源究77

 

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
1051 シップ+& 1/22 1056 坊さんとして 1/27 1061 政治的発言 2/1 1066 四無量心 2/7
1052 新年会 1/23 1057 冬景色 1/28 1062 黙して語らず 2/2 1067 触法行為 2/8
1053 オバマ効果 1/24 1058 過去・未来 1/29 1063 ああだこうだ 2/3 1068 自然の猛威 2/9
1054 護摩 1/25 1059 現在 1/30 1064 春遠からじ 2/4 1069 目をそらすな 2/10
1055 三施 1/26 1060 パラドックス 1/31 1065 宿題 2/5 1070 北風 2/11

1051:シップ+&

シップに腰巻? それにまだあるホッカイロ。
 どう見ても格好の良いものではない。年末からずっとこの出で立ちを頑なに守っている。人間が2足歩行を始めた頃の格好は多分こうだった。念には念を入れてということもあるのだが、正直ギックリ腰恐怖シンドローム、自分で勝手に病名をつけている。残念と言うのか無念と言うのか、私の周囲には同情の言葉などかけてくれる者は皆無。
 無視する他、手立てはないようだ。さてと、今日は恒例の大洗での研修会、120名ぐらい集まるとか、この時期は毎年、何かがあった。ノロ騒動とか入院とか集団風邪・・・・殆どが利用者の健康に関する事。
 それが今の時点では無い。否、正確には健康問題が常態化したということ。何しろ県内でもトップクラスの高齢化率、平均利用年数は多分ベスト3.これだもの毎日どこかの医療機関に通院、参ったー!
 入所施設への風当たりが以前として厳しい。悪玉コレステロールみたいな肩身の狭い思いをしている。
これなど何も知らない輩の無責任な理想論である。ならばおめーがやってみろ!ふざけんな。バカたれめ。
 先月、44年間お預かりしたメンバーさんが47歳で亡くなった話を紹介しましたね。引き算してみな?何歳で入所したか分かるでしょう。
 家族の思い、ご本人の願い、それに健康への配慮、・・・・等々。入所施設はずっとやってきた。これは譲れませんよ。最近、入所施設を利用されている家族会が全国的に組織され、茨城も加盟してやっと1年がたった。家族も言いたいこといっぱいあるでしょう。我々だってありますよ。それがガチンコではダメなんで、まー共闘だわな。しかし、ここで忘れちゃいけませんね。本人はどうなのよ。
 これだ。年金の取り扱いも決して今のままで良いとは考えていません。本人の為の年金であるべきものが果たして実態はどうでしょうか?
 これをタブー視してきた。私はいつまでもこの状態を続けることは如何なものかと考えます。
つまり、入所型の施設が保管している年金の総額?。一体全国でどのくらいになるでしょう。これは国に申し入れしたい。今、抜本改正論議の中で利用者負担金の減額要望がある。決して一律ではないことは承知しています。それは施設の歴史が違いますからね。でもどうでしょうか?
 私は本来の年金の利用の在り方に疑問を持っています。これは、事業所に任せていて良いというものではないだろうというのが私の考えです。つまり、在宅相談をしているスタッフに話を聞くと、在宅で障害者を見ている家族は精神的経済的に大変です。家族の職業選択に大きく影響しているのが実態。それがどのような理由を考慮してもですよ。入所を利用されている家族と在宅は違いますよ。
例えばですね。日払い方式を導入したときに、在宅者と入所利用者との格差は話題に出なかったのでしょうか?ほれ、自分に不利になることは言いませんからね。その辺の解釈のズレが今も引きずっているというのが根源でしょう。図星!
 今頃年金の利用を考えること事態、?。だがいずれその時が来ると思っています。
シップに腰巻、いくら粋がってみても様になりませんが、、、、
 そんな事を考えていましたらね。天から誰かさんに言われましてね。
”無償の愛”だと、そうね・・・そうだわな。・・・・ストレス溜まるー!

1052:新年会

大洗シーサイドでの恒例の施設長新年会、120名が昼間の研修に参加、6時からの宴会それに続いて2次会と橋本知事を囲み多いに盛り上がった。お陰さまで私は飲めない酒を飲んでしまい夜中は頭がズキズキで瞼を閉じても一向に眠気起こらず。マンジリともせず、布団の中に包まった。
翌日は私の施設の新年会、車の中でウトウトしてたから途中より滑り込んで間に合った。初めて使ったホテルだが、料理はどうかと気になった。案の定、一品料理に慣れないメンバーは、配られし料理を一口でペロリ、周囲をキョロキョロ、抜き足差し足で手が伸びる。楽しむよりは殺気だな。しかし、心配するほどの事は無かりけり。ボリュームある料理が後から出てきて、やっと腹が満たされたのか、殺気は徐々に薄れたり。それからお決まりの余興の時間、昨夜も遅くまで下手な?カラオケで閉口したが、今日はコレマタ寝不足とカラオケ連チャンで正直トイレに逃げ込んだ。

 今月はあと5回の新年会、内2回が泊りがけ。胃の薬は2種類買って車に乗せてある。
メンバーの唄は久しぶり。歌詞は何がなんだか分からない。だがリズム感は良いようだ。正装で口紅マニュキア目白押し、よくも違った衣装を揃え誰が誰だか分からない。全員参加は奇跡だと、いろいろあった去年と比べ、誰一人体調崩し学園に残ったものはいなかった。幸先はいいかもね。
 一つ二つ気になることも有る事あるが、みんなの協力得られればどうにかクリ抜けられそうな気になった。新年会にお客さん、お呼びしたベテランVS。シゲシゲと私を見つめて何言うか「昔、理事長も白鳥になりこうやってこうやって踊りましたよね。覚えてます・・・・ん!」フーンそんな事があったかな?クリスマスでサンタになった記憶はあるのだが、よりによって坊さんがサンタに扮するなどと不謹慎、もっての外と本山に、叱られるかもな。構うこっちゃありゃしねー。おらーこの寺の住職だ!
 いつの間に、この仕事に足つっこんで35年。
昨夜、宴席で「定年でやめてゆっくりすんだ・・・・」と話しかけてきた仲間がいたが正直、羨ましいやら寂しいやら。私には関係ねえことでござんすと言ってはみたものの、本当か?
 明日はどうなることでしょう、この2日の気温差はなんと最高気温で8度C、暑いのか寒いのか感覚麻痺、どうも背中が熱いと思ったらホカロンがズレていた。インドロメダシン配合のシップは熱を帯びると始末が悪い。皆さん一度お試しを、ヒリヒリした後は痒くなる。
 バカな私と思いつつ、どうもこの性分は死ななきゃ治らない。あそうそう。昨日はどこに失くしたのか記憶にないが、腕時計が腕にないのに気がついた。
 認知症の世界にいよいよ入ったかもしれません。ごきげんよう さようなら。
 

1053:オバマ効果

私、最近気がついた事があるんですが、ちょっとばかり酒が入ると、饒舌になり、文章にもリズムが出るんじゃないだろうか。No:1052はスラスラ浮かんできたものズバリ書いた。
 自慢などしてちょっと恥ずかしい。オバマ効果が凶とでるか吉とでるか。海の向こうだけの話ではない。世界中が見守っています。
 そこで私は我が日本の政治について物申したい。(*飲んだ翌日は大ボラになる自分も発見しました。) どうして国民が政治に関心が薄いのか、なぜあれまでの盛り上がりが出ないのでありましょうか?
 その点につきまして今日は分析してみましょうと。
 まず、依然として政党政治の力学幻想に頼る議員が多いという実態が原因しています。世襲による後継者選びの弊害は先ず、都市部から出ます。この現象は過去10年の歴史を見れば一目瞭然であります。そして徐々に地方へ浸透します。
 だが、これは日本一国の事を考えている時代なれば、どうにか誤魔化しはできました。だが正直、このグローバル化が進み、全ての事が一国だけの利害でモノゴトを決めることができなくなった今の時代。それでは時代から取り残されますね。地元に居を構えていない議員に何が分かりますか?少なくとも選挙前だけの地方巡業ではなく、日頃のつながりが一番です。これが殆どダメ。人と人の根本的な信頼関係が育たない。
 中央と地方の関係、昔ならば中央に顔の利く人が予算を持ってくることができたかもしれません。確かに良かった点もありました。それは地方に予算を持ってくる議員その人がそこに政治生命をかけ、使命と感じ努力されました。だが、今は自らの保身が最優先となりましたね。
その辺のカラクリを皆さんが分かってしまった。ですから、これからはその手法は機能しないでしょうね。私はそう思っています。
 誰に投票するかは一人ひとりの責任によって判断されるべきです。
以前として、上からの命令で物事が決まると錯覚している人もおります。日本全国を見回すと、どうも元気がある地方は、どうですか?そこに住む人たちが知恵を出しあい、労力も惜しまず貰うことよりも出し合う関係です。そんな街づくりが成功していませんか? 国から予算を分捕ってきて、さあーやれ式の時代ではもうありません。
 そこをどう説明すれば分かってもらえるでしょうか。地方に行けば、どこにも重鎮がおりまして采配をふるっています。老害と言っては大変無礼でしょう。寧ろお引き取り戴くということですね。
 坊さん社会には、名誉住職という制度があるんですが、一切を後進の者に任せ、自らは天上から見守る場に身を置くのです。国会や地方議会にもその制度を作ったらいかがでしょう!これ私の提案。
誰しもが地元を大切に思うことには違いがありません。本当に郷土を愛するのであれば、私はこれからがんばって戴く若い人たちに任せていくべきであろうと思います。
 思い入れが強い人が往々にして陥り易いこと、それは、自分は決して間違っていないという確信からの呪縛です。寝ても覚めてもその事ばかり考えているのです。
 これは正直、周囲の人の責任でもあります。これからの政治にオバマ効果を期待し、息を吹き返すとするならば、それこそ、手弁当の支援だと思う。それは、政党を選ぶ時代ではなく、人を選ぶ時代になったからでもあります。以上。本日は晴天なり。

1054:護摩

24日は初護摩である。神宮寺本尊地蔵菩薩の縁日、地域のご婦人が集まって本堂において護摩焚き。私にとって1年にたった1回の護摩。もし事相の試験官が脇で私の修法を見ていたら果たして合格点をくれるだろうか。坊さんの修行課程で、護摩行がある。加行の中に組み込まれていて、指導者がついて教えてくれる。私は30年以上も前に雨引山で受けた。すっかり忘れてしもた。1回の護摩に40分ぐらいかかる3段護摩。やたらと観想が長いので1段護摩に時間を短くして今は行っている。
 何時のころから行われているのか、正確な事は不明。昔からあった護摩器など相当古いので100年や200年ではきかないはずだ。
 本堂を新築してからお客さんが増えた。ここだけの話、地元オバタリアンの大集合。
今年は民話の語りべを4人お招きして地域の昔話や関東大震災の話を前座にお願いした。これもここだけの話。民話の会の方に、この地域はお寺に来る方が大分お若いですねと言われた。半分お世辞と考えても立派なもんだ!護摩が終わるとそれぞれの地域に戻り、正月最初のご婦人方の集いがあるようだ。そこまでは関知しない。
 裏の事情は、結構気を使います。堂内が煙で充満する。火災報知機が感知するから園全体に非常ベルがなってしまう。一時ストップさせている。
 護摩の効果は想定外。何しろ地域に住んでいても学園の中に来られる人ばかりではない。園を見ていただくのに絶好の機会となっているのだ。まんだらパンもお土産に用意、みかんやお酒など皆さん思い思いに持ち帰る。こうやって地域の人が学園を暖かく見守ってくれているから今がある。護摩は皆さんの健康を祈るもの、それが地域への感謝でもあるのです。
 本尊地蔵さんの霊験だと思っとります。
そうだ。昨日の新年会にメンバーの顔が皆お地蔵さんに見えたんです。「下スナップ」 するとどうでしょう。スタッフの顔までお地蔵さんに見えてくるから不思議だ。
 2日前の大洗での新年会、宴会場の至る所に輪ができて、話が盛り上がる。これは一体何故?
立食やテーブル式の宴席では、決して生まれない雰囲気だ。私はなるべく全員の所に回るようにしている。話が尽きない。それは、皆さん現場で苦労しているからだと思う。福祉の原点は障害福祉だと言われた県のOBがいた。県庁に入りたての頃、先輩に言われたという。そうなんですよ、全く。それがなんですかお年寄りにばかり熱が入りすぎていませんか!
 これ以上言うと、経営協の新年会に私の席が無くなるかも。
     新年会の席で
彼は何を思ったのか徐にサングラスを
取り出し、かけた。そして直ぐに居眠り
始めた?
     国宝:居眠り地蔵尊
 

1055:三施

”新渡戸稲造”「武士道」を読んだことがある。彼について書かれた書籍がいま書店に並ぶ。何故、明治から大正に生きた彼がこの時期に人気を得ているのか、彼の北大の同期(二回生)に内村鑑三がいる。いずれもキリスト教に帰依し、深い信仰のうちにそれぞれの道を歩んできた。ここで俄か知識で二人を語ることは差し控える。
 ただ、お二人には日本人の心という共通する精神的土壌があってのことは間違いない。今、様々な問題が孕む社会に我々は生きている。事件にまで至らず寸でのところで止まっているものも数多い。
 仏教には『三施』という言葉がある。財施・法施・無畏施。どうして三つに限って言うのかよく分からない。私はその中でも無畏施という教えを皆が考えるべきだと思っている。一切の衆生に畏怖の念を無くす。今風に言うと社会保障、セーフテイネットもその範中に入るわけだ。
 しかし、実態はどうしても付け焼刃的対応としか思えない。言葉を変えれば他人事、施してあげるという感じですね。一昔前の救貧思想から脱皮できていない。むしろ、経済的に何の畏れも感じない人たちから言われると無性に腹が立つ。相当ひねくれてしまったようだ。でもこれ現実でしょう。
 そもそも日本で掲げる社会保障というベースの考えに問題あり。
その一例を敢えて記す。
 障害者の年金の問題。四年前に一割自己負担を導入した際に、所得補償が議論になった。不十分な年金から一割を負担せよというのは納得できないという主張もあった。
 批判覚悟で言わせてもらう。特に入所施設に長く利用されている方は、全てではないが相当な金額の年金が貯まっている。その事を問題にはしない。(触れないようにしているのが真意) 寧ろ、私が強調したいのは、その方が亡くなった時の年金の処理の問題である。
 私は国庫に返すべきだと思う。本来は家族が自ら申し出るべきだと考える。異論がある方もいらっしゃるはず。本人の為の年金が、遺品と一緒に関係者が持ち帰ることに私は納得していない。やはり国庫に返すべきだ。その理由は、「三施」。無畏施は自分だけのことではない。その対象は一切の者を言う。他に必要とする人にまわすべきだと考える。この辺が今の制度は曖昧である。本来福祉とは公平性が基本。
 在宅の人が同じ年金額で生活できない現実をどう考えますか?入所を利用されていて、残った年金は遺族が持ち帰ることは如何なものか?合点がいかない。本来、他にサービスを必要として支援を受けられない人たちに回すべきもの。この互助の考えが薄れた。
 私は17名の利用者を見送った。その上で言っている。本人達はそれを望んだに違いない。
日本人のこころに武士道というものがあった。武士は食わねど高楊枝。
 実態以上に自徳を讃じ、地域にあって人望ありと勘違いする人々がなんと多くなってしまったことか。
残念ながらこのような人たちが知恵を出し合って作った制度に欠陥あり。

 情報として、自己負担の資産要件を撤廃するという改正、これは一時的なものですか?
   この撤廃は果たして公平性の原理に抵触しませんか?
  一案として、障害年金管理機構を創設し、残金は遺族が持ち帰るのではなく、そこで管理し、活用を考える。非現実的でしょうか?国庫に返せば、何に使われても分からないことは絶対に避けないといけません。。

 初代理事長がいみじくも言い得た言葉を思い出している。それは・・「年金は目の毒」・・・ということ。
  

1056:坊さんとして

水戸での会合を途中で失礼し、40分でつくば市へ着いた。昨夜はちょっと調子にのって10時過ぎまでしけ籠った。坊さんが4人で打ち合わせ。静かな和風の料理屋さん、他に客があまりいなかったのでツイツイ長居してしまった。
 坊さん向けの布教研修と檀家さん向けの研修を計画するために集まったのだが、事務的な話は10分程で終わり、その後いろいろな話がでた。
 「寺の危機感」・・檀家離れ・少子化・後継者なし・信仰心?話題が話題だけに、行ったり来たり。論点は一向に定まらず。
 今の坊さん、特に既成宗教に属する者は、何かに疑問を持っている。私もその一人。当然今の葬儀屋さん主導のセレモニーの在り方に不満を持つ、だが、それをどうすれば良いのかアイデアが浮かばない。これが正直な思いである。
 4人の一致点は、批判ばかりしていても仕様がない。謙虚に学ぶべきところを学ぶということに。
実は「信仰心」そのものに大いなる疑問を持つが故に強行突破できない。遠回しな言い方で申し訳ない。現代の名僧といえばそれをご本人は否定しただろう。他宗であるが、数年前に106歳で亡くなった永平寺宮崎管主、誰よりも早く座禅することをずっと続けた。
 いま宗教界に望まれるものは、実践である。都会の住職は檀務が多忙で座ることができないと聞いた。宗団をまとめる事は実践から、その御手本である。なんと全国16000ヶ寺の末寺の頂点にいた。
 現代の宗教は開かれたものとなり得るか?お寺そのものが開かれていて地域との交流が持てていますか?
 宗教誌などに良く書かれていたことである。どうも私にはその事がトラウマとなってしまった。変わらないね幾つになっても。全く、もっと大人になったら。
 そう簡単になれるなら苦労しないよ。自問自答。
昨日は忙しかった。水戸に行く前に定期通院。大学病院には患者が集中し、ごった返し。待合室で時間をつぶすのも慣れてきた。単行本を持ちこみ読む。難しい内容の本を持ってきたものだ。トルストイの『人生論』。格好つけてと自分でも恥ずかしい。だが、内容は病院で読むには最適だと思った。
 価値観が多様となってしまった現代に果たして受け入れられるものかは疑問だが、死後の事を明快に書いている。もし関心がある方は一読を勧めます。読破するには根性がいりますがね。
 とどのつまり、宗教への信仰は自らの「死」をどう受け止めるかの一点に凝縮される。

1057:冬景色

ハルニレ・・・・ニレ科の落葉高木、山地に自生する。
日光光徳小屋よりの冬の便で送られてきた。大木に育ったハルニレの木が太陽の光を真正面から受け、その影を雪に映す。厳しい気象条件の中でしっかりと根を張る姿は、物言わぬが故に、今の私の揺らぐ気持ちを慰め励ましてくれる。・・・・・
 どうも悪い癖で、山の写真を送ってもらうと、昔とった杵柄、自分が小説家になったような気分になってしまう。ノーテンキというか自作自演がここまで行けば大したもんだ。
 いずれ何か小説を書いてみようかと思っている、これ嘘のようなホントの話。
昨夜は泊まるはずでは無かった。だが酒を飲まされた?ので泊まることにした。涸沼湖畔にある「いこいの村」である。ここの支配人は有名人、鵜の岬の国民宿舎を日本一にした方だ。お世辞抜きで、きめ細かな心配りを感じた。宿泊施設など支配人の存在は実に大きい。リピーターがなければ当然、経営は成り立たない。いかにお客様に満足していただけるか?サービス業の原点である。
 施設も全く同じ。接客のノウハウは、自らが相手の立場にどう身を置けるかということ。
どうも福祉の世界には、専門家が育たないと言われてきた。人間相手の職業は、専門性を取り違えている場合が多い。知識や技術がいかに優れていても相手に対する態度が悪ければ、逆効果。資格に関してもそうだ。
 アジアからの介護職が日本での研修を終えて、それぞれの事業所にて仕事を始める。一番のネックになっていたのは、言葉であった。でも私はそれは大した事ではないと思う。言葉を介さなくても相手に通じる何かの手段があると思う。
 知的に障害を持つ人たちと付き合うには、然程言葉は重要ではない。相手が話せない場合を考えればすぐに分かること。
 障害者支援の基本は、障害を正常にすることを目指すことではなく、代替機能を強化することである。
一人ひとり違った人への支援は、際限のない世界に誘う。
 超然として立つハルニレは、何かをしきりに語りかけている。それを受け止めるこちら側の能力は、正常な聴力があればできるものではない。
 

1058:過去・未来

ingの今は、一瞬にして過ぎ去っていく。これ常識。だが、そこに拘り立ち止まってしまう人が多いというのも事実であります。
 こんな事を言いますね。「過去と他人は変えられない。変えられるのは自分と未来だけ。」
でもね。自分を変えることって本当に難しいんだ。もしもだよ、自分の周囲に忠告などする人がいると煙たがって避けてしまうのがオチだ。大多数は自分の居心地の良い場所を探し求め、彷徨うのであります。
それから当の本人も多分見つからないと思っているんだから始末が悪い。地デジのNHKニュースでいばらき版が放送されている。地元ハローワークの方が最近の求人求職状況を話していた。土浦には大手の機械製造メーカーがあって、モロに不況の煽りを受けてしまった。大量解雇、先ず、外国からの労働者をやめさせた。それから非正規労働者など、3月までにはもっと解雇されるという。竹の子みたいに建てたアパートはどうなるのかね?
 ハローワークへの求人票は福祉・医療関係からが目立つという。でも求職者はできればそれ以外の職種を選んでいるとの話。 ここまで嫌われてしまった現場は深刻だわな。
 これはingの今が余りにも働く条件が悪いということからなのでしょうか?実態はどうでしょうね。私の施設は現在の求人は正規職員だけ、本人の希望でパートになる方もいるが昨年1年間に就職希望の問い合わせが急に増えたのも事実。明らかに変化している。
 過去は長く働いている職員が築いてきたもので感謝いっぱい。この経験を活かすべきで、若い者たちに伝える義務がある。未来はこれから働いてくれる人たちが作りあげるもので期待いっぱい。
 小さな政府などと言われスリムになったでしょうか? 公務員はやたらと解雇はできない。人事の安全保障?がしっかりしている。定年後補充しないというソフトランデングを採用する。だから時間もかかる。
 自治体の財政赤字の原因で一番厄介なのは人件費、これに手をつけるとなると相当の反発を受ける。
今、打つべき政策が後手後手になっている。掛声だけで遅遅として進まず。
 経営に携わる者の必要条件として、世の中の流れを掴む能力がある。どこに向けどの程度投資するか・・・このバランス感覚。
 お寺は不況に関係ないでしょう?と言われた。ある意味ではそうかもしれない。亡くなる方だけを相手にしているならば、ここ暫くは亡くなる人は右肩上がりは確実だ。実態は違いますがね。お葬式が挙げられないので身内だけの葬儀が増えています。菩提寺よりお布施の安い坊さんを頼む時代に。
 ですからね、将来はどうなるか皆目分からない。そこに危機感を持ち、脚下を照顧できるか!ってことになっています。
 いま、私はいろいろな事に手を広げることは危険だと思っています。特に人間相手の我々の仕事は、一朝一夕でできるものではない。障害者福祉の歴史はまだ浅い。この分野で身を立てたいと思う人達の専門集団が築けたら申し分ない。そのためにも全国にネットを組み、情報交換と人的交流をはかるべきだ。
 我が田に水を引くことばかりに夢中になると、隣の田んぼから不満が出るにきまってる。
福祉に市場原理は馴染まない。そこがイマイチ認識不足ですわな。Going my way !
 

1059:現在

涅槃経にある”諸行無常 是生滅法・・・・”この世の全て存在するものは、絶え間なく移り変わり不変なものは何一つないという。平家物語の中でも使われているが、これこそ仏教の根本思想。
 そして”諦観”(たいかん)によって、生きる道標を辿って歩む。これが人生というものだ。
ならば”現在”をどう捉えたらよいのだろう?先ず”諦”(たい)という字の解釈だが、諦める=ギブアップでは無い。明らかにするという本来の意味を持つ。何を?「真理」を明らかしめるという事になる。
 真理とは?諸行無常。 
今、全世界が浮き足だっている。経済学者が従来の経験からは推し量れない事態に直面し、思考停止状態。ダボス会議というものを知っていますか?
1971年にC.シュワブが提唱し、『World Economic Forum』として今も続いています。この目的は、次世代に負の遺産を残さず、その時々の課題を話し合うもの。地球規模の問題(環境破壊、貧困。食糧問題など)に対し、一国で対応することでは、もうどうしようも無い時代になっている。本来は国連で討議されるべきものであろうが、国連の機能が紛争解決や政治問題というキナ臭い事に追われている。寧ろ、それ以上深刻な問題に具体的な対策ができていない。そして残された時間が少ない。
 一方、自分たちの足元に目を移せば、将来への不安を持たぬ者はいない。マスコミの報道姿勢にも異議あり。活字で知らせる限界。それよりもいずれの紙も同じような事を取り上げ、いかに興味を誘うかという事に関心が集まる。
 その結果、新聞を読む気が薄れ、発行部数は年々減少し続けている。政治に関心が薄れるのは、枝葉の取るに足らないスキャンダルに紙面を費やすから、論点がぼけてしまう。ex) 漢字の読み違いを面白可笑しく取り上げる。こんな国は他にありますか? 愛嬌だと思えば,済むことでしょうが。
私などお経を読み間違えるのは得意中の得意です。
 国会審議がテレビで放映される。またか!時々、議員席を映し出す。カメラアングルも意図的な何かを感じる。後部座席には、それぞれの党の重鎮が座る。当選回数が多い順なのか?
 野党の席で例の如く居眠りしている議員、余程お疲れの様子でヨダレをたらして寝ているではないか!
 解散をダラダラと先送りし、税金の無駄使いと訴えていた、その党のベテラン議員がそのざまである。
 現在=ing 情報社会になってlive放送が全国一斉に流される。その事を分かっていて、この有様である。国民を愚弄しているとしかいえない。とにかく議員が多すぎる。これが現在である。以上。

1060:パラドックス

アメリカではオバマ大統領による新体制がスタートした。課題山積で非常に厳しい船出。この時期、本音は誰も受けたくないポスト。そこに敢えて挑戦する彼の人気はバブル気味。アメリカは2大政党の国、大統領が変わると政府関係者は見事に入れ替わる。
 日本は総理大臣制で議員の互選だから短期間に何人もの首相が入れ替わっても別に制度上は問題なし。昨夜、ダボス会議出席のため政府専用機で麻生さんが向かった。あちらで日本の経済政策について講演するという。本当に大丈夫なの?1兆3千億円の土産を持っていくそうだ。民主党もどうも分かりにくい。小沢さんは質問に立たず、鳩山さんと田中真紀子さんに任せた。なんだか知らないが自民党内部の権力闘争かと勘違いした。
 自民党がどの辺からか分からないが変わってしまった。その一例が世襲総理。何代前だったか忘れたが、橋本総理からずっと2世議員が選ばれてきた。それが20年ぐらい続いている。オバマ氏みたいに国会議員になって4年目で大統領に選ばれることなど日本では全く考えられない。選挙制度の問題か、政治への新規参入が難しく、しがらみが多すぎる。政党助成金にも問題あり。政党に配るのではなく、議員個人に配れば、もっと自分に正直になれるかも。
 シルバー資本主義ということを言う人がいる。長老政治に希望なし。やる気があってその能力もある若者が育たない。いつの世にも誹謗中傷する者はいる。これでバランスがとれている。・・・・が今、そのバランスは危機的状況だ。
 連日、企業収益の下方修正の決算見込み、非正規雇用者だけなどと言ってはおれない。日立が7000億の赤字、これ単年度決算である。中小企業なら何百社が倒産する額である。日本人全体に消費意欲が無くなった。
 日本は成熟社会だという。確かに極端な貧富の差がなく、GDP世界第2位の地位を築いた。いま、その格差が目立っている。アメリカほどでは無いがこのまま行けば騒乱が起こるのでは?
 日本の歴史で豊臣時代、各地で一揆がおこった。急速に全国に広がり、秀吉は強固になった本願寺を東西に分けた。親鸞の弟子唯円が著した「歎異抄」に悪人正機説がある。
「善人なおもて往生す いわんや悪人をや」・・・善人が往生するというのだから、なおのこと悪人は往生できると説く。これを読んだ人は一瞬立ち止まる。何?逆ではないのと。このパラドックスを理解するには歎異抄を何度も読まないと我々凡夫には理解できない。様々な解説書の中で梅原猛によれば、「善人」を「善人」と称する偽善と解すればどうか?と投げかける。
親鸞が登場する時代は、既成教団が政治と結びつき堕落と偽善が蔓延していた。その「善人」に対する鋭い批判ととればパラドックスは分かり易くなる。
 この逆説法は、今の日本にそのまま当てはまるから恐ろしい。
ただ異なる点は、念仏をすれば成仏できると信じるには現代人があまりにも頭デッカチになってしまった。

1061:政治的発言

マスコミの報道姿勢を批判しながら、実のところ私の情報源は新聞やテレビである。これは正直に認める。ただ、最近若い頃読んだ本を読み直すようになった。
 これまた今朝携帯ラジオのイヤホンからTV放送を聞いた情報、野中さんと民主党の長老が出演している番組、先の国会で小沢さんが富山に行っていて代表質問は他(鳩山・田中両氏)に任せた事に野中さんが批判、それに対する一方の先生のコメントが「謙虚に受け止めます。」と答えた。すぐさま司会者が政治的発言ですね。と口を挟む。政治的発言とは意味が違うのだが、専門委員会などでよく委員長が「後刻理事会で協議します」と発言するのと同根だ。
 つまり、立場上余計な勘繰りを受けないための便法でしょう。それから「みんなで仲良くコメントスクラム」という言葉、小倉?弁護士の造語とかいうが、議会で理路整然と我々にも分かる主義主張の討論を期待するのはいまや無理なのだろうか?
 これまた、実に今の日本を象徴する出来事が起こった。中川財務大臣の国会での答弁に26か所のミスがあったと、わざわざ財務省から訂正がなされた。自分の省の大臣を告発している。(私はその訂正を厭らしく感じます。だってそうでしょうがあの答弁を逐一チェックしながら聞いている先生いましたか?皆さんコックリコックリでしょうが、その辺が官僚トップの世間知らずだわ。)
それに人事院総裁の委員会欠席?事件。いよいよ永田町と霞が関のバトルが表面に出てきたか。霞が関の連中は強かですよ。だって一部議員と繋がっていますからね、足を引っ張るのなんか屁のカッパ。
 どっちもどっちボタンの掛け違いが多すぎますね。国民が蚊帳の外に置かれていませんかって言っとるんです。
次のニュースが麻生さんがダボスで1兆5千億円のODA援助を約束。国会での表情と全く違う晴れ晴れとした満面の笑顔で演説している。先に1000億ドルのIMFへの資金援助。凄い金持ちなんだね。この国は。
 次に失業者がどんどん増えているというニュース。このギャップはマスコミの意図的な狙い?
私だけではないはずだ。腹の中が煮えくりかえっている人は。
 坊さんがこうだもの世も末だわな。本来、坊主は政治や経済に頭をつっこんではいけないのです。そんな事分かってる・・・・・!
 ホレ、根が正直だから。所詮独り言ですよ。別に他に迷惑かけていないもんね。
これ、私の坊主的発言。

1062:黙して語らず

意見を述べることが良いのか黙して語らずに決め込むことが良いのか。微妙である。私の持って生まれた性分は如何ともしがたく、熱しやすく余計なことまで言ってしまう。上杉謙信が毘沙門天に祈る。”義”を通すにはあの戦国の世にあっては敵味方双方に多くの血が流れる。
 幕末とは異なり、国内での争い。同じ日本人同士が戦場で対峙する。当然、昔の友や親類がお互い敵味方に分かれ戦う、だから”義”(道理・条理)が問われた。
”義”とは、利害を捨て条理に従い、人道・公共のために尽くすこと。果たして今、その言葉は死語となってしまったのだろうか?
 例の如く、私の悪い癖が始まった。黙ってろ!と毘沙門天に叱喝されればいいのだが。
世の中に評論家が増えすぎた。彼らは自説を簡単に変える。多分、彼らは様々な方法を使って情報を集める。その能力は優れているが、実践経験はまことに乏しい。だから評論の域を抜け出せない。
 彼らはしゃべってナンボの世界。立脚点をどこに置くかによって全く違った道理が成り立つ。
 雇用問題は、深刻である。そこで私の立場からちょっと私見を披露したい。
求人票は医療や福祉関連のものが増えているという。しかし、私の周囲を見回すと、医療・福祉からの求人数は変わっていない。もう大分以前から通年募集が常態化していた。今、他の業種からの求人が激減したから、目立つだけ。それから、今更、労働条件の事を言われてもなーという正直な気持ち。福祉は時代錯誤と言われても、人間の思いやりがベース、働く喜びは人と人との関係の中にこそ存在する。
 私どもの施設には20年以上勤務しているスタッフが結構います。彼らとの取り組みが私にとっては財産、決して十分な報酬では無かった。懺悔の気持ち。みんな共働きで子育て期間は苦労した。自分もそうだから良く分かる。年休は自分の都合で休んだことなどないはずだ。子供が体調を崩し、通院や付添、それから学校からの呼び出し・・・・・。こうやって今がある。
 私も3人の子供は1歳から保育所にお願いし、育てた。
それがどこかで変になってきたと感じ始めている。
 それは、福祉施設の経営者が異質になり始めた頃、馬子にも衣装でオーダーメイドの服を身にまとい得体の知れぬ香水プンプン。これが分岐点だと思う。福祉家は本来、公平性に立つべき。それがいつの間にか格差社会にどっぷりつかってしまった、もうダメだ。経営者は別だとも言うのだろう。その最たる者はコムスン。
 理念無き福祉が日本に蔓延した。そこで働く者は、喜びを感じる前に矛盾に負けた。だから直ぐ止めてしまう。この悪循環を長い間、続けてきた。
 経営者に言いたい。貴方の本心は何?規制緩和が進む中で、市場原理で質の向上が図られるなど夢物語。規制緩和を進めるならば、よりチェックの正確性が問われるべき。
 その辺のルールが未成熟。だから、小手先の手をいくら打っても根本解決にはならない。
 死ぬまで黙して語らずはできそうもない。生臭で行きますよ。

1063:ああだこうだ

ああだこうだのオンパレード。五感を全開し、聞き耳を立てるからさ。そうだわ確かに。最近それが行き過ぎていたと認めよう。情報をなるべく早く正確にと思うと今の日本では常にイヤホンを耳にさしているしかない。
 それと同じような毎日を送っていたかも。最悪なのはその情報がどこかで意図的に操作されているにもかかわらず。そんな事に今時気づく俺も馬鹿だわな。
 世の中の混乱に諸に引き込まれていたわけだ。だが、どうでしょう。それに代わる生き方ってあるのかな。多分、今の役職を全てお返ししてだわな。畑で野菜でも作っていればこりゃー大したもんだ。
 勇気が無いからそれも空言。情けないやら虚しいやらと、自らを慰め励まし今日も定番。腰にシップでホッカイロ。好きな芝刈りもトンとご無沙汰、御誘いはあるが、イマイチ気分が乗りませぬ。
 そこで思いきりカメラを購入、何度か霞ヶ浦湖畔の石田周辺を歩いてみたは良いけれど。頭に浮かぶはある日の出来事。あ!そうだこの辺だったよな。感謝感謝。接写をと思って草花を見つけようと下ばかり見て土手を歩くと思っていたより車の往来が激しい。危ないと思って土手下を歩いたら泥濘に足を突っ込み,買ったばかりのスニーカーが真っ黒け。
 どうも私には何をやっても様にはなりません。土手に腰掛け、しばらく蓮田を見ているとこれまたいろんな事が頭の中を駆け巡る。
 今朝の新聞に茨城空港に韓国の航空機の就航が決まったとのっていた。ソウル・・・茨城の1日1便だという。これで一安心はまだ早く、これからが正念場。石田辺りで空を見ているとやたら飛行機が上を飛ぶ。
 成田と羽田の飛行ルートになっているからだ。最近、飛行機に乗る事もなく、ひたすら歩いているのだがこれが私の唯一の思索タイム。ああだこうだのオンパレード。
 なるようになるさと言いながら期待をしている自分がいる。思うようにならないのが此岸社会。
 思うようにしようとするから苦しむ。これって仏教の基本中の基本。
禅の効用とはいかに?と先日酒の席で尋ねられ、言葉に一瞬詰まった。そうね?とか考える事自体がダメなのだ。”無”と言ってやれ。それが言えれば苦労はしませんよ。
再び、ああだこうだのオンパレード。 

1064:春遠からじ

今日2月4日は立春である。季節の節目の昔風の称、徐々にその意味を解する人が減っている。日本の文化、それは物欲と奢りによって存亡の危機に瀕している。
 春の訪れを感じ、農家は種蒔きの準備をした。枯草の中から新しい芽吹きを見つけ、生きていることの素晴らしさを実感した。
 その営みが、あっという間に消えてしまった。不況下で職に溢れた人を農業や林業で救おうという動き、本末転倒している。マンネン人手不足の福祉や医療へも同じ発想をあてがう。これがセフテイネットなどと言うものだから説得力が全くなし。仕事に夢が持てなくなる時代は世の中が乱れます。
 なんの業種にも通じることで、後継者を育てることが一番難しく且つ重要なことであろう。組織として動く場合、リーダーの質と能力は事業の運命を左右する。今、必要なリーダーは明確な理念を持ち、何を取りやめ何を残すかという決断ができる人。成熟社会という玉虫色の日本への評価は、何の根拠もない誤魔化しだ。小さな政府と言いながら、網の目のように天下り先を張り巡らせてきた実態が如実に示す。昨日の予算委員会を見ていて、大丈夫かいな麻生さんと思ったことがある。天下り&渡りを止めると断言、今年の内にその仕組みを作ると明言。先の渡辺さんが行政改革やる気なしと自民党を離党したすぐ後に。
 これもまた成就社会の置き土産?感覚が全くズレてしまった。国会の審議、質問する野党も与党も迫力に欠ける。これは何を意味しているかと言えば、自らは血を流さず、肝心な所はお互い暗黙の了解でお茶濁し。霞が関と永田町の争いはお互いが保身第一.持ちつ持たれつ関係の温存がお互いの落とし所。
 残念ながら企業も全くその出来レースに乗っている。これは右肩上がりの成長の中で築き上げた闇のルールだ。これが覚束なくなって綻びが出始めたというのが私の分析、異論ありまっか
 そこで、自分の足元を見れば、悩み事は増えることはあっても決して減りはしない。何故なのか?
 一言で言って、何と比較してのことか!ということだ。施設の運営に関しても常に満足せず、その呪縛から抜け出せず、これでもかこれでもかと自分を責め立てる。
 果たして、私以外の人はそのように思っているのだろうか?答えは”否”
それぞれが自分の置かれた土俵で相撲を取る。法を犯せば退場していただくしかないのだが、そこは上手に生き延びる。
 人間は所詮孤独ですよ。煽てられ挙げられて気づく虚しさよ。それを逃れる唯一の方法がある。
 それは”春遠からじ”と自らに説き続け信じることでありましょう。違いまっか
 

閑話休題

立ち春に
  思いで懐く 葦の原
          語り尽くせぬ 走馬灯
                    〈霞ヶ浦にて〉

1065:宿題

私はこのように考えるようにしている。人はこの世にそれぞれの役割を持って生を受けたと。その役割が何か実は誰も分からない。これが実に厄介である。だが、もしその役割を誰しもが事前に分かっていたら、なんとつまらぬ人生ではないか!
 高齢化の問題を負担と考え始めたのはいつの頃からであったか?昨年、100歳の誕生日を病室で迎え、万歳をしてその日の夕方亡くなったおばあちゃんを紹介した。
 皆がお年寄りを大事にし心から喜べる社会が来るのでしょうか?その事が望めないならば、長生きすること自体に意味を持たなくなる。
 健康で老後を迎える人ばかりではない。あらゆる病院に通い、不安に過ごす人も多い。人間の体が80年生きるようにできていないとしたら、どうだろう?
 多分、これだけの長寿社会になった国の実例は世界にもないはずだ。所詮、寿命は未知数である。死は誰しもが遠ざけ夢であって欲しいと願う。何故、死を恐れるか!
 その対極にある{自らの人生をどう生きようか!}ということ。
持って生まれた役割は、DNAに多いに関係していよう。天命とか宿命とか言い方はいろいろ。親から子へ託された固有のもの。DNAと願い(こころ)は同居する。だから死によって切れる事は無く、永久に引き継がれ続ける。復活や生まれ変わりは宗教の本質。仏教では輪廻転生を説く。ただ分かりにくくしているのは、六道輪廻を理想としない。むしろそこからの解脱を説く。今、世の中が変り、多くの人がまた生まれ変われれば生まれ変わりたいと願っているのではあるまいか。
 あの世で仲良くという事もあろうが、むしろやり残した多くのこと、あるいは障害を持って生まれたことなど、次に生まれる時は健康に生まれたいと念じるのは当然だ。斯様に次のチャンスにかけたいと願うのではないだろうか!
 それは あまりにも多くの回答の出せない宿題を抱え込んで今、生きているからでもある。
 

1066:四無量心

”四無量心”とは、慈悲喜捨を言う。これは仏教的な愛の心。抜苦与楽の慈悲と他者の楽をねたまず共に喜ぶ、更には好き嫌いで差別しないこと。
 隣に蔵が建てば腹が立つ。この心情がどうも日本人の利他の心を蝕んでいる。これもまた経済至上主義を謳歌したツケである。何故、隣に蔵が建つと頭にくるのだろう。自分と比べ、何か上手いことやって儲けたんだわなーと勘繰る。とてもとても共に喜ぶなどという気持ちには程遠い。それから競争社会によって勝ち組負け組を色分けした。勤務先でも熾烈なバトルがある、出世競争がそうだ。官僚天国と言われ、同期で事務次官が出るとその年代の者は一斉に辞めるという。この事が習慣化、そして、その補完的仕組みが天下りという流れ。
 国会で天下りや渡りが問題となり、今までは当然と思っていた事が危うくなった。それは景気が悪くなってより険悪化している。
 これなど昔の遺物、グローバル化した社会には馴染まない。物事の良し悪しを図る基軸が揺らいでいるから、みんなが右往左往している。
 仏教は宇宙論である。永劫なる真理を追究し続けるものだ。その尊い教えが目立たない。
実践と教えが車の両輪に例えられどちらか一方でもパンクしてしまっては動けない。その状況かも?
 私の心の内もその葛藤が益々勢いづいている。四無量心から福祉の実状を見るなど不可能に感じている。障害者福祉の一番の欠点は、利用者&事業者更には障害種別により、それぞれの主張を出し過ぎること。何故なのでしょうね?
 これもまた、喜捨という心がポッカリ抜けてしまっているからではないでしょうか?共に良かったと喜び合う心がない。
 その事が自立支援法に絡む一連の動きの中で顕現化した。冷静に見て、国は抜本改正論議の中で利害関係者の様々な要求を部分取組で対応した。その結果、変更の目白押し、各種団体は我先にと情報スクープを競った。正式決定がなされない段階で流れてくるから、現場は大混乱。
 幸い決定通知を受けたとしてもどんどん細分化され、事務量は限界を超えてくる。そして、その決定も有期限というオマケつき。
 これで個別支援計画を作れ、日払い方式だ、医療費の自己負担の複雑さと全く現実と理想が遊離しずけている。クリーニング終わらない状況で開店するようなもの。
 お客がいくらでもいるのに満足したサービスなどできないのだ。これは由々しき事態ですぞ。
 先日、いつも来るプログラマーの方が言ったという。「よくも理事長さんなんてやる人いますよね・・・・!」 これは、東金や神奈川での障害者関連の事件の話の際に出たらしい。それを後で聞かされて、正直疲れがドット出た。荷物まとめて家出したい心境だ。マグマだ!。。。。。ウーム 四無量心です
 

1067:触法行為

昨日は今年度第2回目の役員会を行いました。2時間ほどの時間でしたが、活発なご意見を頂き感謝感謝。No:1066にて家出したいなど大分弱気になったと恥じるばかり。応援してくださる人が大勢いるんだと改めて認識、やるしきゃーあるめいよ!福祉なんて名前付けられてよ。シッポを振って逃げ出す気か!
 俺あーこれでも寅年の終戦記念日生まれだ。(コメント)「これ、なんにも関係しませんが・・・寅さんの決まり文句みたいに最近無意識に出てくるのです」
先日の全国会長会議で言ってやったー。執行部へね。忙しいのは分かるがもうちょっと柔軟な対応とね。チェックされたかもね。構わねーよ。回答にイマイチ納得しなかったので速達で会長にその日に手紙送ってやった。
 さて札幌の雪まつり時期になりました。今年は充分な雪が有るのかな?何か日本の社会保障制度が雪まつりとダブルんです。雪の無い時はダンプで運んできて間に合わせ、気温が高い年は、どんどん解けるから、急いで崩れた場所を応急修理、観光客にはその苦労は分からない。
 何か変ですよね。外見を飾ることから始めるからですね。だから団体ごとに主張が折り合わない。
 果たしてどれだけ国民の賛同を得られるか分かりませんが、自国の事をもっと国民が真剣に考えるときである。閑話休題・・・・山本七平の本に書いてあった。世界で一番平等な社会はどこか?それはイスラエルのキブツだと・・・・・・・ちょっと調べてみっか。
 ”触法行為”という問題は、実に根が深い。様々な事件報道の記事を切り抜いて今集めている。地域生活という御旗のもとで、入所施設を解体しようとする国の思惑が見え見え。そして地域で手薄な職員(世話人)で見なさいよというのです。入所施設は家庭で見られない人たちを24時間体制で預かっているのです。言いたくねーが言っちゃうよ。尚恵は52年やってんだ。ちくしょうめ。
 それが分からない。もっともらしい理想論を掲げ、我々事業所を締め付ける。タコの吸盤みたいだ。締め付け締め付け根を上げることを待っている。それを市場原理に据え変える。汚ねーよな。
 それからかんぽの宿をオリックスに破格の値段で売り渡す契約を白紙に戻した。。これは触法行為でねーんすか?昨年、別府のかんぽの宿に選手団で5泊した。多分、あそこは評価額五千円位かも。
 よく知りませんがあれって郵政省と総務省との争いとか?良くやった鳩山さん。なにがなんだか分かりませぬ。
 触法行為のある障害者が問題視されていますが、私はそれよりも上手く法律を掻い潜って悪さする人の方が問題でしょう。
 あれで、誰も責任取らんでしょう。何か変ですね。ゲーム感覚なんですよ。自分のお金だったら、そうはいきませんわな。  合掌でーす。
 

1068:自然の猛威

オーストラリアの南東部が猛暑、山林が至るところで自然発火し多くの死傷者を出している。メルボルンには1度行ったことがあるが、飛行場から車で然程離れていない。平坦地を高速を飛ばし暫くいくと、遠くに高層ビルが見える。そこがメルボルンである。街の中を歩いてみたが、オーストラリアでは歴史遺産の多い古い落ち着いた街である。そこから北西部のビクトリア州が被害にあっている。なんと46度を超す猛暑。ユウカリの木が多く、どこまでも続く広大な台地。自然発火するということは一体どういうことなのか?日本にいては想像できない。
 メルボルンからタスマニアまで定期便が1日何本も飛んでいる。私が垣間見た自然豊かな平原が今燃えている。
 グローバル化がどんどん進み、人や物の往来は止められない。だから新型インフルエンザが流行ったら、正直その手立てはない。有効なワクチンの開発を待つのみか。ただウイルスは強かで耐性菌となって直ぐに勢いづく。この繰り返しを未来永劫に続けるしかない。
 地球の歴史は、まだまだ解明されていない。ただ、大きな隕石が落ちた形跡は至る所で発見され、その影響も大きいことが分かっている。自然環境を守ろうという活動は徐々に広がりを見せている。
ただ、残念なのは、国の経済繁栄が優先し、依然として世界的な同じ歩調での対策はできていない。
 これは複雑なアヤトリを解くようなもので、国間の利害が複雑で取りかかりの糸口さえ見出せないのだ。
 自然の猛威は世界中どこにでも襲いかかる。これを防ぐ手段はあるのだろうか?呆然自失するのみ。
一方、いま世界中が経済不況の大波に襲われている。出るわ出るわ。様々な矛盾。年金問題が未解決のまま、今、郵政民営化の中で噴出した異常事態。かんぽの宿売却問題はクモの巣ようなもの。グリーンピア構想も全く同じ。そして、当事者の誰しもが責任を取らない。
 これはいよいよ終末期か!恐ろしいのは、日本のあらゆる業界に同様のルールが蔓延っている。
 次に何が出るか!全ての省庁に問題あり。世が戦国時代であれば、どうなっていたことか。
 恐ろしい事だが、今この騒ぎの中でさえ天下りの人間を担ぎあげようとする。そして周囲の人々は黙して語らず。
 何かを恐れているにちがいない。私はそのような方と利害関係など全くないからへっちゃら。偉くなりたいなど思わない。寧ろバカバカしいと思っている。できれば早くこの柵から抜け出し、自然の中で悠々自適な生き方をしたいのでありますよ。

1069:目をそらすな!

朝日新聞ニュースより

上記の記事を貴方はどう感じましたか? 全国施設保護者連絡協議会(全施連)からメールで送られてきたものです。
 裁判長の「長男がダウン症を持って生れたことには必ず意味がある。あなたが生き残ったことにも意味がある。」という部分を添え書きされていました。全施連は障害者自立支援法の制定後、施設を利用されている親達が作ったものです。歴史がまだ浅い組織、茨城も昨年全国組織に加盟しています。
 亡くなった家族の置かれた状況を推し量ることは差し控えたい。多分全施連の皆さんの受け止め方は複雑でしょうね。皆さんが同じように思い悩んだ事は一度や二度では無かったはず、ニュースには報道されない同様の悲劇が全国で今起こっているのです。関係者は、目をそらしてはいけない!貴方方がいま在ることの意味、子供たちと必死になって歩んできた道、それこそ大きな大きな財産だと私は思う。
 もし、障害者福祉を国が放棄したならば、その国は国としての体裁を失う。民間の努力には限界があります。日々その事を感じています。それからどうしても国の形が見えてこない。その顕著な例が、介護職や福祉現場の働く条件の劣悪さ、あまりにも国の中枢にいる官僚と政治に携わる人たちとの格差が大きすぎます。貴方達が美辞麗句をいくら並べてみても一向に心を感じない。他人事にしか聞こえてこない。
 それから我々事業所団体の活動にも多いに疑問あり。その事を声大きく言いたい。特定の政党に媚を売ることはおかしいのではないか。国会への働きかけ、全国会議員を相手にすべきである。その一番の理由は障害者福祉は国体としてあたるべき事だからである。障害者を思う気持ちは政党によって格差があってはならない。これはどのような理屈で説明されても私は納得しない。
 障害者福祉の運動で駆け引きを使うべきではない。障害者の望みに叶うことが何故党利党略に振り回されるのか!この考えは一貫している。

 明日は我が身と思えるか否か!目をそらしてはいけない!それから堂々と正面から立ち向かうことである。
 

1070:北風

”北風 吹き抜く 寒い朝も・・・♪” 吉永小百合さんの歌でしたね。清純そのもの。良かった!
 その対象的で好きな歌手と言われれば私はこの方をあげますね。それは「日吉ミミ」さん。私より3歳年上で水戸市生まれ。寺山修司シリーズの歌などハスキー・ハイトーンの特徴のある彼女の声にぴったり。
「たかが人生じゃないの」「時には母のない子のように」「ひとの一生かくれんぼ」など
 世の中を伏し目に見る。それ以外に彼女の歌を作詞した人は錚々たる方達だ。曲が歌手をそうさせるのか、歌手が曲を歌い切るのか?どっちでも良いのだが、寺山の詩は、世の中を一歩離れて見ている所が好きだ。神田川沿いの木造アパートを想像する。流れに竿をさすのでなしに、アンタが好きなように生きたらと突き放す。
 今、作詞家が何を言いたいのかが見えない。流行に埋没し、あくまでもコマーシャルベースの上で歌い手を育てる。だから業界から忘れ去られる歌手ばかり。
 今、世間は不況の中で喘ぐ人々を本人の意思など無関係に追いかけ、取り上げる。ただ、全てがそこまで。後は私に関係ないということに。
 障害者問題も全く同じ。へーかわいそー。どうして周りが気付かなかったの?・・・・と他人ごとなのです。これが果たして理想とする国なのでしょうか?1億2千万の人口を有する日本は人が多すぎます。少子化高齢化いいじゃないですか。人口が今の半分ぐらいで丁度いいんです。東京なんて人間の住むところじゃありませんよ。大地震が襲ったらどうなっちゃうの?食糧問題環境問題全て人間が多すぎるから副次的に起こった現象だ。
 地方に行けば大きな家に夫婦二人だけなんてのが多い。もったいない。2階はいつでも戸閉めされ、猫だって敬遠するんだわ。
 少子化が深刻な問題と思っている人たちは実は教育関係者が多い。そりゃー自分の働く場所が無くなるもんな。高齢化を喜んでいるのは、実はお寺さんと葬儀屋さん。それと病院かな?
 人口が減れば小さな政府もできるでしょうし、合併道州制も現実味を帯びますよ。
経済界の人々はこぞって言う。働き手がいなくなる。そりゃーそうだわ。頷ける。でもなーいつまで今のような外需頼みが可能ですかね!もう先が見えてきたんじゃなかろか。
 人間の幸福を経済の発展でみようとすることの間違いに気づくべきでしょう。
北風吹き抜く寒い朝も・・・・・ この自然の道理に人間は知恵と努力で快適さを求めすぎた。北風の寒さを肌で感じ、それに負けない体を作った昔が懐かしい。マスクで予防なんかできませんて、ひ弱なモヤシを育てたツケです。
所詮人間は自然の力には逆らえない。そのことを謙虚に認めるべき。そこから再出発すればいいんじゃない!