源究31
       

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341 平成18年度? 3/29 346 労作性肥大 4/5
342 歳相応 3/31 347 会長どうするんだい 4/5
343 年度切り替え 4/1 348 テイタイム 4/7
344 昼の星は見えない 4/2 349 卒業生 4/8
345 明暗 4/4 350 村上春樹の世界 4/9

341:平成18年度は?

様々な変革の中で、当然福祉への見直しが検討され、その具体化がこの4月から始まる。事前からの情報が流されていたと言っても始まってみないと実感しないものだ。今回の新法はどう考えても入所型の施設を減らす方向が見え見えだ。それから障害の重い人へ手厚いサービスを提供することもはっきりしている。確かにサービスの必要量は個人差があって当然だが、個人負担が1割例外なしにかかってくることが非常に大きな問題となっている。従来の日中活動(デイなど)では個人負担が少額で済んでいた。しかし、今回の受給決定額が福祉事務所より届いて皆さん驚いている。在宅サービスを受ける場合で限度額3万7千円それにプラス給食費が負担になる。年金受給者であるなら1,2級どちらにしても年金の範囲以内で利用できる仕組みだが、実態はそう簡単でない。全てではないが在宅の障害者の場合は障害年金がその家族の重要な生活費になっていることが多い。本来の年金の主旨からして、それはおかしいと言うのが国の考え。我々現場サイドとはその辺の実態のとらえ方が違う。障害を抱えた子と在宅で一緒に生活することが今の日本ではどのような事なのか。誰かが四六時中見守っていないとならない。だから仕事をしたくても職業につけない親たち。生活費がかかるからその子の年金を生活費にかけざるを得ない。それが今回の自立支援法では1割の自己負担がかかる。結局、サービスを受けたくても契約しないという人が増えている。ここをどう考えるかだ。
正直、事業所側でも利用者の負担を多くしたくない。しかし、支援費が抑えられているから国の定めた範囲内での費用徴収をしないと経営ができなくなる。「金が無い人はサービスを受けられないのか!」という論議が出てくる根拠がここにある。
 市町村によっては減免や助成金で利用者の負担を軽減するところもでてきている。これが国の目指す三位一体なのか。福祉は本来、国の責任で行うべきだというのが私の考えだ。だから私はこう考える。消費税を目的税化して利用を限定し増やすほかないだろう。そうじゃないと特殊法人なる得体のしれない所に金がながれちゃう。(年間255兆円だとさ)今回行ったオーストラリアはたばこの値段がベラボーに高い。税金を高率でかけているからタバコ1箱の値段が高くなってしまうのだ。しかし、それとは逆に固定資産税はタダとか聞いた。酒税やたばこ税はもっと上げて良いと思う。私はどちらもやらないからだけの理由ではない。迷惑税だよ。これこそ自己責任だ!
今年度はこの辺の問題が全国的にクローズアップされるだろうし、事業所としてそれにどう対処していくか主体性を持ちながら取り組んでいくという事に尽きる。
 

342:歳相応

あっちが痛い、力が出ない、疲れが貯まる・・・・・などなど。これが歳相応ということなのか。今朝の新聞に県内の学校長や教頭の異動の顔ぶれが出ていた。教育庁の人事発表。私の知っている人が何人か新任校長として写真が出ていた。55歳が校長への関所?、これを過ぎると可能性が急に減るようだ。定年まで4〜5年を残して教育現場の頂点に立つわけだ。緊張と喜びが顔写真から見える。しかし、55歳は自衛隊ならば既に定年の歳、一般企業では60歳が大方定年ということになっているようだ。尚恵学園は創設時から65歳だ。先を読んでこうなった訳ではないが、今、定年延長論議の中で、充分働いていける人はやってもらったほうが良いと思っている。最近の若者の傾向として、福祉職場離れがあると聞いた。これは制度の改革によって人件費に充分なお金が出せない状況が少なからず反映している。正職員でなくて臨時職員で良いという国の方針が出た頃からこの傾向が強まってきた。福祉職でも二極化傾向が出ている。一般職とスペシャリスト、比較的簡単に取得できる資格と国家試験合格者との格差が広がっている。
 外国と比べて、日本人は働き過ぎという評価があった。今はどうか知らない。昨日、実は葬儀があって、私に付いてくれた方とタクシーの中で話し込んだ。その方は定年まで、東京の門田中町まで通勤したという。神立から朝5時17分の電車で毎日、東京に向かう。途中地下鉄を2回乗り換えて会社に着くのが8時前だという。これを何十年と続けて数年前、定年で会社を辞めた。今は趣味の将棋と釣りでのんびり過ごしているという。朝の4時に起き出して、帰宅は夜の8時だったと昔を振り返り、考え深そうに話してくれた。神立には寝るためにだけ帰ってきたようなものですよと話された。私などには経験も無いし、想像すらできないことだ。こうやって皆さん頑張ってこられたんだ。その方が話していたことで、「昔は働く場所が近くに無かったんですよ。今、神立は大したもんです。」そうだなー。工業団地があって今は朝、通勤者が神立に降りるという逆現象が起こっている。様変わりだ。
 さて、その定年の話にもどそう。坊さんの定年が無いのを知っていますか?実は名誉住職という制度?は有るにはあるのですが、名目だけで、なんの保証もない。死ぬまで住職をやれということである。ひゃー。参った!!

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343:年度切り替え

4月1日は新年度が始まる日。日本中何か新鮮な雰囲気が漂う。折しも北日本付近に低気圧があって、北風が強く気温以上に寒く感じる。折角桜が咲き始めたのにこれでは散ってしまうかもしれない。業界によってはこの寒さが堪えるところもあるにちがいない。景気回復の兆しがあるという。確かに土浦でもマンション建築ラッシュだ。現在建築中のマンションは十棟を超えているという。神立だって民間アパートがどんどん建てられている。こんなにいっぱい建てて果たして入る人がいるのだろうか?結構同じ建築主のアパートをグルグル廻っている客がいるという。ここにも勝ち組と負け組の差が歴然としている。格差拡大社会は良くない。実は昨日、私の施設の送別会が近所の居酒屋であった。超満員の盛況だった。退職されるかたはお二人、和やかなムードで二時間あまりの慰労の宴ができた。いつものことだが去っていく人を送り、新たに就職してくる人を迎える。一日開けた今日は新体制での始めての全体職員会議。私から辞令伝達をする恒例の行事だ。
 今年ほど実は採用に苦労した年は無かった。収入の見通しがギリギリになっても決められない。国が単価を示さないからだ。だから、採用を控えるべきかどうかという判断に迷った。他の施設の予算書などを見ると人件費は総収入の五割〜六割までで押さえている。スタッフの総数と比べて結構低い総額になっている。多分パート職員が多いからかもしれない。私の施設は古いということもあるし、比較的長く勤務してくれる職員が多い。だから人件費の総額は頭数で計算しても割合が高くなっている。この辺が実は経営の押さえどころと承知はしているが、難しい。人相手の仕事だもの良いスタッフがいなければ出来ない仕事と確信しているから、できるだけ長く勤務してもらいたい。
 様々な事が頭をよぎる。昨夜の居酒屋、他の客の中に知り合いが随分いた。皆さん酒を飲み交わし、ストレス発散をしているのかな。そこの店は店長を良く知っている。神立ではいつも客が多く、繁盛しているトップクラスの店。何が良いのか。自由な雰囲気とスタッフの明るさそれに食べ物の美味さかな。これって施設にも通じること。17年度は研修会のオンパレード、結論の見えない会議に何度参加したことか、聞けば聞くほど暗くなる内容で、嫌になった。
 そのような中、年度末ギリギリに良いニュースが一つ入った。社会福祉士に合格できたこと。
職員もそれぞれが資格取得に挑戦していることが分かっている。その姿に対しての喜びと応援のエールを送りたい。(控えめに小さな声で)ついて来・・・・・い!

344:昼の星は見えない・・・・

”昼の星は見えない”金子みすずの詩の中にあるという。
星は昼夜関係なく存在するのに、人間の目では昼間、太陽の光によって見ることができない。これ誰でも知っていることである。でも、金子みすずが書くからその意味に重みを持たせる。そうかーそう言えばそうだなー。今、「死生観」という言葉が「生死観」という言葉に置き換えられているという。前者は死を前提に自らの生き様を考えるという。(仏教の輪廻思想や円の考え)後者は先ず自らがどう生きようかということを重視した見方であって、かけがいのない一人一人の大切な生命に視点を置く。マンション15階からの悲惨な事件報道があって余計にそう思う。死生の前後入れ替えについて、実はこの感じ方には個人差がある。20代の若者と老齢になった人ではかなり違うという。また、自分が大病を患い、数ヶ月の命ですと宣告された人などは年齢に関係なく残された時間の大切さを思うに違いない。坊さんという職業柄?本当に多くの人の生死を身近に見てきた。坊主という職業の重みは遺族にとっての悲しみや逝く人の思いをどう伝えるか、ここにこそあるんだと思っている。お経がお上手ですねとか衣姿がお似合いですとか言われて喜んでいる方が、もしいたとすれば全く本末転倒、他に言いようが無いからそう言われたのにと自ら気づくべきです。
 ま!いいや。星の話に戻る。実は先月オーストラリアのパースに行ってきました(駆け足の3日間)。とても印象的だったのは深夜便で行ったものですから飛行機の窓から見える星空の見事さに感動したんです。正直気が遠くなる思いでした。数え切れない星をじっと窓に顔をくっつけて見ていると、あの彼方には一体何が有るんだろうなとか感傷的になったりいつのまにか詩人になってしまう。(上記スナップ:満天の星)そしてオーストラリア大陸の上空にさしかかった時、眼下の砂漠みたいな広大な台地にクレーターみたいなものがたくさん見えてきた。良ーく見ているとポツンと明かりが見える。これが人間の住んでいる家の明かり。いやー。こんな所でどうやって生活するんだろうか?寂しくないのかな?
実は人間が正視できないものに太陽自分の死があるという。有史以来、宗教家や哲学者がそのことを考え悩みつくしてきた。多少ニュアンスは異なるが、「人間は自然の摂理によって死ねば宇宙のエネルギーの源に帰っていく・・云々」ということになると私は考える。 そうなると金子みすず(26歳で自死した童話詩人)が詩に託す”昼の星は見えない”という意味がなんとなく理解できるような感じになってくる。人間は自然の摂理には敵わない、否、自然の摂理そのもの(一体)なんだと。だから広大な土地にポツーンと一軒だけで生活をする事は自然の真っ直中で生きているのだから大都会の中で生きるよりずっとずっと心豊かに生きられているんだろう。その証拠に動物や鳥が人間が近寄っても逃げないと言うし、当に人間と動物そして自然が共存社会を構成しているんですね。これって最高の贅沢ですよ。
 

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345:明暗

表裏:明暗:寒暖:善悪:高低:大小・・・・・対極の二面性を表す日本語はかなりの数ある。しかし、これを良く見てみると何かの基準があって対比されていることが分かるんですね。今年の冬は例年になく寒かったなどが良い例ですね。今年の冬と数年間の冬の平均気温を比べているわけです。一方、自分の内心を見つめてみても頷ける。自分が逆境に陥った時に自分よりもっと大変な境遇にある人を思い浮かべて自分を慰める。これって誰もが思い当たることでしょう。最近流行の言葉に勝ち組負け組というものがありますよね。何を基準にしているんでしょうか?やたらと横文字を使うのもありますよ。マスコミ受けするセレブとかビップというのもその類でしょう。テレビといえば私は頭に来る番組があります。超豪華?レストランで食事をして食べた金額を当てる番組です。負けると全員の食事代を自腹で払うというものです。これって相当馬鹿にした企画ですよ。1品一万円とかするものをですよ、当てるんですが合計で四万円とか全く庶民レベルでない話を面白可笑しく取り上げる。馬鹿かお前と言いたい。
 いま尚恵学園では昼食代金をいくらにするか大騒ぎ、施設利用者の食費が実費という制度に四月からなったからです。
50円100円を上げる上げないの世界ですよ。因みに1日3食食事代1600円という国の基準、これには食事担当者の人件費も含むのですよ。やれますかこれで?でも払えない人もいるんだというのが現実ですよ。何が1食4万円だ。フカヒレ(どこかで問題になったかな???)だーー!偽!格差社会反対!
 明暗とは必要なものかもしれない。もし、地球に夜がなければ人間は人工的に夜を造ったであろうから。
 しかし、これとて自然の摂理によってちゃんと準備されているわわけです。高級料理を食べ尽くし結果生活習慣病、実はこれだって自然の摂理なんだ。

346:労作性肥大

科学は人間が利便性を追求する過程で発展してきた。要は楽をしたいがために営々努力されてきたと言える。しかしだ、これがバランスが崩れると困ったものになる。その現象が至るところで出始めているのが現代であろう。(環境破壊など)
 日本人の平均寿命は世界一だという、男性78歳、女性は85歳を越えている。これは生まれてから死ぬまでの平均数値であるが、実は健康寿命というものがもう一方にあるという。これと平均寿命との差が7年あるというのだ。つまり、日本人は平均で7年間何らかの病気を持ち、健康体でなく生きている人があるということを示す。医療費が増加の一途を辿っている大きな理由がここにある。現代医療はやっと予防医学に目を向け始めてきた。これには7年間の較差をなるべく縮めようとする狙いがある。廃用性萎縮と労作性肥大という医学用語がある。簡単に言うと使わないと衰え、使えば使うほど機能が向上するということらしい。老化防止の中で盛んに言われていること。それからホメオスタシスの考えも大切だ。”恒常性”と訳される。つまり我々は眠くなれば眠るし、腹が減れば食欲が出る。熱が出れば汗をかいて熱を下げる機能を元来持っているということ。病気はこの機能が何らかの原因で低下することだと言われている。科学が利便性を求め発展した結果、確かに楽が出来るようになった。しかし、寝て食って何もしないでいると早く死ぬという有名なネズミの実験があるように、人間はやるべき事があって、美食過食にならず快い睡眠と適度な運動が恒常性を維持するには大切だということが分かっている。(労作性肥大とのバランスも重要)。これらは現代病といわれる生活習慣病に通じること。今の日本の老人福祉の欠陥はこの辺にある。毎日、チチパッパで楽しく過ごしましょう式のサービスはいかがなものか?生き甲斐喜びに通じるのですか。そうじゃないでしょう。幼老一元化、隔離収容ではなく年寄りも子供も交流を多く持つ仕組みを考えないと廃用性萎縮への一途を辿るしかないのです。更に日本全体で少子高齢化というアンバランスが問題になっていることはご承知の通り。子供が生まれるということを社会全体で喜び受け入れる仕組みが弱いのだ。昔は3人ぐらいの子供がいる家庭が普通だった。しかし、共働きの家庭では子供を育てる負担は大変なもの、仕事を続けることの難しさと養育にかかる費用も大きい。3人の子供ができたらば、特別優遇されるような制度を作るべきだと思っている。今の児童扶養手当などで十分だと思っている人は誰もいない。
そこの優遇策が長年置き去りにされてきたツケが今きている。
 茨城県は小児科医の数が全国でもっとも少ない県に入る。小児科になる医師が少ないのは友人の医者に聞いた話だが仕事の難しさに比べ報酬が低いという現行医療制度にも原因があると言っていた。
健康で長生きしたいという願望は誰もが持っている。病院任せの健康管理ではなく、一人一人が自ら責任で行うことがある。
 自分の体とこころが何を求めているのか、その感受性を高める生き方が必要だと思っている。

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347:会長どうするんだい

(社団)茨城県心身障害者福祉協会は会員施設数140を越す大きな団体である。この四月からその会長に選ばれてしまった。今日事務局に立ち寄るといくつもの決済文書が貯まっていた。まだ、事務引き継ぎも行っていないから何をどうするのか分からない。制度改革の時期、中央からの文章もやたらと多く、それを全ての会員施設に配布するとなると大変な作業になるという。確かに一つの文章が50ページを越えるものが多く、印刷代だけでも大変だ。HPからダウンロードできるものはコピーする必要はないだろうと指示する。文句がでるかもしれない。 今回の自立支援法関係の書類は重ねると少なく見ても厚さ20センチにもなる膨大なもの。読みはしない。変更変更で送ってくるから何が一番新しいのか分からない。今日PSのソフト会社が新しいソフトの入れ替えに来てくれた。担当者は頭を抱えている。関係事務が全く異なった形式になるからその切り替えが大変だ。なんでこんな面倒なことをやるのか!とこぼしていた。全くの同感。
 今日栃木と群馬の会長に電話をした。「住田さんがなったそうで、それはそれはご苦労なこって」という妙な挨拶だ。本当に何から手を出して良いのか分からないのが正直なところ。北関東三県弱い者同志の結束は強い。
 弱い者同士が何か全国にアピールできるものをやれないものか。大分昔の話だが、どこかの温泉でそのような事を話したことがあった。今日お世話になった人に手紙を書いた。何故そんな気持ちになったのか?五〜六人であるが何かあるといつも協力してくれる有りがたい仲間だ。
 県も今回の異動で課長が変わった。どんな人か全く分からない。しばらくつき合うより仕方がないな。ここのところ1年で交代を繰り返している。変わらないのは自分だけ。今日の民主党の代表選出馬の二人の挨拶ではないが、私ができることは何か、何をどうしたいのかを明確にしておく必要がある。いやー参ったな。(会員への挨拶文)やめたくなっちゃた。

348:テイタイム

”学生街の喫茶店”という歌があった。GAROというバンドが唄っていたんだっけ?うすら覚えで確かでない。目白に田中屋というエクレアが美味しい店があった。よく授業をさぼって暇つぶしに利用した。今、有るのか無いのか。最近の研修会に出て感じること、休憩時間にセルフサービスのお茶が準備されていることが多い。お茶の効用ねー。昨日、山梨の塩山にある慈恩寺の枝垂れ桜を見てきたという話を聞いた。本堂で抹茶をご馳走になり、見事に咲いた枝垂れ桜を眺めるという。結構人気があってこの時期大勢の客が来るそうだ。私の記憶では塩山は山登りしていたときに何度か駅に降りたことがある位だ。お寺で抹茶でお持てなしできれば良いだろうな。でも住職がいなければダメだし、私など住所不定だから、いつも言われることだが「住職がいるのか?いないのか?はっきりしろ!」「フンニャーわからねえよ。」と答えておく。たまにいたりすると、どこか具合が悪いのかとマジに心配される。本堂でのお茶と言えば、京都の三千院の奥にすばらしいお寺がある。そこで抹茶をいただけるのだが秋がベストかもしれない、でもこの時期もいいに違いない。また行きたい。
 いよいよ六月には鐘楼堂の業者の選定など具体的な準備が始まる。そして、次なる夢は。。。茶室。
 贅沢か否か?私はお寺は地域のものと考えている。鐘の音色を聞きながら、抹茶をいただけるお寺。神立にあったて良いと思う。幸い周りには自然が残っている。春先にはウグイスの鳴き声が良く聞ける。まんだら工房のクッキーで利用者さんのお手まえでお茶をいただく。地域の人たちに束の間のテイタイムの場所を提供したい。四月の中旬には庭の山桜が咲き始める。今年はライトアップを考えている。夜桜と洒落込む。
 竹の子のシーズン次から次へ夢が膨らむ。これって病気かな?
 

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349:卒業生

3月は卒業式シーズン、各地の大学や高校では新旧学生の入れ替わりで大変です。尚恵学園には筑波大学の社会福祉研究会のメンバーが通勤寮やGHの当直手伝い、それに毎週土曜日のクラブ活動で大変お世話になっている。学部:大学院と6年間お手伝いいただいたH君よりメールが届く。本来であれば学生達とゆっくり食事会でもやって慰労せねばならないのに、ここ数年私は職員任せの状態で申し訳なく思っている。彼の思い出を綴ったメールからいろいろな事があったんだと思った。20歳にならない若者がクラブ活動のきっかけで尚恵学園を訪れ利用者さんとの触れあいを経験、自分たちよりも年長なのにどうしてこのようになったのかという現実を先ず受け入れるのに苦労したと想像する。利用者さん一人一人の違った生き様を目の当たりにして、自分と比べ、これから何を生涯の生業としたら良いのかと真剣に悩んだにちがいない。学生の中に必ず障害者と関われる仕事を選ぶものが出てくる。養護学校の教員や行政での福祉との関わりを目指す学生である。
 是非とも自分の夢を掴んで欲しい。出来得れば応援していきたい。人間は○循環(輪廻)で成り立つ。いつかまた巡り会い出会うことが出来ると信じている。実際に再会ができないとしても、心の中で彼らは学生さんの事をいつまでも良き思い出として持っている。なんとすばらしい事でしょう。出来る事ではないのです。
話は全く変わる。昨日、民主党の代表者の投票があった。小沢新党首が挨拶で「先ず自分が変わらなければ・・・・云々」とう演説、そのフレーズがマスコミに反響をうんだ。果たして60歳を越えて今更変われるものだろうか?興味本位のコメントがあちこちで出ていた。私の知ったことではない。小沢という人のことは全く知らないし知ろうとも思わなかった。小沢一色のマスコミ報道も妙に可笑しい。父親も市民派弁護士から国会に議席を持ち、運輸大臣など要職を務めたという。そうか二世議員の一人なんだと今回初めて知った。若くして国会(27歳?)に出て自民党内の主流派を駆け上り七奉行などと言われた人物。果たしてその小沢党首で民主党が変われるか?否、本人が変われますかね。
 二世議員の方が政治を志す動機は親の目指したものに少なからず影響されているだろう。今の小泉首相もお父さんは破天荒な議員として天下に名声を馳せたという?(立花隆の本。)
 話はまた元に戻す。H君が障害者との関わりをもつ仕事に就いたとしたら、彼の感性と実行力が必ずやすばらしい実践家となって実を結ぶだろう。福祉の仕事はあくまでも支援者が主役ではない。いかに脇役に徹することができるか、利用者の人々の声をエネルギーに変える発電機を自らの体内に持つことである。これって実は政治の世界の原点ではなかったのか!いつの間にか先生が一番偉くなってしまった。

350:村上春樹の世界

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実を言うと村上春樹の本を今まで読んだことがない。評論などによれば彼の作品が海外で大変なブームになっているようで、フランツ:カフカ賞の後はノーベル賞候補?とか。確かに彼の作品が何カ国語に翻訳されているのは知っていた。村上は私と同年代だ。彼が私より1つ上かな。早稲田文学部、ひょっとしたら同窓生になっていたかも。しかし、私は目白に行く。同じ文学部である。「海辺のカフカ」という上下二巻の文庫本を読み始めた。私は仏文科だったのでカフカという名前ぐらいは知っていた。しかし、どうも私には手に負えない作家で「変身」を図書館で借りて数ページ読んで放り投げた記憶がある。今読み始めた「海辺のカフカ」という本もなんだか異次元の世界を彷徨うようなタッチで最後にはどうなるのかという期待感を持って読み始めると、これが結構きつい。深い霧の立ちこめる森の中に入ってしまい、元の場所にたどり着かないといった不安を持たせる。これが彼の手法なのか?
 作者が何を言わんとしているのか実に掴み所が無くて立ち往生してしまう。
 しばらく彼の本を集中して読んでみよう。何故そのような気持ちに至ったかは、今の自分が現実の問題で奔走している(袋小路に入ってしまった)からだろうか。。少なくとも日本人のかなりの割合で皆さんそのような感覚をもっているんじゃないだろうか。
 そのような時に村上の作品は市内循環バスの停留所のような役割をしてくれる。不思議な現象だ。
堂々巡りであってどこに止まるというわけでもなく、グルグル循環している。ずーと乗っていても構わないが途中で不安になるという感じかな!上手く表現できない。
 最近の世の中を騒がす諸々の事件は小説以上の様相を示している。だから活字離れ、文字を追うよりもてっとり早く情報が得られるから。最近手にした本では「刑事一代:平塚八兵衛の昭和事件史」佐々木嘉信著:という新潮文庫がある。ご存じのように平塚八兵衛さんは神立出身の刑事さん。その息子さんは地元で大規模に病院を経営している、これまた有名人?八兵衛さんは三億円事件や吉展ちゃん事件を担当した警視庁でも有名な刑事であった。観音寺霊園に埋葬されており、檀家さんである。これはドキュメンタリー本だから、村上の本とは比較にはならない。しかし、事件の謎を解くという事では何か通じる点があるように感じた。何らかの歪みが事件を引き起こし、それが社会問題として顕在化しているのだ。お二人の共通点を事件=作品という解釈をするのは無謀であろうか!いずれにしてもIT化が進み映像や音響の技術は日進月歩、(携帯でのテレビ受信が可能になってきたなど)一方昔ながらの書籍は人気が今ひとつ。閉店してしまう本屋さんが目立つ昨今、文字を通じて情報を入れ、何かを感じ影響しあうことも目まぐるしく変化するこの時代だからこそ見直されて当然だと思う。スローライフへの憧れ。(日曜日の無為の時間に思いつくまま書いた)