源究54

   

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
631 盆&踊り 7/29 636 夏祭り 8/5 641 しようがない 8/10
632 亀うさぎ 7/30 637 広島平和記念日 8/6 642 人生の価値 8/11
633 SEGAKI 7/31 638 守成の罠 8/7 643 盆中閑無し 8/14
634 葉月 8/2 639 人口密度 8/8 644 安倍さんどうする 8/15
635 規制 or 緩和 8/3 640 ルール 8/9 645 盆風景 8/16

631:盆&踊り

7月最終土曜日が29日。各地で祭りの最盛期、尚恵学園の恒例行事、盆&踊りが昨晩ありました。現在グランドでは自立ホームの建築中のため手狭になった場所に櫓を建てる。午後6時開催の予定、しかし、5時頃俄に北の空が暗くなり、稲光。もの凄い雷鳴と雨、その間30分ぐらいだったろうか?今日は関東各地で今年一番の最高気温。風が殆どなく、蒸し風呂のような日中であった。雨が去ったあとは少し風も出て幾分かすっきり。天も味方してくれる、誠にありがたいことだ。
 今年も多くの人が参加してくれる。石岡の囃子連の皆さん、それに由似ちゃんが特別出演。VSでの筑波大の学生などなど。感謝!
 利用者の皆さんそれぞれが浴衣や甚平姿。本当に一人一人が違った楽しみ方。こりゃースタッフも大変だ! なにか他人事の自分を一瞬感じた。その時だ。私の目の前を走り去るOさん。暑かったのか、着ている服を夢中で脱ごうとする。庭の片隅に腰掛け、仲間に入ろうとしないMさん。「おれ、嫌いなんだ」と言いながら皆が踊っている姿が気になってしようがない。シートをすくだけで急ごしらえの食堂、そこにぴょこり座って動かないIさん。声を掛けると目にいっぱい涙。
 どうしたのか?「みゆき・・・・ともこ・・・」と言っている。私はハットした。Iさんが口にしている二人の名前、亡くなった二人だった。彼女の中にはみゆき&ともこが生きている。
 勤務先の社長がまだ来ないと盛んに気にしていたM君、遅れて来た社長さんのご家族を見つけるや出店の食べ物を運ぶ運ぶ。彼なりの大歓迎。
 40年前の職員I先生が来てくれた。もう81歳になった。私の脇に腰をかけ、昔を懐かしむ。「あれ、誰だっけ??」「知ってるよ、ああー大きくなったー」次から次に思い出すようだった。Mさんが先生を見つけ寄ってきた。「ありゃーMさんか?懐かしいなー。私が勤める3ヶ月前に入ってきたんだよ」とかなり記憶も正しい?
 ここ数年はレスパイトやデイを利用される在宅の皆さんが家族で参加してくれている。正直私は名前が分からない。挨拶に伺うと、家族の方もハットして深々と頭を下げられてしまった。在宅の人達の夏休みは想像に絶する。この辺の地域活動がまだまだ十分でない。
 今年も本格的な盆シーズン到来。昼間には法泉寺の施餓鬼会があり、法話を頼まれた。全く風の入らない本堂で45分、私の持ち時間の限界を超えていたが仕様がない。住職のリクエストだもの。マイクが故障とのことで大きめの声を出しっぱなしにしたせいか精魂尽き果てた。
 30日、31日と自分の寺の施餓鬼。少しづつ気分が上がってきた。
さだまさしのCDを聞いている。彼の歌ほど夏のこの時期に似合う歌はない。「あなたとわたしの人生をかばうみたいに・・・・・」なんの曲だったか?私にとって盆踊りではなく、盆&踊りなのである。

632:亀うさぎ

親亀の上に子亀を乗せて・・・・・名付けて「亀うさぎ」新品種である。しかし、制作者のYさんは納得しない。彼女の言い分は「亀」じゃない「かたつむり」だという。そう言われれば・・・・・・
 彼女は今新品種制作に熱中、売り上げのばし自分の家を作るという。もう既に図面は出来ている。なんと13階建て。
 おもちゃ作業グループの重鎮のYさん、次から次に、新しい作品を世に出している。売れる売れないは全く関係ない。
 彼女の世界を「ヨシコワールド」という。彼女の作品展示ログハウスもある。
 ほかにも芸術家?が沢山いるんです。今、新治の小町の里で「尚恵アートスタジオ絵画展」(8/3まで)開催中、新聞にも紹介された。メンバーのY君はなんとベルギーで個展を開いた。これまたこの世界では大御所的存在。
 皆さんの知られざる才能は際限の無い広がり、もう宇宙観である。
 また、家庭菜園がGHのメンバーさんに流行、畑はいくらでもあるから、皆さんそれぞれ自分の場所を決め、トマト・キュウリ・なすなど作り始めている。気前が良いのには驚くばかり、全く知らない方にも「どうぞ、どうぞ もってきな」
 今朝、Kさんから届いた取り立ての新鮮野菜、真っ直ぐなキュウリはゼロ、どうすればこんなに見事に曲がったキュウリを作れるのか。悪げはないが私がKさんに尋ねたら「ウン  今度 暇な時に教えてやっから」ときた。
 こんな世界  好きだなー! 「亀うさぎ」の話から どうしてこうなっちゃうんだろう、世の中の価値観は所詮人間が作った物差し。果たして本日の選挙の結果はいかに?そう思った瞬間、上の3匹の一番大きな「かたつむり」が某政党の代表に見えた。

633:SEGAKI

 第1ラウンド 
 30日は恒例の寺行事「施餓鬼」Segaki。実は昨日の選挙の自民党の大敗の影響か大荒れ天気予報。午前中は雲行きが怪しかったが、準備段階では雨降らず。このまま持ってくれ!それが丁度役員が集まる時刻にゴロゴロと音が聞こえた。
 それからはもう何とも言えない。雷&大雨&????。「あーやっぱり。天は良くみていらっしゃる。住職が生臭だから」
 役員の誰もがそう言っているように取れてしまう。「住職、今度よ。神宮寺で雨乞いやりゃーいいんだ。うまいもんだ」ああー雨乞いでもなんでもやってやらー!
 今日は雨なのに助法に来てくれて近隣の寺院が12名、皆さん第1ラウンドに来てくれて、明日(観音寺)はカラッポ。素直に喜べない。雨の中、皆さん履き物をビニール袋に入れ、本堂に上がってくれた。徳満寺の布教、彼独特の話は聞いてみたい。
 それから法要が始まる。  それがどうだろう。天気予報が狂った。私が施餓鬼檀に向きを変え過去帳の文を読み始める。すーと明るくなり、雨が止んだ。 これホントなんですよ。  檀家の皆さんが帰る頃には西の空から陽の光が差し込んだ。
 コメント・・・・役員の中で一番雨を喜んでいたのは梨屋さん。3日後に今年初めての収穫を始めるそうで、今日の雨は梨にとって最高の贈り物。 「住職! 物事はな!考えよう」だそうです。勉強になりました。因みに今年一番の梨を頂戴したことは有りましたかねー???「住職!あのなー物事というものは ・・・・我慢だ」 第1ラウンド。
 第2ラウンド
 31日は、観音寺の施餓鬼。今日は天気は心配ないようだ。東福寺の布教から始まり予定通りに法要が済み、今日も12名の坊さん仲間が助法して戴き、鐘楼堂の落慶式は無事終了。建立の発願より約2年の歳月が経った。いつになく大勢の檀家さんが施餓鬼に参加してくれて、駐車場が無くなる状況になった。
 少々疲れました。
 *まんだらの釣鐘クッキーをお土産にしました。地域の人々に支えられて今日まで、どうにか住職を務めています。これからの私の本願は「いかにその恩に報いるか」ということ。たった今、6時定刻に鐘楼の鐘がなりました。お隣のまりちゃんありがとね!尚恵学園(S)と神宮寺(J)と観音寺(K)の三位一体が終生の願いです。これからもよろしくお願いします。

634:葉月

8月は木々の葉落ち月(はおちづき)から来ている葉月という。別に萩月や観月ともいう。
 台所に里芋を水に浸して置いてある。芽を出して暫くすると青い葉が出てどんどん伸びていく。倒れそうになるので途中で茎を折ると、また次の芽が伸び始め葉を付ける。すごい生命力、栄養分は自らの貯めた栄養分と水だけ。
 充分観賞に値する。雑然と食器が並ぶ台所に夏の風を感じさせてくれる。この時期、蓮田に咲く蓮花と大きく開いた蓮の葉。これもまた気持ちを和ませる。この植物の生業をどう受け止めれば良いのだろう。テレビで甲州での和紙伝統工芸の番組を見ていて感心した。様々な材料を利用した和紙漉き、バナナの茎から植物繊維を取り、それを輸入して原料にしているという。バナナを収穫した後は破棄されていたものを再利用する。環境に優しく、出来上がった紙からは独特の趣を感じる。また、都市部でのエコエネルギーの為にビル屋上に植物(イモ)を植え、その葉を和紙の原料にする。これなど人間の智恵だ。
 折からガソリンが最高値を更新中、新潟での地震の被害を受けて柏崎の原発が操業停止、この夏の電力供給に赤信号。
 様々な現象が無尽蔵な資源を前提にした人間の生活から起こった警鐘だ。本当の意味の豊かさをどう考えるか?
 まだまだ大丈夫と考えている。強き者が生き残る社会は、地球規模の異変からすれば取るに足らない一瞬の出来事。(イラクなど中東で起こっている紛争はその裏で強烈な軍需産業の利害や特定の宗教が介在していることは誰しもが認めている。もし自分がイラクの人々と同じ立場になったらどうしますか?お国の為と残していく親、兄弟のために自らの命を捧げた兵士。それはまだ1世紀も経っていないわが国の歴史的事実なのである・・・・)(しかし、実際はどうか、事務経費疑惑の説明責任をと言われ彼が行った行動は領収書を綴ったファイルをテレビの前でパラパラ開いてチラリと見せただけ。)しかし、不思議でならないのは、どうしてこの時期11万円なにがしの領収書重複の実態があからさまになるのかということ。政治は自らの足元が恐いということか。日本人は中東の悲劇を自らの事と考えることができる唯一の国。
 むしろ、我々は今の生活を根本から見直し、自然との共生による生活に誰しもが戻るべきだと。
 今日、工賃倍増計画の研修がある。我々施設での日々の取組一つにしても座標軸を変えてみる必要性を強く感じる。

635:規制 or 緩和

自由社会のジレンマ。規制を緩和するとそれを悪用するものが必ず出てくる。すると今まで個人や事業所の裁量に任せておいたことを徐々に引き締めにかかる。実は、「障害者自立支援法」も当に同じロジックが成り立つ。
 厚生労働省は障害者の地域生活をすすめるためにGHやCHの整備を推進している。だが現状はどうか?「自立支援法」ではなく「自立規制法」「自立否定法」と言われる所以がいくつも見つけることができるのだ。今般GHなどの小規模な居住施設へ消防庁が様々な条件を出してきた。更に、口裏を合わせたかのように建築基準法での締め付けも強まった。日本の制度・縦割りの矛盾。我々事業者は何を根拠法として理解すれば良いのですか、関係法令の整合性が取れていない。
 昨日の勉強会、工賃倍増推進事業に関してもである、一方では事業内容の緩和をうたい、民間企業等での障害者の受け入れを拡大しようとしている。方や労働基準監督署からは「訓練生」と「労働者」の解釈に枠をはめ、これを守らないと労働基準法第9条に違反しますよと脅す。国の施策に関しても厚生労働省内部で旧労働省と旧厚生省の(縄張り的)力関係が残っている。福祉サイドと労働局サイドでお互いに似たような事業を行う。これがムダというんじゃないのかなー?正直言って現場では複雑さに癖癖するだけで相談する気にもなれない。
 先の消防庁の示した条件は果たして県レベルの関係者(障害福祉課など)に周知されているのだろうか?建築基準法などは市町村の建築指導課に認可権があるから尚更混乱している。真面目な担当者は頑なになって仁王様の形相だ。
「今回はできません。ホレ この文章に良いですか、えーと どこだ 云々 そうそう ここです。 ダメです。絶対 誰が何と言おうがダメなことはダーメ」 この役立たず!
この規制が生まれた事情はどうもある県での介護関係GHでの火災による利用者の死亡事故が端緒になっているらしい。行政のお決まりの手法だ。何か困った事がおこると告示や省令を関係者に示して責任を逃れようとする。その結果何が起こるか。現場での大混乱である。手続きの煩雑性と解りにくさ。更に一部の業者にとっての絶好のビジネスチャンス。(スプリンクラー設置など従来OKで整備されたGHはどうすんの?)
 ドイツでGHを息子さんが利用している先輩から電話があった。夜の8時から朝の6時までは利用者だけの時、土・日は家庭に帰る。お金の管理はGHではなく家族がそれぞれ行っている。日本は個を尊重すると言いながら、何か事故があれば一斉に決まりを設ける。これってどうなんでしょうか?いろいろなGHがあるのが自然でしょう。
 民主主義の制度そのものを揺るがしかねない危惧を感じる。だってそうでしょうが、公安庁トップの疑惑から1年間で4人も替わる大臣、その責任の取り方が誰が考えても甘い。なんとかミートという食肉会社の失態、「社長 ほんとの事を言って下さい」と謝罪会見の席で父を諫める長男。でも責任の取り方は議員と民間企業は全く違うわな。自己破産までして責任とる先生いないもんな。選挙民は皆そのことを言っているのですよ。せんせーい達。言っておきますが、これ政党関係なし。
 このムシ暑いのに利用者と一緒になって汗水流し畑作業をしている施設現場の職員・・・・・・この隔たりは一体どこからきているのでしょう。「あんたは いつもニコニコしていて元気で良いですね」なんて言われてはいますがね 小生 実は実は心の中はもう・・・・    。
 良寛さんは出世間の生き方。あーー早う  ○○  だなー!! 
 盆月のためでしょうか。余裕の無い自分が 生臭なもう一人の自分を見て呆れている。
  破れ草庵に 住んで ? u以上の建物だから スプリンクラーの義務設置 さーて良寛さんなら なんと答える。

636:夏祭り

左:キララ祭り
(モール505)
 右:絵画展
   (小町の里)
4日の土曜日は、土浦のキララ祭り。第1回目から我園ではカッパ踊りに参加している。6時から市内の中心街を踊り歩くのだ。中間地点に審査会場があり、10名程の審査員がユニーク性やまとまりなどを評価し、順位を付ける。今年は30団体の参加、尚恵学園は出番が29番目、参加するメンバーはスタッフと利用者さん。待機場所に行ってみたら、皆さん待ちくたびれて全く元気なし。大幅に進行が遅れているからだ。夜9時までという時間内に間に合いそうにない。
 団体名は「ガンバ尚恵連」第1回目から踊り方や衣装は一貫して同じ。徹底しているというのかどうか?
 モール505に事前に利用者さんが描いた絵が灯籠になって展示されている。(上記写真)
 地域に認めてもらうにはどうしたら良いだろう。そんな事を考えていた時に市からのお誘いがかかって参加した。
 見学者がゴッタ返す中に、デイを利用されている方が両親と見にきているのに気づいた。明らかに尚恵の来るのを待っている。彼は本当は踊りに参加したいという希望があったと聞いた。でも待ち時間や祭りの刺激に今回は残念だが遠慮してもらったと担当者から聞いた。
 どこの団体だか分からない。確かどこかの町内のグループの中にダウン症の子供さんが仲間に交じって踊っていた。商売柄私には直ぐに分かったのだが、もしかしたらガンバ尚恵連の参加を見て、思い切って町内のグループに参加したのかもしれない。これは又私特有の我田に水を引く見方か確信はない。
 審査席の近くに土浦社協のテントがあり、福祉の店がオープンしていた。そこの責任者に待ちくたびれたと話すと、「そりゃー無理ですよ。今度順番変えてもらったほうが良い・・・」と言われた。実は祭りの規定で踊る順番は事前のくじ引きで決めることになっている。最初の頃は市長の配慮か特別賞を戴いた。その時、何かしっくりしない自分があったことも事実。特別扱いされているような思いにどうしてもなってしまった。素直じゃないんだなー。
 まだまだ有りの儘に地域で生活できる状況にはないが確実に変化していることを実感できた。
 *3日まで開催されていた新治の小町の里での絵画展示会の写真も紹介する。8月は行事が盛りだくさん。

637:広島平和記念日

8月6日は広島に原爆投下された日。午前8時15分(今8時8分ですから7分後)B29が原爆「リトル・ボーイ」を投下、高度580メートルで炸裂、一瞬の爆発で30万人の民間人の生命が奪われたのです。当初の計画ではドイツに対抗するために研究が進められ、先にドイツが降伏してしまった為にターゲットが日本に変更されたということです。
 昨日、原爆被害者の会と安倍首相が会ったという報道がありました。初代の防衛大臣の”しようがない”発言が燻っている中で以前として後遺症に悩む人々がいる。一体この国はどの方向を目指して進もうとしているのでしょう。私は正直言って政党や団体に加入して運動をしようなど考えたことはありません。しかし、毎年、この時期(お盆)に寺の過去帳に記された多くの方々が外地で戦死され、その遺骨も分からない状況で遺族は供養を行っていることを目の当たりにします。
 今回の自民党の大敗は、はっきり言って長い期間政権を担ってきた者達の奢りでしかないと言えます。偏見が有るかも知れませんがバッジを付けると人間はどうして変わってしまうのでしょうか。特権意識を振りかざし、「貴方は誰の票があって当選できたの?」という声が聞こえなくなるようです。
 選挙民が何に感心があるかと言えば、@年金A雇用・景気B政治資金などの順番。これは何を示してるか?
 つまり、一般の人々は先ず自分に直接関わることに感心があるということ。これは当然のことですね。だから、平和が長く続く日本では、先の大戦の悲劇を他人事に考えてしまう人が多くなった。終始一貫・憲法改正論議に選挙の焦点を合わせる某政党はまったく票が伸びない。私の寺にその政党から衆議院連続7期当選した方がいる。農政に一生を捧げた方。
 私は生前のその先生の面影を、風呂敷を片手にもってテクテクと歩いているずんぐりむっくりな姿でしか思い起こせない。それだけ地味で慎ましい生活を生涯通された。だから支援する人達も手弁当で自らの意志で応援した。それがどうだろう。多忙な事は先生だけじゃないのに、忙しいということで自らは顔を出さず、地元の秘書や後援者が対応、当人が来るからと待っていると黒塗りの高級車でさっそうと乗り込んで握手してどこかにまた行ってしまう。これが地元周りか?
 当然、選挙民の気持ちは冷めていく。
特に2世議員にその傾向が強いと思えて仕様がない。親や祖父の地盤で相撲を取っているから所詮井の中のなんとやらになるわけだ。苦言を呈する人をどれだけ自らの周辺に持てるか、それはご本人その人の器の問題。
 さて、1942年に始まる「マンハッタン計画」、長崎・広島の2度原爆の被害を受けた日本、戦後生まれの世代にとって、その被爆地は旅行先のコースになって訪れる位になってしまった。
 寺でのお盆行事には、三界万霊や戦没者慰霊の供養を行う。
 *「マンハッタン計画」・・・当時アメリカはドイツと原爆開発の凌ぎを削っていました。日本もドイツと協力して原爆の開発を行ってきたのですが、開発したウランが大空襲や運搬船の拿捕によってドイツ側の開発が遅れた。もし、ドイツ側の核開発が先んじていたら、今頃どうなっていたか。後日談として語り継がれてきたことも事実。
 

638:守成の罠

「創業は易く守成は難し・・・・」大変失礼な言い方である。そう思う根拠は?自らも住職と福祉の2足の草鞋、いずれも自分が創業?したわけではなく、言ってみれば先人の後を継いだということ。他人がどう言おうが私自身はそう思って今までやってきた。
 だから自省を込めて正直な思いを記す。
 先の2世議員についての私の一方的な断定は、この時期になっていよいよ確信するに至った。平時においてはさほど目立たなくともこの1年を通じての議員の失態は如何なものかと誰もが不信を抱く。それがどこから来ているのかを考えた。個々の事情は一様ではない。しかし、共通する点は、自らが起因したミスを正直に認めようとしない。法律での定めがないからとか、自分の知らないところで起こったことという言い訳。誰もがやっているから自分は悪くないというのが本心。しかし、これで世の中が通じると考えてしまうその人間の資質に先ず失望。確かに最高学府を出て地方においては誰しも認める名士の家庭の出であってもだ。
 多分、その議員の支援者は初代時代からの人が今でも多いのだろう。我が息子を見るようなずれた親心、もし、自分達が支援する議員が失態を起こしたならば、何故もっと厳しく対処しないのか!どっちもどっち。
 この体質が地方には色濃く残っている。また、今の議員に不満があるとすれば、これだけの財政赤字が問題になっているにも拘わらず議員宿舎や事務費処理の問題を棚上げし国民が納得できる解決策が出せない! これが日本の議員の能力の限界。それ故に能力では敵わない官僚天国の構図が破れないのだ。これは全ての議員に言えること。自ら血を出さず、弱者を苦しめる。
 歴史に名を馳せた議員には気骨があって、私利私欲を捨て大局的に日本の事を考え実践した人がいる。私の尊敬する石橋湛山などその代表格、彼が戦後、岸信介と総裁選を戦い僅かに7票差で首相になり、冷戦構造の打破を願って日中米ソ平和同盟を提案した経緯を思い起こすと、日本の将来を自らの政治生命として真剣に考え列強の国と正々堂々渡りあった。その気魂たるや今の政治家に望むべくもない。一国のリーダーはそれだけの能力と責任を有することが条件、支持率が20%台に下がっても次なる手が打てない自民党、一方、参議院では勝利をおさめたが民主党に政権を任せるには不安がぬぐい去れない。勝った勝ったとのゲーム感覚が見え隠れ。
 戦後の混乱期があって、国民一人一人が勤勉に働いてきた。その結果、GNP世界第2位の経済的成功を収めた日本。その美酒に酔っていた期間に余りにも多くの大切なものを失った。目先のことをいくら改革しても根本的な問題が一向に変えられない。官僚の改革と合わせ政治改革をやってもらいたい。少子化が問題にされている。しかし、果たして何を根拠にした論議なのか?私は国民の数が今でも多すぎると思っているのだがどうか。タスマニアに行って痛感した。広大な自然の中に、もし日本並みの人が住んだならば、あの島は世界遺産にはなれない。ワラビーが人家に餌を探しにやってくる。動物園の檻ではない。それが共生と言うもの。食料の自給率の問題も全く先の見通しがない中で私はその一番の解決策は人口を減らすことだと思っている。1億2千600万は狭い国土には多すぎないか!決して私が坊主であるということでなく許容量の問題だ。自然の警鐘に目を向けるべきだ。人口が集中した都市に癒しを求めることはできない。
 経済の豊かさが残したものは、溢れんばかりの物と環境破壊それに限られた自分の人生を考えない人間を大量生産したこと。
 地球規模で考えれば日本の人口が減っても世界の人口は増え続ける。守成の難ではなく、罠である。

639:人口密度

「ウイキペデイア」による人口密度順を見ると、日本の人口126,974,628人で総面積377,835平方キロ、人口密度336人(平方キロあたり)。順位からみて人口10億のインドとほぼ同じ。スウエーデンなどは人口880万で密度20人。朝昇竜で話題になったモンゴルは人口260万で密度1.7人。逆に一番高密度はマカオで18,000人が1キロ四方に住んでいる。
 統計学というものは他との比較によって類推していく妙がある。ある葬祭業者の人と話したことがあった。日本は高齢化が急激に進む、大きなビジネスチャンスですよ。しかし、その時には既に業界の過当競争が始まっていた。
(因みに葬祭費用のお奨めセット料金があるのをご存知でしょうか?レストランでのランチメニューではありません)
 経済構造が変化している。例えばITを駆使すれば情報は瞬時に得ることが可能、活字離れ、それと同時進行で閉店する書店の増加、新聞購読者の減少やルールを逸したやらせ番組などマスメデイアの暴走が続く。
 贔屓目に見てこれらは時代の変化に対する必死の抵抗ともとれる。それでは「福祉」業界はどうか? 制度の変化に群がる業界の触手、そもそも福祉を経済の手法で考えることに矛盾が潜む。その綻びの顕著な事例がコムスン。
 平均寿命が世界一となった日本、高齢社会になるのは誰が考えてもわかること。それを敢えて騒ぎ立てる。多分に業界と何らかの癒着がある者達の策謀だ。都会には億ションと言われる高級ケアー付き有料ホームが林立、そこでの生活PRから伺い知るに、電化され便利性をマクシマムに追求した居住環境。住人はやる事がないからエステや買い物で時間を潰す。
メタボ・・なんとかという生活習慣病が問題になった。これなど飢餓に苦しむ国からみて天罰ものだ。
 それに薄々は気づいているが、自ら腰を上げようとはしない。ここでズラズラ不満を言っていても仕様がない。
 要は日本人が江戸末期の人口までとは言わないが、人口減少を見込んだプラス発想をすべきだと思っている。
何も都市部に高層マンションを作り、住まなくても良い時代。車に乗らず2本の足で移動する。野菜は家庭菜園で自給自足。
 余った食材はお隣さんに分けてあげる。これがコミュニテイ、地域生活でしょう。
 発想を変えればどうって事無いよね。
 最近経験したことをお話します。
 つくばエキスプレスに初めて乗った。全線の半分?ぐらいは地下を走る。それもスピードが凄い。両面がコンクリートの壁のレール上を超スピードで走るものだから恐怖感を感じた。終点つくば中央までたかが45分。在来の常磐線を意識した利便性の一つに高速運転がある。2〜3分時間を短縮したからどうなのよ!関西で起こった脱線事故の反省が活かされていない。
 これだって人間がこの辺で十分だという事を敢えてレベルアップする価値の錯誤。
 もしもだ。今の経済繁栄が人間の一人勝ちを目指すものであるならば、必ずや自然からの反撃を受け、それと同時に人間同士の争いが止まないことは明白だ。
 仏教的解釈・・・・・・「知足」という言葉には、実に多くの問いかけがある。不満や争い毎が無くなる。しかし、人間は常に欲望があり、現代風に言えば起業家が会社を大きくすることなど。「大欲」(たいよく)は利他につながる故に肯定される→兜率天 

640:ルール

近年、ルールを逸脱した行為が目立つ。個の尊重ということが、誤解を生み、なんでも許される風潮が蔓延してしまった。
 施設利用に関しても従来とは違った問題が出てきた。利用者の自己選択(決定)による契約が措置に変わってこの業界の新しい流れになった。結果から見れば、自分が希望する施設やサービスを選ぶことに何ら口を挟む余地はない。某地域での利用者の取り合い現象?が新たな問題になって表面化している。これは民間と公的事業所との競合にも言える、
 私は、業界の最低限のルールがあって然るべきだと考える。自らの足元を見直し反省改善することは必要、しかし、なんら事前に話が無くて突然文章で施設退所や変更を知らせてくる。我々の仕事は長年かかって利用者へのマネジメントをする。就労自立にしてもそうだ。ADLの向上や社会性を身につけてもらうのに様々な方法で利用者の福祉を考える。
 その過程の中で、突然、本人の意志とは言っても退所通知が届けば事業所の立場はどうなのか?
私の経験から、一つの事業所で全てを賄うことは不可能。それ故に地域の事業者が連携を持ってそれぞれの得意とするサービスを提供する。この重要性が理解されないと、結果として利用する人にとって事務的な割り切り対応になる。難しいケースがタライ回しにさせられる大きな理由がここにある。
 生活保護受給世帯を減らすことで「北九州市方式」が問題になった。福祉事務所に保護世帯を減らすノルマを課したというのだ。保護を切られた52歳の男性の孤独死があって問題があからさまになった。
 東京など大都市は建築ラッシュ、企業の設備投資やマンション建築が進んでいる。その地域と隣接した場所に仕事に就くことができず、年金だけで生活しなければならない人達が多く住んでいるのだ。その年金が・・考えるだけで血圧があがる。
 まさに社会保険庁はルール違反を犯した。それが無罪放免とは。
 私は、ルール違反が常態化し、問題意識が欠如した状況が蔓延することを一番恐れる。
 「累犯障害者」で紹介された刑務所に300円の食べ物を盗み収監され、そのことを繰り返す人達。彼らは刑務所が一番安心できるという。一方、グリンピアとかなんとかで億単位のムダ使いを平然と行い、膨大な損害を与えた者達がなんのお咎めもなく悠々と生活している世の中。ここに至っては根本から変わらなければならない。
 なんと日本人は寛容でお人好しな国民なのか!
 昨日、近所の寺の施餓鬼に行っている間に葬儀屋さんからの留守電が入っていた。
57歳の方が自宅マンションから・・・・・・。この世に生まれてきたこと。生命の大切さを伝えられないもどかしさ。これは一体誰の責任なのか?  これすら自己選択(決定)による個の尊重ということになるのですか。「美しい日本」を守れと貴方は何をもってそう言うのか?
 単なる言葉遊びにしか取れない。命の重さを実感できる世の中でなくして何が経済大国だ。
 人間の錯覚は、肩書きの大きさに自らの姿が見えなくなった時に 起こる。
 

641:しようがない

しようがない発言で大臣を辞めた方がいた。彼の場合は、発言した時と場所が正直まずかったと思う。決して同情しているのではない。防衛大臣として原爆被害者の前で言うべきこととそうでない事ぐらい承知していて当然。それが自分の地元という事で気の弛みとなって発言してしまったのだろうか。
 実は、最近私自身「しようがない」を連発している。昨夜も相談支援担当のスタッフが話があると自宅まで来て話をした。緊急対応の必要な在宅者。本人の状況は、何らかの支援を早急に必要としているのだが、本人はショートステイに同意しないだろうという。迎えに行って車に乗らなかったらどうしますか?・・・・・様々な背景が分かってくると、いつも出てくる言葉が「しようがないんだよなー」。他に施すべき手が無いのだろうか?といくら考えても妙案が浮かばない。
 個人情報保護法というものは福祉現場ではやり難くくてしようがない。あれー又、しようがないが出た。行政お決まりの対応でお盆休みや正月休み前には、取りあえず預かって欲しい。1週間だけ。自分の都合が見え見え。福祉現場の我々の都合もあるんだよ。帰省期間は一つの寮を閉鎖して合同で帰れない利用者をみる。その数が年々増加、寮を閉鎖した間に水回りなどの改修を急いで行う。
 24時間対応の施設では水や電気など普段止めるわけにはいかない。建物が古くなり、メンテナンスに要する経費が毎年増えている。これが事業所側の都合。それでも、しようがないけど、できるだけやろう。ということになる。いつもスタッフには頭が上がらない。
 退っ引きならぬ事情は実は様々である。直ぐに解決できないことと分かるから始末が悪い。でも良く考えると福祉というものは本来そのためにあるのだ。社会福祉法人が税制などの優遇措置が認められていることもお金に成らないことでもサービスを提供する役割をもつからだ。その辺がどうも有耶無耶になっている。諸悪の根元はサービスを金換算する制度。
 このコーナーを書き始める切っ掛けの一つ。原点に戻れ!私の記憶に微かに残る福祉の先達たち。何もない所から始めた。制度もなければ補助金もない。それがいつの間にか設立申請が多すぎて役所が規制する時代になった。何かうま味があるからなんだろう。そりゃーそうだ。報酬単価の良いことだけをやり、手のかかる仕事は引き受けない。お金持ちの利用者をかき集めゴージャスな設備を盛んにPR、これこそ究極の福祉ですときた。
 実はこれに対して無性に腹が立つ。これなど先の大臣のしようがない発言と当に同次元。本当に困っている人の立場ではなく、あまりにも自分の立場を優先した発言という意味で。
 この時期 鉢植えの花には 水遣りが一番でしょう。花が散ったら はい それまでよー。 これでは 生産者の気持ち それ以上に 花の気持ちにはどうなんでしょう。わかるかなー???

642:人生の価値

『人生は時間では無く 思い出の数』
 私と同年齢の方の通夜が昨晩営まれた。元からの檀家さんではなく、全くの初対面。実のお兄さんと一緒に私に挨拶された独り残されたご主人に私はなんと慰めの言葉をかけてよいのか分からなかった。まさに一瞬の出来事。長年連れ添った奥様の死をどう受け止めて良いのか、周囲の声は有難く思っても何の慰めにもならない。何か重苦しい雰囲気が流れる。
・・・・真剣にいくら考えても良い、だが深刻になってはいけない・・・・こんな会話も多分何度と無く繰り返されたに違いない。
いつも何気なく覗いていた鏡が窓になった。鏡は自分を映す、悩み苦しんでいる時はそのままの自分を。 その鏡が窓になればどうだろう。外界を見ることができ、悩み苦しんでいる者は自分だけでないと気づかせてくれる。
 人生の価値は、自分で決めちゃーダメだと思う。この世に生まれてきた事は、その人なりの役割を持って生まれてきたのだから。人生は振り返れば、本当に一瞬の出来事。誰しも悔いを残さないで生きたい。でも「悔い」とは一体なんだろう?
 自分の思い通りの生き方が出来なかったからか!世界には何十億の人々が生きている。その一人一人に「貴方は悔いのない人生を送っていますか?」と尋ねれば答えは「ノー」。
 福祉の世界でピアーカウンセリングという手法がある。仲間による相談。同じ苦しみを持つ者同士が助け合い支え合う。
 緊急の対応を頼まれた方がやはり頑なにショートステイを断り、結局は迎えの車には乗れなかった。(後日談あり)
 周囲の善意は、ご本人にとってありがた迷惑な事がある。福祉の現場に携わる者は常にその事を忘れてはいけない。
制度が無い時代には、関係者が智恵を出し合い、国へ立法化の働きかけを行う。制度が出来るとその枠に嵌められ、身動きができなくなる。人生は思い出の数に価値があるとすれば、思い出は個人個人異なって当然。
 尚恵学園を利用される人達は本当にそれぞれ違った思い出を持っている。何をもって自分が安定するか。
 音楽に、絵本に、実家への思いに、コーヒーに、新聞広告に、・・・・・・拘りとも取れる事の中に彼らの楽しみが潜む。
 苛立ち、奇声、暴力、服破き、異食・・・・・・・問題と思える事の中に彼らの訴えがある。
 笑い、居眠り、ひなたぼっこ、自由時間・・・・・・気づかない時に彼らの安らぎを感じる
こうやって皆 生き、 生かされている。
  後日談)尚恵の男性スタッフ2人と福祉事務所の方と自宅訪問。彼が突然の訪問者を見て、固まってしまったという。何しに来たということだろう。定期的に訪問しているヘルパーさんへの表情と全く違ったという。早急に検討会議を提案。土浦市の対応は素晴らしいと思う。明日緊急のカンファレンスを開く。

643:盆中閑無し

「全国で4万店以上あるコンビニを軽く越え、7万5000存在するというお寺・・・(お寺の経済学:中島隆信著)」
今、日本全国の寺が盆の真っ直中。各寺院事情は異なる。新盆だけを棚行に行く寺もあれば(私の寺など)、全ての檀家を廻る寺もある。正直な話、私の寺は先代が県庁に勤めており、二ヶ寺の全てを盆の三日間に廻るのが難しく、新盆だけに切り替えた。今となって思えば助かっているというのが私のホンネ。七月末から八月いっぱいは寺と施設へかけるウエートが逆転する。毎年、独りで切り盛りするには限界だなーと感じながらやってきた。お寺にも実はクレーム対応が必要、「トウバの書き忘れ」「法事忘れ」「字の書き間違い」など、こればっかりは坊さん失格、だが懲りずに毎年繰り返している。昔はお寺に来られて檀家さんは法事やトウバを頼みにきた。今はそのような方は希少価値、殆どが電話、もっと凄いのは道ですれ違いザマに「住職よ。いつものトウバ、書いてお墓に上げとおいてくれな!」だもの。メモなど、どっかにいってしまい。後で苦情が押し寄せる。
 この時期は正直、どこかに逃げ出したい。寺に引きこもると尚更まずい。
 一つの寺で年間120件以上の新盆をこなす寺もあるという。友引は葬儀はしないから、毎日葬儀をやっている計算。坊さんの心理を覗いてみると結構面白いかもしれない。私の知り合いでも結構変わった坊さんがいる。
@葬儀の知らせが入ると血糖値があがる。ストレス性糖尿病
A人前に出ると経が読めなくなる。
B檀家さんにどう見られているか気になってしようがない。
C車逃避症候群・・・・・車の中が一番落ち着く。
この反面、世に言う「生臭坊主」の類もいらっしゃる。私の場合はこっちに入ります。
@法事をやらなくても良いでしょう型
Aトウバは1本あげれば良いでしょう型
B初七日は告別式で繰り上げてやりましょう型
  この時期何故忙しいかと言うと、「施餓鬼会」という盆行事がお寺では開かれる。私も12ヶ寺に行かなければならない。結い返しだから。ここでの坊さんの内面を探るとまた面白い。1年に一度訪れる寺も有るから、境内などが1年間で随分変わっていることもある。
@ヘー随分立派になって!結構上手してるんだなー住職  羨まし型
A今年は随分新盆が多いようだな。檀家さん増やしたのかな! 憧れ型
Bもういいよ。早く終わって帰ろうよ。 いい加減型
 「忙中閑有り」&「盆中閑無し」  私の場合は、どうもこれで行く他はない。実はここだけの話、今年こそ甲子園に行こうと画策していたのだが、地元常総学院は早々と初戦敗退。うまくいかねーよ。
 意気消沈していると昨夜、職員から電話が入った、『GHのSさんが霞ヶ浦に釣りに行き、熱中症?自分で救急車を呼び、現在病院で点滴中。本人いたって元気。ハイ。いつものことで済みませんが連絡まで。』  いいかげんにしろよ!
出てやるから。

644:安倍さんどうする?

拝啓 安倍総理
 貴方は今眠れぬ日をお過ごしのことでありましょう。昨年9月26日に小泉さんの後を継ぎ、安倍内閣を発足、それから10ヶ月が過ぎました。貴方が掲げた「美しい国、日本」、その目指すべき国の在り方として(4)世界に信頼され、尊敬され、愛される、リーダーシップのある国。そして戦後レジームからの新たな船出を高々と表明されました。
 元岸信介総理を祖父、安倍晋太郎元幹事長を父にもつ、政界のサラブレット、しかし、どうでしょうね?
 こんな筈では無かったと貴方自身が驚いているかも。 国のトップを治めるには、確かなブレーンが必要です。江戸初期の徳川家康を支えた南光坊天海とまでいかなくとも、せめて、自らのパフォーマンスによって墓穴を掘り大臣を辞任するような者を閣僚に起用することは慎むべきでしたね。
 天海僧正には様々な言い伝えがあります。しかし、彼は自らの出自を明らかにせず、江戸の都市計画で家康に政策提言、忍岡に寛永寺を創建、今でも上野周辺には都会の中では珍しい市民憩いの場になっているのです。せめて美しい国を掲げるのであれば自城内部から崩れるような事はしてはなりませんよ。
 貴方は「週間現代」などマスコミから様々な中傷を受け、ここまで一国の総理がコケにされるのだろうかと誰しも読むに耐えないパッシングを受けています。対抗するために緊急出版された「美しい国へ」の表紙サブタイトルには・・・・自信と誇りのもてる日本へ・・・・・と書かれておりました。
 私は、そのまま貴方にお返ししたい気持ちです。自信と誇りを無くし意気消沈されている貴方へ。
それでは何故このようになったのでしょうか?あなたはどのように思っています?
 これが良いんだと貴方が強調すればするだけ、市民感情と距離が遠のいていく。
一言で申し上げて、貴方の周囲には市民の気持ちを解する人が余りにも少ないということですよ。確かに外交や財務に関してその舵取りの難しさはあるでしょう。
 例えばですよ。今、お盆の真っ直中、国会議員の先生達も当然休みでしょう。新聞には皆さん、地元挨拶回りとなっています。実態はどうなんでしょうね。あれは挨拶なんかじゃありません。(議員は偉いと錯覚する輩が余りにも多すぎる)黒塗りの車が決して悪いとは思いませんよ。でもね地元に帰ってきた時ぐらい普段着の姿を見せられないのですか、わたしゃーそう思いますよ。名刺に自筆(実は良くみるとインクの色を変えた印刷でした)で挨拶を添え書きしたものを、やたらと目につくのです。棚行で新盆のお宅を伺うと祭壇にその名刺がどこのお宅にも置いてあるんですね。名刺配り、これが地元周りの実態です。
 さーて、27日に新閣僚の発表ですか。大変でしょう? だって貴方の周囲に資金管理に太鼓判打てる人を探すのは大変ですよ。何しろ、自分の後援会事務所からの内部告発でしょうから。そうでなければあれだけ絶好のタイミングで問題が表面化しませんよね??
 私からの提案なんですが、参議院の議長も民主党から出た時ですから、閣僚も野党から抜擢したらどうでしょう。
できない話なんですか?
 豆知識
 「可罰的違法性」・・・・・違法だが誰もがやっているから許されると思うこと。
 殊の外、厳しい暑さが続きます。ご自愛下さい。         敬具

645:盆風景

今年のお盆も後、4ヶ寺の施餓鬼の手伝いを残して終わります。いやー今年は特に暑かったですね。昨日は熊谷では40度を超したそうで、土浦周辺も道路からの跳ね返しをモロにうけると50度を超していたんじゃなんでしょうか。このペースで気温が上昇するとなると北極の氷は直ぐ溶けちゃいます。モスクワがなにしろ37度だったそうですね。
 今年もお盆の期間にいくつかの発見がありました。それを紹介します。
発見編
 道路にあった立て看板より
 ・・・・・泥棒進入禁止  神立1区自治会・・・・・
 ・・・・・霞ヶ浦浄化の主役はあなたです・・・・・・ ???
感動編
 動物をとても可愛がっているご夫婦より頼まれた墓前供養。
 午後2時炎天下の元、私が伺うと大型犬の出迎え、放し飼い、大丈夫かいな?中に入るのを躊躇していると、「あれまーすみませんね。この暑い中を、でもお坊さんはすがすがしそうで結構なことで」 「それじゃー お経を読ませていただきますが、何匹ぐらい埋まっているんですか?」「百匹・・・?ぐらいかなー」「・・・」言葉が出なかった。その中でも3匹が埋まっているところをお願いしたいという。私が水施餓鬼の経を読み始めると、お二人で泣き始める。「よかったねー。お経読んでもらって。ねえ○ちゃん」「次はどの辺でしょうか?」「ハイ、こっち。フクちゃんのところ」「!!!!」「どうしたんですか。和尚さん」
「あの フクちゃんってなんですか?」「猫」「あーそうですか。私も福ちゃんなんです」「!!!!」「いや、私の名前が福ちゃん」「????」  妙な気持ちになって猫のフクちゃんの前でお経を読む。
チョンボ編
 15日の午後6時頃でした。電話がなりましてね。「あのーお坊さん。忘れていませんか?」「は・い・・?」
 「まだ、新盆に来てもらっていないんですが」「ァりゃー やったー」
大急ぎで衣に着替え、電話の主のお宅に。 その時です。西の空から雷鳴。雨が降り始めた。1週間まったく雨が無く天からの贈り物。チョンボを雨が流してくれたのかどうか。天のご配慮にただただ感謝。
(神立地域では15日の夕方に送り盆をやっています)
いつもこの3日間は駆け足で過ぎていく。普段気づかなかった事を発見したり、感動したり、でも嬉しいんです。私みたいなグータラ坊主を暖かく見守ってくれている人達、 8月15日は私の57歳の誕生日でもある。 それから 癒しの鐘ですが、自由についてもらっているので、全く時間に関係なく鳴るわ鳴るわ。