源究27top2

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301 リスク&チャンス 1/16 306 初地蔵護摩 1/24
302 ベンチャー企業の落とし穴 1/17 307 赤勝て白勝て 1/31 試験結果
303 経営手腕・・福祉版・・ 1/18 308 陸の孤島 2/1
304 初雪 1/21 309 人間心理 2/2
305 友を偲ぶ 1/22 310 選択肢 2/4

301:リスク&チャンス

昨日は尚恵学園を考える会を開いた。何年ぶりかな?10年ぐらい経っていたかもしれない。開いた趣旨は自立支援法にどう対処するかという問題を現在手に入った情報を皆さんで検討するということ。職員と家族の代表で合計15名ほど。今回の改正は私がこの仕事に就いてからでは一番の変化だと思っている。正直学園任せの感が強かった父兄にとっては、改正の内容を知れば知るほど不安をかき立てるものとなった。前段階として11月に日本福祉協会の大島さんに講演してもらっていたから、全く知らないという人はいなかった。
 これらの状況の中で受け止め方が個々に異なるということが分かった。つまり、事業所サイド(我々)とては、制度の改革に応じた体制をつくらなければならない。収入の目減りはどの程度か、業務の内容はどうか、事前に準備するものは何と何があるのか等々。一方家族に取ってみれば、今まで預けて安心した生活を送ることができていた。それが今回の改正で先行き不透明になった。利用する時の負担金がどれだけかかるのか、いつまでも学園を利用できるのか等々。それも今回の改正では障害程度や年齢、それに預貯金の額によって大きく変わる。
 まだ、細部に渡っての決定を見ない中である意味では予測の範囲での取り越し苦労という感もしないわけではない。リスクという言葉を今回どう捉えるか・確かにある意味では「危うさ」を誰しも感じる。チャンスと感じる人が既得権を得ていた者の中に果たしているのか。確かに33種類の事業を今回6つに再編するということはただ事ではない。統合されて事務手続きが簡略になるのかと思えばそれが全くの逆、利用者一人一人の対応が別々で請求事務も複雑になる。それだけ事務時間がとれるのかという不安は大きい。
 私は基本スタンスとして、今回の制度改革をある意味では評価している。その一番の理由は従来の施設サービスを利用された方と在宅者との不公平が狭まるということ。正直、障害者が生まれないという保証があればそれもよかろう。現実には毎年多くの方が養護学校を卒業し、行き先探しに苦労されていることを充分知っているからだ。従来の制度では利用定員がいっぱいになると後続の利用希望者への門戸を固く閉ざす。これは見ていても辛い。その点が今回の改正で変わる方向だ。これは良いことだと思っている。更には年金が施設利用されている方だけが貯まっていくという問題だ。親亡き後論議で以前大分問題になったことだが、果たしてそうなのか?という疑問を持っていた。この点が利用者負担が増えるという仕組みに変わった。この機会に今まで親元で管理されていた年金を学園で管理することにする。
 どれだけ預金残高があるのかは分からない。悪い点があるとすれば今後その点を明確にして改善要求をしていけば良いのではないだろうか?国はその窓口を閉ざしてはいない。否、市町村に権限を委ねている。そうなると地元の協力と理解が不可欠、身近に理解者をつくるというのが福祉の条件であろう。ここに私はチャンスを見だしていきたい。

302:ベンチャー企業の落とし穴

興味本位でコメントはできない。しかし、ここ何年かの話題性の高かったニュースにいつでも出てきたライブドア代表堀江氏に昨晩、東京地検の強制捜査が入った。個人的な感想である。Mファンド代表の方も私には性に合わないタイプ、相手は全く感心はないことだろうが。何か掻き回すだけ掻き回し、うま味が無くなればハイさよならという印象しか残らない。この人たちはどこかで繋がっているのは確実。お金の流れに無関係なはずはない。従来の起業感覚からすればこの人達の持つ能力?は比類のものがあるのだろうが、どうも私のポリシーには合わない。貧者の一灯を必死に守り繋ごうとしている人たちが大勢いる中で、ヒルズ族というステータスをマスコミに誇らしげに売り、その事で自己満足に浸っているのか。札束を自分の隠し部屋に積み重ねて陶酔しているのか。どうもこれはおかしいよと日本中の多くの人が感じていた。地検捜査が勇み足なのか、否か、様子を見なければ何とも言えない。ただ、少なくとも警鐘にはなるだろう。同じ今日、耐震強度偽装がらみの証人喚問がある。起業には利益をあげることも必要だ。しかし、モラルが欠如した起業には、多くの泣く人が生まれる。
 ベンチャー企業というものは何も高額所得者になるだけではないはずだ。私自身の身の回りを見回すと福祉の手が伸びない所がいくらでもある。決して福祉の世話になりたがらないからじゃない人たち。ここに新たなサービスの仕組みを考える。これだって立派なベンチャーでしょうが!違いますか。儲からないからやめーた式のMファンドじゃダメでしょう。法の網にかからなければ何をやっても良いという考え方はいかがなものか。司直の手との攻防が始まったばかり。司法側も決してパフォーマンスだけには終わらせて欲しくはない。そして、彼らがもし有罪になったとしたら、施設での体験ノルマを果たすべきではないでしょうか。もちろん福祉人材センターに登録してだ。1万円の価値が分からない人たちに一から勉強させるんですよ。ほんとに。
 学園も長い冬休みからほとんどの利用者さんが帰園してきた。今朝、出勤すると2人の利用者さんから「おはよう」と声を掛けられた。彼女たちの思いを知ることは至難の業、心を固く閉ざしてしまった人も大勢いる。人の価値が高額所得者が上位に位置するということならば、彼女達は永久に浮かばれない。だってそうでしょう。4月からスタートする自立支援法で二千円の負担を大議論しているんですよ。これまで天の大いなる者は人間社会を不公平にしてしまったのか。嘆きの壁ではないが、人間が生きていくという営みは矛盾の大きな現実との戦いである。
 

303:経営手腕ーー福祉版ーー

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どうも変な雲行きになってきたな。世の中は流動している。一時もとどまることをしない。ライブドアーの事業展開の実態が明るみに出れば出るほどコツコツ汗水流して働くことがバカバカしくなる。そう思いませんか?
 実は昨日県の福祉施設経営協議会の役員会が水戸でありました。新年会を会議終了後に行った。私はもう10年ぐらいこの会議には参加してきたが、昨夜は話が妙に盛り上がった。児童から老人、障害と種別が異なる団体の代表者だ。今回の盛り上がりの理由は共通の話題があったからだ。退職金共済の制度が国の方針で介護保険関係施設が対象から外されたから、問題が出た。詳細は支障があるからここでは触れない。
 介護保険関係の事業主体は多岐にわたっている。民間の会社も参入し、従来の社会福祉法人や医療法人だけの独占事業ではない。そこに新たな問題がでてきた。福祉法人は規制があるが、今その緩和がすすむ。施設を整備するときにも補助金が付く。これは民間企業からすれば同じことをやっていて不公平という不満が当然でる。それ以外にもクレームが噴出してきた。介護保険は全体のパイが大きい。障害と比べると雲泥の差、パイの大小によって分け前が当然違う。だから介護サービスに多くの事業主体が参加したがる。逆にパイが小さくて経営のうま味が少ない障害などは以前として事業としての伸びはゆっくり。それが良いのか悪いのか。今、その論議が足元まで忍び寄ってきた。そこで事業体としてのトップの経営手腕が重要だという。俺はどうなのか。自分で自分を評価することはできない。確かに事業規模と内容は30年前と比べると3倍ぐらいに大きくなった。
しかし、冷静に考えても失ったもの、薄れたものも格段に増えたと思っている。最低のこだわりとして経営理念をころころ変えるつもりはない。耐性が強化されたのか否か。マスコミにここ4〜5年特に目立つ経営陣が頭を下げて謝罪する場面。実はこれを見るのが一番嫌なのだ。明日の我が身を見ているという感じになるからだ。そりゃーそうだ。生きている人間を相手にしているんだもの。業務上の過失はいくら注意していても避けられないと思っている。今日は土浦の京成ホテルにて恒例の新年会だった、利用者の皆さん、普段とは違って正装して食事会、丁度1年前はノロウイルス騒ぎで新年会がキャンセルになった日だ。避けようがない事っていくらでも周りにはある。だが、これだけははっきりと言える。隠してはダメだということ。また、福祉で金儲けしようなんて考えたこともない。否、出来るはずがない。そう考える人は早々に引き取ってもらいたいと心底思っている。とんでもなよ!ならば本題の経営手腕をどこで発揮すればよいかということ。悩み苦しむことしかないのかも。
頭が重いなー!(1/21)

304:初雪

1月21日、朝戸を開けると雪がうっすらと積もっていた。天気予報的中。降り止まぬ雪の中を午前中頼まれていた4件の法事を急いで済ませ、寺に戻ると前庭にいるお地蔵さんが雪帽子をかぶっていた。重そうだがどことなく誇らしげ。「どうだ!似合うべー。」とでも言っているようだ。今日の法事の席で新潟の大雪の話がでた。ほんとうに大変だろうなというのが一致した意見。この辺はめったに雪は積もらないから、一度積もると大騒ぎ、雪道に慣れていないから事故も多発。今朝、出勤してきた職員が頭からマフラーをかぶって寒そうにやってきた。「どうだった?」と声を掛けると、学園まで来るのに途中4件の事故がありましたという。今日よりも明日の朝がもっと大変だろう。滑るから尚更だ。昔は利用者さんと一緒に雪かきをした。学園の前の坂は車が結構通る。しかし、今日は利用者さんはだれも出てこない、職員が汗を流して雪かきをしていた。年取ったんだな。
 明日は槍ヶ岳で亡くなった友人を偲ぶ会が東京である。私は同期なので発起人、60名ぐらい参加するといっていた。単独行だからさぞかし寂しかったろうなー。どうして無理したんだろうか。などなど、時間がたつにつれて色々な思い出と共に彼のいつも笑っている面影が浮かんだ。彼は日本山岳会にも席を置いた、本格的な山好き男だ。55歳の命を落とした北鎌尾根周辺は今頃凄い雪になっているだろう。私は北アルプスを正直余り好きになれない。何かゴツゴツした岩山のイメージが強すぎるからだ。むしろ、遠くから見るのが好きだった。自然の中に身を置くことの素晴らしさを4年間に教えてもらった。だが、卒業後パッタリ山登りは止めた。本当は好きじゃないのかも知れない。それよりも今住んでいる所が山の中、出歩く必要も無いからかもしれない。35年ぶりに会う友人も鹿児島から来るという。35年のブランクはお互い語り尽くせぬ思いが多くあるだろう。今年始めての雪が35年前の良き思い出の時代にタイムスリップさせてくれた。
 

305:友を偲ぶ

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東京の全共連ビルの6Fで大学同期のH君を偲ぶ会が開かれた。彼は槍の北鎌で滑落し、亡くなった。55歳であった。GWVの仲間と日本山岳会の方が70名ほど集まってくれた。私は彼とは同期だったので発起人になっていた。土日のため実質私は何も手伝いができず、先輩のSさん、Aさんそれに同期の大阪のYが前日から準備してくれた。中には鹿児島や徳島、神戸から駆けつけてくれた仲間もいた。2時間ばかりの集まりだったが時間がたつのも忘れるくらい、至る所に輪ができて話が弾んでいた。私は35年ぶりに会った仲間もいた。本当に懐かしかった。3次会までつきあい分かれた。
 会場には彼の遺品や写真が飾られていたが、本当に山を愛していたということが誰にも分かるものだった。
 OBにはNHKのデイレクターの先輩もおり、私が良く聞いているラジオ深夜便の担当Dであった。いつもの事だが集まると昔の話で盛り上がる。みんないい年になっているのに一向に進歩せず時間が止まってしまう。卒業後30年以上たっているから何人かが既に亡くなっていることが分かった。大勢いるOBの中で私は僧侶ということで珍しい存在らしい。五十年の歴史あるクラブでひょっとしたら私一人かもしれない。「へー住田が坊さんね?お寺二つも持っているのかい?」「真宗の教えはどうなんだい?」「私は真言宗ですよ」・・・・子供さんを亡くしたり旦那さんを亡くした方もおり、その辺の話を尋ねられた。
 私に何かお役に立つので有ればという妙な気持ちになった。H君のご冥福を祈る。
追加)
 早速私が知りうる仲間のメールにお礼を打った。5通の返事が直ぐにあった。ドイツのYさんからも直ぐに返事が届いた。皆、集まりたいけどそれぞれが許せない事情があるんだ。多分、それぞれの所でH君の冥福を祈っていたに違いない。皆、そんな仲間だ。今度、鹿児島に是非とも来いよと言ってくれたS。隣の宮崎にも仲間のNがいる。桜島でもみながら少なくなった同期会をやりたいと思っている。
 

306:初地蔵護摩

正月の24日は地蔵の初縁日にあたる。そこで神宮寺では護摩を焚く(年に1回のみだから貴重ですよ)。私が住職になってからもずっと続けているが、もう何百年と続く行事だと思っている。だから絶やすことはできない。今は建物が立派になったからすきま風が入らず、お客さんも椅子に座って護摩に参加できる。随分様相が変わったもんだ。本尊さんも呆れているかな?一段護摩という略式の焚き方だから時間にして20分ぐらい。その後私が雑談する。
 皆さん奥様達だから自然と話に熱が入る。今日は60名ぐらい来てくれた。それぞれの地区から集まり、護摩が終われば宿の家に集まっておしゃべりする風習が残っている。貴重な時間だ。
 今日はライブドアの一連の騒ぎのことを話した。金で全てが手に入るという代表の話は私には理解できない。社員の皆さんは若い、平均年齢31歳とか、役員はどういう訳か38歳の人が多い。これだって若いなー。誰かがコメントしていたが会社というよりも大学のサークルの雰囲気だと。確かに耐震偽装の社長とはここのところが全く違う、片方はデンとした社長室にふんぞり返る。こちらのHさんは社長室を持たないという。でも、彼のマンションは月220万の家賃だというし、宇宙旅行をするとか言って何十億の金を注ぎ込んだともいう。まー私に言わせれば変わりないということだ。
汗水流して稼いだ金でなくマネーゲームによる法律ギリギリの方法で得た他人の金だ。彼が国会議員に広島から立候補したことは記憶にまだ新しい。結果は次点で落選。合格していたらどうだったかな?想像したくない。
 今後、司直の手で明らかにされるだろうが、一連の騒ぎの中で、業界の裏や議員の先生や官僚との絡みが妙に浮かび上がってきた。その意味ではお二人とも功績はある。だが、苦しみ泣く人が余りにも多くいることを忘れるべきでない。不思議なのはその辺の感覚は非常にクールというか淡泊なのである。これって一体何からきてるの?
 昔の話、小学校には必ず二宮金次郎の像があった。先生から、金治郎の苦労と徳を聞かされて大きくなった我々だ。今、どうだろう、社会的に勝ち組と言われていた人が、金で全てを得るとか客を騙しても自分が儲かれば良いという考えが先行している。怖い話だ。どうも仏教でいう無仏の時代に今当に入っていると思える。お地蔵様は雨風にあたりながら、静かに人の幸せを祈る仏だ。決して派手やかな格好はせず、道ばたに立っていらっしゃる。今日はその初縁日に当たる日だ。オンカーカビ サンマエイーソワカ!

307:赤勝て 白勝て!

白旗、ギブアップ。撃沈・・・・・。29日早稲田大学を試験会場に第18回社会福祉士国家試験があった。丁度37年前ここでは嫌な思い出があった。受験に見事失敗した所だ。幸い試験会場の11号館はその時と同じではない。これだって記憶は不確かだ。前日、目の前のすばらしいホテル(リーガルロイヤルホテル)に宿を取った。朝9時までに会場に入るには厳しいと思ったから土曜日値段で高かったが泊まる。夕食は近くのモスバーガーで480円で済ませ、早めにベットに入った。いつも夜中の2時頃には目が覚めるのに、その日は電車の音で目が覚めた。時計を見てびっくり朝の5時半だった。ヘー8時間グッスリ寝たんだ。良し、これは俺に風が吹いているな。朝は昨夜のバーガーショップで380円のモーニング。いざ出陣、試験の結果は悲惨だった。最近のデーターは全く調べずに試験に望んだからチンプンカンプン。何これ何言ってるの???1問を1分30秒で解かなければならないという時間のプレッシャーは大きく、結果として引っかけ問題(?)に見事にひっかっかった。これは後で問題を読み直した時に判明、確実に理解していた問題に限ってそうだった。ちくしょー汚ねーな!!後の祭りだ。午前中がかなり厳しい結果がでることははっきりしていた。午後、コンビニで買ったアンパンをベンチに腰掛けて食べた。美味かった。幸い寒さが厳しくはなく。ボーとして昼休みの1時間を過ごす。午後1時半試験開始。例題の多い5科目で、読んでいる先から何を言っているのか忘れていく。これは一体なんたる現象、仮性痴呆か。それに加え、メガネが正直失敗した。今までのメガネが度が弱くなったと思って、神立のドラッグストアーで定価5,000円のを2,000円で購入、それを持ってきたから長文を読んでいるとだんだん焦点が合わなくなる。つまらんとこでケチる性格はどうしようもないなと反省。2時間ちょっとの試験が終わり、正直クタクタ。試験後一緒に食事をと約束したのもキャンセルし、一人高田馬場に向かって歩き出す。結構距離あるわな。35年前は良くトレーニングした神田川沿いの道を約20分掛けて駅に到着。その間に同じ試験を受けた連中からメールが入る。全員が完敗という内容。「俺もダメダー。来年が有るサー」とか言って相手を励まし、自分を慰めた。日曜日の高田馬場駅は大混乱、切符を買ったらこれが西武線、ありゃーダメだ。JRの切符売り場は長蛇の列、こりゃーダメだ。地下鉄東西線に切り替えて帰ることにした。なんのこっっちゃー。20分も歩いてきた道を東京メトロで逆戻り。このように全てがチグハグだった。赤上げて、白上げないで赤上げない。帰りの常磐線の列車の中で自然と口ずさんでいた歌だった。こりゃーブクシ 出直してこい。甘ったれるなと天から声がしたように感じた。1日経ってファイトが湧いてくるから不思議な性格だ。(獅子座のトラ年生まれ)

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308:陸の孤島

お寺だからかなー!先物取引やら投資の誘いの電話が頻繁にかかってくる。全て断る。また、電話の勧誘も多い、お安くなりますよとか言って今の電話を変えろと言う。是も断る。しかし、今日は地元のケーブルテレビの会社に私の所で利用したいのだがと聞きに行ったら「サービスエリア外ですよ」と相手から断られた。なんでお客を大事にしないと言いたかったが止めた。実はADSLでインターネットをやっているのだが予定スピード(10M)の10分の1しか速度がない。これは電話線の末端に私の寺があるからだと言う。中継基地から離れすぎているからだ。一番早く電話を入れたんだからそうなるようだ。途中でパワーが無くなるらしい。しかし、隣の家はケーブルテレビが入っている。理由は県道沿いにあるから幹線から引っ張っているという。それをこっちまでできないのかと頼んだら、無理ですねという。バカにしやがって、陸の孤島ということか。同じ電話代を払ってこうだ。不公平だろうが。私はホームページを全て自分でつくっている。動画を入れたいのだが重たくなってしまうから今の条件では無理なんだよ。
 そしたら今日になって光ケーブルのアンケートがきた。加入希望を調べているようだ。いつのことか?これに接続できれば確実に今より100倍の送受信速度になる。そしたら今以上に凝ったHPをつくろう。神立本郷なんて陸の孤島なんだ。道路は狭いし下水もない。インフラ整備が一番後になる地域だ。先週降った雪が未だ残っている位だ。何が悪いだ!フンだ。
 片一方ではそんなにスピードを速めてどうなんのよ。という声が聞こえる。確かにそうかもしれない。まー迷うところだ。逆に孤島の良さを見直すほうが得策かもしれない。

309:人間心理

最近の話題性の高いニュースを見ていると何か重層化した深層の問題と感じる。今までに表に出ずにいた細菌が土の中で長い間に醸成され一気に吹き出してきたという思いだ。となると是は簡単にはいかないぞ!どこから手を出していけば良いのか誰も分からない。人間がマイナス思考する要因として、健康、人間関係、仕事、学問などに不具合が生じた時である。しかし、これは一人の人間の中で考えると決して個々の問題ではなく源では複雑に絡みあい繋がっている。一時花形産業と言われた学習塾だが、先月に全国展開していた大手の学習塾が倒産した。最盛期で1万人の塾生がいたというから全国でもトップクラスの規模を誇る。そこの社長の弁によれば、価格競争に負けて経営不振になったという。果たしてこれだけの理由か!今朝のNHK深夜便での聞き売り、徳永先生という小学校?の先生、「瞼を閉じて、親の祈りを察するものは、この世の大道の人材なり」「魂に火を点ずるのが教育者である・・・」徳永先生は一途に子供達と共に歩んだ人という。正月には今まで関わった全ての教え子の名前を新しい紙に筆書きしたという。だから子供一人一人の名前と顔が直ぐに一致するという。ここまで教え子を思う教員が今の日本の学校現場にどれだけいるだろう。学校経営も今は学生を集めるのに四苦八苦しているから実際は大変だ。教育の理念がややもすると経営第一主義の影に隠れてしまう。儲け主義的起業家が天下を得たかのごとき現代はどうも徳永先生が一番危惧していた状況にあるのではないだろうか。誰しも心の中でこれで良いのか?だめじゃないのか?と日々葛藤を繰り返し生きている。されば親の祈りを心で察するにはどうすればよいのだろう。
 是は親の責任でもあり子の責任でもあるから難しい。個人を尊重すると言うことは確かに間違ってはいない。しかし、人間は一人では生きていけないもの、ならどうするのか。集団の中での個の願(ニーズ)を皆が認めあい、実現させようとする社会とルールが大切であると思っている。
 

310:選択肢

財政赤字の煽りを受け、改革と称する様々な変化が目白押し。今年の4月からスタートする障害者自立支援法もどうもこのままいくと悪法ということになる。本来は選択肢が利用者にとって広がるという狙いをもって改革される。しかし、どうだろうか?利用する場合の自己負担が払えないという理由で辞退せざるを得ない状況が結構増えている。お金があれば利用できるという道理は障害者福祉の土壌には無理がある。そこを例外無しに一律に実施しようとする向きがある。国や県に尋ねるとそれは地元市町村の判断によると決まり切った答えしか返ってこない。今後は今以上に問題が表面化するだろう。一方、国会議員年金について、決定された。内容は知っての通り、廃止するどころか選択肢が増えているではないか。退職時の積み立て額の8割を変換するという仕組みは一般国民に同じルールが適用されていない。何故か!議員さんが自ら決めるわけで自分たちの不利になることはなるべく避けたいという結果だ。更に、防衛庁の天下りの問題がまたまた取り沙汰された。工事受注に絡むOB職員の利権である。この国は一体いつになれば変わるのか?防衛庁の退職OBを3年間引き受ける施設協会たる組織、職員の7割が防衛庁OBだという。その内容暴露がされればされるだけ頭に来る。しかし、これを怒らない国民もいかがなものか?逆にそのことが問われていることに気づかねばならない。議論が長年続けられている公務員や議員の適正な数はどうなのか?実は同じ悩みを私自身今持っている。尚恵学園は過去50年の流れの中で順調に?事業を拡大してきた。制度上の縛りもあって、何が適正なのかを考える余地もなく、職員を配置してきた。ここ数年、前年度と同じ事業内容だと収入が減少する時代に突入、それと平行して法の縛りでの職員定数の考え方に大きな変化が出ている。アウトソウシングなども取り入れOK、更に常勤職員の考え方が変わった。極端に言えば、正職員は全職員のほんの1割程度で良くて後はパートで繋ぐことも可能となった。実際それで運営できればやってもらいたい。しかし、事業収入減少が上記のように無条件でカットされる事態になり、いくつかの事業所ではそのような体制を実際に取り入れ始めていると聞く。
 今回の私の悩みは、大きな制度改革の流れで、事業内容をどのように組み立てるかという課題とそれによって得られる収入と人件費など支出のバランス、更には増加する利用者負担金が果たして全員から徴収できるのか否か?法人減免制度という仕組みは当然実施するにしても法人がサービスで賄える事業量には限界がある。シャドウワーク所謂無給の仕事を増やせば良いのかという疑問もある。
 国全体のパイの大きさによって社会保障関係費用は変わる。これも受益者は覚悟しなければならない。しかし、事業主体の規制緩和が進む中で、市場原理の競争によって、価格競争に発展し、質の善し悪しが問われることなく福祉が展開することへの不安は大きい。
 ここ数ヶ月、私の所に県内の施設長から相談を持ちかけられる量が急に増えている。皆さん同じ悩みを持ちながら先行きに不安を感じている証拠だ。今回の新制度への移行には時間がかかる。そのために国は移行の経過措置として5年の期間を設けている。これは有る意味ではマヤカシだと思っている。今から準備しておかなければ5年がたったからこうしますとは絶対に行かない。人間相手の事だから個々のケースによって違う。このことをしっかりと肝に銘じて歩んでいかないと泣く人が増えてしまう。

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