源究61

 

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
736 以心伝心T 12/18 741 集団発生 12/25 746 大晦日 12/31
737 以心伝心U 12/20 742 暫時休憩 12/26 747 謹賀新年 1/1
738 以心伝心V 12/21 743 我亦紅 12/27 748 脱!官依存 1/2
739 サポートT 12/22 744 攻防戦 12/28 749 逆境を活かす 1/3
740 サポートU 12/24 745 破顔一笑 12/29 750 老少不定 1/5

736:以心伝心T

不立文字などと言えば禅宗の坊さんに叱られる。”拈華微笑”(ねんげみしょう)とも言う。心をもって心を伝えるなんて格好付けやがって。どうも反発が大きいから私は言ったことなど無い。
 昨夜、市の認定審査会があった。いつも夜開かれる。そこで知的に障害を持った方のケースがあがった。言葉は「アー」「ウー」しかないと記入されている。そうなると大体認定は4以上になるのが普通。
 現行の106項目のチェックにも大分慣れてきた。最初の頃は介護保険と同じルールでしかも介護度が主眼に置かれていたので身体機能で元気で走り回る方は、どのような特異行動があっても軽い判定になってしまった。二軸評価など主治医による新たな評価が加わり改善されてきたのも事実。しかしだ、こころを如何に伝えるかとか、本人の意志がどの程度、第三者に理解できるかという項目に関しては、調査員によってかなり格差が生じてしまう(基本調査)。それを判定区分で認定する作業もあくまでも想像の域を出られない。
 何かしっくりしない気持ちを持ちながら審査員として一年が過ぎた。その間、施設利用している人の保護者会の連絡会を発足しようと昨年度は二回研修を行っている。全国では既に県レベルでの連絡会が組織され、活動を行っている。茨城はまだ組織化までは至っていない。事務局が全国大会や関東ブロックの会合には出席して他県の状況は掴んでいる。
 これも私自身の正直な思いを言えば、本当に親たちが動かない県だと思うのだ。これまたお叱りをもらうのは覚悟の上で話そう。だってそうでしょうが、そもそも現行の制度では入所利用が出来なくなる利用者が出てきてしまうという危機感から始まったものですよ。その時の気持ちは一体どうなってしまったのですかー?
 施設がそんな非情な事はしないでしょうという信頼感?安心感からですか?元々自ら先頭に立ってアクションを起こすことが苦手な県民性、周りの様子を伺って、それからやっと重い腰を上げる。
 だから、昨年家族会代表者の研修に参加した施設数は八割以上に達していたのに。だが、それから一向に動きが見えない。指示待ち人間が多いということか!あまり自分達の県の悪口を言いたくはない。でも昨日だったろうか埼玉県の家族会の会長より様子伺いの電話があった。「茨城はどうなりましたか?埼玉は四月に発足しましたよ。グズグズしていると間に合わないから。一緒にやりましょうよ。会長は住田さんがやるんですか?」という内容だった。「いやー私はやりませんよ。あくまでも親達が作る組織でしょう」「そりゃーそうですよ」と話をした。
 全国施設保護者連絡会は西日本が活発である。関東地区も千葉県の施保連の方達が一生懸命で関東地区での連絡会を急いで作った。私はオブザーバーとしてその会合に二回ほど出席している。  ・・・・筆休止・・・・水戸へ。8hAm
 たった今、水戸より帰ってきた。工賃倍増計画の話し合いに出た。いやー参りますね。明日もまた水戸です。いろんな切り口から委員会なるものを立ち上げ、それぞれが検討している。障害福祉課もたいへんだろう。全国で同様の事を一斉に行っているにちがいない。我々は業界団体でも実は同様の会合を持っている。頭の中が変になる
 もっと単純にいかないものか?企業は今、環境対策に苦労している。CO2排出規制など設備投資も大きいようだ。これは対策が遅れれば死活問題になる危機感はもっている。だから障害者雇用が法定雇用率をクリアーしていなくともペナルテイを払えば済むといった従来の考えでは重要視されない。また企業の社会貢献に期待するというのではどうも消極的である。(実は茨城県は障害者雇用率全国でビリから2番目。大阪が1番ビリ、寧ろこれに対しては労働局がもっと積極的に動くべきだというのが私の考え、一般雇用中心の業務も実際は来所による、窓口対応が現実であろう)
 工賃倍増が果たして誰のためになるのか!正直この辺の確信が持てない自分は委員になる資格はないのかもしれない。「働けど働けど一向に暮らし楽にならず」では如何ともし難し。
 関係者だけの狭い世界での実践から一歩踏み出す意味では、まだ得るものがあるかもしれない。その上での判断とする。

737:以心U

茨城県の県民性を”水戸っぽ”という。特徴は「怒りやすく熱し易く冷めやすい」。私はピッタンコ。だから会合などで自分に言い聞かせる。今日は勇気をもって言う。今日は勇気をもって寡黙に徹する。どっちにしても”勇気”は必要だ。
 そんな意気込みでいつも参加する。だからフルマラソンを走ったような疲れが出る。私はこれでも3回フルマラソンを完走した。いずれも達成感に満足し、足を引きずりながらでも実に爽快だった。今、その元気はどこかに飛んでいってしまった。
 それからは暗くなってから遠慮して歩き始めた。地元を歩いていると知り合いに会うから、立ち止まってイチイチ挨拶するのが面倒、私にとっては30分程度のヲーキングは瞑想タイム。今日あったことを思い出し、頭の中を整理し、「まっ いいか!」と納得をするわけだ。
 このように上手くいくことは実は殆どないのだが、今晩8時過ぎになってから、宅配で衣類が段ボール2箱に入れられ送られてきた。
 横浜からである。だれだろうと一瞬考えたが直ぐに解る。学生時代の山仲間Hのお姉さんからだった。彼は単独山行で北鎌尾根で滑落し亡くなった。55歳だった。遺品にとお姉さんが彼の衣類を尚恵学園に送ってくれた。お礼の電話で暫くぶりにお姉さんとお話をした。
 彼は我々同期では一番山を愛し、登山回数もダントツであった。卒業後も日本山岳会に入り山は続けた。大企業に就職し、その後何を思ったか退職、地元横浜で個人の学習塾を始めた。郡山のAも50半ばで既に亡くなっており、同期は誠に寂しいかぎり。宮崎、大阪、三重、静岡そして茨城と全国に別れた。しかし、妙なもので突如として昔の写真を見たくなる。37〜38年前のスナップ。若かったなー。
 30年などはあっという間という印象だ。こうやって老いていく。私には転職という経験がない。幸か不幸か寺の住職は終身である。入ったら最後、抜けられない。後を誰かに譲り、”名誉住職”という立場に身を置くことは可能である。だが”名誉”などと恐れ多くてとてもとても。
 できることならば加島が伊奈谷に独居したように自分もそうできればという気持ちは常に持っている。多分、先に逝った仲間は今頃悠々自適の生活をしてるんだろう。今を精算し、生き様を変えれば彼らと語り合うこともできるんじゃないか。でもそれには負い目を感じるのだ。「なんで逃げやがって!」というもう一人の自分。
 ああでもない&こうでもない。この気持ちは多分皆さんが同じなんだろう。
”悪法”とまで言われた障害者自立支援法。ああだこうだの論議は花盛り。もういいよ、好きにやってくれ!金がねーだ?
なきゃーないでどうにかなっぺー。贅沢すっからメタボリック、煮干しで玄米が一番だっぺーよ。それをああだのこうだの言うからややこしくなっちゃって。全く、余計な仕事ばかり増えちゃって、働きたい若者がいねーべよ。どうすんだい全く。メンバーさんはおらー関係ねーよって言っていらー。工賃倍増??? 月額1600円と70万、片方が3200円、もう一方は月収140万????おかしかっぺー!
 県の皆さんだって本心はそう思うんじゃーねーのか。おかしかっぺーとな。
住田よ、それを言っちゃーお終いよってか。
 おかしいことは可笑しいという”勇気”。憎まれても踏まれてもだなー。道芝の心境だ。
 

738:以心V

どうもこだわってきたなー!茨城弁が出てくると止まらなくなっちゃう。おさえて抑えて。
3連ちゃんになるが申し訳ないねー。実は今地元でどんなことを始めたかというとですね。真似されても一向に構いませんが。どうでしょう?できますかねー。土浦は市長が「日本一住みやすい街づくり」を公言しっちゃいましてね。何故そんな風におっしゃったかは定かでありませんよ。でもね、これを利用しちゃいましょうという訳ですよ。何か有れば「市長!日本一ですよね」と言うことにしたんです。以前このコーナーで土浦市内福祉施設連絡協議会の発足について触れました。派手に発会式をやりましてね。マスコミが取り上げてくれたかどうかは知りませんよ。でも記者会見なんてやちゃったわけ。
 27事業所あるんですよ市内には。社協も一緒になって始めたものだから、敷居が高かった社協も何か身近に感じるようになりましてね。以前から施設職員の新年会やボーリング大会はやってました。でも種別が違うと実際にはそれっきりになってしまう。今度、ウララの生涯学習センターで映画界を行うんですが、石井筆子さんの例の映画を上映する企画です。
 結局、地域から声を上げるのが市民に理解を得るには一番良いという話になってきたんです。27事業所はそれぞれが地域交流の事業は行っています。それが一向に大きなウネリとならずに毎年、決まった企画になってしまい壁にぶちあたったということです。一般企業は社会貢献を考えています。それに環境対策。それじゃー福祉関係者はどうか?
 どうも本来の事業が福祉なもんだから、これ以上は良いでしょうという考えが結構強い。そうじゃーないでしょうという事から始めたんですね。だってそうでしょう。種別によっては、様々です。地元の利用者が少ない業種だってわるわけですね。
 迷惑?は随分かけていますもんね。(尚恵学園だけかもしれません)
私は最近話題になっている薬害訴訟について思うことがあるんです。二七歳になった原告団のお嬢さんのこと。私にも同じ年頃の女の子がいますから余計そう感じるのかも知れない。原告団の彼女の場合は出産の時に使われた薬によるC型肝炎罹患、その病気を知らされるまでは活発なお嬢さんだったようです。彼女が自ら立ち上がって訴えている姿。いつも眼に涙を浮かべて、それでもしっかりとした口調で意見を述べています。私も涙が出てしまうんですね。高裁の判決の後、和解協議に移っても原告の皆さんは納得せず、国の和解案を拒否しました。私は別に政党がどこでも構わない人間、最終的にはその人ですよ。せんせーい 人ですって人。
 どうも日本の民主政治は一体どこに眼が向いているのか疑問に思える。その一例が今回の訴訟問題だと思うのだ。
実はこの事件も人の命をどう考えるかということが問われているわけです。HIV感染者の川田さんが国会議員になって、彼が訴えていた。「同じ障害をもつ私が何もできないことに苛立ちと悲しみを感じます・・・・」と。当事者が堂々と自分の思いを訴える世の中は大切です。ややもすれば我々福祉事業者は政治への圧力団体になることが目的化される。国の政策に反映させる為に団体としてアピールすることは否定しない。それも必要でしょう。
 だが、自分達のスタンスを冷静に見る目もそれ以上に必要だ。当事者(利用者本人)の立場にたった要求なのだろうか?
どうも一般市民のコンセンサスが得られていない一番の理由は、事業者特に経営にあたる人間が私欲に走る傾向が強くなってきたからではないだろうか?もし、そうで有れば今後訴訟の矢面に立たされるのは事業所側になることは間違いない。
 その覚悟ができているかという自らへの問いかけ。
 国に矛先が向いている間に、自らの足元をよーく確認すべきである。経営者が贅沢しちゃーいかんよ。”清貧”一番。 

739:サポートT

サポートは受ける側と提供する側のマッチングがないと”余計なお世話”になる。しかし、これは平時のメカニズム。そんなこと言ってはいられませんという有事には、どうもこのような流暢な事は通じない。
 毎年の事であるが、インフルエンザやノロウイルスなどが流行する時期になっている。この時期だけ園を閉鎖し、自宅に戻って貰えれば何のことはない。現実はそんな風には行かない。よくも今までそれに耐えながら頑張ってきたものだ、スタッフには感謝してもしきれない。このプレッシャーから正直逃げられたら良いだろうなー。そんな事を考えていたら、昨夜はお陰様で目が冴えて眠れなかった。
 福祉の事業が今大きな壁にぶち当たっている。それはどうも規制緩和という流れの中で競争の原理を導入したからだと私は感じている。福祉の勝ち組は一体どのようなことを言うのだろう。寧ろ福祉は負け組にこそ価値が有ると思う。
 やっかみではない。障害福祉にとって、今の流れはどうも軽い人へのサービスが重用視されているように思えてならない。
確かに社会との接点で様々な問題を孕んでいる方達である。自らの要求を自分の言葉で訴え行動することができる。そのような人達は自分の体調が悪いときにもそれなりの対応を心得ている。
 だが有事の場合、特に体調を悪くしたときには重度の方は全くの無防備なのである。点滴は抜いでしまう。静養することすらできない。通院には1人に2人の職員が付きそう。待ち時間が待てないからだ。
 工賃倍増やら日払い方式の導入は当にその辺が盲点である。
 最重度の人達にとって日中活動することが何をもって活動と見なすか?生活介護という枠組みは、これだって平時の対応である。何か事が起これば脆くも崩れる。
 私はいろんな会合に出る機会がある。その都度、声を大きくして訴えてはいる。しかし、現場を知らない(体験しない)人達にとっては、”たいへんですねー”という一語で片づけられる。
 行政に関わる人にとって、少しでも現場経験を持つ人ならば、我々が言うことを一言では片づけない。
それに施設現場側も工夫が必要だろう。もっと実態をオープンにしたらよい。どうも隠そう隠そうという傾向は昔から持っている。 
 この分だと割の合わない手のかかる人へのサービスは提供する事業所が皆無になるのではないか!
その反面、世間受けの良い勝ち組と称する厳選された方を受け入れる事業所だけになってしまう。
 今回の法律には、ここのところに明確な方向付けがなされていない。世の中に悲劇がまだ多くは起こっていないのは、それぞれが耐えているからだ。しかし、既に限界点を超えている人達を目にする。
 地域で有りの儘に生活することを掲げたことは決して間違いではない。ただ、そこに辿りつくまでの長い長い道程に対してあまり言及されていない。正直、解らないのだと思う。
 だから需給のミスマッチが至るところで出てしまう。事業所は今、何を恐れているか?それは1番目に事故である。最悪死亡に至る場合も有りうる。多額の賠償を要求されたという情報はいくつもあるし年々その数が増加している。明らかに事業所側の過失によるものであれば私は責任を取る覚悟である。だがこのプレッシャーは理事長1人に掛かるものではない。
 メーカーの苦情対策も厳しいと聞いた。物を作る場合はまだ人間を相手にする場合とは違う。それは何故か?
 相手が1人1人違うという事だ。どうもこのように考えると中東での争いの大国の理屈は、一つのルールに無理矢理押し込めるやり方に思えてしようがない。相手国をよそ者がみてどうだろうが、その国の人々が選択する権利がある。
 さすれば、日本の国民が何を自らの意志で選択するのか、障害福祉問題もそこが原則である。
 

740: サポートU

人間は不思議だ。八方塞がりの中に置かれると必死になって打開策を考えようとする。理屈ではなく、今をどうするかということにだけに集中すると思いもかけない力が出てくる。
 毎年の事であるが、この時期になると必ずといって良いほど体調を崩す人達が出てくる。今その対応に四苦八苦している。何が原因か?どうすれば良いのか?全員が同じ事を考える。考えざるを得ない。無我夢中というのが正直なところ、この経験を後に活かせないものなのか。尚恵の歴史がその時々の自分を冷静にさせてくれる。先人が様々な困難に立ち向かってきたからこそ今が在る。
 サポートUとして今日考える事は、今何が必要としているのか!という事。その答えは結構自然と教えてくれるものである。休みになるとショートステイやレスパイトの希望者が急に増える。別に宣伝しなくとも口伝えで集まるようだ。これは本当は我々事業所にとれば有難いビジネスチャンスなわけなんだ。だが全てにOKとはいかない。それは受け入れの体制が組めないというのが一番の理由。365日年中無休という看板をあげてしまうと大変だ。そこまではどうしても踏み出せない。お断りするつもりが無くても結果として受け入れできない場合も出てくるからだ。
 今、取り組むべき最大のテーマは利用者さんが大分年老いてきている事への対策である。日課の見直しを本格的に考えないとまずい。それに家庭に帰省出来ない方が毎年増えている。この対応も早急にしないといけない。判ってはいるのだが、まだどうにかなるだろうと問題先送りをしてしまう。某県の施設長に聞いた話、地域密着型で定員29名の特老が有るという。このまま高齢化するのを黙って見ているわけにもいかない。本格的に調査し、実行プランを作りたいと考えている。
 スタッフとの個人面接の中で思いも依らなかった良いアイデアが出されることがある。それをどう実践に結びつけるかがイマイチ上手くいっていない。私の能力不足。
 余裕がないというのが一番の理由である。
 これもやりたい、あれもやりたいと頭には際限無しに浮かんでくる私はちょっと異常なのだろうか?
 先ほどニュースでC型肝炎薬害患者一律救済を議員立法で考えるという福田首相の話があった。なかなか本腰を入れずに原告団の皆さんはイライラしていた。これを認めてしまうと何かまずいことがあるのだろうか?雪崩現象で次から次に問題がでてくるの恐れてのことか? 真実は知らない。
 無礼とは承知の上で、福田さんが首相になって初めての英断だと私は思っている。世論調査の数値は結構いい加減だという。年金問題解決の公約について政府の答弁が歯切れが悪かった。だから一気に人気が急落、多分、こんど議員立法で本当に一律救済を実現できたら、人気が急上昇するだろう。そんなもんだと思う。一喜一憂していたら政治などできやしない。
 公約の一つ国民の視点に立つということは、国民が何を一番欲しているのかということを探るアンテナをもつこと。
 防衛省疑惑問題などは、全く国民の知り得る次元ではないから余計不信感が増す。国の防衛に関しては全てをオープンにできない事ぐらいは誰もが認めている。
 障害者自立支援法に関しては、我々事業所だけの要望では片手オチ、利用者や家族の声が後押しとしてなければ、世論を動かすまでには至らない。事業所側に先ず求められる事は、事業の内容をオープンにすることである。特に財務状況に関しては情報開示がかなり遅れていると私は思っている。年間収支の実際を公表しないといけない。当法人はこのHPに毎年決算書を掲載していますから見て下さい。
 

741:集団発生

ここで紹介するのを躊躇したことも事実です。それは周囲への影響がどの程度なのかという想定が出来ないという事が一番の理由。だが決意しました。有りの儘に記すことを。
 尚恵学園は4つの地域に別れて活動しています。一つの施設で恒例のお楽しみ行事、1泊でのグループ外出が行われました。利用者5名と職員2名。千葉県の旅館に泊まり、観光をしてきたのです。旅館で1人のメンバーが嘔吐、帰園後、3名が嘔吐と発熱。翌日の午後に、園のメンバーに何人かの発熱や嘔吐をする方が出始めました。以前ノロウイルスの発生の経験がありましたので直ぐに対応(安全衛生委員会)、ノロウイルス対応を行うことにしました。その後は嘔吐か下痢もしくは発熱するものは通院し、医師の指示に従いました、10名以上の症状を示す方が出た時点で土曜日で休みでしたが保健所に連絡、午後3名の所員の方が来て下さり、現状の報告と今後の対応について指示を受けました。昨日の時点では皆さん快復の方向に向かっています。しかし油断は禁物。
 施設は集団生活の場です。通所施設であれば体調を崩す方がおれば当然自宅で静養されます。しかし、入所施設はそうは行きません。他への感染を最小限に抑える努力をしなければならない。メンバーさんで大人しく静養出来る方ならば良いのですがそのような方は殆どいません。この状況は一般の人には想像できないことでしょう。
 周囲への影響で一番大きな事。
 *地域の事業所に就労している人達をどうするか?事業所への連絡。
 *法人で行っている生産活動をどうするか。(まんだら工房)
 *冬休みの施設合流をどうするか。など直ぐに決断しなければなりません。
対応すべきことが沢山あります。今のところ、一箇所の施設だけでの発生ですから、保健所と協議した結果、他の事業所との交流を遮断し、他の活動は普段通り実施して良いとのことになりました。正月休みを終えて、またメンバーが帰園すると新たな病気が流行る。実はこの繰り返しを毎年のように行っているのです。それも50年もの長き間です。
 今回はまだ途中です。今後どのような展開を見せるか充分注意して対応していかなければなりません。
私は、人を預かる仕事の難しさを感じています。皆さんが家庭において、もし同様の感染が起こっても届け出する義務はありません。法定伝染病ではないことがその理由とか。インフルエンザやノロは一般家庭のほうが発生する頻度が高い。むしろ施設などは地域との交流が限定されているから感染するリスクは低いはずです。しかし、自らの健康を自分で守る術を知らない人達です、この人達が罹患すると難しい。彼等は他人へ病気をうつしてしまうことを避ける術も知らないからです。
 避けては通れない事だと覚悟は常にしています。メンバーさんの事を第一に考えれば当然辛い思いをさせたくはない。
だからといってスタッフがわざわざ危険があるような所にメンバーを連れ出す訳がありません。お楽しみのお土産が結果としてどこかで病気をもらってきたという事です。正直マスコミに騒ぎたてられたくありませんが、マスコミには報道の義務があるのでしょうか。良く解りません。
 このような事を考えていたら、昨日某施設長から電話が入りました。「住田さんに以前言われた事を思いだして電話したんですが、私の園で利用者が下痢をしたりしているんですがどうすればいいですか?」「保健所に連絡をいれたほうが良いですよ」「でも日曜日で電話が通じない」「緊急の連絡先が在るはずだからそれに一報を入れて見て下さい」・・・・・元役人をされていたその施設長は現場の苦労を切々と訴えた。「尚恵学園でも今同じ対応をしていますよ。」と私が言うと、急に元気になったみたいで「それじゃー直ぐに保健所に連絡してみます」と言って電話を切った。私はちょっと気になったので今奮戦中の寮長に相談になってやって欲しいと電話した。
 これを読んでくれた施設関係者の方へ。
 心身協としても集団発生について何らかの対応策を考えたいと思います。でも私が確信していることは、集団感染が発生した時は地域に不安を与える結果になるかも知れません、しかし必ずや理解していただけるし、恐れて隠し立てするよりも良い結果を生むということは言えます。スタッフにとって周囲に知れてしまうことを心配しながら対応するプレッシャーは大きいし、それを取り除いてやるべきだと私は思う。なにせ、この地球に菌が存在する限り、人間にうつらないという補償は無いのです。当たり前の事です。ただ、我々が開き直る態度はちょっとまずいと思う、あくまでも誠意を示しながら謙虚に。

742:暫時休憩

奥日光(1/23朝)
年度末の駆け込み会議を2つ済ませ、グッタリ疲れて帰宅する。本日初めてのPCを開いた。実にありがたい。昔の山の仲間から数枚の写真がメールで送られていた。奥日光周辺の2日前の雪景色。大分積雪があるようだ。
 何かホットできる瞬間。なんでそんなにアクセクするんだ?とその写真が語りかけてくれる。暫時休憩しようよ。
ウンそうだな。と自分に言い聞かせてはみたものの、どうしてどうして。猫のハナが占領している炬燵にどけどけと入り込む。
 迷惑そうな顔をしやがる。テレビをかけると、ありゃーなんじゃこれ。日本テレビの面白番組?
 茨城県土浦市ときた。直ぐにわかった。2週間位前だったろうか、土浦市の介護事業所が不正請求をして1億6千万円の返還命令と事業所認定取り消しの話が新聞報道された。私がよく知っている市の課長もテレビのインタビューに答えている。社長は直接は知らないが、その事業所は知っていた。そうか7月頃にテレビ局に内部告発のメールが入り、密かに調査していたのかー。先ほど立ち寄ってきたばかりの茨城県庁もテレビ画面に出ていた。それに同じフロアーの担当課長もだ。
 やっぱりなー。福祉で金を儲けようなんて魂胆がいかんのよ。そんな事業所は社会的制裁を受けて当然だ。
 その社長さんの乗っている車、BMW、やだなー。どこでこんな風になっちゃったのかねー。内部告発したくなる心理がどういうものか解らないんだわな。不正請求しておいてよ、ヘルパーに働かせてよ、自分は高級車だろう。頭にくるわな。
 その辺のモラルは、制度や法律ではいかんともし難し。自浄力をつける事でしかない。
 まー、いずれにしてもだな、悪が蔓延る社会は感心できない。もっと酷い実態が次々にテレビ画面に出ている。出演している若手の議員もあきれ顔。これって自民も民主もないことでしょうね。政治が力を持たなければ日本は限りなく借金を積み上げていくことになる。
 今日あたり多分全国主管課長会議が招集されているはずだ。自立支援法の改正などの説明があるのだろうか?
『実は(きょうされん)のHPに当日の配布資料はもう掲載されている。このSPEEDが危機感の物差し。解りますかね。』
 改正案の段階で、文章が乱れ飛んでいる。改正改善をうたってはいるが、肝心の数字が漏れている。私は疑い深い性分、何かだまし討ちにあうのではと心配はしている。あまり振り回されたくない。暫時小休止。

743:我亦紅(われもこう)

CD3枚が着払いでやっと私の手元に届く。それは「我亦紅」という曲。杉本真人という人の曲だ。様々な音楽サイトを捜し、アマゾンでゲットした次第。私の情報は遅い。何故この曲を知ったかというと、ラジオ深夜便で流れたのだった。曲と歌声が夜中の静けさの中で例えようの無いハーモニーを奏でる。聞いていて涙が流れた。一瞬失敗したと思った。なんという曲なのか解らない。曲が終わり、「すぎもとまさと・・・」という歌手の紹介があった。曲名までは聞き取れなかった。それから私のこだわりで調べ始めた。そして、やっと3枚のテイチクのCDを手に入れた。
 母に捧げる哀悼歌!!「我亦紅」(われもこう)は秋に咲く花ということも後で調べて解った。「我も亦紅と 野の片隅で咲く花」、泉鏡花の「秋の草」の玉川の花でこの花の事が書かれている。
 特に2番
 小さな町に 嫁いで生きて ここしかしらない人だった・・・それでも母を 生き切った
 俺 あなたが 羨ましいよ・・・ 今はいとこが住んでる家に 昔みたいに 灯りがともる
 あなたは あなたは 家族も遠く 気強く寂しさを 耐えた あなたのあなたの 見せない疵が
 身に沁みて行く やっと手が届く ばか野郎と なじってくれよ
という部分が強く心に残った。

 杉本真人という人を初めて知る。そしたら大晦日の紅白歌合戦に出場するという。有名な人なんだ。自分の無知に呆れた。しかし、私は歌はあまり好きではないから、ほとんど覚えない。何かを感じる曲は例外だが、その数少ない曲となった。

 親不孝をした息子が秋に母の眠る山裾の墓地にひとり逢いに行く。 ただ あなたに謝りたくて。
この情景が目に浮かぶ。どことなしに自分にダブる。私の年齢ではもう既に両親を亡くした方が多いだろう。年老いてくると父親よりも母親に対する様々な想いが駆けめぐる。 良く近所の伯父さんが酒の席で私に聞かせてくれた。
 「おめーの母ちゃんはなー。苦労したっぺーなー。親父は困った人がくるとみんなやっちゃうんだものなー。夕方な裏道からなーそーとよ、米を貸してくれってきたんだー。子供らに食べさせる米がねーってな。何もそんなことまでしなくたって もっと良い暮らしできたっぺーになー」「周りの人はそんなお寺の母ちゃんを知っていたから 学園の事を応援したんだ・・・・・・」
 腹減って「ご飯は?」と言っていたのが、この私だった。これは強烈ですよ。この言葉、それに支えてくれた近所の人達。
 野の片隅で良いと思っていたのだろう。でも我も亦紅という思いは強かった。それが尚恵学園の「共生」と聞いた。
 今、本当になんでも有りの時代、何が大切かさえ解らなくなっている。本当に信じ合えるスタッフがどれだけ育てられるか、実は実はこれが一番大変なんだよなー。
昨日、職員募集で応募があった学生と面接をした。なんと彼は福井県の方だった。永平寺よりもっと山に入る実家、長男で父の反対を説得して応募してきた。彼は朝5時から学校が始まる時間までと授業が終わってから夜の9時まで毎日アルバイトをして生活費を自分で稼ぎ、4年間の大学生活を送った。「一体どこで尚恵学園のことを知ったの?」「自分でHPなどで調べたんです」という。全く素人手製の見にくいHPも見てくれている人がいるんだと驚いた。1時間ぐらい雑談して過ごす。
 私が「やってみるか?」と最後に尋ねたら、きちんと身を正し「はい。やります」とはっきりと答えた。来年度採用3名がこれで内定した。

744:攻防戦

今年も残り少なくなりました。まだ1年の総括をするにはちょと早いか。しかし、私の場合は毎日が反省ばっか、その積み重なった状態が今日の自分。福祉に関すれば、今年ほど様々な話題が賑やかだった年を知らない。押しては引きの駆け引きだった。面白い事に当の本人は相変わらずのマイペース、彼等の周囲が騒いでいるだけ。政治も行政も施設も家族もだ。
 それぞれの思惑が微妙に異なるから、誰もが納得する線が引けない。妥協点が見いだせない。少しづつ出し惜しみする政策に現場が翻弄された。メンバーさん達とそのままどこか静かな山奥にでも集団疎開したい気持ちだ。果たして関係者が大騒ぎするだけ一般の人に感心が高まったのだろうか? むしろ、マスコミが興味本位で煽る事業所の不祥事が福祉に対する負のイメージを固めてしまった。この罪は大きい。不透明&不信。これを打ち破るには相当の覚悟と地道な実践が必要だ。
 そもそも福祉業界に目立ちやがり屋が多くなったことが間違い。いつの間に勘違いし、自分が主役を演じてしまう。
敢えて総括するとすれば、不祥事がどこにでも起こりうるという事がわかったことだ。コムスン問題から田舎の小規模な介護事業所の不正、規模の大小は問わない、そして、それをチェックしきれない今のシステム。性善説に立てば裏切られ、性悪説に立てば空しさが残る。
 確かに、福祉の業界は井の中の蛙、自分達のサービスが果たして良いのか悪いのか確信が持てないでやっている。そこにメスを入れたのが市場の原理、競う事と評価を取り入れた。しかし、問屋が卸さない。サービスの対価が受け手の満足度ではなく金銭が絡んだ。なにがどうなっているか判らなくなった最大の原因。競争社会の勝ち組負け組の論理をそのまま使おうとした訳だ。
昔を懐かしむことは、なるべく避けたい。しかし、ほんの30年前には報酬単価も低く、それで得る満足よりも、ずっとずっと大きなやりがいが他にあった。なぜこうなってしまったのだろうか? それは簡単に言えば需給のアンバランス&ミスマッチである。 まとめていくらのドンブリ勘定で人間個々に異なるニーズを満たせる筈がない。質を問う前に量に答える政策の読み違い。
 果たしてどうなんですか。本当に量が不足していますか?教育関係の学生の青田刈りと同様の福祉の業界実態もあるのでは?
 私の住む小さな町でさえ、こと老人に関すれば提供ベットが空いています。営業が入居者募集に福祉事務所まわり。竹の子みたいに生めよ増やせの政策でこのザマである。これでは大変と役所も規制をし始めた。そんなこと想定通り、1年間地域に住みさえすればGHへのサービスが受けられる。だからどうですか、高齢者専用アパートなるものが凄い数で増えた。それも1年後に介護保険のサービスを受けたいがため????
 知的に障害を持つ人達へのGHが何故すすまない。それは簡単。ペイできない。事業のうま味が少ない。この現状を知りながら事業を続けていくのは、正直つらいものがあります。
 それは何故辛いのか、若い人達が魅力ある仕事と感じてもらえるかどうか?という事への心配。益々締め付けの強くなる時代へ突入、上手く潜り抜ける人もいれば正当に王道を進む人もある。
 お前の所はどっちを選ぶんだね???「聞くのがヤボですよ」

745;破顔一笑

正月の風景。毎年の事である。実家に帰れる人は、迎えをいつかいつかと待っている。Nさんは寒い日でもいつもの場所に陣取り、じっと玄関の方向を見ている。私が「寒いから中に入れば!」と言うと「カアカン むかえ くる」と動かない。
「あそうか。カアカンのお迎え待ってるんだ」するとはっきりした声で「うん」と答える。何人かは、もう早めに帰った。するといつも座っている指定席ではなく、今度は表の玄関まで出てきて身を屈めるようにして待っている。
 みんなより2日早めにお姉さんが迎えにきたSさん。事務所に来て、床に正座して深々と頭を下げたという。何を始めるんだと一瞬思ったそうだが、彼女は三つ指ついて丁寧に挨拶する。「お世話になりました・・・・」という仕草をした。今朝早く迎えのタクシーに飛び込むように乗り込んで帰っていった。
 だが、現実は厳しい。事情で帰れない仲間が増えている。その事を理解できている方はまだ我慢しようとする。「かあちゃん いねーもん」とかそれぞれの自分を納得させる理由を述べる。実際は違う理由が多い。
 久しぶりにガラスを割ったKさん。彼女の言い分はなんだったのか?彼女は居残り組ではない。お母さんが「K子が怒るから仕方がねーんだ」と電車とバスを乗り継いで必ず迎えにくる。
 今年は,寮の合流はやめた。これからはもうそれができなくなるかもしれない。あまりにも多くのメンバーが帰れなくなったからだ。他の種別の施設長に聞いた。身障や特老では利用者の帰省は殆どないという。365日休み無し。職員はお互い様ということで交代で出勤している。だが、家族持ちが多くなると、どうしても若い者が出番になる。
”破顔一笑”・・・・彼等が心底から大笑いできるのが果たして有るだろうか?
家族との繋がりは、他人が代用できることではない。そのことを機会あるごとに話している。ただ、それを言われるのが辛くて遠のいてしまう家族もいる。難しいことだ。
 除夜の鐘・・・・・・実は実は様々な想いが私の中にはある。「かあちゃん いねーもん」と言ったH君、それは明らかに表向きの言い訳、それを言わせなければならない世の中に、思いきっり強く鐘をついでやれ。
言葉かけ
 29日になって。
午後、各寮に顔を出してみた。もう既に帰省予定のメンバーは皆さん帰ってしまい、静かな寮である。残ったメンバーはいつもと何も変わらずに過ごして居るように思える。
 しかし、実は全く違う。彼等と目が合うと、寂しさに耐えている目に思える。これだけは我々にどうすることもできない。
 言葉かけにしてもどのように声をかけてよいのか判らない。これも毎年繰り返される。
 

746:大晦日

平成19年も今日1日を残すのみになりました。皆さんにとってどのような1年であったことでしょう?
 私にとっては、思い出すことが出来ない程、様々な事があった1年でした。それは一つ一つが良い思い出です。体力は若い時分と比較すれば、大分無くなりました。これは自然の理です。神宮寺と観音寺の住職という役目も皆さんに支えられどうにか勤めることができました。住職になり、30年の褒賞を管長より頂いたのには正直驚きました。いつの間にか30年経ったという思いです。施設に於いては、団体の県代表に推され、2年目を迎えました。何も連絡が入らないという日が無かった位、東京と水戸との調整に明け暮れた1年でした。学園の仕事は際限の無いものです。お陰様で多くの方に利用される尚恵学園になったと思います。これも、職員の皆さんの協力があったからこそ実現できたことです。いくら感謝しても仕切れるものではありません。
 また、いろんな人との出会いも経験しました。一度きりの出会いもありますが、生涯の友としてお付き合い頂ける方もおります。そう考えると私は幸せ者です。その反面、私の知り得ぬ所で、嫌な思いをさせてしまったり、迷惑を掛けた人もおると思っています。そう考える事で、調子者の自分にブレーキをかけることにしました。来年は58歳。本来ならば定年後の事を思いめぐらす年齢になるのです。幸か不幸か、私にはそれが許されそうもありません。終身刑みたいなものです。 これは今となっては諦めるより仕方がないと考えるようになりました。既に亡くなった多くの友人や知り合いの事を考えると自分の至らなさを痛感します。
 明日は元旦、特に何かが変わるものではありません。《朝記す》
* 除夜の鐘の用意万端整いました。《午後5時》

747:謹賀新年おめでとうございます

2008年、明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。
 私にとっては初めての経験を昨夜しました。観音寺()の鐘楼が完成し、念願であった除夜の鐘を行ったのです。11時から撞き始め、終わったのは年明けての1時ごろでした。空いっぱいの星とライトアップされた鐘楼が何か幻想的な雰囲気を作ってくれたのです。私は本堂と鐘楼を行ったり来たり、太鼓に合わせて経を読んでいました。まだ充分知り渡ってはいませんから、口伝えで集まってくれた人達とお手伝いしてくれた仲間、心配したごった返しするほどの混乱は無く、幽玄の一時を楽しむ事ができました。風も無く絶好の天気を恵んでくれた大いなるものに感謝、それに暖かな差し入れを届けてくれた皆さんありがとうございました。(神宮寺()は1月24日、初ゴマがあります。)
 さてと、気持ちを切り替えて今年も『源究』に好き勝手言いたい放題を書かせて頂きます。2月からは、これまた待望のフレッツ光が利用可能となります。このHPも動画や音声を加えレベルアップを図りたいと考えています。
 継続は力なり。不思議なことに書きたいことが際限無く浮かんでくるのです。その時々で心動かされた出来事や人との出会いを大切にしながら、皆さんに発信していきたいと思っているのです。SJKネットサービスという耳慣れないロゴを敢えて使っていることの狙いがあります。言葉は気に止めなければ、流されます。「共生」という我々のモットーがいつのまにか政権公約の中で利用されている時代、言葉に秘められた真意は、実践があって魂が入るものです。良く例えられる車の両輪の関係がそうだと思います。
 実践は、予測できないこと、自分が足を踏み入れて初めて実感出来ること。
 私の経験で確信していることは、実践の中にこそ、本当の感動と喜びがあると言うことです。そして、やり続けること。
途中で断念すると、自らの経験を次ぎにつなげることが難しくなるのです。福祉の世界は、当に2008年が正念場になると思います。見切りを付けて業界から撤退する事業所も出ると思う。それは何か? 事業として成り立つか否かのトップ判断の相違。 私は、創立52年目の今年新たに誓ったことがあります。それは、尚恵学園()を必要としている人達がいる限り、この事業を続けていくという決心です。何故ならばそこには大きな責任があるということです。
 危機はチャンスなり。スタッフに期待することは何が今必要なのか?という事への答えを追い求めていってもらいたいこと。
家族に期待することは、できる範囲で良いからメンバーさんとの絆をしっかりと保って欲しいこと。
 そして、最後に地域の皆さんにお願いがある。昔から、お寺の子供達といって身近に感じていただいた暖かい地域です。これからもご迷惑を多々おかけすると思いますが何卒、宜しくお願い致します。
            2008年元旦にあたり。

748:脱!官依存

 脱!官依存。
自ら立つ事が出来ない業種の将来性はない。地域格差という社会の亀裂が何故解消できないのか。これは官(霞ヶ関)への依存&頼り過ぎにあると思う。政治への不信感も地域の代表である議員がなんら能力を発揮できないことにある。その出来ない一番の理由が”官”という大きな壁があるからだ。(てっとリ早い政治手法が所謂 「族議員」という立場。しかし長年の間には政官癒着の構造が生まれたり、うま味のある特化した業種への偏重がでる。) 
霞ヶ関の人々が日本全国隈無く目が届く筈がない。そこで出来ることには限界があり、平準化された制度をつくるだけ。それに対する不満をかわす為に制度を複雑化し貰えるけれどなかなか貰えない、終いにはギブアップする。それに、行政の持つシステム自体に欠陥がある、制度改正を担当した責任者が常に変わる。(もう記憶が薄くなったでしょうか、例の新法を作った課長は贈収賄事件で騒がれましたよね)自分の担当したものでは無いという責任逃れの常套的やり方、これにいつまで翻弄されて良いのですか。果たして声を大きくすれば届くのか?変わるのか?否。そうではなかった。
 私はいつも外側から見つめていることだが、街活性化活動も全く根の部分では同じ。既得権と過去の良き時代に幻想を持ち続ける仲良しクラブでは、決して変化は期待できない。自己満足の域から出られない。
 官民の役割分担が曖昧になっている事への自らの反省として、民が自立できていないことがある。だから非効率を承知の上で同じ事業を平行して行っている。私の知人に特定郵便局を親の代から行っていた人がいる。彼は郵政民営化が確定すると真っ先に引退し、局を他人に任せ、自分はその賃貸収入を得ることで老後への備えとした。小さな街だが、今もその郵便局は変わりなく存在している。
 官でなければ出来ないという理屈は、官の奢りである。夕張市と同じ財政破綻の市町村が相当数あるという現実(連結決算をすることになって明らかになる)、おらが街は大丈夫だー!という思いは、情報を開示しない行政の責任か?そうではないだろう。これだって官依存のぬるま湯体質。
 冷静に考えて、障害者自立支援法を抜本的に改正しようとする中央での動き、期待を持つと裏切られると思うよ。
 だってそうでしょう。我々の活動は霞ヶ関からすれば、ほんの一部の問題ですよ。国そのものが収支を国債の発行(借金)で回している赤字体質から脱皮できない。自ら立っていないんだよな。金の出どこが借金分からなのか否か、色づけできないから誰も判らない。政治家1人の経費が一体いくらかかるのかを知っています? それを決めるのは誰? その政治家を選ぶのは誰ですか。 この従来からの循環を抜本的に見直すのが障害自立支援法の抜本的見直しの先のはず。そこに手を付けずして、何色の金を回そうとするのでありましょうか!
 恐縮ですが私の福祉論が再登場。福祉の勝ち組負け組は負け組にこそ、その本質がある。勝ち負けの判定を誰がするかという事が条件になる。誰か、答えは簡単、サービスの受け手の判断である。持ちつ持たれつ&支え合う関係が実は一番重要なんです。日本版の社会保障の仕組みをつくるべきという論議はうんざりだ。そんなこと言わずもがなだ。
 自ら立つにはどうすれば良いのでしょうか!それは実態を明らかにする勇気を持つことが先ず必要でしょうね。
次の世代に何を残すのか、その事も実は今の日本人が真剣に考えなければならないことである。
 ★新春一弾にしては、ちょっと重く固い内容になりました。

749:逆境を活かす

上記での勝ち組負け組の持論を少し説明しましょう。端的に言えば事業と人のどちら側に重点を置くかということに尽きます、福祉は本来、個々に関するもの、だからサービスの量や規模で判断すべき事ではない。どのような物差しを用意しても客観的な測定は出来やしない。むしろ、そこを強調すればするほど数合わせや誤魔化しの温床になる、そして、ますます個々人の福祉から遠ざかる。良く考えれば判ることなのだが、どうも福祉を事業と考え始めた頃から、ズレが生じたと思っている。福祉の原点は人と人とのつながりである。
 勝ち組、(事業提供者)からすれば、予算規模や事業数の大小で評価されると錯覚するからその事が目的化する。一方、負け組と言われてしまうものに、規模が小さく零細の事業所があるが決してそうでは無いはずだ。比較するから焦点がずれるだけ。ヨーロッパ福祉の30年前、私は限られた期間ではあったが、見てきたものはそうでは無かった。日本の勝ち組と称されるものには、創設者や理事長という個人への過大な評価が優先する。少なくともヨーロッパでは個人を必要以上に讃えることはしない。寧ろそれに代わるものに地域がある。ベーテルが今どうなっているか知らないが、街全体が住民の福祉を支える実践があり、そこにこそ価値があった。
 日本には残念ながら未だそこまで成熟した地域がない。勝ち組は人と組織との関係、負け組は人と人との関係を重視し、そこでの弱点を地域が補完する。
 今、日本の社会保障の実態が明らかになりつつある。社会保険の問題が未だ解決のメドがたたない。誰が考えても可笑しい。しかし、関係者が責任を取らない、曖昧模糊とした説明に当事者が怒らない。なんとノーテンキな国民なのだろう。これだってそうだ、当事者が主役ではなく組織が全面に出ている典型だ。
 芭蕉の句に
  ”よく見れば 薺花咲く 垣根かな”というものがある。
ナズナは路傍や田畑にごく普通に自生する春の七草の一つである。
 今がもし逆境であるならば、それをチャンスに活かす。この発想が芭蕉44歳の時の句に私は感じる。障害者福祉を叫ぶ者達は障害を特別視しすぎる。その事で自らを正当化するからだ。ナズナを障害者と思えば、特に変わったことではなく、極めて普通の人間なのである。ナズナは自らの備えた生きる力で春に花を咲かせる。自らが切り花となり、花瓶に飾られることを望みはしない。芭蕉は垣根に咲いたナズナを良く見てそこに人生の価値を見いだす。
 無理なこじつけなどなく自然体で感じ取る。ナズナと芭蕉の関係(支援の受け手と支える側)が福祉の原点になる。
ナズナは他の花とどちらが綺麗かなどと優劣を競わない。時期が来れば芽を出し、花を咲かせるだけのこと。
 ナズナには利尿・解熱・止血作用があり、昔から重用されてきた。これとてナズナが望んだことではない。ありのままである。
障害者自身も周りの人達に様々なメッセージ(癒し;和み:生きることの価値など)を送っている。それを感じ取ることができるか否かは当人の問題ではなく周りの人間の感性と能力だ。
福祉を取り巻く環境は、従来の国に依存し、上手く補助金を得て事業拡大をはかることが望めない時代になった。それを本来の福祉に戻るために逆境と取るかチャンスと取るかは、しつこいようだが、どちら側に重点を置くかという事で自ずと答えがわかるでしょう。
 まだわかりませんか?????  余計わからなくなったって???そうか。

750:老少不定

華厳の滝(元旦)
光徳小屋からの定期便、昨夜受信した。今回は水量の増えた華厳の滝。
 日光の観光スポットとして多くの人が訪れる。中禅寺湖から流れ落ちる滝は四季折々の姿を我々に見せてくれる。あたかも何事も無かったかのように。
 昨日、寮長より電話があった。Mさんが今朝亡くなったという知らせが家族からあったという。丁度冬の帰省が終わる日であった。
Mさんは去年の6月朝食後急に体調を悪くし、自室で倒れていた。朝食で食べたものを喉に詰まらせたのだ。気づくのが遅れたこともあって救急車で病院へ搬送する頃には自発呼吸ができるようになったが意識が戻らない。
 その後、病院での意識が戻らないままでの入院生活が続いた、療養型の病院へ転院になる時に家族の了解を得て、尚恵学園の籍が抜けた。入院してから毎日朝晩職員は彼の病室を見舞った。正直、我々の過失が無いということはない。それから7ヶ月後、彼は50歳で息を引き取ったのだ。私は昨夜、彼の実家のS市で行われる通夜に参列、遺族の方に謝罪をした。
 帰りの車の中で初めて知った。彼が倒れた前日、外出の希望を本人に聞くと「お墓参りしたい」と言ったという。両親は既に亡くなり、その頃から彼は帰省の留守番組になっていた。ケース担当の職員とS市にある両親の墓にお参りしてきた翌日の朝に事故が起きた。様々な憶測が飛び交った。その朝から彼の意識は戻らず、問いかけへの反応を示すことも無くなった。その日は新築する自活棟の上棟式の日でもあった。何か偶然として片づけてしまうにはあまりにも多くの事を彼は我々に残していった。
『老少不定』(ろうしょうふじょう)とは老人が先に死んで若者が後からという定めはないと言うこと。人の命は定めがなく、親子が逆になる場合はいくらでもある。いくら人間は長寿を全うしたとしても後に残していくものへの何らかの思いがあるものだ。それが障害を持っている子を残していく親の気持ちは計り知れない。Mさんの棺の中の顔は穏やかであった。何かホットしたような顔に思えた。親の葬儀に列席できなかった彼がやっと両親の元で眠ることができるのだ。彼は22歳の時に我が園に入所してきた28年間、帰省日には足踏みしてお迎えを待っていた彼の姿が思い浮かぶ。車の運転ができない母親はS市から電車を乗り継ぎ、神立まで迎えに来た。
 その事を思うと頭の中が整理がつかない。
帰宅してPCを開きメールを見たら、上記のスナップが送られていた。そして30年ぶりに鹿児島のSからも電話があった。
30年は記憶を辿ってみてもほんの断片が浮かぶだけ、Mさんの28年は当にそれと同じだけの年月であった。