源究4545

 

弘法大師
NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
495 母との別れ 1/14 500 八尾検証第2弾 1/19 505 県との協議 1/26
496 迷惑メール 1/15 501 鐘楼への想い 1/20 506 トシちゃん13回忌 1/28
497 自立のリスク 1/16 502 納豆の反撃 1/21 507 トンボ返り 1/29
498 今 僧侶として 1/17 503 救急車 1/22 508 公平性 1/30
499 八尾の事件 1/18 504 事業主体 1/24 509 缶つぶし 1/31

495:母との別れ

Nさんのお母さんが昨日亡くなった。叔父さんからの連絡があって直ぐに本人に知らせた。病院に入り、経過が思わしくなく、暫くICUに入っていた。その間Nさんをお母さんに会わせたいというスタッフの希望で病院へ連れていった。今年の冬休みは『お母さんからだよ』ということにして叔母さんが代筆したハガキを渡され、しっかりと握って仲間が帰ってしまった寮で留守番をしていた。そして、死亡という知らせが届いた。私はメンバーさんと家族との別れを今までに随分見てきた。残していく我が子への親としての自責の念、それに後のことを託していく家族への言い知れぬ想い。Nさんに取って当然のことながらお母さんの存在は大きかった。失った悲しみを上手く受け止めてくれるだろうか?これから帰省の時期になると必ず起こるであろう不安、決してそうじゃないのだが家族から見捨てられたと思うのだろう。だからといって家族の代わりは我々には決してできない。今日の通夜は家族の希望で私が経を読むことになった。今、迎えの車が来るまでの時間を割いてこの文を書いている。いつものことだがいろいろな思いが次から次に浮かんできて声が出なくなるかもしれない。彼は養護学校を卒業して直ぐに私どものメンバーになったからもう25年以上が経った。彼が16歳の時だ。自宅で過ごした年月より遙かに学園生活が長い。それだからこそ彼にとって家族と一緒に過ごす時間が大切なのだ。叔父さんが話していた「義妹は最後までこの子のことを心配して逝きました」
 入所施設を非難する人達が以前としていることは事実、体が弱かった両親が考え抜いて入所を決めた、入所間もない頃は納得しない本人はいろいろな行動で我々を悩ませた。それは彼の渾身の訴えであるから辛かった。それでも徐々に学園の生活に慣れ、帰省から戻ると次の帰省を待ち望むことで自分の感情を抑えてきたのだ。それがこれからは難しくなるだろう。彼にとっての大きな試練になる。このような状況を国は知っているのだろうか?メンバー達がこころの支えである家族と触れあう帰省を今回の法改正で出来難くくなった。怒りは我々以上に実はメンバー達に大きい。(帰省期間中の費用はカットされるため事業所は人件費などの経費が払えない事態となり、已むを得ず帰省期間を従来の半分以下に抑えた事業所が増えた)
 日本の福祉の制度が包装紙(形や上辺)ばかりに拘るという批判実態はここに見えてくる。”理屈”や”合理性”が目立つ社会は本当に弱者に冷たい、そして保身や出世にばかり関心が向く人達が中心に居座る国は滅びるだろう。そろそろ通夜の迎えの時間だ。

496:迷惑メール

パソコンを利用されている方達は全世界にどの位いるのでしょうか?私もその1人、職場と寺と個人とで三台使っているから、多いのでしょうかねー。分かりません。実は今困っているのですが、どなたか良い智恵をお貸しいただけませんか。迷惑メールが多くて困っています。それも、英語で書かれたヤツがやたらと多くなってしまって、以前として怪しい名前のメールは入って来ますが、これなど直ぐに分かりますから消去できるのです。でも、最初の頃、英語のメールは辞書で調べていたんですよ。笑われますよ、今考えてみれば。そこで迷惑メールを駆除してもらおうと思って調べたら一件に付き一ヶ月?円というんです。単純に計算してもインターネットのレンタル料金より高くなるので止めました。世の中には余程の暇人がいらっしゃるようで、どんどん新たなメールを送りつけてくるんですね。あれに引っかかる人がいるんでしょか?一度送って来る人に聞いてみようかな!馬鹿な事やるからまた迷惑メールのターゲットになるんだよと怒られる。アドレスを変えるのも癪だし、しばらくは根比べと行くかー。それに一つ不思議なのは私が知っている人の名前に似ている送り手が出てくるんですが、あれはどっかで見ているのでしょうかー?こんな事に煩わされていると嘆く私が一番暇人なんかな?何がなんだか分からない。
 今時、パソコンも携帯もやらない人は貴重ですね。秘書が付いていて対応するような偉い(?)方なら別ですが。昨日のテレビでの話思い出しました。北朝鮮に話し合い外交ということで行かれた山崎せんせいが帰国後、直ぐに小泉前首相に連絡入れたんですか?という問いかけに「していない」と言ってました。司会者が「携帯番号知っているんでしょう?」と更につっこむと「知っているけど、出ないんですよ。。。。」あの人達は携帯は秘書に持たせてあるんですかね?疑問が深まりました。それから電話外交というものがあるそうで、ブッシュさんと小泉さんが電話でどうやって話しているんですかね????だって小泉さんの英語での挨拶を聞いていたら「プレスリー  ムニャムニャ」とか言ってギターを弾く真似してそれで終わりだったですよ。どこまでジョークなのか真面目なのか外交ってもんはそんなもんなんですか?迷惑メールの話が外交問題にまで発展、格調が高いのか低いのか何がなんだか分からなくなり申した。 暇人の独り言。

497:自立のリスク

5時から会合があって、車で向かっていると携帯電話、「厄介な事が起こったので直ぐ帰って来て欲しい」。何があったのか一瞬身構えた。しかし最近は大分慣らされた。GH利用者の1人が以前勤めていた会社を訴えたという内容、県の労働局から手紙が来て緊急に対応する必要があるからということだった。正直、彼の対応はお手上げ状態、彼の自由気儘な動きに付いていけない。後手後手の対応でいままでどうにかやってきた。「またかー!」GHを利用されるクラスになれば携帯を自分で持っている。職場も自分で見つけてくる。住み込みの仕事などどうな風に見つけてくるのか不思議でしようがない。それでも1ヶ月ももたずに辞めてしまう。そして必ず職場でトラブルを起こしてくるのだ。その対応は警察や労働基準局などからの通報で知らされるという状況だ。実際に今の制度ではこのようなメンバーを受け入れる事業所がない。どうしようもなく泣き付かれて受け入れたケースが結構ある。「無理して受け入れることないでしょう」「家族はどうなんですか」など様々な意見がでる。しかし、彼には連絡できる身内がいない。当然彼が信頼して相談できる人もいないのだ。我々がその役ができるか?正直難しい。彼の38年の生活経験の中ですでに出来上がってしまった事が強すぎる。ここのところどういう訳か警察との関係が多くなった。支援する側で一番難しいのは彼のようなボーダーの人達だ。彼らは自分の意志ははっきりしている。働きたい、良い給与をもらいたい。遊びたい、・・・でも実際に職業人として備えるべき条件はクリアーしていない。このギャップを自分で理解できていないから、余計問題が大きくなり、それを説得させるのに大変な労力を要する。就労支援をしているスタッフは毎日のように職場との調整に時間が取られている。一般就労している場合は待ったがきかないから即対応するしかない。夜中も公休もない。実はこの辺の支援の実態が軽く見られている節がある。自分の事は自分である程度できるということで現行の障害程度の判定は軽く見られ、実際の必要な支援量を殆ど評価されていない。何故なのか?権利擁護や個人情報保護の規制の中で制度からはみ出してしまう事態に対応する具体的実践が実に難しい世の中になった。
 地域生活することは当然それに伴う様々なリスクが増える。職場開拓にしてもしかり、障害者雇用助成金は有期限、だから期間が過ぎれば会社を首になるケースが多い。上辺だけの仕組みと言わざるを得なく、お粗末極まりない。
 本当は今頃新年会で美味しいご馳走を食べているはずだったのだが、まー良いか。
 

498:今 僧侶として

NHKのこころの時代にて宗教哲学の島根大学松塚氏が「虚無からの脱出」というテーマで話されていた。虚無とは自己欺瞞であるという、虚無の無と仏教の空の無とはどう違うのか?寝ぼけていたので聞いていて何がどうなっているのか分からなくなった。唯一心に残った言葉があった。跳び箱を跳ぼうとして大けがをし下半身不随の障害を持ったという方の話をされた。「生命が一番大事だと思っていた時は生きることが辛かった。生命より大切なものを知った時生きるのが楽しくなった。」ここに何かを感じる。生命は必ず終わりがある。宗教は天国・浄土という呼び方はどうでも良いのだがあの世の世界を創って絶対の人間の死の悲しみを乗り越えようとした。それはこの世が生きるに価値があって愛おしいという幻想があるからかもしれない。今、自ら死を選ぶ人が日本だけでも3万人を超える。何故なのだろう。あの世に救いを求め急いで逝ったのだろうか?私はそうじゃないと思う。小学生という若い子供達がそこまで決心できるのだろうか?生命より大切なものを知ったというその方は何を見つけたのだろう?仕事上、私は多くの障害を持つ人々との繋がりが多い、それぞれが千差万別、障害になったことを未だ受け止めることが出来ずに親を恨んだり、自分の運命を悲観している多くの人を知っている。この背景は今大きな問題となっている「いじめ」にも通じるように感じている。こんな事をいつも考えているものだから、自分自身が何もできないという不甲斐なさを感じて悶々とする。人間は自分が実際に体験したことが一番相手に感動を与えられる。正直私の場合は自分自身が障害を持ったということではなく支援者としての立場があるだけ。これは如何ともしがたい事実だ。そのような時、3年間勤めた県の布教師会の研修担当に鴨崎師を講師に呼んでお話を聞くという企画をした。師は在家の方で仏縁により発心し托鉢行によりゼロからお寺をつくった方である。師は教誨師としての長年の実績がある。実際、罪を犯した人達が更正のために刑務所という特殊な場所での生活をされている方が非常に多い。私は知り合いの弁護士から受刑者の中に知的に障害を持った方が相当数いるという事を聞いている。その人達は直ぐにでも出所できるのに施設が受け入れてくれないとこぼされた。我々だって一つ歯車が狂えば塀の中に入る可能性はある。その時になって悔い改めるということよりも、今、何ができるのかを坊さん同士で自由に話す場を2月19日につくば市で行うことにした。これを読んで関心を持たれた方は連絡して下さい。

499:八尾市の事件

17日〜18日と横浜において全国生活支援部会の研修会があった。丁度全体研修を行っていた午後の2時ごろ痛ましい事件が大阪の八尾市で起こっていた。41歳の男性が通りすがりの3歳の男の子を抱えて歩道橋より6メートル下の道路に突き落としたのだ。幸い命は取り留めたようだがその子は重傷を負ったという報道があった。私は2日目の研修では触法問題の分科会に関心があった。当にその事が現実として起こったわけで、当然研修会では大きな騒ぎとなった。参加者の誰もが他人事ではないと思ったに違いない。詳細な事実は分からないが、報道された断片から憶測すれば、多分、事業所(障害者通所施設)の理事長は当人を受け入れるにあたっては福祉事務所と念入りな話し合いをもったに違いない。過去に犯罪歴があるということは当然事業所側に知らされていたはずだし受け入れは慎重にになる。大半の事業所は受け入れを躊躇するだろう。人権擁護と予防拘束という表裏一体の問題が常に話題になる。特に今の時代は障害者が地域で生活すべきだという潮流の中にあるから尚更だ。多分、今回の事業所はどこでも受け入れてくれない当人の事を善意の気持ちから受け入れたに違いない。そのことは同業者として賞賛に値すると思う。一方被害者の父親のコメントが紹介されていた。どうして自分の子供が見ず知らずの男に橋の上から投げ落とされなければならないのか!怒りを越え茫然自失していた。これだって至極当然なことだ。私は機会ある毎に地域移行のリスクを話してきた。その危惧の一つがこの事件だとも言える。
 作業の一環でクッキーを作り、そのクッキーを町の中で販売している。これと同様の事は全国の多くの施設で実際に行われている。今回は何がどうなったのか分からないが「いらいらして突き落とすのは誰でも良かった」という男の言い分、一般の人々にはどう考えても理解できないことだろうし障害者を危険視する傾向はより強まるだろう。私は今回の事件が他人事として捉えられない。今日夜開いた主任者会議の場でもこの出来事について私からスタッフに説明した。
 予測できない不意の事件はどこにでも起こりうる。まさに福祉の現場は毎日が気を緩めることが許されない。丁度研修会に大阪の弁護士さんがシンポジストとして参加していた。司会者から今回の事件について何かご意見はと振られたが「30分の持ち時間では話せない」ということで話されなかった。確かにこの事件が投げかけた問題と影響は計り知れない。もしかしたら今推進している自立支援法にも大きな楔をさすことになりかねない。人間の人権は命より重いのか。犯罪を繰り返す障害者が結構な数刑務所に入っているという辻川弁護士の本を買った。以前問題になった水戸パッケージ事件とは別の次元で大きな問題がある、今後我々は正面から今回の問題を検証し、実践の中で地域の人々の本当の理解を得る努力はしていかなければならないだろう。1日も早く怪我されたお子さんが元気に回復されることを祈るばかりである。

500:八尾検証第2弾

我が事として考えている。八尾市での出来事は決して有耶無耶にしてはならない。これから我々が事業を進めていく上で必ず直面する問題であるからだ。私の事業所にも実は似たような背景をもつ人がいる。実はこれが当たり前なことなのだろう。地域には多くの人達が自由に生活している。八尾の男は子供に異常な関心があったという。過去に何度か幼児連れ去り事件を起こし逮捕歴がある。現在の施設での彼の立場はリーダー的存在で仕事も良くやっていたと理事長が話していた。今回の直接の原因だったのかどうか?クッキーを街頭で売っていた時に職員とのちょっとしたトラブルがあったようだ。そして、突然通りすがりの3歳の子供を抱えて橋の上から放り投げた。この一連の動きの中で限られたスタッフで他の利用者の事も考えると未然に防ぐのは難しかったのではないだろうか。無責任と言われればそれまで、敢えて否定はできない。しかし、実態は当にこの状況があるのだ。今回の「障害者自立支援法」を「国家財政支援法」と皮肉った方がいた。問題はかなり深い。高等な理念を掲げたまでは良いがその場凌ぎの場当たり的中身が暴露されるたびに、どうしてこのような事を考えるのかという怒りが込み上げてくる。矛盾を矛盾で隠すような論法は通じない。今回の事件がそのことを一番示している。世の中への警鐘と受け止められないのか!様々な事件が時間と共に忘れさられ、また繰り返される。過去にも同様の事件はあった。その対応は当に問題の先送り、正直まだ犯罪を犯していない人で犯罪を犯す危険性が高い人は相当数いる。その人達をもし受け入れた場合、限られたスタッフの中で見落としがでるのは当然、分かっていてもどうしようもなく、ただただ何も起こさないで欲しいと祈るだけ。今、格差について問題にされることが多い。民主主義を標榜すれば自由と格差は当然の帰結として出てくる。私は別に左がかった政治信念をもっているのではない。政党など関係ない。特に日本の立法に関係する人達は実のところ大差ないことが分かったからだ。議員定数。報酬、議員特典など自ら改革しようとする人達はバッチを付けた偉い人達からは出てこない。表面的には反対だと言ってもテレビ放映がOFFになれば談笑を交わし握手をして別れる場面を何度か見させていただいた。これって同業者互助会???昨日横浜で2次会に向かうタクシーの中で話をしたことがあった。「いままで多くの議員さんにお願いして廻ったんですよ。それも皆さん地域の施設長さんの紹介でね。でも実際は動いてくれなかった。・・・でもね、中には自分の身内に障害をもっておられる議員さんもいるんだね。その人達は私らの話を理解してくれるんだね・・・・」あーこれだと直感した。やっぱり最後は人なんだと。選ぶ目がこちら側にあるか無いか。そして請願内容が本当に必要なことなのかどうか、私は今でも譲れないことがある。それは市場原理を悪用するようなサービス主体は滅びる運命にあると。八尾の事件は当事者(3歳の坊や:事業所:犯人)全てが被害者だという論理は通じないだろうか。

501:鐘楼への想い

観音寺境内に鐘楼堂を建てることになった。昔、有ったのかどうか、私の知る範囲では無かった。七堂伽藍を備えるには所詮無理なことは知っている。それでも私は鐘楼を建てることに何故か拘ってきた。既に梵鐘(口径三尺二寸)は富山の老子製作所で完成し、保管されている。そしてお堂は蜂谷設計事務所の設計により石塚工務店が自社工場で材料刻みが進んでいる。(経過)この三月には建て方が始まり五月には完成する見通しである。「諸行無常・・・・・・鐘の声」私は今日までずっと走ってきたような気がする。少し休んだらという声も聞こえないわけではない。だが一回立ち止まると走るのが嫌になるように思えてしようがないのだ。横浜の研修会場に葬儀ができたという当直の職員からのメールが入った。丁度二次会の会場にタクシーで到着した時だった。その方は定年で辞めて一年がたっていない。マラソンが好きで何度か練習で走っている時に私とすれ違った。まだ62歳、これからゆっくり自分の人生を楽しむ大事な時に自宅の炬燵で倒れ意識が戻ることなく3日後に逝ったという話だ。早速自宅に電話を入れる。後に残された奥さんが「どうしてこんな風になってしまったのでしょう。普段元気だったんですよ・・」突然の夫の死にどうしてよいのか分からない様子が電話の声で分かった。だれしも自分の死の瞬間を予測できないだろう。否、考えたくないというのが正直な想いだ。梵鐘の音には様々なメッセージをのせたい。その音を聞いた地域の人達が何かを感じ自分を見つめ直す瞬間が持てれば良い。
 私は地域に対する思いはいろいろだ。自立支援法でいう地域はどうも言葉だけが優先し、地域の実態は無視された概念の世界、私が生まれ育った神立は私にとって自分の成長を暖かく見守ってくれた地域、果たして新法でいう地域はメンバーさんにとっての育った地域に限定していない、要は施設から外に出しさえすれば目的達成。これじゃー正直意味がない。その肝心な所に明確な答えを持っていないから様々な疑問や不満が出ているのだ。法律を作っている人達が果たして自分の故郷という地域を持っているのかどうか怪しい。
 鐘楼の音を聞いて立ち止まり、自分を見つめ直すというのは・・・・・結局自らに問うていることだ。
 

502:納豆の反撃

新年早々に関西テレビの特別番組で納豆を食べると100%痩せるというものを放映、翌日からスーパーなど店舗での納豆が商品ケースから消えた。昔懐かしい買い占めにあったのです。それが今朝の新聞で番組製作会社のねつ造という。タウンミーテングでやらせが問題になったばかりなのに全く、公共の電波を使ってのねつ造とは、呆れて声が出ない。だがここだけの話です。私の家では正直あの番組の後、朝晩納豆漬けになりました。それも良くかき混ぜ20分放置した後でなければ食べてはいけないという暗黙のルールまで出来ていたのです。もう10日も続いていました。正直ねつ造の報道があってホットしました。私はそこまでやらなくても減量に成功し、今では30代当時の体重66キロ、しかし、・・・・・。内部告発になるのでここまでにしておきます。
 ところで吉本興業のコメントがまたふるっていました。テレビを見る側の責任ということです。番組の信憑性を見る側が自己責任で判断しなさいと。。。なんだかややこしい事になりそう、そして「納豆で痩せれば、水戸の人はみんな痩せているでしょう・・・・」茨城はいつもコケにされ不愉快だ。逆にノロウイルスでの蠣業者の被害は甚大だ。これもマスコミによる報道反響の大きさ。納豆の反撃というよりもグローバルな見方からして全世界的には今この時間に餓死する人達が相当いる。一方日本ではエステ業界の進展ぶりや痩せる食品CMのオンパレード、これがいつまでも続くと思うなという警鐘だ。先の梵鐘の音に「奢るなにっぽん」という想いを新たに付け加えたい。(追記:納豆の原料の大豆は大半が外国からの輸入)

503:救急車

携帯が鳴る。「今、GHのTさんがお風呂で倒れ意識がありません。救急車を呼びました」ちょうど食事しながら店で打ち合わせ中だった。状況は詳しく分からない。急いでGHへ向かった。既に本人は救急車に乗せられ、居合わせたスタッフが状況を聞かれているところ、搬送先が決まり、土浦協同病院救急センターへ。私も職員の車に便乗して向かう。日曜日でもあり、夜の7時頃であったが運ばれた病院は相当混んでいた。処置室に運ばれる。これはダメかもしれない。家族に連絡はしたろうか?血圧は普通だったようだが、赤い顔してたなー脳溢血かなー。風呂のお湯を飲んだのか?・・・・・次から次へ考えられる様々な事が浮かんでくる。週末は7つあるGHの内で4カ所は世話人がいないので本体施設のスタッフが入る。彼が倒れたGHで夕食をみんなで食べる時だった。彼は入浴中。スタッフがなかなか風呂から出てこないので気になり、ドア越しに耳を傾けるとウーウー唸る声が聞こえたという。鍵がかかっていたようだがドライバーで鍵を開け、浴槽でぐったりしていたTさんに気づいた。GHのメンバーに手助けしてもらい浴槽から彼をかつぎ上げ、救急車を呼んだ。本当に気づくのが少しでも遅れたら。。。。そんな事を考えながら待合室で待った。ドクターから呼ばれた。
 「CTや血液検査の結果は問題ありません。本人も今は自分の名前を言えますし、此方の指示に応じて体を動かせます。」「???どうして意識がなくなったのでしょうか?」「多分、血液検査でアルコールの反応が出ています。お酒を飲んでお風呂に入ったようですから急性アルコール中毒だと思います。今の点滴が終われば帰って大丈夫でしょう」「あーーそうだ。彼は晩酌が何よりの楽しみだ。今日は日本酒を飲んだという」回復室に行き本人に会う。職員が「Tさん理事長が心配してるから何か言ったら」と促す。Tさん真っ赤な顔してにやにや。「良かったなー。心配したんだぞー!」それには「ウイー」といって答えた。
 Tさんには内緒だが、正直、葬儀の段取りまで心配し先日のテレビ会見での八尾市の理事長さんの顔が浮かんだ。坊さん根性が出てしまうのも如何ともし難し。Tさんの酔っぱらった顔が祭壇の遺影にならなくて本当に良かった。本人の自己選択・意志の尊重って難しいんだよな。

504:事業主体

短気は損気、自分はいつもそう感じている。しかしだ、言うときは言うという意固地な所もある。自分が言ったことには責任を取る覚悟は常に持っている。決して逃げはしない。相手が逃げ腰だとか問題の先送りだと思えるともう我慢できなくなる。まことに始末が悪い男だ。どっちのDNAなのか、答えは明らか父方だ。親父は普段はにこにこしているが、いざへそが曲がると始末がわるい。テコでも動かない所があった。言葉の前に手が飛んできた。その時は反発だけを感じるが不思議なことに時が経つと自分がまずかったと思うようになっていた。いつの間にかその親父の年に今自分がなっている。
 そこで、事業主体という話にうつる。県との協議を毎日行っている。予算時期ということもあって、国の追加変更に対応すべく毎日が戦争のような状況がある。事業主体は行政か我々事業所なのか。答えは当然事業所であるべき。この違いが実は分からないのが行政漬けの人達だ、エリート官僚は実はその辺を了解していて欲しい。少なくとも言えば通じる、否、最初からNOではなく聞く耳は持っていて欲しい。公共事業や福祉は長い間、親方日の丸のぬるま湯に浸かっていた。その結果が自立できない業界体質を生んだ。そしてなんら解決手段がみつけることができない。行政はまだ良い、人事異動があるから、しかし我々事業所にはそれが望めない。予算が減った増えたで右往左往、みっともないことするなよ!よーく見ている人がいるんだなー。その意識があるか無いか、実は大きい。
 福祉の業界が今、ふらふらと方向定まらずの状況にあることが当に事業主体(責任)と成り切れない甘さだ。 やっとそのことに気付き始めたというのが実態。これから面白くなる。真価が問われる時代にやっとなった
 【独り言】
 <会長だめだめそんなところで燻っていてわ!こっちへ来てこっち。>
 <なんでそんなこと言うのよ!まったく だめだめ>
 <・・・・・・・・>
何がどうなって、どうしろと言うんだ! 発狂だ!煽てに載りやすい私は、所謂、茨城弁で言うところの”のぼせ” 若い頃から良く言われたんです実は。”住田は熱し易くて、冷め易いんだよ” ハッハーン。それは私の本質を知らない。ザマー見ろ。俺は冷めないんだよ。これぞと思えばスッポンみたいなオトコなのだ。
 

505:県との協議

恒例の知事を囲む会を23日〜24日大洗にて開催しました。施設長会議にお忙しい日程の中調整してくれる橋本知事には会員全員が感謝の気持ちでいます。この会も今回で25回目、我々が年2回知事さんを囲んで交流の場を持っています。多分、全国でも茨城ぐらいではないかと自負していることです。会員全員と膝を交えて話し合う知事さんや県の執行部の方達、至る所で笑いが絶えない場です。約4時間ですから、考えられないことです。なかなか行政の方達と意見の交換ができない中で多少お酒の力は借りてではあるのでしょうが、会員皆さんが自分達の困っていることや要望を交換できるとても貴重な会になっています。
 その中で我々心身協と早急に話しあうことができると翌日には連絡があり、協議を行う流れが出来ていると思っています。今回も障害福祉課との調整会を協会の役員と26日に行いました。午後の4時から役員13名が県庁13Fの会議室で県側は部長を含め担当4名と協議をしました。実に3時間半に及ぶ論議がなされました。我々事業所の率直な意見も出し、それに対する県の考え方、決して結論を出すというものではなく確認していく作業です。その中で児童通園施設代表のY施設長は涙声で現状を訴えてくれました。正直種別が異なると今回の新法によっての影響がどうなっているのか分からない所があります。18年度4月当初には定員50名が満杯であったのが19年の4月には卒園生があって17名になってしまう。職員の給与も払えない心配等々。
 実は私は在宅の団体の役員もやっています。在宅の人達は我々事業所には考えられないご苦労をされているのも事実、本来ならばその人達への手厚い手立てがあって然るべき、この辺の県全体の隅々に配慮された仕組みができれば一番良いことです。今、私は会長になってまだ1年が経ちませんが、施設の保護者会の連絡協議会を発足させたいと準備してこの4月にはどうにか全国施設保護者会(全施蓮)に加入できるまでになったと思います。既に兵庫県の由岐副会長には了解を取りました。次ぎに互助会を東京や埼玉と連携し、改正保険業法の煽りを受けて存続が危うくなったいばらき互助会(発足1年経過)を新たな団体に加入することで存続できることになりました。今、三障害の団体の会長連絡協議会を作りたいと準備していますが、何しろ障害者の組織は複雑でどこに声をかけて良いのか皆目分からない実態があります。しかし、これは作らなければならないと考えています。
 26日に障害福祉課と心身協の役員が意見交換を行いました。報告はこちら。

506:トシちゃん13回忌

昔のメンバーであるトシちゃんの13回忌が昨日観音寺において行われました。妹さん二人も結婚し、お父さんお母さんもとても幸せそうで本当に良かった。トシちゃんはとても元気な女の子だった。出身が北海道の根室、いつもニコニコして口をパクパクさせて「ねむろ・ねむろ」と話しかけてきた。そのトシちゃんが12年前に急に体調を崩し、入院、直ぐに元気になって退院できるものとおもっていたのに結局その病院で亡くなった。35歳だった。いつものことだがお経を読んでいると昔の事が浮かんで来て、声が詰まる。ご両親にとってお孫さん2人が増え、とても幸せそうだった。昔を想い出し、お話をさせていただいた。もう、お姉さんを先に失った悲しみは克服されているものと思っていたのは間違いだった。妹さんは涙いっぱい、トシちゃんの元気な頃の写真を祭壇に飾っておいたからだろうか? そうじゃないよなートシちゃん。それだけトシちゃんの家族にとってはトシちゃんの存在は大きかっただよ。トシちゃんもそのことは充分分かっていたんだと思う。だから、面会の後、ご両親が帰るとき玄関まで笑って見送れたんだよな。それってすごいよ。できないことだよな!今、観音寺の本堂には13名の亡くなったメンバーの遺影が飾ってある。私にとって実はそれが活力の源、励まされることが最近特に多くなった。もし、いま挫けたら彼らになんと言えば良いんだ!今、様々な人達が福祉の仕事をされるようになった。そのことはとても嬉しいことだと思う。でも、本当に純粋に彼らの事を考えて事業を興したのかと疑問をもつような人達も増えた。言葉では立派な事を言ったり、自分の事を誇ったり、逆に他の人達を非難してなんとも思わない人、。。。。スタンドプレイに目が余る輩などなど
 今日は3時に起き出し今この文を書いている。今から京都に向かう。ドイツから一時帰国した先輩に大阪の友人を交えて会食をするために、途中名古屋に立ち寄る。親父の実家のお墓にお線香をあげたくなった。

507:トンボ返り

朝1番の土浦5時20分発の電車で向かった。日曜日だったこともあり、東京は未だ混んではいなかった。名古屋まで「のぞみ」で行った。そこで降りたのは8時半頃、名鉄に乗り換え国府宮まで行き、そこからタクシーで石橋の全慶寺、本堂裏手に住田家の墓所がある。私のお祖父さんが眠っている。墓石に掘られた戒名を見て直ぐに分かった。明治41年9月26日、27歳、そうなんだ。親父が1歳の時に父親が亡くなった。そこに親父の原点があるんだ。短い経を読み手を合わせ、待って貰っていたタクシーにのり、また来た道を戻る。その運ちゃんが気さくに声をかけてきた。「お客さん定年前ぐらいですか?」妙な名古屋弁で話かけてきた。「私は去年定年で35年ハンドル握ってたんですがね、定年後、良いとこ2週間ですなー!何にもやること無くてなー。釣りやるとかゴルフやるなんて言ったってよー。相手がおるこっちゃしなー。だからね。給料減ってもかまわんからまたハンドル握ってますねん」「こうやってー知らない人と話すだけでもいいんですわー」一方的にしゃべる話しを聞いて駅で別れた。それから京都に向かう。約束の時間ぎりぎりに京都タワー前に着いた。50半ばを越えた男3人が久しぶりの再会、「さてどこに行こうか?」南禅寺前の豆腐料理を食べることになった。さすが京都、タクシーの運転手が落ち着いたとても雰囲気の良い店を案内してくれた。なにしろ約40年前に目白周辺を汚い格好して走ったり歩いたりした仲間だ。直ぐに打ち解けて本論、私が3時頃に戻らないとと前もって話して置いたからだけではない。日頃からメールなどで連絡は取り合っていたから即本題だ。話は今流行の個人情報保護法に触れるから未公開、別に構わないのだが、自称「作家」が1人いるからな。今、京都は観光客が戻って来ているという。確かに道を歩いている人が相当いた。京都駅も大混乱、景気が良くなったのかなー?3時32分の「のぞみ」で東京に向かい、土浦に着いたのが7時30分、今日一日がとても長く感じた。疲れたが心地良かった。久しぶりの自分の時間が持てた。

508:公平性

公平は英語でfairやjust である。また、一方の人や側に片寄らないimpartialとdisinterestedがあり、後者は私利私欲が無くて公平なこと。福祉の公平性を考えると実はとらえ方が微妙で難しい。最近の流れとして福祉の世界に市場原理という考え方が入ってきた。これにより公平という意味をかなり狭めてしまった。費用対効果という論理に適合しにくい分野に無理矢理入れようとしている。今回の新法の一番の間違いは障害程度が重い人により負担を多くしたことだ。一律1割負担という応益負担の考え方が馴染まないし、所詮収入の保障がない人達からも1割の負担を課すことがいかなるものか?これだって「公平性」をどう考えるかということだし、実態を見ていない連中が頭を絞って作ったものだから見当違いが多くある。
 さてと、昨日の国会討論を見ていて正直がっくりきたことがあった。胸にバッジをつけている人は同じだと再認識できた。某野党の党首が質問していたが、自らの不透明な会計処理を棚に置いてむしろ開き直って他党の同様の政治資金疑惑を批判していた。一般国民は誰だっておかしいと分かるはず、それが堂々と全国放送の国会中継の中で行われた。これも最新の情報だから参考まで、ドイツでの話、チュービンゲンという町の議員は殆どが無給だという。皆さん選挙で選ばれた人達だが弁護士あり、教員・会社員等々それぞれが仕事をもっているから会議は夜行われるという。それも支払われる費用は旅費程度だという。無給だから日本のような柵がない。国はそのような地方の議会制度の中で決められたことを具体化し立法化することに役割があるという考え。一方日本はどうか、最近近くの市での議員選挙があった。1人の議員にかかる1年の経費は膨大なものになることは誰も承知している。某議員に聞いたことがあった。その人が正直に話してくれた。選挙に金がかかるから取り戻そうとするんだと。昨日の国会中継でも相変わらず居眠りしている某政党の最高幹部の画面が出ていた。今の日本がここまで落ち込んだ大きな理由が実はここにある。利権絡みの政治の世界、自分の利にかなうために腰巾着みたいに動き回る官僚、この姿を見ていて半分以上の人が諦めている。それはGDPが世界第2位というアドバルーンに見とれて上ばかりを見ているからだ。どんどん障害者福祉が変な方向に向かっている。その事へのやるかたなき不満を昨日某施設長と食事しながら話した。彼は日本でも5本の指に入る古くて伝統ある施設、創設来の種別の施設を同じ定員規模(40名)で守っている3代目。彼が髪の毛を掻きむしりながら、「私は拘ってしまうんですよ。施設の本来の役割ってあるはずだし、でもねー。なんでも金金金!いろいろな人がいるからなー難しくなりましたね・・・・・」
 昼食を終えて園に戻るとUさんが一生懸命空き缶つぶしをやっていた。(表紙写真に掲載)

509:缶つぶし

たかが缶つぶし されど缶つぶし・・・・・・Uさんの仕事(表紙写真)。彼は決してこの仕事を他に渡さない。誰が声をかけても返事もしない。缶つぶしにひたすら集中する。メンバーさんが毎日自動販売機から自分達でお金を入れて飲んでいる。1週間で相当の数の空き缶が出る。それをいつも決まった場所に集め、缶つぶしの機械を取り出して始まるのだ。いつ頃からなのか定かではない。しかし、彼がこの作業を行っている時は誰も近づかない。何か異様な殺気を感じるからだ。メンバーさん達は良く弁えているから不思議だ。潰した缶は燃えないゴミの回収場所に一輪車で運ぶ。そこまでが彼の仕事なのだ。この一連の動きが出来上がったのは長年かかっている。障害者の自立を就労だけで捉える考え方は新法の最初の頃とは大分変わってきたことは認める。これだって我々が声を大きくして訴えてきた結果。今、私が早急に対応しなければならないと考えていることがある。それは、大阪八尾市での例の事件だ。一時マスコミで大きく取り上げられた。みのもんたの朝ズマ(6チャンネル)でも取り上げられた。最初は容疑者のYをこっぴどく非難していた。それは当然のことだとは思う。一般の人々の大半がそう思ったに違いない。作業所の理事長がYを受け入れた経緯や日頃の彼の動きについて憔悴しきった表情で話していた。No499とNo500で触れたように私は3歳の突き落とされた坊やが一番の被害者、そして容疑者Yと施設長もある意味では被害者だと正直思う。反社会的人間と言われる人達が何故そのようになったのか?この根本的な解決方法は未だ確率されていない。精神病院や医療少年院などに収容隔離されている人達は一部だ。日本の人口が1億2千万以上、割合からいって相当の数の人達が一般社会で生活している。誰しも被害者にはなりたくない。だから自分の近辺から遠ざけようとする。その一番の方法が隔離収容、今、その人達を更正させ地域に戻そうということになってきた。我々の知的障害者の入所施設は施設解体論者からすれば当に隔離収容非人間的扱いという一方的な批判。それに対して我々は長い間、声を荒げることなくささやかな抵抗をしてきた。この平行線を変えることは実は難しい。障害を自らが持っているか、障害を持つものが身内にいるかによっても違う。昨日厚労省の政策企画官の話を聞いた。社会保障を考える上でサービスの中身とそれに掛かる経費をどこから捻出するか、実はこれに尽きる。確かに国全体で将来の人口構成や国の財力を想定して計画することは難しい。でも話を聞いていて何か違和感を感じた。それは数字を追うことは仕方がないかもしれないが人間をどうみるかという基本的な論議が後回しにされていることにあると思った。それは就労一つにしても同じことなのだ。