源究71

  

No テーマ 月日 No テーマ 月日 No テーマ 月日 No テーマ 月日
931 気持ちを変え 8/16 936 実践躬行 8/23 941 居酒屋 8/31 946 900円コーヒー 9/6
932 舞台袖 8/18 937 いのちの授業 8/25 942 哀歌 9/2 947 200円コーヒー 9/7
933 伝える 8/19 938 振り返る 8/26 943 こだまの話 9/3 948 施設運営 9/8
934 日本文化 8/20 939 実体福祉論 8/29 944 私設図書館 9/4 949 願い事 9/9
935 モード変更 8/21 940 肝胆相照 8/30 945 ボレロ 9/5 950 同じ穴の狢 9/10

931:気持ちを変え

今、CDを聞きながら書き始めた。大分昔に買ったもの。題名『Ethnic Sound Selection』選曲:監修 細野晴臣。GAYA 恋歌。モンゴル・インド・イラクなどの民族音楽である。聴いていると何か妙な感覚を覚える。土壁の家で地面に敷かれた絨毯に座っている感覚。ワキをラクダの隊商が通るような奇妙な錯覚。乾燥の台地と独特の臭い。タカマラカンか天山か。
 年を取るにつれ、肉体的衰えは避けられない。だが、こうやって何もせずに年を重ねてなるものか!この辺が私の往生際が悪いところかもしれないな。 さて、皆さん、源究71を覗いて見て、先ず何か感じませんでしたか?背景の壁を変えてみました。どうです?奥深さを感じませんか? 私は日本人の感覚には墨絵の暈かしや書のかすれになんとも言えない妙を感じる感性があると思うのです。確かに国が違えば異なる感覚があります。「五薀」色受想行識はそれぞれです。
 ちょっと頭デッカチになったかな。小休止して、今施設に行き、草刈りを小1時間ほど行ってきました。8時前ですから、また理事長が何か始まったと感じたスタッフもいたでしょう。刈りっぱなしで引き上げてきた。これは理由がある。少し乾かした後が燃やすにも都合が良いからだ。汗をビッシリかいてきた。そしてまたPCに向かい始めた。
 気持ちは変わらない。そんな簡単に変わってたまるもんか。実は今日は16日、送り盆である。駐車場には朝から代わる代わる車で墓地まで来ている。先祖を車に載せてお墓まで送ってくる。可笑しいかな。
 ”良い坊さん”という話があった。どこで耳にしたかは思い出せない。良い悪いは何を基準にするのだろう。
 多分、お布施が安いとか威張らない坊さんが人気があるのかもしれない。
霊験あらたかな坊さんっているんだろうか?これは自己PRすればするほど胡散臭い。まー止めといたほうが良い。
 今、少しづつギアチェンジしている。それは、作家が自らの作品の中で織りなす宗教観を調べてみようかと思ったのであります。それは何を隠そう、何気なく書棚を見ていて一冊の本を手にしたのがきっかけ。大河内昭爾編:「小説家の中の宗教」丹羽文雄宗教語録。櫻楓社。
 ここに至る経緯を説明するには一言では言えない。今回で931本を徒然書き続けてきたことが答えとでも言っておこう。
 この辺が私のライフワークかなー。仏教と福祉を別立てで考えてはいない。ただ、どうしても分かり難い。坊さんが難解だと感じるのだから一般の人には推して知るべし。どうにかできないか?様々な宗教書を読みあさった。説話集なる法句経はどうも内容が膨大で取っつきにくい。現代風にアレンジしたものがあってしかるべきだとは思うが、お目にかかっていない。
 敢えて現代に通じるなんらかの手立てを模索し、実践に移すべきではないのか?こんな事を性懲りもなく考えている。
 五薀盛苦を諦感するには、まだその域に達せず。心がけて探ってみようと気持ちを変えた。60歳を一つのターニングポイントと考え、残り2年をその助走準備期間と設定したわけである。

932:舞台袖

NHK特別番組で「連続通り魔事件」に関するものをやっていた。教育者・人材派遣会社社長・精神科医師・作家・ジャーナリストが円卓で意見を述べ合う。世代の違いや立場の差により、秋葉原や全国で起こっている無差別殺人に対する考えに違いがあった。編集の意図は、現代の若者の病み部分を探ろうとするものであろう。
 この設定の中に、どうして宗教家が登場していないのか?率直な私見として、これ自体が日本の抱える問題では無いか!どうも日本のマスコミは宗教をタブー視しすぎていないのだろうか、時あたかも旧盆で全国で帰省ラッシュの最中である。
何か、社会の歪みや問題を各社こぞって取り上げるが、現象面だけを追っかけ報道するだけ、その判断は視聴者に委ねられる。そして、マスコミの報道は被害者の通夜の席のLIVE報道という臨場感?を狙ったお決まりの手法、各社、全く同じパターン。
 ポッカリ穴が空いた舞台の袖から宗教が一瞬顔を出す。これこそ今の日本の病みではないだろうか。
一体、宗教は様々な社会的な問題にどう関わり、宗教家自身がどう感じ、日常の実践で何を行っているのか、全く見えてこない。宗教団体そのものも保身に明け暮れているのか発信すらしないではないか。私は末席に座るものとして憤りを感じている。
 今の若者が過去や現状への不満を解決することもできず、悶々として生きているものも相当数いるはずだ。彼等に将来への夢を語れといっても所詮無理なこと、勝ち組や負け組という区分けがさも自由主義の置き土産のごとく語る評論家、彼等の語る現状分析で、現に悩み苦しむ若者の気持ちを理解するものはいない。自らは一歩身を引いて客観的な場にて観察している。
 セクト主義の宗教もどうかと思うが、胸襟を開き、今の社会の問題を公共の場で語らう機会を早急に持つべきだと私は考える。 お盆で普段会うことがない坊さんと話した。彼等の関心事は”直葬”(じきそう)亡くなるとお寺さんに頼むことなく荼毘にふし直接埋葬するやり方。葬祭業者主導と批判をいくらしてもだ、一般の人々の意識が宗教(僧侶)を必要としないものになっているからだ。
 そこにこそ、我々僧侶としての落ち度があったということではないか。
 先のマスコミに登場する坊さんが、各宗派で出せるか(人選)という問題も実は大きい。自分の宗派の事のみをPRするものはいくらでもいるだろう、だがそれでは公共の電波をつかってどうかと思う。
 この辺が年中行事の盆を終えた我々宗教に携わる者の最大の課題である。
 宗教は檜舞台のプリマドンナになる必要はない。しかし、いつまでも舞台の袖で出番のない時間を過ごすには高額なチケットを買い求めたお客さんに大変失礼である。
  いつまで隠れているんだ!

933:伝える

西に沈む夕日、多くの事を語りかける。私にとって彼岸此岸いずれにおいても決して粗末にできるものではない。
 さて、10ヶ寺を越す施餓鬼会助法も半分が過ぎた。自分の寺は7月に終わってしまったから気楽なもんである。ただ、布教を頼まれる。これがまた何を話せば良いのか寸前まで迷う。寺によって時間が20分OKもあれば50分話せというのもある。時間を持て余したり、逆に中途半端になってしまい気を使う。
 ただ、この蒸し暑い本堂にすし詰めにされて坊さんの話を聞くのも、聞く側の気持ちになればお気の毒というもの。私の場合はなるべく小難しい話は避ける。坊さんの中には溢れんばかりの知識をここぞとばかりに話したがる人がいる。果たしてどれだけのことが耳に入ったことでありましょうや?一向にそのへんは当のご本人には頓着なし。ただでさえ仏教は難解である。これをどう自分が咀嚼し相手の身になって話すか、この話術はいくら経験を積んでもダメである。応病与薬、性分だ。実践が伴わない話は相手の心を動かさない。また、どうだろう、宗祖弘法大師の威徳をいくら話しても今をどうするのよという事には即結びつきますか。これが実は一番大切なのに蔑ろにされてきたのではなかったでしょうか。
 「求不得苦」をテーマに話す。しかし、結局は同じ所に話が落ち着くものです。
 そして、いつも決まって自分自身に返ってくる。「お前なー 良く恥ずかしくもなくそんな話できるなー」という天の声。「同行二人」という言葉、これがまた我我には好都合ですね、それは常に御大師さまが一緒ということだから。臆面もなくしゃしゃり出て持ち時間をどうにか勤める。針のムシロだがいつも同行二人で救われる。
 今朝のこころの時代はアジア学院の校長夫妻の話、キリスト教を背景にした農村指導者の養成学校、開設から35年目をむかえ、今までの外国から受け入れた学生数は1000名を超えているという。そこの実践基本理念は「共生」。
 どこかで聴いた話、それは尚恵学園と全く同じだった。To live together=共生。共に生きる、これは言うは易しである。「これには主語がないという。そこで We may live togetherと解するそうだ。さすがである。mustでなくmayを使う、うまいな」
 どうすれば共生が実現できその目指す具体的な姿は何か、実はこの筋道が整然としにくいのも確かです。
 アジア学院では「分かち合い」を重要視しているという。3つの分かち合い。情報・労働・結果である。ウームそうか、一人納得。
 目標をなんと掲げようが勝手で、要はいかにその教えが広まるかということである。
 実践が先ず大事ということには同感する、それをどう伝えるかということに大きな差を感じた。先ほどの話だが、豊富?な知識や話し方ではなく、人間性から発するものでなければいけない。伝えることは以心伝心、先ず相手の心を動かすものでなければ意味がない。
 さてと、その辺のことは実は頭が痛い。取るに足らないことであるが、噛み砕いて私流の伝えることの例を上げてみよう。
 尚恵学園では、今、季節の花が至る所に咲いて綺麗である。これはある職員が花が好きで時間を見つけては花壇作りを行ってきたことによる。しかし、その職員が退職し今どうだろう?花は生きている。今夏ほど雨が少ないのは珍しい。案の定、花は萎れ、今にも枯れそうになっている。職員に水をかけるように言うが、その時はやってくれる。だが勤務が不規則だからその職員がオフの日は悲惨、利用者の方でホースで水を掛けるのができる人がいるが、これだって期待はできない。良い塩梅に水をかけることができない。そこで俄に始めたのが軽トラックに農機具をのせ、私がトラックを占領した。思い立つとどうしようもない性分、水掛と草刈りを見え見えにおっぱじめた、どうだ参ったか、私は「花作りが好きな職員がいなくなったら皆枯れた」とは言われたくないのだ。意地である。その辺の感覚はスタッフとはちょと違うようだ。利用者さんと花を一緒にするわけではない。ただ、共生に通じる思いは同根である。この真意をどう伝え広めるか?
 西の空をじっと見つめていたら天の風にのって何か声が聞こえたように思う。あまり無理しなさんなー福ちゃん。
 

934:日本文化

「春が来た・花・こいのぼり・茶つみ・・・・・」日本のメロデイー。一曲2分前後の小曲、しかし、耳に馴染み心地が良い。これは歌詞とメロデイーが一体になっているからだ。聞く側に受け入れる土壌があるというのか、昔、どこかで聞いた曲である。もう既に亡くなった作詞家で自分が作った曲「おふくろさん」を歌い手が了解なしに自分で歌詞を変えて歌った事を怒り、話題になった。 
「・・・・・・昔のひかり いま何処」滝廉太郎の荒城の月が流れてきた。混声合唱団とオーケストラの奏でる曲は凄いインパクトがある。先の争い事で私は作詞家の方に肩をもつ。詩は後々誰でも読むことはできる。歌手が自分に作られた曲だと勘違いしたことに事の発端がある。勘違いと奢りを感じた作詞家が怒ったと私は理解した。
「この道はいつか来た道  ああ そうだよと アカシアの花が咲いてる・・・・」そして「丘」から「雲」に変わる。「この道」という2分32秒の曲である。だがその中にもの凄い多くの思い出が詰め込まれている。母親が優しく我が子に語って聞かす情景が浮かぶ。こうやって自然の美しさを学び、子供心にその大切さを感じ取るものだ。
 今それが確実に変わってしまった。
母親は脅しともとれる「誰々ちゃんに負けるよ、勉強しなさい」と顔を合わせれば我が子への決まり文句。勉強して良い学校に入り、良い会社に入る。その一連の遣り取りの中に、悲惨なのは「言うことを聞かないと、お父さんみたいになってしまうから・・・・」とオマケ付き。
 良い会社だと思って就職、自社の儲け優先で環境を破壊しようが原料産地をごまかそうが「俺には関係ねー」
 これで果たして自然の美しさや大切さが分かりまっか! 勉強しろという前に、昔の日本のメロデイーを一緒に聴けよ。そう私は言いたい。
 昨日である。某寺の施餓鬼で「クマ蝉」が鳴いているという話がでた。従来には無かった現象が目につく。私も話しに加わった。「最近よ、蝶々も多くなったんじゃーねえか」「住田さん、どんな蝶々よ?」「綺麗で大きいのだよ」「香水つけてねーのか!」  このバカたれ!坊さんの会話がこれだー。
 昔の日本の歌は自然を歌ったものが多いように思います。それに祭や田植えなど。最近の歌はどうかと思った?実は何を言っているのか分からない物が実に多い。それに好きだとか愛おしいとか情を全面に出したもの。
 人間は自然に育まれるものである。美しさや素晴らしさを感じる心は自然から学ぶもの。
 その過程を抜かして、盛んに心や夢を唄ってもどんなものか。
豊かさによって失われたもので一番大きなものは、中抜きで簡単に手に入れることに何も感じないこと。
 農業政策しかり金さえ出せば食糧は外国から手に入る、その事になんらの疑問を感じなくなった日本人。
日本の将来は暗いというよりも救われない。それは経済大国という自ら付けたレッテルに騙され続ける無知な国民と為政者の奢りでしょうね。まさに日本の文化からもう一度謙虚に学ぶ姿勢を誰しもが持つべきでしょう。いま流れてきた曲「・・・ペチカよ燃えろ この手は寒い・・・・」 化石燃料をふんだんに使って時期はずれの果物に舌鼓 反省しましょう。
 失いし清貧の思いを
              日本の文化に学び
   夢無き若者に 自然の富を 知らしめよ
 

935:モード変更

暑い夏を挨拶語にしていたら、何時の間に秋の訪れを感じています。お盆も過ぎ、9月の声を聞きながら今静かにモードを切り替えつつあります。モードという意味に、最頻値というものがあるのですが、これが最近、ちょっとズレ始めているようです。何が標準かという事が解りづらくなっているという事です。
 さて、季節の移り変わりとは関係なく、世の中は動いています。北京オリンピックも終盤にさしかかり、様々なドラマが繰り広げられ世界中がお祭り騒ぎです。4年に1度ぐらいが一番良いのかもしれません。選手の中には次のロンドンを目指すものもあれば潔く引退を決めた方もいます。どの種目も確実に優勝結果が伸びている。人間の能力の未知数を感じます。100年後の記録は一体どうなっているのでしょうか?アテネで初めて開催された時と全く様変わりしている。
 テレビや新聞の報道に一喜一憂している間に、私の周辺も秋モードに切り替わりました。あと二件の施餓鬼手伝いが残っていますが大体目鼻が付きました。今朝、体重計にのって計った所、やはり2キロ位減量しています。多少ズボンの胴回りが緩くなった。
 最近、利用者さんの様子も随分と変わりました。何しろ30年以上利用されている方も多くいますから、どの時期と比べるかによって違います。こうやって確実に年を重ね、昔なんでもできた人がどうも最近は意欲も減退し生活に彩りが薄れたということも起こっています。
 施設解体論はここのところ影が薄くなったように思います。彼等の言い分は、措置という行政処分によって行き先が決められる事への反発、そこは契約制度を導入したことで振り上げた拳がいつの間にか下げられた。相変わらず問題とされているのは質と量の問題、実はこれがお金との絡みが出てくるので国との押し問答をずっと続けているわけ。
 新法で掲げた障害種別の一元化論議、現場では元々、確固たる色分けはしていなかった。利用される皆さんは、様々な障害を合わせ持っている。それで良かった。一元化を進める過程で、種別団体や事業所に意見を求められ、それぞれが現状への不満を出した。政策段階でそれへの格差を付けることはできにくい。その結果が今の状況だ。なんでこんなに細かくするの?事務量の煩雑さは倍加した。
 それに、何か事件が起こると通達文章が必ず回る。今日の施設長会議で行う消防法についての研修もそれである。グループホームでの火災事故、実は神奈川で起こった事件は問答無用なのだが、改正通知が出された。ただ、可笑しいと思うのはGH利用者の障害程度の平均で基準となる設備に段階付けしていることだ。利用者が固定することを前提に考える。さらに一般のアパートを利用している場合はどうするのか? 矛盾ばかり目立つ。
 果たして一部変更を斯様に繰り返し、本来の望む方向に進んでいるのだろうか?ここに私が言う制度の福祉の限界がある。そうは言っても遵守義務を怠って事故でも起こせば事業取消処分となるから、事業所は無視できない。
 昨日だったか、福島の県立病院の産婦人科での医療事故裁判の判決がおりた。担当医師が告訴され、その結果が無罪判決となる。国内に小児科や産婦人科の医師が激減している。これはリスクが高すぎるという事が大きく影響している。両科とも診療時間に関係なく、医師の勤務は労基法違反、それに対する不満は差ほど上がらない。改善を要求する側が医療事業者だからであろう。しかし、そのシッペ返しは両科の医師になるものがいないという形で現れる。
 これは避けて通れないことなのだろうか。モードを最頻値と考えるとどの方向に変ろうとするかという風向きは、何事においても最大の関心事とならざるを得ない。
 

936:実践躬行(じっせんきゅうこう)

実践躬行の範を示すことは、組織団体に於ける執行部の要諦である。これが自らに課した会長を引き受けた時の条件。常に猛省をしながらもつい3年目を迎える。今年はその意味では今期で辞退すべきか否かを熟考すべき時と考えている。長くやったから良いというものではない。
 そんな事を思い浮かべながら、恒例になった大洗での知事を囲む会、多くの参加者を迎え、「消防法改正」の研修を実施、改正の中身が不確定の中で説明をする講師もお気の毒、しかし、汗をかき、釈明しながらも現状の考え方を話してくれた。感謝している。全体研修前に行った各専門委員会、私は総務委員会、全国で活躍している委員が2名おり、我が茨城の実状への評価、両名とも決して個人攻撃をしているわけではないのだが、私の性分であろうか会長としての能力不足を痛感、そして6時から知事をお迎えしての宴に向かった。
ホテル2階の宴会場は、既に何度も使っているから馴染み席、しかし、太平洋を一望する大窓の眺めが妙にこたえた。
 波が高く、しぶきがはっきりとわかる。絵心があるものにとっては絶好の眺め、されど、私には疾風怒濤がこれからの我々が歩む前途を予感させる。どうしてそう考えるのだろうか、そんな事を考えていたら知事が颯爽と登場。私の左席に座った。簡単な挨拶を交わし、司会の合図で宴が始まった。
 知事の心境を思うに言葉を選ばねばと正直、自嘲の気持ちがあった。結果は乾杯の一杯でどこかに吹っ飛んでしまった。
 全国で我々の団体とここまで膝をつき合わせて話を聞いてくれる知事はいない。決してゴマすりやお世辞からの言葉ではない。財政赤字の台所は東京以外はいずれも同じ、金が無いから要望に全て答えることはできない。我々としても充分に事情は理解できる。普通ならば遠のくであろうこの会に毎回参加し、遅くまで我々仲間と談笑の時を持ってくれている。
 このことは行政の担当者にとっても無視できない。関東で横浜を除けば茨城が新体系に一番多くの事業所が移行した。これは何を意味するか!
 私は全国会長会議や関東会長会議で批判された。何故茨城は足並みを揃えぬか・・・・云々と。それに対し、言い訳は一度もしていない。法人が各自の判断で決定し移行したこと、団体がとやかく言う事ではないと答えてきた。現状に対しても有りの儘に話をした。
 寧ろ批判されるべきは、中央で先頭に立って移行に反対を唱えながら、密かに移行準備を行っている法人だ。ふざけるな!言行不一致。そのような執行部に誰がついていけるか!これが正真正銘の私の気持ち。
 悪法と言うことなど誰にもできますよ。しかし、それを纏め方向を定めていくことは、正攻法でいかないと旗をあげたは良いが降ろせなくなりますよ。その正攻法は何か?これが今大きく揺れている。
 実践躬行とは、他人のせいにするのではなく、自らが実際に行動すること。福祉の業界が表向き「みんなで渡ればこわくない」式の手法を取り続ける限り、一般の人々の共感をえることはできない。
 窓からの絶景を凶と取るか吉と取るか、これこそ自己責任と生き方の問題だと思うな。

 ☆ 筑波山に弁慶七戻りというスポットがある。あの弁慶がくぐる事を躊躇したという落石寸前の大石、これが人為的に作られたものであるならば、誰も見向きしませんわな。(蛇足ながら申し上げました。)「戻る

937:いのちの授業

小児ガン支援活動として、全国で講演活動をされている方の話を伺いました。3歳で発病し、6歳で亡くなった長女の事が活動に参加する切っ掛けであったと言います。思いがけずふりかかった我が子の病気、妻が病院で付き添い、一歳の長男を実家に預ける。この家族離散の闘病生活を通じ、命の大切さや家族の絆、人生の仕事とは?人生は二度無い。生かされている事の実感、我が子の死が他人の役に立つ、同じ病で苦しむ家族を知り、癒され励まされた経験。お嫁さんになりたいと話していた娘に純白の花嫁衣装を作り、棺の中に収めた・・・・・・
 子供の供養は、親が生まれ変わること、子供の分までなるべく長生きすること・・・・・・ 枕元で走り書きでメモを取った。
 現在は全国の子供達への命の授業を行っている。三年間で六万人の前で話をしたという。その活動を通して受け取った沢山の手紙、それを纏め、近々出版するという。
 大部分の子供達が家族に愛され、健康でいることの有り難さを感想に記している。その中に一瞬ハットする話があった。全国の学校などで講演を行うと表情を全く変えず、まるで戦場の子供のような形相をして睨み付けてくる子がいるという。気になって、後で校長先生にその事を尋ねると、その子は家庭内暴力で施設に入っている子供だったという。
 世の中には生まれた時から重荷を背負っている子もいる。彼等にとって命の大切さを知らせる活動が素直に受け入れられない。
 この現実を大人達が無視してはならないと思う。幸いにもこのような草の根活動が少しづつ芽生え始めているのも事実です。一方では信じられないような環境で生きていかなければならない子供達が増えている中で。
 本来、命の大切さを訴えなければならないのは、宗教や教育に関わるものの役目のはず。葬式仏教と化した今の宗教界に果たして根本からの改革が起こり得るのだろうか?布教活動の中身の問題に触れる。
 死を忌み嫌う風潮の中で弔いの祭司として満足していないのか。これを言うと非難囂々。冷たい視線をあびる。自らの事として正直に言えば、満足しているのでは無しにどうして良いのか分からないのです。
最初の話に戻る。講演で必ず最初に質問をするという。それは人間は死んだ後どうなりますかという問いかけ。子供達の中には死んだ事がないので分かりませんと素直に答えるものがいる。これは小学校の低学年の子供達、大きくなるにつれ、その答えも様々。それは何故なのか?多分、年とともに身近な人の死に出会う体験が増えるからだと。
 ただ、今の医療現場では、死を看とるということは現実にできない。ICUなどの特殊な病室で息を引き取る人が圧倒的に多い。
これもまた、死を遠ざける一つの要因になっている。
 「いのちの授業」は、文科省での教育改革の中で最優先のカリキュラムではないでしょうか。ただ、それを教える教師がどれだけいるかは分からない。そして「命の大切さ」は宗教の最重要テーマでもある。
 

938:振り返る

某法人の記念式典に他用があって出席できないので前もって挨拶に行ってきた。帰りお世話になったK先生のお宅に立ち寄る。事前に連絡せず、突然訪問、呼び出しベルを押すとK先生が出てきた。昔は何度も訪れたのだが、最近はとんとご無沙汰。奥様と二人だけの生活だから、通された書斎はきちんと整頓されていた。目立つのは本棚に並ぶ本の数、これが先生の生きる源泉か。
 小一時間ばかり雑談、いつものように昔を振り返る話、今の大変さと昔の違い、それは「豊かさ」を得たがために失ってしまった多くのもの、その中に福祉を志す人の熱意や他人の暖かさや感謝、それと純粋な願い。私自身が親父の後を引き継ぎ、真っ直中にいる当事者なのに全く同感できる。これら全てK先生がお見通しのこと。先生は失礼を承知で言えば、独学できずいた学問を筑波大で学生に教えた。独学とは単に書かれたものから学ぶことではない。寧ろ実学というか自分が体験したことの理論付け、先ず知識有きではなく、実践に裏付けされたものを大切にした。
 雨が降り出し、3時に人との待ち合わせがあったので失礼した。帰りに「何か本を貸して下さい」というと奥のほうから一冊の本を持ってきた。「おれ、城山さんが好きなんだ・・・」。題名は佐高信著による「城山三郎の昭和」だった。
 これこそ、K先生の若き時代に生きた証、帰り道、「何か伝えたいんだな・・・これは」と振り返りながら帰った。
誰しも、生きていく中で何度か岐路に出くわす、自らの判断で進むべき道を選べるものばかりでは無い。
 私自身、ありがたいことに、良き先輩に恵まれてきたと感謝している。その大半が私の親父を知る人達だ、私が揺らいだ時を良く知っているからどうしようもない。
 「親の願うようになるんだなー」とお暇する時に話された言葉、それに全てが凝縮されてしまった。
果たして、次なる世代に同じことが残せるだろうか?全く自信がない。まー私流にやらねばなるまい。外聞も無く、こんな風に好き勝手なことを書き連ねることもだ。私の性分で”忍”に徹するなどできやしない。喜怒哀楽をモロに出す生き方、周囲の人間には甚だ迷惑なこと、我が儘と言われれば敢えて否定はしない。
 先日94歳で母親を亡くされた方の葬儀、喪主は最後の別れの時に母親の顔に手を当て周囲も憚るような大きな声で泣きさけんだ。親戚の方が「これまで長生きできたんだから、おじいちゃんの所に行くんだから」といくら慰めても一向に泣き止まなかった。
 90歳を優に超え天寿を全うした、その母との別れをここまで出せる。凄いと思った。
昨夜、49日の話で電話が当人からあった。「先日は取り乱してしまい、すみませんでした・・・」決してそうは思わないと言ってみたが、私の真意が通じたか否か。
 日本人の文化を支えてきた”こころ”、それが片隅に追いやられてしまった。この反省に立ってもう一度国の進むべき方向をみんなで考えて見ませんか。「振り返る」ことができる素晴らしさを今密かに楽しんでいます。過去から学ぶには、この国は先人の生き方や偉業が溢れる程ありますから、そんな事を考えています。
 前略!元気でやっています。早々。

939;実体福祉論

経済システムで”実体経済”というものがある、これは「消費財」と「投資財」の生産と分配をしめす。聞き学問のにわか知識で一体何を言っているのやら。ただ常識と現状から見れば誰しもがそう言う事かと分かるだろう。対義語に”資産経済”というものがあるそうだが、そこまで行くと思考停止になるから止めておく。今、PCを打っている最中に雷の音が鳴り響く、途中で電源が切れるかも、まさに、実体経済の危うさを象徴しているかの状況でこの文を書いている。
 世界大恐慌と言う噂も出始めている。これは言うまでもなく世界経済の中心であったアメリカの実態を反映している。どこかの政府系金融機関がR・B600兆円の救済(買収)にあたるか否か!忘れかけてきたのではないかというサブプライム問題、その処理がまだ続いている。日本のバブル崩壊時も大騒ぎがあった、大手証券会社は倒産、外資系の金融機関に買収された。金融機関で引き上げ、引き締めが始まって、あらゆる業界は生き残りに必死、油や鉄鋼など商品市場に金が流れ、鰻登りで価格が高騰、それが今不景気になり売れ残り在庫が増え続けている。先進国は「成熟・飽和」の段階にあるという。ならば新興国の中国やインド、資源国ロシアとオーストラリアなどはどうか、今や一人勝ちができない仕組みになっているから同様に先行きが暗い。世界の経済が一つになっていることの証。経済がおかしくなれば政治への不満が高まる。果たして効果的な手立てができるのか。
 しばらくは生き残りで耐えることしかないという結論だ。
さて、福祉の実体はいかに? 私流のこじつけである。福祉先進国といわれる北欧にならって、制度によって福祉を保障をする国にシフトするには幸か不幸か国民の同意が得られない。その中途半端さが福祉への期待度、多様な仕組みができたのは良いが、今複雑に成りすぎて何がなんだか分からない。
経営を考える。特に介護業界では膨大な資金を投資して事業を拡げる、聞けば50人規模の特老で5〜7億の借金が必要とか、それを運営費から毎年返済する。未だ多くの経営者の中に法人の規模拡大に魅力を感じているものが多い。必ずや「お宅の職員数は何人???」という探り(関所)を通る。これって全く意味が無いこと。どうでも良い人間をいくら多く抱えていても良いのか!寧ろ私は理念無き経営に明日は無いと思っている。つまり、「貴方はどうしたいのですか?」lこの問いに明確な答えを持ち得ない者には早く退出して頂きたいものだ。
 国が明示した、合併や退去のルールの本当の意味を理解せず、宝くじに当たったかのごとき軽率な判断で新たな事業を始め、能力以上の借財に手を染める。
 世の中が不景気になれば福祉に人材が戻る。これにはなんら根拠がない。理念が無い中に、果たして魅力ある職場が作れるのでしょうか。結果は内部からの不満百出、告発というお決まりの退去の道だ。
 ならばどうする。福祉の視点は、受給バランスをいかに図るかということです。経済のルールで言えば「消費」=ニーズ、「投資」=サービスと考えてよい。果たして福祉だけが実体経済とは無関係で聖域として存在しうるか?誰しもが分かる答えは「NO」。 消費税論議を堂々とできない、小さな国を目指し行政改革も中途半端、政治家の数も減らせない減らさない。これで何ができるのでしょう。
 ここしばらくはサバイバルだと思う。どれだけ多くの良きスタッフを集めることができるか!利用者の理解を糧に中長期のイメージを創り上げる。そこには当然、資金の裏付けと土地の確保が最低条件。
 尚恵学園の将来イメージは、SJKネットワーク構想、6万坪という現有土地の有効活用と地域の下支え、それにこころと専門性を兼ね備えたスタッフ。
 敢えて言えば、我々の立脚点は障害福祉をベースにした誰しもが安心できる社会の実現、今の時点で制度に期待するには、あまりにも総花でお粗末だ。でも不満を言えば解決できるの?そうじゃないでしょう。先ず自らが草鞋をはき歩き出すことから始めるべき。草履を作る人、履く人、御輿に乗る人、それが全く逆ではないでしょうか?
理事長さんそんなに偉ぶらないでちょうだいな。
昼下がり

940:肝胆相照

肝胆相照らす、心の中を打ち明けて話せて信頼し合ってつき合える間柄。成人寮に立ち寄った時にHさんが庭に一人でたたずんでいる。(上記スナップ)良く見ると彼は自分達で作った庭に咲く向日葵の花を見つめている。たった一人だった。
 このワンショットが私に多くの事を投げかける。寮は50名の男女が起居を共にしている。昨年、自立棟と称して、南側に一戸建てを新築、彼はそこで生活を始めた。5人が個室になった。GHやCHで地域で生活するには不安がある仲間の住居だ。自分達で庭を造ろう。今年は空梅雨を思わせる。折角作った花壇が水不足で今にも枯れる寸前だった。それが異常とも思える連日の雷雨で、しっかりと元気を取り戻した草木、彼はその庭を一人で見つめている。
 「何を考えているのだろう?」もの静かで、争い事が嫌いで、いつもニコニコして、私が声をかけると右手を挙げて頭をさげ挨拶する。肝胆相照。彼のように長く寮生活している人達にとって心を打ち明けて話せる仲間はいるのだろうか。ひょっとしたら向日葵がそうなのかもしれない。
 気になるところだ。
 どうも世の中が殺伐としてきた。先日K先生から拝借した『城山三郎の昭和』を半分ぐらい読み終えた。城山は17歳で軍隊に志願した。そこで経験した事が、のちのち彼の筆調に少なからず影響を与えている。それは、特攻や戦地で一先に敵陣に突入し、命を落とす者は、肩書きのない兵士、自らは安全な場にいて命令だけを下す士官。城山が国の為に17歳で入隊を決意し、命を捧げる覚悟をした、その中で見た状況が許せない現実。
 今の時代だってこんな事にならないという保証はない。福祉の世界にも表向きと実体の格差が出ています。昔の人は、自らが汗をかき、古材をかき集め、宿舎を作ったものです。今、それが本当に大きく様変わり。補助金を得るための手練手管に長けている人達、それらが堂々と闊歩する。
 最初の話に戻しましょう。5人の入居者が自由時間、自室ではすごさないというのだ。他の仲間のいる元の寮ですごす事が多い。これが一体何を意味するか、彼等にホンネを問いたい。
 入居者にとって、生活の場、住む環境は大切、それは我々が良かれと考えて用意するものと若干の違いがあるようだ。

 私のキーを打つスタイルは、4つのスピーカー(2つは頭上左右から)から流れる音楽をボリュームを上げて聴きながらエアコンをぶん回し、線香を一本つけてパソコンに向かう。これが毎度お馴染みの姿。何か変?五感に刺激を与える。
 これが実に様々な発想を浮かばせる。今日はレーニグランド・オーケストラの「トロイカ」、ロシア民謡はアップテンポで心をハイにする。特にトロイカなる曲をオーケストラで歌無しで聴くと、自然と歌詞が出てきてしまう。「走れ トロイカ ほがらかに鈴の音 高く・・・・・・」ずっちゃ ズッチャ
 これだもの、何も恐い者なんかねーよ。
肝胆相照らす。私にとって・・・・ウーム。向日葵かもしれない。

941:居酒屋

近くに人気の居酒屋がある。土曜日なので6時前に入った。
前から約束して延び延びになっていた。あじさい(GH)のメンバー3人と私。Tさんは後から急に加わった。私が運転だから飲めない。結構3人は飲むんだ。Tさんは完全なメタボ、胴まわりは優に1メートル?彼とは殆ど今まで話したことはない。Mさんは苗木農園に勤めて最初からやめずに続いている頑張り屋、髭が濃いので、いつもクマが自転車に乗っているように見える。商売にならない苗木を何度かもらった借りがある。それとNさん。彼は水戸からタクシー使ってご帰還することも無くなった。飲み仲間がいなくなったのか?
 最初、共通する話題がなかった。出てくるものを急いで食べ終わると、箸を置き、会話がストップ、気まずい感じ。生2杯と冷酒、饒舌になり始める。携帯の話やテレビの話、私には良く分からない。良く考えたら私だけが蚊帳の外。
 彼等の時計、Nさんのはなんと100円、Tさんのは1000円。どちらも時間がぴったり。
一段落するとそれぞれが家族の話を始めた。全くしないのはNさん。話をしたく無いのか話す思い出が無いのか、彼の50数年の人生は凄い。百戦錬磨の強者、彼は自分の歯が全くない。気の毒にワキのTさんに殆ど食われた。それでもニコニコ、これっってなんなんだ!
 Mさんが私の肩をもみ始める。ツボをわきまえている。「随分 かたいなー。痛かっぺー」 涙が出るほど嬉しくなった。これってなんなんだ?
 最後にデザートを食べ、車にのって帰る。3人が「ごちそうさま」と言った。私にとって至福の時。
 あじさい(GH)だけでも他に沢山仲間がいる。彼等はきっと得意そうに話すだろう。今日行けなかった仲間とまたいかなければなるまい。
飲める方のボランテアを募集します。
♪ 飲んで 飲まれて 飲まれて 飲んで・・・・・♪
 

942:哀歌

ブルガリアに『お母さんのお願い』というエレジーがある。哀歌である。1分半ほどの小曲であるが、聞いてみると悲しさがにじみでてくる。
 ああーどう言えばよいのだろうか!福田首相が昨夜突然に首相の辞任会見を行った。今朝の朝日新聞には二代連続政権放棄という大見出し、如何なる理由があろうとも今回の辞任劇は納得できない。政治ゲーム化した永田町、昔、歌声喫茶があった。その後ゲーム喫茶、そしてネットカフェイへと様変わり、アナログからデジタルに切り替わる中で政治に携わる人間までが唐突に振る舞うようになった。誰を信じ国の舵取りを任せるべきか分からない。新生ではなく、当に末期現象、手遅れで延命処置など無意味。しかし、私はどうも今回のドタバタ劇には人間を判断する原基があると思われる。原基それは生物の発生段階で成熟した器官になる以前の未分化の段階である。つまり首相というトップに立つものが未成熟の細胞レベルにあったということ。
二代連続と書かれたお二人は共に2世議員、選挙区から言えば不在地主のおぼっちゃま。これでは如何なものか声高に訴える公約が哀歌としか聞こえてこない。
 1ヶ月だけの大臣がまた登場する事になるのだろうか。障害者自立支援法の抜本的改正など言う前に自らの姿勢を正すべきではないのでしょうか。永田町の論理は、経歴に大臣の肩書きが付けばそれで良いのですか。大臣の椅子が目的となり、政策や改革は二の次、何か反論あります???
国民の目線で新たな政策を行ったと自らの1年を振り返る。野党でなくてもコメントしようがありません。
 昔から論議があった、大統領制導入の是非論、国民の目線をうたうのであれば、密室の中で首相が決められる今の姿を変えなければなるまい。今のままだと憶測だけで重要ポストが決められ、国民の関知しないところでドンドン進んでいってしまう。これが官僚との癒着構造の一番の原因で様々な問題の温床となっている。だがこれに対する出口が見えない、民主党の代表選に小沢さんだけしか立たず無投票の見通し、これでは野党も迫力に欠けるのでは。政治に対する臨場感は何よりも具体性から生まれるものだ。具体的な政策と透明度である。
 義務と権利。これが曖昧である。投票は成人になったものの義務、次回の選挙に正直誰も棄権すれば良いと考えてしまう。これこそ前代未聞。全議員が総辞職。
政党が掲げるマニフェストも守らなければ意味がない。現状では悲しい事だが我々ができる最大の意思表示は選挙に棄権することかもしれない。とうとうここまで来てしまったのか。私たちが尚恵の仲間達を無効覚悟で投票場に毎回連れて行ったことが実に空しい。
 政治以外にも日本の病みの一端を報じるものがあった。それは大分での教員採用に関するもの。約3割の教師が試験に不正があったという、そして解雇される。
 2学期から担任が急に変わることになった小学校で、校長が子供達の前で経過を説明していた。教えるべき者が不正を行っていた事実を子供達にどう理解させるのだろう。
 県教育庁のNo2であった審議官?は体調を崩し、逮捕前日に入院したという。これもまたどこかで聞いたような話。
あれもこれも全て日本人の奢りからきている。本当の政治家、信頼できる教師、この姿が見えなくなっている。
 人間の評価は、役職や肩書きではない。自分の信じる道をひたすらに生きること。自分のおかしたミスを素直に認め、その反省にたって謙虚に生きること。その全く逆の価値基準が今の日本に蔓延している。

943:こだまの話

金子みすゞの話、今朝のこころの時代、矢崎館長の解説でとても分かりやすかった。担当デイレクターは佐野先輩。早速、メールを打っておいた。何しろ”国民の目線”とか言っていた方が唐突に辞めてしまったから、私の腹の虫が騒いでおった所。
 その虫もすーと治まった。
それは、「こだまの話」を聴いたからだ。金子みすゞは実は26歳で亡くなっている。4年間に512編の童話を書いたという。彼女の作品の素晴らしさを発見し、世に知らしめた矢崎さんは金子みすゞ記念館の館長、彼が何に感動したかといえば、金子みすゞの優しさである。
 最近の出来事は、信じたくないことが余りにも多すぎませんか?
こだまという詩があります。それは子供が痛いと泣き叫ぶ時、「そう痛いねー」。辛いといえば「そう辛いねー」とそのまま返すこと。それが最近の親はどうか、子供が痛いと泣けば「痛くない」「泣くな」と反対の事を言い過ぎないか。親が子をつくったのではない、子供ができて自分達が親にさせていただいた。この視点が薄れた。
 金子みすゞの生まれた山口県の小さな漁村(長門市仙崎)は江戸時代日本の3大捕鯨基地だったという。その町には鯨の墓があるという。くじら1頭で多くの人々の生活が成り立った時代、頂いた命を大切にという思いから骨まで大事に利用してきた。解体する鯨のお腹に赤ちゃん鯨がいて、人々は供養の墓を作った。それも78頭になるという。全ての鯨に戒名が付けられ大切に守られてきた。
 金子みすゞは26歳で実は亡くなっている。それも自分から死を選んだ最後。あれだけ優しい彼女が思い極まった理由とは?その辺の話は矢崎氏に譲ろう。
 国民の目線という話が哀歌としか聞こえないという思いを語った(No:942)。私なんぞにその資格は無いのは承知の上、しかし、今の政治に関わる全ての人に言いたいのだ。できもしないのに美辞麗句を言いいなさんな!
 目線というのはですよ。東京に住んでさー、選挙近くに黒塗りの高級車で付き人同伴で訪れて分かることではないでしょう。福祉医療教育しかり、農業漁業林業全てですよ。
 その辺の特権意識がどうも今の政治を悪くしてしまったんですね。「粗して野だが卑にあらず」誰でしたか言ったのは。
実は昨日でしたが、水戸で会議がありまして、福祉会館をウロウロしていたら、某施設長とばったり会う。彼は県庁に用事があり、水戸に来ていたようだった。「住田さん。読んでますよ」とニヤニヤ、「何を?」と尋ねると「最近、文学的になって、」
このコーナーを見てくれている。
「 私の本質は「怒り」なんですよ。それも自らの事は棚上げしてですが。討ち死に覚悟ですからね。」と言ってしまった。
 ついでなんでもう一言。
国会議員規則を抜本改正していただきたいのであります。それは、総理大臣になった方は、潔くバッチを外すこと。
 以前から気になっていたのです。国会中継で歴代の総理経験者が一番後ろに座っているんですが、どうもやる気を感じないのであります。議員の皆さんは大臣になることが目的なんでしょうから、その親分の総理になれば、もういいでしょう。後進にお譲りになっては、或いは議員の数をそこから減らしていけば、多分任期が1年と持たないのですから、10年で少なくとも議員定数を10減らせますね。これって大きいですよ。多分少なく見積もってですね。50人の知的障害の方の施設が10カ所できますね。
 この辺の議案提出をなされるお考えは?野党の皆さん。それに野党の先生にも一言。審議に如何なる理由があろうとも欠席した場合は、障害者自立支援法と同じく日払い計算のルールを適用し、報酬をカット。このトータルも実は国民の為になると思うんだ。知的障害の施設がうーんと全国で・・・・?
 金子みすゞの話からなんでこうなっちゃうのかなー?
こだまですよ『こだま』。言えば跳ね返る、この感覚  わかるかなー分かんねーだろうな。

944;私設図書館

私の一方的な思いである。昔を知る人から何かを聞き出したいという気持ちが強くなった。新生には、古いものを壊して新しいものを創設することが必要だ、昨日、民主党の小沢代表に全国知事会の会長が訪問、その時の小沢さんの弁。壊し屋という異名を持つ人だから、そうかなーとも思える。自棄に最近、「抜本的な改正」という言葉が目立つ。物事の根本から改めるといっても、何が根本かという明確な答えを示さない。元に戻せというのであれば、何も変わらないじゃないか。
 過去がベストの選択ならば何故に変更したのでしょうか。そこに思惑が見え隠れする。
 茨城に知的障害の分野で大先輩の2人を私は知っている。92歳と80歳。無性に話が聞きたくなった。本を貸して欲しいという理由で何度かご自宅を訪れた。昨日も以前借りた本を返しに伺った。前日電話で訪問の了解を得ておいた。今度は住井すゑさんの話を伺いたいと付け加えた。実はBSテレビで特集番組を見ていた。「橋のない川」という大作は正直読んでいない。
 嬉しい事にご夫婦で私を待っていてくれた。住井さんはご存知のごとく96歳まで出筆を続け(橋のない川は8部が未完)、90歳(1992)に日本武道館で「90歳の人間宣言・・・」8500人の聴衆の前で講演会を行った。牛久市城中(ご主人の実家)に住み、活動された。
 今日訪問したK先生ご夫妻は住井さんと交流があった。牛久の自宅にて多くの人が集まって語りの集いがあって、そこの仲間である。
 我々は書かれたもので知ることしかできない。それが生の声を聞いてきた。部落差別と闘った住井さん、不条理に対する闘争心は凄い。
 私は昔風の言い方をすればノンポリ、闘争運動などというと自然と身が引けた。私利私欲で闘うのであれば大義がない。そうじゃなければ、今言われる「抜本的改革」の本流でしょうが。
 果たして最近の流れに一抹の疑問を抱くものはいないのか?業界の戦いというものが、ガリガリ亡者?住井さんが生きておれば直に伺いたいと思う。そこでK先生の意見を聞きたくなった次第である。
案の定、今の在り方に大きな疑問を持っておられる。外見ばかり立派になって中身がない。・・・・・
1時間ぐらいでお邪魔して帰ってこようと思っていたのが、結局4時間ほどお喋りしてしまった。K先生ご夫妻と私3人だけだったが、話が尽きることは無かった。3冊新たな本を借りてきた。
 私設図書館は、本を借りるというのはコジツケ、直に話を伺うことなのです。その事は先生も当にお見通しのはず。
「温故而知新  可以為師・・・」
 

945:ボレロ

「ボレロ」は有名なオペラ音楽、作曲はモーリス・ラヴェル、フランスの作曲家。私はクラッシクには造詣は深くはございません。でも数少ない好きな曲に、同一のリズムで2種類のメロデイを繰り返すボレロがあります。私が良く聴いているものは、パリ管弦楽団演奏で指揮はダニエル・バレンハイム。最初は耳を澄まさないと聞こえない程の低音で始まる、徐々に高まる。これがなんとも言えない。ゾクゾクしてくるのだ。ラヴェルが生きた1875−1937は多くの音楽家が生まれている。彼が学んだパリ音楽院名実共に世界をリードしてきた。その彼は音楽以外にも様々な活動をそこで行ったという。彼の考え方はこうだ。
 「作曲家は創作に際して個人と国民意識、つまり民族性の両方を意識する必要がある。」ということだと言われている。
これって現代にも通じますね。作曲家を政治家に置き換えてみれば、ドンピシャリ。ただ誤解しては困ります。「個人」とは「自分自身」ではない。「一人の人間」ということであろう。ここが今、ズッコケている。個人を自分と勘違いする。
 先の福田さんの事を「自己チュー解散」と揶揄嘲弄した某政党議員がいた。まー頷けないこともないわな。そしてラヴェルの言う「国民意識」が実は福田さんの言う「国民目線」ではないのだろうか?
 そんな事を考えてしまった。現代オペラで、今の日本の政界のドタバタ騒ぎを演出したらいかがなものか!結構面白いと思いますね。首相が夜、自室で辞任しようか継続か思い悩む。そのバック音楽をこのボレロにする。沈思黙考から徐々に気分が高揚し、自分が残した足跡に陶酔、そこで1幕は閉じる。次ぎに記者会見が第2幕、さて、このBGMとしてはサンサーンスかグリーグの曲のイメージではどうだろうか?
 日本の夜明け、1から出直す、まさに新生日本である。 各大臣は想定外?の辞意に対して、一瞬驚きの表情を示す。ただ、その裏では次なる手を秘書に指示。・・・・・・・・
 このオペラの初演会場は日本武道館、聴衆は出演者以外の全国会議員と官僚幹部、それをテレビで全国生放送、ステージはNHK担当、他の民放も役割分担、日本TVは楽屋裏、TV朝日は聴衆席、TV毎日はオーケストラ・・・・
 この企画買いませんか。ダメですか。
 どこのTV局だか知りませんが、現国会議員が侍になって諷刺劇やっています。あれって結構お面白い。平沢とかなんとかいう自民党の先生、役者にした方が良い位です。それに名古屋弁の民主党の先生もキャラクター抜群、これで行きましょうよ。ただ、社民党の女性党首の方の役回りが難しい。国会中継は電気のムダと言った方がおりました。何やってんだかわかんねーとも。それなら国会オペラにしてみてはどうかな。
 これこそ私は抜本改革だと思いますよ。だっていつも言いますが、昔、自民党にいた先生が野党をはっているし、一度離党した先生が元の党の幹部になっていたり、もっとひどいのは離党宣言したと思ったら急に取り下げるマドンナがいたり、
 これでどのように抜本的な見直しができるのでありましょうや。
 コンダクターが不在の烏合の衆には望み薄。何しろ我々国民にはですね、何を根拠に誰に1票を投じるか判断できないのであります。
 ですからね先生方もさらけ出して欲しいのですよ。舞台の上で。楽屋裏の話が多すぎますよ。
AABBって何だか分かりますか?これがボレロのメロデイ、構成楽譜。
民主民主共和共和これアメリカでしたか?
 

946:コーヒー900円

昨日は某お方の就任祝賀会が東京プリンスホテルであり、出席した。東京タワーの直ぐ側で芝増上寺の隣り、周辺に緑の多い落ち着いた感じのホテル。6時からの祝宴であった。早めに着いたのでロビー脇のコーヒーショップへ。一杯が900円。
 さすが東京の一等地、コーヒーも高い、味は?。
知り合いの方は鹿嶋から来られていた。高速バスできたという。東京駅から1時間10分で帰れるという。私は地下鉄を日比谷で乗り換え上野経由で土浦、これが結構時間がかかる。上野で日立から毎日通う方と挨拶して別れる。なんと朝4時に起きて2時間半かけ、特急で毎日通うという。なんと言うことか。私など通勤徒歩たったの7分、これもまたいかがなものか。
 浜松町から芝大門当たりはビジネス街、夕方になると立ち飲みの焼鳥屋が大繁盛、ビールと焼き鳥で1日の疲れを取るのであろう。だが、目の前が車の往来が激しい通り。CO2にまみれ、ゆっくり飲むという風情は全くなし。一つ道路を挟めば、静寂の公園がある。なんと対照的な地域なのだろう。
 10時過ぎに土浦に着いた。駅ビルは現在閉鎖、民間デベロッパーが改装し、再オープンするとか、完全にシャッター通り。1時間の時間差でこのギャップもまた今の日本の実体。
 東京よりも田舎が自分の性分には合っている。だからこの格差を別に嘆いたりなどしない。東京は何か無理して背伸びしているように感じる。
 さて、1週間続けて毎朝7時から施設の土手掃除をやった。用水路脇が葦で散々、大雨が降ると溢れてしまう。そこを草刈り機で掃除しようと思った。横に倒れてしまった葦を切ると水路に全部入ってしまう。これではまずいと考え、手前から少しづつ切っては運び出す、揚げ句の果てに切り残した茎が容赦無く長靴に穴をあける。枯れたものを纏め、燃やしやっと昨日でその作業が終わる。朝の2時間、水分補給しながら大汗かいた、背丈が2メートルにもなっていた。何もヨシズを作るわけでないのだから、毎年掃除をすればこんなに苦労しなくても良いのに。お陰様で幾分胴回りがスマートに。
 物は考えようだ。
一段落してホットしたのは束の間、今度は境内の草が伸び始めた。暫くクラブを振り回すことも無い。その必要性も無いというか、その体力が残っていない。

947:200円コーヒー

これも私の拘りの一つ。コーヒーの味に拘る。決してコーヒーに精通しているわけではない。あれは20代の頃、パイプを自分で作って吸った。口髭ものばし一端の作家気分を楽しむ。今思えば何を格好付けてと自らを責める。パイプは直ぐに止めた。噎ぶのと部屋中が臭くて閉口したからだ。今も続く拘りはコーヒー、これは味というよりも香りにである。煎れ方にも凝った時がある。土浦に3坪ほどの小ちゃなコーヒー専門店があって、そこのマスターの雰囲気が良かった。隣が仏具店、ちょっと私のイメージとはズレるのが気になっている。
 東京だったら外苑通り、それから大雪山の麓、湧駒別(ゆこまんべつ:現在は旭岳温泉)にこれまたちっぽけな牧場風の店があった。そこで卒論の下書き・・・・・それに、
これって夢でない。恥ずかしくもなくこんなおシャレ?を好んだ・・若かったーな、あれから40年!一杯900円と200円のコーヒーの味さえ分からない。実はスターバックスという店が土浦に開店、お隣はマクドナルド、同業種の殴り込みか!まだ仏具店よりはマシかも。そこでのコーヒーが200円だった。こっちの方が美味かった。
 実現はできていないのだが、ただ憧れと夢は持ち続けている。各国の世界遺産を訪れ、その地のコーヒーを楽しむのだ。それに歩き遍路、このギャップは結構大きいが構うこと無い。南米には一度も行ったことがない。そんな事を考えていたら、ブラジルから頼りが届いたのでした。知り合いを通じ、我が園のおもちゃをブラジルの方にプレゼントした時のお礼だ。一足先におもちゃが世界遺産を歩いている。
 JICA筑波の研修センターの先生から電話が入ったのは、偶然にも同じ日。南米の研修生を尚恵学園に連れて行きたい、そんな相談を受けた。ボリビアやペルーからきた研修生だという。その話を伺い、即OK。
 ひょっとしたら10代に思い描いたブラジルに行けるかも?どうもコーヒーへの拘りは日本脱出を目論んだ当時の熱が冷め切らないからかもしれない。
 皆さんどうでしょうか!世界遺産は決して観光の為ではありません。むしろ壊される事を避けるのであれば人を呼ばないほうが良い。地球規模の自然環境の変化は、着実に悪化しています。誰だったか、人為的に作られたものは長くは継続しないと話された。CO削減の旗を振った洞爺湖サミットの福田さんは今、降りてしまった。世界の首脳はその事をどう感じるか。余計なお世話でしょう。「私は自分の事を一番良く知っている・・・・」と不満を表した記者会見。これが今の政治のトップリーダー。残念というより情けない。
 その出来事があった時から先生達はギアチェンジ、首相候補者が乱立し、20名の指示議員確保に血眼、それを面白可笑しくマスコミが報道する。これで参ったのが、民主党、小沢さん一人で代表決めてしまったから、もう話題にならない。与党のドタバタ劇を静観するしかない。果たして国民が判断選択する公約が間に合うのでありましょうか?
 できなかった理由を今まで何度も何度も聞いてきた。本当にお人好しの人が多い国です。
 あっそうだ。900円と200円の値段の話ですが、実はどうでも構わないのです。要は自分にとってどっちが美味かったか。それだけの事。たわいもない事、大変失礼しました。
  ♪一杯のコーヒーから夢の花咲くこともある 街のテラスの夕暮れに二人の胸のともしびがちらりほらり つきました・・♪♪♪♪

948:施設運営

事業は継続することが大切、そして一番頭を使う所である。施設という特殊な社会で、人によるサービスが行われる。種別も多岐に渡るのだが、私どもの障害施設はその中でも枝分かれが多い事業である。施設には、体はとても元気で日中の活動を取り入れないと夜騒いでしまう方もいれば、車イスでの生活をしている方、高齢化して自分の事が覚束ない方など、彼等を日課の中で上手く編成することは段々難しくなっている。ならば自由にしてもらえばと考える方もおられるでしょう。もし、そうなったら収拾がつかなくなるのです。
 24時間の対応は実に多くの事を気付かせてくれる。それは、気づきと対応そして申し送り&確認、の繰り返し。
 その間に予期せぬ出来事が起こったりする。病気や怪我、それと利用者同士のトラブル、更には対外的な問題など。
職場からの連絡が入らない日はない。きめ細かな対応とは言ってはみても、限界があるのも認めねばなるまい。それは人と人の関係であるからだ。
 やっと秋めいてきた。少しばかりの栗畑がある。早生品種の栗は既に収穫時期に入った。これが厄介である。栗は比較的年間の管理が簡単である。しかし、収穫にはそれなりの配慮が必要、雑草を先ず刈り取り、地べたを綺麗にしておく必要がある。落ちた栗の実が見つからないのでも仕方がない。それから毎日の収穫、そのままにしておくと直ぐに虫にやられる。{実はNさんが私に何気なく言った。「下草を刈らないと栗拾いできねーぞ」と}
 実は、この決まり切った流れの作業への対応が難しい。人間に合わせるカリキュラムでは、自然相手の仕事はできない。
 まーいろいろ試みた。牛を飼った時もあったし、山羊などの生き物も、これは我々では無理だと確信した。エサを要求する鳴き声が耳から離れない。さてさてこれからどうすべきか!パン工房のスタッフは相変わらず朝早くから作業に入っている。お客さんへのクレーム対応も大分上手になってきたようだが、油断禁物。
 運営と経営は異なる。経営は事業の継続への努力、それには働く人の満足度を上げなければならない。実は、今の福祉現場の弱点がここにある。その事を経営者自らが真剣に取り組まなければならない。誰もが安心できる社会をうたうならば、働く者が安心できなければ方手落ち。果たして実体はいかに。
 正直に言って四六時中、斯様な事が頭の中を駆けめぐる。気が狂ってしまうのではと思ったりするが、どうもそうはならない。それは何でだー?
 話は3日前に遡る。お寺さんの祝賀会、場所は東京プリンスホテルの大宴会場。350名の坊さんが全国から集まった。
私の隣り席が実は元施設の職員をしていた良く知っている坊さん。偶然でした。偶然は繰り返す。彼は今私の相棒のNさんの7歳の時を知っていた。今から45年前の実際にあった話。Nさんは6人兄弟、酒好きの父ちゃんと一緒に生活できず、兄弟で施設に入れられた。それが7歳以前の話、彼は当時も施設から無断で飛び出す常習犯、今も何ら変わらない。その時の指導員が隣りに座った坊さんだった。今,尚恵学園にいますと言うと身を乗り出してその当時の話をしてくれた。45年前の事を昨日のことのように話してくれた。そして「Nは俺の命の恩人なんだよ・・・・」とその出来事を目を潤ませながら話された。今66歳になって住職だけの生活をされている。その坊さんに涙をながさせるNとの出来事は一体なんだったのか?
 私自身も利用者の皆さん一人一人の生きてきた歩みを知ると御託を並べることなどできなくなる。
これが障害福祉の凄さと重み、一度体験したら衝撃は大きい。逃げたら悔いを残す、そのように思って日々精進しますです。Nさんが本尊さんに見えてきた。

949:願い事

昨日の朝だった。いつものように本堂に行こうとすると石段の前にDちゃんが私を待っている。いつもならば朝の挨拶を交わし彼はおもちゃ班に行くのだが、昨日は何か様子が違った。私のほうに寄ってくる。そして手を差し出す。握手かな?そのまま手を離さない。何かいつもと違う。「一緒にお線香あげるか!」というと後から付いてきた。
 その間、ずっと私の手を離さない。思い出した、昔、同じようなことがDちゃんにはあった。その時は私に何かを伝えたい時だった。今回もそうかもしれない。焼香をすませ、二人で畳の上に座りお話を聞くことにした。なかなか彼からしゃべらない。昔もそうだったかなー。しばらくの間じっと私を見つめている。これはただ事ではない。「しょうこう」と微かな声で彼が話した。「そうだよ、みゆきちゃん、としえちゃん、しげはる君が喜ぶんだよ」みんな既に亡くなった仲間だ。すると「えびさわ たけし」とはっきりと彼が言った。そうだ彼は亡くなったメンバーさんの名前をはっきりと覚えている。しばらく二人で亡くなった仲間の名前を上げた。何しろ14名いるのだから、その仲間の事を彼はしっかりと覚えていた。
 少し気持ちが変わったのだろう。ゆっくりと小さな声で話し始めた。「す・み・た・ふくしさん」「す・み・た・ふくしさん・・・・」
「何でしょう?」かと尋ねると「泊まりはありますか」という。一瞬声が無くなった。
「嫌なことあるのかい?」と尋ねてみた。するとはっきりと頷いた。これはスタッフにとって無視できないことである。ここでは内部告発になるから詳細は避ける。しかし、彼はたどたどしい言葉だったが、嫌なスタッフの名前を上げたのだ。何故嫌なのかは敢えて聞かなかった。
 「わかったからね」と言うと彼は一瞬ホットしたような表情になった。それからおもちゃ作業に向かった。
『小さい秋見つけた』というサトーハチロー作詞の曲があります。
・・・だれかさんがだれかさんが   小さい秋見つけた  目隠し 鬼さん 手の鳴る方へ 澄ました お耳に かすかに沁みた・・・・

 施設の仕事は、当にこの歌がいわんとしている事ではないか。誰かさんが見つけてあげなければ ほんの小ちゃな願い事すらも 受け流されてしまう。 本当は彼等との生活の中に澄ました耳が必要なのに 日頃の忙しさで蔑ろにされてしまう

 彼が以前私に同じように話しかけた事を思いだしている。それは親の面会日の前の晩、私が泊まりだった。彼はトイレで独り言を言っていた。
「明日 お父さん 来ない。来ない。お仕事」誰もいないトイレの中、皆寝静まった夜中である。
 彼をお預かりしたのは3歳の時だった。私たちの仕事の重みをずっしりと感じた。もう大分前の話、
泊まりをやっていた頃、仲間達が私の布団をすいてくれた。ここに寝ろ!と言う。今、泊まりの仕事はしていない。
住井すゑさんが話していた。憲法は1条で充分、それは「ウソをつかないこと」だそうだ。103条の膨大な条文を誰が覚えていますか?全てがウソをつくことから始まるのだから、そのことだけで充分だと。
 確かに、障害者福祉に於ける通達やら法律が事細かに複雑さを増すだけで、誰もが理解できない仕組みになっている。
 福祉のこころと童話で唄われる心情は同じ。頭が良い人が考える事は地に足がついていない。
(どうしても私は一言多くなります。阿吽の境地とはほど遠い)

950:同じ穴の狢

某月某日、緊急の集まりがあった。昼飯が悪かったのかそれとも急いで駅でかっこんだからか、どうも胃の当たりがムカムカする。役目上、集まりには出るより仕方がない。
 「同じ穴の狢」などと言ったら私は干されるだろう。だがそんな感じを強く持ってしまいました。
さーて、やっと秋らしく青空になったわい。湿度が低いので爽やかである。周囲に振り回されることなんか無い。我が道を歩め。ズンタカター ズンタッタ。
 いよいよ読書の秋だ! 今取り組んでいるのは『敗北を抱きしめて』ジョン・ダワー著:岩波書店。上下2冊で分厚い本である。これもK先生より昨日、お借りしたものである。ページに挟んだ新聞記事の切り抜きを発見、それは吉田裕一橋大教授の書評であった。所々に赤線が引かれていた。
 現代の日本の状況は戦争を抜きに考えられないということだ。ミズリー鑑上での降伏調印式は昭和20年9月2日、その時B29爆撃機が超低空で400機飛んだ。その後米軍兵士が日本に上陸した数がなんと50万人、日清日露からずっと戦時態勢にあった日本が初めて敗北を公に認める記念すべき日となった。
 私は昭和25年生まれ、戦争を知らないで育った。今の日本人の大半が私と同じ、憲法や国の仕組みが勝戦国の検閲にあって作成されたもの、要するに借り物である。
 戦争体験を伝える人々が減り続ける中で、他人事として考える若者が増えた。そして、始末が悪い事に自分だけが良ければ良いと思う人間が増えた。
 言葉はどうだって良い。政治への期待は、自分の利になることを第一とした。その結果、同じザルの金を取り合う。まさに餓鬼世界を思わせる。
 我々福祉に関わる者も腹の中をさらけ出せるのか。様々の要望が、果たして心底から願ってのことなのか。そこに私は大きな疑問を持ってしまう。
 福祉の公益性をうたい、その実体は付加価値の高い事業に押し寄せる事業家集団と化した。
もし、この流れが本流ということになれば、今の私は逸脱せざるを得ない。私は生まれつき器用には生きられない。綺麗事を声高に叫んでも、その人達を同士として信用できない性分は如何ともし難し。
 同じ穴の狢となるか孤独のタヌキとなるか! いよいよ私自身で腹を決める時期にきたようだ。
・・・・緊急全国会長会議出席の率直な感想である・・・・・・
 今の執行部に物申す。
 様々な事業展開をされることは評価します。ただし、その総括が為されないことに疑問を持ちます。
 @先の選挙にて支援をお願いした経緯及び結果と総括
 A重要執行部(責任者)の変更の理由
地方においてその件に対する説明ができません。以上。