源究NO9

結婚式場の片隅で

121:ゴルフ 6/18 126:選挙と蓮華 7/12
122:坊様ー! 6/23 127:水かけ 7/15
123:デイサービス 6/27 128:福祉の壁 7/18
124:関東ブロック 7/3 129:冤罪??? 7/25
125:午前2時30分 7/8 130:責任 7/31
121:ゴルフ
つかの間の休みに友達に誘われゴルフを楽しんだ。スコアーは今年一番の45:41グロスで86であった。ボールは5個池に入れたのだからそれを考えると素晴らしい成績だと自己満足。坊さんと福祉施設の理事長という肩書きは正直重たい。本当はこの肩書きなど全てすてて思い切りゴルフをしたいのだが、どうもこれからは逃げられないようだ。
それなら言いやと開き直り半分。そうおもうようになったらスコアーが良くなった。妙なものだなー。
 ゴルフ場ではいろいろな人と出会う。特にバブル期の接待ゴルフで笑いが止まらなかったゴルフ場ほど今経営に四苦八苦。
それは従業員の態度でもすぐに分かる。断るほどお客さんが来た当時は利用する側が遠慮してプレーした。へそまげてどんどんカートで先に行ってしまうキャデイもいた。今からは想像できない。しかし、これは本来の福祉サービスにも利用者と事業者の関係に通じることである。関東でも茨城:千葉:は特にゴルフ場が多い。その中で生き残るのは至難の業だ。最近は福祉業界にも少し危機感がでてきた。これは財源確保が難しくなればなるほど強くなる。今年の国庫補助はびっくりした。前年度実績の10分の1にもならない惨憺たる結果。3回に分けて内示があった。福祉医療機構の借り入れも制限され、一般金融機関(銀行)から借金をして整備するよう指導を受けている。いよいよやってきたなということだ。法人そのものの見直しがなされ、規制緩和政策で様々な事業体が参入できる時代になってきた当然の帰結である。生き残るためには、いくら福祉の理屈をこねても今は通じない、動かない。本当に必要なサービスとそれに適った実績が不可欠である。事業者にとっては、多くの課題を抱える。スタッフの質やメニュー、更にはそれを統括するマネージメント、快適なハードなどなど。ウワーと大声を立てて一目散に逃げ出したい。これ本音!
 昨日面白い話があった。施設職員としてこれから外国人に門戸を開く時代になるだろう。また、逆の発想で例えば老人を輸出(?)する時代になるかもな。これは良く考えると恐ろしいことである。昔、姥捨て山というものがあったとか?国ではこのようなパターンも検討しているに違いない。
さて、坊さんの世界はこれまた別世界。危機感なんてどこ吹く風。むしろ、2030ごろまでは安泰とか???馬鹿なことを言っているよ。高齢者が右肩上がりで増えるということ。お客さんが増えるという。葬祭業界のデーターだから満更見当違いではないのかもしれない。規制緩和というものが有るのか無いのか分からない世界。霧の掛かったぼんやりとした世界。これは大きな声では言えないことだが、どうも首をかしげてしまう。最近こんなことばっかり考えているものだから肩と首がこってこって仕様がない。

122:坊様ー!

ヨー様とかいう追っかけがいるそうで韓国のヒット番組「冬のソナタ」の主演者だそうだ。そんなこと私には関係ない。
昨日のこと、大きなお寺さんでの葬儀の主演者たちのお話です。これは実はこの業界では内緒のお話なんですが。
住職の葬儀というものは大変なんです。私は何度も経験しました。実は住職はなんでも葬儀の事は分かっているようで実はなーんにも分からないです。護送船団というものがありますが、一艘の船に船頭が大勢いるとどうなるかということと同じなんですね簡単に言えば。ああじゃないこうじゃないとか問答が多すぎるために当家の方は何がなんだか分からないというのが実際の話なんです。
まー、いいや。という住職さんなら事は大きくならなくて済むんですが、一人でも『否』と言う方がでてくるともうしっちゃかめっちゃか。今回はそれはありませんでした。ほっとしました。
しかし、世の中は心配の種はいくらでもあるものですね。出仕をお願いしたお寺さんの上位の方達の平均年齢が高かった。それに台風一過の猛烈な暑さ、追い討ちをかける,蚊の攻撃などなど。
正式な法要には坊様の衣装は平安絵巻さながらの重ね着。これがまた暑いし重いし、一番年寄りの坊様、着替えが終わると壁に寄りかかる、「ああ・・・」とか言っちゃって。更に、もう一方の坊様は昨日病院へ行ってきたばかりとか、もう一人は右肩があがらないとか葬儀が始まる前からなにやら不穏な話ばかり。
いやー。これは予想外だったな。心配していた通り葬儀時間は1時間30分になってしまった。
 それぞれの坊様の様子を伺うと必死の形相、中には尿意を催した方もおるようで。もってくれ、がんばれ、もうすこし。後10分!
それでもどうにか無事終わり退堂してきました。玄関で草履を脱ぐ時に衣の袖を自分で踏んづけて立てなくなる坊様、早く帰ろうと言わんばかりに泣きそうな?坊様。
私は友人の寺だったので事務局を受けた。幸か不幸か私に対する非難は出なかった。お蔭様でどうにか終わりました。清宴の終わるのが早いこと皆様急いで帰っていかれましたな。合掌ーだ!

123:デイサービス

今回は多いに悩んだ。デイサービスをどうすれば良いのか?それよりも今のままで良いのか?ということが原点にあった。在宅の方たちへ何らかの役立ちができないものか!やればやるほど正直反応は大きかった。しかし、その反対に現状の事業を進めていく上で少なからず影響がでる。一番大きかったのは、現在利用している方たちへの影響であった。彼らの言い分は多分こうだ。『知らない人が入れ替わりたちかわり入ってきて迷惑だ』言葉では言わないが彼らはパニックを起こしたり物を壊したりする行動で自分の気持ちを表現してきた。スタッフも苦労が大きい。日頃慣れた利用者との関わりでも大変なところに毎日毎日、様子が分からない方たちを迎え入れる。今、在宅の登録者が150名を超える状況になった。
この数は現在我々が入所型で受け入れている数(140名)を超えた。
 デイサービスや居宅支援(ホームヘルプ)は支援費になってからのサービスの目玉である。この事業には国の予想を大幅に上回るニーズがあって財源確保が難しくなってしまった。尚恵の特徴のひとつに日中預かり(レスパイト)をマンツーマンで行うことにある。これは正直に言って筑波大の学生の協力があってどうにか対応できているという状況である。
今の時代。決められた制度の中だけの対応ではどうも上手く機能しない。否、それは最低限のものである。在宅の人たちが安心できるような地域サービスにはならない。いま毎日のように在宅の利用者からの電話が入る。利用申し込みの電話である。その対応にも実は大変苦労している。無責任に回答できない。受け入れ態勢をつくらなければならないからだ。今、外部との窓口を二人で行っている。
 そしてこの事業の一番の悩みは、リスクへの対応である。正直、やらなくてもすむのだから、敢えてやろうとしていること自体、理事長のこだわりでしかない。今年の補助事業で単独型のデイサービスセンターを作る覚悟を決めた。
いよいよもって住田福祉の本領を発揮できるか否かの瀬戸際だと思っている。いざ出陣である。

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124:関東ブロック研究会

第36回関東地区知的障害者施設関係職員研究大会がつくば市にて7月1日2日の2日間開催された。この研究会は関東1都8県で順繰りに開催しているから9年に1回廻ってくる。私は今回で3回経験した。正直言うと準備に苦労した割には収穫の少ないものだという感じを今まで持っていた。しかし、今回は副会長という立場であるから、そのような事は口が裂けても言えないと考えてはいたが、実際は言ってしまったのだ。ま!仲間内の研究会だからあまり盛り上がりはないし、これと言ったアピールもない。この状況の中で自分なりに考えたことがあった。それは如何に外部からの風を吹き込むかということであった。家族会の発表者や参加者を多くした。それから第3者の立場で業界外の発表者をなるべく多くお願いした。16の分科会は果たしてどうであったのか後ほど反省会にて聞いてみたい。全体研修の講演をつくばに関係する宇宙飛行士の毛利衛さんにお願いした。その講演で印象に残っている話は、宇宙飛行士は何が起こっても覚悟しているということ。前回のスペースシャトルの帰還の時の事故で亡くなった友人の話がそのことを裏付けていた。それに人間は環境によって変わるという話。これは宇宙では足の働きは殆ど関係なく、長く人間が宇宙に住むようになれば足が退化して4本の手になるだろうと話していた。
結果として私が描いた通りに半分も行かなかった。大会式典には橋本知事も参加してくれた。県の部長以下幹部も2日間に渡り参加してくれ、夜、各県の代表者との交流の機会も得た。これらは今回の茨城の独断場であったと自負している。迷走する制度、未来無き福祉などと悪口をいう人もいる中で、単に問題を批判するだけではいけないと考える。我々の使命は現場の実践家であるべきだ。本当に必要なサービスを待っている人たちは数多くいる。財源確保の問題は行政の立場では最優先の課題、しかし、我々は直面する問題に如何に対処すべきか!今できることが何かを常に考え、創意工夫の中で行動に移していくということだと思っている。今回のテーマを『共生と創造』とした。共生はノーマライゼーション思想の象徴:創造は我々福祉関係者の使命:ととらえた。いずれにしてもこの混迷の時代にあって糸賀一雄先生が言われた新たな文化の創造ができるか否かは関係者の努力にかかっている。
 文化それは人間としてこの地球に生まれてきたことから始まる。宗教や民族を超えた生きることの喜び、感謝である。その意味では宇宙から見た毛利さんのお話は実に的を得た話であった。2晩寝不足で頭が重く文章が上手く書けない。

125:午前2時30分〜止観

エイ!起きちゃえ!暫く布団の中で思い巡らす様々な出来事。今の時間みんな何やっているかなー?蒸し暑い夜、寝苦しく学園のみんなは良く眠れているだろうか。当直の職員は今頃緊張の中で一人がんばっているんだろう。3日前に一晩帰って来なかったNは夜中ずーと歩いていたと話していた。その前の晩、交番に補導されたEはもうしないかなー。自宅アパートで太ももを焼けどしたFは今どんな気持ちで病院のベットにいるだろう?申し訳ないという気持ちだろうな。次から次へ最近あった事柄が浮かんでくる。頭の中の配線がショート状態。そこで飛び起きたというわけ。
 毎日の繰り返しが実は大切なんだよ!とか言うもう一人の自分に『否』と反発する自分。随分長いことやってきたんだよ。二人問答。更に追い討ちをかけて、先日法事に伺った檀家さんでのことが浮かんだ。中学2年といっても私より背が高い息子。おばあさんとお母さんとその妹の4人生活。息子さんは強度の自閉症、最近は生活リズムが狂ってしまい、昼過ぎに起き出す生活。朝と昼の食事を一緒に済ませ、それから学校に車で連れて行くという。だからお母さんは仕事も充分にできない。49日の法事の間彼は遅い食事の時間だった。私がお経を読んでいる脇でなにやら食べていたが、暫くすると部屋中を歩き回りはじめる。声もあげ始めた。私は正直気になって仕方がなかったが家族は一向に気にしない様子。慣れてしまったからなのか,無視しないと何か別の行動(パニックなど)をおこすのか?
 お墓への納骨、彼も一緒に行った。オシッコという仕草に向こうでやってきなさいという母親の指示に素直に応じた。これだって気にし始めるともうどうにも停まらない。この数日間は30度を越す猛暑、知り合いから植木をもらった。大きな立派なモッコクと猿すべり。毎日水賭けをした。折角いただいた植木だから枯らしちゃいけない。ついでに土手の草刈、物凄い汗をかき、シャツがビショ濡れになる。ジムにいくよりハードな運動だ。和紙班の教室の脇の土手をエンジンつきの草刈機で音をたててやっていると。教室で大声を上げて誰かが騒いでいる。どうしたんだろう。エンジンを止めて職員に聞くとデイサービスのMさん。彼は音に敏感に反応するという。けたたましいエンジン音は彼の耳には不快に感じたのは確か、なるべく聞こえない遠くに移動して作業を続けた。これは昨日の出来事だった。
 どこで情報を得たのか、建築関係の業者が挨拶にくる。補助事業の入札に是非とも入れて欲しいとか、今度グランドを整備するそうだが、その工事をやらせてほしい。どこから聞いてきたのか?確かに情報源はあるようだ。いちいち対応していると嫌になった。だから園長室にはいない。昨日も2つの会社からやってきた。それに・・・・ああこんなこと毎日やっていていいのでしょうか?
 人間嫌いになる時って確かにあるよ。そんな時、普段相手にしない猫とか犬が妙に可愛くみえてくる。ハエの動きなんかをじーと見つめたりしてしまう。
 最後についでだ。小学校6年生が寺に話を聞きに来たいという話。2週間前に担当の教師から電話があった。約束はできないと断ったが是非ともというので受けた。その日は11時に他の用事があった。10時ならば相手ができるかなと考えたのが間違いの元。前日に普通は確認の電話がある。しかし、今回は何もない。そして朝から本堂を開けて資料まで印刷して待っていたのに10時になってもこない。そのうち女性の教師から電話、「今から伺いますのでよろしく・・・」という。ここで頭にカチン。「あなたはどういうつもりで言っているのか!約束の時間になっても来ないで何人来るかも知らせない。礼儀が分からないのか」と一喝してしまった。小学校6年生が36名引率の男子教師に連れられてやってきた。質問も10人ぐらいからでた。約束の11時になったので話をやめた。そのあと,校長から電話、謝罪の電話だった。はっきり伝えた。訪問するのは良いことだが相手の立場を考えてもう少し配慮できないのか!と。前から知っている校長さんだったから遠慮せずに言ったこともある。4時すぎに3人の教師が謝りにきた。「申し訳ない」という。校長に言われたからきたんじゃないのと言ってやろうかと思ったが今回は情状酌量。
子供たちに私から聞いてみた。「最近あった小6の殺人事件の話を先生から聞いた?」どうもその事については学校で話し合いが持たれたという反応は無かった。一人の子が「先生が刃物は学校に持ってこないように言われました」とだけ話してくれた。ああ。。。その程度なんだ。礼儀が分からない教師が命の大切さを話せるわけがないもんな!今の教育現場の実態は相当問題だと考えてしまった。だからまた眠れない。そんな心中告白でした。大変失礼しました。以上。起立、礼。

126;選挙と蓮の華

参議院選挙が終わった。結果は民主党の躍進と共産党の敗北が目立った。自民党は2議席を減らしただけだから選挙前の予想からすればあまり議席数は減らさずにすんだと言える。しかし、1人区などの得票数を見ると以前ほどの当落の較差が無いことがわかる。要はちょっとしたことで逆転も有り得たということだろう。まだ依然として投票率は低い。毎度のことだが尚恵学園は地元の投票所に交代で投票にいく。これは少なくとも自分たちの義務と権利を行使しようということで行っている。昨年、投票干渉罪という問題が起こってから大分施設利用者の投票は慎重になっている。私の所は彼らが誰を入れたのか分からない。投票所に行くと係りの方が一人一人ついてくれて、名簿を指差して本人がウンといった名前を代筆するからだ。これで良いと私は思っている。
 このような時期、学園の下にある田んぼには丁度蓮の華が咲き始めた。泥中に咲く可憐な華を仏教は教えの例えとしてよく使っている。仏教はそもそも縁起を重んじる。因果応報。何によっての結果でその結果にどう報いるかである。今回の選挙結果に正直あまり期待はしていない。はっきりとした方針が見えて来ないこともあるし、2大政党たる自民;民主が議員の入れ替わりがあってどっちがどっちということになっているからだ。これは選挙民の責任ということもあるのだが。主義主張をはっきりしてくれと要求するべきなのだ。
それよりもあるタレント立候補者が本音を漏らした。「立候補はしたが当選してなにを訴えるか細かいことは決めていない。。。。」この候補者の当落は分からないが、あまりにも選挙民を愚弄した言い方だ。それもこれも以前として日本人の平和ボケの状況は変わっていないということだろうな。
 蓮の華はすごいといつも思う。どうしてあのような泥の中から綺麗な華を咲かすことができるのか?
 周りのことなど関係なく精一杯自らの役目を果たす・そして、見事なレンコンを育て、時期が来ると葉を落とし
自ら身を引いていく。引き際の妙。蓮の華のような政治家はいないのか。問題の先送り、責任転嫁、相手への攻撃などなど
正直うんざりしている。選挙活動の間に議員年金の事を不明瞭にした。多分年金問題とは別の形で話されるのだろうか。
一人の国会議員に掛かる経費は膨大。それだけの仕事をしているのかな?すくなくとも自らの身をさらけ出し国民と同じレベルで物事を考える先生が一人でも多く出てくるのを待つより方法はない。

127:水かけ

水かけ論とか人の揚げ足を取るという言葉がある。日本語の妙というもの。今日の話は、当に水かけ。新潟での水害が盛んに報道されている。どういうわけか茨城の土浦には全く雨が降らない。水戸は先日纏まって降った。土浦近辺は今の時期適度な雨がないと農家の人は大変心配する。梨や菊栽培農家である。その点米を作っている農家は大分恵まれている。灌漑用水が整備されているから水は人工的に田んぼに供給できる。コックの開閉ひとつで調整できるのである。何年か前、この一帯はヒョウの被害にあった。ピンポン玉ぐらいのヒョウだった。全滅になった農家もでた。ある時知り合いの獣医さんと話すことがあり、鳥インフルエンザの話とBSEのことが話題になった。彼が言うにはこれら全て人間が自然の理に反して行ってきたことへの結果であるという。そして、地球上の生き物は最も小さなもの(ウイルスなど)によって滅びるという。確かに先端技術を駆使する医薬業界などは菌との戦いである。菌の反撃もすさまじい。病との闘いは永遠に続くことになるのは確か。何故なら人間の死亡率は100%。死への恐怖、不安をいかにすれば軽減できるかは、医学の問題ではなくむしろ宗教の役目。この根本が揺らいでいるなかで、世情の関心は年金や老後のこと。どうもこれは本末が逆である。ここで毛利さんが先日つくばで講演してくれた時の話を思い出した。、もし宇宙に人間が生活する時代になったら、知的に障害を持っている人たちが一番長生きできるかもしれません。これは決して障害者を偏見で見ているのではなく、彼らが目先の細かなことに拘ることなく今を生きることに専念している一面を捉えてのこと。科学者というものはどうも知識があるからいらんことまで必要以上に心配する。
宇宙先端技術は医療分野と同じくある特殊な人たちの世界。その毛利さんが知的障害者の本質を捉え、人間としての生きる力を感じ取ったことはさすがだと思った。
 こっちが先かあっちが先か論は当に水かけ論。有史以来、大なり小なり人間は繰り返し生きている。

128:福祉の壁

福祉の仕事は理解が根底になければならないんです。今の時代,尚更その重要性が増しているような感じでいます。具体的には地域の人たちの理解、これは一度ミスを起こすと即レッドカードの審判を下されます。それじゃ、以前と同じく塀の中に囲ってしまって良いのかという議論が再燃。これではまずいだろうという話になる。福祉といっても内容はそれぞれ異なる。老人はいずれ自分達もそうならざるを得ないと誰しも考える。障害者は以前として可愛そうとか自分がならなくて良かったとかいう他人事。このギャップは実に大きい。何をするにもこのハードルを越えなければできないのが現実。また実際問題として障害関係事業所についても様々。困るなーと思うのはマスコミなんかで取り上げられた施設での不祥事。何も分からない人たちが尚恵も同じなんだ!という風評が怖い。
 今、茨城県では遅咲きながら施設利用者をできるだけ地域移行させる方向を出した。その調整会合も先日あった。正直実態を分かっていないなという印象を持つ。地域へ生活の場を移すことは受け皿たる地域がその受け入れ体制がなければできないこと。それを後付けでやろうとする。少なくとも尚恵学園は47年の地道な活動があった。そこに理解者が徐々にでてきた経緯がある。それなくして理念先行の取り組みは危険だと思っている。果たして地域移行について県と我々が充分話し合いの場が持てるのか?少なくともその点を切り口に行政と現場の調整の場としたい。
 福祉はその人が生活をするのに何か不都合が生じた(ニーズ)時に、不都合を調整し、取り除き、自らの意思で生活を可能にする手立て(サービス提供)であるという自論である。ニーズは個人によって異なる。だからサービスは多様になって当然、施設福祉の限界があった。そこで新たに出てきたのが地域福祉。これも実は一歩間違うと危険だ。
サポートの仕組みが無い中で地域に責任を転嫁することも起こりうる。これは利用契約という約束ごとでは解決できない。福祉の充実は地域の負担増というパターンは避けたい。何らかの手立てがなければ、またもや世の中の隅っこに追いやられてしまうことも起こりうる。福祉の壁は養老猛司さんの本にはない。いずれ彼流の論調でコメントいただけたら良いのに。解剖学からみた福祉。

129:冤罪???

つくば中央警察署より突然の電話。お宅の利用者の方が公然わいせつ罪容疑で今逮捕したという。何事が起こったのか?早速担当者が警察まで出向いた。ゴルフ場に勤めている2人が警察に補導されていた。話を伺ったところによると、バス停で二人がバスを待っていたという。そこに二人の女子高校生もいた。GH利用のAさんが尿意を催したらしい。本人はショックで上手く話せない。後で確認するとうろうろして何処でオシッコをしようかと探し始めた。公園の木が繁っているほうに二人で行きオシッコをはじめた。変な?動きに二人の女子高生が後を付けて、何か二人で変なことをしているとはやとじり、すぐに警察に連絡してしまった。パトカーが駆けつけ、二人はあえなく補導。あれよあれよという間であった。公然わいせつ罪の現行犯逮捕!Aさんはショック状態。方や相棒のWさんはパトカーに初めて乗ったものだから嬉しくて、得意になってしまった。その態度がどうもお巡りさんには不自然に映った、またもや不審に思われてしまう。職員が私に報告にきた内容が上記のごとし。本人は今日も仕事に行ったという。彼らの動きは独特の動きをする。見ず知らずの人の前で飛び跳ねたり、何度も顔をのぞいたり、彼らの不思議な行動をあげたらきりが無い。女子高生には当然変に取られたのも仕方がない。この行為を止めないと出せないということになれば多分彼らは一生でられない。結局はトイレが目の前にあったのにわざわざ木陰にまで行って用をたした。この辺の心境は良くわからない。だから彼らには完全犯罪はできない。今回の問題は冤罪(えんざい)ではない。事実であろう。しかし、女子高生が心配したような事ではなく。警察署の対応も理解のある態度であったという。
 彼らはいままでに何度も職場が変わった。今の職場は茨城県でも有名なゴルフ場、仕事の内容は表にでない裏方の仕事。マナーをうるさく言うゴルフ場で同じような事をやっているのだろうか?考えると怖くなる。
 どうも地域に出て自立するというのは言うは易し、行なうは難しである。また職員が書いた始末書が増えた。

130:責任

人の心の中を分かったようにいうことはできない。実際分からない。
何年もかけてお互いが真剣に語り合い。ぶつかり、ののしり、涙し、・・・・しかし、いつも時間が間に入ってくれた。お互いが頭を冷やし、自分が言い過ぎたと反省、なぜあんなことをしたのだろうか?と考えることができた。
 そして、同時に今の自分は一体なんなんだ!今まで生きてきた人生の中で幼い頃の経験:環境:周囲の愛情:憎しみ:妬み:思いやり:助け合い:喜び:笑い:叫び:悲しみ:苦しみ:安心・・・・・・
様々な出来事がその人間の生き方、考え方の上に途方も無く大きく影響を及ぼす。
 安心は何から得ることができるのでしょうか?ある者は家族に癒され、それができないと思えば宗教に救いを求める。自然の成り行きだ。
人間の一生は長短ではかるのではなく、どれだけその事に真剣に取り組んだのかという事で決まる。合掌