源究203203t

  

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3571  無垢清浄光 6/8  3576  試行錯誤   6/20  3581  混ぜこぜ  7/1  3586  潮目   7/16
 3572  千羽ツル  6/12  3577  不易流行  6/22  3582  パラダイムシフト  7/5  3587  取材商法   7/18
 3573  価値の暴走  6/14  3578  個のチカラ  6/24  3583  自然と調和   7/9  3588  オカシナこと   7/20
 3574  ワクチン接種   6/16  3579  互恵的利他主義 6/26  3584  コミュニケーション   7/11  3589  隠棲   7/22
 3575  自家撞着  6/18  3580  道標    6/29  3585  地域の支え   7/14  3590  雑草魂   ☆

3571:無垢清浄光(ムクショウジョウコウ)

 ≪無垢清浄光 慧日破諸闇 能伏災風火 普明照世間≫は、 『観音経』偈文の後段にある、韻文で書かれています。毎朝 本堂で唱えるようになって どの位経ったのか 判らない。でも 不思議と この偈文にくると 読む速さがゆっくりとなる。無垢清浄光は 何ものにもとらわれない汚れ無き心をいう。そして、目線は自然と仲間たちの遺影にむかう。無垢清浄な心を持つ人達だ。
・・・六趣輪廻の因縁は 己が愚痴の闇路なり。闇路に闇路を踏み添えて、いつか生死を離るべき。・・・白隠の『座禅和讃』の一節にあり。 愚痴三昧の私を 無言で見つめる 仲間たちがいる。愚僧の私を見捨てず、ここまで導いてくれた彼等にかける言葉がない、一人ひとりの笑顔が 観音様にみえる。コロナ禍を災風火と観れば 慧日は笑顔、それによって諦めず 頑張ろうという気持ちになるのです。私達の先導者であり 道標べ、
  誰しも 邪まで自分本位の思いをもっている。これは あらゆる宗教の立宗の 核心でしょうか、いつの時代も 路を間違える人が後を絶たない。それでも 這い上がってくる強さは一体 何なんでしょうね。
 ”無垢清浄光”かもしれない・・・・感染予防のため 1年半の間 自粛生活を強いられ ジッと耐えてきた。利用者の皆さんや支え続けるスタッフに頭が下がります。待ちに待ったワクチン接種の目鼻がついた。

 GHで生活しているUさんが 園の駐車場に停めてある車をみて、「あっ・・・お父さんのクルマだ!」と直ぐに判ったという。在園証明書を取りに50キロ以上の距離を一人で運転してきたお父さんは93才になったと笑った。

     
 
  久しぶりにお父さんに会った彼は 右手でVサインをしました。
 書類はご自宅に郵送することもできたのに、自分で運転して園に来られたお父さん、後で聞いて≪帰省すると いつも 親子で温泉に出かけていた・・・≫ことを知った。
  彼は もしかして それが出来ると思ったかもしれない。でも 地団太踏んで一緒に家に帰るとは言わなかった。 10分足らずの短い時間の出来事、そこに凝縮した人間模様がみえる・・・・・。早く 元の生活に戻りたいよな~。親子の絆、我々職員には 判らないことが多い。先代が 良く その話をしていたことを思い出す。
 この時期、周りの水田は田植えも終わり、農家の人が朝晩,水の具合を見廻っている。 代々受け継がれてきたことで 何も変わっていない。
  この変わらない風景に私は自然との調和や季節感を感じます。 良かれと考え 競い合ってコンクリートの建物をどんどん建て、利便さの為に 人が溢れる 都市づくり・・・・・! これからも それを続けるつもりですか?
自然との一体感を忘れた人々は精神が索漠として無感動となり 魂や情緒が荒れ果てていくのを止めることができなくなる。上掲のスナップを見ていたら そんな思いが膨らんだ。

3572:千羽ツル

自転車に乗って”千羽ツル”を届けてくれた。≪365日 ほれ! 暇だからよ。なんにもしないで仕様がないからよ、暇つぶしで折ったんだ・・・≫ 82歳になったというKさんだった。ご主人を60代の時に亡くされ、その後、子供たち家族と一緒に生活している。 私の母と自分の母親が同郷の出身とか、話はドンドン拡がり、正直 聴き手に徹するしかなかった。
 ≪ツルを本堂に飾るよ≫と話すとと 声高の調子が少し落ち着いた。
 いつも お寺が拠り所になれば良いと思っている。止り木、ちょっと立ち寄って小休止! 周囲が急に賑やかになったのは新築住宅の建築ラッシュのため、風景が一変した。境内の木々が日陰となり 気軽に寄れるお寺を目指し 毎日 利用者さんやスタッフの手を借りながら環境作りに精を出す。
 自然の中にいると 心が和んでくる。これは 国や民族や宗教など関係なく 万国共通。コロナ禍によって、それに気付く 良いチャンスだと思うべきではないでしょうか!
 外気温30度、境内の草刈りをしていたら、5人位の人達が列を組み皆さん長鎌を持ってやってきた。 『熱いなや! ご苦労さん』と私に声を掛け通り過ぎていく。『ああ・・今日も終わった。』と最後尾の方 5人とも年齢は私よりかなり上のように思えた。
 ≪ 熱いのに お疲れ様でした≫と私が言うと、≪あいよ≫と返事が返ってきた。
 
 文化は、歴史が築いてきたもの、それぞれの人間集団は個別の文化を持ち、高低・優劣の差はなく独自の価値をもっている。(文化相対主義) 地球上の人の流れは 昔とは比べようがない。最早 誰もその動きを止めることなど出来ません。そこにコロナが突然(?) 割り込んできた。 さあ~ どうしよう? 人流を止めるのは お願いでは不可能、ならば、強権を発動しロックアウト?
 どちらにしたって地球上からウイルスを消し去ることはできまい。抑えることさえ難しい。相手は変異を繰り返し、生き延びようとするから。この闘い(?)は未来永劫続くと言われてる。科学の進歩の活力源といえば 聞えは良いが 後追いは不可避だ。
人間にとって分が悪いのは、そうなる原因が人間側にあると判ってきたから。
 千羽ツル、自分ではどうすることもできない思いを千羽の鶴に託し、祈り願った文化でした、それを いつの間に ロボットやAIに肩代わりさせ?て 自分達は平気でいるようになっていないだろうか?これも 同根、使うのが人間だから・・・・・。
 私は毎日園に出ている、そこでハッと気づかされる事が多々あります。利用者さんで、広告チラシや雑誌を大切に持っている方がいます。朝一番に事務所に顔を出し、スタッフが貯めて置いたのを貰っていくのです。そうかと思えば、毎日 自分が着ている服を破いて着れなくしてしまう方・・・・・。このような行動をどう理解すれば良いと思いますか?
 古新聞や古雑誌 一度も目を通すこともなく破棄される。どこの家にも着なくなった衣服が増え続ける。再生するにもそれ相当の費用がかかる。 誰も住まなくなった住居、ナンバーが外された車・・・・ 放置され朽ちるのを待っている。 良く考えれば この国の近代化を牽引してきたメカニズム、それが処理能力を遥かに超えた生産・消費を繰り返し、その付加価値での経済繁栄を図ったが いよいよ雲行きが怪しくなっている。そこを 中途半端に考えているように思えて仕様がない。テレワークもVRも 正路とは思えません。”トンプク薬”なら いざ知らず・・・・。一服し また歩き出すしか ないだろう! (『 山川草木悉皆成仏 』 天台本覚思想。)
 

3573:価値の暴走

 またしても 閣僚の問題発言がリークされ 余計な波が立っている。何もコロナ禍の最中に荒立てることも無いのに、周囲の冷めた視線を感じないらしい。 もうウンザリだ、謝罪会見の連鎖は一向に止まる兆しは無し。世界に遅れを取ったデジタル化を本腰いれて取り組むと宣し、高給待遇で民間より募集、そこまでは良かったが コロナ禍で予算が削られ 担当大臣の鬱憤発言は≪完全に干してやる≫。誰が録音したか話の一部始終が流出した。
どっちもどっち国民目線を感じない。大関を降格させ6場所休場させた相撲界の決断との差は歴然、同じ日本で今 起こっているのです。
 ふと浮かんだ、・・・・≪ 湖に浮かべたボートを漕ぐように、人は後ろ向きに未来へ入っていく≫・・・フランスの詩人ポール・ヴァレリーの一節。 蛇足ながら バルザックの『人間喜劇』の小説群(総体91編)の中から『従妹ベッド』(1847年発刊)を卒論のテーマに国会図書館に通った。 丁度、50年前になりました。勿論 スマホなんて無かった。
 
 何故バルザックを選んだか?朧げな記憶を辿れば、19c前半のフランス社会とそこに生きる人たちの全体像を諷刺した『人間喜劇』に、学生運動の真っ只中、ヘルメットと立て看板の索漠とした学内で唯一新鮮さを感じたからかもしれない。
 逆に『人間悲劇』という総題だとしたら、目にとまらなかった様に思います。170年余の時間差は、文学の価値そのものを大きく変えてしまった。「喜劇」「悲劇」の境が不明瞭になっている現代社会で、人々の関心は そんな面倒なことより、SNSの映像に惹かれているように思える。映像は瞬時に変わるから考究する余裕を与えない。分厚い辞書が電子機器にかわった今、バルザックの様な作家はもう出ないだろう。 それを正当化できる媒体が生き残り、逆に流れに逆らうものは開店休業と化してしまうのだ。
 。。。一方、洋の東西は問わず100年前の人物に 魅力を感じ始めた人も増えている。価値の暴走の行き着く先を見届けたいという欲求が強まっているのでしょうか?

3574:ワクチン接種スケジュール
お知らせ

 今日、法人内で利用者と従事者の皆さんの第一グループ:1回目ワクチン接種が行われます。茨城県は高齢者施設と同様に障害者施設もワクチン優先接種の対象に入れて頂いた為に土浦市においても接種が始まりました。全体(利用者・従事者)を3つのグループに分け接種日をずらして約240名を行います。
 ワクチンを巡る様々な情報が流れています。ワクチン効果により感染拡大の勢いが収まってきたヨーロッパや米国から 今度はアフリカ・インド・アジアに移っています。新たな変異株への対応が問題になっており 安心するには時期早々です。
  3密やマスク着用ができない人達への支援の難しさ、現状での医療からどうしても食み出てしまう人達をどう守るか!正直 良い方法が見つからないのが現実です。 非常事態宣言下にあって 人流が増え続けているというこの国の実態をどう考えたら良いのでしょう?
 今できる事は ワクチン接種を早く行い、今まで行って来たことを根気よく続けることしか無いと考えています。  
 
 昨日から始まった園内でのワクチン接種、協力医療機関から医師2名、看護師3名に来て頂き、無事第一グループの一回目の接種が終わりました。ありがとうございました。
 集団免疫が出来るまでには まだまだ先のこと、今更 他国と比べても仕方ありませんが 接種の遅れをとった日本が どうすれば取り戻せるか、ウイルスは待ってくれません。もう判り切った事ですが 正しい情報を国民に知らせる責任が国にはあります。疑心暗鬼を取り除くための努力が充分でなく、強行突破するとしたら、80年前の同じ過ちを繰り返すことになりませんか!
 開催日(7/23)まで残り37日となった東京オリンピックは、ここに至っても明確な情報が出てこないこと自体が、オリンピックの開催国としてどうなのでしょうか?
 トップの決断を待つのみです。(風評被害 or 小事は大事)

3575:自家撞着

 ”自家撞着”は同じ人の言動、文章などが前と後で食い違うこと、そこで大事なのは、己の矛盾を感じるか感じないかである。大体、誰かに指摘されて初めて気付く。それを自業自得と諦めるかどうか? それとも 逆ギレし血相かえて”辻褄合わせ”するか!
 最悪は 嘘を重ね上塗りすること、二度とせぬよう気を付けます。この類は列をなす程あって二番煎じは嫌われる処の話ではない。 この様子を どう眺めているのだろう? コロナに聞いてみたい気持ちになりました。・・・・(コロナ)俺は なんにも変わらない。周りが ああだこうだ騒いでいるだけのこと・・・・・(私)じゃ~ 何故 貴方は形を変え 私達に悪さするのですか?・・・(コロナ) しらないよ あんたが 考えな・・・・。(評)矛盾撞着とも言いますね。・・・・云々。
 それぞれが 己の言い分をもっている。どちらかに偏り過ぎたことが原因と言われた 先ず己が気付くこと、此れが ”無相”の真理と仏教では 説いている・・・と。
 ・・・民主主義の本質は、制約や不自由さと共に在る・・・熟考せよ熟考せよ!(多数という「驕り」:ナマグサ独言抄)
 
 ”三解脱門”とは 万有の空を観ずる空解脱、万有の差別相のないことを観ずる無相解脱、そして願求の念を離れる無願解脱を言います。無相の反対は有相(うそう)です。人間世界は当に有相の坩堝(るつぼ)、見栄や外見をつくろうことに汗を流す・・・・等々。結果どうなるか? 大切なものを見失う、今風に言えば”安全&安心”から遠ざかるということでしょうか。目先のことに翻弄され、思いつきを連発、悪天での船頭なき渡し舟。
 説明責任を問われても 何をどうするのか、質問者も回答者も共に判らない。言葉を変えれば ”自家撞着”の食い違い。
天井無き繁栄を願った結果”平和”は獲られたでしょうか?これが ”三解脱門” 門を通るべきか べからずか・・迷いがあって行ったり来たり。
 コロナとの問答で コロナからの答え≪しらないよ。あんたが 考えな≫ これぞ 無相の真理、答えは あんた自身の中にあるんだよ・・・・と諭された気がする。人間は考えた・・ ベストを尽くす・・・。これも 時と場合を弁えるという条件付き。何でもかんでもじゃ~ないでしょう!(ロジカルシンキング)

3576:試行錯誤

 無常、無相・・・不自由、不安・・・・反作用,反主流・・・。コロナ禍での自粛、約一年半。これが長いかどうか? それへの確証がない。「無」「不」「反」という字を頭に添えるとどうでしょうか。お経で言えば、般若心経があります。
≪不生不滅不垢不浄不増不減≫
 もともと 私達は言葉の意味を解し使っているともいえない。便利だから使っている。その為の道具でしょうか。おそらく 今までやってきたことを自粛しなければならなくなって、皆さん いろいろと考えることが多くなったと思います。
先の事は判りませんよ。でも 何か変わりますかね~。
 私の周りも、オンライン会議や研修が増えました。工夫もされています。昨夜7時から法人内研修をやりました。ズームでもミートでも良いのですが、私には どっちも疲れますし待ち時間が多い一方通行に思えます。やらないより良いと思ってはいますが ・・・。 これで授業を受けていた学生を思えば 只管 今はガマンです。そして変わるチャンスだと考えるべきなのでしょう。そこからスタートですね!。
 ついでに 私が最初に覚えた機能は 画面の背景を変更することでした。何しろ 塔婆が後ろにズラリと並んだ部屋のパソコンでしょう 皆さんが気になって仕様がない・・・・・・と。
 
 お寺も変わるでしょうか?? 今まで 変わるべき事と変わってはならない事があると言って参りました。そして今、よりその事を強く感じています。生き物は環境の変化に適応しながら生き長らえてきたと言います(順化)。中にはそれができなくなり絶滅危惧種になることもあります。そうかと思えば外来種が入り込んできて凄い勢いで在来種を覆いつくしてしまうことも。これらは地球上の生態系(エコシステム)の一環、近年 自然農法や有機栽培など持続可能な農業などが注目されています。自然との共存ですね。
 しかし、まだまだ、試行錯誤の域を出ていない。
 その要因として 様々なことが言われていますが、付加価値や費用対効果など 経済的な課題が大き過ぎることもあると思います。
 友人が丹精込め作ったブルーベリーを送ってくれました。
・・・・・・≪ すっきりと空晴れ渡り咲くさくら 最期のさくら 眸に残し逝く ≫… 三月末に召天した師を偲ぶ一首が添えてありました。
  

3577:不易流行

 不易流行(ふえきりゅうこう)という言葉があります。「不易」はいつまでも変わらない事、「流行」はその時々に合わせて変化する事。蕉風俳諧の理念にある。絶対に変わることがない部分を忘れず、変化続ける新しいものを取り入れていくということ、万古不易の真理に通底する。
 良い例では無いかもしれませんが 絶対に変わらないものとは何でしょう? 生あるものは いずれ死を迎えること。生々流転ということは生まれ、たえず変化する様。→ 無常。
 また、金品は盗まれ壊されれば無くなっても、親や師の教えは 己自身の中にあって 盗まれることは無いと謂われた。
 芭蕉・良寛・一茶・・・江戸時代の名だたる俳人は思いを生き様で遺した。それが 現代社会に於いて 言行の齟齬乖離が悉く激しくなっている。忌々しき事態である。
 流行に流されている様は 淀み無き川の流れの如し、 一見 清水が流れているように思える。だが 安心できる場所(淀み)が見つからない生きものと重なる。安心は行き過ぎた個人主義と便利さへの渇愛で失う。
 そんな風に思えて仕様がない。・・・・≪うたかたの消えてはかなき世を頼む哉≫(後撰夷曲集)・・・・。ちょっと休んでいきませんか!
 
 江戸中期,天明(1781~1789)に大流行したものがあるそうです。何だと思いますか?・・・狂歌・・・・・です。卑俗な短歌と言われる。江戸時代は日本で最も長期統制の安定した時代(265年間)だと言われていますが その中で混迷期が天明年間、浅間山の大噴火(1783)により東北地方を中心にした大飢饉は約6年間続き、それが収まる頃、京都市中で大火災(1788)が起こり、当時で18万戸の家が焼失した。明治に変わる際に『一世一元』制となった。 世界の歴史から、国家の崩壊に繫がった共通の出来事があります。それは何だと思いますか?・・・・疫病・・・・です。約100年を周期に大流行しているという。まさに パンデミックです。
 様々な憶測が飛び交い、人々は不安と恐れに戦き、正常な判断を見失う・・・・。コロナ禍が終息した時 私達は ”あること” への”一つの切っ掛け”であったと考えられるでしょうか! それとも 時が過ぎれば 忘れ去られてしまうのでしょうか!
 長期デフレから脱却できない 日本、経済第一を掲げて長い 気が付けば、自らに都合良き数字を操る流れができた。 そこから この国の真の未来が見えたでしょうか! 真のリベラル、保守とは何かの議論が熟さない、上辺の議論に終始し過去の蓄えを食いつぶす、今 この国にに最も必要な事(”あること”)は、本来の民主主義に戻すべき 嚆矢。その先頭に立つリーダーの登場でしょうか???
 

3578:個のチカラ

  ・・・大衆迎合 紙一重の危険・・・・皆で渡ればこわくない・・・・”ローマは1日にしてならず””雨垂れ石を穿(うが)つ” 。
 どうも肝心なことがハッキリしないのではないか? この曖昧さを逆に利用するような事象が増え過ぎ、どうにか耐えていた堤が決壊し、先人達が築いてきた土台をも一気に流してしまうことになりかねない。
  一笑に付されても気にしない。コロナ禍で気付いたこと、それは 密 とか 疎 ではなく もっと別次元のことだと思う、今更 ではなく 今こそ への転換!
  どのような嚆矢をもってしても 実際に始めなければ 意味をなさない。  大事小事 じゃ~無くて 矢印の向きを変えてみてはどうですかね。大事小事。最近目立つのは「安心・安全」、その矢印は ????
 大小、高低、強弱・・・等々と比べ比べられる関係から少し離れてみてはどうでしょうか。大袈裟に公にすれば 自慢したくなるものです、より大きく より目立つように、これ人間の心理ですよ、些細なことと思うなら 自慢を憚(はばか)るものです。・・・判っているのに それができない、なぜ?  
 ある日のこと  公園をウヲーキングしながら 枯れ枝を集めている人を見た、その時 ハッとしましたよ。その後 何度も その方を見かけている。あくる日 道幅6mの路をジグザクに歩く方をみた。尋ねたら 遠くまで行かなくても済むからと教えてくれた。
 
 
 性分ですね。どうしても拘るのは・・・・!
 四元徳が愚昧・無節操・臆病・貪欲、キリスト教神学では 偽証・強欲・憎悪・偽善、徳の反対は”悪徳”で良いのでしょうか????
  善と悪は表裏の関係、・・・・哲学や宗教の核心であり 己自身の中(ミクロコスモス)にあるとみる。その根源は”欲”、仏教と合致する。
【個のチカラ】をどう考えたら良いでしょうか???。
 ・・・≪中庸にして過甚ならず≫・・・・。
 世の光という場合の”光”は 無垢清浄光。どうでしょう? 貴方にとって 曖昧ですか それとも・・・・。
 

3579:互恵的利他主義

 見返りを期待して 相手の利に適うことをする、自分にとっても利になると思うから。それって自利利他?大乗か小乗? ここに 損得計算が入るとややこしい事になりますよ。本来の仏教は 無功徳、見返りを期待しないことを説いた。(無財の七施)
  世界にその類の論文は枚挙に遑なし、それだけ人間にとっての大きな感心事なのでしょう。≪しっぺ返し戦略≫という耳慣れぬ言葉、 なんと世界中の戦略と名の付くものを集め優劣を競い順位を決めるものもあるという。年一回の大会で≪主人と奴隷戦略≫に常勝の≪しっぺ返し戦略≫が負けた。それは 相手を仲間と思うかどうかによって 協調と裏切りに差が出る・・・・というゲーム理論のようだ?
 この発案が政治学者から出たということに 興味を持った。騙し騙され、くっつき離れ、言った言わない・・・等々 凝りもせず ・・・・ その戦略が他人に判らなければ構わないというのであったとしたら?   否! 違います。貴方自身は判っているはず。善悪は別もの???
 いずれは 自分に跳ね返り 気付いた時には、後の祭り・・・!この呪縛からは離れることができないのでしょうか。(エゴイズム)
 
 平時は”ぬるま湯”でしょうか?相手にしなければ それで済む。人は智慧を働かし、自分が思うようにしたいという生き物なのでしょうね。アンテナをより高くたて、5感を使って、欲を満たそうとする。取引をすれば 決まって損得が気になる。経済語なれば”搾取”、これを合法化するために また智慧を働かす。
 2500年前に それに気付いた人がいた。”ブッタ”その人です。あらゆるものは因縁によって生ずると悟った。縁起説は 当然のこととして今の社会の成立ちも含まれる。
 もし 私が寺に生まれなかったらと、若い時分、繰り返し考えた。 これも 縁起 と解するには 70年の人生では 不十分、それを痛感しています。ウイルスとの闘いに終息はない。これが真実かもしれません。
 人間誰もが 自分自身の中に、ウイルスと同様の命題を持っていると思うからです。
 例えば ”安全・安心”という言葉を良く耳にする、その根拠を求められて、明確な説明は 誰一人できない。これは 誰もが 持っている願いで、まだ手にしていない望みだからかもしれません。
 

3580:道標

 道標を誰かが故意に壊したり抜いてしまったとしたら、それは 犯罪でしょう? 登山の経験が少しでもある方なら判るかもしれない。道標が朽ち果て、道脇に転がっている。それを 針金で縛り付けてあり何か頼りない。 私は、けもの道に迷い込んだこともありました。
もともと動物たちに道標など必要ありません。動物たちは本能でしょうか その能力には驚きます。
  現在、コロナ禍によって、多くの人が迷っています。非常事態や蔓延防止○○、その実態はどうなっているのでしょう? 言葉はどうでもよいのです 自粛要請しかできないというのが実態でしょう!EU諸国と比べハッキリしているのは、ワクチン接種を終えた人の数の違い、せめて国民の6割~7割が2回の接種を終えているべきと思いますよ。その上での安全対策を言うべき・・・・そうすればオリンピックの開催の是々非々も変わってくると思います。今となっては それは時間的に無理なことが明かです。ですから見切り発車と言わなければなりません。国内でのワクチン開発や手配の遅れは 何故起こったのか???日本は、その理由として 国の財政が逼迫しているからという理由でしょうか??国民に対して説明する責任はあります。 国民に寄り添うということは そういう事なのです。
 いま一番不安なことは この国がどこに向かって進んでいるのかが良く判らないことです。恐らく、これが日本の復活への最大の足枷となるのではないでしょうか!
 
 身内に甘く、他に良い恰好し過ぎれば、自立を阻み混乱を招く最大の原因となる。そう思えて仕様がない。
日本は自粛要請のレベルで感染者がこれくらいで済んでいる・・・・、どこからか聴こえてくる話!これってマヤカシではないのかトンデモナイことだと思います!この 一年半の間に、国民に約束したことを どれだけ実行できたでしょうか?PCR検査、ワクチン供給・接種の実績、世界の中で日本はどう なんでしょう?、
  正直 何を信じて良いのか判らない!
 組織の中枢に蔓延した忖度・改ざん・隠蔽体質が公にされ始めた頃、既にその兆候はありました。ケジメをつけられず、曖昧に済ませてきた。その結果、どこから手を付ければ良いのか判らない状況になった。 
 これは悪夢であって欲しい。
 一方、必死になって頑張っている人達も沢山います。 他人をどうのこうの言ったり、言い訳はせず、自らの使命・大切なものを守って生きている人々。 大切なものが何なのか判っている人達です。決して名誉や権力ではありません。 そんな人々と共にいたいと思うのは当然でしょう。(道しるべ)
 道標は 進むべき方向を示すため、置かれた場所を誤れば どうなるか そこが問われている 。吉報鶴首!

3581:混ぜこぜ

 本来有るべき姿から、ドンドンずれている。その責任をコロナに全て擦り付け、自らの責任を取らない。 ひょっとしなくとも そういう事なのだろう。
 ”脚下照顧”・・・他に対し理屈をこね回すことより、己の足元を良く見なさい!禅家の教えです。その言葉を坊さんになり立ての頃、訪れた京都の寺の山門に掛けてあった。 様々な本を読み漁った、最近は 新刊本に興味なく、昔読んだ本を取り出し読み返すことが増えた。前に読んだ本は自分でひいた赤線に目がどうしてもいく。
 いま 雨が降らなければ 殆ど毎日草刈りしている。根こそぎ刈ってしまわないので 直ぐにまた草が伸び始め、この繰り返しです、これが私にとっては至福の時になっている。
 7月、寺が忙しくなってきた。農業一筋に生きた父親が亡くなり、その知らせに長男が寺に来た。自分は勤め人になって 畑は草が出た時にトラクターで耕すこと位だと恥じるように語った。米は作るより買ったほうが安い、・・・・その米も台風で収穫直前に全てダメにした・・・。田畑を守り自分達を育てあげた両親に感謝の気持ちを語った。母親は20年前に60半ばで亡くなり、それからは オヤジ一人で家を守ってくれた・・・・と目を赤くした。
 昔は長男が跡を継ぎ、家を守ることが当たり前だった。 この地域もご多聞にもれず 農業収入だけで生活している家は無くなった。止むを得ず 駐車場やアパートを建てた。それも 既に飽和状態に達してきた。
 時流に合わせると言うが、今のように 何がなんだか判らない時代では難しい。東京一極集中が後々 負の遺産にならぬように本気で取り組まないとこの国はダメになるぞ!と  コロナが教えている!・・・・。(米国で起こった高層マンション崩壊は明日のニッポンか?、嘗ての土地持ちは管理ができず言い値で売却)
 
限度を弁えない 豊かさの欲望は 人間の正常な判断力をオカシナものにしてしまう。その前兆は”モノを大切にしない”ことから始まった。モノには価値がある、使い捨てすることに何ら罪悪感を持たない人々の急増。この行動・生活様式は日本中に伝搬し直接 or 間接にその悪影響が顕しい。鳴り止まぬ警鐘に気付かないのか黙殺しているのか どっちでも結果は同じだ。自分さえ良ければという風潮の基因!
 尚恵学園の一日・・・・・ Sさんは、毎日 事務所にやってくる。寡黙だった彼は 弾んだ声で何やら大きな声で話し始める。目的は新聞の広告や雑誌の類を貰いにくるのだ。事務スタッフが捨てずに取っておいたものを彼に手渡すと、笑顔いっぱいで戻っていく。これはいつもと変わらない。
 世の中には 折角つくったものを封も切らず捨てられるモノが溢れている。特に目立つのは賞味期限切れの食べ物。なんと処分する経費も国のGDPに貢献する。老朽化した建物の解体費用も然り、方やタワマン生活は豊かさの象徴とPR、 人間が造ったもので永久に使用できるモノなど何もない。いずれ用を為さなくなるのは想定内 それが先送りされて”ing”。
 路線価格が都市部で下がったという、前年比で0.5%の下落、これをどう考えるか! これ位では 何も変わるまい。否、世の中が変わってしまっては困る仕組みになっていないだろうか?これを正常判断だとする社会。
  ・・・混ぜこぜマンダラは違うぞ・・・・。突然何を言い出すか  天の声?デジカル思考では 理解不可能かもしれません。自らの目で見て、歩いて考える・・・・・この基軸が消えていく。
 これら 全て 尚恵学園の仲間たちから教えられた。(井の中の蛙抄)
 

3582:パラダイムシフト

 コロナ禍によってパラダイムシフトが起きるのか? 今までの「固定観念」を捨て「新鮮なアイデア」によって時代が大きく変わるでしょうか、19cのイギリスで起こった第一次産業革命、20cにアメリカで起こった第二次産業革命、そして今いわれているのが第三次産業革命がどういう形で起こるのか!ということです。パラダイムシフトには通信、エネルギー、移動の3つ技術革新が共通すると謂われています。
 過去200年はそれら技術の進歩やグローバルな経済活動の発展をさせてきた歴史です。(日本は最初から西欧と比べ100年の遅れがあった。)21cになってコロナ禍が起こり、今までの常識は総崩れの状況となった。コロナ感染は例外がなく世界中のあらゆる場所で 起こっています。環境問題や食料危機が深刻化している中で、一部の人達が私腹を肥やしている。地球を分断させる格差社会を招いた要因は一体何だったのか? 人類は歴史上常に何らかの問題を抱えていて 常にその解決を求められているという。
 コロナ禍とオリンピック・・・・今 日本が突き付けられている問題の核心は、説明責任を果たせという内外の声に見当はずれの対応しかできない指導者たち。時間は止まってくれない。先ず、決断と責任を明確にすること、それなくして 世紀のイベントの成功や この国の復活は望めない。。
 前回の東京オリンピック(1964年)と大きく違う点は、子供たちの多さ、人々の熱気、そして 未来創造への確信・・・・・等々 前回のオリンピックには希望と夢が溢れていた。今回は逆境からの再生です、その為には人々の団結が絶対の条件です。
 
 全国の感染者数1030名、休み明けの月曜日の数値はいつも低い。それでも一都三県の合計は710名、日本全体の約7割になっている。これが 今の日本を如実に表している。何故こうなるのでしょう?
 第三次産業革命に関する様々なレポートがあります。その中で・・・「コモンズ」が駆動する共有型経済は、日本の文化から生まれる・・・(NEC未来創造会議講演レポート)というものが手元にあります。 
 「コモンズ」は、所有権が特定の個人ではなく、共同体や社会全体に属する「共有財」という意味です。この考えに立つ新たな産業革命が不可欠だと提言している。長く続いた西欧文化の基底にある考えは自然(植物や動物)は人間による支配の対象としたものです。もし今のコロナ禍が終息できたとしても 地球環境の悪化を元に戻すことは簡単にはできない。それは また新たな疫病や自然災害が起こるという警鐘、そう成らない為には、自然を支配しようとするのではなく、人間は自然の構成員であり、調和を保たなければならないという発想の転換が不可欠。このレポートではからくも守られているのが唯一アジアだと指摘する。
 しかし、何故コロナ感染者が一極に集中してしまうのか 言わずもがなでしょう。時代を読んだ都市づくり? 地下深く 天井高く・・・・違います、逆ですよ。日本が先進国の中で唯一 長い不況(?)のトンネルから抜け出せないこと・・・・ここに それを解くヒントがあると思いませんか!明治の文明開化、西欧に追い付け追い越せ遮二無二 働いてきた日本人、その深層には何故か≪先立つモノは金≫という考えが根付いてしまった? そうして 格差の拡大、自然だけでなく 人間をも搾取する構図をつくってしまったのではないでしょうか。多くの人々が その限界を感じ 何が大切かということが判らない袋小路に迷い込む・・・・???? ここは、日本人の文化的DNAに刻まれた教訓を日本人自らがもう一度よく考えるべき時だと思うのです、、、! 線状降水帯が起こす土砂崩れや洪水、全国各地に起こる。

3583:自然と調和

 持続可能な社会を目指し、再生可能な資源や代替エネルギーの開発を推進・・・・・、この流れにあって 依然として「解決すべき課題」が先送りされているように感じます。自然との調和というアジアの文化も この先どうなるかは読めない。これが実感です。その元凶は どこにあると思いますか! 実は多くの人が感じ始めている。競争の原理は、環境によってどうにでもなってしまう。『論語と算盤』渋沢栄一を出すまでも無く、ある意味で 日本の発展は、真に自然との調和を考えて成し得たものでしょうか?いま渋沢翁がいたら どう言うか! 恐らく 今 不況からの脱出をこの国の最大の課題と考える人達は そうではない。昭和の高度成長期の乱開発、山林に重機を入れ住宅地に変え、眺めや静けさを売りに商売して急成長。岡山、広島、そして今回の熱海と通底する。被害が起こってから当時の開発業者を捜しても遅い。 住宅開発に限界を感じれば、次は太陽光発電事業に切り替える。この変わり身の早さには驚く。ハッキリ言って「やりっぱなし」「つくりっぱなし」も見逃され後々の事までは考えない
 11年前の原発事故が最大のものでした。その処理が完了するのは未定。次々に出される政策スローガン、よりインパクトのあるものを提示し企業として成り立つ市場自由主義、故に・・・・が、一方で市場の寡占化が問題となっている。
 よく考えよう!提言すれど結果責任は問われない、否、判らないような”仕組み”があることを・・・・・・・。本来の市場自由主義がどう変異したか。。。
 
 凝りもせず 吐露し続けているが、通り一遍でどれもこれも”おざなり”の域を出ていない。周辺がやたらと忙しく騒がしい、それは溜まった鬱憤を一気に曝け出すかのようで、じっくり腰を据えて考える気持ちには中々なれません。一体 なんでこうなったのだろうか? 次々に疑問が出てくるが、「言いぱなし」「やりっぱなし」 だと自戒する。
 「仕方がないべさ!どうにかなるべさ!」 これは 今朝のラジオ深夜便で柳田邦男が語った母親の口癖、戦後間もなく 夫が50代で病死、その後、5人の子を一人で育てた。柳田はノンフィクション作家として独立し、現場第一主義で84歳になった今も自分で運転する車で取材を続けている。
 ・・・現代人の命の危機・・・をテーマにした彼の著書は25歳で自死した 我が子の死を境に、”精神性の生命””魂のコミュニケーション”の存在に一層の確信を感じる、それが彼の作風の原点だと言う事も。
辞書や書籍や画像で獲た知識・情報で 人間の核心に触れることは難しい。 私は障がい福祉の現場(50年)で それを幾度となく経験してきた。亡くなった仲間たちの写真や彼らが描いた絵を見ていると何か言っているように感じるのです。(etc;魂の叫び)

3584:コミュニケーション

 コロナが齎した教訓(?)、人流を抑え三密を避けること。一定の効果は有ったかもしれません。それはワクチンや治療薬が出来るまで耐え忍び、接種が行き渡れば順次規制を緩めようと思い描いた筋道に コロナはどう反応したでしょうか。変異を繰り返すのは想定内だとしても一年半という自粛期間の中で4回の非常事態宣言は我慢の限界を超えているように思える。家の中にジッとしていて 生活ができる人であれば話は別かもしれない。そんな人は極一部しかいない、。。。
 水際対策を強化し、安全・安心のオリンピックを強行か、残り2週間の今に至るまで決行or中止の明言は避け続けてきたのは何故か?一方、開催有りきで準備を進め外堀を埋めてきたことは誰もが知っている。コミュニケーションは人間関係の信頼を築く為には常識です、テレワークを奨め、都市への人流を抑える試みは結果どうだったのでしょうね。実際には減らずに増えている、今更言っても仕方が無い。祈るような気持ちで無事終わって欲しいと皆さんが思っているはずですよ。今のオリンピックが本来の目的に適うものとなっているのかどうか 関係者の自画自賛ではなく もし強行するならば、よく検証し結果を世界に報告する義務と責任が残される。
 いずれにしても、今回を機にオリンピックについては「実現すべき未来像」と「解決すべき課題」を明確にしなければならんでしょう。コロナ禍は人類に「豊かさを最大化しようとするものではなく、多様な存在の命を未来に引き継いでいく」という課題を呈示しているのです。(etc:ジェレミー・リフキン)
 
 朝、 ドイツ大使館のHPでコロナ感染状況を見るようになったら対応の違いが良く分かります。日本とドイツに共通するのは、両方が戦争で敗戦国になったことです。戦後80年は、その復興の歴史です。率先して難民を受け入れてきたドイツ、一方日本は”実習生制度”なるハッキリしない方法を今も続けている。メデアも余り話題にしないが 難民の受け入れでは日本は相当遅れをとっている。
 経済以外に国として判りやすいメッセージがない。政治への無関心と 節度を弁えない人達、更に自分さえ良ければという考えが蔓延している。この最大の原因は 何だと思いますか? 次の世代に引き継がねばならないことと自ら招いた不祥事を一緒くたにして 蓋をしてしまうようなことをしているからですよ。
 昨日 コロナ感染者数はドイツ全体で949名に減少、方や日本、東京だけで920名の感染者数、これで 、安全・安心に万全を期した受け入れを確約できるのでしょうか?  ”最善を尽くします!”が常套句でそれ以上の話はない。
  「コミュニケーション」の欠落と開催都市東京が非常事態の最中において 人心が乖離して本当に自信がオアリなのでしょうか、 想定内ですが ”最善を尽くします”
 

3585:地域の支え

 急に気温が上がって、新たな心配が出てきました。昨日、GHを利用されているAさんがいつものように園に仲間と二人で歩いて来る途中で道路に倒れてしまい、救急車を呼ぶ事態になってしまいました。その時 通りすがりの方が近くのコンビニに行き、氷を買ってきて、”これを使って下さい”といって 名も知らせず行ってしまったことが分かりました。他に二人の方が救急車が来るまで傍に居てくれました。本人は病院で点滴を受け、体を冷やし39度あった熱は下がり、無事もどってくることが出来ました。(熱中症の診断)
 その報告を受け、地域の人達の支えに感謝の気持ちで一杯になりました。連絡先を教えてくれた方に 直ぐにお礼の電話をいれたというスタッフ、・・・・・。地域との繫がりを実感しました。
人の思いやり・優しさは、昔から”見返りを期待しない施し”(無財の7施)として大切にされてきました。
 地域創生とか活性化の基本となるものは、何でしょうね。企業誘致とかインフラ整備でしょうか?違いますよ、それは目的ではなく条件の一つな訳です。その条件を上手く機能させるものは、コモンズとか協働とか昔から日本で大切にされてきた地域力なのでしょう!
 何故か それを軽視し人目に付くアドバルーンに惑わされていないでしょうか?行政改革を叫ぶ割に政治改革は旧態依然のまま温存、その変革への狼煙はあがらず。全て道半ば、細かく複雑になるばかりで核心がボヤケテしまった。もっと単純化しないと時間をかけた割に垢ぬけない  
 地域の皆さん!本当にお世話になりありがとうございました。ご本人は元気になりました。
 
 船頭多く、客は無し・・・・・行く先、定まらず風まかせ。急に暗雲立ちこめ大荒れ天気、最近の日本でよく起こっている。
結果と原因? この間に何が有ると思いますか?仏教では”欲”をあげる。小欲知足で欲心の強いのを戒めた。それが現実の社会はどうだろう!真逆のことで金儲け???手を変え品を変え、利用されるだけされ、気が付けばハシゴは外され、捨てられ蚊帳の外。これは当人にとっては非常事態、人類にとっては滅亡の危機となる。これこそがコロナ禍が我我に教示する核心だ。間を置き良く考えれば、その原因の大半は自分達にある。これが判る人と判らぬ人がいる。その分れ目は、その人が持つ”徳”。”有頂天”とは無色界の最上天の非想非非想天をいう、これ仏説。
こういった人達とは全く次元を異にする人達を知っている。Aさんもその一人、もし貴方がAさんだとしたら どうだろう? 恐らく それは無理だわな。私は そう思う。
 Aさんは5人兄弟の長女、お母さんは末の弟が生まれた時に病院で亡くなった(享年39歳)。私は自宅で行った45年前の葬儀を今でも良く覚えている。今まで、当人から両親への愚痴を聞いたことがない。

3586:潮目

潮目とは 暖流と寒流がぶつかり合う場所、漁師にとって、潮目が読めるか否かは必須の条件、私は海釣りの経験は無いが小さい頃、近くの小川(今はコンクリートの用水路)でよく釣りをした。小鮒が釣れた、その後、水質が悪くなり、地元名産のワカサギは激減し、日本で2番目の広さの霞ヶ浦からは昔の面影は消えた。
 たった半世紀でこの変わり様に 徐々にメデアの関心も薄れ、水辺で子供たちの遊ぶ姿は全く見なくなった。生態系が変わり 外来魚に霞ヶ浦を奪われた。
 潮目を政治に例えるのは 昔と変わらず今もある。ただ、嘗ての自民×社会両党のぶつかり合う姿は 無くなり、 有権者にとって誰を選ぶかの判断材料が無くなった。これが今の政治の低迷、真に国民の為とはなっていない現証。こうなった原因は選ばれる側と選ぶ側の双方にあると言われてきた。そこに”責任無き評論家”(自・他称)達が加わると話が更に判らない。それが、コロナ禍で非常事態により各局をハシゴする馴染みの顔が増えている。・・・【三密(身口意)顛倒(てんどう)し、無量不善の業を犯す】。・・・
世界中の目が日本に向けられ、開催まで僅かに一週間を残すのみとなる。 開催の公式発表が有ったのかどうかも判らない。だが潮目の判断を間違ったかどうかはもうすぐ明らかになるだろう。
 ぬるま湯に長く浸かっていたツケは、これから大きく日本に圧し掛かると思って間違いない、これは謝罪して済むような話では無い。
 
 いま予測を上回るスピードで感染の波が押し寄せています。頼みの綱だったワクチンがここに来て在庫への不安が持ち上がる これ風評なんですか?・・・・・。接種実数を増やさなければならぬこの時期に逆に抑える動きに 出るは溜息。与野党から様々な声が漏れてくる。この機に及んで足の引っ張り合いをしている場合じゃないだろう!。 
 理解を得るための説明が中途半端だったのは今に始まった訳ではない。どうせ数の論理で押し切れる、隠蔽と責任回避・・・・・こういった温床絵図が日本では何故か出来上がってしまった。温床は管理を誤れば 根を枯らし元も子もなくなる。当たり前の話ですね。
   ああああああああ!
  ・・・もし、心に浄菩提心の実相を念ぜざれば、三業の所作みなこれ虚相不実にして、全く三密にあらず。(覚鑁)・・・・『真言三密修行問答』

 

3587:取材商法
☎ルルル・・

 顔が見えない新手の商法がコロナ禍の中で横行している。欲望を巧みに刺激し、あらゆる方法を使って契約に結びつけるという猛者?この類のトラブルが 異常に増えていると思われます。気付いた時には 既に遅い。そうならない為にはコロナ予防の水際対策と同じ 偶然か必然か?
 ・・・貴社のHPをみて 興味がありますので代表者に是非取材させて欲しい・・・と意味深な電話が突然かかってきた。アポをとり、後日 その時間に相手からの電話、自己紹介から始まり、取材の目的。その間、別の電話の話が漏れ聞こえてくる。これは同じ部屋から他の誰かが相手と電話している声と判る。一通りの説明が終わって、声のトーンが変わった。ここからが営業の腕の見せ所らしい。モノ売りと全く同じ手法、モノを”取材”に変えただけ。
 それが起業家や 社福の代表が相手の思うつぼに嵌まり易いとか?。 宣べなるかな・・ と妙に納得してしまうとは 悲しきことである。 成功は 失敗と表裏の関係にあることを疎んずる最大の落とし穴、
 後日談、取材依頼の会社のHPをみたら 他社から依然同様の問い合わせがあったことを思い出す。その時に対談させたい相手(評論家)の顔写真が 今回の会社のHPにも載っていた。虚相不実
 
 自業自得という言葉があります。ここで謂う”業”は”三業”身口意のこと、つまりは 自分のおこない(身口意)の結果を自分が受けること(仏説)。
思い当たることは 有りませんか? 春になれば花が咲く。これが オカシナ事になってきた。春に咲く花が冬に咲いても あまり騒がない。自然摂理への無関心化。
 物事がそうあるべき”筋道”が変ってきたのです。地球環境の変化が先で、そうなった原因はいつだって後回し、そして自分一人ぐらい守らなくても大丈夫と思っている人間が増え過ぎた、その人達は自分の思い通りになれば良いとずっと考えているのです。これがオカシイとは考えない そのことが今 問われている訳でしょう。
 これは時代と共に 変わって来ました。得たものもありますよ でも 失ったものもあります。これだけは変わらないというものが必ずあります。それって 何だと思いますか?
 

3588:オカシナこと

 ・・・実相に違背して慧を修せず・・・・六度の行を退して・・・還って流転三途の業をつくる・・・・  これは中興の祖:覚鑁の心眼、自らの懺悔の核心です。 今から約900年前に遡る。新義真言宗の祖。
 浄菩提心&無垢清浄光→心清ければ仏をみる。 私たち凡夫は どうすれば心清く安心の状態(涅槃)を保つことができるでしょうか? 仏道修行の原点回帰だと思っています。コロナ禍を戦いと考える人と共生(with)と考える人に分けることは 本意では無く 一人ひとりが自分と向き合っていくことこそが大事だとする、これが釈迦の教えではないでしょうか?
 大・小乗に分かれても 原点は変わらない。その変わらないものが何なのかを生涯を通して求め続けることだと教えらたのです。
 思い通りになったと糠喜び、思い通りにならぬと鬼の形相、この両面を誰しもが生来もって生きている。輪廻と解脱の世界観、原因と結果の因果論に基づく仏教の教えでオカシナ事がどういう事なのかについて 私たちが気付くことがあるはずです。実は 自分達もオカシナこと(身口意)を今までやってきたと・・・・・ハッとする。  入口にやっと辿り着いたという事か!今 直面する様々なことを心に留め、歩むべき道を探すことが 我々に課せられた試練だと思うべきなのでしょう。六度の行⇔???
 
 開会式4日前のドタバタ騒ぎ、昔の事とは言っても許されることとそうでないこと位の判断は自分でしなければ示しがつかないだろう。
 最初からオカシナことが起こっている。開会式の楽曲の一部を担ったという人間を、日本人で知っている人は ほんの一部の人だけ、東京での開催が決定した時にその発表会場にいた人達の内で主な人達の姿は消えた。会長を女性差別発言で辞した元総理を始め、誘致を最も望んでいたはずの 当時の総理も自らの健康を理由に職を辞す。開会式を間近に控え、 その方達の今の心境は?不本意だろうが 既に日本人の記憶からは消えた過去の人、これをもコロナ禍の所為にするには 余りにも”お粗末”な話、何度 念を押されても 変われない人達。開会前の恒例のおもてなしの席に 出席していたというのもオカシナ話で、当人は”当然のおもてなし”と勘違いしているのではないか・・・・?進言する者がいないからでなく 判断力の問題
 自分の行いの結果を自分が受ける・・・・六道輪廻・・・・ 。問題が起これば他に責任を負わせ、自己保身を貫く、これが当世のリーダー気質?日本人が大事にしてきた”魂”をエンターテイメントと考える価値人間を選んでしまった責任は確と記録に残されて然るべきと思う。そうしないと後世に曖昧さが残るだけ 国立公文書館が”オカシナ”ことに・・・・・!
 *国立公文書館・・千代田区北の丸公園3番2号  公文書分館・・・茨城県つくば市。

3589:隠棲

 陶淵明(365~427)は『帰去来の辞』、・・・官を辞して帰郷し自然を友とする田園生活に生きる決意・・・を自ら漢詩に詠んだ。
 どうも 最近はその逆を望む人が増えたように 思える。理由はどうあれ 中途で職を断念せざるを得なくなった公人が 住み慣れた東京を去り、故郷に戻って その地の人と共に親しく暮らす方はいるのだろうか?・・・・そんな生活を選ぶ方もおりますよ。でも大半は 一年の殆ど東京に住み 4年に一度の里帰り、こんな為政者が密集する永田町、どうにかしないと地盤での公認ハシゴを外され 後の祭りってことになりかねない。
 そうではなく 一線を退いても まだ未練がある方も多いようだ。地方創生を掲げるなら 自ら範を示さないと遺憾でしょう。連続8期衆議院議員を務めた方を何度か常磐線で見たことがある。いつも風呂敷包みを持って 一人で国会に通う愛郷愛土:質素を旨とし農政に生きた政治家だ。
 現場の実態を知らず、政策を練るはマヤカシ、アンタ達が言う”経済優先””付加価値”とはなんだ?、 ”国民のため”と言いながら、自らその前提を虚相不実となす!。。。と もし今 存命なら 叫んだに違いない!(『土に叫ぶ』著:平成16年11月2日:享年83才 地元土浦に眠る)
 
 ルールをいくら作っても守らなければ意味がない。更に守れないと判っていてルールを作るのは・・・・・無道徳!
 理想と現実、その両者に齟齬をきたせばどうなるか?判り切ったことなのに、責任を曖昧にし、自己保身・・・・ 誰だってそう思いたくはない。出来得れば潔くキッパリと ・・・。
 東京オリンピックの開会式前日である、待ちに待ったはずなのに多くの人々の思いは、”早く終わって欲しい”に変わってしまった。有るべき姿を反復し自分の役割を果たそうとする人たちが沢山いる。その人達がいてこそ成り立つし そこに価値がある・・・これも最初から判っていたことではないでしょうか!。それがどうだろう・・ 理念を反故にするような事柄が次々に出て 結局 ドタバタしながら見切り発車せざるを得ない。
 こうなれば家の中で静かにTV観戦・応援することが最善の協力と考え、そのつもりではいるが、コロナ禍は止むどころか容赦なく攻めたてる。東京が非常事態宣言下でどう考えても綱渡り、この現実を受け止めねば 次回開催は有りえまい。

3590:雑草魂

 コロナ禍だけでなく、地球のあらゆる場所で自然が猛威をふるっている。苦労して造ったものを 一瞬にして破壊してしまう強大なエネルギーは人智を遥かに超え、茫然自失する。
 そのエネルギーの源はこの宇宙に無尽蔵(?)に存在しているのでしょうか、どんどん勢力を強めていくばかりです。方や私達人間だけが、豊かさ・安心・平和・便利さを呪文のように唱え、望み・・・・・ それを叶えるために、資源を枯渇させ、搾取し、独占・・・という方法を長い間続けてきた。それでも昔人には経験を楔とし、自省する謙虚さがあったと思う。それが怪しくなった現代社会において 何をもって人々は自戒自粛するのでしょうか 一人ひとりが問われているのです。
”雑草魂”とは いかなる辛い環境にあっても負けずに這い上がってくる逞しさを謂った。それと反対に”温室育ち”は自ら生きる力が萎えても、それを認めようとしない・・・・そして目指す理想の世界が便利さやAI技術に偏り過ぎていないでしょうか?こういった豊かさへの妄執はエスカレートする一方で、現実と向きあおうとする気力は衰える・・・・・
 根をしっかりと地に張る雑草はその事を現代人に教えていると思うのです。
☆ オリンピズムは、『世界の発展、国際理解、平和に共存』を提唱した普遍的な社会哲学だった。『参加することに意義がある』ことを基本に置く理念は行き過ぎた商業主義化に覆われた今の実態を暴き 開催国の責任として 本来有るべき姿を提言することができるかどうか。
 
 長い間 温室の中にいれば 誰だって外の動きに疎くなりますね。温室そのものが頑強で優れていれば 尚のこと、どうですか 思い当たる節はありませんか?
 先人が大切にしてきた”おもてなし”の心が 微妙に変わっている。本来の姿を見つけるとすれば 私は四国の遍路をお勧めしたい。外国から大勢の選手やお客さんを迎えることを前提にした今回のオリンピック招致、それが コロナによって根本から変えざるを得なくなった。1年間開催を先に延ばして、その準備をする時間的余裕はあったはず、現実には 開催当日まで続いたドタバタ騒ぎ、・・・・今朝のネット上で 責任を取って止めた方の名誉会長推薦の動き・・・・。これは内向きの”おもてなし” それとも”忖度”か???どちらにしても情勢を読めなくなった人達だ。この機に及んで本気でそう考えているとすれば 言葉が見つからない。
 心からのおもてなしが消えた証、これが常態化した。日本人が 過去の栄光に現を抜かしている間に世界の情勢は大きく変わった。オリンピック後 果たして 世界向けに何を語るのだろう? その前に その資格が有るのかどうかを一人ひとり良く考えることが条件・・・・。天なる声。”軛(くびき)”にあらず!・・・