源究161

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 NO テーマ  月日  NO  テーマ   月日  NO  テーマ   月日   NO テーマ  月日 
 2731 振り返って①  12/25   2736 謹賀新年  1/1   2741 道を見失う  1/10   2746 平和への願い  1/23 
 2732 一陽来復  12/27   2737 三箇日  1/3   2742 成人の日  1/12   2747 試練  1/27 
 2733 可塑力  12/28   2738 初夢 第2弾 1/5   2743 笑顔  1/14   2748 悔いを残さず  1/29 
 2734 振り返って②  12/29   2739 クレジットカード  1/7   2744 笑顔パート2  1/17   2749 淡々  1/31 
 2735 除夜の鐘  12/31   2740 一息ついて  1/8   2745 矛盾  1/19   2750 如月  2/2 

2731:振り返って①

 2014年も残すところ1週間となりました。今年を振り返ってみます。
 私はこの拙文を書き始めて、何度も読み直し内容を書き換えました。その時々の感情で書いた文章は実はホンネ、批判めいた内容にどうしてもなってしまいました。すると良心(?)が介入し、障りない文言に変えようとする。妥協?
 誰だって言いたいことは山ほどあると思います。独言とは誤魔化し、ならば何もネット上でほざかずとも良いだろうというもう一人の自分がいつもいます。ですから私は遺言だと思っている。愚なものでアイツは一体何を考えて生きてきたのかというリクエストに応えようかと思ったわけです。いつの日にか思い出してくれたらちょっとは幸せかな・・・・
 本当はみんな 頑張っているんですよね。振り返るとその一語に尽きます。自分の為、家族の為、国の為・・・・その人により違いはあるでしょうよ。
でもね。。。それって相手があることです。相手がどう感じているかということまでは気が廻らないものです。民主主義の落とし穴(?)というか少し考えればそれに気づくはず、膨大な量の法律や制度が日本にはありますね。中には一度も陽の目をみたことがないモノだってあります。作ることで満足し、それがどうなっているのかを検証しない。
 自由という言葉だって不確か、だってそうですよね。不自由と表裏一体なことって多いでしょう。豊かさ・・・・これが実は厄介です。何といつのどれと比べてということですから。
 権利義務だって曖昧なものです
 これは軸無しのコマをうまく回そうとすることに似て不安定。最初は勢いよく回転するので判らないがいずれ止まる。生きざまに見えてしまう。僧侶という自分に課したものは、その人の生きた証をどう捉えるかということでした。それが一番判るのが最後の別れの場面、今年はどういう訳か何度も経が読めなくなったことがあり、とぎれとぎれの声で失礼したこともありました。
 
 個人的には 今年ほど沢山の本を読んだことは今までに無かったと思っています。それと音楽を良く聴いた。メロデイもあるが、歌詞に惹かれました。その一番が「風に立つライオン」さだまさしの曲、車の中、枕元に置くPCで 時間さえあれば聴いています。主人公の医師に勇気を頂いた。その前は、吉幾三だった。変でしょうか?
 もし人生にリセットができたらと思う人はいるでしょうね。過去に拘り、自分を責める人、今の自分に自信が持てず、この先を歩んでいくことに尻込みをする人。私たちは一体なにを拠所にして生きて行けば良いのでしょう。永遠のテーマです。
 いつの時代にも大勢に抗する人たちはいました。独善に陥ることを避ける意味で必要でしょう、・・・
  我々(尚恵学園)が掲げる共生は、大きなテーマだと思っています。 先人達がこの言葉を選んだのは、間違いなく先の戦争を体験した人たち全員の願いであったあれから70年が過ぎた、人々の考えが大きく変わったのは当然だと思います。でも、今のままで良いとは誰も思わない。それが今年1年を振り返って、やるべきことが今までは漠然としていたものがよりハッキリとしてきたことだけは確かなように感じています。

2732:一陽来復

 冬至:12月22日8時03分(豊山寶暦)が過ぎ、徐々に日が伸びる。一陽来復(いちようらいふく)これを冬至の別称と知ったのは、つい最近のこと。誰しもが善かったことや嫌だったことが浮かんでくるものです。
 冬が去り春が来るように、悪いことばかりでなく必ずや善いことが次にくると観る。一生・一年・一日・・・と時間を割いてみても同様に陰と陽に切り替わる。
 自然の摂理というものは、昔から変わらずそこに存在し続けているのでしょうが、何かの絡みで悩み、苦しむ人が多いと思う。自らが病で苦しんで初めて健康の大切さを知るように、身近にある善き事に感謝せず、尽きない欲望に道を失う。
 知的に障がいを持つ人たちを特別視するわけではないが、この人たちの中に私たちが忘れかけた大切なものを見つけ、私の道標として参りました。彼らは今風の合理的な考え方に決して靡かない。上手く言えないが頑なに自分の生き方を守っている。変化が激しい今の世ゆえにそれが尊く、そのことに私自身が気付かされ救われた。 親や家族を想う気持ちは凄い、何がそうさせるのか正直この歳に自分がなってもまだ良く判らない。
 恐らく、親を慕うのは疑いなどなく本能的なものでしょう。これは豊かさを最優先させる国の政策では決して説明できない。むしろ豊かさ故に失ったものだと私は思っている。
 共助や絆やおもいやり・・・等々の巷に溢れる言葉に重さを感じないのは、そこに”こころ”が息衝いていないからでしょうよね。
 これから先だって軸が揺れていれば、復活は望めまい。貴方たちはどうしてこんなに頻繁に内閣改造をするのですか?大臣ポストが忠誠心への対価?これがその世界のルールなのか?等々、忌々しき事態だと誰も言わず、その肩書に平伏する取り巻き、私にはこの構図が地獄絵とダブる。言い過ぎですか!
 平和なニッポンと何の疑いもなく言う人に限って、内心は忸怩たるものがありませんかね。安らぎを感ぜずして幸せはあり得ません。それを嫌と言うほど知らされた一年であった。一陽来復、、、を信じ、この先歩んでいければ私の人生に悔いは無し。
 ・・・・
          『格差と民主主義』ロバート・ライシュ 。関心がある方 一読を。 4:20 2014/12/27

2733:可塑力

 ある方からのメールに『これからは可塑力』が必要です・・・云々と書かれてあった。何を言いたいのだろうかと例の私の虫が騒ぎ、ちょっと調べてみた。塑性・・・外力により、形や体積に変化したものが、力を取り去ると再び元の状態に回復する性質。多分、今のおかれた状況に何らかの不具合を感じていても、いずれ元の状態に復元するということだと思った。振り返れば、まさに私は現実の負の部分を意識して強調してきた。焦ることなく今に元にもどることを信じていれば済むことかもしれません。
 自然環境破壊のスピードやそこからくる歪がより大きくなっていくように感じる。反骨精神と言えば聞こえは良いが、単にひねくれモノなのでしょう。
 さて、先週の日曜日は神宮寺に近所の奥さんたちが寺の掃除にきてくれた、今日は観音寺の近所の人達が本堂掃除に来てくれる。なんともありがたいことで、もう20年以上、毎月欠かさず続いている。
 それと鐘楼の鐘つきも朝6時 昼12時 夜6時皆さんそれぞれが撞いてくれその音を聞き時間を知るようになった。今日から除夜の鐘の準備をしようと思っているが、なかなか集中してできない。
 先日、以前から話があった仏像を寺に預けたいという方が3人で阿弥陀様を持って来られた。その仏像は古いものだが、昭和初めの大地震の際、家が壊れ、倒れた梁をその阿弥陀様が下敷きになり受け止め、家の中にいた人が僅かにあいた隙間から這い出し助かったという。その時に仏様の手が壊れ、修復した跡が確認できた。
 日本中至る所に昔から伝えられてきた説話がある。仏教に限らず、世界中で信仰されている宗教にはその類の伝説が無数にある。自分は無宗教だから関係ないという人だって、何かの拠所を持っているはずです。
 可塑性という言葉は斯様な場合には使わないが、結局、人間 いついかなる時にどうなるか判らないということだと思うのだ。
 ♪ 大きなクリの木の下で あなたと 私 仲良く遊びましょう・・・♪
  この謡を気が付くと口ずさんでいる。 これって あらゆる宗教に共通の祈りと考えて良いのではないでしょうか。
 大きなクリの木を私たちは自分たちの都合で伐採してきました。そう考えるとどうでしょうか、いつまでも・・・・できればあなたの可塑力に委ねたい。
 

2734:振り返って②

 来る年には、私は65歳、高齢者への仲間入り、寄る年波には勝てないと言われたくない、痩せ我慢もほどほどにと誰かに言われたようにも思う。構うもんかぶっ倒れて本望だ。これからやりたいことは山ほどあるんだ!
 今更かすみがうらマラソンに出るつもりはないが、最近、歩く中で少しづつ走るようにした。息切れ動悸で長続きできないが、私を追い抜いていく人をみると燃えてくる。
 幸い、若い連中が確実に力をつけてきて、正直私の出る幕は減った。そんな私を励ましてくれる人もいて、終身青年を宣言し、頑張っている人達は優に私の年齢を越している。
 2014年を振り返る②
 施設の仕事に関しては、現在追い上げ真っ最中の成人寮の新築工事、私の部屋に飾ってある航空写真(10年ごと)をみると歴史の重さを感じながら、これからの尚恵学園に不安と期待が交錯、毎朝お決まりのセレモニー 写真の前で香をたき、手を合わせる。大いなるものに身を委ねることで、どれだけ救われたか、今後も続けて参ります。
 確実に友人知人が彼岸から手を振って、「こっちだよ・・・」と呼んでいる。「まあ・・待ってろよ。今にいくから」と答えてる。報告したい事が持ちきれない。もう少し時間を頂戴よ。
 『おかれた場所で咲きなさい』と言ったのは誰でしたか?? 
 年の瀬で買い物で生花を買う人が目立つ、季節に無関係に店には色とりどりの花が並ぶ。ここに今の日本の姿をみる。近くの水田の畔を歩いていると、真冬というのに名も知れぬ花が咲いている。それは凛として神々しい。
人工的な暖をとり、肥料を管理され咲いた花ではないが、心惹かれるものがある。
 いま盛んに言われる私たちが忘れてしまった大切なことって多分、こんなことなんじゃないでしょうか。『豊かさ』は大量消費があってこそ成り立つ、世の仕組みが、このルールにそって出来上がる。その最たるものは原発問題、使用済み燃料の処理さえ見通しがたたない中で稼働推進派の人達は、豊かさを飴玉に手名づける。
 我々庶民は獲てしまった便利さ快適さを失う事を恐れ、黙して語らずを決め込んだ。これが今年1年の最大の反省です。
 あの事故以来、ドイツに住むYさんが何度も危うい日本の行く末をメールで書いてきた。マスコミも報道に手心を加えるような圧力が有るのかないのか、真実を知る術を私たちから奪おうとしていないだろうか。
  私自身に課した事は、取るに足りない些細なことという自覚を持ちながら、言い続けやり続けることしかありません。
 振り返ってもっとも感動した事は、やはり、生命の神秘さと尊さを直に感じたこと、いかなる事があっても生きようとする人たちの姿でした。
 

2735:除夜の鐘

 2014年⇒2015年、恒例となった大晦日の除夜の鐘、澄み切った夜空、静寂の暗闇に響け、そして、迎える年が良き年でありますように・・・・
 誰もが平和に幸せな生活できることを願っています。
 小さな幸せが一つ一つ集まって、大きな喜びとなれればとの願いを持ちながら、何が大切かを問い続けている方がいます。その方が言うように運命を受け入れ、その中で幸せを掴むものだと私も思います。除夜の鐘が世の不正の警鐘とならないために今やるべきことが必ずあると思います。
 ”協調とコンセンサス(合意)”という言葉が良く言われます。そこには様々な解釈があって一体どうすれば良いのか判らない。結局、どうするかは一人ひとりの責任となってしまいます。大義親を滅すという言葉がありますが、大きな道義の為には私情を捨てるという教えですよね。それが世の中は個をあまりにも要視しすぎて、新たな問題が出てきたように思います。
 だからですよね当たり前の事だと思うのに協調とコンセンサスが騒がられるようになったと理解してます。歩み方のスピードが速く前のめりでつま先立ちですから、安定感が無く、不安が付きまとう。
 それに誰しも認められたいという欲求は強く持つものです。(承認欲求) でもどうでしょうか、選挙で過半数を獲たとの自信から政策を強行しようとする動きを感じてます。議席の過半数と言っても有権者の3割弱の人達の票でしかありません、後の7割は支持者ではないという事実。そのことを忘れているのか、無視しているのか判りませんが、独りよがり政治になるのではないかと危惧します。
 私は一貫しています。与党も野党もなく見てください、くっついたり離れたりを繰り返す、彼らは自らの痛みをどう考えているのだろうか?怒りを感じます。
 法治国家なるがゆえに、許されることとそうでない事はハッキリすべきだと思います。それが自分たちに甘すぎます。ある方がこんな事を言っていました。政治とカネの問題、これが一向に無くならない。市民権をはく奪し、ある一定期間、選挙に出られなくなるようにしなければ、今後も同様の事が繰り返し行われる・・・・と。同感です。
 敢えて言わせていただけば、協調とコンセンサスではなく、大義とモラルが先ず先だと思う。
  それは手段ではなく、生きる基本、そこに軸を置くべきだと感じています。毎朝、6時に自転車で職場に向かう、Kさんは今郵便局での仕事をしています。彼は雨が降っても決して休まず続けています。道で遭う人に「おはよう」と大声で挨拶します。
 仲間たちの頑張り・・・勤続23年と18年の方が県と市から表彰されました。
     ☆ 良い事あれば嫌な事   108回の鐘に込め 全て貴方の心(むね)のうち  ☆
   旧年中は 大変 お世話になりました。2015年も 何卒 よろしく お願い申し上げます。  福祉
 

2736:謹賀新年2015

 2015年 明けましておめでとうございます。
 昨夜の除夜の鐘は、有難いことに大勢の皆さんが来てくれました。心配していた雨も降らず、風なく静かな新年を迎えることができました。
 今年1年私は”決断”と”覚悟”を自分のテーマにします。ズルズルと先延ばししていて結果が良かったことは無かった。今朝の新聞に天皇陛下の新年のご挨拶の記事が掲載されていました。『満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えること・・・・』  このお言葉は国の内外に対し大きなメッセージとなると私は思います。日本が満州事変から戦いの泥沼に突入していった歴史を2度と繰り返さないために私たちは何をなすべきか真剣に考えていかなければなりません。
 戦争を語れる世代が確実に減るなかで、一部の人の利害(?)によって色づけされたものにハッキリNOと言える国民であるべきです。これこそが日本人としての本当の義務であり、それはいかなる偽装と迷彩によって飾られたとしても見抜く力と阻止する智慧を持つべきだと私は思っています。
 巷で噂される不安が現実のものとなるか否か、充分な議論がなされず、何か追い立てられるように結果をだそうとしている今の政治に多くの人々が疑問と不安を持っていると思えて仕様がない。なぜそんなに急がねばならないのか!先の選挙では、公約での明言をさけ、曖昧な表現が多かったにも関わらず、承認されたという思いから何かが加速されるように思われます。これから日本を背負っていく若者に充分な理解をえる努力を貴方たちはされたでしょうか?
 
  昨夜の除夜の鐘で以前尚恵学園を利用されていた仲間が何人か来ていました。嘗ての知り合いと懐かしく話し込んでいる姿をみて、みんな仕事をしながら頑張っているんだと思いました。いつもお世話になっているご近所の皆さん、名も知らない方達が鐘を撞く前に手を合わせ一心に祈っていました。
 大晦日、全国各地で同じように鐘が撞かれている。新たな年を迎えるために思い思いの誓いを心に刻む。生き様は違っていても願い(祈り)があるから頑張れる。
 今年は、我々(尚恵学園)にとっては新たな第一歩を踏み出すことになります。一緒に頑張ってくれるスタッフや利用者の皆さん、家族、地域の人達、それと世界中の人達の幸せを願い、私は最初と最後に2度鐘を撞きました。
    観音寺の鐘は、戦争で一時供出され、火の見櫓(やぐら)の半鐘として長くその役を果たし、今は寺に戻されました。その後、皆さんの希望で新たな鐘が作られ現在の鐘楼堂が建ちました。
 

2737:三箇日

 正月の3日間は全国で関東地区だけが雪も降らず、実に良い天気の中で過ごすことができそうです。日本海側では寒波による大雪などご苦労が多い年始めになっているようです。
 私は、特に何することも無く過ごしてしまいました。寝正月という訳にはいきません。何しろ私の性分でじっとしているのが大の苦手、穴熊のごとくウロウロしています。午後3時ごろになればもう限界で周辺を歩き始めます。すると私と同じような貉(人)はいるものです。あちらこちらから出てきて歩いてます、挨拶すれば皆さん返事をくれる。これだけでも普段とは違う。なんとなく人恋しいというのでしょうか、それとも余裕かな?
 公園の芝生の上にごろり横になり空を眺めています。すると引っ切り無しに飛行機が低空で飛んでくる。いつもと違うコース??詳しくは判りませんが日替わりで着陸ルートは変更されるんですねきっと。
 ああ・・良いな・・・海外か、どこへ行ってきたのかな・・・? 目をつぶり、瞑想、これが至福の時となっています。正月早々に初ゴマの通知を送りました。1月24日に神宮寺で行う恒例の地蔵護摩です。
 アッ たった今、鐘がなりました。朝6時の鐘、丸1年が過ぎました。名前は知らないのですが、地域のご婦人が休まず6時の鐘をついてくれています。まだ、暗い中、頭が下がります。住職がやれば良いのにと思うのですが、これがなんと防寒具をまとってパソコン打っているときた。
 そうそう 昨夜初夢をみました。それがどんな内容だったか思い出せません。見たという事だけは覚えているのですが・・・・・・。いよいよ私も老境に入ったようです。それでも朝必ず学園に顔を出しますね。神宮寺の本堂で朝のお勤め、これをしないとダメ、住職失格。正月休み、なんだか知らないのですが、実に静かなんですね皆さん。いつも事務所で大騒ぎするHさんなんて、全く気付かないのに私のすぐ後ろに立っていたり、振り向いてお互い気まずい思い、どうして「広告・広告  お肉 おにく」って言わないのよ。ビックリしたな!もう。
 Mさんは自宅に帰っているが、私と同じ穴熊、じっとなどしていられない。自転車に乗ってどこまでも出かけてしまう。この時期はワカサギ釣り、「今から行くべー」と釣りに誘われた。昨日は50匹釣れたそうだ。変われば変わるもんだ。前回は釣果ゼロ、あの時の顔は見れたもんじゃーなかった。
 こうやってああやって それぞれが三箇日を過ごしている。今年も始まった。good luck & do  your  best !!!!
 

2738:初夢 第2弾

 元旦に初夢を見たまでは良かったのですけれど、何を見たのかどうしても思い出せない。夕べはこんな夢を見ました。何故か理由は判らないが現場に戻って夜勤をしている自分が出てきた、夜尿起こしなんて言葉・・古い人間です。勝さん(仮名)が大失禁、アレー待っててよ。動いちゃダメダメ、そのままジッとしていてくれるようなら良いのだけれど・・・・・ダメっていったでしょうと声が大きくなる。しばらく悪戦苦闘! やっと終わった。ああ・・サッパリしたね勝さん! その顔を見上げると、なんとその顔は自分だった。
 一瞬顔が蒼くなりました。 
 暮れから正月3日間、成人寮のNさんは救急車で大学病院へ緊急入院、人工呼吸器を装着するか否かお兄さんと 医師が話をし新年早々に装着すると聞いていた。それが今日の話ではNさんはICUから一般病棟に移れるまでになった。厚生園では暮れに転んで足を骨折したYさんは、家に正月帰らず学園で過ごした。
 夢か現実か  私たちの仕事で何事も無く過ぎる日はありません。毎日、気が張り詰める。有難いことにスタッフは様々な工夫をして皆さんに少しでも生活に潤いを持ってもらいたいと努力する。これが現場の実態です。
 一言で言ってご本人の身になって考えましょうという ことなんですが、そんなこと判ってるよと私は言いたい。それを思わなかったことはありません。施設に預けている家族も我々施設側だってそうですよ。
 去年、メデアの報道に我慢の限界を感じ、どうしてよいか判らなかった事が続いた。あまりにも一方的で報道の結果どんな影響が出るかまでは考えない無責任さ。どうせお前たちは同じ穴のムジナだろう!という我々に対しての挑発としか取れない報道!
 私はその種の記事を集め部屋中にベタベタ貼っている。
  そこには福祉を担う人達を育てようなどの気持ちは微塵も感じない。
 
 新年の特別番組が終わり少し静かになったと思ったら、今度は株価の上下や景気回復の動向を専門家(?)が持論を述べ得意がる。私は経済のことはズブの素人、でも実態はどうなんです? 最近行われた日本国債の格下げ、日銀の金融緩和策、海外ヘッジファンドによる日本株買い・・・・等々、どうしても異次元の話題にしか思えない。基本は経済、だから景気回復が最優先という政策誘導への片棒を担いでいると思ってしまう。
 大雪被害の次に華々しいODA事業のPRを急に流されるから、これも現実あれも現実・・・頭の中が大混乱しませんか。
 私のたわい無い初夢で独り顔面蒼白ならばまだ良いのですが目眩ましにあっているようで心穏やかではない。今は、情報が多すぎて何をどうすれば良いのかが掴みにくい時代だと思っています。
 同じことを1000回言われ続ければ、それが正しいと思ってしまう人間の心理。どこかで聞いた話、昨夜10時からのNHKBSチャンネルで「風に立つライオン」の番組を観た。ケニアで活躍している人たちがさだまさしの唄う「案山子」「無縁坂」に涙を流す。
  できればそんな感動を呼ぶドキュメンタリーな番組を期待するが、無理なのでしょうか。
 28日、Nさんは実家に帰省し、2日目にお母さんの具合が悪くなったとの電話があってスタッフが迎えに行って学園に戻ってきた。その日から彼は園庭のいつもの場所でお母さんが来る方向を見つめじっと待っている。
  

2739:クレジットカード

 現金を使わずカードで買い物する方がどれほどいるのでしょうか?私も少しは利用していますが、使った後でいつも何か不安が残ります。電車に乗る際に使うスイカだけは便利で、前もって支払った金額以上は使えないから安心で良く使っています。
 新年を迎えて俄かに景気や紛争に関する報道が激しさを増しているように感じます。その中で・・・日本の財政は、子供のクレジットカードで買い物をしているようなもの・・・と言った方がおりました。上手い事言うなーと関心してしまいましたが、直ぐに大変なことになっていると思いました。
 孫や子に借金の返済を肩代わりさせようとしている我々世代が、その自覚も責任も感ぜず、今の自分たちの生活を謳歌(?)してやまないのでは理不尽です。一回切の公演を指定席を陣取って観る客のごとく、次はどのような演目になろうとも自分達には関係がない。後はよきに計らへではあんまりじゃないでしょうか。
 例によって私に・・・・益々、自然と人の大切さ、自制以外には生き延びることは厳しい・・・・と語るその方は、今年で75歳を迎える年齢となっても現役で熱く燃えるものを持ち活躍している。いつの頃より日本人が形振り構わず、金の亡者と成り下がってしまったのだろう? 世界第2位という豊かさ(?)の勲章を付けてしまったことが誤った方向に進んだ分岐点でしょうか、それでも、まだ時間が残っているという方達の想いがどこかで繋がって大きなウネリとなって再生へ向け一歩踏み出せるか!
 方や多くの無関心風の人達は、目の前に置かれたご馳走に遮二無二食らいつく。食い過ぎたと薬飲み、ダイエットしなきゃーと鏡見る。これが実態でしょうね。
 景気回復と財政再建の2本立てで行くという新年の官房長官の談話、そんな事本当にできるんですかと思ってしまう。人間の欲望は、様々な誘惑の前では無防備と成りやすい、欲を滅するという仏教の教えは、誰しもが持つ性(弱さ)から起こっていると言われます。まずそれを認めねば始まらない。謙虚さが薄れ、逆に慢心が膨らんだ状況、正直つける薬はないとさえ感じてます。(応病与薬)
 新しいノーマライゼーションの創造が今、不可欠だと語るその方は、知的障害者福祉の領域からそれを提唱すべきだと断言する。その目論見とは、立ちはだかる壁への挑戦であって、並大抵のことでは無いと思う。
 この新たな芽葺きが土の中に根をはって大きな木々となり森を形成した時、そこに住む人達が自然や人の大切さを素直に受けいれる社会となりましょう。その活動に自分も少しでも関わりたいと思うから自分に正直に生きねばと強く思うのです。
 ● クレジットカード・・・・カード会社が会員に信用を保証・供与するためのカード。 国のクレジットカードは誰が何をもって保証するのですか?最終的には国民しかいない。
 

2740:一息ついて

 正月から1週間が過ぎました。次々に出てくる思いは、沢水のごとく止めようがない。これは病かもしれない。その自覚はある。一息ついて最初、今日で初七日かと一瞬考えた。縁起でもないと・・・・・フン。
 言っておきますが初七日を何と読みますか? 「しょなのか」・・・そうも読みますよ。でもねー「しょなぬか」という呼び方と「しょしちにち」というのもありますよ。要するに日本語は他の言語とは違って読み方、意味、現代語と古語、ひらがな、カタカナ、漢字など多義多様ときている。万葉仮名なんて本来の漢字の意味とは離れ仮名的に用いたものですから、我々には理解できません。
 言葉や文字での表現にはこの国ではそもそも限界があるんですね。法や条例の解釈が端的な例になります。
 ですから、こんな事を凝りもせず書き続けている自分が可笑しくて笑ってしまうんですね。一応私は坊さんなんですが、全くお粗末な坊主で、膨大な経典の量に圧倒され、身動きできないというのが正直なところです。
脇の書棚に『大正新脩大蔵経』全巻が入っているのですが、開いて読む気持ちになれません。否、読めない。全て漢文で書かれてあるものです。これを父は学生時代に苦労して神田の古本屋で買い求めたと聞いている。
 それをどうしたのか生きている内には怖くて聞けなかった。父の人生はまさに波乱万丈、いまどうしてこんな風に飄々としていられるのかが不思議で仕方がなかった。
 その父が残した”共生”という言葉の重さ深さ広がりに無限性を感じる。人間の成功や失敗など取るに足らないことだ言われているように思う。国がいま進めようとする社会福祉政策の最大の弱点は、理念に追いつけない仕組みと手立てを認めざるを得まい、最終的には何を行うにも”人”であり、その手配ができる仕組みが今の日本では作れない。
 一人の人間が一生を通じて行えること、その具体例として、仏教ではパンタカ(周利槃特)という釈迦の弟子を示し教えている。
 『大正大蔵経』は,大正13年から昭和9年にかけ、北宋代(960年~)に開版された漢訳大蔵経と韓国海印寺の高麗大蔵経再彫本を底本として日本各地にあった漢訳仏典をすべて調査して刊行されたもので、17字詰29行3段組、各巻平均1000ページ、正蔵55巻、続蔵30巻、別巻15巻の全100巻という漢訳仏典です。
 

2741:道を見失う

 パリで起こった事件は、ライブでTV各社が流した。白昼堂々とそれは現実と思えない場景、カメラがしっかりと収めている。なんという時代になったのだろう。エスカレートするばかりの報復が市民を巻き添えにしながら、いつどこで起こっても不思議でない時代に私たちは生きているのです。只管、亡くなった人達のご冥福を祈ります。一時も早く、このような悲惨な出来事が無くなるように。
 我が日本とて同じですよ。

 「知識」と「智慧」について考えた。いま増え続ける子供たちの登校拒否の一番の原因は、睡眠障害だという報告があった。朝、起きれない子供たちが増え、その理由の一つに放課後の時間の持ち方に問題があるという。塾・習い事の日程がビッシリ詰まっていて、帰宅するのが夜の9時を過ぎ、それから夕食をとり、明日の準備をして寝るのが11時を過ぎるという。私はその時間にはとっくに寝ている。これも問題なのですが、何せ寝るのが早いのでいろんな支障が出ています。あくまでも個人的なものです。
 いつ頃からだったでしょうか、知識偏重の教育が問題視され、教育の関係者などで盛んに議論されたことがありました。・・・・が、親がそれを守らない。やれ誰々さんに負けちゃうから勉強をしなさいと。将来の子供の為だからという一方的な理由で一向になくならない。
勉強だけ出来ても世の中渡れません。そんな事常識で判るはずなのですが。智慧の意味を調べました。智慧とは道理を判断し処理していく心の働きとあります。ところが道理そのものが曖昧になっている。結果、道を見失ってしまった人達が増えたともいえましょう。老子には「智慧出でて大偽あり」という表現があると知りました。これもまた意味深で、人間の智慧が進み過ぎると、不自然なこと人為的なことが行われるようになり、大きな偽り(大偽)が生じ、世が乱れると説く。図星です!恐らく、そのバランスも智慧の意味として説いたものが竜樹・中観派仏教の教えだと理解する。世の中には、それが意図されたものでなく、自然の有りの儘の姿に強く心動かされることがありますね。
 人権が問題になれば、権利擁護するセンターを設け、困りごとがあれば、なんでも相談所ができる。国から県そして市町村へと権限委譲が進み、より住民に近くなってきたのは良いが、縦の関係で連携がとれなくなった。そこに新たな不都合が生じ、その苦情を受け付ける窓口を設けた。斯様に、日本の仕組みは、智慧を出せば出すほど仕組みが複雑化し、何のためのという目的が判り辛くなるという本末転倒現象が出ている。
 睡眠障害が生活のリズムを狂わせ、様々な弊害が出てきたということと同じ、だから歩みをもっとゆっくりさせるべきではないでしょうか。でないと折角の取り組みが検証もされず、正しく処理することがスッポリと抜けてしまう
 昔、山歩きをしていたころ、道に迷ったらわかる場所まで引き返せと先輩から教わった。山行に不可欠な地図と磁石の役目を、一体なにがするのかもう一度考える必要はありますね。
 

2742:成人の日

 2015年の新成人の数は126万人という、1998年にハッピーマンデイ法により成人の日を1月の第2月曜日としてから、祝う日が前後するようになっている。新成人数で昨年より5万人増えたというが、その理由は知らない。
 ただ、新生児の数は確実に毎年減り続けている。厚労省の発表では2030年には15歳未満の子供が10人に1人、高齢者が3人に1人となるそうである。この問題は政府の最重要課題となっているが、決定的な対策がまだ出来ていない。手を拱いている訳ではないのでしょうが、若い人達が子供を産みたいと考えなければどんな対策も功を奏しない。
 国の人口動態は、国の存続に関わる問題でもあるから、付焼刃的な対応ではなしに、長期展望にたった具体策が欠かせまい。ただ、ヨーロッパの歴史を見れば、植民地策をとり、労働力を外国から呼び入れて今に至った国が多い。
 フランスやイギリスは、その典型であって、いまテロの脅威に晒されている大きな要因となっているのではないかと考えると日本とは違う。しかし、どちらにとっても平和な関係で共存したいという願いはあると思う。それができず何故あのような行動をとるのか日本人にはなかなか理解できまい。格差拡大への不満は、日本でも大きな問題になってきているが、現在の所、自国民だけの問題であって、他国とは様子が異なると思われる。
 むしろ日本の問題は、今の生活を楽しむためへの投資はするが、将来に対しての一貫性のある保障となれば片手落ちのようにどうしても思えてしまう。
 先日、ある企業の代表の方が言っていた話、私の会社の定年は70歳です。
 これを、どう理解しますか?何故 その年齢まで働かなくちゃーならないのと考えるか、その歳まで働けるのはありがたいと考えるか、その価値観が問われているような気がしました。
 老後は年金でゆっくり好きなことをして過ごしたい。これが一般的な人たちの思いでしたが今後は危うくなった。 昨年の統計で倒産した会社の数は前年度よりは減ったそうだが、逆に廃業した会社が急増したという。会社が黒字であっても事業を閉じるということはどんな理由なのか気になった。時代の変化や新たな地域のニーズに対応できないという理由があることが判った。後継者がいないという問題も大きい。ベンチャー企業といっても誰もができることではない。今 ひそかに江戸時代の仕組みが見直されている。戦争が無く、士農工商それぞれの役割と後継者を育てる仕組みがあった。今では徒弟制がすっかり影をひそめ、短期で職を変える人の数は全体の半数を超える。
 心優しい良い子だけれど苦労を知らず、挫折の経験がない。挫折を挫折と思わせない親や周りの人がいる。・・・・・・。ある人が若者に対する感想をメールで送ってきた。
 その方は東南アジアでの生活を長くされているからかもしれないが今の日本の姿に危機感を持っている。私みたいに長く日本に住み続けていると、比べるものが見つからず、幻影を追っている。
 できることならば多くの若者に途上国で働く経験をしてもらうのが良いと思う。大変失礼だが不自由さや貧しさの中でしか考えが浮かばないことがある。かつて日本の成人(元服)は、11歳~17歳になった若者を祝った、いまなら、その年齢は義務教育の最中、将来をどう歩むかを尋ねるには無理がある。
 昨日は一つの事業所の新年会を市の福祉センターを借りて行いました。今年、成人を迎えた2人に成人証書を贈りました。通所施設だから家族も一緒に参加した。
 私は利用されている皆さんがどんな気持ちでいるかが気になる。相談窓口の担当者は毎日引っ切り無しにかかる電話への対応、共通する相談は、受け入れてくれる場所を教えてもらいたいというもの、昔の措置制度に問題はあったが行政の責任はハッキリしていたと思う、今は結果として家族が自分たちで受け入れ場所を探すという流れになった。そのため地域格差が広がり、新たな問題も出ている。
 規制緩和を無条件では賛成できない、ある程度までは上手くいくが、誰かが歯止めをかけないと暴走するリスクを秘めている。
 

2743:笑顔

 プロでもないのに人を笑わせるのが上手な方がいる。その人がいるだけで場が和み、自然と話が弾むような。世の中、うまく出来ているもので、その真逆の方もいるのです、この二人が誰もいない場所で向かい合っている場面を想像してください。どうなりますか?恐らく、どちらかが相手に合わせその場を凌ぐかと考えるでしょう、でもお互いに次会う機会は望まない。
 某著名な喜劇役者の素顔は、普段は思索に耽りもの静か、どちらが本当の姿なのかと思うが、両面お持ちの方だというのが正解のようでした。
 皆さん 無理して笑顔を作っていると疲れません?そのうちに顔が引きつってきてどうしようもなくなるってこと。人間は他の動物たちと良く比較されてきました。喜怒哀楽の感情が人間以外の動物にはあるのかと。身近でミイちゃん(オス猫)を観察していると彼は決して笑わない。そのかわりに穏やかな表情は良く見せます。日向ぼっこしてウトウトしている姿など実に癒されます。でも本能なのでしょうね。五感の働きというんでしょうよ耳は常に外界に対し敏感に反応している。アフリカサバンナに生きるヒョウやシマウマとは違って飼い猫は餌を与えられ、寝る場所も用意されている。外敵と言えば人間かもしれない。
 猫を笑わせることができるだろうか、そんな疑問を持ち、顔を近づけいろいろ試していたら、終いには額を噛みつかれ痛かった。丁度こめかみの所、鎌倉の大仏様みたいになってしまいました。
 ならば猫は泣くか?
ご本人(猫)に確かめることはできないが、ひょっとしたら、泣いてなんかいるもんか喋っているんだ!と今度は鼻を噛まれるかもしれない。
 結局、ミイちゃんの気持ちは私には良く判らない。
  それがよー!どうなんですか?人間社会は他人様に対し、ああだこうだ、終いにはランク付け(介護度や障害程度)までして、恐らく当人は偉い迷惑だと思っていますよ。だからでしょう!『有りの儘で良いんだよ』ということが言われ始めた。なんでも構わねーってことだっぺー。
 そう言われると変ですね。自分の有りの儘ってどんな風???て考えて、何が何だかわからない。みんなそうだよ。わかんねーんだ。
  私なんか。。。。ウーム もう ・・・・なんだ あれ 今何やってんのって感じかな。それにまだらボケが加わって ご迷惑をおかけしておりますれば、衷心よりお詫び申し上げそうろう&奉る。
  竣工祝い・医療審査会・新年会  今日1日県北~中央~県南を動きます。それとお通夜が3日連続ときた。ひょっとしたら、祝辞に暗~い話でも喋ってしまうかも。お通夜は笑顔で・・・・ダメ、もう考えると恐ろしい 
 訴えてやれーだ。
 しゃーないな。絆創膏買ってきて、今晩よーくミイちゃんに説明してみっか・・・・・????

2744:笑顔パート2

 嗚呼 ・・・! 鼻ではなく、顎(アゴ)でした。突然それも何を血迷ったか、彼は喉をゴロゴロならしながら、噛みついたのです。世の中何がおこるか判らない。ザマーみろと言っているように。
 余計なことですが、ミイちゃんは電気炊飯器のスイッチを入れるのです。今の電気釜は良く出来ていて空炊きはないようだけれど、スイッチが入れば暖かくなることを覚えてしまったようで、丁度スイッチがある釜のフタに座るクセがついた。コンセントを抜いておいたからかもしれない。アゴを噛んだのは、恐らくそうだ。
 正月からずっと続く悔やみ、昨日はその頂点に達し、クタクタで正直何をしたのか、記憶なし。これじゃーな、もたないよ。
 
 心配すれば切がありません。淡々とところ構わず、彼は昼間からうたた寝、癪にさわるのです。できるなら猫に生まれたい。
 生臭坊主がバカ言っているよと言うに違いありません。そんなせせら笑いが聞こえる。そうだ、これは幻聴だ。そうさ、違いない。疲れてる、、、、やつれている。酷い、  チクショウ 
 栃木に住む友人が覚えたばかりのスマホでメールをくれた。大兄は、怒りをエネルギーにして・・・・云々と。それを読み素直に喜べぬ自分がいる。 
 責任というものに、軽重はあるのだろうか?
 立場や中身の違いで????
  結論。”無い”。   そう思うのです。誰しもが業を背負いながら生きている。業は身口意の三業と言い、仏教では、苦の根源とみる。身(身体)・口(言語)・意(心)と3つの行為が過去~現在~未来の苦楽の結果を導く。
 
 昨日の新年会でプロのグループ(四人)の唄を聞いた。宴に集まったのは50人ほどの人数だった。最初に唄った曲が『アメージンググレース』。4人のハーモニーが良かった。お開きの前にCDを買った。その時に「風に立つライオン」の曲の話を私がしたら、彼はこう言った。「僕は今まで音楽に無関係の営業の仕事をして全国を回りました。今はグループで謳っていますが、さだまさしが歌うその曲が大好きで曲名を聴いただけで鳥肌が今でもたつんです」と。
 深い悲しみや挫折を経験したからこそ、分かり合える関係となり、一緒にいて楽しいから、相手にもその気持ちが伝わるということを言いたかったようだ。。
  そうね、そうだわな。あえて苦労を覚悟の上で立ち向かう人が確かにいるな。それが覚悟できれば、いずれは猫ちゃんと一緒に笑顔になれるかもしれない。。。。笑顔パート2.
   

2745:矛盾

 本当に必要とされている人たちへのサービスがいま行われているでしょうか? 日本の福祉の現状はそんなことにお構いなく、先を競って産め増やせと、押し合い圧し合い気勢をあげる。何故か今のこの状況が気になってしようがない。表向きには何も後ろ指さされることはないのだが、今やルールなき無法状態に近い。これで果たして国が狙うような姿になるのでしょうか?
 巷では高齢化と少子化にワザワザ”超”まで冠をつけ、どうにかしなければ大変だと大合唱、この先どうなるのか道筋があって無き様なもの。長生きしたいと誰しもが望んでいるはずなのに高齢者をお荷物と考える、このズレが修正されず、表面的な幸せと安心をうたう福祉は本来の姿ではありえない。
 要は本当の”ホントウ”が曖昧な時代となって、21世紀を不安な時代と言う方がいるけれど、ハッキリ言って自由と責任(義務&権利といっても良い)が一人歩きしているのです。
 昨夜こころ動かされることがありました。久しぶりにマッサージを受けにつくば市の湯ワールドに行った。お風呂に父親と小さな子供さん2人が一緒に入ってきた。よく見ると下のお子さんは3歳位でダウン症の方と判った。お父さんがその子の着替えを手際よく行っている傍で5歳ぐらいの上の子がうれしそうにお手伝いをしていた。それを見ていてお母さんはどうしたのかな・・・・?と一瞬気になる。恐らくご夫婦で役割をきめ、今日は土曜日で父親が二人の子の面倒をみる番なのだろうと想像した。そうであって欲しいという願いもあった。
 長年私たちのところを利用されているN子さんのことが浮かぶ。私たちができることって一体なにがある??? せめて・・・と思ってやってきたことが大きな矛盾となって未解決のまま深く刻まれる。
 
 先代が自らを戒めていたのは、今思い起こせばその1点ではなかったか! 矛盾に真正面から向き合えば思い通りにいかないことばかり、なのに支援する側が自らを誇って何になる。
 最近、豪奢な設備を売りにした事業者が増えた、滔々とまくしたてる自らの来歴、そのような場に自分の居場所が見いだせない。
 私はこう教えられた。可哀相だと思うことがあってもそれを口に出してはならぬ。利用される方達の生きるプライドをみろ。
 そして自らを誇ってはならぬ。支えてくれる多くの人達がいるからという事を忘れるな。
 最後に、一生かけて行う覚悟を持て!    ということを先代は生き様で示してくれた。
  それから半世紀という時間が流れ、想像以上の豊かさを得た日本、それでも満足せず、省みることもせず、居丈高な物言いを止めようとさえしない。
誰かがいみじくも言い得た『子供のクレジットカードで買い物をする今の日本』に片棒をかつぎ、何の疑問をも感じない自分に成り下がって良いのか。
 今年65歳になる。確実に黄泉路が気になる歳となり、このままのうのうと独言するままで生きていては合わす顔がない。
 

2746:平和への願い

 いつの時代にも争い事が絶えず、どこかで多くの涙が流されています。目には目をというハムラビ法典は、古代バビロニア:多民族国家で当時もっともすすんだ文明国家(BC19c~))、罪に対し厳罰で処するということではなく、平和を願い、共に幸せを求める人達の智慧だともいえる。
 現代はグローバルな社会となって、一国だけで繁栄や平和を享受することはできません。情報は地球を一瞬で廻り、そのツールの多様化、もう人力では、どう食い止めようとしても不可能です。日本の江戸時代の仕組みを学べという人達がいるが、参勤交代・外様や譜代の別、江戸と地方の役割・・・・・この統治制度は世界に誇るものだと聞いた。
 当時の寺小屋に集まる子供たちの笑え声や学ぶ姿を思い浮かべることはできるが、日本にいると銃弾が飛び交う紛争の中で逃げ惑う女性や幼児の恐れと悲しみに満ちた顔は浮かばない。しかし70年以前には、この日本がそうであったことをよもや忘れまい。
 嘗て地球上でもっとも進んだ文明を誇ったバビロニアは中東にあった。それがいま、ひと時たりも安心と平和な生活を望めぬ猛火の地となってしまった。砂漠に突然現れる石油採掘の煙突と炎、富と繁栄の象徴である高層ビルに囲まれた砂漠都市、私が最初にヨーロッパに行った時、南回りの便でドバイの空港に降りた時の感動を思い出す。あれから40年近く経つ。その間、日本は戦後の経済復興を遮二無二追い求めた。エネルギーの大半を中東に依存し、豊かさに感け、今の日本を築いてきた。そして、公害や格差の問題を生みながらも智慧を出し合い、どうにか争うまでに至らず今がある。この歴史は世界に誇っても良いのかもしれぬが、いつの間にか慢心と限度を超えた個人主義に塗れ、新たな社会問題を生み出している。例をあげれば切がないが心を病む人の増加や、海外との様々な軋轢の事態を招いたわけである。
 友好関係は、一瞬の隙をついて脆くも崩れるもので一端流れができてしまうと修正するのが難しくなる。
 日本中の人々が固唾をのんで見守るお二人の人質の方が関係者の皆様の尽力によっていち早く解放されることを心より祈っています。
  

2747:試練  

 昨日は、50年前に一緒に中学に通った同級生に声をかけると8人集まった。私とレンコンを作っているS以外は、現役というよりもお礼奉公位のペースで働いている。半世紀という時間、それぞれの生きざまがあって、話を聞いていると興味をそそる、私には昔にタイムスリップしたというよりも、連続して今があるという感じかな。
 誰がどうしたこうしたというお決まりの話の後、どうにか同窓会を持てないかという話になった。地元に住んでいる者たちの責任か?声を掛けても関心もない人もいるだろうし、既に彼岸に渡った人もいる。
 共通した話は、人づきあいの難しさ、家庭においても職場においても、そんなの当たり前だと私が言えば坊さんズラして何を言うと顰蹙を買う。いや、むしろ私自身が迷っていて慰められることになったから。
 幸いK君が前回行った同窓会の記録をすべて持っていることがわかり、次回に幹事を決め話をしようとなった。現役を終えた人はあまり多くを望まず、細やかでも良いと思っている人が殆ど、言動に無理が無い。私は自分が何故こんな生き様をしているのか考えショックだった。
  誰だって何かを背負って生きている。それが重いか軽いかは本人の考えでどうにでもなるのだろう、結局はそれぞれが置かれた今の状況を受け入れ、自分のできることを淡々とやれば良いんだよな。
 65歳まで生きてくれば体のどこかに不調を覚え、医療の世話になっているものが多い。精神面に関してだが、実は自ら墓穴を掘るようなことをして追い詰めていることって意外と多いね。
  機に臨み変に応じて適宜な手段を施せとはいうが、実際には体験をして初めて得るものばかり、昨今は、親や周りで子供が失敗をしないように手を出し過ぎるのが問題だと言われる。挫折を経験し、そこから這い上がってきた体験が後々の自信になると判っていながらそれができない。それは我々の親たちの生きた時代と明らかに違う時代に私たちがが育ったということが大きい。
 職業を選ぶ年齢になり何をするかを考える。今後ずっと続くであろう働き手不足だから、 売り手市場、複数の企業から内定をもらうなんてザラ、しかし、耐える力が明らかに弱まって、転職を何の疑問も持たず繰り返す。離職率が一向に下がらないのは再就職先を探すのに苦労がないからだ。天職を見つけて生涯続ける人間が減ったように思う。それを許す社会が、もし豊かさということであるとすれば、これだけ非正規社員が多くなったことをどう説明する?この事実を取っただけでも、この国はどこかで足を踏み誤ったと言わざるをえまい。
 今後、30万人の介護人材が不足するとマスコミが煽る、果たしてその手立てはあるのか見通しは決して明るくはない。
  世を憂いてばかりいてはダメで実践あるのみと、その仲間に入れと誘われ、来月、その最初の話し合いを徳島でもつことになった。
 障害者福祉の歴史をみればこの国の在り様が良く判る。入所施設から地域へとの触れ込みでいち早く入所施設を廃止したところがある。その流れがここにきて止まった。地域での受け入れは大半がグループホーム、家族の元に帰れる人は殆どいない、それなのにグループホームの運営単価を下げた国は一体何を考えているのだろう、憤りが収まらない人たちが大勢いる。
 いまの仕組みでは、身の回りのことができる限られた人しかGHに移って生活はできない。ヨーロッパなどと比べると質量共に薄く少ない。将来への安心が持てない国は、社会保障の仕組みに問題があるのです。
 介護保険だって財源に限りある。早い者が勝ちという今の福祉の仕組みはいくらなんでも健全とはいえまい。規制緩和と制度の悪用・・・・今後、これが起因となる問題は増加の一途をたどるだろう。
 日本には知的障害者の手をつなぐ育成会という歴史ある団体があります。その活動が座礁(?)した。その一番の理由が若い会員が増えず新陳代謝が止まったことだと私は思っている。自らが汗を流さず権利だけを主張するようでは納税者の理解を得るのは難しい。
 どうしてこうなったのかを、全日本育成会に問いたい。嘗て関わった人達は、何もない所から手をつなぎ結束を固め、日本の福祉を牽引してきたのです。それが、いま介護問題に押され、影がうすくなってしまった。
 これが我々に突きつけられた試練と思うのです。
  ★ 介護と障害福祉の一番の違いは親子の逆転にあると思います。障害がある我が子に親の責任でどうにかしたいという願いが共通してあった。それが介護は子供が親に対し、どう関わるかということ。共通する願いを見いだせない。      なぜ、それが問題だと考えるのか?単刀直入!!人間差別に通じるからホンネが出にくい課題(現実)なのです。
 

2748:悔いを残さず

 日本は素晴らしい国だと思います。恐らくは外国人からみてこれに異を唱える人は少ないのではないでしょうか?ただ、日本人からみると不平や不満はありますよ。それは至極当然のことで、物事を突き詰めて考えれば迷いが必ず生じるということと同じです。 
 人質になった方の安否が心配です、そのことで様々な意見が飛び交っているのも事実、いま世界を震撼させている多くの出来事を「文明の衝突」と説く方がいます。また文明批評という言葉もあります。思想・文化・風俗・社会・学術・経済などの今起こっている現象を批判評価するもので、それも一定ではなく、凄いスピードで変化している。こんな中で生きていかなければならない現代人は果たして幸せなのでしょうか?
 人間の一生をテーマに書かれたものは膨大な量になると思います。悔いを残さず誰しもが生を全うしたいと願うはず、天寿は天から授かった寿命、長い短いはありますが、それとは次元を異にした価値がある。
 振り返れば大半は記憶に残らず、その時々を自分なりに精一杯生きてきたと言える人は多いと思います。その証を示せと言われても「ハイそうですか、これこれこうです」と答えられるものではなし。幾多の挫折を経験し、悔し涙や無力感を味わいながらも、細やかなる達成感は誰しも持っている。そうでありませんか?
 自分の意志で事を成せれば、そのことに価値があり悔やむことではありませんね。何を隠そう、自分にそう言い聞かせているのです。
 2月に中高生の前で話を頼まれている。何を話せば良いのか迷うが、頭に浮かんだのはこんなことで打ち合わせに来られた方と話をしたばっかりなんです。
 学生は勉学や部活に勤しむを本分とするが、いずれは自ら生活の糧を得るために”働く”ことになる、”はたらく”という言葉の意味が私達の時代と大きく変わっているように感じる。働くことに喜びをなどと言ったところで真面に受けてくれない。働くのはほどほどにして生活を楽しむべきだと考えるものが大半だと言ったら言い過ぎでしょうか。そんな若者が増えているんじゃーないだろうかね。
 これが豊かさの恩恵だとは考えたくない、社会がそれに異を唱えず黙認するから尚更、おかしなことになってきた。教育現場だって判っていても変えられない。教師の威厳は形無し、父兄や教育委員会の顔色を伺うのは今に始まったことではないが、何せ生徒集めに苦労する学校は気の毒で定員達成がノルマなのである。
 今のままでは格差が広がるばかりで内部崩壊は時間の問題、しかし、それとて他人事、どうにかなると思ってしまう。日本は素晴らしい国ですよ。
  

2749:淡々

 
 Iさんウサギ
 淡々と執着から離れ生きれればどんなにか良いだろう! その思いとは真逆の自分を訝り、そこから離れる術を見いだせず、齢のみを重ね今に至る。「成仏は成仏するとおもふこと、これより先を思ふべからず!」これは恩師:飛田保一先生の遺筆、もう一人戦後開拓に入り、先頭に立って農業振興を目指した恩師:神崎市郎先生は60歳を超えた時に農業の指導者として尚恵に加わった、お二人が私の父を支え、今の尚恵学園の基礎を築いてくれた。この3人が『共生』という法人の理念の実現を目指した姿は数々のエピソードとして今も語り継がれている、その後を遮二無二追いかけてきた我々は正直入口の所で足踏みしている。次年度は成人寮を他の場所に移す、これが新たなスタートになるかどうか、掛け声だけでなく実践で示さねば、一番悲しむのは何もない時に事業を起こした先人たちであろう。(昭和45年尚恵養護学園を社福尚恵学園に切り替え、その時の開園式の写真が茨城県社協発行の「風雪三十年」にのっているが、園庭にイスを並べそこで行った実に簡素な式典だった。)
 今日、締切の原稿を書いている。Iさんの画集に載せるもの、尚恵学園の絵画教室の仲間で自ら描いた絵画を本にする方が3人目となる、前の2人はいずれも遺作集となり、ご両親が発行人だった。
 Iさんは9歳の時に里親で前身の尚恵養護学園に1967年に入られた。それから48年が経つ、私が高校生の時、勉強に身が入らず、仲間とサッカー部を作り、夢中でグランドを走り回った時代である。当時、学園には30人の人達が寄宿生活をされて、自分と比らべて何か後ろめたい気持ちであった。
 当時、就学免除という仕組みが日本にはあった。今思えば障害が重いという理由から学校の門を閉ざされた人たち、先代はそのような子たちを家族から頼まれ預かった。それを見ていた周囲の人達が支えてきてくれたから今の尚恵学園がある(原点)。
 それを伝え残すのが私の勤めと覚悟を決め、今までやってきたはずである。それが今回、Iさんのプロフィールを調べていてハッキリわかった。
 お前はどれだけ彼らの心の内を判っているのかという疑問に自分が答えを出すのに充分な時間があるだろうか。 絵画指導されている安部田先生が、Iさんの画集を出したいという話で来られた時、Iさんの絵を絶賛した。不自由な手で描いた絵は邪念や私欲の無いIさんの心そのものだと・・・・・。彼女が描いたウサギの絵がスタッフの提案で尚恵学園のロゴマーク(上記)に使わせて頂いている。私は絵の素養はないが、絵の具を使う筆触には一生懸命さが滲み出て、彼女の生きた57年と重なる。今は車イスでの生活だが、毎週ある絵画教室に通い描き続けている。残念なのは、真面目で優しかったお父さんが既にこの世を去り、見てもらうことができないことである。

2750:如月

 残寒のみぎり、日本列島は日本海側は大雪、太平洋側は乾燥とお決まりの天候となりました。各地でインフルエンザが猛威をふるい、マスクをしている方が目立ちます。私は今の所風邪に罹ることもなく、元気ですが、明らかに昔と比べ無理が利かなくなっています。
 如月2月に入り、4日は立春で南から徐々に気温も暖かくなってくるのではないかと思っています。1月には10回の新年会に参加、いつもの顔ぶれとの再会などありましたが、変わりなく元気な方も大勢おられ、元気を頂戴しました。
昨日は近くのレストランを借りてグループホームを利用されている方々の新年会、30人ほどの宴で丁度良い人数、20年勤続された方が県などから表彰され、それをみんなで祝うというものでした。
 いやー実に皆さん個性的、話題も豊富(?)で彼方此方で笑え声が絶えず、恒例のカラオケもそれぞれが持ち歌を披露、正直耳を塞ぎたくなった時もありましたが、楽しいひと時を過ごせました。
 驚いたのは、皆さんの情報は的確で早いということでした。中東で起こった痛ましいニュースも知っていて、私に解説してくれる方もいましたし、スマホを自由にあやつって使い方を説明してくれる方、携帯を使いなにやら一人で楽しむ人・・・・・。
 事業所ごとの新年会に全て出ましたが、随分差が大きいと思いました。
 前日、法人内の研修があり、先輩の話を中堅職員が聴くというもの、私は夜の部に参加しましたが、居酒屋を会場に随分遅くまで反省会をしていたようです。この時期、尚恵学園を去る人、加わる人と慌ただしくなりますが、私は退職される方も一緒に仕事をしてくれたという事に感謝の気持ちで一杯です。職場は違っても同じような仕事に付かれる方もいるし、別の仕事につかれる方もここでの経験がいつか生かされると信じているからです。
 そうそう、昨日の新年会であったことを是非紹介したいと思います。
 GHで生活されているSさんがおもむろにマイクをもって話し始めた、「このたびお母さんが亡くなりまして・・・・云々」。ああ・・そうだったね。何度もその話を私にしてくれたっけな。そして、「それでは歌います。くちなしの花」   いまでも指輪を・・♪♪・・・
 なんなんだろう? この強さは? Sさんはどことなくいつもとは違ったようだったけれど、実に見事な唄だった。