源究48

   

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
542 はたらく 3/21 547 経営能力 3/26 平成19年度
543 徒然なるままに 3/22 548 施保連 3/27 552 気づき 4/1
544 なるようになる 3/23 549 万事が休す 3/29 553 50周年記念 4/2
545 東京雑感 3/24 550 腹立忍之介 3/30 554 「さぽーと」に思うこと 4/4
546 情報公開 3/25 551 a thousand winds 3/31 555 地域生活 4/6

542:はたらく

彼岸中日、彼は黙々と一輪車に大きめの石をシャベルで入れている。(上記写真)。もう何年になるだろう。知り合いの石屋さんに彼が就職したのは?観音寺霊園の墓地をY石材店にお願いした。社長自ら陣頭指揮、朝一番に小型ダンプに材料を満載してやって来た。見ていると彼は自分の仕事を弁えているように思える。大きな石は手で運び入れている。そして小石になった時にやおら平スコを取り出して一輪車に入れ始めた。昼食後、私がもう一度覗きにいくと、他の仕事師さんが昼休みで横になって休んでいるのに、彼はシャベルで何かをやっている。「お昼食べたの?」と声を掛けると「食べたよ」とだけ答え一向に手を休めない。それも自分から休まず進んでやっているようだ。
 彼との付き合いはもう長い。彼が養護学校小学部の頃からだからもう30年以上になるだろう。真面目なお父さんが亡くなったのはもう大分前、その頃からだったかな?彼が働くという気持ちが芽生えたのは。
 今、GHで生活している。バスを土浦駅で乗り継ぎ通っているのだ。雨が降っても風が吹いても殆ど休まない。病気をしないのだ。彼を受け入れてくれた石材店の社長が理解がある。そのことが彼の仕事に対する意欲を高めてくれているのも確か。
 彼の記憶力は凄い。昨日もそうだった。「なんで早く帰っちゃったのよ?」「??」「水戸でだよ」「??」 先日の本人部会の集まりだった。私は主催者として挨拶だけして早々に失礼した。その時のことを言っていた。本当に良く見ている。両手を合わせて「これがあったんだよ」と説明すると「うーん 坊さんか」とだけ、やけにあっさりしている。
 推測であるが、彼は午後の分科会で多分意気揚々と仲間の前で自分が石屋さんで働いていることを自慢したのではないだろうか!「おれーがんばってる。かあちゃん1人でたいへんだもん」とも言ったかもしれない。その事を見て貰いたかったのかもしれない?彼の言葉は幼稚である。しかし、彼の働く姿を見ていたら何も言えなくなる。
 働くという事は実はお金を得ること以上に人との繋がりや生きることへの励みになるものだ。
どうか、もし、自らの将来に悲観し、自死するようなことはやめて欲しい。彼岸の中日、今から法事に出かける。

543:徒然なるままに

私の1日で早朝が貴重である。まだ暗い中でパソコンに向かう。先ず自分のHPを開く、それからメール。返事を書いたり、源究コーナーに書き入れをする。昨日は彼岸の中日、いろいろな人が寺を訪れてきた。住職と話がしたいという人が二人、立ち話で失礼したが、皆さんそれぞれの思いを語って帰られた。問題の解決はできない。それでも話がしたいという事で来られたのだ。
 今朝の深夜便はカンボジアで541本の井戸を掘った、華厳宗の坊さんの話だった。日本で事業に失敗し、借金だけが残り、家族離散、身内が亡くなり、茫然自失、その時に縁があって東大寺にて出家得度、アンコールワットの取材でカンボジアに行った時に、戦後復興が未だなされていない現地で溜まり水を飲む子供たちの姿に安全な水が必要だと資金は日本での托鉢で集め、カンボジア各地で井戸を掘り始めたという。天平2年(730)に四天王寺に施薬院が建てられた、その当時の状況に現代の紛争地帯は同じなのかもしれない。多くの日本人が外国の地で地道に活動している。ネパール奥地の病院で単身で働いていた看護婦さんは今どうしているだろう。タイの貧民地区でVSを行っていた彼女は?施薬院も実は長くは続いていない、形骸化してしまったという。
 それは時の政治との関係が深いというのも皮肉だ。昔からだ、一般の人々にどれだけ身近な活動ができるかという大原則が重要だ。福祉事業は果たしてサービス業種として成り立つのだろうか?コムスンやニチイの全国展開・戦略を見ると何か違和感を感じる。年間1000名の新採用を取ると豪語したという現社長、その裏では年間500名が辞めている。福祉事業の魅力は先の坊さんの話ではないが、綺麗な水を飲む子供たちの笑顔が原動力。正直、介護事業での職員の処遇は決して褒められる状況でない。仕事の魅力を感ぜずに辞めていく人達、この罪は大きい。尚恵学園の今年の新採用は2名、私はこの時期いつも頭から離れないことがある。それは彼らが本当に尚恵学園で働く選択を間違っていなかったと感じてくれるだろうか?ということ。なんでもそうだが、職場の先輩から学ぶことも大きい、それが正直自信が持てない。何故か?これまた先ほどの坊さんではないが、自らが選んだ仕事という自覚が薄いのではないだろうか?そのような先輩の仕事ぶりを見ていて新しく採用になったスタッフがどう感じるか!
 私自身も常に心がけていることがある。利用者さんたちの笑顔が本心から出ているものかどうかという事。
 決して満足できる状況に無いということを、どうすればできるのか?これこそ、この仕事のスタートラインである。
 

544:なるようになる

「ちょっと話していいかな?」と声を掛けられた。彼は某入所施設の施設長、厨房職員の給与を下げたいと理事長と話をしていたら眠れなくなってしまったという。創設者の理事長が亡くなり3年ぐらい経つかな?今この時期になって給与見直しをされている施設は多い。現状の給与が決して高くはないと承知していても実態はその苦労が何を意味しているか。よーく分かる。
「住田さんのHPみていますよ。大分イライラしているみたいですね」ときた。「そうだよ、まったく」と答え、私の所はこの4月から調理は外部委託をすることになったと聞いて話はそれ以上進まなかった。
 ・・・・思うようにならないが成るようになる・・・・これは明言だ。確かに天命というか今更、年を感じるのはお恥ずかしい事なのだが誰か大いなるもの(神or仏etc)が私達をみているという思いだ。「お前は坊さんだもんな!」と言われればそれまで。「悩み多い坊さん」を自負している。一生悟れない。
 昨日は施設長の総会が水戸であった。無事?終わった。中には2時間以上かけて会議に出席する施設長もいる。果たして次ぎも来てくれるかな!感謝と懺悔。97名が集まってくれた。贔屓目かもしれないが、皆さんの目は真剣に見えた。本庁の課長も出席してくれた。他県ではどうだろうか?施設長会議に本庁課長がきてくれる。感謝と報恩。
 4月から今の立場を受けて1年になる。今日も東京での緊急会長会議、幸か不幸か、他県の会長との知り合いも増えた。電話を掛けてくれる。ありがたい。茨城県内部でいくら考えても新たな発想が浮かばない。全国施設保護者連絡会も兵庫県の副会長とのコンタクトもとれ、加入できる。その前に関東甲信越で代表者会議をしようと千葉からお誘いがかかり、5県で集まり26日に話合う。保護者会の代表2名と私も参加する。
 情報の共有は実はたいへんな仕事、心身協では私の代になってからHPを充実しようと事務局のKさんに発破をかけている。彼はその道では相当の能力を有している。会長だけが情報をもっていてはいけない。如何に会員にそれを知らしめるか!
 それにはHPを活用するのが一番。見る見ないは自己責任、少なくともそのように事務局には言ってある。
 時代の変化は如何ともし難い、いくらIT化が進んだとしても、福祉を支えるこころはIT化できない。その辺を熱く語り合いたいものだ。先に紹介した内田弘慈さんは自らを『愚拙坊』と親鸞の「愚禿」をコピーしている。しかし、彼のカンボジアでの実践は真似してできるものではない。マレーシアに渡った中澤先輩も時々連絡を取り合っているがもう3カ所の事業所を興した。お二人とも日本が嘗て犯した戦争罪を自らの意志で現地に居を構えて実践している。世界に認められる日本に成るためには一部の人達の努力だけでは無理だ。私の夢に、茨城の施設仲間が世界で何らかの実践ができないかということである。県の予算が減ったとかちょびっと増えたなどそんなことにあまり感心がない。悪しからず!
 

545:東京雑感

気温16度という春めいた中を浜松町より芝増上寺まで昼の散歩?。ちょうど昼休みで貿易センタービルなどから昼食に向かう人達が歩道いっぱいに溢れる。やはり東京のど真ん中だなー。上を見上げれば工事中のビルに何本ものクレーン、景気が上向いているということが納得、でもどうか?芝パークホテルで全国会長会議があるために少し早めについてしまい。ブラブラ。
 ホテルのレストランでコーヒーだけを注文したらカウンターの一番へりっこに座らされた。確かに昼時、何かを食べないとこんな仕打ち?。まー今日の天気に免じて怒らない。先ほど歩いてきた道路は浜松町の駅から芝大門までのメーン通り、そば屋さんの前とか牛丼店の前には行列、雑然としている。私は上野で食べてきたから素通り。
 ホテルのソファーに座って単行本を読んでいて気づいた。かなりの人数の外国人がたむろしている。どうも様子から伺うのにどこかに観光に行くような集団。それに紙袋をもって買い物をしてきた人達。どこに行ってきたのかな?秋葉原かな?デズニーランドか?言葉を聞いていると英語ではない。聞いたことがない言葉、人口予測によると日本人は減少するが、その分外国人が増えるからプラマイゼロとかという新聞記事を今朝読んだ。
 会議の中で出された意見だが、某県の会長、自分の施設では50名定員で職員は30名とか、今年1年で11名の職員が辞めたという。この補充に大変な苦労をしたと。だから協会として人材育成を強化してほしい。確か協会では「サポート」(機関誌)購読者を対象にした社会福祉士養成所を持っている。300名の定員、多分自費で受講する人達だと思う。事業所としては特別休暇等を出して支援しているところもある。だが、資格取得後、勤務を継続するという確約はない。
 全国の福祉系学校で入学希望者が20%減少しているという報告もあった。魅力が少ない職場なのか!
 先ほど活気溢れる人混みのなかを歩いてきた自分にとって何か異次元の話をしているなーという印象を持つ。しかし、これが現実。
 当然、会議の中心話題は財源確保、各県によって内容が異なる。私の隣席に座った方は福井県の会長、臨済宗の坊さん、坊さん同志が愚痴を言い合うのも他の出席者からみれば異次元?彼が盛んに感心を持ったのは『ふーん いい名前だ。ふーん いいな。どうしてこんな名前???」と名刺交換した私の名刺を見て盛んに頷く。彼は「元保」、歴史の年代のような名前ですね!とは言わなかった。
 私は直感した。どうも国は限られたパイの中で予算を動かしている。だから2年間などという期限を切って今回の特例交付金というお駄賃をあげる。これにたむろして予算の奪い合い。餓鬼道の世界か!坊さん根性が出るのも宗派は異なっても必然の結果。
 今本当に必要な事は何か?多分執行部は自分の施設などに構っておれない状況だろうな、会う度に体全体からお疲れの様子が一目瞭然。各県の会長に頭を下げる下げる。なんでそんなに気配りするのよ。やるだけやっているんだから自信持ってやればと感じた。事業所側と利用者側の関係がもう少し変わらなければならない。お互いが保身にばかり気が向いている。
26日には関東地区の保護者会の代表による第1回目の打ち合わせを東京で行う。茨城からは4名出席予定。兵庫のYさんが全国施設保護者連合会(副会長)に加入して欲しいと訴えた。しかし、育成会との調整も必要で相互に連携を保っていくことが必要と少しトーンダウンした声で付け加えた。障害福祉の土壌にはいつも種別や団体の柵が存在する。果たして別個に要望を通す手法をいつまでも続けていて良いのだろうか?(全国会長会議の報告に代えて)せめて茨城はトータルな施策を行って欲しいと訴えていくつもりだ。障害福祉の中に六道輪廻は似合わない。

546:情報公開

定刻になりましたので役員会を開催しまーす。
午後3時からの定例の役員会が少し雨が降り始めた頃行われた。理事長が議長になり、補正予算や次年度事業計画&予算、そして規約の一部改正など。関連しているので一括して説明を行う。
 特に大きな問題もなくスムーズに議事が進行し、お茶を入れ替え、自由討議になった。それがどこでどうなったのかウサギとカメのイソップ物語の話になった。「皆さんよーく知っておられる、あの話ですね。あれなんと言いましたっけ?・・・・そうそうイソップ物語でした。ウサギがカメを馬鹿にしましてね。競争しようということになりまして、あんまりカメがのろまなもんで、途中でウサギは居眠りしとったんですね。そしたらカメさんがノコノコ後からやってきましてな!結局ウサギは競争に負けてしもたんですわ」他の委員には何かシラケムードが漂いました。ご本人はもう自分の世界に酔いしれていますから話は止みません。「それが油断大敵というもんです。はい。」なんで今更という雰囲気が余計強まった。空の天気が気になり出す方もでてきたり。しかしです。これからがこの役員会のちょっと異質なところ。「インドでは」ときた。「インドでは皆さん、いいですか!ウサギがですね具合でも悪くて寝ているのかもしれんから、本来はカメがウサギを起こしてやるというのが道徳なんですとー」その時の反応、「あれーちょっと気になる話をしている」というムード。そこで他の委員が「あれは池でやればどうなでしょう?競争を」と。
正直、議長をやっていた私は困りました。情報公開NO1を目指す以上は、そうなんです、何を隠そうこれが我が法人の役員会でございます。議事録をどう纏めたら良いのやら。
 そんな時、こんな話が続きます。担当寮の責任者が同席しているので説明させたいというので「それじゃーどうぞ」という事になった。
地域生活が難しいと言う話を一つ、実は良く出る話、有る利用者さんがCDのレンタルショップで万引きしましてね、捕まってしまったんです。職員が店長から呼び出されましてね。「もう 絶対やんねー。ごめんなさーい」とスタッフと本人が平謝り、店長も心の広い方だったんです。「それじゃーこの次ぎから絶対にやらないでね!」ということで許して貰った。スタッフが本人の手を引いて店を出ようとした途端、「ブー」何とかという盗難防止の機械が鳴ったんです。一瞬ビックリしたのは本人ではなくて店長とスタッフ、「なんで、なんで???」そしたら本人がポケットより「もう一個あった。はい」と手渡したんです。これをウサギとカメの論争を途中で止められた委員はどう受け取ったのか、ちょと気になり横目で見たら、盛んに頷いておりました。諸法無我
追記:役員会への傍聴は一向に構いません。但し、個人情報保護法???条・・項は厳守願います。(理事長)

547:経営能力

有楽町駅の西口側には大きな書店がある。経営書コーナーには様々な本が並び、サラリーマンが立ち読みしている。所謂ノウハウものから創業者の経営理念的なものと本当に様々。今は勝ち組とか負け組という格差を強調しすぎる嫌いがある。本当の所は分からない。立志伝中の人の伝記などを読むと確かに普通の人の何倍も努力したという内容が必ずあるものだ。
 努力とは何と比較してなのか?ややもすると自分の物差しで測ることがある。これには実は大きな問題がある。職員の中には自分はこれだけ頑張っているのにという不満を言うものがいる。ここをどう評価し、どうマネージメントするか悩む。ドラッガーの書かれた本を何度も読み返した時期があった。友人が卒業記念にくれた本だから、35年前。今の時代にも基本的には変わらないと思う内容だ。ただし、違っていると言えば世の中が変わったということだろう。
 ベンチャー企業というものが一時流行ったことがある。所謂従来の創業概念とは全く違った発想で事業を興すこと。
 しかし、創業の理念がどうもイマイチ分かりにくい時代になった。それは何度も言うようだが「何の為に?」という原点が頼りない。昨日、ご夫婦で寺に来られた方が話していた。旦那さんは大分県出身で日田市の近くに生まれ、ゴルフ場開発の仕事の関係で全国を回ったという。短くて1ヶ月長くて2年とかゴルフ場の近くに居を構えての生活を続けてきたという。その方は第一線は退いたようで今最後の住処である、墓地を求めに来られたのである。つくづくと話していた「茨城県は本当に豊かな所だと思う」と。
 私は茨城生まれで育ちだからあまりそのように感じた事が無かった。我々が大分を想像すると先ず別府温泉それから高校野球の名門、津久見や日田農林。実際は県内で働く場がないという。山の中で道路も無く生活するには全く不便だとも。
 茨城県は北海道に次ぐ耕地面積を持っており、道路総延長距離では全国で2位という。つまり広大で豊かな土地を有している。また東京へ1時間で通勤できる利便性がある。
 福祉関係も実は茨城県は独特である。今、身体障害者と精神障害者の団体の全国会長が茨城の方、3障害で2障害の代表者だから凄い。だからといって茨城は福祉の先進県かというと誰1人そう思っている人はいない。こんな事があった、我々の事業は税金で賄われている。今年はその費用が更に1ヶ月遅れで支給されるということになり、全国的に大きな問題となり、国へ要望した。そして、特例措置として市町村がその分を前倒しで施設に支給するよう配慮がなされた。しかし、茨城は2ヶ月遅れの支給に対して何の反発も無かった。「どうせ、来年にはどこの県も同じになるのだもの、いいや」という事だった。
 先ほどのゴルフ場の話。今、大半のゴルフ場は外資系の投資会社が保有しており、茨城より南方面のゴルフ場は黒字経営だという。20カ所ぐらいのゴルフ場を纏めて経営する外資系企業は、価値が上がれば直ぐに売りに出る。その売買利益で相当の利益を上げるやり方だ。ベンチャー企業として急激に成長した企業は何か危ない橋を渡っているようにしか思えない。その張本人の日興コーデアル証券の経営危機はどうも奥が深いようだ。信用取引という暗黙のルールが既に遺物化している。
 経営の周囲環境がこのように大きく変わってきた中で舵取りすることは並大抵の精神ではできません。Never give up!                                    
 

548:施保連(しほれん)

施設保護者連絡協議会(しほれん)は各県とも主に入所施設の保護者会が連携を保つ為に作られている。正直茨城県は18年度に2回ほど勉強会を開催し、茨城版の連絡協議会を発足しようという賛同を得た。まだ執行部など細かな体制はできていない。今回は千葉県が発起人になり、関東地区に声が掛かり、関東地区で連絡協議会を作ろうという話が進んだ。26日は急な呼び掛けにもかかわらず群馬:埼玉:東京:神奈川:千葉そして茨城、(栃木:山梨は欠席)合計で16名の各県の代表者が集まった。組織化が済んでいないのは茨城と埼玉だけだった。茨城からは愛の家松井会長、尚恵学園吉川会長、事務局片岡、それに私が出席した。福祉協会として出席したのは私だけだった。実は4月に全国しほれんの大会が名古屋で開催することになっており、その前に関東地区だけで意志の統一を図ろうということになった次第。各県の代表者だけに1時半からスタートした会議は制限時間5時まで活発な意見が出た。各県の事情もあり、まだまだ意思統一するまでには無理があると感じた。しかし、各県の状況を知ったということと全国的な事業展開をしていかなければ間に合わないという事は皆さん一致した考えであった。何に間に合わないのか?悪法(障害者自立支援法)を変えさせるという目的。正直私も意見を述べた。それは下記の内容。
@全国組織を作ることに基本的には賛成
A入所施設利用者だけの保護者会の在り方に疑問を持つ、通所やデイの利用者も実は事業所にとっては同じ利用者。運動を展開する上で一部の利用者だけというスタンスでは一般受けしない。
B各県が一部の熱意有る人の努力に頼る状況では団体としての事業能力に限界がある。
C茨城県は知的と身体を合わせて心身協を社団化した経緯があって、県からの事務費助成も受け、互助会と併せて事務局体制は5名で行っている。その中で「しほれん」の事務局も受けるつもりである。施設との協力体制が不可欠と考える。
D全国しほれんへの要望に関しては、現状の活動の内容には不満があり(前回の熊本大会は出席は17県)、先ず、関東地区で組織化して全国に発信していくのが先決。
以上の意見を述べた。早速、茨城も具体的な組織化を進めなければならない。施設側が有る程度段取りを取って進めなければ保護者会だけに任せていては難しい。情報量や新法の理解度に格差が有りすぎるため。
 とにかく風雲急を告げるとでもいうのか俄に慌ただしくなった。
「感情で訴えるより、生のデータで訴えなければダメ」という意見を述べた方がいた。これは当に何にでも通じること。
職員の意欲や能力の評価と全く同じルール、実は従来の福祉はこの点が一番遅れている。「こころ」の重要度は充分わかる。 しかし、障害者福祉は少数派(全障害合わせても5%にすぎない)であるということを認識しなければ実際のところ社会を変えるうねりにはならない。この事は今までに嫌という程知らされてきた。
 今回出席してくれた茨城の両名の会長は熱意は人一倍有る方、ここからどれだけの広がりが出来るか?お邪魔でなければ私も協力させていただくことに異論はない。戦略はあくまでも共闘が基本である。(ちょっと固い報告になりました。)
 ・・・・辛い時でも 幸せなつもりで・・・・(今朝のNHKより。)

549:万事が休す

モーツワルトは35歳、シューベルトは31歳で亡くなっている。あれだけの作品を残した人にしては信じがたい。
 日本でも私が生まれた昭和25年当時は男性の平均寿命が五十代だった。人生五十年と言われた時代だ。しかし、今どうなっているかと言えば男性は78歳、女性は85歳にならんとする。世界一の平均寿命が高い日本である。三月は定年で仕事を辞める人が挨拶に来てくれたりする。今日もお一人来られた、もう充分やりましたから、これからは好きな山登りをやりますよ。あと五山登れば百名山踏破ですから楽しみです。やるだけやった人は何か退任の挨拶も清々しい。退職後オーストラリアやアジアの国に移り住む人達も結構増えている。先日、私の寺の檀家さんがやって来た。静岡の伊東に住居を変えようと思うんですという。墓地をどうしようかという相談、今すぐにどうということがないので暫く向こうで考えますと言って帰られた。長距離のトラックを運転していたが体調を崩し、定年前に退職して、伊東で好きな釣りでもやりながら夫婦で過ごすという。確実に生活パターンが変わった。お金が無くても生活をエンジョイすることが出来る時代になった。
 これも人生。羨ましい。
もし私だったらどうしたいのか?と自分に問うてみた。恥ずかしいことに全く浮かばないのである。50歳になった時、ひとつのピークを越したように思った。それからあっという間に7年が経とうとしている。早いものだ。
 皆さんはどうかな!そんなこと考える余裕がないと言われるかもしれない。
 正月休みが終わったと思っていたら今日は春休みで利用者さんが自分の家に帰っていった。毎回だが、帰省出来る人と学園で留守番する人、不条理だと思っているんだろうな。年に3回、喜びと悲しみの両極が見え隠れする。こうやって確実に彼らも年を取っていくのだ。
 実は今回、No549を書き換えた。前に書いた文は空しさだけが残り、後味がすこぶる良くなかった。つまらんことで腹を立てている自分がバカバカしくなったのが正直な今の気持ち。いろんな人がいていいじゃないか!
 そう思ったら何かむかついていたものが取れたように思えた。新年度がスタートする。万事が休すではなく、万事が活きている。そのような19年度でありたい。

550:腹立忍之介

本日より心機一転、スミタフクシ改め「腹立忍之介」(ハラダテニンノスケ)初代を襲名致しました。果たして有言実行?を自分の取り柄と考えやって参りましたが、どうも虚無感が残るばかり、これではイカンとこの1年ずーと夜寝ないで昼寝してがんばって参った所であります。結論としまして腹を横にして耐えることにしました。以後よろしく。
 このような挨拶を考えていましたら、やおら例の影武者がでてきました。
 「何アホな事、ほざいてやがるんだ。おめーに出来るわけ あんめー。」・・・「なんだとー!やるっていったら やるんだ。ふざけたこと云うのは おめーのほうだっぺー。このバカタレメが」・・・「ほうれ見てみろ。できやしねーんだよ。おめーには」
 人間はこの世での生きる時間の長短に関係なく、自分探しの人生旅である。
 昨日、有る立場にある方が退任挨拶にわざわざやって来られた。「住田さん 本当にお世話になりました。自分は五年間やりました。力不足を許して下さい」と言って俄に頭を下げられた。「今度は好きな山登りが出来ますね?」「そうなんですよ、屋久島と北海道のトムラウシ・・・・これだけ登れば百名山全て踏破ですよ」「私もトムラウシは登りました。池に映るトムラウシは幻想的でとても良かった・・・」このような話をして別れた。後ろ姿は五年前に水戸の料理屋で会った時と比べ正直、年を感じた。
しかし、どうだろうか。私はその方から多くを学んだ。私も例の調子で意見を言うものだから、ご一緒した会合で意見の食い違いにお互いがボルテージが上がったことが何度かあった。私の発言や質問に対して、執行部に答えさせるのだが、その回答に不満でいつでも「私が説明します・・・」と言って長々と持論を述べた。そのポストは、定期異動で変わる。今までに何人かの人と付き合わせていただいた。5〜6人代わっただろうか?その中でも印象が一番強かった。
 県庁三奇人と自ら称していた。確かにどこか違うと最初の印象で分かった。県の予算が一部の事業所に掛かり過ぎているという我々の意見を本気になって変えようとしてくれた。今、職員組合との裁判という置き土産ができた。
 私も共にたたかってきた関係で、後ろに引くつもりは全くない。要求の根拠と公平性は一部の人達の既得権を守る時代ではない。そのことが理解できない人が障害者福祉のサポートをすることに大きな疑問がある。
県負担の70%以上がその人たちへの人件費だったという事実は立派な証拠である。それに対する訴える人たちの科学的な根拠が見えない。裁判で戦う前から結果は見えている。仏教で言う「自利」と「利他」の教えは、その人たちにどう話をすれば理解されるのかわからない。裁判には呼ばれなくとも私は傍聴したい。
餓鬼道というものは、他の人が飢えで苦しんでいるのに、その人たちの食べ物まで奪って食べてしまう。これがゆるされる筈がない。多くの県民で支援を望む人へ予算がまわせず、その事業所だけで年間18億もの県税が使われていた。そのほんの一部でも在宅者へのサービスに充当できないものかという正当論で何度も話をしてきた。その結果、彼は七億を減らした。そして18億の負担が2年後には6億まで下げる道筋をたてた。残念至極なのは政治の理解無さである。県民の代表であるべき人たちがこの格差を見逃してきた。ざっと考えても創設来の負担は600億以上に登るはずだ。たかが四〇〇名の人たちを支援する事業所だけのために、この費用が県全体にもし使われていたら、どれだけのことができたことか。私の施設では200名の利用者である。それも県税の負担など民間には来ない。
 私は声を大にして訴えるものだから、ある時は利用され、ある時は煽てられ木に登り、降りようと思ったらハシゴがない。このような経験を何度したことか!
弱腰の執行部ではお互い同じ穴の狢、そこに第三者の目をいれようとした、その方が昨日で退職した。
それも改名しようなどという弱気をさそった一つの要因だと認めよう。
 少なくとも、行政に携わる人達、議員の方がその気概をもって去っていく方を理解してほしい。それが私ができるその方への餞別と感謝の気持ちである。
 一応、腹立忍之介襲名は保留しておきます。悪しからず。

551:a tthousand winds

I am a thousand winds
Do not stand at my grave and weep; I am not there . I do not sleep.
   I am a thousand winds that blow.
   I am the diamond glints on snow.   
   I am the sunlight on ripened grain.
    I am the gentle autumn's rain.
When you awaken in the morning's hush,
    I am the swift uplifting rush
     Of quiet birds in circled flight.
    I am the soft stars that shine at night.
     Do not stand at my grave and cry,
    I am not there,   I did not die.
                    * aurthor unknown(作者不明)
私のお墓の前で 泣かないでください
  そこに私はいません 眠ってなんかいません
    千の風に 千の風になって あの大きな空を 吹きわたっています
秋には光になって 畑にふりそそぎ 
  冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
  夜は星になって あなたを見守る
     私のお墓の前で 泣かないで下さい
       そこには私はいません 死んでなんかいません
   千の風に 千の風になって あの大きな空を 吹きわたっています
   千の風に 千の風になって あの大きな空を 吹きわたっています
    あの 大きな空を 吹きわたっています   *日本語詩 荒井満
                  
あるお葬式で、エレクトーンの生演奏が最後のお別れの時に流された。
私は何の曲なのか分からなくて斎場の係の方に尋ねた。「今 流行っていますよね。(千の風になって)という曲です。故人が好きだったみたいです」と。それからその曲の事が頭の片隅にあった。
 昨日だった。某法人の役員会にまだ時間があって、CD屋さんに立ち寄った。時間潰し。帰ろうと思った時、本当に偶然「千の風になって」新井 満というCDに目が止まった。あっつ あの時の曲、そう思って手に取った。それから本のコーナーに移った。 本棚を何気なくCDを持ちながら見ていると、これもまた偶然に荒井満監修:佐保美恵子著者による「千の風にいやされて」講談社に目がいった。
 買い求め土浦さくらインターより東京方面の高速に乗る。CDをかけながら暫く運転。荒井満の歌う曲、それから演奏だけ、そしてオリジナル版と歌詞の朗読と一曲をそれぞれ違った形で録音されていた。涙がどうしようもなく流れ始めた。分かりやすい節なので口ずさむ。でも、どうしても声が出なくなった。サービスエリアに車を止め、座席を横にして聞き始めた。
 何故なのか。買い求めた本には・・・・・あとに残された人々は 悲しみをどうのりこえたか・・・・という添え書きがあった。
11名の方がこの曲&詩にであって、大切な人との別れの悲しみや空虚さが癒されたという体験がレポートされている。私は正直ショックを受けた。人間の死をどう捉え、残された人々の事を思い僧侶として葬儀の席に臨んだろうか?
感想を述べている全ての方たちがこの詩と出会って死生観が変わり、亡くなった人が決して遠くに行ったのではなく、いつでも風や光、雪、鳥の声そして星になって見守ってくれていると感じたという。そして、亡くなった人の分まで生きようと勇気をもらったともいう。
 

552:気づき

私と彼女との歴史!もう30年以上も続いている。彼女は今でも充分若い、でも私が20代の頃かなー。良く彼女とぶつかった。「どうして分かんないのー。怪我したら痛いでしょう。こんな怪我してまで どうして止めないんだよ。。。。」彼女が窓カラスを頭で割り事務室に入ろうとした時、頭からガラス破片で切った血が流れていた。後で考えると彼女が欲しかったものが事務所の中に窓越しに見えたようだった。
 それから何年経っただろう。彼女は今、私が事務所に入る前に来て、事務所前で座って待っている。誰かが来るのを待ちかまえているようだ。「おはよう」と声を掛けると「お・は・よ」と返事してくれる。
 そして「こうーこく。こーこく」「かぎー。かぎー」と言う。
 事務所の鍵を開けると直ぐに今朝の新聞の所に行く。その時に携帯カメラで写させていただいた。(上記)
彼女の目的は、新聞広告の中でお肉が載っている広告だけ。それを手際良く探すのだ。今ではパニックを起こす回数は大分減ったように思う。しかし、突如として怒り出すことは無くならない。
 先日、神立駅前の食堂に入る彼女の後ろ姿を見受けた。母親と一緒に帰省する日だ。お母さんも30年で大分変わった。彼女を受け入れるようになった。「一緒にお昼たべねーと怒るから」と私が大変だねーと声を掛けたときに笑って答えてくれた。大工さんのお父さんが亡くなって随分たつ。
 実は、昨日社会福祉士会の総会があった。会長さんには我々の事業に協力してもらっているので、お礼を言うつもりで初めて参加してみた。いつも我々が総会で使う部屋に参加者18名がポツリポツリ座っていた。「何人参加するんですか」と尋ねたが受付の人は、はっきり答えなかった。350名位の会員数だというのは後で分かる。それも加入者としては県全体で28%だという。このことだけで執行部のご苦労が想像できた。今、社団法人化を進めているという報告もあった。私は心身協を社団化するときに申請書を作るのに大分苦労したのでその事を質問した。ある執行部の方から、、一部の人が努力していることが現状で全国で13支部が社団になっており、茨城としても長年の願いだと説明された。
 今年度のスタートの日にあたり、正直やるべき事が未整理の状態で次々に浮かぶ。どこまで、できるやら。
『千の風になって』をBGMにした。

553:50周年記念

尚恵学園が昭和31年創立ということは昨年が50周年記念だった。正直忘れた。否、最初から、かしこばった式典などやるつもりはありませんでした。議員の先生やお役所のお偉方をお呼びしてお祝いをすることもよろしいのかもしれません。しかし、日頃から反旗を翻す自分には合いません。もし、私達と招待する方もお互いに本心から喜べる時代になれば、それは別の話でしょう。でも、きれい事の祝辞をいくら述べられても何にも嬉しいことなどありません。励みになると言うよりも空しさだけが残るのは私だけかもしれません。ですから、忘れたというより正直、静かに平成18年度が過ぎていくのを待っていました。
 今日は19年度のスタートの日、本当は昨日なのでしたが日曜日だったんです。でも気になって2回ほど学園を覗きに行きました。調理の外部委託の初日ですからね。案の定、夜、主任から電話がありました。「慣れないから調理が大変みたいです。慣れるまで職員が手伝って良いですか?」「いいよ、やってあげて下さい」「分かりました」それで終わり。
 私は思うのです。これだけ日本で多くの事業主体が出てくると福祉が何がなんだか訳が分からない。世間の評価は実態が分かりませんから、表に出た現象だけで信じる傾向を否めません。だからどこかでなんかの不祥事が報道されると、お前の所だって同じだろうと見られがちです。正直迷惑極まりないのです。昔を懐かしむのは如何なものかとは思いますが、事業所同志で時には大声でケンカをしたり、困った時には応援に行った。その両方が今は無くなり、市場原理という競争のルールが先行し、事業者同士の繋がりが減った。
 それが近頃余りにも多いと感じています。
 私は子供の頃から反発心が人一倍強かった。そして泣き虫だった。いくつになってもそれは変わりません。
今、朝の7時、理事長挨拶で何を言おうかと考えています。しかし、まとまらない。BGMは例の2代目の「ひばりちゃん」から3代目の「千の風になって」、昨日物置から取り出したスピーカーで増幅したメロデイがなんとも心地よく響き渡る。
 人間が心から安心し、癒しを感じることは果たして有りうるのでしょうか。作詞家の新井氏はそのことを訴える。
 感動は何から生まれるのでしょうか。それは相手の気持ちが理解でき、こころから許せる関係があってできるもの。
先ほどの話ですが、もし記念式典をやるとするならば、本当に喜んでくれる人たちとささやかにやりたい。
 それには越えなければならない条件がある。いつ来て見てくれても良いような尚恵学園であること。今やらなければならないことはいくらでもある。それまではおあずけ。
 思いついたささやかな50周年の記念事業、「千の風にのって」を5枚コピーしそれぞれの事業所に進呈すること。
総経費しめて500円。以上

554:「さぽーと」に思うこと

日本福祉協会の機関誌「さぽーと」に一言。先月の評議員会で編集責任者から購読の推進を図って欲しい旨の要望が出された。そして、私の園でも、タイムカードの所に購読希望者の用紙を張り出してある。私から特に何も言わないからか、2名だけの者が記入してあるだけだ。今後増えるかどうか?「研究誌」Or「情報誌」という論議は以前からあったと記憶する。
 編集担当者は自分の施設の業務を持ちながら何度も編集会議を行い、発行が遅れがちなサポートを懸命に発行している。
この努力はやってみた者でなければ分からない。私が若い頃、この雑誌が唯一、知的障害者の福祉サイドからの研究誌だった。他県の実践報告を夢中で読んだ。そして、興味がある施設に実際に足を運んで実習させてもらった。島根、滋賀、山形、北海道、大分・・・・・。電話して訪問を告げると必ず施設長が待っていてくれて丁寧に説明してくれた。今、それがない。好きに見ていけばという何か有名人気取り。これが実態。
 それはもう30年前の話、確実に状況は変わった。
 日本福祉協会は全国の福祉施設の総本山、事務局員も私から見れば相当数いる。だが、サポートの購読料が財源の重要な位置を占めている。だから毎年、確実に購読者が減る現象は執行部としては放置できない。
 私はこの辺に無理があると思う。自主財源をそもそも会員という特定の人たちの購読料から捻出することに。
 今、誰もがITを駆使すれば簡単に情報を得ることができる。それもGOOGLEなどの検索を使えば無料で情報の提供も取得も出来る時代。だから、今後機関誌購読者など増える見込みは無いと考えるべきだ。某政党の機関誌などのように会員であるならば強制的に購入する手段を取れば別だが。
 今、情報は、先ず目(映像)から、次ぎに音、そして最後が活字、地方に行けば昔からの本屋さんが軒並みシャッターを下ろしている実情からわかる。
 また、待ちの事務局の在り方にも問題を提起したい。何も忙しいからといって浜松町の事務局にいるばかりが能でない。「出前聞き」をもっとやるべきだ。地方に足を運ぶべきだ。だってそうだろう。全国会長会議にこの1年4回ほど出席して感じたこと。
声が大きい人だけの独断場、折角航空券まで手配して参加する地方の会長にとって実り多い会合であったかどうか?
何も東京に出なくてもいくらでも情報を得られる。事務局にいるだけではそれが体感できない。
 もし、今の体制で将来の展望が見いだせないならば、私は事務局体制を縮小すべきだと思う。
 某県の会長と話した。彼の県では福祉協会から脱会する施設が増えているという。他の類似の団体の会員になるからだという。この現象は実は茨城にも燻っている。その危機感は直に感じている。そのような時に私は直接施設長と話している。
「何が不満なのか?」すると、「会員になっているメリットって何でしょうか?」という話になる。
 執行部や事務局の皆さんのご苦労は充分分かっているつもりだ。しかし、このままではいけないと誰もが感じている。
今の時代福祉協会の会員でなくても事業はできる。むしろ、中央重視というより地方のオリジナリテイが叫ばれる時代。
もしもだ、地方が充実したら、協会の役割は何があるのか?社会福祉士の養成所がその役目になるのか?
それだって正直将来性は薄い。私の住む土浦という小都市に大学や福祉専門学校が沢山あり、一年で500名の卒業生を出している。近くで便利なところに行くようになるのは必然の選択。もし、福祉協会の養成所が合格率がズバ抜けて高いのであれば別問題。そうは思えない。また、国の機関や政治家との繋がりが必要なこともわかる。しかし、その努力は残念ながら地方においては優先順位は低い。何故か!その手法ではどうしても都市部と地方の格差が埋められない。
 この現実を知ることが先ず最優先。その後に何が協会としての役割かを論じるべきだろう。政策委員会そのものの努力は理解している。だが、地方の正直な声がその方たちに届いているのだろうか?
 例えば、障害程度認定区分の検討をされた。何か説明に依れば「介護」から「支援」というロジックの変更をさせたという。
認定の仕組みの問題点も分かったような気もする。「爪切り」を全介助より一部介助が・・・・云々。認定そのものを見直そうという国の変更、検討委員の大幅な入れ替え、それに続く勉強会、これは協会の強い要望があって実現したという触れ込み。
果たして実態はどうなのか?
国は昨年の新法の本格実施の時点で見直し作業が始まったと聞いている。誰かが大会で話していた、東京駅を出発してしまった新幹線に途中から急いで乗車したという例えが証明している。
 実はそんなことよりも大切な事があるでしょうと私は言いたい。今の仕組みで何が重要かという事だ。地域移行しようとしても実際に受け皿がお粗末な実態にメスを入れるべきだ。何故ならば、障害区分の特性を生かした判定基準・・・云々論議は、事業所サイド(あえて付け加えると保護者:育成会との微妙なずれはある)の言い分、利用者や地域住民のスタンスに立っていない。新法の地域移行推進の流れは変わらない中で、そこに対する検討が疎かではないのだろうか?
 どうも私の僻み根性かもしれないが、サポートの感心がどうも目立ちがり屋のパフォーマンスの応援団に思えてしようがない。地方で地道に活動している人たちに目を向けるべきだ。彼らこそ本当の意味の良きサポートの購読者なのだから。
 中央から会長の施設ぐらいは全職員に購読を義務化させればという意見もある。しかし、これはサポートの末期現象を早めるだけで再生の道を閉ざす結果にしかならない。
 私と雑誌「愛護」の出会いは秩父時代の妹尾先生の薫陶を得た時だから博物館入りかもしれない。文責:住田
 

555:地域生活

必ず朝、窓越しに「○ちゃん。いく?○ちゃん・・・・・」と声を掛けるKさんがいる。学園に行くのかと確かめているようだ。「行くよ」というと「うー」とかいう妙な声を出して納得する。彼はGHに住む、7歳の時に当園を利用し始めた。てんかん発作もあり、若い頃は手の付けられないやんちゃなKさんだった。町役場の池には飛び込む、お客さんの車のボンネットに乗り、飛び跳ねるなどなど、今思い返せば全てが彼の武勇伝。
 今朝、彼は新聞受けからまだ取っていない新聞を持って私に手渡す。多分、まだ新聞あるよということなのだ。
彼らの生活をこの4月から変えた。専任のスタッフを付けたのだ。私は急にGHやケアーホームを増やしたものだから、その支援の内容に不満があった。もっとGHでの生活に力を入れなければダメだ!しかし、現実は介護保険によるお年寄りのGHとは全く内容が異なることは以前触れたと思う。支援スタッフの体制が今の報酬単価では配置できないのだ。このお粗末な単価で一体国はどうしろというのだ!朝、7時半ごろにGHの4名のメンバーは私の寺を通ってそれぞれの寮に歩いていく。それが見ていると面白い。決して4人が一緒になって行かないのだ。それぞれが20メートルぐらいの等間隔を空けて1列で歩いていく。何かボソボソと独り言を言うもの、ピンクレデイの歌を大きな声で歌うもの、下を向いてむっつりして歩くもの、それぞれが違う。
 GHの建つ地域には組会があり、年に2回ほど総会があるそうだ。そこで班長などを決める。尚恵学園のGHが5カ所あり、彼らの代表が参加する。「ひょっとしたら班長に立候補するかもしれない」という話を聞いた。へーと驚き半分、興味半分。
 彼らの純粋な気持ちを理解する人だけではない。
地域生活をする上で何が重要かといえば、地域の受け皿の理解であろう。本当に受け入れてもらえるか否かで大きく変わる。
どちらかと言うと我々の主眼は、今まで地域との共存を願ったもの。
*栗畑の枝集め*農家の手伝い*ゴルフ練習場のタマ拾い*イベント参加*パン販売*山そうじなどなど
この地味な活動が我々を支えてくれていることは確かだと思う。
 だが、この事に甘えは禁物、最近の事件報道を見ると直感的に分かることがある。犯罪加害者の状況がどうも何らかの障害と関係が有ると思えることが多い。昨日の報道もそうだった。20年以上も家に引きこもっていた長男が母親と弟を殺した事件。
 この報道を我が身と感じてしまう自分がおかしいのだろうか?県の部長と話した時に「山本譲司の累犯障害者を読みましたか?」と言われた。その時は読んではいなかったので早急に取り寄せ今読んでいる。
 私は、提案したい。事業を進めていく上でリスク対応が事業所責任だけで済まされている現状をどうにかしないと同様の事件が起こる可能性は否定できない。