源極74

 

No テーマ 月日 No テーマ 月日 No テーマ 月日 No テーマ 月日
991 リラックス 11/10 996 認認介護 11/15 1001 修正の有無 11/23 1006 個別化 11/29
992 60前後 11/11 997 以心伝痛 11/17 1002 結婚式 11/24 1007 記憶 11/30
993 対比効果 11/12 998 本当に生きた日 11/18 1003 求道心 11/25 1008 師走雑感 12/1
994 腐葉土 11/13 999 危機意識 11/20 1004 だんだん 11/27 1009 抑制の見直し 12/2
995 県民の日 11/14 1000 入所更生部会 11/21 1005 大義が立つ 11/28 1010 限界実検 12/3

991:リラックス

結婚式の連チャン、いずれも新婦より新郎がコチコチ、なんで解るか。顔が引きつり、動作が機械的、首の動きと目がずれる。今の結婚式は大体3時間、仲人をたてないのが普通になったとか、確かにそうだ。
 今月はどういうわけか結婚式が多く、4組ある。毎週日曜日が埋まった。
おめでたい事は良いことだ。末永くお幸せにと祈る。
 さて、リラックスする様々な方法が紹介されている。私の今の一番の贅沢は、休日に行くスパ、つくば市にある。くすり湯と塩サウナ。これが肌に合うのだろう。スッキリすることができる。それからマッサージを受ける。これが至福の時である。今では1か月に1回程度になってしまったが、不思議なもので、さー頑張るぞ!という気力がわく。
 サービス業の心配りを学ぶ。先ず不特定多数の方が利用する場所、一番大切なのは衛生面、綺麗に整頓されているとまた来たくなる。私はいろいろな大衆浴場に入った。この業界も浮き沈みが激しい。
経営者が変わったり、閉鎖になるところも多い。
 私が長続きしているお風呂で、依然ちょっと気になった点があった。それはマッサージルームでお客さんと余計な話をするマッサージ師、これがリラックスを大いに妨げる。
 いつの間にか、マッサージルームが模様替え、担当者も全員が変わった。完全に入れ替わったのであった。
多分、お客さんから不平が出たのかもしれない。よく見かけるのはマッサージを受けながらイビキをかいている人、これは案外許せる。それはお互い疲れを癒すために来ているという暗黙の了解があるからだ。かえってイビキが心地よく聞こえる。不思議である。
 こうやって心配りに怠りなく客を迎える。応対する態度や言葉も大切。
”福祉”に欠けている所がここにある。福祉の専門職といわれる人にとって一番苦手なスキルかもしれない。ややもすれば「できない理由」はいくらでも言えるが、それに先送り。これは一体どうしてなのか?
 多分、福祉や医療、それに教育という業界に何か大きな欠けたものがあるということだろう。
 昨日、出席者の方で某市の市長がいた。限られた時間だったが、いろいろ話をした。今の政治で、特権意識が強く、バッジをチラつかせる議員は人気が無いという話になった。小まめに地元回りをして、気さくに話をするような議員でないと落選するというのだ。全くそうだと思った。
 今、福祉の業界は働いてくれる職員がいるから事業が成り立つ。人材確保が難しいという。確かに私のところでも同じだが、他の所為して考えていないか!
 働ける環境を良くすることが重要な要素である。。。。。。そうなのだ。
全く関係ない言葉ですが、ちょっと気になったので

   * この世の 日暮は あの世の夜明け * 明日に向かっていきましょか。
 

992:60前後

60歳をどう捉えるか、人それぞれである。こうありたいと思うのだが中々そのようには参りません。これが世の常というものでしょうか。
 60をピークと考えると、越えてしまえば後は下り坂、それほど粋がって生きることもあるまい。だが、忍び寄る寂しさと一抹の不安が同居。団塊世代が今、その中にいる。60歳を晩年と考えるには、ちょと早い気もするが、石川洋氏の言葉に「晩年は心を鍛える為に与えられた時間」というものがあった。今の時代、彼が歩んだ人生は、刺激的で示唆に富んでいる。本来人間は無一物、裸で生まれ裸で逝くものである。
 私は何故、石川氏に惹かれるかと言えば、自分自身ができない事を見事に成し遂げてきたと思うからだ。「心配」はいくらしても良い。だが「心痛」はいけないとも言った。
 現代の一托鉢者となって生きようとする。その彼が今晩年の中に身を置く。
人生を生き切る。立ち止まることを許さない。否、そのような無理は彼の言葉から微塵も感じさせない。あくまでも自然体。
 その彼が言った言葉が、前項に挙げた・・・・この世の日暮は あの世の夜明け・・・・・であった。来世に生まれ変わることを信じて疑わない。信心とは、書物から学ぶものではない。それに他人から言われることでもないはずだ。結局は自分自身の問題である。今、様々な事件が起こる。しかし、その殆どの事件に対策がはかれない。何故なのかと考える。
 それが借り物か本物かということではないのだろうか。日本の仕組みが外国からの借り物で成り立っている。
「福祉」論の中で、箱もの福祉or制度の福祉をいくら唱えてみても完ぺきではない。それは人の幸せは決して一様ではないという原則があるからだ。
 ならばどうする? それこそひとりひとりの人生をどうみるかという視点が要だ。昨夜だった、BSアサヒで先の北京パラリンピックの水泳選手団の鈴木主将の四年間の挑戦のドキュメント番組があった。見た方もおられたかもしれない。自然と涙があふれてきた。彼は、手足が無い状態で生れた、両親は彼を捨てた。だから彼は生来の一人ぼっち。その彼に里親になる幼稚園の園長先生が現れる。手足がない彼に水泳をやらせ、その後の彼の努力が実を結ぶ。北京での金メダルを取った。彼は今早稲田に学ぶ。教職課程をとり、自分の学んだ学校での実習、運転免許を取って自ら運転する。今、彼は就職活動の最中。そこで番組が終わった。
 何故、日本のマスコミがこのような番組を多く流さないのだろう。民放は競って視聴率を上げようと血眼になる。だから報道そのものがエスカレート、その辺の事を飽きもせず続けている。筑紫さんが亡くなった。彼の生きざまは一報道人というよりも、彼の哲学を感じた。
 報道の責務として、私はそこを言いたい。視聴者に貴方達は何を投げかけるのか!と。
 先の鈴木さんの人生は未だ21歳、その長さにしてはあまりにも多くの経験をされている。彼は両足や右腕を望もうとしない。それはできないことを諦感しているからである。しかし、ないものにいつまでもくよくよしていない。有るものを最大限に利用する。それは水泳というスポーツを通じて見事に証明した。だが、それだけではない。もっと多くの事を見る者に与える。それこそ”生きる感動!”人生の視界開放である。

993:対比効果

大分昔の話だが、児童心理だったか幼児心理だったか忘れた。学習という機能を学んだ。一人っ子の調査など、様々な研究がされていたが、果たして特質した成果が見つけられたのだろうか?それも忘れた。 あくまでも学習との絡みであった。ただ、現代の日本には当てはめ憎い。3世代同居など実に珍しく、ジジババ抜きの核家族が殆どである。
 学習のメカニズムで対比というものが重要だという。自分と比べてオヤツの大小、背が高いか低いか。美人か否かなどなど。幼児の内に敏感に感じ取る能力が養われる。親の関わり方は、自分が親になって初めて経験できること。思い通りに何も進まない。それに頭を抱えてしまう親もいる。
 自分の事だって思い通りにならないのに、その代償として我が子にそれを望む。これを身勝手という。ホンマ。
 戦争で南方ニュ-ギニアの地獄を経験された方の話。その体験を思えば何も怖くないという。共に闘った戦友は既に誰もいなくなった。91歳の年齢で今も山口で現役の医師として活躍されている。
 その方の思いは非常に明快である。老いて安心できる社会つくり。そのために医療や福祉の事業を大規模に展開しているという。
 なんとかという航空幕僚長の国会尋問の話、非常に腹がたった。多分彼は戦後世代、どうやって今の地位を得たのか知らない。多分、不透明極まりないと想像する。彼の言い分は、まさに英雄気取り、誰が評価するだろうか?裸の王様。 自らが戦争を経験し、その思いから何がしかの論文を書いたのならばいざ知らず。耳学問で書いたに違いない。
 私は生活が苦しいから退職金(6000万という)は使わせて頂きますと明言。自主返還などサラサラない。うーむ。武士の情けを感じない。
 世の中に面倒で不透明な事が次から次に起こる。総額2兆円という給付金を所得に応じて実施するか否かという問題。なぜ素直に喜べないのだろうか。貴重な時間をまた取られる。
 それは、矛盾を誰しもが感じているからである。何か恵んであげるという奢りを感じる。
一体、この国の良さはどこに行ってしまったのだろう。秋風に散る落ち葉のように思えるんだなー。
 陰徳を積むなどと言えば、笑われる。話はあっちこっち。米大統領に決まったオバマ氏、彼の生い立ちが紹介されると、何かホンワカしたものを感じる。今の私にはホンワカとしか表現できない。ケニアに住むという祖母がテレビで紹介された。今のアメリカとケニアのギャップ。これは天と地の差がある。
 だがどうだろう?底流に共通する何かを感じてしまう。人間は元を辿ればひとつ。どうして争うことをやめない。という天の啓示。先のブッシュは親子二代の大統領、オバマにはそれが無い。その選択をしたアメリカの奥深さを感じる。
 この世に戦争が無くなれば、人間はどう生きようとするだろう。果たして理想郷を築くことができるか。
対比効果というコンセプトは、使い方次第でどうにでもなる。

994:腐葉土

見よう見まねで腐葉土作りをしている。落ち葉をかき集め、油粕を重層に混ぜ合わせて作る。その上にシートを被せ暫く置いておくと熱を持ってくる。菌の発酵熱。ここまでは聞いた話。実際に境内の隅っこでやってみた。
 これが全くそのようにはならないのだ。水分が不足しているのかもしれない。
 定年後、畑作りに精を出しているYさん。いつも出来立ての野菜などを届けてくれる。雑木山の落ち葉をあげたのがきっかけで、いろいろアドバイスをもらっている。
 それは私にではなく、GHのSさんにである。Sさんは小さな自分用の畑を持っている。10種類ぐらいの作物を作る。いつも「○○食うか?」とか「今度、○○できたら持って行くよ」と声をかけてくれる。
 彼のGHでの生活に潤いを持たせているのが、畑作り。今までたった一人で自宅生活してきたSさんにとっては学園での生活は馴染めない。決められた生活パターンには無理もない。そこで、彼は早めにGHに戻ってきて畑に出るのだ。
 彼の良き話し相手がYさん。Yさんの作る作物とSさんの作る野菜が似ている、多分、苗や種をお裾わけしてもらっているのだろう。Yさんの丹精を尽くした見事な菊がまた寺に届けられ、玄関を飾っている。私が水かけなどしないと分かっているのであろう。夕方になると本人か奥さんが自転車で水かけに来てくれる。
 落ち葉を集め腐葉土を作り、野菜や花を作る。決して高い肥料を使うわけではなく、殆どが自家製。
畑を遊ばせている期間がない。常に季節にあった作物を作る。冬場は落ち葉をあつめ土づくり。
 この農業が嘗ての日本の農業だった。今、周辺には休耕田や荒れた畑が目立つ。一方、旧市街地では自棄に駐車場が目立つ。これが今の偽らざる実態である。土地を有効に活用していない。
 土地からお金を産む考え方は、自然の摂理に反している。神立周辺には、アパートが乱立、受給のバランスが崩れている。これだって不動産屋や住宅メーカーの節税対策という口車に乗った結果。果たして30年ローンを組まされ、その負債をいつまで持ち続けられるか?土地価格の上昇は誰が考えてもこれから先はあり得ない。先の事を考えて手を打つことが果たして吉と出るか凶とでるか。
 本当の土地活用をこの辺で考えてみないと偉いことになりやせんか。
晩年は心を鍛える時間という。定年を迎え公的な仕事から退いた後、自分の時間をどう使おうが自由になるはず。今、超高齢化社会という触れ込みで浮足立って全てが落ち着かない。
 高齢化とは長生きできるということ。なんと幸せな国ではないか。認知症や寝たきり老人の介護は大変である。ただ、全てのお年寄りがそうなるのではない。むしろ絶対数からいって元気なお年寄りが多い。刑務所の中で、高齢の服役者に若い受刑者を同室にさせ生活の介護をしてもらっているという。これも工夫の一つ。そしてホームヘルパーの資格取得を服役中に取得するというのだ。
 人間は一人では生きていけない。他との関わりの中で多くの事を学んできた歴史だ。いつの頃より、そこにお金を介在させた。富の格差を是として遮二無二生きてきた人々は、何が大切かをいつの間にか忘れてしまった。小室哲也という一世を風靡した人物の落差、それが如実に示している。
 

995:県民の日

11月13日は県民の日である。何故、この日になったかは知らない。恒例の行事として茨城県表彰の式典が県庁で行われた。今年は先の国民文化祭の総合プロデューサー池辺晋一郎氏が特別功績者表彰を受賞した。県民栄誉賞はレスリングの富山氏、北京オリンピックで銀メダルをとった塚田さんの二人、それ以外に30数名の表彰があった。私は集まった面々を名簿と見比べ、どれだけ知っている人がいるかに関心があった。
 10人ぐらいまでは名前と顔が一致、それだけであった。
受賞者代表挨拶で池辺氏が話す。彼は幅広い音楽活動を行っている水戸市出身の方、その挨拶で心に残ったのは「本日集まった人、全てが郷土”茨城”が大好きな人たちであります。・・・・」のところ。
 私も年をとるにつれて確かに生まれ育った茨城が好きになっている。県人口では11番目と来賓の挨拶に紹介された。別に何番目でも良いのだが、近県を見回しても目立つのは、茨城は多様なプロジェクトが進行中であるということ。その代表が茨城空港、2年後に開港する。それにひたちなか港や高速道路整備、目白押しの事業である。また最近ではスペイン国王ご夫妻と天皇陛下が来県、つくば市で最先端技術(介護ロボットなど)を視察している。首都圏にあるという利便性が功を奏しているからだろう。それと東京に近くて今まで開発が遅れていた地域であったことも近年の急激な開発に拍車をかけた。
 確かに自然豊かで災害も無く、どこにでも住める広大な県土、県民気質もあまり小さな事に拘らない調子ものが多い。歴史的には幕末の藤田東湖(水戸学)や横山大観などの著名人を輩出、15代将軍慶喜などそれぞれの時代で名を馳せた人物も数多い。
 最近は特に目立った動きはなかったが、先のノーベル賞でつくば市在住の小林氏がニュースとなった。
昨日の表彰式の中で参加者の注目をあびていた方がおられた。私のすぐ近くの受賞者席に座っていた。茨城県の経済界の重鎮、本来ならば代理が出席するのかと思ったがご本人が来られていた。年齢は80歳を超えているだろう。教育振興財団を創設し、小中学生の教育発展に寄与した功績による今回の表彰。
 実は尚恵学園も大分昔からその恩恵を受けている。毎年多額の寄付を頂戴してきたのである。グループ企業は何社あるのか知らないが、県内にあってはトップ企業を築いた方である。私と高校が同じ、今も同窓会会長を引き受けてくれている。
 今でこそ企業の社会貢献がやかましくなってはいるが、氏は最初から地域への支援を惜しまない方であった。杖を持ちながら受賞の順番を待つ後姿を拝見し、仕事を成し遂げた人の威風を感じた。
 自社の発展に精魂を傾けるのは当然である。しかし、地域に貢献しているという経営者は然程多くはない。あらためて郷土を愛することがどういうことなのか考えた。私は学生時代に茨城から数年出ただけで、それから40年近くずっと茨城に住んでいる。余所に出た人から見れば、なんも変わらず平平凡凡とした生活を送っているように思われるだろう。いつの間にか年をとり、健康の為といって、夜暗くなってから一人近所を徘徊?するのが日課となった。
 本日、政府管掌の健康診断。バリュームの影響か腹の具合がいま一つ。出るようで出ないは・・・・。
県民の日が尾籠な話になりました。

996:認認介護

”認認介護”とは良く言ったものだ。新造語である。認知症が問題となった現代を反映したもので皮肉たっぷり。在宅介護という問題をさらに深刻化、夫婦とも認知症という場合である。悲惨というか寧ろ危険である。
 自宅で二人で孤独死という状況も増えているという。
 それが田舎より都会に多いというのだから妙な感じだ。本来生活に便利である都会が予想もしていなかった地域力不足。今の制度で夫婦で認知症を患い在宅生活を保障する十分なサービスはない。一方が倒れたら瞬時に何がしかの居宅サービスに移らなければならない。だが実体は、新宿区のケースで今登録し、介護施設に入所待機をしている老人だけで1200名以上いるというのだ。この状況は全国似たり寄ったり、いつまで待てば入れるかの先の見通しは全くない。
 それが世界2位の経済大国日本の現状である。老人介護がこの状況で、障害者サービスは、もっともっと不十分である。
 戦後の急激な経済復興の誉をいつまでも引きずっていて良いのであろうか?
 昨日、私の携帯にSさんから電話があった。「住田さん。スウエーデンに行こうよ」また何か始ったと直感。彼は前日,大滝さんに会ったという。そこで向こうでの研修を相談、それに対する私の意見を尋ねてきた。
 今の日本でどのように足掻いてみても、国として方向が定まらない。待っている時間がないというのが彼の真意。私も同感である。電話の話では1か月位集中して研修させるというもの。10名以上を集めるには大変だと思うが、彼の企画力に期待してみよう。
 ここ数年、障害福祉は国の施策変更に翻弄されてきた。4日後に日比谷音楽堂にて2回目の全国集会を行う。茨城からも90名弱の参加者が集まった。当然私も参加するがアクションとしては完璧なものは無い。ただ、老人問題に押し切られそうな我々の運動だから、危機感は強い。
 先ほどの国としての方向づけは、三位一体改革の上辺だけを飲む事で誤魔化されている。その事に気づきながら一向に変えようとしない。
 全国で1700以上ある市町村を半分にし、道州制をとって10位にまとめる。これが日本の未来の姿。
政治に金がかかり過ぎます。だから後援団体との癒着は無くならず、専門の議員でないから政治が施策を作れない。だから官僚との共存共栄構造が根深い。この構造が国から市町村まで全く同じ。
 税金を納める我々も、真剣に考えようとしない。否、方法が見いだせない。その手詰まり感が全ての業界に蔓延、思いつき予算というカンフル剤を投与しても、なんらその効果はない。
*今回の2兆円という定額給付金、社会保障費が毎年2200億減額されている。それとの整合性はいかに????
 大河に逆らう事は至難のワザ。だからドンドン個人主義に引きこもる。それがてっとり早く、一番無難な方法だから。

997:以心伝痛

”ウッ・・・・”やったー!
 ぴりっと瞬間、腰に走った激痛。しばらくそのままの姿勢でしゃがみ込んでしまった。ぎっくり腰。鎌を持ち出し庭掃除を始めて30分ほど、植木にツルが巻きついて木を枯らしてしまう。そのツルが地面いっぱいに伸びている。そのツルを引っ張った時に、またなってしまった。情けないやら痛いやら、記憶もチョウロクではないがこれが3回目だと思う。経験されたことが無い人には分からない。本当に2日間ぐらいは這って歩く状態、寝返りも打てないし、どうやって体を保っていればよいのかわからない。昨日は1日目、法事が入っていた。誰もいない。親父の使っていた杖を持ち出し、改良服に着替え、神宮寺へ。法事客が来る前から本堂に座り込んで待機した。同じ姿勢ならばどうにか我慢できそうだ。でも正直に伝えた。こんな恰好で申し訳ないと誤り、無事終了。参列者に笑われた。一瞬ムッとしたが、本尊さんの前、押さえた。
 杖を使い妙な恰好で歩いていたのでSさんが寄ってきた。「どうした理事長、その格好は?」彼は会社で躓き1か月ギブスを付けてやっと復帰したばかり。「苦労しないものは救われない」彼のいつもの挨拶言葉を後ろからかけられ、泣けてきた。
 その夜である。痛みが最高潮になって布団に早めに横になる。すると何を思ったのか、我が家の猫『ハナ』が私の背中にのぼってきた。動かずそのままでいたら、なんと寝始めた。
 そしてまだ話が続く、朝方だった。ハナがトイレにたった。その歩く姿が変。前足がビッコしながら歩いている。
なんでだー?
 良くみたら、蚤取り首輪に右足をからめていた。 以心伝痛。

998:本当に生きた日

昨日も動けない1日を過ごす。鶏みたいな性分の私には動かないという事ほど身にこたえるものは無い。
 本棚を見ていて、ふと眼に着いた小冊子、「仏教聖典」を取り出し読み始めた。この本はホテルなどに置かれている本で30カ国語ぐらいに訳された(財)仏教伝道協会出版の仏教の解説書。編集欄を見ていて驚いた。各宗派の著名な学者が編集にあたっていた。そして、内容的には高校生にも分かりやすいようにしている。典拠になる原典はこれまた広範囲で、私は真言系の経典を見つけようとしたが、なかなか見つからない。これほど膨大な仏教書から選りすぐった内容である。英語訳「The teaching of Buddha]

 暇だから読んだというのが正直なところ、しかし、気づいた事があった。それは、外国語訳にする時に、その国の高校生に読んでもらったということである。先に南米の研修生を受け入れた時に、私が失敗したこと。仏教の教えを文化習慣の異なる外国人にどう理解してもらうか。どうすれば分かってもらえるか。
 この配慮が必要だと感じた。
 知的にハンデイを持つ人たちと付き合っていると以心伝心を身をもって体験する。しかし、本人の微妙な変化、特に体調の異変などは気付かないことが多い。例年のことであるが、これから冬に向かい、風邪などで体調を崩す方が増える。
 残念ながら疾病に対して完璧に予防できる術はない。何しろどこで罹ってくるのか分からない。「仏教聖典」の中に病は避けて通れないのが真理というカ所があった。四諦の解説である。四諦などと簡単に使うものでは無い。余計訳が分からなくなる。
 文字から理解することはできない。感じることはできる。その感じた事が理屈抜きに相手に分かってもらえれば、それに越したことはない。
 午前中で一通り読んでしまった。続いて取り出した「本当に生きた日」、この文庫本は城山三郎のもの、彼は経済小説や歴史ものを得意分野としている。この本は女性を主人公にした長編もので彼の作品のなかでは特異な存在。
 本当に生きたとはどういうことなのか?
 これまた、理解するというよりも感覚的なものである。城山の生きざまを多少なりとも知っているから余計そう感じた。
 ここ数年、本などゆっくり読む時間が正直無かった。
腰の痛みが何か自分にとっては良い休息となったようだ。
 皆さん!どうですか本当に生きていますかーーーーーー*年齢からくるのだろう。60歳を間近にして、人生悔いなしと言えるだろうか!
  *腰の痛みに耐えかねて 我が人生の 裏表
      言えぬ事も 多けれど それはそれで 我が肥やし。

999:危機意識

誰しもが危機感を持っている。どうすればそこから脱け出せるか!
 実は元厚労省事務次官の殺害事件、様々な憶測が飛び交う中で、ちょっと気になる事がある。私は不幸にもお亡くなりになった山口事務次官には、どこかでお顔だけは見ている。現在の年金の仕組みを立ち上げたスペシャリスト、面倒見が良く、人柄も抜群で省内では絶大なる人気があったという。(浅野談)。よもや今のような事態(年金台帳の記帳漏れ問題)になろうとは想像もしていなかったに違いない。
 日本が経済的に豊かになってきた過程で、一次産業に従事する人々が減り、勤め人が増えた。社会保障の仕組みも当然その変化に対応しなければならない。そこで年金の仕組みを大きく変えた。その責任者であった。
 制度はある意味では怖い。できてしまうとそれにどうしても縛られてしまう。恩恵を得る人もおれば、そこからはみ出てしまう人も出る。そこに不満が芽生える。いつの世も同じことを繰り返す。
 そこで私が気になったこと。それは山口氏という個人への評価というよりも、今、官僚トップへの様々な批判が目白押し状態。防衛省から始まり、実態が明らかになればなるほど、一般市民の感覚とのズレが大きくなった。それはトップを極めた人は、その殆どが何らかの関係機関に天下る。その実態も市民感覚からかなりズレている。2年ぐらい重要ポストを与えられ、高額な退職金をもらって、3度目の天下り先へ。
 このことに対して、多くの国民が我慢の限界にあることは確か。地域に溶け込むべくいくら質素に生活をしていたとしても周辺には羨望?の目があったに違いない。
 この意味では、今の官僚制度の病みの部分をつかれたとも言えよう。確かに優秀な人がそのポストにつく事は間違いない。ただ、仕事ができる事と一般人にとって評価されることとはギャップが大きい。一般の人の評価・・・・、今の新自由主義世代には価値観が多様で政治や官僚制度への無関心という選択を取り易い。その無関心という実態を上手く利用してきたのも事実。
 何かこれからもこのような事件が続くような気がする。暴力に訴えるやり方は絶対に反対、だけれどもそれに替わる方法はなかなか見当たらない。中間を省略して結果を早く出し過ぎる。いわゆるキレる人間が増えている。昨日、日比谷野外音楽堂で全国緊急集会が行われた。我が園から4名が参加、私は直前まで迷ったが、途中で迷惑をかけてもどうかと考え、取りやめた。申し訳ないと思っている。その報告を昨夜聞いた。何かしっくりしない事があったという。
 様々な思惑があって、一つの行動を起こすことの限界があるということだ。
 果たして、今回の運動が良い方向に進んでくれれば良いのだがどうだろう?
足元を見れば、そんな事に構っておれない現実がある。
本心を吐露。事業を拡大してきた中で、一人一人のメンバーさんとの関わりが薄くなってしまった。社会福祉事業の有るべき姿は、決して事業規模ではない。広げてしまった以上、いかに周囲の人々に支えられ守っていくか、その辺が落とし所であろう。今から水戸、関東地区の研修会を茨城が企画、一泊となる。

1000:入所更生部会

業界内の研修が水戸で二日間にわたって開催されました。知的障害者入所更生施設関東地区代表者会議。長い名称で舌を噛む。関東地区で毎年持回りで実施、今年は茨城が当番となった。部会長の岡本さん(あいの家)それから、前田(佐白の館):渡辺(ピアしらとり):笹本(ラ・フィーネつくば根)各位には大変お世話になり、通常の2倍強の参加者があり一人満足しています。会場は水戸南口のホテル、利便性は抜群、シテイ感覚で申し分ない会場設定。協議の内容は事前に打ち合わせを行い、「新体系移行の動向と課題」というテーマにした。
 正直な感想、関東地区ほど格差が大きい地区は無いと思った。つまり、県単の補助金が全国トップの県(東京:横浜)と何にも補助金が無い県が隣り合わせ、県境を越えれば充実したサービスが受けられるのにその逆もまた起こる。
 県の格差は昨今の財政引き締めにより従来の補助がカットされるということで多少縮まってはいる、しかし、横一線でない。それと、神奈川のように横浜・川崎など政令都市と県とでは同じ県の中で格差があるという。 事業が市町村に移り、益々その差が拡大しているのも見逃せない。
 茨城は協会の方針として、新体系に移行するのは各法人の判断に任せるということで終始一貫、その事で他県から批難されようとは予想だにしていなかった。裏切り行為という汚名を浴びせらもした。
 19日は日比谷野外音楽堂で緊急集会があった。ここに至るには、執行部のご苦労も十分わかっている。・・・が、どうも首を傾げたくなる状況が現にあったのも事実。ここでそれは触れまい。
 昨夜、懇親会はホテルのムードたっぷりの会場で行われた。各県の参加者となるべく多く話すように各テーブルを回った。そこで出た話が、「充分に情報を流してもらえない」という県執行部への不満であった。中央で何が検討されているのか知らされない、協会として一枚岩で運動しようというはずが、各県バラバラ等々。
 言い訳するのに苦労した。全く全国会長会議で私が感じていることと同じだから皮肉である。
 2次会は4人でワインバーにいく。私はアルコールは弱い、だが雰囲気は嫌いではない。福祉関係者は正直、付き合いに偏りがあるかも。それは私の偏見かもしれません。今の時代、本音と建前を使い分けるやり方は、どうも受け入れにくい。どこかの県の施設長に詰問された。彼はマスコミで長年記者をしていた経歴の持ち主、「福祉の業界は、生ぬるい。補助金よこせと言いながら、その根拠は何もない」 生きるか死ぬかと凌ぎを削っている業界をカメラアングルで見つめてきた人間から見れば、どんな理屈を掲げても所詮、補助金の枠でしか泳げない集団・・・・・・・。確かに従来の措置時代は、まさにその通りであった。良い点もたくさんあったのも事実。そして見直しがかけられ今に至った。それでいて、依然として元に戻ることを願う人達もいる。前カンブリア時代の生態系か!
 この業界体質は、今の若者に果たして夢を持たせることができるのでしょうか?
 人が辞めるのは「先が見えない時」と「先が見えてしまった時」(堀田東大准教授)という話は身にしみる。それに一番はトップが変わることだとも。みんなで渡れば怖くない式では? もっと勇気を持ち、且つ自らの責任の取り方を持つべきだ。
 入所更生部会の問題は、障害福祉全体の問題とダブル。それは制度云々よりは我々従事者の猛烈な反省が前提条件である。
いつの間に1000回となりました。一つの通過点です。多少視点シフトしようかなと。飽きたらどうぞ。ハイさいなら。いつでもバイバイ。お陰をもちましてぎっくり腰、現在 ing

1001:修正の有無

夕方、病院へ見舞いに行った。既にスタッフのKが来ていた。彼はベットの上でノートに字を書いていた。熱が下がらないので、病院で精密検査、その結果は即入院、どうしてここまで彼は我慢してきたのだろうかと誰もが驚いた。彼らは痛みに対して上手く伝えることができない。発熱や下痢などは、早く状況を掴むことはできる。
 彼は口癖のように、「おなかに赤ちゃんがいる」と言っていた。これは今に始まったことではなく何十年も前から、私はふざけて言っている位に思っていた。
 もし彼がお腹の不調をそのような形で言っていたとすると・・・・・。でもなー何十年も前からそんな風に良く言って本人も喜んでいた。
 私たちの現場の仕事は毎日がこの連続である。関わりが長期になればなるだけまた新たな問題も出てくる。
この世で修正を図ることの難しさ。残念だが全てに通じる手法は無い。
 例え、合法的な事であっても多くの矛盾を含む。アメリカには良くあることだと言うが、自動車の3大メーカーのトップが公的資金の導入を議会の公聴会で訴えた。しかし、デトロイトからワシントンまで自家用機で駆け付けたことを批判され、GMは5機所有の自家用飛行機を2機手放したという。議会の良識をそこに感じる。先の投資銀行の破綻においても、経営トップの桁はずれの給与、何と60億円をたった1年でポケットにいれる。社員は大半が年俸制、一つの会社に定年まで勤める習慣はなく、2〜3年で会社を変える。私に言わせれば持ち逃げが常態化している社会。アメリカの全てがそうなのか?ウオール街だけに通じた常識だとも。
 そこに魅力を感じ、外資系日本法人で働く日本人も同じ価値観を持っている。その対極にある非正規労働者、その数は増え続けている。これが実体である。
 様々な経営セミナーに顔を出してきた。そこで力説される旧来の経営法の見直し、年功制や評価制度の導入。果たしてこの手法を取り入れないと生き残れないのだろうか?
 いつもその事で一人悩んできた。コンサルを入れ、給食部門のアウトソーシング、経理には会計事務所を入れた。
 結論として、最後は人間だということ。背延びをすれば無理が出て、なんのためにこの仕事をしているか見えなくなる。効率性と利潤追求との背中合わせに一番大切な”喜び””やりがい””夢”喪失のリスクがある。
 今後ますます増え続ける企業倒産、理念無き事業の倒壊は早い。
「福祉」とは、本来事業に馴染まない。これが終始一貫私の考えである。どのように立派なスローガンを掲げても所詮人間の手によって成り立つもの。
あえて福祉を事業と考え、事業の成功をどうみるかを考えてみよう。規模拡張or収支バランス??
 一つの事業所の優劣で推し量れない。市場原理を福祉に導入したことは、事業所間での勝ち負けを決めるには好都合、しかし、それが最終目的ではない。福祉とは国全体の有り様である。
 その一つに政治の変化も選択肢に入ると思っている。
 

1002:結婚式

今月はなんともはや結婚式のオンパレード、5件もあります。昨日は4つ目が千葉であり、常磐高速を飛ばして行きましたが、日曜日だったせいもあり、予定より大分早く着いてしまいヤマダ電気で時間をつぶしました。全てが違った式場でして、料理も進め方も違ったからまだ良かったんです。これが全部同じだったら。どんな具合になっただろうか。気づいた事がいくつかありました。それは来賓の挨拶です。自社のPRをしている社長もいれば、次の会場にいかなければと落ち着かない議員の先生などなど。
 印象的だったのは、某市長の挨拶でした。彼は40歳ぐらいでしょうか、決して美辞麗句を並べることはせず、分かりやすい温かみのある言葉で短く纏めていました。私は市民の評判は分かりませんが、この市長なら新しい風を庁内に起こしているに違いないと直感しました。
 挨拶には、その人の人間性が出ます。結婚式での挨拶でとやかく言う人はいません。しかし、間を持たせる意味からいえば、時間の経過や式場の雰囲気に配慮された挨拶が一番です。
 最終日曜日にもう一つ残っています。
寺の檀務をすませながら結婚式のお付き合い、週末はてんてこ舞い。幸い腰の具合は良くなってきました。ですが、今度はコルセットを締めすぎたからでしょうね、真横にベルトを締めたようにカブレてしまい。これが痒くて閉口しています。全く次から次に。元々ひ弱な私です。
 結婚式場も大変です。最近は和服で式を行うカップルは少ないようです。それに仲人もたてません。
また。引き出物はほとんど本から好きなものを選ぶ方法です。また、披露宴の後に2次会のセット。
 こうやって新たなカップルの誕生、ここだけの話、5組の結婚の内で3組が新婦のお腹に赤ちゃんです。これも今のご時世でありましょう。
 一方、世の中は新たな展開もあるようで、結婚をしない方が増えているのも確かなようです。それに晩婚化、それも本人の選択ですから周りでとやかく申せません。言ったら大変。茨城県で結婚斡旋所?みたいな出先機関が旧県庁にあり、そこの登録者は男性が女性の2倍、2年間で結婚成立したカップルが200組とか。
 さて、いつものように今、PCに向かって頭に思い浮かぶこと。やはり凶悪な事件の事になってしまいます。都会特有の事件かと思えば、決してそうではなく、長閑な田舎にも同様の事件が起こっている。
 昨日の結婚式に、インド旅行から帰ってきたばかりのお坊さんに旅の様子を聞きました。参加者の半分が体調を崩したということでした。それもお腹を。多分食事でなったのだろうという話をされていました。インドは水を飲めばテキメン、下痢をするといわれます。これが常識のようです。
 もし、今の日本で凶悪犯罪が起こるのが常識ということになれば如何なものでしょう。
様々な国の方が日本に来ています。それはごく普通の事、島国の日本はヨーロッパなどに比べれば今でも鎖国状態かもしれない。
 こう考えていくと、国の一人勝ちはあり得ない。できれば戦争などない、その国々の歴史や文化が長く続く関係を築くことでしょう。結婚式の話がとんでもない所に行きそうです。
 

1003:求道心

今日明日と浜松町にて会議、泊まりとなる。多分、日比谷での緊急集会の総括と今後の活動方針が協議されるものと思う。 果たして政局が不透明な中で、どのような舵取りをしていくか、ダンマリを決め込むか・・・・私は腹が決まっている。
 偏った情報で判断をしなければならないのでは、物事の確かな方向は見いだせない。でも仕方がないと諦めてはいられない。その一念で今まで顔を出してきた。県の代表などと思い上がった気持は毛頭ない。
 私より適任者はいるはずだ。いつでも辞める覚悟はある。
 正直,おだてられ木に登ったは良いが降りるに降りられずという心境だ。
 
山岡荘八の「徳川慶喜」を読む。放送中のNHKドラマ「篤姫」と重なる。幕末の激変期に登場する人たちの人間模様は、作家の筆によって大分趣が変わるものだ。西郷吉之助が水戸学を学ぶために藤田東湖に会いに水戸にきたというくだり、山岡の第1巻に登場する。西郷が江戸から水戸に向かう途中、土浦が出てきた。
 府中や小幡を通って常澄(現水戸市)村の六地蔵寺を訪れたという。この寺は私の寺と同宗で、現在の住職を良く知っている。時代は約140年前の出来事、水戸藩は35万石、全国でもトップクラスの藩であった。徳川御三家のひとつだから、それに異を唱えるものはいない。桜田門外の変、5,15事件と近代史に頻繁に登場した。
 ちょっとキナ臭い最近の動きとしては、自民党の最大の理解者であった県医師会が全国に先駆け自民党に反旗を掲げた。これが県民性と断言するには性急しすぎるかもしれない。ただ、大雑把で頓着しない性分は、機に乗じて激変する。私の性格も似たりよったりかも。
 今、我々の業界が右往左往している。正直な話、大義を感じない。貴方達は一体何を求めているのですか? それが見えない。陰でいくら画策しても、殊、「福祉」を御旗に掲げるならば、正々堂々と正面から攻めるべきだ。一党に媚を売るような事をしてはいけない。彼らが本当に大義によって動いてくれるか、否、動いたでしょうか?
 自らの政党にあってさえ、互いに権力闘争を繰り返す。様々な意見が出るということを是とするには、「福祉」をあまりにも冒涜している。
 仏教に「求道心」というものがある。それは言うまでも無く、「何を」求めるかによって全く逆の評価となる。
 *ドイツでGHを利用する場合、月に3000ユーロ(日本の10倍)が一人に支給されます。これが何を意味しているか?貴方達がこうあるべきという姿とあまりにもかけ離れてはいませんか!ドイツは先の大戦で日本と同じ廃墟から這い上がってきた。しかし、国の繁栄を目指す過程で障害者の福祉の重要性を決して忘れてはいなかった。
 

1004:だんだん

 『だんだん』というNHK朝の連続ドラマは、実に面白い。双子の女性が京都と松江に分かれそれぞれの道を歩む。
番組の最初の頃を見なかったのでどうして夫婦が別れたのか、その辺が定かでない。双子の主人公の偶然の出会いからストリーは始まる。15分という短いドラマの展開は実にスリリング、どんどん引き込まれてしまう。
 「だんだん」とは、どういった意味なのだろう?遊郭などで使われる遊里語だという。そしてその意味は「ありがとう」。
 京都は独特の言葉が今もある。京都駅周辺は近代的になり、古都の風情は多少色褪せたかも。でも一歩大通りから中に入れば奥深い家並みが今もある。ドラマに出てくる片方の主人公は舞妓さんを目指す、私は鴨の河原や祇園は素通りするぐらいで実際は良く知らない。画面に出てくる舞妓さんの踊り姿は、どこかで観た事がある。春の踊りとかなんとか言った時のものだろう。実に華やかで残像が今でもはっきりと残る。
 そんな事を研修先(浜松町)のホテルの部屋でボンヤリ考えていた。目をつぶる。でも眠れない。
 夜中に部屋の温度が高くて起きだして外を見た。夜中の2時というのに隣のビルは明かりがこうこうとついている。
昨夜久しぶりに東京で働く息子と浜松町で落ち合い夕飯を一緒に食った、矢継ぎ早に私から話を持ち出したもんだから、多分、迷惑だっただろう。今まで、東京で二人っきりで話すことなど無かった。いつの間にか社会人らしくなり、多少酒で呂律がおかしい親父の話に耳を貸してくれた。
 「だんだん」という言葉は挨拶語なのだろうか。ありがとうという言葉を大切にすれば世の中がもっと違った展開になるんじゃないかなー。
 それが今はそうじゃない。相手の非を責め立てる。そこにはありがとうなどと言う気持ちは微塵も無い。殺伐として自己中心的人間がなんと多いことか。昨夜のホテルでの懇親会は今話題の厚労省の部長や課長が顔を出してくれた。彼らには護衛がつかないのだろうか、物騒というか何が原因なのか分からない惨い事件。東京にいるとその辺の動向に麻痺してしまう。昨日も高崎線が人身事故で動かなかった。
 それから、協会の幹部と立ち話、我々の活動がパフォーマンス的にならざるを得ないのは、所詮、知的障害者問題はマイナーということ。団体の力もなく、政治家の関心も決して高くはない。その辺の現実から出発せざるを得ないからと本音を聞き出せた。これで大分、執行部への誤解が自分自身の中では溶けてきた。
 昨日の会議で行政説明を行った課長はこの4月に来たばかり、いままで我々が積み上げてきたことを、また最初から説明するより仕方なし。課長の話に、かなりフライング的発言があったように感じたが、実はこれだって後日できなかったと釈明すればそれだけのこと。1歩進んで2歩下がる。これをいつまでやれば良いというのか!私個人に関すれば、このような機会に多く恵まれ、いつの間に知らない人の中に入って話す術を学んだ。
 だからと言って、とおり一遍の雑談の域は出ず、また話したいと思う人との出会いは殆ど無い。
言葉要らずで分かりあえる関係は、ちょっとやそっとで出来る事じゃないと誰かさんに言われそう。また、そういう貴重な人間は多くは必要としない。”ほんと だんだん ですわな!おおきに”
 

1005:大義が立つ

大義名分・・・行動の明確な根拠。ある方よりメールが入る。「大義に関して強さとありましたが、その強さ
は弱さにも感じることが私にはあります・・・・・」これはNo:1003を読み、その感想を書かれてきたのだと思う。
 どうも私は体制に反発を感じやすい性分のようで、立ちはだかる大きな壁に向かって”吠える”癖がある。声だけうるさい子犬のように。”大義”という言葉を最近良く使う、これも私の貧しいボキャブラリーの中、自分だけが納得してのこと、だから私の本意とは違った受けとめもされるわけだ。決して強さを誇張したつもりは無い、またメールの相手も自分自身のことを言っているのだと思う。
 昨日、入院中のIさんが個室に移った。彼は今月6日の見学者が来られた時は持前のサービス精神を大いに発揮、笑顔とユーモアで外国のお客様を工房で迎えてくれた。その時のスナップ、なんと250枚が筑波大の中田先生から届いた。その中に彼が写っている良い写真があり、急いでプリントして病院へ届けようと写真屋に。出来上がるまで時間があったので階上の本屋に立ち寄る。
 そこで見かけた男性は、今年息子さんを亡くした方だった。年齢は私より2つ上、仕事は定年前に辞め、自宅で栗栽培などをしている。「ちょっとお茶でも飲みませんか?」と誘う。彼は良く本屋に来るという。
読書好きで、今はあまり重たいものは避けていると言った。勤めを辞めてから本を読む時間はいくらでもあるのに今は読む気になれないという。
「なかなか思い通りにはいきませんね。」というのが彼が最初に発した言葉だった。コーヒーを飲みながら二人で話す。気になった言葉がいくつかあった。自分の性格では、会社では上にいけない。仲間を追い落としてまで自分は出世したいと思わなかった・・・・など。
 77日忌の時だったろうか、私が四国遍路のことを勧めたことを良く覚えておられた。できれば家をあけて行ってみたい。でも長く家をあけるわけにもいかず、その代りに家の周りを歩いていると。彼は朝、4時から歩き始め、私の寺に寄り、6時頃に家に戻る。それが日課となっているそうだ。
 先に逝ってしまった息子への思い、それは悔やんでもどうしようもないと判りながら自分を呵責する。初めての誕生日を迎える頃、それから学生時代のこと、数々の思い出が浮かんでくるという。いま歩いていると気持ちが落ち着くとも言った。彼は一生、その思いと向き合って生きていくと話していた。それもいじらしい程、控え目に。
 大義という私の真意は、粋がって背延びして言っているのではありません。弁解がましいと思いつつ、自分自身の頭の中を整理したい。
 人それぞれの生き方があって当然である。他人がとやかく口を挟むことでもない。だが何故腹がたつ出来事が後を絶たないのであろうか。それは自由を履き違えているからだと思いますね。その対語に”大義”という言葉を自省を込めて使っているだけです。
 どう取られようが構わないのだが、正直、今の私にとって尚恵の仲間達の存在が大きい。昨日はどういうわけか3人の方が体調を崩し、病院に世話になったのです。一人は検査入院、80歳を超えた母親が病院に付き添った。
 どのような理屈をつけても、医療が患者を拒むような国は褒められたことではなく、寧ろ恥じるべきだ。正直な話をしよう。医師も百人百様、良い医師に当たれば救われる。現代は、格差社会の中で内包する矛盾を増長させている。その結果、非合法な事件が後をたたない。直近のインドでのテロ、タイでの緊急事態本当にリアルタイムで入る情報に翻弄され、世界中の人々が何が大切なのかを見失った時代と言えまいか。
 そんなにお金儲けしてどうなるんです?それも独り占め、桁違いのお金を湯水のごとく使うものもいれば、その日の食事に事欠くものもいる。我利我利亡者、地獄をみる思いがするのです。私が今確信していること、それは、一枚のスナップが全てを語っている。(上記掲載)
 しつこいようだが、この対義語が”大義が立つ”ということだと思いますが どうでしょう?
 

1006:個別化

集団&個別化という括りでは、どうしても当て嵌まらないものに人間という特異な生き物がある。自分自身を考えれば容易に分かることである。常に同じ状態ではありえないからどの時点での自分が本当の自分なのか実は分からない。
 今、障害者福祉に関して様々な考えが百出、収拾が付かない。これも実は想定できたことであったんですよ(付帯決議条件ですから)。支援という言葉もあまり好きになれないが、他に適当な言葉が見当たらないのも事実である。支援者とサービスの受け手、この対比関係にあって、最前線現場では凄まじい戦い(状況)が日々繰り広げられているのだ。人間が生きていくためにはルール(規範)が必要である。職種で言えば、裁判官や医師は専門家であろう。その事に異を唱えるものはいない。こんな話を耳にした。
 四国遍路の札所住職の話。
最近気になることは20代〜30代の若い人が増えていること。一心に仏様の前で手を合わせる姿を見ていると何があったのかとどうしても気になってしまうという。
 それから医師や裁判官の人も参拝にくるという。それは患者や犯罪者と直接関わる職業で自分の判断が果たして間違っていなかったかという不安からかもしれないと話していた。あく迄も想像である。法律や医学書があったとしても判断を下す時には自らが決しなければならない。そこに誰しも迷いが生じるのも事実であろう。
 その点、坊さんはといつも自分に返ってくる。亡くなった人が成仏しようがしまいが、分からない。自然科学ならば証拠が条件となるが宗教の世界には幸か不幸かそれがない。つまり社会科学や人文科学という分野にはそのエビデンスが見出せない。それが良いのか悪いのか。現代は様々な社会現象が問題となっている。政治・法律・経済・社会など際限が無い。福祉もその類に属する。実験や応用によって方向性を模索する。学問はその積み重ねによって発展した史実がある。ただ、学問の世界ならば許されはしても福祉や経済でその手法はどうだろう。自然科学が基礎科学と応用科学に分かれたように、本来、基礎(基本法や国是)となる考え方があるべきなのである。
 障害者自立支援法を取り巻く様々な議論は、まさにこの事をいっていると思う。悪法と決めつけて廃止をめざすのか、それとも抜本的な改正に主眼を置くか。私は後者の立場である。それは人為的に作られた法律には完璧なものは有り得ないと思うからである。法の主旨をどう応用するかということが実質的である。
 その考えに至った理由は、国に望んでも全てを満足する法制度はできないという諦めからだ。
寧ろ、県や市町村の判断に任せるという事を利用すれば良い。そのほうが手っ取り早く、実効性が高い。
 障害程度区分尺度に関しても全く同じだと思っている。どのような手法が取られようが結局は誰が判定するかという問題にかかってくるからだ。認定審査会の委員として2年間かかわってきた一人として、多くの矛盾を感じながら出席し、意見を述べてきた。先ほどのエビデンスの事だけを考えても、客観的な評価は不可能であるということだ。常態像が変化する人間をある時点だけをとらえて数値化することはできない。
 これも実は応用域の問題である。むしろ、認定審査の場を個別支援計画を図る場にすべきだと私は考えている。今の制度の大きな欠点は、その過程(ケアープラン)がポッカリ穴があいていることである。
 事業所と家族、市町村の抱える問題は微妙に異なる。共通するものは何か。分かりきったことである。「財源」だ。全てがここに帰結する。政官癒着問題と同次元で福祉が語られる今の議会にはうんざりしている。もしもこの流れが変えられないのであれば、我々は真剣にこの仕組みを変えることを考えなければならない。それは表向きの話ではなく、国民一人一人の問題として。
 余計なことを一つ二つ。
麻生総理の言動が物議を醸している。結果がでる前に。またやめさせるのですか?あんた達が選んだ人を、彼の性分はありのままですよ。総理になる前から分かっていたでしょう。確かにカチンとくることを言ってしまう。でも腹の中でそう思っていて体裁をととのえる先生より私は好きだ。それより言葉面を論う前にやることやれよと言いたい。もちろん議員全員がですぞ。
 それから、大多数の国民はいま政党を選べないのではないでしょうか?だって同じに見えてしまうし、本質的な主張が見えてこないですからね。すると判断のポイントは人間を選ぶということになりませんかね。
 族議員という優位性は、むしろ貴方達が持つリスクではないでしょうか!それが分からない人は潔くバッジをはずすべきだと思います。余計な事を申しました。これまた失礼つかまつった。
 坊主の寝言。
 

1007:記憶

記憶のメカニズムはどのようになっているのか。思いがけない時に急に蘇り、そこから網を手繰り寄せるが如く様々な思い出が現れる。学生の頃は、記憶はテストに良い点数を取れるために鍛えるものと思っていた。生きてきた厚みが今とは大分違うし、振り返ること自体が少なかった。昔を懐かしむようになってきたのは、年相応のこと。自分の寿命がもし決められているとするならば、差し引き後何年、この世でお世話になるのだろうか?  こんな事を考えたりしている。
 どうも抹香臭いと嫌われそうだ。これは職業病かもしれない。何しろ昨日電話があった法事の予約は3月に行いたいという。「ひゃー3月ですか」と言ってしまった。そんな余計なことを言わずとも「了解しました」と言えば済むことなのに。
 これは多分、相手側の問題というよりも、法事を忘れるこちら側の問題。多分、また1か月前位になれば再度電話確認が入るはずだ。私はソニー社製の電子手帳に予定を記憶させる。昔はメモ帳に書いていたが、そのメモ帳を失くす。これでは元も子もない。今、使用している電子手帳は2台目、ズッシリと重いので失くす心配は減った。・・・・がバッテリーが切れるとうんともすんともいわない。
 結局、記憶の減退をカバーするものはないとの結論に達した。それに名前が誰だったか思い出せなくなった。顔ははっきり覚えているのだが、ウーム。そんな時どうしていると思いますか、これが実にノーテンキな事をやっている。あいうえお かきくけこ さ行・・・へと50音をお経のように唱えるのです。すると不思議なもので、どっかで電気が走るというかストップする。その字から類推し、名前を当てる。結構これが有効。一度試されてはいかがでしょう。
 若年認知症ということが問題になっている。よもやそれかいな。頭脳に記憶キャパがあるのでしょうか。詰め込む事が忘れることと同じではない。
 その微妙な出し入れのなかにあって、決して忘れない記憶の類があるということも事実。それが何か?
秘密でしょう。これを開ける鍵は一つ。
 そのカギは決して忘れない。何故でしょう?こころの中にしまってあるから。またキザだと言われそう。
今、朝の5時を回ったところ、ガラス窓越しに声がした。ダンカさんがダンベル持ってタオルを頭にかぶり、立っている。あっそうか、この前本屋で会った方だ。お決まりのオウーキングの途中で電気が点いていたので声をかけてきた。記憶と現実。実はそれを隔てる線は無い。記憶も現実も流れの中、途切れることなく続いている。これが正直な実感である。
 現に朝の4時から歩き始める人もおれば、朝早くパンづくりを始める方もいる。今朝は3時半だった。裏のまんだら工房の電気が点いたのは。
 人の一生を他人がとやかく言うものではない。短かろうと長生きしようと、それはその方がどれだけ満足した人生を送れたかという事ですね。

1008:師走雑感

今日から師走、平成20年も後、残り30日程となった。振り返るには余りにも多くの出来事があった。思っていたことの半分も実際にはできずに終わろうとしている。出会いや別れも多く経験した。施設の事で言えば、この混乱期にあって本当に学園のことを心配してくれた吉川家族会会長を失ったことは、非常に残念であった。ただ、氏は亡くなるまで必死に生きようとしていた。その姿が頭から離れない。それが障害を持つ親の本当の願いであることを身をもって知らされた。いつも思うことがある。入所だけの施設であった時と比べ、在宅への支援を始めて、本当に多くの人々との関わりが増えた。良く家庭でこの子を見ていられると感心させられることも何度もあった。それも家族という絆が成せることだとも。と同時に我々の能力の限界をも痛感した。
 それから長く学園を利用された仲間との別れもあった。Kさんは、誰も予測していなかった突然の別れであった。今まで形だけ存在していたリスクへの対応も、スタッフが真剣に考える切っ掛けとなった。
 正直、後に戻れない。今をどう生きるか、このテーマは非常に重く、一人一人が違っている。
私自身を振り返えれば、正直、寺の檀務は片手間と言われても仕方がないと自覚している。いつものように法事を忘れるチョンボもいつもより多かった年であった。こんな住職を我慢してくれている皆さんに心から感謝。
 私の事務机の前壁に貼ってある、『かまえなし』は恩師飛田先生の直筆のもの。しかし、実際は年と共に拘りが強まっている。いい加減にできない。焦る。腹が立つ。悔しがる・・・・・
 全く逆の方向に向かう自分をどうしようもない。
 自分に正直に振舞ってきたことが、衝突を引き起こした。だからといって止められない性分。
 愚痴をそのまま聞いてくれる人は、簡単にはいない。それを願うことは許されないことと自戒した。あまりにも多くの人に多大なご迷惑をかけてしまう。
 そして、いつの頃からか読む本が変わった。幕末から昭和をあつかったものとなる。激動期を生きた先人の有り様は、作家の思い入れによって趣も変わる。だがそれぞれが一様に短命であった史実は、58歳の自分に大きな刺激となった。自由を得た替わりに秩序を失った現代と自由が無かったがある意味では精神的な秩序が有った時代の対比。
 私には、9歳で亡くなった兄貴がいた。その兄の存在はとてつもなく今も大きく立ちはだかっている。この兄がいたからこそ、今の自分がいる。これが原点。
 そう考えると何も怖いものは無い。
 瀬戸内寂聴が麻生総理の事をこんな風に言っていた。
「失言は実はその人の本音」であると。航空自衛隊トップの投稿論文の事も問題となった。立場によって言葉を選びなさいという事なのだろうか?
 私は上の二人は、愚直までも正直なんだろうと思う。それが良いか悪いかは、時代が決めること。だが、もっと深刻なことが実は批判する人たちの中に「歴然と見えける」ことだ。
 人間の評価はできないと思う。でも自らの生き方を選ぶ選択の自由は自らに在るということだ。自ずと秩序が保てるには、それなりの時間が必要だ。
師走雑感。
 

1009:抑制の見直し

政府は社会保障費、毎年2200億円抑制の方針を見直そうとしている。つまり、選挙を意識した方向転換と見る向きが強い。その財源は如何に? たばこ税の引き上げと雇用保険の国庫負担削減ということらしい。私はタバコとは大分前におさらばしたからそれほど気にならない。何しろ今販売されているタバコの銘柄や値段を全く知らない。どれだけ価格に税金がのせられているのか。
 それから雇用保険の国庫補助削減は、事業主の負担割合が増えるのだろう。今の制度を踏襲するならば本人負担も増額する。正規雇用を増やそうとする厚労省の思惑にブレーキがかかるにちがいない。要は中小企業の現状を全く理解しない机上でのソロバン勘定、大企業はどうか?
 今、非正規社員の割合はどこの会社も増えている。このたびの急激な不況がもたらしたもの、その第1が非正規雇用者の解雇、この実態はひどい。来月から会社に来なくて良いと引導を渡される。その条件をのんで雇用契約しているから黙って会社を去るしかない。
 これが実態だ。雇用保険の事業主負担の割高感は相当なもの。事業主を苦しめている割には従業員にとって毎月の手取り額に現れないから、実感がない。
 2200億円の社会保障費の抑制は借金財政の流れを変えようと10年間?継続をするものだったに違いない。
 その間に炙り出てきた、社会保険や年金管理のズサンさ。申し開きができない担当者は、なんとか努力しますと言うだけで異動でいち早くそのポストから逃げ出す算段。これを隠れ蓑にして、また多くのキャリア官僚が甘い汁を吸った。
 これはただ事で無い。確かに改革をはかるには、誰しもが納得いく政策は取れない。どこに重点を置いた政府なのか? 正直、今の状況はなんでも有り。そして取りやめるのも早い。2兆円の定額交付金は一体どうなったのでしょう。
 抑制とはムダを省くこと。その無駄をどうみるか?これに一貫性が無い。この国を立て直すには、シンドイゾー。
 目先の選挙にジタバタしている先生たちは、この国をどうしたら良いのかなど、最早眼中に無いのでありませんか。同じ党内でも足の引っ張り合い、これを烏合の衆と言わずになんと言おう。
 嘆いてばかりいても仕様がない。私の住む地域は、近年、新しい住民が増え、旧住民と決して良い関係になっているとは言い憎い。
 しかし、家庭菜園で作った野菜をお互いに分け合うなど、昔からの互いに助けあう心も出てきている。
 犬を連れての散歩、最初は殆どの人が挨拶を向こうからしなかった。そこで決めた事は、私から大きな声で挨拶しようとした。その結果、今では何人かが向こうから話かけてくれるようになりました。
 

1010:限界実検

この不況の中で世界的に車の売れ行きが激減しているという。車検は日本が一番厳しく同じ条件で検査義務が徹底されている。気のせいか街に中古車販売店が少なくなったように思う。中古車が海外に輸出されてしまうのだろうか。今、ローンを組み新車を買おうとする気にはなれない。実は、私の乗っている車も12万キロを突破、ソロソロ低燃費の車(プリウス)に変えようかと思ったが、我慢している。それは今の車への愛着とハイブリット車の割高感が果たして燃料費で元が取れるかという計算が働くからだ。
 今、B4(スバル)の限界まで乗り切ると決めた。
最近、職員の事故が目立っている。現在、学園車が14台あり、送迎や通院、行事、買物など毎日どこかを走っている。車使用の増加に伴い事故が増えた。全ての車に保険をかけているが、不特定多数の者が乗る車の保険料は高い。年間の保険料だけでも合計するとびっくりする。
 何故、事故が起こるのだろうか?その大半の原因はうっかりミスである。車の調子が悪くて事故につながった例は皆無、どちらかといえば慣れからくる緊張の緩みである。施設の周辺は住宅が大分建ち、車や自転車の往来が増えている。
 我々の仕事は車なしでは成り立たない。今月、急遽全職員対象に運転講習を行うことにした。
何かが起こるとまた起こるような気になる。
 それから人の動きが確実に変化していると感じている。それは求職者が今年になって急に増えている。新卒者もいるが、割合としては転職者の数が増加。私の立場としては、嬉しい変化である。ただ採用となれば、現在の職員の年齢構成と職種を考えて採用を決めなければならない。私どもの特徴をあげれば、結婚後も継続する職員が多いことだと思っている。当然産休に入る職員も毎年いる。その補充は、予測できないから正直頭が痛い、慣れた職員に長く勤めてもらいたいというのが私の考えでこの方針は今後も変えない。だが慣れ合いは困る。時々雷を落とす。
 これからの経営を考える際に事業をどう展開させたらよいか、常に考えている。中長期の計画は毎年進行チェック、1年ごとに上乗せプランを作る。人間は年をとる。法人の定年は創立時から65歳、延長も可。これも変えるつもりはない。
 建物の基準が変わり、老朽化に合わせて随時建て替えのプランも作っている。これが実は大変な仕事。図面を書く事は出来るが、資金の捻出はそう簡単でない。補助金が期待できなくなり、積立が条件となった。今でも単年度で相当額の修繕費を投入、生活に支障がないようにしている。それも限界に達した設備もある。何しろエアコンだけでも130台を超している。
 限界を認め、切り替えること。継続し残していくことを見極めること。この判断には、実検しかないと考えている。実際に関わって確かめて思いを伝える。これを”限界実検”と名付けました。
 ちょっと大人しいかな?そうそう私が言いたかったことは、今の政治を「限界実検」すること必要です。
 だが、次なる政権を担当する人に言いたい。自らも痛みを覚悟するべきですよ。経費は50%減。それが嫌なら議員定数を50%減らす、これをマニフェストに掲げてくれます・・・・?