源究10  (NO131〜140)

131 内省&感謝 8/2 136 脱施設化!! 8/17
132 語り継ぎ 8/4 137 いい気なもんだよ 8/22
133 プロ野球? 8/8 138 入院と実態 8/29
134 歯がこけた! 8/10 139 無断で外出 9/3
135 54歳誕生日 8/15 140 地域移行のリスク 9/13

131:内省&感謝

7月28日: 私にとって忘れられない日になるだろう。理由は他言無用。
人との出会いは偶然による。すれ違いのことが殆どなのに一生付き合う羽目になる者もいる。どうもこの境界は良く分からない。しかし、これだけは確かだと思う。相手に自分との共通の物を見出した時や自分に無い何か研ぎ澄まされたようなものを感じる時。長い間にはどちらもメッキが剥がれるように色褪せてくるものだが、付き合えば付き合うほど光が増してくる場合もある。どうもこれはお互いが影響しあうことでお互いを磨いているのかもしれない。
 人間は感情に左右される。これは致し方ないことだ。感情の起伏には静と動、不安と安心、悲しみと喜びなどなど相反する二面性をもつ。しかし、殆どの感情は背中合わせ、時間や状況によって表になったり裏になったり交互に変わるものだ。その感情を左右する大きな要件、言葉がある。しかし、これはそれほど重要な条件ではない。むしろ、行動や心が大きい。「こころ」というものは厄介なもので、哲学や宗教の範疇になるのかもしれない。
また宗教や哲学というと何か得体の知れない難しいものということになる。目指すところはいかなるものでも然程変わらない。生まれてから死ぬまでの間の事、方便として死後の世界や現世で如何に生きるかという解説をする。
 それなりの主義主張はある。しかし、我々凡夫にはどうでも良いことかもしれない。身近に必要性を感じない者にとっていくら声を大にしても聞く耳を持ってくれない。
 むしろ、すみません(内省)とありがとう(感謝)と素直に言える人間になればいい。

132:語り継ぎ

親が子に語り継ぐ、また、その逆も有り得る。
住む場所が離れていると嘆く親たちがいたとする。先日の毛利さんの楽屋話で気がついたことだが、宇宙から地球を見ると大陸と海の隔てははっきりしてはいるが国境など分からないという。それなのに人間はその国境を問題にして争いごとを有史来繰り返してきた事をどう考えればよいのだろうか。争うことに何故人間は終止符を打てないのか!宗教や文化の違いではない。これは第3者の無責任な理由付け、実際は石油の利権や宝石などの地下埋蔵物絡みで争っているということだ。私は30年近く前になるがオマーンという国とサウジアラビアにちょっと立ち寄ったことがあった。彼らが身をまとう白い服装で中東に来たんだなと直ぐに分かった。しかし、東洋人にはイラク人とその他の近隣諸国の人々との区別はつかない。起源は同じなんだろうから識別など無理な話。そこで今現実に繰り返されている殺戮。毎日のように自爆テロによって亡くなった人の数が報道されている。否、報道されている以上にイラクの国内ではもっと悲惨な状況があるのだと思っている。人道支援という大義は自爆テロを起こす人たちからみたらどう映るのだろうか?人間自ら命を絶つということはどれほどの勇気が必要なのか私には想像できない。爆薬を車や体に巻き付けて体ごと突っ込んで死んでいく。その多くが若い人たちだと聞いた。多分、彼らは今自分たちの置かれた状況を変えるためには死をもって立ち向かう以外に方法はないと教育:訓練されたのだと思う。ジハードは果たして実行する者にとって恐れとか不安はないのだろうか?私はそうは思わない。そこまで人間は徹底できるとはどうしても考えられない。彼らの想いの中には家族や友への別れの辛さ・悲しさという感情が必ずあると信じたい。自らの命と引き換えに何かを語り継ごうとしたに違いない。決して自分本位の願いではなく、自分が残していく人たちの幸せを願ってのことなのだ。

133:プロ野球?

日本のプロ野球のゴタゴタは見るに耐えない。1リーグ制とかなんとかそれぞれの言い分はあるだろう。しかし、理由は歴然としているではないか!つまり、感動を与えるプレー選手がいないということの一語に尽きる。個人がダメならチームプレーがあるのか、答えはどうみてもNO。昨夜のサッカーのアジア大会決勝戦、中国に3対1で快勝した。正直テレビに釘付けになった。むしろ、怖くてみていられないという人も多かったろう。中国がホームゲームだから日本が勝ったらどうなるか,やはり現地での日本パッシングは相当なものだったようだ。いずれにしても観客を興奮させるだけのプレーがそこにはある。一時期サッカーブームの陰りが叫ばれた。J1:J2とそれぞれの地域での熱の入り方も較差がある。しかし、地域が一体になって応援し、その声援に答えようとするプレーヤーがいる。そこにはオーナーや選手会という隔てはなく一緒になって盛り上げようとするムードがある。日本のプロ野球の原点は高校野球にあるとおもう。私も中学時代は野球に夢中になった。キャッチャーで4番そしてキャプテン、額面だけとれば格好がいい。しかし、現実は無様なもの。10対0で市内の中学に負けた時のことは40年経った今でも良く覚えている。練習中調子に乗りすぎ2塁にスライデング、スパイクのつめが地面に引っかかり見事に足首を骨折、暫くギブスで通学した。そして、高校に入ったら硬式をやり、甲子園に行くとみんなで全く夢のようなことを描いていた。結果は誰一人高校に入ってまで野球はしなかった。少年野球の夢を実現させる最終の目標がプロで飯を食うということだった。それが今の日本のプロ野球は優秀な選手は大リーグに渡ってしまう。残された選手が年俸ばかりに目が行き、お客が寝そべって見ている球場で野球をしている。これでは全く感動を呼ばない。もし、真剣に日本のプロ野球を心配するのであれば経営陣と選手それにファンが一緒になって盛り上げる努力をすべきだ。それとお互いに責任を相手に擦り付けることからの脱皮。それなくしてプロ野球の衰退は止まらない・

134:歯がこけた

ガシ?ガリ?ギシ?
かけた歯を噛んだ時の音、あれーなんだ?とか一瞬思う。その後の虚しさ。やっぱりな。折れたか。そうか。年だな!ということで大体納得。
歯も遺伝体質なんだろうな。親父もお袋もそうだった。どちらかと言うと歯並びが綺麗で虫歯なんかないというタイプには程遠い。親父の中学時代の同級生が土浦では老舗の歯医者さんをやっていた。あの頃の治療は今思うと恐ろしい。お蔭様で歯医者は痛いものというイメージをはっきりと植え付けてくれたのは確かその先生だ。ある年齢になるとそれ以上新しい歯が生えてこない。永久歯とか言う。しかし、私には必要のない歯が4本もあった。親知らずとか言う歯だった。その歯も今は元気がない。総入れ歯になった落語家が落語を止めたという話は本当か。確かにかっくんかっくんしている話には笑えない。だからと言って坊さんも笑えない。笑わす商売じゃないからいいやとも言えんだろう。
これもまた、日頃の手入れだ。人間は年を重ねる毎に体で信号を発する。無理するなよ。とかいうんだろう。
老いて益々盛んという方も稀にだがいらっしゃる。これらの人の心の中は一体どうなっているんだろう。羨望もあるが見習いたいと思っている。また、歯の話。今障害者の歯科治療というものがある。これはすごい。全身麻酔で一気に治療してしまう。事前に麻酔科の医師などが体質を調べる。尚恵学園でも何人かその治療を受けた。確かに歯がはれた利用者さんが昔はいた。今はいない。しかし、折角入れた歯をその日の内に飲み込んでしまった人もいた。医者に報告したら歯が立たないと脱帽していたっけ!それより、今日の内にこけた歯を直してもらおう。

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135:54歳誕生日

本日54歳の誕生日を迎えました。感謝の気持ちで一杯です。寺に生まれ、そしてお盆中に生まれた私は一体どのような顔でこの世に生まれてきたのでしょうか?多分頭が大きい赤ん坊ということだっただろうと想像します。何しろ最近PCなどを俯き加減で打っているとなんと自分の頭が重いんだろうと感じるのです。これを支えている首にも感謝します。また、個人的な感慨を述べれば、私の兄は9歳でこの世を去りました。今年でその兄の6倍も自分が生きてきたということになるのです。お蔭様でたくさんの事を自分が経験してきました。小学校3年でこの世とおさらばした兄に大分たくさんのお土産話ができました。これからは1年1年が自分なりの年輪を重ねることと肝に命じ生きていきたい。
仕事柄お盆には新盆を迎えられたお宅を訪れます。正直,大勢ですから全ての人を覚えてはいません。しかし、精霊棚に飾られた遺影を見ると思い出すのです。今年もいろいろな方のお葬式をつとめさせていただきました。16歳の若さで事故で亡くなった方、お母さんはまだ納骨できないといって自宅に遺骨をおいてお盆まできました。そのお母さんがやっとお墓に収める気持ちになりましたので後でお願いに伺いますと小さな声で話してくれた。
 99歳で亡くなったお婆ちゃんはどことなく写真で笑っているように思えました。
 これから夫婦でゆっくりしようと話していた矢先に夫を病気で亡くしたお宅では娘さんと奥さんがご主人が作ったブドウが今年初めてなったんですと遺影の前に大きなブドウの1房が置かれていました。
 人間の生き様はさまざまですね。遺されたものは、故人の思い出を支えに生きています。不思議なことに故人の良い思いでしか残っていないのですね。仏様の思いをここに感じます。
 一方、世界に目を向けますと錯覚します。アテネ五輪の速報が流され谷、野村両名の金メダルの報道があった同じチャンネルでイラクでの悲惨な戦争の報道がされています。現にアテネではイラクの代表がオリンピックに参加しているのです。アメリカでの大統領選挙がどうなるか。イラク戦争の方向が決まるようで気になるところです。世界中に争いを好む人はいないと思いますね。
 平和の祭典であるはずのオリンピックが今回は発祥の地アテネで開催されています。何かの因縁を感じます。
 1日も早く平和が訪れますよう心から願っています。

136;脱施設化

遅ればせながら茨城県では地域移行検討協議会なるものを発足、入所施設の利用者を地域に移そうとすることを意図している。これは正直10年ぐらい遅れを取ったと思っている。今更話し合ってどうなんだと思っても検討する場ができたことは評価する。私もその末席をけなす者として日頃思っていることを遠慮なしに言おうと思っている。地域に住居地を移すということは大変なことである。リスクへの対応や地域の受け皿の問題など、考えると頭が痛いことばかり。だから10年も先延ばしになってきた。さて、私が最近考えていることだが、果たして彼らが望む地域での生活とは一体どういうものなのか?ということだ。地域生活といっても家族と一緒に生活するわけではない。そうなると身近に彼らを世話してくれる良い人がいるかという事が先ず大きな問題。次に一緒に生活する仲間との相性の問題。これも長い間にはズレがでてくる。そうなると終生の住処ではない。どうも県が考えている段階は先ず施設から彼らを出すというレベルで停まっていると思う。彼らの要求を聞きそれに答えていくとなると次から次へと課題がでてくる。ここをどうサポートするのか!
 仕組みの問題もある。ケースバイケースのニーズ対応ができにくい。これは立教大学の河東田先生のスウエーデンにおける地域移行調査報告をみると参考になる。
 実は尚恵学園として私がこれからどうすすむべきかをずっと考えてきたことがある。それは、どうすれば個々の要求に答えていけるかということである。1対1の関わりではなく複数の対応でしか実際はできない。スタッフ側の問題(資質&能力)も大きい。それに利用者の特性も実はやっかいなものである。多種多様なハードルを越えないといけない。
最近勉強しているのだが、リッチモンドというケースワークの母と言われる人が100年まえに唱えたことに原点がある。ソーシャルワークとは個人の問題を社会の環境を調整することによってその人が人間としてより充実して生きていくことを可能ならしめることだという。この考え方が今見直されてきているのだ。箱物福祉とか制度の福祉と言われるものは実は外堀を固めるやり方であり、それが今、時代遅れといわれているのはなぜか?恵んでやるからとか仕組みを作ってやったからというあてがいぶち的考えが見え隠れする。ここを見極めたい。またそうしないと本当に利用者が望むサービスとは程遠いものになってしまうのだ。そんなわけで今の尚恵学園の現状分析を毎日しているのだが、どうも理事長としての能力不足はいかんともしがたい。
 今、骨折で入院している利用者さんがいる。手術して2週間以上たった昨日お見舞いに病室を訪れた。お母さんが付き添っていた。4人部屋での生活、本人はテレビを見ておとなしくしていたが,そばに付き添うお母さんは多少お疲れのご様子だった。立ち話の中で「大変ですね」という声かけに「いや、精一杯付き添いをやらせていただきます。そうしないと後悔しますから」とはっきりと言われた。それが多分Nさんにも分かったのかテレビを見ながらニコリと笑った。現実はNさんにとっては怪我の功名?大好きなお母さんを独占できる。
 私どもができることは、ケースバイケース必要な対応を如何にするか!動きながらそれも手探りの中で実現させるより方法は無い。脱施設化・・・・・・えらいこっちゃ★☆★

137:いい気なもんだよ

とてつもなくいい気な人がいる。実名は避けなければいけません。訴えられますからね。でも、みんな「ああ  Nさんだ」と直ぐに分かる。このコーナーにも最多登場のNさん。例の無断で外出する方。今回も出かけちゃった。水戸方面と決まっている。一応スタッフに話をして出かけたという。朝の6時に今から土浦に行ってくると話して出かけた。これだって不自然。そしていつものパターン、音信不通になった。それが4日目になって偶然というか予想通りというか水戸駅前で出身町の福祉事務所職員が他の居なくなった方を捜しに水戸に出かけてきて仲間とたむろしていたNさんを発見。電話で本人に出てもらうことになったが、本人の弁『1ヶ月まだ帰んないよ!でんわにでねー』ときた。仕方がなく。いつもお世話?(彼の仲間)になっている仲間の方によろしくとお願いして電話を切った。そのNさんには良心の呵責があった。翌日一人でトボトボと園に帰ってきた。それもかなり酩酊している。酒盛りしてきたな。
 そして第1声が「Eさんが自転車に乗って水戸駅にいたよ!」という。これまたこのコーナーでの常連のEさんが無断で外出中、『何、そうかNさん案内してくれる?助かるよ』と言った職員も職員。今帰ってきたばかりのNさんを車に同乗させて水戸まで、今度は二人でEさん捜し。お酒が廻っていい気なNさん。「このへんにいたんだよな。うーーん。仕様がねーな。」とそこまで言い始めたNさん、まてよ俺も・・・・・と気づいたのかどうかその後は蚊の無くような小さな声になった。いまだEさんは帰ってこない。一方、Nさんは翌日24時間テレビのイベントを見に行ってきたようで、そこで貰った黄色のTシャツを着込んで、意気揚々と帰ってきた。・・・私は毎日首を洗って覚悟を決めているのに・・・・・みんな!いい気なもんだよ

138:入院と実態

今が正念場と思っている。否、毎日がそうである。私の正直な思いを述べよう。
現在3名の利用者が入院している。理由はそれぞれ異なるが、いずれにしても学園での生活は無理と判断して病院への入院を決めた。本来ならば通院により治療も可能かもしれない。しかし、実態はできない。スタッフは本当に献身的に対応してくれている。昨日女子の利用者が近くの医療機関に入院した。普段のかかりつけの病院には入院設備がない。そこで理事長に無理にお願いして入院させていただいた。診察前の検査の間、彼女は声を出すことをやめなかった。当然他の患者さんからは異様な目で見られた。検査の順番を待つ間、一人のスタッフが車椅子で病院の外に連れて行って、本人を落ちつかせる。一方、付き添い体制の勤務変更を寮では行う。家族が付き添えない状況があるからである。毎年同じような事を繰り返す。最近はその頻度は確実に増加した。尚恵は創立が今から47年前、振り返ると時間のズレとその時々の苦労が整理されずに頭に去来する。「これが仕事だよ」「そうだろう、家族が見られないから入所施設が必要なんだ」「園で見るといっても、何ができるんだい?」「尚恵では看られないないから、家族にみてくれといって何が起こるか!」・・・・・そのような自問自答。
 これが実態。明後日、県議会の先生方ご一行が大型バスにのって視察にくるとのこと。
この実態をありのままに言おうと決めている。今の福祉は老人が主体、設備も運営費も。少数派の障害者の福祉は歴史はあっても片隅に置かれている。
 施設がいくら実態を訴えても、私が自問する回答で終わってしまう。親、家族が本当に声を大きくして訴えなければ今の時代、障害者への光は依然としてあたらない。あてがいぶち的な福祉にはうんざりである。
 また、福祉関係者もしかり、本当の真価が問われる時である。

139:無断で外出(私見)

立場上困ること。それは、利用者さんが無断でいなくなること。だが、こればっかりは一向に止む気配がない。よくもこう変わりばんこに黙って姿を眩ますのだろうか?現在法人全体で2名の方が外出中です。昔の外出はこうだった。何も分からないでぶらっと出て行ってしまう。だから職員総動員で探し回る。昔は便利だった。有線放送というものがあって、一斉放送をお願いする。そうなると「また、お寺の子がいなくなったんだな」ということになってみんなに知れ渡る。これがいいのか悪いのか?今の世だったらプライヴァシーとか人権という問題が起こって大変かもしれない。
それが最近は捜しても無理なのである。
「2,3日頭を冷やしてくる」とか「友達に会ってくる」などなど。彼らなりの理由があって無断で出かけてしまう。だから本人はその目的が果たせないと無理やり連れ戻してもすぐに出て行ってしまう。利用者(GH)は部屋の鍵を自分で持ち他の人が入れないようになり、更に個人で携帯電話を持つような時代になったのである。
ノマライゼーションなどの考え方が大分浸透してきた今、無断でいなくなるということに余り目くじらを立てなくなった。
 管理された生活の場への反省から個々の意思を尊重する時代。しかし、一般の人たちの目や理事長という役目の責任だけは全く変化なし。むしろ厳しくなってきているんじゃないだろうかと思う。良く出る話で理事長なんて全く割りに合わない仕事だよ。無給で責任ばかりかかる。この辺のことを考えると正直私も無断外出したくなる。
 これがノーマルな時代なんだろう。ねっ  そうですよね。そうだ。そうでなければ不公平だ!明日から6日間神奈川で資格取得のために缶詰の研修に出ます。缶詰ですよ、朝から晩まで。人権無視、不公平、日本の資格制度は間違っている・・・・・・・・・それから  ウーん ちくしょう これが現実だ!

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140:地域(生活)移行のリスク

 年間に利用者さんの無断外出はかなりの数あります。これは特定の方方なのですが、防ぎようがないというのが正直な所です。地域での生活を目指せば目指すほどその頻度は増えます。彼らの言い分は多分こうです。地域で生活しているのに無断も何もないだろう! 確かにそうだ。無断外出というのは実はこちら側の言い分、彼らにとっては大きなお世話ということだ。しかし、残念ながらそのようなことは言っていられない。責任問題に発展しかねない。
 それじゃ、外になど出さず、四六時中見張っていればいいの!そうじゃないよね。じゃーどうする。
 地域生活への流れが確実に決まっている。そうなるとそれを支援する側の問題が大きくなる。最近、行方不明の捜索協力のFAXが全国から届く。実はわたしのところのGHの利用者さんの捜索願いもお願いした。今頃関東地区には多分配布されている。私のところの事実はこうだ。弟さんが東京の病院に入院している。彼は何度もその弟の見舞いに一人で出かけている。主治医からの説明も身内の代表として受けている。しかし、現実にはGHの生活者、就労もしていた。
 そのような人が何故GHに生活しているの?これは何も知らない人の見方。そうじゃないんですよ。実際は地域で生活できる人がいても受け入れる場所がないというのが現実の姿。
 リスクはこれからも益々増えるだろう。 真面目に悩めば悩むほど次々に課題が出てくる。これが真理ですね。