源究106

 

No テーマ 月日 No テーマ 月日 No テーマ 月日 No テーマ 月日
1631 漏水事件 11/7 1636 "嘉”に想う 11/12 1641 信賞必罰 11/17 1646 抒情演歌 11/24
1632 元気ですか? 11/8 1637 首脳外交 11/13 1642 私流 11/19 1647 やすらぎ 11/25
1633 思い出の歌 11/9 1638 寂聴の魅力 11/14 1643 過去の検証 11/20 1648 甲府の夜 11/26
1634 Gotong royong 11/10 1639 いくら? 11/15 1644 秋晴れの下 11/22 1649 自徳を讃ずる 11/27
1635 学び合い 11/11 1640 酔生夢死 11/16 1645 内憂外患 11/23 1650 アジア大会 11/28

1631:漏水事件

此方は情報流出事件ではなく、漏水事件である。一晩の内にホールに6m四方の水たまり、数日前から壁下より水が出ていたという。原因が分からず業者に連絡。足ふきタオルでは間に合わず、”紙オムツ”で緊急処置。
 施設では水回りと電気系統のトラブルは年中起こっている。ストップさせるわけにいかない。そこでどうしても応急処置で対応することになる。今回の漏水は問題が深刻だ。結果一日がかりで、見当を付けた壁を切った、開けた穴が10か所にも及び、漏水個所を探した。
コンクリートの床も掘削機ではずり、何処が原因か必死に調べる。結局朝から始まって、見つかったのが夜の8時、水漏れ個所を特定し、管を目隠し。これではトイレが使えない。残りは後1日。材料の手配やなんやかんやで無理。・・・・・
 何故、こんな事が起こるのか!30センチの厚さにコンクリートを流した中にパイプが入れてある。図面があるとはいっても、いざ漏水がおこるともうどうしようもない。この経験を活かせないものか。
 今、建物が増え、維持管理が大変である。専門家がいるわけではなく、その都度業者に連絡して対応。これでは年中無休の我々にとって問題が大きい。我々が出来る事は精々、園内外の草刈り程度。公用車の管理や器具の整備にまで充分手が回らない。
 悩み多いことだ。
 水は低い方に流れる。更に加圧しているから尚更である。
 数週間前の新聞にこんな記事があった。いま学校教育現場で昇格を拒否する教員が増えているという。校長や教頭に成りたがらないという。その一番の理由が責任が重くなることを上げている。価値観が明らかに変わった。
 これは教育現場だけの傾向ではない。決められたことをやるだけで、職場からハイさいなら型の人間が増えた。必要以上に残業?をやる必要はないのだが、何かの不都合が見つかれば大事に至らない前に処理しないとならない。時間でぱっと帰ってしまう人間には、果たしてその辺の配慮があるのだろうか?初期対応が重要なのに事が大きくなってから後手の対応をやることになる。
 今後益々その種の人間が増えるだろう。人間相手の職場は、時間で区切ることはできない。その辺が持ちつ持たれつの協力体制が不可欠である。
 もっと問題なのは、諦めてしまった人間だ。職場での評価や仲間作りに無関心な者は手に負えない。この辺の見極めは表面だけでは解らない。この目がトップに無いと”漏水事件”は決して止む事はない。
 人事管理について応急処置は効かない。最終的にはトップと相対で話を付けないと埒が明かない。
 最近あった出来ごと。ある利用者さんがパニックを起こし、ドアを足蹴り大きな穴をあけてしまった。その対応が良かった。直ぐに写真をとり、保険会社に連絡、それと同時に業者を呼んで修理依頼。何日も穴の開いたドアですごすこともなく新しいドアが付け替えられた。この対応が私はベストの選択だと思う。往々にして施設の現場は評論家が多い。「これは誰誰さんが興奮して足蹴りしてできた穴。怪我しなくてよかった。」ここで止まっていることが多過ぎる。ドア一枚ならば咄嗟に困る状況では無い。・・が、電気や水はそんな事を言っていられまい。
 信頼される人間という者は自ずと決まってくる。

1632:元気ですか?

”元気ですか?”と尋ねられ”いや 違います。”とは答えにくい。”まあまあですね”と言うようにしている。何をもってまあまあかとまでは聞かれない。
 私の周辺に様々なことが起こる。別に急に起こったことではないのだが、そこに目が行くということだろう。昨夜は58歳の県の現職の方が亡くなり通夜に参列した。故人のお人柄だろう弔問者が大勢集まった。私はその方にお世話になった。そのお礼をしたくて伺った。
 帰宅すると私の従兄が亡くなったという知らせがあった。母方の親戚で従兄では最年長者(75歳)、何かが親戚であれば必ず電話で知らせてくれた。入院して丁度2週間目に息を引き取った。我慢強いというのか、いつも笑顔を絶やす事がなかった方だった。私の兄のたった一枚の写真はその従兄と一緒に取った絣を着た写真、多分、兄が6歳位のものだろう。私が兄を思い出す時は必ず脇にその従兄が並んで写真にいた。それから寺の目の前のお宅のお婆ちゃんが94歳で同じ日に亡くなった。
 それぞれ年齢は異なるが、思い出多き人達が旅だっていかれた。
一気に不幸が重なって気持ちが落ち込んでしまった。逝く者がいれば残る者もいる。いずれ自分だって逝く身になるのは確か、それまで出来れば元気でいたい。
だから”元気ですか?”に対して”元気でいたい”というのが本心だ。
 秋が深まり、もの思いに耽るには絶好の季節となった。周囲の木々も葉を赤らめ、冬を迎える準備をしている。我々が紅葉を楽しむ事ができるのは、実は、新芽を出す春が来ることを判っているからだ。もし立ち枯れの落葉であれば、楽しむ気になどなれやしない。
 人間とて全く同じ。元気でいられるのは、何か良い事があると思うからだろう。
 でもね、その『良い事』が変わってしまった。物が溢れる時代になりまだ使えるものをドンドン捨てる。人間の欲望を擽るような情報が多過ぎる。食べ物一つにしても日本はこのままいくと天罰を受けると思う。有り難さが薄れた社会、思いやりすら嫌う風潮、これら全てが昔は大切な教えであったはず。ここがスッポリ抜け落ち、何を支えに生きて行けばよいのか糸の切れたタコみたいにふらふら彷徨う。
 そこで元気を出すとなれば、大体がカラ元気、見せ掛けだけの元気となる。
 昨日、高速にのり東京に、するとAPEC開催で道路規制があった。横浜で開催される。関税自由化を果たして日本が打ち出せるか否か?農家にとって死活問題だと反対する。だが食糧自給率がここまで少ない国も珍しい。ここに大ナタを振るうことができるのか、何か、中途半端な結論しか出せないような気がする。
 農家からの反発を逃れる意味で補助金を出す事は、いつまでもやれる事では無い。
 農業に活路を見出す時代がそこまで来ているのに。ある農家の人が言っていた。『我々は車を食べて生きていけというのか!』まさに、政治の果たす最重要課題が目前に立ちはだかっている。 

1633:思い出の歌

『坊や大きくならないで』『チュリップのアップリケ』『小さな日記』・・・・・昭和41年〜44年にかけての歌が特集で流れた。ラジオ深夜便朝の3時だった。”夜音””歌声喫茶”実に懐かしい言葉が次から次に出てきて、私の10代後半へタイムスリップ。流れる大半の歌を覚えていた。確か「小さな日記」を歌っていたグルーフ『フォーセインツ』は成蹊大学の学生だったと記憶する。すると4大学合Wという山登りの合宿が直ぐに浮かんだ。
 「坊や大きくならないで」という歌は戦争に取られるから我が子に大きくならないで静かに眠りなさいと願う母親、実に切ない。これはベトナム戦争への反戦歌である、学生運動真っ盛りの時代、大都会東京の片隅に下宿し、夜街を徘徊した。いま思い返せば全てが懐かしく、あれからもう40年という歳月が過ぎたのかと思うと信じられない。チュッリップのアップリケは知らぬ間に家から母親が出て行ってしまい、父親と一緒に生活する少女の母親を慕う気持ちを切々と歌った。
 当時の歌は歌詞を大事にしている。曲の余韻はメロデイと同時にその背景を感じさせる力があった。涙し励まされ何度口ずさんだことだろう。
 当時、コーヒーは1杯130円位だった。それで2時間も熱く語らった。何をそんなに話す事があったのだろう?我々、団塊の世代は、いま第一線から退こうとしている。私もその一人だがノスタルジーに浸るというよりもあの時代への懐旧の情である。夢というのか目標というのか判らないが、それを掴み取りたいという活力は漲っていた。
 40年という歳月が世の中を一変させてしまった。そう感じているのは私だけなのか。実は昨夜、筑波大の先生と会食をした。インドネシアから帰国したばかり、定年をマジかに控えているそうで職を辞してからの自分の身の振り方については何も語ってくれなかった。多分、やりたい事はあるはずだ。アフガニスタンに14回訪問したという。現地に赴き、特別支援教育を広める指導をしている。それにインドネシア。私が今の若者に不安を感じると言うと、ハッキリと否定した。
「優秀で皆さん優しい心をもっている」と話してくれた。大学で教壇に立っていれば多くの若者と接する。その点私など井の中の蛙、どうしてもマイナス思考をしてしまう。
 6対4という話を伺った。相手に対し6を与えて4を得るという気持ちで接しているという。なぜ政情不安定なアフガニスタンに単身で何度も行くのだろうかと単刀直入に尋ねてみた。答えは「人とのつながりです」という。西欧人は5対5という交渉をする。これでは争いごとが起こる。6対4で丁度よく、そうすれば平和になると語った。これ体験から得た実感だろう。全てに通じることだと思った。
 昨日午後の国会中継をラジオで聴いていた。自民党の質問者がノー原稿で菅さんへ質問、野党時代官僚答弁を批判していた菅さんに原稿を読むなと迫った。一国の総理を”粗大ゴミ”と言った。どうしてここまで拘るのかと思う遣り取りが続いた。それはAPECに中国の主席と会談を持ったならば「必ず尖閣は日本の領土だから領土問題は有り得ない」と言えますかと詰め寄った。
 質問者は答弁に納得しない。前置きが気に食わないという。「必ず」と言う言葉を菅さん自身の言葉で言わせたかったようだ。実に20分以上同じ質問の押し問答、いい加減にしてくれとスイッチを切った。どうなったかと再びラジオを掛けるとまだ同じことをやっていた。
 ”有言実行”を掲げたりするから上げ足を取られる。ここにきて現政権の支持率が急降下、菅さんは気にしていないと言いながらその心中は見事に顔に出ている。
 政治にノスタルジーは禁物か?領土問題の本質をどれだけ国民が関心と理解をもっているか?この辺の統一した見解はどこでどう学べば良いのでしょうか。学生時代、ノンセクトで学生運動へ傍観者であった私自身とダブる。
 

1634:Gotong royong

”Gotong royong(is) cooperation among many people to attain a shared goal"
昨日、茨城二号布教師会研修があり、筑波大の中田先生に講演頂いた。先生はアフガニスタンやインドネシアに特別支援教育を広める活動をされている。何でも教育開発国際協力研究センターは日本で2か所指定され、西は広島大学、東は筑波大学に設置されていると伺った。その活動の中心的存在が中田先生で私共が講演をお願いした日の3日前にインドネシアから帰国されたばかりだった。JICAとの協力事業として4回ほど尚恵学園で海外からの研修生を受け入れ、その事で中田先生を私は知った。
 今時、このような話に坊さん達が関心を持ってくれるかどうか?不安が無かったわけではない。但し、4年任期最後の研修として私のエゴを通させていただいた。前日先生と打ち合わせを行い、準備万端と思いきや当日OHPに接続するパソコンの具合が悪く、家までご自分のパソコンを取りに戻るというハプニングがあった。しかし、30名近い参加者は熱心に話を聞いていた。膨大な量の写真を見て私も現実のアフガニスタンの大変さを痛感した。
 至る処に破壊された建物が残っており、その状況は今も進行形で存在する。バーミヤン遺跡が綺麗に破壊され、その復興も進んでおらず、今後暫くは大変な時を送るだろう事が容易に推測できた。そこに14回も訪れ、障害者への特別支援教育の普及を指導されている先生の話は実に重みのある内容であった。
続いて話されたインドネシア支援の紹介で”Gotong Royong”という”conception of sociality familiar"の話に私は興味を持った。嘗ての日本にあった”結い”の考え方に通じる共助の仕組みである。何も声高に社会保障制度と言わなくとも日本の伝統的の教えの中に存在した考え方。いつの間にか日本においては”権利の主張”が強くなり、自発的な活動というよりも当前の権利として受けられるべきという見方が大勢を占めてしまった。
 まっ それで国の財政が持つのであれば、もっと強く要求することも良いかもしれない。しかし、餓鬼の世界ではあるまいし、一つの獲物を奪い合う状況には如何なる”福祉”の心も馴染めない。
 アフガニスタンはイスラム教の国である。中東の紛争はいつ止むか予想ができない。同じイスラム教を信じる人達でさえ種族や宗派によって争いが絶えないと聞いた。そして外国からの支援や介入が決してアフガニスタンの人々に歓迎されていないという実態も伺った。
 自分たちの国の復興は自分たちの力で為されるべきだという。平和の為と言いながら実は地下資源の利権獲得が目的ということに疑う人はいない。一部の人達が富を独占する国の有り方は正常ではない。
 ただ我々日本人はいつまでも傍観者として見ていて良いのかという思いもある。微妙な問題である。
”Gotong Royong”を紹介した日本語の本は無い様だ。Wikipediaで検索して英語文の解説を見つけた。屋根の吹き替えを協力して行う写真があった。これなど日本でも白川郷などに微かに残っている互助の取り組みだ。
 長年、障害者問題で問われ続けている”ノーマラゼーションン”の考え方だって、実は地域の互助活動が基本にある。
日本人が横文字に翻弄されている中で昔からあった文化・風習が色褪せた。その意味では原点に回帰しようと思う私の真意がここにある。
 さてと、世の不正に寛大であれ!とはどうしても言えない。不正とまで言わずとも約束を簡単に踏みにじる人達に私を含め大いなる方の鉄槌が下されるだろう。これが道理というものである。
 偶然かどうか?我々が昨夜懇親会を行っていた隣の部屋は次の選挙に立候補を表明した人達の宴席であった。
 

1635:学び合い

法人内研修として倉持春樹先生をお呼びして研修を行った。その主旨いかんとなれば?それはこうである。私は2週間程かけ園内にある図書室(倉庫)の大整理を行った。その時、梱包されたままの資料に目がとまり、開けてみると平成6年に発刊した小冊子、倉持・川田両名の先生が尚恵学園への思い出を書き記してくれたものであった。
 お二人とも尚恵学園との付き合いが長く、50年以上だろう。創設当時の事を良く知っている数少ない先生達、その時に浮かんだのは直接話を聞く場を作ろうという事だった。そして昨日10日、神宮寺の本堂で職員向けの研修会となった。
 倉持流の話術で決して難しい内容では無く体験を通じての話だった。職員は経験年数の違いにより受け止め方も微妙だったかもしれない。しかし、基本的な事は同じ、いくらかでも今後の実践に活かせてもらえれば本望だ。
私が意外に思った事は、先生の話の中で紹介された糸賀一雄先生や池田太郎先生を大半の職員が知らないことだ。昨日は就職希望者の面接も行った。糸賀先生の話をいつも尋ねることにしているが、やっぱり知らない。今の大学では講義の中でこれらの先人について触れないようだ。何を教えているのだろう?
 それと”良寛さん”を知っている?と尋ねたのに知らない職員が多かったのには少々ショックを受けた。
『裏を見せ表を見せて 散る紅葉』など尋ねたら、それこそ何を当たり前のことを言っている位にしか取られない。
 このギャップは普段の活動の中では判らない。つまり、私が当前知っているものと思って普段話していることが実はそうでは無いという事が分かった。
 さて、実は全ての事に通じることなのだが、先生が力説していた”学び合う”関係がないと豊かさを実感できないということ。何を学ぶか?は個人の責任で学んだものを活かさなければ駄目だ。近い内に研修の感想を聞いてみよう。
 私はなるべく国会の動きに関心を向けることにしている。それは、決まってしまってから吠え面をかいても後の祭りという経験を嫌と言う程経験したからである。
 昨日からのトップニュースで流れているのはビデオ流出の出所が海上保安庁内部の者であるという事が判ったというもの。自ら名乗り出たという。
このニュースへの受け止め方は多分、二分される。ビデオ公開を禁止した政府への不満と国家公務員法守秘義務違反だから厳罰に処すべきという意見だ。
 今の国会の遣り取りから見て総理や官房長官のこの件に関する答弁がなんともじれったく煮え切らない。地方の検察庁の判断で逮捕した船長を無罪放免した・・・云々。ホントかいな?此処に来て政府対応の優柔不断が目に余る。疑わしきは罰せず?という手法や我関せずの責任逃れが目に余る。
 菅政権の支持率が急降下した理由が全てにおいて明確な回答がないことにあると私は思っている。野党が要求する政界再編の国民投票を今直ちに行うという愚行はすべきでない。まず今の民主党にトコトンやってもらいたい。そして言いたい事は、自らの党内にある未処理事案(政治とカネなど)を明確にすべきである。もし、この決断が更に先延ばしになるようであれば、更なる政治不信に繋がる。外交問題は政党の枠を超えた国としての重要事案である。自党内のゴタゴタに構っていられる余裕など無いはずだ。先延ばしできるものと今直ぐに決断すべきことの整理ができていない。
 その代表的なものが人気を博した事業仕分け、これだって実態が明るみに出たというレベルでこの先それをどうするのかという明確な方向が示されない。アドバルーンを打ち上げたまでは良かったが尻つぼみでは混乱に上塗りするだけではないか。ダム工事に関しても大臣が変わった事で微妙に言い回しが変わった、先が一段と不透明となった。一体何を信じて国民は判断すれば良いのでしょうか?
百歩譲って考えてみよう。長期政権で鬱積した様々な問題を表に引っ張り出し破壊する。此処までは政権交代してのメリットだ。しかし、その後どうするのか?どうしたいのか?がまったく示されない。一番の痛手は、鳩山さんが次回の選挙には出ないと宣言したのに、何があったのか知らないが時を置かずして簡単に撤回した。さらに小沢さんが国会の決定があれば国会招致にいつでも応じると公言したのに、今、起訴され司法の場に移ったので、それはできないと言う。この点からすれば自民党の時代には世論にはもっと正直だった。その謙虚さを感じない。
 方やその後を引き継いだ菅さんは”有言実行”を掲げている。これが別政党ならいざ知らず同じ政党内での矛盾だろう。いい加減にしろよ。このままでは本当に日本はどこに行ってしまうのだろう。
 幹事長や党代表の要請に応じない人は、政党内に籍を置くべきでないと私は思う。その勇断を待ち望んでいる。何を恐れているのですか?それすら出来ないで領土問題など重要案件を話し合って相手国はどう思いますか。それ位の判断をどうして彼らは判らないのでしょうね。(民主党には、倫理規程なるものがないのですかね。有っても実力者は特例ですかね)
 これって学び合う関係がないからなんですよ。有言実行と言ったならば何を言って何をやるのか位ハッキリしなさいよ。説明すればするだけ言い訳にしか聞こえないのには困ったものであります。
 当分、私の鬱憤独り言は終わりそうもない。言っておきますが民主党だけの問題じゃーないんだからね。アンタ達も大いに反省すべきですよ。

1636:”嘉”に想う

ここ続けて知り合いや親戚の不幸があり、葬儀に参列することがあった。
島田という宗教学の大学教授が著した「葬式は要らない」という文庫本が結構売れているという。彼はオウムや新興宗教に関する著作もあり、我々坊さんにとってはちょっと気に成る存在である。確かに最近の傾向として葬儀事情が明らかに変わってきている。直葬や樹木葬といった聞き慣れない言葉が急に出てき始めた。
 そこで私なりの想いを”嘉”という字で説明したい。音読みでは”カ”で、訓読みでは”よみする”となる。つまり、”永年の功を嘉する」というように使われる。嘉徳となれば、相手の長年の功績に対する最高の敬意表現となろう。
 私は自分が導師となり葬儀を上げる事は数えきれない程行って来た。逆に自分が弔問者として参列する経験は多分1割程度のことと思う。
 義理で参列する場合は別として身近な人の悔みは大体が早めに伺って久しぶりに会う人と話をする。実はこれが大切だと思う。故人が身近であればあるだけ死を自分のこととして考える機会となる。お互いに健康でいようと約束し、葬儀が終わって自宅にもどる。それと遺族にとっては、自分達が知らなかった故人の付き合いの広さや思いがけない人の弔問を得て想いを新たにする。遺族は弔問された人達に後は私達でがんばって生きて行くと約束する場となる。
 これが葬儀の主なる目的であろう。引導を渡すという僧侶の役割を前面に出して今の人達は納得しない。そう私は思っています。
 私の寺を例にあげれば、昔からの檀家さん1/3程度だろう。新しく入檀した人達は家に近いお寺というのが一番の理由である。そこに信仰心というものは薄い。これ実態です。通夜や葬儀で良く説法される坊さんがいます。これは、程々が良いと思う。長々と自派の教えを説く住職もいるが、あの席で果たしてどれだけの方が納得して耳を傾けているでしょう?
 時計を時々見ながら落ち着かない姿があります。
 私は49日法要の時に、少しお話させていただく、それは遺族にとってガタガタして落ち着かない状況で葬儀を迎えるのが大半だから、故人への想いを頭で整理できる状態ではない。少し日が経つと確かに故人に対して”嘉する”想いが出てくるものである。
 本日は95歳のお婆ちゃんの葬儀が今からあり、迎えをまっている。お寺の目の前の家の方である。私が生まれた時から良く知られているお婆ちゃんで格別の想いがある。
 35年前に旦那さんを亡くし、その後3人のお子さんを育てあげた。家族の献身的な介護があって不自由な体になってからもがんばって旦那さんの分まで長生きした。

1637:首脳外交

G20・・APEC・・と首脳による会合が続く。一体何を話し合っているのだろうか?いま横浜周辺は非常事態で全国から警察官が招集され、物々しい警備がなされている。よこはま未来都市周辺は終わるまで大変だ。最近、訳の解らない横文字が氾濫している。英語の頭文字を並べた略語なのだが、余りにも増え過ぎて調べる気にもならなくなった。あれでよく混乱しないものだと感心する。日本人の外国語力は先進国でも低い。島国という事も大きく影響していると思うが、やはり江戸時代の長年の鎖国政策が今に続いているのではなかろうか?
 まだ遅くはない。小さい頃から英語に慣れ親しむ教育環境を作るべきでしょう。私など大して英語力は無いのだが、気にしないで旅行に行ってしまう。でも失敗談を数えれば切りが無い。もう少し会話が流暢にできればと何度思ったことか。
 最近の日本の総理で英語が得意だと言う方もあったようだ。しかし、それが首脳外交を成功させたという話は聞いていない。
 今後益々日本は外国人の受け入れをしていくことになろう。その事を考えればもっと身近に英語を感じるような政策が必要だ。
 ところで、昨日は寺の目の前の家のお婆ちゃんが95歳で亡くなった葬儀があった。いつもなら収骨まではたち合わないのだが、昨日は別だった。待つ間、清宴が設けられる。昔懐かしい人が沢山いて、飲めない酒を調子にのって飲んでしまった。いざ収骨の時間になって、雲の上を歩いているような気分、何を拝んだのか分からない。多分、副住職が一緒だったという気の緩みがあったのかもしれない。それでも無事、納骨まで終えることができた。何せ私が生まれた時から良く知っているお婆ちゃんだから許してタモレ。
 最近の私のこのコーナーでの話題は、葬儀か政治への不満というお決まりのパターン、これはマズイと思っています。もう少し、将来が明るくなるような元気づけられるような内容を書けないのか!・・・・・・・・・。
 あっそうそう、一つだけありました。ご披露しましょうね。
 NO:1611の『挑戦!』で紹介した、南アフリカで開催された障害者のサッカー大会で日本代表に選ばれた茨城県出身のSさん。この方が働く同じ会社の方が近所にいた。彼から清宴の席でSさんの事を話しかけられた。会社の有志で壮行会を行ったと伺った。そうだ、彼は次のブラジル大会に向けてもう再チャレンジを始めているんだ。仕事をやりながらの練習で4年後の大会に向け今から励んでいる。お母さんも熱心で丁寧なお礼の手紙を頂いた。地元の新聞社もどこに目を付けているんだい。Sさんの紹介コーナーでも取り上げなよ。多分、多くの読者に感動をくれると思うな。還暦を迎えた私などは4年先はちょと厳しい。せめて半年後ぐらいの目標は現実味を帯びてはいるが、これだって危ういものだ。
 半年後といえば、まだ実現半ばの遍路が気になって仕様がない。有言実行を掲げる私としては意地でもやってやるという気概だ。明日にでも行きたいところだが、・・・・む。
 健康を保つという事は自己責任、誰かがやってくれることではない。日頃からの努力あるのみ。
 現実をありのままに受け入れ、その中で何かを見つけていく。これが我々にできる最善の生き方ですね。
ちょっと余談です。私が今読んでいる本良いですよ。
 『「生きがい」とは何か。』小林司著:NHKブックス。920円+税
 

1638:寂聴の魅力

つまらぬ夢物語を描いている。還暦を期に一つ挑戦してみようかと考えている。畏れ多くも小説を書こうなどと身の程知らずのことを。
 売れる売れないに全く興味は無い。ただ、完結本ではなく続き物として文字にしたいと思うのだ。少なからず自叙伝的内容にならざるをえないかもしれないが、自分としては能力の有る無しに関係なく出来うればフィクションとして纏めてみたい。
 願わくばこれを機会に一切の役職を辞退し、どこかに籠って文脈を練ってみたいのだ。それが許されるかどうか私自身が決断すれば良い事。
 瀬戸内寂聴さんを目指すと言えば”大言壮語”と叱責を買う。でも別に誰に迷惑をかけるわけでもないだろうし目標は高くという気分だ。彼女の生き方に多くの読者が魅力を感じている。老いて益々何かに挑戦しようとする生き様だ。正直彼女の作品を多くは読んでいない。だが、寂庵説法はテープで何度も聴いている。東北・天台寺での説法も実に面白い。真似て出来る事では無い。何故、あれだけ人々が彼女の話を聞きたくて集まってくるのか?
 一言で言って、”難しい仏教を語らない”からである。世の中には理解しているのか否か解らない専門家を自認する輩が仏教を難しく話す例は箒で掃いて捨てる程ある。これじゃー駄目なんだよと僧侶の私だって感じる。仏教の真髄を理解した上で相手に応じて話をするのが本来の姿、寂聴法話には、そのエッセンスがあると私は見ている。
 話は体験を通じたものとそうでないものでは聴く側にとって各段の差となる。彼女の書く作品で官能小説のイメージが強いものは初期の作品で僧籍をとってからのものは大きく変化した。内と外の両面から見詰める。最近、若手の坊さんが仏教を面白可笑しく書いた文庫本が書店のコーナーに並ぶ。でも正直1冊読めば充分だと感じてしまう。それは何故か?簡単だよね体験が浅い。それだけの事。背伸びして書いているからネタが直ぐに切れる。
 私は18歳で東京に出た。興味本位で街をウロツキ、本業の学生生活は山登りのサークル活動だけ。それだって今思えば熱心というわけでは無く、正直自分の身の置く場所が見つからなかったからだ。どうにか卒業はしたものの、専門が何だったかなどお世辞にも言えない。それから40年、紆余曲折があったが、僧侶と施設の2足の草鞋を履いてやってきた。多くの人達の支えがあって今がある。喜怒哀楽、様々な思い出が湯水の如く溢れてくる。
 そして、様々な人との邂逅や別れ、最近、そんな自分を少し引いて見詰める事ができるようになった。このまま走ることも出来るとは思うが、人生のターニングポイントという意味では無く、中間纏め的な時間が欲しくなったのである。
 冷静に自分自身を見つめて、枝葉の事に振り回されすぎたとという反省がある。
 そろそろ自分自身の名前に正面から立ち向かう年齢になったのではないか!
”福祉”・・・なぜこのようなとんでもない名を親は付けたのか?現世で自分なりの答えを掴まないと来世に渡って両親に顔向けできない。
 

1639:いくら?

寮の前にいつの間に小さなビニールの温室ができていた、Sさんが何かの植物を育てようとして買って来たという。朝、私が学園に行くと彼はホームセンターで400円で買って来たというワラを苺の苗に敷きつめていた。「おはよう!何やってんだい?」と私が尋ねると「霜が降るとまずいからワラ敷いてんだよ」と答える。「ジュースできたら飲むか?」と逆に聞かれた。「ああ 待ってるよ」
 ニッコリして頷いた瞬間、彼の表情が曇った。
「理事長 人形供養すんのか?」 急に何を言っているのか分からず黙っていると「俺の人形の髪が抜けるんだ。供養してくれよ。いくらでやってくれる?」これには参った。「何処にあるんだい?」「俺の部屋」「じゃー持ってきな、今からお経をよんでやるから」「いくら?」「いいよ。ただでやってやる」
 それから上記写真の人形を持ってきた。髪が抜けるというのは、最初ショートカットだったのが伸び始めたということらしい。「そうか 解った 俺がお経を読むから焼香しなさい」彼は線香を2本あげ、経が終わるまで手を合わせ神妙にしていた。
 「この人形 どうしたの?」「もらった」「誰から?」「・・・・・母さん」私はSさんのお母さんを知らない。「母さんがくれたのか。いま何処にいるんだい?」「日立の病院に入院してる。人形を供養しないからかな。嫌な事がおこるんだよ」
「そんなことない。大事にしてる人形だろう。」「火葬いつする?」一瞬言葉に詰まった。「こんど炊き上げるからその時は知らせるよ」  彼は 暫く私の動きを外で見ていたが踏ん切りがついたようで温室前でワラ敷きを始めた。
 彼は実に不可思議な人間だ。愛車(自転車)にはギイラギラ光る電飾をつけ、得体の解らぬ看板をぶら下げ、カーボイハットを斜めに被りサングラス、その格好で颯爽と会社にいく。彼は昆虫採集が上手、それで困ったのは、山で取ったカブト虫を売り始める。地域の子供たちを大勢引き連れ、山で昆虫探しの指導もする。何度も小学校より注意して欲しいという連絡を受けている。本人は悪い事をやっているつもりは全くない。残念なのは地域の理解はそうではない。親からの苦情だ。これが実態なんですよ。
 でも、そんな彼が母親からもらった人形を大切に持っていたなど全く知らなかった。
 昨日、倉持先生の講演で施設を利用している人で100%自分から好んで入ってきた者はいません・・・・・。という話を思い出した。私もそう思っている。できれば両親や家族と一緒に生活できれば良いんだ。でもできない。何故だ?
 本当に彼らを受け入れる地域が無いからだよ。大半の人達はなるべくなら関わりたく無いと考えている。近所にいれば迷惑にさえ思う。そこまで日本人の情が薄れたとは思いたくないが、現実は厳しいものがある。綺麗ごとを言う人達はいくらでもいます。でも、自分から率先して手を差し伸べようとはしない。これをどう表現したら良いのか判らない。
 私が地域の人達に望むことは、彼らに声をかけて欲しいということだ。散歩すればうるさい位、挨拶をするメンバーが沢山いる。彼らには他意はない。
 家族を心配する気持ちは全く違わない。むしろ彼らのほうが純粋で見返りを期待しない。
人形供養も様々あるが、Sさんの気持ちが少しでも楽になればそれで良いと思った。
 そうそう、神立地区は子供たちが土浦5中に通う。私の母校だ。ここ数年で気付いたことがある。自転車通学している学生が道ですれ違うと彼らから「こんにちわ」と大きな声で挨拶してくる。どうしてこう変わったのか知らないが、我々が出来る事は身近にいくらでもあるという一例だ。

・・・  いくらかと聞かれて 返す言葉なし
                 彼の想いを 知って充分・・・・・・

1640:酔生夢死

”毎日 毎日 食っちゃ 寝え 食っちゃ 寝え 何もせんでゴロゴロしとって とっとと起きて 働かんか!”
 茨城弁というものは迫力満点である。
『酔生夢死』とは「何のなす所もなく、いたずらに一生を終えること」を言う。実はこれは意味深いのである。もしも身体に重い障害があり、寝たきりで身辺の全てに人の助けがなければ生きていけない人だったらどうか!なんと薄情な事を言う奴だと非難を浴びるはずだ。
ルソーが「エミール」の中で「最も多く生きた人は、最も長生きをした人ではなく、生を最も多く感じた人である」と述べている。{小林司著:「生きがい」とは何か。P20}
 この言葉を今の日本に当てはめてみる「長生き」=「経済発展」と読み替えてみると何かが見えてくる。GDPだかGNPだか知らないが、数字のマジックに誤魔化されていないだろうか。物が巷に溢れ、それでも手をかえ品をかえ更に消費意欲を駆り立てる。何か我利我利亡者を見る思いだ。何かに取りつかれたかのような姿が至る所に見える。
果たしてこれで「生」を多く感じることが出来るのでしょうか?「生」とは言うまでもなく、自らが生きた実感だ。巨額の富を得たものがそれをどう生かすか、そこは問わない社会。何か大切なものが抜け落ちている。寿命という言葉は、生命のある間の長さを言う。昔から人の死を寿命だから仕方が無いと慰めた。大いなるものが定めた齢という。それをありのままに受け入れて身近なものは逝く者を見送った。
 不自由な体を精一杯つかって描いた絵が人の感動をよぶ。これはご本人だけの問題ではなく、周りの人達へ「生」を感じさせた生き様だ。こんな社会にいつなるだろうか!なにか逆の方向に凄まじいスピードで進んでいるように思えて仕様が無い。多くの日本人が溜息をつきながら生きている。社会的弱者を健常者や強き者にとっての負担と見る。日本の歴史を見てみると国内で常に権力闘争があったことも事実だ。現代は国内だけに止まらず外国との関係を無視できない。今に至る繁栄は多くの部分で外国に物を売って得た外貨による。東のアジアに位置する島国日本は資源に乏しく、ここに至る先人の努力は筆舌に尽し難い。いま円レートの上下に一喜一憂する企業、利子の上げ下げの政治的判断にしても借金がここまで膨れ上がった国の財政への影響を考えれば一筋縄ではいかない。そして世界に類をみない高齢化社会。直面する様々な課題に対し、何を最優先するかという判断ができず、閣内での意思統一さえできない。この状況を今回のAPECで諸外国の首脳の前に曝け出した。
 今の菅政権だけをどうのこうの言うのではない。政治に関わる人達の全ての責任だ。誠に残念なのは、政府提案した議員報酬下げの法案を民主党内で反対する連中がいるということ。彼らは一体何を考えているのか?
 政治とカネの問題が何か元総理と元幹事長だけの問題とでも考えているのだろうか。そうじゃーないだろう!特権階級に自らを置いてのうのうとしてきた。もっと庶民の生活に戻れと言いたい。JAL再生の為に大幅なリストラがされると言う。民間に対してはここまで大ナタを振る。しかし、自らの事には全党一致でバリアをはる。ここに病巣があるのだ。
 それでも有権者が怒らない。我田引水、隣に蔵たちゃー腹がたつ。なんやかんや言ってもだ。その国の形は国民のレベルでしかない。これホント。
 「生を多く感じて生きた」ということを多くの人に感じてもらいたいな。
 昔の農家は、山に木を植えた。次に家を建てる時に使う材料にと。それが今、大変な負担となっている。木が日差しの邪魔になるといって伐採命令、枝を燃やせば苦情が殺到、産廃で処分すれば膨大な費用が掛かる。
 これが実態。人が多過ぎる日本、少子化を喜べる国になれば、多くの悩みは自然と解決する。
事業仕分けって本来何???

1641:信賞必罰

昨日、”縁”を感じる出来事があった。いま一時帰国されている中澤さん御夫妻と上野で会った。沖縄での地方会を終え、時間がとれたということで前から約束していたものである。ここ数日の気温の下がり具合からどうかなと心配したがとてもお元気で文化会館前のテラスで2時間ほど話し合った。
 用件は来年、13回目のACE地方会を茨城でやって欲しいという話であった。マレーシアに渡り18年という。ペナン・スワラクそれにボルネオと着実に障害者向け支援センターを作ってきた。私はいくつか資料を持参し、「gotong royong」の英字コピーを見せた。「何故、住田さんはこのことを知っている?」と驚いた様子、これは1週間前に筑波大の中田教授の講演を聞いた時に初めて知った言葉だと説明した。興味があったのでインターネットで調べたものを持っていた。
 当に、中澤さんのマレーシアでの活動がgotong royongであるということが分かった。電気が無いロングハウスに住み、地元の人と活動をしている。是非ともボルネオに来て見て欲しいと言われた。
 中田氏と中澤氏は全く面識がないはずだ。しかし、gotong royongという言葉でつながる。”縁”を感じた。
 この処、私の心中になにがしかの変化を感じている。今のまま突き進む事への疑問だ。1年の流れが決まっている。予算要望時期である。県のレベルでは、身近な話合いになる。双方に必要性は感じている。国のレベルでは、そうはならない。正直、その活動に疑問を持っている。いくら同じことを続けていても何も変わらない。その間に足元から大きく崩れてくるものが置いてきぼりになっている。それは何か!昨日、ご夫妻と話し合っていて、日本人が学ばなければならない事が国内ではなく、東南アジアなどに沢山あることが分かった。『共助』の想いが無くて、何をノーマライズするというのか?日本人の考え方そのものを変えるとなれば正直無理な話。日本人が忘れていること、支えになる大切な教えが見えにくい、一方、今のままで良いという考えを持っている人もいるだろう。平和で豊かで制度が揃っており、何不自由なく物が揃っている国。
 これは戦争で破壊されつくされた荒野から描いた理想の姿だろう。それを否定などしない。戦後65年がたった。私は未だ日本は戦後処理が終わっていないと思っている。領土問題だけではない。こころの自立がなっていないと思う。
 いつの世にも思い通りにならないことはいくらでもある。仏教の「空」の教えがそれである。幻影を一生懸命掴み取ろうとする。
 有名な俳優の奥さんが4歳の子を残して自死した。パニック障害や鬱と闘っていたという。真相は解らない。でも俳優が出演している公演は休まず続けるという。なんと残酷な話だろう。ここに俳優魂を感じるかどうか?私には分からない。
ボルネオにあるロングハウスをテレビで紹介した。日本流で言えば長屋、老若男女一緒の生活がある。
 日本は隣近所の付き合いが希薄になった。それを嫌がる傾向が強い。人間は一人では生きていけない。立派な一戸建てに住む事は夢だった時代、それは然程前の話では無い。
 障害者のノーマルな生活を掲げる以前に一般の人々の生活パターンがこれで良いのか、真剣に考えることのほうが先かもしれない。
 "信賞必罰”とは賞罰を厳格に行うこと。これは人間が人間を決することではなく、本来、自分が人生を閉じる時に自分で決めることだと私は思っている。裏を見せ表を見せて 生きて行く これができる社会は本当の意味での豊かな国だと思う。
 

1642:私流

昨日の国会中継をちょっと見ていた。正直な話、まだ同じことをやっていると思って消した。大臣がどこかの集まりで国会答弁は2通り有ればそれで良いと発言。これがバッチリ録画に撮られた。ホンネかタテマエか?口が軽いという限度を超えた内容だ。
 でもな、それを大切な予算審議の中で謝れ!撤回しろ!大臣やめろ!と追及、正直、まだそんな事やってんのかよ。
いい加減にしてくれ。永田町周辺だけの特権者の無駄な議論だ。両者とも全国放映しているテレビを意識している。ありありである。メデアを利用することはそのリスクも大きいということを忘れている。
 その最たるものが、委員会中にメモを渡された大臣がそのメモをバッチリ新聞記者に”盗撮”された。しかし、これを盗撮というのであれば公開せずやれば良いじゃないか!透明性のある政治なんて言うからおかしくなる。
 ガードの甘さというのか慣れ合いというのか、はたまた危機感が欠如で規律が無い世界だ。
 ただ気を付けなければならないことは、完璧な人間はいないということ。誰しもが長短、併せ持っている。相手の欠点を穿り出すような行為は頂けない。あまりにもそれがエスカレートすると何をお互いが主張しているのか判らなくなる。
 泥仕合の様相を呈することになってしまう。そこは冷静な判断が国民側に必要かもしれない。それと どうだろうか”予算委員会”という名前を変えたら。国民からみて、委員会の内容がどうも予算審議とはかけ離れた事をやっているとしか思えない。ですからね、政治主導とか言っても、何をもって政治主導なのかがサッパリ伝わって来ないのです。
 正直、昨日は疲れた。午前中から会議があって、場所を変え3つの会合に出席、そこで私のホンネを吐露したい。
 会議に欠席する事情はそれぞれ有ると思う。しかし、私流の狭い取るに足りない言い分は、できるだけ自分の責務として参加すべきだと思う。後で聴いていなかったとか知らなかったと不満を言う人もいる。これはもう話にならない。組織として纏まりを保っていくことは至難の業、それぞれの言い分を聞き、取り上げていったら際限が無くなる。
 まっこれ位にしておこう。愚痴邪見に得るものなし。
実は大分前にデジカメ(キャノン)を欲しくて買った。望遠レンズ付きのグレードはまあまあ、植物や昆虫を撮ろうと思って手に入れた。しかし、実は一度も使っていない。勿体ない。でも撮る気持ちが全く無くなってしまった。時々、携帯内蔵のカメラで写す位である。
 ここにきてちょっとカメラを持ち出してみたいような気持が出てきている。私は風景などを撮りたいとは思わない。目を近づけてやっと見えるようなちっちゃなモノを撮りたい。
 ドンドン先延ばしになっている遍路だが、年内に是が非でも行く事にしたい。道端に何気なしに立っている石仏など・・・カメラで写して見たい。
 仏たちは世の中の動きを黙って見ていらっしゃる。ああだこうだと顔突き合わせて非難し合う事も無い。表情一つ変える事も無く、誰が訪れるかなど無頓着。こりゃー凄い事だわな。出来ることじゃーねーよな。
 これが私の究極の生き様だ。現実は全く反対の生き方をしているのだから、どうしようもない。仏かたって信心なしだ。
 

1643:過去の検証

『20世紀は人間を幸福にしたか』柳田邦男著:講談社文庫
 暫く私の机の上に置かれてあった。・・・・「偉大な進歩と発展」を遂げたはずの百年は果たして一人ひとりの人生を幸福にしたのか?あふれるモノとすさみゆく心。繁栄から始まる衰退。・・・・・
 21世紀に入って10年が経った。柳田が危惧した状況が世界中至る所で起こっている。グローバル化という言葉が最早新鮮味を感じない。「地球規模の」という意味はどこの場所の何を基準にしているのか明白では無い。それと大量の情報とスピード、その恩恵を享受しているはずの先進国ほどその被害が大きいという矛盾。
 人間の寿命は精々80年、幼児期から始まっって青年〜成人〜老齢期と歳を重ねる。その歩みは本来ゆったりとしたものである。幾つかの失敗を経験して、体得した生きる知恵、それがデジタルで何らの苦労も伴わず簡単に手に取ることができる。仏教に「事教不二」という教えがある。「事」=行い。「教」=考え。は別々のものでは無くて一体でなければならないという。
 ここに現代のあらゆる齟齬(ゆらぎ)をきたす原因がある。規範の曖昧さや価値観の多様化は溢れる情報を整理させるだけの個人の能力限界を超えたがために起こっている。
 国と国の境が問題になっている。しかし、偏西風の動きが近年、予想外の動きを示すように人為的に決めた国境など地球の自然の変化に対しては全くの無力となる。
 様々な人種や宗教が現に存在する地球で「はやぶさ」が奇跡的に回収され「いとかわ」から採取した粒子の調査が進めば我々人間にとって何か新たな気付きが起こるのではないか?この宇宙の成り立ちが少しでも解明されれば、地球上で繰り広げられる無意味な争いごとが止む方向に進むかもしれない。この可能性はハヤブサが地球に帰還できた確率よりも難しいことかもしれない。
 ただ言えることは、今すぐに出来なくとも皆が思い続けることが大切だと思う。時間は止む事はない。一刻一刻時を刻んでいる。過去の負の遺産に蓋をして、良き事に目をやりなさいという考えにも一理ある。人生を悲観的にばかり見ていれば後で後悔しても間に合わない。
 ただ現状は決して楽観的な考えを許す状況になってはいないでしょう。
私が一貫して言い続ける政治への不信、この基底部分に触れる事柄を示そう。国会議員の歳費1割削減の提案に党内意見が纏まらなかった(?)民主党がのったという。国会議員の使命そのものが問われている中で、なんとも視点のズレた連中がバッジを付けているのか!反対した議員の実名を公表すれば良いんだよ。有権者のホンネは現状の議員数の半分で良いと思っている。余りにも多過ぎるから個々の動きが見えない。どこかの議員が自衛隊の入口で「俺を誰だと思ってるんだ!」と粋がったという話。言ってやれば良かったのに「知らねーよ」と。今でもバッジの凄み(幻想)をチラつかせる輩がいるということだ。
レンホウさんよ事業仕分けで何故議員定数の問題を取り上げない!大臣のイスがステータスとなっている。彼らはその職責を果たすことよりも如何に長くその場に居続けるかに関心がある。九〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇円。これはいくらと思いますか?
 民主党が公約した無駄の削減の総額、9兆円、なんとゼロが12個並ぶ。実際に仕分けられ削減できそうな額が2000億。
 これをどう判断するか!政権与党に媚を売るような事は私の性分では断じてできない。野党だって然り。アンタ達が力を持たなければ変わらない。
過去の検証には痛みと勇気が条件だ。
 

1644:秋晴れの下

日曜日は”尚恵祭”が行われた。この時期一番気に成るのが天候だ。しかし、ここ数日好天が続いていた。風も無く穏やかな1日となった。当法人の中ではメインな行事、派手さはないが、多くの人が参加してくれる。恒例になっている五中のブラスバンドの演奏を皮切りに俄か舞台の上で出し物が続く。Dさんが珍しく私の所に寄ってきて何かを訴えてくる。何だろう?先を読んで彼の言いたい事を探ってしまった。本来ならば彼の言葉で言ってもらうべきところ。。。。彼は単語を噛みしめるように話してくるので聴く側も覚悟がいる。
 ほぼこんな事を私に訴えてきたようだった。彼は最近、茨城空港より神戸に旅行に言って来た。妹さんも沖縄に行ってきたばかり。彼が職員に話したという「おとうさんと一緒にりょこうがしたい」 ・・・・・・・・。
 開会の挨拶があり、彼との話は中断した。いまも気になっている。明日にでも彼の話をゆっくり聞く事にしよう。
 昨日はお父さんも学園に見えていた。
 秋晴れの下で様々な人間模様がみられる。何と言っても私が一番気になるのが面会に誰も来ない人達、彼らの心中を思うとこれらの行事が果たしてどうなのかと考えてしまう。
 ”試練”という言葉、これはどうなんでしょうね。家族の絆・・・喜び・・・笑い・・・尚恵学園の生活に欠かせない大切なもの。これが複雑な綾取りゲームみたいに一筋縄ではいかない。
 日本は、多分平和なんだろうな。中東などでこのような集いをやれば真っ先にテロの標的にされる。大きく報道こそされないが中国の炭鉱で紛争があり死亡者も出ているという記事があった。世界は目まぐるしく変転する。
 今では全国各地で起こった様々なニュースがリアルタイムで報道される。それに慣れてしまったがために新たな問題が起こっているのも事実だ。新鮮な感動が湧かない。問題が素通りする。
 事の真相は瞬時に判るものでもないだろう。風評真っ盛り、多種多様なメデアとどう付き合っていくか、これが結構大きなことになっている。
 本日、健康診断あり、朝から何も食べず、病院へ行く時間となった。中断
 今日は鼻からの内視鏡検査があった。私は2度目、鼻から麻酔?液をスプレーする。結果は特に異常は見られず、生検もしなくて済んだ。しかし、その後、頭が痛くなった。多分麻酔の影響だと思う。大して強い麻酔ではないそうだが、暫く横になっていて元に戻った。大学病院だけに大勢の方が検査に来ていた。流れ作業で次から次に検査する。オプションの一覧表を貰ったが、あれ全部やったら大変だ。とりあえず今回は一般検査だけで帰ってきた。
 昨日の秋晴れとは一転して雨模様、1日狂ったら尚恵祭は大変だった。屋外の行事だからいつもヒヤヒヤもの、今日は昨日の跡片付けで職員が忙しそうに動き回っていた。お疲れでした!
 

1645:内憂外患

NHKの佐野さんありがとうございます。「明日への言葉」久しぶりに何か勇気をもらったような気持ちになりました。私はラジオ深夜便の常連です。早く寝るから目が覚めるのか静かな時間に物想いに耽たいから早く寝るのか?
 どっちでも構わないのだが、時々、深夜便を聴いていて「今日は儲け!」と思う事があるのです。懐かしい歌が聴けた時とか良いトーク番組に出くわした時など。必ず私はその時のデレクターにメールをします。すると必ず返事が返ってきて、取材の裏の事情とかその後の話など教えてくれます。
 今回は、戦災孤児のアメリカンドリームと題したもので、主人公の秋葉さんが一時帰国されてのインタビューであった。
今、どの位の日本人が外国で生活をしているのでしょうか?仕事の都合で一時的に海外生活を送っている方を除いても相当の数の人々が生活の根拠を外国においていると思う。その人達が今の日本をどうみているか?掛値なしの話を聴けたら面白いだろうな。日本に住んでいるとどうしても目先の事に振り回されてしまう。何が大切かという事もツマラナイ出来ごとに覆い隠されてしまう。法務大臣の失言退陣など、まさにその典型的なもので、さっさと替って本文を全うしてもらいたい。これも多分、井の中の蛙的不満だと思う。
 今の日本人に欠けているのは、「一人で生きていける力」ではないだろうか?目先の損得に関心が集まり、畢生(ひっせい)の仕事を見いだせない人が増えてしまった。自らの責任を棚上げし、職場や上司への不平不満を言い過ぎやしないだろうか?こういう自分も大いに反省しなければならない。ただ公憤と私憤は別物だ。それさえ否定されれば無気力人間と変わりない。
 大いに怒れ!ただ自らの言動には責任を持て、当前そうあるべきだ。
スポーツ選手の代表格はイチローだろうし、それ以外にも多くの人々が外国で活躍されている。先の話の秋葉さんがアメリカに渡った時代と現代は大きく変わっている。一攫千金を夢見て日本脱出をはかる人もいるだろうが、大半の人達はそこまでは考えない。日本にいたって食っていける時代となり、生活の為という理由は減っているのではあるまいか。むしろ何かに燃焼したいとか未知の可能性に挑戦したいという気持ちで海外に行く人だっているはずだ。
 そんな人達が日本をどうみているか?外からの視点でこの国の容を論じてみる必要を感じる。
 海外ボランテアで活躍している人の話を聴くと私など居ても立ってもいられない。私の年齢になれば、容易くは活動する場が見つからない。高齢社会を問題視するのではなしに、その人達の経験を活かせる場をもっと作るべきだと思う。国内にだっていくらでもあるだろうが、もっと海外において活動できる場所を創造して欲しい。
 何故、そう思うのかと言えば、リタイアした人達の御蔭で今の日本があるという事実にもっとライトを当てるべきだ。戦争の悲劇を体験している人達は、いま大半の人が現役を退いている。その人達が今何をやっているかと言えば、次の世代に二度と戦争をしてはいけないと語り伝えることはやっていない。
 それを良い事に戦後の世代の多くが、自ら築いた繁栄と勘違いし、その利息で食っている。利息どころの問題では無く借金が膨大になっているにも関わらず、事の深刻さを見て見ぬふりをしていないか。
内憂外患とは良く言ったもの、格差拡大の是非を論ぜず、ナケナシノ財布の中身をあっちこっちに振り分ける。これで本当に良いのでありましょうか!先ず隗より始めよ。私なりに今、密かに構想をねっていることがある。
 

1646:抒情演歌

吉幾三が歌う曲は前から好きだった。津軽弁丸出しでユーモアがあって絶妙なお喋り、静と動を持ち合わせ、喜劇役者としての才能も充分、静の部分は、自らの感情を歌いあげる演歌、雪国・酔歌・酒よ・・・などはカラオケ大好き人間の持ち歌だ。彼が20歳でデビューした時の芸名は知られていない。山岡英二という名前で『恋人に君ひとり』でのデビューだった。そのような名前は誰も知らないだろう。その後の活躍は言うまでも無く著名なシンガーソングライターだ。
 別に彼の事を取り上げるつもりでは無い。夜中にメドレーで聴いていて、特に「娘よ」という長い曲を聴いていたら涙が止まらなくなってしまった。彼に娘がいるのかどうかまでは知らないが、年頃の娘を持っている親達には胸にせまるものがある。
 実は、昨日、入院している方のお見舞いに行った。二か所の病院だったので帰りが遅くなってしまった。お二人とも娘さんがいる。此方からの声掛けをわかってくれたかどうか定かではない。でも元気な頃を思い出せば今、ベッドの上で必死に病気と闘っている姿をみて、なんとも言えない気持ちになった。
 行く行くは誰しもが経験することなのだが、それをツイツイ忘れてまだ先の事だと思っている。無言だが、もの凄く大切な教示を受けたように思った。
 人間は生きる上で何かの支えがどうしても必要だと思う。それは精神的な拠り所、仏教は”無常”を説く。普段私達が追いかけている富や名誉には実体が無いと断言する。しかし、大部分の人間は、その幻影を懲りもせずに追い求める。早い遅いに関係なく、いずれその真意に気付く時がくる。その時にもっと早く気付いていれば良かったと後悔しても仕様が無い。
 膨大な量の仏教書も煎じつめれば、その1点に行き着くと思う。
 ただし、我々は所詮、その教えに従順ではない。孫悟空のきんとん雲ではないが、妙に自尊心が強く、疑い深いものだ。人間がいよいよ死を覚悟したとき、それら全てがどうでも良い事になって、裸の自分を曝け出す。その時、傍に誰かが居て欲しいと思う。
 人生80年でも90年でも幕を閉じる時に振り返れば多分、瞬時の出来ごとであろう。
 人間が複雑な生き物だという証は至る所に見てとれる。
 いま、広州でアジア大会が開催中、それを狙ったものかどうかは分からない。北朝鮮と韓国の国境周辺での砲撃が起こった。朝鮮戦争は未だ終わっていない。停戦協定を結んだ段階でいつ再燃するか分からない。
 同じ民族で国が2分され、もう60年以上がたっている。
 その同じ時間に広州ではアーチェリー競技の表彰式があって、両国の選手が握手を交わしたという。
世界最速のスーパーコンピューターを競う一方で依然として紛争が止まない。この歪みを未来永劫にわたって持ち続けなければならないのだろうか!
 

1647:やすらぎ

私の念願だった観音様を境内墓地に建立しました。聖観音像です。ちょうど高圧線の鉄塔が立っている間が空いており工業団地からも見える場所です。「やすらぎ」と命名しました。
 観音寺の本尊は千手観音です。ちょっと観音様の紹介をしましょうか。
観音菩薩は梵名でアバローキテーシュバラと言い、この意味はアバ(遍く)+ロキタ(見る)+イシュバラ(自在者)という語の合成語だと言われ遍く一切のモノを観る菩薩です。経典としては法華経の『観世音菩薩普門品第二十五』(観音経)に出てきます。その中で一切の衆生を救う為に相手に応じて33に変身して現われると説かれています。西国33観音霊場や京都の三十三間堂などがそこから来ています。真言宗豊山派の総本山長谷寺(奈良桜井市)の御本尊は聖観音で真言はオン・アロリキャ・ソワカです。
 私が何故、観音像を建立したかったかという理由は、ここでは触れません。悪しからず。
しかし、寺を訪れる人達が観音様の前で手を合わせ、何らかの安らぎを感じていただければそれで充分なのです。
 私はNO:1645(内憂外患)で外国から今の日本を見つめ直す必要性に触れました。
 水道の蛇口を捻れば、水が飲める、義務教育が徹底し、病気になれば保険で治療ができる・・・・そんな日本。これを当たり前と思っています。現実には世界には飲料水の確保だって儘ならぬ国が沢山あります。予防注射さえ受けられず沢山の子供たちが幼い生命をなくしています。私達が今何が必要でどうすれば得られるか?良く考えてみる必要があると思っています。
 身近な実例をあげてみます。介護の必要性は誰も疑う余地がありません。実体はどうでしょうか?介護事業で大儲けしている人達がいます。財源は介護保険とはいっても税金ですよ。一部の人達が花形産業と大出を振って富を得ています。本来社会保障は国が行うという理屈は解ります。しかし、不公平な実態に何ら解決の目鼻がつきません。
 お金が有れば何でもできると思っていないでしょうか?この考えを推し進めて行けば争いごとが必ず起こります。
史実が如実に示しています。
 観音様は一切の衆生に公平な救いの手を差し伸べると言います。多分、どのような理屈を付けても今の日本の有り様は違います。つまり、当前のこととして享受している様々な恩恵、これに報いる事業体が本来の福祉事業だと私は思っています。経営に関わる一部の人だけが利益を得ることでは、全く意味が違います。ここの整理ができていないのです。
 様々な行政監査や第3者による評価の仕組みはあります。しかし、そこからこの国の容を見出すことはできません。
何故だと思いますか? 
 それは多分、思いやりや助け合いの気持ちをお金で考えるようになってしまった事が一番の理由だと思っています。
 見せかけの上辺だけのお世話では、世の中明るくなりません。
オンアロリキャソワカ・・・・・ですよ。自らも大いに反省する。観音様がいつでも見ているという。これしか無いようです。
 

1648:甲府の夜

”甲斐の山々日に映えて われ出陣にうれいなし・・・”武田節の一節を口ずさみながら甲府駅に降り立つ。何十年ぶりかだろうか?電車の車窓から雪を被った南アルプス3000メートルの山々が見えた。昔登った山だから正直身震いがした。
 関東地区の施設代表者会議が甲府駅近くの会場で開催されるためにやってきた。茨城から山梨に来るには、非常に不便だと感じた。午後1時開会に1分前に辿りついた。主催者は気をもんで待っていてくれた。
 壇上に一都八県それに政令都市の会長がズラーと並んで座っていた。滑り込みセーフ。
 山梨は県人口が86万と聞いた。茨城の1/4ほどであったとは知らなかった。今回は来年の本大会のプレ大会、こじんまりと行うのが常である。それがなんと参加者260名、良くもこんなに集めたものだ。これは約束違反だと山梨の会長に一言。茨城は2年後に実施当番県にあたっており、下見を兼ねてその辺の事情を探る意味が今回あった。
 シンポジュームは障害者権利条約の批准にからむ3人の発表、これが実に良かった。タイムリーというのもあったが、論客を集めたことも内容をより面白くさせてくれた。
 夜の懇親会は円テーブル式で行い2次会は13階にあるバーで行った。気心知れた連中だから好きな事を言いあって過ごす。その後私は茨城県参加者の別席に向かった。結局10時頃には失礼して、部屋に戻った。案の定、アルコールが入ったために、寝苦しく、結局殆ど眠れず、朝6時半にフロントに頼んでおいたタクシーにのり帰路についた。
 2日目の分科会は他の人に頼み、用事ができたのでトンボ帰りという、なんとも味気ない甲府の旅だった。
 挨拶をと言われたので懇親会の席で映画「桜田門外の変」を見た人、手をあげてと尋ねた。200名以上いただろう中で
なんと2名だけが手を挙げた。ヘーこんなもんかい。今の若い人達は桜田門がどこにあるのかさえ知らない。
 興行成績は伸びているのか?何か妙に心配になってしまった。
 山梨は新幹線が通じていない。中央本線の特急あずさ・かいじで新宿から結構な時間がかかる。茨城も新幹線はない。在来線で乗り継ぐしかないから、どうしても時間がかかってしまう。
 会場で或る方から声をかけられた。「ご無沙汰しています」という。はて誰だったかな?
 すると30年前、筑波大の学生で尚恵学園にVSで毎週土曜日行っていたという。幾つになるの?と尋ねたら53歳だという。いま神奈川で施設長をしているという。それと自分がこの道に入ったのは学生時代尚恵学園でVSできたことだと言う。
 何!!! 彼があげる同期の学生の名前、うっすらと覚えていた。当時は学園に泊ってくれた連中だった。
 そうだ。君たちがいる。その時閃いた。茨城大会は全国に散らばっている筑波大の学生に協力をあおごう。それに企画は業界だけの研修でなく、多種多様な人達に参加してもらい、大会の企画は若手に任せよう。
 それで駄目なら私が責任とれば良い事・・・・。 ツインの広い部屋を用意してくれたせいか、甲府の夜はなんだか知らないがあっという間に過ぎてしまった。

1649:自徳を讃ずる。

 密厳院発露懺悔文という中に「自徳を讃ずる」ことを戒める部分がある。この懺悔の文は僧侶に成る時に暗記させられたものの一つ。当時は真言宗中興の興教大師の言葉という位にしか思ってはいなかった。それが僧籍を取って30年以上が経ち、最近つくづくとその深義を確信するに至った。
 「自徳を讃ずる」とは今風に言えば「自慢する」ということだ。確かに世の中には喋らせれば何時間でも話しているような人がいる。言っていることも尤もで最初は「良い事言ってるな!」とか思ってメモなどとる。しかしだ、ある時点で知識の押し売りに感じてしまう。こうなるともう「早く黙ってくれ!」ということに。
 特に自分の徳を見せびらかすようになると具合が悪い。多分にそのタイプの人達は聞いている人がどう感じているのかという能力は脆弱だ。インプットとアウトプットのバランスが壊れている。
 実名をあげるのは避けよう。そのタイプの一人、最近はあまり顔が出ないのだが、もと財務官僚で某有名大学教授になった○○の神様とかいう人。彼ぐらいの経歴と知識があれば、その場その場で上手く振る舞う術はお手の物、だが、視聴者だってバカじゃない。あれ!彼が以前言っていたことと違うな?と直ぐに気付くわけ。
 これは自称”アカデミック”な人間という人種で、どの業種にも存在する。シンポジュームなどその種の人間が顔を合わせると最初の内は内容に変化があって興味を誘う。しかし、終わった後が消化不良で胃もたれする。
 むしろ、私が好むタイプは朴訥で無飾りの人間のほうである。後で思い起こしあじわいがでてくるような人間に真実味を感じる。
 世の中の傾向が、頭デッカチというよりも口から生まれたタイプが増殖しているように思えて仕様が無い。自分の力で世の中がどうにでもなると錯覚している。うまく言っていないのは私の言う通りに周りがやらないからだと本当に信じているタイプ。
 このタイプは再び仏教の考え方を借りれば”事教不二”の逆な人間達だ。実体を見透かされて表舞台から消えるのは時間の問題。
 斯様に人間の有り様は複雑怪奇である。我々が出来るのは、そのようなタイプの人間とは適当な距離をもって程々にお付き合い願うことだ。
 最初の懺悔の文について追加説明。
 興教大師:覚鑁(かくばん)は平安末の1140年代を生きた方で弘法大師の教えを再興した。何をもって懺悔なのか?
それは僧侶たちの堕落への警鐘、つまり、形だけは僧侶の格好をし、伽藍を汚し、信施を強要し、自らは信仰心がない坊さん達の振舞に業を煮やし立ち上がった。
 言葉の遊びではない。しかし、冷静に考えてみよう。現実の世界は、「僧侶」という言葉を置き替えて通じる事象が多過ぎませんか?
 福祉・教育・医療・・・等、公的に保障されている業界に目立っている。
 自責の念をこめ、福祉業界だってそうだ。言葉では「障害者のため」と言ってはいるものの、果たしてどうでしょう。
よーく考えてみないと即刻、退場という事になりかねない。
 福祉は「要求」じゃなくて「理解」がポイント。果たして業界が大衆からの真の理解を得ているでしょうか。
 

1650:アジア大会

広州で開催されていたアジア大会が閉幕した。日本は金メダル獲得目標の60個には及ばず48個だった。断トツ1位の中国の次は韓国、日本は3位だった。スポーツ競技はどうしても結果重視、勝利を目指し日頃練習に励むから当然と言えば当然。人口数から言えば韓国は凄い。身近なスポーツで見ても、日本で開催のゴルフでも常に上位を占める韓国のプロ、これは養成の段階から徹底した仕組みがあると言われる。そして結果を確実に出している。
 丁度、大会開催中に南北朝鮮の砲撃事件が起こった。選手たちには事の真相は知らされていないだろう。もし、紛争がもっと拡大したら、アジア大会どころではない。油断を許さない緊迫した状況は続く。
 今後日本でも多くの外国人が住むようになる。しかし、どう受け入れるかについてハッキリした国の方向が見えていない。何となく受け入れて事が起こった時に後手で対応する手法では駄目だ。
 どうも政府の対応でチグハグな実体が見えてしまう。果たして慣れていないからという言い訳はいつまで通じるのだろう。お隣の韓国は徴兵制を取っている。もし戦争が起これば、兵役につく覚悟が若い時から教え込まれている。一方、不戦を誓った日本は国防という重要課題に国民と徹底した議論をした歴史がない。戦後65年はその意味では長く感じる。
 地球上の力関係が当時と比べ大きく変わった。日本の果たす役割を経済復興し、その余力で海外支援する役割、これで過去の戦争責任を果たそうとしてきた。国内事情は、それすらも許さない現実がある。ならばどうする?
 国民の意志を諮る民主的方法は選挙である。しかし、ここに大きな問題がある事が解ってきた。2大政党を目指すという掛け声とは全く反対の状況が進んでいる。其々が何を立党の旗印とするか、国民目線で見れば、大した違いは感じられない。政策ごとの多少の差はあるようだが、外交や国防に関しては大差ない。嘗ての急進的軍政を主張する政党は皆無、だが、国防に関しては及び腰、相手任せという対応がミエミエ。これで将来のこの国を若者にどう託するのだろう。
 東アジアという地球上の一部分で起こっている最近の状況、決して他人事として黙認できるものではない。
 日本は唯一つの被爆国、不戦を憲法で明確にうたっている。この事に異を唱えるものは少ない。
 武器による侵略は反対するが、経済による侵略は是とするのか?外からは、この辺に日本への不信感があるように思える。付加価値のある製品を作り、それを売りとして海外に出て行く。これは企業の戦略である。
 一方、依然として日本はインプットで様々な規制をはりめぐらす。農政だけではない。自国の利を守るためと言っても果たして外国はそれを認めてくれるだろうか?
 アジア大会でメダル獲得の数で評価することよりもっと根本的な課題があるのではないでしょうか。
 日本の売りの部分が隠れている。世界は50対50では戦えない。それは先進国というステータスを得た国の責任として
60対40位のバランスで丁度良いと思うのだが、この考えに賛同は得られないだろうか。