源究220 g220

  

NO  テーマ  月日  NO  テーマ   月日  NO  テーマ   月日  NO  テーマ   月日 
 3911  雲散霧消  12/2  3916  悪木盗泉   12/18  3921  希望2024   1/1  3926  仮説 Ⅰ  1/17
 3912  網羅  12/6  3917  悪事好事   12/22  3922  お隣り同士   1/4  3927  仮説 Ⅱ   1/18
 3913  和む  12/9  3918  チェンジ  12/25  3923  知らない世界   1/6  3928  化けの皮  1/20
 3914  大は小を  12/12  3919  非を飾る   12/28  3924  パラドックス   1/10  3929  自律or他律   1/22
 3915  知らぬが仏  12/15  3920  カウントダウン   12/30  3925  さて置き   1/14  3930  清規と陋規   1/25

3911:雲散霧消

・・・期待値が「ゼロ」まで下がれば、自分にあるものすべてに間違いなく感謝の念が湧く・・・
 此れは、ホーキング博士(1942~2018)の言葉です。さらに、・・・怒ったり、不満を言ったりしても、人は振り向いてくれない。・・・もそうですね。 果たして我々大人は子供たちに希望ある未来を語れるだろうか? 逆境にあり、思い通りにならないと愚痴を言い、その責任を他の所為にしていないでしょうか?筋萎縮性側索硬化症という難病にもめげず精力的に研究を続け宇宙の起源と人類の未来を探求する博士が残した言葉、それをどう捉えれば良いのだろう?
 ”雲散霧消” 雲や霧が消えるが如く、跡形もなくなること。 次から次と湧いてくる難問、「施無畏」(せむい)は観音菩薩の別称。意味は、”畏れ無き”を施す菩薩。日々唱えている。
 どう見ても現代社会は期待値をゼロとするのとは真逆の態、進歩、豊かさへの妄執は一向に止まらない。(前項3910からの続き)
 
 2023年も師走に入った。フィリピンで起こった大地震(M7.7)のニュースを一晩中流し続けたNHKラジオ、深夜便を聴くことが習慣となり大分経った。夜中に起こった地震、揺れが大きかったから現地は大変な状況になっていると想います。
 自然は手加減はしない、方や人間は自分達で壊しておきながら、自分達の思い通りにならないと文句をいう勝手さ。そろそろ この様な生き方を変えないといけないという警鐘・託宣(?)。
 自分達で定めた法を破り、御託を並べ正統化することに何ら後ろめたさを感じないご時勢。「託」という字の語源は、”ことばで頼んで、ひと所に預けて定着させる”こと、「仮託」(かたく)は、”他のものにかこつけること”とあった。「信託」は、う~む! 

3912:網羅

 網羅(もうら)は、網は魚を、羅は鳥を取るためのアミ。人には”束縛”という意をあてる。それじゃ~呪縛はどうか? ”しがらみ”はどうか? 共通するのはまつわりついて、引き留めるもの。浮世のしがらみ・・・・。立ち止まり、よく考えれば、然もありなんと頷けることが多すぎないか。。
 おもむろに近代民主主義、基本なる政治理念を立ち止まって良く考えて見よう・・・昨今 そんな事をいう方が某る所では殆どみられません。自由・平等・博愛!無mumumu・・ム。それを自らの特権の下に置く。そんなの当たり前と思っているのだろうが その尾ひれがあるのを忘れたようだ。大昔、人間は海から陸にあがり、現在の姿に進化(?)したそうです。尾骨だけとなり、外観からは何も見えません。魚と人を比べると、差は歴然、ヒトは頭デッカチ尾ひれがない。尾ひれは 魚にとっては推進力を付けるのと方向を変えるという重要な役を果たしているそうだ。成るほど。
 
 宇宙の神秘を明らかにすることは未来永劫できない。そう解ってながら探求をやめないのは、≪ロマンスと情熱だ≫。≪自分のIQを自慢する人たちは負け犬だ≫と語ったのはホーキング博士(2018年76才寂)。
 自分達の襟を正すことを忘れた人は、本当に忘れた訳ではないでしょう。○○の上に 長く”胡坐”をかいても悟りは開くまい。限られた環境に長くいると なぜか共食い が始まる。此れ浮世のサガなるか。
 前項の期待値ゼロの意味は、”無欲”?。欲は時に生きるエネルギーとなるが、度を超えた欲は輪廻生死の因となる。(仏)・・・ 維摩の不二の考えに通じる。

3913:和む

 和(なご)むは英語で≪be comforted≫,反意語は、痛む(いたむ)・荒ぶ(すさぶ)・苛立つ(いらだつ)(ジーニアス辞典)。浮世の荒波にもまれ、寄港地を求め彷徨うのは一体誰なんですか?。なぜ 自分だけが苦しむ・・・・と、それも時間が経てば、受け入れていくのだろうか?、世態は相手があることをあまりにも軽視しすぎていないだろうか!凪・和の二文字は”なぎ”と読む。凪は風と止むの複合語、和はノと木の禾(しゅ)でイネ(稲)とも読む、のぎ偏の一字とからなる。そのには 論と食の意あり。
 藪から棒にと思うかもしれませんが離見の見の大事を説いた世阿弥、能・狂言を大成した人物、今から600年前のことです。その間、人間はどれだけ進化(?)しただろうか?要は 何をもって和をつくるかで、武器をもっては決して和を獲ることはできない。
 方やAIの開発に血眼、何を獲ようとしているのか?もしかして  より高性能兵器をつくるためかもしれない、我見か離見か 順風か逆風か その確信が持てない中で競い合い、歩みを早めるばかり、それは”和み”という万人の願いを自ら遠ざけるようなもの。自分が仕掛けた罠に自分で掛かる・・・”自業自得”のように思ってしまうのです。
 
 例を挙げる労はいらない。SNSというものを使ったトラブル・事件だけでも、詐欺や誹謗中傷、情報流出・・・などの勢いは増すばかりでその解決・予防策が追い付かない。勿論、当初は自分達にとってプラスになるとの想いからだったはず。それが段々怪しくなっている。このまま進めば人間が機械に使われるということになってしまう?  皆がやってるから 俺もやる。あああああああ! 途方に暮れる。
ついに出ました、無い袖は振れない、・・・生涯現役社会の実現計画・・・ 定年後という日本語は今後 無くなりますよ 御覚悟を! 

3914:大は小を

 外はまだ薄暗い中、手に灯りをもった中年の女性が1人で本堂の前で手を合わせ再び歩いていきました。
 国の基軸が揺れている、大きな独楽(コマ)も小さな独楽も軸がおかしければ直ぐこける。自然の摂理に先人が学んだことをなおざりにすればどうなるか!大は小を兼ねるどころか 共倒れ、此れ社会の掟でしょう。私利私欲に走れば跡を汚し、誰かが尻ぬぐい。 離見の見とは良く謂ったもの。我見を通そうとしても度を外れた手形では用は為さない。今もって”水戸黄門”が長寿番組なのは、我々庶民のせめてもの望みということなのかも・・・・(深層心理)
 
 師走というのに今日の気温は20℃、世間では連日連夜の厄介事、メデアは”忙中閑なし”の年の瀬に入る。
 年貢の納め時・・・その捉え方も二極化? 開いた口が塞がらぬその曖昧さ・・・・????(不二のロジック) タダでさえ 唯ならず。 ・・・落穂拾い 日当る方へ歩み行く・・与謝蕪村
 ・・・元禄の世であるまいし ドシャ降る中の花見酒 ・・ナマグサ立腹拾遺抄。大は小をかねず。己に甘く 他に厳し。働き方の改革を唱える前に公私のケジメ。 ラテン語の格言・・Ad astra per aspera・・苦難を越えて星々(栄光)へ・・(『ビッグ・クエスチョン』〈人間の難問〉に答えよう:ホーキング NHK出版参照)

3915:知らぬが仏

筋の通らないこと&いい加減なことを言ったりしたり、挙句の果ては頬被り(ほっかぶり)。Ignorance is  bliss の和訳は≪知らぬが仏≫。blissの意は「無上の喜び」 
 EUがAI規制法の大筋合意、適用開始が2026年に見込まれる・・・・。その中味はAIのリスクを4つの段階に分け、「許容できないリスク」には最大日本円で約55億円、年間の売上高の7%、どちらか高い方の制裁金が課される・・・・という。リスクの中に「行政や企業が個人の信用度を評価するAI」も含まれる・・・らしい。これ遠く外国の話??? 知らなかったでは済まされない。鎖国時代であるまいし、日本への影響だって測り知れない。薄利多売、原料を輸入し製品を輸出、・・・この従来手法で果たしてこれからも勝負できるのか? なによりも、国の骨幹の実態と理想の乖離が止まらない、此れが最大のリスク。今の永田町の騒ぎを離見の見(外国)でみたら、おそらく有権者の政治に対する評価と関心の低さ(投票率)はレッドカードで最高額の制裁金が課せられるのではないでしょうか!重要なのは その金を誰が払うのかですよ。
 
 政治不信を是正できない、当事者の今の儘で良いというホンネが見え隠れ?わたしにはそう見えてしまう。此処に至っては現行選挙法の改正が不可避、選挙成立の投票最低ラインの規定を加える。 憲法改正を議論するなら三大原則①国民主権、その実態と歪みが明らかとなり、意識も随分変わるんじゃないかと想います。使い古しの言葉かもしれません!原点回帰です。 やる前から結果が出ているような選挙も多く、有権者の関心は更に薄れる、ハッキリ言って”小手先面子・体裁”だけでしょう。仮に最低ラインを有権者の70%以上と定めたら どうなるか? おそらく民主国家は足元から崩れ、マヒ状態になるかもしれない。誰が困るか?そういった提案が当事者から聴こえてこない。でもな~此のままで本当に良いの?10増10減? そこなんですよ!

3916:悪木盗泉

 悪木盗泉(あくぼくとうせん)とは、「のどが渇いても盗泉という名のついた川の水は飲まず、暑くとも悪い木のかげには休まない」の意。(陸機「猛虎行」(261~303))
 ぬるま湯に長く浸かり過ぎると様々な弊害がうまれる。義務・権利・責任に覆いを被せ定説より慣習を優先、そして刺激も緊張もない安楽な環境を望むようになるという。これも生活習慣病の類、此の病に効く良薬はない。唯一 自らの生活の環境と習慣を変えることしかない。昭和20年8月15日。あの時誓ったことを多くの日本人が忘れてしまったのでしょうか? 今まさに世界はキナ臭く、外交 勿論大事だが それよりもなによりも 国内の纏まりが危うい状況になっている。
 時が経てば騒ぎも消え、何もなかったと勝手におもう。。。この繰り返しの結果 どうなった?・・・・・   ☆ 信無き 成功 得るは むなしさ 真なる復活 獲るは やすらぎ  ☆ 
 
 東京での会議に出席、この3年半、まったく無かった会議後の会食、有楽町のこじんまりした居酒屋で行った。 それが原因とは言えないが 他に思い当たらない。翌日、のどの痛み、くしゃみ、鼻水・・尾籠な話だが週末の法事を二件どうにか終えた。その後は体の節々が痛くなり 即 布団に包まる、熱は7度台、大したことは無い、一晩寝れば治ると思った。豈図らんや そうはならず 3日間床の中、喉の違和感はまだ残るが随分と体が楽になった。
 是れ 年と共に無理が利かなくなった証。視力・聴力の衰えは周りから言われて気付く、補聴器をすすめられ 通院することになりました。
 何と言っても 何が怖いかと言えば”気力”を失うこと、先の事は誰だって判らないんだよ・・・悪木盗泉をココロに刻み、浮世の柵(しがらみ)自ら選んだ路なればトボトボ歩んで参ります。コンゴトモ ヨロシク オネガイツカマツリマス

3917:悪事好事

 悪事千里を走る⇔好事門を出(い)でず。
 悪いことは瞬時に拡がり、良いおこないはとかく世間には伝わらない。まさに宣(うべ)なるかな!唐突ですが交流を直流に変換する整流回路が壊れればどうなるか?至る処で火を噴き、大混乱。便利さは一瞬にして不便に変わる。此の世は一寸先は闇、往々に私達はこのことを忘れてしまう。見栄を張り、嫉妬し、強引に悪事を好事に変え、すまし顔・・・・これでいい気になっていないかどうか?ぬるま湯もいつかは冷める。内心忸怩、常に周囲の眼が気になり、何のために自分がやっているのかコントロール不能。カネの切れ目が縁の切れ目、保身偏重の所業、後は不埒に及ぶ・・・・と。(ナマグサ雑言抄)
あああああああ! クワバラ クワバラ
 
年の暮れ 懺悔の帰郷 お歴々
 冬至(12/22)まで 残り2日となりました。一人ひとりに感謝の気持ち、柚子の香りを届けたい。思い立ったら直ぐやらないと気が済まぬ俺(おら)の性分、あちこちトゲに刺さりながら柚子を籠3箱取りました。小欲知足 銀座で会食無縁な庶民に耳を傾けず いったいアンタら何をしたのよ・・・記憶にない・・来年は多少変わりますかな?懲りもせず、あきもせず、言わなくても顔にちゃんと描いてある。≪おら~偉いんだ!故郷に錦 ・・・何が悪い≫  まだ わからない?どこが?それは自分で 考えて下さい!
 羽化登仙 成虫に成れず 擬態の研修 超満員 !

3918:チェンジ

マニュアル車からオートマチック、そして 自動運転へ・・・!栄光の座を競い合う、挙句の果てに 今騒がれている某メーカーの犯した罪は、関係者のみならず 日本の先端技術信頼への影響は測り知れまい。 それが 今に始まったことではなく長い期間の企業体質となっていたという。過剰なノルマ、それを達成するために企業モラルを見失う 何故内部からの告発がなかったのか?組織温存の弊害がまたしても出た。慢心と上位下達の暗雲に覆われ光が射さなくなった場所では丹精込めた作物も内部から腐り始める。コロナ禍や円安の影響(プラスorマイナス)がここに来て予想外の形で露出し始めている。
 マニュアル通りの謝罪のコトバに心を感じない。組織のトップが 責任をどう感じているかが判ります!・・・信頼を取り戻すことに全力を尽くし その事で責任を全うしたい云々・・・臆せず萎(ひる)まずの公私混同、個のSDGs,の定番&定食。
 この反復メニューで客は当然離れる、先ずは潔いチェンジ。それも先ず隗より。
 
 一時の流行り病の様に大騒ぎした割に時が経てば忘れてしまう。これ世の常なりと。既に死語となったか驕るもの久しからず!”驕り”の意が縦横無尽。”驕”(きょう)は”背伸びして人の上に出て見下す”こと。。これをどこで誤ったか商い上手と持ち上げる。? 創業は易く守成は難(かた)し。
 進化、進歩と連呼して本来の意を勝手解釈してしまう。これが混乱の元凶だ、いま維摩居士の檄が飛ぶ。
 維摩居士!公私のケジメとは如何に?。貰うものはちゃんと頂いてハイ さいなら。 ・・・非を飾る・・・未了。(不二一元今昔一考)

3919:非を飾る

 【非を飾る]とは、”自分の過失をごまかして言い訳する”(史記)紀元前に書かれたもの。スーパーコンピューターを駆使し、生成AI開発、競争に負けるな!。頭が高い!視界制限、ニンジンぶら下げ、尻叩かれ、 。。。2000年昔と さて どう変わりましたか?不二・・・未了。
 片隅に小さく遠慮したネット記事、G7の中で1人当たりGDPは最後尾という日本・・・・それにしても どこかおかしく無いですか? その言い訳が 。ズレ 歪み、元から正して と言うは易し それを信じる者が果たしてどれ位いるのか、随分と国民を愚弄したものだ!
 【オポチュニズム】・・・臨機応変・応病与薬、どれもこれもが非二未了!
 日和見、御都合、”馬耳東風” 東照宮 三猿に問えば・・・自分で考えなさい!・・・
 
 法をつくるものが法を守らず・・・・。民主主義の3つの柱、確と台地に立って初めて上物は安定する。熱(ほとぼ)りが冷めるまでの雲隠れ。現われ消える特権意識、これらは我心の為、自らつくる掟なり。あれっ そうだった~!
 ・・・誠に百年の英耀は風前の塵、一念の発心は命後の灯なり・・・(太平記) 諦(たい)は、”つまびらか”と読み。つまびらかは、”詳らか・審らか”、締(しめくくる)はその同系。 元々の意で諦はギブアップでなく、詳(くわ)しく審(つまびらく)する意だった。
 意に反する三業(身口意)に いずれ劣らぬ名人(迷人?)ぞろい。固き岩盤 浮世のまぼろし  初夢の前に 108つ 。
 さ~前をl向いて! 夜明けぬ朝はなし。

3920:カウントダウン

『 ・・・私たちの未来は。増大するテクノロジーの力と、それを利用する智恵との競争だ。智恵が確実に勝つようにしようではないか・・・』(「ビッグ・クエスチョン」、ホーキング。P213)
 性善説か性悪説か 人間の本性をどう捉えるかは、おそらく未来永劫に問われ続けることだろう。知識と智慧の違いを考えず、痛い目になんどあっても懲りない。それを愚か者というのかどうか。
 この地球が白黒ハッキリしないと気が済まない人間ばかりになったらどうでしょう? グレーゾーンはどっちつかずの曖昧な領域、二つの物の間に起こる衝突、衝撃をやわらげる緩衝地帯、じゃ~!互いの言い分が合意すれば争いは無くなるのだろうか?そんな事は無い、それは史実によって明らか、今こうしている間にも何処かで悲劇が起きている。
 ≪この惑星の未来で最大の脅威になりそうなものは何でしょう?≫
  防ぎようのない脅威として小惑星の衝突、もっとも近い衝突は今から6千6百年前に起こった。より差し迫った危機は、制御不能となった気候変動です。海洋の水温の上昇と二酸化炭素の大量放出によって金星のような気候・・摂氏四百六十二度・・にしかねません。(前掲:p180)
 
 『刑事一代:平塚八兵衛の昭和事件史』(佐々木嘉信・著)、渡辺謙主役でTVドラマ化され、BS-5でその再放送が2日間続けてありました。
 観音寺境内の墓地に眠る。享年67歳、平塚八兵衛刑事。私が住職になって初めての葬儀でした。今もハッキリと覚えている。生前寺に八兵衛さんの姿を見たのは昭和53年だった。亡くなる前にフラリと来られ旧本堂の前で先代住職(父)と談笑していた。その年に、ご夫婦で逆修法号を受けている。
 数々の異名を持つ、昭和の刑事八兵衛さんは 今の時代をどう感じているだろう? 夜遅く、八兵衛さんの息子さんから電話を戴いた。
 次のものに 何を伝えたいか?  父と息子が膝を突き合わせ話をした人は案外少ないものだ。それが何だったのか? 朧げになった記憶から 探し求め歩いていく・・・・・・。
 
 2023・・残り一日のカウントダウン。除夜の鐘、ヘタな字で看板に”希望 2024年”と書きました。
 ”環流”は、大気・海水の地球全体の大きな流れもあれば、私達の体内で起こる血液の流れ、いずれも思い通りにならない。早すぎても遅すぎても支障を来す、知っていながら為される愚は一向に止まない。四方八方より”矢”が飛び、立ち向かう気力は萎え、自暴自棄になりやすい。
 ・・・若い頃の悶々の情は今も沸々とたぎり膨大な経典の前で圧倒され、自分の甘えに当て所なく彷徨う。・・・・疲れたら道端の石に腰をおろし休むんだよと教えてくれた先人たちに感謝。(大晦日)
 
   ⇔  

3921:希望 2024年

令和6年元旦! 目ざめて雨戸を開けたら、見事な青空、東の空高く昇った太陽の陽射しに昨夜降った雨がまぶしく輝いていました。看板に横線が何本も写った(左)のは雨で墨が流れたものではなく、太陽の陽による小枝の影でした。
 『視座構造』『回帰現象』・・私たちは現実に起こっている事象を認識するのに、時に視点を変えてみるのも必要かもしれません。曼荼羅に描かれた仏を取り囲む円を”円相”といいます。”回帰”は一周して元へもどること、同じ意味です。「路傍の石」(山本有三作)は、貧乏と逆境に耐え、自分を生かそうとする少年愛川吾一を描いた小説です。当時(1940年)と今を比べ、似ている 点と異なる点は? 一次世界大戦に続く二次世界大戦(1939年)。今年終戦から79年が経ち敵味方、双方の視座を語れる人がいなくなっていることはハッキリしています。
 希望を失うことは、自然に対し背を向けることだと思います。自然は嘘をつきませんから! 
 
 M7.6で震度7、北陸能登半島地震が起こった。午後4時を回った頃スマホにけたたましく鳴った地震を知らせる警報。
 第一報の数分後に津波警報が出た。避難を必死に訴えるNHKの女性アナウンサーの声は日本中を震撼させた。日本海側には原発が多い、その時、福島原発事故を思い出した人は多いのではないか。
 正月ムードが一瞬にして”修羅場”となる。この現実とどう向き合うか、新年早々、この大きな課題に私達は対峙しなければなりません。記憶が薄れ、何が大事で、どっちを優先するか?を見失いかけている時、自然は我々に牙を剥(む)くように観じてしまいます。実は我々人間側の問題なんですよ、だってそうでしょう。自然に慢心はありません、常に有りの儘(自然体)で”因循姑息”なマネはしない。
 (参考)『いま 世界の哲学者が 考えていること』ダイヤモンド社。

3922:お隣り同士

 因縁とは、事物を生じさせる内的原因である因と外的原因である縁をいうと。様々な事象、自分から観たらどう映るか・・・人それぞれに違う。判ったようで実はわからない。真偽一体、不二の教えの核心部、誰しも我が思い通りになることを念じ、望むもの。
 合理性、経済性・・・盛んに薦めるが、その実はどうなっているでしょう? 裏付けの数値を詐称してまで、優劣を競う。これが時代の潮流となってから気付いてもおそい。
 無理往生・・・力によって無理に自分に従わせる・・・、国の骨幹たる主義・信条を、もしかして 生成AIに委ねるつもりか! 解剖学者の養老孟司はブータンを愛し、人間の幸せとは何かを探し続けている。「脳が先か 心が先か」「身心か心身か」・・・。彼は小さい頃から人見知りする性格で、そのまま大人になったと自らを語る。方や昆虫や猫を語る時の笑顔が素晴らしい。
 度を越えた合理性や経済性に盲従する現代人に警鐘をならす。 「きぼう」を辞書でひくと≪危亡≫と≪希望≫がお隣り同士。
 
 「不二一元論」は中世インド哲学のシャンカラが唱えたもの。 相対立した事柄が二でないこと。(「不二の法門・維摩経」より)多い少ない、豊か貧しい、真か偽・・・・ 等々も同根。ああだこうだと持論を主張しても どうなのよ? あなた自身の中に 両方の思いがあるんじゃないの?人は五官を使って考えるというが聴きたくないことには耳を閉ざす。正直に言います思い当たる節はありますよ。自分と向き合うということは、そういう事じゃ~ないでしょうか!触れても触れずしても非梵行を犯す・・・・云々
 ”袖振り合うも多生(他生)の縁” これだって他生(たしょう)か多生(たしょう)二つの言い方がありますよ、でも多少ではない。(お隣り同士)。
 ”杞憂に終わる”は周代の故事、”取り越し苦労”も同じ意で、何気なく私たちは使っていますがあのホーキング博士が最後に伝えたかったこと(No:3920)が≪危亡≫と≪希望≫ですよ。
 ☆杞憂は、杞の人が、天が崩れて落ちてくることを心配したとの故事成語、今ならば惑星の衝突。

3923:知らない世界

 地球に小惑星が衝突したもっとも近いのは6千6百年前だったそうな。本日は西暦2024/1/6です。この長大な年月の間を説明できる人がいるでしょうか? そんなことしてどうなるの?と一笑に付されてオシマイ。かもしれません・・・・。
 アーチスト「Aju」さんの話、今朝のNHKラジオ深夜便(am4,07)での再放送を偶然聴いた。障害を持つ人達の特異な才能を知っていると思っていました。それは思い上がりだった。彼女の描いた≪15832年12月のカレンダー≫を見た瞬間、愕然としました。古い話ですが1960年代の後半にタイムスリップしたように感じた!当時 学生運動真っ盛りで出鼻を挫かれたようで、何をすれば良いのか判らず下宿に閉じこもって悶々としていた。偶然もとめた本で『宇宙カレンダー』なるものを知った。あれから55年が経った。今も私の原点回帰への特異点は路傍の石、身近に転がっている石に座っていると気持ちが落ち着いてリセットするように思う。
 
 生物は不変なものはなく、長い年月の間に徐々に変化し、現生の複雑・多様な生物が生れた。この考えは生物だけに限らず社会から宇宙の変化にまで拡大される。変化は必ずしも進歩とは限らない。今に始まった訳ではないが、特に人間社会は難しい。
 周りを見回しても、常識では考えられない事が繰り返し起こっている。すでに進化と退化の見極めもできずカオス(混沌)・・秩序無き状態・・になってしまっているのではないだろうか?
 なにもかも、ごちゃまぜに世界は一体どこに向かって進むのでしょう。 それだって身を屈んで探せば見つかるかもしれない。

3924:パラドックス

 ・・・世の中を眺めるのに”パラドックス(逆説)”なるものがあるという。・・・例えば「例外のない規則はない」という規則に例外は有るか。「正しそうな前提と妥当に思える推論から 受け入れがたい結論が得られる。・・・これら逆態接続の類に遑なし。
受け入れがたい実態とは どんなこと? 知らなかったということで本来の目的に使用せず、他に使ってしまう荒技を罰せられずにすまされること。一般社会ならば 即退場(レッドカード)。それをなんと何十年という長い間続けてきた人達がいるという。その人たちは選ばれた人間という誇りを持って、先ず変身の早業を習得する。あたかも義務と責任を ”転用大衆薬”として独占販売するかのごとし。”皆で渡れば怖くない”型世俗化のパラドックス。
 世が乱れることの原因は何か?それを探し正すことが使命〇×△・・  さ~て  それが難問!前提⇔推論⇔結論 演繹&帰納 必修科目。(分かったようで判らない新年の挨拶。他に持ち合わせがないもので)
 
 内に外に正月からいろんな事が起こり新年挨拶が10日ほど遅れてしまいました。何度か校正を試みてみたけれど巡り巡って元の位置。仕方が無いと諦めて暫く此処に留まり瞑想(迷走)することに相成りました。
 今日で作業終了!チッパーを使っての竹林掃除10日目、いつの間に密林と化した竹林は混み合って陽が入らず、竹同士、ぶつかりあって苦しそう。チッパーは直径10センチ位のものも細かくしてしまう優れモノ。そのチップは草木にとって絶好の土壌となる。自然に優しいSDGs。。。
 難点は、砕く際に凄い音を発するので、時と場所を弁えないと苦情が出る。  ・・・ 温床に長く根を張れば 装い長けて 根は腐り 背丈は 伸びても 用為さず・・・・(ナマグサ)

3925:さて置き

 とりあえず 其の儘にしておくことを”さて置く”といいますが、さて置くものと置かれるもの、その身になって考えたら如何だろう? 時が解決してくれることもあるし、新たな事実が判って合意ということも無きにしも非ず。また、その逆も。
 新年早々、イノシシ注意の立て看板、今年もまた出没、それをスマホにおさめ互いに見せあう姿 チラホラ。なにせ 最近 散歩する人が増えたから万が一ケガでもされては・・・・という思い。朝晩の車の量が増えた。通勤混雑を避ける為に脇道を利用するから。通学道路 スピードの出し過ぎ注意!の看板を区長さんに頼んで5本立てた。 やっとスズメ蜂の看板が見えなくなったと思ったら、そこにまた 新たな看板が立つ。四季がハッキリしなくなったご時勢、代わりに看板が”風物詩”になるか”風前の塵(ちり)”となるか看板にもいろいろありますから。
 ☆『空をゆく ひとかたまりの 花吹雪』(高野素十)   ★ 「空をとぶ ひとかたまりの スズメバチ」(生臭時流)
 
 34年ぶりの株価高騰とか騒いでいます。これってどう思いますか!なにか現実を直視せず、浮ついた感じをうけます。数字への妄信がキャッシュレス時代と相乗効果で数字のマジックに思えてしまう。有ると思っていたら無かった。無いと思ったら有った。これってプラス・マイナスがゼロになれば御(オン)の字??? 
 実感のない取引は欲を駆り立て、その結果の責任は負わない。昔の人は言いました・・・神輿に乗る人、担ぐ人、そのまた草履を作る人・・・。世の中に神輿に乗りたがる人ばりになって、草履を作る人がいなくなれば どうなるか!ちょっと考えれば判るはず、それが猫も杓子もあちこち動き廻って落ち着かない。
それはさて置き ”周利槃徳”の登場を今こそ必要と思ったのであります。”パンタカ”に 身を低くして観れば出逢えるかもしれません。

3926:仮説 1

 台湾総統選挙終わる!結果が判明した。。
 日本と比べて、どう違うか? ニッポンは随分長い間、懲りもせず過半数に達しない選挙を繰り返しています。投票率はG7で最低、これを恥ずかしいと思わない人達が多いという証でしょうか。今の政治に新たな展開がという期待は、今回も思わせぶりで終わるのだろうか。何故そうなってしまうのよ?ハッキリ言えるのは一向に”刷新”できないということ。漏れ聴く処によれば、永田町周辺を騒がせていた事象は、更に不透明感を増すのでは・・・・と。検証された仮説は法則や理論として公認されて初めて価値がでる。
 だが公認されたのか否かの検証が無い。これではいつになっても真実は判るまい。”為(し)て遣(や)ったり”とほくそ笑(え)んでいる人も・・・・・。
 ♪川島英五のシングル盤(第一盤)『時代遅れ』のカップリング曲(B面)は『黄金時代』♪ 
 
 ・・・・目立たぬように はしゃがぬように 似合わぬことは無理をせず 人の心を見続ける 時代遅れの男になりたい・・・・♪
 これは 理想の生き方だと思う。できたら自分もそうありたい。周利槃徳は釈迦の弟子16羅漢の1人。釈尊と槃徳の話は ”生きる”ことに迷い疲れた時に勇気を与えてくれると思います。・・・他より目立つように いい気になって、無理をすれば、誰だって疲れてしまいます。 それを温かく見守ってくれる人がいれば どんなにか癒されるか・・・・ できもしない事をいくら並べてみたって 所詮 中途半端で 思い通りにならず いずれ周りに誰もいなくなる。此れが今世の実相でしょう。
 教養・気位・知識・欲望・人情・面皮・根性・自我・分別・無駄の高低、深浅、厚薄、弱強、多少のつもり違いは 長い年月をかけ出来あがる。≪つもりちがい十ヵ条≫
 ☆釈迦と周梨槃徳の話・・・お経をいくら教えても覚えられず、愚路といわれた周梨槃徳に釈迦は一枚の布を与え、≪塵を除く 垢を除く≫と言いながら精舎や比丘の履物を掃除をするように命じた、周梨槃徳は垢とは貪瞋痴(三毒)であることに気付き、一心に掃除に励み大悟した。

3927:仮説 Ⅱ

一枚の布の代わりに『天秤棒(てんびんぼう)』、荷物を運ぶための先人の智慧、世の中の万象に通じる優れモノ。解かっているのに一方に偏り過ぎれば上手く運べない。・・・身心の苦しみの根本の原因=煩悩(仏)。苦しみから解脱するために膨大な量の経典が書かれた。 政治とカネ、宗教、生成AI・・・・等々の当世風人間模様、そこに潜む危うさは 上塗りを繰り返し、元の色を全てグレーとしてしまうようなもの(仮説) 天秤棒は物を運ぶだけでなく唯一無二の命を運ぶためにも大事。物流は代行がきくだろうが人生にはそれがない。布の代わりに武器をもつようになると誰だって高みの見物でいられない。 
 
 人災か天災 地球のどこかで常に起こっている。人間は多くの”災い”から一体何を学んだというのでしょう。
 村の掟などお構いなく拡大志向? ここで一句・・”我が物と思へば軽し笠の雪。”  自分の利益になることなれば 苦労を苦労と思わないという意なそうな。だが”利益””苦労”がどういうものか? それによって大きく違ってきますよ。”自分だけの利益”になりすぎて”災い転じて福となりますかね。 五感は大事、昨今の利益という言葉から匂ってくるものは歪んでいませんか~。
  ・・・もう この辺で いい加減にして やめとけよ・・・ と誡める者が誰もいないとは。皆さん!村八分が怖いのか~。  (民約論:徳)に在ります 「宜しく乗除し以って之れが平均を得さしむべきなり 」・・・・ 意味深です。加減乗除は四則演算、村の小学校で学んだことを思い出す。

3928:化けの皮

 落語の世界で最初の人間国宝、5代目柳家小さんのアーカイブ版で『たぬき』を聴いた。約45分におよぶ貧乏長屋の男とタヌキの話は師匠の面影とダブり実に面白かった。
 自分はどう思っているか知らないがタヌキとキツネは数多い動物の中で、どちらかと言えば『時代おくれ』の部類に入るように思う。目立たぬように はしゃがぬように、似合わぬことは無理をせず、と身の程を弁える。おそらく これは親や仲間たちから教え学んだことではないだろうか?動物たちの子育ては 時が来れば”親離れ”の試練を子供たちに課し厳しい環境の中でも自分で生きていくための力・掟を身につけさせる。 ここが私たち人間との分かれ道、我が子が転ばぬ様に親が至れり尽くせり手を貸して、我が子の面子を守ってやる。 それが親の勤めと信じている。ですから 子供たちは化けの皮が剥がれた時、挙って他人の所為にすることを身につける。それの刷新ですか????
 図らずも、東京の永田村 しっかりせんと。
 
 外見ばかりを飾っていると自分を見失う。言うべき時やるべき時が的はずれ、やればやるほど遠ざかる。こんな時こそ手先が器用な人より不器用で愚直な人間が必要です。怨みをもつ者に対し報復せずに かえって恩徳を施すという先人の教え、これができるかどうか もしできないならば順番構わず いさぎよく 退出すべき。自浄刷新とは そういう話ではないのでしょうか。今は亡き5代目名人小さん師匠の演目「たぬき」は実に時機を得た話 身内同士で田畑(でんぱた)争いしている場合ではない!
 ・・・・世阿弥の離見(りけん)、真意外れは 問答無用・・・ カネ・金・カネ~ 利権(りけん)第一 問答無益・・・(ナマグサ拙句)

3929:自律 or 他律

 ”腹を据(す)える”には二つの意があります。(大辞林)①覚悟を決める。②怒りをおさえる。”灸を据える”は急所(ツボ)が肝心、所構わず据えれば良いというもんじゃ~ない。治療の痕がハッキリのこり、それを目立たぬように厚化粧。”良薬口に苦し” 本当に自分のためを思って忠告してくれるのは、ありがたいが聞くのがつらいもの。昨今の謝罪会見が弁解に変わったようにつらつら思うに。
 人間の自律神経は交感神経と副交感神経からなり、互いに拮抗し作用する。これが私たちの最も身近な自然という。自然は恵みを与えるが時として災害をもたらすこともある。人為によって秩序が乱されれば、人間と対立する存在となる。
  ・・・人間は引き際が肝心・・・・というが自然は無為自然。この差は大きい。 
 
 それがどうだ! ”引き際”が実に怪しく、揃いも揃って寡黙となり、目立たぬ様に熱り冷めるまで”自粛(?)モード”・・・ハッキリと 胸のバッジを外せばと言いたいが 顔色見ては聞く耳もたず。
 さ~て、どうする? ”定年制”・・・・・・そのような考えは皆無。ならばとAIに問えば・・・・ ”曖昧模糊”・・・・。法をつくって法を守らず、これでは流石にお手上げと見え・・・何度たずねても”アイマイモコ”。おそらく≪時機をみて説明する≫というような語録はAIチップに初めからないでしょうから。(利益団体型アドボカシー)

3930:清規と陋規(ろうき)

 最近、【3ジジ放談】(ユーチューブ)を偶然知った。同じ年代ということもあってか御三方の言いたい放題は抵抗感なくこころに響く。何かを気にするお決まりTV討論に辟易していたところでホンネを語る番組に今までに無い爽やかさを感じた。
 その中で清規(せいき)と陋規(ろうき)というコトバを初めて知った。時機を得た放談に引き込まれ即”お気に入りリスト”に登録した。”清規とは一般社会にある普通のルール、陋規は内輪だけに通じるダークサイドのルール”という。このように考えると今の混乱した有様が整理される。ダークサイドというのはどうかと思ったが、よく考えると納得。陋の字は”せまい”という意がある。(佐高信氏)
 ≪時機をみて説明する≫と言っておきながら後で説明した人が何人いたでしょうか?問題なのはそれで収まらず、今 清規が陋規化しようとしていることだという。本気の反意語は”冗談”か! 類義語は”真面目”、では その反意語は”不真面目”
 今こそ 総じて懺悔・発露の時、願わくば未来を託す子供たちに 真面目に 向き合って欲しい!
 
 『共生』と『知足』。住職している二か寺に別々にかけてあった大きな書額で改築後、天井が低い部屋にはかけられず、今は頭の中にかけてある。 共生に相手あり、知足は自分が相手、何か困ったことが起こると不思議とこの二つの文字が浮かんでくる。これは誰にでもある自律神経のようなものかもしれません。毎日4時に起き出し、パソコンが相手、BGMを聴き、香を嗅ぎ、あれやこれやと 取り留めもないことを綴っている。正直、周りは飽きれている。
 静寂は至福の時間、自分を見つめる道草、態を変えつつ今に至った。 
 ・・・知足安分にかまえなし。・・・此の意味を教えてくれた師に未だあわす顔がない。