源究90

 

No テーマ 月日 No テーマ 月日 No テーマ 月日 No テーマ 月日
1311 メモリー 11/13 1316 悩み多き者よ 11/18 1321 JAL経営是非 11/24 1326 よきにはからえ 11/30
1312 表彰の誉 11/14 1317 次なる段階 11/19 1322 one of them 11/25 1327 年年歳歳 12/1
1313 七五三 11/15 1318 現場の思い 11/20 1323 見極め 11/26 1328 談論風発 12/2
1314 言うべき事 11/16 1319 体感速度 11/21 1324 不倶戴天 11/28 1329 窮余の策 12/3
1315 時流を読む 11/17 1320 通信媒体 11/23 1325 しあわせ 11/29 1330 生命倫理 12/4

1311:メモリー

11月12日、県民文化センターでポール・モーリア メモリアルコンサートが超満員の客の中で行われました。偶然手に入ったチケット、昔懐かしいサウンドを堪能しました。2006年11月3日彼は81歳で亡くなりました。そして今回、全世界初となった追悼公演、彼のオーケストラは1969年の初来日以来、実に27回もの来日公演を行いました。私にとっては若き時分から彼の生み出すメロデイーに親しんできたわけで一度は生演奏を聴きたかったのであります。「エーゲ海の真珠」「蒼いノクターン」「オリーブの首飾り」「・・・・」等々数えきれないヒット曲、もう彼はいません。しかし、見事に彼のオーケストラは復活したのでした。コンサートマスターにジャン・ジャック・ジェスタレフを迎え、世界最高水準のミュジシャンを集めた素晴らしい演奏でした。感激・陶酔・・ウーンなんと表現すれば良いのか言葉が出ません。千波湖前に建つ県民文化センターは普段から良く利用してきましたが今日ほど輝いて見えた事はありませんでした。クリスマスのイルミネーションが見事に輝いて、本当に茨城に生まれて良かったという思いに至ったのであります。
ジャガジャン・・・・
 正直、夢を見ていたかのような2時間でした。
 まさにプロ!言葉じゃない。なんたって音とテクニック それと演出でしょうかね。新しい指揮者の実に見事なパフォーマンス、満席の観衆が見事に彼の魔術にかかってしまいましたね。良かった。生きてて良かった。
ジャジャジャン・・・・・
現実は実に酷いものであります。連日水戸通いが続いています。今日は茨城県表彰式が県庁であり、それに出席しました。遅い昼飯を食べにレストランに入った。私以外に客はいなかった。何か昼時にしては異様な感じ。
 そこに、元気なオバサン?が一人で後ろの席に座った。
「昨日もここにきたんだよね。ここって美味しくないから まーいいか 今日のランチは?? ウンこれでいいわ」と大きな声で店員さんに話す。
カチンときた。もし俺が店員だったら、つまみ出してやる。すると今度は遠慮など全く無く、携帯電話をかけ始めた。
「はーい 了解でーす。 ハアーイ ハイ ハアーイハイハイ・・・」大バカ者めが!レストランだってプロでしょうが、何か昨夜の感動とは全く相容れぬこのギャップ。
急いで食べ終えて帰りにこのオバサンの顔をジロリ。なんとどこかのバスガイドだった。お客さん相手の商売にもピンとキリがあるということでしょうか。そのオバサン一向に電話を止める気配なし。厚化粧で髪を振り乱しタバコをくわえた方でした。なんとなんと、これが現実です。プロにもいろいろ人生いろいろ。
オバサンなんて言ったら仕返しが怖い怖い。
常磐高速、昨夜と全く同じコース。でも気分が違う。あんなガイドだったらバスの中で大げんか。
 私は感情の起伏が激しいのでしょうか。どこか変でしょうか?なんだか分からなくなってしまいました。
普段、押さえて押さえてと思うからですかね。ガス抜きせんと持ちませんわな。
さっそくポール・モーリアのCDを注文しました。
 今度は本場、パリまで演奏を聴きに行くベー。ガス抜き息抜きババ抜きで。

1312:表彰の誉

11月13日は茨城県民の日、今年1年で特に活躍が目立った人々を県知事が表彰する。県庁9Fの講堂には個人38名、団体9の栄えある表彰を受ける人達が集まった。県内各地から様々な業種団体の代表もお祝いの席に参列、私も末席に座った。4名の特別表彰で一際目立ったのは、先の世界柔道48キロ級で優勝した福見友子さん、日本で初めて無敗の谷選手を筑波大学生の時に破って脚光を浴びた。大学は卒業し社会人として更に柔道の道で鍛錬を続けている。
その下向きな柔道にとても好感がもてる。彼女の出身は土浦、彼女のお父さんを知っている。祝賀会の席で思い切って声をかけた。世界一の柔道選手とは思えない体は小さく感じたが、全身バネといった印象をもった。
 益々これからのご活躍を期待したい。次はオリンピックが彼女に用意された活躍できる場だ。
今年の授賞者で4〜5名は知っていた。団体表彰の中に長年ボランテアで尚恵学園を訪れてくれている筑波大社会福祉研究会もあった。創立時から続いている定期ボランテア、もう30年以上になるかもしれない。手前みそだが、先輩から後輩に引き継がれ一度なりとも途切れた事がない。この人脈は私どもにとって大きな財産である。
 表彰されたいと思ってそれぞれの道を歩まれた人はいない。結果がそうなっただけでご本人達は決してその事を鼻にかけたりせず謙虚である。
 全員起立して歌う茨城県民の歌は、いつ覚えたのか忘れたが歌詞が良い。
♪ 空には筑波 白い雲 野には緑をうつす水 この美しい大地に生まれ 明るく生きる喜びが
    明日の希望をまねくのだ・・・・・・♪
当にこの歌詞の通り。自然豊かな県土はどこにでも生活でき、関東ローム層の広大な耕地は数多くの農産物を生産する。鹿島灘から北茨城に続く海岸線は、鹿島臨海工場団地やひたちなか港、更に開港間近な茨城空港、つくばエクスプレス開通に伴い県南地区の発展も大いに期待できる。日本一の科学都市・つくば学園都市も都市機能が年年整備がすすんでいる。
 東京に近い県としてはゆっくりとした発展だが確実にしかもバランスよく歩んでいる。
 ウーム ちょっと誉め過ぎたかな?まー良いでしょう。県民が自由に物事を言えることが大切なんです。
茨城で生まれ今は違った所で生活されている多くの人達、我々茨城から出た事が無い多くの”茨城っぺ”がしっかりと皆さんの故郷を守っています。
 俺も単純なんだよな。表彰式の後、そんな事を考えていました。
 

1313:七五三

今朝、花火が鳴った。11月15日は近くの神社の祭り、その合図である。昨日とは違って秋晴れの好天。田舎では氏子と檀家が重なっている。持ちつ持たれつの関係が今でも続いている。神主と僧侶の違いと言えば、神社は一人の神主が幾つもの神社を兼務している。神主さんの住まいが神社になっているケースは稀である。出雲大社や伊勢神宮は別格、仏教で言えば総本山。地方には中堅規模の神社もあって、一年を通して様々な行事が行われる。茨城で言えば鹿島神社のサイトウサイ、笠間稲荷の菊祭りなど多くの人々が集まることで有名だ。
昔から七五三という行事、男子は三歳と五歳、女子は五歳と七歳。三歳は髪を伸ばす「髪置」(かみおき)、五歳は袴を着ける「袴着」(はかまぎ)、七歳は紐から丸帯の装いをする「帯解」(おびとき)という祝儀で、寺や神社に詣で子の健やかな成長を願う。これもまた古き良き日本の文化、大切に守りたいものだ。
 私の寺は七五三には関係しない。いつもの如く年回法事が入っていて、その準備を今している。私の住んでいる寺(観音寺)は平成五年に新築した。16年が経ち、大分建物も落ち着いた色になった。今度、客殿のトイレを改修することになった。和式トイレでは不味いという事になり、全面改修を行う。見積もりにきた業者さんが言っていた。「管理が良いですね」
これは改修するには勿体ないということと良く掃除が行き届いていますねという事を言っている。16年という年月が一瞬浮かんだ。私はトイレに対して特に拘っている。それは自分が外に出かけた時に使用するトイレで感じる事を常に思い出すからだ。掃除の行き届いたトイレ、異臭が立ち込め、一歩引いて用を足したくなるような便所、いろいろある。
寺は来る客をもてなす心が大切、そう思ってあちこち直してきた。正直、自分の住まいまで手がまわらない。
 冠婚葬祭の中身が大分様変わりしている。最近の葬儀は、近親者だけの小じんまりしたものが増えてきた。一方祝儀は、より派手になってきているのではないだろうか。結婚式みたいな七五三もある。
 昨日、墓地開眼があった。市営の霊園で行う。ズラリと並んだ墓石は見事、良く見ると形は様々、昔風の○○家という墓石正面の文字は少なくなっている。”和””なごみ””しあわせに”とかいう文字が急に増えた。これも少子化の影響か?墓を守る子供がいないという深刻な事態が進んでいる。
どうして七五三の話からこうなっちゃうのかな?毎度の事とお許しを。
 先日、ある会合があり、来賓の挨拶にこんなものがあった。
「皆さんちょっと昔を思い出してみて下さいな。土浦から水戸にいく道路、砂利道でそれもデコボコ道2時間もかかった。それから運動会、子供はみんな裸足・・・・・今が大変な不況とか騒いでいますが・・・昔を思えばなんてことはない。・・・・・どこまでも上を望んでも仕方ないでしょう。 この辺で少し生き方を変えないと・・・・・・」
 いつも関心するのだが、この方の挨拶は原稿を読まない。期に応じた話をする。最近の祝いの席の挨拶は美辞麗句を惜しみなく使った内容で、中身のない似たりよったりの話が多い。
確かに日本は世界と比べれば、平和で物が豊か、ありとあらゆる事が用意され便利な国だ。そこに慣れてしまった。
 慣れが一番怖い。
オバマ大統領が初来日、彼は小さな時に日本に来たという、大仏さんの記憶と抹茶アイスが食べたいとか、  いいじゃないですか 人間肩書で生きているわけじゃーありません。その辺が本心だ。

1314:言うべき事

5W1Hというものを聞いたことがありますよね?Why What Who When Where  の5つのWとHowの1Hをいう。
「何故 何を 誰が いつ 何処で どのように」とでも訳せますかね。
 霜月を過ぎる頃になりますと、次年度のことが頭に浮かぶんです。以前は全員と理事長面接をやりました。でも人数が増えてどうしても間に合わないという事になり、通年で希望者か指名で行うことに昨年からしました。話しこむと1時間でも2時間でもかかってしまうのが常。予定は未定。勤務を優先にして間に挟んでいるから、所詮、全員と話す事が無理なのである。
 面接の希望者は此方側の問題なのでしょうが、敢えて話が有りますという者は然程いない。大体 そんな時は切羽詰まった話。いないならばと私から指名することにした。
 日本人の奥ゆかしさと言えば結構な話なんですが、これは源氏物語の世界、今はそうじゃない。言うべき事を言わない輩が増えた疲弊社会だ。グズグズ陰で文句を言うオープンじゃーない。私の性分では最も嫌いなタイプ。否、正確には言わないのではなく言えないと言うべきだ。何故でしょう?それは自分の考えに自信がもてない。逆に私から上げ足を取られ逆襲を食らうのを恐れているんだとみた。
 私は言うべき事を間髪いれずに言う。その時は十中八九恨まれる。大体は相手の嫌な処をつくからだ。(性格が悪いんだと自覚)
楽しい職場と仲良しクラブが混同、その辺の疑問は伝えるべきだ。楽しい事は続かない、これ此岸の常識。
 そこで本論。ここに来て就職希望者の面接が多くなった。嬉しいことである。ただ、全員を採用するわけにもいかない、不採用を相手に伝えることは気が重い。ハッキリしないと相手も困る、そこは私情をまじえず断を下す。
 新卒の希望者は、その点気が楽だ。何しろ染まっていない。白紙委任状である。中途採用は余程注意しないと失敗する。最近の例でこんな人がいた。先の職場で燃え尽きてしまった。少し責任のかからない仕事に就きたい・・・・オーナーから給料分の仕事をしてくれと言われた。・・・・・・云々
この人は正直な人だ。結局2時間も話し込んで、結果は不採用。私が勧めたのは”四国遍路”。
 我々の職場だって同じさ、給与分働けよ!と言いたい。本人が自覚しているか否か?多分、していない。
此処だけの話、一人分の給与で新人2人は採用可。このご時世、手薄な体制で四苦八苦していることを考えるといずれ断を下すことになるわな。覚悟しな。
 先の5WIHの中に加えるとすれば”こころ”、それが無いと駄目。こころ=信念というと肩ぐるしい。”やる気”かな。
惰性で働いている人間には”喝”を。これは誰でもやればできることでやらないだけ。その気持ちを持続できるか否かは本人の能力というより努力&誠意の問題。
 それと”気付き”&”心配り”これがないと奥行きのある仕事はできない。薄ぺらなメッキで自己満足で終わる。
”こころ”ほど難しいものは無い。なにしろ見えないのだから、雲を掴むような話。
 期待と失望は表裏一体、これ真理。それ故に怖がってはいけない。失望の悪循環をどこかで断ち切ることだ。
 しょうがないな!一つだけ私の人事管理法を披露しますか。
それは、集団の中での評価、宴会の席で直ぐに分かる事、誰も近寄らない人間は駄目、汚い話だが唾を飛ばしながら話し込んでいる連中はOKってことですよ。

1315:時流を読む

テレサテンの歌で『時の流れに身を任せ』という歌があります。女性歌手で私が好きな歌手のベスト1、異国情緒たっぷりで彼女の歌には心を感じます。
 この世で絶対なものは時間だといった方は誰だったか?星を見つめていると無限大”時空”への憧れ、不可思議な世界の扉を一度開いてみたいと思う。我が真言宗の観法は外に限りなく心を開き、内にまた引き込んでいく。月輪観やア字観と言われる瞑想法。
 今風に言えば”時流を読む”といえばマスメデアを通じて情報を得ることは誰もができること。ただし、情報源はあまり根拠の無いものが多い。週刊誌などは最たるもの、如何にセンセーショナル話題を面白おかしく書くかということになる。
 某週刊誌が取り上げた、小沢流人事・・・次の総理は亀井・・というもの、まだ鳩山政権になって2カ月ちょっと、気が早いと言うか無責任というのか。出版社の企業モラルを疑う。言論出版の自由は書く者の責任と読む者の常識があって機能する。いくらなんでも鳩山総理に失礼であろう。パッシングというよりも卑劣さを感じる。石田がもし生きていたら「租にして野だが卑にあらず」とは全く違った現実に愕然としたに違いない。
 文字離れが激しく、購読者が減って新聞業界としても死活問題。ただ、週刊誌やテレビと比べれば、まだまだ常識を弁え、思想的根拠も認められる。私は、パソコンのお気に入りで3大新聞と地方紙、それにNHKのHPを登録している。
 トップページを開くとその日の主となる記事が微妙に違う。いま便利な世の中になって、瞬時のうちに情報を得ることができる。画面上の情報の弱点は、点であって線にならないこと。線にするには物理的に無理、限られた画面の中でしか表示できないからだ。新聞ならば読み比べができるがインターネットは画面の切り替えでしか次に進めない。記憶力が衰えた私には線にならない。これはどうしようもない。
 情報は別に無くても生きてはいける。実態はそうではない。より早くより多くの情報を得ようとするものだ。昨日、問題になった経産大臣の勇み足、インサイダー取引になるやも知れず、政府は即、遺憾表明をした。
 事業仕訳も4日間、どこかの体育館を間仕切りして公開でおこなった。印象的なものがあった。文科省の外郭団体の女性理事長との遣り取り、「一方的でこちらの意見を聞かないのは心外だ」を必死の形相で繰り返していた。多分理事長は天下り、費用対効果など無関係で理想のみを御旗に掲げてやってこられた方だろう。それが公衆の面前でカメラが回り、イジメ(?)にあったのだから当然の不満?  でもよ国民の反応は冷静だ。あんたら今をどう見ているんかい?と言いたくなった。ふざけんな!高額給与に疑問を感ぜず、大した仕事もせずに、理想を掲げて問題先送り。いつまでやってれば気が済むの!
 事業仕訳に法的根拠がない。これが致命的、つまり、強かな官僚が有る程度は予想していた展開で、いざ改革を実施しようとしても複雑な縛りを何重にもして根負けする仕組みになっている。
 でも焦っちゃだめですよ。何にも知らされていなかった国民が実態の片鱗を知っただけでも良いのです。
この点に関しては、何も過去の政権与党だけの責任ではない。割合からすれば当然与党が大きいでしょうが、それを知っていて表に出せなかった野党の責任だって同じだ。生ぬるさ慣れ合い癒着、これを根本的に変えなければだめでしょう。
有権者の責任も大きい。税金への不満は言えどその使い道に無頓着、それもこの際大いに反省し、一人一人が関心を持つ事でしょう。 やるべき事 言うべき事 その核心が少しずつ見えてきたように思うのは私だけではない。

1316:悩み多き者よ

市の認定審査会は夜行われる。開始時間の午後6時半は閉庁後だがいつも電気が点いて残業を行っている課がある。障害福祉や老人関係の職員が目立つ。昼間は来客に対応して時間が取れないから閉庁後、事務処理を行っている。
住民は様々な要求を行政に持ちかける。その対応に丁寧に応えていかなければ直接市長まで苦情を持っていく時世。
 私もここ数年は行政への要望を強くしている。かなり意識的にやっていることは認めましょう。それは何故か?我々の仕事は最前線、一刻の猶予も待てない事が殆ど、担当がいないから後日に再度電話をといえば相手が態度を急変し攻撃的になるケースが増えている。
 常に臨戦状態というのは、体力もいるが精神的なストレスが大きい。
制度がドンドン細かになり複雑になっているから尚更である。これが仕事よと割り切るには責任が重すぎる。
 互助の精神が希薄となり権利を主張する世の中になった。それと必ず制度の狭間にあって、サービスを受けられない人が出る。これは実は解釈の問題で、制度に合わせるから落ちこぼれが出る、そうじゃなくて人に制度を合わせるべきなのだ。これ社会福祉の常識。そうじゃないだろうと幾ら口酸っぱく言っても分からない奴は分からない。制度に縛られるのではなく、弾力的に運用しようとしなければ無理でしょう。これには必要以上の労力が必要だし説得するだけの根拠がなければ駄目。面倒臭い事この上なし。ここで止めてしまえば、ハイそれまでよ。植木等の歌にあったっけ。
 人間相手のサービスの難しさは多様性、バランス、それにタイムリー、どれが欠けても不満が生じる。
それと時流を読むことも大切です。福祉現場で良く見かけるタイプに経験にドップリ浸かってしまった者がいる。情報を遮断し、俺が一番と錯覚している。周りが読めないから自分の役割が分からない。ただ従来の仕事を何の疑問も感ぜずに流している。これが実に始末が悪い。福祉業界の最大の弱点が実はここにある。経済界は問題外、福祉が医療や教育に後れを取った最大の原因がここにある。自らの考えを相手に伝えることができない。ただ何となくどこかから持ってきた福祉論をチラつかす。文章力が無く、言葉での表現力もなくて、貴方は何を武器にして戦うのですか?愛情?
 ここにいち早く気付いた者は日日努力しているわけ、時流を読む為に。
 年功を重ねるだけで昔の福祉現場は認められた。その時代が長過ぎたという反省を関係者全てが持たねばならない。
誰しも憎まれ役には出来ればなりたくないものだ。その為に、妥協妥協でやってきた。そして、犠牲になったのはサービスの提供者ではなく、受益者本人だ。不況の真っただ中にある日本。今までのような外国に物を売って外貨を得る方法は確実に困難となっている。ならどうする?
 毎日のように就職希望の問い合わせが入っている。その中で昨日こんな電話があったという。「お宅には職員宿舎がありますよね」と尋ねられた。「いま、GHとして使用していますので有りません」と答えると、少し考えてから応募しますと言って電話を切ったという。派遣切りが依然として続いている。つくば市のシンボルであるセンタービル、空室が目立った。最近はテナントが埋まっている。聞くところによれば、殆どが人材派遣会社の事務所だという。
 丁度1年前、介護職場の人材不足が深刻でメデアも記事に取り上げた。今それが急速に姿を消している。何故か知っていますか? 福祉職場の安定に魅力を感じている人が増えたということ。求職者が昨年の数倍に私の施設ではなっている。だからいって此方側の想いは全く変わらない。良き人材は大いに歓迎するがそれ以外は冷酷と言われてもハッキリと断る。このスタンスは微動だにしない。悩み多き者よ、いつでもどうぞ!

1317:次なる段階

事業仕分け作業の前半が終わった。公開という前例に無いこのやり方は、一体誰が企画したものか。カメラを入れ、仕分け人に民間人を入れる。穿った見方をすれば、実に計算されたものと思える。つまりだ。マニフェストを実行に移す際に、全てその通りに出来るとは国民誰も考えていない。ならば先ず前政権の残した実態の暴露から始めよだ。これだけのムダが有ったでしょう。いまその必要性は?と問えば、各省の担当者はタジタジ防戦一方、硬直化した官僚体制の弱点を突くには絶好の場となる。何しろ国の行政組織の人事異動は有事程頻繁に行われる、ポストに就いて1年経っていない者がいくら頭が優秀でもその辺の事情を分かるはずがない。国会審議では、事前に質問内容を届け、その回答を省庁あげて作成する。だからそれ程大きな齟齬はきたさない。一番嫌がるのは予定に無い質問をする議員、その辺の事は暗黙の了解があって、国対議員が与野党にいて、官僚と共に適当な所で手を打ってきた。実態はそうじゃない?知らないけど、穿った見方をすればね。でも有権者はそのようなルール軽視の先生にエールを送るものですよ。これをギャップと言います。
「後日、理事会にはかり協議致します」という委員長発言、これが曲者で、その後どうなったかは公開されません。
 事業仕分けは、予算の削減ではなく、使い道の中身を変える為だという説明に微妙に変わった。コンクリートから人へ、良いですね。頑張ってみてよ。でもね再三穿った見方で恐縮ですが、担当大臣も同じ民主党でしょう?原口さんが、部下を引き連れ仕分け会場に突然姿を現した。あの時、某民間テレビの正月娯楽番組に彼が誰の役をやったのかは忘れたが、裃着て殿中を颯爽と歩く場面とダブったのであります。何か意見でも言うのかなと思ったのでしたが、そのまま帰っちゃった。あの時自民党の平沢議員も何かの役で出ていたな!役者にしたら最高だ。大変失礼な事を書いてしまった。チョト反省。何を言いたいかと言いますとね、どうせ公開するのなら、大臣が省に戻ってからどう対応するかという所までカメラを入れたら良いでしょうと言いたいのであります。それだけの発想が果たして有りますかどうか????
 それにしても我が業界は酷いものですよ。夢中で3年間、新法を勉強したのです。高額な研修参加費を払い、膨大な資料を持ち帰り、いま私の机の周りにその時の資料がうず高く重なっています。どれが現在有効なのかどうか考えるのも嫌な位です。それが、マニフェストに廃止ときた。障害認定の有り方も抜本的に変えます。それじゃ、いま眠気を我慢して夢中で資料作りをしているのが何になるの??
 それにしても障害者自立支援法の話は一言も出てこない。やっと検討会議を立ち上げるという情報が入りました。
それまで待っていられませんよ。業界団体が崩壊しますって。私共の業界もここにきて俄かに忙しくなってきました。
11月も半ば過ぎたのに東京に2回ですよ、緊急に招集がかかったのが。
 私なんか法事の変更が効かないんだから、内の事情も少しは考えてよ。
次なる段階を静かに息をこらして見守って参ります。good luck!
 

1318:現場の思い

”ああでもねーこうでもねー。うじゃーこうやっぺー。だめだこりゃ”
神立町にある某施設の現場、いつもの風景である。様々な人達が関わっている。確実に時が過ぎ、若く溌剌としていた時代は遠くになりにけり。
 私が勤め始まったのは昭和48年である。当時は児童だけの入所施設、定員が50名、夜間はたった一人で宿直、いま思えばよく出来たものだと感心する。無外や喧嘩は日常茶飯事、いま流行りの障害認定ロジックによれば”常態像(?)”
でしょうかね。新人の男子職員はガラス切りから学んだ。当時のガラスは薄っぺらで開け閉めでも割れた。それと下水管掃除、自分たちで埋めた下水のビニール管は頻繁に詰まった。青竹を割り数本つないで管に刺し込み、突っつく。大体、それで上手く流れるのだが、繋ぎ方によってはビニール管の途中で竹が抜けてしまい取れなくなる。そうなれば仕方が無いスコップで掘り始める。これが作業だった。椎茸の原木を切りだした山に成人寮が建ち、下水が溢れだし、何度となく謝りに伺った田んぼに通所型の施設が建った。農耕班の畑の近くにグループホームが何棟か建ち・・・・・
 時々私は昔を懐かしむ。
 利用者さんの動きは予測が難しい。Kさんは、何故なのか知らない、自分で作った請求書と領収書を配るクセがある。通院した時は付き添った職員は大変だ。看護師さんやドクターにまで、彼は請求書を配る。一連のセレモニーが終わらないと通院が終了できない。それと、担架で運ばれた患者さんに向かって、”死んだのか?”と問いかける。
 またIさんは、私の所に自ら書いた家の設計図を持ってくる。なんと13階建て、何故だかしらない、いま建物の改修を始めた。個室を5部屋作ることになった。そしたら案の定、不安定、エアロビに行ってインストラクターに掴みかかってアザ。
相手も頼もしい。「今度は負けないように鍛えます」と言ってくれた。
彼等のパワーは半端じゃーない。一貫している。。
 請求書配りは30年前からやっている。多少耳が遠くなり、補聴器は付けている。
設計図も相変わらず、「ああ分かったよ。いまーに建てるからな」と曖昧な回答は通じない。「おうちたててください。おうちたててください。・・・・・・・」これを延々と言い続ける。初めての人はサイレンでもなっているのかと思う程。
これら全てを圧力と取るか!チクショウ負けてなんかいられねー。そう思ってはみたけれど多勢に無勢、こちとらの勝ち目は限りなくゼロ。だってそうでしょうよ。苦労して苦労して建てた建物、何故だかしらない、彼らは集団で壊し始めるんだ。
 昨日、娘さんを亡くされたお父さんから葬儀お礼の手紙を頂いた。そこに綴られた娘さんとの数々の想いで、自らは地滑り研究で日本の第1人者、毎週1回の絵画教室に来園されたお父さんは娘さんが仲間と一緒に絵を描いている傍でいつも見守っていた。挨拶の文章には一貫して、38歳で亡くなった娘さんへの感謝の想いが書かれたあった。

1319:体感速度

実際の速度より早く感じる今日この頃、体力と同様に気力も衰えた。日課がもうパターン化し、寝ている時間が長くなり、その間がスッポリと記憶から抜ける。体が睡眠を要求しているからだと分かっていても、なんだか勿体ない気持ちになります。皆さんも同様の感想をお持ちではありませんか?と。昼夜逆転?
 先週、地域の人達と芝刈りをしました。初めてのコースで厭らしく、ボールの行方が定まらず、苦労致しました。でも最近の芝刈り場は電動カートに乗って動くものですから、苦労している割には疲れない。私達の前に3人組の方がゆっくり楽しんでいまして、待ち時間が長くて流れが悪く閉口しました。構わない・・・打ち込んでやれ!その時、同じ組の方が、「どうも そんな気がして仕様が無い????」とか独り言。「なんですか?」と尋ねれば「その道の人達かもしれん」打ち込んで後でホニャラホニャラ、「ギクリ」そう言われると真っ赤な襟のシャツが妙に感じられ、「焦ってもしようがないか、ゆっくりやりましょう」という事になったのです。
 万事が万事、最近こうなのです。セッカチというか落ち着かない。これもまた年のせいでしょうか。
結果は、ホレ言うまでも有りません。45:44とグロス89、ハンデイもあって、優勝。 芝刈りなんて簡単なスポーツですよ。
 昨日あたりからチョト腰の具合が????
・・・・今から法事が有りますんで・・・小休止。
法事もスピーデイに終わりまして、即、着替えましてね、11:56発の特急スーパーひたちですわ。どうにか間に合いました。はい。席に座ってホッとしました。そしたら携帯ですわ。”モシモシ 緊急かな?なに?”「ありゃー」後で再度電話するからと切った。
 今日の寄り合い(?)は浜松町、増上寺大門の側、ま!いつ来ても賑やかな場所ですね。会場は地下『K』とか言っていたな。急だったからパブかスナックを借りたのかと思いきや、そのビルは見事ですね。会議専用のビル、東京はこんな商売が成り立つんだ。勉強しました。
土浦じゃー無理だわな。
 風雲急を告げると言いましょうか、周囲が大分騒がしくなって参りましてね、また月末には寄り合いのハシゴ。
落ち着かないのは、何も年齢のせいだけでは無いようです。
 ゆっくり温泉にでも浸かって・・・・・・ムニャムニャ。このご時世で3連休とかいってハシャイでいる方はどなた?
多分、いないよね。今日明日と私は坊様に成りきりますんで、。体感速度は程々が一番!・・・・・日曜朝記。

1320:通信媒体

『現代人の多くが仮想現実の通信媒体の中で生きている・・・・・』これは評論家?柳田邦男氏の「こころの時代」で語った言葉の一端。ご存じのように彼はジャーナリストとして飛行機事故や医療現場の実態を取材、その闇の部分を白日の下に曝け出し、多くの読者の共感を呼んでいる。彼は突然起こった次男の死を深く受け止め、自らの人生を問い続けている。
 カーソン著『沈黙の春』を知った。これも彼の話からの情報、現代人は便利さを追い求めてきた。携帯・テレビ・PC等の呪縛から離れる事ができない。常に斯様な通信媒体を側に置かないと不安になる。バーチャルな機器に依存症になっている。一方通行の情報にドップリ浸かってしまった我々は人間形成の上で自己中心的な生き方へとドンドン落ち込んでいく。
その結果、様々な事件へと繋がっていく・・・・・・
 彼の最近の著作『みんなの絵本から』は、今までの評論活動の集大成だという。早速、アマゾンで3冊(「沈黙の春」を含む)を注文した。
 三宅アンカーが最後に尋ねた、「柳田さんの活動のエネルギーを一言で言えばどうなりますか?」それに対して「やりたい事を捨てずに、歩み続けてきたこと全てがコヤシになっているという事」と彼は答えている。”コヤシ”という一語に何か違和感を感じたが、良く考えると彼は栃木県で生まれている。彼流の言語表現なれば、もっと格好の良い言葉もあったに違いない、だが”一言で言う”という注文に自然と出た言葉が”コヤシ”だったと私は推測する。
 人間誰しもいつの日か死を受け入れなければならない。息子を先に亡くされた柳田夫婦の行き着くところ、奥さんは絵本作家だと後で知った。それで『みんなの絵本から』というタイトルが私の中ではつながった。
 此岸での人間模様、紛争:事件:事故・・・数え上げたら切りが無い。いつ終焉するかも分からない。有史以来「記憶と考える力」を持つ人間だからこそ、絶えまなく続けてきたこと、涙あり笑いあり悲しみ、妬み・・・これを全て受け入れるには私自身のキャパが小さすぎる。
 ならばお前はどの道を選ぶのか?  最大の人生のテーマ。
これに対してラジオの中で柳田が一つの例を出して説明している。
英国かどこかの浜辺にいっぱいのヒトデが打ち上げられた。一人の青年が一つ一つ海にそのヒトデを返していた。そこに男性が近寄って来て「お前がいくらそうやってヒトデを海に返したって、たかが知れている。どうしてそんな無駄な事をやっている!」と言った。それに対し、青年は「この世に生まれてきた物が、ほんの少しでも意味ある人生を送る事、まずそこから始めないと」と答えたという。
 現代の日本を見つめ感じる事は、自分の事はさておき、どうしても批判的になり、将来の子供たちに負の遺産を残すことへの焦りを誰しもが感じている。
今、この瞬間を楽しめばそれで良いと心から思って生きている人間はいない。これは何をどうしたら良いのかという答えを持ち得ない人達と同体だから。だからこそ、自分自身のできることから先ず始めよ。そして共感する仲間を少しずつ増やしていくこと、これ以外にはないんじゃないだろうか。

1321;JAL経営是非論

JALは昭和40年〜50年代には学生就職人気ベスト3にいつも入っていたように思う。それが今、経営の危機に瀕している。昔から国営企業的色合いが強く、時代の先を常に行く花形企業として長い期間その確固たる地位を占めていた。一方、ライバルのANAは国内路線を受け持ち、JALとの棲み分けが上手くできていた。それがいつ頃からか両社が国際線でも熾烈な競争を行うようになった。
 JALには老舗感覚があって、サービスや社員の対応にこれでは駄目だと思うことが何度かありました。案の定、JALは膨大な赤字経営となり、自らの経営努力では二進も三進も出来なくなり、公的資金の導入が検討されている。JALのOBの受けている年金は、知って驚きますよ。月なんと50万になると言うのだ(平均値ではありません)。前原さんが大分頑張っているが、果たして企業年金を半額にするという方針は組合が飲めるのか?これなくして公的資金を導入したら駄目ですよ。
 門外漢の私だからなんでも言える。アメリカのGMと全く同じでしょう。自分たちが貰うものは税金であろうがなんであろうが当然の権利だという??今の日本で果たして年金が月50万、それで公的資金を受け入れる????これではどう考えても国民の理解は得られんでしょう。老後の生活設計が狂うと話していたOBがいた。約束を守らないから同意できないとも言った。正直、腹が立ったね。あんたら何だと思っとるんかい。これがJALの時代錯誤の企業体質と言わずして何と言えますか!怒りだ。喝喝喝3連発でも、まだ足りぬ。
ここで民主党がどう舵取りするかだ!注視して見ていきたい。JALは一度破綻してもいいんじゃないでしょうか。全くゼロから出直すべきでしょう。無責任でしょうか?そう思う人は大勢いると思うな。老後の設計?約束?そんな綺麗ごと言っている場合じゃない。反省が全く感じない。こっちのほうが無責任じゃないだろうかね。
 民間企業という意識の無さと奢りをどこかに感じてしまう。JALという会社が無くなっても何にも困りません。外国の航空会社が必ず運行しますよ。もっと効率の良い自立した経営をしながら、オーストラリアに行って感じた事があった。なんという会社だったか?カンガルーマークの会社では無いことは確か、この会社はスピーデイでサービス網が凄い。運賃も安くサービスだって良かった。上手く表現できないが、痒いところに手が届く経営とでも言ったら良いかも。
 どのような理由を付けても公的資金を今の条件で呑むような事があれば次回は民主党に私は投票しません。
その辺の自覚が無ければ、これから日本は外国と勝負できないんじゃーないですか。利己的な会社は滅びるだけです。
 是々非々で判断すると政治家は流行り言葉のように言いますよ。何をもって是とするか?それは国民同意という物差しでしか測れないでしょう。
 自殺者が毎年3万人を超える国って異常ですよ。それも11年間連続です。ここに勝ち組負け組の論理は関係ない。
 公的資金というものは、当に血税です。本当に資金導入する判断とその説明責任が果たして出来ますかね。必殺仕掛人がここにどうメスを入れるかだわな。
 JALの経営は今だって旧態依然としたものが多い。天下りだって随分受け入れてきた企業だ。国と企業の癒着で生き延びてきた末期の姿、誰が責任を取るでもない。それこそ、そこで働く社員とOBが痛みを分かち合うしかないでしょう。もし、いま、公的資金を受けたらJAL再生の未来は無くなる。その判断の根拠?OBの減額分が30%、現役が50%という企業判断で一目瞭然というこった。せめて、その逆なら言い分を聞いてみても良いような気もするが。
 そのルールだけは譲れません。また、この問題は今後の日本の有り方を左右する大きな問題でもある。権利を余りにも強く要求し過ぎる社会はギクシャクした関係を築くだけ。武士道精神の影形も無い。
ここだけの話、もし私が海外旅行に行く時に、JALを選ぶ気になれない。これが何を意味するか、OBには良く考えてもらいたい。貴方達の時代は終わったということが良く分かるはずだ。安くてサービスの良い飛行機はいくらでも飛んでいますよ。
 国民の血税で自分たちの幸せを得るという発想そのものが今のサービス企業に馴染まない。そのことを今こそしるべきなのです。
蛇足です。ゴルフ場の会員権ですが、会社の破綻で高額な会員券は紙切れ同様になったでしょう。あれ、公的資金を入れたらどうなります???税金で預託金を返してもらえますかってんだよ。これが常識。自己責任です。
*JAL以外に企業年金積立不足額が1兆円にならんとする企業もあるという。もし、同様に公的資金を導入するとなれば日本が一民間企業の為に崩壊するということになるかもしれない。政治決断でしかないわけだ。

1322:one of them

one of them とは、”複数要因のうちのひとつ”という意味である。
 No:1321でどうしても言い足りないモノがありムカムカしていました。その時にある方がいみじくも言い得た言葉に”one of them”があった。今回のJALへの公的資金導入の是非論は、企業年金のことだけがクローズアップされているが実はそうじゃない。その他大勢の中の一つだと。反対側OBの言い分は、自分たちは給料の中から積み立て年金を老後の生活設計に活かすために予定したもの、満額貰うのは当然の権利だという、果たしてそうでしょうか?確かに企業年金の積立から貰うのは当然でしょう。でも現実には不足額が3300億円、年金の運用利ザヤが減ったという要因だけでは無い。誰が4.5%という今で言えば夢のような高率の設定をしたのか?これはJAL内部の問題です。税金を投入してまで貴方達のミスを補足すべき事ではない・。
 寧ろ国民の大多数が言いたい事は、その事ではなく、”them"のほうだ。貴方達は、日本のトップ企業という座に胡坐をかき過ぎた。トップ企業ならば、それなりの業績を上げるべき、実態はどうかと言えばホテル経営然り、様々なグループ企業が軒並み赤字経営、自分たちの働きに応じた給与を得ていればそんなヘマは起こさなかったはず。それが、困った時には国が助けてくれるという思いがどこかにあった。この甘えの構造は先の説明会終了後のOBのコメントにも伺えた。、貴方達は自分たちの力不足を認めずして、他のせいにするという取ってはならない体質から抜け出せないでいる。
 採算に合わない航路に飛行機を飛ばさざるを得なかった。それが経営を悪化する主なる理由だとも言う。しかし、民間企業で誰もがやれる上手い商売で勝負出来ますか?これは自らの努力を放棄し、最初からやる気が無かったことを如実に示していることだ。
 サービスの悪さは世界のトップエアーラインの中で、ドン尻だ。言い過ぎでしょうか?その端的な例が、JALの中に8つも9つも有るという労働組合、それぞれが主張することが違って、果たして航空業界の熾烈な競争に打ち勝てますか?
 会社内部ですら一本化できないのにこれから団結して業績改善ができるのでしょうか、いま、再生を拒む最大の要因がここにある。今回の公的資金導入を私が反対する理由もここだ。将来の再生を担保にできない税金投入は無謀だ。それなら、どのような法的規制があったとしても会社を破綻させるか、ANAかどこかの航空会社の傘下に入るかという道を選ぶべきだ。条件闘争で勝敗がつくレベルの問題では既にない。だから見なさい大株主はJAL株を一斉に手放し始めたでしょう。それから日本の空港はハブ機能がない。韓国や中国に世界の飛行機が集まる。そのような時に国内で2大航空会社が競っている時代ではないはずだ。
それともう一つ税金投入へ反対する理由。それは国内に企業年金だけをみても積み立て不足をJALと同額、又はそれ以上になっている大企業がいくつも有るということ。もしも今回、政府の温情極まる支援が、次なる企業へと連鎖し前例とならないのかというリスク。日本の舵取りはどこかがおかしい。新自由主義経済を謳歌し、格差は発展のための避けられない痛みとか勝ち負けは自己責任だと言って来た人々、JAL問題に関して何ら自らのコメントを発しない。
”セメントから人へ”というスローガン、現与党の判断は如何に???
 何度も言いますが、利用者の立場になれば、鶴マークの有る無しは関係ありません。もし、万が一、JALが再生出来たとして、それまでにどれだけの更なる繋ぎ資金を政府保証で行うと言うのですか?昨日の時点で、前原大臣は1000億円のJALへの繋ぎ資金を認めるとか・・・・・・フーム。
 方やマスメデア公開の下、仕分け作業が後半戦に入った。1企業へ政府が担保して1000億と言う多額の金を融資する。それと同時進行で無駄を省く作業を必死で行う。これって矛盾しませんか?
 鳩山さんがワザワザ仕分け作業中の現地視察を行った、ある記者が言っていました。「鳩山さんはどうでしたか?」という質問に「ボーとして見ていました」  ああ・・・溜息が出ずして、なんとしましょ。まだ言い足りない。ムカムカ。

1323:見極め

いつの世も本質を見極めることの重要性に変わりがない。何を残し、何を削るか?この作業は実は短時間で見定めることなど不可能、その事を当事者が一番分かっていることだ。日本人全てがいま真剣に自国の将来を考える時である。他人のせいにしてはいけない。できないと諦めても駄目だ。自らが発信源となり言い続ける事、そこから何らかの可能性を見出していく。この作業を一番怠ってきた国民が日本人だと思う。歴史を紐解くまでも無く、冷戦終結後、既に20年が経つ、西ヨーロッパに起こった欧州共同体(EU)はどんどん広がりを見せ、ベルギーの首相がEU理事国の常任議長に選出されるまでに至っている。冷戦対立時、世界で唯一、勝ち組になった国が日本だと言う。その根拠は?多分、敗戦後の経済発展がその一番の理由だろう。これも米国の核の傘の下で実現できた事を否定できない。そして時が流れ、世界の環境は確実に変化している。嘗てのソ連は民族や宗教によって属国からの独立を目指す国が増え、国名を聞いてもどこにあるのかも分からない国が周囲に新たに生まれている。これは属国を抱えきれなかった現実があるからだ。日本は先の大戦後アメリカの属国にならずに済んだ。白洲次郎などの勇侠伝がいま人気があるのは、その辺を探りたいという現代人の思いからだ。
 EUに対抗する東アジア共同体構想を鳩山さんが打ち出した。理念でOK、しかし現実はヨーロッパとは違う。
 中国と日本の関係が微妙だし、お互いが手を結ぶというよりも上手に利用しようとする裏心が見え見えだ。
 小沢代表が、念願だったという中国視察団?なんと国会議員140名を含む総勢600名の大視察団、この日程に影響があると、国会審議を早く終えたいと言う。これも一部マスコミの作為的報道かもしれない。しかし、何故、いまそれだけの多くの人を中国に送る必要性があるのか?かかった費用は公表するんだろう多分。
 レイチェル・カーソン(1907〜1964)が著した「silent Spring」(沈黙の春)は歴史を変えた20世紀のベストセラーと言われている。それは何故だと思いますか?
 化学薬品の乱用により人間は自然を破壊し続けてきた。これ以上続けばこの地球が恐ろしい結果になると彼女は自らの専門である海洋生物学の視点から最初に告発し、かけがえの無い地球の為に生涯(56年)をかけて闘った女性だ。
 いま、ご存知のように核廃絶を訴えたオバマ大統領の支持率が下がっている。それは経済政策への不満と先の政権がやり残した中東問題、いずれも決定打に欠く、またもや泥沼に足を取られるのかという不安と失業者の急増が支持率低下の大きな要因であろう。
 先のカーソンは世界大戦を経験している、それでも彼女の見つめる先は一貫したものであった。自国のみの繁栄ではなく、この地球の将来への危機を訴えたことに価値がある。
 地球が滅びたら元も子も失う。その変化は急激に表れない。病気が徐々に人間の体を蝕むように、しかし、確実にやってくる。その兆候が様々な所に出ている。その事をどうして真剣に問い続けようとしないのだろう。
 ここだけの話をさせていただこう。本人には了解を得ていないから支障がない程度に。就職を希望された方が昨日私の所を訪れてきた。彼女はJICAの派遣でチェニジアに2年間行っていた。聾学校での支援メンバーとして参加したという。大分以前、ネパールの山奥の病院でたった一人で裸足で頑張っていた看護師さんの事をふと思い出した。
 いま、JICAの活動を希望する人が減っているという。
これと全く逆の動きがある。現政権の仕分け作業、JICAへの手厳しい意見が飛び交ったという。仕分け人の中で果たして何人が外地に自ら足を運び、実際の活動を経験したというのだろう?多分、皆無だ。そうでなければ 自らが裁判官みたいな言動はしない。
 自らの生命の危険も顧みず、多くの人々が今も活躍している。。
 そうかと思えば、鳩山総理の裏献金疑惑報道、我々は一体誰を信じ、この国の舵取りを託せば良いのでありましょうか?もしもだ、マスコミの使命として真実を報道するということであるならば、本当に報道されて然るべきJICAスタッフの実践や福祉現場の過酷な労働を取り上げるべきではないだろうか?
1週間の中で3日は1万円以上のデナーを食べている鳩山さん、我々が毎日付き合っている知的障害者の人達の1カ月の労働に対する対価はなんと全国平均で月1万円に達しない。ここにカメラを当てずして、誰しもが友愛精神を共有することなどできやしない。
*そうそう、小沢さん、新人議員に地元に張り付けと指示をだしたとか、そんな事言わんでJICAで1年でも外国で実践させた方がグローバルの時代には勉強になりませんかね。余計な事ですが。現政権に対して有権者がじっと見つめています。”見極め”こそ大事なり。
 

1324:不倶戴天

”不倶戴天”とは”倶に天を戴(いただ)かずという意味である。あれだけ仲が悪かった野中さんと小沢さんが手を結んだとかしないとか。これも山手線の宙刷りからの情報だからなんてことはない。しかし、今は何でも有りの世となった。思想信条は関係なく、陰で様々な動きが繰り広げられていることは事実である。
 
さて、ここ2日は大変忙しかった。寺親戚の法要があった、法事と言っても在家の方とは趣を異にする。なにせ坊さんだけでも30人程集まるから、当家の気苦労は大変なもの。無事終えて直ぐに水戸まで、今回は電車を利用した、飲んだら乗るな!だものね。駅前ホテルを会場に、某会の関東地区大会、なんだかしらないが宴会に行ったようなもの、しょうがない何度も電話で来るように言われたもんだから。業種は違っても、同じ福祉の仕事、他県の人と直ぐに打ち解け、集めた名刺が10数枚、途中で失礼し、宿にしけ込んだ。翌朝、早く、今度は東京へ、浜松町近くのホテル、これは日本知的の緊急評議員会、1時からの開始時間に滑り込む。
 後日、事務局より正式に発表があるだろう。現執行部、正副会長全員が辞任し、新たな体制で臨むことに相成った。
現執行部は、前例がない程の、激動の時代を受け持つことに。当に”障害者自立支援法”との悪戦苦闘で明け暮れた。
 時々、開催される会議で会うたびに、執行部の皆さんのお疲れの様子がありありと見えた。様々な受け止め方をされるのは常の事、しかし、これだけは言える。自分の法人を持ちながら、中央団体の一連の仕事を行うことはやってみなければその苦労は分からない。
 現執行部の退任挨拶に、全員の拍手で労をねぎらった。新会長への励ましの小宴を駅近くで行った。顔も引きつり必死の形相、何か今でも信じられないという新会長へなんと言葉をかけてよいのやら???
何せ、今回の民主党(3党連合)への政権交代が末端の我々団体まで諸に影響しようとは、この船出もまた残任期間とは言え、厳しいものとなるはずだ。
 足元覚束なく家に辿りついたのは夜8時を回っていた。車は駅の駐車場へお泊りし、タクシーで帰った。
 今日は、私の両親の17回忌と13回忌の法要、大分前から声をかけ、兄弟の家族が全員集まってくれるはず、私の身内は孫11人が全て男子、生後1カ月から13歳まで、名前と所属が分からずに走り回って騒がしいこと、この上ない。月日の経つのは早い。親父に死なれてから、無我夢中でやってきた。その年月が丸16年。ついでになどと言ったら多分怒るだろう。昭和19年に9歳で亡くなった私の兄(尚一)の法事も併せて行う事にした。三人の遺影を並べてみて、何かホッとしたのは私だけでは無い。今頃きっと、両親と共に私達の事を見つめているに違いない。まだまだ甘いわな!苦労が足りないんだよと3人で言っているんだ。
 そう思うと、また、頑張らねばと思うから不思議だ。
 兄の顔を私は知らない。9歳という若さで両親と死に別れ、それから65年・・・・・・寂しかっただろうと思う気持ちは常にあった。
この想いがあるからできること、振り返れば全てが全てここにある。

1325:しあわせ

今日は利根町徳満寺の地蔵市、毎年お邪魔するようになって既に20年位になるだろうか?その席で布教を頼まれる。住職より「テーマは何を?」と電話で何度か催促、「なんでもかまわねーそっちで決めてくれや」と言うと、「あっそー、うじゃー『しあわせについて』にしておくね」ときた。「あいよ」とは言ったが、待てよ、これって一番難しい・・・・・
 私はぶっつけ本番、出たとこ勝負式の話しかできない。いままでこれで通してきたんだから、今更変えても仕様があるめー。
「幸せ」???。一つだけ私流のネタ元を紹介しますと、和英辞典である。和仏辞典はどっかにいってしまって見つからない。
幸せ=@happiness   Afortune  Bluck と3つの言葉が出てくる、それを変換してどんな文章があるかと考える。
@ I have never been happier。「今、最高に幸せです。」
A He is fortunate to have such a good wife.「あんな素敵な奥さんがいるなんて、幸せ者よ」
B I was lucky to see her there.「そこで彼女に会えたのは幸せだった」
って事になるわけ。日本語で考えるのと英語で文章化するのでは微妙に違うことが分かりますよね。つまり、言葉は肯定と否定が一つの語で簡単に変わるということですよ。すると 仏教の言わんとする要が見えてくるような感じになりませんか。・・・一寸先は闇。ヌカ喜び。表裏一体。という日本語特有の表現に繋がって。極めつけは空即是色・色即是空となるわけ。
 つまり、諸行無常 是生滅法 生滅々已 寂滅為楽となるわけ。 わかりまっか?
坊主の説法なんていい加減なものですよ。自分で言うのも可笑しいのですが、本当にそう思ってるんだから。
 大層らしくしゃべってよ、ほなら 自分でやってみーと尋ねてみて下さい。赤面して逃げ出します。そんなもんですって。
だからですよ、”不立文字”などと看板が立つわけですね。
 反省する切っ掛けにはなりますね。私なんぞ、話を終えた後は、いつも反省しきり、暫く立ち直れない。この繰り返しです。「あんな事、人前で言っちゃって いやー参ったな。ズッシーン」です。
 ところで、「しあわせ」ねー?ウーム、どうすっぺ。
♪幸せは 歩いてこない だから歩いて行くんだよ・・・一日一歩、3日で三歩 1歩進んで2歩下がる・・・・♪
 いやー参ったな、私の2つ目のネタ元を教える所でした。
本日、12時より真言宗豊山派本山特派布教師○○先生の法話が徳満寺地蔵堂にて執り行われます。

1326:よきにはからえ

さてさて、昨日は天気予報が良い方に狂ってくれた。日差しもあり、寒さも強くはなかった。延命地蔵が本尊、24日の地蔵菩薩の縁日から1週間、御開帳、近隣の人々が集まり、護摩の煙にあたる。いつ頃からの行事なのか?
 そこで、法要前の僅かな時間を頂戴して、「しあわせについて」と題したおはなしを受け持つ。
 その日10時から朝日テレビの番組を見てから出かけてきた。例の鳩山総理の献金問題、なんとなんとお母様から毎月1500万円それも5年も続いて、その額、9億円。ご本人の弁、「良く知らなかった」とか。開いた口が閉じないとはこのことか。お母様の石橋家が財産家、これは周知のことでしょう。でもね??
 何か、お殿様のように思えてきた。「よきにはからえ」という感じ。我々平民はひかえろ!ひかえろ!
だって、そうでしょう。本日のメーインイベント、護摩法要には、皆さん、思い思いにカバンや財布を持って参加、それを坊さんが預かり、護摩の煙にあてる。少しでも収入が増えて楽になれればという。涙ぐましいじゃありませんか。また、上着や襟巻も同様、これは、健康を願うためですよ。
 これがどっちかと言えば、国民感情でないっすか?そうでないすっか?
 それが、何度も言いますが、1カ月に1500万戴ける。お母様から。はい、税金を流用したんじゃー無い、身内のお金。
 いま、政権を取り、バブル気味の人気がありますね。ご夫婦仲良く、週末のショッピングとか・・・あまり報道しない方が良いんじゃー無いの。有るところから税金を取れってどこの政党が言ってたんだか、分からなくなっちゃた。埋蔵金だってそうじゃん。何も独法関連だけのもんじゃねーじゃんよ。
 ”友愛”とはこれ如何に?彼は英語が堪能、だから最初、「you & I」からもじったのかと思いました。貴方と私の精神。
とすると、雲上人の生活はあまりオープンにするとマイナス効果が大きくなりますよ。ご家老!否、幹事長、ちょっと規制したほうが良いのでは。だってそうでしょう。一人親世帯の収入は先進国の中でビリ?という発表を、現政権の厚労大臣が発表しましたよね。あれを聞いてショックを受けた方いますよ。
 このギャップをなんと我々庶民は理解すれば良いのでありましょうか。原点に返れ!浮かれている時か!と私は言いたい。
 組織は、内部に言えない雰囲気ができてしまうと、自ら崩壊します。それは単純な理屈。間欠泉というものと同じかな。
見えない所でストレスが溜ると一気に吹き上がる。冷静に見てですね。先の政権が残してくれた失態を原資に食いつぶすような舵取りではいけません。そう長くは持ちませんって。結局、丸投げしていた我々にも責任が大きいということになる。
 その事を気付かせてくれた功績は大。でも、国民目線と貴方達は流行語のように演説で言ってきた。言うは易し。
それから密室政治への批判も。その姿勢を見せるには十分な効果はあったでしょう。その代表格が事業仕分け作業。これだって実態を明らかにする入口の所、これからあの論議をどのように活かすのか、国民は見てますよ。
”よきにはからえ”では駄目。”よきにはからう”でないと。

1327:年年歳歳

2009年もいよいよ師走を迎えました。今年最初の忘年会を8名で新橋で昨夜行いました。ワザワザ東京まで行ってと思われるでしょうが、東京が中心だから仕様が無い。私は水戸で会合があり、終わってから土浦で車を置き、急いで向かった。
 新橋の日比谷口は人でゴッタがえし、いつもより多いと思ったら、自民党の谷垣さんが車にのって街頭演説をやっている。皆さん仕事帰りに静かに聞いていた。その横を潜り抜け、今晩の集合場所へ。中華料理店だった。
 気心の知れた連中だから、約3時間の宴はあっという間に過ぎ、お開き。次回は茨城、アンコウ鍋が良いとか、平潟辺りで見つけることになりそうだ。
 これから忘年会シーズン、果たして今年はどうだろう?いつ来ても東京のこの界隈は人で混雑している。地方にいては、この雑踏は分からない。同じ障害福祉を行っている仲間だから、自ずと話題はそこに落ち着く。つまり、今後、新政権はどうするつもりなのか?関係団体のヒアリングも始まっている。我が協会は、多少遅れをとったが、執行部も人心を一新し
エンジンフル回転でことに当たるしかない。
 田舎者の私には東京の賑わいは身に応える。昨夜も10時発の特急にどうにか乗る事ができ、寝てはマズイと自分に言い聞かせてはいたものの、ふっと睡魔が襲った。その瞬間、土浦駅の案内が目に付き、飛び降りた。乗り過ごせば石岡まで行ってしまうところだった。
 飲めない酒を飲んでしまう。意思が弱いといえばそれまで、でも付き合いを無碍に断ることはできない。もう少しアルコールに抵抗力が有ればどれだけ楽になるか、駄目だわな。
 さて昨夜のメンバーは8人中5人が法人の理事長、理事長なんて言うと格好付けてと思われるかもしれない。そりゃー独立行政法人の天下りポストなれば、名誉職で仕事もない。専用高級車で御出勤、それも週に数回。我々は全く違います。泊り勤務明けの理事長もいるという感じ。社会福祉法人って大半がそうじゃないだろうか?最近は違った人種も出てきて私など居心地が頗る悪くなった。良いとこ取りの連中が多くなったのも事実、そんな連中とは極力付き合わない。話が面白くない。本心が出せない。精々1時間の宴会で十分、昨日みたいに3時間も話が尽きないことなで有り得ない。
 御蔭様で私は他県の知り合いが増えた。これをどう活かすか。まっ 余計な事は考えないこった。
世の中は狭い。昨日の5人の同業者、偶然か4人が名古屋がルーツ、私の父も稲沢市で生まれている。名古屋は天下分け目の地、それ故にどっちに付くかで一族の存亡が決まる。これ実は人生の縮図?
 どうもこの時期になると年年歳歳同じような事が頭に浮かぶ。またかいな!と言われても仕様が無い。
12月、長年使ってきた電子手帳が壊れそうになり、思い切って手帳に書くことにした。多分失くしてしまうだろう。予定に追われる生き方を良くも続けてこれたと感心するが、少しずつ他に任せるようにしないとと思うようになった。

1328:談論風発

みんなの党に新たに加入を決めた川田議員を私は尊敬する。一党独裁を批判し、見事の決断だと私は思った。彼は自らがHIV感染被害者という重荷を背負って政界に入った。2世3世とは、そもそものモチベーションが違う。どちら側に付けば、集票に有利かなどを最優先にしない。もしも彼が今後経験を積み、真の社会を築こうとすれば、彼こそ一国のリーダーとして揺ぎ無いものとなるはずだ。私はその価値が有る人だと思っている。
 政治をこころみる若き人達に言いたい。貴方達は、本当に何をどうしたいのか!支援者よりも党の上役の評価を気にし過ぎていないのか。これが草食系男子というのでしたでしょうか?
 そんな自由気儘な話を昨夜、行ったばかりだからその余韻が残っているのだろう。数の横暴が目立つ。果たして是が理想の形?少なからず新政権に期待するからだろうか、他に取るべき方法が無いのでしょうか?強行採決、審議拒否・・・・全く同じ手法が罷り通っている。これで恥ずかしくないのか!例の如く私の病気が始まった。
 まーもう少し様子を見るしかないか。
 昨日、嘱託医の病院で季節性インフルエンザのワクチンを接種してもらう。新型ワクチンはどうかと顔見知りのドクターに尋ねてみた。来年になると思いますよ。「そうですか」としか言えなかった。
 生活重視より、何か違う方向に国全体が向かってしまった。ワクチン準備の遅れが、その端的な例でしょう。
 勇気とは違います。でも、自らの意見を言わない事が人徳と誤解している人も多い。仏教も解釈によってはそうかもしれない。”無”とか”空”という言葉が邪魔をする。何も分からない輩は、「何もせず、なにも言わず、ひたすら耐えること」を大事とする。絶対にそうじゃない。
 宗派の布教方針に敢えて苦言を呈せば、「宗祖の教えを広める」こと、そんな事言われなくとも当然だ。しかし、その手法に異議あり。小難しい教えを、あたかも会得したかのごとく振る舞う。これは大衆の目との齟齬が大きい。
 物欲を否定しながら、自らは高級車を乗り回す。それは周知の事実、この責任は大きい。これら全てを宗祖の力に委ねるのでは、余りにも酷いのでは有りませぬか。
 私は憎まれても構わない。僧侶としての生き様に大きな疑問を持ち、今でもその思いは重く、年と共に増している。
 今朝も早くから、Nさんは箒をもってイチョウの大木の落ち葉を掃き集めている。
最近、彼は水戸まで行っても自分で電車で帰ってくる。50歳に近い。
 

1329:窮余の策

人間、心底から信じられるのだろうか?いやそうじゃない、疑いというものがどうして付いて回るのか!と問うべきかもしれない。昨夜は殆ど眠れなかった。いつもの病気が始まった、次から次に頭に浮かんでくるものがあり、収拾がつかなくなった。
 2日間に渡り、こころの時代での放送、兵庫の門口さん、82歳というお歳で尚、前向きな生き方をされている。自助と共助をモットーに利用者1000人という大型社会福祉法人の理事長、阿弥陀仏の信心も深く、広大な敷地に彼の理想とする社会福祉事業を展開している。
 他県には大物?が沢山いるものである。これから15年後の夢を語った。人生悔いなし、最後は仏様に自らの命をお返しすれば良いと語る。実際にお会いしたくなった。僧籍にある自分が恥ずかしくなる。
 果たして自分がそこまで徹することができるのか?新型インフルエンザがどうのこうの、建物改築、職員、利用者・・・檀家、地域・・・・・自らの体調・・・・これら全てが自らの力の及ぶ範囲を超えている。ならば成り行きに身を委ねることができるのか! 任し切ることができるのか!
 どうにも枕元のノートに書ききれなくなり、飛び起きてPCを開いた。その時、窓を叩く音がした。「おはようございます」という声、みると檀家のIさんだった。彼は子供さんを亡くされて暫く傷悴状態、仕事が手に付かず、早期退職し家の周りの畑仕事を行っている。1年忌も過ぎ、今朝の表情は良かった。何か吹っ切れたようで安心した。朝の4時に家を出てダンベルを持ちながら歩いていると言った。今の時間5時5分過ぎ。
 確かに時間が解決してくれることは多い。人間は窮余の策で思いもよらない力を発揮するものだ。自己再生力とでも言うのか、だから万策尽きたと諦めないで欲しい。失意の底から這い上がってきてこそ、本物の力をもつものだ。暮れを迎える。特に自営業で金策に苦労されている方も多いことだろう。リストラに会う人も悲劇だが、自らの取り分どころでなく社員への給与を払えない経営者も多い。
 日本の現状はそれでも恵まれている。外国に目をやれば、悲惨な状況が改善のメドもたたずにより深刻になっている。
 こう考えて行くと心底から笑える状況は得にくいものである。自分からそのように仕向けないと、書店にはハウツウものが書棚の一角を占める。立志伝中の先人の教え、そこに共通するものは、何らかの信仰である。選択に迷った時の神頼みではないが、運・不運にはそれなりの根拠がある。人を裏切れば、いずれ自分が裏切られる。人を心底愛すれば、例え一緒になれなくとも気持ちは十分通じ合えるはず。
 そのような事を考えていたら、少し気分が落ち着いてきた。
”上見れば及ばぬ事の多かりき 下見てくらす これ好日!”ってこと。
 

1330:生命倫理

鹿児島県の某市長自らが綴るブログ内容に問題有り。それは生命倫理をどう捉えるか、公人としての域を逸脱し、自らの信条をインターネット上で躊躇いも無く暴走する。
 詳細は触れない。ただ、高度医療の進歩により、障害者(高次機能障害)が生命を長らえることが可能となったことは問題だと言う内容。そういう貴方の考えが問題だと私は言いたい。全日本育成会もそれに対してコメントしている。
早速、彼の背景を調べてみた。独特の考え方を持っている。彼のブログは日本一有名だという???私など全施連からのメールで初めて知ったから、ここまで持ち上げるのにも大いに疑問ありだ。
 しかし、医師不足の原因に追求した彼の主張もまた、挑発的である。正直、市民の評判がどうなのか????
 実は、昨日、一人の利用者さんを救急車で病院へ搬送した。朝の早い時間だったので、私は夜勤の職員と一緒に救急車に同乗した。幸い病院が受け入れてくれた。3人の救急隊員の見事な連携、一人として手を休めない。隊員からいろいろ尋ねられた2年目の職員は的確に要領を得た対応をしていた。感心した。
 搬送される本人は我が園に28年利用されている。彼は入所当時は多動で何度も無外をした。昼夜問わず。それが難治性てんかんという持病によって、徐々に歩行が困難となり、10年程前から車イス利用、大勢いる利用者の中で最も重度の方である。処置が終わるまでの時間がなんと長く感じたことか。家族と話をしながら待った。結局、重篤でICU入院となった。
 先の市長の弁によれば、この行為そのものが無駄ということになるのでしょうか?
国政の混乱も解決の糸口が見いだせず、お互いが睨みあう。それに市町村の首長が斯様な言動を繰り返す。何が三位一体改革だ!言い知れぬ虚しさを感じた。
 公人としての責任をどう弁えるか、その基本的なルールを学び得ない人が多いのも事実です。もしも私がそこの市民だったら、・・・・・。
 私は、今、有る法人の理事長から意見を求められている。「施設が終の棲家となりうるか?」彼は「施設」から「家」に改革しようとモガイテいる。一先に小舎制を導入、完全分離した5軒の「家」である。それと比べれば尚恵学園は旧来の施設そのもの。その理事長が最近利用者の方に尋ねた事を教えてくれた。「利用者さんの中にはここを出たいという方もいるし、家に戻りたいという人も・・・・」 法人創立10年目、傍目で見ていてもここまで全力投球している理事長を知らない。そして利用者達にこのように尋ねる事が出来る彼に脱帽する。
 どのような家を用意しても、本心から終の棲家と受け止めてくれる方はいない。それは何故か???
 障害が有る人達の多くが幼時体験を大切に持っておられます。家族と共に過ごした何年か、断片的で時間の繋がりがない。しかし、その想い出を持っているからこそ頑張れる。
 結局今の日本の福祉の実態はパンドラの箱に封じ込めるような状況かもしれない。その壁は強固で高い。ベルリンの壁崩壊時の番組を何日か前にやっていた。人為的に作られた壁が市民の力で壊される瞬間、その場に居合わせた人々、それを遠くから見ていて涙を流していた人、実はこれに良く似ている。
 障害福祉に携わる人々は、その場に自らの意思で居合わせた人達だ。残念ながら今の日本は遠くから見詰める人の数も少なく、関心すら示さない人々が大半だ。
 我々には最前線で壁と対峙しているという自負がある。一人の力には限界がある。だからこそ、施設というものが出来てきたという歴史があったのではないでしょうか? その事を無視した言動や誹謗中傷が存在することこそ、大きな問題ではないでしょうか?それともう一つ、我々自身の反省と再生する勇気でしょうね。私はそう思いますよ。