源究 179

  

NO  テーマ  月日  NO  テーマ  月日  NO  テーマ   月日  NO  テーマ  月日 
 3091 ふるさと  9/9   3096 彼岸   9/26  3101 愚公移山  10/13   3106 雨にも負・・・  11/2 
 3092 備え? 9/12   3097 衆議院解散   9/28  3102 実りの秋から  10/16   3107 時流  11/6
 3093 ブーメラン効果  9/16   3098 カウントダウン  10/2   3103 若者たち  10/20   3108 宗教の立ち位置  11/10
 3094 老害?  9/19   3099 いのちの大切さ  10/6   3104 右顧左眄 10/25   3109 老害か老益か   11/13
 3095 看取り  9/23   3100 混迷の先  10/9   3105 障害者スポーツ  10/30  3110 感謝状   11/17


3091:日本の社会

・・・・・人はいさ心も知らず ふるさとに花ぞ昔の香にほひける・・・・紀貫之 百人一首 第35首・・・・・・
 故郷を読んだ和歌で この意味は 人の心は移ろい易いが 自然は変わらない というものです。この歌が詠まれた場所は 奈良県桜井市にある長谷寺。花の寺として 牡丹が有名。そして 真言宗豊山派の総本山である。私の住職する二ヶ寺はその宗派に属し 何度も訪れています。故郷を愛し 懐かしむのは日本人だけでしょうか? 長く海外での生活をされている方は 日本の景色や人々の生活と触れ 日本独特の文化や風習に懐かしさを感じるのでしょう。そのような話を良く耳にします。いつの間に 地方にも 多くの外国人が住むようになっています。土浦は 工場団地がありますから 様々な国の方達が生活しています。中には 永住を決め 家を新築している方もいます。 街の中にその国々の料理を出す店ができ 溜まり場になっている。
 今はネットで簡単に故郷の情報を知る事ができますし電話も昔と違い 実に簡単に交信でき 離れている距離の長さは関係ない。
 朝鮮半島での動きに世界中の目が注がれ 最悪の事態にはならぬように誰しもが祈っている。国連やNATOの場で 外交交渉が盛んに行なわれています。
 そういった中で 現に当事国から日本に移り住んだ人達も沢山います。その方達は どんな思いで今いるのでしょう。日本人のルーツを遡れば日本の古称 倭の国の人達が どこから来たか? 
 明確に言える人がどれだけいるでしょう? 唐の時代 仏教を学ぶ為に中国に渡り 西安の恵果和尚に真言の教えを授かった空海 1200年という時を伝え引き継がれてきた、その教えを学び僧侶になった私達真言僧は 大陸への特別の思いを持っている。漢文で書かれた経典や注釈書は実に難解で 現代語訳にされた解説書により学んだ。 その原本はサンスクリット語で書かれたもので 当時の中国で漢訳されたもの、 ここに切ってもきれない縁を感じます。
 その教えは 苦からの解脱と安心の獲得 そこに隔てはなく 信じようとするもの 全てに平等に説かれてきたものです。釈迦の教えの根本がここにある。
 今の日本社会、宗教や哲学 思想を自由に学ぶことができる。 そこに 共謀罪なる 良く中身が判らない法律が出来た。(2017/6/14) テロ対策と言うが 法の運用次第では 個人のプライバシーがどうなるのか?
  暗雲立ち込める世界の動きと自国防衛の備え これは  懇切丁寧な説明を繰り返し行い 強行採決などせず 最後は 国民投票で決すること これが条件でしょう。それは 真に理解している人や信頼している人がどれだけいるかというこの国の政治への関心度(?)の低さ ハッキリ言ってこの実態があるからです。  
 親戚の見舞いに行った。97歳という母の兄弟で一番の長生きの叔父で 先の戦争では海軍に召集され 潜水艦に乗っていた。小さい頃 軍服を来た姿の叔父の写真を母から見せられた記憶がある。その連れ合いが89歳で 認知症が進み 定期的な透析と併せ 私と一つ違いの長男が自宅介護をしてきた。彼は小さい時から良く知っており 頭脳明晰で大学を卒業後 外資系の企業に勤め 定年を前に退職し 両親の介護を今も行っている。
 久しぶりに会って 昔話に花が咲く。老々介護の話が出たが 彼は全く歳を取らず 外見は現役時代と変わらない。早期退職の決断も凄いが 実際に 毎日介護をしてきた実行力に脱帽した。
 安心できる社会は 一体どんな社会なのだろう? 社会保障の仕組みが整い 必要なサービスが身近にいつでも受けられる。そのような社会がいつ来るだろう?
 私は長い事 障害福祉に関わってきた。確かに40年前と比べれば 建物・設備・その他 格段に良くなったとは思う。だが 確信がもてない。それは これから先いつまで この国が持つか?という不安が増しているからだ。
 先月 携帯にけたたましい警報音、Jアラートが作動した。弾道ミサイル飛来の緊急情報、何事が起ったのか 全局のTVで同様のテロップ・・・・・あの時 流された対応通りにできた人が果たして何人いたか?
 身を守る頑強な建物 できれば地下壕へ避難せよ ・・・・・・。瞬時に思ったのは 周囲に そのような避難場所が全くないことだった。何の為に全国瞬時警報システムを作ったか? 片手落ちは歴然としている。
 それよりも 戦争が始まれば双方に計り知れない悲劇が起こる。文明の進歩や国の豊かさを誇る割に この国はいざという時の備えが不十分、本来 そのことを考えるべき立法府の面々が 週刊誌の記事に翻弄されているような有り様。
恐るべき事態に ぬるま湯に長く浸かった所為で 骨なしになってしまったか!
 自分達が やるべき事は何か? 緊急に幹部会を開き 緊急時の利用者の安全確保の検討を実施した。「弾道ミサイル発射時の安全確保について

3092:備え?

有事への備えが 今 どうなっているか? 肝心な情報は我々に入らず 関係国と秘密裏の交渉が進む。穿った見方をすれば 何も知らされず ある日突然前触れもなく 戦争に突入してしまうのでしょうか。専守防衛と言うが それだけで事が済むはずがない!そんな事を誰も信じていない。日本人の多くが 先の大戦の悲劇を体験しない世代に変わってしまった。 何故 そんなに大騒ぎするの? 戦争になる訳ないでしょうよ。  そんな思いを持つ人が結構多い。相手がミサイルのボタンを押し、弾頭に核があり その照準が日本を指していたら あるいは 途中で落下し それが日本上空だったとしたら・・・・・・・・・。
 このような状況で日本の役割って何ができるの? 二度と戦争をしないという 誓は もうどうなった? 
 国の財政が逼迫する中での隣国の脅威、十分に国民に知らしめてきたでしょうか? 水面下での交渉を否定するつもりは無い もし 今 現実に戦争が起こってしまったら  80年前の 世界の状況とは雲泥の差、一発の核攻撃で壊滅的な被害を受ける。その為に日本も核兵器を持つというのだろうか? 国と国の 捻じれは 最早修正はできないかもしれない。

 選挙を例にあげる。 最近私はその様態を嫌と言うほど 目にした。 地方の選挙まで国の圧力? 大義名分~ ? 有権者に語りかけることより 相手を一方的に攻撃する、それも外からの応援者がマイク を通して声高に・・・・・・・。
 斯様な状況で 侵略者からの備えは どうすればできるでしょうか? それは 簡単ではない。 節義と分限を守らず 言行の一致は有りえまい。 長い実践の中からお互いの信頼関係が築かれ 相手を重んずることができる。この事は 綺麗ごとをどれだけ並べても民心が離れるという過去の歴史が証明する。
 泰然自若として平常心でいられるか? 1000兆円の借金を棒引きするには 乱暴な言い方だが ハイパーインフレを起こすのが最も有効という話を聴いたことがある。日本人が戦後経験したではないか! 全てが破壊され 東京は勿論 地方の名だたる都市は廃墟と化した。食べるものを求め 地方に買い出しに向かう人達でごった返し 物の値段は釣り上がり、円の国際価値が暴落し、カバン一杯に詰め込んだお金で売買が行われた。そうなれば  天文学的に膨れた借金も その後の復興次第では大きく減るだろう。
 これが 従来から囁かれる 裏話 ・・・・・・ しかし、そうなるだろうか? 核の攻撃で破壊された国土を 10年~20年で元に戻せますか? 放射能汚染は容易に無くならない。これも 福島原発事故で我々は嫌と言うほど知らされた。
 古都、京都や奈良を四季折々の趣を楽しむ人達が大勢行き交う。里山にて 蜻蛉と戯れる幼子に 目を細める大人たち。水辺に 釣り糸をたれ 天を眺め微睡む・・・・・・
 芭蕉の有名な柴門の辞に    予が風雅は夏炉冬扇のごとし   (18)がある。 役にたたぬと言った。これだって 先人達によって 守られてきた 日本の文化ですよ。 それを 精々10年という短期間の政権によって 決せられて良いものか! 全国民に丁寧な説明をし 国民の意志を活かすべきである。
 18歳からの選挙権 彼らは 何を判断の根拠にするか? 偏向報道や情報操作、事実の改変やら制限が常態化すれば 何を信じて良いのか判るまい。先があまりにも不透明な社会は不幸だと思いますよ。
 今を大切にとは 先の事はどうでも良いということではない。生き甲斐や夢が語れる社会にこそ 価値がある。マスゴミという造語 このような言葉が生まれる社会は 尋常ではない。
 上辺だけを繕うことの弊害が あらゆる面で見えてきたではありませんか? 国民目線と言いますが 上ばかりみて 己の出世 そして どこにくっ付けば保身に有利   この思考回路は何故に これって愚問ですか?
 隠遁生活に憧れありますか? と問われたら 貴方はどう答えます?世事を逃れ 表に出ない。 煩わしさや不用意な発言に責任を問われ そのことに どれだけ貴重な時間が取られてしまうか?
 日本人の生活が西欧化し 便利な時代になりました。何が便利かと言えば 望むことが 然程の苦労なくして 手に入る。物が溢れ その無駄に対し 社会は寛容になった。
 便利や寛容という言葉 そこから浮かぶことは 負のイメージではない。だが 問題は 当たり前感が蔓延れば それが得難くなった時 不満となる。その格差がドンドン大きくなる。
 良寛和尚の五台庵での脱俗生活、それは 村童を友とし、書や和歌を楽しむもので 号を大と称した。親鸞は 己自身を禿と呼び 様々な改革(?)を行った。
 その二人に通底するものは 世俗に対するアンチテーゼ? 否  人への限りない愛おしさではあるまいか! 敬天愛人は水戸学の教え 江戸から明治にかけて 日本が変革期に差し掛かった時に その教えを忠実に守ろうとした人達が立ち上がりこの国の夜明けに寄与した。この辺の歴史から学ぶことは多い。
 賢者は黙して語らずと言うが どうも 広言を吐くものが目立ち過ぎる世も困ったものである。 

3093:ブーメラン効果

 メデア上に『ブーメラン効果』という言葉がやたら目立つ。心理学や経済学においても使われているそうですが 最近では 国会審議で追及側がそれと同じ理由で追及される側に転じるという訳のわからない状況で使われた。インターネットスラングとか言って造語の一種。"やられれば やり返す”攻撃的?
 昔 遊びでブーメランが流行った。本来 木製でアフリカなどで狩猟に使われていたというが 当時の遊具はプラスチック製で あたっても大怪我はしない。何故 このような造語が使われるようになったのだろうか? おそらく 一瞬先は闇、今の不確実性社会を象徴しているようだ。逆風⇔順風 ゴルフじゃ~あるめいし なんでもあり。日本語がどうも可笑しなものになった。ツイターなる書き込みは 最早 意味不明言語 その人達にとっては 短縮した言い回しで 通じ合えるのだろうが 私にはサッパリ。
国会審議が 実に判りにくい。謂った謂わない。記憶ない 資料ない・・・・・・・・なるほど 不透明な世の中だ。それを面白オカシク追いかけるマスコミの筆法は どんどんエスカレートする。 報道にはルールがあると思う。それは内容の信憑性でしょう。フェイスニュースとかも一時流行ったけど ここにきて影を潜めたかな?
  BBC放送で『新たな地球を求めての旅立ち』というドキュメント番組が作られた、これは著名な理論物理学者 ホーキング博士が主役で ≪地球はあと100年で終了≫という衝撃的なもの、世界中で話題になった。それが 日本では殆ど話題にならず。例の学校認可の追求で明け暮れていた時、≪地球で生物が生存するためには あまりにも危険が大きく成り過ぎた・・・・≫ あらゆる処で頻発している問題が 治まるどころか更に拡大拡散する動き。嘗ては地球の寿命を1000年とした博士も一気に900年が短縮したという。
 アメリカを襲ったハリケーンの被害は想像を絶するものに ・・・・ 自然の猛威をあげるまでもなく 人間の驕りと自分勝手さが際限なしに拡大することへの博士の痛烈な警告だと理解する。
 実は地球の環境破壊も『ブーメラン効果』の一つであります。 
 パン工房に通うKさんは 工房に入る前に一仕事 ホースで水巻する。花壇の花に水遣りするという訳でもなく 道路一杯に水を撒く。その彼が最近手真似で訴える、早く工事をしろ!という、作業場の建て替え工事を言っているようだが どこで そんな情報を得たのか判らない。≪お金が無いからできないよ もう少し 待って≫というと急に話題を変え、今度は手真似で草刈をしろ!と言ってくる。
 その彼が好きなのは”粒あん入りマーガリンパン” 毎日近所のコンビニに買い物、いつもはスポーツ新聞を買うのだが 時々 歩きながらパンを食べ帰ってくる。そんなに好きなら パン工房で同じパンを作ればいいじゃないか?と言えば ダメダメと手真似で答える。その後 彼はポケットに大切に入れてあったセブン・イレブンのパン包装袋を徐に私の目の前で開いて見せた。
仄仄と ゆっくりした時間 何故か こちらも 癒される。 
 土浦駅に車を停めて 東京へ もしかして早く帰れたら・・・・という思いで神立でなく 土浦に車を置いた。上野で銀座線に乗り換え虎の門、そこまでは順調だったが地上に出たら方向定まらず。スマホのナビで 今 何処にいるのか調べるが 操作が判らない。結局 近くの店に入って方向を尋ねた。途中工事中 また迷う。グッショリと汗かいて 歩いていたら何やら妙な場所に出た。警察官が彼方此方に立って私を注視。思い切ってその警官に尋ねたら、そこがアメリカ大使館! 真っ白な高い塀 広大な敷地 守衛に立つ警察の多さ、別格だね。約束した集合場所は その斜め前のホテル、いや~5つ星 まだ時間があったので コーヒーブレイク 受付のお嬢さんに聴いたら その場所まで案内してくれた。、、、、、そしたら 集まる予定の二人からショートメール 案の定 迷子になったようである。  兎に角 約束時間には6人全員が集まり 先ずロビーで一休み その後予約した中華店にまた歩き出す。。。。。。。実に内容の濃い会合になりました。それぞれが そのれぞれ方向に別れたのは ニッショーホール前の歩道 新橋駅は??? また判らない。仕方なくタクシー拾ってワンメーター  東京駅から常磐線 急に疲れがどっと出て 危なく土浦駅を乗り越す前に目が覚めた、、、、、。その後 通夜に向かったが アルコールが抜けきらず 車は置いて またタクシー 
 これぞ ブーメラン症候群? 人人ひとの大都会 黙々 歩く その姿 これを 毎日繰り返すとは ああああアアア  また違った疲れが どっと出た。
 ホトトギス≪不如帰≫・・・・自ら巣は作らずに他の鳥の巣を黙って?拝借、そこの主に 抱卵・育雛を委ね 己は昼夜構わず鳴いては 『てっぺんかけたか』とその鳴き声が聞こえるという。日本和歌の常連さん。いい気なもんだ!が 羨ましい。

3094:老害?

『愚者は経験に学び。賢者は歴史に学ぶ』ビスマルクの言葉だという。 微妙な解釈があって 愚者は 己の経験に独り善がりになり 偏った考えに固執する危うさを言ったとか?
 温故知新は孔子が為政者となる資格について語った言葉? 最近≪老害≫という言葉を良く見かけるがその背景は如何に? 多分 そう謂われそうな人は 迷惑の自覚がなく、寧ろ 確信的に己の非を認めず 自論を正論・一般論と思ってしまうタイプ それでは 経験が逆効果、それを避ける為には 客観性・謙虚さを持ちなさいということなのでしょう。世代交代は難しい。次の者に何を伝え残すべきか 時の変化に左右されず 
確と守り通す核心とは。 これは  家庭においても 言えることではないでしょうか?
 『家訓』・・・なんて今時ありますかね~?。 先日 6人ほどが集まり 議論した。その中で67歳の私が一番若く 準備係を引き受けたものだから 各自の”つぶやき”を無作為に綴ったものを用意させて頂いた。
・・・・・老害ネット Xチャンネル・・・・・と題し15Pほどの綴りを配った。皆さんの思いが 後で読むと実に味深く 良かったかな~と自己満足。
 『老害』に対し『老益』はあるのかどうか。世相を反映し老=害とは何ぞや! 年金ドロボー?医療費高騰の元凶? 今まで家族の為 世の為と一生懸命働いた報いが これではな~!
老人が負い目や後ろめたさを抱いてしまう社会は可笑しいよ。老害ネットは アンチテーゼ 若者に共感を期待するのもどうかと思うが せめて言い残したいことを語り合える繋がりを作りたい。
 私は 仏教を学んだ、キリスト教を信じている人達や他の宗教、根っこは同じだ。 6人の共通点は知的障害の方達と日々向き合い 今もing進行形、何故かハッキリしないが 斯様な繋がりが芽生えた。
やまゆりの事件がきっかけ 黙ってはいられぬとの思いがより強まった。 彼らとどう向き合うか! 多様な価値観や孤の尊厳を認めあう社会 言うは易し。それを どう実現するか 
勿論 それぞれの立ち位置で実践してはいる。
 昨夜は 97歳で亡くなった叔父の通夜に出席してきました。東京の江戸川区に苦労して居を構え、 大正一桁生まれの叔父は海軍に召集され 潜水艦に乗務 仲間の多くが戦死 自分が生き残ったという思いが 
その後の生き方に大きく影響していたそうだ。弔問に来てくれた方々の中に 杖や車いすの方が多かった。 頼まれれば断われない性分で 長いこと 菩提寺の世話役や町内の老人会の纏め役をしてきた。
 長く連れ添った叔母さんは同郷の人 いま 透析を定期的に行なっている。徐々に痴呆が進み在宅介護は子供達の役目 良くやっていると感心するばかり、でも まだ 叔父が亡くなったことは知らせていないと66歳に
なる従弟が話していた。
 介護や保育所待機児の問題が取り上げられ国も本腰を入れ始めてはいるが 根本の解決には程遠い。箱物を作れば それで済むという 簡単なことではないからだ。   
 ≪ お年寄りは大切にするもの、 いずれ貴方が行く道だもの・・・≫ 
 貴方は 老いないと思っているんでしょうか? 5感の衰え 今まで出来たことが出来なくなる。これが当たり前 これは 便利し過ぎる社会に育てば 仕方がないかもしれないね。だって 面倒な事はお金さえあれば誰かがやってくれるし、それを社会の仕組みにした訳、助け合うことだって、自助・公助・共助なんて風に区分けしちゃった。余計な事はお節介、損得勘定ばっか!
 これが平和?豊かさ? やっと気づき始めた方もチラホラいるかもしれぬ。遅いわな~。 何故か。それは 人間の心は 幼い時に作られるってこと知らない? 愛着障害とかいうそうだけど 幼児体験はずっと覚えているんですってね。 それに 学校に入ってからは勉強勉強でしょう。そして 社会に出て行く訳ですよ。何かが欠けている。 それを認めないばかりか 誰かの所為にする。
 そこなんだよな! 為政者になる人は 権力を得たと同時におかしくなる。周りに 侍らす輩で判るね! 忖度なんて言葉流行ったけれど 当にそれだわな。なんのために忖度するの? 間違っても”自分の為です”とは謂わないでしょう。間違っても・・・・ね。
 これが 老害予備軍という。

3095:看取り

 神宮寺に寝かされているT子さん、元々大きくは無かった体が より小さくなって 闘病生活の凄まじさが伺える。彼女も 尚恵学園での生活が長い。病気が見つかり 直ぐに手術 その回復は 順調 退院し園に戻って仲間達との生活が始まった。彼女は決して痛みや苦痛を口に出さない。小さな体からは想像できない、ガンバリ屋 定期通院をしながら 無理しない日課を続ける。術後 一年も経たず 病気の転移を主治医から知らされた。余命も告げられ スタッフと家族で、彼女の看取り計画を何度も話し合った。病院の受け入れ体制、入院の際は付き添いが付き、2度目の手術はしないで緩和ケアーを中心に対応していくことになる。その後2回ほど入院し、投薬の調整や脱水症状の改善を行った。退院した後 何かあれば 直ぐに病院が入院させてくれることになった。 訪問看護もお願いし 住み慣れた寮での生活を送ってきた。
 横になることが多くなり昼間 デイルームで横になっている事が増えた。その時代わる代わるT子さんの背中をさすってくれる仲間がいた。自然と周りに皆が集まり 気のせいか大声をたてるような人が減ったように思っていた。 18日の朝6時半頃 私の携帯に電話が入る。≪T子さんが 呼吸が乱れ始めています・・・・・ 何? とまった?・・・・・(スタッフ同志遣りとり)≫ 電話が切れた。 
 訪問看護センターに電話 直ぐに来てくれるとのこと。私が駆けつけた時 職員が 彼女の周りにいた。夜勤者は声が上ずり 涙声 Tさんの体に触れると 未だ暖かい。 
 病院に電話をした 嘱託医の先生が来てくれた。8時13分 死亡を確認。
  T子さんは 本当に頑張った。彼女の兄弟も 勤務先から駆けつけてくれた。スタッフも皆 本当に良く頑張ってくれた。 
 その夜 私は 彼女が寝かされた部屋に泊まった。周りに 彼女が好きだった本やぬいぐるみが沢山置かれ 静かに眠っている。アルバムの写真を見ていると 昔のことが蘇る。養護学校時代~外作業~旅行~食事会・・・  
 意志決定支援??? 何故 このような言葉を付けるのだろう? 思いが通じ合うという響きを感じない。 日本語が 固く言葉にこころがなくなった。日本の里山の風景や 伝統文化から感じるものは 日本人の癒しに結ばれる。それが いつの間にか 西欧に追いつけ追い越せと 馬車馬の如く 急き立てられ 目指す方向判らずに彷徨っている。
 国連での各国トップの演説 ほんの一部、障りだけが流れてくる。言葉の遣り取りだけを聞けば 恐ろしい内容になっている。 国内では 騒がしくなった永田町界隈 衆議院の解散が間近にあるという憶測の下に戦略会議 ・・・・・・。
  事実を曲げてまで 自分を正統化するつもりはない。今日は Tさんの”お別れ会”を神宮寺の本堂で  家族と利用者全員と全スタッフで行う。 一緒に生活したという事実。
  そして 今回も普段感情を表に出さないNさんやIさんが 大声あげて泣くのだろうか? 彼らの絆は想像できない。
 この先を考えると 正直 腰が引けることばかり。 地域移行 それも大切でしょう? 地域に その力と覚悟が有ればの話?言葉じゃないんだよな~形でもないんだよな~! 密教究極の理想像は 入我我入(にゅうががにゅう) ・・・如来の三密が我に入り わが三業が如来に入る 一切諸仏の功徳が 我が身に具足する。 これは決して異次元の感覚でなく 日々の有り様に それを見いだせるか否か、それだけの 事なのです。
 
 尚恵学園は神立駅から2キロ程の距離にある。水田と栗畑が今も残る 、50年前には 近くに小川が流れ 綺麗な水の中に魚が棲み 夜、蛍が飛ぶ 長閑な地域。
 嘗ては神立の中心 神社や寺が今もある。そこに創立1956年、61年が経った。 私の記憶では その当時 地域の人達は園を利用されている方を”お寺の子”と呼んでいた。季節毎に作った野菜や果物を届けてくれ、それを皆でご馳走になった。嬉しいことに それは今でも続いている。今年は 梨を3軒の農家から沢山頂いた。毎月 近所の女性たちが 寺の掃除に来てくれる。そんな時 お寺の子達との 自然な触れ合いがある。
 半世紀の間に周囲には 住宅が随分建った。日課となっている散歩コースも変更するようになった。お寺の子供達が大人達になり、 規模も徐々に大きくなって 今に至る。
 
 1時からのお別れ会 その後 土浦市営斎場で荼毘にふされた。収骨までの時間 待合室で20名程のスタッフが Tさんとの思い出を一人ひとり家族に向かって語った。一様に≪・・・・・・ありがとうございました。≫と最後に付け加えていた。
 亡くなる前日 明らかに容態が厳しい状況をみて 職員に入院させようかと相談、すると、T子さんが園が良いというのなら 園でみましょうよと若いスタッフから言われたという。その事を聴いたとき 私は言葉が見つからなかった。
 6歳で入所し 36年間 園で過ごされ 満42歳の人生。自室で息を引き取ったのは 翌朝の6時半を過ぎた時間だった。

 そして 最後まで 傍にいて Tちゃんの背中をさすり続けてくれたのは GHでの生活から自ら園に戻りたいと訴え 一年前に一緒に住み始めた Yさん、彼女もまた 病気と今 闘っている。

3096:彼岸

 
 ひがん花


 9月23日は 秋の彼岸中日 春秋の年二回入りから明けの1週間を仏教では彼岸と定め 西方浄土への往生を願い先祖供養を行ってきた。中日を挟んで6日間を六派羅密の行に割り当てている。布施・持戒を「利他」とし、忍辱・精進を「自利」の行、そして禅定・智慧を「解脱」と捉え 六度の行とした。
 布施という言葉は英訳では donation,givingに相当し、財施・無畏施・法施がある。梵語ではダーナ 漢訳で檀那、つまり檀那さまとなる。♪ 私の大事な旦那様・・・・♪とか謳われる、また 檀那寺は菩提寺と同じで 自家が帰依する寺のこと。
 寄進を一説には≪取られた≫と思っている方もいらっしゃるようだが 本来の財施とは自らすすんで寄進すること、これは南方仏教には今も確と根付いているというから 住職としては 実に羨ましい。寺は勿論、住職個人のものでなく 宗教法人という歴とした公益法人、宗教法人法の下で所管庁としては文科大臣や知事により管轄されている。
 公益事業が認められ 昔から保育所など福祉事業を行ってきた寺も多い。これは六度の行の中では利他行に入り、布施・持戒を旨とする。
 ま~これも 何も無かった時代の話で 社会保障の仕組みが随分と整備された今 敢えてそれを声高に謂うのは憚る。それを陰徳を積むと戒めを込めて説くのは 仏教だけ?キリスト教、イスラム教、それに仏教は 人種や民族の枠を超えたもので三大世界宗教と謂われ その他の宗教を民族宗教と呼ぶ。一神教や多神教により 教義や活動に違いはあるが 世界宗教であればこそ 国や民族間の争いを最も嫌うことである。その意味では 利他行の持戒が いま最も重要な時にあると考える。
 武器を持たず 祈ること これは 有史以来解かりながら守られることが無かった。人間が考え出した核兵器による戦争の抑止力 本当に可能なのでしょうか?日本人の多くが その是非への思考を停止してしまった。唯一の被爆国でありながら・・・・・・。テロや戦争をどのようにすれば 防げるか! そのことを 皆が判っている。テロの起こる原因を取り除くこと その最大のモノが貧困や差別、これが 地球上に嘗て無くなったことはない。ここに不満が生れ 殺戮まで至る。 そして 核兵器は 一瞬にして 人間の営みを破壊し生滅させ・・・・・・
 判り切った事が何故できない? 欲望がはだかり 他人のものまで 奪いとる。それに罪悪感を持たず己を正統化し 更にその欲望を膨らます。
 また 本堂に遺影が1枚加わった。もう 並びきれない数になっている。今は 何も語らず 一緒に生活を共にしたという事実だけ(共生) その遺影は全て微笑んでいる。いや 違うな! 何か訴えているのかもしれない。
 朝一番の遺影参り 手を合わせ頭を下げて経を読む これが いつまで出来るのか? できなくなった時は 私がその写真の一枚に加わる時、それがいつなのか こればかりは判らない。いまこうして 取り止めなく綴る思いを次に託したい。その望みは年年強まるばかり。
 彼岸と此岸、昔の人は実に判り易い言い方をした。向こう岸に渡れば こうこう こうゆう世界が待っている・・・と。 此方側 今の現実に悩み苦しむ時 川を渡れば それが消え安楽になれますよ・・・・と。 しかし 今 すぐ 自ら渡ることは戒めた。精一杯 今の生活を生き切って・・・・・のご褒美と。
 数十枚の遺影 一枚一枚に その方の生きた営みをみる。皆が皆 この世で精一杯生きたのです。 そう思い 勇気を頂き 生きてきた。それが自分自身と思えるか!
 昨夜 電話で法事の確認をした。2か月前に頼まれていた。 新たに位牌を作り 骨を新たな墓に改葬する。≪ 遠くまで すみませんね。多分 妻の50回忌になると思いますので 宜しくお願いします・・・・・≫
 自らの旅支度を整え 妻の待つ彼岸に渡る その方は 律儀に80年以上の齢を生きてきた。
 葉をつけず 真っ直ぐに伸びた茎に花をつける。曼殊沙華(マンジュシャゲ:彼岸花))・・・・天上に咲くという、四華の一つで紅蓮華を言う。(法華経)
 今この世界を色に例えたら何色だろうか? そんなことを不図思った。単色なれば 何色と言えるだろうが そこは 無理 常に変化し一様ではない。しかし、混ぜ合わせると何故か 灰色におさまるという。四華は白・青・紅・黄の四種の蓮華をいう。六根清浄・・・ロッコンショウジョウ・・・山伏が山参りの際に唱えながら行をする。その六根は 眼耳鼻舌身意の六つの感覚  この感覚のどこかに不具合があり起こる生き辛さ、これもまた 色と同様に常に変化する。 一か所に止まらず 次々に降りかかる無理難題は 当たり前のことと考えなさいと仏教では説く。
 日本がどこかで道を間違えたとすれば 無理難題を技術や科学の進歩で解決できると考え、肝心なことを忘れ 遮二無二進んだこと。そのツケが今 至る処に現れた。その肝心な事とは何か!
 本心からでなく 見せ掛けの善事、国の為と言いながら やっていることは背信行為、・・・・・・親子の関係、家族、・・・・・地域との共生・・・・そのどれをとってみても 核心が見えない。 その原因は何か?
 六根の最後にある”意”を軽んずるが為に起こった罪過、保育や教育の中で”こころ”の問題をどこまで取り入れているでしょうか? 実は その肝心なことに 触れないできた。注意しないと自由と個の尊厳というスローガンに隠れた何ものかが 障りの原因になっていることがある。偽善か偽悪か  為政者の為政者たる 資質は 当に その人から滲み出る”色”になる。
 四華に”黒”がない。

3097:衆議院解散

 混沌とする社会に救世主が現れるだろうか? 清廉潔白の士? 江戸時代は長期間徳川幕府により 統治された世界でも希な時代。中央と地方の関係 江戸に屋敷を構え 参勤交代を義務化し 江戸に正室と世継ぎを置かせた。これが太平の世を築く礎となっていた。
 その後 明治~大正~昭和と続く 首都 東京の変容は目を見張る。しかし どうだろう? 有事の際に 1000万人を超える都民がどうなるか? 羽田空港が2020年に向け 国際便を増やすために増築するらしい。なんでも年間に2000万人が利用できる空港にするとか・・・・・いまでさえ 宿泊先を探すのに苦労しているのに その対策はいかに?
 市場移転のゴタゴタ騒ぎ 新党立ち上げで 後回し? なんだか知らないが 政治が浮足立っている。 誰も責任を負わず 勇退してしまうのでしょうか?  顔ぶれが変わって 俺は知らないという言うのでしょうか?
 地方創生は江戸時代から学べば良い。400年以上昔にタイムスリップ 庶民の屈託ない笑顔に支えられた 花の都 今の時代とどこが違うか そうだな~ 一言でいって”人間教育”かな~。「個性を伸ばす」まえに「人格形成」に役立つ教育 知識偏重でなく「モラル」を守れる人づくり・・・・・・・(Tsukuba Uni)
 徳川慶喜の曾孫に当る方が67歳で亡くなった。茨城のひたちなか市に住み大のコーヒー通で 地元コーヒー店と連携し徳川将軍 珈琲なるものを独自焙煎、私は そのコーヒーを最も好む。
 全く 関係ない話と思われるかも知れませんが  県の魅力度何番目とかいう冷かしに迷わず 頑として 我が道を歩む 常陸の国「いばらき」 がんばっぺー
 
 目先のことに一喜一憂するのは どうなのか! 前回(2014)の衆議院選挙の投票率(小選挙区)は52.66%で 戦後最低だった。 この国にはどれだけ国会議員がいるか? 衆議院は465人(小・289人 比・176人)参議院は242人(小・146人 比・96人)全部で707人いるんですね。この数が 多いか少ないか 少ないと思っている国民は殆どいないのではないでしょうか! 有権者の約半数で この数の議員を選出する国が 民主国家としててどうなのか。遅々として進まない選挙制度改革と 議員の資質? 主義信条は 後付け それだって途中変更 何でもあり。これを 全面否定できる議員がどれだけいるか!この状況で 一強多弱になれば長期政権??? 怖いね~ ! 本当にこれで良いのかね~ 誰も判らない。 政治不信や憂国の人々 が 投票しない。何故でしょう?過半数がそうだ これが常態化してしまた。最高裁で先の参議院選挙での一票の格差訴訟が棄却された。その判決をみると 格差が徐々に改善され 更に努力するという期待感が含まれた。
 本来の民主主義に立ち戻るには そうだな~ 投票率80%に満たない選挙は無効という法律改正で縛りを付けないとできまい。素人の思いつきと貶(けな)されても構わない。
 それと 議員優遇を根本から見直さないとダメだわ。 議員宿舎を見れば一目瞭然、特権階級を自分達で拵(こしら)えて しまった。居心地抜群だもの 居座るのが得策、ま~ そんな思いになるわな・・・・・・。
 ・・・・・という訳で 憤懣やる方無し。
 先進国という称号は返上したらどうでしょう。政治不信は人間不信????。こういうモノだよ この世の中の傾向は 捻じれ?ひねくれ?天邪鬼?
 

3098:カウントダウン

 45年ぶりに茨城県で開催される国体が 丁度2年後となり、県庁2階でセレモニー 電光掲示板が設置され カウントダウンが始まった。私達は 国体終了後に行われる全国障害者スポーツ大会と縁がある。今までに何度か他県開催の大会に茨城選手団と一緒に参加させてもらった。今年も10月下旬に愛媛大会に同行する。華やかな会場の雰囲気 全国から予選を通過し選手に選ばれた人達が集まる。独特の雰囲気があり 茨城開催が45年ぶりとなると前回開催の時に生まれていなかった方が選手の殆ど、名誉なことである。今回は格別で茨城国体の翌年が東京オリンピックだから 尚更だ。
 もう2年ほど前から準備を進めている。選手の養成もしかり 特に開催県は団体競技全種目に出場できるから 力の入れようも違う。
 昨日のセレモニーで挨拶された関係者の何人かが天皇杯と皇后杯の両方を獲得するぞ~と声高に叫ぶ。スポーツは結果で評価される。
 
 ドイツ連邦議会選挙が行われた。なんと投票率が75.6%という。(Y情報)メルケル首相率いるキリスト教民主・社会同盟が全709議席のうち246議席獲得したが 過半数に満たない。連立を組んできた社会民主党が議席数を減らし 連立解消する。ヨーロッパも政治が右傾化し、地球全体が自国中心の政策を掲げる政党に票が流れるようだ。ドイツの国内事情はどうか 良くわからないが 積極的な移民受け入れは 日本人には到底理解できない政策で EU内でもイギリスなどが離脱表明したように 連携が難しくなっている。選挙年齢を18歳に下げたドイツを真似て日本が今回初めて国政選挙を行うが結果はどうか。ユーロという共通貨幣を取り入れ 国間の往来を自由にしてきた。その先頭にたって主導したドイツ&フランス 70数年前にはお互いが敵対し戦った仲である。一方の日本は東アジアの島国 長年鎖国政策を続け 明治の開国を期に 西欧から多くのものを取り入れ 今に至る。その間 二度の世界大戦を経験し やっと平和な時代を迎えたら ”平和ボケ”と世界から揶揄される。 その端的な証拠を くどいようだが 国&地方問わず選挙投票率の低さとみる、これは 世界でも断トツに低い。
 国の内外を問わず 難題が山積する割に 国会での審議の実態はズレている。そのズレを与野党双方が相手攻撃に使うとは 自分達の為という非難が向けられるのは当然の帰結だ。
 非難するなら代案を示せ! 有権者が何を選択肢にするか ! それとは裏腹に どうせ途中で変わるだろうの諦め感。この政治への不信の根は深い。そして 選挙戦の中味 看過できない状況に どこの誰がチェックする?
 
  

3099:いのちの大切さ

昭和の大戦の時 爆撃により廃墟と化した 東京で チャボの親鳥が黒焦げになりながら 雛を抱いていた・・・・(NHK深夜便より)  この話を聴いて 深く感動しました。 人間が殺し合う中で憎しみや悲しみが生れることを判りながら それを止めることが無かった。その他の生き物より教えを受けよ。ノーベル賞が決まる時期になった。平和に貢献し 新たな発見をされた方や優れた文学に贈られる。受賞者は勿論 同じ国民として喜びを分かち合う。・・・・・が その裏では 様々な思惑が生れる。受賞には関係しない所で その発見を商品化し 巨額の利益を得ようとする目論見・・・・・
 豊かさや進歩が際限無く求められ 行き着く所は 人の住めなくなった地球になったとしたら、これは 今を生きる人達の責任 。相手の命を大切にすることを いまこそ 確と心に留めるべき時である。 これが地球上に生かされる者の条件である。 地球上で行われている事は 弱肉強食×共存 いがみ合い×感謝・・・・これら相反した課題とどう向き合うか!近年の異常気象は 丹精込め作った食べ物が一瞬にしてその価値を失う。自然を侮ってはならぬ人間が築いた全てのものを破壊するエネルギーがある。 この気象の異変を防ぐ手立てすら見いだせず 茫然自失し 立ち尽くす。更に それでも懲りず 武器を持ち殺戮を繰り返すとは。
 カナンの園?浄土?ユートピア? 見せ掛けでなく 先ずはこころの内から理想郷を見つけ出すべきだろう。。
 それは いのちの大切さをお互いが共有すること。愛おしさ~温もり~癒し・・・・・本来 誰しもが持っているはずの愛 それに気付かないだけかも知れません・・・・・・・。
 仏教で説く 三密と三業はいずれも身口意の三つをあげる、三密は仏 三業は衆生。判り易くいうと≪やっていること・言っていること・思っていること≫これを一致させなさいと諭す。そのズレを自分で気付かないとすれば 周りの誰かが教えるべきだ。これが我々凡夫が仏に近づく”道”とか”行”という語であらわした。 いのちを大切にせよという事は 相手があり自分があることを抜きに考えられぬ。相手を思い通りにすることが罷り通る社会は 軋轢が生れ 争いになる。親雛が雛鳥を自らの命を顧みず守ろうとする本能。その親子が共に亡くなっている姿を見て 獣医師の道を歩む決意をしたという。
今日 何かが欠けているとすれば それは人間が働くという本来の意味が見えないということかも知れない。人生は借り物競争ではないのである。そして 「働く」の語源には他者を楽にすることがある。(日経)
 
 いのちの大切さは 生命誕生の不可思議さから始まる、その不可思議という意味を数の単位であらわすと 10の64乗という。これは 人間の考える能力の限界を超えている。
 宇宙の誕生~地球の歴史~生命の進化、まだ解明されないことのほうが断然多い。平均寿命を80年と設定し 様々な仕組みを考えた。定年を60歳にして その後の生活の糧を年金や貯蓄で賄う。これで老後に不安が無いとするには所詮無理、先ず健康に誰しも不安をもつ。これは 医学の進歩でカバーできることでもない。9割9分自己責任と誰しも判っているから 余計に様々な事を考える。
 私は 67歳になった。これから先 どれだけ生きるかは判らない。歳を重ねる度に過去を振り返ることが多くなる。私より年嵩の方は まだ若いと言い その逆も然り。一時の気休め? ここまで情報の氾濫が進むと世間の動きに無関心とはいかず 心中穏やかざる日々を送っている。ああでもね~こうでもね~と。
 それでも 我に返る時がある。疾風に勁草を知ると謂うのだろうか それは いのちの大切さを感じる時である。
 やまゆり園で起こった大量殺人 犯人が語ったという意味不明な主張、これに同調するかの如き呟きがネット上で随分と見受けられる。裁判が始まって傍聴できれば 彼の弁明を聴きたい。
 昨日 尚恵学園を利用されている方2名が同じ病院に入院した。私はお二人の闘病生活を目の当たりにしてきた。40度近い高熱でも 弱音をはかず 周囲に気兼ねする。この意志の強さは尋常ではない。
 
  ニュースで流れてきたアメリカでの銃による無差別大量殺人、犯行後 犯人は自ら銃で死んだという。真相究明ができるのか それとも曖昧な形でまくひきされてしまうのだろうか? 目を蓋いたくなるような惨事が数限りなく起こっている。それに対し 一人ひとりの無力感、異常者として一蹴してしまう社会から その解決の光は 決して射すことはない。
 そういった状況にめげず 只管 支援を待つ人々に向き合って活動している人がいる。そういった人達に共通するのは 自徳を他に讃じないこと、実際には 真逆の人が増えている? できもしないことややる気もない事を 大声あげて叫んでる。
 時流に乗るとは 乗れた人が優秀なのか 乗れない人駄目なのか? 
 『自未得度先度他・・・・』(自ら未だ度らざる先に他を度す) ・・・・大般涅槃経 巻38・・・・・ 大乗仏教で説く 指導者の理想の姿である。
 *戦後 武器を他国に向けることなく 日本が存続してこれたのは 何故でしょう? 万が一 そうなった時に 自らが先に 戦場に出向く 覚悟は 何故か この国のリーダーと言われる人達から聞こえない。
 経で説く真意と全く逆の解釈をしているように私には思えて仕様がない。
 いのちの大切さを伝える・・・・・ 参政権を18歳に下げた意味を語らず 票を獲る画策ばかり そのように思っている人は選挙権を行使しません。なんとその数が全体の過半数いると考えれば 議会制民主主義が破綻していると言えまいか!
  その辺の核心の議論がなされず 相も変わらず  議会制民主主義の3つの原則って何でしたかね?

3100:混迷の先

 突然の衆議院の解散、日本国内が混迷(興奮?)の坩堝と化した。 日本語もおかしくなる 意味不明の言語が多過ぎる。 芥川龍之介が書いた『蜘蛛の糸』を例に今の混迷する社会を評した方がいる。仏教の教えを 釈迦と悪党を登場させ描いた 児童文学作品である。 釈迦が地獄に落ちた悪党(一度だけ良い事をした)に救いの手(糸)を差し伸べ それを登れば助かると すると 我先に・・・自分だけ助かろうとする輩が 次々に糸を登り始め、”これは 俺様の糸だ 来るな!来るな”と 蹴散らした。その後 糸が切れ その悪党も元の地獄に堕ちた・・・・・。前項の『自未得度先度他』に通じる教え、待てよ・・・・ これは もしかして! 自国(自分)だけが良ければ・・・・云々と同じ発想? ホンネとタテマエ?いや~ 違う これが正統派になってしまったか。
 キリストの「山上の説教」にみる 同害報復。 目には目を歯には歯を これで今の混乱がおさまるか? ハムラビ法典にまで遡れば わかるのか。 日本の葬儀事情は転換期? 少子化の影響だけとは言えないが ≪墓じまい≫が増えている。後を継ぐ者がいないから どうすれば良いかと 何度も相談をうけた。遺骨信仰が根強く残る日本で先祖供養のシンボル的存在が墓、高度成長期に都市近郊で盛んに造成された霊園は 造れば直ぐに埋まった。
 それが 半世紀で大きく変わろうとしている。 全国各地の寺院もその対応に苦慮している。
 その中で 生き残る”蜘蛛の糸”は どうなのか? 結論から言って 原点にかえる ことだと私は思う。・・・・・為○○菩提也・・・・・ 要はその人にとって菩提=安心成仏のため。
 まあ~ 国民の為とか障害者の為とか巷に 氾濫する この種の流言に惑わされるな! その真偽を見極める 見極められることが一大事。 これが 混迷から 脱出する 唯一の光かも知れません。
 結局 欲が曇らせていると釈迦が仰った そのことでしょう。
 * 福祉の産業化がもたらしたモノ 当然の結果として いま直面している様々な出来事がそこに起因する。嘗て 知っていて知らぬ振り 誰も遣りたくないことに 手を差し伸べた先人達には 夢~喜び~達成感があった。それがチャレンジへの原動力となった。しかし、 その方向付けを見誤った罪は 直面する混迷社会の元凶。
  昨日発表されたノーベル文学賞のイシグロ氏の受賞理由は「記憶・時間・自己欺瞞」をテーマにする一貫した作風によるという。
 早速 地元の本屋でイシグロ氏の本をさがしに行ったけれど まだ入荷しないと謂われた。川端康成・大江健三郎に次ぐ日本人の受賞、5歳の時に英国に移り住み 国籍も取得 日本語もあまり判らないと聞いた。
  私は彼のことを今まで知らなかった。数々の文学賞を受けているから ヨーロッパでは有名な人なのだろう。記憶・時間・自己欺瞞 ・・・・
 自己欺瞞とは”自分で自分の心をあざむくこと” 最早 良心の呵責なる日本語がこの世から消えてしまうのではなかろうかと思っていた私に取っては 早く彼の本を取り寄せ 読みたい衝動に囚われた。
 それは 意識せずとも 自然とそんな場に出くわすからだと思う。VRと言われる仮想現実に現を抜かす。それを抵抗なく受け入れる社会、人の痛みを理解するどころか 自分の殻にこもってしまい 人工知能相手に会話する世の中が直ぐ近くにきている。 何度も触れたことだが 電車の中の光景を思い浮かべれば 判るでしょう。スマホを開いている乗客の多さ。
 結局は 自分を掴み切れず 考えても仕様がないと思う人間が増えすぎたのかも知れぬ。その事がVRの罠だと気付かない。
 今こそ 糸賀一雄氏が唱えた≪この子らを世の光に≫の九文字を思い出すべきだと思う。記憶を大切に持ち続けている彼らは その時々の表情や行動で自らの意志を発信している。そして あの方達の凄さは ”自分で自分の心をあざむく”ことが無いことだ。
 60年と付き合いが長くなり 私はいろんな事を彼らから教わっている。その中でも 強烈なものは 自分を必要以上に卑下したり 誇ったりしない 有りの儘の自分を堂々と生きている姿 、その対偶の自分を感じる時 必ず彼らの視線を感じるのです。上手く言えないが”素”という言葉に近いと思っている。
 素で生まれ 素で死を受け入れる・・・・・・究極の生きざま・・・・ 
 ・・・・初秋の夜空を つんざく 花火師ロマン・・・・
 大曲・長岡 そして初秋の土浦、日本三大花火と称される 恒例の全国花火競技大会(86回)が昨夜土浦で開催されました。私は桟敷から観る幸運に恵まれた。一夜だけの花火大会としては日本最大のイベント 参加業者も60社を超える。
 6時開始で 午後から道路を通行止め 土浦駅(JR)から会場の桜川まで 高架道路を専用バスだけがピストン輸送、川沿いに桟敷を造り マス席を事前に抽選で販売。 あいにく日本列島を二つの低気圧が並んで通過、前日午後から土浦周辺は かなり纏まった雨が降る。心配したが天気予報では当日は昼頃に雨が上がると出て早々に前日に開催決定がされていた。
 6時から始まり93本の打ち上げ、中でも最大の打ち上げの≪つちうら花火づくし≫は壮観で 誰もが大感激、終盤にかけ 大仕掛けの打ち上げが続き 70万人(主催者発表)という観客は大いに満足しただろう。
 昔から花火師かたぎ と謂われ 自らは影役に徹し 夜空をキャンバスに瞬く間に勝負をかける。夢はさめても 心に残る 。
 ぱっと 開いて 消えて行く  粋で鯔背 ・・・・す・ば・ら・し・い! 
 

3101:愚公移山

 底力というのは 順境にある時には 出番なし。これホント!愚公山を移す。衆議院の選挙戦がスタート、第二次世界大戦後の多党入り乱れての混乱を彷彿させるかのごとく、何を公約に掲げ 訴えるか 有権者の身になれば解かり難い。 周囲環境の危機を叫ぶ割には 日本が出来ることが曖昧?
 某新聞の投書欄、≪これ以上の経済繁栄は望みません。・・・・・・そもそも若者はこれ以上の好景気を望んでいません。・・・・経済成長よりも、子どもの7人に1人が貧困という大問題を解決して欲しいです。今の日本に必要なのは、安定と富みの分配です。もう成長の時代ではないのです。云々。≫実に判り易く感心した。驚いたのは 13歳の中学生の寄稿文だった。彼らが この国の将来に不安を持っている。1000兆円を超す国の借金、今 この国のリーダー達は本気で返そうと思っていないのではなかろうか。
 愚公移山とは 満90歳の愚公が通行に不便な山を他に移そうと 箕で土を運び始めた。それを知った天帝がえらく関心し山を他に移したという寓話からきている。本来の豊かさとは たゆまぬ努力の積み上げによって得られるもの・・・・・・。天帝が誰か? その忠臣の諫言はいかに!この筋書きが怪しくなった今 何がそれに代われるか? 結果良ければ全て良し??? 問題は当否を決する絶対数?
 丁寧な説明とは 本来は この国の将来を託す 子供たちや汗水流し頑張ってきたお年寄りたちに判り易く説明を行う事。 限られた時間と閉ざされた国会で討議され済む話ではないはずだ。そして 取り返しのつかない危うさを多くの人が感じているのが今ではないでしょうか。
 真の底力の証は 今回の選挙で投票率がせめて先のドイツ選挙並みに75%に達した時点で 是非が問われるべきでしょう。憲法改正を言うのであれば 有効投票率の下限を規定すること これが優先の努力義務。。。。。
 ☆ 情報の透明化の徹底を目指すのであれば 2/3の議員数ではなく それぞれの議員の得票率の実数が全国民【有権者】の何%かを随時公表すれば より判り易く 選挙への関心度が増えるかもわからない。
 あるいは国民投票? それをやる気がありますか? 
 目くらまし
何がなんだか判らない状況になって 慌てても後の祭、今回の選挙予想が各紙から出始めている。まだ 選挙がスタートして2日しか経っていない。恐らく 投票率は 過去最低になるのでは?  22日までに この予想が見事はずれる事になれば これは この国の未来に望みありの証。
・・・・≪世界には4つの国しかない。先進国と途上国 そして日本とアルゼンチンである≫・・・・1971年にノーベル経済学賞を受賞したクズネッツの言葉です。さて この意味する所は アルゼンチンは嘗て世界を制覇するほどの国力を誇っていた。それは国内に豊富な地下資源があるからでした。その変化が見え始めるのが1967年 今まで途上国であった日本が高度経済成長により先進国の仲間入り それは資源の乏しい日本が工業化によって成功し豊かさを獲て行く見本。その逆がアルゼンチン 資源はあるが工業化に失敗した。 これが経済学の世界で国家経済崩壊の『アルゼンチン型』と呼ばれるもので崩壊までの軌跡を6段階で示す。
①国家の成長産業勃興②経済の高成長③成功体験④傲慢⑤転落⑥崩壊   
 日本はバブル崩壊を経験しました。その前後はこれに似た状況があったと謂われます。今のところは ⑥崩壊の段階に至ってはいないけれど将来への不安感や現状の閉塞感は 今のアルゼンチンより深刻かもしれません。
 経済実態を示す数字に信憑性の疑いが投げかけられている事実も無視できません。
  成功事例だけを公表するのではなく マイナスの事象も沢山あることを もっと公表すべきだと思います。アルゼンチンは10年ごとに経済危機にさらされてきたと謂われていますが、民族の違いでしょうか 開放的でたくましく事実を事実としてドッシリ構えて受け止めているとか 南米の人達の気質を 我々も謙虚に学ぶべきなのでしょう。
 私はラインやフェースブックはやりません。時間に縛られそうで 嫌なのです。 このまま 便利さを追求していったら 人間の脳は退化するのではないでしょうか?人類は二足歩行を獲得し 行動範囲が広がった。そして新たな発見と同時に欲望が生れ それが渇望へと・・・・・・際限の無い欲望は 足るを知ることを忘れ 無慈悲に物を奪い合う・・・・そして悲劇が起これば その報復を己の良心に課して正当化する。
 愚公移山とは 今を生きるものの欲求を満たすことでは無く戒めと読むべきだ。働くという字の語源は『人の為に動く』こと、そして人の為という字に『偽り』という意味を持たせた。斯様に 言葉には その元となる意味がある。真逆の意味を持たせることは先人の智慧である。
 ネット社会は 言葉そのものの理解にはあまり拘らず 記号として使われる。だから人と人の心を繋ぐには 無理 むしろ相手を貶める凶器に使われることが起こり得るから要注意。憲法改正の真意、憶測が飛び交い 何をどうしたいのか未だに私は判らない。
 

3102:実りの秋から

 気まぐれな秋雨前線は 日本列島を南下する、北から寒気を持ち込み 急に気温が下がった。 秋晴れの下で稲刈りや果実の恵みを堪能したのも束の間 慌ただしく衣替えを行った。日本は春夏秋冬 それぞれに風物詩があり 全国各地からその情報が発信される。その同じTV画面に 信じられないような衝撃事件が流れる。習慣化され、そのことへの感覚が麻痺状態だ、 人の心を徐々に蝕み 閉塞感や不快感がはびこる。おそらく 現代病と言われる類の病因は この辺にあるように思うのです。
 地球上のどこかで慢性的に起こっている飢餓 アメリカでは地下シェルター(マンション)が売り出され 一戸日本円で3億円を超える額にも関わらず完売されたという。  カリフォルニア州で起こっている山火事、既に東京23区の広さを超え焼失し懸命な消火作業を続けても 温度が高い乾燥した強風には 人間の力は敵わない。
  
 実りの秋に不図思った。 24時間 店が開いていて買い物ができる国 高品質の製品を世界に輸出する工業立国ニッポンよ 自惚れではありませんか? 世界に誇る日本企業 TやSが世界からやり玉に挙げられた不祥事、その同じ轍を踏む負の連鎖  成功体験からくる 傲慢と思えて仕方が無い。 その代償はリコールや損害賠償の請求となって重く圧し掛かる。 その額は 誰も判らない。いよいよ 地下のマグマが動き出した。  リコールには解職請求もある。 その責任者が特定されても 損害を補償できるとは限らない。その人を罰して済む話ではない。一企業の責任として済ませることができますか?最終的には 国への損害請求に行きつくのでは?
 政官財学 日本の礎を築いてきたそれぞれに 今まで大切に守り続けてきたものが 不徳にも失われていくように思えてならない。
 実りの秋には 生産者のたゆまぬ努力と自然の恵みがあることを よもや忘れはしないでしょう。 雲上人を選んでも地上の事が判らずに 突然ハシゴを外され右往左往ってことになりませんように・・・・・。 
 秋晴れの日の光が懐かしく 一時を寛ぐ術も無く 地元大型店に買い物に出かけた。冬用のスーツを買うために。 ここは かなりのスペースを衣料品に割いていて 専門店と違い 店員の対応が執拗でないから 最近はここで済ませている。ブランド品を売るコーナーを覗くと ”あれ~ お父さん お買いもの?”冷やかされているのかどうか 自棄に気さくな男性の定員、”見るだけでいいですよ。一応 体型をはかりましょうね。もし無ければ 向こうのコーナーに行けばあるかもしれない”と。
瞬時 私は脇に立っていた大きな鏡をみた。なるほどな~ ブランド品を身に付けるような態をしていない。髭は伸び ズボンはブカブカ、着ているもののバランスの妙・・・・・。結局 この定員さんの御見通しの通りとなり 向こうのコーナーの安価なスーツを買ってしまう。 いつもだったら 素直に聴けなかったはずなのに 何故かその人が良い人に見えてしまった。 そうだわな~  旦那!どうせ体型が変わり 長く着れない買い物でしょうと アドバイスしたのだろう。
 クリーニング店のビニールがかかった儘になっている衣類 おそらくどのお宅にも出番を待つ元は新品の衣類があるでしょう! 処分する勇気はなく 只管タンスの中に貯め込んで 
 贅沢&無駄も驕りの一つ 一つ止めただけで 心が豊かになる。 どうです? 図星じゃ~ありませんかね。
  その道の専門家と謂われる人達が 御飯喰う為に やたら難しい説明をされるけど 貴方の仰る通りになりました。
 
 ネット社会がドンドン進む。例えばユーチューブ、表題と中味の違う情報、アクセス回数を増やすことだけが目的化、よりインパクトのある見出しを考える。どこもかしこもそうなれば いずれその手法も飽きられる。それを見込んだ更なる仕掛け・・・・。今となっては避けれぬ利便性と豊かさの追求は 人間の相・性を利用した限りのないチャレンジか、それが価値観と合致すれば ??? 秋の味覚は この国ではオールシーズン、なにも珍しい事ではない。 ・・・・・が 其れにはそれ相当の負担が付加価値という名の下に加算されている。
 どうでしょうか ≪Aは非Aでない≫≪SはPであると同時に非Pであることはできない≫(矛盾原理)     秋は読書 思考の秋かな~!
 
 ”尚恵祭” 準備に要した労力も悪天候には勝てない。 近くの体育館でも借りれば良かったが この時期は収穫祭やら運動会でどこも空いてない。90%雨天の予報は変わりなく 2日前早々に 屋外での行事は取り止め各事業所ごとに屋内開催、模擬店のみに変更した。
 いま 世界的に気候変動が激しくなって災害が増えている。水害・風害・地震~火山噴火と 避難先からまだ元の生活に戻れない人達が相当数いる。それと併せ紛争により国を追われる難民の増加、なんと言ったら良いのだろうか・・・・。国連による様々な取り組みが 転換期に入った? 更に、どこの国も政権の右傾化が進むのか?参照:「右傾化する日本政治」中野晃一著」
 いずれにしても 旧態依然としたシステムは時代に乗り遅れ 我先にと 新しいものに飛び付いていく。呉越同舟と謂う格言は 今 どう理解されているだろうか? 本来の意味は ”仲が悪いもの同士が 同じ場所にいることが始り。中国の春秋時代の呉と越の話だから紀元前500年頃、呉と越 仲が悪い者同士が同じ舟に乗って 嵐に遭遇した時はお互い助け合った”というものです。
 2500年の時間の経過は そこがどう変わったか! 様々な政治システムが生れては消えた その因果は定かでは無いが国と国の争いは止んだことがない。格差の拡大はいかなる国でもいま起こっている。満足する富の分配が 果たして実現できるか否か。
 舟を国と見て 何が嵐なのだろかと 降りやまぬ雨を眺め微睡みながら 考えた。
 

3103:若者たち

♪・・・君の行く道は 果てしなく遠い なのに何故歯を食い縛り君は行くのか・・・・・♪
 スポーツ界の10代の活躍が凄い。特にゴルフは男女共に若返っている。卒業を待たずプロに転向し 堂々と戦っている畑岡奈紗は 茨城出身。これらの選手に共通するのは 小学校入学前からクラブを握っている。家族全員で支え専門の指導者に師事し 必死に努力したからできた事? 努力だけではあるまい。素質や出来る環境もある。
 雨中の日本オープン最終日 TVに釘付けになった人は多かったに違いない。昨年賞金王の池田勇太と東北福祉大1年金谷拓実の戦いは まれにみる緊張の中 一打差でプロ池田が優勝した。今回で82回目の国内最高のトーナメントを盛り上げたのが同学後輩の19歳の若者だった。優勝賞金4000万。
 将棋界も同様に15歳の藤井聡太は連勝記録を書き換え破竹の勢い。
 文武両道というタイプと 一つの事に只管打ち込むタイプがいるが 頂点を極めるのは後者のタイプが多い。彼らに共通するのは  集中力の凄さとモノに動じない強靭さ。
 あれだけ周りから騒がれれば 平常心を保つのは至難の業と思うのだが 豈図らんや 淡々としている。
  閑話休題。衆議院選挙戦は折り返し点を過ぎた。選挙前の予想とは大分雲行きが変わった。一方 世界も各国で選挙が目白押し、何故か想定外の展開がどこでも出ている。オーストリアは31歳のクルツ氏が首相、単独で過半数に至らず いずれかの政党と連立を組むことに。この国の選挙は難民受け入れの是非が争点となった。日本はどうか?有権者に判り易い争点 ウーム。
 オーストリアはヨーロッパアルプスの中心に位置し音楽で有名なウイーンが首都、自然豊かで 誠実な国民性 日本人が好む観光スポットは国全体。選挙は比例代表制で183名の議員を選ぶ、3党の得票率は僅かな差で接戦だったが 流れとしては右傾化が進む。全体の投票率は今回の日本の選挙とどう違うか?
 
   第17回全国障害者スポーツ大会(愛媛大会)
茨城県選手団結団式

 上記写真は全スポ愛媛大会の結団式、総勢59名のエントリー。26日から5泊6日で行われ 私も同行する。2年後は茨城県で開催、その準備も熱が入っている。
 代表に選ばれた選手は皆 誇りを感じ 日々の生活を積極的に送っている人達です! 弱音をはかず 精一杯取り組む姿は  胸に響く。今までに何度か選手団に加わり 一緒に過ごした。必ず 感動する場面に出くわした。 彼等は他県の仲間達と直ぐに交流を深めてしまう。 国体の後、同じ松山市などを会場として開催される。

3104:右顧左眄(うこさべん)

 ”二束の干し草の間にいるロバ(donkey)のごとし”。[ ・・・hesitate to decide go left or go right,like a stupid donkey between two bundles of hay]
和英辞書によれば右顧左眄の英訳である。ロバ? 干し草が右左(左右)にあり さて どっちを食するかと決めかねる様。
 ロバが国民だとしたら どうなんでしょうね。22日は衆議院の選挙です。私は既に期日前に投票は終えている。投票所では期日前投票する理由を幾つかの項目から選ぶことになっている。
 何かシックリしない。だって 最近は期日前にやるように勧めているんじゃないでしょうか。それに合わせて 裁判官で辞めさせたい人のチェック票に記入。初めて見た人達ばかりですし この方法に意味があるのでしょうか?
 
 恐らく この様では今回も投票率は伸びないのではないか? よもや台風による悪天候にその責任を被せることはあるまいが・・・・・・・・。
 昨今の多党乱立状態 突然に 降って湧いたようなものでしょうよ。 それぞれの言い分がマスコミにだって整理がつかない状況で 何を根拠に選べというの!!二束どころじゃ~ない。憲法改正が争点ならば 少なくとも有権者の3分の2以上の投票率がなければなるまい。これが最低条件と私は思うのだが?

・・・・・ロバとウマは気質に違いがあると言われる。ウマは好奇心が強く、社会性があり、繊細であると言われ、反してロバは新しい物事を嫌い、唐突で駆け引き下手で、頑固であると言われる。実際、ロバのコミュニケーションはウマと比較して淡白であり、多頭曳きの馬車を引いたり、馬術のように乗り手と呼吸を合わせるような作業は苦手とされる

 今の状況をどう観たら良いのでしょう? 人間の能力を過信してしまったのか それとも その逆ですか? ネットからの情報は 容赦なく 容易&気紛れに 侵入し 止むことが無い。交信は瞬時に行われ 考える間を置くことを許さない。 毎日 世界中から配信される情報に一喜一憂し、逆に身近な出来事に疎くなる。
 衛星からピンポイントで特定できる位置情報 これが悪用(?)されれば どうなるか? それは 善悪 正義・不義の議論とは別次元 利用方法さえ決められない。その最たるものは核兵器。現に地球上に存在する膨大な数の大量殺傷兵器をどのように管理しているのだろうか。

  超大型台風21号が日本列島を縦断! 気象衛星で進路予測の精度は高まったが それへの対応が問題だ。 今後永久に日本だけが良いということはありえない。世界的に政治が右傾化し、自国の利ばかりが叫ばれる時代を迎えている。
 競争の激化や変化のスピード、それとモノの多さ・・・・・・。そこで暮らす我々の安らぎ⇒心の平安をどこに見い出せるでしょうか? 社会保障制度?経済指標?宗教?・・・・・・。
 不透明とか不確実という世相さえ商売にしてしまう狡さは 人間の驕りというよりも 恐らく 生れてからの環境による処が大きいと思う。
 ”オール オア ナッシング” 全てをリセットし ゼロからスタートは想定外 いま自分で出来ることが何か 納得できる着地点を探すのが精一杯。 『変化のスピードを遅く モノを減らす』という 逆療法、これは決して不可能では無く 人間性を取り戻す唯一の思考活動と考えて 生きるのは どうだろう。
 前項のロバと馬の比較に ひょっとしたらヒントが潜んでいるんじゃ~ありませんかねエ。 優劣で比べれば 馬に敵わない。”ロバは新しい物事を嫌い、唐突で駆け引き下手で、頑固である” 
 鳥や昆虫のように 生まれて間もなく独り立ちするモノ達と比べ 人間は幼児から大人へと数十年かけても成りきれぬ、愚直とか不器用と蔑(さげす)むのは筋違いと思いませんか。

3105:全国障害者スポーツ大会2017

 28日~30日にかけて愛媛県で開催される全国障害者スポーツ大会、茨城県からは選手役員総勢で59名で参加します。国体が終わって一段落と思われる愛媛県内の競技会場に選手は宿泊先が3カ所に分かれ26日から31日までの5泊6日の長丁場、 体調を崩す方も時々あり、帰って来るまでは気を緩められない。
 2年後は茨城県で開催 前回は40数年前だから 記憶に残っていることは殆どない。
 この大会は全障害者のスポーツ大会だから 視覚、聴覚、身体、知的、精神とそれぞれ競技が異なる。当然 移動や宿泊先でサポーターが付き添う。
  久しぶりに皆さんと一緒に過ごせるのが楽しみになってきた。
  四国は遍路の本場、お接待は日常生活の中にいきている。恐らく自由時間はないと思うが 有れば 近くの札所にお参りに行ってこよう。
 第72回愛媛国体が終わって 次は第17回全国障害者スポーツ大会にかわる。 そのテーマが≪顔(えがお)つなぐえひめ大会≫です。明日 松山に行ったら聞いてみよう。顔という言葉を選んだ意味を!
えがおという言葉を顔という字でなく顔とした。 憶測ですけれどそこに 私は四国という土地柄を感じます。88箇所の遍路道によって 四つの県がつながる昔から信仰心のあつい地域です。仏教の言葉に和顔愛語という言葉があります。(無財の七施)。これからきているのかも知れない。
 私が坊さんだからでしょう の字に直ぐに目が止まった。
 障害者スポーツの歴史は 開催回数をみれば 国体との違いは歴然としています。何故なのかは触れません。『障害者はいなくなればなればいいんだ』と収監中の今も話しているという相模原事件の容疑者M、1年3カ月が経ちました。それがいまどうなっているでしょう?マスコミは 殆ど取り上げなくなっています。 選挙が終わり 静けさが戻りつつあります。・・・・が またしても 責任の擦り合いが起こっています(阿鼻叫喚)。それを 面白おかしく取り上げるのにどれだけ時間を割いているでしょう。
 ふと 昔の事を思い出しました。全スポの新潟大会に選手団で参加した時に 私は水泳競技に参加する選手達と同室でした。 夜 メダルがとれた人へのお祝いを部屋で行ったのです。残念にもメダルが取れなかった方が 自分で用意したプレゼントを≪おめでとう≫と言って得意満面の仲間に渡したのでした。その時の彼の顔   それは笑顔ではなくて愛のえがお(愛顔)だと思いましたね。衝撃を受けました。
 言葉は その人の使い方一つで随分違う 災いの元になるか 人との絆をより深めることになるか。  
 
 ハッキリ言って 呟きは自己満足でしかありえない。言葉に表せないものが大切だと私は思う。口八丁手八丁 世渡り上手が果たしてどうなのか? 全スポに今日出発です。県庁に集合 2台のバスに乗車し羽田へ。
 素のままの触れ合いは 観衆の多さ等でははかれない。国体と全スポのどこがどう違うんだろうか?差別解消法や優先調達法、バリアーフリー法??? ”参加と平等”の大会目的の中に微妙に入り込む。 法律や制度が人間の理解できる範囲を遥かに超えた今の状況は 何の為の誰の為というよりどころを曖昧にしている。 障害の種別や等級で区分することへの疑問、そこで謂う個の尊厳とは何か? その人自身の有りの儘を尊ぶことで 人為的に類型化することではあるまい。 例えば意思決定支援の意志は誰のもの? 障害観は 相手と向き合い知ることから生まれるものです。その入口の処で、障害という言葉を使うことに違和感が持てるか否かでしょうね。自分は障害者の為にこれこれこんな事をしていますという人達と出くわすと 正直嫌悪感がうまれる。それって ご本人達は どう思っているのよ? ひょっとしたら ありがた迷惑と感じているかも知れんでしょう。
 支援者や介護者、ヘルパーという言葉が世間に定着してきたが 何か鵜呑みにできないものを感じる。世間様の評価(市民権)は 果たして その重要性を どうみているだろう。誇りとかやりがいは どうすれば定着するか! その事への 手立ては充分では無い。  平和と安心を声高に訴える割に 担い手を 育てる本気度を感じない。此れが差別なのです。いずれ自分がその立場(支援を受ける側)になった時に後悔しても後のまつり。
  思い煩うことは広大無辺、一生 それで終わってしまうかもしれぬ。 これからはそれを避けることを考えたい。 これでもか これでもか 際限無き欲望を追い求めるのではなく 欲を減らす方向転換がなされなければ 恐らく無くなるまい。 繁栄への断念? 挫折?  否否   人間性の復活 安らぎの獲得とだけ 言っておきましょう。 受け入れられないでしょうよ。そうですか どうぞご自由に!
 全スポに同行できることは その確認をする良い機会だと思っています。
 

3106:雨にも負・・・雑感

 
 ボーリング会場


雑感・・・・・ 選手団の一員として 参加した愛媛全スポ 車イスの副団長のIさんと 出来る限り応援に会場を廻った。どの会場にも 熱気が溢れ 選手と応援者が一体となった戦いの場がありました。競技の宿命?勝ち負けが生れ その両者は天と地の違い。
 雨が降りしきる屋外競技場ではトラック競技とフィールド競技(投擲と跳躍)が同時に行われていた。自然と笑みが浮かぶ光景は 少し昔と比べ減ったように感じた。それは 成績重視の流れからか?
 それでも ずっと観ていると 微笑んでいしまう場面がいくつもありました。  1500m競技 トラックを4周まわる。トップとラストで一周以上離れるレースもあった。最後を走った選手は トラックに水溜りがあると それを避けながら走った。恐らく 勝敗よりも 彼には もっと大切なものがあったのだろう。
 前回4位 メダルに届かず涙を飲んだ卓球代表のSさん、今回はそのリベンジだと宿にいる時からハイテンション 二日間の競技(四ゲーム)の合計点で順位が決まる 第一日目3位につけた。一位はアベレージで200を超える優れもの、2位は射程距離!2日目の結果次第ではSが追い抜ける! チャンス!そう語って臨んだ。結果は前日20ポイント以上をリードしていた4位の選手に 最後の最後に逆転されてしまった。その時のSの顔 どう慰めて良いのか判らない。大のオトナが廻りを気にせず泣き出した。彼は土産を袋一杯持参していた。これを大会役員に配るという。買収行為だから、それだけは止めてくれとコーチ監督が説得 試合が終わってから渡すということで渋々了解してくれた。
 その手提げ袋は 試合後 どうなったか????
 私は夜 宿舎の廊下で偶然、彼と 会った。まだ涙目 顔はクシャクシャ。監督が私から激励をして欲しいと頼まれた・・・・・・≪ 良く頑張ったじゃ~ないか!2年後の茨城大会でリベンジだ!≫ すると 小さな声で≪ウン≫
 雨にも負けず 風にもマケず 雪にも夏の暑さにもまけぬ。丈夫な体をもち 欲はなく 決していからず いつも静かに笑っている・・・・・・・
 雑感Ⅱ・・・・・感動・涙・笑い~記憶を辿れば 岐阜・大分・新潟・東京  そして今回の愛媛大会と5回目の参加となりました。その時々に 塞んだ気持ちを一気に解放してくれるような五感への刺激を受けました。ヤレ 制度がどうのこうの 単価の増減に一喜一憂 もういい加減に全てを放り出したくなる。この状況は 一体何が原因なのだろうかと。本質の議論ではなく 枝葉末節の問題にばかり 関心が向けられるからだと私は思う。
 人間の尊厳は 能力の差ではなく 人としての徳にあるべき。仏教は そこに焦点をあて 求められる生き様を説いてきた。賄賂(?)と誤解されたSさんの 袋一杯の土産、彼は 全スポに出る度に旅先からお菓子を知り合い送っている。現在 GHで生活し一般就労している。その働きぶりはお見事、同僚から喜ばれていると聞いた。いつも旅行に行けば 持っているお金を殆ど土産に使ってしまう。
 前回の大会には 帰りの電車賃まで使ってしまい 監督に土産を買い取ってもらって切符を買ったというエピソードの持ち主。この一所懸命さは 彼の生きる力だ。
 ・・・・・・・・あいさつ。宿泊先のホテルには4つの県の選手団が同宿していた。すれ違う時に 必ず≪お早うごさいます≫≪こんにちわ≫≪どうぞ お先に≫と声を掛けあっている。 皆 大会に参加している人達だからかと 思ったが 一般の宿泊客にも同様に挨拶をしていた。
 知らない人には 声をかけない! こんな標語が街に貼られていませんか?
 これで”地域共生社会の実現”? それは 言葉じゃないでしょう。・・・・・恐らく 彼らは そんな疑問は持たない。 当たり前のことだから そのことで どうのこうの口幅ったい事は言わない。
  一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ あらゆることを 自分を勘定に入れずに 良く見聴きをし分かり そして忘れず・・・・・・ 

3107:時流

 時流とは その時代の風潮・傾向、SNS(ソーシャル ネットワキング サービス)の進歩?により 情報伝達が大きく変わった、そのメリットは交友関係の広がり、人を介さず 知り合いになれるという。デメリットは最近言われ始めている『SNS疲れ』というものだろうか?そりゃーそうだろう。あれだけスマホと向き合っていれば 眼は疲れるし 肩はこる。それどころか脳の機能停止・退行する? ネットワーク・サービスとは上手く謂ったものである。しかし、これは限度を弁えないと取り返しのつかないことになる。これも 自己責任で片付けてしまうのか。本来 人間の能力は ハイハイし ヨロケナガラ 立ち歩きを身に付ける。判断能力は知識だけでなく 智慧の働きが大きい。残念ながら文字の意味を考えなくなれば どうなるか?  今こそ 時流に乗ることより 逆らう(?)ことも必要になっているのでなかろうか。お前は時代遅れと非難されようが私は構わない。逆に「貴方にとって時代に乗る」ということは どういう事ですか?と問いたい。仮想現実や仮想記憶、モノ事を突き詰めて行くと ≪何のため 誰のため≫という疑問にぶち当たる。 人間の判断や思考のキャパを超える情報の量とスピードに脳がオーバーヒートを起こしてしまう。これが現代病である。
 さて 正直 私自身がその状況に近いかもしれない。愛媛の5日間で人間らしい触れ合いを体験した。その翌日 霞が関・永田町である集会に参加し ギアチェンジ アクセルを目一杯踏み込まないと不味いかな~という思いと闘っている。
 そんなに急いでどうなる!とのいつもの天の声。 
 1時の会議に間に合う為に土浦から常磐線に乗った。 柏で電車が急にストップ 車内放送で 松戸で人身事故が起こり 停車中。同様の内容が車内のテロップに流れた。
 これも時流だ。それを 人間どもはどうにかしようとしていないだろうか?最近の福祉を取り巻く環境は 当にその時流を言い訳に使う輩が増えすぎた。
仏教の無常観 一切のモノは生滅・変化し常住でない。
 世界中がSNSに侵略されてしまった。残念だが人肌の温もりを感じない。それを受け入れないと生き辛い? 周囲に張りめぐらされた防犯カメラは人間の代用機能を果たすのか!防犯か機密の漏洩か
 それとナビは知らない場所に行くには便利だが、昔 行った事が有る場所や住んでいた処では事情が違う。自分の記憶が邪魔(?)をする。有楽町駅から霞が関を通り永田町へ。地下鉄に乗れば 苦労しないが 時間が充分過ぎるほどあったものだから 昔の記憶を辿りながら歩いた。結果 途中何度も人に尋ねる羽目に。スマホのナビの使い方が出来なかったのが原因。幸い 尋ねた相手が丁寧に教えてくれたので 助かった。
 便利さの為に生き辛さを感じる。これもまた”時流”である。
 新聞記事に 一年間の不登校児童の数が14万人を超えているというものがあった。原因は様々だが 毎年増加の一途。 学校に行けない理由があるのは確か その解決の取り組みがどうなっているのか。
 介護施設の長に聞いた話、最近は多床室が増えているという。アレ~個室じゃ~ないの? これにも なんらかの理由があるはずだ。
 都会でちょっと休憩タイムを持とうとすると大変だ。コーヒー一杯で1時間も居座るのは 相当厚顔でなければ できません。これも二日前 私が実際に経験したこと。台風の影響で 強風が吹き荒れ 気温が下がって とてもじゃないが ベンチに座っているのはできない。さりとて 休む場所が見つからず。仕方が無いので大型デパートに逃げ込んだ。そしたら 客の数より店員の数が多かった。視線が私に集中し”いらっしゃいませ~” 早々に退散した。これも大都会東京の名の知れたデパートですよ。
 結局 諸般の事情で 松山からの便を早目にしたのが裏目となった。新宿での会合が始まるまでの間 恥ずかしいことに喫茶店をハシゴした。お蔭で 腹の調子が狂って閉口した。
  都会での生活は 田舎者には 不便。
 それなのに なんで 上に上に住宅を増やすのか。地べたと同じ高さでいくらでも住めるのに。
 見た目の華やかさに隠れ “清貧”とか”質実剛健”は 死語と化したのでしょうか・・・・・・・。世界的企業のトップがテレビの前で深々と頭を下げる。これも時流というのですね。
 
 時間が逆戻りしたら どうなりますか? あくまでも仮の想定として 1940年代への回帰は  戦争、それにハイパーインフレの再来、物価の急激な上昇 コーヒーを飲んでいる間に値段が上がる心象  貨幣価値が急落すること、同時に 日本国債暴落という大変な事態である・・・・・・・・。現在の国の借金は1000兆円を優に超す、それはいずれ返さなければならぬもの。国債の価値が下がれば、その返済負担は確かに下がる あわよくば 借金棒引きとなるかもしれぬ、しかし 日本が持たない。大恐慌である。
 今まであまり騒がれなかったが ここにきて経済専門家たちの一部で その危うさを訴え始めた。 日本人は横文字に拒否反応がある、そんな事にお構いなしにコンプライアンスやコーポレートガバナンスなる言葉が巷に溢れる 和訳すれば企業統治、これは 企業の大小を問わず 昔も今も変わらず 経営の根幹。上場廃止やむなしと地獄の入口で必死にもがいても 一度信用を失えば 自力で再生するのは至難の業、一企業であれば その影響は 利害関係の範囲内で限定的なものかも知れぬが 国がそうなった時は 悲惨。今もって 国債は国内総資産(預金)1700兆円内の枠内と謂われるが 返済しなくて良い借金では なかろう。
 悪夢か現実か!
 先日 某金融機関の方と話す機会があった。  今は超低金利で 銀行が貸付で利ザヤを稼ぐことが出来ない。 電子マネーや仮想通貨に切り替わり 近い将来ATMは消えるかもしれない。そうなれば 全国に展開する支店網 合併吸収ではもたず 業務が減って 銀行そのものが無くなる時代になるだろうと・・・・・。恐ろしい事は 実はそのことでは無く 貨幣に対する感覚マヒが起こること 
    ・・・・・≪最も強いものが生き残るのではなく。最も賢いものが生き残るのでもない。それは 環境に対応できるものが生き残る≫・・・・・ダーウイン『種の起源』

3108:宗教の立ち位置

 墓じまいや無住寺院が話題にあがる。私は寺に住ませて頂いて67年がたつ。記憶はおぼろげになったが 落ち葉をまとめ燃やすこの時期になると 不思議と小さい頃を思い出す。山から枯れ枝を拾ってきて お風呂の湯を沸かす。あの頃は水道なんか無かった。風呂は外にあり、トタンの隙間から冷たい風が吹き込む・・・・・・。裸電球だったか ランプだったかは定かでない。
 先日 東京で寺の集まりがあった。法類といって師僧の繋がりから親戚付き合いしている寺が年一回 茨城と東京交互に場所をかえ行っている。全部で30ヶ寺以上、住職の数では40人を超す宗派としては大きな集団である。私は もう長いこと その幹事をしてきたので 今回でその役を降ろさせていただくことになった。例の如く酒が入り 好き勝手な話は際限なく 自己紹介を全員が行ったが だいぶ長~い話もあり 法事の席と勘違いしている 私は 何度も「ソロソロ お次へ」と口止めに入ることになった。
 会場は 都庁の直ぐ傍 茨城では考えられない華やかさと 喧騒の中で3時間の宴席は無事終えた。今回 若い坊さんが目立った。代替わりで住職が留守番で副住職が出席した寺が増えた。
 最近は寺院経営というセミナーが開催される時代 当然 時代と共に宗教を取り巻く環境は変わった。本来の寺の使命は何か? 切り口は様々 多様な時代だからこそ やるべき事はあるはず。
 例えばサイコパスという問題に対し どう向き合うか? 精神医学や異常心理の場で 勿論研究はされているだろうが 反社会的な事件が その人自身の問題ばかりでなく 社会全体の歪から生まれていると考えてしまう。 巷に溢れる情報を止め 昔に引き返す事は不可能となった。否 何処に引き返せば良いのかが判らないというのが本音。
 やまゆり事件から今回の自殺サイト絡みの事件の異常さは尋常でない。事件の起こった場所は急激に都市化が進んだ地域という似た背景を感じる。これは偶然なのか? ここにきて”地域共生”という旗印を掲げなければならない日本の状況は どこかで道を間違ったと思ってしまうのは早計か。
  宗教の立ち位置が問われている じゃ~何ができるか?  できるものとできないものがある。 ハッキリ言って、問題の根幹は ”家族”というものにあると私は思うのです。
 法律や制度 上手くその主旨が伝わらず 保身や責任逃れに使われてしまう危うさを感じている。完全な法律は有りえない。だからでしょう 法を法で補完する新たな法律を次々に考えた。膨大なその数 より複雑になり 何を優先するか それが曖昧となっている。
 その意味では ”宗教”は不変である。”まんだらの思想” これは決して排他的なものではなく、共生そのものの教えだと私は信じている。
 
 究極の目標は ”安心”、これは年齢に関係ない。民族や宗教・文化は様々なれど 万国共通の願いに変わりなし。
 トランプ大統領がアジアを歴訪中、国により受入れ方は違う。ま~ 双方に利害が絡むのは 当然、結果次第では評価も一様でない。日本の立場は どうなんでしょう? ゴルフ外交とか言われて ご本人達は心外だと思っているのでしょうか? 何が話され 約束されたか 国民の知るところではない。両首脳の親密さをアピール 恐らく歴代のどの首相よりその点での評価が高い。
 手放しで喜べない庶民の心理 不戦を誓った日本が 憲法を改正し 自衛隊の存在を明記する。強行採決すれば それができる環境は揃った。正直 今後の成り行き次第では 後戻りできない状況になって後悔するかもしれない。戦後72年が経った。当時と比べ 全てが変わった? ・・・・・・いや ”安心”への願いは変わらず 嘗て無いほどに強くなっている。
 今 こうやってPCのキイを打っている正面の壁に 飛田先生が書いた一枚の和紙が貼ってある。そこには毛筆で○が書かれワキに”かまえなし”と書いてある。飛田先生は私の師である。物静かで決して声を荒立てず いつもニコニコしていた。観音寺境内の飛田家の墓石の正面には ご自身が書いた太筆の○だけが書いてある。先生は禅に造詣深く 専門は心理学、裁判所の調査官を定年まで勤め その後 尚恵学園を手伝ってくれた。
 ・・・愛恵院壽徳保道清居士・・・享年92歳。『一球入魂』学生野球の父と謂われた飛田穂州(すいしゅう)の直系にあたる。飛田先生と私の父は 無二の信頼によって繋がっていたと思う。人が人を呼ぶ。その後 K先生やN先生が加わってくれ 今の尚恵の礎を築く。制度や仕組みが何も無かった時代だったから 我々には想像もできない。高齢になってからも苦労を苦労と思わず突き進む迫力は 正直 今の時代には望めまい。
 平成5年 父が87歳 平成9年 母が89歳 平成13年 飛田先生 92歳 で世を去った。3人に共通するのは”自らの徳を讃じない”ことだった。
 今の日本の福祉の状況をみると 己の事績を誇り あたかも 自分が成し得たと勘違うものが目立つ。政策とて翌年には また変わるという不安定さが根っ子にある、これで 安心が獲られるだろうか?先人達が 今を生きていたら なんと謂うだろう!
  斯様な拙文を凝りもせず続けているのは 天罰ものかも知れません。これもまた私が自らの立ち位置を探しあぐねている証拠。
 紙に書かれた○、壁に貼って見た場合と机上に置いた時 同じ○でも 違って見える。 有りの儘に観ると言うが 邪まな気持ちで観ればどうなるか だから”かまえなし”と添え書きしたと思う 。
 『種の起源』で生き延びるには環境に合わせたもの・・・・ 読み違えると”日和見主義”に成り易い。1582年の山崎の戦いで語られ続ける”洞ケ峠”。利他と言いながら 実は自利のため よくある話である。
 

3109:老害か老益か

 日本語に逆説的表現があります。≪負けるが勝ち≫≪急がば回れ≫など、パラドックス。一見して真でありかつ偽である類。情報網が網の目の如く張巡らされた今の社会で何を真理とみるか 実に難しい時代になったものである。次から次に、よりインパクトのあるスローガンを掲げ PRはエスカレートするが 中味は 伴わない。それだからといって 何もペナルテイがかからない。
 日本が世界の長寿国の定位置を何年も続けていられるのは 素晴らしいことである。勿論 これは70数年の間 不戦国であったことが大きい。しかし、それを手放しで喜べない状況があることも知っている。敢えて”超”という字を頭に付ける高齢化社会、長生きを誇りというより負担とみている。それと一体の少子化対策も重要です。ハードとソフト両面で考えれば 核心のある方向性は未だ見いだせていない。改正先送り これが如実に示している。
 ”老害”という言葉は 自分がその身になってどう思うだろう?老々介護やサービス待ち その実態はどうなっているか? 個の尊厳は 老人に無いのか?そんな疑問さえ持ってしまう。
 障害者差別禁止法の制定の時にも 割り切れぬ思いがあった。それは ”障害者”だけなのかという疑問、 名前からして 障害者を特別視しているように思った。オール人間の差別禁止が 目的で あえて障害者だけを取り上げることに違和感をもった。斯様に 今の制度は 個別化が進み過ぎ 全体が見えにくい。障害者を等級化したり種別で分けること自体が 差別ではないのでしょうか?  
 そして”老益” それは その人の過去の経験を活かし得る社会が条件だ。外国から今の日本をみて、危うさを感じていると長年日本を離れている友人が話していた。 二度と戦争をしないと誓った日本が おかしな方向に進んでいるのではないかという危うさである。
  時間と共に戦争を体験した人が減るのは自然である。だからと言って 他人事ですますのでは 間違いだ。
 老益が そこに活かされてしかるべし。 いま 盛んに行なわれている超高齢・少子化の課題など 戦争になれば 元も子もなくなるのは明らかでしょう。
 今週は土・日と5件の法事があります。遠路, 車で来られ 早目に寺に到着し待っている方もいます。法事が終わり 墓参 その後は どこかの店で食事をされるのがお決まりのコース、午前中の法事が殆ど 40年続けてきた。 自分で自分を褒めている。今までに体調の悪さで休んだことはない。
 だからかもしれない、法事の席で最後にお話をさせていただく、その内容は 健康の大切さに触れることが増えた。 それは 終末期を迎えたご本人とそれを見守る家族のご苦労が身近になったからだろう。若い時分には無かった。
 これも”老害”なのだろうか?
 生涯 現役を目指し その準備を怠らず 現に目の前にある職務に専念できれば良い。豈図らんや 着膨れで身動き儘ならず 少しづつ脱ぎ捨て 身軽になっても やるべきことは 現に そこにある。 
 私の知る老僧で 自坊で護摩焚き中に亡くなった方がいる。 これぞ 大往生 と今もって語り継がれている 。 
 反意語辞典というものがあります。辞書を捲ると⇔というマークで対義語と⇒のやじるしで類義語。老害⇔老益は造語かな。私の持って生れた性分で 次から次に疑問がわき のめり込む。
 そこで 煩わせて恐縮ですが ”淡泊”⇔”濃厚”ときた。実は ラジオで≪最近の若者は淡泊になった・・・≫の話があった。どんな意味で使ったのか判らないが、欲が少なく てらわず飾らないと言った意味のように受け取る。
 その反対が”濃厚”となれば 一途にとか拘りとか義理・人情の世界、確かにそうかも知れない。部活の担任の先生が ≪あの年代が最後かな~。叱るとやめちゃう子が多くなった≫ 。
 叱ると 歯を食い縛り泣きながらついてくる 頑固さが無く、それが淡泊の所以。貪欲は仏教で三毒・十悪の一で 自分の欲するものに執着して飽くことを知らないことをいう。それが薄れたのだから 良いじゃないの?
 違うんだよな!知識で理解しても 行動が伴わない。これだわ~! これって 今後益々強まるんじゃ~なかろうか! 
 集団生活に馴染めない人が増加、性格の違いや環境の違いで排除・排斥される。無理して合わせるか その場から離れることで 避けようとする。 もともと顔形が違うように 考えが違って当然、もし皆同じだったら それこそ恐ろしい。
 言葉遊び&数遊び(ナンプレ)、元々単純なゲーム、ただ数字や文字を一つ抜いただけで難易度が大きくかわる。正解は一つ。 世の中の仕組みが複雑・多様化すれば より単純なものが求められる。
 同じゲーム(数独)も紙とタブレットでは大違い。キイ操作一つで簡単だが どこで間違えたかを振り返ることはない。紙ならば 鉛筆で数字を入れ最後に間違いに気付くから 丸消しして再挑戦。同じルールでも 進め方が違う。ボールペンではダメで鉛筆。これはやり直しができるから。 利便性は 余計なものを省き 早く思いを果たすこと、これは人間が考え出したもの。余計なものって何? 無駄な事ってなんなのよ?
 ちょっと難しく、物事を実証的・論理的・体系的に考えし過ぎると 目的を果たすために 偽善が入り易くなる。数字のマジック 。
 今や常識のPDCAサイクルなる管理手法、それぞれが独立したものでなく→やじるしの連続性  うまくいくいかないは 3番目のC(チェック)機能 この信頼度が肝心なんだわな! 
 

3110:感謝状

 毎年 茨城県と県社協の主催による福祉大会が行われます。開催場所を変えて 県内で長年福祉に貢献された人達へ感謝状が贈られます。今年は尚恵学園から5名のスタッフが知事賞と県社協会長賞を頂きました。
 福祉は制度や仕組みではない。人と人の触れあいの中から醸成され 響き合うもの、感謝状、それは贈る側と受ける側に見えない糸がある。それを大切にしたいものです。
 受賞されたスタッフが≪主人が 感謝状を額にいれ 飾ってくれる≫との話を聞いた時 救われる思いになりました。
 マンツウマンでの那須温泉旅行、宿でKさんがスタッフに感謝の手紙を恥ずかしそうに読んでくれたと聞いた。これは誰かに謂われたことではなく Kさんが自分で思い付いたものだと思う。彼女はなかなか心を開いてくれず、どうすれば良いか 何度も話し合いをしてきた。手紙の内容はまだ聞いていない。感謝の手紙ということだけで 私には充分過ぎる。
 彼女への支援は ことごとく 失敗の連続だった。恐らく これは 今まで生きてきた彼女の環境の中で身に付けたもの 何度も期待し裏切られてきた体験から、自分の気持ちを閉ざし 周りへの気配りを第一とした。
 それが 徐々に変化してきた。
 感動や感謝は 決して形式ではない。長年の労苦に報いるには 正直 紙一枚でどうなのか? そんな思いは常にある。 送る側は 当然 心よりの感謝の思いを相手に伝えること これを何より 大切にしたい。
 他県の某法人の研修に参加してきました。内容はスウエーデンの認知症への取り組み、1時間半通訳を介したもので 正直 メモを取るにも整理がつかなかった。修了後 講師の方とその法人のスタッフとの食事の場に招かれ  こちらは実に判り易かった。5時半からの研修で 自宅に帰ったのは夜中になってしまった。
 心に残ったものは、スウエーデンでは”原則 延命治療はしない”という。チューブに繋がれ 生き続けること これは個の尊厳に反するとみる。 寝たきりにしない取り組みや投薬を減らそうとしている医療現場に興味があった。
 全く 今の日本と逆の状況 国は報酬単価改正の議論が社会保障審議会の中で続けられ 最終段階にきています。3年毎の見直しに 関係業界は挙って目の色かえ その対策をねるのに必死です。現に自分がその場にいて異論を述べるとなれば 世捨て人になる覚悟がなければ できない。
 埼玉の理事長と立ち話、≪日本は個人情報保護法を  個の尊厳を守れない言い訳に使っている・・・・スウエーデンでは同性介護は有りえない 何故か・・・・・≫ 本人を中心に 家族 職員三者のトライアングル そのベースに核心となる”倫理”を置く 北欧の福祉の深みを 日本は謙虚に学ぶべきだと思う・・・・・
 少なくとも これからの若者が 今の日本の社会保障の仕組みをどうみているか? それに耳を傾ける責任が大人達にはあるはずだ。寝不足の高速運転は体にキツイ だが 不思議と眠気は無かった。
 ☆ Jag  har magont 「私は胃が痛みます」(スウエーデン語)
 
 将棋名人の升田幸三には 様々な逸話がある。そして 升田が語った言葉 今 眩いばかりに 輝いている。
 ≪着眼大局 着手小局≫≪たどり来て 未だ山麓≫ 勝負の世界にいきる厳しさを対戦相手より己に勝つこととした。100年に1人出るか出ないかと謂われた逸材、その棋風と生きざま 人工頭脳やネット文化が地球を覆い、一瞬にして人間の生きる智慧をも脆弱化する。 それに 打つ手を探しあぐねているのが今日の状況だ。全体を眺め 先ず 身近なことより着手せよ。棋盤上での戦いを深化し それでも尚 山の麓(ふもと)をさまよっていると自戒する。実は その真逆の人間が急激に増えたということで 今 この世を升田名人が何というか 聴いてみたくなったのだろうか。
  先人の跡をたどることの難しさ 便利になった社会とは相容れず 忘れさられようとしている人 ヒト ひと。憲法改正の是非 先の選挙 正直 何が焦点か判らずに投票を迷った人は多い筈。だよね~ だって これいつもだよな 公約を反故するなど 今や常識 それが 突然 選挙によって 主張が承認されたと? これもまた 戦後ニッポンが抱える闇の部分、確かに もし これが実行されれば 大きな分岐点であることには 違いない。
  NHK深夜便≪ナマコから学ぶ スローライフ≫ ナマコって あのナマコ? その発想が面白い、判るよね~ 最新兵器の開発 これって 何の為にやるわけ? A Iや ロボット開発 どこまでやれば 気が済むの?
一方ではスローライフを唱える市町村もありますよ。地産地消や歩行型社会 時間を昔に戻し 嘗て あった 『ゆっくり・ゆったり・心ゆたかに』を取り戻そう 。豊さの指標が経済オンリーとなった。本当の豊かさは 優しさ 愛おしさ 微笑ましさ無くして有りえない。人間の再生や復元の能力は 多分 ナマコに比べ 相当劣っているんじゃないですか!