源究112

 

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
1751 曖昧さ 3/24 1756 目を逸らすな 3/29 1761 限りあるもの 4/4 1766 支援 4/9
1752 動き出した 3/25 1757 復興支援 3/30 1762 発芽 4/5 1767 アンケート 4/10
1753 全国会長会議 3/26 1758 水戸周辺 3/31 1763 記憶よ 4/6 1768 統一選挙 4/11
1754 仕組み 3/27 1759 23年度 4/1 1764 元気! 4/7 1769 変化 4/12
1755 役員会 3/28 1760 モラルハザード 4/2 1765 4/8 1770 この先 4/13

1751:曖昧さ

今月初めにドイツに戻った横井氏より何度も電話を貰っている。ドイツでも今回の日本の地震と原発の事故はリアルタイムで報道されていると聞く、特に原発の放射能汚染に関しては強い関心があって、ドイツで様々な動きが出ていると聞いた。私が「仕方がないですよ」と言ったら彼は強く反発した。「どうにかしないと駄目だろう」と言う。でも、どうすれば良いのかが分からない。
 正直、日本人の大半が私と同じ気持ちで今じっと耐えているんだと付け加えた。茨城県も今回の地震では相当の被害を受けた。特に県北の海岸沿いの街は壊滅的な打撃、その主な原因は津波だった。横山大観で有名な六角堂は波に浚われ跡かたも無い。常磐線は水戸から北、いつ復旧できるか予定が立たないという。今日で地震発生13日目、未だライフラインが通じない場所がある。
 懸命な復旧作業、地元の瓦屋さんに聞いた。修理を頼まれているのが600件を超えたという。瓦の生産が間に合わない。ここにきて、食材の確保にも不安がでてきた。放射能汚染がこの先どこまで進むのか予断を許さない。
 昨日、新たに分かった東京の水の汚染、幼児には飲ませない値に達したという。これで天然水は品薄になるだろう。
 一連の騒動が一過性のものであれば未だ良い。しかし、だれもそのようには考えない。電気需要にこたえるための国策として原発を日本では推進してきた。現在日本に54基ある。否応なしに原発の実態が今回見えてきた。使用済み燃料の処理一つにしても課題が大きい。それぞれの原発で原子炉の傍で保管しているのだろうか?
 その危うい実態を国民の大半が知らなかった。
 冷やす為に必死に放水を繰り返す。素人眼だが、最先端科学の粋を集める原発が余りにも非近代的な対処方法に頼っている事にショックを受けた。今までこのような事故を想定した対策がなされてこなかったという事を曝したことに。
 確かに日本人全体がここで大いに反省すべきだ。利便性をお金で買うことの良否が問われる。そのお金を稼ぐために競争に負けまいと必死に働く。その結果、一部の人々に利益が集中し、格差が広がった。
(*人間の欲望には際限が無し。)それを是としてきた日本人、しかし、ここに来てその疑問が膨らんだ。”曖昧さ”ではどうしようも無い現実に直面した。まだ先の事かもしれないが少なく見積もって復興に必要な経費は25兆円にのぼるという試算、丁度1カ月前、国会で23年度予算の審議がなされていた。
 子供手当や高速無料化の実現が先延ばしになることは確実、でも、国民はそれに拘ってはいない。今の大惨事を最優先すべきことに反対する者はいない。
 問題を先延ばしにきた国政、それを許してきた国民。そこに無慈悲にも鉄槌が下された。被災地だけが全ての代償を払うには酷過ぎる。復興にこの先何年かかるのか分からない。しかし、覚悟が必要だ。日本全土で夜間のイルミネーションを止めるとかそれでもやるという企業には税金をかけるなど、思い切った政策を取るべきだ。勿論、金をかけない政治への大転換は当然だ。
 日本人の忍耐強さと勇気を全世界の人々に知らしめ、新たな国として再生する姿を皆で見せようじゃないですか。被災者の痛みを国民全体で分け合うこと、この大ナタをふるえる強いリーダーが絶対に必要となった。

1752:動き出した

地震発生後2週間が経ちます。被災地の復旧の動きが連日報道されています。いまだ物流が上手く廻っていない為に緊急の問題も明らかになりつつあります。道路や鉄道が使えるようになれば、自ずと人の動きが出てきます。
 ニュースに取り上げられなくとも地域には共助の動きが芽生え始めている、そんな実感をしています。入浴の提供や温かい食べ物、提供を受けた人が口を揃えて感謝の気持ちを述べている。今まで当たり前と感じていた事がそうでは無かったと気付いたということだろう、そしてこの光景を見ると必ず日本はこの試練を乗り越えられると確信した。
 挫けそうになっても立ち尽すことはできません、一歩踏み出す気持ちが一番大切だと思います。
 眼を覆いたくなるような悲惨な場面もあります。私は僧侶ですがここ20年、土葬で亡き人を埋葬することなど無かった。それが身元確認も儘ならない状況下で荼毘にふされることも無しに合葬される。それから依然として不明者の数が1万人を超えています。
 いま、日本全体が必死に耐えています。人間は一人では何もできないけれど、近くの人と手を繋ぐことで何かが見えてくる。そんな事を肌で感じながら動き出しました。
 1億2千万の日本人、今回の大災害で知人か親族が何らかの被害にあっていない人は皆無だと思う。だからこそ、皆が何かの協力をしたいと願っている。
 昨日まで日本人誰しもが原発による電力の恩恵を受けていた。それが今回の事故によって原発の存在を誰しもが自らの事として考えなければならない。地下資源を持たない日本が限られた選択肢の中で選んだ原発、繁栄を享受していた時には意識の中から消えていたリスク、それが現実となって立ちはだかっている。今は東北関東の喫緊の問題かもしれないが、日本中には54基の原発が現に存在する。
 風評と取るか否かは結局のところ個人の責任だと言える。いまこの時になって気付いた事が沢山ある。
 福祉に関わる人間には或る傾向がある。それは担い手という意識の底に、自らの責任は棚上げし、行政や仕組みの所為と考える輩が多い、正直、自分もその類の人間だと思う。決して否定はしない。
 この思いをどうすれば変えられるか。一生をかけて悶え苦しむテーマだと思う。つきつめて行くと自分との闘いになる。この思い半ばで彼岸に渡ることは覚悟してはいるが。後は野と成れ山と成れとは言い難い。
 今回の一瞬の出来事が我々に突き付けた究極の命題は、これから先、どこまで続くか分からない復興の道のり、これによって人間の価値観が変わるのか否か。与えられたものが大き過ぎるが故に、今後の苦労が想像できない。この覚悟を誰しもがしないとならない。
 そして、自分がこの世に生を受けた意味を誰しもが自分の責任で見つめ直す。この事が先ず根底に据えなければなるまい。戦後復興の奇蹟は65年の歳月を要した。

1753:全国会長会議

昨日は久しぶりに東京に出ました。上野駅は改装中でシャッターが閉まっている店が多く、何か不思議な感じでした。浜松町の世界貿易センタービル39Fでの会議、全国の評議員数は51名ですが本人出席は31名、やはり地震の影響があったと思われます。
 執行部より予算や事業計画の説明があり、意見も無くスムーズに承認されました。そして今回の地震に関する話に時間が割かれ、最も被害が大きかった東北3県(岩手・宮城・福島)の状況が東北地区代表から報告があり、支援のお願いがありました。死者・行方不明者を合わせると2万7千人を超すだろうと言われる今回の被害の大きさを誰しもが自分達の問題として受けとめていました。
 阪神淡路地震や長崎普賢岳爆発の経験を踏まえた意見がその地区の会長からあり、今後どのような支援を協会として行っていけば良いか熱心な討議がなされました。
 行政は一般市民の対応で精一杯、実態の把握も難しい現状で被災にあった施設への支援は期待できない。我々仲間が応援に行くべきだという意見も出されました。地区によっては既に現地に職員を派遣し支援を開始した所もあると言います。
 私は茨城の状況を話させていただきました。しかし、東北の被害とどうしても比較してしまい、我々として何ができるかという事を考えてしまいました。現在茨城には県外からの避難者1700名を含め3000名弱の人々が避難生活をしています。先日の調査では施設の受け入れ可能な人数として166名と出ました。そして、その受け入れも事業所によっては始まっている所もあります。
 北海道では新体系への移行で施設の建替えを行った所が多いそうで今まで利用していた施設がそのまま空いているので避難の受け入れは施設全体をそのまま受け入れることができると言われました。
 入所型の施設で小人数に分けて避難生活するよりは、職員も合わせてみんなで1か所に移ったほうが確かに利用者の不安は少ないはずです。全国から様々な支援の申し出が出ています。これをどう裁いていくか、現地での対策本部がまだ充分機能していない中でコージネートする人の不足が深刻です。
 地震後2週間が経って、未だ連絡が取れない関係者も多くいるようです。
 また、地震の2次災害である原発事故、報道によって知るしか方法がありませんが、日替わりに状況が変わっており、農作物や飲料水に対しての影響も出始めています。現地では必死に被害を最小限にする対応がされています。放射能汚染は目に見えない相手であり、人々の不安は増すばかりです。
 それと、山梨の会長から今年の7月に実施する関東大会の開催について迷っていると相談されました。東電はこの夏の計画停電は必至との情報を流しています。電力の受給の差が最大で2割に達すると予想されています。
 地域経済への影響も計りしれません。東北関東だけの問題ではなく日本全体の問題となっています。
 現在は行方不明者の必死の救援捜査が続けられていますし避難住民の人々の疲労も限界に達しています。
 いま何ができるか?と自問自答しながら、みんなが協力する。それは物を必要以上に買い占めたり、相手を批判することでは決してありません。
 *昨日、貿易センターでの会議中、地震がありました。一瞬誰しもが感じたこと、もし、今回のような巨大地震が大都市を直撃したら・・・・・・高層ビルが林立する東京、地方においても同様の状況があります。根本的な対応策を講じることが絶対に必要です。それが今回被害にあい尊い命を失った人々への我々のできる最大の責めであると思っています。

1754:仕組み

茨城県内にある大学には東北地方から多くの学生が入学している。今回の大地震により被害を受けた学生も多い。家族や家をなくした学生にとって生活費や授業料を払うことが難しくなったという。何らかの奨学金制度を利用する仕組みもあるようだがそれだって限度がある。
 時間が経つと共に様々な影響が出始めている。
 全国的な傾向として福祉系の大学や専門学校への入学希望者の減少が止まらない。社会にニーズが高いのに何故それを目指す若者が増えないのか。教育機関によっては、経営上止むを得ず、学部変更や定員減で対応している。しかし、これも限界になってきた。横並びでいずれの大学も同じ動きをするから結局は学生の争奪戦となり、尻つぼみ状態。この根本の原因は何か?
 国策として福祉の専門性をはかる触れこみによって、資格制を導入、社会福祉士や介護福祉士という国家資格が入口の処で止まっている。次の切り込みが出来ない。某大学は福祉系を減らして医療系(理学療法学科・看護師科)を新設、医療系には希望者が増加の一途、試験で足切りをする状況で活気がある。
 この理由は実に簡単だ。医療系の資格は、職業として認知されている。医療報酬にも影響、それよりも定数が確保されていなければ開業さえできないのが決定打。
 一方、福祉系ではどうか。需要はこの先も伸びること確実、需要の大きさと専門性や職業としての魅力は一体でない。働くものにとっては、給料と関係するから一大事。
 福祉事業のノウハウを売りにするコンサル会社も多い。立ち上げの事務手続きから建物整備を請け負う。開所した時点で身を引く。後はどうぞ貴方のお力でということに。突き放されてしまった経営者は徐々に現実の難しさを知って右往左往、明確な理念によって築かれた事業所ならば良いのだが、大体はマニュアルにあるお決まり文句。相手が人間で人間がサービスする事業、ここをあまり重要視しなかった経営者が結構多い。こんなことならやらねば良かったと思うものもいる始末。
 すると人間はどんな行動に移るか?全てではないが、損得計算をし易い。・・・・・・。
 福祉に携わる人が少なかった50年前、それはそれは大変でした。補助金など何も無い。自腹を切って建物を建て、地元に頭を下げ下げ始めたものだった。それが需要が高いから、見てみなさい。竹の子のように次から次に立ち上がる。それでも利用希望者がいるうちは何とか回すことは可能だ。いずれ、需要も変わる。その時どうなるか。施設の関係者はまだまだ先の事と危機感などない。
 膨大な創設時の借金は返すしかない。それも20年という長期。この期間は激動の時代、かなり長期ということになる。
 国が検討している新しい法律の中に、医療・介護・リハビリという用語が使われる。そこに知的障害の事業団体からクレーム、”生活支援”という言葉を組み込む働きかけがあった。
 これは何を意味するか?だが、実態はそこまで関心がある施設関係者は少ない。私も実はその部類だ。
 言葉の挙げ足取りに関心無し。仏教社会事業を齧った私、今の仕組みに大いに不満あり。依然、こんな風に思った。地獄を見ると、限られた食べ物を奪い合う餓鬼の姿。
 要するに言葉では無い。医療・介護・リハビリという用語は究極ではいずれも生活支援だ。福祉は国の姿である。様々な人が個を尊重しあいながら共に生きて行く有り様だ。そこを、どうも頭でっかちの輩は分からない。議論の先に一体何を描いているのか本人も分からずに。これが福祉の関係者の本当の意味の危機である。
 制度の不備をどう埋め合わせても諸行無常の根本はどうしようもない。
*諸行無常・諸法無我・涅槃寂静(三法印)

1755:役員会

法人の役員会がありました。この時期の開催を書類評決などに切り替えている所が多い。どうしようかと悩んだ。事前の出欠調べでは1名だけが欠席委任状だった。何人かに電話確認すると出るつもりという返事。結局、予定通りに実施し、皆さん集まってくれた。2時間半、皆さんから本当に活発な意見が出た。それは勇気?ある役員の一言が切っ掛けだったと思う。「課題はいつも出されるが具体的に何をどうしたかの報告が無い・・・・・」まさに痛い処へ、多分全員がそう思っていた事だと私は思った。この機に何を悠長なことを言ってるのか!もう待ったがきかない緊急事態だという箴言と受け止める。
 今回、多大な被害をもたらした東北関東大地震、正直、不安が一杯で何をどうすれば良いのか全く先が読めない。これは尚恵学園においてもそうだ。
 別の役員からこれを機会にどう変わるのか?という意見も出た。水戸や取手から来られた役員も積極的に自分の意見を述べてくれた。その夜、メールで確認してきた役員さんもいた。直ぐに返事を出した。
 備えあれば憂えなしと言うは易い。大きな反省として、マンネリ化と形骸化した組織、そして責任所在の不明確・・・挙げれば切りが無い。
 いま、国は総理の強いリーダーシップが求められている。比較するのはおこがましいが、組織の大小を問わず、全く同じ。機能不能に陥ったとすれば一番の原因はトップにある。いま、本当に変わらないといけない。
 東北の或る被災地で200年続く醤油屋の9代目の社長が、全て津波に流された工場の跡地に立って、「絶対に復興する」と独言。全てを失ったが、従業員の団結力だけが残ったから絶対にできるとも。
 その言葉が頭から消えない。夕刻に歩きながら、何度も今回の出来事を反復した。果たして全員で共有できたことはなんだったのか。
 役員会で具体的な形にしていくと私は約束する。問題意識を持つスタッフも多い。彼らが勇気を持って一歩踏み出して欲しい。
 もしも今回の災害が復興に10年かかるとすれば、被害に遭わなかった地域だってその影響は大きいはずだ。
 時間が経てば記憶から薄れてしまうことは避けられまい。どうすれば今の気持ちを保持続けられるか。それには、先ず第1番目に自らの足元を正すことからだ。
 正す事とはどういうことか? 言って聞かせて遣らねば叱る。これでは駄目だ。職員一人一人の自覚を喚起し、何が大切なのかを各自が掴み取る。これがやる気だ。言い訳は無用、何故それが許されてきたか、これが組織の体質だった。
 幸いと言うと叱られそうだが、茨城の福祉協会の会員の施設は大きな被害を受けなかった。それよりも農業や他の業種の人々の影響は計り知れない。
 在宅で必死にがんばっている人達が障害弱者と言われる人の中にも沢山いる。そこにどのように協力できるか?
このことは自らの組織の立て直しと同様に我々が担うべき大きな役割だ。

1756:目を逸らすな

現実に今なにが起こっているのか、目を逸らさないで欲しい。それと日本人誰しもが覚悟をすべきだと思います。正直な思いとして「幸い被害が無くて・・・」とは言えない状況がある。他人事と捉えないで欲しい。日本はどこにいても地震に遭わないことはない。このことを全ての人々が忘れてはならないと思います。
 いま尚恵学園の中でこんな事に私は気を使っています。スタッフの言動がいつもよりハイテンションになっている。止むを得ない事もあるのだが、利用者にとっては偉い迷惑だ。彼らこそ相当のストレスを感じている。地震そのものを理解できない人が多い。それでも本能的に彼らは身構える。そんな姿を至る所で今回私は見た。原発事故は難しい。何が起こっているかさえ分からず、日課が変わり、生活リズムが狂ってしまう人が多い。
 福祉職の専門性をどこで発揮するか?”生活支援”を掲げるならば、それこそこの一大事にその本領を発揮せねばなるまい。一緒になって興奮し、周りの影響を考えず大声をあげる。これではいくら立派な事を言ってもプロとしての飯は食えぬ。こんな時こそ穏やかに受け入れる態度を示すべきだ。その事に異常なまで私は気を使っているのである。
 既に日常の生活に戻った我々がそうなのだから、未だ不自由な避難生活をしている人々への支援は大変だ。ある救援活動の専門家が話していた。最初は避難できて命が助かったという喜びと安堵感を共有、しかし、避難生活が長くなるにつれて様々な心の変化が見え始めるという。プライバシーが無く、窮屈な生活をいつまでやっていれば良いのか、支援者の一挙一道が気になり不満となる。将来のビジョンが見えれば我慢しようと思うのだが、今回は今までの被災とは比較にならない。範囲が広範囲ということ、それに海岸線の生活基盤が壊滅的な被害を受けてしまったこと。果たして元に戻れるのか誰しもがそう感じている。更に追い打ちをかける原発事故、これが2重3重に住民の復興への意欲を萎えさせる。
 避難を余儀なくされている人達の怒りは極限に達している。酪農や農業それに漁業という1次産業に従事している人達への影響は計り知れない。万が一早急に原発問題が解決したとしても、生業していく基盤は簡単に元に戻らない。土壌の汚染は深刻だ。作っても売れない作物をいくら精魂込めて・・・・・。
 今朝の新聞に出ていた。福島の野菜農家の男性が自ら命をたった。「もう福島はだめだ」と独言を残し。30年取り組んだ有機栽培のキャベツが丁度収穫期にあたっていたという。
 国はどう考えるのか。破棄する作物の補償をすれば済むとでも思ってはいないはず。農業は1年を通じての生産活動だ。連作をしないのは土を休ませ充分な栄養を付けるためだ。
いま、私の住む地域の水田では農家の人が作業を始めている。土をおこし春の訪れを待ち田植えまでの準備に入った。
 しかし、今年は違う。もしも放射能の基準値以上の数値が出たら全てが水の泡。生産者はその事を一番知っている。
ここに来て本当に国の政策の矛盾が表面化している。減反政策もそうだ。自然を甘く見た日本人の奢りを感じる。日本の将来を考えた時、いつまでも1次産業を犠牲にした貿易最優先の政策で良いのか?
 食料の受給率も先進国では最低、もし今回のような被害が食料の輸入先で起こったら、その国は輸出を制限する。誰が考えても分かること。その時に慌てても国内での生産を高めることなどできない。
 経済の豊かさを得た結果、日本人にそれがどう影響したか。リスクに目をつぶり肝心な議論を避けてきた。本当に悔しいのは、政権交代後、実際に行われてきたことは日本をどのような国にしていくかという論議はされず、自党内の権力闘争に時間を取られ過ぎたということだ。その責任を誰一人取ろうとはしない。この機に及んで急に地元回りをする議員。ふざけんな!と怒鳴りたくなる。
 この無責任さにいい加減おさらばしないと真の再生はできない。国民一人一人が目を覚まさねばなるまい。そして、真実を見極める目を持たなければ。その為に何をするか。いま起こっている事象に目を逸らさない事である。

1757:復興支援

復興への動きが活発化している。被災地では必死の救援が地震の発生からずっと続いている。既に19日目と疲労も極限に達していると思われる。依然として不明者の数が1万6千人を超えている。
 多くの人達が避難生活を続け、この先どうしたら良いのかと途方に暮れている。全国から様々な励ましの支援があって、日本が何か出口を必死に探し求めている。時間が経つにつれ、少しずつ復興の動きが見え始めた。
 被災を受けた市町村の長は大変な状況だ。自らが掲げた公約を実践に移す、その半ばで起こった大災害、住民の安否確認から避難場所の確保、さらに復興への限りない挑戦が待っている、それでも逃げることはせず陣頭指揮している。
 日本の底力は計り知れない。身近な例でみてもそれが証明できる。JR常磐線は日立より北になると海岸線を通っている。津波の被害をもろに受けた。線路は飴のように曲がりくねり電線は至るところで切断、駅舎も崩壊したところが多かった。必死の復旧作業で今月の31日には土浦から北の勝田まで電車が動くという。さらにいわき市まで4月には復旧すると聞いた。
 一方ではまだ断水状態の地域がある。鹿行地区での復旧が遅れている。これは地震による液状化が原因している。埋め立てで住宅地になった場所や工場団地に被害が集中した。
 それでも茨城の被害は東北3県の比ではない。
 余震がまだ続いているが、いま、復旧を妨げる最大の問題は原発事故だ。漁業者は出せる船で漁に出たい。農業者では春の種まきの準備をしないと・・・・など動きたいが動けない。
 酪農者は避難したくとも牛を置いてはいけない。乳を絞らないと牛が病気になってしまうしエサも与えないとならない。
 今回の地震の被害は天災と諦めるには度を越している、でもそれに耐える力は被災地の人々は持っている。その中で、なんとも承知できないものは、原発被害であろう。この情報が日に日に変わる。
 直接被害が及ばない福島から離れた地域に住む人達には、この姿の見えないものへの恐怖感は分からない。原発の選択は正しかったのか?いま事故を起こしている福島原発は東電が最初に作ったもので1971年が運転開始だと聞いた。すでに40年が経過している。
 原発のある双葉町は町ごと埼玉に避難した。福島も前に事故を起こした新潟の柏崎原発も電気は首都圏に送られている。そのかわり地元には協力金みたいな形で還元されてきた。茨城にも東海村があって、国からの多額の援助があり村は裕福な財政を誇っている。この選択は当時の住民のなした事ではあるが、安全を守る責任は東電にある。
 電気の供給は民間企業だけでなし得ることではない。国策として計画実行されてきた。
 だから、今回の復興には当然国が総力をあげ、支援するべきである。それと同時に我々も長い期間、その恩恵を得てきたわけだから、負担を分け合うのは当然だ。
 日本がこの先どうなっていくべきか。それを決するにいまこの時を逃して再生の道はない。
 復興支援は、被災地だけでなく日本全体が取り組むべき最大の課題となった。
 昨日、退職し実家に帰ることになった職員が挨拶に来た。実家は石巻、前回の地震で自宅が全壊し、新しく建て直した家は今回津波被害は無かったという。車に載せられるだけの食料を持って明日宮城に帰ると言う。
何かが必ず救いの手を・・・・・・そう思って頑張って欲しい。

1758:水戸周辺

11日の地震発生後初めて水戸に行きました。常磐高速道は至る所に修復した箇所があり、通行止めになった理由が分かりました。それに水戸市内で仙波湖周辺の被害が酷いのが一目瞭然、県の文化センターの大ホールは大きなガラスが割れっぱなしで閉館中、その周辺の石畳は波打っていて修復工事が何か所でもやっていました。
墓地の9割が倒れたという話も頷けました。しかし、高台になっている場所は同じ市内でも然程外見からは被害がないように見えます。やはり、埋め立てによって造成された地域は地震には弱いということでした。やっと本日、土浦から勝田までの常磐線が復旧します。順次その先も電車が通れるようになると聞きました。
 学生時代のクラブの仲間で鹿児島のSさんが亡くなったという知らせをもらい、同期のYが大阪から鹿児島まで行ってくれました。通夜に間に合う時刻にどうやって行ったのか?最近、九州も鹿児島まで新幹線が通じたのでした。そして、仕事があるから朝一番で戻るという電話を貰いました。西日本は普段の生活が成り立っているんだと分かった次第。
 その時、ふっと感じました。常磐線が20日以上も不通になっているのに大阪から鹿児島までどれだけの距離があるのか知りませんが日本の鉄道の凄さを改めて知らされた感じです。これだけ便利になったということでしょう。しかし、今回それが非常に危ういということも同時に分かりました。
 数分間隔で動く山手線など、もし今回のような地震が起こったらどうなるのか、地下を縦横に走っている地下鉄など、想像しただけで気分が悪くなります。地震めまいが少し良くなってきたように思っていますが、徐々に実態が明らかにされる中で驚いています。震度5弱以上を観測した地点が89か所と気象庁は訂正したそうです。これだけでも今回の地震の凄さが分かります。それと津波の高さ、宮城岩手福島の沿岸は10メートルを優に超え、陸地に波が到達した最高地点がなんと29メートルの高さだったと判ったそうです。茨城の北部の海岸も8メートルを超えた所もあったと分かりました。
 ここまでくると防波堤や波消ブロックは役にたたないという事でした。
 今後、検討されることでしょうが復興に際し、その辺への対策が充分はかられるものと思います。
 人間の利便性への欲求は際限が無いのでしょうか?このまま行くと人間は体を動かさなくとも生きていけるようになるかもしれません。今では飼い猫が栄養管理された年齢別の食事を与えられ、本来の姿が見えなくなり、退化したと言われます。ペットとして飼われる猫が本当にそれを望んでいるのか?聞いても答えてくれるはずも無く、我が家にも猫2匹がいて、彼らを観察しているとその辺の事情が良く見えてきます。
 しかし、凄いと思った事がありました。それは11日の地震発生の時でした。2匹ともその晩はどこかに隠れてしまって出てきませんでした。
 それと昨日聞いた話、地震発生の1週間程前に鹿嶋の海岸に50頭近くのクジラがあがったというのです。彼らは海中の何らかの異変を察知したのでしょうか?
 このように生き物は何らかのDNAを引き継いでいます。特に生命への危機には本能的に敏感に反応すると思います。
 この先、人間は深層に持ち続けてきた何かの機能が目を覚まし、偏ってしまった生き様を修正していく原動力と成り得るのでしょうか。本来、そこに智恵を働かすということだと思っています。

1759:23年度

野辺にはかげろうの立つ頃となりました・・・・・。卯月、23年度が今日からスタートです。
 気持ちを新たにいつもなら新採用職員(6名)の辞令伝達を行い、その後今年度の事業計画を全職員で確認する日です。しかし、ご存知のように日本全体が未曽有の危機の中で新年度を迎えなければなりません。先月11日が大きな境目となりました。これからどのように復興をさせていくのか全く予断の許さない状況が続いています。
 戦後、日本が海外からの支援を受ける立場に立たされる最大の事件が起こったということを、まだ信じられないという気持ちで多くの日本人がいるのではないでしょうか?
 徐々に現実を受け入れながら再生に向けスタートを切るにはまだまだ時間がかかると思っています。
 このような時期、自分の足元のことだけを考えていることに罪悪感さえ感じています。誰しもが分かっていること、それはこれからの日本は今まで通りには何もかもが進まないという事でしょう。繁栄を世界に誇っていた日本が一転して耐乏の生活に落ちてしまうのでしょうか?不安と失望が交錯し、何か得体のしれない雰囲気になっています。
 大打撃を受けた被災地だけの問題では無いはずです。国民全体に応分の負担がかかることは必至であり、当然のことと受け止めて欲しい。
 このような惨事においても聞き捨てならぬ噂が耳に入ります。メガバンクにとってはやっと金が流れるという見方があるとかないとか。これを素直に喜べぬ感情が働きます。確かに壊滅的な被害を受けた地域にとってインフラ整備に要する費用は膨大でしょうし、その復興に携わる人の確保も全く想像がつかない状況だと思います。全てを失った人々に再建の費用を負担させることは酷です。しかし、国が代わってその補償ができるかといえば、これもまた難しい。この舵取りは大変です。国会が果たす役割として、いまこそその力が試され、国民の厳しい目が注がれることになります。
 全ての計画に見直しがかかり、復興に必要な財源に向けなければなりません。暫くは様々なイベントも中止、縮小は免れないわけで、本気になって何を残し、不必要なものは止める決断をすることです。
 今回の原発事故が如実に示したことは、首都圏の一極集中の問題です。机上のプランは練られていたかもしれないが現実の問題となりました。首都圏の電力の需要に新潟や福島の原発に頼っている。日本全体でこの国を支える仕組みが今必要な時に、負担のバランスがおかしくなっています。
 今回の地震で東京のシンボルであった東京タワーの先端が曲がったと言います。先日、貿易センタービルの39Fから私は見たのです。そして、会議中に起こったかなり強い余震。この恐怖は何と言えば良いのか足が地についていない状況と逃げ場が無いことからくるものでしょう。
 新年度の初日としては、頭が整理されず、何を話してよいのかまとまりません。強いて言うとすれば「原点を捜し求め諦めず続けていこう」という一言です。
 

1760:モラルハザード

本来のモラルハザードの意味は、譬えて言うと、自動車保険に加入したことで、安心してしまい事故に遭う確率が逆に高まるという意味だと聞いた。日本では少し違った意味で使われている。日本人特有の直訳というものでモラル=規律、ハザード=欠如をそのまま合わせて「規律の欠如」という意味だ。実際、その方が語感にピッタリするから不思議だ。
 その亜流的解釈でどうかと思うのだが、敢えて使うことにすれば、昨日のニュースで大相撲の八百長疑惑の報道があった。なんで今この機に及んで、皆が皆、震災の復興に血眼になっている時にガッカリしてしまった。
 外見でモノ言うことは如何かなと思うが、大きな体で画面一杯に出てきた疑惑の関取達・・・・・・なんとまー元理事長はいるしそうそうたる親方衆が監督責任ということで役職を辞退したという。
 これも一つの日本の姿を表していると感じた。相撲番付の上位には外国人が並び、歴代横綱にいた英雄的日本人関取が全く姿を消した。そして、プロ野球賭博や八百長事件。根本的な改革が果たしてできるのだろうか?
 責任の取り方についても異議あり。理事を辞任することで責任を取ったことにはなるまい。その辺の処分がどうかと思った。
 この姿を規律の欠如と言う。だが、どうだろう?足元を見よ!4月1日辞令を6名の新採用者に渡した。その後、短い時間だったが話をした。具体的な例で話さないと耳に残らない。
 そこで、マスクの事を話した。以前、インフルエンザが園内で流行し、大変な思いをしたことがあった。これは確率として職員を通じて菌が入ってきたのが大きい。そこで職員にマスク着用を義務付けた。私はシツコイ位に付けていない職員には注意した。だから私の姿をみると急いでマスクを付けるものも出る始末、それでも構わず注意し続けた。
 この私のやり方をどう感じたかということ。たかがマスクじゃーねーのかよ。と注意を受けた者は思ったかもしれない。
 決して規則づくめで職員を雁字搦めにしようなど毛頭思っていない。少なくとも自分達が過去に経験したことを活かせと言う事だ。どうしても着用を忘れる職員に限って、自らが真っ先に感染し、病休をとる確率が高い。その時、本人がどう考えるかということだ。他の職員に迷惑をかけて申し訳ないと思うか、それとも熱が出て苦しいから当然休むべきだと思うか

 シツコイようだが私はこの辺に拘る。昨日の全体職員会議で”生活支援”が我々の専門職としての旗印だということを説明した。少なくとも我々はその事によって生活ができるわけだ。福祉現場で長く働くとその辺の感覚がマヒしてくる。世間様は皆、そう思っているのだ。アンタ達は税金で賄われているんだろう。その事の認識が浅いと自分の権利を主張し、遣る事は中途半端ということになりかねない。
 そこをマスクを例えに話した。それが通じたか否か、別に問い質すつもりはない。これからも時には爆弾を落とすつもり。 「スミマセンデシタ」を何度言えば良いのか。私の古ぼけたコンピューターにはちゃんとデーター保管されている。

1761:限りあるもの

昨日は寺で私の小・中学校の時の同級生の法事があった。彼は横浜で長く生活をしていて殆ど会った事は無く、昨年久しぶりにお母さんの葬儀で会った。その時も体調は良くなかったようで、「どうにか来たんだよ」と話していた。それから丁度1年が経つ。実家にいるお兄さんからの電話で弟が亡くなり、横浜で密葬してくるという話をされた。
 そして、昨日寺で法事を行い、お骨を預かった。
 お兄さんからいろいろな話を伺った。彼は2歳になる前に病気で警察官の父親を亡くしている。その後、茨城に引っ越してきたという。長男が10歳だったというから3人の男の子を母親は一人で育てた。・・・・・。
 彼は私と同じく還暦を5月に迎えていた。多分、写真でしか知らない父親と1年前に亡くなった母親の墓地に仮埋葬されることになる。
 人間は生きた証として何かを残したいと思う。父親の遺骨を持ってきたのは、今、横浜で働いているという25歳になった長男だった。
人間は自分の命を燃やしつくして静かに逝くものとは限らない。いま被災地で起こっている必死の捜索、瓦礫の山と化した嘗て生活の場であったところで続いている。既に随分と時間が経った。亡くなった人達の事を思うとなんと言って良いのか分からない。未だ行方不明の多くの人達、見つかるのを固唾をのんで待つ家族・・・・・。
 時間と共に、地震や津波被害の事よりも原発事故の報道が多くなった。先行きが全く読めない。関係者の記者会見も掴みどころが無く、より不安を助長する。
 東電の責任は避けられまい。しかし、これは明らかに国策で行われてきたもの。国としての責任はより重い。そして国としての責任は国民の責任だ。これに対し、全ての国民が覚悟して報いなければならない。
 この機に及び、他人事に思う人間などいない。今回のマグニチュード9.0という規模の地震は1000年に1回来るか来ないかの大きさだと聞いた。その真偽はどうあれ、現実に起こった地震は今までに誰も経験したことがない超巨大なものだった。今後進められると思う対応策で今回の規模相当の津波に対し、海に囲まれた日本を全て防波堤で囲むことは不可能だ。それにはどうすれば良いのか?
 首都機能の移転も含め、今後大いに議論されるべきことだろう。
 寺の話で恐縮だが、茨城県のお寺で本堂が倒壊したところもあった。それと墓地、全滅になった霊園もあるという。私の寺は2割程の被害、何がそうさせたのか?多分、もともと山だった処を墓地に造成したから地盤が良かったのかもしれない。石屋さんに伺った話、全滅だった墓地の復元で、取りあえず割れたり傷がついた墓石をそのまま復元しようと決めた所があるという。それは改修の費用も当然考えられてのことだろうが、この地震の記憶を後世に伝え残す為だと聞いた。
 確かにそうだ。人間は時と共に辛い思いを忘れる。だからこそ生きていけるということもあろう。広島の原爆ドームは将来同じ過ちを起こさない為に残した。
 こう考えてみると日本人一人一人が今何をすべきかが少しずつ見えてくる。
 

1762:発芽

まだ余震が続いている。その瞬間、あの時の地鳴りと揺れを思い出す。この不安はどうしても無くならない。
 確実に日中の気温は上がっている。朝,重ね着した服が邪魔になる。気温15度がこれほど温かいものだったのか、ここ暫く忘れていた。するとどうだろう。周りの木々が蕾を膨らませ、若芽が日に日に大きくなっている。津波に襲われた海岸べりにある梅が花を咲かせたという。海水に浸かりながらも耐えて芽を出す植物。これが自然の姿なのだ。
 日本は中国や中東諸国に羨まれる程の天然水が豊かな国、山から滲み出る清水は、そのまま飲料水になる。
 これが一瞬にしてスーパーの棚から消えた。生産が間に合わないのか買い占めか?いずれにしても今回の大地震と原発事故の影響だ。日本が繁栄を享受してきた影の力に膨大な量の電力がある。火力発電は大気汚染が避けられず、ご承知のように原発で賄う政策を選んだ。今回の事故処理は驚くほど対応がなっていないことを全世界に知らしめた。高濃度汚染の水がひび割れカ所から海に流れ出ていたという事実。そして必死に止めようとしているがなかなか上手くいかない。世界の海を汚すのかと袋叩きに日本がなるのではと心配をしてしまう。
 想定外だからといって許される事ではあるまい。
 東電だけの問題とは到底考えられない。この夏の東電の電力不足が1000万キロワットという。どれだけの量なのか分からないが一般家庭での節電も例年と比べ15%位とのこと、企業は25%というから、この影響も計り知れない。生産拠点を移すことが可能な企業は良いだろう。しかし、孫請けなどの中小企業は無理だ。今回の震災で日本人全てが被災者への何らかの援助をしたいと思っている。節電への協力もその一つ。
 GDP世界第2位の地位を長く占めていた日本が今回の国として背負う試練に耐えられなくてどうなのか!
 いまも被災地で頑張っている人達に申し訳ない。
 今、明らかになったことは、原発をこの先どうしていくかという事に国民が答えを出さねばならない事。今回は地震と津波という自然災害が引き金になったが、万が一テロ攻撃の矛先に原発が狙われたら、今以上の混乱をきたす。
 それが無いという保障はどこにもない。人間が考え作りだした原発によって人間が滅びるという道はどうしても避けねばならない。これに対し、実は殆ど無防備だったことが分かった。
 日本がこれだけ大騒ぎしている丁度同じ時にリビアでは自国内での紛争がより深刻になっている。これもまた富と権力を一部のものが長く独占したことへの人々の不満が根底にある。それへの抵抗に武力をもってするしかない。
 人間の欲望には際限がない。それを追い求める限り、苦しみは常に付きまとう。その事がどうしても分からない。

1763:記憶よ

昨日、本棚を整理していたら、一冊のサイン帳を見つけた。開いてみたら39年前卒業の時、山登りのサークルの追い出しコンパの時に書かれたもの。当時の部員の数から思えば大分空きペースが多いと思ったが、記憶を辿れば皆酔っ払っていた席で走り書きしてくれたものだから仕方が無いと思った。
 目が止まった。既に亡くなった二人の言葉だった。H君は同期で、頭脳は明晰、何せ超有名な進学校から現役で入学してきた奴だった。彼は私に対し「本質的にキザな男へ」と長文の最後に書いてあった。そして、彼は卒業後も日本山岳会に入り、山を楽しむ唯一の同期だった。彼は残念だったが、北鎌尾根を一人で登っていて亡くなった。そうだな、もう10年以上になるな。
 それと最近亡くなったと知らせを貰った鹿児島のS君、彼のあだ名は「渡世」だったと記憶する。任侠道を地でいくタイプ。郷里の鹿児島では多角経営で事業を広げ名士で通っていた。それからあだ名が「青ゴジ」のA君。背が高くゴジラみたいだと私が付けた名だったかもしれない。彼もまた若くして逝った。今頃、カンカンに怒っているかもしれない。
 一冊のサイン帳から記憶がどんどん蘇ってきた。
 いずれ私もそうなる運命に、これもまた良し。それと、どうなんだろうか?背伸びの人生も辛いよな。自分の身の丈にあった生き方が良いに決まっている。そんな意味からすればH君の「キザな」男をずっと引きずってきたかもしれない。
 それぞれのコメントには、「また いつか会おう」と書かれてあった。
 今度は私が向こうに行った時に会いにいくからと言う順番となってしまった。もうすこし、今生の暇乞いするには時間があるようだし、まっ焦らず奢らず我が道を歩めと言われているような気にもなった。
 

1764:元気!

”よっ 元気?”と声掛けられると”ああ 元気だよ”と答える事にしました。
”いつも 元気だね”と言われると”そうでもねーよ”と返事するようになってしまった。これって天邪鬼かな?
 昨日は県庁で臨時の会議がありました。地震後のあるイベント開催をどうするかという話でした。ずっと続いている障害者のスポーツ大会、メーン会場の笠松競技場の体育館が被害を受け使用できないという。そこで会場を変更して実施するか中止するかという話。結局、実施する方向で決まった。
 その決定にあたってキーワードになったのが、『元気&楽しみ』だった。既に3000名弱の参加申し込みがあって、どれだけ辞退者が出るか分からないがやるべきだという事になった。
 復興支援がどれだけ長引くか誰も分からない。メデアが取り上げる被災地の映像や原発事故の2次災害、日本中が鬱状態になってしまった。このままでは日本全体が大きな波に浚われたような気持ちになる。
 そして、4月には統一選挙がある。候補者はいつもと違った選挙になるとヤキモキしている。でも、どうだろう。この際、思い切って政治の容を変えてみては。大分昔の話になったが、福島の矢祭町の実践が紹介された。町議の報酬は日当制、議会は廃校になった小学校で行われていた。いま、放射能汚染で避難地域にはなっていないようだが、同じ福島県の南部の町だ。
 改革には市民の後押しが不可欠、それから増税には公平性が問われる。矢祭町がクローズアップされたのは、丁度、永田町の議員会館の建て替えが話題に上がっていた時期だったと記憶する。あれほど超豪華な宿舎は必要無いという議員も僅かだがいたようだ、果たしてその方は今も使用していないのだろうか?
 このギャップの是正無くしてどうだろうか?もしも、今の時期に建替え議論があれば、当然先延ばしされたはず。今となっては、遠慮しながら使用するということになってしまった。
 それと、福祉施設の超豪華な建物にも疑問がある。その主たる財源は税金だ。
 復興に必要な膨大な財源の捻出をどうするか。我々が行って来た細かな要望など、どこかに行ってしまうかもしれない。被災地の人々の事を考えれば我慢しようという気持ちになるだろう。
 それに地域移行を掲げるにしては、施設が立派過ぎるというのも腑に落ちない。これは私の拘りだからどうしようもない。
 ここで出すのはどうかと思った事がある。それは自殺者の減少だという。被災地の大変さが自死を思いとどまらせているのではないかという。
 ただ、心配もある。先の見えない避難生活を余儀なくされている人達の中に将来への不安と疲れで生きるのを諦めてしまう人が出ないとも限らない。これを防ぐには、国が明確な方向を示し、その約束を守ることでしかないだろう。戦後65年という期間がどうだったのかという検証は、至る処で為されるはずだ。
 この国の容を創造するには、この度の災害復興と同様の期間は優にかかるだろうし、思いを同じくして同時並行で為されるものである。

1765:風

一体全体どうしたというのだ。地球が怒っている。昨夜、またしても強い地震が起こった。今までに数え切らない程の余震の中でも最大の揺れ、宮城県を中心に震度6強だった。まだまだ復興の見通しもたっていない中、情け容赦無く攻め続けてくる。一切の防備も許さず、この先、この波状攻撃がまだ続くのかと誰しもが不安を感じている。
 11日の本震が昨夜のように真夜中の時間帯であったらと考えただけで身振るいが止まらない。
 1カ月が過ぎようとしている中で被災にあった人々に復興への意欲が出始めた丁度この時期に。そして今回のメデア報道の焦点は原発に集まった。東北にある幾つかの原発で外部からの送電が遮断し、冷却はデーゼルの非常電源で対応したという。なんと危ういのだろう!万が一非常電源装置が使用不可の時、また同様の原発事故に繋がるのか。
 砂上の楼閣という言葉があるが、果たして今ある日本の全ての原発が安全をどれだけ担保し操業されているのか、そして地域住民への理解を充分取っているのか。
 何か今までに無い風を感じる。今回の災害で見過ごせない言葉がある。”想定外”という言葉で真相が明らかにされず、責任の所在が有耶無耶になるのではないか。
 確かに、11日からずっと原発の中で必死に働いている人々も大勢いる。でも、何かが噛み合わない。国の機関である原子力安全委員会・保安院の記者会見の在り方に不信感を持つ。事の重大さを本当に感じているのか?彼らが現地に入り、現状を把握してのことなのか?等・・・・・。
 それと東電のトップの対応、現場で生命をかけ奮闘している人との格差、どうしても他人事のように見えてしまう。
 多分、トップのお歴々は官僚の天下り、いざとなればその座をいつでも捨てることを考えている。そう見えてしまう。偏見でしょうか?
 日本の産業構造がそうなっている。戦後復興の時代ならそれも頷ける。しかし、その仕組みが慣習化し、有事の場合の対応が蔑ろにされてきた。その弱点を突かれた。
 結局泣くのは地元の住民であり、何も知らされていない一般庶民ということが分かった。
政治を志す人に言いたい。貴方は何を大義と感ずるのですか!先の総理が、自らの税金不払いに貴重な時間を浪費、その責任も取らず、一旦、政界を退くと公言しながら直ぐ撤回した。孫正義氏は今回の震災に100億の私財を拠出した。どちらが国民を思っているかは子供にだって分かること、そして言い訳は一言も発しない。これを大義と私は思う。こんな人に日本の政治を任せたい。

1766:支援

何人かの人々から茨城県心身協として何か具体的な支援をしたらどうかという電話を頂戴しました。その時に説明します。11日の地震発生時、直ぐに私は県に電話をいれた。課長との話で障害福祉課1本でやろうと確認しました。その後、日本知的よりやはり電話で問い合わせが入った。茨城の被害状況と今後の対応策について、県単独で動くと逆に現地に迷惑になるだろうから日本知的を通して進めることで了解をとった。
 支援物資や災害ボランテアの派遣、それと義捐金募集など、様々な団体から寄せられている。人々の善意がうまく被災された人々に届くには、我先にという行動は控えるべきだというのが私の考えだ。
 大体、そのように説明すると電話の相手も分かってくれる。でも、彼らの気持ちも充分わかる。何かやれる事が無いかという気持ちを強く感じるからだ。
 そんな時、メールで中田先生よりアフガニスタン支援の紹介が英語版で出されたという連絡を貰った。
http://www.jica.go.jp/english/news/field/2011/20110406_01.html
 これを読み私の正直な印象だ。実際に現地に何回も入って現地の人々に指導された人達のことは一切ふれられていない。JICAという文字が私には妙に感じた。しかし、先生はそれで良しと最初から思って参加した。
 東日本震災への復興支援も、市民感情とはギャップを感じる。特に放射能汚染に関する動き、原子力安全委員会保安院という国の機関での対応、それと東電の上層部の動き。果たして彼らは現地に飛び、最前線の実状を自らの目で確かめたのだろうか?
 日本が世界にODA(政府開発援助)という様々な支援事業を行っている。
支援する側の思いが受ける側の人々に上手く通じているのか?私は、その時にふと思ったことがある。”陰徳”という言葉。
 ・・・・利養を得んと欲して自徳を讃じ・・・・・「密厳院発露懺悔の文」の1節。
 陰徳と共助が結び付くと希望に繋がると私は思う。自分達は決して前面には出ず、相手に花を持たせ、自らは静かにその場を去る。藤沢周平の世界を感じる。武士道と言えば型通り?
 いずれにしても、復興支援は長引くと思われる。自分達が何ができるかという事だが、これには先ず今までの自らの反省をすることだ。無駄が沢山あったはず。自利を優先し、権利だけを主張してこなかったか。物を大切にせず、使えるものまで破棄してはいないか。・・・・・・・。
 政治や行政の無駄には大いに関心を示すが自らの事は棚上げしてきた。これが私の正直な反省です。
 

1767:アンケート

職員を対象にアンケートを行った。その結果、「今一番必要と思う事」という質問に対し、@は利用者の自立支援に供する環境の整備がダントツ、Aは職場の人間関係と出た。いずれも突き詰めると同じ範疇に入ると思うが、これは年代と経験に関係無く高く出た。
 私が気になるのは、環境の整備、実は私にとってもそこをどうにかしないとならないと常々感じているからであろう。
 昨日、こんな話を聞いた。
 ある利用者さんが寮内のガラスを2枚割った。それでも止まらず、夜勤室のドアを足蹴り、どうしても止めない。理由を尋ねると「セロテープを貸して下さい」という。「足蹴りをする人には貸せません」と答えると小さな声で「ウルサイ」と言ったという。結局、セロテープを貸してあげると彼は自分の大切にしている絵本の破けている部分にテープを貼って直していたという。
 彼の大切な絵本は今時売っていない。それを破いてしまう友達がいるという。良く観察していると思ったのだが、彼はいつも本を届かない高い所に置いておくという。破くのが得意な人にはそこは届かない。すると、誰だか知らないが上から下にその絵本をワザワザ移しておく人がいるという。
 ここまで分かっていながら、対処の方法は無いのか?誰しもそう思うはずだ。
 しかし、そう簡単ではない。何しろ彼らは次から次に変えてくる。もしもだ、解決策が直ぐに浮かぶならば、彼らは施設には入って来ない。充分、家族で対応できるだろうから。
 いま、入所施設は微妙な立場に立たされている。それは、快適な住環境だけでは片手落ち、それが目標とは成り得ない。
 つまり、絵本を破く者、それを修理するためにセロテープを要求するもの。ガラスを割ってまで要求する。我々は怪我でもしないか気になるところ。実はこれだって人との関係を保つ便法と考えることも有り得るのだ。
 そんな姿は至るところで見られる。人間は素晴らしい住環境にいても一人では生きられない。何らかの関係を周囲と取りながら知情意の触れ合いを期待するもの。
 知性と感情と意志は微妙に絡み合う。感情面で言えば喜怒哀楽が当にそうだ。一方に偏した状況は決して望まれる姿ではない。
 この度の大震災で日本人の多くが忘れかけていたことを再発見している。外見に惑わされ続けてきた日本がやっと内面の重要性に正直に向き合う派目に陥った。ここで変わらねば、日本は駄目になる。そんな風に思えて仕方が無い。

1768:統一選挙

昨夜大半の選挙結果が分かった。いずれの方が当選されたとしても運営は大変だ。何せ問題が山積みされており、バブル期のように潤沢な財源などどこにも無い。有権者の眼は厳しく、常に政治判断が求められる。
 何年かかるか分からない東日本大震災と原発事故への最優先課題に国は勿論、被災地も全力で対応しなければならない。先日、テレビで内橋克人氏が言っていた。「ここにきて日本が社会転換をせざるを得なくなるだろう。人間の安全保障という面からも電力を原発に頼るのか否か、住民投票という形を取りながら国の容を創っていく・・・・・・」 内橋氏は社会派の知識人、ずっと国策としての原発依存に警鐘をならしてきた人物だ。
 今、世界の潮流は自然に優しいエコエネルギーへとシフトされつつある。太陽光やバイオ燃料、新たなエネルギー開発も進められてはいるが、いまの電力需要を全て賄うまでには時間を要する。それまでの時間稼ぎとして日本は現在54基ある原発に頼らざるを得まい。今回、余震で福島以外の原発の問題が分かったという。それは非常事態への対応(外部電源遮断)に不都合が生じた。保安院もその弱点をあっさりと認めた。何かこの変わり身の早さに違和感を感じるが、これが実態ということを認識せねばなるまい。
 社会の転換と言ってもその具体的な方法論が分からない。政権交代をして何かが変わると期待した国民が先ず政治とカネで出鼻をくじかれた。これは全く政権交代前と何も変わっていない。そして、大臣が続けざまに交代した。これもまた、自・公政権末期の状態をそのまま引き継いだ。
 政治主導とは良く言ったものだが、官僚を無視してこの国は動かない。それが分かって官僚に擦り寄る。この一貫性の無さに、有権者は希望を失った。そこに今回の大災害、打つ手が分からず、右往左往している状況が手に取るように見えてくる。
 内橋氏がいう、この機に社会制度の転換をはかるといっても、具体的に何をどう変えるのかが示されない。
小出しに部分的な改革をいくら行っても大勢は変わらない。いま、確かに日本人全てに突き付けられた大きな課題、アンタ達はこの国をどのようにしたいのですか?
 現実には哲学することを忘れた国民という揶揄もある位だから国民総意の国体を描く事は至難の業だろう。 過去の反省はいくらでもしても良い。だが、誰が悪い彼が悪いと犯人探しをいくらしても前向きなアイデアは出て来ない。余りにも貴重な審議の時間を斯様な事に浪費した。ここで唯一取れる方法としては、絵パズル完成の手法だと私は思う。
 今回の統一選挙で僅かにその芽生えを感じる。大阪の動きに期待したい。住民の思いが政治を動かす、これが本来の政治主導、一部の権力者の好き勝手にできる政治ではない。政治家が政治家をチェックする手法は日本では馴染まない。今回、名古屋の選挙結果は大阪と対照的だった。河村市長の選挙前の言動に私は疑問を持った。何故、今更、小沢さんと組むのかということ。知事選後直ぐに大村知事を含め3人で会った。
 これを期待感をもって見ていた人はいない。その事をもし彼が分かっていないならば、彼の目指す改革に逆風となるに違いない。
 政治家の一番の敵は、神輿に載せられた時に自分に擦り寄ってくる人間の品定めが出来るか否かだ。 

1769:変化

マグニチュード7以上の余震が既に4回を超えた。昨日の午後も茨城で震度6弱の地震がありました。メンバー達全員を避難させました。少し遅れて行ったが直ぐに状況報告があり、異常は無かったと言う事が分かりました。突如として揺れが起こりますから、どうしようもないという気持ちです。そして10分毎におこる余震、皆が皆、不安と怖れの中にいます。でも恐ろしいのは慣れですね。『またか』という気持ちがどこかにあります。
決して油断しているのではないのですが、体が慣れてしまうのですね。地震メマイも依然として続いている方が多い。
 そんな中で尚恵学園のメンバー達にも心の微妙な変化が出ています。うまく自分の気持ちを出せない方に見られるようです。ガラスを割ったり、ドアを足蹴りしたり、目線が合わないとか、職員の傍にいたいとか、これは1カ月以上も続く地震の揺れに体が反応しているんだと思っています。
 こんな時、支援者はどう対処すれば良いのでしょうか?一緒になって慌ててしまう者もいます。こんな時にこそゆったりと構えているのが・・・・・・。理屈では分かります。でも、実際に自分がそこに身を置いてみれば大変難しいことがわかります。口では落ち着けと言っていても目が血走っていたりします。
 メンバー達は周りの変化に微妙に反応します。そのことは今回の異常事態で充分わかりました。
 毎日のように私は地震絡みの電話を貰っています。埼玉の知人からは、避難者を受け入れる用意はできて、その事を伝えてあるのに、何の回答も無いとボヤいてメールをしてきました。現地は正直、それどころじゃ無いということでしょう。避難した人々も何度も場所変更をさせられ、疲れ切っています。
 メデアが現地映像を常時流してきますから、悲惨な状況が目に焼き付いてしまったというのもあります。職員を現地に派遣しても、入れ替わり立ち替わりではかえって迷惑になるのではないかと私などは思ってしまいます。
 いろいろなチャンネルから支援をすると混乱するという阪神淡路地震の体験がありますから尚のことです。
 長期戦になるのが確実な今回の復興支援、必ず我々が手伝うことができる時が来ると思っています。
 仙台から来ている職員が今、郷里に戻っています。車に水や食べ物を沢山積んで家族に会いに行きました。
 尚恵学園でも様々です。年老いた親は、自分だけで精一杯だから春の休みも自宅に連れていけなかった方が結構いました。毎日、お決まりの場所に出て母親の来るのを待っていたNさん、昨日やっと、母親が会いにきてくれました。家には帰れませんでした。彼らにはそれでも我慢できる耐性があるんですね。
 被災地の人々に沢山の励ましの言葉をかけてあげよう。「頑張って下さい」と言われるとこれ以上どう頑張れば良いのかと思うそうです。その時「一緒に頑張りましょう」と言われると微妙に違うと言う事を聞きました。
 日本が自由主義経済の中で勝ち負けを付けるのが良いことのように思ってしまったのも事実です。その結果、格差が広がり、不公平感が蔓延した。その時に起こった東日本の太平洋沿岸地域の大災害、これは天災という不可抗力の出来事としてとらえるにはあまりにも被害が甚大であった。それに放射能汚染という多重災害を諸に受けた人々の気持ちは推し量れない。時と共に心境も変化していくだろうが、その変化を後に活かしていかないと旧の木阿弥になってしまう。共に頑張ろう!の”共に”を国民全員で共有できるか。
 

1770:この先

縄文・弥生の時代は遠い遠い過去のこと、そのまた昔の恐竜石器時代の頃を描いた絵には必ずといって良いほど火山の噴火が書かれていた。そんな昔の事を思い浮かべている。
 結局、今現に起こっていることが前例に無い、誰しもが経験していなかった事態だと言うから、何かの手掛かりや慰めを求め、そのような夢物語を描いているのかもしれない。
 原発事故がレベル7という事が明らかにされた。8段階で最も深刻度が高い。一部の外国では日本が全て火の海になっているという風評まで流れていると聞いた。真相が明らかになり、その実態が知れ渡れば自然と風評は消えて無くなる。しかし、これとて被害に直接関係の無い人の考えだ。どこに焦点を絞るかによって格段の差、それと、これから先の事を考えると様々な不安材料がある。日本の財政悪化がより深刻になるだろうという見方、それと世界的に見れば電力需要をどう考えるかという問題、有限の地下資源に頼ることが難しいと分かっていても新たな方向が打ち出せない。北アフリカで同時進行で起こっている改革の動きは、当に石油という資源が争いの根底にある。
 日本がGDPの定位置を守るのに現を抜かしている間に、やるべき改革が後回しになってきた。そのツケが今、一気に吹き出そうとしている。
 ”哲学することを忘れた国民”という外国の風評も実は長年かけて作られたもの、この点で一番問題と私が思う事は、「それで良いじゃないか」と考える人間が実に多いということ。否、「誰だって憂慮はしている。でもどうやって変われば良いのかが分からない』と言われるかもしれない。
 そう思うこと自体が”哲学していない”という事になるのだ。それでもどうにか済んだ時代を生きてこれたから。
 永田町はこの機に及んでもズレが修正できない。与党内部での権力争いが再燃しているという。
 この非常事態に足の引っ張り合いをしていてどうする。支えてあげるのが同輩というんじゃーねーのかよ。
 一番、危機感の無いものは、国政にあたる人間だと内外に公言しているようなもの。それが分からない人種はもう救いようが無い。
 地方選出の議員は全員、地元に戻ってはり付け!これ位の覚悟は見せなさい。
 何が一番必要としているかを直に感じて来い。それと我々庶民が何をすれば良いのか。それは直ぐにできることから・・・・・節電への協力然り。救援物資の調達。避難者の受け入れ。・・・・・。
 今回、私が確信したことは、福祉事業のブランド志向はボタンの掛け違いということだ。必要以上の豪華さを誇り、それが福祉の向上と思ってしまった。これへの警鐘が鳴り止まず、耳に残っている。
 考えてみなさい。仮設住宅が足りないと順番待ちをしている避難者の数。現実に目を逸らしてはならない。
 被災地で豪華で頑強な福祉施設が果たして地域の人々の避難所となりえたでしょうか?
 今後、我々福祉関係者がどんな方向を歩めば良いのか、そこに自ずと答えが見えている。
 *風呂敷はひろげてなんぼじゃーない。包むことがその役目だ。その勘違いが多過ぎる。