源究221t221

  

NO  テーマ  月日  NO  テーマ  月日  NO  テーマ  月日  NO  テーマ  月日 
 3931  みちくさ 1/25  3936  善根宿  2/6  3941  片利共生   2/19  3946  激流典座  3/1
 3932  鏡よ鏡・・  1/28  3937  イマージュ  2/9  3942  ニワトリ   2/21  3947  温度差  3/4
 3933  民主政治  1/30 3938  失ったもの   2/12  3943  ミスリード   2/23  3948  ソロソロ時々  3/6
 3934  いい加減にして 2/1 3939  穏座の初物   2/15  3944  残照一過   2/25  3949  価値顛倒一考  3/8
 3935  徐災招福  2/3 3940  基腐病対策   2/17  3945  遺訓   2/28  3950  風見鶏

3931:みちくさ

  メディアが連日取り上げる”政治とカネ”の問題は、 日本の某利益団体(?)の話、時機到来と説明すれば歯切れ悪く、自業自得を自ら証明しているようなもの。戦争、SDGs、再生エネルギー・・など山積する地球規模の課題を先送りし一体貴方たちは何をやっているのですか?と言いたい。≪大義を忘れて小威儀に滞る≫(十善法語)とは まさにこのこと。こういった状況を我慢し再起をまつ余裕など我々にはない。もうどれ程の年月が過ぎたか、総有権者の過半数に達しない選挙を繰り返し、それで獲た席を、我が家を得たりとばかりに、某弱無人に振舞う
自分達でつくった法を勝手に解釈し、最後は部下に責任をかぶせるとは世知がらい世になったものです。今さら地元に帰り謝罪の行脚、地元の皆さんは諸手を挙げ貴方を受け入れてくれましたか。いま自分の置かれている位置を旧式の羅針盤を頼りに探して見えますか!・・・・道のない処に道ができ、迷ったりしませんか?
(みちくさ)
 
 道草に”賞味期限”は あるでしょうか?と尋ねられ ・・・我見でいえば愚問、離見の見なら”愚答”・・・問答無用。・・・
 ・・・・自惚れ鏡 こころを映す いま此の時・・・・ いい加減にして欲しい。
   ♪ 春を愛する人は こころ清き人 ・・・・・♪ ああああああ! 『四季の歌』 次が思い出せない。夏は?秋は?冬は?

3932:鏡よ鏡

 自惚れ鏡を調べたらこんなものを見つけました。≪所謂(いわゆる)浄玻璃(じょうはり)の鏡は・・・・我邦に称する自惚れ鏡なる物是なり。≫(洒落本)。浄玻璃とは≪地獄の閻魔王庁にあって、亡者の生前のすべてのおこないを残りなく映し出すという鏡≫(大辞林)
 勝手に解釈しますと・・・よもやま話に 此処だけの話だとあれだけ念を押したのにまさかこうなるとは・・・・後のまつり、口は心の門と昔の方は言いました。ご存知ない、そりゃ~災難でした・・・となります。
 ”自惚れ鏡”信じるか信じないか 貴方次第、でもよ、相手が閻魔王だからな~。  ついでにもう一つ!近頃良く耳にすること 一から出直すってどういう意味なんでしょうか?教えていただけますでしょうか。鏡に聞け!・・・・とか。(賢問愚答)
 
 とっくの昔に引退した方がチョコチョコ顔を出し、口を出す。身内に余るほどいて誰も言えないの?~。「そんじゃ~なんて言えば良い?」<「問答無用」>
 曇りガラスでつくった鏡を どんなに磨いたって真の姿は映せない。鏡ヨ鏡サン そうでしょう! 一般常識では、考えられないことが 罷り通ってしまうことに何ら疑問を感じない人たち。それは 貴方たちとってユートピア それとも デストピア???
やっと思い出した~!♪ 春~こころ清き人 夏~こころ強き人 秋~こころ深き人 そして 冬は、根雪をとかす大地のような ”こころ広き人” (荒木とよひさ:『四季の歌』) ♪    この詩(うた)は余韻がのこる。

3933:民主政治

 国家予算の中に”機密費”というものがあります。国の仕事を円滑で効果的に遂行するために機動的に使う経費とされています(内閣官房と外務省)。主に政治上・軍事上のことで重要秘密となっている。今回の(政治とカネ)問題は、次元が違うようで実は根っ子は同じ。どちらも取り扱いを間違えれば、偉いことになります。此のまま行けば我邦の民主主義そのものが崩れてしまうのではないか!という危機感。これに対し選ばれる側はどうも違った危機感をもっているように想えてしまう。一度拡がった此の差は そう簡単に縮まらない。
 ★ 直近の地方都市首長選が軒並み30%前後の低投票率という異常事態蔓延★
 ”歌は世に連れ 世は歌に連れ”という今日の諺があります。[この世」がどうなっているか????。旧態依然・・・渇して井を穿(うが)つ・・・・とは間違ってもならぬよう願いたいものです。
 
 ”悖(もと)る”という日本語、≪物事の筋道にあわない。道理にそむく。反する。≫の意、・・信義にもとる・・・背理=悖理(はいり)
 余り使われなくなったコトバです。今時、別に珍しくないし他にどんなものがあるか?名簿、表札、地図、電話帳・・・・理由は”悪用”されるのを避ける為。この類はこれからもっと増えますよ。
 それも徐々にではなく一瞬に蔓延するから厄介。昔から世の中は頭から腐ると言われて来ました。猫も杓子も皆がやっているんだから構わない『正統とは何か?Orthodoxy』 
  ☆  原点回帰 筋書き描けず 及び腰 ☆

3934:いい加減にして

熱過ぎてもぬる過ぎても具合が悪い。丁度良い湯加減はそこに長く浸かっていると判らない。新陳代謝はあらゆる生き物にとって存続の条件、それが閊えて流れないと澱みになる。澱みは時間が経てばたつほど生きる環境が悪くなる。自然と比べ人間社会の新陳代謝は儘ならぬ。本来は年老いた者が退いて若い人に譲るもの、これができない人たちが多いからルールを考え定年制。今時、それが無いのは如何なものか!いろいろと法は作ったところで守らなければ意味はない。そうならない為の罰則がある・・・・否、はずだった。
この有り様は ”人為線状降水帯”の如し?
 
  地震・台風・洪水・津波・噴火・旱魃・大火災・感染症など様々な災害が起こっている。その流行も激しさを増しているから厄介だ。雨は恵みをもたらしてくれる、今判っているのは宇宙で唯一地球だけがその恩恵に浴する星。それを当たり前だと思ってしまった人間は 自然の猛威に為す術がない。
 それどころか 我が身に起こったゴタゴタにしどろもどろの千鳥足!一体この先どこに向かうのか?何を信じて良いのか判らず、ますます”疑心暗鬼”で寄る辺無し。この態を衛星からみたらどんな風に観えるだろうか。 ・・・・いつまでも高みの見物じゃ~ダメなんだ~・・・・ 

3935:除災招福

 ”福は内 鬼は外!” 2月4日は立春、その前日に”豆まき”が行われます。こういった伝統行事は先細りになっているように思います。日本の四季は地球温暖化によって季節の境目が曖昧になっている。
 気象情報は随時知ることができます。でも安心はできない。予測できても それを無くすことはできません。災を除き福を招く・・は人々の願いです。災いは自然災害だけではありません、むしろ、人災の方が厄介です。”疑心暗鬼”の鬼と”豆まき”の鬼は似て非なり・・・。ご褒美が違うんだわな~。豆まきした後、自分の年齢にプラス1の豆を食べる。実は古希を過ぎた頃から腹の具合が気になりだした。ところで疑心暗鬼の鬼は一体何がご褒美なんでしょうね?
 某所では、「元、前、現」と冠が気になるらしい。 経歴(かたがき)?今度、鬼に聴いてみたらどうです。・・・靴(くつ)新しといえども首(くび)に加えず・・・(史記)。なるほど、・・・。
 
抗 ウイルス-ソフトというものがあります。コンピューターには欠かせない。一方、人間にはワクチンがある。両者に共通するのは完全なものはないということ。それはウイルスそのものが変異することが判っているからですね。それでも信じるか信じないかはその人自身の判断。(有相・無相)
 ・・若し善根をなせば有相に住し、かえって輪廻生死の因と成る・・・・(発露懺悔ノ文)
 この意は≪自分では良いと思っていたことが、苦しむ原因となる・・≫で、自分の地位や能力におごることを誡めた。要は他に責任を擦り付け、自分はのうのうと生き延びるような業(病)に果たして効くワクチンになり得るかどうか?。(円相)

3936:善根宿

 善根宿・・修行者や遍路、困っている旅人に無料で宿を提供する。随分前の話で四国遍路を行った時に見かけた、今どうなっているか判らない。ドロンで映した東京の姿をみたらある程度は想像できるのではないでしょうか。有相とは“姿形”をもって存在しているという在り方をいうと。徳に陰と陽がある様に、また、生死即涅槃、煩悩即菩提・・・云々、その真意を探し続ける人生を私は大事と思います。妄想は囚われ誤った考え、昂じれば誇大妄想、被害妄想となるかもしれぬ。
 ☆ 程々と 物差す用に 遍路杖   (『ナマグサ拾遺』道しるべ2024/2)
 
 ほどほど感が萎えた環境に長居し続けていると人間 おかしくなりますから、不正、隠蔽、詐欺、暴力・・・等、誰もがおかしいと感じていた。それを強引に通してしまった罪障はいつまでも後遺症となって遺ります。
 それが嫌だったら、先ず自分が真実を語り(発露)、悔い改めること(懺悔)しかないだろう。”せこい”か”太っ腹”かは自分が決めることじゃ~無い、 いつまでも白(シラ)を切ったところで、どうなるか!まるで自らドン・キホーテを名乗って、独り遍歴の旅をするようなもの。いずれ貴方を乗せてくれるようなサンチョ=パンサはどこにも見つけられないことを知るだけだ。

3937:イマージュ

 心の中に思い浮かべる姿や情景にハッとすることが増えた。それは情報の蔓延と無縁では無い。様々な事柄が現われては消え、一体、何を信じたら良いのか判らず、秩序の乱れ、無法化がすすむ。この状況に為す術なく立ち尽くす・・・・。
 これは悪夢でなく現実です。最近、図書館で借りた3冊の中の一冊『悩むこと 生きること』(姜尚中著:信濃毎日新聞社)を10日過ぎたが殆ど開かずに置いた儘です。著者が担当した夕刊コラム「今日の視点」に掲載されたもの(2010/11/5~2013/5/31の126回分)。
東日本大地震から13年後、ほゞ同クラスの能登半島地震が起こった。日本は今まで自然災害に何度もみまわれ、そのなかで悩みながら生きてきた。それが どうしたことか 近ごろコトバ巧みに不正や詐欺などの悪業を平気で行う者が目立つ。世知辛い世になった。
 もしかして現代人は先人が大切にしてきた”なごみ”や”仄々(ほのぼの)”という心象風景を どこかに置き忘れてきたかもしれない~。
 
 幻聴・幻視・幻味・幻臭・幻蝕。なんだこりゃ~?有ると思えば有るんだ~無いと思えば~、その”エビデンス”(証拠)を問われ、うううう・・・あ・・・・うう。
 (病名)偽認知症。知らない記憶にない。うううう・・・・いいい・・ウ。”魑魅魍魎”? アンタ達のこと。ええええ・・・おお・・・・ん。
 にやにや・うろうろ・じわじわ・ぴかり・ごろり・・・・(擬態語)。ざわざわ・がやがや・わんわん・しくしく・・・(擬声語)。 家のテレビをつけたら 見えました聴こえました。大分古くなった、とうとう壊れたか~?。メガネをかけ見たら国会中継だった。
 電気屋さんに修理を頼んだ???≪ 修理するより 新しいのに取り換えたほうが安いですよ。最近のは 随分良くなっていますから・・・≫と。 さあ~ どうしよう? ・・Je ne sais pas//.

3938:失ったもの

 「商品を売ることには長けているが、商品に対する愛情は薄い。少なくとも、商品を生み出す、産みの苦しみを知らない。よく売れる商品を愛するだけだ。」(『森を見る力』P84:橘川幸夫著)  戦後復興の主役だった家電メーカーは最早、流通の下請けとなった。それはメーカーの設定価格と実勢価格の落差に現われているという・・・・。なるほど! いま 騒がれている政治とカネの問題と妙に重なる。35年前、先生(?)たちが党派を越え熟考し決定した法(システム)を破り、知らない、関係ないで押し通す今の態はこれぞまさしく時代遅れのコミュニテイ、自壊する運命にある。認識のズレは本当にどうしようもない。国民の政治への無関心、不信感は縮まるどころか拡大の一途、中でも若い人たちにそれが際立っているという深刻さ。それを我が事と思わず他人事にしか考えない。我々戦後生まれの年寄りはどうか?いつの間に前期、後期に類別され、望むと望まぬに関係なく肩身の狭い思いをしながら閑居し、聴く耳持たずの独り言・・・・・! 
☆ 朝 小鳥のさえずりに 失笑焦燥するは 余の事か。(ナマグサ)
 
 ある会合でストラクチャーの評価、プロセスの評価の話を聞いた。結果を優先するあまり過程を大事に考えなくなっていないだろうか?と解した。政治は結果だというトップのコトバに貴方は共感できますか?おそらく 永田町だけではない。昨今よく目にするのは、カメラの前でのトップの謝罪の多さだ。それもマニュアルにそった常套句の羅列にすぎず。まさにメンデルの独立の法則(?)に従わず、互いに結び付いて行動する連鎖(リンケージ)現象が起こっている。小鳥のさえずりが、人間どもを失笑し、イラついているように 聴こえてしまう。 現代人が心のゆとりを無くし、闇雲に便利さ、豊かさを求めるようになったことで森を見る力を萎えさせてしまったのではないのか・・・・・・。大仰で思慮深さに欠けた言動が反省もなく、馬耳東風・・・繰り返される態様は 呆れるばかり。
 貴方!『初老』が40歳の異称だと 知っていましたか?  そりゃ~誰だって 人生に満足を求め、 社会の中で 人と触れ合いながら生きていきたい。これがホンネです。今年74歳迎え老いて後の初心、其れは禅譲のすすめ。 ナマグサを異名とし 歩んできたが  さ~これから  程々 トボトボ 自分の足で歩いていきたい・・・・。時しも BGMが♪【闘牛士のマンボ】♪に変わった。ホーレ  じゃんじゃがじゃん。
 * 「令和6年度障害福祉サービス等報酬改定の基本的な方向性について(概要)」。

3939:穏座の初物

 時期外れにできた野菜を”穏座の初物”という。(ex)穏座の秋ナス。食卓を飾る四季折々の自然の恵みは、外国人からみたら贅沢にうつるだろうか。これを野菜でなく人間に変えたらどうなるか?利益相反、矛盾撞着・・・どうも人間の場合は趣を異にする。陰、闇のドンとか言われ 裏に回って巧妙かつ執拗に策動する輩が後を絶たず。次から次へと悪さするから迷惑だ。あれだけシッポを出していながら現行法では防げない。当人は法治国としてなんとも思わないらしい。それどころかご意見番気どり・・・・。
 庶民感覚から大きくズレた今の状況は民主国家の看板を下ろすべき、身内から誰一人 そんな事を言う者が出ない。いったい何を畏れているのでしょうか? 嘗ての自由民権運動の熱気は温座の蔵入り、時々 蔵出し せにゃ~アカンでしょう。
 
 スポーツにはペナルテイ―は付き物、反則すれば審判が罰する。そう有らねばスポーツ(競技)と言わない。そんなことは誰だって解かっている。
 永田町ナショナルスタジアムは 最早なんでも在りの態、観客は減る一方に座席の色を変え、客がいるようなVR、どうです盛り上がりますか?
 温座には二つの意味があるという。①安心して座っていること。②(仏)座が冷える間もないほど休まず修行を続けること。温座行法。(大辞林)
 「政治刷新本部」、35年程前の「政治改革大綱」、刷新と改革の違いを説明して欲しいと頼まれたらどうでしょう。英訳ならreform、どちらも同じ! リフォームは、解体し、腐った部材を新しく取り換え 土台から直すというのがベスト・・・・。因みに今回の”リフォーム工事”が上塗りだけでは もって数年。

3940:基腐病対策

 いま全国に蔓延している甘藷類の基腐病(もとくされびょう)は、立枯れ、塊根腐敗などの症状で大きな問題となっています。原因は糸状菌によるという。その対策は≪持ち込まない・増やさない・残さない≫の三つの基本だという。(「農畜産業振興機構」)
 前項の政治刷新中間まとめと比べて どうでしょう?わかりやすさ、実効性、の違いは明らかです。NHK全国調査で刷新策を評価する2%、評価しない88%。同じ人間が考える事なのに何故 こんなに違うのか?そりゃ~”欲得菌”が邪魔するかどうか!ってことでしょう。利権・金権を止め、民権に戻る。此言を聞いて空言と思うか否か。勿論、表(?)を投じた側の責任もあります。ではどうするか? 基本は≪持ち込まない・増やさない・残さない≫ これしかありません。
誤字訂正:× 〇   表裏の錯綜論理 悪しからず・・・・。
 
 やっと竹林の掃除が終えた。枯れた竹を一本一本持ち出し、約3カ月かかりました。竹の根っ子は凄い、深くまでは伸びないが横に隙間なく伸びる。それは自然の擁壁。 京都の竹林スポットの嵯峨野とは”月と鼈(スッポン)”手を加えなくなった日本の竹林は人が入るのもできない程に荒れている。孟宗竹の太いものは一本で50キロの重さ、肉厚5センチ、直径40センチを超えるものもあり木と変わらない。違うのは成長の早さ、木と比較にならない早さで太くなる。残念なことに その孟宗竹の利用価値はゼロに近い、唯一 春筍料理として食卓にでる。真竹(マダケ)も食用になるが建築や細工物にも利用されている。真竹林に孟宗が入ると真竹が負けてしまい姿を消す。そんな竹林にも僅かな光がさせば植物の芽が出て小さな花を付ける。自然の生態を知ると癒されます。こういった自然界のルールに反し、人間中心に偏り過ぎた現代には”共生”は馴染まない。(片利共生)

3941:片利共生

 耳慣れないコトバ、「片利共生」・・・ともに生きていながら、一方は利益を受けるが、他方は利益も害も受けないこと。その例でコバンザメとサメがあげられますね。大きなものにくっついていると外敵から守られる。現実にいま起こっていることは似て非なりというものが殆どです。派閥だってそう、軍事同盟もそうだ。動物や植物には金権や利権なんてものは無縁。だから約束も裏切りもない、オマケに記憶にない。破棄もない。
 要は”理屈”ではなく、”人間の本性”だと思いませんか。理屈は御託を並べるけれど本性は本性、それ以上それ以下でもない。
 因みに”御託(ごたく)”とは自分勝手な偉そうな言葉、それと、くどくど言う言葉。(大辞林)  我が身が少しでも危うくなるとそこから逃れようと謀をめぐらす。そんなことより”それは全て私の本性です。”とハッキリ言えば良い。その後は票を投じる側の問題。民権運動への原点回帰です。・・・人の見識・品行は玄理を談じて高尚なるべきに非ず・・・(「学問のすゝめ」諭吉) 幕末・明治の先人の教えを胸に、凛として望めばよい・・・・ 文科省 けっぱれ!。
 
 品格は姑息な手段を重ねることによって失われていくという。不信感が蔓延、協調する力が萎え、相手に対し非難の矢を向ける。意趣返しの横行止まず・・・・・・。政治がおかしくなったのは、政治家だけの問題では決してない。それを許してきた社会の問題でもあると思います。長いこと低投票率に甘んじ、あきらめ、のうのうと暮らす人が増え過ぎた。これが金権、利権を生む最大の原因(温床)でしょう。その人達の思う壺にしてはならない!NOということをハッキリ言える社会を取り戻す。それに尽きる。今それが容易ではないことをやっと気付いた?
 ペンキを何層にも塗り重ね元の色が判らない状況にあって、家の支柱が腐っているのかどうかさえ判らない。不安になるのは当然でしょう。我慢して住み続けるか否か。
 この現実を御託を並べてごまかすのではなく、一緒になって向き合う。・・・・・そこはかと 常世浮世の 根競べ・・・・。

3942:ニワトリ

”常世の長鳴き鳥”はニワトリの別名だった。いつの間に日本の田舎からニワトリの声が消えている。 浮世の話、大規模養鶏場に何千何万羽の鶏を飼い、コンベヤーシステムで卵を生産・出荷。 感染症対策は厳重に行われていると思うが、毎年、何処かで集団感染が起こり、大量に処分されている。養鶏農家にとっては死活問題、時に自衛隊が加わって処理作業を支援する。これも昔は見なかった風景で、鶏の別名も消えてなくなるだろう。
  俳句の世界にも新旧の変遷がありました。正岡子規が活躍した頃だから、遠く昔の話ではない。”月並調” 陳腐卑俗で理屈に走る俳風(旧派)を子規が批判し、新しい風を吹き込んだ。月並調は、新鮮さがなく、ありきたりな調子。図らずも浮かんだのは、懺悔、謝罪が何処も彼処も月並調と成り下がった姿。何処かの話と良く似ている。もう待ってはいられません、時は人を待たずということですよ。 誰か鬨(とき)の声を上げる人いませんカア~!(鯨波ノ声)
 
 焦点の定まらない議論をいくら重ねても仕方がない。鶏には失礼だが、動きがダブってしまう。言い方を変えれば、”フリーマーケット”、時間を潰すには便利だが時間は人の都合など構わず刻々に過ぎてゆく。
 ”そう言うお前さんはどうなんだい?”と 姿なき誰かの声。諫言、箴言を聴くか否かは自由、法の定めにあがらない。敢えて言うなら”人生訓”人間の生き方についての教えでしょう。だいぶ昔の話、ブータンに気の合う坊さん達で行った時、車で移動する途中、休憩した処、そこは高度4000メートルを越えていた。遥か彼方に遊牧民のゲルと放牧されている牛が見えた。私たちは高度順応できず、苦しい思いをしたことを覚えている。時間をかけトレッキングで徐々に体をならすのと車で一気に上ってしまうのとの違い。 流浪の民とならず、共生を目指すならば、自らの足で一歩一歩進むしかない。そうでなければ どのような理想を描いたって、思い通りの結果は望めまい。国の姿もそれと同じでしょう。

3943:ミスリード

 政治不信がここまで蔓延ると刷新どころか崩壊するのを待つのみ。ミスリードが違和感なく受け入れられる社会は、混乱と荒涼とした枯れ野原、そこに住む人々は衣食住のバランスを失い、本性剥き出しの社会となる。幻想でなく史実が証す六道輪廻の実相。
 (仏)身口意業、常に顛倒し誤って無量不善の業を犯す・・・・≪やっていること・言っていること・思っていることが違うんだよ≫ 此れミスリードのはじまり、特権を翳(かざ)す前に大事を忘れ、いつの間に迷宮に踏み込んだ。 先生!我々はカラスに誤らないとならんでしょうか?
  規律も統一もなく集まって”烏合の衆”(後漢書) 真は胸中にあり さすがに 己を欺くこと能わず・・・云々。  
 
 今まで隠し通してきたツケが噴き出した。20年前へのタイムスリップ、確かな証拠、攻守所を変え逆転する筋書きをどう描くかが関心事となった・・・。世間を騒がせ、結果は審議未了でお蔵入り。
 ここは一番、停滞畏れず、徹底した審議をする覚悟を示せるか!事と次第では 今後のキップの売れ具合に影響するかと胸算用、・・・・・。このズレは デフレ、インフレ構わずに自分たちの取り分は下げず貰い続けた自明の証。それを棚上げ、法や制度を細分複雑にからませ判り辛さはG7の先陣を堅守。国の為というならば、もっと国民に分かり易くするのが当たり前、それをどう勘違いしたか説明するどころか真逆の態、先生!日本語で促すと決するは同義語でしょうか?これではな~!親子そろって迷ってしまいます。☆ ちちんぷいぷい御代(ごよ)の御宝(おんたから)  ★ ちんぷかんぷん今世(こんせ)の御密(おおんみつ)

3944:残照一過

 行き詰った状況から活路を開くために悩み苦しむ。≪人は努力する限り 迷うものだ≫(ゲーテ)の短冊を 柱に貼ってからだいぶ経った。若い時と老いた今、ひいき目で角が取れ丸みを帯びたと自称する坊さん4人の想いは如何に?コロナ禍で互いに声をかけるのを遠慮し、できなかった小さな集まり。取り留めもなく議論した。ラストオダーと謂われ、まだ帰らない我々を店はどんな思いでいただろう。それを察知し「そろそろ」と言うと、いそいそ店を出た。偶然の寄合に肩の力が自然と抜けた気になる。観想、瞑想、・・動物と人間との違い。動物の中にも擬態し捕食する器用なものがいるが人間は押しなべて・・・思いを果たそうと策で溺れ、苦しむ生き物なのかもしれません。
 翌日、長い間共に過ごしたU・Eさんが去年の暮に69歳で亡くなり、そのお別れ会を仲間たちと家族で神宮寺の本堂で行った。珍しく雪が積もった寒い日で読経しながら10歳の時のUさん達と初代理事長が一緒にいる姿が思わず浮かんだ。
 
 邂逅・・深層心理・・残照は点に観える。人間の過去~現在~未来を時間の縦軸と考えれば、横軸は60/69になると言えないでしょうか。思い出は点になり、突然、それも包み隠さず浮かんでくる。
 残された人にとっては、それが宝となるかトラウマとなるかは判りません・・・・いま競い合っている生成AIがその見極めを私達にはっきり示す時代になるのでしょうか? 万が一、そうなった場合に人間(にんげん)は”万物の尺度”や”塞翁が馬”という先人の遺訓(人間訓)はお役目御免となって影も形もなくなるかもしれません。そして、人間(じんかん)は、詐欺術策に覆われ、光が射さない暗闇(容態)となり、無感動の人間ばかりになってしまうのではないか・・・・。
 ☆≪・・・お別れ会の後、寮ではお母さまとNさん Uさんの遺影を前にテーブルをはさんでですが手を握り合ってにこやかに何かを話している姿もとても印象的でした。・・・・≫というスタッフからのメールがありました。

3945:遺訓

 貴方はどんな遺訓を大事にしていますか? と聞かれて、即答できる人は中々いないでしょう。人間の感覚の総称を五感(視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚)、それに加える第六感(直感)が肝心。仏教の唯識思想の八識(阿頼耶識)は煩悩か真如かの分岐点で全ての心の働きの源という。私達の感覚機能は永遠に未知の世界かもしれません。入口への手がかりは”感動”ではないか?「感動的な場面」が何故起こるかを考えてみるとどうでしょうね。上掲のメールは直感に近い。言葉じゃないんですよ。
 現代社会を覆う闇、病巣・・・・それは”是非善悪を考えない正義感”ではないかと思う。あまりAIに頼り過ぎる事は危険だと思います。人間の心の働き(煩悩・真如)に近づけても決して源には成りえないからです。その例証は無人機が是非善悪の心を持ち得るかってことじゃ~ないの。
 
 ≪一身の利害を以て天下の事を是非すべからず≫(『文明論之概略』諭吉)
 民主主義の土台が揺らいでいる。数の論理を肝心なことになると持ち出し、己のことになると黙秘する、これがいつの間にか主流(正義感?)となった。国民の半数以上が選挙の権利(公民権)を行使しないという異常事態、それが20年以上続いている。その間に何がどうなったか?言わずもがな、枚挙するに遑がない。起死回生の策がない。やる気がない。ないないないの三無、信頼を失った政治、三権の要の一つが狂うと他の二権もその影響を少なからず受ける。一身を一党の利害を以て・・・・という風に置き換えるのも 如何なものか?支流が集まって一本の大河になる(鳥瞰図)。≪彼の腹の中の行きさつが手にとる様に吾輩の心眼に映ずる≫(『吾輩は猫である』漱石)  猫はそのことを生来弁えているが問題は我々人間 果たして誰が猫になれるか・・・・・でしょうか。木を見て 森を見ず。・・・続く・・・
 
 【putting the cart before the horse】・・本末転倒。
 60年以上前のおぼろげな一ページ。西部劇ララミー牧場(?)を村で一軒テレビのある友だちの家で見せてもらった。懐かしい仲良し3人組、二人は既に亡くなった。子供だって 幌馬車(cart)を馬(horse)が後ろから押すなど想定しない。そのミスを大の大人が馬の所為にするようなことが今起こっている。疑えば目に鬼をみる。昨日の友は 明日の?? 徒党を組む村社会・・・・・挙句の果てに出入口の鍵閉めて無観客の独演会。いまに鍵かけずとも誰も来なくなる。【paying for one's mistakes】・・自業自得。離見の見を知らず、いくらなんでも利権の権ではないでしょう。20240226

3946:激流典座

 ・・・・船唄に 酔いし踊れし 川下り・・・。
 満開の桜春うらら、風なく 日和良ければ、旅もまた楽し。・・・が、それと真逆の状況において それは無いでしょう~!訝(いぶか)しい花見から始まり、あれよあれよという間に激流に呑まれ 果は制御不能となり どうするか!。1994年の公職選挙法改正で拡大連座制、あれから30年、時と共に語られることも無く、知る人も減った。方や 次から次に法がつくられ、読む人も無く、知る人も減る。周知の便法と 説明は概説だけとなり、後はネットで自分で調べよ・・・・自己責任となりました。当然、その流れに上手く適応できない人や組織が増え、昨今の状況に至った次第です。尚、それに新たな病名を付け、制度に乗せるという旧態は健在。その例証、マイナンバーを作ったは良いが実際に使われず時は過ぎる。これも想定内なのかどうか?それすら判らない。斯様に不透明感は益々拡がり、★あとの祭りとなりました。
 ★ (It's)too late. The damage is done (あとの祭り英訳)
 
 政治倫理審査会の略称が政倫審、それにもう一つ略称があるのを知った。”裏金番”。まるで「大岡越前」(テレビドラマ)再放送を観ている様、最後は奉行の裁きを受け一件落着めでたしで幕。一日目、拝聴させてもらった限りそのような筋書きは望めそうにない。
 裏の事情は判らない、なぜ 突然 非公開から公開に変更したのかも知らされず、一日目の説明も大方の予測通り、無無無・・釈明に終わった。二日目、???。
 禅寺で食事をつくる役僧のことを典座(てんぞ)と言います。(六知事の一つ) それぞれの役割が確と守られて組織(寺)が成り立ってきたわけです。密教では事教二相の大事が説かれます、行いと教えを車の両輪と例えて、両方を一致させることを行の目的としています。 (密教大辞典)
 今の状況は右輪が△、左輪が□で前に進もうがバックしようが上手く動かない、そんな状況になっていないでしょうか?それに乗り合わせた客は堪ったもんじゃない! それが嫌なら カネをもっと出せとでも言いたいわけ? 折しも 国への納税は2/16~3/15です。

3947:温度差

 温度差が騒がれ始めたのは1990年代初頭からとか。これは気温の差ではなく、物事に対する熱意の差を比喩したもの。日本の政治に関して言えば、55年体制(自民・社会党とその他が2:1構図)が崩れたのが1990年代初頭で時期が重なる。政治不信に至った因は一体何がどうなったからか?専門家とか評論家は”木を見て森を見ず”、受けを優先する日和見タイプが増え、実体と名目を正すことより御身第一、通り一遍の解説が当たり前の様だ。
 また、時機を同じくして経済バブルが崩壊(1991年)し、30年間以上のデフレから抜け出せない。この間に 備え有れば憂いなしの意味も随分変わりました。人間のこころを巧みに操る不正や詐欺事件が横行し この類のニュースを連日観て聴かされている。いくら備えをしたって憂いは収まらんでしょう。 
 
 老若男女がいて、1人1人違って、極寒の地、砂漠、ジャングル、等々、住む環境も違う。それでも自分たちにあった居場所を探し求め、生き延びてきたのが人類の歴史です。霞ヶ浦の周辺台地には縄文時代の住居跡が至る処にあります。地表から150センチ程掘れば人間が住んでいたことの裏付けが容易に見つかるんです。(石器・住居跡・貝塚・・)
 関東平野を覆っている関東ローム層(赤土)は約50万年~1万年前の火山活動によって灰が積もったものだと言う。 宇宙の謎で解明されているのは、ほんの一部。それなのに我が物顔に振舞うのは人間だけかもしれない、反省もなく、何度も同じ過ちを犯す。 
 
 【『学問のすすめ』十三編】
 怨望は衆悪の母。怨望(おんぼう)はひがみ根性、世間の悪事は、そこから出発しないものはない。人の心を邪推したり、やきもちをやいたり、たえずびくびくしたり、こそこそさもしい行動をしたりなどは、皆ひがみ根性から生れるものだ。・・人をだましたり、うそをついたりするのは・・・多くはひがみ根性が原因となって生ずる結果である。
 私感・・・「変わるべきこと」と「変わってはならないこと」、そして「忘れてはならぬこと」が混乱し光が見えない今の状況を 傍観していて良いと思いますか?  自分一個の私憤をはらすものとはならぬよう! 

3948:ソロソロ時々

 もうソロソロ御暇しなくっちゃ・・! 長居をし過ぎて相手が迷惑そうな顔、貴方だったら どうしますか? これが判らない人を時々見かける。止めれば良いのにナ~!・・ソロソロと時々 日本語の副詞、主語・述語になることがない品詞。使い方で三分類、状態副詞(すでに、ゆっくり、ひらひら)、程度副詞(もっと、非常に、少し)、陳述副詞(とうてい、なぜ、まるで)などがある(大辞林)。近ごろの国会中継をみていて感じるのは、やけに副詞が多いということ。これが第三者には誰が何をいつどこで行うのかが曖昧で後味の悪さだけが残る。
 昔、語り方(綴り方)教室っていうものがあった。”嗜(たしな)み”を学ぶと言っても良い。つつしみ、心得というのは和の文化の土壌。それがどういう訳か違った地層に入れ替わる。
  変形・隆起・沈降・断層・褶曲・・・・特に永田町辺り地殻変動が大きい。(すでに、まるで) 
 
 攻める側は牛歩戦術・・・。防戦側は陳述副詞をやたら織り交ぜ、のらりくらりの持久戦。ハッキリ言って双方の視界に国民はいない。
 今 何が起こっているか もしかして貴方たちはご存知ないのでは? 膨大な数、複雑怪奇な制度、まるで綾取り、数独、・・・・。HPを参考にして下さい・・・・説明するのを諦めたのかできないのか!後は自分で調べで下さい。
  このままでは いずれ二桁に達しない投票率で当選祝勝を行うようになるかもしれない。法治国家で法を制定した者がその法を守らずとは冗談にも程がある。更に なんのお咎めもないという特区の実体。内憂外患の様をパラドックスと諧謔(かいぎゃく)あふれた文体で試みた古典的名著(『正統とは何か』G.K チェスタトン) その100年前の予言(価値転倒)が・・・やたらと・・・進んだ先進国(?)。

3949:価値顛倒一考

 不器用と出任せ。木偶(デク)の坊と独活(ウド)の大木は違いますか?・・・・視座をちょっと変えれば価値転倒が起こります。賢治の「雨にも負けず」の一節から。・・・一日に玄米四合と 味噌と少しの野菜を食べ あらゆる事を自分を勘定に入れずに 良く見聞きし判り そして忘れず・・・ そういう者に 私はなりたい(終)
 いつもの店(銀座)で勉強会 ?費で領収書。事ある毎に損得勘定を先んじ 時と場合で 記憶が消える・・・ そんな者(センセイ)に 私はなりたい(続)。 (ナマグサ放言ノ抄 202436) 
 
 派閥⇔政策集団。  名称を変え 何を どうしたいの? 教育界にも同じことが言える。シラバス作成? 講義の計画書。これが何故求められているか調べてみました。すると 昨今の政治と通底することが判りました。少子化、高齢化、そしてグローバル化の副作用で化⇔禍⇔果への変異顛倒。新渡戸稲造の『武士道』は英語で書かれた。日本人はそれを和訳本で読む。そこに≪日本人の責任の取り方≫の章がある。これを必須科目にすべきなのかもしれない。生成AI? これだって副作用が当然おこる。それを誰がどう使うかでしょう?。
 某党の青年部会に新たな(?)火種が浮上、即 代表二人が辞任したという。だがバッジを外した訳ではない。これも”先手必勝の価値顛倒”、内なる環境に染まってしまうと外の世界の常識と非常識の見定めが無くなる感染病。病名は〇×症候群、特徴は紋切り型謝罪会見・・・・全く何にも変わっていない。 (質問)これも・・・費なんでしょうか?    (答)ウチの爺ちゃんも父ちゃんもやっていたんだも~ん、ボク悪くないも~ん。ヒソヒソ。

3950:風見鶏

 歯止めが効かない組織の体質は一朝一夕には完成しない。積もり積もった根雪の態、地球温暖化だって理を弁えない策は弊害となる。追い風か逆風かの寸評など 所詮 根拠無き他人事、自粛自戒とは無縁。行動規範がなぜ有るか?有った所で、守らねば意味はない。 
 ハッキリ言って 貰うものは確と貰っておき、何を喋っても言い訳にしか聴こえない。雪は融けるが さ~て 凍土と化した不平不満をどうするか????  でもな~ それにいつまで耐えられるか 限度はある。ところで”超法規的措置”って何ですか? 皆の前で分かり易く説明して下さい。・・記者会見で開催者の代表(?)が≪多様性重要性問題提起をしようと思った。・・・・≫・・・・それで 予定通りの問題提起ができましたか!
 
 多様性→重要性→問題提起はコトバのレトリック、業界用語と考えれば、コトバを並べるだけで、結局は意味不明。なるほど子供は大人たちの姿をみて育つものだ。 でもな~  どこの国だって30代~50代の人たちを子供とは言いませんよ。 もしかしたら”人生100年”の理を弁えない人たちの共通言語。
 説明すればするほど不信が増すという悪循環。この昏迷する政局の元凶は数限りなし、数の論理(多数代表制)が逆風となっている。 果たして妙案は有るか! 唯一有るとすれば、選挙が成立する境界線(最低ライン)を決めること、それを国民投票によって決めるしかない。これしか増え過ぎた数を減らす方法は無い。政党助成金を一度止め・・・これだってやる気があればできますよ。(民主主義への原点回帰:「権利と義務」) 風見鶏の真意は・・・風に向かって雄々(おお)しく立つ・・・・・と。いつ頃からかそれが日和見主義という否定的意味に変わった様です。
 
 俯瞰(ふかん)、鳥瞰(ちょうかん)は高い処から大局をみるということ。いま それがどうだろうか。特権を勘違いした人たち、家来を引き連れ,勝手放題ドンチャン騒ぎ、もうそこには清貧とか雄々しさなど全く感じない。
 ぬるま湯に長く浸かり過ぎ 外に出ようか出るまいか、ガヤガヤ ソワソワ ヒソヒソ絵図・・・・。勉強会どうですか?とてもとても・・・・。