源究178

  

 NO  テーマ  月日 NO   テーマ  月日 NO  テーマ  月日  NO  テーマ  月日 
 3071 夢と現  7/2   3076 よろこび   7/22  3081 リスク  8/3  3086  試金石 8/26
 3072 過去と未来  7/7   3077 大気擾乱   7/26  3082 支え合う  8/9  3087  掉さす  8/30
 3073 終末期  7/10   3078 納得尽く   7/29  3083 向き合う  8/13  3088 手を合わせて  9/2 
 3074 迷い 7/14   3079 琴線   7/31  3084 三世了達 8/18  3089 枯れ尾花  9/4 
 3075 炎天下  7/18   3080 葉月  8/1  3085 コマ撮り  8/22  3090 暖衣飽食  9/8 

3071:夢と現

思ってもいなかった結末や出来事と遭遇し ”夢か現実か?” と自分に問い質したことはありませんか? これは生きている証だよ と言われれば返す言葉はない。
 諦めて良いの? 万が一という小さな可能性に望みを託すこと そうだよな~ 子供たちに 全てのツケを廻し 食い潰して良いんかい!人間が考え作り出したモノに絶対とか完璧は有りえない。そんなこと判ってる。そこを上手に生きる者とそうでない者がいるのは確か。羨望やら妬みは その辺の事情から生れるもの ちょっと周りに目をやれば直ぐに了解。今まで後ろ盾となっていた方が 急に反旗を翻し 足を引っ張る側に立っている。何が切っ掛けか当人達は判っているはずだ。
 裏切り行為は 思ってもいなかった仕打ちを受けた受けないの齟齬ですわな。
 さて この時期は 全国津々浦々 大小織り交ぜての選挙が行われる。なんて言ったって注目の的は首都東京の都議選 急に登場した新知事が旗揚げした政党と長いこと都政に君臨してきた政党の真正面からの戦い。予想はあくまで予想である。結果は今後の選挙に大きな影響を及ぼす。これは間違いない。地方選挙と国政選挙は別といっても今時 誰も信じない。しかし、捻じれ現象も増えている。
 その一番の原因は 民主主義の悪弊と議員資質の低下だと思う。数の論理を悪用し 横柄な振る舞いや驕り これが蔓延ってしまった。誰の責任でしょう! 結局は国民にあるとみられるでしょうね。
 これは 解説者だ。我関せずと自分が良ければ それで良し。この思考の構造は 速成されたわけではない。多くの犠牲があって今に至った。その犠牲が何か?
 この問いかけに 誰も答えられない。隠蔽と責任転嫁。夢と現実 夢であれば取り越し苦労。杞憂なれば良いだろう。でも現実が もはや取り返すことができない状況にあるとすれば 悲劇『マクベス』です。不謹慎かもしれませんが 今の永田町や霞が関界隈を歩くと 異様な妖気を感じてしまう。一体 この中で何が語られ 画策されているのだろうか?
 千代田線の霞が関 昔は上野で常磐線を降り地下鉄を乗り換え やっと着いた。出口を誤れば 地上に出た瞬間 迷子になった。 それが今 北千住で乗り換え一回で霞が関駅に行ける。
 東京の地下は縦横に走る地下鉄 駅と駅の間が僅か2分 事故無く 実に正確な運行がはかられる。此れが今の東京の姿 そこに もし ミサイルが直撃されたら それは夢か現実か?  
 面白おかしくリークされる永田町住人の言動は 異次元世界 疑心暗鬼の坩堝(るつぼ) これで 言う事は見事 できもしない事を 恥じる事もなく ・・・・・・
  阿鼻地獄・・・剣樹や刀山それと鑊湯(kakutou ) 2017/07/02/7:00Am
 夜8時に投票終了 早々と自民党の敗色濃厚の予想が出た。出口調査か? 9日間という短い選挙戦 初めは五分五分 途中から暗雲が立ち込めた・・・云々と語る これは敗戦の弁を深夜に語った代表の言葉 じゃ~途中に何があった?  そうじゃ~無いだろうヨ! アンタ達がそう思っているだけで 都民は皆 ウンザリしていたと思うべき。秋葉原の街灯演説の状況を 何故かメデアは詳しく報じなかった。帰れコールが鳴り止まぬ。順風満帆の絶頂期を国内だけでなく海外に示してきた雄姿は 屈辱の応援演説に終わった。
 あれだけ頻繁に外国を訪問するのであれば フランスやイギリス そしてお隣の韓国での最近の選挙の盛り上がりを見てきたはず。 今回の敗因を分析し 早急に立て直しをはかるらしい。貴方たちは民主主義を 自分達に都合良く解釈し過ぎた。
 それは 貴党同志の信じれらない言動に見えた。その者達への処分の公平性欠如 党内に何も言えない雰囲気があるのかどうか もしそうであれば果たして 自ら改革ができますか~?
 あえて 言わせて貰いたい。 今回の選挙から年齢が引き下げられ高校生が有権者となった。最終投票率が51% これが この国の政治への関心度数、海外と比べ 数段低い。127名の議員定数で 23名が かろうじて議席を得た。それだって 東京都全体の半分の投票数で23/127/2  なんと9%の指示でしかない。 この現実に危機感を持たず どうしてあのような態度を取れるのか!不思議です。
  都民の皆さんは怒りを通り越し 諦めに近いのではないでしょうか。議員資質の低下と公約への信頼度、これには相関の関係がある。
2017/07/03/6:00am
 逆風か神風か どっちにしたって 都民にとってはどうなのか? 敗れた自民党からは反省と党勢立て直しの弁が語られた。127名の内 54名が新人議員という様変わりだ 都庁にとっても 前とは違った心配事が増えたと思う。
 いずれにしたって 市場の移転問題やオリンピックを控え いつまでもゴタゴタを引き摺ることは許されない。
 今回の結果が今後行われる地方選挙にどう影響するか 関心はある。
 今日と明日 定例の全国施設長会議が東京フォーラムで開催される。私の所から5名が参加、全国から2000人以上が集まる。 厚労省からも行政説明があり 最新の情報を得る機会 それと分科会に分かれて 課題毎に話し合いが持たれる。参加者は原則 福祉協会に加盟する事業所、今は株式会社やNPO など他の事業所の数が急増した。それらとの競争の激化は 常態化し 利用者だけでなく 支援者の奪い合いも起こっている。一昔前と比べ 参加者の真剣みが随分変わったと感じている。
 久しぶりに東京に一泊 昨日までの都議選の騒ぎは消えて 何事も無かったかのように 普段の姿に戻っていると思う。 

3072:過去と未来

 浅草の今半で 茨城県からの37名が集まり交流会を行った。久しぶりの浅草 生憎台風接近の影響で雨 6時過ぎという時間帯にしては仲見世通りの人出は少なかった。二日間の東京フォーラムでの会議は2500名の全国からの参加(事務局発表)、いつに無く皆さん熱心に耳を傾けている。
 行政説明は 変更点を見過ごしてしまうと 後々 困ることになる。実際は 心配する程では無いのだが 皆が皆 何故か神経過敏症になっている。それに 説明する方にもよるのだが、今回の担当課長は 判り易かった。これも 後日 県や市町村から 再度 説明があるし 勿論 我々が加盟している団体からも 要点をまとめた形で流されてくる。至れり尽くせりだが ここまでやっても ”知らなかった。聴いていない”という人が必ず出てくる。
 確か 昔だって同じようなことがあった。今 その情報量の多さと細かく成り過ぎた点だけが違う。 それを事業所に戻り周知徹底することで難儀する。だって そうじゃ~ありませんか 人間相手の問題を DNAや細胞まで持ち出して相手を理解しようとすれば その人全体を見ることが できません。有りの儘を見るには裸眼で観るのがベスト 遠眼鏡や顕微鏡で見えますか?
 全てが 同じ流儀で廻っている。結果は 判り易いというより 生き辛い世の中になったというのが真意か。今がそうなのだから 将来どうなるか? 数年先さえ 誰も判らない。
 情報社会は 発信力がモノを言うそうだ。 でも 気を付けないと道を誤る。 誇大広告の禁止(消費者庁)。これは 消費意欲を高めようと 実際と異なった虚偽の表示を行うものを罰するというもの。ネット社会になって 見てくれを気にし過ぎる。 どうすれば良くなって 消費者の関心を引くか? このツールは 人材確保にも使われる。度を弁えないと 必ず不具合が起こるでしょう。
 見てくれ=外見は立派だが 中身は違うって苦情が増えている。当たり前ですね。
  密厳院懺悔の文に・・・・ 名を比丘に仮して伽藍を穢し 形を沙門に比して 信施を受く・・・・・とあります。ここで使われる「仮して」と「比して」という語。 これは 現代人が最も気をつけないと そこから「驕り」や「貪り」の感情うが強まってしまうのです。 世間で騒がれる 多くは 仮の存在を追い求め過ぎる為に 本来 何の為にどのように という肝心な事(核心)を見失っても 気にならない。
 人間の感情のレベルは
   隣に蔵が建てば 腹がたつ程度の心の動きでしょう。違いますか?
 社会保障の条件は 小難しい文言を並べあげる事では無い。過大・誇大を売りとすれば 格差が生まれ 不満が生じ 落城&経営の破綻という憂き目への筋書きは実に巧妙にひかれている。
  *≪ 世の憂き目見えぬ山ぢへ 入らむには・・・・・・・・≫古今和歌集より 
  
 『市町村障害者計画策定指針』が平成7年に内閣府の障害者対策推進本部より出され 全国一斉に 全ての市町村において第5期障害者計画策定が進められれています。その構成メンバーは障害者と関わる人達や当事者、行政、一般市民など各方面から選ばれます。計画作成の手順としては 基礎になる資料の収集を行い課題を把握し  そこから具体的な計画をたてるというものです。今回は第5期計画 今まで行ってきた事業の見直しや 新たなニーズへの対応策を検討する。 国~県~市町村とそれぞれが計画を作成しますが 市町村は最も住民に身近な課題を執り行う役割を担う。
 ただ この種の計画作成でいつも疑問を持っているのは 作られた計画の中味が どれだけ一般市民の方達に理解されているかということです。これは 先ず国が障害者対策に対し どう有るべきかという確たる方向を定めることが必要。実体は制度が最近目まぐるしく変化し 事業を行なう段階で市町村や我々事業者が相当戸惑っていることを見過ごせない。
 日本の社会保障制度は 老人 児童 障害・・等々 長い期間行政が縦割りで 横の連携をはかることが難しかった。そこに 担い手不足という問題が益々深刻になって 事業休止や廃業に至る事業所も増えている。
 どのような計画を作っても 現場に携わる人がいなければ計画そのものが画塀に帰す。
 医療・介護・教育・福祉・・・・どれをとっても人材不足は致命傷。だが  真の問題は そこではない。 未来は過去から学んで 初めて実を結ぶもの。次々に頭に浮かぶ言葉・・・・義務と権利 自由 個人と集団  家族 平和 感謝 生き甲斐 喜び・・・・・・この検証は いつ いかなる場においても 問い続けられねば ならない。 
 ・・喉元過ぎれば なんとやら・・・ 苦しい時の人頼み・・・・ 順風満帆 怖いもの知らず これは そう長く続きません。  どうも 自分の力でそうなったと勘違う。だから 人の恩など そっちのけ。
 不自由のない生活 これは 実は怖い。当たり前と思えば 不自由になった時に 不満となる。いま その状態で 有難いと感ずるか否か。度を越さぬセルフコントロール 
 過去と未来 その間が現在か?時間は 瞬時に過ぎて行く そこで現在をどう捉えるか 実はできない。仏教で 説く基本の教え 無常  一瞬一瞬を大切に生きよ! それも 生かされていると感じながら。
  昨日の葬儀 兄弟3人 親代わりで 世話してくれたお祖母ゃん 兄弟の内で長女が仕事を辞め 一年自宅で介護した。他の兄弟二人は その姉にお祖母ちゃんを頼み 自分達は仕事に励む。在宅介護 看取り 亡くなったその日まで意識がハッキリしていた御祖母さん・・・・・兄弟3人と曾孫たち  これから その恩を思い出しながら生きて行く。
 看取りは 簡単ではありません 。 特に大勢の方を預かる施設では・・・・・・。医療的ケアー 口から食べることが出来なくなった時 点滴や胃瘻がある。それが 現実に難しい施設 。 住み慣れた場所と仲間の下で最後を送らせたい・・・・・ 家族の本心? 今 日本で 在宅で最後を迎える人の数は数%台、嘗ての日本は 殆んどの方は在宅で死に水を取った。

3073:終末期

 誰もが経験する終末期 ターミナルケアやホスピスが国内でどこまで広がっているか。 戦後間もない時代の日本は 9割の人達が自宅で亡くなっている。今 その数は1割に満たない。在宅医療の実態は? 事業所で訪問看護や介護を休止あるいは廃止する所が増えていると感じている。
 恐らく その人員配置が難しく 已む無く 取り止めたというのが実態だろう。 既定の専門スッタフが集められない状況で 本体事業を守るために 縮小せざるをえない。
 
  視点を変えて 意志決定支援の重要性は 特に知的に障害を持つ人達に昔から言われ続けて来たことです。自らの言葉で 意志を表すことが難しいと言われて来た障害の重い人達。 私の経験から 彼らの意志を掴むのには お互いの信頼をどう築くかが肝心、喜怒哀楽~痛い痒い~寒い暑い等の感情と感覚に寄りそう事から始まる。
  そのような方達への個別支援計画の中味は 今までどうしてきたでしょう? 医療関係者の方から”退院調整”を担当するスタッフが 入所施設にはいないのですか?と聞かれたことがありました。 医療機関は その規模や能力によって医療圏域での役割区分がなされている。入院期間が決められていれば 当然 退院後の調整が必要だ。ここは 福祉の現場と大きく異なる。同じ仕組みが将来福祉にも導入され定着出来るでしょうか?
 GH制度ができた頃 入所から地域移行が叫ばれた。 当時 入所利用されている人達の中からGHに移った方がいた(私共では約30人)。しかし、今は 小康状態?  高齢化が進み 常時医療ケアを必要とする人が多くなった。 家族と話すと必ず”安心”という言葉がでます。 慣れない場所に移るより 環境を変えないで過ごさせたい!
 我々は 入所の定数を減らす努力をしています。法人全体で15名定員が減った。今回 市の障害者計画作成の為の調査項目に入所の充足率がある。待機登録者の実態も市町村が把握できない。措置時代と行政の関わりが大きく変わった。 
  いつの時代においても 制度で救えない方が出てきます。それは サービスの情報が伝わらないことが 一番の原因。知らないのです。
 需要と供給のアンバランスは 福祉の過疎地域と過剰地域を作る。 その原因は何か!検証を阻む要因 既成緩和というマヤカシ? 
 今日 某法人の30周年記念式典に出席する。そこは 我々と同じく 障害施設で視力と知的の重複の障害を持つ人達に特化した事業を創設来 守り続けてきている。
  昨日は、 35度に届く 茹だるような暑さ 関東地方もいよいよ梅雨明け宣言か 九州地方の大雨災害 2年前には茨城でも鬼怒川決壊で大変な被害を受けました。今年は関東地方は梅雨に入ってからの雨量が少ない。取水制限も出るかも知れぬ。九州で被害にあった方々に雨を待ち望むのも気が引けますが 日本は細長の国土 北~南の気象条件は大きく違う。
 10日 衆参での閉会中審査が行われた。果たして丁寧な説明となったかどうか?? 後味悪くスッキリしないと疑問に思った人々は 多かったのではなかろうか? 直後の新聞によるアンケート調査は 現政権への厳しい結果となっている。
 やればやるほど 不信感が強まる?? ならば やらないという事が できますか? できないだろうね 何しろ”丁寧な説明”をすると総理自ら公言したばかり。 
 不信感は なぜ起こるか?  矛盾だらけの話になった時 どちらに信憑性が高いかという判断の根拠?審査に呼ばれたが出席できない参考人、それと 総理は海外出張中に開催するとは、 勿論 随時 報告はされているとは 思うけど 設定そのものが丁寧とは程遠い・・・・  総理の耳に入る情報が一方に偏し 信憑性に欠けるとしたら もう 何がなんだか判らない。元防衛大臣の5つの提言をマスコミが面白おかしく伝えた。
 政権与党内部から現状を危ぶむ声が出る状況は 終末期 と言ったらどうでしょう。 内閣府の権限が強すぎる?人事担当副官房長?? 何 これ? 巷での噂では 各省庁の審議官以上の人事を司る人物?
 これじゃ~言いたいことも言えないでしょう。この辺の裏事情が見え隠れ 箍が緩んだ証では。防戦必死となれば 怒涛の勢いで不支持層が増えつづける。これも過去のデーターが示しているが そのデーターも破棄されていれば そりゃ~迷うわな!
 権限を有する身に自分が立った時 どう身を処するか! これこそが 自己責任。他人の所為にするなど もっての外。
 記憶にございません! この言葉が出始めると 結果は明らか、 お互いが泥仕合 最初は致命傷とはならぬと 高を括っていたかも知れぬ。それを驕りと言うのを知らない筈はないだろう。
 一から出直すか? 無理だわな。民心が離れるのには その理由がある。それを弁えているものは 横柄な態度は示さない。自徳を讃じ ゴマすりばっかを侍らせて 政を行うは 最初から誤った道を選んだ貴方が悪い。
 ムニャムニャ ナマグサ坊主の独り言! 

3074::迷い

 ”実践躬行”(じっせんきゅうこう)という言葉があります。躬は 体が弓なりに曲がることで”我が身”の意味、”自分が実践すること”。 いくら 口酸っぱく謂ってもやらないならばと 自分から動いて見よ!
 これは 私の本来の仕事でないというならば ”逆に 貴方の本来の仕事とはなんですか?”と問け!人間を相手にする職業で 何をもって本来の仕事とするか 担当は自分では無いとの言い訳が罷り通る世の中が果たしてどうなのか?
 豊さや便利さを獲得した替わりに”迷い”が増えたと思う。当たり前だったことが 通じなくなるという前兆は 様々な形で現われる。言葉の軽さ・一貫性の欠如・・・・・ 問題なのは その事に本人が気づかないこと。指摘されれば 感情で反発する。・・・・無理が通れば道理が引っ込む。・・・とは よく言ったモノ いい加減にしないと。 その危うさが 迷いで無く現実化している。
 利便性の怖さ・・・・ 常磐道~圏央道~東関道~京葉道、走行距離で95㌔ 土浦から幕張までやや遠回りで約1時間半である。ジャンクションが3カ所、片側1車線から3車線、これが 関東地方 東京を中心とした蜘蛛の巣の如き高速道路である。今 ナビ付き車が多くなり 道案内はナビ任せ でも 運転はそうはいかない。疲れます。肩がこります。殆ど私は都内に車で行くことはない。鉄道は道路以上に複雑に張り巡る。
 昔は陸前浜街道(国道6号)をテクテクと歩いたはず、記憶にあるのは 土浦から上野 列車は蒸気機関車(SL)でガタンと動き始める時に自然と身構えた。・・・・・・・。
 京葉線の海浜幕張駅 東京湾を埋め立て 開発された 幕張メッセや千葉ロッテの本拠地幕張ドームや大型ホテルが建ち並ぶ。関東地区施設職員研修 一都八県が 順番で開催する、今回は千葉県が当番、用事があり 夕方から参加した、既に分科会は終わり  宿泊先のホテルは受付前に長蛇の列。夜の交流会は会場を二か所 1,000名近い参加者で県外から どれ位来ているか?茨城は当番県の次に多く100名を超えていた。
 正直 私は飲めぬ酒を調子込み 体調不良!2次会は遠慮させて頂いた。5枚ほど受け取った2次会カードは若い人達に渡し そのまま部屋に戻る。7~8年前 同じホテルに泊まった記憶有り。その時は大型バスが駐車場に何台も停まっていた。海外からのツアー客が大勢押しかける。今回も外国人が多かったと感じたが 数は随分減っていた。”爆買い”客が減ったのか?
 部屋のTVをかけると 某県で障害施設で送迎車の中で利用されている方が亡くなっていたというニュースが流れた。一瞬 茨城開催の4年前を思い出す。
 そして、相模原の事件が起こってから 丁度1年が経った、・・・・・。
 ”迷い星” これは惑星の総称、遊星とも言う。私達が住む地球も迷い星。

3075:炎天下

 ホースの先に散水器を付け夕方庭に水をまく。今日の暑さは格別で 何もしなくても汗が出る。法事が3件あり、午後は尚恵学園を利用されていた方の49日、神宮寺の本堂にメンバーやスタッフが大勢集まった。お母さんとお兄さん ”今日は2人だけと思って来たけど 驚いたね”と二人で話してた。 いつも驚くことがある。仲間との別れ 皆が皆 実に静かに時間を過ごす。誰一人 声をあげることもなく 神妙な顔をして・・・・・

 尚恵学園の特徴は? 『そうだわな~ 自分でPRしてどうなのよ!』 そんな気持ちが常にある。独りひとり違うでしょう。それを まとめて こうだ!とは 私は言えない。そりゃ~ 素晴らしい設備で格好の良い建物・・・目立つね~エ。羨ましいけど否定はしません。でもね? どこもかしこも できますか?
 恐らく 人間は 幼い時の出来事や見た風景を懐かしむ。これは 神仏が私達にくれた深層心理? 40階建のホテル そりゃ~景色は最高 雑音は聞こえず 静かなもので  でも私は 心穏やかではない。
 高所恐怖症? 様々なことが頭を過る。
 田舎育ちが理由にならぬ。 人間は 緑と土と水と空気に囲まれて生きることを是とする生き物。それは理屈でなく 真理! 
 都市機能は 限られたスペースに最大限の付加価値を考えることで高まる。地下に潜るより上に伸びたほうがマシ、香港に行った方は 判るでしょう。狭い場所に林立した高層ビル、多くの人が働く場&住む場所として共有する。それが 今は 世界中 至る処に似非香港ができている。
 それって エアコン有ればの快適さ、万が一 何かの原因で制御不能となった時 ・・・・・・?
 ”危うさ”は”安心”と表裏一体と謂われます。
 千葉に向かう高速道 車内温度が30度を越え エアコンで下げるには外気温が高過ぎる。何気なくラジオをかけると 元外務大臣の田中真紀子さんが生出演、現政権に言いたい放題 嘘かホントか でも実に判り易く スッキリした。
 それを ある方に話したら” 政治家辞めたからでしょう!”の一言 急に汗が噴出した。 いや!違う。周りを見廻しても、あっという間にこんな政治家がいなくなった。 何故か 言いたいことも言えないような これは まさしく 地上40階の生きずらさ危うさだと 私は思うのです。 第2弾 閉会中審査 総理の一言で急遽開催の準備? 自分達にばっか 水を引くような 争いは 江戸時代? 何て 言ったっつけエ~? ≪ガデンインスイ≫と
申します。 それだって 渇水が常態化すれば 元も子もない 。。。。。
 
 先人は 人の手が加わらない自然の摂理から智慧を得て、己の生き方を省みた。それがどうでしょう 自然を思い通りにできると勘違い 人間が支配しようとして来たのではないでしょうか・・・・・・
 東日本大震災の後 変わったことがあります。被災地にボランテアが全国から集まる。その様子を見ていて 4年前を思い出す。日本人の心の中に”お互い様”という気持ちが残っている。LIVEで全国に流された被災地の様子、あの常総市はどうなっているでしょう。激甚災害指定を受け急ピッチで堤防工事が進められ無事終わった。無事????でしょうか。 護岸をいくら高くしても 水が低い処に流れることに変わらない。 想定を超える被害は その自然が怒っているとしか思えない。日本には四季があって その季節の変化を楽しみ 受け入れてきた。
 予測できない 気象の変化は 局地的な豪雨や突風がどこにでも起こる。気候の亜熱帯化を危惧した時代は昔のこと 最早 過去のデーターが通じない 想定外の現実に直面している。
 近代化を象徴する科学技術進歩への幻想は 果たして人間に幸せをもたらして来たでしょうか?  一瞬にして 多くの人命を奪う兵器の開発は いかなることがあっても正当なものとなりうるか! 社会の不安を醸成するばかりで 問答無用の一強独裁を是認する。
 それに対しNOと言えない危うさ、”個の尊厳”や”共生”という言葉の誤用によって 曖昧にされ続けて来た  そして 唯一 これこそが”平和への道”という矛盾。世界の情勢をみて 戦争など起こらないと主張することは間違いか?1954年にインドと中国との間で平和五原則が交わされた。領土主権の尊重、不侵略、不干渉、平等互恵、そして平和共存という5つの声明。半世紀以上経って どうなったでしょう。原発や核兵器、その議論は日本で充分成されてきたでしょうか? これこそが 政治の責任であり、今を生きる我々世代が成さねばならぬ最大の問題だと思います。
 無力感や諦めが蔓延る国や社会にとって 何が大切か? 
 山裾の田んぼ 冷たい湧水が流れる小川 そこに生きる虫や植物 ・・・・・・ 畦道に座って 口ずさむ。 
♪  夕焼け小焼けの赤とんぼ 負われて見たのはいつの日か・・・・♪  こんな風景が 再び 私達に戻ってくるでしょうか。
 朝 僅かに降った雨は 草木を潤すまでに至らず、ただ いくらか涼しくなったという体感は得た。細やかなことを 諦めず 続けること その輪が広まって大きな力となる。その営みしか 最早 頭デッカチになった私達が今 できる唯一のことだと認めましょうよ。
  
 ”驕る平家は久しからず”・・・・・≪驕れる人も久しからず、只春の夜の夢の如し≫・・・・平家物語の冒頭の一文は 日本人の多くが 道を誤らないよう 自省のために引用した。源氏と平家 国を二分した勢力は 長い間権力の座を争った。平安末期 今から約850年前になる。
 その後 日本が武士による統治国家として 鎌倉~江戸の時代に入る。ご存知の如く 江戸城の開城を期に明治~大正~昭和、その間 二度の世界大戦を経て 平成の世、・・・・・・。
 この移り変りは 歴史から学ぶしかない。伝統文化は一夜にして生まれたものではなく語り継ぎ 守り続けて来た積み上げの歴史だ。今の時代 幸か不幸か 便利な世の中になったことは疑いない。
 しかし・・・・・ ?????
  このまま進み 果たして 地球がもつか? この危うさは 最早 一国の問題では無く 全世界の人々が共有する。
 視点を変えて AI(人工知能)技術の進歩による新たな不安が生れている。人間の成長速度を無視した利便性の追求は 人間そのものの破滅を早めると・・・・・。それは突然起こることでは無く 前もって 様々な兆候が出る。
 目立たないが 確実に  其れは 先ず こころの問題という形となって。
  全知全能の人間など有りえない。権力は 人を変える。そして その人自身が 権力によって 憂き目に会う。これは 世の常 驕る者久しからず であります。諸行無常の鐘の音であります。ハイ 
 

3076:よろこび

 ≪ 悠然として 清絶高遠な妙想を感起せざるはなし・・・≫ 坪内逍遥『小説神髄』。
  今 流行の電子本から 斯様な評論を読み解くには ちょと 首を傾げたくなる。明治の文豪の遺した文章は 難解ということを除けば 読む者に ”よろこび”を感じさせてくれるもの多くあり。日本語の美しさや響きを伝えることは もしかしたら 最も大切なことではないだろうか! この国に生まれて良かったという喜びは 物質的な豊かさや便利性からは決して生まれない。変転生滅を繰り返し、人生を振り返る時 何も残らず 只管 旅立ちを待つ身の儚さよ。・・・・小説の主脳は人情なり 世態風俗これに次ぐ・・・・とのリアリズム論
  最近感じることは、どこの書店を覗いても 書棚に並べられる本の種類が大きく変わったこと。ネット販売で いくらでも手に入る今 本を手に取って 装丁を確かめ その温もりを感じ 手に入れた時代は消えた。
 何もかもが うすぺっらとなり 見栄えや豪華さで その価値を評するのは 極めて危うい。政治家の失言や公約の反故が常態化 政権に身を置くだけが目標となり その為にはあらゆる手練手管を駆使し それを獲ようとする。気骨や信念への想いは皆無に等しく、くっつき離れを繰り返し そこには 逍遥の謂う”清絶高遠な妙想”など微塵も感じない。
 自徳を讃ずる者に信なし。信無くば 民心は離れ 孤独の飢えが何かを 身をもって学べ。 組織のトップにある者の肝要で 往往にして民心を軽んじるが故に身を誤る筋書きにあげられる。(ナマグサ)
 
 よろこびにも色々ありますよ。喜び/悦び/歓び/慶び。日本語の妙 読書のよろこびは 書き手の心の中を覗きみて 次はどうなるかという興味、私はジャンルに拘りは無く 乱読 最後まで読み切るという事もあるが 希である。若い時分は亀井勝一郎に入れ込んだ。・・・・・「明日は」「明日は」と言いながら今日と言う「一日」をむだにすごしたら その人は「明日」もまた 空しくすごすにちがいありません・・・・・・。これは 亀井の名言の一つ。
 その後 歳とともに 紆余曲折 それと共に こころが揺り動かされるような経験は減ったように思っている。これは空しくというのではなく 現実に背を向けなくなったのかと考える。 
 昨日は栃木県に用事があり 久しぶりに水戸経由で北関東を通った。なだらかな山裾を都内を通らずに栃木~群馬に行けるので 多少遠くはなるが 利用する。また 成田~つくば~神奈川が これまた都内を通らず繋がった圏央道もあり 茨城は 新幹線は通らないが 特に不便は感じない。 
 施餓鬼の準備も 間際にならないと本腰が入らない。これは今に始まったことではないのだが この時期は檀家からの問い合わせが多くなる。全檀家にハガキを出すので 書かれた内容の確認電話 これは住職でないと判らないことが多く いつも留守が定番となったことは どんな言い訳も通じない。
 SNSなる便利なものがドンドン広まって 逆に 連絡ミスが増えている。昔なら固定電話で受け答えすれば良かったが 今はメールや携帯での問い合わせが増えている。
 梅雨明けもして 日差しを諸にうけるとヒリヒリする。一向に梅雨明けができない政局は24日の 2回目の閉会中審査がどうなるか 丁寧な説明をすると言ってはいるが 自分に火の粉がかかるのを 不安に感じている方もいるでしょうし”よろこび”と”悲しみ”はその人自身の心うち。いやはや 困ったもので”記憶にない”とか”書類破棄した”とかいう弁解(?)を 使い過ぎると 信頼が薄れるってことを おそらく?? どこかで教わったんじゃ~ないかと思うのだけれど?
 

3077:大気擾乱(じょうらん)

 日本列島が真夏日の連続で 誰もがいい加減にして欲しいと思っているはずです。日中だけでなく 夜中も25度を下らないのは異常です。関東地方は 梅雨の間 例年に比べ雨量が大分少なかった。あまり その事で騒がれないのは 局地的に大雨による被害が続いていることもあろう。 前線の動きや気圧配置(大気擾乱)は 明らかに昔とは変わった。今年 エアコンが例年の1.6倍の売り上げという。一家に一台というのではなく 各部屋に一台というご時世だから 当然消費電力も鰻上り、・・・・ 福島原発の炉心の姿がロボット撮影で公表された。気のせいか やや遠慮気味に報道されている感じがした。一体 今後どうするのだろうか? あれだけ大騒ぎしたのに メデアの関心は 新設大学に絡む問題に置き変わってしまった。 またもや根本的にこの国をどうするか!という問題が曖昧にされている。今こそ国体のあるべき姿が問われている。 近く内閣改造人事を行うとか???目先を変えて 何をどうしようと? これで支持率が上がるようなニッポンでは先行き暗い。 我々国民はここまで見下されたか!
 自らの責任を果たすと言いながら 言い訳としか受け取れない頑な振舞 責任回避と 厚顔無恥 何かが狂っている。そして このままでは当然 民心が離れてしまうとやっと気づく、その焦りが想定外のことを起こすかもしれぬ。 国民の為というが それを真面に信じているモノがいるでしょうか。
 連日猛暑を更に熱くするような事態が繰り返されている。 ”虚心坦懐” わだかまり無く サッパリとした人に託せられないものか?
 茹だる様な暑さの中 復興支援をされている多くのボランテアの皆さんと被災者の方々、そこに出来た触れ合いこそが 本来の日本人の共生の心とみるべきだろう。
 外見に惑わされ 背伸びして 良い恰好し過ぎしなさんな! 高下駄履いて紋付袴で 被災地支援が出来ますか・・・・・・。何不自由ないことが 幸せと勘違い。幸せとは 本当の不幸を知る人にこそ 語る権利があると思いますが どうでしょう? 爽やかな風を 待ち侘びる今日この頃 。 衷心より暑中お見舞い 申し上げます。。。。。
 擾乱という字は難しい。入り乱れ 騒ぐこと。異常気象には 原因があります。日本だけが避けることはできない。気象衛星により 瞬時に雲の動きを知る事ができる。数時間後の予想も昔と比らべられぬ正確さとなった。しかし、気圧の変化を人力で変えることはできまい。それを 出来ると考えるとすれば・・・・・。恐らく天罰が下る。貪り 怒り 愚かさ これを3毒という。(仏教では そうならぬ為に身口意の3密を説く。言行一致です。)
 もっと人間は謙虚にならねばならぬ。誰しも己の足元を見つめ 自省しながら 歩むこと これこそが 先人が教え示したことだった。
 明らかに 流れが変わった。 東京→仙台 の首長選挙 国が地方に動員をかけ 総力戦???? 地方のことは地方に任せるべき 貴方たちが地方の代表として 普段から地方に足を運んできましたか 有権者と寄り添い向き合ってきましたか? いつの間にか自分が偉いと錯覚 地盤を秘書任せにしてきたツケは 簡単に払えない。
 江戸の時代 参勤交代の制度は なぜ作られたか? 政官癒着や捻じれは いつの時代にも避けられぬ 。  だから人気任せの統治は 一瞬にして崩壊する。 足元固めが 誤っているからです。
 『李下に冠を正さず・・・』とは 李(スモモ)のなる木の下で 冠をなおすような仕草は 桃を盗むともとられない。 そのような嫌疑がかかるような行動は注意しなければならぬという君子行。
 用事があり 閉会中審査の中継をみることができなかった。夜 ラジオのニュースでその言葉が遣り取りの中にあったのを知った。
 正直 今更という印象を持った。仏教で説く五欲は五官(眼・耳・鼻・舌・身)の五境(色・声・香・味・触)による欲望をいう。財・色・飲食・名誉・睡眠を人間は求める。そして 様々な誘惑 これは いかに自らを律し 踏み誤ることが無き様にと思っていても 所詮 人間は 強靭ではないと・・・・・・。何故 日本において 仏教が枝分かれしているか それぞれ宗派の祖師の姿を考えれば 明快だ。その地位についた時から 更なる行を積む。
 諫言・箴言を大切に 謙虚な振る舞いが肝要。イエスマンを集め 結果上手くいった試なし。人の評価に 真逆が生れるのは 絶対は有りえない証。靴底をすり減らし 民衆の中に入ろうとする権力者がいるだろうか?
  

3078:納得尽く

 日本の政治の形は他にあまり類をみない。今日の民主政治で政党政治という形は取っているが 果たして実態はどうか?投票率の低さ その他モロモロ。 2日間の閉会中審査 与野党共に充分納得できたものとなったでしょうか? 答えは 明らかにNO! 参考人として呼ばれた人達の思いはどうだったのだろう。判りません。 
 ・・・・・すまじきものは宮仕え・・・・ 参考人席に座った人達の心中は その表情から察するに複雑。 立場上 答弁に制約があるのかも知れない そうであれば 気の毒だ。 ” 記憶に無いので それは無かったと思う” を何度も繰り返した。問答マニュアルが有るのだろうが 合点がいかないのは それを聴いているこちら側。そこへの”忖度”は無い。  明確な証拠の有無? 議事録や関係書類を破棄し 言った言わないの押し問答 それで済ませられることでしょうか? 私は 2日間の遣り取りを見ていて 更に疑問が増した。今こそ天下の宝刀モドキの規制緩和策の実態に目を向けるべき 特区で岩盤に穴をあけたと得意がる者おれば それで どれだけ混乱しているか このチェックは正直お粗末。  この種の審査会で参考人への口述規制(しばり)に穴をおけることはしないのでしょうか?
 ”唯我独尊”という言葉が浮かぶ。釈尊が語ったという 天上天下唯我独尊 これは この世に生を受けた者は誰も尊いというのが本義、究極の人間信頼である。釈尊がもし あの光景を見ていたとすれば どう説いただろうか? 伏魔殿!  唯我独尊を勘違い 自分がこの世で一番偉いと・・・・・・。国民の為という言葉が虚しく耳に残った。
 本心からの謝罪か? 何がそうさせているのか? まさか あれで お終いにならんでしょう。  夏休み??? 働き方改革??これは 先ず 永田町周辺から手本を示すべきでは ありませんか! 
 情報の信憑性判断が難しくなった。 判り切ったことだった。それに対し 体がアレルギー反応を示す。これは 想定以上、その症状の一つが”無関心”・・・・。 昨今の状況は 既に外堀が埋められ、それへの妙案が浮かばない。。今の社会を象徴する事件が起こって1年が過ぎた。やまゆり学園事件である。果たして、あの悲惨な出来事は特殊な事件だったのだろうか?
 昨日 某会合に出席 その時 参加者全員での黙祷を行った。
 呟きが聞こえる。 彼がやまゆりに勤め始めた時から あんな考えを持っていたのだろうか?もし そうでなければ 何故 何がそうさせたのか? それへの検証は 我々 障害者の方達と関わる者は勿論 その家族も考えねばならない。”入所から地域へ””地域共生社会”と様々言われているけれど これは 関係者だけの問題だろうか! 
 障害者への差別、虐待、・・・・日本は遅ればせながら国連の障害者権利条約批准の為に国内法の整備を急いだ。やまゆり事件後 関連する事業所全てに防犯カメラの設置を義務化した。GHの火災で焼死者が出て 今スプリンクラーの設置が全国一斉に行われている。その実態は???GHが借家の場合 大家さんの許可が無ければスプリンクラー工事ができない。 その数は公表されてはいない。
 仲間達と話す時 必ず出る言葉。≪そんなの 判ってることだよ。ダメだと諦めるんじゃ~無くて 社会に理解してもらう 努力をしようという事だと思わないと やっていられないだろう・・・・≫ 空しさと諦めは否めない。
  私の偏見かもしれない。天邪鬼の考えかも知れない。”おもてなし””連帯”を声高に叫ぶ割に やっていることが見事に打ち消す。この現実を受容するには 相当の忍耐と覚悟が必要だ。でなければ”寡黙と無関心”、 自分に火の粉が降りかかれば”記憶喪失”という対処法しか浮かばない。
 これが 知識偏重教育と経済優先の幻影しか 浮かばない GDP世界第3位のニッポンの実態と矛盾である! その正反対の存在として 社会的弱者とのレッテルを甘んじて受ける人達、その方達と日頃向き合う人々のいることを 何と言われようが 言い続け 生を全うしたい・・・・・・。これが先人達が教え遺した『言霊の幸ふ国』の礎では 無かったか!
 呟き・・・・「知的障害をやめたいけど できないでしょう」「がんばらなくて いいよ」。この言葉から 何を想像しますか?  
 施設という生活の場で 語られてきた。言葉数の少ないMさんが 精一杯自分の気持ちを語った。それを聴いていた 仲間や職員が「○ちゃん 頑張ってきたじゃん もう がんばらんでいいよ」と慰める。
 この遣り取りに どう向き合うか 私にとって 今も未解決な課題です。独り善がりと言われても構わず やってきた。痛切に今 感じていること それは 独りでは何もできないという事実。仲間を作り 一緒に歩め! 言われなくても判っている。 それが 簡単じゃない。 ・・・・・・・。
 向き合うこと寄り添うこと 何一つ 満足するものはない。断言して良いのかと自問自答。
 確かな事は そんな私を元気づけてくれるのは いつだって 呟いたMさん達、 何なんだ? どっちがどうなんだ? これは 私の呟きです。 ≪ああだこうだ もう良いじゃない! もっとスッキリ 単純に やりなって!≫
 ・・・・御年 66歳11か月の独言・・・・ 

3079:琴線

 思いがけず 心の琴線に触れるような 感動を経験したことがありませんか?
 街の人通りの無い路地裏で 子供が遊んでいる。そんな場面に出逢って過去にタイムスリップ 自分が幼かった頃 毎日のように日が暮れるのを忘れ遊んだ・・・・。あの頃は 防犯カメラなど無かった。近所のお年寄りが≪○○ちゃん もう暗くなるから 御家に帰りな。お母さんが心配してるよ・・・≫と声をかける  ご近所の見守りがあった。
 今の日本では もうそんな情景は消えたのだろうか? 何か 雁字搦めになって 息苦しく 追い立てられるような毎日を皆さんが頑張って生きている。自然に触れ 心が癒されるということより 自然の猛威を恐れることのほうが増している。日本だけかと思ったら 世界中で起こっている。
 地域共生社会・・・・今年 国が掲げた社会保障施策の旗印 。正直 琴線にふれるどころか 違和感を持った。今更 掲げることじゃ~ないよ。 当たり前でしょう。共生って何?地域ってどこよ? そんな疑問が浮かぶ。
 その前に 人間の営みは自然との共生無くして有りえないでしょう。京都議定書? の約束がいま どうなった? なにか不都合ができると 人を挿げ替え 目先を変える。なぜ そうなったかの充分な反省や検証もせず、・・・・・。
  どう言うべきか ペンキの塗り替えと同じ 鉄骨が腐っているのに それを新しくせず 上塗りすることと同じでしょう。そこには 琴線に触れるような期待感は生れない。
 この事を なぜ 気づかない。 
 まあ~ 愚痴を言っても始まらない。そうそう 防犯カメラの話 あれって そもそも 人間不信が根っ子にあるわけですよ。もういい加減にして欲しいのだけど 言った言わないの議論をいつまでやってるの!責任とって 止めれば良いんだよ。 あの相模原の事件があってから 防犯カメラ設置が義務化した。それに対し 反論さえできず・・・・。これが実態ですよ。その証拠にそうじゃ~ないだろう!と皆が思っている。そこなんだわな 今のモヤモヤ感は
 このままいくと 一般家庭にだってカメラと録音装置が置かれるかもね。 この条件下で共生社会作り????無理やりって感じがしますわな。現実が違うから 目標にする??? ってか。自分はどうなのよ そこだよな!肝心要は・・・・・まったく。
 ☆ 昨日 Tさんが退院した。病院では夜殆ど寝ないと家政婦さん。昨夜はどうだったか? Tさんの脇にスタッフが1人添い寝した。先に退院できたYさんと二人 夕方 デイルームのソファーで横になっていた。
 昨日が 今年最初の施餓鬼 助法に伺った。お寺の隣の高校から 猛暑の中 野球部の練習の声が聞こえる。 帰る時 アッと思った。練習中の部員の一人が走るのを止め 此方に向かって帽子を取って頭を下げ、また走り出した。
お盆を境に13ヶ寺の施餓鬼に出仕する。 がんばっぺえ~!
  
 『尚恵だより・NO127』が出来ました。先ず神宮寺・観音寺の施餓鬼に来てくれる人達に配る。 私が小さい頃の施餓鬼を思い出す。近所の奥さんたちが朝からそれぞれの家でつくった野菜を持ち寄って 施餓鬼に来る人達への食事を準備する。竈にマキでした。その後 男衆がナタや鎌を持ってきて外回りの準備をする。法要が終わった後は 皆で輪を作り 酒が入り 細やかな宴会へ・・・・・・・。今 それは無い。食べ物は業者に頼み、外回りの仕事も減った。それ以外に昔と変わった事は 助法してくれる坊さんの数 昔は住職とあと二人 合計3人位でした。今は10人以上の近隣の坊さんが手伝いに来てくれる。これは 坊さん社会の”ゆい” の助け合い。7/28が最初で8/24まで施餓鬼が続く。
 住職している2ヶ寺が終われば 気は楽、準備が一番大変。問い合わせの電話が多く その対応と 塔婆や掛け軸を書くのは 1か月前から 空いた時間にやっている。
 施餓鬼の目的は 三界万霊への回向、それに新盆精霊への供養が合わさった。仏教が いま どうなっているか 仏教青年会などで その議論がされているようだ。悩みや苦しみを持つ人たちと どのように向き合い 何を行なえば良いか?時流にあった坊さん行。
 私の20代30代の時も同じだったね。 ガリ版で機関誌を作り それを交換し 語りあった。その時の坊さん仲間と今も付き合っているが いずれも例外なく老境に入った。少欲知足・・・・・・何かに迷い始めると いつもこの4文字が頭に浮かぶ。
  昔も今も変わらずに いい塩梅の妥協点でマインド コントロール。これだって 体力の衰えには 逆らえず 理想と現実のギャップは狭まらず。
 朝の勤行で読む『懺悔ノ文』だけが 自棄に力が入るのは 仕方ない。
 
 昨日は 15人の坊さんが集まってくれた。外気温30℃に至らず 蒸すような暑さだけは避けられたが やはり 夏衣を重ね着した身には堪えた。 正味1時間 本堂で行った水施餓鬼  真言豊山の声明を聴きながら それぞれが 自分に向き合う時間となりましたでしょうか? そのお手伝いをするのが 僧侶だと思っています。
 必死に生きようとしている人達 ・・・・・ 私が先代から引き継いだ寺の過去帳には 沢山の亡くなった人達の名が記されてある。 信仰心は本来 一人ひとりの心の中にあるもので 無理にそうでなければならぬという類のものではない。 それと その証や効験を競うものでもない。 只管 己の有りの儘の姿を仏の前に曝け出すこと 外聞を繕うとすれば 無理がくる。そういうモロモロの教えに耳を傾ける これが 本来のingの信心だと私は思う。
 心の奥に秘められた心情は 思いもよらない時に共鳴し 感動を呼覚ます。これこそが 生きている証 そのものではないでしょうか 。
 絶対や完璧を望んで出来る事で無し。誰もが弱さや邪まさを持っている。共生を言うは易し。今 それが有るなどと自負すれば それを境に その反動が 己自身に向いてくる。
 障害福祉に関わるようになって 今 思うことは 己自身の弱さや邪まさと向き合う場が 日々の生活の中に充ちていて 一時の休息で 我に返り 省みて また歩み続ける。この連続と言えます。 そのエネルギーたるや 計り知れぬもので 時に逃げ出そうとするが 先の自分の姿を観るような思いとなり 恐る恐る 腰を上げ また歩き出す。 ・・・・琴線に触れるとは・・・・・。

3080:葉月

 8月に入り 早朝起きだし空を眺めると西の空が真っ黒 一雨あるな!と思った。 時間を置かず 強雨 一気に道路が水路と化した。台風5号が迷走している。気圧や風の影響で方向が定まらないのだろうが、何か 今の日本の世相を見る思いがする。
 アメリカは北朝鮮がICBMを完成したらレッドカードと警告、その瞬間が間近に迫る? 核シェルターを生産する工場がフル稼働 地下6メートルでの避難 1か月耐えられるとは言うが これだって一時凌ぎでしかあるまい。
 防衛大臣が笑顔で退任挨拶 外務大臣兼務 何か定石無視の緊急対応としか思えない。 そんな外の騒がしさとは別に それぞれが 日々の生活や仕事に誠意努力している。これが 今の実態です。
 辞任すれば責任を全うできたと思うのか? 後始末は後任者の役目では あまりにも虫が良すぎます。”つらつら 推みるに”自分の都合で相手への配慮が欠落した出来事が多すぎませんか?
 コミュニケーション? マネージメント? やたら外来語が目立つ時代。これは もう 患いや愚痴無くして語れない。
 言い訳が問題解決の力になるか! なりませんね。なったら おかしい。 隠蔽や公私混同 これが罷り通れば 世は乱れます。魑魅魍魎  水の神 山の神 合い集いて あちらこちらで作戦会議。
 さーて 人間どもは それに応えられるか否か・・・・・・・。葉月はお盆月 
 往往にして 人は 言い訳でその場を凌げると勘違う。体力に自信なく 今まで出来たことが出来なくなって 己が出した結論?、それを聞かされた者は どう受け止めるか? 世の中は 一定のルールで動く。それを無視すればペナルテイを受けます。
 ペナルテイとは何か? 最悪 司法の手により収監されることもあろうが 其れよりも生きた証としての『矜恃(きょうじ)』を失うこと。人間のプライドは公言した途端に真逆な風を知る。本来は己の心の奥底に秘めること。
でなかれば 言い逃れと言われても仕方なし! 昨日 水戸で某会合があり出席した。向かう途中 先が見えなくなるような大雨 速度を落とし 前のめりになってハンドルを握った。 少雨で雨が欲しいと思っていたら 急に雨が多くなった。災害にまでなれば 問題だが 適度な雨量は 植物には勿論 我々人間にも大切な天の恵み ジッと待てば 雨はやむ。
 知人からのメールを久しぶりに頂戴した。お元気なのが その内容から伺えた。『くりかえし読みたい論語』という書籍を紹介された。早速 アマゾンで注文、明日には届くと判った。
 自分が思いもよらず病に罹る。これは 貴方だけではないはず 皆が皆 そうでしょう。偶然 病気が判り 治療を開始。病気と向き合うのは 己自身 周りまで巻き込むのは如何なものか?
 人間は いつの間に 地球上の生き物の頂点にいると錯覚 組織に於いても然り。頂点に達したと思った瞬間から下降線が始まる。それは 山登りで知ったこと。 病気が有る無しに関係なく その人自身の心の有り様は 常に変化する。そのコントロールは  自分自身で 一生かけて学ぶこと・・・・・・。 
 

3081:リスク

 リスクへの備えは様々 勿論 一言で言えるものではありません。自然災害への対応を想えば 誰も判ること 想定外の出来事は常に起こると考えるべし。昨日は茨城を震源としたM4~5の地震が2度ありました。突然グラと来た。一瞬身構えた。瞬間 次にもっと強い揺れが来るかと不安が襲う。 地下で何が起こっているのか判らない。一度目が深夜の2時 2度目は午前7時ごろでした。東日本大震災の土浦の震度は6弱だった。あれから6年が経つ。
 また組織でのリスク 経営存続の危機や人間関係の崩壊 その対応は様々な方法で図られる。しかし 結果は一様では無い。 根っ子の部分で 共通するのが そこで関わる人間の”蟠り”(わだかまり)。心の中でつかえている不満・不信をどう解決するか?これは 人が複数関われば永遠に存在する課題です。蟠りは 何故起きるのか? その一番の原因が意思疎通の欠如、そして 貯まる一方の負の感情。気の合う者同士のグループ化 必ず そこに入れない人が生れる。 厄介なのは それへの特効薬が無いこと。これこそが普段からの お互いの関わりがモノをいう。 できない言い訳、陰での悪口 !清濁併せ飲むと言うが 見方を変えれば 無責任に通じます。高見の見物と成り易い。
 良く言われること 理想と現実の間には”課題”があると。 ならば理想って何? 今の現実はどう? ここに認識のズレが有れば 当然 蟠りが生れます。ですから どんな理想を掲げても 不信感が深まってしまう。やればやるほど深みに嵌まって 解決策が見いだせない。内部で解決が無理と思えば 当然その救いを外に求めようとします。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 これが起こり得る現実で 皮肉にも目標が達成できた後に起こり易い。これは ホットしたり 美酒に酔って 次なる具体的な方向が見えなくなるからだ。
 
 私が教わったのは、「知った」ら次は行動に直ぐに移す事。これが鉄則だと。周りへの気兼ねや余計な事だと考えず 本当に組織を守り良くしたいと考えるならば 言い訳などせず 「する」ことしかない。
 それが 唯一の問題解決への道となるからです。
 昨今は  永田町界隈での謝罪撤回やらリーク合戦が自棄に増えた。 できなかった言い訳で状況が好転できれば 悩む必要など無い。 
 
 こんな事を言えば嫌われる! みんな良い子でいたいのです。仲良しこよし・・仲睦まじく・・ワキあいあい・・・・これは 堅固な関係じゃ~ありません。壊れやすく 常に変化する。今更 言うのもどうかと思うが 福祉の原点って何だろう?
 また 始まった? って言われましょうとも。 ここんとこ 水戸通いが頻繁で 時間の調整やら なんやらで 落ち着きません。
 茨城の県民性? 或る方語った 農業生産高 全国二位 工場誘致数全国一位・・・・ 県全体で夜の人口と昼の人口差が少ない県 94%が昼も県内にいる。これって 働く場が県内にあることですね、東京に近いのに それは凄い事 それと県民一人当たりの収入が 全国五位という。 俄に信じられないというより 県民が知らない。誇らない。気にしない。  そうだ!水戸っこの三ポイ・・・理屈っぽい。骨っぽい。怒りっぽい・・・
 その方は東京人 外から来て茨城に住み 感じたことだと言った。実に説得力があった。
 内閣改造人事が発表 初入閣の先生方達よ おめでとう 素直にお喜び申しあげまする。大臣のイスって座り心地は如何でしょう? さ~て これからが大変だ! 目立てば 目立つほど なんとやら!
 どうか 記憶にない とか 謝罪会見だけは しないで欲しい。水戸っ子の真髄を 如何なく発揮し ご活躍を拝見申し上げております。資質と気骨は誰の責任でもない 貴方自身です。 言い訳はしない これが 常陸の国の土壌が育てた人倫の道。
 ”蟠り”と”期待感” この天秤がどちらに傾くか?  迷走する台風五号が 何故か ゆっくり近づいて参ります。
 違和感・・・・某テレビのゴールデンタイム なんと首相が生出演し女性アナウサーからの質問に答えていた。NHKなら まだしも 数ある民間メデアのなかから 何故 そこだけを選ぶ?それも あの時間帯に・・・・・・。貴方が言う丁寧な説明が これだったのか! 素直に受け取れない自分が異常なのか?
判りませんよ。 地方政治に中央から様々なテコ入れが目に余る 誰の為の政治か 判らない。 面子ですか?それとも 確信があってのことですか? 貴方たちは ある時は他を論(あげつら)う材料に使う。 そして、同じことを 自分達の正統性に託(かこつ)ける。もの言わぬ有権者をよい事に 矛盾だらけの言動を繰り返す。
 時計を逆戻すことは できまい。 肝心要は 記憶になくなるのですから。それを防ぐ為に義務づけた記録保存を破棄した。これこそが列記とした証拠ですよ。
 異常としか思えない。同じ思想信条で徒党を組むならば 同志として貴方達がやるべきことがあるはずだ ! それが見えない言えない。 隠蔽とは 記憶や証拠書類ではない。貴方たち自身が現に感じている 異常体質である。それを 柔らかく”隠蔽”という言葉で諭す。この日本人の親心を 金のバッジを胸に付けた途端 忘れてしまうわけだ。(ナマグサ坊主 呟き)
 

3082:支え合う

 昨日は 携帯にお二人の方から電話が入った。いずれも 病院からでした。私が尊敬してきたお二人が 同じ時期に入院し手術したのです。≪無事 終わったよ。大変な目にあった。病院で何もやることないから 電話した。。。云々≫ 同志・・・志を同じくする人だ。それから 違った方から珍しくメールで ある事への疑問が書かれてあった。 私の考えを確認したいというもの  担当者に確認してから 直ぐにその旨を知らせた。≪迅速な対応に感謝します。一石を投じることになりますね。勇気が湧いてきました.≫と回答があった。次は電話・・・≪住田さん 皆がどれだけ頑張ったか エアコンつけず事務所で暑い日に首にタオル撒いて 尚恵学園は お金を貯めたんだろう。それを大事にしないと 世の中 おかしくなってるんだから≫これは 在り方検討会の提言に沿って 具体的な改修準備をしている時 相談した設計士からの忠告だ。
  ちょっと オーバーかな? でも有難い・・・・周りの人たちが支えてくれている・・・・。 
  ・・・・が できない言い訳を先に謂われるとカチンと頭にきてしまう これが 歳を重ねるにつれて 激しくなってしまった。 謂われねばやらない! 直ぐに忘れ また 同じ小言を言う羽目に。
 この時期 雑草が伸び放題 それは判るんだよ。 週案の中で半日 全員で掃除をやればできることじゃ~ないのかよ。≪ 玄関周りが いつも綺麗にしておくのが お客を迎える 礼儀だろう!≫と某保育所の園長から言われたことを 思い出す。
 まだまだ 現実は生温い。こんな風に言えば 周りから嫌味に取られるのを 気にして??? そんなの構わないじゃないのかよ。これこそ やらない言い訳としか聞こえない。それが 判らない! 生温い。自ら範を示せだわな・・・・。
 
 こんな日もあります。何度も呟いては 削除する。言い過ぎ それとも 愚痴? ま~ 良いじゃないの。
 今日から連日 他寺の施餓鬼助法と 自分の寺の法事が続く。盆月の 毎度お馴染みのスケージュール 一段落した後 体重を計るといつも3キロは減っている。
食欲も無くなり 熟睡も出来ず 気持ちで こなす。恐らく 周りの人たちは 顔つきが変わった私を避けてくる??? ま~ 良いじゃないか! 台風5号 朝から雨の予報は 昨夜集中して雨が降ったが 今のところ
降りそうもない 雨戸を閉め 強風に備えているが このまま 過ぎ去ってくれるかな~。
  
” 雨戸が閉まっていたから 留守かと思った!” 突然 玄関のインターホンが鳴った。男性二人が立っていた。座敷に上がって貰って話を伺う。「 今度 お墓を移したいと思っているんですが 牛久で遠くなるので住職は来てもらえますか?」
 と尋ねられた。≪ 行きますよ 大丈夫です≫と答えると安堵の様子が判った、それから 自分と寺との関わりを事細かに話をしてくれる。「 妻が33歳で日本脳炎で亡くなり 丁度50回忌にあたると思います”と話す。 一緒に来られた方は息子さんだと判った。その時 先代の住職に大変お世話になったと話してくれた。≪お母さんが亡くなった時 御幾つでしたか?≫と息子さんに尋ねると 「6歳だったと思います。」 と 目が一瞬潤んだ。 
 盆月は  いろんな話をしていく方が寺に来られます。 皆さん 普段 疑問に思っていても 話す機会が無くてと話される。住職が いつも留守でいないからだろう~な。
 恐らく 父親が母親替わりをされて 50年が過ぎたのです・・・・・。
  お寺と檀家 これこそが≪支え合う≫関係ではないでしょうか? 先代から私が言われたことで 良く覚えているのは≪住職っての~は 留守番だからな!≫ 判った振りして軽はずみに謂うんじゃない・・・・・だった。

3083:向き合う

 言ってしまった後で 言わなければ良かったと思った事はありませんか?
 障害の種別が違う人達と一緒に障害福祉計画を作る会合に出た、 手話通訳や引率者が同席する。視覚に障害がある方は 他の方の意見を聞き洩らさない様に耳を欹て点字版を片時も離さない。聴覚に障害のある方は対面する手話通訳によって内容を掴む。 会議半ばで 様々な意見が百出し コントロール不能となった。その時 一番冷静にしていた方が 視覚と聴覚に障害がある方だった。
 酸素ボンベや人工呼吸器を付けて参加する方 彼らは電子文字盤のキイを押して意見を述べた。 知的や精神に障害を持つ人は ご本人が出席する場合は少ない。家族や介護者が委員となっている。
 現在 県や市町村では 障害者計画の策定を進めています。年次ごとの数字が並びその比較に多く割かれている。押し並べて計画そのものを一般の方々に周知するモノとはなっていません。障害施策はサービスの種類や内容が複雑で我々専門に行っている者にとっても判り辛くなっています。
 措置から支援になって 何が変わったか 高齢社会や少子化という言葉が一人歩きし 実態を良く理解している方は実は少ない。自分が サービスを受ける時になって初めて問題の大きさを認識する。何故 こうなってしまったのでしょう?
 新たに国は「共生社会」を打ち出しました。正直 日本では共生そのものがドンドン難しくなっていくように感じます。
 サービスを提供する側にも 多くの課題が山積しています。画塀に帰す or 契約不履行・・・現場に立つものの自己矛盾。 私達が知らないだけで 全国には様々な成功している事例もあるでしょうが これも 実は足場が不安定なものです。先が読めないのです。  「向き合う」ことの重要性  日本人が もう一度 この点に関して 謙虚にならねば ならないと 思いますよ。 
 ★ 身体障害 366万 知的障害 54万 精神障害 320万 (内閣府:障害者白書より)全人口の約6%。
 書いてしまった後で 書かなければ良かったと思った事はありませんか?
 永代供養の掛け軸というものがあります。新盆の供養の一つ いつ頃から行われていたのだろう?掛け軸に押す印は 相当古い。朱肉が重なってしまい字が読めない。 新盆のお宅には盆中に伺う水施餓鬼 これが棚経と言って 昔は全檀家を廻っていた。
 今は 新盆のお宅だけ・・・・・私の字は お世辞にも上手いとは言えない。施餓鬼棚の正面に飾られた掛け軸 それは 住職が書くもの 正直 対面するのが恥ずかしい。 最近は 開き直って 誰も真似できない正真正銘の直筆であると・・・・・・。
 お寺の住職で達筆な方を多く知っている。私にとれば 羨望の的 ならば お経の声で勝負??? これまた 無駄な抵抗と 判っている。
 それならば ”こころ”で・・・・・・と ・・・・・・
 いつの間に 坊さんの席次も上がり 若い坊さんが 気を使って席をあけてくれる・・・・・ その気兼ねは ご遠慮したいのだが そうもいかないようである。昨日は 笠間まで2往復 間に他寺の施餓鬼助法があった、生憎 休日で 常磐道はいつになく混んでいた。いつもの倍の時間をかけ 遅れてしまうのを心配しながら 運転した。そして 夕方5時 仲間の坊さんの新盆見舞いに法類で集まった。
 次は 忘れてしまって 忘れなければ良かったと思った事は????
  忘れてしまって 良かったと感じた事ってありませんか?
 認知症や健忘症、いや人間様は凄い? 都合の良いように 忘れたりできるんですね。「記憶に無いということが 無かった事の証です」 これって 可笑しいよな~。裁判所で それが通じますか? 黙秘はありますが これは 何の証拠にもならない。それを強引に押し通すとは・・・・・・。調査中なので コメントは差し控えたい・・云々。 いつまで調査するんだい。その報告はいつするの? なにかが狂っている。残念なのは そう謂う当人が 己の正統性に疑問を持たない。 人相学というものがあるらしい。どんなにできた(?)方でも 顔の表情は誤魔化せない。笑顔でも顔が引きつり 目が虚ろで 腰が引いている。
 ”悲憤慷慨(ひふんこうがい)” できれば 忘れたいが 類語で悲歌慷慨ってもんもあり、ま~ 元を断たねば ダメでしょう。 特権を有するものほど 慎重でなければなりません。 それが 何故か変になる。誰の責任でもありません。貴方自身にあることなのかも知れませんよ。

3084:三世了達(さんぜりょうだつ)

 盆中の 棚経を終えました。 体力の衰えを感じます。『三世了達』とは、仏の智慧は過去・現在・未来の三世を達観し明らかであるということ。三世を親・子・孫に例え三世代 新盆の家にお邪魔すると 普段一緒にいない家族が集まっている。坊さんが来るのを待つ家に行くと玄関から真っ直ぐ仏壇の前に進んで線香を付け 水施餓鬼を始める。その間 一分もない。徐々に 家族や親戚が座り 新盆供養 。 そして 10分もせず お邪魔し 次の家に・・・・
 昨日は一日雨だった。気温は27度位 蒸し暑さは感じたが 汗をかく程では無かった。高速道を使い 向かった家 初めて伺ったので ナビを見ながら近所まで 車の多く停まっている家 大体 その家で間違わない。 読経を終え 帰ろうとして玄関を出たら お孫さんから声掛けられた。≪ 婆ちゃんが 住職に会いたいって言っています。≫  家の中にまた入ると 車イスにのった 御婆ちゃんが私に手を合わせながら話しかけてくれた。≪ 住職さん ありがとう おかげで お盆に皆来てくれて できました。ありがとう~ね。元気になったら またお寺に行くから・・・・≫ 目に涙 言葉がハッキリしなかったけど 言いたいことは良くわかった。娘さんが玄関先で ≪ 母は脳梗塞になって 今 施設にいるんです。無理して 時間を合わせてもらって すみませんでしたね  ≫この国に福祉は無くなってはいない。お婆ちゃんの息子さんが亡くなり その新盆供養を 皆が集まる時間にして欲しいと頼まれていた。 今 制度や仕組みを 用意すればそれで済むと考える。本当に そうだろうか? 今 起こっている事は金が付き纏い 極論すれば 金次第のサービスではないか。 それが 全てだとは言いません。運営や経営 マニュアルがある。 それで 何が解決できるのでしょうか? また 元気になれば戻りたい・・・・という 希望が持てる社会に 何故発想が浮かばない。
 金の亡者と化したニッポン 見なさい! 大阪や四国で起こった教育界の無分別 その実態をどうみるか? 知らぬ存ぜぬと言葉を濁す 貴方たちに良心が有るならば 真実を述べる勇気と覚悟を示して欲しい。 この国の教育・医療・福祉に暗躍するモウジャが蔓延る社会をよもや『共生社会』と呼べと言うのだろうか。傀儡政治や金権政治が息を吹き返し 勢いを増している。何故なのでしょう? 美辞麗句を連ね我利我利亡者が闊歩する。
 そうですよ 心なきものは いずれは裁かれる・・・・・・・。福祉の末路が社会の末路 これから先 この国の再生への道に繋がるでしょうか? 特区や規制緩和という 言葉の裏に見えてくる地獄図は 彼らにどう映っているのでしょう。信義と覚悟を感じない これを どう言えば良いのでしょうね!”日和見主義”。(1582年 洞ヶ峠 山崎の戦い)
 迎え火で先祖を招き入れ 送り火で送る。 此処に 実は 偽善・偽悪のチェック機能が働いているのを知っていましたか? 恐らく 今の教育では 教わらない。三世の幸せを願う基本に 先祖を敬う心が不可欠、これを スポイルした。
 ここに この国の来世への危うさを どうしても 観てしまいます。 
 偏向報道や印象操作、何が真実か判らない。だが 情報を隠蔽することは より罪深い。8月15日 終戦記念日が 72回目を迎えた。歴史は繰り返されるのか?東アジアの状況は 一触即発の危機? これに対し 何もできない我々は 只管 戦争にならぬよう祈るだけ。恐らく 先の大戦前も 庶民には 何も知らされず 一部の人達によって秘密裏に行なわれたが 戦争回避ができず そのまま戦争に突入していった。昭和20年は 戦況はドンドン悪くなり 戻るも進もできず 本土決戦やむなしと多くの人が覚悟した。
 今では広島・長崎の原爆を体験した人達が少なくなって 次世代に戦争の恐ろしさを語り継ぐことができない状況、それと政治を動かしている人達の何人があの悲惨な戦争を体験しているでしょうか? 
 地方創生・・・何か 言葉だけが独り歩きしている。簡単に実現できることでは無いでしょう。謂われずとも皆さんが判っている。政治全体への信頼の低さが如実に証明している。他に代わるべき者がいない???? この言葉は禁句ですよ。自ら芽を摘むようなことは良くない。
  誰だって 戦争を望むものはいない。東日本大震災の復興は終わりましたか? この緊急課題に全力で取り組んでいるという割に 身内の不祥事が多過ぎませんか。そして それへのペナルテイの生温さ 国民は 疑問を通り越して怒っている。
 常識と非常識の分かれ目が曖昧になった社会は先進社会? 正直 我々 僧籍を持つ者の責任も大きいと思う。
  今年最後の新盆供養で あるお宅に伺った。通された部屋に大きなベッドが置かれ その脇に小さな祭壇が飾られていました。 重度の障害があったお子さんが亡くなり 半年が過ぎた。おそらく家族が 自宅で子供さんを介護していたと思う。
 マンション7階の自宅で。 雨の中 かなり離れた駐車場までお母さんが私を送ってくれた。
 
 三世の中で現在、今が大切なことは間違いないでしょう。ホンネですよ。
 近くにボンジュールというレストランがある。盆が終わった時の恒例になった食事会 今回は12名 年齢はさまざま。8月生れが2名いて、その細やかな祝う会。40年前に 国道沿いに出来たこの店は名前がハイカラで看板メニューは ハンバーグとエビフライ 今も変わらない。外観も田園の中では一際目立ち 当時評判になった。此の店に私の父が良く来た話を面白可笑しく話してくれたオーナーは 38歳で始めてから40年間 休まず店に立っている。 ここまで 長続きするレストランは6号国道沿いでも珍しい。リーズナブルの値段と派手さはないが ゆっくりできる店内・・・・一番は 何と言っても味にある。リピーターが多く 皆さんから 可愛がられ 今に至る。 生涯一筋道 サービス業の原点をみる。
 オーナー自ら マイクロバスの運転や客の対応 食事の上げ下げを続けている。恐らく 順風な時ばかりでは無かったはず そこを 何度も乗り越え今がある。 
 私は 特別の想いがこの店にある。現在 尚恵学園の事務所になっている建物とこのレストランの設計士さんが同じで建てた時期も同じ。 確かに40年前(1977年)鉄骨ALC造 当時としては新しい工法で完成を皆で喜んだものである。 年数が経てば 不具合が生じ 彼方此方直しながら今がある。
 ☆ Tさんが もう駄目かと思ったけど お粥を食べるようになって 表情も変わった(スタッフからの報告)。近くにできた近代的な大型病院の緩和病棟と園との二重生活 何度も入退院を繰り返し、本当に頑張っています。寮には 共に過ごした仲間 歩けなくなったTさんの傍に座って話しかける。
  こうやって 様々な思い出がつくられた。 三世了達とは 己の生き様と自身が向き合うことから 全てが始まるということですよね。

3085:コマ撮り

 梅雨に戻ったかのような天気 日照時間が異常に少ない、果樹やコメの収穫に影響があるのではとの生産者の声 局地的に大雨が降り 常に雨具がはなせない。このまま秋になってしまうのか 8月も半ばを過ぎた。
 朝の6時に鐘楼の鐘をついでくれる方が 恐らく お孫さんじゃないかと思う女の子を連れて 本堂の前で手を合わせていた。その後 いつもの時間に一撞きを終え 帰っていかれました。その直ぐ後、玄関のインターホンの音が鳴った。自転車で来られたという若い男性が≪ 仏さんの前で 線香をあげさせて下さい ≫という。本堂にお通しし 蝋燭に火をつけて≪どうぞ≫というと≪ありがとうございます≫と丁寧に挨拶され 程無く帰っていった。
 この間 30分足らず 何か仄々とした中にも 一抹の不安を感じる朝の一コマであった。
 本当は このような何気ない普段の有り様に価値があるんではないでしょうか? 何かに追い立てられように 前にぶら下げられたニンジンを取ろうと必死、大切な事をドンドン後回しにして 気付いた時は後の祭り。これで 長生きニッポンを心から喜べるでしょうか? こんな状況で 長寿日本が抱える介護の実態を どうしたって問題とみてしまう。これは 前から判り切った筋道だった。それを今更という不満がつのるだけ・・・・・・。
 共生社会を掲げるには 仕組みではない。それを どう活かしたらよいか 貴方自身のことですよ。その基本は お互いの信頼をどう築くかなんですよ。 それが どうです。不信感を煽るようなことばかりしていませんか! ボタンの掛け違い処の話じゃ~ありません。
 日本人は 昔から 宗教の違いには関係なく 寺社の門前で頭を垂れ手を合わせ 祭事を皆さんで楽しんだ。古き良き時代は 自分が老境に達した時に必ず慰めとなりますよ。 それは GDPとかTPPとか???? 数字のマジックとは 異次元の営み 
 それが どうも 何か変な感じがしませんか? 身近な事にもっと目を向けてみては如何でしょう。きっと 何かに気付くことがあると思う。
 
 頑固一徹への評価は いつの世においても微妙、方や融通性が有り過ぎ 一体何をどうしたいのかが判らないよりマシ・・・・・・・。信念と片意地は違う。
 人それぞれです。 人が集まれば考えも違うし 能力も異なる。何かを得意とすることを持っている人は まだ良い。所が 風見鶏なる人物は 定見を持たず大勢に簡単に順応するから 困る。 厄介者とまで いかなくとも なにかを纏め方向を決めるとなると その種の人物がトップの場合は 決して纏まらない。この見極めが重要で それは有事の時に見えてくる。傀儡とは あやつり人形の如く 自分の意志が無く 人の言うなり、万が一にも そのような方が組織の長となったら これは 堪ったもんじゃない。
  
 信頼というものは 騙されても良いとの覚悟が無ければ 生まれまい。最初から ああだこうだと考えあぐね 一歩も踏み出せず。猜疑心は 誰にもある。結局は 相手でなく 己自身に因がある。
 そこで 重要なのは できなくても 嘘をつかず 自らの責任だと認めることが その人の徳となる。
 私は そのような人に託したい。茨城県知事選 あと7日を切った。地方創生とは なんでしょう? 中央から 偉い(?)方々が鳴り物入りで駆けつけ ああだこうだ 叫ぶ事ですか? 地方は地方に任せるべき 普段 地元に帰らず こんな時に限って 物言う輩を 私は 許せない。

3086:試金石 茨城の行方
特別寄稿

 『前触れ』
何が試金石となるか 政策の目玉が問われ 公約によって示されたことが 実は実施されず有耶無耶に・・・・・・。これって確たる不履行になりませんか?
メデアの役目は 本来 そのチェックをする処にある。何らかの圧力がかかり 其れが歪められたとしたら 我々庶民は 何を手懸りに是非の判断をすれば良いか判らない。 この国が いま どのような状況下にあるか 平和や経済の安定と謂われ続けながらも それを鵜呑みにできない現実がある。
 昨日は 一泊で旭川に飛んだ。この時期にどうして?  5人集まって 話が弾んだ。神奈川で起こった事件後 1年が経過 これはやまゆり園だけの問題か? そう思っている関係者は誰一人無く 明日は我が身と危惧をする。
 もし この事件の解明に得体知れずの大きな圧力があったとしたら それが 何なのか? 居酒屋に6時集合、論客ばかりだから 時が過ぎるのを忘れるほど話が弾む 店から予定時間が過ぎたと謂われ翌日に譲った。年齢は様々 平均すれば70歳を超えているが 気力たるや そんじょそこらの若者が束にかかってやってきても いとも簡単に論破してしまうツワモノ。
 一意専心  障害問題に生涯をかけ向き合っているバリバリの現役、未だ2足の草鞋との思いにオサラバできない私は 副住職に檀務を頼んでやってきたが 正直聞き役に甘んじた。
 話は 障害福祉に関することより 宗教~哲学~主義信条 に至ると多岐に渡ったが 根っ子は 同じ その確信を得て茨城空港に定刻の6時半に帰着し 同時にどっと疲れを感じた。 
 
 ”報償費” どうも得体の判らない 官庁にある勘定科目。過去に数々の問題になった金の使い道だが 依然として予算計上されている。内閣や外務省、警察に予算化され その支出に関しては内容を明らかにする必要がない。知る人ぞ知る内閣官房機密費も 支出に領収書がいらず 会計検査院の監査も免除という その原資は 取りも直さず国民の税金ですよ。
 さて その使い道だが 丁寧な説明を行うと公言したばかり それとは裏腹に それも堂々と惜しげなく一部の方の裁量で支出されてはいませんか?  間違いでしょうか?・・・・・・・。何故か マスコミは あまりこの事に触れない。 不思議です。今回 私の地元では選挙の最中 早くも終盤に差し掛かり 予想通りの大接戦、現職は 派手さなく 従来の選挙戦術を守る。 クリーンな政治を言い続け 実行した世にも希なる人物だ。各種の調査では一様に実績を評価する。(約70%という高さ)。方や 現在の与党二党からの推薦を受けた陣営は国挙げての総力戦 中央から連日 大物(?)議員が応援に来県し、誰の為の選挙かお構いなく遣りたい放題(?)。東京~仙台の悪夢で党存続の危機打開に躍起だ。 ユーチューブでは 選挙戦に内閣官房機密費が使われているという専らのウワサが流れてる。何せ領収書は不要で使用目的に制限なし これで公正でクリーンな選挙というならば その方達に尋ねたい!今回から18歳まで年齢が下げられた有権者は このことをどう理解するでしょうね。今までに 貴方達は これを どのように説明してきたでしょうか? 政治家全員に聞きたい。政務活動費とやらも 同じだわな
  ≪ その事に関しては コメントは差し控えたい≫。 こうやって 貴方達は 常に自らの責任を回避してきたのでは無かったでしょうか。
 ★ 試金石=価値・力量などを判定する材料となる物事(広辞苑)
 官邸HPの検索で『地方創生推進交付金』(H29.4.28)から 平成29年度予算総額1,000億円 、その趣旨、目的、前年度の交付実績などを 知ることができる。何故 この交付金が内閣府の中で行われるのか 正直 良くわからない。地方創生は現内閣の初めて発想? いや そうじゃないでしょう。常識で考えても判ります。国体とは 何をもってその体を成すか?そこを考えれば別に新たなことでも何でも無い。当然のことなのです。・・・・≪地方公共団体の自主性・主体的な取組、先導的なものへの交付・・・・・≫ この文言に何一つ新たなものはない。
 制度全容を掴むには 複雑な中身で 我々にはとてもじゃないが理解できない。 ただ 今 盛んに謂われている『特区』事業に目が止まる。政策づくりには 様々な人達が関わり ある手順を踏んで決められる。
 この流れは 国→地方 と 全く同じ、国は地方の自主性・主体性を尊重する。これだって 揺るぎない民主国家の生命線。 問題は その仕組みでは無い。国の力が強すぎれば どうなるか? 3権分立が根本から揺らぐのは自明の理、官庁幹部の人事や交付金の決定が特定の部署により決められるとしたら そこで何が起こるか?文科省だけではなく 全ての省庁にも起こりうる。相互牽制という力学が機能しない。 社福法の改正により全国の社福法人が 昨年は多くの時間が取られた。何故 改正せねばならぬかを考えると 今回の一連の騒動の原因が見えてくる。問題の大きさは違っても基底部分で通底するものを感じるのです。それは 簡単に言えば おおやけに関わる者には納税者への説明責任が絶対条件だということです。丁寧な説明とは 何か? 「記憶にない」とか「資料は破棄した」という弁明は論外。 それで 押し通してしまう力(?)、その力に正統性が無いとなれば いかなる術策を巡らそうと 信頼は得られない。 貴方が生れた時を思い出せ 人間 一人で大きくなることはできない これが 不変の真理 自分の力で今があると思うのは 仏教が最も忌み嫌う教え その戒めを 貴方は 何をもって 師の墓前に報じたか
 政治には素人だが 自主性・主体性に独立性を加えるべき 選挙になれば 自分達の党が推薦する候補者を問答無用とばかりに応援団を送り込む。これが 国民にどう映るか?貴方は 現在の貴方の立場で国民に どう説明責任を果たすのか! 公私混同は自らを律することでしか防げない。それが 恩人に対しての 真の忠信だと私は思う。水戸学の真髄(敬天愛人)を判らず 公にすべきではない。師弟は三世と言われる。私はそのことを実学で学べと教えられた。実学とは 相手に向き合うことから始まる。逃げ隠れできるものではないのである。

3087:掉さす

 ”掉さす”という言葉は時流に乗るという意味と時流に逆らうという反意する意味に使われますが 後者を誤用ととることが正しいと謂われます。人間が考え出した言語は便利ではあるが そのツールのみで真の思いを相手に伝えることは難しい。 時流とは その時代の風潮。何が切っ掛けかでそうなるかを見極めるのは難しい。 潮目がうまれると 想いとはドンドン離れてしまうことが起こり得る。 
 SNSが全世界を駆け巡る フェースブックやライン Web上でコミュニケーションをはかる手段として使われる。膨大な情報量は 人間の判断能力を劣化させ  邪魔するものが出てきても気づかない サーバー攻撃なるものはその一例で、情報操作などいとも簡単にでき、それを売りとする商売が新たに生まれる。
 便利さに潜むリスク、情報の善悪判断一つ取って見ても 実に困難な時代になっている。 人は 瞬時のキイ操作で想いとは真逆の世界に放り出され 心も体も漂流し続けることになりかねない。これは 自律しようとする意志を容易に無力化し 人間が定めた法律や規範をいとも簡単に反故にする。これに対し 何をもって異を唱え 阻止することができるか? その方法を実は誰も判らない。相手を利用しようと考えたものが 逆に己が利用されたと嘆いても後の祭。そこに初めて自己責任という戯言が現れる。
 そして”自己疎外”というヘーゲルの言葉。人間が作り出した経済・政治・宗教などの社会的な諸条件によって 主体としての在り方を見失うという究極の自己否定に繋がっていく。
 政(まつりごと)が乱れる時 そこに通底するものを私は感じる。それは何か!
  私の歩む道は 決まっている  その確信を得たこの一カ月だった。
 組織に大切な事は 確たる礎の存在です。 その礎は 最初からそこに在ったものではない。長年かけ 現実と向き合い築いた努力の結果です。そして集大成とは 多くのものを広く集めて 一つのものにまとめあげる事。これをやって欲しかった ・・・・と。皆さんがそう思いながら 口を閉ざしてきた。日本が選択した経済の仕組み 規制無き自由競争を奨める条件として 歯止めやチェック機能が問われます。それが無いとなれば 人為的に 元に戻すことはできません。それへの危惧を和らめる為 根拠無き数字を並べ 国民の疑義・動揺を抑え込もうとするでしょう。
 支持率に一喜一憂 ネット社会を上手く利用し 次々に施政方針を掲げてはいるが 其れに対する検証はどうなのか・・・・・・・・・
 便利さとスピードを競う社会の流れは 今後更に強まるでしょう。川の流れに例えれば 急流に安直な基礎で橋を架けるようなもの その上を人間が通り 何が起こるか? 橋崩壊のリスクは それが起こって始めて気づくのか?
巧妙かつ執拗に叡智を集めて対策会議、この実効性は如何に ・・・・・ ★ 携帯にJアラートのけたたましい音 ”北朝鮮がミサイル発射”との情報に 茫然と立ち尽くすのは 誰か!あっと言う間に10分が経ち 注意を呼びかけはしたが 何をどうするか 全く判らずに 今回は それで済んだが・・・・・。
 お前は悲観論者か! 否 そうじゃない 。 我々凡人が現実に向き合うとは その真の姿を見極める眼力と核心が条件となる。 仏教(釈尊)が説く究極の教えに導かれ、・・・客観化された理性的意志・・・・により 己自身に問い続けるのは 苦悩解決の道である。
 ☆ 菩薩勝慧者 乃至尽生死 恒作衆生利 而不趣涅槃・・・・『理趣経』百字の偈より。
 
 パン工房から帰るKさんと道で出逢う。彼はすれちがいざま私の車を止め 凄い形相をして 手真似でミサイルが飛んでくると訴えた。Sさんは スタッフに手で耳を押さえ 恐怖の思いを伝えようとした。・・・・・・
 ネット上で動画つきで流れるニュース、総理は北海道上空を北のミサイルが通過したことを 悲壮な表情で≪深刻な脅威・・・≫と語った。そして ユーチューブの同じページに並ぶ別の動画には 総理が某有力者の別荘で総理経験者3人と談笑(大笑い)している姿が流れる。 あくまでも推測の域は出ないが 危機管理 ガードの甘さを 公に示したことは否めまい。 現代の真の危機は 裏と表が 本人の意思とは関係なく 晒されてしまうことだと思う。
 一連の教育界の疑惑は その辺の事情によるものか!  恐らく 報道を力で抑えようとしても 無駄だろう。偏向報道や偽情報(フェースニュース)と虱潰しで抹消しようとすればする程 情報が深層化する。
 ・・・・・・火の無い処に 煙はたたず・・・・ これも 実は仏教の説話にあったように思うが まっ 否定はできないだろうよ。
★ 国税庁の発表・・・・日本の9割が5年で廃業している・・・・・・。因みに パン工房「まんだら」は20年以上を経過している。それは スタッフの方々の努力による。苦情が出れば 間を置かず 丁寧に謝罪し 2度と起こさないように努力した・・・
  これを 今のトップリーダーの人達に望むことは 無理なのか? 革新は あきらめからは生まれない。

3088:手を合わせ・・・

 ” 経済制裁ばかり やり過ぎると取り返しがつかないことになる・・・・日本が真珠湾を攻撃するに至った過去を思い出せばわかる・・・・”
 これは 世界で活躍する有名な指揮者小澤征爾さんが語った言葉である。今の日本の状況を 危機感と無力感が蔓延していると感じている人は多いと思います。日本だけの平和など有る筈がない。アメリカの核の傘により守られてきた日本の防衛策、一方で日本は経済の繁栄を得て 世界の様々な活動への資金援助を続ける、だが 現実に世界の平和貢献にどれだけ寄与しているかと考えると確信が持てない。何故でしょうか? 平和外交なるものは 様々な要因が絡み合う。今の状況がまさにそうである。国の代表が代われば どうなるか???
 内政と外交にチグハグサを感じませんか? 国会では特区関連の疑惑や議員の不祥事などの内政問題が追求され 防衛や外交という重要事案の審議が充分できないと怒り訝る与党一部の議員。影に廻り”やったらやり返せ!”と粋がる者たちさえいる。しかし この国は自国防衛という最重要課題について 十分な国民を交えた議論が成されているとは思えない。代表者である議員への不信は どちらに原因があるのか? 是非は別として 国民は細やかな抵抗をずっと続けている。その証は全国一律投票率の低迷から抜け出せない現実。私は 選挙で棄権したことはなく 政党で選ぶのでなく その人となりが選ぶ根拠
 このまま進むと日本も核武装しなければならぬことになりやしないか・・・・・皆さんが抱く不安がここにある。
 16歳の時 長崎で被爆し 奇跡的に助かった谷口稜曄さんが88歳で亡くなった。谷口さんは自らの被爆体験の語り部として 終始一貫 核廃絶を世に訴え続けた方だった。また一人 日本から戦争の真の悲劇を語れる人がいなくなる。
  手を合わせることを忘れた者に 運命は決して味方しない。自ら墓穴を掘り 後悔と苦しみの中で死を迎える(八大地獄)。これは平安中期の天台僧:恵心が書き残した『往生要集』にある。
  指揮棒一つで世界に平和を伝える小澤氏とキナ臭い議論を得意がる輩とでは 奏でる曲が違う、聴衆はどちらを望むか・・・・・。
 ベートウベン作曲 交響曲第5番 ハ短調作品67「運命」・・・・・激しい葛藤を第1楽章に第2・第3と進んで歓喜の第4楽章にて完結   この「暗から明」という作品のテーマと構成は 時代やジャンルに関係なく 人間の共通する希望でしょう。
 ”葛藤”という字は、葛(かずら)や藤のつるがもつれからむことから、もつれ・悶着・争いの意味になる。心の中に相反する方向の力があって どちらを選ぶかと迷う状態。禅仏教では この言葉を公案に用い 正道を妨げる障りとしている。
 正しい道が 実にややこしい時代になりました。議論すればするほど 闇の中に入りこんで身動きできない状況にならぬとも限らない。自由と規制 このサジ加減  どちらかに偏り過ぎれば 不義になる。
 国が上手く治まるには どうあるべきか? 一強多弱は 安定か? それは違います。日本の政治は 他の国に類をみない程 責任と義務 この解釈に甘さを感じる。恐らく 隣の国であれば とうの昔に 何人かの有力者が司法の手で裁かれているはず・・・・・・ それを曖昧な形でしか 幕引きできない。よりによってこんな時に寛容なる精神を持ち出し 許しの徳目とするとは・・・・・。
 精神の凋落は 何が原因か! 仏教は 明確に”欲望”を挙げる。 その教えにもとづき 古来から政教の分離を旨とした。何故か 差別を避け 万民の幸福を願う教えだからです。 密教で認める欲は”大欲”、それも清浄なる欲を条件とした。
 相手を混乱させるには より複雑にすることだ。いま 必要なことは 世の中全てのモノをなるべく単純化することではなかろうか それ以外の方法で解決の道は見つからず。  葛や藤が木にからまり 大木すらも枯らしてしまう。それを防ぐには 元を切らねば できません。 熱帯ジャングルには 背の高い木が少ない。これも 自然の営み、共生する植物や生物の 生態でしょう。 戦後植林した木々が いま 成木となり 盛んに伐採され 建築材となって利用されているか?????
 否 管理ができず 荒れた山が 様々な問題をおこしている。針葉樹は根張りが弱く 大雨降れば 山崩れ、広葉樹はしっかり山肌に根を張るが建築用材に適さない。これも 偏りのひとつ。
 偏り→バイアス。用語として”バイアスがかかった見方!”などあり。思想・信条は 様々あれど 一方に偏すれば どうなるか? マスメデイアの責任が 問われるのは 常に媒体としての公平で邪曲の有無である。
 SNSなる利器が蔓延り そこに経済原理が働けば 当然のこととして インパクトの強弱を競うはず。それと いつ どこにいても 情報を入手できれば どうなるか?今を認識することが おかしくなり 仮想現実という 異次元の像を追い求めようとするでしょう。VRと謂われ 仮想した現実の到達点は 世界の終りの予言(?)にいきつくと言われる。
 宇宙の成り立ちや 地球の特殊性は 生物 特に我々人間にとっては一大事 今 こうしてここにいる  という 事が 実は奇跡的な地球上のバランスの恩恵を享受することによって成り立っていることに気付く、長年 地球環境問題や 核兵器問題を問う要因となっている ・・・・
 人間の叡智は 人間の欲望を抑え正しい方向に導くことができるのでしょうか?
 日本の実態は 依然として経済最優先 これを疑うことは売国奴といわんばかり、前期と比べ 企業収益が?%上がったとか 雇用率がどうのこうの その裏で何が行われているかには 残念ながら無頓着。まさにVRの虜となり彷徨い続けているとしか私には思えない。
 それと真逆の現実に身をおくと 見えてくることがある。 純真無垢な人達 喜怒哀楽を素直に出し、己に正直に生きている。私は 何故か60年以上 彼らと付き合って今に至った。平成30年は この国の福祉にとって大きな節目になるそうである。

3089:枯れ尾花

 ・・・幽霊の正体見たり 枯れ尾花・・・・
♪ 俺は 河原の 枯れススキ  同じお前も枯れススキ   どうせお前はこの世では花の咲かない枯れススキ。。♪≪船頭小唄≫
 枯れ尾花は 暗闇では 恐ろしい化け物に見えるが その実体を知れば なんてことはなく恐れるに値せずということ。尾花はススキの穂をいう。 さらには深読みすれば 核心なく その場その場で寄せ処を変える輩の揶揄嘲弄につかわれた。
風流を解する昔人は 上手い事謂うモノだ。
 日本人の多くが豊かさに好い気になっていると 大変なことになると 薄々感じ始めている。 その豊かさの恩恵が 一部の人達だけだとなれば 不満になる。景気実態を示す数字の裏を読め!
 恐らく 景気を良くして 世界一となった国の借金を返すというが ???いくら返しましたか????いつまで 待たせれば気がすむの???。そのツケを誰が払うのかを明言しない。 株価の上下 あれだけ市場にお札を印刷しばら撒けば その金がどこに流れますか?株でも買わなければタンス預金? 求人倍率や失業者数、それと 消費・住宅・設備投資、輸出入・・・・これらの需要の強さが経済の実態を見るのに良く使われる。マイナス金利は何を示すか 簡単に謂うとお金を預けるのに貸金庫料を払うこと。廃業数や負債総額の数字にも 良く読めば表と裏がある。
 今の日本社会で ”枯れ尾花”現象が起こっているということじゃ~ないの? 評論家は良いでしょう 自論の正統性に都合良い数字を小出しすればすむ。
 何かにとりつかれた様に 机に向かってキイを打つ。 福祉や医療や教育の現場の実態です これに どれ程の労力と時間が取られるか? 行政現場はより深刻だ。 何かが起これば 諸官庁が対応策をドンドン作る。 気が付けば 制度や仕組みが蜘蛛の巣状態 誰も全体像が判らない。誰の為 何の為かが判らない。そして ”記憶にない””資料は破棄しました” 国が自らの正統性を果たす為に自らが作った規則を破棄した訳です。
 その一番の原因は 無駄を無駄と判断できない現行のシステム、判り易く言えば 夜は電気を消して寝るのが常識、これが狂った社会は失うものはあっても得るものなし。
 ♪  ・・利根川の船の船頭で 共に暮らそうよ・・・・・・♪≪野口雨情作詩・中山晋平作曲≫
 三界唯心・・・・三界の一切存在は自分の心に映ずる現象で、自分の心の外に三界はないこと。(華厳経) ああでもないこうでもない考えあぐねて 結果 一歩も先に進めないことは 起こり得る。
  そこで 一般に知られる瞑想による 心の整理、これを普段の生活の中で上手く取り入れている方もおりますよ。真言密教で 阿字観という瞑想法があります。私の寺にも本堂にそれ用の掛け軸がおいてある。それに対座し 決められた方法により行えば良いのだが 正直 それができないのです。時間の長短は関係なく数分でも良いと言うが 何故できない。
 三界心でなく ”雑念”が多すぎる。自分では それを与えられた課題と思っているが 簡単に解決できるようなものじゃない。いや 参るね。
 要するに坊さんとは名ばかりで 雑念迷夢で恥ずかしい。一 観音寺の本堂では観音経を唱え 神宮寺の本堂では 地蔵菩薩の真言を唱える。この毎朝お決まり勤めが終えると 不思議と心の落ち着きと覚悟がうまれる・・・・・
 世を正そうなどと大それた思いはなく。一日一日の節目とし 今日 何事もなくと祈るだけ。ただ 性分なのだろうか 飽きもせず斯様な独言を吐き続けているのは頑迷固陋に聊かの自省なしと言われても仕方ない。

3090:暖衣飽食・・・・

 暖衣飽食の時代に生きることの意味・・・・・・。ぬくぬくと不自由のない生活=豊かさ????。この考えにイエローカード。人は生きることから 多くの学びをえる。最先端の技術の進歩は 人間から働くという最大の喜びを奪おうとしていないでしょうか?人工知能やロボット 人を介さなくても不自由なく過ごせる社会が理想なのでしょうか?私の結論は 際限なしの進歩(?)を追い続けることで 生来の人間の持つ能力や喜びがドンドン劣化弱小化すると考える。1日24時間、この平等な時間の中で 睡眠と労働とフリーな時間により上手く3等分され人の営みが成り立っていた。その境目が曖昧となり 時間の配分が各々の裁量により決まる。 この先消えて無くなるであろう職業!を考えれば直ぐ判る。自動化やネット社会が進み 既に巷では昔 そこにあった店やそこにいた人が消えてしまった。
 ”ゆとり教育””働き方の改革”などが叫ばれる。それに対し 待てよ! 何かがオカシイと気付く人も出てきた。  その流れに乗り難い職業も存在する。3Kなどの汚名に甘んじ 世間の脚光を浴びることもなく 汗を流す人達 ・・・・・・職業の2極化とか言われ 腹立たしくも 互いに励まし合いながら現実に起こっていることに向き合っている。この人達がいるからこそ 地域が成り立つことを 真に受け止めようとしない。これは 一部の人間の努力によって維持できることではなく 国として考えること、そして 人を相手にする仕事は どのような時代になっても 人が中心になるから 決して無くならない。
 私は 別に原始時代回帰を標榜しているのではない。 仏教で説く安心に至る方便は 身に付け過ぎたものを一つ一つ脱ぎ捨てて行くという教えです。
 天空に光輝く星の下 ゲルによって家族が移動するチベット族の生活 そこには 生活の糧を得る手段(遊牧)と家族がそれぞれの役目を果たす事が当然のこととして行われている。恐らく20年前に見たその生活は今も変わらず続いていると思う。不便を不便と考えない生活 物は最低限必要なものだけ、それでも 不満を感じない。彼らに都会と今の生活 どちらを選ぶかと尋ねたら どうだろうか?
 日本は 先進国という称号を貰ってから 随分と年月が過ぎた。虚像を追いかけ 必要以上に身を飾り 優越感に自己陶酔 その土壌の上に城を築いても ・・・・・。その反省が見えない。
 夏休みが終わる時期 自死する若者の数が一番多いという9月1日は1923年今から94年前に関東大震災が起こった日で防災の日となっている。  
 
 ”大事の中の小事無し” 朝鮮半島の状況は一触即発、何が起こるか判らない。国の存続をかけた必死の抵抗、周りの国は 当事者の動向を見守るしかないのだろうか? 最近になりスイスが仲介役を買ってでたという。 その真意は良く判らないが 先の大戦後 スイスは永世中立国を世界に宣言し 一貫して 独自の道を歩んでいる。一方 朝鮮半島は2つに分断され ルーツを同じくする民族が常に睨み合う。戦後72年経った今もその状況に変化なし。
 長く続いた米ソの冷戦対立の時代は終わったが 未だ地球上で紛争が絶えた試なし。日本は 不戦を誓い この軸は決して変わるものではないと 誰しもが信じてきたはず、それが 充分な国民への説明もなく、大きくその舵を切ろうとしているように私には思えて仕方が無い。
 立法府に携わる人達(議員)が 果たして国民のどれだけの人に信頼され代表になっているだろう。それを考えるとげっそり。民主主義を取り入れた日本、果たして その実体はいかがなものか?主権が人民にあり その意思に基づき行われているか?
 呪われたかのごとく性急に事を進めようとする。どこかの誰かと約束したのか 期日を決めてまで なぜ急ぐ ・・・・・・。他にいないからという理由で選ばれし人達が国の中枢にいて この国の舵取りを任さなければならないという閉塞感と諦めムードは 国の形として最悪の状態でないか!
 国会議員の最近の言動を見ていると 反省どころか 片意地はって己の正統性を主張するばかり。彼らの心の内は推して知る術は無いが どうしてもそこに驕りを見てしまう。
 政治のみでなく 日本のあらゆる領域に侵入する得体知れずの曲者 やったらやり返せという報復の思いばかりが強まる。それに加担するメデアあり 評論有り。
寒衣飢餓・・・・日本中が空爆と艦砲射撃により廃墟と化したあの時代 食べ物を求め彷徨い飢えを凌いだ体験をよもや忘れた訳ではあるまい。
 本来の政治の責任は 国の自立と国民の安心を実現させること 食料の自給率が低い日本 資源だって外国に依存する。技術や製品を輸出し 外貨を稼ぐ 果たしてこれ以外の生き残る道は無いのだろうか?現実に、どれだけ多くのメーカーが海外に生産拠点を移してきたか?
この構図は 戦後一貫しており聊かも変化していない。寧ろ強まっている。政官財の癒着構造が温存され 損得や自分だけがという考えが蔓延した。これでは この国の将来に夢はない。
 
 絵の具一箱 全ての色を混ぜると 何色になるか知っていますか?”灰色”です。
 グレーソーンとか言って 魔物が棲んでいるような思いをさせるのは 如何なものでしょう? 人はそれぞれの色を持つ。個性? 一緒くたに煮込むような言い方は 良くないよ。
 仏教は 色と空をあげて説いている。赤とか白とか差別せず、般若心経を読めば判るでしょう。読まないか しゃーないな。思想や信条で相手を縛ることはすべきでは無い。だってそうでしょう。貴方自身の中に 様々な思いがあるはず、それを赤い部分だけを拾って”アイツは赤だ”と決め付けるのは 間違い。
 まんだらの思想は 簡単に言えば そんなことではないかと私は理解していますよ。
 これは 障害者観にピッタリ当てはまる。障害者差別禁止法ができ この国に差別がいくらかでも無くなったでしょうか? 他人事に考えている人が多いのではありませんか? 自分は違うと・・・・・・。
 それが 根底にあって 生活が成り立つ社会では 決して 禁止法が掲げる目的は果たせない。
 昨日 久しぶりに地元の大型ショッピングセンターに買い物に行った。その時見かけたこと。 杖を持ち 足が不自由な方が 買い物袋をカートにいれ 足を引き摺りながら 外に出ようとする。そして立ち止まった。その前を
 子供連れの若いお母さんが 知らぬ顔で先に出口から出て行った。その方は それを見てから また歩き出した。
 この光景は 恐らくこうだ。 その親子は 足に障害がある男性に気付かなかったのだろう・・・・・ でもな~ 何か 大切な事が日常の生活の中から消えていくように 感じた。
 もっと酷い事 それは 知っていて 知らないという人達・・・・ そのモラルの欠如は 相当進んでいる。

   暖衣飽食  エアコンつけ エステに行って 時過ごす。これが 豊かさと誰が言う。(ナマグサ)  この国の 介護問題 長生きを誇れぬ社会が ユートピア(連句)