源究33

  

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361 改革の真意 5/7 366 ゆうあいすぽーつ 5/31
362 創部50周年 5/14 367 今・・現場では 6/2
363 自分史 5/17 368 悲劇が起こった 6/8
364 総会 5/21 369 みんな病気だ 6/12
365 全国決起集会 5/24 370 県との定例会 6/18

361:改革の真意

このままいっても見通しが立たないという判断をどう決断するか?日本の社会が当にその渦の中に入り込んでしまったと多くの人が感じている。相応しくないとは思いつつ、一つの区切りを昭和20年の敗戦と考えると、今の日本の外交政策の根っこの部分で常に引きずっている未解決な問題だと思う。私の友人がドイツに住んで今年で20年が経つとメールしてきた。彼の人生の3分1をドイツで暮らすことになった。日常の言葉は殆どドイツ語で行う。
しかし、頭の中で考えるのは日本語でおこなう。家族が一緒にいるということの意味をいろいろと考えるという。ドイツは戦後処理については今でも歴史認識での研究の場をフランスなどと持っているという。戦争というものを絶対に認めてはならないことの理由は当事者双方に多くの負の遺産(?)を残すからだ。それをそのままにしておくか双方が解決の歩み寄り努力をするか否かである。日本の首相の靖国神社参拝について隣国(中国:韓国)の反発が大きい。内政干渉だと、簡単に突き放すことができるのか?今こそ、当事者間での研究の場を設け、双方の言い分を出して、早く過去の負債を清算すべきなのである。
 ドイツを以前訪れた時、東西ドイツの統合という歴史的変革の影響をいろいろな所で感じた。今はどうなっているのだろう?もし、日本がドイツや朝鮮と同様の国2分という戦争責任の制裁を受けたならば、靖国問題は、全く別次元の問題になっていたはずだ。私も寺の住職という立場上、過去帳に記載された戦没者のことを思わざるを得ない。改革にはそれなりの理由が必要だ。
 今、福祉の業界は改革の渦の中に入り込んでいる。社会保障のニーズが高まる中で、財政負担をどうするか?目先の問題ではなく長期的な展望をもった改革が必要だ。補償の仕組みも税金で賄う国と保険や受益者負担を重くしている国がある。資源が豊富な、例えばオーストラリアは天然ガスや宝石などは国の財源によって賄う仕組みが出来ている。日本が得意とする良いとこ取りでは不可能な状況が現実化している。
 自立支援法が今だ不備な点が目立つ。今こそ当事者が参加しての内容の検証を行うべきなのだ。
そこにこそ、改革の真意が共通理解されると思う。5月9日全国会長会議が開催されました。
 

362:創部50周年GWV

今日はGWV(学習院ワンダーフォーゲル部)の創部50周年記念式典が大学で開かれる。私は48年卒組にあたり、丸32年が経っている。何人が集まるのか知らないが、大分前から今日の準備を役員がやっていた。
 田舎者の私が学生運動真っ盛りの東京で唯一救いになってくれたのが山登りの仲間だった。必ず部室に立ち寄り、授業に出ないでそのまま学校を出た時も多かった。立て看板やヤジ演説、新宿に出れば夜までヘルメットをかぶった集団とすれ違う。授業に出て勉強をするという雰囲気が全くない時代を過ごした。
 私たち山仲間は地方出身者が多く、大都会の雑踏の中に埋もれないように何かに支えを求めて集まった。
 30年はあっという間に過ぎ、今、我々同期の仲間も少なくなって私が今日寺の用事で欠席になったから、唯一大阪から出席してくれるYだけだ。寂しい。しかし、私たち前後の集まりは結構頻繁に行っている。だから何度も顔を合わせることができた。いつも出る話は合宿の話だ。
 大学も建物が一新し、昔の面影はない。また、幼稚部に皇族の方が入園したから正門のチェックは厳しくなったのかな?・・・温故知新・・・・

363:自分史

ある年齢になると誰しも自分の歩んできた人生を振り返り、何かに書き残したいと思う。これは当然のことで、後を継ぐものに自分の生き様を伝えておきたいという意味と自らの人生を自らに納得させる意味がある。
 昨日、天寿を全うし、僧階の最高位にあったご住職の葬儀が執り行われた。縁があり、準備段階より関わってきた。お寺の住職の葬儀は大変で、本葬までに約1ヶ月かけて段取りをするのが通例になっている。故人は克明に自らの歩んできたみちを記録に残されてあった。戦争という大きな出来事を乗り越え、寺の住職を役所に勤務しながら60年以上努めて来られ、89歳にて旅だって行かれた。檀家の方々から慕われ、見事に伽藍や境内を整備された。90年という長き人生の中には当に喜怒哀楽、決して平坦な道ではなかったはず。
 自分史とまではいかなくとも当日配布された故人の経歴から、その事を誰しも感じたにちがいない。
 葬儀を派手に大きく行えば良いという風潮はいつの頃から起こったのだろうか?故人は家族に決して無理せず葬儀をすれば良いと言い残していったという。
 自らの徳を自画自賛することなく、地元にしっかりと根を張り、檀信徒と共に菩提寺を見事に守られた。
 私の尊敬する住職がまた一人彼岸に渡って行った。合唱そしてご苦労様でした。
 

364:総会

恒例の家族会の総会があった。5月のこの時期は毎日のように理事会やらなんのと会議ばかり。全てに参加することはできない。今日の総会はデイセンターにて行う。4月から新たな制度にてスタートした状況を私から最初に説明した。個別の契約は済んだのだが、それぞれの家族にとっては疑問点が残っているだろう。何しろ我々も正直手探りだし、市町村担当者もはっきりした自信があって家族への説明をされているとも聞いていない。なんでこんな風になったのか?今更騒いでも仕様がないかもしれない。ここ2ヶ月の間に全国地方会長の緊急の会議が三回開催された。毎回内容に変更があるから大変だ。6月6日に東京で決起集会を行うという。日比谷公園集合で3000名規模の集会だ。今の制度の不備や問題点をアピール陳情しようということだ。当然私も参加しなければと考えている。家族会にも同行してもらうしかない。事業所だけが陳情しても一向にらちがあかないからだ。障害者自身の人権の問題に発展する様相がでてきた。そりゃーそうだわな。障害程度の判定結果によっては今利用されている施設を出なければならなくなるからだ。国の試算ではかなりの割合の人が対象になるという。その人達をどう受け止めるのかというところまでは責任を持たない。自棄に冷たいじゃないか!程度認定そのものにも不満が噴出、身体的ハンデイを重視するようなシステムになっているからだ。体が元気で暴れ回る利用者には判定が軽く出る。介護保険の導入時期に痴呆度合いが軽く見られたという問題に似ている。その辺の問題点を全国展開して変更見直しを陳情することになった。
 どうも、誰かがやってくれるだろう式の高見の見物ではまずいようだ。茨城県の場合も明日施設長会議がある、私からその辺の話をしなければならない。責任重大だ!
 

365:全国決起集会

6月6日、時あたかも梅雨に突入したかの不順な天気が続く、障害者福祉のビッグバンとまで言われ、関係者の関心が大いに高まる中で、前例にない準備時間が無く、行政初め事業所そして利用する人々を大混乱に巻き込んだ自立支援法が4月にスタートしたのである。国の思惑通りに事が進んだという批判が噴出、その具体的なる運動が日比谷公園において全国知的障害者関係者の大決起集会となったのである。当初は三千人規模と言われていたが、今日の情報だと六千人に膨らんだ。北海道の関係者は飛行機をチャーターして東京に集結するという。毎日のように本部からの指示が県支部にFAXで入っている。それをどのように県下の関係者に周知徹底するか!正直参った。誰かがやらねばと、自分を叱咤激励、しかしながら、二足のわらじを履く身故に肝心かなめの日には法事が入る始末。
 さてと、どうなるか?マスコミに働きかけてアピールしようと意気込んでいる。
 今時、筵旗を揚げるわけにはいかないが、何か一般の人々に感じてもらいたい。
 実は障害者福祉の現状は大変難しい。障害種別によってそれぞれの団体があり、個々に活動してきた。三つの障害(精神:身体:知的)を一元化する今回の法律が,蓋をあけたらこの始末。利用者本人と家族によってまた微妙に要求するものが異なる。これを一本化する事自体意味があるのだろうか?原則は利用者の人権を守ること。どこまでどのようにというより具体的な模索が今後続けられる。しかし、忘れてならないのは机上の計画ではなく、今まさに生きている人たちの現実の問題なのだ!
 国は膨大な債務があり、全てを税金で賄うことを捨て、サービスを受ける側の自己負担を増やす方向に転換した。福祉も金次第の世の中なのか!しかし、サービス提供する事業所にとっては全体の収入の目減りは相当な金額で死活問題だ、これからどう運営すれば良いのか?福祉サービスには経営は二の次という変なイメージがある。しかしだ。介護保険で全国展開している(株)コムスンではないが、ソロバン片手にサービスを売る商売というイメージも確実に育っている。障害者はその流れにどうもしっくり行かなくてゆっくりしている。
 私はそこにこの仕事の醍醐味を今まで感じてきた。これからもこれは拘っていきたい。
 昔見た「みょうが村 見聞記」 あの世界は、最近の事件報道ばかりの日本社会にとって
真の人間味ある触れあいが残る世界。生きること社会とはどうあるべきかを考えさせてくれる。
 いまこそ、踏ん張らねば・・・・・・・

366:ゆうあいスポーツ大会

沖縄が梅雨いり、今年は五月晴れがない。これも全世界的な異常気象の現象か?
恒例の第8回ゆうあいスポーツ大会が笠松運動公園をメイン会場に水戸周辺で6会場にて開催された。昨日から準備に入る実行委員のメンバーは泊まり込みである。朝、会場に着くと既に何カ所かの施設の人たちがテントにいた。こりゃーできそうもねーな!一瞬9年前の全国大会茨城の時を思い出す。あの時は前日に大洗の民宿に泊まり込んでいた。今回よりひどく台風の直撃だった。
 今、茨城県独自のスポーツ大会となり、毎年開催され、全国大会の選手の選考も兼ねて、参加者も多くなった。橋本知事も第1回目から参加してくれているし多くの来賓も来てくれる。今回は雨と風、外の競技は開催が危うい。そこで何度も実行委員の打ち合わせを行い、参加者はギリギリまでバスで待機してもらう。テントの中での開会式、途中、音響設備も漏電してしまい、ハンドマイクでの競技進行、防災訓練さながらの様相。
しかし、参加者のパワーが凄い。雨になっても音楽がなり始めるとカッパをきて集まってきて踊り始める。参加メダルを全員がもらい、早めに競技を行って終了した。後で聞いたのだが、ソフトボールは午前中待機して午後雨があがってから競技をしたと聞いた。団体競技は大変、今年の全国大会は神戸だが、関東大会で予選を突破しないと行けない。だから、雨の中を2時間も待機して試合を行った。
 

367:今・・現場では

最近、急に歳を感じます。体力が落ちたこともあるでしょう。それに問題への処理能力が落ちたな!毎日のように出て歩いています。これも根本には自己責任、調子にのって引き受ける性分が災いしている。自分で承知しているからタチが悪い。さてと、今福祉の現場は大変だ!何がといったって全部だな。
 じっくり腰を据えて取り組めない、戦々恐々としてこれからどうするのか?と皆が皆うろたえているといった感じだ。今回の法の改正はその辺を見込んでいたのだろうか。誰が得した改革なのか。諸手を挙げて一番早く賛成した某団体などは中央と地方の温度差がここにきて顕著となり、たじたじだ。我々の業界の本部も実情はご多分に漏れず大変だ。毎日のようにFAXでの連絡が支部事務局に入っている。情報化社会となって、処理能力以上の情報が山積している状況だ。情報を流さないと文句がくるからどんどん流す。受けた方はただ、積んどくだけ、何を会員に知らせれば良いのか判断に迷う毎日だ。
 更に、今回の改正の根本には財政問題があるから、必要な財源をどこから捻出するのかという、国レベルでの課題が残されている。福祉目的税という形での消費税アップ論議、果たして自民党は踏み切ることができるのか。いずれにしても今の社会保障を落とさずに堅持するには何らかの方策が不可欠だ。国民的合意の元にそれが可能か否か。
 県:市町村レベルでの混乱もこれまた凄いようだ。担当者はてんてこまいの状況とか。
 私は今こそ冷静になるべきだと思っている。何が必要で何をやめるか?今まで尚恵学園は右肩上がりの経営を幸いにも出来たと思っている。それが3年前ぐらいから総収入が前年度比マイナスという傾向がでてきている。新たな事業を実施してもその穴を埋めるに至ってはいない。しかし、確実に利用される方は増加しているのだ。広く浅くという利用する側の変化、これをどのように受け止めて今後の経営に生かすか!
 そのような時に「はらたいら」ではないのだが男の更年期に突入したような状況。あくまでも自己診断。いかに上手くつき合っていくか、また、新たな課題とのとっくみあいが始まった。修行が足らないんだよとどこからか声がした。

368:悲劇が起こった・・怒り・・

369:みんな 病気だ!

NO:368は全国決起集会で紹介された新聞記事である。これだってほんの一部だろう。あの日は驚いた。国会開会中というのに次から次へ議員の先生方が会場に来た。進行係もタジタジだった。控え室には次から次へ登壇する先生方を順番に待って頂き、挨拶を頂戴する。これってどうなのかな?
 日比谷野外堂は厚生労働省の道を隔てた隣、窓から様子を伺っているふしもない。感心が無いのか。
さてと、今、施設長がかなりの数体調を崩している。私の身近でもそうなのだから、全国では相当数に登るはずだ。「不眠、不安、焦燥感、いらだち・・・・・」などの症状を訴えている。それもそうだよ。3月から5月にかけての決算時期に国から次から次と示される新法の中身、決算と予算同時並行で見切り発車、4月は費用の請求をしてもボツになる始末。パニック状態だった。
 事業所がこの状態だから、多分、利用者にとってはこれ以上の不安な状況があっただろう。そのような時期の上の2件の事件の報道。全くやり切れないむなしさと無力感を感じた。全国の施設長は50代〜60代の人が多い。
当に、体力的にも以前の元気はなく、この変化に心身ともに付いていけない。だから不調を訴える仲間が急に増えた。
 どうすれば良いのか?今の時点での妙案はない。それよりも誰もが自分自身の事で精一杯だ。
折り悪く、今日先月亡くなった利用者さんの家族が荷物を取りにきた。無理を言って福祉事務所にもたちあってもらった。30数年お預かりし、その間に貯まった年金をそのまま家族に引き渡した。
 

370:県との定例会

15日に県庁13階会議室において、我が心身協の役員16名と県障害福祉課4名の協議会を開催した。
私の会長としてのテーマは行政と事業所が連携を持ちながら情報を共有し、何が県民福祉に欠けているかを定期的に検討する場を持つということである。
 その第1回の会議が皆さんの出席をみて内容がある意見交換が出来たと思っている。お決まりの行政説明だけでは今の時代すまされない。今回の自立支援法がスタートして、もう既に様々な問題点が出ている。個別の対応では無理なことばかり、それじゃどうする?心身協加盟140有余の施設が一致協力すればすばらしいサービスの仕組みが出来るはずだ。以前から、そのことを構想にもっていた。今回、自己満足に決して終わらせてはならない。次なるステップへ進むための踏み台とするべきだ。
 県は微妙な立場に今置かれている。三位一体論議の中から、市町村への金や事業の流れが一層進んだ。
県の役割ってなんなのか?疑心暗鬼になっている職員もいるようだ。その点我々事業所も同じ。今後どのように事業を展開すれば良いのか?皆目わからない。そこで今回の情報交換の場を生かそうという考えで上手いこと考えが一致した。