源究217t17

 

NO  テーマ  月日  NO   テーマ  月日  NO   テーマ  月日  NO  テーマ  月日  
 3851  水無月  6/3   3856  報恩×忘恩=  6/17  3861  黄昏  6/29  3866  望むらくは  7/18 
 3852  間伐か全伐か  6/6   3857  復元力 6/19  3862  年々歳々   7/2 3867  大局観  7/22 
 3853  三密→三無  6/10  3858  実現力  6/20  3863  不可思議一考   7/5 3868  平衡感覚 7/26
 3854  スマホ断食  6/12  3859  恙なし  6/22  3864  理性と悟性   7/8 3869  根拠   7/30
 3855  お役御免  6/14  3860  よりどころ  6/25  3865  ???  7/13 3870  平家物語   ☆ 

3851:水無月

 水無月は陰暦六月の異名、水の月という意味で水が無い月の意ではない。
 1日~2日台風2号の影響を受け、日本列島は記録的な大雨に見舞われた。茨城県でも過去の記録を塗り替える大雨で県内各地に被害が発生しました。近年になり近くの水路が溢れ、通行できなくなるため、【通行禁止】の看板を立てた。
 土壌改良や建築工法が進歩し、今まで水田だった場所にも住宅が建つ、屋敷内にあった大木は強風による倒木を恐れ切られた。昔は自分の家の建て替え用材にと木を大切に育てた。でも人々が長年にわたって伝え守ってきた風俗習慣は消えている。同様に”家”に対する考えも変り、空き家、核家族、少子化、老老介護等の言葉が目立つ。これらが芋づる式に繋がっている。
 働くということ一つ考えてみても本気、正気、根気・・・元気、呑気、嫌気、弱気とさまざま。だが、日本の今の状況は問題が根深い。働けない大人たち、家族の崩壊、転職を繰り返す人達の増加、個の問題というより、社会の問題、一時的な社会保障でカバーできる状況ではない。それを 生成AIシステムを駆使すれば これら多様な問題を思い通りに解決してくれるというのでしょう。
 ☆ 温故而知新(為政篇)・・・・過而不改、是謂過矣(衛霊公篇)
 
 ・・チチンプイプイ御代のお宝!痛いの痛いの飛んでけ。・・
 コンプライアンス、エビデンス、SDGs、・・・・ の言葉が飛び交う。やっと覚えたと思ったら”お蔵入り”、ホンネとタテマエ、社会環境が激変する中で身の置き場所に困っている人は益々増え続けるだろう。それを、人の手を借りずAIは自ら進化する能力を備えるという、こうなると木を見て森を見ずなんてもんじゃない。光が射さぬ荒れ山に一本の杉の苗を植え再生させようとするかの如し。
 陰暦と陽暦の違いも定かでないのに、”水無月”(みなづき)を水が無い月と思ってしまう人は多いはず。コンプライアンスは法令順守、エビデンスは証拠、意味を解らず使っていることもあるが、法令順守そのものが実態と合わなければ、順守の意味に異名”違反”が加わるのも有りかもしれぬ。(二項対立)
 今回の大雨で土手の一部が崩れた。市道に面しているが敷地内ということで自前で改修工事を行うことに。道路は通行止め、あまり利用されていない幅狭い道路だが早急に対応を考えます。

3852:間伐か全伐か

 日本の山林をどうすれば再生できるか!長年、林業を生業として東北一帯の山を歩いてきた方が今のままでは日本の山林は守れないと嘆く。木を育てるには間伐は欠かせない、それが全伐か放置となった。今の状況はもう長い間変わっていない。それも作業できる場所でなければやられていない。倒木と地すべりで林道が使えないからだという。だが、それは一因に過ぎない。国の事業として植林と伐採、国産材の利用促進などの補助制度がある。それが山林の再生にどう繋がっているのか教えて欲しい。
 自然との共生は法制度を作ればそれで済む話ではない。おそらく日本は法制度の数は世界でもトップレベル?それが現実を見据え将来に繋げる施策に果たしてなっているか訝しい。山林対策も急増する空き家対策と同じ、出来ない理由をあげるばかりで先送りされてきた。縦割り行政の弊害、省庁間でお互いを縛るようなことが現に起こっている。それを改正するのが立法府、出来ないのは本気度の問題です。やる前から上げても通らぬ不信任、そういうことを何度みてきたことか!今やらねば成らぬ事をやって下さい!透明性、実効性・・ある議論、其れ無くして真の改革は有り得ない。審議が点で線にならない。
 大雨の翌日、天気は快晴。綺麗に刈られた草地で雉一家(親鳥と子3羽)が一緒に遊ぶ姿を観た。鳥たちは良く知っている~。
 
 エスカレートする誹謗中傷、暴露、SNSを使った犯罪が跡を絶たない。便利さを売りにしたはずのものが還って流転三途の業を作る。人間自らがつくった悪果の対応に苦慮している。これも未だ入口のレベルで今後、益々迷路に嵌まることだろう。”見えないものが見える力”は善果の一つかもしれない。否 だったということが正しい。(例) メール機能は最初は良かった。いつの間にかspam→junk mail・・・の氾濫・・・・それを防ぐ方法はと尋ねたら”無視して決して開かないこと” あああああ!
 七転八!七転八? 緩和より規制の方が遥かに難しい。これも間伐か全伐かと実は通底する。(入不二法門品)

3853:三密→三無

 コロナ対策が変更になって一か月が過ぎた。三密の象徴となったマスク着用義務、まだ半数以上の人々は付けているように思います。3年間の自粛生活は、無常・無我の真を嫌という程知らされる経験になった、それは世の中は自分の思い通りにはならないということを学んだ。このように考えるべきなんでしょうね。 この間に関心が高まったことがある。それは”免疫力”、生体が自己にとって健全かそうでないかを識別し、有害なものを排除するという防衛メカニズム。コロナ対応は その考えの違いによって別れた。でも、地球上からウイルスが無くなった訳ではない、再び感染の波がやってくることは有り得る。人間の免疫力に意志が働くかどうか、未だ解明されず。
 【問】善と不善の根本とはなんなのですか?・・・・・・・(中略)
 【答】「マンジュシュリーよ、根拠のないものにどうして根本がありうるでしょう。実に、一切諸法は根拠のないことという根本を根拠としているのです」 (「維摩経」マンジュシュリーと維摩のやり取り:不可思議という解脱) 『維摩経の世界』白石凌海著:p195
 うううう~ム!
 ・・・焦らず 驕らず あきらめず・・・三無  今日の処は 須らく 一無べし。悪しからず・・・
 
 現代人の病理のトップは”過剰さ”と言われます。その座は揺るがず。便利さ!度を越せば迷惑行為。迷惑メールはその一例、事もあろうに自動配信機能、送る側は便利(?)だが受ける側は大いに迷惑、100年前に今の姿を予言し警鐘を鳴らした先人の声に耳を傾けなかった。今ごろ後悔しても 既に遅くないのだろうか。水は低い処に流れる。この自然の摂理を自分は変えられると考えた者がいたかもしれません。・・・・!
 便利さは迷惑を越え、恐れとなるでしょう。
 三密加持は仏の大悲の力と衆生の信心が相応することだと学ぶ。(密教)大悲は衆生の苦しみを救おうとする仏・菩薩の広大な慈悲。慈悲は私達をあわれむ心、楽を与える慈と苦を除く悲(抜苦与楽)の説示 
 勝利者を自認する人達へ、貴方たちは100年先の姿を予言し今 何ができるかを謂えるだろうか?

3854:スマホ断食

 今風の断食? スマホ依存症が急増、若者への調査で一日に8~10時間利用している人の割合には驚く。(内閣府有識者会議) そしてドンドン低年齢化しているという、その対策に頭を痛めているらしい。そりゃ~ そうだわな。大人達だって同じなんだからな~!方やスマホ一台でなんでも出来るようにと各メーカーは凌ぎを削る。
 この有り様は当にスマホ禍パンデミックです。ただ違うことは、コロナ自体には意志が働かないこと(天為)。スマホは全てが人間の意志(人為)だった。違います!AIの進化は、加速し、ルールなど無視、我が物顔で爆走する。
 スマホ依存症の厄介さは、便利・スピード・経済という現代社会の目的プログラムに上手く(?)連結していることですかね。さすがにここまで病状が悪化すれば黙視はできず、スマホ断食ということが謂われ始めているとか。遅きに失する感は否めない。
 現代人は白黒ハッキリさせないと気が済まない傾向が強まっている、断食も使い方を誤れば、過食症✖拒食症の両極のリスクがあるから、素人判断は禁物。それじゃ~専門医がいたとして未知の病に処方箋が出せるでしょうか?
 始める前から改悪か改善かじゃ~なく、互いに相反する二つのものが、実は別々に存在するものではないという考え方(不二法門)を参考にしてみては如何でしょうか。
 
 新聞に教育者が自らの職を守るために立ち上がった?という記事があった。その相手は”生成AI”、何のことか判らなかった。昨日当法人の役員会の席で現役の大学教員の役員さんから話を聴いて納得。これからは受験の中味が大きく変わるだろうという話だった。主要5科目が無くなる時代がやってくるかもしれない。それは 生成AIのチャットGPTというものの出現(世界で一億人以上が利用)、質問すれば会話をするように答えが返ってきて、指示すればリアルタイムで翻訳もしてくれる。そうなると苦労して英語を学ぶ必要がなくなるのではないか。必須科目から選択科目になり、それが英語だけではなく数学・国語・理科・社会にまで伝搬することになるだろう・・・教育再編のパンデミック。
 頭デッカチ知識偏重が問題にされたのは過去の話、それが知識そのものが不用な時代となるかもしれない。此れはネアンデルタール人から人間への進化、教科書に載った印象的な歩く姿は、頭が異常に小さくなった未来の人間に取って代るのか!
 その変化が凄い速さで進むだろうと予測されているのです。テロや自然災害への対応も思うようにならないのに、人間の欲望には際限がない。困ったものであります。

3855:お役御免

 他人事ではない。明日は我が身、その覚悟はあるのか!と鏡を見た。
 お役御免、お疲れ様でした。持って生まれた性分、往生際の大噴火、見苦しい~ぞ。自戒陀羅尼・・・懺悔懺悔 無量 所犯罪(しょぼんざい)。 な~おまえ、幾つになっても~ずっと 同じじゃ~ないのかよ。誰かの声がした。 変ることと変ってならぬこと・・・ごちゃ混ぜ・・・勝徳のものを見ては 嫉妬 ・・・口四意三互いに相続・・・経を読誦する時 文句をあやまる・・・ 図星だろう ≪ハイ≫ 全てお見通しってことだよ!  
 ☆ 口四意三・・・口四→妄語・悪口・綺語・両舌。 意三→貪欲・瞋恚・愚痴(仏)
 
 
 見栄を張れば、いつかは剥がれ、 それに上塗りをして、汚れ破れを隠す・・・・・外見ばかり飾っておれば、内側が腐り始めたことが自分自身で見えなくなります。
 人為と天為、朽ち落ちた葉が後々土となり、芽を育てる栄養となって森を再生(天為)。方や人為のSDGsは似て非なり。その証を挙げるに事欠かず。戦争で破壊された瓦礫は、後々風化し土とこころを汚す。歴然としています。再生⇔更生。
 上掲した口四意三に身三を加えて十悪(人間の基本的な10の罪悪)、身の三つは殺生・偸盗(ちゅうとう)・邪婬(じゃいん)。悪に対し善。十善とは10の悪を犯さないこと、それを保つために十善戒を説く。これを難しいと思うでしょう。思いますよね!皆 同じですよ。判ったようで判らない。焦らず 驕らず 諦めず。いつまで???? そりゃ~お役御免となるまでだって。 

3856:報恩×忘恩=

 恩にもいろいろ有りますよ、もしよかったら”恩”を辞書で調べては。自分にかえってくることが沢山あることに気づきます。普段は考えませんけどね。例をあげ、その大事を相手に分かるように説示する。多くの仏教の経典がそうなっているんですよね。おそらく他の宗教も同じだと思います。じゃ~哲学はどうかな?フィロソヒィー(ギリシャ語)とは智慧への愛・希求の意。知識へのではなく智慧とある。どちらも人間にとってということになりますが どう違うのでしょう。
 近年の特に生成AI注目の流れは変わらないかもしれません。でも、それに適応できない人も沢山いるはずです。絶対ということは有り得ないわけですから。予期しないことはいつの時代にも起こってきたこと、そこから私達は学んだ、良きにつけ悪しきにつけ。 相手の立場を考えす自分の立場だけしか考えない人、それも過剰に。そういう人が増えていると思います。史実は教えてくれる。過剰さ(欲望)が苦の根源だということを。 
 
 報恩を(m)とし忘恩を(n)として、m×n=n×m。算術の四則演算の一つ乗法。その結果を積と言いますよね。 世の中は計算づく、暴利は法外の利息、実態を「過剰さ」と考えて見ればどうでしょう。算術そのもののルールは変わらない。法外の行為は罰(×)の対象となりますが それが増殖続けている。
 数字悪戯と思うかもしれません。じゃ~コンピュータ―言語はどうですか?AIに使われる言語を貴方は読めますかね。音を言語化することは難しい、その逆もです。それは結果ではなく経過が大事だから。キイを押すから話せば答えが出るらしい。その間に何があるかは無関心。
道理を逸した人工物を進化と考えることは現実→仮想、四則演算の乗法の積が過剰に評価され、現実と仮想を見極める力は衰える。    マイナス×マイナス=プラス(−3×−5=15)

3857:復元力

 偏見と過信、人間だけが持っている感情。偏見は歪められた考えや知識によって相手を非好意的に思ってしまうこと。過信は自分の力を実力以上に高く考えてしまうこと。どちらも自身の問題です・・・・
 自ら気付いて、悔い改めようとする人はまだ救われます。そうでない人は厄介です。”障害”か”障碍”の議論があった時、障害という字には相手を尊ぶ思いが無いということだった。”碍”という字は常用外と辞書にありました。1923年「常用漢字表」1962字、何度か変更され1981年1945字になり今に至った。単なる技術的なもの?
 戦後最悪のやまゆり園事件(2016年)が風化していくなかで差別や虐待事件は決して減ってはいません。関係者の間で問題にされるだけで一般の人々まで拡がってはいない。
 マスコミは事が起こった時挙って取り上げたが その後の動向は殆ど報道しない。検証されない、次に繋がらない。ナイナイナイ!? 。
 
 あの事件後、私達施設現場は大きく変わりました。記録時間や会議の数が増え、気が付けば利用者の人達と接する時間が減り、支援者が気持ちの余裕を失い、”雁字搦め”の状況になっています。その間、全国で同業種の数は増え続けています、競争が激化、実態の把握ができない状況となってしまいました。制度の変更も頻回に行われ、行政がそれに追い付いていけず混乱しています。今、建築費の急激な高騰によって、老朽改築も出来ず、建て替え順番が来ても辞退する法人が増えているようです。
 『共生』の意味も「共に生きる」から「共に生き残る」に変ったように思ってしまいます。
 対面での会議が行われる様になり出たホンネの話。根性とか頑張れ!という言葉は禁句だという話を聴いた。パワハラになると言うのです。世の中が過剰さに独り歩き始めたように思う。「不可思議解脱?」の策に AIに「禁句言葉」をデーター化したものを持ち歩く支援者の姿が不図浮かんだ。☆『不可思議解脱経』・・維摩経別名。

3858:実現力

 壁を破り続ける実現力・・・共生社会を理想とするには、今の世の中が”一歩進んで二歩下がる”という流れになっているような気がしてなりません。 「共に生きる」が「共に生き残る」というのでは決して喜べない状況でしょう。「共生」の対義語を「分断」として考えるとよりハッキリするかもしれません。じゃ~「寄生」では?一方は利益を受けるが他方は害を受けている、これでは感心できません。
 思い通りにならないこと(求不得苦)が現世だと解かっていても 無理やり自分の思いを果たそうとする人がいます、そんなやり方では周りから嫌われるでしょう。幼児ならば許されることであっても大人になっても変わらなければ どうでしょう?呆(あき)られます。
 最近あまり謂われなくなりましたが≪忖度(そんたく)≫はどうでしょう。こんなことを考えると切なくなります。
 こうすれば こうなる。これを教えるのが本来の教育の使命だったと思いますよ。復元させる力、それはやり続ける中でしか生れない。
 
 教育は家庭・学校・社会に大別されます。生まれ育った環境は勿論大事です。人間形成に大きく影響するからです。時代と共に変ることも有ると思いますが変ってならないことも有ります。この境目が曖昧になっている現代社会。そうなった原因がどこにあるか?
 最近、電車を利用することが減りましたが偶に乗った時に車内の異常さを感じます。大半の方がスマホを使っています。道路をスマホを見ながら歩く人も増えました。病院の診察は患者ではなくパソコンの画面を看て?・・・変りました。過剰さに慣れてしまうとそれに疑問を持たなくなり、嫌だったら止めれば良いでしょう・・と。最初の頃は先進国(?)といわれる一部の国でした。此のまま進めば行き着く先はどんな姿になっているのでしょうか。
 こうすれば こうなる を説示することを誰かできますか。世の中から愚問愚答と相手にされないのが落ちです。
 私達の行く手にはだかる”壁”、その壁の先には いったいどんな景色があると想いますか! 実現力は空想、幻想ではなくて現実化することですから。

3859:恙なし

 「恙(つつが)なし」という言葉の意味は、病気や災難にあうことなく平穏無事ということですね。日本の唱歌『故郷』の歌詞にあります。癒されますね。それは自分の故郷や友だちの顔が浮かんでくるからかもしれない。昨日は、浜松町駅近くの会場で全国代表者の会議があり参加しました。執行部からの説明だけで約2時間、休憩をはさみ、再開した。いよいよ終わりに近づき、参加者に何かご意見があればと意見を求めた。暫く間をおいてから業界のイメージアップをはかるべき。旧態依然とした事業所が多く、もっと見た目を大事にしないと駄目だ。近代的な会議会場を例にあげ、我々は企業からもっと学ぶべき・・・などの意見が出た。そして 最後に最前列に座っていた方が・・・素朴な質問ですが・・・と前置きし話始めた。人材不足と謂われても、私達の県は若者がいなくて年寄りばかりなんです。・・中略・・
 国に対し、政策提言や予算要望は膨大な内容となっています。それに対し良い回答が得られるかどうか。そのホンネとタテマエの議論を素朴な質問という言葉を使ったと私はその時受け止めました。
  当日渡された会議資料の最後に、47の関連団体の名が記されていました。 
 
 現実を見たくない。見せたくない。正しい情報か偽りの情報か・・・・。遅れをとったか良く踏ん張ったのか。その評価は定まらず、彷徨い続けます。内憂外患に晒され、世の識者の憂患する所は様々、世界中に拡がった文明の利器(?)、私が受信するメールの9割以上が迷惑メール、この状況は益々酷くなっています。これを防ぐ方法は一つ、その利器を放棄すること、それ以外にはない。利便を得るために不便を増やす、まさに二律相反~不二法門~、この国に仏教を取り入れた聖徳太子が三経義疏に撰んだ一つ『維摩経』、この経の根本思想に思いを馳せる。
 「内憂外患」の対義語は「内平地成」、元号「平成」のよりどころ。・・・幻想から覚めて 素朴さ恙なし・・
 *≪いかにいます父母  恙なしや友がき 雨に風につけても思い出づる故郷≫ 小学唱歌『故郷』

3860:よりどころ

 体と心のよりどころ、午後に上野で大阪の友人と会った。土曜日ということもあって案の定、公園口は人でごった返し、お互いすれ違っても気付かない、あの規制はどこへ行ってしまったのか? 東京は一週間前と比べ、マスクを付けていない人が明らかに増えたように思えた。精養軒で遅昼食を食べ、ゆっくり話をすることができた。駅から歩いて7分足らずで木々に囲まれた静かな場所があるというのも上野だからかもしれない。彼は95才になる親戚の方に誘われバス旅行で伊豆に行った帰り、私を誘ってくれた。
 結局は自分のよりどころは、自分で探すしかない。それと 周りの人にあまり迷惑をかけないこと。それには 日頃から自分の健康に気を付け、やりたい事を持つこと。それと”感謝”
 判っていながら できない。有り難い。そこに 欲が加われば?  
 
 キャッシュレス化が進む今、私には無理だと決めている。自分のスマホを他の電話から呼び出し、その音を頼りにさがしている。これもマナーモードだったら効果なし、いくら便利で費用軽減になるからと言われても、ハイそうですかとは参りません。現実に起こったでしょう。モバイル○○のチャージが出来なくなった。その時どうしました? それより電池切れになったら? その日、私は東京に行っていた。いちいち約款など読んでいませんよ。これだって 簡単にニセ約款を作られてしまう世の中です。 結局、心配事が余計増えるだけ。紛失、騙されるは自己責任、嫌なら 保険に入る。考えてよ!また支出が増える。結局、行き着く先?判りますよね。
 感謝の対義語は? (答)あたりまえ。

3861;黄昏(たそがれ)

 平家物語・・・「驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし」・・・権勢を振るった者の退路は黄昏がよく似合う。
 感謝と驕慢は、その人自身の胸中に在り。感謝を伝えるコトバは”ありがとう”(有り難し)、その対義は”あたりまえ”(有り難くなし)。驕慢(きょうまん)は、おごりたかぶって相手をあなどり、勝手気儘なふるまいの意、対義は”謙譲”控え目で、他に譲ること。 コトバは違っていても、人間に与えられた五感。それをどう使うかはあなた次第。
 人生の黄昏時を迎えると往々に引き際を誤り、汚点を残す。そこで悔いても時既に遅い。「覆る」は自動詞、「覆す」は他動詞。  自分世の光 or 自分世の光  分岐点。 自分⇔貴方  三叉路分岐 。
  ☆ 道のべに阿波の遍路の墓あはれ・・・(虚子)が詠んだ。
 
 世の中は、知って困る時、知らないで良かった事などが混在する。でも私達が知っていることはホンの一部、大半は知らないことばかりですね。恒河沙とか那由多は巨大な数をあらわす。何せ恒河沙は、ガンジス川の砂の数ですね。長さ2510キロですから東京⇔北京が約2100キロより長い。その川の砂の数、????。 その数・量を考えただけで目が眩む。
 財を増やすといえど高が知れている。ってこと! それを何と幼子や年寄りを騙してまで・・・・等々。一説に、数の単位にその上があり「不可思議」は10の64乗、10の2乗が10×10=100ですから、ヒエー!此処なんですよね。肝心なのは・・・そう思いますよ。
 ★  何かの間違いじゃ~ない?常識は非常識っていうこと。※「空」のような観念的なものでなく現実的な人生の機微から入って道を窮めることを説く維摩経、大正大蔵経の第14巻549頁。

3862:年々歳々

 過去の栄光は、人生のつっかえ棒(支柱)に為り得るか?思ってもいないピンチに出逢って、はたと困った経験は誰しも持っている。生きるということは、生・老・病・死、四苦、それも自分自身の苦とどう向き合うか!⑤求めているものが得られない苦しみ。⑥うらみにくむ人に会う苦しみ。⑦愛する者と別れる苦しみ。そして⑧五蘊(陰)盛苦の四つの苦を合わせ、四苦八苦。 判り難いのは、8番目の苦です。色・受・想・行・識へ偏った拘り(欲)によっての苦だという。
 悟りとは苦からの解脱、でも我欲が絡んでいるから他人事とは成りえない。小乗大乗に別れても、変らぬ仏教の支柱として説かれてきた。言葉に出せば何を判ったようなことを謂うか!と叱られぐうの音も出ず。栄光には影があって、より輝き、影は自ら光を発せず、故に影という。(不二)陰徳あれば陽報あり。これも先人達の教えです。
 一喜一憂する他にやること有るだろう・・・・・年々歳々激が飛ぶ。uuuuuu・・gugugugu・・・退屈無縁。
 
 児童養護施設は、児童福祉法41条に定められ全国で現在600施設程あります。利用者の平均年齢は11.2才で平均入所期間は4.9年。昔は種別の違いに関係なく一緒になって様々な活動を行った。児童養護と比べ障害関連の事業は、細分化が進み、厚労省の障害部会の団体は47団体になっているといいます。制度整備が進むに合わせ急増した事業所、実態把握が困難になり、新たな課題が出ています。
 土浦は”七夕まつり””花火”が有名で周りから沢山の人々が集まる県南の商業都市だった。其れはそれは賑やかだった。その面影をつたえる街並みは消えた。あの時こうだったら土浦はもっと近代的で活気に溢れた姿になっていただろう。愚痴話をいくら重ねても妙案には成れず。それより世代交代が徐々に進んでいる。今はそこに希望を託すことが唯一の選択肢。その道筋は一様ではありませんが大衆迎合紙一重の危うさ。権利と義務を勘違い、自らの責任を負わず、時流に阿る・・・・求められる資質を図れず、鬼火頼りの道案内。 年年歳歳 花相似たり  歳々年々 人同じからず! なにごとも程々がよい

3863:不可思議一考

 維摩経を読み返している。不可思議解脱の処で行ったり来たり、それと『正統とは何か』(チェスタトン)を併読。文明の危機と現代人の病理、それと近代思想の価値観をどう結び付けてよいものか? 難解な命題だと躊躇う一方で本人はいたって真剣なのですよ。ご承知の如く日本は過去に長い鎖国時代を経験した。その間が歴史の中で最も太平な世との評価もある。だが時代の変化に疎く、独自の路線を歩むというより、良いとこ取り上手という戯評もあるのは否めまい。やはり生成AIを義務教育現場で試行するというニュースがあった。家庭・学校・社会教育が教育の3本柱ではないのか、このバランスに問題が無いとはいえまい。焦ってAIを取り入れ、現場は混乱しないだろうか?マイナンバーカードの導入然り、成功している国から一体何を学んでいるのだろうか?。
 やりながら考えるという従来の手法は、余計な手間と経費の無駄に繋がる。経済発展を成し得た先人からの蓄えをドンドン減らし、断トツの国の借金をしているのが現実でしょう。不可思議からの解脱を図るには、あまりにも今の日本人が政治に対し関心が薄い。これも今更ということだろうが改善するどころか先送りされ続けている。掛け声だけで国是とは謂わんでしょうが。
 
 正統か異端か?動物と人間の種差を≪人間は理性的動物である≫と定義する、これを人工頭脳を使ってどう説示するのか? 理性的人間(?)が用意した膨大なモデルをかき集めたとして、その前提の怪しさは無くなるまい、それより理性的人間が果たして存在するのでしょうか?それと利用する側の理性・感性・悟性もだ。人知への慢心、誤謬、さらに偏り過ぎた未来志向が順逆の概念の息を吹き返す。
 『仏』・・順逆の二縁、いづれも済度利生の方便なれば・・済度は衆生を苦海(苦娑婆)から救い彼岸へ導くこと。
 要は、何を目的とするか! 私利私欲に対し自省自戒が働くか否か!、・・・ほんにほんに御方便な物でございます。
 あたかも頂上を極め、歓喜し さあ~下山と上を向いて下るのようだ。 これが正統と謂うのでしょうか・・・・・(ナマグサの”浮世風呂”前書き)

3864:理性と悟性

 理性と悟性の違い、それと感性の位置づけ、共通点は外からの刺激に対し、どう受け取るかという能力、これが人それぞれ決して一様では無い。厄介なのは、それなりの立場にある方で何処かしら糸の切れたタコ、昏迷無軌道の態には困ったものである。改革と言いながら汚れを上塗りし隠してしまうのでは、ほんに~御方便なことである
 生成AIが人間にどう参入してくるか? 永遠なるものを求め永遠に努力する人を”菩薩”と謂い、生きることは苦という仏教の考え、身口意三業のはたらきの道案内役をもAIに託すというつもりか? 万能AIならばそれだって可能になるというのかもしれない。AI偏重は大衆の迎合を招き最早後戻りなどできまい。それで詐欺、差別、暴力、不正・・・・が無くなりお望みの共生社会が実現ができるとでも?現実と理想の乖離を棚上げし、”パンドラの箱”を大量に作り安売りしているように私には思えて仕様がないのです。
 
 何かを統合しようとすれば、それには組みせずはみ出すものが出ます。 ここでその例証をあげることもないでしょう!四苦八苦は1人の人間の縦軸と横軸、生れてから死を迎えるまでの時間、大事なことは長さではなく、それとどう向き合って生きるかということ。立花隆が大江健三郎と対談した記録の中に・・・≪危機の認識がなければ、危機なんて止められません。≫・・核兵器から地球環境問題の話題になり立花が語った。二人は既に亡くなり、もう生の声を聴くことはできません。 ・・・貴方ならどうしますか?(『立花隆 最後に語り伝えたいこと』 中央公論新社)  最も心配なことは、人間が何に対しても無感覚になることだと。
 対談で二人に共通しているのは、自分が何を伝えたいかということより、 様々な問題に対し 我々が どのように向き合って生きていくのかという一人ひとりへの問いかけだったと思う。一昔前にはテレビの前で一家団欒の光景があった。それが今どうなっているでしょう。生活スタイルが変り、親子関係も変わった。・・・寄港地のない船旅、道標無き山登り・・。生活習慣病・環境病・・・。AI依存症・・・。自分では気付かないうちに感染している現代病。それもパンデミックに。
 ★サイキックナミング、心的感覚麻痺・・・心理的に精神全体が凍えてしまって、健全な人間の反応を示さなくなる。何物に対しても無感覚になってしまうこと。【上掲:p130~】
 ☆【考える葦】パスカル「パンセ」 ・・・自然において人間は脆弱だが思考する存在(人間の本質)・・・

3865:???

 朝早く、雨戸を開けていたら、老夫婦(?)が本堂の前で手を合わせていた。”おはようございます!”と声をかけたら、”ありがとうございます”とニッコリ頭を下げられた。
 最近は散歩する方が増えたように思う。ご夫婦やワンちゃんと一緒。さすが猫同伴はいない。今日は月曜日、週初め。何気ない人との触れ合いに癒される。九州~中国地方は大雨の被害で大変な状況、ウクライナでの戦況が連日報道される。不条理な出来事に皆が疲れている。人間の傲慢さや愚かさ、それに己の無力感。戦国時代にあった”下剋上”、それは下の者が上の者から権力を奪い取るものだった。今は違う。権力のあるものが弱者をとことんまで苦しめ搾取する。こういった事が増えている。
 時代に生き、万象の深部をみる・・・保阪正康が前出本を解説する。地球に上辺だけの情報が溢れ泡沫の態、何が真実か掴めず。気が付けば、”清々しさ””癒し”の感覚マヒが起こっている。
 
 仏教は、因縁によりあらゆるものが生ずると考えます。!因縁によって生じたものだから、我体。本体。実体というものは空なんしょ。だからよ~。やっていること(身)。言っていること(口)。思っていること(意)、がバラバラだったら駄目だっぺよ~。
熱くて寝苦しい夜の夢のアーカイブス。
  むかし むかし あるところに おじいさん と おばあさん ・・・・・・・・??? 自分が先に寝てしまいました。
 
 
 何事も使わずにいると衰える。人間の体がそうですね。入院したことが有れば判ります。元の様にするには何倍もの努力が必要だ。便利さに感け、使われなくなったものに辞書がある。手のひらサイズのものに話しかけると答えが即返ってくる。五感を使わずに済んでしまう。便利さは 努力しなくても自分の思いを果たすことと同義か。これが当たり前の世となれば無感動、無気力が共通感覚と化し、”考える”という人間の本性が失われ、個性無き生き物の大量生産×仮想現実!
 チェスタトン・・「正統は、いわば荒れ狂って疾走する馬を御す人の平衡感覚」・・個人の人生も社会の歴史も荒馬のごとく混乱に満ちている。そこには矛盾、葛藤、逆説、二律背反のすべてが含まれる。(平衡感覚を保持する条件)

3866:望むらくは

 Let`s everybody keep cool. Let`s solve the problem
 1970年のアポロ13号の大事故の時、絶対絶命の3名の乗組員を無事帰還させるため地球から指示し続けたジーン・クランツ(キャップコム;capsule communicator)のコトバだ、結果は奇跡的に帰還させることができた。(立花隆:最後に語り伝えたいこと)
 想定外の災難に出くわした時、私達ができることは、頭をクールにして、とにかく目の前にある問題解決をやり続けることしかできない・・・・と。狼狽え取り乱すだけで取り返しがつかない結果をうんだ例は数え切れません。順風満帆の時はどうしても己のガードが甘くなる。逆上し、我を忘れ判断ミス。そうならん為に どうしましょうか!自戒も自慢も”自らの胸のうち”、嫉妬、驕慢、気位、面皮・・・・無分別。(不二一元:インド哲学)
 
 色にはポシテイブとネガテブな意味があるという。(色感) 例えばイエローという言葉に天真爛漫、積極的、明るいという肯定的な意味と嫉妬深い、煽情的という否定的な意味があります。
 これも不二の立場に通じ、唯識経の世界?。
 今更となりますがマスコミの使命は真実をどう伝えるかです。真実と視聴者が何を望んでいるかとを混同し嘘も方便?  ”正義”を翳(かざ)しながら 実は煽情的な報道を繰り返していないか。報道の自由と謂うならば発信者側に当然責任が伴います。世の中には強みと思っていたことが逆に”仇(あだ)”となることもあります。これを不条理とは謂わんでしょう。元々筋が通らないことをやっていた当然の報い。
 言葉で上手く気持ちを伝えることが苦手な方達と一緒にいると、言葉のもつ怖さを痛感します。何をどうしたいの?何処が痛いの?なぜ?を知る手立てに言葉が使えない。ともすれば 此方の都合で考えてしまいます。
 人類の歴史で旧石器時代は200万年前に遡るといいます。じゃ~人生100年をどう解するか・・・望むらくは・・・
 ☆「・・・人類が大規模な戦争をひき起こすとか、世界経済を破綻させるとかの愚行をおかさぬかぎり・・・ 宇宙への本格的進出時代となり、人類の意識がこれまで知らなかった新たな精神的空間を手に入れるだろう・・」と若い人たちへ向け述べている。(立花隆。上掲『宇宙からの帰還』P388:)

3867:大局観

世界の動きを大局的に見通すのは・・・いつ、どこで、誰が???
 仮想現実やカムフラージュ・・相手を誤魔化し自分の利を獲ることは、人間以外の生き物(昆虫など)にも あります。だが、「にやにや」「うろうろ」「じわじわ」「そわそわ」・・・これは”擬態語”といいますが昔から人間にだけあったことでしょう。これにAI(人工頭脳)が加わる。どうです・・想像できますか?19c後半ダーウインらによって体系づけられた進化論、それが21cの今、”じわじわ”ではなく急速に変っています。後戻りも速度を遅くすることもできず、正義には自然的正義と人為的正義があるという。公平。公正。そして”社会的正義”はどうか?宇宙飛行士が宇宙から地球を眺めた時、一様に感じたこと、それは地球も一つの宇宙船(スペースシャトル)と同じということだという。空気や水は生物が生きる為に必要な絶対条件、それを・・・守るという意識が無いのは人間だけ、天井無き欲望を様々な理屈をつけ自分の正統性を主張する。そうです!「人間は自然のうちで最も弱い葦の一茎にすぎない、だがそれは考える葦である」と謂った。そのパスカル(1623~1662)は短命で39才で亡くなりました。
 
 【道徳】・・・ある社会で、人々が善悪・正邪を判断し、正しく行為するための規範の総体をいう。法律と違い外的強制力としてでなく、個々人の内面的原理として働くものをいい、また宗教と異なって超越者との関係ではなく人間相互の関係を規定するもの・・・(大辞林)。チェスタトンは100年前、自著『正統とはなにか』で100年後の世界を≪無道徳時代≫になると予告した。
 更に100年後はどうなるか? ”超越者でも人間でもなく、AIが規定する時代”となって、人間相互不信に覆われた三悪道の世界か!
 悪夢か正夢か・・・そう成らぬために私達はどうすれば良いのでしょう!・・ポスト・トラウマテイック・グロウス・・・
 ★考える葦、その葦(あし)で簾(すだれ)やよしずを作る。「あし」が「悪し」に通ずるのを忌んで、「よし」ともいう。ホント????・・愚問愚行正邪善悪(ぐもんぐこうせいじゃぜんあく)・・

3868:平衡感覚

 慣れ親しんだ環境から新たな地で生活を始めた時の感覚は人それぞれです。人間は変化に応じて順応する能力を持っているといいます。誰しも同じ刺激を連続して受けていると、それに対し感受性が低下するという。
臭覚や視覚がそうですよね。それが極端になると支障を来す。五感の働きはデリケートで順調な時はそれを感じない。当たり前と思ってしまうからです。だが平衡感覚を失うと立っていられなくなり倒れてしまいますから周りが放っておけない。”永遠なるものを求めて永遠に・・・”再三再四 復誦する。 
PTG(Posttraumatic Growth)心的外傷後成長と謂われるものが90年代頃より、心理学の分野で注目されてきました。解り易く謂うと逆境からの復活でしょうか。トラウマ、問題な点や足りないところという負の側面ばかりが注目されますが、その人にとってどれだけ大きな衝撃となっているかということが核、マイナス面を回復すべきものと見るのではなく、プラスもマイナスもひっくるめて、その人全体の成長・発展を理解しようとする姿勢です。これは維摩経でいう不二の法門に通じるものと思います。
 
 日本の三大随筆の一つ『方丈記』は、1212年 鴨長明によって著された。当時は世界でどんなことが起こっているかを知る術は言を俟たない。。鎌倉時代初期の日本で続けて起こった5つの大きな天災、華やかな京の都は火災、地震によって、一瞬の間に廃墟と化した。飢餓の中で人々は生きる為に何を考え実行したか! 流麗な和漢混交文によって綴られている『方丈記』、著者の長明は世俗を捨て閑居生活に楽しみを見い出す。 これは800年前の話である。 当時と何も変わっていないことだってあるはず。豊かさ、便利さ、早さ・・・・当時の人々にも同じような望みはあったでしょう。でも 鎌倉時代の人々にあって、現代人になくなったものを探したらどうでしょうか?。
 それは”平衡感覚”ではないだろうか?世の無常を儚む事があっても その中で楽しみを見い出す”素養”を持ち合わせていた古の人々。方や道理を無視してまで豊かさや近代化を求める現身の態はすでに狂信的と謂える。戦争の悲劇を語れる人が減って再び同じ過ちを犯してしまうという恐れ。 800年のタイムスリップで私達が学んだことは天災と人災の曖昧さ、それと平衡感覚を失った”偏り過ぎ”が社会不安を醸成したと云う事だけだったのだろうか。(小欲知足)

3869:根拠(エビデンス)

(その一)・・・・某県の知事選、投票率29.65%。 7割の県民が選挙権を行使しなかった。
一向に変わらない此の様を私達はどう受け止めれば良いのでしょうか??? 国が然りで地方も言無し。これは低投票率が衝撃と感じていない証。先ずはこの不信感を払拭するのが先なんだわ。有権者の実効投票数、全体の?%が無ければ無効の取り決めが無く長年続けてきた。罪か罰?義務か権利か? 関心事はそこには無い、そして10増10減、一体 どこの国の話なの?、これは明らかに慢性平衡感覚マヒの症状。 GDP世界第2位の過去の栄光はVR(仮想現実)となり、次は生成AI(人工頭脳)に活路を見い出す心算、どうしても病因をはぐらかす方便に想えて仕様がない・・・・・・・無・無・無。(ナマグサ『現代版:方丈記義疏』)
 
 (その二)・・・予報的中!猛暑、凄まじく連日、35℃越え、雨降らず。丹精込めやっと収穫という野菜の全てが腐ったと、いつになればこの猛暑がおさまり平年並みの夏になるのか?外出を控えるといった処で出来る人とそうでない人もいるだろう。洪水で被害にあった地域は、まだ復旧が進まず、この猛暑の中でどうされている?。明日は神宮寺の施餓鬼会、翌日は観音寺、もう何百年も続けてきた盆月恒例の寺行事、コロナ禍から4年目、今年も縮小した形で行うことになりました。法臈(ほうろう)は夏安吾の終わる7月15日に一歳を加える。今年は丁度50年、記憶は中抜きでハッキリ覚えているのは本山長谷寺での初参籠(一歳)、遅かったのか早かったのか・・・
 ☆安吾は梵語でヴァルシャ、雨期の意。僧がその間外出すると草木や虫などを踏み殺すおそれがあるとして寺に籠もって修行したことに始まる。
 
 (その三)・・近頃は季節の挨拶に代わり、前略ばかりが多くなる。なにごとも症状が出てからでは遅い。(煩悩即菩提、是、真如)
本日、今年最初の施餓鬼会、餓鬼の世界におち、飢餓に苦しむ亡者に食物を供え、弔う法会。故に”施餓鬼”。本来、時節に関係なく行わていたものが、盂蘭盆会とともに行われるようになり、両者が混同されるようになったと謂われています。
隅田川花火が開催されました(7月29日)。100万人の人々が集まったという。全国で行われる花火イベントのハシリ、そのシンガリをつとめるのが土浦の花火(11月4日)、これら季節ごとに行われる風物詩がこれから先どうなるのでしょうか???
 それはその時代を生きる人に託される。恵みも禍も開閉も明暗もそう・・・これが不二の入口。哲学だってカントさんは4つの問題(アンチノミー)をあげました。その中の一つ≪普遍的な因果性に関する自由の問題≫
 アレえ~ どこが入口で出口はどこか?? 平々凡々そこそこに・・・世の中どうして こう難しくなっちゃうのかな。

3870:平家物語

 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる人も久しからず。ただ春の夜の夢のごとし
      たけき者も遂にほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
 連日の猛暑、過去の記録を悉く塗り替え、警報アラームが鳴りやまぬ。日本だけではなく地球上で隈なく起こっている。 ”平家物語”は平家一門の興亡を通して、歴史の激動を著した軍記物。盛者・驕るもの・猛き者もいずれは滅びるという”無常観”。それが今日どうなっているでしょう。これだけ情報が氾濫してしまうと確報を得ることが出来ず、何を信じて良いのか判らない、何とも複雑怪奇でございます。ツイター、インスタグラム、チャット、ライン、他に何だっけ?・・・・・源平合戦の時代には確かに斯様な手段は無かった、それが今は他より優れたものをと競いあう。これだって、△〇× いずれは姿を消す運命。困ったことにそれで治まらないのは利器か武器かを人知では判断できないということ、それで人口頭脳に判断をまかせよう??って魂胆ですか?社会進化論は、時代遅れ、停滞を好まない。それは、優勝劣敗に繋がり、人為淘汰や障害者差別に陥りやすい。人間が人間を奴隷化し、それでも満足できない人を生む生き物は人間だけです。自分たちだってその犠牲になることを認めたく無い。籠の鳥になるかそれとも自然の中で生きるかの選択、故意か過失か、そりゃ~AIが決めることじゃ~ないよね。私は そうおもう。
 
 立花隆は宇宙から地球をみるという極めて特異な体験をした宇宙飛行士の中で12名の人達とのインタビューを『宇宙からの帰還』に遺してくれた。私は、いま貸出延長をしながら、何度も読み返している、特にアポロ14号(1971.1月)のエド・ミッチェルへのインタビュー(p337~第3章:宇宙からの超能力実験)から(第4章:宇宙人への進化)の箇所です。
 ・・・人間のみならず、世界のすべてが精神的には一体であることがわかる・・・古代インドのウパニシャドに”神は鉱物の中では眠り、植物の中では目ざめ、動物の中では歩き、人間の中では思惟する”・・・人間は宇宙に進出することによって地球生物から宇宙生物に進化。・・宇宙生物となり、コスミック・センスを獲得するように・・・・
 私達は相も変わらず、人間的エゴに振り回され、殺し合い、略奪などの愚行を繰り返しています。特異の存在である地球(大地)の環境を守るどころか一向に悪怯れることも無く汚し後始末をしない。これをどう考えるか!地球上の全ての人間が問われているのです。