源究38

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
416 兄弟 9/4 421 周辺状況 9/12
417 秋の日差し 9/6 422 秋雨前線 9/13
418 御親王誕生 9/7 423 家族の願い 9/14
419 情報混乱! 9/9 424 南半球 9/15
420 家族会のあり方 9/10 425 会長最新情報コーナー 9/16

416:兄弟

でかちゃんという愛称を敢えて紹介したい。彼が我が園を利用されることになってからもう40年以上が経過した。彼には弟さんドンちゃんがいる。何故、でかちゃんという名前がついたのか、彼は身長が高く、一際大きかったからいつのまにかそのような愛称が付いたようだ。ご本人は結構その名前が気に入っているようで本当の名前を呼んでも返事しないことがある。弟さんとは別々の生活であった。弟さんも違う福祉施設での生活を送る。
その間の事情は複雑で紙面が足りない。弟さんが2年あまりの闘病生活の後、先月亡くなった。デカちゃんはお葬式に行ってきた。しばらくJ学園でお骨を預かって頂き、昨日35日の法要の後、私どもの施設にお骨を持ってきて神宮寺に納めたのである。遺影とお骨と木の位牌が2本。彼らのお母さんの骨を実は尚恵学園のお墓に埋葬してある。お彼岸にドンちゃんのお骨もそのお墓に納める予定だ。50年以上離れて過ごしたお母さんとやっと一緒のお墓に埋葬することになる。昨日、35日を職員と一緒に行ってきたデカちゃんが私に報告に来た。「・・・・・・きた」何を話したのか良く聞き取れない。でも直ぐに分かった両手を合わせていたから。「そうか。今日ドンちゃんのお骨預かってきたんだね。後でお母さんの所へ埋めてやろうな」本人も納得したようではっきりとうなずいた。
 生きる。老いる。病気。そして死(四苦)様々な人生のドラマがそこにはある。人間は自分勝手なもので、よそ様の事を妬み羨ましがって、自らの置かれた状況になんらかの不満を抱く。そして、その原因を他人のせいにする。
 我執というものも根っこは同じ。自分にとらわれること。でもなー。二人の兄弟の関係は我執というものを感じなかった。年に数回お互いが交代で訪問して兄弟の時間を持った。そのことに一度として不満を聞いたことが無かった。素直に相手をいたわり、また会えることを楽しみに待った。家族;兄弟って何だろうと考えてしまう。

417:秋の日差し

NHKのBSにおいて「日本の名山」を放送している。私が登った山が出てくると本当に懐かしく思う。先日は南アルプスの北岳をやっていた。山頂を境に裏表は全く山容が違う。北岳バットレスという日本有数の岩場の反対側は緑多き南アルプス特有の姿を見せる。世界でここにだけ咲くという花の紹介があった。石灰岩の岩場にだけ咲くという。そのことは知らなかった。もっと驚いたのは最近の調査でこの岩盤は太平洋の真ん中あたりのものが隆起してなったこと。一方はアジア大陸の岩盤がここでぶっつかりその花を運んできたという。全く夢のような話だった。今から35年前になるなー。南アルプスは鳳凰三山から入り、光岳(てかりだけ)に抜ける全山縦走を三年の年に下級生一人を連れて行った。何日かかったか忘れた。当時、そのような歴史も知っていればまた違った楽しみ方ができただろう。
 さてと、表紙(トップページ)の写真は近所の栗畑でワセの栗の実を撮った。畑は膝まで達する草で生い茂る。これじゃー実が落ちても探せないだろうと思っていたが、さすが農家の人は翌日そこを通ると綺麗に下刈りされていた。しかし、今度はこれじゃー誰かに拾われてしまうんじゃないかー!という新たな思いが生まれた。やだねー!どうにかならないのかね。茨城は千代田が栗や梨の名産地、栗畑も桁違いに広い。何町歩もある畑をどうやって実を拾うのか。方や神立の栗は叱られるかかもしれないが税金対策のための栗畑、
 一人紹介します。今、GHを利用されている方で10坪ぐらいの畑を自分で耕作している方がいます。野菜を作っている。今まで在宅にいてそのようにしていたようだ。夕方、彼が畑で見回っている姿を良く眼にする。
「できたら持っていくからよ・・・・」とか大声で話しかけてくる。
 秋の日差しは強く、洗濯には好都合、朝晩の気温の差は風邪を引く利用者さんが増えてきた。何事もそうだが裏と表があって成り立つものなんだなー。

418:御親王誕生

6日の午前8時過ぎだったでしょうか、テレビの画面に速報ニュースとしてのテロップが流れました。・・・秋篠宮妃に親王ご誕生・・・・というものでした。ご懐妊の報道からお生まれになるまでの間、想像を絶するご苦労があったことと推察します。でも、本当に良かった。一躍有名になった愛育病院は麻布のあたりではなかったかな。廻りが公園になっていて大使館なども多くある東京では珍しく落ち着いた所にある病院だ。去年だったか何かの用事があって病院前を通り、昼時だったので近くの日本蕎麦屋さんに入ったことがあった。
 お二人は何を隠そう私と同窓になるのであります。それも秋篠宮殿下が幼稚部に通われていた頃校内で何度かお見受けしたことがありました。それに驚いたのはテレビにお二人の関係者が出演されていたのですが、学習院の篠沢秀夫教授(仏文科)が出てきたのにはびっくり。私が茨城弁のフランス語を指摘された教官だったのです。今は名誉教授とかで以前はテレビのクイズ番組にもレギュラー出演するタレント?先生。
 殿下ご夫妻はサークルでご一緒だったとか、もしかしたらワンゲル、それは絶対に無いな!
 いずれにしても国会で騒いでいる皇位継承問題はしばらくは静観のようだ。皇室の事は国民にとってはあまり知られていない世界。それだけに当事者のプレッシャーは凄いに違いない。生まれたばかりの赤ちゃんに様々な意見が飛び交っている。ご本人にとってみれば迷惑なことだろう。私はある方から薦められて山階鳥類研究所の会員になっている。名誉総裁は確か皇族の方だったと思う。皇族の方々はそれぞれが公務を持ちながら研究テーマを持っておられて勉強をされている。秋篠宮様は何を研究されているのか良く知らないが学位(博士号)を取っておられる。混沌とした今の日本がこの度ご誕生のお子様が成人にお成りになる頃、どのようになっているのか。大変失礼とは思いながら、昨年の知的障害者アジア大会で皇太子ご夫妻に激励の言葉を掛けられ、身近に感じており、書かせて頂きました。ご親王の健やかなご成長をお祈り申し上げます。

419:情報混乱

昨日は県での調整会議の後、とんぼ返りして地元土浦市との打ち合わせ。毎日のように自立支援法10月本格施行への準備、今、県では県内の居宅サービス事業所を集めて個々に申請手続きのヒアリングを実施中、驚いたことに対象事業所が1000カ所になるというのだ。どうやって進めるの?答えはやるしきゃないんですよ!ときた。一方、地元市町村も同様だ。昨日は第5回目の認定審査会、毎回そうだが終了する夜8時頃にはかなりの職員が事務を行って残っている。いつものことですからという。日中は来客やら他の用事があって、本来の仕事が出来ないので夜行う状況になっているそうだ。私の友人が運営している,小舎制の入所更生、定員は30名だから法内施設としては一番小さな施設。ここが今法人全体で生き残りに四苦八苦している。その彼がメールで膨大な内部研修資料を送ってくれた。へーここまでやっているのか?正直、驚く。この1年間で職員が4割やめたそうだ。どうやって運営するんだろうか!
 在宅介護も実情は大変なもの、寝たきりの息子を年老いた両親が自宅で見ている。両親自身も毎日通院しているというから大変だ。何かお手伝いができないものか?
 一方我々事業所側にも悩みが多い、個別のニーズへの対応をしていくには従来の勤務体制では対応できない。時間の調整やら休日の変更など日常茶飯事。すでに創意工夫の限界に達している。
 先月末の全国主管課長会議の資料を一部市より頂いた、なんと500ページになる膨大な量だ。どこに何が書いてあるのか正直分からない、今までに貯まった資料も膨大なものになった。
 情報はインターネットを通じて直ぐに手に入る時代、しかし、それが新しいものなのかどうかが分からない。
 便利さを求める弊害がでているということだ。福祉の現場は10年のスパンで利用者の変化を看ていく、どうも障害福祉というものは、今の時代の流れとは合致しない。日本全体が浮き足だっている中でせめて我々はスローライフの実現を。なるべく車を使わずに歩くことから始めている。

420:家族会のあり方

茨城県内の殆どの施設には利用者の家族会が有ります。活動や設立の趣旨はそれぞれが異なりますが、今回それらを纏めて連絡協議会を発足してはどうかという意見が高まっています。従来から全日本手をつなぐ育成会を頂点に各県毎に支部育成会があり、歴史も古く、様々な事業を実施しています。今、何故施設利用者の家族会の連携が必要になってきたかと言えば、自立支援法の導入です。正直申しまして施設に入所・通所さえできれば一安心といった感が強くありました。ですから地元育成会の活動と2本立てになってそこに施設利用者と在宅者との微妙なズレが生まれてきました。その垣根をある意味では外そうとする今回の新法の導入でお尻に火がついたという訳です。今利用しているサービスが受けられるか否か、大変大きな問題です。しかし、以前として国や施設がどうにかしてくれるだろう!という貴方任せの傾向があるということは否定できません。
 問題を先送りしていたのは実は当事者だったということに徐々に気付き始めたのです。そこで声を大きくして怒れということになった訳です。その経過の中で各事業所が単独で活動しても問題の共有やアピールに強さが出ないことが分かったのです。連絡協議会の設置は幹事施設の家族会が今後打ち合わせを行いながら組織化していきます。尚恵学園も昨日の役員会議の中で私が提案したら直ぐに家族会が動き始めました。既にお隣の千葉県では組織化されています。
 家族会の中には様々な方がおられます。その力を結集できてこそ、今回の新法を良法に変えていけるものと思います。今が正念場ですね。

421:周辺状況

朝5時は今の時期、まだちょっと薄暗い。観音寺脇の道路には散歩をする人を見かける。時々、本堂の前に立ち寄り合掌をしている方もいる。ここ数年朝夕の散歩をする方が急に増えたように思う。確かに車の通りは少なく緑が多くて気持ちが良いということが一番の理由だろう。田圃では稲刈りが始まる。700万円もするコンバインであっという間に刈り取り、2トントラックに積み替えて乾燥機に廻す。すると明日の朝には新米が袋詰めという。栗畑には色づいたイガが落ちて栗拾いが毎日繰り返されている。近くのスーパーで覗いたら、1袋298円で売っている。これが高いのか安いのか私には分からない。神立周辺はこのように四季を感じることができる地域、周辺では新築の家が増えているから、きっと住みやすい環境があるのだろう。
 今年の梅雨時期、各地で山崩れや高波、堤防決壊など大きな被害がでた。しかし、この地域は関東ローム層の高台にあるために自然災害が昔から少ない。
 昨日、県庁に行った。丁度議会中ということで何やら落ち着かない雰囲気があった。部長室に立ち寄ったら、幸いに部長がいて、しばらくおしゃべりしてきた。今回の自立支援法についての現場の状況を聞かれた。
 大変混乱していると正直に伝えた。そしたら、直ぐに課長に連絡をしたようで課の対応が変わった?ように感じた。私の周辺も正直何がなんだか分からない状況だ。10月から施行される新規事業の認定申請の書類を9月の今の時期に調整している。これは異常事態なのだ。障害福祉を取り巻く環境は全国津々浦々同じようなもの。栃木や千葉、埼玉に仲間がいるから電話で状況を聞くと当に戦闘状態だ。これで良いのかなー!
 じっくり腰を据えてやりたいのが山々だ。
 寺のこと。鐘楼堂の建築も業者選定の山場にさしかかっている。これまた一大事業だが、癒しの鐘が聞こえる街になればどうだろう。

422;秋雨前線

急に気温が下がって上着が必要になってしまった。天気図では日本列島に見事に秋雨前線が横たわり全国的に雨模様、一時の猛暑を忘れさせる気温の変化。四季を感じることができる国は世界でも珍しいという。その代表が日本だ。南半球にはニュージーランドがある。今、枕元に置いているのがニュージーランドのガイドブック。密かに旅行の計画を練っている。良いだろうよ!ニュージーランドは日本の国土の7割ほどの大きさ。南と北の島に分かれている。しかし、日本と比べ全く異なるのは人口である。国全体で僅か400万人だという。横浜市を大きくした程度の人が広大な地で生活を営む。当然自然は残っているだろうし、そこに住んでいる人々の気持ちも我々とは違うだろう。何しろ国全体でトンネルは7本しかないと何かで聞いた。自然を破壊することなく、人間が共存する。人間が中心に生きようとすれば利便性を求め、結果として自然環境の破壊に繋がる。私は今年、新年早々からずっと走り通しだった。途中、男の更年期かなと思ったり、体の変調を感じた。食事や運動(歩く)に気を遣って体重も大分落とし、スリムになった。筋力や体力が落ちたのに体重だけ重くては負担が多い、せめて20代時の体重にしようと思った次第。
 さて、秋は心の中にも変化をもたらすようだ。周りの木々も葉が色づき、やがて葉を落とす。人間の一生を植物は1年という期間の中で示してくれる。新芽がほころぶ春、緑の葉を目一杯拡げる夏、そして今の時期秋だ。茨城は果物がたくさん取れる。この辺りでは梨や栗が今収穫の最盛期。これとて自然の摂理の恩恵を受けている。ここで一句と風流な才能があればご披露したいのだが・・・・・残念ながら我が頭の中は・・・自立支援法の????? これだって環境破壊だ。怒れ。

423:家族の願い

願いや希望が少しでも聞き入れてもらうと人間はモチベーションが上がり、意欲が出るという。確かにそうだ。朝学園までの道を歩くようになってから、そのことを実感している。どんなことかと言うと、朝の8時前の時間帯は園外で仕事をしている仲間が自転車や歩きなどそれぞれ違った手段で職場に向かう。昨日は5人とすれ違った。最初は知らんぷりするものもいたり、私がおはようと声を掛けても声が出ないで行ってしまうものもいた。それが今では彼らからおはようと声を掛けてくるようになった。この変化は大変なことである。職場に行って働いているという自信が意欲を高めているのだ。しかし、恐ろしいのは少しでも環境が変わると元の木阿弥になってしまう人たちが多い。だから日頃のつき合いに細心の心配りが必要なのだ。
 ご本人の変化は時間の経過と共に家族にも知れ渡り、相乗効果となってより一層モチベーションが上がる。
 実は、この流れは成功事例、そう簡単にはいかないものだ。一緒に喜ぶべき家族がいない人たちも多くいる。NO:416「兄弟」で紹介した、でかちゃん。
 彼は毎朝私が学園に着くと通勤寮の玄関で待っている。そのことを最近気づいた。私はタイムカードを年間350日は朝押している。皆勤賞まではちょっと。そのカードを押す前に必ず神宮寺の本堂に行く。朝のおつとめ?。するとデカちゃんが後からついてくる。今までは無かったこと。
 そうだった。弟のドンちゃんの遺骨を本堂にいま安置してあるんだっけ。彼は言葉がない。でも充分理解できる。
お彼岸に学園のお墓に埋葬することになっている。弟に線香をあげに一緒にくるようになった。
 実は家族の願いというもの。もの凄く重いものだということが皆さんには分かるでしょうか????
 両親は大分昔亡くなり、彼の母親が学園のお墓に埋葬されている。
 デカちゃんに何が一番欲しいと尋ねても彼は笑って答えてくれない。以心伝心、こりゃー本当に難しいーや。

424:南半球

上記写真はオーストラリアのブルームという所の夕日。私は行ったことがないが、パースにいる次女が送ってきた写真の一枚。南半球から夕日を見るとどうなるのか?星の見える位置など詳しい人には理解できることだろう。何しろ飛行機から見えるオーストラリアは砂漠みたいな平地が延々と続く世界、夜間だと人家の明かりがポツリと見えるからこんな所に住んでいるんだと分かる。自然と共に暮らすことがなんたるものか!私の夢はそこの一点にある。施設の定年は一応65歳、しかし、坊さんの世界は終身だ。こりゃー酷いよ。でも幸せなのかなー?そんな事を考えていたら、昨夜のテレビだった。横田めぐみさんのご両親の壮絶な生き様が報道特集された。拉致にあってから29年間という、現在全国に出向いて娘さんの写真展示と講演を行っている。講演の総数は優に1000回を越したという。決して丈夫な体ではないようで、病と闘いながら死ぬまでやりますと奥様が話しておられた。
 世の中には理不尽な事が多い。自分で無くて良かったと思う反面、我々ができることってなんだろうかと思う。利己主義と一概に批判はできず、正直な気持ちだと思う。実は楽園と言われるオーストラリアでさえ、先住民のアボリジニー迫害という問題は今もある。他国に開放的な国だから、様々な民族が生活しており、それだけ魅力が多い国だ。小泉首相の後は誰が首相になるのか、もう既に決定しているというが。私は変化がチャンスだと考えるようにしている。今回の障害福祉の改革もそう考えないと正直やっていられない。
 医療費の高騰は福祉以上、関係者が応分の負担をすることは当然だ。その程度の問題だが今回の首相の交代で当然話題に出ているのは財源確保の問題だ。消費税を10%にするとかどうとか。スウエーデンは25%だから問題にならない。しかしだ、岐阜県での裏金問題などが明るみに出ると嫌になっちゃう。片方で締め付けて片方で緩めている。これは南半球北半球の両極のルールとは全く違う世界だ。アホかー!!!

425:会長最新情報コーナー

皆さん、ご存じでしたか?私が4月から大役を引き受けてからこのホームページにおいて情報発信をしてきたのを。一度ご覧になって見てください(会員の皆さんへ)。お陰様で様々な人たちから「見てますよ」という声がかかってきました。
 嬉しいですね。また、一緒になってこの時期を乗り切ろうと訴えた甲斐があるというものです。アクセス回数もかなり多くなってきましたから実感出来るのです。さてと、昨日は県庁において緊急の事務会議が開催されました。大きなポイントがありました。@請求事務に関して国保連の担当者から2ヶ月遅れになると言う話。A入所登録制度の変更。従来の相談センターで実施してきたものを廃止して、事業所と市町村を直で結ぶということになったのです。また、登録も複数事業所が可能になるということ。
 いずれにしても我々が今まで要望してきた事です。行政が身近に感じられるようになればこれに越したことはないのです。どうしても行政は人事異動があり、我々との距離を保とうとする傾向があります。しかし、この激変期にはいかがなものか?ついでですからこのホームページの隠れた人気コーナー(?)に源究があります。これは全く独り言を無責任に放っているのですが、早いもので420本を越すまでになってしまいました。
 源究の語源は沢登りです。若い頃の話で申し訳ないのですが、新潟の奥只見の荒沢岳の沢の思い出がその言葉を選ばせました。夏の真っ直中でも沢には残雪が有るんですね。そこから解けた雪が冷たい沢水となって流れている。キザな言い方を許してもらえれば、清流の源を生まれたばかりの赤ちゃんだと思えということなんです。様々な嫌な事件が急に目立つ世の中になりましたよね。障害を持って生まれてきた人たちとの長いつき合いの中でいろいろな事を考えるのです。
 さてと、やるしきゃーあんめー・