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NO  テーマ  月日  NO  テーマ   月日 
4211  懐旧の情  6/19  4216  落とし穴   7/5
4212  AIパラドックス 6/23  4217  途中駅   ☆
 4213  くつろぎ etc. 6/26  4218  世代ギャップ   ☆
 4214  植林  6/30      
 4215  ワールドカップ  7/3      

4211:懐旧の情

 サッカーワールドカップが始まりました。初戦の日本対オランダの試合結果は2ー2の引き分けでしたが、中味は濃かった。二度の先行を許し追い付く日本、個の力よりチーム全員の纏まりを強く感じた。日本代表は主力選手の相次ぐケガによる欠場があり、どうなるか心配されたが、逆にそれでチームの団結が強まった感がする。次の相手はチェニジア、頑張ってくれると思っている。試合後の日本のサポーターが競技場のゴミ集めをしていたことをメデアが紹介しました。もちろん結果も大事だけれどそれだけじゃ~ない。サポーターシップも大切。私は高校三年間、部活でサッカーをしました。その頃は一部の高校だけにしかサッカー部はなく創部2年目 レベルは話にならなかった。60年前のことを懐かしく思い出しました。
 
 "邂逅(かいこう)””懐旧”、この漢字二文字は自分を昔に誘ってくれる。四国松山の市内には今も路面電車が通る。聴いた話だが電車の外面に一言が書かれる場所があり、何が書かれているか誰でも読めるらしい。≪遠回りだって ボクの道≫・・・コレだ!・・・と思った人の話。それだけのこと・・・でも、余韻が残った。松山には何回か訪れたことがあり、朧げだが,街の風景が浮かぶ。市内の真ん中にある松山城、夜、スポットライトで照らされる。
 思い出は誰にもある・・言葉で見えない 望みといったもの・・・それは、自分のそばにいてくれるだけで良いということかもしれません。 あせらず・おごらず・あきらめず・・・・此の標と一緒にゆっくり歩いて行きますよ。

4212:AIのパラドックス

 世の中は自分が思った通りにはならない、〈仏)四苦八苦の一つ、求不得苦。それをどうにかして思いを通そうとすれば周りと軋轢が生じる。AIのパラドックス?AI自身、悩みを感じるか否か?それは無いでしょうね。膨大な量のデーターから選んで提示することは得意だが、AIに四苦八苦の感情はないだろう。AIとどう付き合うか”逆説”(パラドックス)は、「通常の把握に反する形で、事の真相を表わそうとする言説。アメリカで行なわれたある調査で面白い結果が出たという。貴方はAIを信じますか?との問いに信用しないと答えたのは圧倒的に若者が多かった。”矛盾”。その例として≪善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人もや≫の類とある。、人工知能における能力と課題の逆説的現象、人間にとって簡単なことがAIには難しく、逆に人間にとって難しいことがAIには容易である。といった類。
 
 仏教修行で座禅の”公案”をAIに任せたらどうだろうか? そんなことを考えた。人間の脳が数百万年の進化の中で獲たスキル(感覚運動)、それと異なる論理的思考スキルは歴史的には新しい(約4000年)と言われます。(仏)永遠なるなるものを求めて永遠に努力する人を菩薩という。これをどう解するか! いま私たちは人間の尊厳が問われているように思うのです。
 私の大好きな歌、♪・・・ わずかな生命の きらめきを信じていいですか  言葉で見えない 望みといったものを 去る人があれば 来る人もあって  欠けてゆく月も やはて満ちてくる  なりわいの中で ・・・♪ (『防人の詩』 さだまさし)
☆ 人間の体は数十兆個の細胞からできている。生きているとは、細胞が成長・分裂・代謝を行ないながら体の機能を維持していること。☆
★ 欲を担いで人生行路  もういいかい ま~だだよ ★ 

4213::くつろぎetc.

 緊張からどうすればリラックスできるでしょうか?人混みの中に入るのが苦手な人は世の中に沢山います。私もそうです。何せ杉や竹で囲まれた寺に生れ、自分はそれを寂しいと感じたことはありません。寧ろ心が落ち着いた。
 環境に順応できる人とできない人がいます。それが”当たり前”なのか”有るが儘”なのか・・・・。人によって違う。寂しくは無いのですが悩みはあります。周りに家が増えたので"有るが儘”にして荒らして置くことは出来なくなった。・・・日が当らない、落葉をどうにかして欲しいの類が増えた。・・・・裏を見せ 表を見せて 散る紅葉・・・・(良寛:辞世の句) 移り行く時の流れに 竿差し 彼岸に向かうか 渡し舟(ナマグサ) 安心をカネで買う時代 慰めをAIに託し 年貢納めの請求書の山・・・・フ~ム!(不~無)
 
 時間よ止まれ・・・関係悪化し元に戻る術なく途方に暮れ判った時に・・・どうするか? ≪後の世を渡す橋とぞ思ひしに 世渡る僧となるぞ悲しき 真の求道者となり給へ!≫源信の母の我が子への諫言。 源信はこの母の言葉により、変わった。 ここに1000年と言う時間差がある。親と子 or 家族とは?さて、どうでしょう。親子の間にもAIが介入するという事が当たり前になるのでしょうか?万事が休す。創っては壊しまた作ってはこわす。この愚行を重ねて懲りず。根拠の真偽分別ままならず。
 くつろぎ・癒し・安心 etc・・・・が遠く離れて”路傍の人”、更に、山本有三著『路傍の石』より  ・・・一年の計は麦を植えることにあり、十年の計は樹を植えることにあり、百年の計は人間を植えることにある・・・・・。

4214:植林

 種を撒き、苗を植え、人を・・・・? ”育てる”。個人差には特徴的な行動とそれを支える心がある。地球上で今83億を超える人々が生きている。史実が人間同士の争いが絶えたことがないことを明かす。自分の思いを果たそうとし過ぎれば”共生”とは真逆の姿を露出してしまう。仏教の教えでは、因果の関係を説いています。原因と結果、ここで無視できないのは”欲”の存在・・・それを判り易くするために大乗と小乗の乗り物に例えて自利利他を説くようになった。自利とは”自分によい果報、利他とは”自己の善行の功徳により他者の救済をはかること”。
 ♪ 夏が来れば思い出す はるかな尾瀬 遠い空 霧の途中(なかに)うかびくる やさしい影 野の小径・・・・♪(「夏の思い出」) 心が自然と和んできませんか。(ちょうど良い自然との共生)
 
 地球が我々人間をどう診ているでしょうか? 人間は地球をどう観ているでしょうか?視座を意識することで相手との信頼関係や共感が生れる。
今はどこにいても生の情報をえることができ、日進月歩の技術の進歩。その結果はどうなりましたか?種を撒けば間もなく発芽し、木を植えれば30~50年で用材に育つ、その事を人間は知っている。その為にはどうすれば良いか。渇水にはため池を掘って備え、時期が来れば植林した木を間伐し、適度の光があたるようにしてきました。 勿論、これらは先人が自然から学んだことですね。
 一方現代人はどうでしょうか? 自然環境の整備を省き、自然の恵みを独り占め、それで満足せず争って奪い合う。  頑張った先に見える景色が 怪しい雲に覆われ生きるエネルギーとはならず 遠のいていく。
当たり前が素晴らしい!と思う謙虚さを。

4215:ワールドカップ

 ブラジル対日本、2:1で日本が負けてしまいました。一点の重さ。夜中の2時からの試合だったけれど沢山の人達が生中継のTVの前で応援したと思います。
 試合後、メデアは挙って取り上げ報道しました。讃辞を加え、次に繫がると希望を語るもの、逆に、ブラジルにあって日本に無かったものなど・・・・。一夜明けて今度はドイツ対パラグアイ、オランダとモロッコの試合、日本ではハイライトの一部だけ生中継が無かった。・・・・・。画面は変わり中東、ウクライナでの戦争、更にベネズエラの地震禍・・・・。地球で日々繰り返されている。
 昨日、久しぶりにドイツのY氏から電話がありドイツサッカーの低迷(?)の話を聴いた。その時に♪『 We are the world』♪という歌の話が出ました。それが今”I am the world”になってしまった・・・と。
 飢餓や貧困と戦った戦いはもう過去の話となったのか、巨額な冨を獲ながら、満足せず更に獲ようとする。このような戦いに終わりがない。アイ アム ザ ワールド、 個の問題(for me)、だから・・・。その中で日本チームの姿は国内、海外を問わず”和のこころ”の大切さを伝えてくれていた。
 一度失ったモノを再び獲ることは難しい。国と国の信頼が壊れ、4000年前の目には目をの報復が、周りの国を巻き込み拡大する。この態を仏教ではどう観るでしょうか?円相というものがあります。一筆で円を描いたもので始まりも終わりもなく角に引っかかることもない。とらわれない心、執着から解放された心を象徴します。先ず相手をどうのこうの言う前に自分を見つめなさいと!一円相は空・悟り・無我・一如・円満・調和を象徴する。無我は”我意”がないこと。つまり、自分の考えを押し通そうとする気持ち。一如は、現れ方はいろいろあっても根本は同じで不可分であること。そして、調和は偏らず釣り合いがとれていること。曼荼羅に描かれる円相は、宇宙の真の姿(真如)を表わす。
 己の身辺を見つめ、”我先よりもお先にどうぞ””独り占めより譲り合うこと”はどうなのよ。さすれば相手を敬い感謝する気持ちが自ずと湧いてくると観る。さ~一緒に歌いましょう!!!宗教が違っても望んでいることは 皆同じだと私は信じます。
 ♪We are the world  We are the children  We are the ones who make a brighter day,  so let`s start giving  There`s a choice we`re making  We`re saving our own lives  It`s true we`ll make a better day  Just you and me・・・・『We are the world 』♪ 

4216:落とし穴

 問答1➡便利な世の中になって獲たこと失ったこと。外見をつくろうことはできても内面がどうか? 労せずして獲たものは失っても気付かない。逆に苦労して獲たものは大切にするから忘れない。問答2➡生きることはどういうことか?実は判っているようで判らない。永遠なるものを求めて永遠に努力する人を”菩薩”といふ。是は自利を求める小乗の声聞(しょうもん)・縁覚(えんがく)に対して利他を説く大乗の菩薩行(発菩提心)の立場です。
 今、世の中ではどんなことが起こっているでしょう! ”当たり前”という事一つとってみても何が当たり前なのか判らず、人間が長年かけ獲得した諸々の価値が凄いスピードで変化している。攻撃に対し後付けの防御、その為に掛かる膨大な手間、その経費の捻出の為と妙な理屈が増え過ぎた。自分は大丈夫と言えない事態になって仕方なく自ら掘った”落とし穴”の場所探し。価値の顛倒(ex, 便利⇔不便)は、おいそれと元にはもどらない。それは未知の領域、謙虚さ感謝の気持ちが無ければ入れまい。
 
 世の中には予測困難な落とし穴が無数にあると思います。それを”欲”と仏教では説いています。煩悩、妄執、とも言っています。因果応報・・・原因があって結果が生まれる。四苦八苦の原因は煩悩、これらを釈尊は弟子たちに判り易く説いた。万が一自分が落とし穴に落ちた時、そこからどのように抜け出すか!人生は十人十色、この世に生きた年数の長短ではなく(外見)、その中味(内面)だという。出来ることならば健康で長生きしたい・・・誰もが望んでいることですよね。生老病死。 生きるという事、それを貴方はどう考えますか?自分の力で生きてきたからこれからも・・その様に・・・・と、視座を変え”生かされている”と考えてみると周りの景色が変わって見えて来ませんか?
 死の淵を彷徨った経験の後、人の心に何らかの変化が生れると言われます。自分のモノは自分のモノ、アンタの物も自分の物、是が因で果は”戦争”、史実が証明しています。戦争に終わりはない。誰の言葉か思い出せないのですが、戦争が終わると考えるかと問われた時、その方が仰った・・・自分が死んだ時。・・・四苦八苦(4+4=8)  抜苦与楽=慈悲。(ナマグサ独言抄)

4217:途中駅

 鈍行列車の途中駅、我先に降りたい者はなし。車窓の景色に朧げな記憶が蘇る。 そんなに急いでどうするの? 70~88才が10人集まった小さな宴、最初は堅かった雰囲気も徐々に気持ちが落ち着き和み始めた。
コロナ騒ぎで暫くできなかった食事を兼ねた集い、発起人2人の提案に賛同し参加したのは偶然(?)にも全員古希(70歳)を過ぎた昔の若者だった。世代のギャップを感じながらも昔取った杵塚を忘れられず 利用者との触れ合いに元気をもらう喜びを共有する、。。。。結果はやって良かった!参加した人数も手頃で話がみえてあっと言う間の2時間となる。
 結局、相手を変えようとするより自分が変わった方が良いんだわ・・・・・ということで一応本日の小宴はお開きとなりました。皆さん笑顔で帰路についた。お疲れ様・・・・・。
 
 気楽に利用できる地域のレストラン、オープンして既に半世紀、国道6号線沿いの田園風景は今も変わらず、店を開いたオーナーがレジに立ち頑張っていた。私達は随分この店にお世話になってきた。オーナーが運転するマイクロバスで送迎され利用者の皆さんは、食事しながらカラオケするのを楽しんだ。恒例となって皆さん楽しみにしている行事です。 時が経てば変わるのは仕方がない。でも変わって欲しくないこともあります。我が事として・・・飾らず誇らず諦めすをいつも教えてもらうレストラン、6号国道沿線で一番長く続いている店・・・・・。SDGs? 何も難しいこと、目新しいことを誇るより、その秘訣は自分たちの身近にあることを再認識したほうが良いのでは! これぞ変わって欲しくないサービスの原点でしょう。

4218:世代ギャップ

 人間と他の生きものとの違いを考えてみると頷ける。例えば虚栄心なるもの、これは人間だけでしょう?何を誰に対し見栄を張るのか!身分・地位・財産・実力・・など諸々、これは4000年以上昔から何も変わらない。仏教では”慢心”、驕り高ぶること。七慢で7つ種類の慢心を説き108煩悩の一つで苦の原因になると。迷路の深みにはまって、さ~大変。どうしよう・・どうしよう。こういった苦しみは他の生き物にあるのでしょうか? ・・・。
 おそらく人間だけに特化した”本性”。。。と。ですから永遠に精進努力する。そういう人を菩薩と言って、如来(仏)になる前の段階と定めています。
 しかし、問題は深刻ですね。だって昨今は人工知能なるモノが登場し、猫も杓子も・・・魚の目に水見えずとなって、善悪美醜の区別なし・・・・。今後どうなるかは判りません。