源究115

 

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
1811 千思万考 5/25 1816 宗教の価値 5/31 1821 ナショナルミニマム 6/6 1826 対面放光 6/13
1812 意見交換 5/26 1817 支えとなり得るか 6/1 1822 屋形船 6/8 1827 起伏 6/14
1813 意志決定 5/27 1818 言葉無し 6/2 1823 芽生え 6/10 1828 直感力 6/15
1814 静と動 5/28 1819 流転三途 6/3 1824 地動説 6/11 1829 切り札 6/16
1815 いかっぺよ 5/30 1820 視座の定番 6/4 1825 反原発 6/12 1830 伝えるべき事 6/18

1811:千思万考

”去来今”(きょらいこん)とは過去・未来・現在の3世を言う。
 今、我々がこの機会を失えば取り返しのつかない方向に足を踏み入れることになりかねない。決して大袈裟な表現では無く、真綿で首を絞めるように、自らが薄薄は感じながらも勇気をもって決断できないでいる状況が続く。過去には栄光と失敗があった。栄光を求め続けようとすれば際限がなく、失敗から学ぶにも智恵がない。周囲に目をやれば、便利さ豊かさの影に目を覆いたくなるような惨事が蔓延る。そして、今を生きる我々には無関係に将来、この地球上で生きていくものたちに測りしれぬ不安を残そうとしている。
 地球上には、その日の食べ物もなく餓死を待つ無数の人々がいる、その人達への救済の手は残念ながら充分には届かない。日本に生まれ育った私たちが自分の力で今があると思ったとしたらそれは礼を弁えない奢りでしかない。
 確かに日本の敗戦の復興は過去に例が無いほどのものだ。しかし、廃墟とした責任は一体どこにあったのか?
 それを明らかにすることを避け、今に至った。別に私は社会主義的国家を標榜するものではない。むしろ今を生きる我々が出来る事は、陳腐な公約に騙されることでは無く、自らの足元を見つめ直すことでしか無いのではないか!
 分かり易い例で示そう。我々が否でも応でも対峙しなければならない原発の問題は、情報が錯綜する中で新たな事実が次々に分かってきた。それへの対応がなんとも低次元の手法しか取り得ないことへのイラダチ。本当に現実に起こっている事態に、焚き火へ水をかけるような方法しかないのだろうか?これで良くも安全だと言えたものだ!
 東電の企業体質が赤裸な姿をさらけだす。数週間前には避難所を頭を下げ謝罪して廻った社長が早くも?退任した。
 あの時、住民に頭を下げ約束した事は一体どうなったのか?後任に任せ、自らは責任をとり辞任する。これがトップ企業の責任者の責任の重さでしょうか?私にはどうしても責任放棄にしか思えない。企業のトップならば自らの生命を賭しても非常事態の収拾の道筋を付けてから退くべきだ。避難されている人を愚弄するにも程がある。
 これが東電、否、日本が誇るトップ企業の実態か!先日、原発関係の人と話す機会があった。いま福島原発で現場にはりついで復旧作業を行っている人の99.9%は下請け企業の人達だという。
 同じ企業の中でこれだけの格差がある。
 ここに至る経緯としてどうしても言わないと気が済まない。それは何かあれば首を据え変えて目くらましをしてきた国会の有り様だ。歴代の首相経験者がその責任を取って議員を辞めるべきところ以前として議席にしがみ付いているではないか。これに有権者である国民が異を唱えない。国民は権利の主張ばかりして、自らを省みず、我が田に水を引こうと躍起になる。本当に日本人の去来今魂はこんなものであったのでしょうか!
 必ずや私と思いを同じくする人がいると信じ、自らに課された天命を全うしたいとの結論に達した。
 千思万考・悲憤慷慨の穴より這い上がることのできない自分自身に憤りを感じながら。

1812:意見交換

この度の東日本大震災が起こって70日余が過ぎた。この間、様々な情報が飛び交い、被災地の状況が刻々とメデアを通じ全国に配信されてきた。特に東北3県の太平洋沿岸の復旧は依然として先が読めない。更に追い打ちをかけたのが福島原発事故、この事が起こっていなければ、もっと素早い対応ができたはずで誠に残念だ。
 茨城県も北部沿岸を中心に津波被害があって人的被害こそ東北と比べれば少ないが、元に戻る為には相当な時間がかかると思われている。
 風評被害がここまで広範囲に影響を及ぼすとは誰もが想像していなかった。農業・漁業それに観光と大打撃を受けている。そのような中で災害弱者たる障害者が今回の震災でどのような状況に置かれていたのか、一度関係者が集まって意見交換をしてはどうかと県に提案した。早速、その段取りをしてくれて、昨日11団体と行政も含め20名で地震発生から今に至るまでの状況を話合った。正直、時間の制約があって其々が充分な意見を出し合うまでにはならなかったが、全員の思いは一つ、今回の経験を次に活かすべきだという事だった。それにはどうすれば良いのか具体的な検討が今後の課題として残った。
 県では地震発生後直ちに対策本部が設置され、知事をトップに関係者により対応策が協議されてきた。それは現在も続いている。障害者は「災害時要援護者」に組み込まれ、その対策マニュアルも出来ている。
今回集まった11団体の関係者は、大きく3つに別ける事ができる。@障害当事者A家族B支援事業所である。茨城県は今回被災地に入っているが、その被害状況は地域により格差が大きかった。市町村においても対策本部が設けられ首長を中心に活動している。其々が行ったことは、ほぼ同じである。地震発生初期段階では被害状況の把握と安否確認、その後ライフラインの復旧と避難所の確保、今は県内にあった70か所ほどの避難所は全て閉鎖されたと聞いた。
 徐々に実態が分かってきている。昨日の意見交換に参加し、正直私が感じた事は、我々支援事業所(施設など)は、非常時への対応が出来ていたということだった、これは日頃からの避難訓練や備えが徹底されていたからだと思っている。また、幸いにも地震発生が午後3時前でスタッフが多くいた時間帯だったこともある。これが深夜であったらどうなっていたかは分からない。
 私が掴んでいる情報によれば事業所は避難場所や飲み水の提供などそれぞれの地域にとって重要な役割を果たした。
 むしろ在宅障害者への支援が深刻だった。自閉症の団体の方が報告した。人的被害は無かったが、本人が様々な反応を示したという。障害特性として先が読めなくなると不安を増す。自傷や他害それにパニックを起こす。これへの対応が大変だったようだ。避難所では他の人への迷惑を考え、車の中で家族一緒に過ごした人もあった。
 オストメイト協会の方の報告は、かなりニュアンスが異なっていると私には思えた。それはストーマ装具の確保が最大の問題であるということ。これは備蓄をどうするかという事が主眼となるから対応策は明らかだ。
 今回、単独での対応は難しいという事がハッキリした。精神障害家族会の方が要望した事と私は同意見だった。それは茨城県の44市町村の中でまだ障害者自立支援協議会が未設置の処もあり、設置はされていても具体的な活動がなされていない事が問題だという。もっと推進をはかって非常時における地域支援センターの役割を果たせる場にすべきだとの意見が出された。
 先ず出来るところから始める、そして既存の仕組みが実態に合っているかどうかを見直す。この地道な活動が結果として障害者理解の啓蒙にも繋がると思う。

1813:意志決定

昨日は水戸で協会の定例総会がありました。無事終わってほっとしていると、1階の喫茶店から呼び出し電話。「下にいるから来いよ」行ってみると6名ほど集まっていた。「ああ・・つかれた」「俺も・・・」
 これが全てを象徴する1日だった。
 今日は全国会長会議が浜松町で行われる。この集まりには必ず出席してきた。代理では申し訳ないという気持ちが引き受けた時から自分にはある。膨大な資料が事前に送られてきている。それを会員にどのように知らせるか頭を痛める。
 世の中全てがこのようになってしまった。1年を通じ私の机の周りには資料ばかりがうず高く、どれがどれだか分からない。
紙の量とそれを伝達するための気苦労、大分慣れてきたがいつまで同じことを繰り返すのか?自問すれど答無し。
 人間、これが生きてる証しか。この歳になれば友人知人も大分彼岸に渡ってしまった。いずれ私も行くことに間違いは無い。土産話と考え、やるだけやるさと自らに言い聞かせてはいるけれど、果たしてこれで良いのでしょうか。
 最近の日本人の傾向として、権利の主張がどんどんエスカレートしているように思えてしまう。権利には義務が付き物、それから責任というものが曖昧にされている。
 この度の東日本大地震の本格的な復興はいつになるか誰も分からない。IAEA視察団が茨城の東海第2原発を訪れる。関係者は今回の大地震で冷や汗を何度かいたことだろう。新聞報道によればあと70センチ津波が高かったなら、東海も大変な事態になっていたかもしれないと。
 現実に起こってしまったフクシマ原発の対応に世界中の眼が集まる。そこで新たなニュースが東電から出された。
 初動段階での海水による冷却を一時停止したかどうか?原発の現地所長の判断で停止せず、続けていたと。
 素人にはこのことが何を意味しているのか分からない。現場では相当の混乱があったことを物語るものには違いない。しかし、海水注入を継続していたとすれば、今になって何故覆す情報を東電が流したのか?既に当時の社長は退任している。一体、メガ企業の危機管理体制がどうなっているのか? この辺の実態をIAEAの視察団がどう判断するか?
 意志決定というものは、その人の全てに関わってくるものです。

1814:静と動

平日の昼時、浜松町界隈は当に都会の喧騒そのもの。昼食を取る為にJR浜松町駅から増上寺大門に至る道路の両脇はサラリーマンで溢れかえっている。年に何度かこの周辺を会場に会議があり、その時、私は少し早めに来て、増上寺の大殿で一時を過ごす。間口26間×奥行き25間鉄筋コンクリートで建てられた大殿には外陣正面に120ばかりのイスが並べられ訪れる人が自由に過ごせるようになっている。休みなく参拝する人が焼香するので、その僅かな香の匂いを感じながら座っていると気持ちが落ち着くのである。国道1号線に面した大門から大分離れているから、お堂の中にいると全く車の騒音が耳に入らない。
 本尊の阿弥陀様に静かに手を合わせ何かを祈っている人、その姿から様々な想像をしてしまう。郷里が東北で行方知らずの知人の冥福を祈っているのかもしれない。
 増上寺は浄土宗の大本山、徳川家の菩提寺。NHK大河ドラマの”お江”は2代将軍秀忠の正室、その墓所がある。
この日は芝パークホテルでの会合、各県の代表が集まった。報告事項の中に東日本大震災で大きな被害を受けた東北3県の会長の報告があった。宮城の中村会長の通所施設は仙台にあって津波により建物が全壊した。必ず建てなおすと力説し、皆さんの拍手を受けていた。通所施設の運営は入所とは違う。そこに通ってくる利用者がいないという新たな問題に直面した。福島の古川会長は丁度私の隣席、彼は私よりは若い、部厚い地震関連の資料を見ながら限られた時間内で必死に訴えた。
福島は岩手・宮城とは違う。原発事故により、建物は充分使えるのに30キロ圏内に施設があるため避難を余儀なくされている。千葉の鴨川に避難した法人は大規模で、278名の利用者が避難した。200名程の職員のうち、92名だけが鴨川に一緒に同行、他の100名近い職員は何らかの理由があって来ていない。そのため県外の施設から支援スタッフが応援に駆け付けている。もう1カ月以上、一つの部屋に12名が生活、日中は廊下で大半の利用者が過ごしている。夏場に向け生活環境の改善の必要性を訴えた。
 岩手県沿岸部の宮古市や陸前高田市は街全体が破壊した。
 いつもとは全く違った重苦しい雰囲気の中で約3時間の会議が終わる。
 老人子供障害者という災害弱者、・・・被災地の現状はその区別さえ儘ならぬ、街そのものが無くなってしまったのだから大変な状況が今も続く。復興には相当な日数がかかる。
 3人の報告で共通していたことは、施設だけが元にもどることは有り得ない。地域全体が復興しないことには、職員も集まらず、働く場所もない。
 多分、全国から集まった会長達は地元に戻り、被災地の惨状を会員に報告するに違いない。長い目でみた時に復興支援の協力で必ず自分達のできることがあると感じたに違いない。今こそ協会として一致団結して立ち向かうべきである。
 茨城は正直、東北3県と比べ、被害が少なかった。しかし、一歩間違えれば大惨事になっていたのは確実だ。県内の被害状況が明らかにされるにつれ、多くの課題が残されているのを知らされた。いま被災地という事を大袈裟にいうのではなく、茨城は茨城としてやるべきことをやれば良いと思った。
 自粛ムードは静とは違う。動に切り替えるにはそれなりの理由と周りの了解は必要だとは思う。
 

1815:いかっぺよ

”なーに すったもんだ いいくれーなことばっか やってよ! もう いかっぺよな!”
『何を そんな根拠も無い事ばかりやっていて、もう いい加減にしなさい!』という茨城弁の天の言葉である。どうなんですか?本当にそれで良いのですか?内閣不信任案を提出するとか粋がっていますが、貴方たちの支持率だってどうなんでしょう。精々20%台でしょうが、それで政権を奪取して本当に今の難局をのり切れることができるのでありましょうか?
 ここは、それ、苦渋の選択と申しますように国会議員の先生方、日本が過去に経験しなかった程の難局に一致団結して立ち向かうことこそ国民が望む所でしょう。それが分からない。
 自民党だって反省がない。貴方達が今、政府への攻撃を盛んにしておりますが、事の原因は貴方達が長い間作ってきたものですよ。
 国民の皆さんも然り。選挙に無関心で何か起これば権利だけを主張する。いつからこんな風になってしまったのか?
 正直、ガラガラポンでもしない事には、どこから手直しすれば良いのか分からない。”がんばれ 日本”世界中の人々が日本人の一挙一動に注目しています。天災に遭遇した事をトヤカクは云っていないでしょう。
 確かに菅さんも見栄を張る処は頂けない。でも、その前の方も外国人の前では同じように云っていましたっけ。
 日本の政治の不味さは、実はここがおかしいと思います。既に引退したはずの方が、後からちょくちょく顔を出す。目ざわりなんですよ、アンタ達は。
 それが冒頭の”もう、いかっぺよ”という真意であります。どこの選挙区なのか知らないのですが、怒れ!怒れ!やめさせろ!
 私は、ハッキリしています。口も利かないし、顔も見たくない。それがね・・・・。長老同志が一緒に誕生会やって仲直り?この政治感覚が小心の私には”いいくれーなことばっか”という言葉しか出ない。
 そこなんですよ。いま、震災にあった人々が”みんなで がんばろう”という気持ちになろうとする大事な時でしょう。
考えれば考える程、わかんねー。
 関係ねー奴は 黙ってろ!と言われそうかもしれません。できれば そんな事言いたくなんですよ。皆さん、そうじゃありませんか?
 こんなニュースもありました。国家公務員の組合が給与の10%カットに同意したとか。これは凄い事だと思います。
 なにせ今まで出来なかった事でして、だから公民の給与の逆転現象に至った。それを本当にやるかどうかは注視しないといけないけれど凄いことです。
 それに対して、国会の先生方はどうですか、神輿を担いだり、梯子をはずす事にばっかり関心が集まる。自分達の報酬や議員定数の話は全く口に出さない。これも片手落ち。
 多分、この辺の矛盾にどう日本人が反応するかという事だと思います。それと、被災地の皆さんへの支援を具体的に実現していく。出来ることから協力していく。長い道のりだとは思いますが、その中から何が大切かという事を日本人誰もが感じ合うことができると信じます。

1816:宗教の価値

水戸での会議終了後、日本は公平性を重視しながらも実態は理想と乖離しているという意見が出た。いつもの事だが権利を主張するだけして義務を果たさなくなった者が増えたとも。それはもはや嘆き憂うる段階では無く怒りに似た感情だ。
 その責任をどこにぶっつければ良いのかと四方八方探した結果、虚しさと諦めだけが残ったんだ。
その後の話題が宜しからずやだ。「住田さんみたいな宗教家がもっとしっかりしないと駄目でしょう・・・・」と言われてしまった。その方が仰るには、「宗教家は本来、こころの問題を説くべきで、どうも今の宗教はそうなっていない。我々商売人はこのような時期だからだけじゃーなく、ずっと必死に働いてきた・・・・」 坊さんは週休5日制だとも云われた。
坊さん不信が明らかに感じられた。その後、つくば市に戻り何の因果か坊さんの集まりがあった。私が言うのも変だが、一致団結して具体的に何か活動しようとする方向性が定まらない。勿論、今回の大地震に対してである。会議の中で福島の沿岸地域のお寺の被害報告があった。どれだけ檀家さんがある寺かは分からないが、その寺で死者行方不明者が合わせて250名出したという。地方寺院だから半数 否 それ以上の方が一瞬にしていなくなった。この状況でどんな役割が果たせるというのか。通夜〜葬儀〜回忌法要という一連の流れが取れなくなった。何せ寺も流され墓地も跡かたも無くなった。長年先祖への供養を主な仕事として代々の住職がその地に住み実践してきたはず。
 更に放射能汚染によって強制的に避難させられた寺もある。いつ戻れるか全く分からない中でそこの住職は何を考えて今いるだろうか。
 その報告を聞いて、僧侶としての立場が曖昧になったと痛感、対処の術を持てない。自分も含め、会合に集まった坊さん全員が無言。
 既成の宗教は檀家制度によって保護され、自らの寺の檀家への宗教活動によってその地位が守られてきた。被災地の寺は、この度の震災でそれを根こそぎ持っていかれてしまった。
 一方、被害に遭わなかった寺も何をしたら良いのか分からない。せめて義捐金を集め、その金を被災地におくる位のことだ。
 「千の風に乗って」という曲を作った新井満という歌手が話をしていた。彼は中越大地震に遭遇し、その災害の大きさに茫然自失、自らも死を考えたという。今は北海道に移り住んでいるようだが、今回の地震の被害規模は中越地震とは比べようがない大きさで、日本人の価値観が大きく変わるだろうと言っていた。
 その参考になる先人の生き方が鴨長明と良寛だという。小さな庵でつつましい生活をすることの価値が見直されるはずだと。
 確かに、被災地の人達が今後どうやって自分達の生活を立て直ししていくか?全壊した家でも、配られる義捐金の額は雀の涙(?)復興に必要な金額には程遠い。取りあえず復旧に必要な概算額は10兆円、一次補正で用意される額が4兆円、充分ではない。
 被災された人達だけにその苦労をさせていて良いとは誰も思わない。
 突き付けられた様々な不条理に今後国民の多くの同意を得て再出発するには、相当の覚悟と強いリーダーが不可欠だ。国民への説明も根拠のある話をしてもらいたい。得意のパフォーマンス発言では、もう誰も信じまい。これは他所の国の話では無い。震災前までは常に世界のトップの座を求め続けてきた日本の現実である。
 *米国の調査会社の発表で世界で安全な国の順番として1位アイスランド、2位ニュージーランド、そして3位に日本が入った。いずれも島国で火山活動の活発な国という共通性がある。それが何を意味しているか?

1817:支えとなり得るか

昨日、通夜がありました。享年62歳、ご主人と一人娘さんを残して旅立っていかれた。
 通夜の始る前にお二人と話した。丁度観音寺のお墓を求められて2カ月半、2年ほど前に病気がわかって2度の手術、闘病生活をされている時に、家族でお墓を求める事を決めた。それは奥様の希望だったという。何度か寺を訪れ、いつも私が留守でやっと電話で伺う時間を打ち合わせ、墓地を決めたのですと言われた。
 その時は余命幾ばくも無いことが分かっていたと言う。その後1カ月で再入院、帰らぬ人となった。
 私は通夜の場では、余り話をしない。昨日は身近な人達だけの通夜だった。遺影をみていたら寺に初めてご夫婦で来られた時の事が思い出してきて、その時の話をした。
 本人はどんな気持ちで来られたのだろう?自分が最初に埋葬されると確信していたに違いない。ご家族は毎日24時間、病院で付き添ったと言う。その時の交わした話は?何か娘さんに伝え残したかった事があったのだろうし、それが充分出来ただろううか?
 
 人の最後はそれぞれです。誰しもがもっと長生きしたいと望む。周囲の人はもっと長生きさせたいと願う。医師から死の宣告を受け、亡骸を自宅に連れて帰ってきた時から、悲しみとそれに負けまいとする凄まじい葛藤が始まる。
 僧侶は、浄土や成仏の教えを伝えることはできる。故人がやっと様々な苦しみから解放されたんですよ。これからは皆さんの幸せをどこからか常に願っていることでしょう・・・・・・・。
 遺族にとり、故人の命は掛け替えのない大切なものであったはず、それを失い、如何なる慰めや励ましの言葉も代わりにはならない。
 むしろ、その人の生き方や一緒に過ごした思い出が遺族にとってその後の支えとなる。
 そして本人が納得した生き方をしてきたかどうかという問題無しに語る事はできない。
 仏教では不自由を苦しみと考える。四苦八苦の『求不得苦』がそうだ。求めても得ることができない苦しみ。これを四諦(したい)の第一に上げる。諦は真理と同義である。ならば、望みや願いが適えられない事が真実だというのか?
 そうだ、その通りなのだ。なんと仏教は温情のない教えなのか! 
 若い頃、私はそんな疑問をもちながら悶々としていた。それが両親を見送り、いざ自分がその年齢に近づくにつれ、釈迦の教えの裏側が見えてきた。
 無常や空は、仮の存在を追い求める事の愚かさを諭している。
 日本が求め続けた豊かさの裏側が暴露され、その処理に国中が右往左往している。原発の恩恵によって得た様々な利益、これを否定する者はいない。しかし、一部の人々の暴利とその責任の取り方に許し難いものを感じた。
 5兆〜20兆円と言われる原発事故の復興費用、これが本当に経済的な一番安価な電力と言えるのか?
 洩れ聞こえてくる様々な意見は、其々が一理あるものなのだろうが、何故それが国全体の方向付けをつくる所まで盛り上がらないのか?
 いま、この時期に、何ら解決のメドがたっていない最中に、内閣不信任案を提出するとかしないとか。
 この国に国民の支えとなり得る国会議員が果たしているのかいないのか、その”諦”がここまで不透明な時代を私は知らない。

1818:言葉無し

昨晩、ドイツから電話があった。20分以上の一方的な話を聞かされた。「日本は一体どうしたんだ!広島・長崎世界で唯一被爆を経験し、その恐ろしさを知っているはず、そして福島原発の事故、こんな時こそ国民が動かないのはおかしい」と。ドイツでは一先に原発廃止を議会決議、その方向で動いているとも。彼は毎年広島原爆記念日には、今住んでいるチュービンゲンで静かな反原発運動を行っている。それは生命の尊さを危うくする原子力はどのような貢献が有ったとしても無くすべきだとの考えからだ。私の聞きかじったニュースでドイツは原発を止め、不足電力はフランスなどから購入すると聞いていた。陸続きのユーロ圏では可能なこと、その事を言うと「どこかが先ず行動に移さないと変わらないだろう。そんな考えでドイツ人は決定したんだよ」と逆に云われてしまった。
 宮城の石巻市の市長がテレビで訴えた。彼はまだ市長になって2年たらず、100年分の瓦礫処理一つにしても地方の自治体の力では何もできない。土地利用だって、様々な法律が絡み、手が出せないと嘆いた。
 国は制度と財源を考え、地方がその地域にあった復興計画を作る。これが本来の姿で疑う人はいない。
しかし。国は一体、何をしようとしているのか!永田町界隈は俄かに活気?をおび、マスコミも戦々恐々、聞耳をたてる。オールジャパンで復興対応すべきところ、なんとも呆れはて言葉が見当たらない。
彼らは熱に魘され、まともな判断力を無くしている。そこにあるのは被災地の人々や国民ではなく、政治家同士の売った買ったの根拠なき怨念で動こうとしている。ぶっ壊して、その後どうするの?という説明も無く、雰囲気で流れているから前向きな話など全く出て来ない。まさに政治の雪崩現象。
 我々国民がこのような動きに何ができるか。防波堤となり得るか。逆にドサクサ紛れに私利私欲に走る者達も出るかもしれない。こうなってしまっては仏教絵図の地獄世界の様相だ、この政治の無謀に鉄杭をさすことができないか。
 いま、ドイツでは日本人から学ぼうという動きが高まっているとも聞いた。一体、何を学ぶのだろう?国会のドタバタ?
それとも国民の我慢強さ?
 私は専門的な知識を持ちえないが日本の政治制度の欠点は、国民が主体ではなく、政治家に都合の良い仕組みになっていること。小選挙区で落選し、その後比例で議席を得るなど、その最たるものだ。だから、比例順位を決める一部の人間に権力が集中、有権者の口が出せない仕組みを作ってある。
 残念だが、この改革も一歩も進まない。国会には魔物が住み着いている。
 そしてこの動きは確実にあらゆる処に侵入し蝕んでいる。
 日本一国だけの内政問題だけであった時代ならば良かっただろう。今や世界は垣根無しの交流が進んでいる。このグローバル化した時代に、旧態依然として変わらず有り続けているのが政治のルールだ。
 裁判で争っている人間がこの時とばかりに強権を振るい始めた。それに同調する政治家、ホンネとタテマエが交錯し疑心暗鬼の渦と化した。ああ・・・清貧の政治家が出て来ないのか。人間は地位を得ると自らを見失う。
  ”貧瞋痴の煩悩にまつわれ 身・口・意の三業が諸々の罪をつくる。この全てを懺悔し、将来を生きる者達に
    安心を・・・・・” その範となる事を目指して貰いたい。
 言葉無くしても、その願いは持ち続けていきたい。

1819:流転三途

ドイツの週刊誌に先のG8サミット出席首脳のイラストが描かれ、現地の日本人特派員が各国首脳の顔を見て驚いたと言う。何と菅総理の顔が麻生さんの顔にそっくりとだった。日本の政治は異常としか思えない。総理の首をいとも簡単に据え変え、勝鬨を挙げる。その視線の先に国民は無い。衆議院議場の後方席に居並ぶ歴代総理経験者達、あれって順番通り?平成になってから一体何人が総理になったのであろうか?正直思い出せない。ドイツ紙が本当に間違ったのか?いやいや、日本に対するシニカルな意図を感じるのだ。
 昨日のドタバタ騒ぎはいったい何だったのか。野次馬根性であの場面を見れば実に滑稽だった。さすが国営NHKは国会中継で内閣不信任案提出の賛成と反対の発言者をずっとカメラアングルを変えず流した。しかし、民放は発言者ではなく、議員席の動きを実況中継、裏で何があったのか、M議員の周りに集まり何か必死に説得する姿を流した。読唇術を多少かじった人ならば表情と口の動きで何を話しているか直ぐに分かる。
 H元総理の動きに私は底知れぬ怒りを感じた。決して同情しているわけではないが一方の領袖のO氏の心中を察すれば、腸が煮えたぎる思いだったに違いない。現与党の議員達は一概に口が軽い。W氏(水戸黄門)が、得意満面の顔で「Hの貢献だ。良くやったな」と待ち構えた記者に言った。
 議員たちのオープンな雰囲気と政党長老の不透明な動き、このギャップがこれほど大きな政党はない。それで一致団結をはかれるはずがないと思うのだ。
仏教に”流転三途”という言葉がある。三途とは地獄・餓鬼・畜生と言って、悪業をなした者が死後に赴く3つの世界。三悪趣とも言う。ここまで国政をコケにする事は如何なものか。しかし、仏教にはその続きがある。
 言っている事がコロコロ何の疑問も感ぜずに変える議員達、それで団結などありましょうか?
 仏教では、死後、閻魔様の裁きを受ける。梁塵秘抄に「三途の扉を押し開き猛火の炎をかき分けて・・・・」という記載がある。果たして今の議員達にその勇気と覚悟があるのか否か?正々堂々、投票に参加し、自らの言行一致を世に示す機会をまたしても失った。誠に残念、開いた口が閉じません。
 よく考えてみましょう。現代の閻魔様はいるのかいないのか?此岸にはいないとすれば我々は無仏の時代を今生きていることになりましょう。
弥勒菩薩信仰というものがあり、釈迦が入滅してから56億7千万年後に弥勒菩薩が現れ、衆生救済を行うというものです。その間、トソッテンで修行をしているので下りて来ない。当に末法の世に我々は生きているということになります。
 だが、それでは不味い。そこで登場願ったのが地蔵菩薩ということになる。
 一般に親しまれお地蔵さんと呼ばれる。このお姿を見れば誰にも理解して頂けるでしょう。質素なお姿で道の片隅に立っている。雨の日も風の日も、只管、衆生の幸せを願い。この姿から何を感じるか!
 大分前に臨調の責任者になられた土光さんと言う民間人がおられました。良く言われたものですが、メザシが好物で財界人にしては珍しく質素な生活を常とした。その方が仰る事は説得力があった。
 国や地方に様々な審議会が置かれるようになっているがその纏め役が問題だ。『自分は何だったのか。教えて欲しい』とカメラの前で苦笑した原子力安全委員会の長、私から言わせれば今更何を言うだ。
 人間は”勝徳の者を見れば嫉妬を抱く”動物なのである。(密厳院発露懺悔文より)

 *原子力の某委員会に属した先生で国の示した安全基準に涙で訴え辞任された方がいた。その後、小学校や保育園のグランドの土の入れ替えなどの動きが出始めた。
 

1820:視座の定番

”コンフォーミズム”という言葉を聞いたことがありますか?辞書を引くと・・体制順応主義・・などの訳が付けられている。久野収はこの言葉を「頂点同調主義」(内橋克人)と訳されたと言う。
 我々日本人が過去の過ちとして決して忘れてはならない戦争、それに向かう時の思想背景がそうだったという。
 NHKラジオ「明日への言葉」において内橋氏が自分の原点を語った。神戸新聞記者時代に先輩より叩きこまれた事だという。それは弱者の側からの視点だ、その例えとして神戸を爆撃するB29を飛行機からではなく、爆弾を落とされる側からカメラを向けることが大切だと教わった。もう一つは自らの目で確認せよという事。氏は1932年生まれだからもうじき80歳になる。私は以前から彼に興味をもっていた。決してその場の雰囲気に流されず、沈着冷静に持論を展開する。彼が語った、熱狂的等質主義と落伍恐怖症という二つの言葉が彼の視座を感じさせてくれる。
 日本の政治が何故ここまで弱体化してしまったのか?リーダーと称せられる人達の言葉の軽さ、聞いていて虚しさを感じる。決して戦争を美化しているのでは無いが敢えて言わせてもらえば、自らの生命の危機を感ぜずにノウノウと生きてきた人達、更に親の地盤を引き継ぎ、自らの視座を持たなくても当選してきた2世議員が増え過ぎたことに起因する。
 彼らは弱者の立場には真から立てない。永田町という世間から隔絶した社会でしか生きていけない人種だ。
 この未曽有の震災に直面しても、打つ手が悉く市民感覚とズレていることがその事を証明する。
 党利党略と言う言葉は御身大切と同義語だ。
 ある若者が国会中継を見ていて呟いた。「辞めろとか相手を批判することばかりで私はこうすれば良いという前向きの意見が全く出ない。これでは意味が無い」。私も全く同感だ。彼らの言い分とすれば、それは専門委員会で論議されているからと言うかもしれない。
 しかし、現実は・・・・?省庁間の壁があり、法律や規制ばかりが増え、二進も三進も行かない状況になっている。これこそが復興を遅らせる最大の原因だ。別に菅さんを弁護するつもりも無いが、茶番で延命したとか、アンタでなければ協議に応じると突きあげる野党もどうかと思う。
政治を私物化し弄んでいる。まったく彼らには被災者側からの視点を感じない。もし真から復興に一致団結するのであれば、安全でエアコンつきの国会議事堂の中で議論などせず、東北に出向いて、現地で国会を開けば良い。
 そんなアイデアは全く出ない。与党も野党もだ。何故こうなってしまったのか?この繰り返しをいつまでやっていれば気が済むのか?
 ほぼ全員の議員体質として受け継がれているものに、等質主義の過大評価と選挙に勝つという至上原理主義の二つがあげられよう。議員として最下位の動機である。
 先日、ある利用者さんの親の葬儀に参列した。ご本人も両脇を職員に支えられ、1時間程の葬儀に参列した。私は彼の動きが気になった。彼は声を押し殺し、「母ちゃん 母ちゃん・・・」と言いながらずっと涙を流していた。
 葬儀が終わり、出棺の準備の時、私は彼に声をかけてみた。
 「あっ えんちょうだ・・。母ちゃん 死んじゃった」と一言。瞬間、私は彼になんと言ってよいか分からずにいると彼の方から一枚の紙を見せ 「これ もらった」と。
 それは斎場が用意した母親の葬儀の日程が書かれてあるものだった。
 

1821:ナショナルミニマム

憲法25条の生存権の保障により、政府が国民に対して最低限度の生活水準を保証することをナショナルミニマムという。その水準や内容は、その時代の経済状況や社会構造によって一定ではない。この度の大震災は、被災地域とその他の地域との格差を一瞬にして作った。生活の環境や交通の整備、更には公衆衛生など多岐の分野における復興支援が政府として直面する最大の課題である。
 今年の夏はどうなのだろう?昨年のように猛暑となれば、被災地で暮らす人達への支援は、新たな対応策が必要となる。最近、菅総理の辞任の意思が発表され、俄かにポスト菅の動きが増している。正直、誰がなっても大変な時期だ。その覚悟と徳を備えたリーダーが条件になる。また、与野党大連立の構想も浮上し、政府を一方的に批判してばかりいた野党の尻にも火が付いた。
 ここにきてナショナルミニマムをどう考え、それをどう実行に移すかという問題が重要性を増した。当然、そこには国民の同意が必要である。果たして国民一人一人が将来の日本の有り方をどう考えているか?それが試される。
 今回の原発事故で真っ先に反応したのがヨーロッパの国々だった。反原発で廃炉を議決したドイツ、一方、8割以上の電力を原発に頼っているフランス。それとユーロ圏の勝ち組負け組の2極化。ギリシャに続いて、経済支援を必要とする国が出てくるか否か。この問題も大きい。
 中国は凄まじい勢いで経済発展を続け、あっと言う間にGDP世界第2位の地位を得た。しかし、14億と言われる人口を抱え、内政問題は山積している。世界の人口は増え続けている。1分間に137人生まれ、1年で7千万人増える人口、これを考えると一国だけの問題では最早ない。
BRICsと言われる新興国も以前として右肩上がりの経済成長を続けている。その豊かさの裏では貧しさがより深刻になっている国も増えている。
 日本がこのような世界の動きの中でどのような方向性を示せるか、総額924兆円とも言われる借金は最早、人間が想像できる金額ではない。評論家はその借金の9割が自国内で賄われているから、心配ではないと言う。本当にそうなのか?為替レートが1円変わっても大変な時代に我々は生きている。いつまでもその理屈が通るはずはないと考えるのが常識ではないのか!
 そこにきて今回の東日本の震災被害、。。。。。もう言いたくは無いのだが、永田町の不条理極まりない動き。
 最大の悪が安穏として生き続けている。あ互いに叩けば埃が出る関係?影ではどの辺で手打ちするかを見極める。
 私は今夏の節電への対応で日本人の潜在する力が判ると思う。人間はぬるま湯に浸っていれば出たくはない。寒風に身を晒せば、自ずと身を屈める。
 長い時を”夢”を追い続けることに費やし、自らが作った負担を先送りしてきた。このツケが至る所に溢れている。
 この現実を直視し、自分達の力に適した殻を早く見つけなければなるまい。ヤドカリが身分不相応の大きな殻を付けていれば、当然歩く姿は覚束ない。 

1822:屋形船

・・・川遊び  波間に映えて  時流(とき)うつり 思い出辿る 初夏の月・・・・・拙歌
 東京の月島から屋形船に乗って夜の宴? 風も無く絶好の舟遊びと思いきや、波があって隅田川の河口までは行けず、お台場にて暫し 停泊 林立する高層マンションの夜灯りを見ながら 2日間の研修の疲れを癒す。24名が参加した。初めての試みで実に良かった。船上ではどこかに雲隠れはできないが、他に気兼ねすることも無し。飲み放題で1万円を切った。
 年に一度、全国の施設長が東京に集まり2日間の研修を行う。今回は新会計基準の分科会に参加、申し込み時点では他の分科会だったが、より具体的な話が聞きたくて急遽変更した。
 案の定、私と同じ考えで分科会を変更した方が多く、用意された座席が不足する程の混みようとなる。ここ数年、決定されたものではなく不確定な話を聞く事が多かった。もう20年位まえからになるかも、「今後の福祉施設の有り方」と言ったテーマは毎度あった。相変わらずの憶測の話は聞き飽きた。
 いつもはゆりかもめからビッグサイトに向かう途中で眺める景色、船から見つめるとまた違った景観で良い。海からの眺めが正面だというのが直ぐに判った。土浦に居ては気付かないが、お台場あたりの新興地区は当に日本の元気のあった時代の象徴だ。一目で豪華さが判るマンション群、そこの住民を想像してみるが、果たしてこれが終の住処となるのでしょうか?そんな事、大きなお世話と叱られるかも。 無い物ねだりの負け惜しみの自覚は持っている。
 今回、研修で感じたこと。お上りさんと言った浮かれた気持ちで研修に参加する人間が殆ど居なかった。2000人位はいたのだろうか?休憩の時の話から漏れ聞こえる話も、皆さんが先行きに不安を持ち、顔つきが違っていた。
 危機感というのか?時流が確実に社会福祉法人にとって厳しさを持つだろうことを感じてのことだと思った。
 資料を見て、最初に目に付いたのは、今回の東日本大地震の被害報告。そのなかで各県が纏めた義捐金の一覧表があった。同じ資料は先の会長会議でも出されていた。茨城は他県と比較すれば一目瞭然、50万程の金額を本部に送ったがその額は大分少なかった。言い訳はしたくはない。しかし、当時様々な意見が有ったことも事実。茨城も津波や地震の被害を受けた。東北3県程の被害では無く、地震翌日に本部事務局などから様子確認の電話があった。義捐金を茨城にも回したいがどうかと。その時、茨城も水戸から北に被害が出ているが、事業が継続できない程ではなく、自力でやれるからその分は東北に回して下さいと答えた。
 もう一つ目が止まった資料は、全国の新体系移行の実績を示したもの。断トツの神奈川に続き、茨城は全国で第2位だった。
 これには、茨城は協力しないのかという不満を何度も聞いた。当時、自立支援法を悪法とみて、日本知的は新体系移行への反対を機関決定(?)していた。関東では一先に横浜市が移行を決定、100%の新体系移行を果たした。次に茨城が早かった。独自路線を取るのかという非難の声も直接には無かったがそれらしき声は何度も耳にした。
 尚恵学園は、通勤寮を全国でもいち早く廃止し、多機能型のコスモスに切り替えた。
 その後、いろいろあって本部の執行部も変わり、若干、締め付け?も弱まった感もしている。私の思い過ごしなら良いのだが全国会長会議に出ても孤立?、私は会議が終われば直ぐに帰った。付き合いの悪い人間だと思われたか否か?これは茨城の会員の判断に委ねることしかできない。結果として茨城の立場を理解する県もあったのも事実。
 私の性分では、皆で渡れば怖くないはできない。
 以前として施設に対する一般の人々の理解は高く無い。極端な話をすれば、「福祉で儲けている」という見方、現に存在したいないか。この自省が果たして我が業界に有るか無いか?ホンネとタテマエ?
 様々な事業主体が参入できるようになり、一種と二種でどうにか壁をつくって既得権を死守しようとはしているが、これも時間の問題だと私は思っている。何故か?国民の意思がそうなっているからだ。
 正直、事業所への同情は無い。一方、障害者本人や家族への支援の声は更に強まっている。この差は今後、更に大きくなると私は考える。福祉が自徳を讃じるようになってはお終いだ。
 

1823:芽生え

平成22年10月22日内閣府において「新しい公共」推進会議なるものが置かれたのはご存知でしょうか。その趣旨は・・・・官だけでなく、市民、NPO、企業などが公共的な財・サービスの提供主体となり、身近な分野にて共助の精神で活動することを検討推進することとあります。当時、新しい公共という言葉が硬直した社会に新風を吹き込むかのごとく持て囃されました。その後、どうもその影が薄くなってしまったように感じています。
 一方、既存の流れには自らの立場を守ろうとする動きも加速しています。公益法人の見直しの中、社会福祉法人も聖域ではなく規制緩和が進むことで競争相手が急激に増えています。
 確かに社会福祉が民主主義と市民意識を前提としたものであるとみれば、新しい公共の目指す方向も理解できます。ただ、残念ですがその本となるべき政治が大きく揺らいでいます。政権交代後、内閣府の中に様々な検討の場が設けられました。その手法に聊か疑問を持ちます。例えば障害者自立支援法などが良い例で、最初に廃止するという結論有りきから始めました。検討会を重ねていくうちに、様々な意見が出され、それらを上手く纏め判り易い制度になるのでありましょうか?総合福祉法という大枠の中で理念ばかりが目立ち、個別の具体的な実践計画とは成り得ないのではないかと危惧しています。
 いま日本人が社会保障の事で先行きに不安をもつ一番の原因は、その仕組みが本当に継続可能なものなのかということにあると思います。財源問題を先送りし、理念先行の議論をいくら行っても進展は期待できないと思います。
 要はどのような制度や法律をつくってもその裏付けがなければ画塀にきすわけで国体とはならない。
 共助の精神は政治の世界には無縁なものなのでしょう。党利党略ならいざ知らず、同じ政党の中で潰し合いが行われている有様です。党内で自由な討論が行えるという理屈など、いまこの期に及んでは負け犬の遠吠えにしか思えません。
 こうなると国民は何を選択すれば良いのでしょうか?我々一人ひとりが賢くならねばならないという事です。
 昨日、某団体の会合があり、そこで出た話題を紹介しましょう。
 ある事業所に労働基準局が入り、改善命令が出されたという。その内容はこうだ。職員がタイムカードを押した時間が正規の退勤時間をオーバーしていた。その分、残業時間として支払うように指示されたという。残業命令簿が別にあって上司が認めた分は支払っていると説明しても受け付けない。
 これは介護保険のデイサービス事業所への指導だったそうです、地方の労基署の1担当官の判断でそうしたのであれば、偉い問題になりますね。退勤時間ピッタリにタイムカードを押す職場など皆無?ではありませんか。それともその労基署はそのようにやっているのでしょうか。
これは内部告発か、多過ぎてチェックが間に合わず杓子定規に指導監督しているからなのではないでしょうか?
 そして、最後は伝家の宝刀の事業所指定取り消しという強権をチラつかせる。悪質な事業所が全く無いとは言えないが、官も含めた共助の精神にはお互いの信頼関係が前提にあるべきなんです。現場の実態が良く分からない人達がどのように智恵を出し合っても机にツンドク報告書しかできないのは明らかです。介護保険法の改正の中で事業所指定取り消しが強化されるという話もあります。
 社会保障制度改革の中で、4本柱の年金・医療・介護・子育てだけをみても、何かバラバラに検討されているように思えてなりません。
 審議会などに出てみるとその異様な雰囲気に圧倒されます。僅かな持ち時間に意見を述べるには、自分の立場を必要以上に強調するか或いは現状への不満を声高に訴えること位しかできない。そして、其々の場で検討された事は行政の場に持ち帰り整合性が保てるように校正されるのが常です。
 だから、委員一人一人は自分の意見がどう反映されたのかまでは良く解らない。
 昔と比べ明らかに劣化したものに、市民の共同体意識があると思います。それを元に戻すには、小さな動きや芽生えを多くの人が体験し社会の仕組みの中にしっかりと根付かせていかなければならないと思います。
(自然生クラブの柳瀬氏とのメール交換で感じたままに記しました。)

1824:地動説

コペルニクスの提唱した地動説はいつ頃の話だったでしょう(16c)?武者小路実篤が「新しき村」を実践したのは、それ程昔ではなく、約100年前であります。志賀直哉や有島武郎とおこした「白樺派」(1910年)明治大正昭和の時代を生きた人達だ。彼らは大勢に流されることなく、個の幸せを求め、農業によって自給自足の生活を目指した。
 あれから100年の歳月が過ぎ、地動&天動両説ほどの決定的な開きは無いが、「新しい生き方」を目論む人達が徐々に増えている。何をもって新しいとするかは諸説紛々決して一様ではない。
 昨日、こんなニュースがあった。関西電力が一律15%の節電協力を発表し、橋下大阪知事が根拠なしと拒否したとか?
 双方の言い分の真意は判らないけれども、これもまた新しい動きであろう。無駄の削減で一躍政界の華になった蓮蓬大臣もここにきて政権内のゴタゴタに出る幕を失った。あれは明らかに行政の無駄を洗い出そうとしたもので、防戦一方の官僚も説得力にかけ、世論も大いに盛り上がった。その結果はどうなりました?ご存知の如く、思った程の無駄削減には至らなかった。何故なんでしょうね?
 節電の動きに対し、不自由を感じないで育った世代はもっての外と反対する。橋下知事は当にその時代を生きてきた寵児かもしれない。
 私は節電大いにやるべし派で、まず足元から始めている。先進国という虚像に踊らされおかしな方向をまっしぐら、日本の医療費の増え方を見れば何らかの疑問を持って然るべき。至る処に人工透析専門のクリニックが増え続けている。病因が生活習慣とだけは言えないだろうが、明らかに肥満が影響している。一時、エステなる業種が増え、美容と健康を売りにした。いまはダイエットサプリが大繁盛、楽して痩せると言うのも可笑しな話だ。暖衣飽食しなければ、不必要な脂肪など付きはしない。人間のブロイラー化????
 この状況を無駄とは言わず何と言うのでしょうか?一事が万事、トヤカク云う前にやるべき事があると思うのです。私のこの時期の健康法は、エンジン草刈り機で腰の運動、雑草が綺麗になり、刈り取った草が還元可能なエネルギーになる。私は除草剤は使わない。あれこそが農業者の自己矛盾、自然の生態系を壊し、人にも決して良くは無い。分かっているけど止められない。
 それに今の日本人はひもじさに弱い。・・・が充分食べられる野菜を形が悪いと破棄してしまう。これが無駄ではないのでしょうか?
 蛇口を捻ると飲み水が出る。これって実は凄いことなんだろうがそうとは感じない。
 新しい公共という前宣伝もイマイチ進んではいない、公共交通の無駄、大都会は別格で地方に行けば乗客のいない定期バスばかりが動いている。これで良いのかな?
 時流に逆らう人間は拒否される。昔あった村八分と根っ子が同じで現代にはイジメがある。その原因を突き詰めていくと一種の自家撞着に陥る。今風の行動パターンは”権利の主張”と”責任の放棄”、これが実に厄介だ。
 障害福祉に身を置いてきて、その矛盾に一番苦労させられた。国や政治に期待しても一向に埒が明かず、それならば地動説、自ら動くことしかないんじゃない。
 

1825:反原発

更に不透明な状況となっている原発事故、その復旧は今も約1000人の人達が現地に張り付いて自らの被爆をも覚悟して事に当たっているという。その実態は一部の報道で許される範囲で知らされるだけ。過酷な条件の下で作業にあたる人達の事情と思いは同じではあるまい。原発に関わっている人達は、5社〜6社とも言われるピラミッド式の下請け業社からなり、末端になれば賃金も安く、その代わり危険度が増す。
 自分達は安全な場にいる連中は言わずもがな、「原発は安全だ」というその根拠すら知らされず、設置を受け入れてきた多くの自治体がいま後悔している。ましてそこに住む人達は、見えない恐怖に常に怯え、先の見えない生活を余儀なくされている。
 村上春樹が何かの賞を受ける時のスピーチで、原発事故の事に触れ、広島・長崎の経験を活かせない日本の実状に迫ったと。
 ヨーロッパでは反原発の動きが加速している。やっと日本でも昨日、東京で反原発の集会が開かれたとメデイアが取り上げた。今後この運動がどのような広がりを見せるのか?
 以前にも触れたが、日本の「原子力村」の存在、原発推進の学者や電力関係の人達で構成されている。今回の事故で彼らの存在が全く見えてこない。保安院や原子力安全委員会、当事者たる東電関係者はマスコミに登場し、直近の状況を具に(?)報告はする。
 しかし、彼らも直接の被害は受けていない。自らは安全な場にいて、・・・・・。

 昨日、寺で法事があった。いつものように話をする時間をとった。最近は一方的な話をするのではなく、語り合う機会にしようと思っている。列席者の中に岩手出身の方がいた。沿岸部ではなかったので津波の被害にはあわなかったという。13回忌法要で、その方のお孫さんが3人いた。法事の間、大人しくイスに座っている。その子供たちを見ながら、放射能汚染の事を心配しながら話を続けた。この子たちが大きくなるのに、どうなんでしょうね?と逆に私が聞かれ、一瞬言葉が出なかった。
 被爆医療の専門家の話によれば、我々大人よりも子供たちへの影響に警鐘をならす。急性なものよりも徐々に起こる晩発性障害の危険性である。放射線量の安全基準も実際のところ、データーが充分に有るわけではないから科学的根拠は不確実。
 こうやって考えると我々大人が一体何ができるのか?残念ながら自分も含めて大部分の日本人は心配はすれど具体的行動は何もしていない。電気を湯水のように使っていて、何の疑問も感ぜず、巷にモノが溢れていることを当然と思っている。恐ろしいのは、生まれた時からその環境で育った子供たちの行く末だ。
 世の中の仕組みで、豊かさへの道筋が明らかにされることもなく、短絡的思考で結果のみが絶対視される。人間が生きていくという事は、様々な過程を経て今があると実感することである。もしも、それが、今回問題となっている放射能汚染により、道半ばで閉ざされるとなれば、一体その責任を誰が取ると言うのだろう。
 ここが本来の政治の果たす最重要課題で”日本の国体”である。
 ここにきて政党が掲げたマニフェストが単なる紙っぺらだったことが立証された。子供手当を1万3千円にしようが、その倍にしようが原発をどうするかという選択とは比較にならない。そこは明らかにしない。
 現在の政治とそれを選ぶ我々有権者が”平和ボケ”の中に余りにも長く浸かってきたかということだ。そして、いま、投票権を有しない子供達やこれから生まれてくる赤ちゃんにそのツケが廻ることが解った。
 ここで何も変わらなければ日本の再生は有り得ない。そう思いませんか?

1826:対面放光

太陽のように自ら光を発する恒星は宇宙に一体どのくらい有るのだろうか?昔から様々な名がつけられ満天の星の中よりその星座を見つけることは、私の楽しみでもあった。もう大分昔の話になるが、山に入り、夜中にテントから見た天の川は、いつ、何処の山かは覚えていないけれどハッキリと光り輝く星々だけは記憶に残っている。
 その星達は変化なく、悠然と虚空に存在している。
 さてと、3.11よりいつも霞がかったようで視力の減退を痛感している。霞か雲か♪
 花の色は霞にこめて見せずとも香をだにぬすめ春の山風。(古今和歌集)
 ああ・・・何をか云わんやだ。混濁の世に、清風に随順し五感を合わせ歓喜したくはないか!
 いま、丁度梅雨の時期を思い起こさせるような纏まった雨が昨夜から降り続いている。何とも切ないのは、この恵みの雨にセシウムとかなんとか言う放射能物質が混ざっているのかと思う自分だ。
 現在、日本に54基有る原発の中で稼働しているのが14基だとか。豊かさに安全の担保が無ければ無謀、そして、その担保無き恩恵を享受する都会の住人。この不条理が明らかにされれば、内政の秩序はどのような言い訳をしても保てない。実は、与野党が挙って総理の付け替えで世間の目を誤魔化そうとしている。その輩達の最大の弱点と罪をそこにみる。
 原発の安全基準がこれほど曖昧であったのかは、もはや万人の周知の事実となった。そして、その危うさは次世代の子供たちの身の上に確実にふりかかっている。
 実は昨日、このような出来事があった。
 49日忌の法事が寺であり、11時開始という約束だったが9時には最初の客が来た。なんでも遠方から来たので早目に家を出たと言う。お墓が土浦で親戚が横浜や遠くは山口県、そのため寺に集合ということになったらしい。
 母親が若くして亡くなり、1歳半になる男のお子さんを父親とお祖父さんでみている。初めて私はその子供にあった。丁度歩き始めた年齢でいっときもじっとしていない。お祖父さんが孫の跡を心配そうに追いかけていた。経を読み始めると父親に抱っこされいつの間にか静かになり、眠くなったようだ。
 その後、車で市営霊園に納骨に向かった。母親のお骨を納める石屋さんをじっと見つめている幼子。誰かが「まだ、わかんないよね・・・・」と話している声が聞こえた。
 納骨が終わり、父親に抱かれた男の子になんと声をかけて良いのか分からなかった。「がんばってね」とその子の頭をなでてしまった。
 すると、その子が手を振ってちょっと笑ってくれたように思った。
 いまの政治に”こころ”を感じない。子育て支援を重要政策とは言うが、良く言うよ。一人一人の子供たちは、それぞれ違った光を放っている。それを有りの儘に受け止めて育つ環境を整え、支えていくことが大人の責任だ。
 今の政治に腹が経つのは、自らの特権意識が強過ぎること、バッジを付けた瞬間から人間が変わる。横柄な態度、恩着せがましい振舞、よくも言えるよ美辞麗句・・・・・。
 定数削減さえできず、何が政治主導だ。
 私は、1歳半の幼子の成長が気になって仕様が無い。日本では父子家庭で子育てするのが実に厳しいことを知っている。
 自分自身も天罰を受けるかもしれない。坊主と福祉、そのどちらもが逆風の真っ只中で、満足できることは何一つできていない。
 

1827:起伏

驚き・悲しみ・畏れ・訝り・・・・という感情と喜び・楽しみ・許し・信頼・・という感情。
本来であれば、誰しもが持っているこれら感情の起伏、それが澱んでいる。出口が見いだせず、堰が切れた時のように一気に流れが変わる兆候もない。
 震災後3カ月が過ぎ、被災にあった人々の疲労も限界に達している。一方、被害に遭わなかった人達は罪悪感にも似た感情が芽生え始めている。此の儘、日本が沈んでいってしまうのだろうか!
 時間は、被災地の人々に現実を直視せよと試練を課す。一向に進まぬ国の支援策、・・・。
 昨日、長く入院している友人を見舞った。その帰り本屋に寄って目にとまった雑誌を一冊買い、そのままコーヒー店に立ち寄った。
 震災関連の記事、いま誰が総理に一番ふさわしいか?の類の記事があった。そして、いま係争中の大物?代議士に絡む贈収賄疑惑。彼は東北某県選出の議員。何とも嘆かわしく、悲しくなってしまった。
 別に私は菅さんをかばうつもりは無い。彼の言動にも今の混乱の責任はある。ただ、この時期に総理の首を挿げ替え、何が変わるというのか大いに訝っている。
 永田町のルールと庶民感情のズレがはっきりと読み取れる。総理が変わればオールジャパン政治で事が早く進むのか?万が一、次の総理が決まっても、短命で終わる確率が高い。これを疑う国民はいないだろう。
 政治の仕組みをこの際ガラガラポンにして、大統領制にしてはどうか!現行の制度では、首相の選出に国民は関われない。平時の時ならばいざ知らず、この未曽有の非常事態に国の舵取りを誰に託すかという選択ができない。
 比例代表制などは諸悪の根源、一部の議員が自党内の指名順を決める。ここが怨念と不信の病巣というのは明らかだ。
 それをずっと引きずり、その報復合戦だけが後に残る。これで庶民の代表、もともと彼らの関心事は次元が異なる。
 これは、議員のご都合主義で作られた制度、簡単に言えば互助会みたいなもの。議員報酬を下げられない理由は、得体のしれぬ秘書達を侍らせる資金が必要だから、その秘書が雇い主に何か不都合が起きれば一斉に口を閉ざす。離合集散花盛り、個々の政治家がどんな政治信条を持っているかが分からない。
 これら全てが島国と平和によって醸成され続けてきた結果だ。外交で一番重要なことは信用だ。今に至るまで日本はどれだけのNGOで海外援助をしてきたか?正確な金額は分からない。代表する人がコロコロ変わる国に相手国が何をもって信頼できるのか?小学生だって分かること。それを大の大人たる政治家が分からない。
ああ・・・いつもの悪いクセが出た。自分がどうしてこんな風になってしまうのか?自己嫌悪で墓穴を掘るようなことをいつまでやっているのか!
 小さな喜び 大きな幸せ って誰かが言っていた。それはある意味で”少欲知足”ということでしょうか。フーム、これって仏教が日本に伝来された時代から有った教えじゃないのかな。
 いつの世にも”大欲不足”で安住できずにいる人間はいるってことかも。
 ただ読み違えてはいけません。本来の”大欲”という意味は、自分の欲では無い。皆の願いという意味が元々の意味だ。自利利他、この解釈も実に微妙な時代になったとも言えましょう。

1828:直感力

潮目や風向きで漁の良し悪しを判断する。長年の経験に基づき毎日が勝負、自然と共存してきた人々。漁業を生業としてきた人達が震災と津波で大打撃を受け漁に出られず海を眺めて暮らす・・・・・。そして福島、放射能汚染で市場に出せない魚。
 漁師だけに止まらず、仲買人や水産加工業の人達が3・11からすっかり変わってしまった。その損失の補償問題が遅々として進まず、苛立ちが増すばかり。農業・酪農・観光業など・・・・・への影響も凄い勢いで広まる。まだまだ充分とはいえない復旧、そして、その後の復興・・・依然として具体的な絵図が描けていない。国会審議を見ていると腹がたつ。その模様はまさに六道輪廻の阿修羅以下、本当に日本人が再生し、また住んで良かったと言われる国に生まれ変われるか?
 ”直感力”とは転換期に求められる能力、決断が差し迫った時こそその力を発揮すればよい。これから日本は夏に向かう。被災地では悪臭とハエなどの被害が凄い。津波で運ばれた汚泥が取り切れず腐食する。それに下水汚泥の放射能汚染が神奈川の川崎市にも及んでいる。下水処理後に出る膨大な汚泥はセメント等に再利用していたが、それができず行き場の無い汚泥がうず高く処理場に積まれている。
 菅さんの辞任時期に様々な憶測が飛び交う。公債特例法案が通った時点で止めるべきというのが大勢を占めているようだ。総額40000000000000円という国の借金を国会で通すという。その中身は我々には良く分からない。
 民主党が政権与党になり真っ先に始めた無駄削減の委員会?  あれ何と言ったっけかな?委員長の枝野さんは官房長官になってしまったし、蓮鳳さんは全く顔を見せなくなった。
 橋下大阪知事が特債法決議に絶対反対を表明したとかしないとか。彼は大阪で実績がある。議員数を減らし公務員給与を削減し、公債発行をストップさせた。上記の数字は一体いくらだと思いますか、ゼロが何個並んでいるのでしょう。40兆円という今回の公債発行額です。
 巷の噂では、今回の福島原発の事故責任が曖昧にされそうだと。東電幹部の責任の取り方、被災地の人々が納得できますかね。何度も何度も聞いた。想定外という言葉。徐々に分かってきたことですが、学者の中には前から大津波の警鐘をならし続けた人達がいた。貞観地震というから1000年以上も前に地質調査で今回と同じ規模の地震が起こっているという。
 ”金主”という言葉を聞いたことがありますか?これは金の出何処です。スポンサーと言えば分かり易いかも。江戸時代に大名に金を貸した者で上方では銀主ともいうそうだ。原発位の超大型プロジェクトには複雑な利権構造がある。電力会社より資金が流れる学者、それと元官僚・・・・・。政治家にも金が流れているという。
 こうなるとパズルを解くより難しい。
 確かに、国民誰しもが何らかの恩恵を受けているのだから負担するのは当然という考えも一理ある。だが、経営責任と言うものはどうあるべきかという問題を明らかにせねば納得はされないだろう。
 ここで私なりの脆弱な直感力を働かせると、政府や東電がこの辺ならばという妥協点を探っている段階なのではないのか。だからスピード感が無い。
 それと大人としての振る舞いが取れない。原発しかり国債しかり、将来の世代に負の遺産を残して何とも感じない人間が増え過ぎた。新渡戸稲造がいたら古来の武士道をどう海外に紹介しただろう。武士は食わねどタカヨウジ。

1829:切り札

雑誌の売れ行きは今どうなっているのだろう?書店に並んだ様々な雑誌、週刊・月刊を問わず名前など殆ど分からないものばかり。発行元からすればいずれも短期決戦だから、表紙のタイトルは過激で刺激的なものとなる。雑誌が刷り上がるまでの裏の事情は知らないが、追われるように記事になる題材を探し求めているはずである。
 事の良し悪しは別として、今ほどその材料に事欠かない時はないかもしれない。政治の世界は魑魅魍魎、次なる総理が誰になるか?世間の関心は全く上がらないのにやたらと騒ぎ立てる。そして、首根っこを掴んだかのごとく、スキャンダラスな記事を書きなぐる。政治献金を誰から貰ったからどうだこうだと。これだって何故今更ということだ。政治家で献金を貰っていない人などいないだろう。周知の如く、政党から給料?を頂いている方達も若干名はいるが、大半は何らかの支援を受けている。
 出版業界のモラル無き攻防に付き合わされるのは、甚だ迷惑だ。買ってまで読む気にはならないが、目障りだ。
 切り札という言葉があるが、最後の決め手が前洩れしてしまうから、座を射止めた時にはシラケてしまう。このパターンが常態化した。
 さて、尚恵学園では事業の見直しに本腰を入れるべき様々な動きがでてきた。内心では、やっと動き始めたなという忸怩たる思いだ。一目瞭然なのは、事業計画と事業報告を何年か比べれば直ぐ解る。何も変わらず前年踏襲のものとなっていないか?
 前年と比較するにしても自分の事業所だけでは見えない。他に研修に行ってその時は新鮮な気持ちになって帰ってくるが時間が経てば忘れてしまう。研修の持ち方にもメスを入れないとなるまい。
 世の中は動いている。
 変化を嫌って安心する。これが実は一番楽な生き方。するとどうなるか?出来ない理由を並べる。それを出来るようにするのがプロのはず。マンネリ化というメカニズムは生活習慣病みたいなもの。徐々に体に効いてきて、気付いた時点では手遅れだ。
 また、よく見極めないと”仏つくって魂入れず”になっている。我々には他に誇れるような建物は無い。無理せず出来る範囲で作ったものばかり。ならば魂だけは満タンにしたい。そう思うのが必然でしょうが!
 だが、これとて目に見えるものではありません。非常に危ういものだ。一瞬にして魂は消滅する。得体が分からないときている。
 先人は違った。”こころ”と言った。今、そんな事を言えば笑われる。前カンブリア紀の話???
 ただ、ここに来て私が確信していることは、やはり、建物では無く”こころ”だという結論に至った。
 これこそが日本人が本来世界に誇れる切り札であったはず、それを軽視し外見にのみ関心が向かった。砂上の楼閣というだろう。どのように立派な設備を誇ったとしても一瞬にして目の前から消滅する。これを嫌という程、今回経験した。
 災害の復興の要は、街並みを元に戻すことではない。経験を活かし、心が入った地域を作ること。そこを履き違えれば、犠牲になった人達は浮かばれまい。
 震災から100日が経ち、行方不明であった親子が遺体で見つかったと聞いた。息子さんは34歳だったという。
 犠牲になった人達の思いをどう私たちがこれから形に表していけば良いのか。日本人全てに課せられた大きな宿題である。

1830:伝えるべき事

歴史が好きな人と話しているといつの間にタイムスリップし、別世界を彷徨っているような気持ちになります。それは自分自身の齢と無関係ではない。人の一生は長い歴史から見れば、ほんの一瞬の出来事かもしれない。親は子に何かを伝え残したいと思う。それは願いというよりも不安があるからだと思う。伝承とは古くからあったしきたりを受け伝えていくこと、 気のせいか、近頃はそれが希薄になっているように思える。聞く耳を持たないというのではない。伝える側に大かたの責任を感じる。遺産と言えば土地とか金が絡む。すると必ずや取り分の違いでもめ事が起こる。相続のノウハウを上手く手ほどきする者もいて、やれアパートを建てろとか生前贈与をすれば、これだけお得になりますよと誘惑する。でも世の中そんなに上手くはいきません。予定通りに進まないのが世の常、運が悪かったで片付けられ、後の祭り。
早く、その事に気付くべき。
 そうじゃーねーべよな。
 日本という国が全く似たような状況を呈している。ユーロ圏でいま問題になっているギリシャはGNPの130%の借金を抱え、他国からの支援を受けて必死に耐えている。なんと、日本の借金は総額で924兆円、200%を超してしまった。それでも他人事で危機感などほとんど感じない。その責任を一体誰が負うと言うのか?
 閑話休題・・・・・漱石が講演したもので『私の個人主義』というものがある。某大学で学生を前にして話したもの。彼は若い時分、生活の糧を得るために中学〜高校〜大学と教壇にたった。その途中でイギリス留学の経験もあり、その辺の事情が講演の中で面白可笑しく紹介されている。
 何故、漱石が個人主義という言葉を講演のテーマに選んだのか?今の使われ方とその趣が違う。それは自らの体験から個々にあった生き方(器)を薦めているだけで、自分の利という観念が非常に薄い。現代版の個人主義は利己主義に近い。だからだろうストレートには受け入れがたく、懐疑的になってしまう。何故100年の歴史の中でこのように変わってきたのかは良く分からない。言葉では”絆”とか”共助”ということが良く言われているが、実態が伴わない。響いてこない。
 これって価値観の多様化という現代社会の特性?その後ろ盾が”自由”&”権利”という常套句。そして、片隅に追いやられてしまったのが”自律”。自らを律する術を見失った。
 ちょっと厭らしく言ってカントのたてた倫理思想を出すまでもない。普遍的で道徳に適った規範を持ちえない”自由社会”が、その許容範囲を超え、何に従って行動するかが見えなくなっているんだな。だから「どうして?何のために?」と自問していくとある線から先が思考停止になってしまう。本来、人間が持ちえる『考える葦』という特性は、利便性追求の影で弱小化している。だからだと思う、うつ病に悩む人の急増、これが社会現象と決め付けるメデア、そうじゃーない。
 これこそが人間の本来の姿。元に戻ろうとする復元力だと思う。人間の価値観は容易く変わるものではない。
 知的に障害を持つ人達の偉大さがそこに見る。彼らは世の中の変化に揺れ動くことなど無く、何が大切かを本能的に知っている。
 誰かが言っていた。苦労を味方にすれば、何も怯む事はない。これが伝えるべき事の高位にあるのは間違いない。
 さらに、苦労を苦労とは見せず思わずの生き方が究極の遺産となるのではありませぬか。