源究218 t218

  

NO  テーマ  月日  NO  テーマ  月日  NO  テーマ  月日  NO  テーマ  月日 
 3871  気紛れ  8/4   3876  より所   8/19 3881  下劣さ  9/1  3886  謙譲の美徳   9/17
 3872  オアシス  8/7   3877  森林環境税   8/25 3882  迷走台風  9/4  3887  まぼろし   9/20
 3873  Mの独り言  8/10   3878  AI過多依存症   8/27 3883  名言か迷言   9/7  3888  生態系   9/24
 3874  秩序  8/12  3879  持続可能とは?   8/28 3884  胸算用  9/11  3889  彼岸を偲ぶ   9/27
 3875  迎え盆  8/15  3880  小欲知足   8/29 3885  堂々めぐり  9/14  3890  正統とは何か?   10/1

3871:気紛れ

大型の台風6号の動きが予測できない。天気予報では、沖縄周辺で進路をくの字に変え、西から東へ向きを変えるという。今は24時間休みなく飛行機が飛び交い、気象観測は安全運航の絶対条件。衛星を駆使した観測は、正確性を増した。だからといって、台風の進路を人の力で変えることはできません。衛星をどう活用するかは、人間次第、悪用・善用、こればかりは誰も掴み切れない。暴走を防ぐ策は不十分、常に後付けとなっている。
 ・・・「人間という種とこの地球との関係をもっと深く考えなければいけないと思った。私の目の下では、ちょうど、第三次中東戦争(1967)がおこなわれていた。人間同士が殺し合うよりもっとしなければならないことがある。人間と人間の関係も大切だが、人間という種と他の種との関係、人間という種と地球との関係をもっと考えろということだ。」・・・・・・(前掲『宇宙からの帰還』:第4章 積極的無宗教者シュワイカート。p379) 
 進化は自然から人間が学ぶこと、それを人間が思うように利用し変えてしまうのだから・・・宇宙人への進化には、まだ遠い。
 
 『ガイアの復習』ラブロック著・・・日本語訳初版2006年。地球温暖化が今世紀最大のリスクと謂われ始めた頃、まだ先のことだろうと思っていた人が多かった。16才になったグレタ・トウーンベリさんが国連に招かれ≪人類は分かれ道にたっている・・・≫と地球環境の保護を訴えた(2019)。彼女の勇気ある行動と訴えに共感し、多くの人達が環境保護活動に立ち上がった。しかし、具体的な対策が思うように進まない状況に≪私達を裏切った・・≫、彼女の怒りのコトバです。
 その3週間後、ウクライナ侵攻が起こった。戦争は世界中に食料・エネルギー危機を引き起こし、その影響は瞬く間に拡がった。明らかに人災である。そして、猛暑、洪水、竜巻、火災、飢え、伝染病・・・・天災が地球上で猛威をふるっている。もう他人事として片づけられないことを誰もが感じているはずです。
 ・・・「人間の存在を地球はどう受け止めているのか。わかっているだけでも、その状況はすこぶる不穏だ。食糧や燃料生産のためにガイアから土地や水を収奪することを即刻中止し、大気汚染をストップさせたとしても、すでに受けてしまったダメージから地球を回復するには千年以上かかる。・・・」「持続可能な開発などしていられる場合ではない。必要なのは持続可能な撤退なのだ」・・・(上掲本。P43)
 ☆グレタさんが訴えた『温暖化対策サミット・ニューヨーク』2022.3.28。ウクライナ軍事侵攻は2022.4.21に起こる。人間の存在を地球はどう受け止めているのか? シュワイカート氏とトウーンベリさんとの間には半世紀。その間に環境改善がどれ程進んだでしょう。

3872:オアシス

 

 砂漠のオアシス、都会のオアシス・・・・オアシスは人々の気持ちを和らげ癒してくれる場所。人類初の宇宙飛行士ガガーリンは宇宙から見た地球を≪地球は青かった≫と語った、当時(1960年代)の世界人口30億人の中から選ばれた人間である。現在70億人
 偏った人間中心主義が犯した様々な負の遺産を回復するには1000年以上かかる。これを伝えていく義務が自分達にはあると多くの宇宙飛行士が語った。SDGsの最大の壁は人間だ、優勝劣敗は世の常と己の優位性&正統性を主張し続ける。オアシスは手の届かないどこか遠くにあるのだろうか!いくら堅固な館を造っても安心は得られまい。妄執・強欲は”偏より過ぎたとらわれ”の意、終いには拘束され自由を失う。(仏)
 その縛りから解放されるためにはどうすれば良いか! 宗教・哲学・倫理・・・の通用点、それを人間同士で争う理由に変えてしまう。三毒は貪瞋痴、むさぼり・いかり・おろかさ。
 2500年前、それに気付いた方がいたのです。その教えを記した膨大な経典が遺された。その病を治す処方は示されているが、守れるか否かは汝の胸中に在るとする。
 人間と人間の関係も大切だが、人間という種と他の種との関係、人間という種と地球との関係をもっと考えろということだ。(オアシス論)
 天上天下唯我独尊は自画自賛?
 
 コトバを誤った意味に解してしまうことは良くあります。上の写真は寺に昔から伝わる誕生仏(身丈27センチ・鋳像)で花まつり(灌仏会:4月8日)で使われた、甘茶を上からかける。右手で天を指し、左手で地を指す(天上天下)。真意は、自分だけが尊いというのではなく、生を受けた生き物の全てが尊いという意ですよね。
 7月~8月、お寺は一年で最も忙しい時期、墓参りに訪れる人や昔から続いてきた行事が集中して行われます。それがです≪住職はいつ行ってもいない。≫と謂われてまいりました。問答無益、只管、申し訳ない! 先代住職は「住職はな~ お寺に住むことが仕事だから・・」とよく謂っていました。言い訳を繰り返す自分が情けない、盆が終わるとグッタリ。
お蔭さまです! 体重 20代と同じをキープ。愚痴に勝る 感謝の念。  

3873:Mの独り言

 ≪母ちゃん 死んじゃったの!≫Mさんの今朝の第一声だった。≪昨日 なんで来なかった?ズル休み!≫≪オレ頑張っているもん≫〈母ちゃん喜んでいるよ〉 ちぐはぐな会話が今のMの心境をあらわしている。 
MとYは兄弟。兄ちゃんは途中から違う園に移った。両親は自宅でお店をやっていたが父親が早く亡くなり、まもなく店を閉めた。その後はお母さんがいつも会いに来てくれ帰省期間には必ず実家に帰っていたが段々それも出来なくなり心配していた。亡くなったという知らせを受け、Mはスタッフと一緒に母の葬儀に行ってきた。≪父ちゃんと母ちゃん 一緒のお墓に入ったよ・・・・あんちゃん来なかった・・≫小さな声で良く聞き取れない。その翌日からまた Mはいつもの庭掃除を始めている。
  共生!意思決定支援。包括支援。児童発達支援。放課後デイ。・・・・・・看取り。 人の一生を一緒くたにはできない。やたらと増えた支援という言葉が何故かむなしく響く。制度が細切れで複雑になってしまい一対一の”寄り添う””温もり”が薄れている。
 ・・・・【地球と一対一で対峙しながら考えたことは、見渡す限りの星空の中で生命の輝きと実感に満ちたこの星は地球しかないということでした。・・・・】(『宇宙からの帰還』巻末対談。野口聡一×立花隆)
 
 なぜ 人間はここまで自然との関係で傲慢な態度をとるようになってしまったのか?産業革命を境にしているという考えに説得力を感じる。 国家間で条約を次から次に結び、いつの間に破談になっても構わない。自然はそうはいかぬでしょうが。一度壊れてしまったものは元に戻すことは至難、再生するためには千年という年月がかかるからで、自分達には関係ないとでも???
 県北に寺が保有する山林、その維持に頭を痛めています。保安林として前の山主が県と契約、30年~40年を経た木を伐採し、そこに植林をして山を継続し守っていくという内容になっている。今それが難しくなってしまった。間伐ではなく皆伐。20年前はトロッコを使って木材をおろしていた。それは手間暇かかり、いつの間に無くなった。県産材の利用推進で補助金を出すといってもほんの一部、木を売った代金を維持経費に充てるということができない、木材の値が下がり落札に至らないのである。この先 この国はどうすれば山林維持ができるのだろうか。今の日本の一次産業は農業も林業も漁業も、悉く同様の問題を抱えている。自然は費用対効果だけでは図れない。対応策を根本的に変えねばなるまい。それが遅々として進まず先送りされてきた結果です。費用対効果?そのものの見極めなのかもしれない。(ナマグサ独り言:流汗同労あっての共生

3874:秩序

 木を見て森を見ず・・・・・現代人は自然のメカニズムがどう変わるかに無関心に成り過ぎている。…自分だけ良ければ・・・そればかりを考えているとどうなるか?薄々感じているはずでしょうが・・・・それには木を人類、森を地球へ視座を変えねば・・・
 憂いてばかりでは 何も変わらない。それで済むなら 皆が揃って憂いなさいよ。無秩序、無道徳、・・・無関心。人間はガイアの一部であると思うか否か 。五千五百万年間 地球は経験したことがないほどの深刻な嵐が身近に迫っても。。。都市では浮かれた騒ぎが続いている。現実がしっかり認識されるまで・・・いったいどれほどの時間がかかるのだろうか!
 ☆台風の動きは 複雑で予測するのが難しい、それは我々人間と同じだということを教えてくれる。自然への感謝の気持ちを持たず、自然から学ぼうとする謙虚さが足りない。そうなった分れ目は 産業革命だとする考えは、経済や政治から疎まれ封印されてきた。(20c)
 
 ”地球生命圏”・・・宇宙からこの地球をみた宇宙飛行士たちの証言から、新たな時代の地球像と名付けた。それが”ガイア”(ギリシャ神話の大地の女神)。人間もガイアのパートナーの一員という視点、健康は人間だけではない、実はガイアの健康の在り方が問われて久しい。だが行きつ戻りつ、何処に向かうのかさえ分からず。現実に環境問題が深刻になり、やっと何が今までの盲点なのかということを考え始めた。直近の台風6号の動きは実にゆっくりとして気紛れ、その動きに翻弄されるだけでどうすれば良いか判らず大変な被害を齎した。台風・ハリケーンには名が付けられる。猛暑・酷暑にだって命名してはどうか?との意見もある。
 名が付けば、勢いが収まる訳じゃ~無いだろう。秩序・・・万象は因果関係により起こって、それが上手く調和が保たれれば満足なのでしょうか? それで満足しない輩が増え過ぎた。だから始末が悪いのでしょう。違いますか!
☆ ガイアとはカオス(混沌)から生れ、ウラノス(天空)を生んだ。巨大な生態系としての地球をいう。(大辞林)秩序の反異語が混沌。

3875:迎え盆

 ”偏西風”・・・地球の南北両半球の中緯度対流圏上層を西から東に帯状になって吹く風。太陽は東から昇り西に沈む。生れてから45億年以上も自転を続ける惑星の一つが我々が住む地球。宇宙の謎は判っていることはほんの一部・・・・中学生の頃、私は小さな望遠鏡を作って、夜、星を観ることが好きだった。
 人生100年! 浮かれ騒いでいる場合じゃ~ないだろうが。科学の進歩だって どうなのよ。使用法次第で悪業と。蛮行、愚行も同根。それに気付いているかどうか、おそらく、当人は善行だと思っているに違いない。これら全て地球人間の視座の域、地球から観た景色を人間がそれぞれ色付けした仮想の現実。地球の寿命を100億年としても残り半分未だあるじゃない。そう想える人が本当にいるだろうか?西暦2000年の中での人生100年、どう描くかは自己責任? ・・・・。
 今年の夏、日本は嘗てない猛暑に襲われています。連日35℃を超え警戒アラームが鳴り続けている。これはVRではない現実です。このカオス(混沌)から次に何が生れてくるのでしょうか?
バクテリアから人間まで、地上の生きとし生けるものはもとより覚悟しなければならない。・・・・・「ガイアの仮説」⇔「まだんら思想」 (迎え盆
 
 ≪落穂ひろい 日当る方へ歩み行く≫(蕪村)
 『昔を今』は蕪村編著の一つ。 [放浪、郷愁の文人]蕪村(1716-1783)の真髄は 上辺はつくろうことはできても誠意(独創性)がない諸相を憂い詠み説くものと。大成した人物が、あることが切っ掛けで凋落淘汰される例は枚挙に遑ない。
 因果応報・・・原因と結果、良い結果か悪い結果か、そのどちらになるか? ガイアの仮説、人間はガイアの中のパートナー、地球生命圏も宇宙全体から観ればその一員。昏迷か調和か そのどちらに向かうのか?
・・・・人間の諸活動がわが惑星にもたらすおもな危険は、都市化工業化という≪悪≫だけに起因するものではないようだ。都市工業がなにか生態学的まちがいをおかせば、それは認識され、正される。・・・監視の目がいきとどいていないこれらの地域こそ、無謀にあつかえば、危険に気付くまでに とりかえしがつかなくなる可能性がある。(ラブロック:『ガイアの科学 地球生命圏』第7章 ガイアと人間 汚染問題)
 つらつらと思ひ見るに コンプライアンス・・・あやまち・・・憂き目にあって 尚も覚らず (送り盆 愚僧独言不二ノ抄)

3876:より所

 無常、無我・・・この言葉だけが独り遺されている様に思う。三法印の三つ目は涅槃寂静、寂静が前の二つの言葉とどう繋がるか 2000年以上の時を隔て、否、隔てた為にか? 僧籍をえてから仏教の教えを自分なりに探し求め歩んできました、正直、未だ拠り所が見つからない。涅槃はニルバーナ、意味は”究極の理想の境地”、原義は”吹き消すこと”、何をでしょう?。あらゆる煩悩を吹き消すことだと説く。
 煩悩即菩提! 二律背反するものが実は等しいとする合理的根拠は?次々に現われる”課題”に後ずさりする。
 昨日、Mさんの荼毘葬がありました。彼は独り子として66年の生涯を閉じた。ご両親は既に他界し、身内を探してもMさんしか残っていなかった。後見人が選定され、彼は介護付き住宅に尚恵から3年前に移った。ラインで荼毘の時間を知った30人近い人たち(スタッフ)が集まってくれた。
 Mさんの”「拠り所」”は両親の眠る処、そこに後日、埋葬されることとなります。参列した私達が見たMさんの寝顔が実に穏やかだった。それが彼からの伝言と受け止めだい。
 
 酷暑、猛暑、・・残暑。過去の記録を軒並み更新し、一体全体この状態がいつまで続くのか?
”無垢清浄光”(観音経偈文)は純真で汚れ無き光。宇宙開発は、宇宙空間を人間の活動範囲に役立てようとすること、謂って見れば”人間中心主義”の目玉の企画、大国は競い合ってその開発に凌ぎを削る。そこには表と裏があるとどうしても考えてしまう。SFの世界、宇宙戦争を模したゲームはどんどんエスカレート、無法化している。あれだけ規制×緩和をコロナ禍で経験したことが全く別次元。何が現実なのかどうかさえ見極めがつかない状況下でこの地球を覆っている暗雲は地球に責任はない。
 スマホ上での広告に異変?を感じた。世界中に瞬時に情報が伝わる。掌に載るサイズのスマホは進化(?)し続けている。バブルには最早国境はなく、いずれはじけて崩壊する、知ってか知らずか生き物の中で唯一懲りない人間(本性)の証明か。
 損得計算が得意な割に、マイナスへの異常な拒絶、それが人間不信の源。・・・人間(じんかん)到る処(ところ)青山(せいざん)あり。(月性の「清狂遺稿」)・・・ その真意は?

3877:森林環境税

 法律は何のために作られるのでしょう? 何で?そんなことを今更?森林環境税、国民にあまり知られていないかもしれない。マスコミも専門家もあまり騒がない。ハッキリ言えば関心なし。
 調べる気が有れば誰だって知ることができますよ。自分に関係ないと思えばそれまでのこと。この法は法律(平成31年3月29日(2019年)法律第3号)で国会審議され制定されたんです。森林環境税と森林環境譲与税の二法から成り、都道府県及び市町村が行う森林整備及びその促進の財源に充てる。個人住民税均等割に上乗せ課せられた税金(国民一人1年1000円)です。知っていましたか?その財源は国が直に使うのではなく都道府県及び市町村に譲与される。
 しかし、未だスタートされておらず令和6年(2024)から始まる。おそらく、実施までの準備(?)期間なのかもしれません。それも5年間もある。今日のスピード化の時代にあっていかがなものか?そのうち国民も忘れてしまうかもしれない。負担額は1人千円ですが・・・税額の多少ではなく 法制定までにどれだけの経費がかかっているか。その表と裏に関して日本人は疎い 此処が危い。
 どうしてもコロナ禍の対応と比べてしまいます、それにしたってあまりにも差が大きい・・・・。森林環境税の活用については、水源涵養や防災機能など本来の森林の役割を高めるメリットが期待されているのに、その認識が薄い。時間は止まってくれないのですよ。何だろうね!人間都合主義が此処にも見える。 いま日本の山林は明らかに弱っています。手が入らず荒れ放題の山山々、空から見れば一目瞭然、至る処に山崩れの跡がそのまま放置されている。☆「法の不遡及」原則。
 
 現代社会の病巣を取り除く外科手術は必至、抗生物質に頼り過ぎれば、耐性が強まり、いずれ効かなくなる。ガイアとは”ひとつの生命体としての地球”という診立て、そのガイアの健康状態が問われている。 パートナーである地球が異常事態となれば、一先に肥大化した人間が問われることになります。人間に完璧な治療法は在り得ない。あゝいえばこう言うと屁理屈をこねる。
 その地球上で今何が起こっているのか、それを知る手立ては沢山あるのに蛮行を止めようとしない。宇宙時間からみれば高が人生100年、一瞬の時間に己の欲望を満たそうと足掻く・・・・・。 それは地球生命圏で人間だけ。その判断をAI(人工知能)に託すとは・・・・・また新たな疾病が増えるのではないでしょうか!

3878:AI過多依存症

AI過多依存症に効く治療法が有るとすれば さて何があるでしょう!暫くは駄目ですね、何しろAI尽くめで熱中症を併発、痙攣・精神錯乱・昏睡状態です。時間が掛かりますがここは覚悟して転地療法、何もしないで自然の中でのんびりしませんと・・・・・。
 なるほど? AIの反対は”天然”。人の力が加えられず自然のまま、昔の人はこれを△〇療法と言いましたか? そうして本来の姿を取り戻したんですがね。 現代人はそれを”ヤブ医者”とさげすんだ。あゝいえばこういう、これが人間の本性ならば、病は繰り返し起こると診断。備考欄に対症療法に対し原因療法もありと併記。原因が判っているなら、それを取り除く、これしか無いと。違いますか?
 やおらナマグサ坊〇〇・・・・適正技術とは、Appropriate Technology、ひとことで謂うと、既存の科学やテクノロジーを、自然と人間が調和のうちに共存するような方向で用いてゆくための技術体系をさす。・・・、uuuu 3者挙って熱中症となりました。結論。完治にはまだ時間を要すると 連名で記された。
 
 自然と人間の共存、国連でのSDGsへの17目標、項目それぞれの目標の具体的な解説付き。これが いまどのようになっているかは不明、国連広報センターHPで初めて”17目標”を目にしたのが2016年の日本語訳で既に7年が経過した訳です。
 余談ですが井の中の蛙(かわず)大海を知らず。・・井蛙(セイア)とガイア、の一字違い、一瞬因縁不二を感じました。井(地球)の中の蛙(人間)大海(ガイア)を知らず。
 日本人で戦争の体験を語れる人が減り、何が起こっているか? 昭和20年生まれの人が78才です。その間、日本の義務教育でどんな平和教育を行ってきたのでしょうか? いつの間にか経済第一がトップに鎮座し、平和は後塵に・・・?。霞が関で議論されていることがどうなのか?決して風通し良いものとはなっていない。これで”一億総活躍”の旗印、いつの頃からか政治に対する人心の乖離が加速した。違いますか?
 民主主義の理想と現実、国全体に蔓延する選挙への関心の低さは改善の目途が全く立っていない、子供さえ知っているこの国の実態ですね。ひょっとして、”人工知能”が解決してくれるとでも、それはないでしょう。

3879:持続可能とは?

 ・・・≪経済学者や政治家は、化石燃料からの二酸化炭素排出を早急に管理し停止していくことの断固たる必要性と、人間にとっての文明の必要性との折り合いをつけなければならない。一部の人々がヘロイン中毒になるように、国家は経済成長中毒になる。≫・・ (『ガイアの復讐』第9章 限界を越えて)
人災、天災・・猛暑、森林火災、・・暴風雨、感染症・・・VRでなく現実になった。 なのに視聴者受け第一のマスコミ、本来の使命を忘れ喜怒哀楽一緒くた。これでテレビからスマホに変ったとして、いったい持続可能とは? ふと右をみるとMがいた。後ろを振り向くとNがいた.。彼らは不満を発せず 居場所を見つけ日を送る。何故、どうして そんな風にできるんですか? 私は井の中の蛙だった。それを気付かせてくれたのは、Mさん、N君、Oちゃん・・私が寄り添ったと思うのは誤り、私が寄り添ってもらっていた。
 持続可能とは? 折り合い・調和・・・中道・・・”今を道なかば”。ご託を並べるんじゃなく直感できること。
 
”∞”の記号は無限大を表す。経済の拡大、科学の進歩、・・・求め続けるのか永遠に? それで真理を見つけることが出来ると考えた人間が何を学んだか”今を道なかば”、誰よりも早く、多く・・・そこから獲た結論は片手にのる大きさの道具を考え出し、因果の間を狭め、キイを押すことで瞬時に答えを出す。是をどう捉える?思考することを返上し危ういと思うか便利と思うかの識見を失う。昔々のお話、ゼウスが人間界に行くパンドラに持たせた箱に全ての悪と災いを封じ込めた。パンドラが好奇心で箱を開いて分かったのはあらゆる罪悪・災禍が箱から抜け出し、人間は不幸に苦しむようになり、希望だけが箱の底に残った。在り得ない話ではない。既に両足をズッポリと箱に踏み入れ、手段を選ばず己の望みをとげようとする。問題は当人は気付かず、正統だと思っている。
 ”常識の嘘がはびこる社会” 誰の言った言葉か判らないが、それを否定できる人は先ずいまい。問題=ナゾ+欲=無限大 ⇔ 存在 認識 実践 感性。大欲か小欲か×無欲にまさる力なし

3880:小欲知足

 直感を機械がするか人間がするか・・・・前もって用意したデーターから、キイを押せば瞬時に答えを出す。これは直感とは言いませんよ。五感は視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚、それに第六感の直感だ。五観は真観・清浄観・広大智慧観・悲観・慈観。(仏) さ~て、AI(人工知能)とどう折り合いを付けるか??
 もしかして その答えをもAIに任せれば良い・・・とでも。偏り過ぎた人間中心主義が犯した災禍は自分達が考えだしたモノからの逆襲を受け翻弄され、判断力を失い、井の中から抜け出せないことになりませんか。入口、出口が判らない、更なる問題は知識と智慧の混淆、”常識の嘘がはびこる社会”となり何を信じて生きるかが判らなくなる。結局 人間が考えることは”核のフットボール”と何も変わらない。贅を尽くした宮殿が一瞬にして廃墟。これはVRなの?それとも現実?貴方が望んだ必要な文明なのかどうか・・・・・・この様子を穴倉の小さな窓から覗き見るだけ・・・・じゃ~私たちはそうならぬ為に一体何ができるでしょうか!
 
 森羅万象を”円相”で表す、どこが始まりか終わりか定かで無い、我が事、今は無くても いずれ自分にめぐりめぐると観じる。(仏教)
視座を変え・・・ 小欲知足 ・・・からみた現在の景色はどうでしょう。北海道で土の中でジャガイモが腐り、保存ができないという記事があった。9号から12号の4つの台風が間断なく発生し その動きが掴めない。
 ・・・我々の肉体は細胞の共同体によってなりたっている。細胞核をもったそれぞれの体細胞は、共生の度合の低い生命体の結合にほかならない。 もし、こうしたすべての共同作業の産物である人間が、正しく巧妙に組み立てられたとき美しく見えるものだとすれば、私たちがその同じ本能でもって、人間を含むさまざまな生き物や、他の生命形態の集合でできたひとつの環境の美と適合性をも認識できると考えるのはゆきすぎだろうか。
 あらゆる見通しが明るいとき、ガイアのパートナーとしてのみずからの役割をうけいれた人間は、下劣な存在である必要がなくなる。・・・  (ラブロック『ガイアの科学:地球生命圏』第9章:エピローグより)

3881:下劣さ

 下劣とは他に対し守るべき節度を欠き相手との調和を乱す言動。こうなることが前もって判っている場合とそうでないのでは違う?偏西風は南北両半球の中緯度地帯の対流圏上層の帯状の風、天候の変化に大きく影響、それと海水の温度もそうだ。地球46億年の歴史から自然の営みをみれば、氷河期、これが5回あったという。それぞれの期間は数千万年~3億年と違う。一番最近の氷河時代は260万年前、・・・・本日、9月1日、100年前 関東大震災が起こった。
 人間は、宇宙の秘密にどれだけ近づいていけるのでしょう!昨夜は≪スーパーブルームーン≫東の空にいつもより大きく見える満月が望めた。原始時代の人間も それを見たに違いない。想像の域を出られないがお許し頂きたい。
下劣の反異語→”高尚”、ああいえばこういう、これは人間の特性です、他の生き物には見られない。優劣、勝ち負け・・・それを決めても一時の気休め。ところで他の生き物で”服”を着るものはないですね。判り切ったこと? ホントにそうかな~!
 じゃ~ あなたは どうなの? コレ 俺に似合うかな。   仄聞(そくぶん)するところによると その必要はなくなる・・・・という。 
 
 地球上で常に自然災害が起こっている。この状況下で自分は関係ないと知らんぷりはできない。めぐりめぐって自分が災難にあう。レイチェル・カーソンの名著「沈黙の春」は食糧の大量消費、大量生産の裏で殺虫剤を無制限に使用したことで起こった”環境問題”を訴えた代表作。原因がハッキリして起こることとそうでない問題はいつの時代にもあった。 それが問題を先送りしてきたことだと認めざるを得なくなった時どうしたか、レイチェルの著した「沈黙の春」は利権を得た産業界や政府高官からの激しい攻撃を受けたのです。利欲に目が眩んだ者たちは己を守るために犯した罪を認めず、最後は知らんぷり。 その類の例は枚挙にいとまがない。
 人間の中には冨や権力を独り占めしても満足できない者がいる。そのような人に賞賛の拍手をおくり、ゴマをする輩は跡を絶たない。これだって めぐりめぐって いずれ 弾け散る。  
 花をめぐる虫の羽音や鳥のさえずりが聴こえない”沈黙の春”を何を代償に払えば受け入れることができますか!虚飾の綺麗ごとですか?

3882:迷走台風

 次から次に台風が発生している。台風は熱帯低気圧で最大風速が毎秒17.2メートル以上に発達したものをいう。中心に向かって時計と反対周りの風が吹き込む。中には進路が定まらない”迷走台風”なるものがあります。此方の言い分では、勿体ぶらずどっちに行くのか早く決めてくれ! そうは言っても聴く耳持たずです。そこを敢えてと頼みこみ”実際はどうなのよ?”。今更なんだアンタらの気持ち解からんよ、雨が降らず、砂漠化驀進、こっちに雨もってきてくれんかとヤイヤイ謂われ俺たちだって忙しい。
 二律相反は人間界の専売特許、自然界にその隔てなし。ありのまんま!。漢字源”メイソウ”・・・、名僧×瞑想?迷走〇明窓△冥想×・・・・・×〇△チェックの自己採点。自分勝手(総合評価)。 
 
 あんた達は、いつの頃からか私たち(生命圏人間以外パートナー)に相談無しに木を切り、ビルを立て、汚水を垂れ流し、それで満足せず、地下深くパイプを通し、石油やガスを組み上げ利用した。結果、不具合が生じれば自分の事はさて置き他を攻め、一向に懲りない。
 違いますか? 虫の羽音や鳥のさえずりだけではない。パートナーたちの悲鳴も耳に入らない? 病名=進歩!豊かさ!慢性中毒症 自覚症状が無いものに処方箋など持ち得ない。
 ”儘(まま)”の錯誤・・・・自然は有りの儘、人間は我が儘。 
 ”生き物”の役割・・・シオノバクテリアという微生物、二酸化炭素をバク食いするという。地球の救世主となるか。 一方、人間はどうか?我が儘と謂われたって気に留めず、今が良ければと暴飲暴食。挙句の果てに 陰に回ってつまみ食い。いい加減にしないと居場所失うことに。

3883:名言か迷言

 一寸先は闇、義理が廃(すた)ればこの世は闇。
 秩序の失われた状態がいつまで続くのか?前途に希望が持てない。その道の専門家はこの時とばかりに色めき持論を展開。利益集団は対立者にあらゆる方法を使って自らの優位・正統性を捲し立てる、(迷言)
レイチェル・カーソンのベストセラー『サイレント・スプリング』が日本語訳で単行本で出された時(1964)、題名は「生と死の妙薬」だった。・・・化学薬品が人間の生活にはかりしれない便宜をもたらしたが、一面では自然均衡のおそるべき破壊因子として作用した・・・環境問題を取り上げたレイチェルのこの本が読者にはミステリー物に見えたのか不評、そこで原題を直訳し本の題名を『沈黙の春』と直したら、読者が急増、増版も68刷(2007)までになったと筑波常治氏が巻末で解説しています。
 孔子の言葉で私が好きなものは・・・・≪自分自身に対する誠実さと他人に対する優しさ、すべてはこの二つに包括される。≫・・・・。2000年前と何も変わらず今もこの言葉は生きている。(名言)
 
  ♪ ベートーヴェン『第九』  シカゴ シンフォニー オーケストラ:リカルド・ムーティ(Riccordo Muti)指揮 ♪ を聴きながら 思いを馳せる 至福の時 。
 好きなクラッシク曲として この曲を推す人は沢山いるでしょう。日本では年末のお馴染みの曲。今から丁度200年前に作曲された。1824年は日本では文政時代、江戸後期になります。 当時、日本は鎖国で海外事情は殆ど知られていなかった。
 日本人の多くが戦後生まれとなり、戦前と育った環境が大きく違うなかで考え方も変りました。 追い付け追い越せ・・遮二無二働き復興を果たしB7への仲間入り。今はその地位を守ることが危うくなった。国の財政状況は 大きく借金に依存、それが一向に改善されず常態化。何故なんでしょう? 頑張れという言葉が”禁句”でパワハラだと謂われるとか?じゃ~遊戯笑語し徒らに年を送れとでも!夜昼問わず、医療や介護、教育などの現場は猫の手も借りたいぐらいです、それを3Kとか謂って毛嫌いする始末。これはハッキリいって政治が責任を取れない取らないことが一番の原因です。為政者の為体は当にその国をあらわすというが、政治への関心低迷を改めるどころかそれで安心(安定?)しているようにさえみえてくる。 オカシイ、どこかが狂っている。これは無知ではありませんね。 無責任・無節操だということですよ。
 『第九』演奏は終盤、
  ・・・おお友よ このような音ではない! 我々はもっと心地よい もっと歓喜に満ち溢れる歌を歌おうではないか!・・・・第4楽章「歓喜の歌」の佳境に入った。

3884:胸算用

 ”世知辛い世の中・・・#$%”。とは 計算ずくで心にゆとりがもてない世。暮らしにくい世らしい。
 打算的とも謂われます。己の損得ばかりを考え行動すること。なるほど。字にしてみると頷ける。それが目で見る様と一致すれば、確信か。(仏)五感、五観の教えは 2000年前に既にあった。無・空・不二
 Y・Iさんはオシャレ、髪の片方をゴムで丸め、”園長!チョンマゲ”似合う?・・会うと必ず尋ねてきます。私が法衣姿でいると”何してんの?”と・・・。≪勉強してんの?≫≪・・・・・???≫ コロナ禍の時も大雨の時も いつも変わらない二人の禅問答。正解はないが 癒されます、”わたし”はです。Yさんはどうか判らない。
 K・Yさん。すれ違う時、ホウキで落葉を集めるようにと手真似で訴える。彼は大雨の翌日も、いつもと同じホースで花壇に水をかけていた。いつも変わらずに・・
 計算で答えを出せないものがあります。実は それがほとんど。無限大~無限小は人のこころ!世知辛い=世知賢いは 共に”胸算用、計算違いをよく起こす。
 
 現代人、いつも変わらず”胸騒ぎ”。心配や不吉な予感が増え安寧は遠ざかる。胸騒ぎ∞胸算用。聴くところによれば、地球温暖化によって台風の動きと強さに変化が出ているという。動きがゆっくりで且つ定まらない。それと勢力が確実に強まった。観測技術の進歩で動きをライブで伝えることはできたとしても台風の動きそのものは変えられまい。人為か天為か訳解らず、只管耐えるのみ。だが その影響は人間だけでは無くなった。人間第一主義の偏重を改めよとの警鐘に聴く耳もたず。それは”自分ぐらいと自分さえ”の半熟卵の胸算用、現実は益々深刻な状況なのに、その認識がない。ルールをいくらつくっても それを守らなければ意味がない。善悪、真偽、正邪・・・その解釈にルールなし!要は是をどう考えるかだよね。 

3885:堂々めぐり

 めぐりめぐって、一番札所。今の心境は、小休止、束の間の涼しさとでもいうのだろうか。実際は、ああだこうだの湯に浸かり。≪人間は努力するかぎり、迷うものだ≫という壁の貼り紙、・・・・・・。サビた画鋲は手では剥がせず。
脚下照顧、行解相応、・・・・いつの間に自分の事はさて置き、ああだこうだ三昧、先師の教えと真逆の態、・・・・他をどうこういう前に、お前自身の足元を見ろ!・・・行いと思いが一致しているのか!  自問自答は≪いいえ≫。 これをどう考えるか!。。。。斯様な”夢”をみました。
 ・・・・・無茶処 お構い無しと 置手紙・・・・・ 
 
 四国のお遍路、お接待、・・・今どうなっているか最近の状況は判らない。私が48か所廻ったのは30年程前、記憶も朧げとなりました。
 当時、案内人が付いて団体バスで廻っている人達が多かったが、中にはリュックを背負い一人遍路する人もいましたね。、様々でした。お大師さんと一緒の”同行二人”は今も変わらない。勿論、当時はスマホなど有りません。札所で貰った略図と所々に立つ道標が頼りでした、今はおそらくナビになったでしょう?昔から続いてきた文化が変ってしまうのは仕方が無い。でも、変って欲しくないことはありますよ。
 今も記憶に残っているのは、男の子が1人歩き遍路をしていた。追い付くと離され、その子に「1人で歩いているの?」と声をかけたら ≪ハイ。中学を卒業しました。時間があるので・・・≫ ・・・それ以上の話はしなかった。
 疲れた時迷った時、休むも、歩くも よい。此れ遍路の真骨頂!  ・・・・遍路笠 いつまた被る 有りの儘・・・・

閑話休題・・・『努力して努力する』 これは真によいものとは言えない、『努力を忘れて努力する』 これこそ真によいものである。・・・(幸田露伴)

3886:謙譲の美徳

 謙譲とはひかえめなこと、慎みと同義。人となりが温和で控え目な人はたいてい好かれる。あの人が此処にいれば和んだのにと横目でチラリ・・・我執が強く、相手の言葉を遮り、自分が中心でないと気が済まない人がいる。いわずもがな!これを陰でなく面と向かって言う人は少なかった。時代は変わった、ポシテイブとかハッキリ物言う人が評価されるようになってきた。 でも、何故そうなったのかは定かでない。
 時は室町時代初期、世阿弥の”我見と離見の見”という言葉があるのを知った(『花鏡』)。日本の能で観世流の祖、某新聞社が行った”日本の顔10人”で3位に選ばれた世阿弥、1位が徳川家康、2位が織田信長だった。一般にはあまり知られていないかもしれない世阿弥は自分の考えや行いを客観的にみること(離見)の大事を説いた?
 上位の二人が戦国の世の武将、一方、世阿弥は能の大成者。何故?因みに”初心忘るべからず”も世阿弥の残した言葉。 世阿弥3位の評価は今の時代がそうさせたと考えると・・・むべなるかな~!
 
 匿名、筆名、偽名、・・・・・、SNSでの独白、自分に都合悪くなると即、消えてしまう。 ”頭隠して・・・”を判っていたとしても止めることができまい。対面とオンラインのハイブリッド会議、キャッシュレス支払い等々、今後益々増えるであろう。これは望まれた姿なのでしょうか?寧ろ 不信感や関係断絶を生む原因となっていないのだろうか! そしてAIの進化によって無くなる職業が出てくるらしい。”謙譲の美徳”などの価値観はいずれ消えて無くなるのではないですか。AI相手に何を譲ると言うんでしょう??? 後先考えず、今が一番、問題が起ればその時考え、問題は試練と考えよ!あまりにも無鉄砲な話。
 此れまさに「文山賊」(ふみやまだち)の狂言記の態。  最早・・・いつ、どこ、誰が何を。そして何の為・・・・が通じない世となって、”初心忘るべからず”などは滑稽・卑俗の題材にも入れずお蔵入りとなるのです。

3887:まぼろし

 仮想と現実の見極めが難しくなっていませんか。幻覚は幻聴・幻視・幻味・幻臭・幻触などの五感の異常。これにAIを駆使したVRとなれば どうなりますか!何もかも一緒くたにしてしまう。「文山賊」は二人の山賊の話で追いはぎに失敗したのはアイツのせいだと喧嘩になった。そのやり取りが滑稽で「集狂言」の中にある。アドとシテ、二人とも似たり寄ったり、争いは段々エスカレートして死ぬの生きるのと・・・最後はどうなったでしょうか?二人共々≪それがよかろう≫一件落着。若しもですよ、片方がAIロボットだとしたら狂言の落ちにはさてもさても成り得んでしょう。この世の現実の姿は あまりにも偏り過ぎで喧嘩両成敗の道を固く閉ざされてしまったのでしょうか?。
 
 そうは言っても 簡単に人間社会は変るまい。無下にして良い事悪い事の見極め、両者の関係を絶つことでなく、繋ぎとめる”絆(きずな)”を探すこと、・・・此れを求めて永遠に努力する人を菩薩という。(仏)
 秋の彼岸に入り墓参に訪れる人が目立つ、お盆が終わって一か月が経ち、花と水桶を持ってすれ違う人達の交わす挨拶は今年の異常な暑さのことが多かった。一か月の間に2回境内の草刈りをしたが間に合わなかった。ハッキリしているのは草木は欺かず、いかなる環境においても、只管、生き延びようとする。墓参に来られた94才だという方が・・・今年は”藤つる”が凄いな~、シッカリと根をはり、そこら中にツルをからめ、どうしようもない・・・毎日先祖から代々受け継いだ畑に出るのが楽しみだよ住職!と話していました。自然は有りの儘、相手を思いやることを教えてくれる。

3888:生態系

 植物の蔓(つる)は、強靭で柔軟、だが自身では直立できない。光を求め何かにからんで上に伸びようとします。人間は、どうでしょう? 藤つるが綺麗に花をつければ褒め称え、根を張れば、邪魔あつかい。利用するだけ利用して、上手くいけば我が世の春、失敗すればアンタの所為。この姿を宇宙の生態系からみたらどう見えるか、共生は人と人の関係だけじゃ~ないはずが慢性人間第一中毒症。これが~自覚がないときた。もういい加減にしないとな~!万策尽き、判断をAIに託す羽目!これぞ科学の進歩なりing。
 矛盾をうまく説明できず バーチャル・フェイク・スパム、・・・百花繚乱etc ! 
 
 植物が生き続けることが出来たのは環境への適応力だという。長大な年月を経て形態や機能などが複雑に変化し種類も多様化してきた。地球は誕生から約46億年が経ったという。私たちはその事にあまり関心がない。目先の損得、勝ち負けで常軌を逸した行動を懲りもせず続けているのだ。地球上の生き物で人間は新参者、果たしてその自覚があるのでしょうか?様々なルールをつくっては守らず、恰も守っているかのように装うことに長ける。一方、人間以外の生き物はどうだろう?
 ”自暴自棄”とは無縁の世界にいる。世阿弥の言葉に”離見(りけん)の見(けん)”というものがあります。その意は我見が強すぎると道を誤ってもそれに気付かない、離れて自分を見ることが大切というものです。
 

3889:彼岸を偲ぶ

 人偏に思うで”偲ぶ”。追憶と同義。7日間の秋の彼岸も終わりに近づいた。今年の記録的な猛暑もやっと終わりそうだと朝晩の気温で感じる。友人が山寺参道の石段に咲いた一輪の彼岸花の写真を送ってくれました。よく見れば石と石のわずかな隙間からたった一本の芽を出し咲いたもの、コメントに”言葉が浮かばない”と書かれていました。
 関東大震災で東京は大変な被害を受けた。1923年9月1日正午Ⅿ7.9の地震。死者不明が14万、家屋焼失45万。今から丁度100年前になる。その18年後、日本は太平洋戦争に突入する。常に地球上のどこかで災厄が起こっている。その中には防げば防げたものもあったに違いありません。
 酷暑も長くそれに耐えていると慣れてしまうのだろうか?
 
 過ぎたるを猶 及ばざるがごとし。・・・・物事の程度を超えたゆき過ぎは不足していることと同じようによくないことである。(論語「先進」) ”猶(なお)”という字は、さらに、もっと、の意だから、もっと悪いということでしょう。中道は仏教の基本の教え、両極端に偏らないことを説いた。ゴタゴタやモメゴトの原因は偏り過ぎからきている。判っているようで実は判らない”四苦八苦”の元、我に対し無我、欲に対し無欲、空も然り。
 言葉だけで相手を納得させよとしても無理、身口意の三つの業を一致させることを己に課した。(三密行))  

3890正統とは何か?

 正統とはなにか?
 次々に新ての機種が生れます、スピード、容量、使い勝手・・・の品定め。まだ充分使えるものまで破棄し一向に懲りずレア―メタルの争奪戦は容赦なし、こうしている間に自然環境の破壊がすすむ。ルールは有って無きようなもの・・・・・
 メールが世に出てきた時は、正直 便利だと思った。いま それがどうなっていますか?受信メールの 90%いや99%が迷惑メールです。どうしたら良いかを相談すると≪決してメールを開かないで下さいと!AIが応える≫。?????? 勿論、私なんかは 時代遅れということなんでしょうが・・。産業革命後、150年、此のまま行くとは思えない。
 
 ・・・・赤信号 皆で渡れば怖くない・・・・。心理学でハーデイング効果というらしい。漫才のネタじゃ~無く、一時流行った。集団=正義ではない。冷静になれば判ることでも窮地に立つと陥りやすい罠・・・・。 後で考え、なぜあんなことをやってしまったのかと悔やむことは誰にも経験あるでしょう。群集心理は、判断力の低下と興奮性が強くなり、衝動的、無責任な言動をとるようになるとも。 しかし、誰もがそんな風になるんじゃない、自身で誤りに気付き修正する力もあるという。何か救われる気持ちになるが、この違いはどこから生れるのだろう?。村八分、孤独、毀誉褒貶などなど葛藤渦巻く現世にあって、自分は表に出ず、陰で思いを果たそうとする類は挙げれば切りが無い。