源究111

 

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
1731 よく言った 2/28 1736 さーてどうなる 3/5 1741 ホップステップ 3/10 1746 分け合う 3/19
1732 覚悟 3/1 1737 施設の自立 3/6 1742 地震被害 3/13 1747 風評被害? 3/20
1733 発芽 3/2 1738 家族 3/7 1743 日本人の底力 3/16 1748 かたくり 3/21
1734 プロの眼 3/3 1739 悲哀感 3/8 1744 支え合う 3/17 1749 夢想現実 3/22
1735 結いの心 3/4 1740 茨城の変化 3/9 1745 逆転の発想 3/18 1750 取材 3/23

1731:良く言った
言った&言わない。知ってる&知らない。・・・・愚痴もこごとも言わぬが花よと決め込めば、これほど詰まらぬ事はなし。さして申すべき大事とて、声張り上げて犬の遠吠え。
 昔ならば、近所に怖いおじさんがいた。悪さする子どもたちをどこからか目を光らせ見ている、そんなオジサンがいつの間にか消えて無くなった。いま目立つのは、デイセンターでオヤツを食べ、歌を歌ってひな祭り、そんな聞きわけの良いお年寄りが望まれている???
 どこか変だよね。そう思いませんか? 人間は世の中の何かの役に立っていると実感した時に自分の存在を確認できる。もう充分貴方たちの役目は終わったから、昼間は楽しんできて頂戴ね。・・て事が常識になりつつある。
 この不可思議な理屈で、果たしてどれだけのお年寄りが本心から満足しているでしょうか。日本の福祉の有り方を検証してみよう。日本は根本的な思想が先ず有ってそこからできた制度になっていない。致し方ない事情がその出発点、だから後でどのような説明を受けても納得できず、屁理屈に感じてしまう。
 その端的な例が、いま予算審議を見ていて感じる。子供手当&児童手当、国民にはどっちでも良いこと、何か複雑に分かりづらくして言葉遊びをしているようだ。これは、基本となる子供を国としてどう育てるかという考えが定まっていないからだ。障害者福祉も全く同様の後付け議論、ここで私が思い出すのは、糸賀先生が40年も前に言われた、「この子らを世の光に」という原理原則だ。なにも宗教・哲学の世界ではなく、真実だ。
 過去の歴史を遡れば、日本には見事な仕組みがあった。私は坊主だから、葬儀という儀式を紹介すれば何を言いたいのか分かっていただけるかな?
 亡くなった方をお棺に入れ最後のお別れをする。その時、杖と草履を持たせる。35日や49日の旅装束だ。
 何故、死んだ人にそのような物を持たせるのか。これは見送る側の思いやり、。。。。。。ありがとうと最後に声をかける遺族も沢山いる。私はいつもそうあって欲しいと思う。今の日本は言葉や映像を通じてしか、知り得ない世界。社会保障審議会で盛んに負担財源の問題を取り上げる。お年寄りの老後を看る事が負担といつ頃から考えるようになったのだ。
 一方では政界一の長寿国日本を誇り、その裏では負担の大きさを嘆く。この大いなる矛盾を誰も解こうとしない国。
所詮、他人事なのである。
このまま進んでいって良いはずがない。政治家に言いたい。貴方達が本当に何の為に政治を志したのか!「国のため」という事を禁句としたならば、貴方は自分の良心に誓って何と言いますか?
 議員の報酬を今の半分にしても、貴方は政治家を目指しますか?
 議員定数を半分にしても、貴方は政治家を目指しますか?
 綺麗ごとでなく、本音を言える政治家が一体どれだけ日本にいるのでしょうか、私には正直わかりません。
・・・・さして申すべき大事と思うから、私は犬の遠吠えと揶揄されても・・・・・・続けます。悪しからず。

1732:覚悟

人生は足し算ではない。計算通りに行かないのは自然でしょう。今まで歩んできた道のりとこれから進む道を比較し、ああ・・と溜息を付く、だからといって立ち止まり何もせずに毎日過ごすことなどできっこ無い。
 いま、ニュージランドでは必死に被災者行方不明の人の捜索を行っている。被災にあった日本人の多くは語学研修のために来ていた若い人達だ。一瞬の出来事で生死を彷徨うとは誰が想像しただろう。家族とて同じ、本人の希望を適えてやりたいという思いで見送った。それがまだ発見されない我が子を探しにいくことになった。
 望みを捨てず頑張って欲しい。
 昨夜はミニ夕食会を行った。食事をしながら様々な話ができた。帰宅したのが夜中11時前、なんとも4時間も話し込んでいたのだ。いまの日本社会で希薄になった人間のネットワーク、職場や趣味という特殊な条件での繋がりはある。だがその絆は決して強くない。何故だろう? それはメリットを考えるからだと思う。この人達と付き合っていて、果たして自分にプラスとなるかという視点だ。
 この風潮は様々なところに伝播してしまった。障害者対策の目玉である、地域での生活を例にだすまでも無く、社会に余裕が無いからギスギスした関係が出てしまう。デメリットを強調し、迷惑だとまで言う人がいる。
 障害が有る子を持った親達がガードを固くする理由がこの辺にある。我が子を自分達が守らなければという思いが強くなる。でも、子どもたちは親の関わりの無い処で変化する。それを受け入れられない親もいる。ショックを受ける。
 昨夜の話で私が興味を持って聞いた話、人は何かの切っ掛けでスイッチがオンに入るという。これは周りでいくら条件を揃えてみたところでなるとは限らない。スイッチがオンに入れば自ずから変わり始めるというのだ。
 これはあらゆる人間の行動に言えることかもしれない。尚恵学園の仲間で、拘りが異常に強い方がいる。何かの切っ掛けでスイッチが入り、大暴れ、ドアは足蹴り、一人で抑えることなどできない状況になる。しかし、常時では無く、普段は聞きわけの出来る大人しい人でもある。
 彼女の行動を理解するには、正直難しい。家族とて全く同じ悩みだ。ここに我々の役割を見出す。何かのお手伝いというレベルで、もしも、彼女を変えようとでも考えた時には更にパニックを助長する。
 この未知なる世界にどう自分が向き合い対処するか・・・・・これがこの仕事の醍醐味だ。限りのない活動だ。
 ここで私が強調したい事がある。それは職員に対して、今更言うのも変だが、覚悟を持て!ということ。何となく仕事に来て何となく終わる。これでは駄目だ。施設の現場が昔と比べて大きく変化した。ローテーション勤務を取るから、流れ作業的であまり疑問を感じないで決められたことをやれば良いと思ってしまう。ここに創意・工夫の入る余地がない。
 忙しくてできないという。本当にそうかいな?忙しいという言葉を容易く使うべきでない。自分の能力不足を公言しているようなものだ。
 職員一人一人の得意とする面を見てあげようと考える。しかし、1対1の関係で動かないから協働が常識、そこにはどうしても個の尊重と同時に個の責任が覆いかぶさってくる。
 

1733:発芽

昨夜のNHKテレビのクローズアップ現代という番組で最近のお寺の事情が紹介されていた。過疎地域の檀家減少や新たな葬儀ビジネスとの共同事業化など、成功事例と共に失敗しお寺が破産した例が紹介された。
 『がんばれ仏教』の著者:上田氏がコメント、それはとても分かり易い説明で頷くことばかりだった。その中の話、ある調査結果で仏教90%:寺25%・僧侶10%とでたという。日本人が仏教を重要だと評価する割合は非常に高いが、寺や僧侶に対する評価は非常に厳しい。これは、寺や僧侶が本来の仏教の体をなしていないからだと断定する。葬儀や法事が必要な事は分かるが、果たしてそれだけで良いのか!番組では具体的な実践が紹介されていた。一つは普段着姿で自転車に乗り、街の様々な活動に参加する若い坊さん。それと茨城県古河市の副住職(女性)の自殺防止活動への参加。宗派を問わず、関心ある坊さんが集まり実践している。その副住職の言葉に共感した。「いままで寺の僧侶ということで後ろめたさを感じていました。でも、この活動を通して、何かの役に立てればという前向きな自分を感じています。」と。
 ここに、”発芽”の気配を感じた。
 実態をいくら批判していても何も変わらない。私は寺の坊さんが何をしてよいのか分からないということだと思っている。住職は寺の大小に関わらず一国一城の主だ。結構友達がいるようでいない人が多い。だから一歩踏み出す前に諦めてしまう。たった一人ではなかなか行動に移せないからだ。こういった状態が長く、世襲制によって守られてきたから尚更だ。
 やっと若い僧侶から仏教への危機意識が出始め、何かをしないと駄目だと感じてきた。
 世襲制の一番の問題は、寺の息子ならば、適任であろうがなかろうが後継者として育てられる。お寺は特殊な生育環境だから成人してから自分自身が困ることが多い。私自身がそうだった。
 経済的に檀家相手で充分な寺は良い。しかし、大部分の寺はそうではない。住職が役所に勤めたり教員になって自らの生計をたてた。しかし、時代の変化は住職の兼務を認めない風潮が出てきた。だから、苦肉の策と言うと語弊があるが、住職の互助仕組み、複数で葬儀に出仕するという形態をとる。僧侶を多く頼んで供養することに優越感を持つ一部の人達、それに対し、直葬や樹木葬という新たな形態が出現した。費用をかけず、親族だけで行う家族葬が今後は主流となるだろう。
 僧侶が真剣に考えねばならない。僧侶や寺の本来の役割、依然として減らない自殺やDVなど、この社会問題にどうかかわっていけるかが問われている。
 残念なのは宗派として、積極的に社会問題に関わっていこうとする姿勢を感じないこと。
 ならばどうする。他の事をトヤカク言うよりも自分で行動に移すべきだ。going my way。
 時間が無いとか方法が分からないという言い訳はせず、芽を育てる努力をすることだ。
 日本人の深層心理として仏教へ90%の人達が関心をもち、何かを期待しているという調査結果、これに応えていかず、仏飯を頂いている身としての後ろめたさは減らない。

1734:プロの眼

プロとは一体どういうことを言うのだろう?一般的にはその業を通して金銭のやり取りがあり、その人にとっての主な収入源となっていることかな。そこで考えた。福祉業界で言うプロってなんだろう?金銭の遣り取りには責任が当然かかる。福祉の仕事で特異なのは、その辺が曖昧模糊としていないかということ。依然としてみんなで渡れば怖くない式のルールが罷り通る。これが教育や医療と比べ、遅れてしまった最大の原因だ。法律の解釈に『原因において自由な行為』というものがあることをご存知でしょうか?
 自らを責任能力のない状態におとしいれて犯罪行為を発生させること。泥酔状態で他人を傷害する類だ。
 断っておくが福祉現場がそうなっていると言うのではない。ただ注意しないとその温床になり易い。あいつが悪い。俺は聞いていなかった。忙しい。気付かなかった。・・・・・・等の言葉が、何の疑問も持たずに発せられていないだろうか。
 行為に対する責任ということ、集団生活の中で複数対応が殆どであるからそうなるのだ。私はどうすればそれが避けられるかと考える。正直妙案は浮かばない。言えることは、何か良からぬ事が起こった時、相手にハッキリもの言うことだと思っている。流されてしまえば、いつの間に忘れられ、そんな人間に限って、また同じことを繰り返す。初期対応の重要性といえば、まっそんな所かな。
 そこで問題なのは、福祉で働く人間はまさかそんな事はしないだろうというよもや話。この生温さが命取りになる。
私は福祉職というものが、今後益々伸びていくと考える。当面ニーズが減るという状況は考えにくい。そうなると当然責任というものが重くなるだろう。経営者の不祥事やサービスの中身へのチェックがより厳しくなるはずだ。それは外からの眼である。果たしてそれに応えるだけの実態が有るか無いか。ミスを大目にみようとする親心?は当事者にとっても決して良いとは言えない。それにもう一つ、実態以上にオーバーな宣伝をしないこと。
 ここ数日雨が続いた。Sさんが必死の形相をして自室に職員を連れて行った。彼女のベットは折りたたまれ、真ん中にはバケツが置かれている。雨漏りだ。築33年、修理を繰り返しなから今まで使ってきた建物。なんど屋根の修理をしたか記憶にない。これが尚恵学園の実態だ。天気の所為にして良いはずは無し。ただ茫然としてしまった。一か所だけでなく数か所からの雨漏りだ。数週間前にホームセンターでやっと同じような天上材を買ってきて自分で張り替えた。その場所も見事に雨が漏っている。
 いま落ち込みが激しい。やってもやっても間に合わない。・・・・。
 そんな時、いつでもそうだ。初代の写真に目がいく。複雑な思いだ。ああ・・・そうだったな。古材を買ってきて、ニコニコして窓の修理をしていた当時の事が走馬灯の如く浮かんだ。

1735:結いの心

前々からずっと”結い”という言葉に興味があった。大地康雄さんの『恋するトマト』という映画を知った。早速、アマゾンでDVDを注文してしまった。今朝の明日への言葉でその話を本人から聞いた。結い=助け合い。give and take。
 今の日本に一番欠けている人との繋がり絆を農業にかける男性を主人公に映画化したという。何でもトマトをマニラで栽培し、なかなか実を結ばず、撮影をその為に6年遅らせたという。
 一人四役を演じた大地がメガホンを握り、自らが主人公を、この映画にかける意気込みは相当なもの。どこかの高校で生徒全員に映画を見て貰い、全員からアンケートへの回答があったという。その高校で一番の悪?。誰しもがアイツは出さなだろうと思っていたというが、彼が書いて渡されたアンケートに「俺は昔から農業が大切だと思っていた」とだけ書かれてあったという。このエピソードを聴いた時に胸が熱くなった。
 人間は心から感動しないと行動に移さない。私の周りを見回しても当にそうだ。何かアンバランスだと感じてしまう、権利を当然とばかりに主張する人が増えた。この原因は何が考えられるだろうか?
 彼らから真の意味での心の動きを感じない。それと、国の進めてきた政策の偏り、経済発展一辺倒。ここに歪が生じ、腐敗の温床となった。政治とカネという問題は、何も政治の世界だけのことではない。だから解決の見通しがたたない。お互い様だろうという気持ちがどこかにある。
 結局、何が大切かという事が分からない。恋するトマトという映画は、農業の大切さを取り上げた。先進国で一番自給率が低い日本、今後世界の人口が益々増加する中で食糧問題は国にとって致命傷となる最重要課題だ。
 いまでもお金を出せば何でも手に入ると考える者が多い。食糧不足になった時は、先ず自国の民への食糧の手配を最優先、輸出などしやしない。原油が当にそうだ。産油国の政情不安によって、一気に高騰し始めたではないか。
 まだまだ日本人は大丈夫だと思っている。これこそ、豊かさ?に浸かって機能退化した感覚だ。その最たる人間が永田町周辺に屯しているのは事実。これは日本の悲劇だ。
 誰か救世主が出ないのか!無理だろうな。期待できる人間は暫くは出ない。ぬるま湯にはドップリつからないと風邪をひくからね。水になって初めて出ようとするものだ。
 結いという互助精神は、地方にいけばつい最近まであった。それが短期間で跡形も無く消え失せた。田植えや屋根の葺き替え、溜池の溝さらい・・・・。
 豊かになり、協働するよりお金で専門家に任せるようになり、高額な機械が人手を必要としなくなった。
 どうも今のままでは気がつかないで手遅れになるように思えて仕様が無い。
 可能性として福祉の現場は結いの心が唯一残っている場でもある。人手不足をお互いの協力で回す工夫がなされている。ただ、残念なのは社会的に認知されていない事が多過ぎる。糸賀先生の言う「社会の構造的矛盾」そのものだ。
 誰かがやってくれると思う人間が多過ぎる社会は不幸だという。人間の生きる価値は、決して自らの利のみを得たからといって満たされない。何らかの役にたっているという意識が重要だ。頭では理解していてもいざ行動に移さない。
 そこをなんとかしないと駄目だっぺな。

1736:さーてどうなる

皆がみな不安になっている。この先いったいどうなるのだろう。依然として国会では、政治とカネの問題が日替わりで出ては消える。その落とし所は、大臣の罷免?それでどうなるのですか?何か姑息な手法で政治の混乱を弄んでいるように感じてしまう。多分これが大方の国民感情だ。このズレを修正するのは今の議員達では無理、何故か、誰しもが叩けば埃が出ると思われているからだ。
 民主主義の末期症状が今、至る所に出ている。数の論理が堂々と語られる。その目的の為には手段を選ばない。開かれた政治というお題目とは全く違った状況が複雑に深く浸透している。それと並行して政党政治が体をなさなくなりつつある。地方政治と国政では、もはや明確な線が引けない。特別な政党推薦を敬遠する傾向がより強まった。立法府に何を我々は期待し票を投じれば良いのか?その根本が揺らいでしまった。
 嘗て日本は群雄割拠の時代を庶民は耐えてきた歴史がある。徳川幕府が長期政権となれたのは、乱世に疲れた庶民の願望が後押ししたとも言えよう。安定の時代といっても常にお世継ぎの攻防はあって、血みどろの争いはあった。
 その長期政権が明治維新という地殻変動により、今の日本の礎を作った。あの時代、外国からの圧力があって将来を悲観した有志が立ち上がり、国の夜明けという夢を掲げた。
 戦後65年を過ぎ、今の日本が彷徨い続けている一番の原因は、これからの道筋を描けないからだ。議会制民主主義・2院制・小選挙区・比例制・・・・など政治の仕組みが機能マヒしていないか。三権分立という、其々の役割が時代の変化に後手の対応しかとれなくなった。内部からの綻びを必死に繕う状況だ。
 まだ、日本は北アフリカや中東周辺で起こっている改革の動きと比べれば、独裁政治ではないのが救われる。
 ただ、返す返す残念なのは、一年で5万円、それが四年で20万円の寄付を受けたから目くじら立てて追及するのもどうかと思う。なにか、今の国会の動きと世界の動きに相当なズレを感じてしまう。こんなことやっていて本当に良いのかよ。
 テレビ中継を関心をもって見ているが、障害者問題など全く議論に出て来ない。現制度を廃止するという掛け声だけは立派だが一体どうなっているのだ。会計基準も変わるという触れ込み、またかよ!ここにきて具体的な情報はパタリと止まった。
 いずれにしても今の政権は自党内でのネジレと権力闘争、更には衆参でのネジレ状態が何を決めるにしてもネックとなっている。ガラガラポンができないものか?この出口の見えない状況が続けば続くほど、取り返しのつかないことになるのではないだろうか。決断の無い政治ほど世の中を混乱に陥れる。
さーてどうなる。
 私の足元を見れば課題山積、正直考えても考えても妙案は浮かばない。その時唯一残された方法が原点に戻れということ。コンピューターと同じ。情報をあまりに多く貯めこんだ状態では動きが遅くなる。網の目のごとく枝別れしたデーターを瞬時に引き出す、その本来の機能が働かず、入力だけを相も変わらず続けている。
 こんな時、リセットし、まっさらの状態に戻すという。
 今の日本の状況がパソコンのCPU100%の状況と似ている。僅かに動くが全くその本来のメリットが引き出せない。

1737:施設の自立

物流という観点から世の中を見つめ直すと様々な事がわかる。生産者から消費者への流れで様々なコストがかかる。嘗ては店に展示された品物をそこまで行って品定めして手に入れた。これは昔の物々交換と同じ。今ではネット販売という便利な方法により、欲しいものを家にいながら手に入る。
 インターネットで石仏を調べていたら、山形県の某工房のサイトに面白い石仏がネット販売されていた。早速注文した。制作に約1ケ月かかり、出来あがったとメールで連絡が入り、写真も添付されていた。出来栄えは予想通り、料金前払いとのことだったから指定口座に振り込んだ。3日程で宅配されてきた。3つの段ボール箱に分かれて入っている。
 開いて瞬間思った事。それは大きさだった。私のイメージとは大分違って小ぶりだった。最初予定した場所には少し小さかったのでしだれ桜の脇に置く事にした。
 ネット販売の盲点は実際に手にとってみないと分からないということだ。一つ勉強した。
 さてと、このままいくと日本はどうなってしまうのであろうか?外務大臣の辞任?イタリアのなんとかという首相のスキャンダルなど、もし、日本で起こったら即罷免だろうな。どうも日本人の感覚は、清廉潔白な人間を求め過ぎる。自分自身の事は棚に上げ。
 私が心配するのは、日本は水には恵まれている。飲料水に事欠かない。それが、食料品となると自給率が低く、危うい。車は多少旧式でも動けば我慢できよう。でも食べ物はそうはいくまい。車を売って食料を買うという従来の手法はどうなのか?
 農業への関心が増してはいるが、未だ趣味の園芸的な人気だ。1億2千万人の人口を食わせるだけの1次産業はどれをとってもても充分ではない。地産地消などの動きは国全体としてのおおきなウネリとはなっていない。
 農業は思いつきで直ぐできるものではない。土壌作りから始まって、天候に左右されながら良い作物を作る智恵が必要だ。
 施設の自立。まったく自立していない。それなのに利用されている人達の自立を目指すという。
 これは土壌作りもせず、化学肥料だけで農業をするようなもの、病害に弱く。とても食べれるような作物はできない。

1738:家族

いずれ子どもたちは親元を離れる。無理やりというのでは無しに自然と巣立つのが良い。親は一抹の不安や寂しさを感じながらも自分なりの道を探して欲しいと送り出す。
 ここに様々な人間模様がある。親子であってもある緊張感を持ってお互いが支え合う。一方が弱音をはく時には、すぐ様、飛んでいって助け舟を送りたいと思っている。誰がみても大変だろうと思える状態でも、本人にとって見れば必死で振り返る余裕など無いから頑張るしかない。この事が確実に後々の人生において良い経験となり、打たれ強く耐性力が身につくと信じながら。
 人は幸せを失った時、失望し苦しみ悩む。それでも歯を食いしばり生きようと決意する。
仏教の原点は、実はここから出発している。諸行は無常であると.生滅変化を繰り返し人生のはかなさを盛んに説いた。
 逆説的に言えば、儚い故により大切なものを追い求めようとする。
 ただ、現実の人間社会は容赦無しに様々な試練を向けてくる。防戦一方ではいくら頑強な人でも萎えてしまうものだ。
 そんな時、家族の有り難さを身にしみて感じる。
 私は、ある意味では偏った環境で育った。なにせ小学校の頃から父が始めた尚恵学園の人達との交流があった。
 私の家族は父が住職をしている寺で生活していた。寺が根城だった。これだって特異な存在だったのかもしれない。
でも、私なりにいつも思っていたのは、尚恵学園で暮らす人達、どうして家族と一緒に生活しなくて集まってきているのだろう?当時、その事を父に尋ねる勇気が無かった。
 そして、何十年という時間が経ち、いま尚恵学園の責任者としての自分がいる。当時と比べれば、規模も大きくなり職員の数も増えた。
 だからといってどうなんだ!私が小さい頃に素朴に疑問を持っていた事は、今に至っても何も解決されてはいない。正直、努力には限界を感じる。次から次に課題が噴出、どんなことをしても我々は彼らの家族には成りえない。
 家族に替る”仲間”。確かに彼ら同志が支え合い励ましあっている姿を良く目にする。
 職員の難しさ、それはとてつもない大きな課題に直面し、自分の無力さを感じ立ちつくす。利用者と一緒に涙を流せるものはまだ良い。それは、職員自身の生い立ちが実に大きく影響する。
 理想を掲げることは必要だ。しかし、そこに辿りつくまでの忍耐と努力が必要だということを忘れてはならない。
 尚恵学園という狭い社会の出来事と考えると必ずや壁にぶつかる。
 人間は何かの役に立つという使命感が大切だ。働く喜びもその一つ。ただ、現実にはその実感を持ち続けることは至難の業なのである。
 

1739:悲哀感

政治家にペーソスは似会わない。前原外務大臣が政治資金規正法違反の外国人からの献金を受けていたという事実を指摘され辞任した。彼は民主党の顔、菅さんの後継者として最有力であった。しかし、自民党のスキャンダル探しもいい加減にしろと言いたい。なにか国政が重箱の隅をつっつくような低レベルになっている。ならば言いたい、今の政治家で清廉潔白だと断言できる人が何人いるのでしょうか?前原さんは2世議員からは一番懸け離れている。父親を早く亡くし、母親と共に生活をしながら苦学して現在に至る。彼の取り得は真面目さ、イオングループの経営トップを身内に抱える岡田幹事長とはタイプが違う。そして前原さんには悲哀感を感じる。今時、日本の政治家では希なタイプである。だから彼を応援する人は政党に関係なく多い。今回の一連の騒ぎは彼があっさりと認め辞任したことで予想が外れた?
 予算審議がどうしても特定の政治家の誹謗中傷になってしまう。おもしろおかしく且つ声を張り上げ野次るには手っとり早い。ここに至っても旧来のこの手法が取られている事に正直ウンザリしている。
 前原さん自身の悲哀感以上に国民の悲哀がより強まったのではないだろうか。
 昨日、友達の見舞いに行って来た。8人部屋の病室は満床になっていた。正月には3人ほどだったのに、いつの間にか一杯になっていた。世の中の動きに全く関係なく時が流れている。会って何を話そうかと思うのだが、一方的な会話は然程時間を要しない。付き添っていた家族の方と取りとめも無い事を話して帰ってきた。
 人は何かに向かって遮二無二闘っている時が華だ。そしてエネルギーを徐々に使い切って自分自身の内面と対峙する。その時になって後悔するとかいうことじゃなく、有りのままの自分を受け入れる時間だけが残る。それは周囲の事をどうのこうの心配するという次元を超え、自分だけの世界。
 第三者がどう評価し盛り立てたとしても新たな活力とは成りえない。
 仏教で言う処の身・口・意、真言系では3密の妙行といって、行為・言葉・こころを一致させることを修行の眼目としている。最後に行き着くところは意(こころ)である。目を微かに開いたことで此方側の存在が通じたと思う。そして表情を何一つ変えない。そこに何を感じるか。
 人生とは多分、複雑なようでそうじゃないのかもしれない。
 自分との葛藤は、いま置かれている立場・役割などではない。借り物をいくら身に纏っても、最後はこころだけが残る。
 日本の政治が、もし変わることがあるとすれば、ペーソスを感じる人間がもっと多く出てきた時かもしれない。
 

1740:茨城の変化

昨日は県庁で用事があり、その後、桜川市(旧岩瀬町)に向かった。今月19日に北関東道路が関越道とつながる。その北関東に乗れば水戸から20分たらず、自棄に便利になったものだ。高速に繋がる一般道も整備され、どんどん利便性が高まる。私の住む土浦は県南に位置する、東京に出るのと水戸に出るのはさして変わらない。茨城空港への乗り入れ便も徐々にだが増えてきた。上海便が週5便に増え、札幌や名古屋便も就航した。このペースで増えれば、茨城のイメージも大分変わるだろう。
 土浦は首都圏への通勤圏だから地元勤務というよりも東京に通う人が多い。週末は霞ヶ浦やその周辺で釣り糸をたらす人が目立つ。自然を充分満喫しながらのんびり過ごすこともできる。
 この年になって、いま、郷土茨城の素晴らしさを実感している。
定年後住むには最高だと思う。農地はふんだんにあるからいくらでも借りて家庭菜園がやれる。そのような人が最近大分増えている。
 昨日、BSテレビを見ていたら、山梨の身延町で地域医療を行っている長田先生が紹介されていた。都市部の訪問看護などとは違ったものだった。それは生活を通じての住民との温かい繋がりを感じた。医療従事者の課題は、患者との人間的な触れ合いをどう上手く取るかということである。検査データーと睨めっこ患者の顔を見ずに次回の診察日を決める。
 ”大丈夫だよ”という医師の言葉がどれだけ安心に繋がるか。長田先生の所に実習に来ていた若い女医さんが、在宅高齢者の死をまじかに経験し、涙を流していた。この体験を今後にいかしてもらいたい。
 日本の福祉の仕組みが日本の歴史と文化を鑑みたものと成らねばならない。これ私の持論である。
 昨日、桜川市に立ち寄ったのは、仲間がやっている施設の老朽改築工事を見るため、総工費8億にもなるという、大工事だった。設計は5社から基本設計を出して貰って、選んだ。業者は8社、結局ゼネコンの全国に名の知れた業者が落札。
 正直、同じ仲間なのに別世界のような気持ちになった。
これだって、老人施設と比べれば経費は半分だろう。なにせ90名近い利用者の施設だから、工事費としては決して桁外れではない。
 いつも思うこと。冷暖房完備で快適な生活の空間・・・・・
 これだけ投資して、一体何人の人がその恩恵に預かれるのだろう。一方では在宅で必死になって家族が支えている障害者の数は一向に減らない。このギャップを黙認し、いずれ利用できるからと待たされ続けている実態。
国レベルでは、障害者基本法の改正に対し、障害者本人からの不満の声が上がった。イタチごっこ。
 施設経営の重要なポイントは地域とどう関わるかという問題だ。他に誇れるような設備も条件の一つには違いないが全てでは無い。どうも、今後はその辺の事情は微妙だ。だってそうだろう。超豪華な建物が異様に映る社会は決してほめられた話では無い。
 先週、帰国された横井氏の住む家はチュービンゲンの街並みにマッチした築400年の石造りの建物だ。
茨城の変化を喜ぶと同時に決してそれは他の真似ごとで無く、オリジナルな姿を大切にしながらということだろうな。

1741:ホップステップ

陸上競技の三段跳びのようにホップ・ステップ・ジャンプと上手くいけばよい。飛び過ぎたのか最後の着地点を砂場じゃない場所に、そして足首骨折。選手生命を断念!
 昨夜、どういう訳か変な夢を見た。煽てに乗って木に登り、降りようとしたら梯子なし。潔く挙げた手を どうおろそうか周り見る。・・・・・
 自分でなんでだろう?と訝って目が覚めた。久しぶりの熟睡か。時計をみると6時を回っていた。今日はある方の葬儀がある。地元企業で経営者2代にわたり支え、立派な企業に育てあげた功労者。皆が皆、その方の存在を知っていた。導師の控室にお茶を運んでくれた組内の方と話した。「随分、弔問客が多かったですね」「そうなんですね。驚きました。故人がとても人づきあいが良かったですからね・・・・・・」
 プレハブの小さな工場から始まり、高度経済成長期に一気に大きくした。その番頭さん。40年の会社人生は当に昭和10年前半生まれ世代の生き様だ。酒をこよなく愛し、それも豪快で楽しい酒飲みだったとか。。。酒好きにも色々あって、嫌がれる酒飲みも大勢いる。多分故人は会社の付き合いで飲む機会が多かったはずだ。脳梗塞で倒れる2日前も単身赴任中の長男と一緒に酒を飲んだ。とても元気だったという。そして2日後の自分の74歳の誕生日の朝、倒れた。
 そうなんだな! 皆から惜しまれて逝ってしまう人間って、どこか控え目で身の程を弁えていると言うのか引き際を間違えない人が多い。最近はその辺がおかしな世の中になった。しがみ付いても離さないタイプ、手段なんてどうでも良いから上を目指す人間が増えたように思う。
 自分の力以上の背伸びして、結局馬鹿を見るのは自分なのだが・・・・・・。
 先哲の教えを出すまでもなく、自らを謙虚に振る舞うこと程難しいものは無い。最近はそれを量る物差しを持たない。
 大体、その原因は分かる。知識偏重、智恵を学ぶ機会が減った。その価値観が変わったからだ。智恵は書物から学ぶものではない。生の人間の関わりの中から徐々に会得するもの。順調な時よりも苦労から学ぶもの。
 叱る人間が煙たがれる世の中は、智恵を学ぶ絶好の場を遠ざける。
 博学で気立て良し・・・・これがそのまま受け入れられない時代は、不幸だ。着地点が分からず、勢いよく飛び跳ねた3段飛びの選手みたいに、後悔は先には立たない。
 人生 ほどほどが宜しいってこったわな。そこに本当の幸せが見えてくる。

1742:地震被害

今回の大地震に際し、皆様に多大なご心配をおかけしました。まだ、かなり大きな余震が続く中、地震で被害にあった方々への懸命な救助作業が行われています。さらに、後から起こった福島原発事故の情報が錯綜し多くの人々の不安は極限に達している。一刻も早い、安全と生命の確保を願っています。
 私の住む土浦市も震度6弱という報道がありました。11日の午後に突然テレビ画面に緊急地震発生の警告が流れ、その数秒後に揺れが始りました。最初は横揺れ、非常に長く感じました。実際には10数秒だと思いますが、その後に波を打つような大揺れ、その時偶然私は寺でテレビを見ていました。客殿の屋根瓦が落ち、立っていることができない状況になりました。・・・・・・・・。
 揺れがおさまり、急いで裏のまんだら工房へ行ってみると、全員が庭に座って避難していました。そのあと、厚生園に向かうと、全員が避難場所に集められ座っていました。その後、コスモスと成人寮へ、どちらも庭に全員が避難終了。
 余震が凄かったので、1時間以上も避難場所にいたでしょうか?定かでありません。
 ラジオからの放送で徐々に今回の地震の大変さが分かりました。マグニチュード8.8(後で9.0に訂正)は、過去に起こった日本での地震でも最大なものということです。電気・水道が止まり、真っ暗の中で、多くの利用者の生活をどうさせるか、必死でした。
 幸い、水は市の水道と地下水の2系統を寮毎にひいていましたので、電気がストップしても市の水道が直結されている寮は水が出ました。そちらに全員を移動させ、明かりは自家発電で確保、ガソリンを近所の農家に貰いにいき、どうにか一晩発電機を回すことができました。食事は、メフォス(外部委託会社)のスタッフの献身的な努力で、夕食と翌日の朝食をなんとか確保できました。
・・・・・・今も、余震で揺れています・・・・・
 12日の午後3時頃、電気が復旧、・・・もっと電気無しの生活を覚悟し、その準備をしていましたが、地下水からの水の確保もでき、全員が元の寮にもどることが出来ました。
 13日の朝、(現在時間:AM7:16)も余震が頻繁に起こります。
 未だ不安の中での生活を続けています。後ほど、状況を纏めてみようと思いますが、
 各地で道路が寸断され、車の渋滞が凄い。電車もストップしていますから、動けません。営業しているガソリンスタンドは長蛇の列、スーパーも同様でした。電話が混線し、全く通信が出来ない。・・・・・。
 徐々にライフラインが復旧しています。テレビで放送される、東北の海岸沿いの津波被害を知り唖然としています。
 私達も今回の地震で被害を受けましたが、徐々に落ち着きを取り戻しつつあります。
 このような形で無事を知らせることが、今も懸命に救援を行っている人達の事を考えると複雑な気持ちです。
 第一報として。
 
13日午後7時
 1日がとても長く感じました。墓石や灯篭は倒れ、寺の本堂の中は、仏具や位牌が倒れて手がつけられない状況でした。それでも気を取り戻し、どうにか元の場所に納める事ができました。地域の人々が断水で困っているという話を聞き、寺と尚恵学園で自由に水を汲んで下さいという看板を出しました。するとそれを見た人が何人も水汲みに来られました。雨対策で屋根にシートをかけ、修理が終わるまで持たせることにしました。
 施設には安否確認の電話がひっきりなしにかかってきました。地震発生2日目は慌しく過ぎました。第2報。
15日午前5時半
 計画停電という緊急の事態に自分達の地域がどのグループに属するのか情報が混乱しています。私共ができることは利用者の生活の確保を最優先として、給食委託先メフォスの協力を得ながら全職員一丸となり対応しています。現在、ガソリンや石油の確保が困難で、公共交通が使えない職員と車の燃料が無いために出勤できない者が何人か出ています。また、デイサービス利用者の送迎が難しく、家族の理解を得ながら出来ることからやっています。
 自分達の出来ることを先ず優先して行うことでしかない。昨日、やっと市の水道が使えるようになりました。徐々にライフラインの確保ができてきました。
 今後、どうなるか不安ですが必要に応じ家族の協力も要請しながら、この難局に立ち向かう決意です。
 電話での確認問い合わせが増えています。
地震報告を一先ずここで終わります。

1743:日本人の底力

今回の巨大地震で日本人は想像を絶する仕打ちを受けている。未だ行方不明の多くの被災者、充分な食料も水も無く、寒さに耐え避難している人達。どのような激励の言葉をもってしても慰めにはならない。ただ早く安心を得たい。
 我々は現地の惨状をテレビを通じてしか知ることができない。
 高台から襲いかかる津波に長年かけて築きあげた自分の家が押し流されるのを茫然自失で見つめる老人は「情けない」と言って目頭を押さえた。東日本のそれも太平洋に面した地域に壊滅的打撃を与えた巨大地震は阪神淡路地震の1000倍以上の破壊力だった。いま様々な救援の手が差し伸べられている。できるだけ多くの人々の生命を救ってもらいたい。救援を待つ人々に食糧や水を届けて欲しい。
 先の事が分からず不安の中にいる私たちは、今回の惨事を自然の猛威と片付けてしまうには余りにも犠牲が大き過ぎる。
 私たち日本人は過去に様々な苦難を乗り越えやってきたではないか!日本人の力を信じよう。そして、皆が協力して新しい国作りをしよう。
 戦後、最大の試練を目の当りにして、深い反省と共に多くの教えを受けている!豊かさや便利さに酔っていた私たちがそれを当然のことだと慣れてしまい人として大切な生き方を忘れてしまった。いま思えば世間で騒がれる殆どの社会的問題が、根っ子の部分ではその奢りからきている。
 電気があるのは当たり前、蛇口をひねれば直ぐに飲み水が出る、こんな国は世界中を探してもそんなには無い。電気を起こすには多くの人達の努力がいる、安全な飲料水を確保するためには自然からの恩恵があるから可能だ。この有り難さを今回、誰しもが痛感した。
 今の気持ちを決して忘れてはならない。
 今回の大地震に誘発されたのか、長野や静岡県東部でも震度6強の地震が起こっている。
 福島原発での連続する事故は想定外の事だったのか?昨日、私の所に日本知的より電話が入った。避難地域の施設利用者の緊急受け入れ先を捜している。茨城県で協力できる施設はないかという問い合わせだった。
 尚恵学園の現状は、利用者が不安定、それをどうにか押さえている状況だ。ガソリンが手に入らず、職員が通勤できない。・・・・・。いまこそ、協力して乗り越えないとならない。
 周囲を見回すと屋根に青いシートが目立った。墓石は無残にも倒れている。また地震が起こるのではと思うと修理することもできない。
権利を主張するだけで義務を果たさない国は滅びる。自分達だけが災難に遭わなかったと喜ぶことも同じだ。
本当に1から出直す決意をしよう。少しでも余裕が有る人は、何らかの協力の手を差し伸べよう。
被災した人達も決してあきらめず日本人の底力を全世界に見せようではないか。これが今私たちができる最善かつ唯一の辿る道である。
 

1744:支え合う

情報伝達の難しさとはこういうものかと感じています。被災地の実状がメデア等によって、刻々と送られている。自分達の回りを見まわし、何かできないかと誰しもが感じている。
 日本知的から原発事故の避難者の受け入れを調べて欲しいという知らせが私の携帯とメールにあった。近県の会長とも電話連絡を行い、早速事務局よりFAXで全会員に受け入れの可能性について調査した。その同じ日に県から連絡があった。厚労省から全種別の福祉施設に避難受け入れの調査を明日までに実施するように指示を受けたという。
 結局同じ内容の調査を行うことになった。
尚恵学園でも早速、調べさせる。すると地域生活しているメンバー(GH/CH利用者)が施設に一時避難で来ており、空き室がないという。私共では30名近くのメンバーが地域で生活している。ホームによっては屋根瓦が落ち、とても生活できる状態ではない。ボイラーが壊れたり、その修理もできていない。それに、メンバーの勤務先が様々、休業となった会社もあれば地震翌日から勤務に就いた者もいる。(石材店勤務)
 普段食事はそれぞれのホームで作っているが、今は本体施設で時間差で食べてもらっている。それにガソリンの手配が困難で職員が勤務につけない。中には2時間もかけ、自転車で通勤する者もいる。
 福島県に近い県北の施設に電話で様子を伺った。すると依然として水が出ないという。職員は施設に泊りこみ24時間体制で急場を凌いでいる。また、職員は弁当持参で対応したり、様々な工夫をしていることがわかった。
 土浦周辺でもガソリンスタンドには長蛇の列、運が良くても2時間待ちでやっと入れられたという状況がずっと続いている。
 陸海空の交通手段が寸断され、物流がストップしている。政府はガソリンは充分備蓄があるから心配ないと盛んに報道するが、現実に入手できない状況だ。今回の地震で不安を増長させている原発事故、福島原発のある地域では避難先を転々としている。今回の被災復旧対応は長期戦になる。ならば、避難先の確保は食事や水の心配の無い地域に用意すべきだ。茨城は東電の計画停電には被災地ということで除外されたと聞いている。避難先にやっと落ち着いたら食事は無し、停電もあるということでは元も子も失う。
 ボランテアの受け入れが、被災地の余計な負担になるという話を聞いた。自分達の食べるものを用意して加わるのであればよいが、そこまでの自覚があるのかどうか?それよりも行政が仲立ちした衣類や食料の支援をすべきだ。
 避難者の受け入れは、中部地方以南の地域でやって欲しい。関東地方は毎日のように余震が起こっている。それも震度5という強い地震、この不安は相当大きい。
 国や地方の対策本部も相当混乱しているはずだ。総動員しての支援体制を組んでいる、後手後手の対応と批判しても何も変わらない。それより、国民一人一人が自分達で何ができるかを真剣に考えるべき時だ。
 誰もが願っている安心社会、この試練を乗り越えてこそ、本物の国体が見えてくるのは確実だ。

1745:逆転の発想

お金さえ有ればなんでも手に入る。長年培(?)った日本人のこころはどんな方法をとっても変わらなかった。有っても手に入らない。その事を無慈悲にも知らしめている今回の大震災。戦争の悲惨さを知らずに育った団塊の世代が今第1線を退く、その時期に東北関東大地震が起こった。救援を待っている多くの人々を早く救ってあげたい。
 誰しもが一生懸命働き、築いてきた我が家、津波の計り知れないエネルギーによって一瞬になぎ倒されてしまった。今年ニュージーランドで起こった地震で日本人が犠牲になった。まだ身元も判明しない不明者がいる中で同じ地震国の日本でそれとは比較できない巨大な地震が起こった。周囲が海に囲まれ細長い国、四季があって自然豊かな共通点がこの両国にはあった。偶然か必然か?何故?今の科学でその明確な回答は出せない。ただ、確実に言える事は地球の成り立ちと過去の歴史が物語る事実のみ。
 明確な人数の把握さえできない未だ行方不明の人々、それに過酷な条件の下で避難生活をしている人々、ここまで豊かになった日本が何もしてあげられない。

 ただ、そのような中、僅かだが日本人の心を揺り動かす出来事が出始めている。僅かな食料を分けながら食べ、お年寄りや幼い子供をみんなで守ろうとする。励ましの言葉かけや助け合いが被災地のギリギリの生活から芽生えている。
物の有り難さや大切さをしみじみと感じている。
 お金で解決を考えてきた日本の誤算、もっともっと大切なものがあるという気付きが果たしてあるのか。日本の社会保障の方向をどこかで見間違ったと私は考える。何故、超豪華な施設が必要なのか?いつの間にか建物や設備の善し悪しがサービスの評価基準の上位になった。そうじゃない。もっと大切なものは、今回の地震が如実に示しているだろう。
 いかなる事態になっても暖が取れる中で食事が提供できる社会だ。何か変だ。震災に遭わなかった地域では、限られた人々が快適なホームで生活が続けられている。設備に投資した膨大なお金は数十名の人達の受け入れで終わっている。そのお金をこんな時にこそ回すべきだ。それが公平で誰もが安心できる社会に結び付く。入所待ちで自宅待機が常識な日本の福祉制度、根本から変えないと不公平感は決して無くならない。

1746:分け合う

昨日は春彼岸の入りだった。住職になって初めて経験する事が多かった。いつもなら花をもってお墓参りに来られる人達が多い。今年は倒れた墓石を見て途方に暮れている人を何人も見た。そんな中、自分が作った墓地を一人で直している石屋さんがいた。彼は私と同じ歳、昼時、座りこんで大きなオニギリを食べていた。声をかけてみた。彼は地震の発生後、毎日オニギリを持って自分が施工したお墓を見て回っているという。本格的に直すのは彼岸明けで余震が落ち着いてからにしますと話していた。・・・・・・
 少し気持ちが落ち着いてきた。”地震揺れ”というものがあることを実感している。いつでも揺れているように感じる。これだけ余震が頻発すれば誰だって不安になる。それが原因だと聞いた。平常心などと言っても簡単にはいかないものだ。
 徐々に日本人の心の深層にある温かさを感じている。”分け合う”ということだ。不便を分け合っている場面を見かける。利便性を遮二無二追い求め、それを実現してきた日本人、際限のない欲望を進歩の源とまで感じてきた。それがいざ何もなくなった時、持っている者は失った者に分けてあげようと感じ始めている。
 「いま、被災地で避難している人達の事を考えれば・・・・・」という話を何度も耳にした。”我慢”と”有り難さ”が共存する。
 大勢の中には、こんな時になっても首を傾げてしまうような言動をする人もいないわけではない。
 今のところ、まだ、トラブルにまでなっていない。霊園で倒壊した墓石、私が住職をしている2ケ寺で破損した墓石が40件以上あった。ハガキでその旨を伝えた。
 何人かから問い合わせがあった。そんな時、こう話そうと決めた。『墓石が倒れたのは、それで貴方を守ったのかもしれませんよ。先祖がね』 墓石が倒れることを不吉なことと思い悩む人が結構いるからである。
 住田家の墓石は見事に(?)隣の土地まで飛んでいた。周りの様子をみて、さすが先祖だと一瞬思った。不謹慎かな?私が向こうに行った時に謝ろうと思っている。なんたって先祖の誰もが経験しなかった巨大な地震を土産話にできる。
 また、こんな話も聞いた。
 仙台が実家の方、年老いた母親が一人で生活していて被災した。最初は避難所にいたそうだが、大勢の所は嫌だと自宅に戻り、旦那さんの位牌を抱いて寝ていると。そして心配する子どもたちに「私が一人で死んでいても泣くんじゃないよ。私はやるだけの事はやったし、子どもたちも精一杯育てたから。貴方にはやるべき事があるんだからそれをやりなさい。。。。」と言われてしまったと、今にもこぼれそうな涙をこらえて話してくれた。
 本当は、このような気骨のある人がいたからこそ戦後の荒廃から立ち上がれた日本、私はこの惨事から復興するのにどれだけ時間がかかるかは分からない。でも、日本人が一丸となれば必ずできると信じている。そして、”我慢”と”有り難さ”を誰しもが感じながら、そうでなければ逝くにいけませんよ。皆さん。がんばろう。

1747:風評被害?

地震が起こってもうじき10日になる。原爆事故という2重の不安の中で必死に救援作業を行っている。こんな時様々な流言・風評が増殖し、人々の不安をかりたてる。正確な情報を知ることは大切だ。しかし、何か真実なのか判断が難しい。
 土浦市は一部地域でガスの配給が止まっている以外はライフラインは確保された。そして避難民の受け入れも行っている。霞ヶ浦体育館に400名の人達を受け入れている。昨日、社協から災害ボランテアの派遣依頼があった。
 勤務外の職員で参加できるものが出る。
被災地でのボランテアの受け入れで一番困るのは、いかにコージネートするかという核になる受け入れ側の体制だという。最悪の場合、VSが被災者になる事もありうるし足手まといになることだってあるからだ。最低限、自分の食べる物は自分で用意することが条件だ。
 今回の復興作業は長期戦だ。行政が主体となって地域ごとに支援体制を組むべきだ。
そこで問題なのは、風評だ。特に原発事故など相手が見えない放射線では尚更だ、昨日、福島産の牛乳と茨城産のホウレンソウから放射性ヨウ素が食品衛生法の暫定規制値より高く出たという。
 今後、斯様な報道が増えるだろう。その2次被害が計り知れない。
 少なくともその影響を考え報道は慎重にしてもらいたいものだ。また、政府も与党の代表経験者などに協力を要請したという。正直、何を言っているの! 協力するのは当然だろう。自分から申し出なさいよ。執行部の批判なんてもっての外。この感覚のズレはどうしようもない。
 人間の愚かさは、どうしようもない。リビアでは多国籍軍の攻撃が開始した。
 天災か人災か。いつも被害に遭う人達は災害弱者、子どもや老人、障害者は誰かの支援がなければ生きていけない。
 公的な支援が限界に達した時、それは民間の力に頼るより方法は無いでは無いか!
 自ら手が出せない人々よ!せめて風評や流言などをさも得意になって言いふらすことだけはして欲しくない。
 出来ることはいくらでもあります。励ましや元気を与える何かが。

1748:かたくり

栃木の友達が”かたくり”が咲いていたと写真を送ってくれた。
 21日今日は彼岸の中日、いつもの年とは違う。予定していた法事を半分ほど日延べ、それでも何件かの法事はズラせなかった。墓地に行けば倒れているままの墓石、何件かの石屋さんが忙しそうに修理をしている。墓参で交わす言葉は地震の話・・・・・・・そんな時に何も無かったかのように目立たず野辺に花を咲かせた”かたくり”。一瞬胸にささる何かを感じてしまった。
 ここ10年来、自棄になって声を張り上げてきた事が一体なんだったのか? 障害福祉という狭い世界での苦悶だと言い切れるのか?
 障害者の地域移行の流れを複雑にし、その出来難い理由を山のように並べて自己正当化していた。そして、今回起こった大震災、それに付随する原発事故、障害者のみならず、避難者の受け入れ・・・・・等々。
 これが社会保障の進んだ北欧だったらどうなのか。現状はそんな事を考える余裕さえ無く、今何が必要かという目先の事に右往左往してしまう。
 天災だから仕様がないと誰もが感じているが、その対応の不味さや不公平にイラダチ、風評と流言が入り混じり、更に人々の頭を混乱させている。
 昨日、驚くようなニュースが飛び込んできた。16歳の孫と80歳のお祖母さんが9日ぶりに救出されたという。崩壊した家の中に動けずにいる祖母を自分の足が全く感覚が無い状態の孫が屋根の上に登り救助を求めていたという。偶然救援隊に発見され無事ヘリコプターで救助された。
 いまだ行方不明の方が1万人を超えている。連絡しようがその方法が分からず、被災地を探しもとめて彷徨っている多くの人々。
 被災されなかった地域から救援の申し出が沢山あると聞いた。バスを配車し、避難者を受け入れる多くの自治体、原発事故へ勇敢に立ち向かう消防や自衛隊・・・・・数限りない善意の活動を目の当りにし、日本人が忘れかけていた共助の気持ちが芽生えている。
 この気持ちを忘れずに復興しようと力を出し合えば、必ず日本人ならばできる。これが本当の意味での国の為、国民の為。今まで言われてきた薄っぺらな政治家の公約、政治主導とは一体何をもってそう言わしめたのか!
 政治改革すら儘ならず、駄弁を弄してきた。いまこそ、永田町などにいるのでは無く、地元に戻れ。そして自分を選んでくれた地域の人々がどれだけ苦しんでいるかを見ろ。全く、その動きが見えない。取り上げない報道の責任か?否。アンタ達の責任だ。背広姿でのうのうとしている輩、。。。
 まっ良い。いくら言っても仕方が無い。この政治体質を根本から変えるエネルギーはこの惨事を乗り越える日本人は持っているのだから。
 ”かたくり”は、何気なく花を咲かせている。ここに私たちが何を感じるか。それが問われている。

1749:夢想現実

地震が起こってから何かの変化を感じると言えば、自分を否定しようとする思いが常に働くことかもしれません。最近は眠りが浅く、良く夢?を見ます。それも現実に起こっていることと関係があり、焦って否定する自分に気が付いて目を覚ます。
 そして、次にこうやって蒲団の中で寝られる自分を贅沢だと目覚めた自分が戒める。
 多分、少し冷静になってきたからそれに気が付いたんだと思う。多くの人々が今回の災害を夢であって欲しいと願っている。自らが足を現地に運び、その惨劇を自分の眼で見れば、また違った感情が生まれるのかも知れません。
 日本中の人々が今、一つの事を願っている。そして自分は一体何が出来るのか?と悶え苦しんでいます。
 それは被災者の無事と安心。この先どうなるのか?原発事故の見通しも皆目検討がつかず、情報だけが流される。それだって不確定だから不安をより一層高めている。未知のものを手探りで探すような感じだ。不安神経症と自らに病名を付けたとしても慰めにもならない。
 嘗て日本人全てが一つの事を願って行動を起こした事があっただろうか?戦争という人為的な国策は、今から66年前に敗戦という終止符を打って閉じた。
 今回は自然が齎した異変だ。日本が地形学から3つのプレートが重なる位置にあり地殻の変動で地震が頻発する。これも大体の日本人は知っている。大地震の起こる確率を専門家は盛んに注意喚起するが、果たして今回の地震規模は想定外の大きさだったのだろうか?
 1000年に1度経験する規模だと誰かが言っていた。しかし、その確証はない。現実に起こった事象だけがその可能性を証明した。仮説はどのようにでも書き換えられよう。もし、東京に直下型の同規模の地震が起こったら・・・・今回の地震が夜間に起こったとしたら・・・・・など、考えれば考える程、不安を煽る。
 冷静さを取り戻し、自分の身の回りの事に思いを馳せることができてきた。自分達が汗水流して築いた城が一瞬に吹っ飛んだ。一体、自分の歩んできた人生はなんだったのか、考えれば考える程虚しい。
 そうじゃない。今まで気がつかなかった沢山の事が見えてきたじゃーないか。確かに失ったものを自分達の残された時間で元通りにすることはできないかもしれない。
 気付いた一番大きなもの。それは人間は一人では生きていけないこと、人の温もり、相手の立場になる事の大切さだと思う。仏教の教えをここで出す事が果たして良いのか否か。
 『自未得度先度他』(大般涅槃経)の教えを当に現実の生活を通して生かすことだと思う。
 人間として仏道を歩む、先ず第1に成す事は、「発心」だと説く。何をしようとするか?それは「自らが手に入れる前に他の人々を先に得さしめる」という決心である。
 現代の日本人が意識の有無は問わず、我先にという思いが強過ぎたという反省がある。自分さえ良ければそれで良いという思いが蔓延し、人との関係に温もりが消え、損得の取引だけが目立った。
 良く考えれば分かること、自分さえ良ければという事をどこまでも突き進むと結局自分を窮地に追い込むことになる。
 それがこの世の幸せと勘違いした事に全てが起因する。もし、この機にその事に気がつかないと大惨事復興は不可能だ。
 全国の至る所から善意の動きが出てきた。これこそ日本が世界に誇れる”和”のこころだと私は確信する。

1750:取材

NHK大阪が制作する福祉番組の担当記者から電話取材を受けることになった。県を通じての依頼で、土浦はライフラインの復旧が比較的早かったので大きなトラブルは今の処無いと他の地域を勧めたが、県全体の話でもという事だったので仕方なしに受けることにした。
 電話をかけてきた記者は、今回の地震騒ぎのなかで知的障害者の人達の避難状況が分からないというのが最初の挨拶だった。確かにグループホームがどのようなものか取材に答えていながら、この人は良く分かっていないかもしれないと思う事があった。老人と知的のGHの実態がかなり違っていることが理解されていないようだった。
 一通り聞かれた事に答えたあと、GHから一時避難しているメンバーさんと話がしたいという。勤めに出ているのでまだ帰っていないかもしれないと一先ず電話を切った。
 現在避難中の方は、GHの屋根瓦が落ちて住め無い”ぼたん”の4人、その中で2人が寮に戻っていた。園長室に来てもらって、取材の趣旨を説明、事前に私が質問してみた。Mさんへ(石材店勤務)。「Mさん歳は何歳になったの?」「・・・わかんねー」「どんな仕事をしてるんだい?」「社長死んじゃった」・・・・・・。(今回の地震で亡くなったのではなく病気で地震発生前にお亡くなりになっている彼が大変慕っていた社長さんを私に訴えてきたのだった。)
 Tさんなら大丈夫かもしれない、ぶっつけ本番でいこう。こちらから電話をして本人に替った。「ウンうん・・・・・」取材にスムーズに答えている。
 「JA土浦レンコンセンターでレンコンの箱詰めとトラックに載せる仕事・・・・・うんうん」・・・・・それからちょと私が傍にいるのを気にするような仕草、少し声のトーンを下げて「うん。早く元に戻りたい」「ゆっくりできっから」「・・・・・」
 10分程度の電話取材に見事に応えていた。私が電話を替り、「大変貴重なお話を伺う事ができました。また2〜3日経ってから電話しても良いですか?」「結構ですよ」と答えて終わった。
 終わってから二人に尋ねてみた。「どうだった?」  Tさん「なんも・・」 Mさん「社長 死んじゃったの」
 確かに彼らと一緒の生活をしていると、彼らがどう感じているのかが鈍感になる。むしろ、こうだと決め打ちしてしまう事の方が多いかもしれない。
 彼らこそ、いま自分達が置かれた状況をありのままに受け入れている。そして、大切な事をしっかりと掴んで離さない。
一生懸命さ。これは何かに対し無目的に我武者羅に働くことではない。自分達の願いを決して忘れずに今を耐えている生き様だ。
 糸賀先生がいみじくも話された、彼らこそが人間社会の構造的な矛盾に目を誘うもの、そして新たな人間の価値観を創造すると。
 この一大事に自分が世話になった社長が亡くなり、その息子さんと一緒になって地震の翌日から遅くまで倒れた墓石を修理して廻っている。取材に応じた二人が、決して見栄や体裁でなく、一生懸命に生きている姿を電話の話だけで記者は分かってくれただろうか?
 少しずつ、平静に戻りつつあります。今回は余震が非常に多い。揺れを感じる度に、強い地震で無いようにと無意識に祈っている。