源究173

  

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2971  視点変え  8/19   2976 隠忍自重  9/4   2981 彼岸解説  9/20  2986  前門の虎・・・  10/6 
2972  受容性のキャパシテイ  8/23  2977 おあずけ  9/7   2982 因果応報 論 9/24  2987 週間天気予報  10/11 
2973 役員会   8/26  2978 無垢清浄光  9/10   2983 雑感  9/28  2988 徒然に  10/14 
2974  台風   8/29  2979 豊洲疑惑  9/14   2984 試行錯誤  10/1  2989 思いを形に・・・  10/18 
2975 諦めない   9/1  2980 彼岸まえ  9/18   2985 経営戦略  10/3  2990 34年後  ・ 

2971:視点変え

 今年になって初めての台風が上陸し、各地で大雨を降らせた。近年は自然災害に立て続けに日本列島が見舞われた。乾燥した畑だけでなく 稲穂がたわわになった水田、よく見ると地割れして、まだ収穫には早いこの時期に 一雨欲しい。梨や栗の生育にも適度なお湿りは必要で、栽培農家が心配しはじめた時に 纏まった雨となった。
 私は寺のエアコン掃除を2日間かけ行った。まだ半分も終わらない。汚れが酷いものは汗だくで2時間格闘して、やっと一台が終わる。それで判ったこと、やや牽強付会の感はあるが、限度しらずの便利さ追求は、必ず落とし穴があるということ。 エアコン一つ カバーを外す方法が機種やメーカーによって違う。クリーナーで こびり付いた汚れを落とすにはカバーが邪魔、それができない。当然 スイッチも違う。中には壊れているものがあり、電池の交換をしても表示しない。今までが業者任せで自らやらないで長いこと放置したツケ。恐らく年式の古い機種は 部品の交換はできまい。
 大量生産・大量消費これが 日本流の経済振興戦略、人件費を抑えるために海外進出、・・・・。このやり方が今後も継続できるのでしょうか? 相手国への貢献もあるだろうが赤字を出してまで進出する企業は皆無、そのことに相手も気付き始め 雇用条件が厳しくなってきた。
 市場に品物が溢れかえっている。企業は新手の製品を次々に出し、消費者の購買意欲を高め売り上げを伸ばすことに躍起になる。使用済みになったまだ使えるものまで 産業廃棄物としてお金をかけ処分する。これが日本式の経済モデル、確かに好成績の企業もあるでしょう。シコタマ貯めたお金の分配は どうなった? 企業は付加価値の高い売り物を我先にと開発し、どこまで行っても満足しない。となれば 安らぎなどある筈が無いでしょう。その事に もういい加減にして気付いても良さそうなのに。
 成熟社会・・・人間として当たり前のことが当たり前に行われる社会。物を大切に使う。借りた者は返す。お世話になったことへの感謝。普段の挨拶。汚さない。壊さない。・・・・・自分がやってもらいたくない事は相手にしない等 日本は経済的な豊かさと便利さを得た反面で昔から日本人がもっていた良き文化・美徳が影薄くなったと思いませんか。だってそうでしょう。まだ使えるものまで捨てることで成り立つ社会がどうなのか 子供に 大人たちが そこをどう説明しますか?物を大切にしましょうに説得力が無い。
 変えねばならぬ事&変えてはならぬ事。この議論が政治や行政に欠けていると思いませんか。その理由は 皆さん 良い子でいたいから。家庭~教育~職場~地域に対し・・・・今 視点を変えることが重要だと思います。
    人生の勝者となるのは 必ずしも先頭を行く者ではない
   
 年貢の収め時・・・・見限りつけて観念する頃合い。 何もかも嫌になり、綺麗サッパリ  もう や~め~た!
  夢か現か・・・・リオでの日本選手の大活躍と自分自身を比べるとそんな風に思う人も中にはいるだろう。 世紀の祭典が22日の午前8時【日本時間)の閉会式で終わる。夜中から明け方までオリンピック一色のテレビ放送が 一斉に消える。4年後、今度は東京開催だから 大変だ。今回のリオではジカ熱や会場建設の遅れなど 多くの懸念があったようだが それはどうなったのでしょう?
 丁度日本の裏側のブラジルは、時間差12時間、LIVEで流れる現地からの中継は 多くの日本人が寝不足となったに違いない。それよりも現地まで行って応援する人たちは凄い。仕事は休み?それを許してくれる職場って一体どんなところ?何せ 直行便が無いから乗り継ぎで24時間かかるとか・・・・・・
 昨日 一番私が感動したのは レスリングの吉田選手、彼女は今回の日本選手団の主将をつとめた。誰もが彼女のオリンピック4連覇を疑わなかっただけに決勝で負けた彼女の悔しさ想像できない、その場面を何度も何度も見て、あれだけの強さを誇った彼女が銀メダル 試合後母親に抱きついて 「お父さんに叱られる・・・・」と泣きじゃくった姿。ただ選手全員が国内予選で勝ち抜いて選ばれた頂点の人間ばかり、彼らは異口同音に応援してくれた人や家族の支えを語る。吉田が形振り構わず 悔しさを表に出した姿・・・・・ 過去の3つの金メダルと今回の銀、全てがそこにあったはずである。コーチだった父親が亡くなり、今回は父の遺影の前で戦った。今まで母親は表に出ることは無く裏方に徹した、その母が娘を抱きかかえる・・・ああ・・・この母があってこの娘あり!
 我が子を ≪わたしの宝です≫と言える親が 今の日本にどれだけいるだろう? 今回のオリンピックはいろんな意味で日本人にとって思い出に残る大会となるだろう。ブラジルには多くの日本人が移民で渡り、今は2世3世の時代になっている。
 家族にも国にも歴史あり、そこで刻まれた過去現在未来は 結果ではなく ing 現在進行形、(流転輪廻)
 
 鹿嶋市の寺での施餓鬼の手伝い、どうしても寄りたかったSさんの家を伺った。Sさんは家の近くの鹿嶋市内の病院へ転院し2か月を過ぎていた。幸いお母さんが自宅に居たので様子を伺うことができた。
 今も神立の病院に入院してた時と変わらないという。彼女との40年という関わりが・・・・ingで今 も流れている。 どのような慰めや励ましもSさんご本人に届くことはないかもしれない。せめて 家族が住む近くにいて欲しいと・・・・ 
  明日は 県庁で県警と障害福祉課と我々で話をすることになっている。オリンピックの結果に一喜一憂 相模原での事件のことは 記憶から消えていないでしょうか?私たちは これからだと思っている。犠牲になった方達、現在も入院治療中の方達を考えると どうにかしないとと焦る。 東京開催の次期オリンピック、その後のパラリンピックまでに 世界の人達に日本だから発信できることを見つけて欲しい。
 それは 選ばれし人達の結果最優先ではなくして 平和の祭典という原点に立ち返ることから 生まれるものと私は思うのですよ。
 勝者は敗者以上に 自らに謙虚でなければならない。

2972:受容性のキャパシテイ

 ”受容性のキャパシテイの増強こそが抑止力アップになる”という。これは 世界の平和活動が中々進まない中での呟き?多様な価値観を認め、事物や人間を受け入れる能力が 昔と比べどうなっているのでしょうか?周りを見回すと競争がどんどんエスカレートし受容する力が萎えていると思ってしまう。昨今、絆とか共生が盛んに言われるのは そう言った社会の背景があるからでしょう。オリンピックが何故”平和の祭典”だと言われてきたのか この際だからそのことをもう一度考えるべきと私は思うのです。判っちゃいるけど やめられない。イケイケ ドンドン????
 それと”寄り添う”という言葉の持つ意味も一緒に考えるべきなのです。昨日は関東地方に上陸した台風が一番猛威を奮っていた最中に水戸での研修に参加していた。途中で何度も携帯に連絡が入る。駐車場の屋根が飛んだ。寮の玄関ドアのガラスが割れた。テレビアンテナが倒れた・・・・・・。私が一番心配していたのは近くを流れる水路が溢れて道路が冠水し通行できなくなること、万が一 そこに人間が落ちたりしたら 大変なことになる。何度も会場からロビーに出て施設と連絡を取った。
 台風直撃で最悪の天候の中、研修の参加を取りやめる人が思ったほど多くは無く250名近い方が集まった。テーマは 今回の社会福祉法改正に関する内容と事務手続き、恐らく 今までにも皆さんこの種の話は何度も聴いてきたはず。それが なぜか核心に触れた具体的な内容がなかなか聞けない。 今回は変更期限も迫ってきたので 参加者が増えたと思う。研修後の懇親会は 悪天候ということで セミナーだけで中止となった。 
 法改正の内容 何度聴いても 判り辛い。言葉が難解なことも あるが 内容が複雑で 細か過ぎるのが一番の理由。 ここは、ひたすら 耐え忍ぶことしか無いのか。
 どうしても 他に大切な事があるように思ってしまう。まあ・・・ 身から出たサビと受け止めねばならぬこともあるし 良い方向に変わる過渡期の混乱と諦める。
 台風一過?雨がその後も続く、カラッと晴れるような天候にはならず 急に雨が降り出す等 過去の台風とは明らかに違っている。
 雨が止み、施設と寺の関係する所を見回った。唖然とした。それは 大きな枝が折れ 今にも落ちそうな場所を何カ所も見つけ、直ぐに電話で造園屋さんに頼む。それ以外で自分ができる所はチェンソウーを持ち出し 枝折れの木を切って 集めた。普段から散歩道に使っている道路をウチの職員がずぶ濡れになって枝集めをしていた。・・・・・・・・。
 被害カ所が徐々に判ってくる。そこでOKとはいかないのは自分の所に関係ないという思いをどうしても感じてしまう。枝折れ一つとっても もし その下を知らない人が通り、その枝が落ちて怪我するかもしれない。その気配りは正直 ????。言われて判る?納得して直ぐにやる?そこができない。何を優先するか? 言いたくはないが どうしても私は言ってしまう。 (★)受容性のキャパ不足!

2973:役員会

法改正の議論の中で社福の理事・評議員・監事の在り方に多くの時間が割かれた訳である。しかし いまもってそれに関する政省令や通達が出されていない、前触れは出されるが 先延ばしばかりされて 大幅に遅れている。
 これで 今年度内に間に合うと考えているのでしょうか?形式的な議論をいくらしても 何も変わらず尻に火がついて初めて判る。それに 相模原の事件は その後 どうなったか誰も知る術を持たない。全国社会福祉経営者協議会という組織がある。それと事業種別毎に全国組織もあり、我々はその両方に加盟する。
全国・関東・県・市町村という縦列の組織が昔からあって 今回のような制度の改正があると それぞれが 同じ内容の研修会をアチラこちらで開催し 周知徹底をはかる訳である。
 「我関せず焉」ですます日本人は ヨーロッパ人より未熟、戦後の民主主義の誤解が、自己責任原則の欠落を生んだ。これは、一個の人間として 自分はこう生きるという原則ないし哲学を持つことの大切さを蔑ろにしたツケとみる。 ここまでに なんやかんやと継ぎ接ぎ議論を重ね どうにか形にしたものの 一体これは 誰の為の何を行う為の法改正なのか そこに肝心要の当事者自身のことが見えなくなってしまっていないだろうか。際限の無い細かさ、これは尋常なことではありません。
 出席者全員の議論が噴出し 理事会は予定の時間を大幅に超えて終わった。
 次回は 11月頃開催予定、
 お寺の土地に 某ネットサービス社の中継基地がある。今回の台風で枝が折れて大きな枝が引っ込み線に引っ掛かり、管理会社に電話した。さすがだと思ったのは調査~工事への対応がスムーズであったこと。
 もし 福祉にこの仕組みがあれば 引きこもりや孤独死&行方不明者が今よりは減るのではとその時思った。実態は真逆とは言わないまでも 縦割りと「我関せず焉」で 一向に減る兆しなし。どこかに欠陥があるはず、それを言うと キラワレモのになるから 黙して語らずという雰囲気が出来てしまった。だから安らぎどころか不安感が増大し 誰に救いを求めれば良いのかが判らない。ニワトリが先か卵が先かの議論はすれど 楽あれば苦ありという当たり前の議論はしたくない。どうも この国は私が思うに一方通行がお得意で中には逆走するモノもいることを 忘れてしまったようである。(⇔ 苦は楽の種)
 外見を繕うことに熱心だと 内から腐り始めることへの抗体が弱まる。 先哲の教えに そんな内容の話が有りませんでしたか? ネット上で≪国の1000兆円の借金は怖くない・・・≫ この著者は 何を根拠に語るのか?
  センセーショナル題名を付けて 読者を呼び込む・・・・・。パナマ文書の問題は 何故かメデアが取り上げず、相変わらず個人財産を守るのに ハウツウ本が書店に並ぶ。国民は債務者でなく債権者とは これいかに?
 日本の借金は国内の預金総額の範囲内だから良しとする。  この議論は 理解を超えて我々を欺くものと言ったら どうなるか! 
  昨日、午後7時から 職場の暑気払いをいつもの居酒屋で行った。世代の違いを諸に感じた。 お互い言葉が理解できないというのか上手く話題が噛みあわない。結局、趣味や特技の話が無難で気心が判りかけてくれば 自然と話が弾む。 みんな良く頑張っています。感謝です。10時前に私は失礼したが、まだ残って騒いでいる人が多かった。遅番や断続勤務の人達が 遅れて加わり その後どれ程時間を延長したのか 
 帰宅して TVをかけたら NHKのドラマでイルカの大好きな人達の話、子供の頃の夢を実現していく その間に起こる様々な出来事を 実に上手くドラマ化した。アルコールが入ったこともあるが 自然と涙腺が緩んでしまいました。
仕事と家庭、家族の絆の微妙な関係を 最後はめでたしという結末で終わらせようとの筋書き・・・・・何が大切かを考えるには イルカやアザラシの在るままの姿が実に効果的 ちょっと忘れてしまいそうな幼い時の思い出が 動物や自然との触れ合いによって 呼び戻される。次回が最終回ということでした。
 余計な話・・・・・十人十色と言うけれど それで良いんじゃないですかね。 用意周到な準備をしても 思うように行かない。腹を決め これで行く!と決めて進んだ時のほうが 後々 為になる。仏教に内観(『夜船閑和』白隠)というものがありますが、集中し 自己の本性や真理を観ようとするもので 心のリラックス法。世の常として、その場が上手くいったと思っても次はそうはいかない。また、その逆もあり。この繰り返しをやっている訳で  自分自身も常に変化し続けている訳ですね。
 となると 失敗したりやうまく行かない事があっても そんなに落胆せずにいたほうが良いってことです。私は枕元に3年連記の日誌を置いている。寝る前に1日の出来事を数行に記しているのだけれど ”まあまあの一日だった。”の記載が増えた。

2974:台風

 台風10号の動きが気になる。一度日本列島に沿って太平洋を西南方向に進んでいたが 急に北東方向に進路を変え、上陸の可能性が高まる。勢力も強まり、今年最大の台風となっている。丁度 果実の収穫期を迎え、場所によっては稲刈りが始まった、農家の人達の心配も然る事ながら 地震~台風~津波と大きな災害に立て続けに見舞われた日本は 国全体が不安の坩堝と化している。
 台風に対する備えは 食料や飲料水の備蓄は勿論だが、それを超える被害が出ているから 尋常でない。今年は台風が少ないと思いきや 3つ纏めて発生するなど 自然を侮ることはできない。
 前回9号の被害もまだ改修できない中に 今度は前回以上の大型台風 それも上陸予定コースに茨城は当たっている。
  常総市で起こった鬼怒川堤防決壊後、国の事業で新たな堤防工事が先日完成したばかり、だが 安心はできまい。施設の業務は 年中無休 利用されている方に台風は味方しない。 いつもの事だが 支援者の確保は非常時だからと 待ったは効かない。30日~31日と大洗での県内施設長会議 一泊の予定だが 中止にはできず 行う予定だが 執行部と事務局は 今から気を揉んでいる。
 いつもの大洗のホテルの窓から眺めた太平洋は 真っ白な波濤が、狂ったかの如く陸に向かって押し寄せる。こんな大洗の海を見たのは初めてだった。台風が予想より大分東寄りに進んだ為に雨風の影響はそれ程受けなかった。一つ前の台風9号の被害の方が遥かに大きかった。台風10号は実に変わった動きを見せ180度向きを変え 結局、東北地方に上陸、そして台風の東側に当たった岩手や北海道に記録的な大雨を齎した。またしても多くの爪痕を残し日本海に抜けた。
 言葉は気を付けねばなりません。自分たちの所は被害が無くても どこか違う場所で 甚大な被害を齎す。それは どんな備えを事前にしても想定以上の事が起こってしまうから 自然災害は恐ろしい。
 一夜明け ホテルの窓から海を見ると 静かでいつもの大洗の姿があった。
 一泊での施設長会議は120名を超える人達がキャンセル者もほとんど無く集まり貴重な交流の場ができた。 私はその中でも年配者に入る、若い人達が確実に育っていると感じた。これから先を思うと気が滅入ることも多いが こうやって 寝る時間も構わず熱心に語り合う姿をみると自然と勇気が出てきますよ。 

2975:諦めない

 私は 決して 諦めない。
 秋色の折、日本列島は またもや 自然の猛威に見舞われた。 自然豊かな東北や北海道に深い爪痕を残し通り過ぎて行った台風 被害にあった方々に心から哀悼の誠を奉げたい。
 昨日の大洗での県内施設長会議 大会議室一杯に集まった人達全員で最初に先の津久井やまゆり園で犠牲になった方々への黙祷を行いました。・・・・・・≪この国の在り方が一気に変わるような状況にはなりません。粘り強く、しなやかにしてしたたかな取り組みが求められています・・・・・≫・・・・ある方からのメールに書かれてあった。そして GHを利用されていた9人のお年寄りが 今回の台風で犠牲になったニュース、人災か天災かを語るより 何か別の角度から この国の在り方を皆で考えることが必要な気がします。
 自らの幸せを望まぬ人は世界広しと言えど誰もいないと思います。だから 多くの人々に 障害の有無に関わりなく真の幸せを実現するため 今を生きていることの意味を語り合っていくことだと思うのです。目先の法改正に揺らぐ 我が業界も 本来の使命を抜きに何をか語らんやである。 この思いに共感する人は必ずいると信じ 決して諦めず 歩んでいきたい。
 地位や立場に関係なく 誰しもが老い 病と向き合い 死を迎える  これは人間の歩んできた過去~現在~未来 変わることがない。 地球が存在する限り 今後も続く真理です。そこに 豊さや快適さの価値を付けて それを獲る為の様々な道標を立てた。それを目印に歩んで行ける人ならば良い。でも 能力の優劣や持ち物の大小によってはかることに限界を感じていないでしょうか?禁じ手を使ってまで 勝敗に拘り メダルの数を競う。これも 現代が抱える病因の一つ、正義や尊厳が語られる裏で それとは裏腹に増え続ける堪えがたい現実 そこに目を向けず 良いとこ取りをしてきた。その結果 正直 どこから手を付ければ良いのか誰も判らない。混迷の渦は、自然から学ぶべき、そこには 一つのルールがある。科学や技術の進歩で解明された理屈では現実に起こっている事が説明できない。その事を無視し続けてきた責任は結局は誰かが負わなければならない。手を拱くばかりでなく今こそ 新たな道標を作り出すべきだと思いますが。
 
 某施設の在り方検討が始まった。そこより早く 当法人の在り方検討も並行してスタート。中身が全く違う事が判った。財源問題や家族の願いは意見として出るが 利用するご本人のことが表に出てこない?加えて 直接関わっている当事者の考えが掴めない。おんぶに抱っこ。権利は公平であるべきだが 義務は その人の能力と誠意による。この国の社会保障の仕組みは 自助と共助と公助から成り立つ。公的サービスを一部の人の既得権を守るために利用されれば 当然不満が出る。これは当たり前です。ただ その実態が見えず限られた中で秘密裏(?)に行われたとすると話は別、地域化には 一般の人達の目が入る意味もある(共感)。地域の受け皿が無いと必ず言う人がいるが 果たしてそのご本人がそれへの努力をしてきたか? ああだこうだと昔の事はおっしゃるが 大事なのは 今がどうなのか?まあ・・結論は妥協をどこに見い出せるか?ということでしょう。 本当は 周りがとやかく騒ぐより 当事者が自ら考え動くべきことである。何故なら 最もそこを利用される人たちの気持ちが判っているはずだから。 この種の話は少々 判り辛いのであります。
 
 我が子は 障害が重度だからという親がいる。でも 自らを重度だと言う人は無し。我が事業所は 利用する人達が 重度・高齢だからという人がいる。でも 利用している人達が自らを重度・高齢と言う人は無し。
 決して忘れてはならぬ事 それは津久井やまゆり園での痛ましい事件 その犠牲になった方々の実名が伏せられた。この国の障害者への理解度がこの程度かと思うべきか否か ある方が私に語ったこと・・・・≪犠牲になった彼らの霊が浮かばれない≫ これは宗教的な意味で無く 彼ら自身の生きた証が 名前すら公表されず 葬られてしまうという 今の日本社会への怒りではないのか。
 『この子らを 世の光に』 この言葉の意味は深い。障害の有無に関わらず 誰しもが幸せを実現する権利を持っている。(『福祉の思想』)
 「マネー資本主義」が戦後日本経済の常識となって久しい。その功績を全面否定する者はいない。・・・・が せっせとものをつくり、それを売って稼ぐのではなく、お金でお金を生み出す経済が急速に膨らんだ今の状況は この先を不透明にこそするが 決して国の形として 良いとは思わない。(『里山資本主義』参照)
 

2976:隠忍自重

 身の丈を弁え 淡々として生きている方と話をすると 大いに反省する。久しぶりに会う学生時代の友人は 定年退職後 ヨーロッパ旅行をして その時に撮ってきた写真を見せに態々土浦まで来てくれた。7Gメモリー2枚分(
約4000枚)になるという膨大な写真の中から7冊の写真集にしたものは実に良く纏めれれ 楽しそうに説明してくれた。何十年前だったか 当時一緒に山登りをしていた連中が土浦で集まった、その時の会場であったホテルのレストランで昨夜はヨーロッパ旅行の話を伺った。
 彼とは45年以上の付き合いで 昔の話は昨日あったようにハッキリと思い出せる。既に同期の山仲間は3人が彼岸に渡っている。人生いろいろ 
 ”隠忍自重”とは 軽々しい行動は控えよということ、判っているがなかなかできない。それで 相手と気まずい関係になったことも多々あり、後の祭り。もういい加減に大人になれよ!と彼の地から言われたように思う昨今、相も変わらず切れ目がない生活を送る。今日は日曜日法事が午前午後と入り、それ以外に予定はない。土曜は霊園に早目に行って待っていたが当家が中々来ない。寺に電話をすると お寺で皆さん待っていると?????
 このチグハグサを繰り返し、その度に反省はするのだが 次に生かせない。でも 言い訳がましくなるのだが 4か月前に電話で予約された法事は 私の記憶能力の限界を超える。書き残してはいるのだけれど どこにそれを書いたか忘れてしまう。
 もう この辺で勘弁して頂きたいと思うのだが 性分とは如何ともし難し。雨が続き 自棄に元気になった境内の草の背丈が伸び放題、ドレ 法事前に草刈りするか・・・・・
 名誉住職で現役引退をした和尚を何人も知っている。だが 先代が脳梗塞で倒れてから5年間、車イスで住職を最後まで続けた姿を見て来たから それは出来ない。あちらに渡った時 間違いなく 叱られる。いつになっても親子の歳の差は変わらない。他人はこんな私のことを 「オヤジさんに 似てきたな~」 喜んでよいのかどうなのか 人生いろいろ 今を生きるという実感を失いたくないのは 誰しも同じでしょうから。
 
 ゆとり無駄・・・・・・人生を旅に譬え 昔から言われ続けられてきた”ゆとり”は 、最高の贅沢と思う。ただ、ゆとりを富の多さや時間の長さで測ることはできない。そのことがハッキリしてきたのではないでしょうか?
 いま 、某国への旅を計画している。その国は”ボルネオ”、私の恩師ご夫妻が20年以上現地で実践活動を続けてきた場所、往復のチケットを揃えた。それも日程変更不可のものにした。唯一現地との連絡はメール、ここにきて メールの不具合が生じ、うまく連絡できない。そこで 奥様のメールへ送った。ご主人は文明の利器に抵抗してきただけに 時々 パソコンがストライキを起こすという。
・・・・≪ すごい田舎、異民族の中での実践をご覧ください。日本と違って貧しい中での実践です。ハード面で自慢できるものは ありませんが みんなの笑顔で満たされています。・・・≫という奥様の添え書きがあった。
 この短い文の中に もう答えは出ていると感じた。
 ヨーロッパ一人旅の写真を夢中で説明してくれた友人が、お母さんが晩年利用した介護施設、彼は仕事の合間、あちこちの施設を訪れ良い施設を探し続け、やっと見つけた所での経験を話してくれた。≪ほとんど面会にくる家族がいない。自分が行くと迷惑そうな雰囲気を感じた。寝て食べて入浴しかできない日課、元気な老人もあれじゃー気力が萎えて 早く死んでしまう。施設の責任者に自分の希望を言ったら、嫌なら出て行ってもらって構わないと・・・・≫ 町の中の閑静な場所にある超近代的な施設、これを売りに入居者を募集する所が日本では急増している、施設パンフレットにある利用者の笑顔・・・・「これって 本当なの?」と求職活動で見学に来た学生が語ったという・・・・
 介護離職者 保育待機者ゼロという触れ込みで 前倒し受け皿整備の緊急対策、その裏の実態は どこで誰が認可し内容をチェックするのか 正直 その体制は今のところ不透明。
 結論を言いますとね。世の中に新札のお金がダブついて 銀行は 融資先が見つからない。当然 安全(経営が行き詰まっても引き受け手が見つけやすい)な融資先というのが条件だから 福祉や医療が狙われる。その誘惑に負けて 煽てられ その気になって ドンドン事業を拡大する所も無きにしにあらず、・・・・・・。これは アパート経営と全く同じ。 先祖代々の土地を守る為 とは裏腹に 真逆の結果に そこで気ずいても もう遅い。
ゆとり無駄 ⇔ 隠忍自重  これは アナログの計算式でしか 判らない。
 動物の世界にもある”示威活動” 相手を威嚇し 自らの力を誇示する行為、当然、人間社会には いろんな場面でその類のものがありますね。誇大広告も然り、粉飾○○なんてものも同じでしょう。粉飾預金は、今も実際に行われているのかどうか? これって英語ではウィンドー・ショッピングと言うそうで見せかけです。それと逆に パナマ文章で明らかにされた 実際より過少申告で済ませようとする輩の心算、これが合法的な行為なのか否かパタリとその報道が消えた。有る所にはあるのでしょう。
 日銀総裁の演説でGDP2%の実現? 紆余曲折 実現困難となれば そのできなかった理由が用意され、更なる対応策を講じるとか。実際には 何故それが必要なのか皆さん判っているでしょうか?それは結果でなく 経過の説明不足。身近な例で 最近の墓石事情、墓じまいに要するお金、どれくらいか判りますか? 1坪弱の墓を更地にするには 安く見積もって70万円かかるとか、この額が相応なものか否か 受け止める方は様々でしょうが、新規墓地より墓じまいの墓地工事が多いと嘆く墓石業界の苦肉策??? これって財務諸表では どうなるの?GDPを上げるのに役立つの? 減って増えて 増えて減って どこかでみたような気がします。
 それよりも 鉄筋コンクリートの建物を解体する費用、これまた 今の相場が判る人は少ないと思う。都会に林立する高層マンション、あれだっていずれ解体する時期が来る。平屋と違い30階40階のビル解体は????
 尚恵学園も旧成人寮の解体を計画 その跡地を活用するには なるべく早く更地にしたい。 今回の法改正で積立金の計算式(案)が示された、国からの正式なものではなく、業界団体が示したもの、それによると 減価償却した建物など、継続して支障なく事業を行うためには 建て替える為の費用は当然必要、そうなると 世間でいう悪評の剰余金なんてものでは無く、必要不可欠な引き当て金です。・・・・・が それだけで済まない。解体処分する費用、これは今後も上がることはあっても下がることはない。中には 今の産廃規制で国内で処理できないものもあるとか。キュービクルこれは 国内でたった一か所(北海道)しか処分場が無いと聞いている。
 それよりも 放射能汚染物質や使用済核燃料?????
 

2977:おあずけ

日頃の行いが悪いからと言われても仕様が無い。久しぶりの芝刈り、メンバー4人 皆さん”OK”一言で賛同し 私が場所と日時を決めて準備をした。 この時期 台風が多いのは判っていたが 皆さん8月の盆月は多忙な方達だから 9月早々にという事になり、今日になった。何度天気予報を見た事か、見るたびに悪くなる、そして決定的なもの、雷注意報、土浦周辺に出た。避雷針を振り回してまで やる勇気は誰も無い。
 日延べの連絡をしたが、何とも面白くない。メンバーの中に東京から参加する方もいる。彼は 行くだけ行くよ!と言ってくれたが 声に張りは無かった。
 日頃の行いが・・・・・・ 私だけか? いや 皆さん 自分をそう思う人達ばかり。 仕方が無い やり残した草刈を今日も雨が降る前にやるか! エンジン草刈り機で腰の回転、?????
 いま 朝の6時 外は黒い雲でまっくら。これでもかという位の快晴の下で どうしてできないのだろう。日焼け防止のアンダーウエアーは買ってはあるが 今まで一度も着たことがない。
 ♪ 時の流れに身を任せ ・・・・・だからお願い 傍に置いて欲しい・・・・・・♪  上を向いて歩こう 滲んだ星を眺めながら・・・・♪ 66歳になった私が 2番目に若い 身の程を知れと言われたのかも知れません。ハイ OK
 予想通り 午前中は雷雨、急に降り始めた雨はあっと言う間に狭い水路ギリギリまでとなり、もう少し降り続くと溢れる所だった。インフラ整備というものは やってもやっても間に合わない。恐らくは何番目かになっているだろう用水路の拡幅工事、これだって住民要望の高い順で後先になる。水路は排水にも農業用々水にも利用される社会資本。・・・・・が、大雨になると毎回、下流の被害に比べ高台は ほとんど気にならない。我先にと稲刈りが終わった所は良いのだが。尚恵学園の通所事業所がその水路に沿って建つ。この水路の上流部 市内随一の神立工業団地や宅地造成した地域、そこで降った雨が一気に 幅2メートルに満たない水路に流れ込む。
 拡幅できない理由を 何度聴いたか判らない。それは 距離にすれば1キロちょっと 常磐線と県道の間に水路があって、幅を広げる余裕がないからで 狭まった処でどうしても水が溢れてしまうのだ。素人だって判る。しかし、それをどうするかを問うている!ハッキリ言って将来を見込んだ予測の甘さでしかない。そして 残念なのは現在の市には拡幅する気持ちが無いというのが明らか。
 片手落ち・・・外見は気にするが その中味は野と成れ山と成れ!万が一この一帯を遊水地だと考えているならば 日本の農業をどう考えるかで これまた将来への備えがオカシナ事になる。これで地域創生何をかいわんやである。 
 地方では、子供が減って 学校の統廃合がドンドン進む。通学範囲が広がって 送迎バスを出している。廃校になった学校の再利用、そこに その地域の眼識が試される。
  この国は危機管理が世界のGDP順位に比して どうなのか? 外国からの攻撃に対し 備えがどうのこうの議論はするが、国内の危機管理が片手落ち? 東京一極集中で何か起これば 全てがマヒして大混乱、何故か国の機関のバックアップ機能は 脆弱です。東海道53次の出発点、日本橋、いま 言われないと分からず通り過ぎてしまいます。重層する高速道路、橋から上を見上げれば 誰もが恐怖感を覚えてしまう。その地下は、これまた縦横に地下鉄が走っているのです。これを どうするか? 完全に思考停止していませんか。
 首都移転は 最早 この国では有りえない? 金が集まる処、利権絡みが複雑で 次なる一手が浮かばない。
 私が20代前半の頃 身震いして読んだ糸賀先生の本、そこに書かれてある糸賀イズム、≪この子らを 世の光に≫ この歳になって 改めて その思いの深さを感じている。その方達と 一緒に過ごせることに 感謝しこの先を歩む道標として参りましょう。
 

2978:無垢清浄光(むくしょうじょうこう)

 ”穢れ無き、純真な人達”を糸賀は≪この子ら≫と呼び、この子らが 世の光になって遍く照らし心の闇を清らかにしてくれると説いた。無垢清浄光(むくしょうじょうこう)慧日破諸闇(えにちはしょうあん)能払災風化(のうぶくさいふうか)普明照世間(ふみょうしょうせけん)・・・・。妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五ノ偈にある(観音経)。
 無垢=穢れ無き、純真な。
 相模原の事件後、私は 何故 あの若者があのような行動に至ったかを考え続けてきました。まだ 真相が解明されていない中に 軽弾みな言動は控えようと自分を抑えている。障害者を抹殺することが”国益”になると 衆議院議長に手紙を持参したという行為は 常軌を逸したもの、到底理解できることではない。あの悲惨な状況を思い浮かべるだけで やり切れぬ思いと怒りを抑えることができません。
 残念でならぬことは 前兆があったのではないかという想い。事が起こる前に 何らかの方法が取れなかったのか?
 私は 真言宗の寺の住職、毎朝、本堂で観音経を唱えてから 尚恵学園に向かう。・・・・今日 一日が何事も無く平穏であることを願う・・・・・。もう40年以上続けてきた。
 今、このまま日本が進んで行って果たして良いのだろうかという思いがあります。某新聞の片隅にあった 過去一年の間に自殺未遂を行った数が約53万人、その中で4分の1が今も自殺を考えているという日本財団の調査。15~39歳の引きこもりの数が54万人という推計(内閣府)
 日本人は平和であるということを心から受け入れているでしょうか。≪『マネー資本主義』が生んだ「刹那的行動」蔓延の病理≫(里山資本主義:P280) この本の中で「マネー資本主義は、やりすぎると人の存在までも金銭換算してしまう」とある。ここは先の非道極まりなき犯人の実像とダブる。
 現代日本の抱える病理の一つとして、現在~未来への「光」を見いだせず、「経済の豊かさ」と「便利さ」という幻影に翻弄され 多くの人々が不安の中で彷徨い続けているということではないだろうか?ならば それにかわる代案を示せ!と謂われます。正直、こういった議論に虚しさを感じます。それを言うなら 貴方は公約を守りましたかと逆に問いたい。
 人間の価値は、誰かに「あなたはかけがえのない人だ」と言ってもらえるかどうかで決まるという。他に代わるべき人がいないからという有権者のホンネに 貴方は何を持って答えようとしていますか?
 老人と子供への対策が急浮上する中で 障害者の人達への支援は 複雑化するだけで判り難く 将来に不安を持たずに「あなたはかけがえのない人」と言えるような形に早くなって欲しいものです。
 世界の動きが目まぐるしくなっています。配信されるニュースに目を疑い、何故?という思いだけがつのる。地球上で現に起こっていることがライブで休み無く流される。それは 山から湧き出た清らかな沢の水というより、茶色に濁った大河の流れのようで、最早、一艘の小舟を漕いで対岸に渡ることなど考えられない。進化し続けるIT化の功罪のマイナス面では 過程を軽視し、結果中心の刹那主義と無感動になってしまうことだと思います。
 某国の核実験、人工的な地殻の変動に直ぐ反応することは できても、それを防ぐ方法を見つけ出せない。昭和10年代の世相に似てきたと警鐘ならす歴史家はいても それを食い止める術を持たない。
 ふと思ったことがある。以前にブータンを訪れた折、若者が街の中で携帯を使っている光景をみた。世界で一番幸せな国、近代文明に侵されず 我が道を只管 歩んでいこうとする願いとの共存を模索していた。
 仏教は、宇宙や太陽を思想の中核にそえる。それは 人間の意志で自然を自由にできないことを諭すためと思っている(自然悟道。)慧日破諸闇の”慧日”とは太陽をいう。 あらゆる闇を太陽の光が隔てなく照らすこと。
 自然からの恩恵を無意識に受けながら生きてきた我々は 50億年という地球の歴史の重みをややもすれば忘れて 当然と思ってしまった。
 同上ノ偈文に発大清浄願(ほつだいしょうじょうがん)があります。これこそが 仏教の立場、つまり 隔ての無い人々への救済、それは 大海の如く深く広大であるという。そして 全ての衆生を救うまでは自分は成仏しないとの真の清らかな願い。
 この教えだけを真似て リーダーを自称し、私腹を肥やす、それを何とも感じない輩が増えすぎませんか?当然 その者たちは見返りを期待し、地位や立場にしがみ付く、もし、生きる為の便法に過ぎないと言うのであれば、それは清浄願とは言うまい。清浄の”光”と”願”は 欲とは対立する関係ではなく、その全てが 一人の人間の中に在るとみる『観』。だからこそ、相手に対し隔てなく応じることが肝心、これは 最早 頭で理解しても行動にうつせるかどうか!
 僧侶として 多くの人の終末の様を見聞し、生きた年月の長短ではなく、地位や富の差では無く、人として 何を願い 貫き 旅立っていかれたか・・・・・・そこに私は価値を見出したい。
  自坊の本堂に飾る 多くの仲間たちの遺影に平伏し 自らを省み、教えを請いたいと切に思う昨今である。
 清浄観・・・・観音経の五観の一つ。光・願・観に清浄を加える。表白に「こころ清ければ仏をみる」という文言があります。汚泥の中に咲く蓮華を例として仏教が説かれます。綺麗だな~と思うのは勝手、ハスは意識してそうありたいと思わず。そこに 糸賀が説いたこの子らの清浄心と重なる。≪福祉の思想:糸賀一雄著≫&≪観音経講話:鎌田茂雄著≫参照。

2979:豊洲疑惑?

 卸売市場絡みの報道に大都会”東京”の驕りを感じます。巨額の財源を傘に繰り広げられる疑惑、これは国でなく地方の問題と思っている人間はいない。東京は経済発展の恩恵を一手に吸い上げ、一国の国家予算に匹敵する膨大な資金を動かす、次々に暴かれる不透明な実態が関係者が本当に判らなかった? もし完璧(?)な、政と官の馴れ合い構造が出来上がっていて、都民に知らされず行われていたとなれば、これは世界からの嘲笑を浴びる。東京もかと、清廉潔白ニッポン どうした!
 前の都知事は全く顔を出さなくなった。ネット上で一連の疑惑報道が盛り上がる。 地方創生は一極集中の東京と衰退の一途を辿る地方の格差是正を目論むもの?その対策として地方向けに付けられる予算は 今回の豊洲市場移転の総額とどっちがどれだけ多いのか? 前任者の有らん限りの大判振舞、新しい都知事がどこまで真相を解明し改善できるか。
 しかし、豊洲移転問題以上に4年後の東京オリンピック開催には、比較にならぬ金銭が動く、これへの対応は大丈夫なのか!そのチェックをどこで誰が行うのか? 恐らく、過去の問題を洗いざらい調査するのは至難の業、当時誰が関係していたかを突き止めるだけでも大変でその後、疑惑への検証作業が待っている。まだ 始まったばかりなのに シャンシャンシャンは無いと思いたい。 一介の田舎坊主が喚いたところで波はたたぬ。清浄⇔汚染。なんとも遣る瀬無い思いだ。さて、堅固を誇る○○都連がどう動く。報道の自由と言いながら一方では規制を強める。マスコミはスポンサーに弱腰で微妙な判断を強いられよう・・・・
 混迷の船出・・・・正直 同情したくなりますね。まあ~その辺は当然 覚悟の上、海千山千の老獪な人なればこそ。議会制民主主義は数の力がものを言う。それを 変えようとすれば 抵抗は増すという事は判っている。
 それを可能にする唯一の方法は民意を味方にすること、”都民ファースト”、しかし、選挙で選ばれた方は その都民の声をバックに議席を得たはず。現状は長い事やってきて既得権益に浸かり、庶民感覚とのズレが大きくなった結果でしょうね。地方と東京の違いは、先立つものが全く違うから余計にヤヤコシイ。背に腹はかえられぬという差し迫った状況が有るのか無いのか? そこまでいかないと実は有権者の関心が向かない。これが 現状の素人の分析です。
 そこを 上手く利用しようとする輩が増えれば どうなるか?
 大なり小なり 企業のマネージメントも同じです、伝説的な経営者に共通するものは 何か?管理・処理・経営 いずれを取っても難儀する。中でもサービス産業の日進月歩は凄まじい。業種により斜陽化が深刻なものもあって生き残りや他業種への転換も図られる。時勢に遅れまいと皆が皆 必死だから 当然浮き沈みが起こりましょう。
 けれど 相手が人間となれば 競争に耐えられない者が生まれます。≪そんな事 判ってますよ。。。。でも・・・≫ということになりかねない。清貧や知足・・・・は 古き良き時代の遺物ではあるまい。
 ならば 自営業で体一つで頑張るか! 農業がそうでした。第一次産業の殆どが元気なく 後継者に苦労する。それは リスクを背負ってまで 独り勝負に出るかどうか 正直 日本の現状は それを許せる状況になっていません。
 家族や夫婦の形が随分変わった。昔 共働きが推奨された。今は それなくして成り立たぬ。ならば それをプラスに活かせる仕組み作り。自助・共助・公助・・・・・・そこに必要不可欠な条件は・・・・・・忍耐力。
 間違いでしょうか?
 

2980:彼岸まえ

 賽銭箱の上につけた防犯カメラ・・・・・毎日 賽銭を失敬していく老婆の姿・・・・ハッキリと映っていた。この話は四国の札所の寺で実際に起こったことをテレビが取り上げた。巡礼者は神や仏に願いを込め 手を合わせ賽銭を投じる。この祈願成就のお金を白昼堂々 持っていくおばあさん。それを見た副住職が・・・・”自分が罪を犯し 罰せられることを覚悟しているおばあさん。そのような人に本来の寺は向き合い 寄り添っていくべきだった”と語った。
 仏教は 人の生命を最も大切にする。・・・・・が 釈迦の生きた時代と明らかに時代は変わってしまった。何がどう変わったか ! その中でも一貫して変わらぬことはある、それは自らと向き合うこと、脚下照顧(きゃっかしょうこ)、それぞれの生きざまで思いを実践に置き換える。この副住職はいま 札所でご朱印帳を書くだけでなく 外に出て巡礼の人達と積極的に語ろうとしている。
 森羅万象、地球上で生きものは人間だけではない。山川草木悉皆成仏 人間の横暴な振舞が目に余る。近年はそのしっぺ返しを受けているのではないか。気候変動に伴う想定を超える災害、自然の猛威は人間が考え出した防護壁を簡単に乗り越えた。更に 高さを増せば済むのか? 一方では 災害への防御をはかりながら、片方では 人間自らが考え出した武器で殺戮や破壊を繰り返す
 それと身近な処にも同じことが起こる。相模原の事件のあと、国は施設への防犯カメラの設置を進めている。その目的は外からの暴漢者を防ぐため・・・・、だが 見方を変えれば 利用する人達を監視することにもなりかねない。設備や制度をどんなに考えても防ぐことができないことがあります。
 「そんなことをしたら お天道様が見ているから やめなさい」・・・一昔前までは、お年寄りや親、それに近所の人達までにも 腕白な子供たちは言われたものだった。それがなんと余計なお世話だと怒られる時代、なぜそうなったのでしょうね。恐らく、豊かさや便利さを追い求め過ぎたツケだと私は思うのです。そこにはどうしても自分さえ良ければという考えが出てきます。ならば不安や不満が醸成される社会が幸せか?お天道様を日本人は特定の宗教とは考えない、遍路道の軒先に ” どうぞ ご自由に”とミカンやカキ、お茶が置かれていた。大らかさと温かみがあった。誰もみていないから大丈夫、損得計算に強い者が良い思いをして、言われたことをコツコツ真面目にやる人間が浮かばれぬ。全てとは言わないが、突き詰めて考えるとどうしてもそこに辿り付く。無功徳・・・ 求不得苦・・・
お天道様は「こころの防犯カメラ」。彼岸まえ南シナ海周辺を3つの台風が同時に発生、その進路に一喜一憂、これも 逸れてもらえば良いのかだろうが 必ずや逆に直撃を受け大きな被害を受けるところもある。
お天道様&お互い様・・・・様にはいろんな様がある。
 
 ”伏魔殿”という言葉を久しぶりに聞いた。前都知事の方が東京都は伏魔殿だと語ったとか。今後、実態解明が進めば、矛盾も出てきましょう。大分前の事だからお忘れになったかも・・・・・。
有識者会議というものが 定着し、行政が何かを行う場合に専門家の人達の意見を聞いて 具体化する。これは一見 無難なようだ?????。誰が選ぶかということになるのでしょうが、当然 行政のトップ・・・・・”だまされた”という最初の答弁は撤回したのかどうか?
 地獄~天まで六道は、実は自分の中に存在する・・・・・。それと”共生”、これに対しても誤解があるようだ。弱き者が集まって互いに助け合って生きると思われがちだが、本来は違う。一人ひとり違った人達がお互いの人格を認め、共に生きること、これが仏教の本来の意味。(マンダラ)
 福祉の原点も 実はそこにあったはず。それが、制度整備の過程だかなんだか知らないが、一人の人間を数値化し、ランク付けし、サービスへの報酬格差を設けた。事業化が進めば 当然マネージメントの是非に関心が向く、今の日本は 当にコンサルタント&研修の坩堝、誰とのタッグマッチか判らずに相談する側にとって 一歩間違えると潰されることに成りかねない。旧の木阿弥! あの報酬区分け表を見れば どこだって高い方に関心が向くはず、そこには 最早 人間の尊厳という問題は消え、経営ノウハウが最優先。こうなるのは当然の事でしょう! これに対し、この国は信義誠実の原則(日本民法第1条2項)からみてハッキリ言って付焼刃的で福祉の仕組みは金次第????
 そこを”伏魔殿”と語ったとすれば、あの方の気持ちも判るような気もします。
  
 ネット社会になり、何が一番変わったかと考えた。顔向き合わせの会話が減ったこと、家庭でも学校でも職場でも、逆に増えたのはネットに向き合う時間、大人も子供も1日ネット付けなんてことは珍しくない。そうなるとどうなりますか? 昨日でリオオリンピックが全て終了した。開会式と閉会式は確実に様変わり、ITを駆使した演出は見事?。一瞬にして場面が変化、音と光が縦横無尽に駆け巡る。もし、あの現場にいたら どう感じただろう。
 4年後の東京は 更に工夫が凝らされ どうなっているかは想像つきません。果たして これで良いのか?例の私の疑いクセが顔をだす。現実と理想と空想・・・・  エネルゲイアの概念は?・・・・・。人間の能力には際限がないのだろうか・・・・遺伝子工学の進歩、その行き着く処は??? 願望充足の欲求は 果てしない。ここまで来てしまうと もう オリンピックと彼岸の意味を考えることすら できなくなるのでは・・・・19日は彼岸入り。
 境内墓地には 線香の匂いが立ち込めています。
   * 草刈後 背丈を伸ばす 彼岸花・・・・・・

2981:彼岸解説

 よく判らない方もいらっしゃると思い、お彼岸についてちょっと解説いたしましょう。秋と春に7日間ずつ年2回 ”彼岸”と定め 此岸(迷い)から彼岸(覚り)に至るための行を修する(到彼岸)仏事と言えましょう。具体的には六波羅密を一日一つ行って過ごしなさいという。それは ①布施②持戒③忍辱④精進⑤禅定⑥智慧と申しまして、竜樹という偉いお坊さんが『宝行王正論』において *布施・持戒=利他、 忍辱・精進=自利、 禅定・智慧=解脱であると解説しております。
 そこで 申すまでもなく 何が肝心かと言えば 自分自身が どうそれを実行するかに尽きるわけです、難儀と思えば難儀、そこで諦めてしまえば それっきり。昨今のITの魅力に毒されてしまいますと瞬時に結果が出ないと受け入れない輩が増えまして 何を馬鹿なことを言っているか!とお説教を逆に受ける始末。これではな~??? 覚りとか解脱というものは 今風に言えば”安心”だと思いますね。フイリッピンでNGOで活躍されている日本人女性の話、日本との違いを「日本は将来の安心のために 今を我慢する人が多い」と、やれ保険だ!検査だ!薬だ!と その負担も大変でしょう。フイリッピンの子供達 貧しいが故に路上生活をしている彼らから学ぶのは 今を生きる強かさ、仲間との助け合う気持ちがとても強いと言っていました。
 日本はなんでも手に入ると思われていますが どうでしょうね 。生きるための”工夫”に何かが足りないと思いませんか?「利他」<「自利」という構図が強すぎると感じません?本当は「利他」=「自利」かな~
 6つの行で 忍辱というものがありますね。「不浄を隔つる忍辱の袈裟」との例えがあるように 様々な外障を忍辱の袈裟を纏えば防いでくれるという。忍辱は私の性分では最も苦手とするもので屈辱やら迫害を忍受し恨まないなんて出来っこありませんよ。怒り心頭に発し、わめき散らす。・・・・・そんな夢を最近よく見るんですよ。極力 現実場面では 抑えようとするから 夢でうなされるってことかもしれません。
 お盆から彼岸にかけ 寺にはいろんな電話がかかってきます。跡目をとるものがいないので自分が死んだらどうしたら良いでしょうか?という内容の相談が急に増えました。そうかと思うと11月頃 47回忌を行いたいのですが予定は大丈夫ですか? 3カ月先ですよ感心しますね。良く覚えていらっしゃる。私の所では檀家さんに法事の知らせを出したことがありませんが凄いと思いますね。こうやって先祖を大切にするお宅もあれば お骨を寺に預けっぱなしの方もいる。 多分 それも 好きでそうやっている訳ではないと思う。それぞれの事情があって 今に至った。
 * 願わくば まだ見ぬ 彼岸には 春 百花繚乱 夏 微睡む木陰 秋 紅葉と虫の声  冬 新雪に心鎮める そんな 天地であることを・・・・*
 

2982:因果応報論

 過去の善悪の業が現在の果報を生じ、現在の業に応じ未来の果報を生ずる。因果応報! 時間の流れが速く、それに応じ変化が激しい今の時代 それ自体に確証が持ち難い。
茨城県警にひばりくん防犯メールという情報サービスがあり、誰でも登録すれば配信されます。県内の核になる警察署が随時 地域の情報を流し、注意を呼びかける。驚いたのは 毎日凄い量の配信があること。盗難や詐欺、その他もろもろ これらに対応している警察も大変だと思います。
 様々なネット情報が 氾濫しています。 これは 受ける側自身の問題な訳でしょうから、嫌なら ネットに繋がなければ良いだけでしょう!  それがそうとも言っておれない、相変わらず寺の周辺はポケモンGOに興じる人が絶えない。正直 迷惑な話です。見ず知らずの人が車を停めスマホと睨めっこ!国はこの種のゲームを規制できないのでしょうか?万が一 それが原因で事故でも起こったら その責任を現法では誰がとるのでしょう? 自己責任ということでしょうか。被害者は堪ったもんじゃ~ありません。この曖昧さを”自由”とカン違い。
 善因善果 悪因悪果 もとは仏教の言葉ですが、昨今の事情は何が悪で何が善かが良く判らないということになりました。さーて 困ったものです! 
少々 固い話ですが≪近代的資本主義はなぜ危機に陥ってばかりいるのか≫(『資本の世界史』ウルリケ・ヘルマン著 P174)に・・・・景気の沈滞は成果の現われ。経済危機は社会が豊かである証拠。モノが有り余るほどになって初めて景気はおちこむことができるのです・・・・・規則的に。・・・・・・。いくら付加価値の高い商品を開発しても 衣食住に満たされておれば内需は伸びまい。見せかけ都合よい数字をあげ 景気の動向をどう説明しようとも 根本的な解決にはなるまい。そう思いませんか。
 現代の誤解は、豊かさというものを 無数の数学の公式で記述し、あたかも良しとしていることにあるのでは・・・・という指摘である。全くの同感です。汗水流し築いた豪奢な街並みを一瞬の内に自らが作り出した兵器によって破壊する。その結果 何を学んだと言うのでしょうか?  一方、日本型福祉の限界は、老人や子供を社会の負担と考えることにあると私は考えます。”共生社会”は 一体何をどうした社会なのかという共通の絵が描けない。
 それ無くして 制度や仕組みをどのように変えても”安心”を得ることは出来ません。一人ひとりの尊くおごそかで侵し難い尊厳に対して日本国民としての基本的な態度が育っていないからですね。
 老人・こども・障害者を社会的弱者と考える国は 真の福祉国家に成り得ず、各々の意志にそぐわない取扱いと負担に怯えおののき 結局は その不満の矛先が 弱者と言われる人々に向けられてしまう。これが 現代風 因果応報論であります。
  
 個人的には、いまもって豊さ&利便性への憧憬に疑問があって、さーて このまま進んだら 一体どうなるかと心配になります。2極化どころか 皆が皆 流浪の民になってしまうような・・・・・それは 際限無く刺激、、その結果、誰もが不安を感じることになっていないか。「ゆとり生活」という考えは 一歩誤ればどうなるか? 周りには心の病に悩む人が急増しています。ウツ、パニック障害、不安症、・・・・統合失調症など、この原因をストレスに結びつける。 でも 生きていくことで ストレスが無いということはあり得ません。人間共通の問題でしょう。
 いつの間に病名が付けられた。 地球上の人間誰もが障害者ということになりませんか。 今更、社会的弱者と呼ばずとも良いわけです。この現象が 地球全体を覆って、特に先進国と言われる国が深刻になっている。
 転職を繰り返す人が増加しています。そのことが良かったと思う人がどれほどいるでしょう。実は その統計を国は示されない。禅の教えに「只管打座」というものがありますが、、≪ひたすら その事に集中する≫と謂う事です。目移りし、次々に仕事を替えることは ≪只管(ひたすら)≫に反すること、釈迦十六羅漢になった周利槃特(パンタカ)の生きざまが 今の日本で見直されても良いと思うのです
 

2983:雑感

最近急増しているものに電話勧誘というのがありますね。夕べ 危なく私は契約に同意するところだった。 その手法はこうだ! 夜の7時過ぎに電話がかかってきた。相手は女性、電話番号をみると0120・・ではじまる。これはこの種の業界が使う番号で ハッキリ言って証拠を残さず相手を特定されない為である。うら若い女性の声で概要の説明、後ほどこちらに担当者からの電話が入りますという。5分後に今度は男性が自らを名乗って説明始める、こちらを信用させるためか 申し込み番号を控えさせ 後ほどかかる電話で詳細について担当から説明があると・・・・。 最初の人間が説明。一人二役。  いずれもマニュアルにそった進め方だと直ぐにわかった。 内心オカシイと感じていたが 聞いてやるかと高をくくる。寸でのところで「もう面倒だ! やめた」と私が態度を変えた。すると 相手の言葉の調子が急に変わった。それは・・・「自分たちは不動産屋さんみたいなもので 取次はするけどこの後は○○という会社から 確認の電話があるので そこで 了解した旨話してくれればそれで済みます」という。「それが 面倒なんだよ」と言ってやった。 何故 自らを不動産屋と同じと言ったのか? 恐らくこれは対応マニュアルになく ホンネだと思う。
 最近 NTT関連の変更電話勧誘が急増、こちら側の情報(電話本数・インターネットの有無・契約料金・プロバイダー先など)が流れていることは明らか、料金下げを売りに近づく、それにまんまと騙される人は結構多いのではないだろうか。いま消費者センターにはその種の苦情が急増、 皆さんも注意して下さい。
 ①勧誘電話はNO!
 ②料金下げの売り込みは疑って  
 ③電話での契約完了は有りえない。後日、必ず 書類が送られ 同意書にサインし契約する手順になる。それ以外は違法になる。
 ④相手の名前だけでなく 会社の電話番号を抑えておくこと。
   冷静に対応することより その種の電話は 即、断ること これが一番。 
  言い訳がましいが、寺は夜遅く電話がある場合がある。悔やみの知らせなど。施設からは時間に関係なく緊急の連絡が入る。 
 判り切ったことが できない。見ず知らずの人間が 所属と氏名を言えば良いというルールは如何なものか? 言葉巧みに それを職業としているのだから 相手はプロ。あくまで自己責任で此方側に結果責任はあるのだろう。
 福祉や医療に対し、世の中の疑念が増している。いずれの事業所もサービスの向上には 日頃から必死に取り組んでいる。利用者側の立場は微妙、何らかの理由で利用ができなかったりすれば 期待が不満に変わる。それと どこかで不祥事が起これば、その疑念は一気に拡大、全ての事業所が同じではないのかと思われる恐れあり。365日休みなく 続けられる事業の宿命は 利用する人への配慮は当然、働いてくれる人への気配り、地域への・・・減ることは決して無い。 設備や建物が良くなったものの 60年前と比べ 確実に弱くなっているのは 家族との触れあう密度である、何故 こうなってしまったのだろう? 現在 3名の方が入院中、1名が無事退院したもののその日に救急車で病院へ搬送した方がいた。こんな時 いつも思う事、ああ・・・家族がいたら・・・・。てんかん発作による意識障害とわかり、点滴を行って帰寮した。繰り返す 日々の実践現場は一時とも休みなし。
 サービスを受ける側のホンネとサービスを行う側のホンネ、このままでは どこかで行き詰まる。苦情や様々な相談 仕組みはあっても 充分機能はしていまい。常に潜んでいるリスクへの対応、正直いって後手後手になるのが実態です。
 風通しの良い職場は、プライバシー確保と背中合わせ。時と場合によっては 非難の対象となる。そこには ハッキリした線引きはない。
 社福は来年4月より 組織ガバナンスの強化策として 幾つかの変更を行う。企業の統治能力をあげるための 様々な手法を社福にも取り入れる。規模の大小に関係なく、一様の変更を義務化した。
 これから先 あらゆる状況になっても逃げない、否、逃げられない。その覚悟を私は持っている。それができなくなった時は 潔く退場する。
 
 今日も草取りをしよう。3日連続、最初の日は 私ひとりだった。昨日はスタッフとメンバー達が手伝ってくれた。たった二日間で 大分綺麗になった。水分を多く含んだ土は 植物の成長を加速する。しっかり根を張った草は手で抜けず、鎌をつかってどうにか抜ける。いろんな場所を訪れ感心するのは どうしてこんなに綺麗になっているのだろうか?ということ。恐らく 相当の手を普段から入れているのでしょう。
  住職を任されている2か所の寺は昔と比べ建物も綺麗になり、境内も整備されました。これ全てが檀家の支援があってできたもの、住職は その管理をする役目、寺も施設も個人の持ち物ではないのは判り切ったこと。
 2つの寺は創立600年という歴史をもつ、朽ちることなく存在している。施設は貴重な税金によって賄われ今がある・・・・・寺と施設は 共通する目的がある。時代と共に幾多の変遷を経ているが、注意しないと本来の在るべき姿とは離れたものに成り易い。
 毎日3度の定時鐘楼の鐘撞き、それと毎月第3日曜日の近所の奥さんたちの掃除、いずれも自主的に途切れることもなく 続いている。
 尚恵学園は60年の歩みの中で知的に障害のある人達への支援を貫いて今に至った。最近は病院へかかる日も珍しくはなくなった。4人いる看護師はフル稼働、全てのスタッフの支えがあって命が長らえられる。誰一人として 利用される人達の尊厳を傷つける行為などするはずが無いと信じている。
 一抹の不安があるとすれば 家族との縁が徐々に薄れること、極端に言えば”任せっきり”の方が増えたことです。 利用されている方々はそれに様々な反応をします。これは私達にはどうしようもない。なだめ 機嫌をとるのは大変、もし 家族の高齢化や健康が理由なら どうするか いま対応に最も苦慮する現実である。 (9/28)
 ☆「えんちょう 父ちゃん」「かんのん寺 母ちゃん」という過去は遠くになったのか、それとも・・・・・。(回答) 「それは お前自身が”まかせっきり”なんだよ!」との天の声。
 

2984:試行錯誤

 トライとエラーの繰り返し、そこから何かのヒントを得て 形が出来上がる。失敗は恥じることではなく その事と向き合い次に活かすこと。すみません・・・ありがとう・・・喜び・・・トライ(試み)することは 見て見ぬ振りをすることと雲泥の差。尚恵学園の規模は大きくなった。それを意図した訳でなく 気が付けば そういうことになっていた。一人ひとりの事が判るかと言えば正直判らない。利用されている方もその家族もそしてスタッフのことも・・・・・・。
 朝晩 我が子を学園に連れてきて、昼間 働いている親たち、声をかける余裕もないほど預けて急いで職場に向かう。その子たちは 夕方になると お母さんの迎えの車を同じ場所で待っている。 この姿を見ると どうにかしてお手伝いをしたくなります。母と子の見えない関係は その光景からハッキリと見えてくる。言葉のないFさん、片手で”泊まり”の仕草をする。久しぶりに彼に会って、その時の身振り会話。
≪ いやー 違うんだよ 今日は 草刈に来たんだ・・・≫ と答えると「なーんだ」と言って どこかに消えてしまった。
 台風の季節になって その後片づけが終わらないうちに 新たな台風の襲来に備える。沖縄や奄美の人達は そうやって生活を続けてきた。茨城は その点では 被害が少ない県になっている。台風が通過する頃には勢力も衰え熱帯低気圧になっている。 備えあれば患いなし。これは 常に心していないと 後の祭りになるという先人達の教え、社福法の改正に右往左往している。なぜでしょうね。不安を煽る何かが働いているのかも知れません。その犯人捜しをしても 恐らく 無理でしょう。己自身の中に その原因があると考えれば どうでしょう! 年間医療費に支出する総額が40兆円、それも3年連続だという。豊かさ=医療費という公式は 如何なものか? 働けど働けど 我が暮らし 楽にならず 御身 可愛いさ 増すばかり 体鍛えず 薬づけ
 世界の叡智を集めても 台風をよける方法は無いと思う。叡智ではなく 反省が先ではなかろうか!
 空は深く澄み渡り・・・・云々、秋の季節の挨拶を 9月の日本列島では 何処もかしこも 交わすことは出来なかった。月平均で晴れたのは6日だけ 前線が横たわり 1日の天気の変動も激しく 洗濯ものを乾かすのに苦労した。屋外では 気温が高く 適度(?)の湿り気があるから草木は元気、背丈が伸びるのが早く 草取りが間に合わない。今日から神無月、週末は運動会のシーズン、出来る事なら秋晴れの下で楽しみたい。
 TVでは 東京オリンピックや東京豊洲市場移転に絡んだ番組ばかり、一体ぜんたい 何がどうなっているのやらチンプンカンプン、不透明なのは半端じゃない、最も恐ろしいのは 金銭感覚のズレ、どうしてあんな風になったのか?
答えは明白、自分のカネでないからだ。その責任を追及するが 肝心要の人が黙して語らず・・・・。
 後藤新平は≪良く聞け。金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。よく覚えておけ≫と語った。中村是公や新渡戸稲造との繋がりから読み取れるものは、後藤が著した『政治の倫理化』(1926年)に源がある。
 果たして 今の時代 政治の倫理を語る資格ある政治家がどれだけいるだろうか? 全く不透明な政治活動費の中味 知らぬ顔、身銭を切るどころか 利権や名誉欲で良い恰好しすぎていませんか?
 国会中継に全く魅力を感じない。それより、政治家の倫理について自論を述べ その確たる根拠をさらけだす事をやったら どうなんです? 山形弁で語る後藤の演説(YOUチューブ)に・・・・政治家の猛省を・・・・云々と語る所があった  実に説得力があるね~

2985:経営戦略

 銀座の某会場で行われた経営戦略セミナーに友人から誘われ参加してみました。20数名の参加者が熱心に講師の話を聞いていた。私は檀務を終えてからの参加だったので途中から。≪新・社会福祉法人の経営はこう変わる≫というテーマ、200ページほどのセミナー資料は 午後の講義だけのもの、その感想は一言では難しい。ただ、”これからパラダイムシフトが起きる。いままでの常識が非常識に変わる。”という。天動説か地動説か判らぬが、変化に上手く対応し生き残る戦略だという。このまま進むと日本が持たないと誰もが感じている中で果たして社福だけが既得権を守れるとは誰も考えていない。ただ、信義則なるものは変えてはならぬ法理だ、その上で自らの立ち位置を検証し、変わるべきことは変えねばならぬ。いま私が持っている問題意識は 何も社福だけのことではなく 地球規模のありとあらゆる分野で言えることではないか! 今をどう捉えるか?これとて明日変わってしまうかもしれぬ。そんな時代に生きている。だから 変化を急いで追い続けることに躊躇する。一人相撲をとることは勝手だが、そもそも思い通りにいかないのが此岸だと考えれば、焦ることは無し。
 日本人の感性には 苔むした清流に自らの姿を写し 安らぎをえる心があると思っている。鮭や鮎が遡上し 一網打尽に仕留め 生業とするむきは 安らぎではなく 生きる手段と考え 程々に!という思いが常に起こる。
 要するに 自らの関係する法人だけが生き残れば 地域の福祉が守られるのか・・・・・この視点は 自由や規制緩和策がいかに進んでも 中核にあって 答えは決まっている。なにせ 従事者自身の価値観が多様になっている今の時代、仏教でいう 実相無き幻影を追い求め 何を掴むことが可能かという事にいきつく。郷里の国上山の五台庵に諸国行脚の後 住し 村童を友とした良寛が今を生きていたらどう感じるか?越後 柏崎は先が読めぬ原発で潤った町である。
 遮二無二 追い続ける 経済大国ニッポン(?)は。このままでは 孫子に余りにも多くの負の遺産を残すことになるのではないか?これへの責任を誰も取らないシステムを考え出した張本人は 大都市東京の地下深く重層的に積み上げらてしまった。上辺を繕うことは いい加減に止めないと 自ら首をくくる悲劇が後を絶たない。この事と経済の豊かさは 表裏の関係・・・・
 もし、このようなテーマでの経営戦略セミナーがあったら 私は そちらに顔を出してみたい。果たして 受講者がいるかいなか ・・・・。
♪ 自由な風求めて ぼくの心に翼が 小さな翼だけれど 飛び立つ勇気さえあればいい 人はひとりじゃ生きられず いつも誰かに 支えられて・・・・・♪ 『コンドルは飛んでいく』デュオ・ケーナルパ
 
 支える側 & 支えられる側 もし パラダイムシフトが起こり、今までの常識が非常識になるというのなら、糸賀先生が倒れる寸前まで伝えようとしていた事≪この子らを 世の光に≫が これから先 どうなると言うのだろうか?
 支える側が経営を盤石にすること と 支えられる側が求む事とがズレてしまったら それは間違いだと私は思っています。経済財政諮問会議というものが 内閣府に置かれ 国全体の重点施策を財務省主体に予算配分の検討を行う。従来からの縦割り行政の在り方を変え 規制緩和策や地方分権という風通しと流れを良くし新たな展開をはかること それも官邸主導で行うという。
 果たして 従来の無駄を省き 世界一の国債依存の財政体質から脱皮できるのか否か? 今回の 社福法の改正のポイントは 社会福祉法人側への引き締め策を前面に出したもの、その条件がクリアできなければ容赦なく 退場してもらうというものです。その本心は、貴方のところが嫌なら いくらでも後を引き受ける所はありますよというもの。福祉を育てるとうよりも 増えすぎた事業所の中から好ましくない(?)所を淘汰させる道筋を作ったと思っている。それへの反発が有ったとしても 財政が持たないという理由と納税者への説明責任という理屈で跳ね除ける。  
 最近になり急に”社福や医療法人の生き残り戦略”を教えるセミナーが増えた。そこで示されるノウハウは 現行の会社法によって示されたものにダブル この先 国は社福そのものを 日本の福祉から無くそうとする意図を感じます。手始めは 財源を介護保険に一本化し、自助と公助割合を変えようと目論む。
 果たして 資本主義経済の中で 人間の福祉が守られるのかどうか その成功事例を外国から学ぶ状況にはないはずです。経済は人間の欲得抜きに考えられない。福祉はその真逆の思想を根拠にする。所謂 専門家とかエリート官僚という人達  どうも 自分達は別だと考えている節が見えてくる。目線が違う。反対意見をいうと社会主義か共産主義かと短絡的に決め付けてしまう人が日本には今も少なくない。そんな事では決してありません。一方で”ゆとり世代”という人達の増加、働き方を見直し 人生をもっと楽しめという、・・・・・・その受け止め方に”危機感”を感じている人も増えてきた。我々が育った時代と明らかに違う。その意味では今までの常識が非常識という意味も分からんでもない。 いい恰好 良いとこ取り それで 世の中上手くいくと思うなよ ・・・・・・
 社福の見直しも良いでしょう。ならば 貴方たちは本気になって政治や行政の改革を行う意思がありますか??? 北陸の某市で政務活動費の不正利用を理由に議員辞職する人が集団で出ました。これって あの方達だけでしたか? あの方達だけを悪者にし 自らの進退を明らかにしない。 これこそが 非常識だということを貴方達は認められない 社福が特権だと言う前に 自らを正す仕組みが 何故できないのでしょう。これだけでも今の日本の政治に限界を見てしまう。
 改善か改悪か?? この別れ目はどこにあるでしょう。仏教の基本的な精神は、自利利他、格差を避け大きな乗り物を用意し 共に生きること。争い事をさけ、その原因を排除し 共に歩むこと。自行化他、先ず 自らが行動し 次に他が在るという”道程”、その道は”中道”、有・無・断・常の極端なる対立を超越した立場、その上で善悪の判断をするものと理解しています。その基本はどこに有るか? 一言で「生命の尊厳」、私は 縁あって いま 寺の住職をしながら 毎日 障害を持つ人達との関わりを大切にしています。寺は 代々続いてきたもの35番目の留守居役として 次に渡すまでの間と割り切る。時間の大半は施設 想定外の出来事に対し向き合い 冷や汗をかくのが私の仕事。
 もし どちらか一方であったとしたら このような”呟き”を恥じる事無く、ここまで記すことは無かった。その思いは 日に日に強くなる。
 「死にたいとばかり毎日思っています・・・・・」という方が夫婦で来られた ご主人が自転車を押し、奥さんは交通事故に遭い、 松葉杖で ゆっくり歩いて来た。話を伺って 前にも寺に来て私と話をしたのを知った。
  ご主人が「 自分で食べる事もできない人や 話せない人がいるじゃないか まだ お前はこうやって自分の気持ちを自分で言えるんだから良いと思わないとダメだよ」と俯く奥さんをさとす。
 人は どんな辛い事があっても 何かの光を見つけ出したいと思うものです。 正直 断言はできませんが 尚恵学園で生活をしている人達のことを地域の人達が見守ってくれていることは確かだと思います。
 中には そう思う人ばかりでは無いことも承知していますが いずれ それが判る時がくるという望みは持ち続けて参ります。   

2986:前門の虎・・・

 今年最大級の台風18号は 日本海側にズレ、列島縦断だけは避けられた。最大風速80メートルという警戒情報を聞いただけで なす術が浮かばない。只管 被害が無い事を祈るのみ。福島原発の廃炉作業、汚染水の流出を避ける切り札として取り入れた凍土遮水壁が上手くいっていない。依然として貯まる一方の放射能汚染水、その実態が表に現れない。
 前門の虎後門の狼・・・次々に起こる難題に どう対処するか。自然の計り知れぬ力を人間がコントロールなど果たしてできるのでしょうか? 原発は 電力需要に応える現時点での最も安価な方法だとPR、しかし 一度事故が起これば際限ない費用が嵩むことを実証した。
 何かの問題にぶち当たった時に それに果敢に立ち向かう人達がいる。使命感? 問題は その何が問題かを知らぬ人が多いことが問題!
 自らは手を汚さず ああだこうだ 不平不満のオンパレード、もし このような社会になってしまったら 後戻りすることは無理になる。仕組みや制度 これでもかこれでもかと次々に繰り出すが 結果 どうなったでしょう?
 自分さえその被害に遭わねば良いとする。この考えが蔓延すると 国は乱れる。飴玉ひとつで泣き止む幼児は 今時いない。綺麗ごとは 実態と離れ、実態は 自力で拡散し 気が付いた時には遅い。
 マヤカシが罷り通れば それを餌に餓鬼が集まる。(仏教概説)
  俄に射し込む光明が 隈なく照らすには 闇が大きすぎませんかね。虐待防止法や差別解消法 次々に施行されました。足元に目をやれば 凍土遮水壁の対策さえ浮かばずに 拱いている現実は否定できまい。明日は我が身を疑う者はいない。それを認めず 良い恰好すればするほど 疑念が増える。 私は 法人が目指す理念として”共生”を60年前に掲げた当時の思いを見つめ直しています。教育を受ける権利まで剥奪された 子供達 人が育つ為の最低の権利を勇気と覚悟を持って世に訴えた先人達、紆余曲折あって今がある。
 差別解消と格差是正は どう違うのか? 納得いく説明を受けず 言葉だけが独り歩きしていないだろうか? 虐待をどう考えるか。これは永遠のテーマです。もう40年以上も昔の私の経験、日本にあった唯一の国立の知的障害児の施設 そこでの体験が私の原点です。自虐という意味をご存知か? 自らを痛め責めさいなむことです。 それが日常的に行われ 遊びにまでなってしまった子供達、当時 国はその子たちを≪異常行動児≫という名を付けた。今時 そのような事があれば どうなるでしょうか?最近では≪強度行動障害≫という新たな呼び方をする。 このどこが違うと言うのでしょうか?私には理解できない。
 当時 広いデイルームの片隅で 一日中、手で自分の顔や頭を強打するAちゃんを どうしてよいか判らず 私は傍に付いているだけでした。

 [入我我入]という仏教語 そこには その類の解説を見たことも聞いたこともありません。
 
 真言密教で 如来の身・口・意(三密)が 我に入り、我の身・口・意(三業)が如来に入る。この我即仏 仏即我の境地を心中で理解することを入我我入観 と言います。
 身を行い、口を言っていること、意を思っていることと解し、その三つを一致させよという教えです。虐待や差別は 実は表面的で その人自身のこころの内を知る事はできません。魔が差した行為は その殆どが実はその三つの不一致が表に現れたことだと言われます。
 Aちゃんの習慣になってしまった自傷(自虐)行為、その原因の解明は日常の触れ合いから探ることしかできません。彼らの無為に過ごす時間の多さは 人により受け止め方が異なる。何もかもストレスを原因とする最近の風潮に仏教は最初から結論を出しています。生きていることが”苦”と諦める。これは 前門の虎に”ゆとり・・・”を対峙させても 後門の狼が必ず生じるという己の体験が証明していることだからです。
 
 ”ゆとり教育”という最近の教育現場を知らないで物言う事は如何なものか! 教師に対する生徒の数は 我々の時代とは雲泥の差である、今は個別の対応が出来やすくなったと思うが、生徒同士はどうだろう?
  自分も前期高齢者の仲間入り、その途端、追懐の情が増している、その大半は 己が歩んだ道 立場や地位ではなく 人との出逢いだと確信する。死への覚悟は まだ先だと思へば 弱まって 我が事とは思わない。
 昨夜は水戸で通夜があり 参列した。千人を超す大勢の方が集まった。私より10歳上のその方は 朴訥とした話し方をした。それでいて やるべきことはやって 旅立ったと思う。
 勿論、友人知人が先に逝ってしまうのは 実に寂しいものである。高速で土浦まではあっという間、途中、山田うどんで夕食を一人で食べた。 そこは ゆっくり食事をするというのではなく 注文し待たずに早くできるからという理由もある、それぞれが 食べ終われば 促促と出ていってしまう。”ゆとり”とは 性分もあって 私には無縁のようである。
 

2987:週間天気予報

 1週間の天気予報で雨マークが無かったのは 9月以後で初めての気がする。天気図を見ると 日本列島を縦断するように前線が居座り 日本のどこかで大雨が降っていた。中南米を襲った大型ハリケーンで多くの犠牲者が出たというから世界中どこでも同じです。昨日、36年ぶりの阿蘇山の噴火、今年その肥後熊本は大規模な地震にも見舞われ その復興半ばにして今度は阿蘇山噴火が起こり大変な状況になっています。
 これから先を思うと 不安が先に立ち、どうしてよいか判らないと思う。心からお見舞い申し上げます。
 土浦から車で10分程の距離にある恋瀬川沿いの水田は雨続きで、稲刈りが終わらず 田に雑草が出てしまった所が目立つ。作物は収穫の時期が遅れると値が下がってしまい 経費さえ出ないことが良く起こる。
 各県の食料自給率の順位 北海道が第1位、茨城は10番目あたり、最下位は大阪と東京、次に大都市周辺がどうしても低くなる。日本全体では 年々 自給率は減って 輸入によって1億2千万強の人々の食料を賄っている実態が有る。 農業技術の進歩や品種改良が行われても 自然をどうにかすることはできない。 大恐慌が世界中で起こるリスクが増している。その対策は果たして十分だろうか?
 周辺で益々、休耕農地が増えて、荒れた農地は 手が付けられない状況になっています。
 どうしても マイナスの発想しか浮かばないのは私だけでしょうか? 
  『保守主義とは何か・・・反フランス革命から現代日本まで』宇野重規著:をアマゾンで今朝注文したら夕方には届いた。その早さに驚いた。NHKラジオで著者の話を聴き、直ぐに申し込んだ。驚いたのはそれだけではない。今年6月に発行された新本なのに すでに中古本がネット上では買えるという これが今の状況である。おっかし~いよな~!
  
 「・・・・戦後の保守主義は明確な共通のミッションを欠いたまま、冷戦体制を所与として、経済発展のみを国家目標に掲げてきた・・・・」(上掲:P189) 私は 経済発展の陰に隠れた部分に危機感を強くもつ、人は経済の豊かさを 絶対視しない。もし、今のまま 国是として 経済至上主義的な施策を進めていけば この国の内在する矛盾は決して解決されないと思っています。
 仏教の教えの中に『こころ清ければ仏をみる』というものがあります。上で述べた身口意の意にあたります。豊洲問題は 土壌汚染だけではなく そこに関わった人達の三業の問題です。 源信の『往生要集』に描かれるドロドロとした地獄絵をみる思いです。
 厭離穢土・・・この世の穢れを厭い避けようとしても 覆い隠された事実が表に出なければ問題の先送りでしかない。朝晩 犬の散歩をされる方が増えました。人それぞれ 犬の糞を袋にいれて持ち帰る人いれば 知らぬ顔して去っていく人、そうかと思えばゴミを拾いながら歩く人・・・・・ さて この度の豊洲移転がこの先どうなるか だれも見ていないから判るまいということになると あまりにも犠牲が大き過ぎませんか。
 要するに 組織のトップになる人は、今更言うまでもないが我利我利ではダメなんだわな。おっかし~いよな~!  
 ≪厭離穢土の心は日々にすすみ、欣求浄土の念 時々にまさりければ・・・・≫(太平記) 我が茨城は 古より常陸風土記にも著されるが如く 風光明媚 豊かな土壌に恵まれ今に至る。徳川御三家の一つ水戸を中心に 明治維新における西洋列国による傀儡戦争で国を二分されることが避けられたのは水戸学の思想 「愛民」「敬天愛人」によるところが大きいという。近頃は都知事選で『都民ファースト』なる言葉が話題になってはいるが、そもそも民を愛する水戸弘道館での教えがその先達であろう。
 いつの頃から 数字が全てというような評価が生まれてしまった。 数字は 如何様にも組み替えることができるから信用できない。数値化できないものの代表が人間のこころ、能力を段階区分するのも如何なものでしょうか。ならば 欣求浄土の”浄土”を数字で示すことができるでしょうか?おっかし~いよな~!三段論法 これにて終了。
★ 10月にGHより寮に戻ったKさんとの会話。「Kさん 寮にもどったのかい?」「うん。 TちゃんとIさんがいるからよ」「GHにもどらないの?」「いやだ~!」 Kさん憧れのTちゃんがいる寮が良いそうです。これぞ 欣求浄土。違うかな~~~。

2988:徒然に
≪閑話休題≫

 引いてダメなら押してみな・・・・・・。手練手管は度が越せば害になり、さればとて 何もせずんば 乱れよう。不平を言うのは簡単で それすらしない者がいる。自らは一歩引き態勢が 決まった頃に、 塩梅みながら立ち上がる。桶狭間の大将でも あるめーし、気取った処で様ならず。 人の嫌がること やること 謂うことは どうなんだ。 買って出る程の役回りでは無いとしてもだ。誰かがやらんと進むまい。
 徒然に そのような呟きで目を覚ます。気が付けば 布団の中にミイちゃんが スヤスヤ眠っておりました。夜な夜な気温が下がりだし  我が家の猫は その辺は熟知する・・・・。
 周りがオカシイのか 自分がオカシイのか 自問すりゃ~、どっちもだとミイちゃんが言ったような気がします。
 成る様にしかならぬ!これ真理。そこまで達観するのは 至難のワザ。この歳になれば万難排し 格好つけたって仕方なし。ならば 格好悪く生きてやれ! むしろ その方が ストレスチェックに良い結果。
 SNSを駆使して 人集め・・・・どこかで聴いたような話だが、何処もかしこも同じ手で、それが できれば苦労なし。どうなんでしょう?ああなんです こうなんです。 どうにか集まり一休み そうは問屋が卸さない。人が多けりゃー多い程 悩み事も増えましょう。いかなる手法を使っても 所詮 人はひと。 成る様にしかなりません。奇々怪々・・・・一日が早く過ぎて行く。
  秋曇り 三毒の貪瞋痴ばっかりが真っ盛り、ちょんがれ節の一節を閑話休題 暇に任せて 朗朗と口上申し上げましたでござります。エッヘン
  
 貪欲に惑溺(わくでき)すれば、苦海に沈む・・・・・・。人の本性は本来清浄なもの、この清浄なる本心にたちかえること、これが悟りにほかならない。これを見性成仏丸と。(観音経講話の中に記されています。)
 程合いを見る力が日本人は どうしてか弱まったと思います。塩梅は塩と梅酢で調理すること、その味加減を調える力が萎えてしまえば 食事が偏り、体調に異変を生じる。それに気づいた時にはもう遅く 薬物に頼るしかない。この循環を避けようとするには良い程合いを守ることしかないようです。
  現実には雑草が伸びれば 除草剤を買ってきて それを撒く。調理するのが億劫で コンビニで出来た物を買ってきてレンジでチン。車は一人一台が珍しくはなく、駐車代と保険、それに燃料代 お金がかかることばっかり。
これが 日本の経済活動を現に支えている仕組み。こんな風に言えば 恐らく 相手にされなくなると思います。昨日、東京で停電が起こった。埼玉の新座市にある地下送電線の火災により 都内で一時58万所帯が停電した。 電気は都市機能の生命線、麻痺すればパニックになり、その弱点を見事に証明した。あの永田町ですら 停電になったのです。これで非常時に果たして大丈夫なのでしょうか? その時間帯に都議会では知事の給与の減額が承認された、これで東京は都議会議員のほうが 年額で260万給与が多くなったそうだ。これで民意は変わると思いますね。
 東京の地下には何万ボルトか知らないが送電線が張巡らされていて 36年経過したケーブルの老朽化が今回の火災の原因とか?  オリンピックの開催に当初予算の4倍以上の3兆円を見込むという。電気のマヒでなく 金銭感覚の麻痺が酷過ぎません。優先順位を決められない状況は 深刻ですよ。
 貪欲には見栄外聞が勿論入りますわな。地域創生  ・・・ 言うわ易しです。足元を見ずして 何をかいわんやである。喝!
 さーて 小生は 土手の草刈りを今日もやっぺー。 足元を綺麗にしないと 足をすくわれても気が付かないもんな。なに・・筋トレだって ・・・? やったら 良いでしょうよ。ウッフンだ 
 トップリーダーの素養(覚悟)次第では、組織の浮き沈みがこうも違うものかと 改めて感じている方も多いと思います。方や 変わらぬほうが良かったと思う連中も大勢いるとは思うが 急に協調路線に変わる身の早さ、言葉が見つかりません。
 さてと 明日は『尚恵祭』、予報では天気は大丈夫そうだが 気温が気になる。心配性は今に始まった訳ではないが 己の不甲斐なさを嘆いてしまう。 一日 秋晴れの下でノンビリ過ごせれば それで充分、担当者はご苦労なことに 出し物や進行に気を配る。私も若い頃は そうだった。 
 タイのプミポン国王が逝去され、テレビでその様子が流された。白黒の画面でマスコミは弔意を表すという。タイは日本の仏教とは 深い繋がりがあり、私も何度か訪れた。早朝  街を歩くと お寺の前で立ち止まり手を合わせてから出社する多くの人達を見かけ 正直驚いた。それと同じ姿を京都で見たときは 普段の信仰の大切さを思い知らされた。日常の生活の中に信仰が活きている。この歳になると誰しも 健康が気になるもので自分では判らないことを 大いなるものに 任せたいと思うのは至極当然のことである。
 徒然に 思い通りにいかぬ事をば 嘆きとも 望み適えるものでなし。徒然に 生きてこそ 見えてくるもの 知る喜び。(ナマグサ居士)

2989:思いを形に・・・

 思いを形に、形を思いに・・・・・この力学は常に人間の社会(居る所)では働く。仏教の立場は微妙と思う。空とか無という考えと どのように釣合を持たせるか その解釈如何によっては 何もしないことが是と考えてしまうから。 それは違いますね。 だって”慈悲”や”愛”という”言葉”を添え、道を説いてきました(八正道など)。「思い」は様々です。昔から”個の尊厳”を目印として 社会の仕組みが作られてきた訳です。でも”完結”は有りえない。広大無辺な未知なる世界に向かう、生きるエネルギーと捉えてはいかがでしょう。 上手く説明は出来ませんが そんな風に考えております
 法事の席・・・・・遺族は 供養を通して 故人と向き合うのです。そして 故人が生前に語っていたはずの願いに自分はどう応えてきただろうか?と顧みる。その願いの一つでも良い、適えられる生き様により自らの生活に張りを見つけ出す。思いを形に 形を思いに・・・という意味は そこが肝要かと思うのです。 
 自惚鏡、良くも悪しくも 進んでなんぼ。
 秋晴れの下で”尚恵祭”を行いました。今年は天気が不安定 悉く 屋外での行事は気を揉むことになりました。尚恵祭も段々 参加者が増え、家族との触れ合いの場が様変わりしてきました。ここで無理は禁物、気張ることなく 自然体で行きましょう。 準備に当たったスタッフにご苦労様、それを支え協力してくれた周りの人にも感謝です。何人かのご父兄と話をしました。孫を同伴して 参加する方も見かます。自分が老いを感じ、我が子の後を託す思いが良く解かるんですよ。
 話が昔のことになると家族は 自然と涙目になっている。まだ小さい時に学園に預けた時の事を思いだしてしまうとのこと。
 私は葬儀があり、早目に退席したが 祭はとても良かったと後から聞いた。
  夜八時過ぎKさんが 血圧と脈が速く 協同病院へ通院するとの連絡を受け、駆けつけた。病院は休日だった為に 混んでいた。二人の職員が付き添って、テキパキと対応、結局夜中の2時ごろ帰園した。当人は生まれつき心臓病があって、体力がつくのを待ちこの病院で手術した。私はその時のことを良く覚えている。
  お母さんを早く亡くしてから、お父さんが面会に来ていたが その父親も亡くなって もう大分年月が経った。
 
 尚恵祭の翌日は 一日中雨になる。気温も下がり 1日ズレたら 祭は中止だった。
 どうも”追懐の思い”が強まっている。それを今更言っても仕様がない、私は定期通院で9:30分予約、急患が入ったからか 1時間遅れで診療開始、その間待合室でまった。ご夫婦で診察を待っている方が目に付く。いずれも旦那が患者でその奥さんが付き添い。「お宅のご主人は大人しくて良いですね」「もとから 無口だから」「あら そうですか ケンカしなくて良いじゃない」「。。。。」 患者のことは 全く眼中にない。   無口ほうは急に立ち上がってどこかに行ってしまい、もう片方の車イスは「あああ また始まった」とひとり言。この一部始終 待合室の皆さん 苦笑しながら聴いていたのであります。
 思いを形に・・・・・・。暫し背筋が寒くなったのを覚えている。ジャンジャンときた!
 

フォト(尚恵祭)

               
               
       提供:Y Maekawa        

2990:34年後

 2050年、私は100歳という齢になる。全くの夢物語で失笑を買うに違いなし。ただ 此処に来ての月日の過ぎる速さを考えると それ程遠い話ではないという思いもあります。上の写真は友人が撮ってくれた400枚の写真の一部、私が卒業した中学校の吹奏楽部の生徒の皆さん50名の演奏もあった。そこを卒業したのは50年前になる。当時は吹奏楽部など無くて 応援団は声を張り上げ手拍子と校歌、それだけだった。それが後輩達の見事な演奏とその人数には驚いた。彼らとて 34年後には立派な大人になっているはず、自分の子供たちが中学生になっている年齢だ。想いでの一つになってくれれば嬉しい。
 2050年は 確実に今話題の介護や保育の問題は様変わりしているだろう。団塊世代が皆さん身罷って 恐らく日本の人口も今よりは大分減っているのではなかろうか?行政区の形も変わるだろうし、ひょっとしたら多民族国家に変わっているかも知れぬ。いま中国からヨーロッパに通じる鉄道網は凄いらしい。シルクロードを貨物列車が14日かけ ドイツやフランスに荷物を輸送、その距離は1万キロを優に超す。海路を使う4分の1の時間と費用が安く安全だという。50年前であればシベリア横断鉄道だけだった、それが一日何本もの列車が走るようになっている。人や物の交流は いつの世にも存在し、平和と争いの中で人間の営みが繰り返される。
 取りあえず その辺りを目途にした”在り方検討会”が3回終わった。