogs fight for a bone and the third runs away with it )
どうですか 世相を示すに 簡単明瞭 40分も長々話さずとも 二言三言で 図星。日本語は 実に奥が深い。最初は時と場所を弁えず、口に出したことが災いの元、皆さん ご存知だが本人はここまで影響が拡がるとは 思わなかったかも? 受けを狙った?読みが甘かった? 違いますね 謝罪会見での貴方の表情に良く現れていました。 貴方の本心が。この時、海外にどう伝わるか ここまでは考えていなかった。国内に敵なし?との慢心、村社会の古き慣習の口車にのった、国民をどう思っているのか勘違いもここまでくると お引き取りいただかないとならない。、
 魑魅魍魎(ちみもうりょう) 二匹がケンカしている間に 骨を持って逃げてしまうワンちゃん、いるいる 一杯いる。
 経済第一や未来志向  いい加減にしないと 道を誤るぞ!
 同病相哀れむ・・・コロナ禍は この隙間に巧妙に入り込んできたんだ。人間のおごり高ぶった振る舞いに 気付けとばかりに一向に矛を収めない。
 
 ・・・・≪悲しみ半分 喜び2倍 パワー全開!≫・・・深夜長距離ドライバーに人気があった民放ラジオ番組のパーソナリテイに心が弱くなっていた時に思い切って投稿したら、後日返事があり、そこに書かれていた言葉を今も大切に生きてきたと40年前の事を振り返った女性。
 東日本大震災で自宅が無くなった方が 復興最中の我が町を聖火ランナーで走ることを辞退した。
 今も復興に皆で手を合せ必死になって頑張っている姿を世界の人々に伝えたい、沢山の人々から頂いた温かい励ましや支援に対し感謝の思いをと選ばれたことを喜んでいたのを あの”言葉”によって 断念することを決意した。この思いを当然、理解していなければならなかった。それだけではない、「瞬間的なこと 冷静になれば 気持ちが変わるだろう。それでも辞退するならば 新たにボランテアを募集すればよい・・・・」と記者会見で語った政党の領袖(?)、国民感情とここまで乖離してしまった今の政治家は 世界の笑いものとなると考えないのだろうか!
 長老なれば 若者を教え示すべき、それを相変わらず 国民を欺くような言動を続けている。私は 今の状況をそう観ざるを得ない。

3521:取り戻そう

 『戦後教育を受けた世代が心のよりどころや日常生活の規範というものなしに豊かな時代に自分を見失い、老境にさしかかってしまった・・・・』(「葬儀レス社会」桜井義秀著。P15)
 団塊の世代に生まれた一人として、焦り、虚しさ、・・・が一気に自分の中で勢いを増している。一方、それを認めつつも これではいけない!と睨みつけ叱咤するもう一人の自分がいる。
 世界中の人々が 底知れぬ不安の中で藻搔いている。問題はそこから脱する妙案が浮かばないこと。一連の騒動によって世界の信用を失いガタガタになってしまった東京オリンピック組織委員会は果たして本来の姿に戻れるのだろうか?。本日開催する役員会でトップを交代し それでシャンシャンシャンとする考えならばNOだ。一度失った信用を取り戻すにはそれ相当の覚悟と行動力が条件になる。一向に減らない政治の不祥事に対し、制度を盾にして、離党し、無所属になれば良しとする身内への甘さに、いつの間にか暗黙の了解ができてしまったニッポン、民主主義の根幹を揺るがす古き因習が深層まで重く圧し掛かる。従来のやり方と何ら変わらなければどうしようもない、それを「規範レス社会」と謂ったら言い過ぎか!国内の問題ならいざ知らず、世界を相手にした場合、日本流のやり方が通じるか否かです。
 日本がグローバル化・情報化という世界の潮流に乗り遅れたと考えている人々に尋ねたい。≪貴方の考えている未来図は どうなんですか?≫と。 恐らく 明言できる人は少ない。初めから”無いんですよ”周りが騒ぐからそれに便乗しているだけだもの。益々 この暗雲はたちこめる。
 問題先送りは 期限が定められている今回の事案には使えまい。だからと謂って、表面の上塗りだけは御免こうむりたい。
 
 
 なんとま~ 懲りない方はいつになっても懲りないものだ。周囲の笑いが嘲笑かどうかも判断できないで自己満足。そういった方が上に立つといずれちゃぶ台ひっくり返すことをやるかもしれぬ。
 これだから人選は難しい、人を見る目が無ければ色眼鏡でみるしか無いだろう!
 遅ればせながら それに気付いたという事かもしれぬ。やっとワクチン接種が始まるというニュースより以上に大きな紙面を占めたのが 組織委員会のドタバタ騒ぎ、こんなことで足踏みしている場合じゃない。去る人は 後を汚さず、これ先人の教えでなかったか? 弁えないとならないのは誰なのかという疑問がやっと解けた。
 遅れを取った分 私達も本気になって 差し迫った難題に取り組むしかないのです。俺には 関係ねえ~ ってなことで無関心でいる場合じゃない・・・・・・。医療逼迫 財政逼迫 が同時進行の日本の現実(試練)で 誰しもが弁えるとはどういうことかを 考えねばならない。

3522:気付き

 枕元の携帯がなった! M7クラスの地震を知らせる警報音、いつもと違う揺れ、直ぐに10年前の東日本大地震を思い出した。ラジオから緊急情報が流れ 揺れが落ち着いた頃に 電話する。学園は大丈夫か?4か所の事業所の責任者から連絡が入った。GHやサテライトのアパートで暮らす人達の安否確認、・・・・・。
 コロナ対応に慣れが出始める頃、引き締めないとまずいと考えていた丁度その時に起こった。
 緊張状態を長く続けていると どういう事が起こるか・・・・想定していなかったことがいくつも気付いた。 備えは充分かどうかを検証しなければならない。(M7.3)
  
 
 冷静にと思っても 動揺を抑えるのは難しい。 今回の地震は10年前に起こった大地震の余震だと気象庁が発表した。マグニチュード7.3 最大震度6強 震源が深かった為(55k)に被害が思ったより少なかった?、でも 負傷した方、建物などの被害を受けた人たちが大勢いる。その中で亡くなった方がいなかったのは 奇跡かもしれない。これは先の経験が活かされたとも謂えるのではないでしょうか!
 物の本によれば 生老病死(四苦)の中で老病死に関心が偏よりすぎたことによって「生」と向き合うことの大事が曖昧になっていると指摘する 、確かに 人間の能力を超えた どうすることもできない出来事が起こると、その時私達は「生かされている」ということを実感する、だが 時と共にその思いが遠のき 関心が薄れる。ここは、よく考えてみるべきだと思う。
何故か知らない 自分の考えが正しく、他は間違っていると考える者が台頭する今の社会は リスクが大きすぎる。  秘められた中で一部の人の意見によっていつの間にか決定する・・・・こういった事も その一つの現れでしょう。

3523:声の記録

 あれから3年が経ちます、『声の記録』(インタビュー)の分担を決め、4人の方の”思い”を記録に遺そうと企画した。 全てのインタビューが終わった時点で、文字に起こす最初の目論みは 断念せざるを得なくなった。ならばと考え、その時の生の声全てをそのまま一本のUSBに纏めました。
 コロナ禍の中で、”変わるべきこと”と”変わってはならないこと”が有るとすればそれは何か!世界中の人々が今 それを捜しあぐねているように思います。日本の障害福祉に長年力をつくされてきた先輩達の熱き思いを、自らも障害福祉現場の最前線で日々、悪戦苦闘されている人達が聴き手となり先輩たちと自由に語ってもらった。予めの打ち合わせはせず、ぶっつけ本番、逆にそれが臨場感があり 様々な話題になったと思っています。今回の語り手は 我々の業界の方であれば皆さんが良くご存知の方々で小樽で第一回目、愛知県知多半島で第二回目を一泊二日で開催しました。そして第三回目を関東で行う予定でしたが体調を崩される方が出たりして、それが実現できずにいたのです。集まるのが難しいのであれば訪問して生の声をテープに記録したらどうかという事になりました。
 インタビューの内容は聴き手の自由に任せ、同席した人の数も違います。私は 事務局(?)ということで 全てに同席させて頂きました。講演会や会議と違い随所に 核心に触れる話(本音)が聴けて良かったように思います。(声の記録一覧)
 
 
 長期間の自粛生活、今までは当たり前と思っていたことができなくなり、誰もが自由、安を感じています。感染第一波の頃、マスクや消毒薬が全国の店頭から消えた。大半が外国製で諸に影響が出たのです。そして1年が経過、国内で製造されたマスクが増えて店頭に溢れんばかり、。
 ワクチン接種が漸く日本でも始まりました。国内での承認許可に手間取り、他国に比べ 遅れをとった感は否めない。その間に世界的なワクチン需要に供給が間に合わなくなって、いつ日本にワクチンが届くのか透明、それとオリンピック組織委員会の会長交代での透明・・・
”という字が自棄に目立つのは 仕様が無い事なのだろうか?
 声の記録→アーカイブ。”身口意”の三密における”口”が声になる。世界のグローバル化の流れは益々進むだろう。異なる言語を日本語に訳し、思いを伝える。有事の際は特に難しい。外交交渉での約束や契約、・・・・全てに通じることですよ。
 不自由×自由。不安×安心。仏教の教えで”中道”に想う。真意は一方に偏らない道、ある人に言わせれば、中道=不確実と。実はそうなんですね、仏教基本教義の三法印→諸行無常・諸法無我・涅槃寂静。 ここに集約される。
 だから”諦める”という言葉になる。真意をあきらかにすること、ギブアップ?ととられるが、本来の意味ではないようです。

3524:探し物

 20℃ちかく上がった気温、 例年と比べて暖冬だという。それでも一日の寒暖差が大きく、正直 体にはこたえます。陽だまりで横になり 本を読んでいたら 寝てしまった。窓を開けるとそよ風、あああ・・・久しぶりだ~。
 ずっと 何処かに置き忘れてきたんじゃないかと探し物のクセが出る。悩むことは無い、自然が教えてくれるから。世の中が 忙しなく 落ち着かない。何故なんだ? 自問自答しても 何も見つからない ・判らない。
そんな時、テニス全豪オープンでの大坂なおみさん優勝の速報が流れた。彼女は爽やかで 世界の反響も良い この時期には貴重な明るいニュースだった。23才の若さで頂点を究める彼女のプレイスタイルは進化を続け、試合後のコメントが実に面白い。それは気配りと優しさ、彼女の発するメッセージは世界に通じる。基本は英語、直に聴いている人に響くから 心技体→身口意が整う、どうも私の性分は 彼女とは真逆のように思っています。
 70才で気付いたのでは 遅いかもしれない。でも 生かされている という実感は 齢を重ねた分 増えた。 ただ それすらも 置き忘れない様に心がけしようと今は思っています。
 
 数日前にご自宅にお邪魔し、話を伺った。その時 ご本人の 許しを得てテープに録音させて頂いた。2時間を超える話はとてつもないボリュームがあった。一生の間に出合う人々、その大半は思いがけなく出合ったものが殆どなのかも知れない、それが ずっと続く間柄や途中で切れて、また始まる関係、一回きりでその後続かないもの等々・・・・様々、入口を”邂逅”という言葉から始め、科学万能の世になっても、そうなった根拠を明らかにすることはできない。宗教や哲学は、生を全うするための拠り所を捜し続けてきたから生まれたのです。遍路や巡礼と言われる行は人間以外の生き物にはない。有るのは本能的な恐れ 死ぬか生きるかの中から、地球上の動植物は環境に自らを順応させ生き抜いてきたのです。人間とて 全く同じではないでしょうか!
 人間に付与された知識と智慧、その違いはそれ自体のバランスではかられると思う。善悪や良否の判断を 司法作用によって明らかにされるものとそうでないものが必ずあるように、人の解釈(理解)に普遍性はない。
 世界中を震撼させている今のウイルス騒動も 人間が問題を先送りを続けてきた結果の臨界に達した状態で 恐らく 妥協点をどこに見出すかということしか無いのかもしれません。
 時代を問わず人が死を覚悟した時に発するコトバには  心動かせるものがあります。それさえも私達から奪ってしまうことを容赦しないのですから コロナ禍を他人事や一国主義ではダメでしょう。  

3525:真実とは?

 魂を揺さぶるようなコトバが消えている。この有事に際しても、自分が当事者という自覚を感じない、国会での審議の実態、質問する側 答える側、いずれにも 責任が無いとは言えまい! 昨日、胸に参考人リボンをつけ4人勢揃い、日本が誇る(?)高級官僚、テレビが入っていることすら気にしない、答弁中に薄笑い(?)をしていたことを質問者に注意されたのは心外か?のらりくらり答える姿に、嘗てのエリート官僚の面影は全く消え公僕の立場を利用し言い訳三昧。斯様に国の骨幹に緊張と責任が欠落した最大の原因は何か?それは真実の議論がされていないことだと誰もが判ったから。。。。。貴方たちにも子供さんがいるだろう! その子に父として何と説明するつもりなのか? 教育は先ずは家庭での躾けだということをどう考えているのだろう、!制度や法律を沢山作り、それで この国は良くなりましたか?勿論 財をなし、夢を叶えた人はいるだろう、それだって先のことは判らない。
 真実が明らかにされない議論をいくら続けても意味がない! 
聞く耳を持たない者は不要、これを機に退場して頂くことが・・・・残された唯一の道。
 少子化が止まらない中で そういった人達が増えていると思うのは 私だけの非好意的&偏見であって欲しい。あああああああああ ニッポン ガンバレ!!!
 ★ 議長「後日 理事会にて検討します」 検討されたのかされないのか国民には何も知らされず、その類の議会運営の便法が慣習化した。どうにかできないのですか~頑張れ 日本~あああああああ!
 
 
 そこを突かれたんだな! 言い訳・忖度・・・儘ならず。人間どもに喝、怒り爆発だ、私利私欲はいずれ”白日の下に晒される”。
 いま必要なことは一人ひとりの自浄力、コロナは言い訳・忖度とは無縁、それに どう向き合うか!が 試されている。
 『裏をみせ 表をみせて 散る紅葉』(良寛) ここでの核は散る。辞世の句にまで 人は言い訳・忖度をつけるだろうか? 一度失ったものは 再び獲ることができるのか?
 真実は 誰かが知っている。人生100年なんて謂っている場合か!
 気が付けば 小生 古希、早いものだと実感。
 ☆ 気になる一枚の写真・・・・・・有名なプロレスラー(長州力)が 先に国から配られたマスクしかしないのはなぜか?・・・・どうみても顔の大きさに比してマスクが小さすぎます。その時、ハッと思った。
 ≪大切な税金でつくられたものだから、無くなれば違うマスクにします。≫との本人のコメントが添えてありました。

3526:ホンネとは?

 ホンネとは本心から出た言葉、「吐く」か「漏らす」かは微妙に違う。この違いが判りますか?否!そうじゃない! 何? ≪ホンネがなんだか判らない≫ これが今の状況じゃ~ありませんかね。
 苦しいと思いますよ!だって 八方塞がりでしょうが、何を言っても受け入れられず、只管 相手の顔色伺い。そんなのやめっちまえ!誇り→ほこり→埃、一緒くたになっているんだ。そう思わんか!
これ、昨夜みた夢の一端、悪しからず。
 ウーム 相当 病んでいるな~。夢より現実のほうが酷いんじゃないだろうか?現実に起こっていること、元法務大臣の裁判が如実にしめす、法を司るトップが形振り構わず藻搔いている、それも原告でなく被告、立場の逆転、これだって一例に過ぎないのだろうか? 出るわ出るわ湯水の如し。
 『国家公務員倫理規程』(平成12年政令第101号)の第一条・・倫理行動基準、第三条・・禁止行為。今問題になっている一連の行為が抵触していないのだろうか?今回もまた、頭を下げ、御免なさいで終わりでしょうか?これって 給与の一部返還で済む話でしょうか? この国に そんな余裕があるんでしょうか?
”大岡越前””水戸黄門”はいなくなった訳です? 無罪放免、どう考えても身内に甘い代官ばかり? 私には そう思える。
 
 嘗ての日本人への評価が 今はどうなっているか?あくまで主観的な事だから、意見はいろいろ。今の状況で 明らかに謂えるのは、”ケジメの弛み”、”無法地帯”、ジワジワと確実に水嵩が上がっているということ。
 法治国家とは名ばかりでザル法の態、一般庶民に法の厳守を要求し、自分達は予め用意してある抜け道を使う。 やってはならぬ事を どんな思いでやってしまうのか??? 倫理欠落はステージ4レベル。緊急事態!
 月額給与の6割を自主返還?????。その額がなんと 70万円。多くの国民はこれを知って更に疑義を持ったのではないか?”正義”って何だろう?”大切な税金”って何だろう?”公平性”って?と小学生に尋ねたら どうだろう。大の大人が それも高官の座についた人達が。恐らく”謝まれば それで済むからでしょうよ” ”法律を決める人達だって優遇されているから 言えないんでしょうよ”と答えるかもしれない。この国の将来を担ってくれる子供たちへ、どれだけ”常識外れた負の遺産”をのこすつもりなのだろう。自分も”国民の為の政治”って どういうことなのか? 胸に手を置きよ~く考えてみよう。(ナマグサ坊主のホンネ独白)
 

3527:連鎖構図

 メンデルの独立の法則? マイナスの”連鎖”の構図がやればやるほど拡大し、そして後味の悪い結果を生む。昨夜全国に放送された首相会見に ネット上で批判が多く出た。
 今に始まったことでなく、長い時間をかけ出来上がったこの国の今の構図、そこに コロナ禍が起こった。どうなりましたか? 新たに起こった問題に目を背けさせるのは、さすがに出来ず。逆に 実態の暴露に勢いが増している。こんなはずじゃ~無かったと嘆いても 同じ手法は用為さず、国民を甘く見ていた結果です。時々 口を挟む長老たち、意味不明の言葉を発出し、これがまた 足を引っ張ることになっている。
 ま~こんな風に謂うのも、正直本意ではなく懺悔もの、お前ならば どうする! 70年一緒に生きてきた もう一人の自分が戒める。荒れた竹藪の掃除を初めたら、愛車の軽トラが故障した、急遽、代車に道具を積み替えて、再挑戦 その時に目に入った”サクラの花”をスマホで撮りました。春が来ない冬は無し。
                                                     
     団子より

 世間さわがす 観桜       
 
  無私 貫きて 咲いて散るらむ。
        
 
 
 竹林と竹藪、この真逆の姿は 人がどう関わったかに起因する。生き物は 全てが生育する環境に左右されます。整然とした京都嵐山の竹林が全国津々浦々同じようになっているか?明らかにNOです。人間が手を入れ 土地の広さに応じた本数にしておかないから 隙間なく増え過ぎる。こうなると太陽の光が届かず 竹は上に伸びようとするから細くなり終いには枯れて倒れる。これが実態です。けれど 密集し過ぎれば竹が倒れない。これが竹藪(ヤブ)。ここから再生するには、最早、竹を全伐し、新たに出るタケノコから育てるしかありません。勿論、毎年、その手入れが必要になる。その間にも 竹に病気が入り、タケノコそのものが弱ってしまうからです。その決断は早ければ早い方が良い。
 タケノコを人の子に置換すれば判る。 実は 我々が築いてきた”人間社会”と全く同じなのですよ。
 経済第一主義の偏重で伝統文化を守ることの大事を私達が蔑ろにしてきた結果、人間自身が 生きる強さと智慧を失うというミスを犯した。 ”先進国”という仮初の称号を欲しがり、それを獲る為に高額の代償を払い続けた結果 国が滅びても その責任は誰も取らず。富はほんの一部の人達が独占する。最悪の道程(シナリオ)は 批判の声に”代案を示せ”と謂い放し、自らは言動を変えようとせず、巧妙且つ狡猾に その座に座り続ける人達、そこには慢心はあっても 真からの自戒と反省がみえないのです。(コロナ禍連鎖への設計図

3528:抜き足差し足

 足が地に付かず、目先のことに追いまくられ、何が肝心なのか分からない!臨機応変とは程遠く、言い訳に終始する姿が自棄に目立つ。心中を写す鏡、その顔には言葉と裏腹に動揺を隠しきれない。
 今朝のラジオ”絶望名言”に登場したのが 樋口一葉だった、『たけくらべ』『にごりえ』が代表作。24歳で天逝した小説家、明治5年生まれという日本が大きく変わる激動の時代、貧しさの中で必死に生きた女性。
 今の時代と比べて、何がどう違うかを捜すより あらゆるものが違っていたと言えまいか。その中でハッキリしているのは 明治人には踏みつけられても、また立ち上がろうとする信念の強さがあった。ここが大きく違う。
 肺結核という流行病で亡くなった彼女は、日本銀行券の5000円札に日本女性で初めて肖像が使われた人物です、もっと長生きしていたら どんな作品を遺したか? 自らの体験を通した作風は、時代が変わっても核心はぶれまい。 
 その後、日本は二度の世界大戦に参戦し、敗戦の憂き目をみることになった。時代は移り、今は団塊ジュニアと謂われた人達が一線を退き 戦後生まれ三代目の人達に代替わりするのも直に迎える。
 戦後一世の団塊の世代が遣り残してきたことは何だったか! 問題を棚上げし、本気に取り組むことを避けてきたことはないか。・・・・抜き足 差し足 忍び足・・・・ ≪聞いていない≫≪記憶にない≫と逃げることは上手くなったかもしれないが 孫や子に禍根を遺すことにならないかと心配になる。
 
 
 止まるか進むか、この判断に優柔不断は禁物、有事に大事は、”信頼”の有無、”信”は解字すれば人偏(イ)に言、つまり ”その人の言動”に頼れるか否かという事。
非常事態宣言中でありながら、24時間Live中継の渋谷交差点カメラ、一向に人流は減らない気がする。それを裏付けるように首都圏での感染数が日本全体の6割強という結果になっている 何を意味しているのでしょうか?
 一都三県と隣接する茨城は なかなか感染数が減らない。感染初期には 県南の東京に近い通勤圏から拡大していった、それが今では 全域に拡がっている。福祉や医療の現場がどうしても多くなるのは避けれない宿命か。
 昨日 53名だった。 減少している他県と比べ突出した数、でも あまり騒がられないのは 隣接県がそれ以上に感染者の数が多いからだ、感染経路は53名中濃厚接触者が96%でした。
 今 出来る事は 感染予防は勿論だが、今の状況を 確と自分の記憶に留め置くこと。そして どのようにすれば良いかを国全体で議論し 具体的に行動することだろう。そこに信頼が生まれる。 

3529:オンライン研修

☆3月6日 『破天荒な一生・・・じゃじゃ馬の生死感』稲野辺 正男。元茨城県社協職員。コロナ禍で研修への参加者を限定し Zoom会議形式をとりますので視聴希望者は尚恵学園029-831-1686(ツノダ)
   

 職を リタイアしても 尚 目的を持ちながら活動している人達、昨今囁かれる”働き方改革”の主旨に相反するでしょうか?誰しも そう思いませんよね。でも 自分ができるか否かには自信が持てない。
 そこで、生を全うすることを どう考えるか?自分が思う通りに生きれる人はいませんね、それは伏兵が出てくるからでしょう。人の体は自然、それも”宇宙”そのものだと謂われます。日本では高齢化を国の負担と考えていないでしょうか そうなってしまってから、もう随分長い間が経ちました、でも、ここから何か新たな生きる力(価値)が生まれたでしょうか。
・・・・永遠なるものを求めて永遠に努力する人を菩薩という・・・・
 それと、こんな言葉もありますね。『此れがあれば彼があり、此れがなければ彼がなく、此れが生ずれば彼が生じ、此れが滅すれば彼が滅す』(小部経典)
 道半ばで倒れても悔いはない。どこかで聴いたような話、瞬時に思い浮かんだのは父の話だった。父は自分が1歳3カ月の時に実父を亡くしました。明治41年9月25日、27歳で亡くなっています。今も愛知県稲沢市にある寺の墓に埋葬されています。本人は平成5年12月17日に87歳で20代の頃より住職をしてきた寺で家族が見守る中で息を引き取りました。全ての現象には 原因と条件があるという縁起で説くのが仏教とすれば”生きる”ということもそうですよ。その道筋で 様々なことに出合い、人生の終焉を感じ始める頃になって漸く自らを振り返る人が多いと思います。
 6日のZoom研修で その辺が上手く伝わるかどうか ぶっつけ本番で 行います。
 
 最初は二部構成、一部が講演で二部は、今までに縁があって知り合った方々によるオンステージを考えました。時節柄 二部は難しく先延ばし、いずれ よ~く 考え 再検討することにしました。
 正直言えば、この企画は、全くの白紙で始まった。それは 世の中の今の流れとは逆の発想にこそ、ポストコロナを考えるカードが在る様に思ったからなんですね。浮足立って 新しいものを欲しがり、競い合う、手に入れたは良いが、結局、周りには不要になったものが 使われないで、どれだけ捨てられてきたことか!”不要不急”の外出自粛は 何も外出だけでは無いですよ。当たり前の事が そうでは無かったということもコロナ禍で判ったこと。
 それを判りづらくさせてきたものの一つに”経済センサス(調査)”が有ると思いませんか?調査の目的や方法が何なのか? が理解されているようでそうでない。数字のマジックと言ったらよいのでしょうか、ご都合主義で数字を出し入れしたものがいつの間に独り歩きして、認知されてしまうという錯覚に陥った。人間は智慧を働かします。それも倫理(善悪)を度外視した事を平気でやるという悪智慧も働く。
 ならば どうしたら良いでしょう?ウイルス感染を防ぐためには 先ずは自衛するしかないでしょう。世間が悪いとか誰此れが原因だと犯人捜しをしてもウイルスには通じません。
 不自由な時代に生きた経験があるものと 容易に欲しいものが手に入る時代に育ったものとは 考えそのものが違って当然かもしれません。でも、それは未来永劫に続くことでは無い、そのことを漸く感じ始めてきたのでは無いでしょうか!その最大のものは”生死感”だと思いますよ。違いますか?
 ☆今朝の『明日への言葉』(NHKラジオ)で「”豊かな終わり”を見つめて」 医師:徳永進氏(鳥取市)のアーカイブ放送を偶然に聴きました。

3530:移り変わり

 日本三大随筆の一つ、『方丈記」(1212)の著、鴨長明(1155~1216)の生きた時代は天変地異(天災・飢饉・大火)が頻発した。≪・・・・よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて 久しくとどまりたるためしなし・・・≫
まさしく 人の世の無常観や乱世において人間はどう生きたら良いのかを長明自ら庵に隠棲し自問自答したのです。今から800年前のこととはいえ、私達が直面している今の状況(事象)と何ら変わらない。
 違うのは 社会の環境、是非は別として、ここは大きく変わったように思う。恰も日本は天災の巣の様に 地震や洪水が毎年、全国至る所で起こっています。覚鑁(1095~1143)が生きた時代から900年が経ち、果たして仏教が今どうなっているか? 自戒をこめ、真剣にその役割を問い正すべきと思う。・・・証中見証なるがゆえに夢中説夢なり・・・・。
 昨日、オンライン研修が無事終わった後、病院から電話が入った。入院していたTさんが 息を引き取った という知らせでした。64歳だった。彼は 学園を利用されて丁度50年、一緒に仲間と過ごした。このHPトップの写真が遺影写真に変わった。
 
 
 昭和45年2月は尚恵学園にとって特別の月になります。児童施設の認可がおりた年で今まで待っていた方々が毎日のように家族に連れられて入所してきたのです、児童寮の一期生たちだ、年齢は6~7歳になった方が多かった。その中の一人がTさんでした。年齢は13歳だった。職員や前から利用されているお兄ちゃんやお姉ちゃん達が出迎えた。車がないので、水郡線と常磐線を乗り継いで2時間以上かかって面会にはいつも来てくれたお母さんは既に亡くなっている。
 本堂に飾った仲間たちの遺影写真の棚にTさんの写真が加わるのです。そして ご両親の眠るお墓に入るのだ。
 一人ひとりの写真を見ていると いつも複雑な気持ちになります。毎朝 写真に向かって挨拶を交わす、それがいつの間にか 私の一日のスタートとなりました。
 ”今度生まれて来るときは 健康で元気な子でね・・・・” 寺の住職でありながら ・・・・ 否、坊主だからか・・・・。正直に「信仰」を「願い」と考えればそんな気持ちが自然と湧いてくる。
 仏教の歴史を学んだ 教理も時代とともに”移り変わって”きた。あらゆる宗教も同様に・・・・それを知って 救われた気持ちになった。
 我が子を”別人格”だと言うは易しい。でも そこにその人の人間性を感じてしまう。都合の良い時には我が子我が親を誇り、都合悪くなれば”別人格”という。私にはどうしても解せない。ひょっとしたら 私がオカシイのかもしれない。判らない。 人生の大半を一緒に過ごした(?)一人ひとり生き様を思うと どうしても そんな風には思えません。 年を取るにつれ、その思いが強くなっている。