源究214t214

  

NO  テーマ  月日  NO  テーマ  月日  NO  テーマ  月日  NO  テーマ  月日 
 3791  慎ましさ   12/20  3796  年頭所感   1/1  3801  四威儀   1/17  3806  背伸び  1/31
 3792  不可思議   12/23  3797  心の支柱   1/4  3802  世知辛さ   1/19  3807  地球の自転   2/3
 3793  疑心暗鬼   12/26  3798  つなぎ目   1/7  3803  プロパガンダ   1/23  3808  おすすめ   2/6
 3794  吉事&凶事   12/28  3799  転迷開悟   1/11  3804  文化と改革   1/25  3809  無財の施し   2/10
 3795  一年回顧   12/31  3800  シンプル回帰   1/13  3805  SNSの功罪   1/27  3810  矛盾パロディ   2/13

3791;慎ましさ

 サトウハチロー作詞の『小さい秋見つけた』(No:3790)、晩秋の日溜まり、”静寂”そして”慎ましさ”・・・・頭をよぎる。恒例の京都清水寺による今年の漢字一文字は≪戦≫(いくさ)だった。
 平和、安心・・・・誰もが願っているのに手に入らず、遠退いていく。2022年も残り10日となりました。人間同士が争う愚行を戒め止めさせることもできず、その間に多くの尊い人命は奪われ、悲しみと憎しみしだけが残される。仮想でなく現実を観ずれば≪戦≫という字から多くの事が浮かんできます。
 ”慎ましい”の反対は・・贅沢・図々しい・厚かましい・・とあります。・・・小さな幸せ、温もり、愛おしさ、慈しみ・・・・日本の童謡”小さい秋見つけた”の中に 私たち大人が忘れている大切なものがあるように思います。アナタはそう想いませんか!
 
 いつの頃からか判らないが そんな昔の話ではないはずです。偏見かもしれない、私は先進国(?)と言われる国の人達から”使い捨て”を軽視するようになったと思います。日本で”断捨離”が騒がれ始めたのは20c後半から、ヨーガの思想から生まれたという?断行・捨行・離行の本来の意を知らず 日本人が積みあげてきた”もったいない”ということを封じてきたのではないでしょうか!人命の価値まで軽視するようになれば取り返しのつかない世となる。相模原で起こった障害者大量殺人事件は結審した。 いま どうなっているか? 人々の関心から薄れていったというのが実態です。
うわべの繁栄の下で何が大事かを見失い信義無き時代を果たして望んでいたのでしょうか?( SDGs⇔怨憎会苦⇔求不得苦)
  ♪ めかくし鬼さん 手のなるほうへ すました お耳に かすかにしみた・・・・♪  鬼さんは どのような秋をみつけたでしょうか?

3792:不可思議

 常識では理解できない不思議を不可思議と言います。起こるべくして起こった事はどうなのか!仏教では仏智と人知の違いを説く。”宇宙の不思議”も現在までに判っていることはほんの一部のことでしかない。それを人間はSF映画のごとく宇宙を舞台にした戦争を企て自分専用に用意させた劇場で悦に入る。
 愚に愚を重ね、それを自らの箔付けと勘違う。先人が苦労して築いた遺産を遠隔操作で木っ端微塵に破壊し、勝ち鬨をあげるとは実に不可思議なものである。
 昨夜、尚恵の仲間で66才で亡くなった方の通夜席、住職の唱える経が、私が朝の勤行で唱えているお経(般若心経と観音経)と同じだったので黙誦させてもらった。棺の脇に置かれた本、それは月刊誌で戦艦や戦闘機の専門誌、故人が毎月欠かさず買って読んでいたと職員が教へてくれた。お姉さんから≪弟は家に帰ってきて学園に戻る時、いつも喜んでいました。≫という話を聴いた。
 観音経は菩薩の”施無畏(せむい)”の功徳を三十三身十九法話で説く。”おそれなくてよい施し”とは?!もしかして、彼は判っていたのかもしれない。 
 
 福祉の原点、それは特定の人々だけでなく全ての人々の”安心と幸せ”です。それを何かが邪魔をする。突き離すように『己に聴きなさい』。此処に仏教社会事業福祉の核心と道標があると思うのです。核心は・・・・・・共生・・・もちつもたれつ・・・涅槃寂静・・・。
 そこから眼をそらし、知らなかったと言っていられた時が有ったかもしれない。こんなはずじゃ~と不満放題の至極。人生でハッとさせられた経験は誰しもお持ちでしょう。・・・≪汝 諦ニ聴ケ 蓮華月輪本来汝ノ胸中ニアリ≫。私はこの言葉を知って衝撃を感じました。見る⇔観る、聞く⇔聴く。両者は同じだと思っていたがそうで無かった。寿命は誰しもに与えられている天からの贈り物。死線を彷徨いそれでも、知らなかったと謂うのでしょうか!。自分自身によく聴きなさい。これこそが道標

3793:疑心暗鬼

 疑心があると、何でもないものにまで恐れや疑いの気持ちを抱く。疑心暗・・・ここにもが登場します。その鬼は♪小さな秋見つけた♪の歌詞にある目隠し鬼さんと同じでしょうか?それとも違うのでしょうか? 
 どうしても私達は計算づくでモノの善し悪しを考えてしまいます。自分が思うようにならないと鬼の気持ちが湧いてきて 金棒を振り上げる。昔からよくある話。それでも一向に懲りません、気が付けば 周りから誰もいなくなった館の主人公。
 ”清浄無垢心”は本来、童心に例えられ、汚れのない清らかなこころをあげる。これを忘れず大切にしている人に惹かれるのは計算づくでは測れない。 鬼さん こちら 手のなるほうへ。
 
 ”清浄無垢心””無垢清浄光”(しょうじょうむくしん:むくしょうじょうこう:「観音経」) 心と光、光は万物を普く照らし、心は全ての人の体内にあって、光を発っしている・・・・。心や光にもいろいろあります、此処では”清浄””無垢”とし、凡夫の私達が仏を知る為の条件になるというのです。それを妨げる存在をあげ、33身19の説法により、≪無畏(むい)≫を施すという。(33観音霊場信仰)。権威主義とは、権威を振りかざし他に臨むこと、またその権威に盲目的に服従すること(大辞林)です。
 見せかけのは脆く崩壊します、その例証は数限りなく、しかも繰り返されてきました。国連のユニセフは病や飢えによって苦しんでいる世界の子供たちに救いの手を差し伸べることを目的にしています。日本の少子化対策に、こころとひかりを望みます・・・計算づくではどうしてもその場凌ぎとなり易い。
 「対義語」・・・・⇔「戦」「差」。
 ユニセフ・マンスリーサポート・・・子どもの命を守り、すこやかな成長を継続的に支える希望。「CARRY HOPE」。

3794:吉事&凶事

 災いを転じて福となす。(戦国策)2000年前に遡る。コロナ禍、ウクライナ戦争、異常気象、・・・今の状況をどうすれば改善できるでしょうか!それも元を正せばその大半が人間の業から起こっている。 残り1週間後、”明けましておめでとうございます。”の新年挨拶を躊躇(ためら)う人も多いかもしれません。そして 次の一歩をどう踏み出すかを迷う。巷にはハウツーモノが溢れかえっています。それで良い結果を獲た人はハッピーかも知れない。競争社会の本質は相手を蹴落とし自分が勝利者になることを願うことになる。それで満足できるかどうかは判らない。
 恐らく繰り返し繰り返し、これからも続いていくのかもしれません。でもな~そんな一本道じゃなく遠回りしても良いんだよね。見慣れた景色じゃなく、違った景色に出逢い新たな発見ができるかもしれません。
 ☆happyの反意語・・,miserable,ill-starred,poorなど、unhappyは否定語。
 
 因果応報・・原因・結果・・前世の行為が結果として現在の幸不幸、現世における行為が結果として来世における幸不幸。縁起や宿命、その多くは結果からみた姿(吉事&凶事)と言われます。然もありなん。先のことは誰も判らない。私は得度を受けてから丁度50年になります。寺に生まれ、仏門に入ることは宿命?と考えていたと思う。でも、すんなりとその道に入ったとは言えません。いまだに自問自答を繰り返して何ら変わり有りません。中学生の頃、父にその疑問をぶつけたことを思い出す。≪住職は お寺に住むのが仕事だよ!≫との一言だった。古希を過ぎた今、その重さをよくよく感じています。
 自分が選んだ道は尚恵学園で働くことでした。住職と施設職員、昭和~平成~令和と時代は変り、周りの景色は大きく様変わりしています。でも変ってはならないものがあるとつくづく思います。
 (問)≪二者択一?≫、(答)〈頂上は逃げないから、時間がかかっても回り道でも 良いんじゃない〉。福を転じて災いとなす? (順逆の二縁)(演算回路)
 

3795:一年回顧

 2022年を顧みる。・・「起」・・
 数学に「四則演算」というものがあります。加減乗除(+-×÷)の算式です。これがコンピューターによるプログラミング言語では、違った記号が使われる。IT用語の中に演算回路というものがあって四則演算と論理演算というものがあることを知りました。論理演算とは推論・判断の命題の真偽をはかるものだそうです。
 技術革新はどこまで進むのでしょうか。人間の理解力を遥かに越えた異次元世界に関心が向く時代に警鐘を鳴らすものがあるとすればそれは何でしょう? VRか現実かどちらか一方に偏重する社会で論理演算をそこまでやってしまうのかどうかです。逆順は降順と昇順の両方があるという。道理に外れているか適っているか、この判断基準が既に曖昧になってしまった現代社会に私たちは向き合っていかねばならないのです。2022年の総括、この先どうなっていくのだろうかという予測に希望ではなく”厄介さ”だけが残るのでしょうか。
 ・・・「承」・「転」・・・
 コロナ禍は私たちに様々な事を教えてくれました。ウイルスは感染を抑えることで弱毒化して進化するという。ウイルスが地球上に無くなるとは考え難い。だとすれば「ウイルスと共に(with)」生きるしかないでしょう。戦争がウイルス禍と違うのは人間同士が争うということ。人災は自ら弱毒化して進化するとはならないからです。
 異常気象も 地球のあらゆる場所で起こっています。既に人間の力では手に負えないレベルまで達しています。”天罰”でしょうか?原発の再稼働、防衛力増強は止む無しでしょうか?
 宇宙から見た日本は深夜にもかかわらず煌々と明かりを灯している、これを無駄とは謂わないのでしょうか。何故、辻褄が合わないことを続けているのでしょう。この国は100年の間に変ってしまった。 嘗ての日本が世界に誓った約束を簡単に反故してしまうような国だと思われたって構わないという政治家が増えてしまった?
 
 ・・・「結」・・・
コロナ禍、戦争、異常気象という難題に為す術無し!これは突然現れた事ではない。前兆を見逃してきた結果です。実際に起こってしまってから慌てて対策を考えても間に合わない。
日本だけではなく世界の多くの国々がこのジレンマに陥って苦しんでいます。≪前進すれば虎と出合い、後に退けば狼と出会う≫≪前進するか戻るかしかない≫≪だから虎と狼どちらかに遭うしかない≫という、AI技術を誇る割には虎と狼の二つの前提しか浮かばないのでしょうか?(三段論法) 
 いつも源信の母のコトバを思い出します。
・・・・後の世を渡す橋とぞ思ひしに、世渡る僧となるぞ悲しき、まことの求道者となり給へ・・・・・お母さんから「まことの求道者になれ」と叱られ源信は覚知したのです。
     
   一年回顧 新年託す除夜の鐘。  

(2022/12/31)
観音寺

明けましておめでとうございます。2023年

3796:年頭所感

 ”爽やかさ”を内と外に見失うことなく育んでいく己の”視座”としたい。除夜の鐘を始める前に空を見たら満天の星と半月の月でした。自分は何とちっぽけな存在かをその瞬間に感じたのです。いま斯うして生きていられることはどういう事かを想わず時を浪費してきたことを嘆いても仕様がない。先哲が説く「反省哲学」というものは、”現実にいまだ媒介されていない内省、理性に至らぬ”悟性的思惟”であるという。今から200年前に論じられた。その2000年以上前に遡る仏教の核心と通底することが判ります。
 結局、何も変わっていないのは、我々人間という事になるようです。
 人間は単独では存在できず他のものとの関係で成り立っている。・・(哲)媒介・橋渡し・・。先人が示された道標はあちこちに立っています。それを書き換えたり抜いたりしてきたのは、事もあろうに人間ですよ。
・・・見映えより、内なる爽やかさ・・・これを大事に生きていきたい。迷った時に空を観よう!年頭所感です。
2023!本年も宜しく お願致します
 
 泥中から見事な華を咲かせる”蓮”は、仏・菩薩が座る台座となる。20代の頃、汚泥と清浄、この相反するものが仏教の教えの入口だと教わった。インドの仏跡を訪れた時、大河ガンジスの河岸に昔と変わらない営みが今も続いているのを見た。生と死が同居するバラナシーでは、火葬を隠さず、あからさまに日常行われているのを見た。文明とは? 人知がもたらした所産、営みの状態・水準がより高度化した文化をいう。 本当にそうだろうか?
 その時の衝撃は、徐々に薄れ、日常の生活に追われる日々を送っています。よくよく考えてみれば、今まで他人事と思っていたことがその本性を現わし、いつ自分たちに向かってくるか判らない。
 だから”爽やかさ”をもって生きていくことを大事にしたいのです。
  (コロナ近況報告)・・・尚恵厚生園(入所40名)では利用者の方の9割とスタッフの半数がコロナに感染しました。今までの3年間、入所利用者の中から罹患者は出なかった、それが正月前の3日間で一変してしまいました。現在、保健所の指導をうけ、法人総力をあげ対応しております。

3797:心の支柱

 人生は心の支柱(つっかえ棒)を探し求める旅。今年の正月のTVで礼文島で独りコンブ漁をしながら住み続ける92歳、浜下福蔵さんの1年を追ったドキュメント番組を見ました。礼文島・利尻島は稚内から約60kの距離にあります。50年前、私は独り利尻岳(1721m)に登った。この二つの島は対照的で礼文島には礼文岳(490m)があります。共通しているのは島民の自然との共生、両島合わせて約5000人の人達が住んでいます。
 観光と漁業によって成り立つ島は、自然との共存が支柱、一方大都市中心の考えは自然を大切にと言いながら逆に遠ざけることになっていないでしょうか!この矛盾の気付きこそが私達の生活(SDGs)を考える上で重要なポイントとなりませんか。
 コロナ禍で謂われ始めた”3密”がそれを象徴していると思います。
 疲れた心身を優しく癒してくれるのは、VRやAIでしょうか?もし そうだとしたら、世界が直面している危機的状況に媒介されていない内省、理性に至らぬ”悟性的思惟”と謂われても仕様がない。
 本来、 三密とは、身・口・意”の業を身(行動)、口(ことば)、意(思い)、三つに齟齬がないこと(密教の本意)。見映えを気にするあまり、支柱がぐらついている建物に貴方は住みたい???
 
 ドイツに住む友人から2023年カレンダーが送られて来ました。チュービンゲン市内の写真が12枚載っていて街の歴史と住んでいる人々の生活を感じることができます。
 自分達が住む街を愛し、人々と仲良く、楽しい日々が送れたら”幸せ”です。世界の何処に住んでいても願いは同じです。日本は専守防衛を掲げながら軍備増強を加速しています。私たちは 政府からの充分な説明を望んでいます。
ウクライナ!世界の穀倉地帯を支えてきた豊かな自然と歴史ある街並みが間断ない攻撃によって、瓦礫と化しています。この状況がいつまで続くのでしょう?このまま第3次世界大戦に突入してしまうのでしょうか!遣る瀬無い気持ちが高ずるばかりです。
 真の爽やかさを感じるのは いつになるのでしょう。嘆くばかりで何もしないより せめて 小さな光でも良いから 集めて足下を照らしていくしかないのでしょう。
 
 (コロナ近況報告)・・・厚生園は3名を残し皆さん罹患しました、今は元気になった人が殆どです、スタッフは療養を終え復帰してきています。成人寮にも感染者が出てきました。建物がユニット型ですので、一気に感染が拡がるということは避けられています。GHは単発で感染者が出ますが、皆さん元気になりました。通所コスモスは、現在まで誰も罹患した方がいません。これは家族の皆さんも頑張っている証です。(1/4) 

3798:つなぎ目

 「三界広しといへども 5尺の身 置き所なし」(平家)。貴方は何を想像しますか?神宮寺・観音寺の本堂の須弥壇に置かれてある【三界万霊】の位牌、一際大きく目立っています。私は両寺の32代、35代の住職を拝命してからもうじき半世紀になります。
前住職だった父より受け継ぎ、無我夢中、形振り構わずというのが正直な処です。我流の流転輪廻を描きはしたけれど、ドッコイ 然うは問屋が卸さない。躓き転んで尚 気付かず自棄起こす。それも繰り返しくりかえし懲りもせず。
 ”繋ぎ目”は一本一本の糸を長くするために結んだ目、それだって途中で切れることが在り得ます。
 釈尊の誕生偈・・・『天上天下 唯我独尊 三界皆苦 吾当安此』は私達1人1人の生きる意味・・・国や民族や宗教に関わらず地球上に生を受けた全ての人、その一人ひとりに生きる価値があると説いた。現実の世界は苦しみに満ち溢れています、その苦しみの中で得られる真の生きる価値こそが大切だと教えています。
 聖地巡礼!それは生涯続けていくもの形じゃない、自分自身に問い続けることだと(吾当安此:吾まさに此処に安ずべし)。その先には安住の場所があると信じること。それもこれも これからも 私は一緒に歩いてきた人達から教えられています。
 
 ハッとすることがあります。無為自然とは、人為的な行為を排し、宇宙のあり方に従い自然のままであること。老荘思想の基本的な立場。人間は自然の一部という自覚は、ドンドン薄れています。相手の無為無策をどうのこうのと批判三昧、世情に疎いと謂う割には 如何なものか!≪我慢執着を捨て、世情妄念無くして≫(沙石集)・・・・・≪我慢邪慢の大天狗≫(太平記)。こう謂った諸々の状況は自己中心の慢心が原因とあります。アッと言わせる。
 その慢心は何故起こるのか!仏教思想の基本が此処にあるというのです。
 私達は過去の過ちから何を学び未来にどのように繋いでいけば良いのでしょうか!キリスト教、イスラム教、仏教、ヒンズー教、道教等々・・・・・あらゆる宗教が当に今 問われていることだと思います。。我慢執着/我慢邪慢 俺が俺がの大行進、朝起きて 久しぶりの雨を知り ホッとする。(ハッ・アッ・ホッ 此我胸中在

3799:転迷開悟

 地球上で人間だけでなくあらゆる生物・植物も進化するという。その中で突出して厄介なのは人間かもしれない、高等動物(?)とか謂って愚行三昧、乱れた世を、もとの正しい状態にかえすことが一番苦手な生き物ですよ。(撥乱反正)
植物の”共生”はネットワークによって保たれているという。植物や動物は自然と上手に付き合っていかないと生きられない。そのことを判っているのです。逆に人間は自然を壊し続け、ルールを作ってもそのルールを守らず。偏屈、片意地を並べ。善と不善を取り違う。性懲りも無く本性を現わしそれさえも進化だと考える。挙句の果てに混迷乱擾(こんめいらんじょう)人の心をかき乱し判断力を弱らせ悩ませるとは!
 昨年、土手の草刈りをしていた時、雉が巣の中で卵を抱いているのを偶然見つけました。雨の日も決して巣を離れず卵を温めているのです。暫くたって見に行くと既に巣は空になっていました。その後、親鳥と子鳥達が草むらを列をなして歩いていたのを見ました。鳥は自分達が育った場所を去る時に どうです? 私達はどこかで道を間違ったかもしれない。
 外を見たら未だ暗い中を本堂の前で手を合わせている方がいました。
 
 縄文時代(~紀元前3c)、人々は狩りをしながら移動した。観音寺・神宮寺周辺にはその時代の遺跡が沢山あります。もし縄文人に今の世の中の有り様をどう観るかと尋ぬれば”異次元””迷惑”と答えるかも。  最近やたらと増えた遺跡調査は 住宅が建つ前に必ず行われる。50年前と景色が一変した。
 それよりも 大切なことを アンタ達は忘れている!。目先のことばかりだ!と。これには理由がある。日本の食料自給率が38%、G7の中で最低、子どもの年間出生率も然り、その数は80万人を切った。戦後の一次ベビーブームは今の3倍以上の子ども(270万人)が1年間に生まれた。自然の豊かさを誇る割に山は荒れている。植林された木々は背丈だけ伸びやせ細り、用材には難しい。何の為誰の為にへの明確な答が示せない政治への不信の因が此処にある。ハッキリ謂えば”因果応報”。
 出来ない理由は無限大、更に、事ある毎に責任転嫁に長ずる態!威厳なく、スローガンばっかで中身薄等々・・・
 已上!今年の初夢です。此れ我が胸中にあり。本年も 良い年でありますよう・・・転迷開悟 斯く有りたし。

3800:シンプル回帰

 今の時代を不透明・混迷・錯綜だと感じている人は多い。この先どんな風になってしまうのか?時のリセットができないならば一人ひとりがそれとどう向き合っていけば良いのかでしょう。これは今に始まったことじゃ~無い、不変の真理だ。その事にやっと気付き始めた。仏教が説く・・・無常・無我・・・が当に此れです。仏教を難解だと思っている人は多い。正直私もそう思っていました。坊さんがこれだ~もの 全くどうしようもないよね。少し灯りが見えてきたのかもしれない。否!これが思い上がりだ。時有らばと 先師の”かまえなし””永遠なるものを求めて永遠に努力する”という諫めが睨(にら)む。五蘊盛苦。四威儀。
”シンプル回帰”には壁がある。〈便利〉⇔〈不便〉、(豊かさ)⇔(無駄)、、これを”因果の逆転”というそうです。・・・がいつの世にも離れない人間特有の持病で仏教の診立て(果)は”欲”になる。
(参考)素数・・2,3,5,7,11,13,・・・無限にあることがギリシャ時代(BC8c)から知られていた。新発見か?当たり前か?(因数分解)
 
 性懲りも無く、コトバ悪戯が止められない。逆に湧きだしてくる。なんという事か!この流れに身を任すしかない。
 シンプルは単純明快&素(the basic cause/the principal reason)・・・昔の書類を処分しながら迷想で瞑想とは違う。同じ読みでも意味は異なる。世情は”支離滅裂”の態を露わにしている。安心できる”止り木”が無かったら鳥籠の鳥は飛び続けなければならない。今 必要なのは”つかまるための横木”ではないか!
 仏教社会事業でいう”福祉”とは?”大上段に構えて見たものの 結果は・・無常・無我・・・入口さえ見つからず。 処分する書類の大半が永久保存でなく、期限は切れている。考えて見れば”止り木”になる木を探し求めるものだった。
瞑想が妄想に変っても気付かず、それをいつも教えてくれたのが”仲間たち”でした。これから先どうなるか判らないが仲間たちと一緒に願い続けることはできると信じています。(2023/1/13)

3801:四威儀

 ・・行住坐臥を”四威儀”という〈仏)。日常繰り返される行いこそが修行の基本と禅宗は教える。それも間断なく生涯続けねばならない。・・・どうでしょう?生き辛いですか?
 便利になって良かったと思っている人は多い、動く歩道は自らの足を動かさなくても目的地に行ける。時速300キロを越えるスピードで走る新幹線、より遠く早く、日進月歩。それが当たり前となった。そして南極の海底に網を入れるとプラスチックなどのゴミが沢山見つかる。望みを果たした私達はそれで満足せず、更なる高みを求めます。さて威儀を正すとはどういうことか?薄々判ってはいるはずが、自分独りぐらいは大丈夫という思いが顔を出す。 もはや施す手段がないと謂えば、周りから怪訝な顔をされる憂き目にあう。これ実相ですか?
 四威儀は僧侶になるための修行とだけ考えてしまうと自分には関係ないこととなり、分別みだりに起こりて得失止む時なし・・・・(徒然75)。
支離滅裂は 相手の本意が判らず 自分も同じなのに本懐を遂げようとする(業)。(シンプルの深層心理)
 
 日本の風習で”結’という互助活動は都市部から地方に向け消えていく、その残り火は無形文化財化してお蔵入り。”講”も同様に、そして、人と人を繋ぐ術を探しあぐねる近代化。勿論、想定内のことだった・・・が 隣人と一度離れてしまった心は容易には戻らない。コロナ感染!収束見通しがない中で表に出なかった問題が出ています。感染パンデミック、100年昔の経験と明らかに違うのは、人流と異常気象、貧富の格差・・・等々。これ等全てが人為によって起こった時代の所産。逆に軽視してきた”こころ”の大事は、人と人の間が繋げない。
 勢い増しているのは「負(-)の感情」、それは敢えて挙げるまでもあるまいが≪人間至る処青山あり≫正の感情をどうにかして持ちたいものである。
負(-)と正(+)が自然均衡を果たすならば、現代社会はこれを保つ即効薬を見つけ行動に移すべき処、逆に蛮行を繰り返す。ならば!せめて・・敢えて・・・≪ここに光あり≫の道(威儀)を究め一人ひとり歩むこと。
 *朝早く玄関先を掃く人横目に 家のゴミ運びてそっと置く! (ナマグサ朝4時の独り言) 

3802:世知辛さ

捨てる者あれば拾う者いる。真似る人あれば真似られる人いる。騙す人あれば騙される人いる。”世知辛さ”が目立つ世は良いとは思わない。
 清濁併せ呑む・・・善悪の別なく受け入れる度量の大きさを謂う。世の中が複雑になって様々な考えや事物の元となる立場・要素が多い様を多元的という。これもバランスが崩れるとおかしなことになる。世知とは世俗の智慧、人間社会の習わし、世渡り・・・。これだって偏り過ぎるとこだわり&迷いと苦となって世知辛い。。
 無無無無・・・四無量心(仏)、この核となるのが”憐れむ”心、無量心・無量心・無量心・そして執着の心なく誰に対しても平等の無量心。
 有有有有・・・渇望。六道輪廻の三悪道(地獄・餓鬼・畜生)。慈悲喜捨。 
 
 ・・・慈の瞑想を深めよ!さすればどんな瞋恚も消えてしまうから。悲の瞑想を深めよ!さすればどんな害意も消えてしまうから。喜の瞑想を深めよ!さすればどんな不満も消えてしまうから。捨の瞑想を深めよ!さすればどんな怒りも消えてしまうから。・・・(『ラーフラ教誡経』パーリ仏典)。尊師が我が息子ラーフラに語ったという。
 現代社会は人間の私利偏重を抑える指標がない。これに私達はどう向き合うか?勿論それだけではない。俺のモノは俺のもの、アンタのモノも俺のものと公言し奪ってしまう。じゃ~次の世代へ何を残す?と問われ、死んだ後までわかんねー。只管、自分の思いを果たすこと。それが力だと正統化。
 どうも 如何なる教え誡めも効をなさないことばかり。”新”や”超”を頭に付け、その中身は曖昧模糊、唯々目先を変えるのは如何なものでしょう。

3803:プロパガンダ

≪了解しました。・・・ご苦労様です。≫ 携帯メール返信の決まり文句。特にコロナ禍が始まった3年前から増えた。随時、知らせてくれるスタッフからのメールへの返信。
 毎日がハプニングと一喜一憂、現実と毎日向き合っているスタッフに”ご苦労様”を伝えたい。それもこれも 素の自分を大切に守っている利用者の皆さんから教わった。
世知辛いのは、計算づくで心にゆとりが持てず、生き辛さを感じる世の中です。情報操作・心理戦・偽情報・偏見・・等々、巷に溢れるこの類のコトバから世情が見えてくる。負の感情を葬らないと正への転換は難しい。プロパガンダ、善用でなく悪用するものが必ず現われる。  プロパガンダの歴史は、紀元前c古代ギリシアに遡る、政治有る処に必ず存在したという。
 ★夜の8時過ぎ、電話で太陽光蓄電池セールスの話、いま何時だと思っているのだろう?此れはルール度外視のホンの一例に過ぎません。・・了解しました。ご苦労様です・・・とは口が裂けても言えません。
  生活習慣病⇔生活環境病。
 
 環境は人間の心身に大きく影響する。
 今世紀中に、もしかしたら地球外生物の発見があるかもしれないという。探査機が何年もかかって惑星に接近し、水や有機物の調査が進む。将来、スペースシャトルの定期運航?これだって夢物語ではなくなるかもしれない。その時機は判らない。しかし、戦争の為に宇宙開発をするとしたら、世界は破滅に向かう。
 平和利用と言いながら裏でなにを企んでいるか?まったく判らない だったら最初からやらないほうがよっぽど良い。SDGsは人類だけの問題であるはずは無い。長生き出来て精々100年の我々人間と 宇宙は50億年ですよ。それで丁度 寿命の折り返し点。
  (仏)で四大は地水火風。 それに空を加え五大。四大 空に帰す。 不図 思い出す。再放送される人気TV番組、洋画では『刑事コロンボ』邦画では『フーテンの寅』と『水戸黄門』、なぜでしょうね???

3804:文化と改革

 社会を構成する人々により習得、共有、伝達される行動・生活様式を文化といいます。時代と共に変化するものも有るでしょうが日本人の深層に変わらず残っているものが有ると信じます。今こそ私達はその重要性を再認識すべきではないでしょうか!
 事由はいろいろですが”苦”を感じた時に私達はそれとどう向き合えば良いのか悩みます。思い通りにならないという求不得苦です。昔と比べれば 確かに便利な世の中になりました。でもどうでしょう!目まぐるしく変化する世情は私達からこころのゆとりを奪っていないでしょうか。
逆にホッとする時もあるかもしれません。それがどういう時だったか思い出せますか?私達は過去から学ぶことは出来ても未来からはできない。ただ、こう有りたいと願うことはできるでしょう。
”共生”というコトバから浮かんでくるものは、平和と安心です。これは変わらぬ”望み”、これから先も未来永劫続くでしょう。今、私達は安心と平和の為に詭策かどうかの見極めが求められています。それには耐力と対力、環境との調和をはかりつつ歩き続ける中で良策は見つけられるということではないでしょうか。
 
 幼い時に感じた”ぬくもり”は歳と共に何かを蘇らせる力となりますね。いま日本は記録的な寒波に襲われています。各地の高速道路は渋滞し立往生する車列が何キロも続いています。進めず戻れない状況は1人の力ではどうしようもありません。当たり前に出来ていたことが急に出来なくなった時、私達はどうするでしょう!
 身にしみて感じたことも時が経てば忘れてしまう。世界中の人々がコロナ禍に晒されました。最後は自分の命は自分で守るしかない。これが自然界の摂理です。
 平時には便利なインフラがあっても有事になれば逆にリスクとなります。流れは入口と出口があってこそ確保されます。自然との決定的違いは、人間は表裏を巧みに使い愚行を重ねる。せっかく築き育んできた社会資本や文化遺産を容赦なく破壊する。NO more WAR!!!

3805:SNSの功罪

卒業生名簿が変わりました。名前だけの人が増え、これじゃ~名簿は無くなってしまうかもしれません。個人情報の悪用、これにSNSが深く関わっているから始末が悪い。便利さとリスクは表裏一体、至る処に落とし穴、油断も隙も無い。 放置されたままで、精々関わらないこと位しかできますまい。
 唐突に長期デフレをどう思います? 一休みが随分長くなった気はします。でもな~元にもどれば良いと言ったって元の状態がどういう姿だったのか?どんな風にしたいのか?此れが曖昧ですからねえ~どう仕様もない。袋小路に迷い込み焦って法を犯してしまうことはいけません。
 SNSの功罪の罪、闇サイトで実行犯を搔き集め、自分は姿を見せず指示するだけ。この類の事件が多過ぎます。
じゃ~功の部分は?ルールなど有って無きに等しい娑婆世界で 因果応報はどうだろう!無関心?木を見て森を見ず、幻影⇔現実 などなど謎語の氾濫 どう考えても分が悪い。(アノ~意味 通じますか?)
 
 
 インターネットのトラブル事例を検索すると凄い量があります。日替わりどころか瞬時に変わる。これを便利と考えることが抑々の誤り、ちょっと疑ってみれば判りますよ。そう言いながら私は毎日パソコンを開いている。 そうしないと社会生活ができないってことになってしまった。せめて必要最小限に利用させていただくことにします。 コロナ禍でズバリその矛盾を衝かれた。
 自末得度先度他(涅槃経)は利他に通じる大乗仏教の考えです。それが実現出来れば世の中から争いは減るだろうと、だが2000年の史実から、それを裏付けるものは見つからない。
 人体は60兆(?)の細胞から成り立っていると謂われ宇宙のナゾと比べられ、現在までに解明されていることがどの程度有るか?誰もその正解は持ち得ない。 
  ♪・・・お部屋は北向き くもりのガラス うつろな めのいろ とかした ミルク わずかな すきから 秋の かぜ・・・・(サトウハチロー作詞:小さい秋) ♪ 

3806:背伸び

 ”背伸びする 自惚れ鏡を ひだりみぎ”
身の丈、5尺5寸〈167cm)原因は地球引力か!170からの下降線、人生72年、トボトボ歩く道々で覚えた懐古趣味。懲りもせず好き勝手な夢をみる。いつの頃だか忘れたがTVに興味なくなって、目標!夕飯後2時間、寝床に入るスケジュール。その平均タイムは8時半。寝るのが早けりゃ~起床が早い、それが当たり前だと謂われても、地球は自転するからと言えば良い。
♬ 背伸びしてみる 海峡を 今日も汽笛が遠ざかる・・・・・・! じゃがじゃーん。(ナマグサ)
 
 
 妬み、焦り、不満・・・・此処で起死回生と背伸びして観た風景は驚くなかれドロドロした人間関係だった。なんてこった~!  目が覚めた。
 境内にできた休憩処、水琴窟(すいきんくつ)の竹筒に耳を付ければ地中の瓶に落ちる水滴が絶妙な音。四阿に額を設置した。旧本堂に掛かってあった古木を掛ける丁度良い場所が見つかった。イチョウ、紅葉、ケヤキの落葉も集め終わり、次は桜の春を待つ。誰しも 忘れてしまったことを不図思い出し懐かしく感じることはありますよ。ただ、それが今でき難いのは確かです。それって 素の自分を観ようとしなくなったからかもしれないよ。懐古趣味。俄かに現実味をもつ認知症、原因の究明とその治療が果たして可能となるのでしょうか?
 還暦・喜寿・傘寿・・・・今年も仲間たちへ色紙を頼まれる。ヘタな字だからと断った。そうしたら、だから良いという。そんなに気を使わなくて良いからと謂ったら黙ってた。じゃがじゃーん。背伸びしないで書いてみた。ご笑覧・・・!
   

3807:地球の自転

 良く考えてみないと~! 世の中は未だ判らないことばかりです。宇宙の不可思議もそうだが自分の事は判っているの?それに他人の事をどうのこうの謂うのは”人間”だけだわな。貴方は地球が自転しているのを意識しますか? それはどうかな~!怪しいね。
 ”長周期地震動”・・高層ビルが地震の時に起こる揺れは2m~3mになるという。高所恐怖症の私には耐えられません。なんと!地震大国の日本で海を埋め立てた上に林立するタワマン・・・??? 良く考えないと~!安心神話に踊らされ、勝者の気分に酔うのもいい加減にしないとならんでしょう。これって 仲間たちから教わったことなんですよ。
  今年の”還暦~喜寿~傘寿の3名、 和顔愛語 先意承問”(わがんあいご せんいじょうもん)” 心を乱さず 平常心を保つコツを弁えている。先ずは 自分から 相手の思いを先に察し 満たしてあげること それも然りげ無く・・・・・。良く考えてみないと~!
 
 南極でボーリング調査を行っています。それは過去から未来を予測するためという。土壌を調べると昔の気温の変化が判るらしい。地球の平均気温が1度変わると生態系にどう影響するか!此れも”先意承問”、先ず自然から学ぶということじゃないでしょうか!どうも忘れてしまったようにみえる。
(仏)人間は六道の地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の上から五番目の位置にある。・・・六道輪廻はいつ転がり落ちるか判らないことを意味する。何の為にでしょうか! 観音経に三十三身19説法があります。観音菩薩の別称は施無畏菩薩です。施無畏とは三施の一つ相手に危害を加えず畏れを抱かせないこと、戦争は命を奪い合って畏れ(恐怖)を撒き散らす奪無畏です。信仰心は自らの愚かさ・弱さをしることから、,巡礼(聖地)は道に迷ったときに自分を見つめ直す為と教わりました。これは世界宗教に共通する教えだと私は思います。如何でしょうか?
 ・・「命は神なり。命を愛すは、すなわち神を愛すること」・・・(トルストイ:『戦争と平和』) 

3808:おすすめ

 パスカルの『パンセ』の中で・・人間は考える葦である・・・という有名な言葉があります。ご存知の様にその意味は≪人間は自然の中で弱い存在でしかない。けれど考えることができる。≫*省きますが此のコトバの続きが大事なんですね。
考えること、瞑想、観想・・目を閉じ心を静め、無心になって想念に集中。(仏)座禅・・只管打座。普段、判っていても 中々できないのが実態ではないでしょうか? 何をするわけでもなく気忙しく、一日一日があっと言う間に過ぎていく、その割にはスマホやパソコンに向き合う時間がなんと多いことか!此れは今の社会を如実に示しています。人間は”人”と“間”の二文字からなる、機械・動植物にはない感情・理性・人格を有するということですが、間のバランスを保つことができす苦労する。心身の健康と謂われますがこれって別々じゃ~無いよね。どうも物事を専門に究めようとすればするほどバランスを崩し視野狭窄になる人が増えているように思います。そうすると 如何に他人と違った事を謂うかやるかという欲が出ます。それが高じると自分が何なのか本当に必要なものは何か判らなくなってしまい、変ろうとしても原因不明でその対処が難しい。
  ”無茶処(むちゃどころ):第二号店”の開店準備中。因みに一号店は雑木林の丸太の手造りイス。  勿論 無料です。お茶は出ませんが、風を感じ虫や小鳥が接待してくれます。≪おすすめ≫(No194-3409)
 
 
 人間考えなくなるとどうなりますか?その正解は無いのかもしれませんね。だって”どうなるか?”という言葉には”考えてみて下さい”という意が有りますもんね~。矛盾概念というコトバを辞書で調べると【互いに他を否定しあい、その中間に第三者を入れない概念。】と有ります。その例えとして「有機物」と「無機物」、「人間」と「非人間」などをあげる。フムフム?
 判ったようで判らない。じゃ~商売のことを考えてみたら もう少し判かるかもね。売買の間に”お金”を介在させ成り立つ仕組み。これで上手くいっていれば良いのですが、そんな単純なもんじゃないから困ります。判りますよね!独占、略奪、詐欺、犯罪・・・斯様な行為が無くならない。これが実態ですもんね。そこで”おすすめ店”の登場です。
 損得無縁の店???残念ながら チト違うんだわ。・・・人間は考える葦である・・・。以上!

3809:無財の施し

昨日、山形の知人から 散歩の途中にあるお寺の掲示板に・・・・『出会いは人生を豊かにし、別れは人生を深くする。』と書かれたコトバに感激していますというメールがありました。
 私達は他人の悲しみや苦しみに無感動になっていないでしょうか。連日報道される不正や悲惨な事件が多過ぎて慣れてしまい、知らない内に自分さえ良ければと考えてしまう。正直、世の中を暗くするような話ばかりです。 そして、いつ雨が降るか分からない。その雨もドシャ降りだ!どうなってしまうの?
 ”不立文字 教外別伝”(ふりゅうもんじ きょうげべつでん)は禅の教えです。悟りは言葉や文字ではなく、直接心から心へと伝えられるものという。そうだよ!ITと睨めっこしていていると相手の”こころ”を感じない。遠隔操作で相手を攻撃するなんてことはいとも簡単で 非人道的な出来事が益々蔓延るのは当たり前でしょう。最初は一歩か二歩先を競い合ったものです、それが今どうなっているか?相手が見えない距離でやっている。
 無財の七施・・・お金や物がなくてもできる七つの施しって何かな~。・・・人間は考える葦・・・すべからく悪しからず!そして・・・云々。
 
 ”違う景色を観たい”とはどんな心境でしょうか。それは人それぞれ違って当たり前?時は移り変わり、常に同じではない。無常観。約700年前の「徒然草」吉田兼好著。約150年続いた鎌倉時代末期の景色がそこから浮かぶ。もし今の社会を描くとすれば如何様に、それは700年前とは違い、一つの国ではなく 地球全体を絡めた錯雑とした動画になるのかもしれない。(仏)十悪・十善の身三口四意三の構図がその図星を指す、裏と表と善と悪が一枚の画布に描かれる絵図は何度も上塗りされ混沌たる景色を呈す、内には緊張と焦燥と不信により人々のこころの温もりや優しさを苛む。
 仏教で説く無財の施(雑宝蔵経)は もはや 人々から見向きもされず忘れさられてしまったのだろうか!
 ・・・≪私たちはまだ、今でも民主主義の制度を持っていると思います。しかし、もはや民主主義の習律も精神も持っていません。≫・・(エマニエル・トッド) 

3810:矛盾パロディ

 ネット販売で欲しい物を選び注文すれば希望の時間と場所に届けてくれる。実に便利だな~!最初はそう思った。今は変った。 毎日、カード会社などからの怪しいメールが送られてきて困っていませんか。その殆どが身に覚えが無いものです。詐欺メールがネット上に氾濫、ホトホト嫌になりました。此れに騙されない為に、メールを絶対に開かないことを奨められた。無視しなさいということ。じゃ~何の為、誰の為の便利さだったのよ!これに対し、”アンタが選んだのでしょう。≪そうです。残念です。≫
 自粛、自省、自戒を忘れ、「リベラルな寡頭制」に変質した今の仕組み。そうさせる元凶は何なんでしょうね。トッドは謂います、これは今に始まったことではなく前兆があった。何をするにもカネの重要性があまりにも大きくなり過ぎた結果だと。
 此の儘進んでいくと、人々は智慧を働かせなくなり、自ら何もせず、無関心か言いなりになってしまうかもしれない。貴方が望む色に見せる技術は既にあるのです。これらが一種のパロディだと・・・・・。 
 
日本で 狂歌や戯画が大流行したのが江戸中期の天明年間(1781~1789)と言われている。この10年の間に飢饉や大火が起こっています。浅間山の大噴火と京都で18万戸以上が焼失した火災などです。天災か人災かに関係なく、自分ではどうすることもできない状態に在っても人々は拠り所を探し耐え忍んできました。それがどうでしょう? 私達は、これらの情報を同時に知ることができます。東日本大震災(M9.0)で死亡・行方不明者は2万2312人でした(2022/3/1現在)。今回のトルコ地震(M7.8)では隣国のシリアを合わせると死亡者だけでも3万3000人(3/12現在)を超えています。現地からの生の映像はウクライナ戦争、コロナ感染に切り替わる。これが今起こっていることです。こんな状況で穏やかな生活を獲られる人がいるのでしょうか!そして、この窮状を救う人が現われるのでしょうか?
 無力感と焦りは結果です。そうなった原因があるはずです。 
 世界有数の資源大国のコンゴが最貧国になってしまった事は豊かさが必ずしも人々の幸せと一致しないことの証です。コンゴの産婦人科医師:デニ・ムクウエブ(2018年ノーベル平和賞受賞)が世界に訴えます。 日本にもその責任がある・・・黙秘は共謀と同じだ・・・!。 私達はそれにどう応えられるでしょう。