源究155  

BACK   TOP

 NO  テーマ  月日  NO   テーマ  月日 NO  テーマ  月日  NO  テーマ  月日 
2611  大子町  5/15   2616 理事長の値  5/20  2621  総会  5/29  2626  永遠なる・・  6/6 
2612  国体に向け  5/16   2617 社会福祉法人   5/22  2622 世も末  5/30  2627  懐かしさ  6/8 
2613  ゴーゴーゴー 5/17   2618 怒れ!   5/23  2623 残されし時間 5/31 2628  中高年よ  6/9 
2614 世代間較差 5/18   2619 ゆうあいスポーツ   5/26  2624 水無月  6/1  2629 人倫の道  6/10 
2615   頭丸めて 5/19  2620  何を望みますか 5/27  2625  震災後  6/2  2630  最悪だ!  6/12 

2611:大子町

 10年ぶりに大子町に伺った。水戸で予定の会議が終わったのが昼を過ぎていたので、途中コンビニの駐車場に車を停め、頂いた弁当を急いで食べて国道118号を北に向かう。
 もう、30年が経つかもしれない。観音寺が所有していた山林が県立高校の建設地として買収され、当時の寺役員の皆さんと代替地を探そうということになり、紹介者があって大子の山を購入したのであった。何しろ私も30代で若かったし、高速道路など無かった時代だから、片道100キロ、車で優に2時間半という場所は気にならない。それでも頻繁には行けないと考えて山を管理する方をお願いした。当時から見事な杉がたっていて将来何かに利用するにはもってこいだと考えた。
 それが時が経つのは早いもので、管理人さんも亡くなり、大子に行くことがメッキリ減ってしまった。昨日、本山に届ける書類が期限まじかになったため、急いで町役場に固定資産台帳を貰いに伺った。
 久慈川沿いに走る118号線、それと水郡線、昔と全く変わらず、長閑な雰囲気は今も昔と変わらずに残っていました。市町村合併でも大子町は他との合併はせず、町のままである。役所は実にノンビリしていて、私が窓口に伺うと直ぐに2名の職員が対応してくれた。一枚300円の証明書をもらうのに、申請書に5人ほどの印鑑が押してあったのには正直驚いた。
 更に驚いたのは、地番で場所を確認したいとお願いすると、その辺はまだ国勢調査がされていないので空中写真でお見せしますと、ノートパソコンを態々持ってきてグーグルで目的周辺の地図を出し、コピーしてくれた。
 それと、もしもっと詳しく知りたいのでしたら森林組合に行かれたらどうですか?とまで。
 折角だから道順を教えてもらい、森林組合へ。ここでも驚いた。5人ほど職員の方がいたが、私が地番を示し、どうやってそこまで行くのか教えて欲しいというと、パソコンで直ぐにその場所の写真を取り出し、見せてくれた。するとお茶まで出してくれ、今からご案内しましょうかとまで言ってくれた。後日、役員さんを連れて伺うのでその時にお願いしますと丁重にお断りした。
 帰路、道の駅に立ち寄り、名物の刺身こんにゃくを買って帰る。 ラジオをかけると矢代亜紀の歌、なんとも言えぬ良い気分で自然と口ずさむ。私は最近このような対応をされたことが無かった。茨城弁でいう愛想なしのツッケンドン、これが常識と化した。なにもお茶などご馳走になろうなんては思わない。
 イチイチこんな対応をしていたら大変だとは思いますが、でもね、どうかな?住民サービスでお金をいただいているということを忘れかけている人も多い。その点、大子町の対応は120点、
 町並みは昔と変わらず、少し寂れたかなと思うほど。でもそこに住む人のノンビリとした雰囲気、人懐っこさ、実に良かった・・・・・道端にあった看板に「日本1美味しい大子の米」というものがあった。
 そうかー頑張っているんだよな。

2612:茨城国体に向け

 昨日、県の障害者関係団体のスポーツ・文化協会の会議が県庁であった。例年、私が議長をさせられている、それが毎回、活発なる意見が飛び交うとは言えない。正直、会の進行で時間をもてあそぶ。それが今回は全く違ってしまった。
 いつも、一番先に意見を出される方がいて、今回もその方が手を挙げて大きな声で事務局へ2点の質問を行った。
 その後はいつもなれば、意見は出ない。それが昨日は全く違った。次から次に意見や質問が出た。議長として多少の戸惑いを隠せない。、質問がなければ私から質問をしようと思っていたことが、理事の皆さんも同じ事を考えていた事がわかり安心した。
 2019年、東京オリンピックの一年前に国体を茨城で開催することになった。一般競技のあと、障害者の競技(パラリンピック)が開催されるのだが、その準備の状況が皆さんが気になっていた。
 大会に向け、選手強化や施設整備、それと審判員の養成など次から次に質問が出された。共通していたのは、大会を無事済ませることは当然だけれど、その後に何を残すか?ということであった。障害者向けのスポーツ会場は他県と比べ誇るものは無い。予算が無いからと今までは我慢させられてきただけに、皆さんからずれば、今回がチャンスだと思っている。私も全くの同感だ。
 何年前だったか忘れたが前回の全国知的障害者茨城大会の時も私は手伝いで関わった。大洗の民宿で前泊していた。ハッキリと記憶しているのは開会式当日が大雨で予定を大幅に変更したこと。当時、今は使用していない三の丸の旧県庁で手狭だったので、準備室は県庁近くの場所に設け、大勢の担当者が関わっていた。開催まで後5年、今年から本格的に準備を始めると聞いた。 障害者スポーツの場合、実は大変難しい。障害種別と障害程度区分毎に分かれての競技となる。健常者の競技とは違ったルールがあり、皆さんそれにあまり慣れていない。
 ここ10年来、他県で開催される大会に県の選手団で参加することが増えた。実に様々、素晴らしい施設がある県もあれば、イマイチだと首を傾げる所もあった。
 出場する選手にとって県の代表だという意識は実に強い。本当に一生懸命競技に参加されます。その経験が後々人生で大変役に立っていると何人もの方から伺った。
 オリンピック開催を決めた東京とは比べることは可哀そう。でも我が茨城はそのハンデイを如何に克服するか!関係者の知恵の出しどころ。時勢がらコンパクトな大会にしようという意見もあるそうだが、実際に開催県となればそうはいくまい。大会のコンセプト「おもてなし」は東京が使ってしまった。「まごころ」????あれっ 前回そうだったんじゃーなかったかなー。
 茨城国体に向け、県民一体となって来県選手団をお迎えすることを期待する。
 

2613:ゴーゴーゴー

 ゴーゴーゴー だ!それゆけ ドンドン、目標に向かってまっしぐら・・・・・・・
 私の心は夏の太陽、 真っ赤に燃えている。。。。。。かなり危ないかな(独り言)  何をそんなに粋がって。抑えて抑えて。 でも分かるような気がする。今週は酷かった、月曜~今日まで出っ放し、それも午前と午後、走った距離が優に1000キロを超えました。何とか会議のハシゴ、すべて忘れました。そうしないとやっていられない。私の能力を超えてます。
 それでも一日1万歩のノルマを夜、果たした。
 変な拘りがあり、正直それに縛られる。敢えて言えば、そうしないとダメになってしまうと考える。今日は尚恵学園の役員会が3時からある。その前に草の伸びた庭を掃除しようと朝から作業着に着替えた。
 病は気から、確かにいま実感している。去年の今頃、何か気力が無くて食欲も落ちた。何をやっても満足せず、睡眠不足、気が付くと半年で7キロ痩せた。丁度健康診断があり、医師からは丁度良い体重ですね。このままいきましょう!と褒められた。別に痩せようと思った訳ではない。結果はオーライ。それからです。一日何があっても歩こうと決めた。今、徐々に体重が戻りつつある。このまま増えるのが良いのか現状維持が良いのか?
 確かにベルトが大分緩くなった。
 ハイテンションは続かない。
 世の中には自分が知らないことが沢山ある。だれだって井の中の蛙なんだよね。他人と比べるから変になる。ルールを守って我が道を歩む、これが最高の生き方だ。
 偶然知り合えたお寺さん。利用者さんの書いた遺作集(絵)を送ったら昨日丁寧なお手紙と名物チリメンジャコが送られてきた。まだ行ったことが無いところ、新四国八十八か所の一つと伺った。年齢も私と同じ、知り合えたのも長谷の観音様のお蔭かな。
 人付き合いで無理は禁物、自然体がイイね。疲れちゃうし続かない。
 どうですか!皆さん お疲れではありません?昨日 やっと 吉幾三のCDを見つけカーラジオで聴き始めた。昨今はCDを売っている店が減ったのですね。車に乗る機会が増えたせいか、新しいCDが欲しくなったんです。
 別に新しくはないか・・・・・・・・。♪ベコ連れて東京さ行って 金貯めて 銀座に山買うだ・・・・・・♪ 実にイイね。この発想!今 もっとも弱いんじゃーないのかね。 私は聴いていて自然と涙が出てしまう。

2614:世代間較差

 『共生』という法人の理念について若い人に話をしてほしいと頼まれた。同じ職場で働く人たちがせめて共通する理念を持って貰いたいというのは当然のことですね。
 今、価値観が様々、当たり前がどういうことなのかさえ実は明確でなくなったんじゃないですか。例えば、昔ならば、言われる前に自分で気づいてやりなさいと言われたものです。それが、言われないことはやるんじゃないと教わったらどうなります?ま。。そこまでは妥協したとして、でもね、経験が無い人に誰も言わなかったら手も足も出ないんじゃないの。私はそう思う。こんな事を言ったら嫌われるから黙して語らずタイプの人間も同様に増えた。
 結局、今風に言えば、自分さえよければそれでOKということでしょう。この価値観が世の中に蔓延しちゃった。それを問題だとも感じない。
 自称、評論家という人たちが、世代間格差なることで自説を得意に話したりするもんだからどうしようもない。いつの世にもあったことですよね。ただこれだけは言えるかな、今は家族に子供が少ないから大切に大切に育てられる。なるべく失敗をしないようにと周りの大人たちが配慮しすぎです。失敗を体験して初めてどうにかしないとと考えるわけですが、そこがスッポリ抜けている。
 昨日、法人の役員会がありました。こんな話が出てビックリ、今の大学で学生にボランテアをすれば単位をやるというんです。これじゃーボランテアじゃ無いんじゃないの!これ昔風の人間なら皆、そう考える。
 単位が取れて内申書にプラスになるからやるんですとなれば、根本から違う。我々は逆にその制度を利用すれば学生ボランテアが増えるんじゃないかと対抗策をねる羽目に。
 これは、日本人が”福祉”への考えの変化と同根なんでしょうね。いずれ福祉という言葉がこの国から無くなりますよ。あまりにも言葉が軽く成り本来の意味を取り違え過ぎました。
 
 ならば”福祉”に替わる日本語って何だろう?精々思いつくのは”安心&幸せ”でしょうかね。
 私なら「知足」(たるを知る)かな 某人は喜足と言った、足るを喜ぶと・・・・・・。常識的には今よりは少しでも良くなることを生きる的と考えます、しかし、これって限度を弁えないと争いの元になります。ルール無視のバトルとなって殺傷をもって報復って事になりやすい。
 
 集団的自衛権? 例のごとく話題が飛びますが、この説明を良く聞いていますとね。実に身勝手な理由で説明してますよ。私なら安倍さん自ら自衛隊員になって鉄砲担げと言いたいね。
 彼だって戦争を知らない世代ですから、発想が軽い。ここにきて自民党の長老が黙して語らない。貴方たちの家族や友人知人の多くが戦争で亡くなったはず、貴方たちの本心を今こそ言わずしてどうなります?
  昔、ドイツで起こったという戦争の最中、障害者をまとめて殺戮した、戦争に役に立たないという理由らしい(ホロコースト&安楽死)。
 これらの事実が今封印されていることは極めて残念・・・・・ならば、お国の為と戦争に参加した軍人が負傷し障害を持った時に、その人たちが戦争に役に立たないという理由で殺戮されないという保証は全く無いのです。
 マスコミだってそうだ、日本の4大新聞が憲法解釈に関して挙ってアンケート調査を行った、見事に新聞社の色が調査結果に出たという。これが何を意味しているかを私たちは知らなければならない。
 

2615:頭丸めて

 昨日、こんな事がありました。家族会の総会があり、入所を利用されている人たちの家族が集まった。始まる前、園庭にNさんとお母さんが一緒に座っているのに気付いた。私がお母さんに「こんにちわ」と声をかけるとポケーンとしている。「なんだ 誰かと思った。随分痩せたから、どうしたのよ?」「ああ。。。そうだよ 病気だ」「・・・・・」「いや違う いまウヲーキングやっているから 痩せたんだ」「うじゃ 良かった」
 この二人のやり取りを脇で怪訝な顔で聞いていたNさん。彼は多少の悪天候など構わずにいつもグランドの定位置で外を見ている。「ヨー Nさん元気?」と声をかけると「カーカン」と必ずかえってくる。彼はいつだってお母さんを待っているんだ。
 そのことを総会の最初の挨拶で私がしゃべったもんだから、皆さんどうとらえたか?
 まだ家族会に来てくれる人は良いんだよ。全く面会が無い方も増えた。
 
制度がどうのこうのはもう聞き飽きた。ウンザリだ。それよりも、どうにかできんのかね。我々に子供さんを預けられた人は、皆さん、他人には言えない悩みを持っている。普段、別々に住んでいるから尚更だ。
 御釈迦様の弟子に周利槃徳(パンタカ)という知恵の遅れた方がいた。釈迦は彼に靴の掃除を仕事として与え、只管、靴を磨き、そこから悟りを開いて、16大弟子の一人となった。尚恵学園の理念の「共生」は、そのパンタカの生き様を抜きに語れない。
 Nさんもそうだ。只管、母ちゃんを待つ姿、これをどう感じるかは、こちら側のも問題である、もし、自分自身の事を考えてみれば誰だって、Nさんの真似はできないと思うはず。
 バリカンを取り出し自分で頭を丸めたが、後頭部がマダラになって見っともない。マダラ???マとダの間にンを挟めば、”マンダラ”だ。そんなことを思っている。
 

2616:理事長の値

 朝日新聞の朝刊に『社会福祉法人売買が横行  理事長ポストが数億円』という記事があった。とうとう来るべき所まで来たか!
 日本の福祉実態の一片と受け止めたい。これが全てでは絶対にない。 そんなことが昨夜6時から行われた某保育園の理事会で話題になった。そこは何十年か前に理事長が土地を寄付し、20年の借金をして法人化した。借金返済が済んだ今でも毎年、老朽化が激しい園舎を少しづつ修理しながら使っている。去年はゼロ歳児が例年になく利用していただいたので赤字にならずに済みましたという理事長の息子の説明。。。。。。それが、社福を悪用してどうも感じない輩が横行しているという記事。なんとも切なくなる話だ。
 なぜここまで堕落したのか?業界体質は他国のことを云々できるような状況でない。如何に自分たちの利になるかに血眼でトップになる資格は政治をどう活用し我が田に水を引くか、その能力の有無が最優先、
 だから原点回帰が不可欠だと私は思う。・・・・が、創設時からその裏ワザでやってきた法人は、原点そのものが狂っている。
 何をお前は綺麗ごとを言うか!と何度、揶揄されたことか、
 行政に物申す。事業開始の許認可権を天下の宝刀と勘違い、すり寄るモノにどうなのか?聞くところによれば法人の積立金にメスを入れるとか、財務省の考えることである。・・・・が、先を思えば理事長なるものは、設備の改修、人件費に積立しないではいられない。
 将来への見通しが立たないから、必死になって基金を作る。これをポスト売買の値踏み条件にすると言うんだから、もうどうしようもない。恐れ知らずもここまでくれば大した度胸と呆れるばかり。
 私は、一度認可を得て特権を持ってしまえばこっちのもんだと考えることが理解できぬ。早々とそんな人にはお引き取り願いたいものだ。
 一つの例を挙げれば、いまは財務状況を公表しないとまずいことになっている。どうでしょうね?素晴らしいホームページでもって決算諸表を公開しているところが実に少ない。何故だ?
 堂々と掲載すればいいんだよ。
 まっ いずれにしても歴史が証明してくれますよ。良からぬ事が長続きした試はない。それともう一つ、自分には関係ないと考えることの危うさを持てるか否かだわな。
 尚恵学園だって全く同じです。毎朝、本堂で経を読む。その先(祭壇)には尚恵学園を利用してくれた仲間の遺影がもう何十枚にもなっている。彼らは無言の裁判官
  いつ何時に判決が下されるか判らない。

2617:社会福祉法人

 全国社会福祉法人経営者協議会より”社会福祉法人の存在意義”を問い質すパンフが届く。今更という正直な思いはあるが、時は待っていてくれない。ハッキリ言って規制の壁に守られ、安閑としていた時期が長すぎた。巷では国内の競争だけでなく新興する海外諸国との熾烈な戦いが常識、しかし、これは社会福祉法人だけの問題ではない。私が関わる宗教法人(寺)も同様に、その役割と能力が世間から試されている。
 法人格の有無に関わらず、人は必要とするものについてくる。規制緩和を危機ととるかチャンスととるか。その覚悟と実行力は、必要不可欠なる条件だ。
 私のたった63年の人生を振り返っても、世の中の様変わりは実に激しい。東京に憧れ、勇んで飛び込んだのが丁度46年前になる。1年で東京の生活に区切りをつけた。当時は学生運動真っ盛り、マイクを通したアジ演説がうるさくて授業にならない。思い返せば熱気はあった。コーヒー1杯100円で何時間も喫茶店で夢中になって話込む。
 私が1年間だけ住んだ近くに今では都庁が建ち、昔の面影はすっかり無くなった。そして、6年後には東京で2度目のオリンッピク開催が決定、今以上に街並みが変わるのは必至だろう。
 経営協から送られてきたパンフには社会福祉法人への厳しい目を強調した文言が並ぶ。我々現場から見れば、遅きに失した感は否めない。人材確保が最大の課題となった今、如何に大段幕を下げても実態が変わらなければ見向きもされまい。何せ、関係者の声として景気の回復を逆に心配していた体がある。
 これで夢を語れる職場に変わろうなどと言うから余計にむなしくなる。いつまで夢物語を語るのか!
 私なりに気を付けているのは、お決まりの行政監査などよりも利用されている人たちの目を大切にしろという先人の教え。これこそが究極の姿勢だ。 
 

2618:怒れ!

通年募集を行ってからもう何年になるでしょう。4月以降から理由は判らないのだが、求職の問い合わせが急増しています。その中でやる気のある方には体験実習を勧め、その人達が途切れなく続いています。これは正直想定外で戸惑いもあります。
 最終的に私が面接し採用の是非を決め、本人に通知する。経験の有無に関わらず、やる気のある方にはなるべく一緒にやって欲しい、そしてお互いがそれで満足すれば、これに越したことはない。
 日本の福祉の仕組みが、ここにきて何故こんなに頻繁に変わるのか。付け焼刃的で足が地についていないと多くの関係者は思っている。
目を外に向ければ、多分、福祉以外でも同様のジレンマがあるはずだ。良い言葉が見つからないのだが、”理念なき国の繁栄”という言葉が直ぐに思いつく。
 勿論、国の言い分もあるだろう。笊の中の金を盥回ししているのは本意ではない。これだって財政逼迫の中、苦肉の策で他に方法が見つからないと。
 そこで職員各位に言いたいことがある。
 福祉の仕事は一生続くもの、そしていずれ必ず自分自身に跳ね返る。もし、金満家を目指すならば、早々に職替えしたほうが良い。去る者は追わないから安心せよ。障害福祉はマイナリテイ何を勘違い、自分たちが目立ってどうになる。目立たず されど 只管に これが私が信じる人倫の道である。
 規範があっても守らなければ意味は無し。声無き人たちより学び感じ取れ!今の自分には、これ以外の言葉は見つからない。
 昨日、突然飛び込んできたタイからのニュースに驚いた。タイは仏教国、そして王国、親日家が多く、日本企業も沢山進出している。現政権とそれに反対する政党の争いが軍の仲立ちでも纏まらず、結局、軍事力の介入を強行せざるをえない非常事態(クーデター)となった。この動きを今の日本人には理解できまい。現状を平和と勘違い、得意になっての経済政策、万が一、失敗したら、どう言い訳するのだろう。
 また、これをどう理解すれば良いのだろうか。国会で厚労大臣の答弁に用意されたものが、全く別物で質問の答えにならず一時審議ストップという失態を演じた、これを単純ミスだという大臣の弁解も可笑しなもの、何か国会の審議が心ここに在らず(礼記)で危機感欠如とどうしても思ってしまう。
 もっと怒れ!襟を正せ!
集団的自衛権への提言がなされた、なんだか知らないが、仲良しクラブとダブってしまったのは私の偏見なのでしょうか。
 

2619:ゆうあいスポーツ

 
 第16回茨城県ゆうあいスポーツ大会が25日、県立笠松運動場をメイン会場として開催されました。(上記スナップ)
 例年この時期に開催されるこの大会は種目ごとに会場が分かれ、全国障害者大会(ゆうあいピック)への選手選考も兼ねています。私はいつもレクレーション競技に参加、心配した天気は雨ではなく、暑さでした。幸い雲があって日差しが弱まり、途中体調を崩して医療の世話になる方は出なかったのにはほっとしました。この時期、各地で学校の運動会なども開催され、事業所によっては行事が重なり、今回の出場ができなかった所もあると聞きました。いずれにしても昨年以上の多くの参加者が楽しく1日を過ごすことができ本当に良かったと思っています。
 この大会は、2019年度に開催されます茨城国体に向け、さらに充実強化されることが確実、多くのボランテアの方々や大会の準備を前日から泊まり込みでおこなってくれる福祉活動部の皆さんに心より感謝します。
 大会を盛り上げてくれる歌のお姉さん(?)お二人は毎回参加してくれて皆さんとは顔なじみ、あちこちで握手や挨拶が交わされ、とても良い雰囲気でした。
 私は前日、某法人が開催したフォーラムに参加、夜は久しぶりに勝田駅近くのホテルに泊まりました。近くに有名なコーヒー店があり、美味しいコーヒーを飲むことができ満足、茨城県の良さを再認識した次第であります。
 さてと、大会中感じたことは、歴史のある施設は利用されている方が高齢化しているということ、一方、新しくできた事業所は皆さん若い、在宅の方たちもそうです。尚恵学園は前者。リレー競技で走れる方がいなくなってしまった。出場して怪我でもするのではと心配する状況です。
 毎回、橋本知事が参加し、競技を一緒に行い、各テントを回り親しく言葉をかけてくれます。また事業所で日頃作っているものの販売コーナーも盛況でした。
 いまでは各地域で同様のイベントが開催されるようになっています。長く継続する中で、どうしてもマンネリ化という問題が起こってきます。でも、今年は雰囲気が変わった。何故だろうか?それは5年後に開催が決まった国体です。
目標ができ、それに向けてギアチェンジがなされた。
 今年ブラジルで開催される知的障害者のサッカー世界大会に日本選手団に選ばれた選手が茨城県から3人いると伺った。彼らもゆうあいスポーツ大会から育った人たちです。
 暑い中、お疲れ様でした。
 

2620:何を望みますか

 貴方は何を望みますか?
 すぐに回答が浮かばない。これが今を生きる大半の日本人ではないでしょうか。これって どうしてなの? 価値観が様々だからね仕様がないさ。こうやってさ 生きてきたんだからさ。
 それでも良いでしょう。あなたがそれで満足ならね。でも、私は、違う。『不便を受け入れる街づくり』って判りますか?水銀中毒という公害問題で今もその苦しみを背負って生きている沢山の人たち、そうだよ、熊本県水俣市が掲げる新生まちづくりのコンセプト。
 あれからどのくらい年数が過ぎたでしょう。水俣の場合は原因が判りました。経済最優先の国策で産めよ増やせよの片棒をかついだ企業の責任が問われた。今回の福島原発事故、その発端は地震という自然災害です。今でも15万人の福島の人たちが避難生活を送る、世界の人々を震撼させた大事故です。それを経験しながら、日本人の多くは記憶に留めることをせず、更なる豊かさを求め始めている。果たして、その行き着く先はどうなのか?だれも直ぐに答えが見いだせない。
 そこなんですね。あなたは何を望みますか?という質問に答えられない人が、豊かさを追い求める先の絵が描けない。一体どうこれを理解すれば良いのですか?
 今日のNHK深夜便午前1時からでした。偶然だったとは思いますが、ある方の生き様が紹介されてました。30歳で脱サラし、週休3日のバーの店主、必要以上のお金は不必要と開店したものの口コミでそこを訪れる方が増えすぎて、結局、1週間で4日だけ営業することになったとか。訪れるお客さんは、仕事に疲れ、目標を見失い、誰かと話がしたい人たちだと。
 この放送を聴き、私も全く同じだと思いました。
 いま尚恵学園は新しい寮舎を建築中です。入所定員を増やすのではなく、減らすため、これって時代の逆じゃないかと言われた。だって待機者がまだ沢山いるでしょうと。
 私の言い分はそうじゃない。別に公にする程のことでなく、当たり前でしょうという一言、いま確実にそう考えている人も増えている。その決断をするか否かの問題ですね。
 産めよ増やせよ、利用する人の為と言いながら実態はどうなのか?私は42年間、その思いを忘れたことはない。
 「あなたは 何を望みますか?」を利用者の方達に問うことの重さは、憶測では語れない、今朝も最初に声かけてきたKさんは『きょうの とまり だれ?』だった。
 

2621:総会

 今日、東京での全国代表者会議で5月立て続けにあった会議が終わる。なんでまーこんなに顔を出す羽目になったのか、”あまえの性分だから仕様がねーだろう”というものと”無責任だ”という思いが交錯する。
 これホントの気持ちなんですが、会議って好きじゃーありません。そんなことより草刈でもしていたほうがずっと良い。草は何も言いません。人はああだこうだ、意地悪な質問あれば、ほとんど意味不明な意見も・・・・・
 よくもまーこんなに御託を並べられたもんだ。ここまでくると自己陶酔 周りの迷惑など屁の河童。あああああああ・・・・・・
 だからですかね。5月に入ってから吉幾三のCDを三枚も買ってしまった。あの人は作詞作曲自分で行う。実に唄が上手で所々に入る青森弁の妙なる響き、自然と涙が出ちゃうから不思議だ。ある曲を使って歌詞だけを変えてあるのが笑っちゃう。その曲名は『これがホントのゴルフです』、最近、飛ばなくてボヤイテいた偉い(?)方にプレゼントしようかと思った位。
 今年の七月に水戸で関東地区の研修会がある。目標1,000名だ!二日間の日程で一年前から準備を重ね、募集案内も発送済み、大会資料を印刷する段階になった。お決まりの夜の懇親会、誰かが何もなくては盛り上がらないという話になって、歌手でもお呼びしましょうということになった。さてどなたを呼ぶか、予算に限りもあって担当者は大分悩んだ、坂本九ちゃんの娘さん大島花子さんを呼ぼうということに・・・・・。九ちゃんは茨城とは関係が深い。その娘さんだ。
 いがっぺな うだうだ  と皆さん文句なしに賛成だ。それがよ・・・・まだ確約とれねーんだと なにやってんだよ。おめ^^^^。
 これが私どもの真剣なる会議の一巻でっす。
 ついでだ構わねー言っちまえ。大会資料の表紙の色で一悶着・・・・わたし絶対 この色・・・・・・やだー こっちよ・・・・・・ 茨城の色って なんだ?紫?青?小豆いろ・・・・・わかんねよ・・・・・
 そこで私も一枚加わって、『なんだってかまわねーべな』としゃべっちゃったもんだから、みんなの冷たい視線が一斉に私に向いた。
  俺らー 水戸さ行って 草刈りすっぺ。
 5月の会議が今日で終わる。♪♪・・・・
 

2622:世も末

 仏教の考え方に末法思想というものがある。それは釈迦立教後千年は正しい行いがなされる正法の世、次に外見だけの修行となり、本来の教えとは離れた時代、それを像法の世という。さらに人も世も最悪の状態になるという末法の世が1万年続くという。
 まさに今が末法の世とすれば、そうだねと頷けることが確かに見受けられます。別に私は厭世主義を自認している訳ではありませんよ。自然と涙が浮かぶような場に遭遇することもあります。悲しみの涙じゃなく、こころ癒されるような微笑の涙! 皆さん、知らないんだよね。そうなんだ。自画自賛なんて思いもよらない。そんな生き様をされている人もいます。
 日本語で”勇気”という言葉がありますが、最近めっきり使われなくなったと思いませんか。物に恐れない気概とでも言うのか、今風に言えばチャレンジ精神ですかね。なんか知らないけど人間がお利口になってしまい、勇気を奮って何かに挑戦するなんて言えば、敬遠されます。・・・・なに、粋がって バカみたい・・・・と冷ややかな視線を向けられ無視される。
 でも、本当に良いんでしょうか。それと言うべきことはハッキリと言わないと  こんなことを言ったら嫌われると思ってしまう人が実に多くなった。
 もともと自身の考えが無いのか。与えられることになれてしまうと自ら考え、何かをするという気概がドンドン減っていく。
 そんな環境に慣れてしまって、そこで老後や子育てを考えるからと思うのだが、仏教でいう像法、つまり、外見を繕いはすれど、なんの為にという要の価値が分からない。これでもかこれでもかと上塗りを繰り返し、だから見なさい、訳の分からない制度や仕組みが捨てられず溢れかえってしまった。
 もっと単純にならないものか!頭デッカチの人が多すぎて議論はすれど結論が出ない。だからですね、よし!これで行こうとはならず、なんとなくやっていることが多すぎる。
 巷に物が溢れ、飽和状態だもの無理もない。それでももっともっと稼がないととカネカネの金至上主義が罷り通っています。 そんな人に損をしている人の気持ちはわからない。能力が無いから当然だよと本気に思っている。
 これで世の中うまく行けば良いですね。

2623:残されし時間

 知人に昼夜間違っている方がいまして、夕方電話すると「今起きたところ」といってから眠そうに話し始める。夜の仕事では無いはずだが、どうもこの生活が身についてしまった様子。そして、「アンタと違って俺には時間がなんだ」と迷惑そうに話を始める。でも、それにしては長電話、それも一方的に喋り捲る・・・・・・。
 私が聞き上手なのか?そうじゃないようだ。自分の考えがどうなのか確かめている節がある。その方は関東の某県で全くゼロからスタートした社福の理事長、私が知る限り、彼は東京の自宅にはほとんど帰らず、泊まり込みでの生活を始め既に10数年がたつ。今や破竹の勢いで事業を拡大、その結果、夜昼間違った生活を送る羽目に。ザマー見ろと私が言うもんだから、”貴方のような生草(?:生臭)坊さんとは違います”とか言って、さらに一方的に話続ける。
 人生の残された時間が判るのは天のみ、それをここまで意識し、走り続ける人は今時珍しい。大病を患い、そこから生還した。やり残した仕事は沢山ある。誰だってそうだよ。でも、そうとも言えないかな?
 大体、彼には私からかける電話が多い。最初は留守電で出なかった。多分、俺の名前をチェックし、出ないほうが良いと思ったに違いない。それが最近は直ぐに出る。この心境の変化は何故だ?言ってみろ!
お互い、話していると気持ちの整理が付くんですね。多分、俺は迷惑しているとまた言うに決まっている。
 私の場合、残されし時間はこうだ。
本日の午前中は法事、夕方から結婚式、残っているのは昼前後、寺の周りは草ボウボウ、あああああ 草取りしないとマズイ、残されし時間は3時間、
 昼間寝ている誰かとは違うと今度は言ってやる。 気を付けないといけないことが   それは法事と結婚式を掛け持ちしたときに、頭の整理が付かず、どっちが祝いの席か判らなくなることが間々おこる。話の途中で気が付けばまだ良いのだが・・・・・
 これもまた彼からの誹謗中傷・蔑視叱責・の絶好の材料となるのだ。
  ・・・・・浅ましきもの、さし櫛すりて磨く程に、ものにつきさへて折りたる心地・・・・(枕草子97)
 

2624:水無月

 水無月という六月の異称は、田に水をひき入れる月から来ている。神立周辺の水田は、田植えも終わった。最近の気温の上昇によって、稲の苗が急に勢いを増したように感じる。幸いこのあたりの田んぼは休耕田とはならず、稲以外ではレンコン栽培に使われている。農家の人たちは朝夕に自分の田んぼの水や稲の生育状態を見回る。茨城は常陸風土記にも記されているように作物を作るには肥沃で条件が良く、その豊かさを常世の国(極楽)と評し、昔から今に続けられる稲作がその証だ。
 田んぼの畔を散歩し、満面に水がひかれた田に目をやると、泥に急いでもぐるの生き物(ドジョウ?)に気付く。
  今日は関東地方の内陸部では36度を超す高温となって熱中症で体調を崩された人が大勢出たようだ。これから梅雨が来るのだろうか?確実に地球が温暖化(?)し、気象変動も激しいから天候に合わせ上手に生活することが難しい。衣替えの6月で一気に半袖となり、いよいよ夏に向かって体力を保たないと乗り切れないように思う。それだけ年を取ったということになるのだろう。
 2日間朝6時前から草刈り機で庭掃除を行った。日中は暑くてできないと思って早寝早起きし、作業着に着替え行ったのは良かったが、刈った後の草が暑さの為グッタリしているのをみて、罪悪感さえ感じた。
 ドイツのYさんより電話で原発関係の本を送るように頼まれ、アマゾンで注文、するともう今日家に届いた。なんとも便利な世の中になったもので注文してから24時間も経っていない。
 気に入らなければ返品もきく。ここまでサービスが徹底しているのには驚くばかり、お客さんの立場になって痒いところに手が届くという意味では最先端だ。しかし同じサービス業でも偉く差があるものもある。
 直接人間を相手にする職業、特に介護や保育はそうはいかない。また最近、私の仕事柄どこへ行ってもセレモニー会社(葬祭業)が増えたことに気付く、そこでは司会や茶湯の接待、受付などの下請け分業化が進み、近所の手を煩わせるより業者に一切を頼む人が増えたから尚更だ。今ほど宗教に関する様々な評価がなされている時を私は知りません。時代をさかのぼり平安や鎌倉時代それぞれに宗派の対立や分裂が起こって、そのリーダーを中心とし立宗がなされ今に至っているという歴史がある。でも、最近の特徴は、宗教に対する人々の見方が2極化しているように思っています。一方は無関心派で既成の宗教に価値を見いだせず離れていく人たち、それとは逆に「後悔」や「不安」からどうしてよいか分からず、その救いを一心に宗教に求めようとする人たちというものです。
 日本人の多くが巷でいわれるような豊かさの実感が持てず、生きる支えを探し求めていると思っています。これを成熟社会の後遺症とか言われる方もおるようですが、それじゃーどうすればそこから抜け出せるのという問いかけには何も答えてくれない。
 頭でっかちの人間が増えすぎた社会、もっとハッキリ言えば、世間の評価と自分の評価のズレに自らを失い、一歩も先に踏み出せないということ。
 これに対し、仏教ではこんな説話を用意する。
 昔、趙州という坊さんにある僧侶が「私をどうか導いてください」と教えを請うた。それに対し、趙州「朝御飯は食べたのか?」と問う。「ハイ 食べましたが・・・・」と答えた僧に「では、その鉢を洗いなさい」と言い放つ。
 その瞬間尋ねた僧侶は仏法とは何かを悟ったという。(趙州洗鉢じょうしゅうせんぱつ)
 「自分以上に見せる必要も、自分以下に見せる必要もない」 人それぞれの有りのままを認め受け入れる社会こそが豊かで成熟した社会であると思うのだが、・・・・・・。水無月に入り、そんな事を考えている。
 

2625:震災後

 昨日は、水戸市役所に用事があり3年ぶりに訪れた。話では聞いていたが3年前の地震の時に大きく建物が壊れ、耐震検査の結果で使用を停止、今も応急のプレハブ庁舎で業務をおこなっている。新築の計画はあるそうだが、現在市役所が建っている場所は、千波湖と同じレベルだから、地盤が悪い、今度は基礎工事を頑強にすると思うのだが、周りが建物ばかりでアクセス道路も狭いから災害を想定すればどうなのだろう?
 つくば市役所は新しい街、広い道路が何本もあり、つくばエキスプレスの駅も近い。新築すれば最低でも40~50年は使用する訳だから長期見通しをもって建築するべきだと思う。
 私の住む土浦は、駅前のウララビルに市役所がそっくり移る。改装や移転費に相当経費が嵩むようだが新築するよりは安く済む。それぞれの市で事情があるのだろうが、基本は住民目線の利用し易さが一番だ。
 尚恵学園でも老朽改築で成人寮の新築中、場所は県立湖北高校の隣、県道に沿った場所でアクセスは今までに無く実に良い、近くに協同病院が新築中というオマケ付き、すぐ近くに特養も6月には竣工する、同じ地区に続けざまに進出した。土浦の旧市内と比べて、新興住宅地も造成され、今まで取り残された地域にとってはやっと陽の目をみることになるのです。
 私は移転後のことが気になっている。今までとは違った新たな課題が出て、担当者がその検討を行っている。職住分離をコンセプトに計画しているが、さてどうなることやら。
 1年後の移転を考えて職員募集をかけている。なんと問い合わせが凄い(?) 嬉しい悲鳴です?これは想定外で逆に戸惑いがある。
 新しい入所利用者をストップして1年になる。現在成人寮の利用者さんが2名入院中でこのまま少なくなって誰もいなくなってしまうのではとの不安もある。ドタバタしている中で新規の利用者を受け入れのは無責任だと思い先日の理事会でもその旨説明し了解を得た。
 昨夜も深夜地震があった。揺れの長さに比べ、マグニチュードは然程大きくはなかったが震源は茨城県北部、自分たちが住む場所の地下で地殻変動が起こっていると思うと不安だ。
 日本列島、いかなる場所にだって地震が起こる。専門家に言わせると地震を予知することはできないと、これが現実なんですよ。
 ドイツは地震がないと聞いた。ヨーロッパ大陸の安定した地盤にあるからだ。その国が一先に原発廃止を明言、代替エネルギーに切り替えるとか、一部は隣のフランスから電源を買うんだからできるんだとの話もある。日本は島国でそれができない。判り切った話だが、せめて代替エネルギーの開発にもっと力を入れてほしいものである。それに使用済み燃料の対策も常に問題先送りで一向に進まない。これが日本は原発を保有する資格が無いと言われる所以なのだ。
 国が何か陰で動いているように感じてしまう。国民がもっとしっかりしないと大変なことになるという危惧は更に増加していますね。
 

2626:永遠なるもの・・・

 ”永遠なるものを求めて 永遠に努力する人を 菩薩という”
 高田好胤薬師寺元管長の言葉です。以前もこのコーナーで取り上げたものですが、私の部屋の壁にその言葉が貼ってあるのでいつも気になっています。仏の境地を求めて懸命に努力している人を仰っているのですが、
 大乗&小乗とに分けた時、自利と利他の違いが必ず問われます。声聞・縁覚を小乗とすれば、菩薩行は大乗の教えの真髄(?)となるのです。いま多くの人々が迷っています。その一番の原因が自分さえよければ良いという暗黙の了解が蔓延ってしまったからだと私は思っています。日本の官僚制や企業も全く同じ、縦社会の中で自分たちさえミスを犯さず済めば良いと不都合な情報は隠蔽し、疑問を感じながらもダンマリを決め込む。この体質からは、どうしても解決できないことがある。いま突きつけられている最大のものが原発問題、福島原発の復興現場からの生の声が徐々に聞こえ始めている。なんと3年が経った今になってやっと漏れ聞こえてきた、そして一方では再稼働への動きが虎視眈眈と進められる。
 最初から結論有きで有識者による外部審査などが端的に示す。何せ委員選出の責任者が誰かを見ただけで一目瞭然、これをどう考えれば良いか。
 果たして、高田管長が今も生きていたらなんと語っただろう?500万人を超える修学旅行者への語りかけは、一心に薬師寺復興を願う写経勧進だった。そこに自分の利というお考えは微塵もなく、写経する大半の人たちは自らの意志で行った。
 そのような僧侶が少なくなった。私も恥ずかしい、仏飯を頂く身でありながら、毎日尚恵学園の人達との触れ合いを生きがいとしているのが、果たしてどうなのか自問する。ある文章に『障害福祉だけを論じても意味はない・・・』と書き、お叱りを頂いた。言葉足らずはいつものこと、私の言いたかったのは、「万が一、原発事故が起こったら、・・・・」と続くのだが、残念なのは、そこまで類推し解釈してくれる方はまずいない。
 それは何故か。知らないことにある。不都合なことは知らされないから関心が無ければ分かりようがない。巡り巡って自分の身の上に必ず戻ってくるのに、自らの利と今が良ければそれで良しと考える人には、そこまで考える余地が無い。

2627:懐かしさ

 旧事の追懐とでも申しましょうか、昨日は40年前を思い起こし、懐かしさの中にひと時を過ごすことができました。生憎の雨でしたが全国から皆さんが集まり、ACE総会が開催されました。主催者たる中澤夫妻もお元気でボルネオでの実践報告や浅野・田島の嘗ての名コンビのトークも実に面白かった。何よりも私がこの世界に飛び込んだ時代の話が随所に飛び出し、ああ・・・・中高年も頑張っているんだ!と元気を頂きました。
 何せ場所は表参道、とても昼間一人で歩くなんてことはできない別世界、近くにモンゴル大使館やらなんやらがあり、年に一度訪れるのが精いっぱいの場所、洒落たショウウインドウに目が留まっても店に入るまでの勇気はない。
 私の年齢になれば、体調を崩され、このような集まりに毎年一人また一人と離脱される方が出てまいります。でも、皆さんそれぞれが自分の歩んできた道に決して後悔はしていない。精いっぱい生きてきたという自負があるからこそ相手を思う気持ちが出てくると思うんですよ。
 年を取れば素顔に戻ると言うけれど、確かに重い荷を肩に背負い、遮二無二生きた時と比べれば今を生きることに専念しても良いはずです。それがどうしたことか私は今、あることに夢中。アマゾンで関連する本を買い集め、乱読している。正直、今まで知らなかったとは言えない自分の甘さを痛感、それが”反原発”、ある方の「この国は原発を持つ資格がない」という言葉にショックを受けた。
 青山通りの洒落た街並みが、何によって支えられ今に至ったか、突き詰めて考えれば多くの犠牲があって今があることを誰も知らない。否、関心がない。夜遅くまで街灯が煌々と街路地を照らし洒落た恰好をした男女が闊歩する。
 一体この国は、いま福島で強制避難されている人たち、それと危険極まりない復興作業をしている人達のことをどう考えているのでしょうか?
 帰りは途中駅に車を置いてきた関係で北千住で乗り換えつくばエキスプレスで帰ってきた。車中は一心にスマホで何かをしている人が相も変わらず目についた。

2628:中高年よ

 本当の仕事ができるのは今からだと最近思うようになりました。誰かに任せられると思ったと同時に心境は複雑、過去の自分が怪しくも親しみと切なさ、一抹の寂しさなどが浮かぶ。還暦を過ぎ、まだまだと思っている皆さん、この指とまれ!
 見なさい、、あっという間に時間が過ぎていきますから。今年で64歳、年金受給が65歳から75歳へ引き上がるかも、なんだい俺たちはいつもそうだ。戦後のベビーブームだと煽てられ我慢させられっぱなし、今では信じられない時間を共に過ごしてきた仲間たち、今こそ根性を見せてあげましょうよ。先日同年輩だと話が盛り上がった人がいた。彼が卒業した小学校は県内1のマンモス校で、全校生徒は3,000人を超えていたそうだ。教室が足りず、一クラス60名のすし詰め状態、同学年の人の名も顔も判らないと笑っていた。
 戦後の昭和23年から25年は、そうだった。今の子供たちを見なさい。クラスに生徒が一桁なんてところザラでしょう。さらに3学年合同クラスなんてとこだってあるそうだ。
 でも懐かしい。だってクラスの一人ぐらいズルして教室にいなくても先生気が付かない。信じられます。今時そんな先生は、校長から叱られ親が教育委員会に訴える。親ならば黙っていろ!我が子を教えてくれる先生に対してなんたることだ。中高年よ。ダンマリを決め込んで良いのですか!いまこそ吠えろ!ワンでもニャーでも構わねー。
 お前はどうだ! それがめっきり涙腺が緩んでしまい。葬儀をやるたびに涙が出ちゃう。おかしいのかな?
 利用者の方で緊急入院した方がいまして、大部屋だったけれど大人しく付き添いなくても大丈夫だと聞いた。やっと酸素マスクが取れるまでに回復、職員がいくと職員には話かけるという。緊張しているのかな?そうじゃない、弁えているんだな。迷惑をかけまいと・・・・・・・。なんてこった。見直したよTちゃん。早く元気になって戻ってきてよ。いまこうしてPCに向かっている自分は目に涙がいっぱい。おかしいんだわな。
 ここで一句
  ・・・・中高年 卒業前のひと時を 涙なみだで天仰ぐ・・・・
 

2629:人倫の道

 ・・・・・長幼有序 朋友有信・・・・・「孟子」
 これは有名な孟子の滕文公上の一節、人としての守るべき道を説いたもの(人倫の道)、BC3cの時代、中国戦国時代の思想家孟子、その論理は性善説に根拠を置き、仁義礼智の徳を遊説した・・・・・・
 今の中国の国内事情は分かりにくい。恐らく、多民族国家で13億という人口と広大な国土を纏めるなど至難のわざである、最近隣接する国とのイザコザが頻繁に起こる、GDPで世界第2位の地位になり、いずれはアメリカをも抜くだろうと言われている。書店の店頭に中国に関する書籍がうず高く積まれ、感心の高さがうかがえる。その国の孟子が説いたというものは、今から2千年以上前の長く続いた戦国の世からうまれたもので平和ボケ(?)した昨今の日本人には、取っ付き憎いのは確かだろう。
 「序」と「信」の一文字からでさえ、今の日本の隠された病巣なるものを感じてしまう。目上の人を敬うなど、今の教育現場で果たして教えられているのだろうか?どうすれば信じられる友を得ることができるのだろうか?
昨日は関ブロ大会の専門委員会が水戸であった。本番まであと1か月を残すのみとなり、焦りが無いとは言えない。私は毎回は出席していなかったが、どうしても今回は出てほしいと念を押されたので参加した。
「会長! 委員になっていても一度も来ない人にどうにか言って下さいよ。顔も知らないで一緒になんかできない、もう止めてもらったほうが良いです」と怒りの発言。今まで何度も集まって準備をされてきた人達にすれば当然の怒りだ。
 なだめるのに苦労した。
なんで?この機に及んでも無関心な施設長は。私だって正直、不満一杯、面と向かって言ってやりたいくらいだ。
 冷静になれば、協力しない施設は結局自分達に必ずそのツケが回っていくと思う。施設長と担当職員がペアーで準備会に出席することになっているので、施設長が来なければ職員も来ない。職員はこの仕事をできれば長く続けたいと思っているはずだ。いろんな活動にできるだけ参加し、そこで出会った仲間が必ずその人の財産になる、そこなんですよ。
 施設長は若い職員を育てる義務が有るでしょう。自分の施設内で研修をしているからそれで良いとお考え?今回のような絶好のチャンスはありません。井の中の蛙では世の中の変化についていけない。結局その事業所で職員のことをどう考えるかですね。
 これを言い始めると際限無くなるから止めときます。
 長幼有序 朋友有信  まさにコレダ。

2630:最悪だ!

 ”アアア 今日は 最悪だ!!!” Yさんは私の車の中でそう叫んで職場に入っていきました。
 彼女には大変申し訳ない事をしてしまったとその謝罪を込めて本日の出来事の一部始終を書きます。以前から気になって仕様が無かったGHの周りの草、暇だから俺がやろうと思い、朝6時に軽トラックで出かけた。軽やかにエンジン草刈り機を始動、イッチョウやってやるか! その瞬間、”まずい”と直感、近所迷惑だと気が付いた。ケタタマシイ音を朝からならせば安眠妨害、そこでなるべく離れた場所からと思って遠慮がちに始めたのです。GHの裏手に回って、”なんだコリャー!”と頭に血が上った。酷いあまりにもひどすぎる。そのイラ立ちで手元が狂いGHに停めてあった自転車の前輪を草刈り機で切ってしまった。
 どのくらいの時間が経っただろう?出勤のため自転車を乗り出し変な顔をしているYさんと玄関先でバッタリ顔を合わせ、パンクしていて乗れない。「悪い 俺が切ってしまったんだよ。何時までに会社に行くの?」と尋ねると今にも泣き出しそう。「8時までです。遅れたら怒られちゃう・・・・」
 車で送ることにして取りあえず宥めたのでした。彼女はつくば市の職場まで行くのに神立駅まではホームから自転車で行き、常磐線で土浦駅へ、そこからバスでつくば市の職場まで毎日通勤しているのだ。
 車の中でいろいろYさんと話すことができた。職場の不満はあるけど頑張ると独り言のように言っていた。その中で一瞬ハッとするような話があった。
 ”母ちゃんに会いに行くのが楽しみなんだ。でも、いま入院している。 会いに行くととても喜んでくれるんだ”。好きなものを買って届けるとも。
 ”携帯もっているけど かける所がないんです!” 職場の皆が持っているから買ったそうだ。
 何という事か彼女が働いたお金で買った自転車を私はパンクさせてしまったのである。「Yさんは 何がしたい?」と聞いてみた。すると”周りのうっせいおばさんが結婚しろって言うんだけどそんな気持ち私ないもん。会社で出逢いパーテイに誘われるんだけど4千円もする。高~いだものできねーよ」
 帰って来るまでに必ず自転車を直しておくから勘弁して欲しいと話した。職場に着き、車から降りる際に彼女が発した言葉が”アアア 今日は 最悪だ!”だったのです。

  ☆ 尚恵学園を利用されている方は知的には障害が大変重い方も大勢います。その方達の気持ちをくみ取ることが一番重要だと思います。でも実際には、彼らは固く心を閉ざしていたり、うまく自分で言えないのです。
   Yさんは知的には一番高いグループになりますが、社会が彼女たちにとって優しくない。だから、何度も自立を試みるのですが、またホームに戻ってきてしまうのです。
 

TOPページへ